”Ja, wie lcherlich! und doch wie reich an solchen Lcherlichkeiten ist die Geschichte! Sie wiederholen sich in allen kritischen Zeiten. Kein Wunder; in der Vergangenheit lsst man sich Alles gefallen, anerkennt man die Notewendigkeit der vorgefallenen Vernderungen und Revolutionen; aber gegen die Anwendung auf den gegenwrtigen Fall strubt man sich immer mit Hnden und Fssen; die Gegenwart macht man aus Kurzsichtigkeit und Baquemlichkeit zu der Ausnahme von der Regel.“
Ludwig Feuerbach
哲学はその他の文化の諸形態とつねに或る原理的な連関において繋ぎ合わされている。この連関からして哲学にとって、それの課題は必然的に産まれて来るのであり、生産的であろうとする限り、哲学は、この連関の自覚の上に自己の任務を把握して行かねばならない。文化の諸領域相互の結合の仕方そのものはいつでも歴史的に規定されている。そして私はこの特殊なる規定性の根源をそれぞれの歴史的時代における基礎経験の特殊なる性格において見出し得ると思う*。一層詳しくいえばこうである。おのおのの時代にあって文化の諸形態、あるいは最も広い意味におけるイデオロギーは、単純に平面的な交互作用の関係に立っているのではなく、かえってそれらは層を成して重り合い、かかる立体的なる関係において交互作用を形作っている。しかもこの成層構造は時代によって歴史的に異なる。或る時代においてはイデオロギーのうち例えば宗教が、しかしながら他の時代においては学問的意識がその構造の基礎となっている。このような差異の根柢はそれらの時代における基礎経験の構造のそれぞれの特殊性にある。基礎経験はその特殊性に応じて自己を存在のモデルにおいて抽象せしめる**。かく存在のモデルとしておのおのの時代において新たに把握された存在の領域は、それ自身モデルの意味において、まさに存在論的に過重されるところの必然性をもっている。新たに把握された存在の領域は規則的にまず現実存在、さらには価値存在の絶対圏へ引き入れられ、その対象はつねに一切の世界変化の独立変数として妥当する。この選ばれた領域の構造は他の存在の領域へ導き込まれ、かくして全体の世界、あるいは少なくともその大部分はこのモデルに従って解明されることとなる。ところでかくのごとき過程に相応してあたかも次のことがある。存在のモデルとして必然的に抽出された領域に関する意識すなわちイデオロギーは、その優越なる存在論的性質の故に、いわば「形而上学的なる」妥当性を獲得すると同時に、他方ではもろもろのイデオロギーの連関においてつねに基礎層の位置を占めるに到るのである。しかるに基礎経験の構造はおのおのの歴史的時代においてそれぞれ特殊的であり、そして存在のモデルもまたそうであるから、したがってイデオロギー諸形態の成層構造の土台となるものもまた時代に応じて相異ならざるを得ない。このことがいま我々にとって重要である。もとより諸文化形態の成層構造の認識は、或る人々が注意しているところの文化形態相互の間の類型的および類構的(stil-und strukturanalog)関係の事項と矛盾するものでない。偉大なる時期の芸術、哲学ならびに科学の間には型式と構造との類似がある。例えばフランスの古典悲劇と第十七、第十八世紀のフランスの数学的物理学との間のこの関係はデューエムによって叙述されている。またひとはシェクスピヤおよびミルトンとイギリスの物理学との間に、あるいはライプニツの哲学とバロック芸術との間に、さらにはマッハ、アヴェナリウスと絵画上の印象主義との間にそのような類似を見出し得ると信ずる。ところでかくのごとき事実は単純に文化の諸領域の間に平面的な交互作用の関係があることを語るものではない。その事実はこのような関係に基づくのではなく、またそれらの文化形態相互の間の意識的な翻案によるのでもなく――もちろんかかる場合も存在する、例えばダンテとトマスとの場合、――かえってそれはその根源をそれらの文化形態が一の同一の礎礎[#「礎礎」はママ]経験の表現であるところにもっている。このことはいわゆる型式類似の最も厳密に行なわれている場合が、新しい時代の基礎経験の、伝承され、出来あがった、古い文化形式を力強く推し除けて新たに自己みずからのうちから表現形式を産みつつあるときであるということによって明らかである。このとき個人的な、意識的な影響から全く独立に、もろもろのイデオロギーの間に型式類似が成立する、文化の形式または方向の推移は知識もしくは意志以前に行なわれる。もしそうであるならば、意識形態相互の間の類型的および類構的関係とは* 文化の諸領域相互の連関の問題は、近世哲学の歴史において、すでにカントによって意識されていた。我々は彼の第三批判書のうちにこの問題への指示を見出すことが出来る。それはその後の哲学においてカントの提出した方向にしたがっていわゆる「理性の体系」の問題として現われ、フィヒテを初めとしてかくのごとき体系を理性そのものの根拠から先験的に演繹するという放胆な、天才的なる種々の企てがなされた。ヘーゲルはこのような先験的演繹に歴史的発展を結びつけた。ヘーゲル哲学の意図を一層実証的な、一層分析的な仕方で解決しようとしたのがドイツ歴史学派であったのである。それ故に文化形態の相互の連関の研究はこの学派の人々の最も好んだ題目のひとつとなっている。現代の哲学においてディルタイはこの問題についても歴史学派の仕事を哲学的に反省し、そしてヘーゲル主義に再び近づいているといわれることが出来る(Dilthey, Das Wesen der Philosophie, 参照)。
** 存在のモデルの意味その他については拙著『唯物史観と現代の意識』参照。
かくて現代哲学の課題は現代におけるイデオロギーの構造の特殊性によって規定されて成立する。すなわち哲学は今や経済学を中心とする社会科学一般と特に密接な連関に立つことを要求されている。このことは現代の基礎経験そのものの構造によってまさにそうなのであって、現実的であろうとする限り哲学はそれを回避することを許されない。かくのごとく哲学が種々なるイデオロギーのうち特に科学、しかも特に社会科学と結びつかねばならぬという主張は、或る人々のするようにいわゆる「科学主義」の名をもって非難さるべきではなく、かえって現実の歴史的特殊性によって理由づけられているのである*。このことは我々に先立って、もとより我々とは異なった根拠からではあるが、すでにディルタイによって十分に自覚されていた。ディルタイの哲学的労作の中心は歴史的社会的諸科学の基礎づけにある。この仕事に対して彼は彼の素質や天分によって規定されているばかりでなく、また実に彼の学問的活動の歴史的地位によって必然的にされている、と彼は考えた。彼によれば、個々の文化現象は相互に歴史的に規定された一定の連関に立っており、哲学の任務はこの連関によって必然的に規定されて存在する。この根本思想に基づいてディルタイはいう、「我々の課題は我々にとって明瞭に予示されている、カントの批判的な道を辿って、人間精神の一の経験科学を他の諸領域の研究者たちとの協同において基礎づけることがそれである。」すなわち彼はカントが自然科学に対してなしたと同じ仕事を精神科学に対して試みるのであって、彼はこの課題がドイツにおける一七七〇年から一八〇〇年に至る詩的および哲学的運動、レッシングからシュライエルマッハーおよびヘーゲルまでの発展、近くは歴史学派の活動によって彼に課せられていると信じた。さらに彼はいう、「現実に対する飽くことなき熱望は現代の学問の強大なる魂である。」そして彼はこの熱望が哲学にとってはただそれが特殊科学と結合することによってのみ満足させられ得ると考える。我々もまた歴史的社会的科学の批判をもって現代哲学の優越なる課題であるとする。我々もまた或る意味では哲学の精神が実証的な経験科学のうちに内在していると思う。その一般的な根拠については冒頭に話された。そして我々の仕事がいかにディルタイのそれと異ならねばならぬかということは、社会科学におけるマルクスよりレーニンまでの発展、世界における無産者階級解放運動の進展の事実がすでに明らかにこれを物語るであろう。ディルタイの尊敬すべき著作『精神科学概論』は一八八三年に世に出たにかかわらず、ヘーゲル主義者たる彼はマルクス主義についてはなんら顧慮しなかったのであった。* 現今わが国に行なわれるプロレタリア芸術論があまりに科学的なという理由によってしばしば非難されるにかかわらず、かくあることの必然性と真理性とはここに述べられたのと同じ理由から否 むことが出来ぬ。問題は他のところにある。
「学問」の理念の発見はギリシア人が人類歴史において成し遂げた諸業績のうち最も偉大なるもののひとつに属している。今日我々が普通に学問の理念に与えるところの諸規定は、そのほとんどすべてがすでに彼らによって見出されていたのである。アリストテレスは彼の『メタフュジカ』の
* これらの章は惟 うにアリストテレス哲学の構成を模範的に示しているものであって[#「ものであってあって」は底本では「ものであつて」]、『倫理学』第一巻の最初の数章とともに、アリストテレスの哲学的方法ならびに精神を理解するために反覆熟読さるべきものであろう。
さて学問理念の右の規定は人類の学問の歴史を運命的に支配して来た。今日もし我々が、学問とは何であるか、と訊ねられるにしても我々は恐らく右の規定以上のものをもって答えることが出来ぬであろう。学問の定義はアリストテレスにおいて、つとに尽されているかのごとくに見える。否、事実をいうならば、我々は今もなお最も多くの場合ギリシア的なる学問の理念の伝統のもとに立っているのである。ところでこの理念における最も特性的なるものは、学問が純粋に観想的本質のものと考えられたことに関係する。このことを理解するのは容易である。すでに我々はその規定のひとつに学問が実用とは没交渉であるといわれているのを知っている。したがってそれは何ら実践とはかかわりなきものである。ひとは、アリストテレスの言葉を用いれば、「それ自身のためにそして知るために求められた知識」をのみ特に学問と呼ぶ。学問は他の結果のためのものでなく、まさに学問のための学問である。そこでは理論と実践との間の完全な分離が行なわれている。さらに他のひとつの規定、学問は普遍的なるものの知識であるということをとってみても同様である。ここにいう普遍的なるものとは自然科学の一般的法則というがごときものではなくて、かのε※[#無気記号と曲アクセント付きι、U+1F36、175-上-7]δοすなわち観る者にとって事物が現われるところの形相である。ε※[#無気記号と曲アクセント付きι、U+1F36、175-上-7]δοの語は、※[#無気記号付きι、U+1F30、175-上-8]δαの語と同じく、ギリシアの哲学者にとって事物の本質を意味したが、ともに id(vid-)――ラテン語の videre ――に由来して観るということと関係があり、そしてε※[#無気記号付きι、U+1F30、175-上-11]δναι(知る)という語もまた同じ由来をもっている。形相とは時間空間を超越した事物の永遠なる本質の* 因果関係についてのヘーゲルの解釈はこうである。ヘーゲル論理学によれば、因果性の真理は相互作用である。普通の意味における因果関係はその中に無限へ向っての進行を含んでいる。ひとつの出来事の原因が発見されるや否や、その原因の原因が見出されることが要求され、かくして無限の進行がなければならぬ。結果の方向を辿っても同様である。この悪しき無限、不終結と無完成とに対して、他の到るところにおいてと同じく、ここでもまたヘーゲルは反抗する。――アリストテレスにあっても※[#ε異体字、U+03F5、176-下-11]※[#無気記号付きι、U+1F30、176-下-11] ※[#無気記号と鋭アクセント付きα、U+1F04、176-下-12]π※[#ε異体字、U+03F5、176-下-12]ιρον πρ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、176-下-12]※[#ε異体字、U+03F5、176-下-12]ισινという言葉は事物の不可能を示す決定的な意味をつねにもっている。――そして彼はそれを止揚するために因果の関係を相互作用の関係に転化する。「相互作用において」、と彼はいう、「原因と結果との無限への進行は進行として真実なる仕方において止揚されている、原因から結果へのまた結果から原因への直線的な外出は自己のうちへ曲げ入れられ、曲げ還されているからである」(WW. , 306)、そしてしかも「一の自己みずからにおいて閉鎖した関係へ」(ebd., 307)とである。そこにおいて直線的な関係は自己みずからのうちに閉じ込められた関係となる。しかるに因果関係についてのかくのごとき解釈は、原因結果の関係の中にもともとから変化の過程よりも一層多く変化を通ずる持続の状態を眺めるということによって[#「よって」は底本では「よつて」]可能である。ヘーゲルは因果関係にあってつねに原因と結果のうちに自己同一にとどまり、持続する統一的なる量を見るのである。
** “Das Resultat ist nur darum dasselbe, was der Anfang, weil der Anfang Zweck ist; ―― oder das Wirkliche ist nur darum dasselbe, was sein Begriff, weil das Unmittelbare als Zweck das Selbst oder die reine Wirklichkeit in ihm selbst hat.”(Phnomenologie des Geistes, Jubilumsausgabe, S. 25.)というヘーゲルの言葉は、我々がもしそれをアリストテレスの書のうちに見出すとしても、我々は驚かないであろう。
ギリシア的学問の観想的性質を明らかにした後に、我々はいかにそれがギリシア的生活と深く連関しているかを知ることが出来る。ギリシアにおいて理論が純粋に理論のためのものであったのは、偶然でもなく、また故意のことでもなく、かえってその生活地盤のうちにおいては必然であり、むしろ自然のことであったのである。それはギリシア的基礎経験の中から生まれたアントロポロギーにおける人間解釈のひとつの表現である。この人間の存在の解釈の学問的なる表現はプラトンに鮮かに現われており、あるいはすでにそれ以前に* 観想的生活の意味の歴史については、Franz Boll, Vita contemplativa. が参考になる。
** ラテン語の schola、近代語の School: Schule などはすべて閑暇(σχολ※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、178-上-13])という語から出ている。
しかるにルネサンスにおける自然科学の成立とともにひとつの新しい学問理念が生まれた。ここでは学問はもはや単純に観想を本質としない。ギリシア的学問と自然科学との理念上の差異は、両者が用いた手段において明瞭に認識され得るであろう。ギリシア人が見出したところの一切の学問的認識の手段は概念すなわちロゴスであった。『ポリテイア』におけるプラトンの熱情的な感激は、究極は、その当時初めて認識の大いなる手段としての概念の意味が自覚されたということから説明され得る。アリストテレスによれば、まさにソクラテスが概念の発見者である。概念こそはひとが他の者をして、彼が全く何事も知らないと告白するか、もしくはそのことがあたかも盲目なる人間の行動営為のごとく消滅することのなき永遠の真理であると承認するか、せしめることなしにおかぬところのものである。ソクラテスのこの体験は彼の弟子たちによって学問的意識にまで高められたのである。ヘレニズムの精神のこの発見のほかに、ルネサンスの時代の子供として学問的労作の第二の大いなる道具として現われたのは、合理的なる実験であった。それはこれなくしては今日の自然科学が不可能であるがごとき、信頼すべく統制されたる経験の手段としての実験である*。
* Max Weber, Wissenschaft als Beruf. 参照。
概念と実験との間にはいかなる本質的なる差異があるであろうか。概念すなわちギリシア人のいうλ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、178-下-19]γοの最も固有なる機能はアリストテレスに従えば存在を顕わにする(ποφα※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、179-上-1]νεσ※[#θ異体字、U+03D1、179-上-1]αι)、光の中に持ち出して見ゆるものとするということにある。存在とは本性上見ゆるもの、自己みずからを明るみのうちに示しているもの、すなわち、根源的なる意味における現象(φαιν※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、179-上-4]μενον)である。現象はみずからにおいて明るみに在るもの、したがってそれは見逃されることの出来ぬものである。それはそのものとして捕捉されることを要求する。この要求はそのもの自身において存在している。アリストテレス学派において知られた言葉を用いるならば、ひとは現象を救わねばならない(σ※[#鋭アクセント付きω、U+1F7D、179-上-10]ζειν τ φαιν※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、179-上-10]μενα)。ロゴスはあたかもかかる要求に応ずるものである。もとより本性上最もよく見ゆべき存在が我々にとっても最もよく見ゆるということはいい得ない。むしろかかるものこそ我々にとっては隠されている。それだからこそ特に学問的な研究が必要なのである。そしてそれ故にギリシア人は「真理」(※[#無気記号付きα、U+1F00、179-上-16]λ※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、179-上-16]※[#θ異体字、U+03D1、179-上-16]εια)という言葉をα -privativum の形で、隠されずに在ることとして表現したのであろう。ロゴスが本性上存在を顕わにするものであるということはもとよりそれがつねに存在を顕わにすることを意味するものでない。むしろまさしくこの本性の故にロゴスは存在を隠し得る。すなわち言葉は物を公にするものとしてそこにある。したがって言葉が語られるとき、それとともにひとはそれによって物そのものが示されたものとして受取るという自然的な、必然的な要求をすでに喚び起される。そこにあたかも物をそれがまさに在るのとは異なって示し得るところの可能性はすでに本源的に横たわっている。物を蔽い隠し得る可能性は人間にあってはひとを欺くという積極的な傾向をとることが出来る。ロゴスは存在を顕わにするものであるが故にまさにその故にまた存在を蔽い隠す。このようにして特に学問的なる研究が必要とされるのである。今やロゴスが観想的性質のものであることは明らかである。それは存在を顕わに、現在的に所有する手段である。いま私が眼をもってこの机を見ているとせよ、この机はそのときまのあたり現在的にそこにある。けれど私が眼を転ずるか、この室から出て行くかするや否や、もはやこの机はそこに現在的にない。しかるにそれが机として語られ、かく語られることによって机がロゴスすなわち概念として存在するに到るとき、私は現実にこの机を見ていなくとも机のロゴスすなわち概念について思惟することが出来る。この場合机は概念的存在として私の思惟にとって現在的にそこにあるのである。ギリシア人にとって思惟は視覚よりも優越なる意味において観るという作用であり、思惟は概念において存在を視覚よりも優越なる意味において観るという手段を所有する*。このようにして本性上最も明らかに見ゆべきもの、すなわち事物の永遠に現在的なる本質はロゴスによって救い上げられ得るのである。このことはロゴスの他のひとつの機能、存在を限定する(※[#有気記号付きο、U+1F41、180-上-8]ρ※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、180-上-8]ζειν)ということと関係する。現象は我々にとって動き漂い、生成消滅する。この机は窓から這入って来る光線の強弱に従って朝と夕とにおいて変化して見える。しかしいまそれが机という概念において存在するに到るならば、それはこれらの変化のうちに机として限定され、かく限定されることによって固定されて消滅の中から救い出されるのである。我々はギリシア的なるロゴスの観想的性質を簡単ながら明瞭にすることが出来たと思う。アリストテレスにとって学問の方法は一般に、今日普通に演繹法および帰納法として訳されている※[#無気記号付きα、U+1F00、180-上-18]π※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、180-上-18]δειξιと※[#無気記号付きε、U+1F10、180-上-18]παγωγ※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、180-上-18]といえども、存在を顕わにする――δηλο※[#曲アクセント付きυ、U+1FE6、180-上-18]νという語はまた彼の好んで用いるところである――方法の、すなわちδ※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、180-上-18]λωσιのそれぞれの仕方にほかならなかったのである**。* ここには深く立入って論ずることは出来ないが、この叙述からしてもすでに現代のひとつの流行哲学に属しているところの本質直観の学、現象学がいかに観想的性質のものであるかは理解され得よう。それは文化史的見地からしても、キリスト教のうち特に観想を重んずるカトリックと連関しているのである。現象学に関する批判はこの方面からもなされなければならぬ。
** Metaphysica E. I. 従来のギリシア論理学の解釈はあまりに近代の学問的意識の影響のもとに立っていると思われる。私は他の機会においてこの点を論述しようと思う。
実験を研究そのものの原理に高めたのはルネサンスの業績に属する。しかもその開拓者、創始者たちが芸術の領域における人々であったことは注意に値する。レオナルドはその著しい例であるであろう。ここにすでに暗示されているように実験は人間の制作的な活動と根源的な関係をもっている。自然科学の種々なる部分にとって刺戟となったものが到るところ技術的課題であり、したがってかくして見出された結果の厳密な論理化ないし体系化が到るところ後のものであったということは、デューエムやマッハなどの歴史的研究が明らかにしたところである。一般に科学と技術との根源的な連関における発展史の研究は、今日学者の愛好する題目のひとつとなっている。研究方法としての実験は自然に対する技術的なる干渉の中から生まれた。それは自然を観照し、観察することを可能ならしめるためのみのものではなくて、かえって実践的にこれに対して働きかけることと結びついている。実験は決して純粋な認識の態度からのものではなく、何物か欲求されたところのものを生産しようとする実践的態度のうちにその根柢をもっている。――ヴィコは原理的に表現していう、「我々は、我々がまた生産し得るところのものをのみ、自然において認識する。」――自然科学はその誕生ならびに発展の過程において、例えば神学上ではカルヴィニスムス、政治上ではホップスやマキアヴェリに現われているところの力の思想のもとに立っている。技術が純粋に理論的観想的なる学問の後からの随伴的な「応用」に過ぎぬというがごときものでなく、むしろ強かれ弱かれすでに存在するところの、現実の存在のこれまたはかれの領域に向けられたところの支配および制御の意志がそもそも学問的思惟の方法ならびに目的を規定するに* 自然科学のかくのごとき性質については、Max Scheler. Die Wissensformen und die Gesellschaft. の中に参考となることが多く含まれている。もとより私はシェラーの『知識社会学』(Wissenssoziologie)の諸根本命題に疑いを挟む[#「挟む」は底本では「狭む」]者であって、それに関しては近く詳細に論議したいと思う。なおシェラーの思想に関するドイツ社会学者たちの討論は、Verhandlungen des Vierten Deutschen Soziologentages. 1924. の中に載せてある。
しかしながらかくのごとき学問理念の変革は決して偶然に行なわれたのではないのである。それはまさに新興社会の生活態度のイデオロギーにおける反映にほかならない。我々はここに新しい階級、すなわち近代のブルジョアジーの擡頭しつつあったことを考えねばならぬ。新興の自然科学は封建的僧侶的社会の享受的観想的構成を次第に推し退けつつあったところの新興の市民階級の生産的実践的本質の表現にほかならなかったのである。さて現代において最も重要な役割を演じつつある社会科学、すなわちマルクス主義の学問は、我々の見るところではまたひとつの新しい学問理念の変革を成就しつつある。マルクス主義にとって学問は純粋に観想的本質のものではない。それにとっては「現在の世界を革命すること、現在の事物に実践的に働きかけ、変化することが問題である。」我々はかのベーコンの言葉において自然の語を社会の語に置き換えさえすれば、恐らくマルクス主義のモットーを作り得るであろう。――「社会は服従することによってでなければ征服されない」(Societas non vincitur nisi parendo)。マルクス学は社会の客観的な条件ならびに法則を自然科学のように忠実に実証的に研究する。そうしないならば現実の社会を実践的に克服すべき方向と手段とは獲得されることが出来ないからである。ところでかくのごとき学問の成立は実に現代においてブルジョアジーに対抗して擡頭し、進出しつつあるプロレタリアートの生産的実践的本質にその土台を有するのである。
しかるに社会科学はその研究の手段として自然科学のごとく実験を用いることが出来ぬ。マルクスはいう、「経済的諸形態の分析にあっては、顕微鏡も化学的試薬も役には立ち得ない。抽象力が両者に代わらねばならぬ。」ところでここにいう抽象は普通の意味における抽象ではあり得ない。社会科学は、その実践的本質の故に必然的に現実の存在と連関を保ち、したがって実証的でなければならぬから、現実の存在からの抽象は必然的に現実の存在そのものの分析と結びつかねばならぬ。マルクスは分析なき抽象を次のように批評する、「かくのごとく抽象のみありて分析の存在せざる以上、究極の抽象において、一切の事物が論理的範疇として表現されるということは、何ら驚くに当らぬことではないか。一個の家屋の個別性を形成しているところのすべてのものを、次から次へと
* Marx, Misre de la philosophie, p. 119 et suiv. 浅野晃氏訳『哲学の貧困』、一七一、一七二頁。
** 拙著『唯物史観と現代の意識』。
*** 岩波文庫版、『資本論』第一巻第一分冊、三二頁。
今や我々にとってひとつのベーコン的なる課題が課せられている、と私は信ずる。ここかしこにおいて自然科学が成功しつつあったとき、ベーコンはこの科学の方法について反省し、それを包括的に普遍的に表現することによって新しいオルガノンを作ろうとして、ギリシア的学問におけるアリストテレスの位置を占めようと企てたのであるが、今日ここかしこにあって社会科学がマルクス主義によって着々業績を挙げつつあるとき、我々はその方法を哲学的に反省し、これを包括的に普遍的に把握しかつ表現し、もってさらに新しいオルガノンを書くことを仕事とすることが出来るし、また仕事とせねばならないのである。もしすでにフランシス・ベーコンの仕事がなされ終わっているとするならば、我々はかの『論理学の体系』を書いたジョン・スチュアルト・ミルの仕事を引受くべきではないであろうか。多少の誤解を恐れずに、形式的にいえばこうである。ギリシア的学問における演繹的論理を明らかにしたアリストテレス、自然科学における帰納的論理(それは実験と必然的に関係する)を明らかにしたベーコンないしミルの後を承けて、今日我々は弁証法的論理の本質を究明すべき位置にある*。* デボーリンもいっている、「マルクスの遵奉者は惟 うに、なお極めて重要なひとつの任務を遂行しなければならない。……マルクス、エンゲルス、プレハノフおよびレーニンの諸労作に立脚する唯物弁証法の理論の完成という任務を果さなければならない。」Deborin, Materialistische Dialektik und Naturwissenschaft im ”Unter dem Banner des Marxismus“, . Jahrg. Heft 3. S. 431.
このようにして私は現代哲学のひとつの重要なる課題を示すことができたと思う。この課題の要求は前にも述べたごとく現代社会の構成の中から必然的に生まれて来るのである。すべて学問上の課題の変化は単に論理のさて新興科学の批判を受けようとするに当たって次のことは注意されねばならぬ。マルクス主義は学問理念の変革を成就しようとする、それは意識形態の範囲内においても従来のイデオロギーを革命しようとする。そこからしてひとはマルクス主義がこれまでの一切の学問の破壊的なる力であると結論する。この結論はしかるに単に一部の真理であるに過ぎない、なぜならマルクス主義は単なる破壊的なる力であるのみではないからである。エンゲルスの有名なる言葉はかく語る、「我々ドイツ社会主義者たちは、我々がただにサン・シモン、フーリエおよびオーエンを祖とするばかりでなく、かえってまたカント、フィヒテおよびヘーゲルを祖とするということを誇りとする。」彼は偉大なるドイツの哲学者たちならびに彼らによって
* W. Asmus, Marxismus und Kulturtradition im ”Unter dem Banner des Marxismus“, . Jahrg. Heft 3.
――(一九二八・九)――