日光山の奧

田山花袋





 囘顧すれば曾遊二三年前、白衣の行者に交りて、海面を拔く事八千二百餘尺、清容富嶽に迫り威歩關東を壓したる日光男體山の絶巓に登りし時、東北の方、萬山相集りたる深谷に、清光鏡の如く澄影玻璃の如くなる一湖水を認め指點して傍人に問へば、そは栗山澤の奧、鬼怒きぬの水源なる絹沼といへる湖水なりと聞きて、そゞろに神往きたま飛ぶに堪へざりしが、其の後日光山志を繙き、栗山郷を記するの條に至り、此地窮谷の間にありて、耕すべきの地極めて少く、纔かに岩石のきはを穿ちて、禾穀を栽ゆるに過ぎざれば、從つて是を以て一年の貯食と爲すこと能はず、家々皆獸獵採樵してその生計を圖る云々、及び古昔平家の餘類、この山中に隱れたり云々、といふを讀むに及んで詩興頓に生じ、遊意俄かに萠して、一刻も遲疑し難く思ひたれど、紅塵深き處に束縛されたる身の、飛ぶに翼なく、翔るに足なく、山靈に背く所多しと吟じて、逡巡幾年の日月をや經にけん。然るに此頃聞くともなく聞けば、その栗山郷の今も猶昔の如く僻境たる事、その村程開けざる所は廣き日本にも又有るまじき事、それに續きて鬼怒川の奇、温泉場の古風、住民の質朴、言語の鄙野など、聞くにつけ語らるゝにつけ、わが詩興は再び燃えて、た心の動くに堪へざりしが、越えて明治二十八年十月幸に暇を得て、舊知識なる日光山に遊び、南谷の照尊院に寓すること十數日、一夜談偶々之に及ぶ。主僧は天下を周遊し、又曾て其地にも遊びたる人、得々として説いて曰く、「栗山の地僻は則僻なり、蠻は即ち蠻なり、然れどもその山水の奇、岩石の怪、庶幾くは天下に匹なからんか。世人溪流を言へば則木曾を説き、熊野を説き、日光を説く。しかも木曾は奇に失し、熊野は峭に失し、日光は麗に失す。栗山は則ち然らず。奇を欲すれば惡曲峠、瀬戸合權現の如きあり。峭を欲すれば中岩橋、間渡戸あひわど、及び瀧温泉の如きあり。只麗に至つては少しく缺く所ありと雖も、日光山中最も佳しと稱せらるゝ深澤川原に匹敵するもの頻々として少なからざるを見ば、又決して日光の山水に讓るべき者にあらざるを知らん。況んや之に加ふるに川俣、日光澤の温泉、絹沼の靈境、炭燒澤、梵天岩の奇景を以てするをや。天下の勝境と稱するも決して溢美にあらず。只道路極めて險、狹きは榛※[#「くさかんむり/奔」、U+83BE、45-10]人を沒し、廣きも猶一尺有餘に過ぎざるを以て、都會の人至るなく、從つて之を知る者甚だ稀なり、拙衲も始は之を知らず、時として説く者あるも馬耳東風以て野人の言となし、少しも心に會せざりしが、昨年の秋誘はれて始めて其所に遊び、優遊一月、奧の奧まで極め盡してより、その景常に夢寐むびの間にありて、更に心に忘るゝ事能はず、貴君にして若し山水の志あらば、斷然行きて遊ばん事を勸めずんばあらず」と、揚々として得意の色眉間に溢る。
 我はさらぬだに懷を忘るゝ能はざる身の、勃然詩境の激するに堪へず、悉く萬事を抛擲し、一杖一笠翌曉を待つて飛ぶが如くに寓を出づ。
 連日の山雨拭ふが如く晴れて、大谷川だいやがはの水烟蒸上する事山霧の如し。後に鳴蟲の山を顧み、前に神橋の朱欄を見、疾走して炊烟梟々たる鉢石街を横ぎり、一道の杉影漸く日光の停車場に達す。宇都宮の一番列車は既に着して頻りに煤烟の立てるを見る。七時三十分煤烟愈多く愈黒し。既にして乘客の喧騷となり、車窓を閉ぢる響となり、遂に一聲の汽笛となりて、轟々殷々、家飛び林動き、野走り山移り、瞬刻にして今市驛に着す。我は此處に車を捨てて、徒歩維新の古戰場なる今市町を過ぎ、右折して大桑おゝぐわに到らんとす。一脈の殘流大谷川の板橋を渡れば、路は渺々たる黄雲千里の間に通じ、四山の風光來りて吟※[#「口+牟」、U+54DE、46-5]に入らずといふ事なし。就中男體女峯の二山、屹々然兀々然と高く四山の上に出で、清淨拭ふが如くなりしが、晴嵐一白横さまにその麓を掠め、一片の殘雲布の如く旗の如く、赤薙山の一角を包むよと見る間に、何處いづこより起りしか蓬々たり、勃々たる雲、寸刻にして男女兩山の半腹を蔽ひ隱し、更に擴がりて松立、大立、鳴蟲の諸山に幕の如く蔽ひ懸らんとせり。我はこの奇景を仰ぎつゝ、小松山を過ぎ、雜木山を過ぎ、闇黒たる杉樹の並木の中に入り果てしが、大略半里にして又も廣漠たる原野に出で、再び顧みて二荒山ふたらさんを望めば、雲は既に半天に漲り渡りて、その罅隙の處、纔に男體山の圓き巓を認め得るのみ。泥濘を穿ちて右曲左折、漸くにして大桑に達す。人家稀疎、炊烟迷離、那須野原中の一小邑たるに過ぎず。路頭仰ぎて四千尺の高原山を望む。清妍端麗美人の粧を凝して立てるが如し。是より路漸く濶く眼界漸く大に、遠く那須野の半面を望むを得、行く事里許、右より來る川あり。橋頭に凭りて地圖を披けば、鬼怒川の水既に幾何もあらず。耳を欹つればその流るゝ響已に微かに聞え來れるかと覺し。我は疾驅して之に赴く。
 橋を渡り終りて、逶※(「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52)たる長阪を登る。此間遙かに那須野を横斷せる鬼怒川の殘派を望む。前には大澤を隔てて、瘤の如く芋の如き山、陸續として顯れ出で、その奇その怪、宛然一幅の山水畫を展げたるかと疑はる。右には小松原渺漫として遠く連り、その末を染むるが如き、一片の山影を見る。是那須野の極の極なる磐城の八溝山なり。一歩又一歩、前なる大澤は次第に顯れ、一間又一間、低き長阪は次第に盡く。その盡きたる所、その顯れたる所は、則ち清瑩玉の如く、急駛矢の如く、深碧染むるが如き鬼怒川の水!
 我は驚喜して走つて之に就く。愈近けばその景愈佳絶なり。此時不意に我はわが前に横はれる奇景を見て、殆ど自ら絶叫せんとしぬ。一大奇岩水の中央に屹立し、紅葉青松その間に點綴し、深碧なる水は之に當つて激怒し、飛散し、轟然として巨人の嘯くが如き響を爲す。之に加ふるにこの奇岩を挾んで、宛然虹の如き二大橋を架せるさま、天工人工相合して、更に一大自然を形造りたる者の如し。
 之を中岩の橋となす。我は愈歩を進めて、その橋の上に到り、更に右瞻左望すれば山水の景愈出でゝ愈益々奇なるを覺ゆ。橋に對して一岩の聳立するを認む。こは鉾岩と名づけたるものなるが、その高さ百間許、下りて見んには、仰ぎても眼のとゞかぬばかりなるを、橋の絶壁の高きが爲め、只脚下に踏み得べき心地す。
 あゝ此の間の景如何にか説かむ。一方は開け一方は迫り、一方は奇に、一方は大に、一方は渺々限りなき那須野に落つる水の餘派の恰も平板の如くなるを望み、一方は奇々怪々、岩石蝟の如くなるを見我は只羽化登仙したる昔の詩人のやうに、恍惚として橋上に佇立したる儘、暫く餘念もなかりしが、不圖みれば、向岸の絶壁最も高く嶮しき處に、一箇の車井の架れるあり。かゝる處に不思議なる事よと思ひつゝ、我は未だそれとは知らず見るともなく眼を絶壁の下の又下なる邊に注げば、そこに一箇の釣瓶ありて、波に搖られつゝ漂々浮々とたゞよへるを見る。あゝ、これは里人の清瑩玉の如きこの鬼怒川の水を汲めるものにあらずやと思付くや否や、我は興の起り來るに堪へず、直に其處に走り行きて、ぐら/\と危き井戸側に戰立しつゝ、その細き繩に手を懸けて、その水を汲み上げんとは擬したれど、崖高く岸嶮しく容易に意の如くなる能はず、しかも數百度の後、漸くにして汲み上げたる釣瓶はかの岸この崖に當りたりと覺しく、水は既にその半を失ひて、殘れるは纔に三分の一に過ぎず。我は之を掬ひしがその甘きこと甘露盤上の天露かと疑はる。
 前の一橋を渡り、中岩の奇なる姿を賞し、更に後の一橋を渡り、佇立多時の後、遂に割愛して林間の路に入れば、水聲殊に高く響渡りて、宛然驟雨の來れる如し。猶行けば水聲次第に遠く遠くなりて、纔かに鏘々の音を殘したる頃、前に見ゆる數軒の人家、これを山中の一荒驛高徳となす。


 鬼怒川の水聲は絶えず路の傍にありて、或は高く、或は低く、或は緩かなる事操琴の如く、或は急なる事風雨の如く、或時は※(「風にょう+昜」、第3水準1-94-7)り、或時は沈み、その響殆んど名状せられぬばかり面白けれど、岸頭樹多きが爲め、距離甚だ近からぬ爲め、その奔飛跳踉するさまを見ること能はず、徒らに近寄る響を聞きとめて、今か/\と行けども/\、それらしき者も見えぬに、失望する事一方ならず。秋風尾花の上を渡り行く間を蕭條として進むこと凡そ一里許、大原をもいつか過ぎ前なる高原山をもいつか失ひ、猶十四五町も進行きたる頃、路傍の水聲再び急に高くなりて、その餘響の林梢に反響する音、極めてわが心を惹くに足れり。されど我は其程には思はず、徐ろに其路を進み行きしに、俄然林は少し開けて、眼下には溪派の泡を吹き烟を卷きて、凄じく奔飛するさま、手にも取られんばかり極めて明らかにあらはれ出づ。
 折良くも林間一條の細路ありたれば、我はそれを傳ひて、一歩降り二歩降りつ。下には岩石劍の如く矗立して、一丈もあらんと思はるゝ大石を、白き水の跳越ゆるさま、奇にも奇、壯にも壯、殆んど譬るに物なし。我は戰立しつゝ、横に突出したる一木に身を寄せ、暫くはこの景を見たりしが、やがて又勇を鼓して、此方の岩角、彼方の木根を力に、一歩誤れば萬事休すといふ路を、一町程降り行けば、其處に大なる一奇岩突兀として顯れ出でぬ。それに沿うて又七八歩、その先に覺束なき一條の柴に組橋を架したり。その橋の傍に一柱の掲示ありて、浴客の外渡る事を禁ず、瀧温泉守と禿筆の跡見惡し。これ所謂瀧の温泉かと、岩に凭りつゝ、恐る/\向岸を見れば、數軒の人家の蕭條として並べるあり。我は猶一倍の勇氣を奮ひ、さながら猿の木に登る如く、堅くその組みたる柴に攫みつゝ、跋ふ如くして一歩々々と前岸に渡り行きぬ。下を見れば激怒したる水、盛に泡を吹きて、目も眩むばかりに思はれ、上を仰げば、岩石蔽ひ重りて、今にも落來らんかと危まれ、暫くは生きたる心地も無く、漸くその柴橋の中央に至れる時、その大なる岩に粉碎せし水、蔽ひ重るやうにわが身の上に落來り、吁と言ふ間に、全身悉く水を蒙り、その冷なること殆んど言語に絶するばかりなり。これに驚きて身の今恐ろしく危き處にあるのも忘れ、急ぎてその柴の組橋を渡り終り、その儘恙なく前岸なる岩石の平なる上に立てり。
 此處より見れば、其風景一層の奇を加へたるが如し。鬼怒川の水は、遙かに上派の奇岩より迸り來りて、先づ第一に五百羅漢に似たる無數の小岩の間を、或は落花の如く、或は白雪の如く、右に潜り左に走り、次に槍の横に突立ちたる如き岩に當りて、盛に跳珠飛玉の趣を呈し、更に脱兎の勢を以て、續々と重り合へる斷石缺岩の間に流入す。水の此處に來るや、その激怒極めて烈しく、極めて盛に、只是千百蚊龍の頭を並べて飛下するが如く、高きこと一二間に及べる岩をも難なく飛越え跳り越えて澎湃激越天地も崩れんばかりの絶大絶高の響を作し、更に集りて深碧染むるが如き一瀞淵を作り、更に亂れて又靜り、更に動きて又止まり、終に樹影欝葱たる處に隱れ行きぬ。我は之を見て後、温泉場に至りて、晝飯を喫し、温泉の所在を主婦にたゞせば、傍に間道を指して、其處へ行き給へといふ。言はるる儘一二町川に添うて下れば、その風景絶佳なる川原に、二箇所の温泉の湧出するを見る。しかもその浴槽には屋根も無く、戸も無く、雨は降るに任せ、風は吹くに任す。此時不意に水聲に交りて、一曲の村歌の起るを聞く。怪みて猶下れば、下なる浴槽に、一人の村孃、年十八ばかり、今しも半身の裸體を出して、前なる溪派を見詰めつつ、惜氣もなく玲瓏たる聲を、山水の間に朗詠してあり。あゝこの仙境! 我は繪畫に於てすら、未だかくばかり美なる現象を見たる事無きを。
 あまりの面白さに、此處に一泊とは思ひたれど、日は高く足も勞れざれば、思ひ返して前の危橋を渡り、細く嶮しき石徑を傳ひ、今一度木を頼りに下なる景を見納めて後、靜に元の街道に出で、其より又音のみ聞きて姿は見えぬ鬼怒川の流に添ひ、藤原と言へる山間の一荒驛を過ぎ、途次會津に行くなりといふ一馬夫と、無邪氣なる會話を試みつつ、一里程は山も見ず、川も見ず、澤も見ず、紅葉も見ず、茫々然として歩來りしが、路は次第に山の半腹へ/\と登り行き、鬼怒川は遙か下になりて、微かに鏘々たる音を殘したるのみ。
 かくて猶一里をや行きけむ、今迄見えざりし水は又忽ちにして、顯れ出でしが、是より林影全く絶えて、次第に勝り行く兩岸の風景、一々明かに見ることを得るやうになりぬ。或は遠く兩山の間を流行きて、白雲青松の中に沒し行くさまの悠遠なる、或は大岩奇石の傍を迂※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)屈曲、漸くにして流出づるさまの奇警なる、或は谷迫り山窮して、溪流は只是一帶の帶を曳きたる如く見ゆる、或は幾筋とも無き程に分流して、小松の面白く叢生したる處を縫ふやうに流れ行ける、或は遠く或は近く、或は低く或は高く、その高原村に至る間の奇景は、如何にして言語の上に言ひ、如何にして筆毫の下に現すべきか、われは只我に仙才なきを愧づるのみ。
 照尊院の主僧はこの間を稱して、木曾十里餘の景に匹敵すべく、熊野本宮より新宮に至るの景にも勝るべしと言ひ、且昨秋此處に來れる時は佇立多時、夕陽の移るをも知らず、只庵室を此間に設けて、專心苦行を清じたらんには、如何に本望なる事ならんといへる一念より、更に他念は無かりしと語られしが、我も亦かの溪流の斜に曲れる處、かの一株の老松の盤踞する邊、一廬を建て、一室を作りて、隱かに著作の筆を執りたらんには、如何に嬉しく如何に樂しき事ならんかと思はざる事能はざりき。されど我は大俗の身、紅塵の中に埋沒せられたる身、山靈如何でかゝる謂はれなき大望を許すべき。
 一路の秋風高原に至る。鬼怒川はこれより左折し、路は五十里いかりより流れ來れる一小溪に沿ふ。この小溪と鬼怒川と合する處、三角形を爲し、その一角に當つて、突兀たる一奇山龍蛇の蟠るごとく屹立す。その麓は則川治の温泉場にて、二三人の人家、炊烟の斜に渦上するを認む。高原を過ぎ、一溪橋の虹の如くなるを渡り、左折して四五町程行けば、やがてその温泉場なり。則ち旅亭に入りて、半肩の行李を二階なる風清く氣潔き一室に卸し、今日の勞を休めん爲め、直ちに導を得て、川原に近き浴場に赴く。この湯少しく繁茂の趣を呈して、今猶四五人の浴客あり。浴槽も亦屋根あり戸ありて、風致前の瀧の湯の自然なるには及ばず。
 浴し終りて、亞字欄干に凭れば、搖曳たる夕嵐、軒頭を襲ひ來りて、斜陽の影は澹々乎として殆んど將に無からんとす。乃ち婢を呼びて盃盤を命じ、陶然として醉ひ、悠然として歌ふ。既にして蒼然たる暮色遠きより至り、團々たる明月東山の一端より昇る。松影山影、明淨なること白晝の如く、水聲風聲悠遠なること仙寰の如し。樂しきかな此夜や。


 翌曉木枯の風大いに起る。古木を振ひ大澤を動かし、その暴然當るべからず。われは則ち孤影寂寞として旅亭を發し、五十里川いかりがはの板橋を右に渡り、雜草叢生せる路を傳ひて、直ちに湯西川の温泉に赴かんとす。この村や栗山郷の最高端に位し、日光を去ること十有三里、寂の又寂僻の又僻なる千山萬岳の中にあれば、從つて訪ふ人なく、この近郷に住せる人だに稀れに見るといふばかりなる僻地なれど、我は其地の偉異絶特なる趣を具へたる事を聞きたる身の、假令如何ばかりの危を冒し如何ばかりの險を踏むことありとも、その境に赴かずしては止まじとの決心を爲し、一歩一歩正面より吹付くる木枯の風に向ひて行きしが、その寒さその鋭さ、最早嚴寒の時節にやと疑はるゝばかりなりき。まだ染めあへぬに吹散されたる紅葉をがさ/\と踏みて、例の如く岩石兀立したる山路を行く。五十里川は幅廣からず流急ならざれども、折々佇立みて見るべき所も亦少なからず。まして今日の山路は昨日と異りて、窮したる谷、迫りたる山、岩は聳え石は躍り、柳州が所謂舟行如窮忽又無際といふが如き詩趣を備へたるをや。前に連山脈々と重り合ひたれば、到底それを越えずしては、何方いづかたにも出づる事能はじと思ひつゝ行けば、路は俄に思ひもよらぬ岩石の間を縫ひて、遙かに前山の麓に通じ、更に劍拔矗立したる材木の如き岩を繞りて、猶も奧なる山間に達す。かくの如く山を越え谷をわたり、漸くにして少しく廣き所に出づれば、俄然前に大なる鏡の如き澄徹したる一澤水の現はるゝを見る。これ即ち五十里湖いかりこと稱せられたるもの。
 山風は連りたる千頃の蘆荻を折るゝかと思はるゝばかりに吹撓めて、その烈しきこと譬ふるにものなし。われはその右岸を縫ひて疾走する事大略半里程、路傍一箇の土橋の弓の如く架りたるを見、足を佇めて仔細に橋頭を點檢すれば、旅亭の主人の如く、小さき古き一箇の路標の雜草の中に埋沒せられたるを發見す。「左會津道右湯西川道」と記されたるをたよりに、路とも思はれぬ程の細徑を右に折れ左に曲り、榛莽を分ち荊棘を穿ち、草間小蛇の走るがごとくにして、前なる一山を登り又下れば、渺茫たる五十里湖の沼はいつしか林間に沒却し、前にはそれよりも一層悠遠深※(「二点しんにょう+(穴かんむり/豬のへん)」、第4水準2-90-1)なる風景、極めて面白く顯れ出づ。
 水少なけれども石原廣き湯西川は、遙かに遙かなる山又山の間より明滅隱見して流れ來り、奇塊絶特なる太郎山の麓を過ぎて、一度は林影深き處に沒し、一度は白楊絶えたる處に顯れ、更に亂石の怪岩の邊を走りて、わが立てる山の半面を洗ひ、潺湲として枯蘆蕭條たる中に見えずなり行く。われはこの景に向ひて立ち、この景に向ひて吟じ、悠然太古の如き感の起るに堪へざりしが、折りしも村歌を山風に歌ひて、悠々馬を牽きて來れる一人の村孃に逢ひ、是より湯西川に至るの方向とその里程のほどを問へば、村孃は破顏一笑、手にしたる竹策を擧げて、遙かに兩山相仄したる間を指し、湯西川までは是より四里、この川に沿ひこの流を渉り、更にかの山の奧の奧なりといひ、更に改めて川の前岸なる一縷の炊烟を指點し、かしこは西川の村なりと教へ、優しき聲にて馬の進まぬ勝なるを叱しつゝ、やがて秋草深處に沒し行きしが、少時にして村歌を歌ふ聲、再び高く林中に聞えぬ。我は直ちに山を下り、淺渚を求めて溪流をわたり、秋風落莫たる白楊樹中の細路を踏み、前山に卷舒出沒する白雲の奇なるを仰ぎ、猶湯西川の細漣を徒渉すること數次、西川の村に入りて深山僻地の生計の憐むべきを見、殆んど隔世の人かと疑はるゝ村爺の無邪氣なるを喜び、我も又座ろに山中の人となりたる心地して此處を去り、或は萱影の兩肩を沒する處鳥聲の樹梢に遍ねき處を穿ち、或は路斷えて草深き處石出でて水急なる處を過ぎ、行くまゝに進む儘に、遠しと思ひし山も忽にして前に顯はれ、遙けしと思ひし水もいつとなく後に隱れ、一歩は一歩より山深く、一間は一間より境寂しく、蜥蜴の草に隱るゝ音にも心戰へ、小瀑の岸に落つる響にも膽動きて、暫くは岩の角崖の下など極めて、恐ろしく物凄き間をのみ恐る/\たどり行きしが、やがてまた曲れる溪を渉り、左に折れ右に曲り、更に水の膝邊に及べる深潭を渉り終れば、路は綫の如く縷の如く遙かに日影倒射せる小山の蔭に通ず。寂の寂寞の寞たるこの山路ほど、我は物凄く氣味惡く感じたる事なし。折々景色よき處に逢ひて、飽迄貪り見んとは思へども、あたりの風物の如何にも澄に過ぎ奇に過ぐるを以て、久しく佇立みてある事能はず。終には風景よりも山水よりも、只人に逢ひたし/\といふ念のみ盛に起りて、我ながら後を見らるゝやうなる恐怖の情に堪へがたく、遂には急走疾驅してなりとも、この大寂寞の山中を過ぎんとの決心を爲し、坂とも言はず峠とも言はず、一直線に驅上り驅下り、大略二里も來りしと覺しき頃、不意に眼界廣くなりて前に見ゆるは一二軒の茅屋!
 曾て聞く深山にて人に逢ひたる程、嬉しく思ふ事はなしと。われこの茅屋の影を認めし時の心も、亦更にそれに異りたる所なからん。われは喜悦のあまり、疾く走りてそこに至り、戸を叩きて案内を乞ひ、檐頭を借りて暫く此處に疲勞を休め、更に湯西川に至るの里程を問へば、猶是より二里餘もありといふ。今迄の如く山深く境寂しきかと反問すれば、水を渉る所は無けれど、山の深く路の險しきは猶一層を倍すと答ふ。われは座ろに戰慄したれども、外に詮術の有るべき筈なく、勇を鼓して此處を去りしが、途々其處にて購めたる柴栗を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)り/\つゝ歩み行くにいつしかそれに精神を養はれたりと覺しく、路の險なるも境の寂なるも、鳥の鳴聲の怪しきも、蜥蜴のがさ/\と動くも、いつか心に留まらずなりて、今迄の寂しさ恐しさは何處に行きしと思ふばかり、愈々益々皮を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)り澁を捨て、二つの袂に滿ちたる柴栗を殘る處なく食し盡したるが、その頃は早迫りたる山も開け、險しかりし路も平らぎ、湯西川の流は潺溪として次第に細く、志したる湯西川村の温泉場はかの山の蔭なりと聞き、我ながらその二里の近かりしに驚き、走るが如にして、兀立したる前山を右に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)れば、蕎麥の畑處々に顯れ、その末には一帶の平地、數縷の人烟、是即ち深山の奧又奧極又極なる湯西川村の温泉場なり。
 湯西川の水に臨みて三軒の温泉宿あり。夏時來り浴するもの百人の多きに及べば、その室の清潔にしてしかもその構造の壯大なる、窮山深谷の中にありとは思はれざるばかりなり。川に臨める湯本號を選みて投宿す。湯は溪流を挾みて四ヶ所に湧出し、清透玻璃の如く温和玉の如し。浴後獨木橋をわたりて向岸なる一大盤石の上に跼し、靜坐默想して獨り深山の靈氣を思ふ。前に紋をなして流れ行く水、後には突兀として重り合へる山、之に加ふるに日光下徹雲影往來、暖きこと陽春の候の如し。是に於いて神は萬化と冥合し魂は岩石と默會す。


 山中の人の質朴さ、それには及ばじといふを、強ひて橋の袂まで送り來り、さも親しき人に別るゝ者の如く、來年は必ず緩くりと湯治に來て下され、必ず待つて居りますぞと、涙を滴さぬばかりなる言葉、あまつさへ一つの太き杖を出し、途中にて何か出でたる時の魔除に是を持つてお出なされといふ。何か出る事などありやと驚きて反問すれば、否滅多にはありませねど、近頃熊が荒れると申しますればといふ。
 心細き事限り無けれど、詮なき儘別離を告げて、朝日の光を後に負ひつゝ、次第々々に山深く分入り分入り、昨日に變らぬ寂莫たる間を二里許も進み行けば、やがて道は峠に懸りて、その嶮絶なる事殆んど言語に絶す。人には勿論逢はず、溪流の音も已に遠く、鳥聲も無ければ風聲も無く、只踏み行く木の葉のがさがさと亂るゝ音のみなるを、其さへ猛獸の來りしかと疑はれ、心も心ならずして、黒闇々日光も穿ち得ぬ森林の裡を登る事許、漸くにして絶巓に達し、遙に開けたる林間より瞻望すれば、此處は恰も日光女峯山の裏に當りて、その奇快峭絶なる姿は、手にも取らるゝ如く見え渡れり。我は他郷にて友と逢ひたる如く、奇と呼び快と呼び、準備の短刀を出して路傍の大木を削り、姓名と共に秋風寂寞孤影蕭條の八字を題し、其儘疾驅して峠を下る。登るや極めて嶮なりしと雖、下るや易の易快の快、十町立どころにして至り、一里瞬間にして走り、未だ正午にも至らざるに、土呂部どろぶを過ぎ、黒部を過ぎ、更に捷路を貪りて、一道の溪流を徒渉し、一路の深谷を穿ち、山を越え谷を踰え、前面上栗山村の人家を認むる頃、行先は次第に開けて、水聲高く四山に反響し、忽然顯れたる一大澤は、今しも將に奇極り怪極るの一大奇景を、從容としてわが眼前に展けんとす。
 將に林を出でんとする處にて、我は二人の牧童に逢ひ、此處は何といへる澤ぞと問へば、間渡戸あひわど間渡戸あひわどと繰返して、彼等は怪しげにわが顏を覘ひぬ。
 間渡戸あひわど! これ即ち鬼怒川奇景の隨一と稱せられた所にあらずや。
 石多く幅廣き鬼怒川の水は激怒憤越して巨人の叫ぶが如く、前岸に突出したる富士岩と名けられたる一大怪岩を掠めて左折し、更に數町の高さに及べる斷岸絶壁の下に咽び、又直流して岩石林立したる間を急駛す。
 斷岸絶壁の上、紅葉は燃ゆるが如く、青松は染むるが如し。我は中流に架したる一危橋の疎欄に凭りて、暫くはわれの我たるをさへ忘れ果てぬ。あゝ誰か思はん、深山幽谷の中、かゝる絶奇の風景あらんとは! かゝる面白き山水のあらんとは! 日光深澤川原の如きは、到底これに匹敵する事能はず。
 上栗山を過ぐれば、路は絶えずこの奇景に富める鬼怒川の流れに沿ふ。是より野門のかどに至る間、里程大略二里、奇景百出、愈出でて愈々奇に、殆ど名状するに暇あらず。瀧は左の絶崖に懸りて、高さ大凡三十餘丈にも及ぶべく、岩茸石は右岸の水中に屹立して、恰も仁王の立てるに似たり。その他行く處至る處、水聲ならざるなく、奇岩ならざるなく、紅葉ならざるなく、佳木美箭ならざるなく、しかも絶ゆるが如き路は此間を屈曲して、幾度となく岩多く水清き溪流を横斷し、一つ嶮阪を越ゆれば一景顯れ、一つ巉岸を渡れば一景生じ、そゞろに應接に遑なきを覺えしが、一里許にして、遂に勾配急に、阪路嶮なる惡曲峠あくばたうげにとかゝり始めぬ。
 路は思ひしよりも嶮に、思ひしよりも危し。されど一曲毎に千尋の下なる亂水の飛躍するを望む景、又思ひしよりも佳絶なるは嬉し。一曲又一曲、今まで見えざりし水脈はる/″\と顯れ、一曲又一曲、絶壁の猛獸の如く突出したるさま分明に眼中に落ち、更に數曲を登果てゝ、嶮拔削るが如くなる阪路を下る。
 下り果れば、鬼怒川の大溪を跨ぎて、驚くべき一大危橋を架す。
 これを大川筑おゝかはちくとなす。
 あゝ此間の景、我は最早状する事能はじ。われは未だ天下を周遊したりと言ふにはあらねど、平生の癖はわれを驅つて、近きは關東八州より、遠きは東北の千山萬水、且見且賞せずと言ふことなし。然れどもかくばかりの奇景を有せる山水郷は有りしか。かくばかり絶大なる山水を備へたる仙境はありしか。否假令かくの如くならざるも、少くともこの栗山の一景に敵し得べきものありしか。あらずあらずあらず、決してかゝる山水を有したる所はあらず。宜なり、照尊院の主僧をして、木曾を奇に失すとなし、熊野を峭に失すとなし、日光を麗に失すとなし、栗山の山水獨り天下に冠たるに足ると絶叫せしめたるや。
 只恨む、我に仙筆なく、かゝる山水に逢ひながら、その趣の一端をだに、記して世に示すこと能はざるを。
 割愛して去る事能はず、遂に日をその溪澗の間に暮して、その夜は野門村の小栗氏に宿す。小栗氏はこの山中の素封、わが爲にこの栗山の勝を説く事極めて詳なり。夜、山嵐肌に徹し衾を重ねても猶寒し。
 翌朝、路は猶そのおもしろき溪流に沿へり。一阪を踰ゆれば、南より流るゝ川あり。大事川おゝごとがはといふ。これをわたりて、山路羊腸たる間を行く。風景の絶佳なる事又昨の如し。氣息奄々として萱峠を越ゆ。
 下に、瀬戸合せとあはせ權現の奇景を認む。
 高百五十間、幅百十間餘なる舞臺石の一面は、奇々怪々の趣を呈し、踞然水に臨んで屹立す。この岩下に就きて見んには、その奇なるさま、人をして驚絶せしむるばかりなりと聞けど、路嶮に境遠く、容易に至り見ること能はざるを以て、止む。
 川俣村より左折して、猶三里山奧なる温泉場に赴く。路は愈細く、境は愈寂し。途中の風景一として見るに堪へざるものなく、一として詩興を呼起すの料とならざるなし。愛宕山の姿は奇季削るが如く、熊野澤の水は清深染むるが如し。更に一路を深林の中に求め、緩々たる松子の坂を登果つれば、其處の谷間、かしこの谷間に、幾條の烟蛇の如く縷々として渦上するを見る。是里人の炭を燒く所、呼んで炭燒澤と稱するもの。此處を過ぎて、梵天岩の特立千尺なるを見、漸くして川俣の温泉に達するを得たり。
 家に對して流れ行く鬼怒川の水は、已に細く/\なりて、激越跳踉の奇景を演ずる事能はずなりぬ。我の來れるや遠く、山に入れるや深きを知るべし。主人を呼びて、この水源なる絹沼迄の里程を問へば、猶是より六里強にして、日光澤より先は、路といふ路も無ければ、榛莽を分け荊棘を開かずんば則ち至る能はずといふ。


 川俣温泉の浴槽は、旅亭の奧にあるもの二、川の彼岸にあるもの一、いづれも適當なる温度を保ちて、清瑩徹底、掬ぶに堪ゆべき程なれば、粟山郷中、最も秀でたる温泉と稱するを得べし。之に加ふるに、前山の紅葉倒に影を鬼怒川の瀞潭に印して、只是錦を布きたるかと疑はる。われは兩三度旅亭の浴槽に浴したる後、みちびきを得て靈效神の如しといへる川原の湯に赴かんとしつ。川に沿ひたる岩を傳ひて、一町程行けば、半桁の獨木橋弓の如く架りてあり。危ふければ跣足にて之を渡り、二つ三つ石を傳へば、一箇の浴槽ありて、清潔なる湯は、溢れんばかりに湧出たり。しかも屋根も無く、蔽物とても無ければ、木の葉は自由にその中に沈みて、詩趣に富みたる風情、又譬ふべき者もあらず。傍に一つの桶ありて、その熱き時前川の水を汲みて、それを和げん爲に備ふる者なり。我は座ろに仙境に入りたる心地して、その樂しき事言はん方なし。優遊多時、家に歸りて主人を呼び、明曉絹沼に赴かんと欲すれば、導者一名を得たき事を託す。主人之を聞き、頭を低れて踟※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)の色あり。暫くして曰く、秋寂しく天寒く、一家既に里に下らんとする頃なれば、絹沼までの導き、恐くは得難かるべし。且山は雪にも近づきたれば、態々行き給ひても、面白き事無きに相違なし。思ひ留り給へといふ。我は肯ぜず強ひ之を託す。さらば有るや無きや、搜して見るべしとて、主人は去りぬ。
 晩に入りて、主人わが室に來り、幸にして導者を得たりと告ぐ。
 さては明日はその絹沼に至る事を得べきか。男體山の絶巓より見下したる、清光鏡の如く澄影玻璃の如き、その深山の一湖水の傍に立つ事を得べきかと、嬉しさにそは/\せる心を押包みて眠に就きしが、其夜の夢は既にその深山幽谷の境に飛びて、身はその一湖水の傍に立ちき。
 拂曉窓を推せば、殘月虚明、山氣爽絶、われは快を呼びて起ち、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)々旅裝を整へ終る。既にして夜全く明け、導者亦至る。則ち行厨數個及び二日分の食糧を擔はしめ、自らは草鞋數個を腰頭に纏ひ、湯西川にて獲たる大杖を携へ、短刀は懷に藏して以て萬一の危難にそなへ、別を告げて靜かに發す。暫く鬼怒川に沿ひて行き、更に崎嶇羊腸たる山間を穿ち、將に阪又阪なる一嶺に上らんとする時、前山に聳えたる山松の上より、旭日の瞳々として昇れるを見る。行く事里許、榛莽の中遙に一瀑の龍頭を爲したる奇岩より落下するあり。岩角を穿ち木根を越え、纔かに仰ぎて之を見る境既に暗黒、加ふるに樹影重蔽せるを以て分明にその首尾を辨ずる能はず。只一道の水晶簾の茫々白々として黒暗々より深淵の中に投ずるを認むるのみ。何と言へる瀑ぞと問へば、是則カッタテ瀑と呼ばるゝものと導者は答ふ。立つ事少時、膽戰へ神動くに堪へず。則ち去つて又榛莽の中を行く。
 不意にして水聲大いに起る。右より左より、前より後より、或ものは轟然雷の如く、或ものは鏘然琴の如く、或ものは巨人の嘯くが如く、或ものは山靈の叫ぶが如し。しかもその境極めて促、極めて狹、極めて險、極めて必迫、一縷の路絶えんとする事數次、漸く山※(「山+解」、第4水準2-8-67)を穿つて、樹影の少しく開けたる所に出づ。則ち樹に凭り俯してかの水聲高き邊を窺ふ。
 されど深黒晦冥にして、その奇景の一端を窺見ること能はず。只纔に奇岩怪石の矗立したると、數道の飛瀑の驟雨の如く落下したると、斷岸絶壁の削るが如く屹立したるとを見るのみ。これを箱淵となす。
 猶行く事一里、遂に日光澤の温泉に達す。温泉守は既に十日以前に里に下りたるを以て、その寂莫なる事殆んど言語に絶す。家は雨の叩くに任せ、浴槽は落葉の埋むるに任せ、鳥聲獸跡、うたた山中隱者の感に堪へざらしむ。岩蔭なる一小屋を訪ふ。是年々此處に住して、嚴冬猶里に下らざる一獵師の住する所、鬚髯黒く頭髮長く、一幅寒山拾得の遺容の如し。嚴冬雪白く風烈しき頃の消息を問ひ、熊狩り鹿狩りの快談を聞き、一浴して則ち去る。こは今日湖水を見て、此處まで下り來らんと思へばなり。
 猶行く半里許りにして、山路は遂に草茂り樹重れる間に絶ゆ。
 是より荊棘榛莽、殆んど名状すべからず。されどその登るや今迄の如く緩々たるにあらずして、急峻立てるが如き勾配なれば、一歩一歩、その苦殆んど言語に絶す。導者は山間に成長し、嶮しき山路に馴れたるもの、急走疾驅、更に平地に異るなく、忽にして其姿を林中に失ひ、大聲を發して呼べば、答ふる聲遙かに天上より落ち來る。
 氣息喘々、纔かに山樹空濛たる間を過ぐれば、やがてわが前には、渺々たる小笹原、限りもなく顯れ出づ。日光赫々と輝き渡りて、深碧なる一天はさながら淨玻璃を張りたる如く、山脈の蜿蜒と連互するさま、雲形の飄蓬と往來するさま、極めて分明に見え渡れり。この廣濶たる處を猶登ること十八九町、勾配は次第に緩かになり、眼界は次第に廣くなり、山嵐は愈冷になり、境は愈寂寞になり、遂に久しく心に懸け、久しく神往くに堪へざりし栗山の奧の奧極の極なる絹沼の原野は、渺々茫々として、わが眼中に映じ來れり。快甚し。今迄の勞をも忘れ、疾走して我は之に赴く。行く儘にその景愈々奇絶、愈々快絶、遂に所謂絹沼の岸頭に至れば、大小數十個の湖水、續々として顯はる。澄光清影、鏡の如く玻璃の如し。日光山志に曰く、その方位男體山の北に當り廣さ凡そ一里、水極めて清潔、靈草珍木、その岸に繁茂し、松檜枝を垂る、沼底深からざるも、砂石皆五彩の色ありて水爲めに五色を帶ぶと。又曰く、四季の花卉常に絶えず、緑樹相蔭翳し、その景恰も錦機を織るの觀あり。因つて或は錦沼と稱す。とその言皆誣ならず。
 導者は即ち曰く、此湖春夏の候は、雪解の水四山より集り、この廣渺たる原野、悉く湖水となり、その奇觀譬ふ可き物も無ければ、今は恰も水少く草枯れたる節に屬したれば、湖水はかくの如く分裂して、その大觀を見る能はざるを惜むと。又曰く、此處は上野下野岩代三國の焦點なれば、その鬼怒沼の水三方に落下し、一は會津に至りて只見川に合し、一は上野かうづけの山中を注流して利根川に合し一は當國を貫流し常陸下總の間に至るもの、則ち鬼怒川の流れを爲すと。
 我は恍惚として言ふ所を知らず。
 瞻望すれば、絹沼山は右の方數歩の中に聳えて、清容美姫の如く、太郎嶽、温泉嶽、白根山の諸山は皆眼下に連り渡りて、怪特偉人の立てるがごとし。殊に男體山――わが上りてこの湖水を見下したる男體山は屹立千尺、巍然として高く雲表に突出し、日影倒射、雲影出沒、そぞろに人をして神飛び魂馳するの情に堪へざらしむ。之に加ふるに北は上毛なる赤城、武尊ほだかの一大山脈、蜿蜒大蛇の走るが如く、小川戸倉の間を過ぎ、更に東走して岩代の國に入り、燧岳駒ヶ嶽の大山脈に連れるより、南は鹽原高原の連山、連綿として那須野の高原に君臨するに至る迄、一望則ち盡さずと言ふ事なし。あゝ深山窮谷の中、誰かかゝる靈境のあるを思はんや。誰かかゝる風景のあるを思はんや。照尊院の主僧の夢寐むび忘るゝ能はずといへるまことに故あり。
 栗山の勝概こゝに至つて盡く。車聲馬聲の喧囂なる處、鞭影衣香の陸續たる處、靜かにその山中の奇景を冥想すれば、詩興頓に興り、遊意頻に萠して、都會の熱鬪、更に一層の嫌厭を増せるを覺ゆ。然れども我は是紅塵場裏の身、溪水を飮み、仙果を拾ひ、溪澗に終日し、山巓に越歳し、飄忽粗宕、松風と水聲との外、更にわが耳を喧しうするもの無きに至るは、あはれ果していづれの日か。





底本:「〈復刻版〉尾瀬と檜枝岐」木耳社
   1978(昭和53)年11月15日第1刷発行
   1981(昭和56)年2月15日第2刷発行
底本の親本:「尾瀬と檜枝岐」那珂書店
   1943(昭和18)年2月11日初版発行
初出:一「太陽 第二卷第一號」博文館
   1896(明治29)年1月5日
   二「太陽 第二卷第二號」博文館
   1896(明治29)年1月20日
   三、四、五「太陽 第二卷第三號」博文館
   1896(明治29)年2月5日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「榛[#「くさかんむり/奔」、U+83BE、45-10]」と「榛莽」、「寂莫」と「寂寞」の混在は、底本通りです。
入力:富田晶子
校正:雪森
2021年11月27日作成
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●表記について

「くさかんむり/奔」、U+83BE    45-10、45-10
「口+牟」、U+54DE    46-5


●図書カード