秋の岐蘇路

田山花袋





 大井おほゐ中津川なかつがはの諸驛を過ぎて、次第に木曾の翠微すゐびちかづけるは、九月もはや盡きんとして、秋風しうふう客衣かくいあまねく、虫聲路傍に喞々しよく/\たるの頃なりき。あゝわが吟懷、いかに久しくこの木曾の溪山に向ひてせたりけむ。名所圖繪をひもときて、幼き心に天下またこの好山水かうさんすゐありやと夢みしは昔、長じて人の其山水を記せるの文を讀み、かく其勝そのしやうを説くを聞くに及びて、興湧き胸躍りて、殆どそをとゞむるに由なかりき。さればわが昨日きのふ遙かに御嶽おんたけの秀絶なる姿を群山挺立ていりつうちに認めて、雀躍して路人ろじんにあやしまるゝの狂態を演じたるもまたむべならずや。
 木曾の溪山は十數里、其特色たる、山に樹多く、けい激湍げきたん多く、茅屋ばうおく村舍※(「山+解」、第4水準2-8-67)さんかい水隈すゐわいに點在して、雲烟の變化殆どきはまりなきにありといふ。住民また甚だ太古のふうを存し、は皆齒にでつし、山袴やまばかまと稱する短袴たんこ穿うがち、ことに其の清麗透徹たる山水はく天然の麗質を生じて、世に見るを得べからざるの美すこぶる多しと聞く。まして須原すはらの驛の花漬賣はなづけうり少女をとめはいかにわが好奇の心を動かしけむ。われも亦願はくはこの山中の神韻に觸れて、美しき神のたまさかなる消息を聞かばやと思ふの念甚だ切なりき。
 ことに、既に長き旅路につかれたる我をして、嚢中のうちう甚だ旅費の乏しきにも拘らず、ふるつてこの山中にらしめたる理由猶一つあり。そは、わが親しき友のこの山中なる福島ふくしまの驛にありて、美しき詩想を養ひつゝあること是なり。この友は木曾山中の妻籠つまご驛に生れて、其のすぐれたる詩想とそのやさしく美しき胸とは、曾てわれをして更に木曾の山水にあくがれしめたるもの、今しも共にその山水に對して、詩を談し、文を論じたらんには、その興のおほき、あはれ果して如何いかなるべき。これ我の殊更に遠きをいとはずして、この山中にりたる所以なり。
 落合おちあひ驛を過ぎて、路二つにわかる。一は新道にして木曾川の流に沿ひ、一は馬籠峠まごめたうげえて妻籠つまごる。われは其路のわかるゝ一角に立ちて、久しくその撰擇に苦しまざるを得ざりき。聞く、新道の木曾川に沿へるの邊、奇景百出、岩石の奇、奔湍ほんたんの妙、旅客必ずこれを過ぎざるべからずと。いはんや、其路坦々たん/\としての如く、復た舊道の如く嶮峻ならざるに於てをや。されど其道を過ぎんには、わがをさなき頃より夢に見つる馬籠まごめ驛の翠微すゐびは遂に一目をも寓するあたはざるなり。往古の木曾の關門とも稱すべき風情ある驛舍の景は、永久とこしへにわが眼に映ぜずして終らざるべからず。
 われは遂に舊道を取りつ。
 數歩にして既にその舊道のいかに嶮に、かついかに荒廢に歸したるかを知りぬ。昔の大路たいろには荊棘けいきよく深く茂りて、をり/\よこたはれる小溪には渡るべき橋すら無し。否、がけは崩れ、路はおちゐりて、磊々らい/\たる岩石の多き、その歩み難きこと殆ど言語に絶す。かくて溪流を徒渉すること二、路は暫し松林しようりんの間を穿うがちて、茅屋ばうおく村舍の上になびける細き烟のさながらの如くなるを微見ほのみつゝ、次第に翠嵐すゐらん深き處へとのぼり行きしが、不圖ふと四面打開きたる一帶の高地に出でゝわれは思はず足をとゞめぬ。あゝ何等の壯觀ぞ。今までかゝる後景を背にしながら夢にもそれと知らざりしはわれながらあまりのおぞさと思はるゝばかりの美しさ。昨日きのふ仰ぎし惠那岳えなだけは右に、美濃みの一國の山々は波濤の打寄するが如く蜿蜒ゑんえんつらなわたりて、低き處には高原をひらき、くぼき處には溪流をはしらせ、村舍の炊烟すゐえん市邑しいう白堊はくあ、その眺望の廣濶くわうくわつなる、殆どたとふべき言葉を知らず。まして、秋の初の清く澄みたる空氣は明かに、山々のいたゞき白旗はくきを飜したらんごとき雲の長くおもしろくなびけるなど誰かつく/″\と眺入りて、秋の姿のさびしさに旅思を惱まさぬものかあらん。ことにわれは多恨の遊子いうし、秋の草木くさきに置く露の觸るればやがて涙の落つる悲しき身なるをや。


 馬籠まごめは風情多きしゆくなり。
 今の世に旅するもの、國道の到る處に昔榮えて今衰へたる所謂いはゆる古驛なるものゝ多きを見ん。しかして其の古驛なるものゝいかに荒凉寂寞せきばくたる光景を呈したるかに傷心せざるものはまれならん。壁落ち、ひさしかたぶきたるだいなる家屋の幾箇いくつとなく其道を挾みて立てる、旅亭の古看板の幾年月の塵埃ちりほこりに黒みてわづかに軒に認めらるゝ、かたはら際立きはだちて白く夏繭なつまゆの籠の日に光れる、驛のところどころ家屋途絶とだえて、里芋、大根、唐蜀黍たうもろこしなどの畑のそこはかとなくつらなりたる、殊に、白髮の老爺らうやの喪心したるやうに、默して背を日にさらしたる、皆これ等古驛に於て常に好く見る所の景なり。其處そこには墓塲のくされたる如きにほひち/\て、新しき生命ある空氣は少しだになく、すまへる人また遠くこの世を隔てたるにはあらずやと疑はる。
 馬籠は幸ひにして火災に逢ひぬ。火災に逢ひたるが爲め、他の古驛に見るが如き醜くけがれたる光景とあはれに佗しき家屋とをとゞめずして止みぬ。されど古驛は依然として古驛なり。荒凉は依然として荒凉なり。見よその高原につくられたる新しき小さき家屋にいかに無限の秋風あきかぜの吹渡れるかを。更に見よ、新道の開通せられてより、更に旅客の此地を過ぐるものなく、當年繁盛はんせいの驛路、今は一戸の旅舍をもとゞめずなりたるを。
 われはこの高原の上なる風情ある古驛の入口の石に腰を休めて、久しくなるまで四邊あたりの風景に見入りつゝ、さま/″\なる空想にふけりたるを今猶記憶す。いかに美しき空なりしよ。いかにさびしき秋の日の光なりしよ。いかに秋風の空高く、わが思をして遠くかのさうに入らしめしよ。村の寺の鐘、村の少女をとめの唄、いかに縹渺へう/″\としてわが耳にり、いかに寂寞としてわが心をちたりしよ。わが腰を休めたる石の彼方かなたには、山より集り落つる清水のかけひありて、わが久しく物を思へる間、幾人いくたり少女をとめ來りて、その水を汲みては歸りし。かけひの細きに、水の來りてその桶につること遲く、少女をとめは立ちてさま/″\の物語をせしが、果ては久しくとゞまりて石の如く動かざる我が上に及びしと覺しく、互に此方こなたを見ては、何事をか私語さゝやき合ひぬ。
『このしゆくにて晝餐ひるげ食ぶべき家は無きにや』と我は遂に問ひぬ。
 少女をとめの最も年長なる一人進み出でゝ、
しゆくの外れに山田屋といへるあれば、そこに行きて聞きて見給へ』と教ゆ。
 其顏は丸く、眼は光ありき。
 驛の兩側を流れ落つる小溪、それにのぞみて衣洗へる少女をとめ二人三人ふたりみたりまばらに繁茂せる桑の畑などを見つゝ、少時しばしが程行けば、果して山田屋といへる飮食店あり。されど旅客の來りていこふものもなければか、店頭みせさきには白き繭の籠を幾箇いくつとなく並べられ、客を待てる準備よういは更に見えず。檐頭えんとうに立寄りて、何にてもよし食ふべきものありやと問ふに、素麺そうめんの外には何物もあらずと答ふ。止むなくこれを冷させて食ふ。常は左程このまざるものなれど、そのうまきことたとふるにもの無し。山の清水のひやゝかなるが爲めなるべし。
 驛を離れて峠に懸るに、杉樹さんじゆ次第に路傍に深く、一歩は一歩より前なる高原の風景を失ひ、峠に達すれば、山樹空濛くうもうとして、四只雲烟。
 即ち疾驅してこれをくだる。半里程はんりていにして、當面にはかに一大奇山の蜃氣樓のごとく聳立しやうりつしたるを認む。しかして僧の如き、佛陀の如き、臥牛ぐわぎうの如き、奔馬の如き小山脈はこれに從ひて遙かに西にはしれるを見る。即ち思ふ、木曾の大溪はこのわが立てる山脈とかの山系との間によこたはりて、其間にこそわが久しく見んことを願ひし奇絶快絶の大景は全く深く藏せらるゝなれと。こゝに於て興の起るに堪へず、更に疾驅してこれに赴く。


 始めて木曾の大溪に逢ひしは、妻籠つまご驛を經て、新舊兩道の分岐點なるなにがし橋と稱する一溪橋を渡れるのちにあり。わが最初の寓目ぐうもくの感は如何いかん、われは唯前山ぜんざんの麓に沿うて急駛きうし奔跳ほんてうせる一道の大溪とかたはらに起伏出沒する數箇の溪石とを認めしに過ぎざりしといへども、しかもその鏘々さう/\として金石を鳴らすが如き音は、久しく山水に渇したるわが心を誘うて、思はず我をして手をつて快哉くわいさいを叫ばしめぬ。けいに沿ふて猶進むこと數歩、路は急に兩傍りやうはうより迫れる小丘陵の間にりて、溪聲俄かに前に高く、※(「金+堂」、第4水準2-91-34)だうかうたる響はた以前の※(「口+曹」、第3水準1-15-16)さう/\切々せつ/\たるに似ず、いぶかりつゝも猶進めば、兩傍の丘陵は忽ち開けて、前に一大奇景のよこたはれるを見る。
 山は開けて上流を見るべく、一曲毎きよくごとに一らいをつくり、一瀬毎に一たんをたゝへたる面白き光景は、宛然えんぜん一幅の畫圖ぐわとひろげたるがごとし。しかしてわが立てる脚下の大溪潭は、まさに是れ數十のらい、數十のたんを合せたるものと稱すべく、沈々として流れ來りたる碧き水の、忽ち河中の一大奇巖に逢ひて、※(「革+堂」、第3水準1-93-80)だう/\澎湃はうはいの趣を盡したる、自然の色彩またこれに過ぐべきものありとも覺えず。况んや前山の雲のたゝずまひの無心のうちにおのづからの秋の姿をそなへて、飄々へう/\高く揚らんとするの趣ある、我はいよ/\心を奪はれぬ。
 惜むらくは時尚ほ早くして、全山紅葉の奇を見るあたはざるをと我は思ひぬ。福島にある友は、曾てわが爲めに語りて言ひき。木曾の美は秋にあり、秋の紅葉の節にあり、滿山皆なさま/″\の錦繍きんしうを着くるの時、雲に水に山に、その色彩の多きこと殆ど状するに言葉なし。ことに、純紫色じゆんしゝよくは自然の神の惜みて容易に人間に示さゞる所、晩秋の候、天の美しく晴れたる日、夕陽せきやうを帶びて、この木曾の大溪を傳ひ行けば、駒ヶ嶽絶巓ぜつてんの紅葉なゝめに夕日の光を受けて、稀にそのたまさかなる色彩を示すことあり。これわが日本畫家の知らざる所なるべしと友は語りき。まことにその晩秋の候はいかに。
 これより三留野みとの驛へ三里。山び、水ゆるやかに、鷄犬の聲歴落れきらくとして雲中に聞ゆ。人家或はけいに臨み、或は崖に架し、或は山腹にる。白堊の夕日にきらめけるを望みては、其家にすめる少女をとめの美しきを思ひ、山巓に沈み行く一片の雲を仰ぎては、わが愁の甚だその行衞に似たるを嘆じ、一道の坦途たんと漸く其の古驛に達したるは、夕陽せきやうの影漸く薄からんとするの頃なりき。
 一たびは今宵は此驛にやどらんと思ひしが、猶脚のつかれざると、次の驛なる須原すはらまで左程遠くもあらざるに勇を鼓して、とある茶榻ちやたう一休憩ひとやすみしたる後、靜かに唐詩を吟じつゝ驛を出づ。
 一里半餘にして、溪聲また大に、山容また奇なり。路は薄暮に近き山間を縫ひて、杉樹さんじゆ蓊欝おうゝつと繁茂せるところ、髣髴はうふつとして一大奇景の眼下によこたはれるを見る。されど崖高く、四邊深黒にして容易に之を辨ずる能はず。すなはち溪聲を樹間に求め、樹にすがり、石にりてわづかにこれを窺ふ。水は國道の絶崖にかたよりて、其處に劒の如く聳立しやうりつせる大岩たいがんあたり、その飛沫の飛散する霧のごとくけぶりの如し。加ふるに絶崖の罅隙かげき穿うがちて※(「革+堂」、第3水準1-93-80)だう/\深潭に落下する一小瀑あり。
 思はず奇を呼ぶ。
 樹間を出でゝ數歩ならざるに、われはまた手をつて快哉を叫ばざるべからざるの奇景に逢ひぬ。見よ、四邊すでに暗く、山樹、溪流また明かに辨ずる能はざらんとする今の時に當りて、當面夕日の餘光のかすかに殘れる空の上遙かに、黒くだいなる駒ヶ嶽の姿のさながら印せらるゝ如く顯はれたるを認めたるにあらずや。
 諾威ノルヴエーの詩人ビヨルンソンが山嶽小説を讀む者、皆その若主人公アルネが山中に生長して、山の美、山の靈、山のしんにいたく心を動せるを知らざるはあらぬなるべし。而してその少年が高山のいたゞきに沈み行く夕日の影を仰ぎ見て、山の彼方かなたなるめづらしき國々にあくがるゝ段は、ことに全篇の骨子として皆な人の唱道しやうだうするところ、あゝこの木曾山中、この駒ヶ嶽の絶巓に微かに消え行く夕照せきせうの光を望み見て、日夜にちや都門に向ひて志を馳せつゝある少年なきや。
 我は只その山容を打守りぬ。
 山巓なる夕照の光は次第に微かに、いつか全く消え失せて、終にはその尨大なる黒き姿をとゞむるのみになりぬ。
 顧れば十三日の月光既に溪流にあり。


 これより須原驛に至る間、わがきようはいかに揚り、わが吟懷はいかに振ひ、わが胸はいかにさま/″\なる空想を以て滿されたりけむ。われはしろがねの如く美しき月光に浴しつゝ、蹌々踉々さう/\らう/\として大聲唐詩を高吟し、路傍の人家を驚かしたるを今猶記憶す。酒を路傍の村舍に求め、一歩に一飮、一歩に一吟、われは全く人生の覊絆きはんを脱却して、飄々天上の人とならんとするが如くなるを覺えき。
 須原驛に着きしは、夜の九時頃なりしが、山中の荒驛くわうえきは早くも更けて、冷露れいろ聲なく玉兎ぎよくと靜かに轉ずるの良夜も更に人の賞するものなく、旅亭は既に戸を閉ぢたるもの多かりき。わが宿りたるはあたかも木曾川の流に沿ひて、へやよりはその流の髣髴を見ることを得ざれども、水聲は近く枕に通ひて、夢魂むこん極めて穩かなりき。
 翌朝よくてう花漬賣の少女をとめより一箱二箱を買ひ、活溌に旅亭を出づ。
 行く/\旭日あさひ未だ昇らず、曉露げうろの繁きこと恰も雨のごとし。霧は次第に東山とうざんより晴れて、未だ寢覺ねざめに至らざるに、日影は早くも對岸の山の半腹に及びぬ。空氣はあくまで清澄にして、中に言ふべからざる秋の靜けさとさびしさとを交へたり。木曾川の溪流よりはあしたの水烟さかんに登りて、水聲のいさぎよき、この人世のものとしも覺えず。
 寐覺ねざめとこの名はかねて耳に熟せるところ、路傍にその標柱の立てるを認めて、直ちに路をもとめてこれに赴く。臨川寺りんせんじの庭にきよして、獨り靜かに下瞰かゝんするに、水はあくまでみどりに、岩は飽まで奇に、其間に松の面白く點綴てんせつせられたる、更に畫圖ぐわとのごとき趣を添へたるを見る。雛僧すうそうあり、寺の縁起を説くのかたはらけいに下るべきの路あるを指點し、わが爲めに導をさんことを乞ふ。則ち共に細徑さいけい竹林ちくりんうちに求め、石にすがり、岩にりて辛うじて溪に達す。
 けい、直徑大凡おほよそ七八町、岩石の奇なるものを屏風岩びやうぶいは硯岩すゞりいは烏帽子岩ゑぼしいは蓮華石れんげいし浦島釣舟岩うらしまつりふねいはと爲し、其水のきたるや、沈々として聲無く、其色の深碧にして急駛きうしせる、そゞろにわれの心を惹きぬ。岩石の中央に一小祠あり、稱して浦島太郎がいとを垂れたるの古跡と爲す。
 岩上に盤踞ばんきよして四顧すること多時たじ、興の盡くるを待ちて、來路をもとめ、再び木曾川の流に沿ふ。
 上松あげまつ驛は木曾山中福島に次ぐの都邑といふにして、其の繁華は中津川以西いまだ曾て見ざるところ、街區また甚だ整頓せり。而して駒ヶ嶽登臨の客は多くこの地よりするを以て、夏時かじ白衣はくい行者ぎやうじや陸續としてくびすを接し、旅亭は人を以てうづめらるゝと聞く。
 上松を過れば、一たび遠く離れし木曾川は再び來りて路傍を洗ひ、激湍の水珠すゐしゆを飛ばし、奇岩の水中によこたはれる、更に昨日さくじつに倍せるを覺ゆ。兩岸の山また漸く迫り、棧橋かけはしに至りて、更に有名なる一大奇溪を現出し來る。
 棧橋かけはしや命をからむつたかつら、芭蕉翁の過ぎし頃は、其路、其溪、果して如何いかんの光景を呈したりけむ。名所圖繪をひもときても、其頃はみち嶮に、けいあやうく、少しく意を用ゐざれば、千じん深谷しんこくつるの憂ありしものゝ如くなるを、わづかに百餘年を隔てたる今日こんにち棧橋かけはしあとなく、けいまたかく淺く平らかにならんとは、我はその變遷に驚かざる能はざりき。
 されど風景としては、さしてしゝと言ふにてもなく、見ん人の心々にて、寢覺などよりもすぐれたりと思ふもあるなるべし。溪はその長さ二町ばかり、上流より弦形げんけいを爲して流れ來りたるが、その弦の中央に當りたらんとも覺しきあたり、最も深潭の趣に富み、溪樹の蓊鬱おうゝつとして其上に生ひ茂れる、また捨つべきものとしも覺えず。殊に、其の深潭にのぞみて、瀟洒なる一軒の茶亭さていあり。名物あんころ餅は旅客の大方は憇ひて味ふところ、秋の紅葉の頃に至れば、來りて遊ぶものくびすを接し、欄干をめぐらしたる茶亭に酒を汲みて一日を暮すもの甚だ多しと。
 さはいへ、棧橋かけはしの名の甚だ高きにまどはされて、その實の甚だ名に添はざりしを覺えしは、われに取りて實に少なからざる遺憾なるをいかにかせん。
 棧橋かけはしを出でゝ一二里、路は次第に高く高くなりて、王瀧川わうたきがはの來りて木曾川に會するあたりに至れば、其の岸の高さ、殆ど俯して水脈を窺ひ得るばかりなり。不圖ふと見れば、王瀧川の上流遠く、雲の幾重いくへともなく重れる間より、髣髴としてあらはれ渡れる偉大なる山の半面。
 折から過ぐる村童に、
『あれは御嶽おんたけにや』とゆびさして問ひぬ。
 村童は只點頭うなづくのみ。
 あゝなつかしの御嶽! 二三日來われはいかにその翠鬟すゐくわんの美しきとその姿のすぐれたるとを指點したりけむ。群山の上に挺立ていりつすること數百尺、雲は斜にその半腹を帶のごとく卷きて、空のみどり、日のかゞやき、ある時は茶褐色の衣を着け、或時は深紫こきむらさきの服をかさね、あしたは黄金の寶冠を戴きて、來りてうする宇内うだいの群山に接するの光景は、いかにわがあくがれ易き心を動かしたりけむ。今、これをこの群山の間に見る、髣髴といへどもわが心いかでかこれに向つてせざらんや。
 雲は見るがうちに次第に解けて、その見馴れたる山の絶巓いたゞきは、明かにわが眼底に落ち來りぬ。
 われは佇立ちよりつ時を移しつ。
 これより山ゆるやかに水びて、福島町に至る間、また一ところの激湍をも見ず。路も次第にくだり下りて、そのきはまる處、遂に數百の瓦甍ぐわばうを認む。
 わが友はこの福島町なる奇應丸きおうぐわん本舖ほんぽ高瀬なにがしの家にとゞまれりと聞くに、町にるやいな、とある家に就きてまづその家の所在を尋ねしに、朴訥ぼくとつなる一人の老爺らうやわざ/\奧より店先まで出で來りて、そはこの町を右に曲りて、殆ど通拔けんとするところの右側の石垣のある家なりと親切に教へて呉れぬ。
 細く暗くして古風の家屋のみ多き町を眞直に突當りつ。それより右に、旅亭の三四戸つらなれる間を過れば、木曾川は路と共に大屈曲を爲して、其路のかたはらに一道の大橋たいけうを架したり。それをも顧みずに猶進めば、果して町の盡頭はづれとも覺しきあたりの右側に、高く石垣を築きおこしたるいかめしき門構もんがまへの家屋あり。
 これ、友のとゞまれる家なり。
 石階せきかいのぼらんとしてわれは少しく躊躇せざるを得ざりき。顧れば、われは身に一枚の藺席ござを纏ひ、しほたれたる白地の浴衣ゆかたを着、脚には脚絆きやはん穿うがたず、かしらには帽子をも戴かず、背には下婢げぢよの宿下りとも言ひつべき丸き一箇ひとつの風呂敷包を十文字に背負ひて、その旅にやつれたるさまはさながらあはれなる乞食ともまがふべきにあらずや。
 勇氣を鼓して玄關に向ひぬ。
 聲に應じて出で來りたるは、此家の下婢かひとも覺しき十七八歳の田舍女なるが、果してわれの姿の亂れたるに驚きたりと覺しく、其處そこに立ちたるまゝ、じつとわれの顏をいぶかり見ぬ。
『なにがし君は此方こなたに居給ふにや』
貴下あなたは?』
 東京よりきたれるなにがしと名乘りたれど、下婢は猶疑惑うたがひ晴れざるものゝ如く、じつとわれを打守りぬ。やがて其旨を奧へ報ずべく立ち行きしが、少時しばし經ちて足音高く其處に立現はれしは、なつかしきわが友の姿。
『君か』
『や、うも……』
『誰かと思ひし』
 あられの如き間投詞かんたうしの互にかはされたる後、すゝぎの水は汲まれ、草鞋わらじがれ、其儘奧のへやに案内せられたるが、我等二人はまづ何を語るべきかを知らざりき。
 友はまづわが衣のけがれたるを脱がしめ、わが旅の汗を風呂に流がさしめぬ。われはいかに喜びてその清き風呂に浴し、その厚き待遇に接したりけむ。殊に湯より上り來れば、虎の皮を敷き一閑張かんばりの大机を据ゑたる瀟洒なる一室には、九谷燒の徳利を載せたる午餐ひるげの膳既にならべられて、松蕈まつたけかぐはしき薫氣かほりはそこはかとなくあたりに滿てるにあらずや。
 盃を執りつゝ、われ等は何をか語りけむ。友は未だ世におほやけにせざる新しき詩を吟してわれに聞かせ、われはわが旅のさま/″\の興を語りて以て友を羨ましめぬ。友はいふ、君來らんとはまことに思ひ懸けざりき。またかゝる山中にて君に逢はんとは夢にも思ひ知らざりき。此處こゝはわが姉のとつげる家にて、さらに心置くべきもの一人もあらねば、長くとゞまりて、御嶽おんたけにも登り給へ、王瀧わうたきにも遊び給へ、殊に、橋戸はしど村は木曾山中屈指の勝と稱せらるゝところなれば、必ず行きて其景を探り給へ、否、君さへ其心あらば、おのれも共に行きて遊ばむと。
 我はこの旅の意外に長くなりたるを語り、この山中に來りたるも、實は君に逢ひたしと思ひてなれば、君にすら逢はんには、最早もはやそれにて望は達しぬ。都にも爲殘しのこしたる用事多きに、明日あすはいかにしても此處をたん。只一夜ひとよの宿りを……とのみ。


 友の詩のかゞやけるも亦むべなりや。へやは木曾の清溪に對して、其水聲は鏘々しやう/\として枕に近く、前山後山の翠微すゐびは絶えずその搖曳せる嵐氣らんきを送りて、雲のたゞずまひまた世の常ならず。まして屋後おくごの花園には山ならでは見るを得られぬ珍しき草花咲き亂れて、苦吟ののちは、必ずその花園を逍遙するを常としたりと、友は秋海棠しうかいだうの花の咲きおくれたるをみつゝわれに語りぬ。友の眉には無限の愁思あり、友の胸には無限の琴線きんせんあり。われはこれに觸れんとして、却つてわが情の純ならざるを悔ひぬ。
 午后は町を逍遙せずやといふ友の言葉に從ひて、家の若き主人あるじ三人みたり共に家を出づ。先づ、木曾川を渡りて、對岸なる興禪寺こうぜんじを訪ふ。寺は町の古寺にして、域内に木曾義仲の墳墓あり。境内またすこぶる廣く、盆踊のさかんなるは殆ど町中第一なりといふ。それより町をめぐりて四時少し過る頃、家に歸りぬ。
 夜、友と共に再び町を散歩す。美しき月は後山より出でゝ、其興の揚れる、また此宵に似るべくもあらず。われ等は詩を語り、人生を論じ、運命を言ひて、靜かに木曾川の橋上に立てば、滿天の風露ふうろ冷かに衣をかすめ、溪流に碎くる月の光の美しきは殆どたとふるに言葉を知らず。
『盆踊見んとは思はずや』
 と友の言ひしは、猶それより彼方此方かなたこなたを逍遙して、美しき月の光を充分に賞し盡したるのちなりき。
『まだ、盆踊はあるにや』
『一月ほど前のものとは甚しく劣れど、今も踊れるものなきにあらず。行きて見んと思はゞ、ともなひ行かん』
『行きて見ん』
 とわれは應じつ。
 町を少し左に曲れば、何ともなき廣き土地に、祭禮のごとく人集りて、その中央には手拭にて頬冠りしたる若き男女圈形けんけいをつくりつゝ手をつなぎ合せてしきりに踊れり。月は水の如くその廣塲を照して、一塲の光景さながら一幅の畫圖ぐわとのごとくなるに、われは思はず興に入りてこれを見る。
 友はわが爲めに説きていふ、この福島町に於ける盆踊のさかんなるは到底このぢやうのさまなどにては想像にだも及ばぬことなり。毎年その盛期に達すれば、夜ごとに近郷近村より集りきたれる若き男女殆ど無數、皆この一塲の廣塲に集りて、徹宵てつせう踊り騷ぐを常となし、夜深やしんに至るに從ひて、その踊の次第に大に、一時二時頃に及べば、その一けんの數七八十餘名の多きに達し、而してそのの數もまた七八組に及ぶこと尠なからず。されば淫風從つて盛に、見るに忍びざるの醜體を演ずること徃々にしてありと友は語る。
『君は其の光景を見たる事あるにや』
幾度いくたびも見たり。幼き頃にもよくこの地に泊りに來ては、その賑かなるさまを面白しと思ひぬ。されど今年ほどよくその光景を觀察したる事なし。見給へ、今宵などは左程熱したるさまにも見えねど、かれ等の踊りて興に乘ずるや、殆ど周圍の見物人などは眼中に無く、その自己をすら全く忘れ果てたりと思はるゝ程にて、手の揃ひ足の亂れざる、人業ひとわざにてはあらじと思はるゝばかりなり。かれ等はかくて終夜踊り、翌日は直ちに野に出でゝ烈しき勞働に從事するなるが、その根氣強きはまことに驚かるゝばかりならずや』
『町の者も出づるにや』
いな、近在よりきたれる農夫多し。町にても下等社會にはまじはりて踊るものあれど、中以上はこれを敢てするものなし』
 われ等は盆踊よりいて、人間に於ける動物的慾情の消長に及び、その根本的本能の性のいかに吾人人類の上に烈しく恐るべき勢力を有せるかを嘆きぬ。
 歸りてねぶりしは十時過なりき。


 あくる朝、友の強ゐてとゞむるをさま/″\に言ひ解きてていのぼる。旅の衣を着け、草鞋わらぢ穿うがち、藺席ござかうぶればまた依然として昨日きのふの乞食書生なり。友と若き主人とは少し送らばやとてあとより追ひ來りぬ。美しく晴れたる日にて、路傍の草の露の繁き、思はず人をして秋の氣の胸にしんするごとくなるを覺えしむ。一二町にして友に別離わかれを告げんことを望む。友だくせず。猶來ること數町、われより強ゆる更に數次なるに及び、さらばとて立留りしは、町を既に遠く離れて、路の少しく右に曲りたる、一株の松樹まつの面白く立てる處なりき。
 友は微笑ほゝゑみてわが旅の姿を見送れり。われは胸に限りなき旅の淋しさを覺えたれど、しかもそを強ゐて押へつゝ一歩々々次第に其處そこを遠ざかり行きぬ。一町にして顧るに、友猶ほ其處に立てり。否、わがかたを指點してしきりに何事をか語合へるものゝ如し。猶行くこと一町、顧るに友の姿は早既にあらず。
 これよりみやこし驛に至る、坦々たん/\の如き大路たいろにして、木曾川は遠く開けたる左方の山の東麓を流れ、またその髣髴を得べからず。宮の越驛は木曾義仲の古蹟多きを以て世に聞えたるの地、その本城たりし山吹城やまぶきじやう遺址ゐしは今猶其の東端にありて、田圃でんぽ蕭條のうち仔細にその地形を指點すべく、かたはらまつれる八幡宮の小祠せうしは義仲が初めて元服を加へたるところと傳ふ。
 驛を過れば、山影再び帽廂ばうさうに近く、木曾川の流も亦その美しき景を眼前に展開しきたる。一危橋あり、翠嵐すゐらん搖曳するの間に架し、刈草かりくさを滿載したる馬のおもむろに其間を過ぎ行く、また趣なしとせず。路はけいと共に左に折れ又右に折れ、遂に群山重疊ちやうでうせる間に沒却し去る。雲あり、輕羅けいらのごとし。飄々として高く揚り、日光に照されてさながら金烏きんうのごとき光を發し、更に無限の秋風に吹かれて、次第に旗のごとく帶のごとくその山巓を卷かんとす。かくて兩山相仄あひそくし、溪聲らいのごとき間を過ぐること一里餘、路は更に幾屈曲して、遂に萬山のきはまるところ、蕭々たる數軒の人家の遙かに雲中に歴落れきらくたるを認む。
 これ即ち籔原やごはら驛なり。
 一時間ののち、われは鳥居峠の絶巓、御嶽おんたけ神社遙拜所の華表とりゐの前なる、一帶の草地に藺席ござを敷きて、峠を登り來りし勞を醫しながら、じつと眼下に展げられたる木曾の深谷しんこくの景を見やりぬ。
 其景や甚だ大なるにあらず、其眺矚そのてうしよくや甚だ廣濶くわうくわつなるにあらず、否、此處こゝよりはその半腹を登り行く白衣はくいの行者さへ見ゆと言ふなる御嶽の姿も、今日けふは麓の深谷より簇々むら/\と渦上する白雲の爲めに蔽はれて、その髣髴を辨ずる能はざれど、しかもわれはこの絶巓の眺望を限りなき激賞の念を以て見ざることを得ざりき。見よ、四面の連山のさながら波濤の起伏するがごとく遠く高くつらなれるを。天下いづれの處にかこのおもしろき一そくとこの深奧なる無數の山谷とを見ることを得む。また、何れの處にかこの秋のさびしさとこの山の靜けさとを味うことを得む。况んや秋の日の光は美しく四山の白雲に掩映えんえいして、空の藍碧らんぺき透徹すきとほるばかりに黒く嶮しき山嶺を包み、うちに無限の秋の姿を藏したるをや。
 われは茫然として時の移るをも知らざりき。





底本:「明治文學全集 94 明治紀行文學集」筑摩書房
   1974(昭和49)年1月30日初版第1刷発行
   1977(昭和52)年3月1日初版第2刷発行
底本の親本:「草枕」隆文館
   1905(明治38)年7月
初出:「文藝倶樂部 定期増刊 月と露」
   1903(明治36)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「邑」に対するルビの「いう」と「いふ」、「下婢」に対するルビの「げぢよ」と「かひ」の混在は、底本通りです。
入力:杉浦鳥見
校正:岡村和彦
2020年10月28日作成
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