唯物史観と現代の意識

三木清





 すでに雜誌『思想』へ唯物史觀覺書として載せた三つの論文に、いま新たに草した「ヘーゲルとマルクス」なる一篇を加えて、人の勸めに從つて、私はここに一小册子を編む。固よりどこまでも覺書である。ここでは凡てが單に暗示されてゐるのみであつて未だ十分に規定されてゐない。それを一層具體的に、そして一層包括的に、規定すること若くは規定し直すことは、私にとつてなほ將來の課題として殘されてゐる。この課題の解決のために、若しこの書が幾人なりとも同情者を集め、進んでは協力者を贏ち得たならば、私の望外の幸福である。
 これらの小篇はその特殊なる成立の事情を負うて或る程度まで夫々獨立してゐはするが、少くとも方法的なるものに關しては一の共通の意圖のもとに繋り合つてゐる。私はそれらのものに於て理論の系譜學(Genealogie der Theorien)を目論見たのである。如何にして一定のイデオロギーは出生し、成長し、崩壞し、そして新しいものによつて代られるか、の系統を理解することが私の企てに屬してゐた。この系譜學の根本命題は、歴史に於て存在は存在を抽象することによつて理論を抽象する、といふことである。私はこのことをマルクスから學んだ。それは實にマルクスが「歴史的抽象」(historische Abstraktion)と呼んだところの過程である。――我々は更に更に多くのことをマルクスから學び得るしまた學ばねばならぬであらう。
 ここに收められた諸論文の成立に機會を與へられた河上肇博士並びに京都帝國大學經濟學批判會の諸氏に對して私は今また改めて謝意を表したいと思ふ。
千九百二十八年四月十六日 東京に於て
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人間學のマルクス的形態



 人間の生活に於ける日常の經驗はつねに言葉によつて導かれてゐる。普通の場合ロゴスは人間の生活をあらかじめ支配する位置にある。我々は通常我々の既に有するロゴスの見地から存在と交渉する。我々は我々の經驗するところのものが言葉をもつて語られ得るやうに、言葉によつて解決され得るやうに、恰もその仕方に於て存在を經驗するのである。經驗の斯くの如き仕方から私は私の基礎經驗と呼ぶものを區別する。日常の經驗がロゴスによつて支配されてゐるのに反して、基礎經驗はロゴスに指導されることなく、却てみづからロゴスを指導し、要求し、生産する經驗である。それは言葉の支配から獨立であるといふ意味でひとつの全く自由なる、根源的なる經驗である。しかるに經驗はロゴスに於て表現されることによつて救はれ、公共性を得て、安定におかれることが出來るから、我々の經驗がロゴスの指導のもとに立つてをり、また立つことが出來る限り、我々には何の不安も起ることがない。最も公共的なロゴスである常識にもとづいて凡ての存在と關係し、常識の言葉の解決し得るやうにあらゆる存在と交渉する普通の生に、不安の屬することがないのは當然であらう。基礎經驗はその本來の性格として既存のロゴスをもつて救濟され、止揚され得ぬものである、したがつてそれはそれの存在に於て不安であるであらう。ロゴスは經驗を固定し、停止せしめる作用をするのであるが、ロゴスの支配し能はぬ根源的なる經驗は動性として存在するの外ないであらう。不安的動性は基礎經驗の最も根本的なる規定であらねばならぬ。言葉は經驗を救ひ、それを公にすることによつて、それに謂はば光を與へるのであるから、在來の言葉をもつて表現されることを拒むところの根源的なる經驗はそれに對して闇として經驗されるであらう。基礎經驗は現實の經驗としてはひとつの闇である
* 拙稿、解釋學的現象學の基礎概念(「思想」第六十三號)參照。
 私は基礎經驗の名を借りて或る神祕的なるもの、形而上學的なるものを意味しようと欲するのではなく、むしろまさにその反對である。それはひとつの全く單純なる、原始的なる事實に對する概念である。私は在る、私は他の人々と共に在り、他の事物の中に在る。これを經驗の最も基本的な形式と見做すとき、私は私以外の事物及び人間の存在そのものが私の意識に依存する、とは主張してゐないのである。世界の存在は固より私自身の存在と同じやうに根源的であるであらう。然しながら、私は基礎經驗の概念をもつて素朴實在論的思想から私を明確に、決定的に分離せしめようと思ふ。我々をめぐつて在る世界の存在は、例へばかの物自體の如く、我々の交渉から全然獨立に、自體に於て完了した存在を保つてゐるのでなくして、却てそれは我々の交渉に於て初めてその存在性を顯はにする。人間が他の存在の中に在る仕方は植物が他の植物に圍まれてゐる關係とは異つてゐる。人間はいつでも他の存在と交渉的關係にあり、この關係の故に、そしてこの關係に於て、存在は彼にとつて凡て有意味的であり、そして存在の擔ふところの意味は、彼の交渉の仕方に應じて初めて具體的に限定されるのである。存在は彼の交渉の過程に於て意味を具現してゆき、そしてかかるものとして現實的になつてゆく。それのみではないのである、人間そのものの存在もまた實にこのやうな交渉の關係に於て初めて自己みづからに對して現實的になり、このやうな交渉の過程に於て次第に自己みづからに對して現實的になつてゆく。約言すれば、人間は他の存在と動的雙關的關係に立つてをり、他の存在と人間とは動的雙關的にその存在に於て意味を實現する。存在は我々の交渉に於て現實的になり、そしてそれに即して我々の存在の現實性は成立する。かかる關係を有することがまさしく人間の根本的なる規定であつて、その故にこそ人間は彼の世界を所有する存在であるのである**。嘗て屡述べたやうに、人間は「世界に於ける存在」である、これに反して植物の如き存在は彼の世界を持つと云ふことが出來ない。ところで經驗とは一般に右の動的雙關的關係の構造の全體の名であり、基礎經驗とはそれの特殊なるもの、即ち存在に對する人間の交渉の仕方が既に在るロゴスによつてあらかじめ強制されることなきものを意味するのである。
* この點に關して我々の謂ふ基礎經驗とベルグソン的な純粹經驗との異同を吟味するのは興味深く、利益多きことであらう。ベルグソンも彼の純粹持續が言葉に支配されぬものであるに反して、日常の經驗が言葉によつて分離され、固定されたものであることを述べてゐる(H. Bergson, Essai sur les donn※(アキュートアクセント付きE小文字)es imm※(アキュートアクセント付きE小文字)diates de la conscience, p.99 et suiv.)。我々との根本的な相違は、我々が基礎經驗の歴史性を特に主張しようとするに對して、ベルグソンには一般に歴史性の思想が缺けてゐるのに由來する。
** マルクスも云つてゐる、「(私の環境に對する私の關係――[交渉的關係 Verh※(ダイエレシス付きA小文字)ltnis]――が私の意識である。)關係の存在するところ、それは私にとつて存在する、動物は何物に對しても關係せずそして一般に關係しない。動物にとつては他に對する彼の關係が關係として存在しない。」(Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21). Band, S. 247.)
 基礎經驗に對するロゴスに於て私は二つの種類若くは段階を區別しようと思ふ。第一次のロゴスは基礎經驗をなほそれの直接性に於て表現する。アントロポロギー(人間學)は、最初にそして原始的には、第一次的なるロゴスに屬する。ここにアントロポロギーとは人間の自己解釋の謂である。人間は彼の生活の過程に於て彼みづからの本質に關して何等かの仕方に於て解釋を與へるやうに餘儀なくされるに到る。この解釋の仕方そのものは彼の基礎經驗によつてつねに必然的に一定の方向に決定される。人間は、したがつて彼の基礎經驗も、固より歴史的社會的に限定されて在るのであるから、彼の自己解釋はまた言ふまでもなく歴史的社會的なる限定のもとに立つてゐる。それ故にひとはアントロポロギーが抽象的一般的なる形式に於て恰も永遠の體系として成立するものであるかの如く考へてはならない。在るものはただ具體的なる歴史的なるアントロポロギーである。各の時代に屬する人間は彼に特有な仕方に於てのみ存在に對して根源的に交渉することが出來る。この交渉の仕方に於てまさしく存在は彼に對して現實的になるばかりでなく、そしてそれと同時に彼はまさしく彼の存在をその存在に於て自覺し、把握する。彼が、例へば、特に感性的活動といはるべき性格を有する交渉の仕方をもつて絶えず存在と交渉するのであるならば、彼は恰も斯く交渉することに於て、自己の存在を感性的實踐的なる存在として理解するに到るであらう。アントロポロギーは生の根源的なる具體的なる交渉の中から直接に産れるロゴスであつて、私がそれを第一次的なるロゴスと名づける理由はそこにある。然るにひとたびこのロゴスの産出されるや否や、それは却てみづから主となつて、人間の生活のあらゆる經驗を支配し、指導することとなる。それは我々の生の現實の中に織り込まれ、我々の行動も制作もこのロゴスの見地から意味づけられ、實行され、更に進んでは、我々の生の表現も生産もただそれの見地からしてのみ認識され、評價されるのである。即ち人間が彼の存在そしてそれの本質を如何に解釋するかは、彼の生に於ける實踐また生についての認識の仕方を規定するところの最も根本的なる根源である。然しながら、人間に關するロゴスの斯くの如き支配的なる力も勿論その限界をもたねばならぬであらう。生の基礎經驗から生れ、それの把握として、表現として、この基礎經驗そのものを活かし、發展させることに役立つことの出來たロゴスは、それが絶對的なる專制的なる位置を占めることによつて、今は却て生そのものを抑制し、壓迫するに到る。變化し運動する生に於ける基礎經驗が或る強度と擴延とに達するとき、それはもはやロゴスの壓迫に堪へることが不可能となり、却てこの舊きロゴスに反對し反抗して、みづから新しきロゴスを要求する。我々はここにひとつの辯證法的なる關係を發見し得るであらう。基礎經驗の發展形式としてそれの發展を促進せしめるロゴスは、基礎經驗の發展が一定の段階に到達するに及んで、それの發展に對する桎梏に轉化する。ロゴスと基礎經驗との間の矛盾、それに伴ふアントロポロギーの變革はかくして或る時には徐々にそして他の時には急激に生起するのである。私はこの過程をロゴスの第一次變革過程と名づけるであらう。
* ここに私は發展形式(Entwicklungsform)といふ語をマルクスが彼の唯物史觀を規定した句(Marx, Zur Kritik der politischen ※(ダイエレシス付きO)konomie, Vorwort.)の中から轉用した。
 第二次のロゴスを私はイデオロギーの概念をもつて總括しよう。それにはあらゆる種類の精神科學あるひは歴史的社會的科學が屬する。イデオロギーと第一次的なるロゴスとの相違は、後者が基礎經驗をなほそれの直接性に於て表現するのに反して、前者はそれを媒介者を通じて把握するところにある。この媒介となるものはその時代の學問的意識、哲學的意識であつて、私の謂ふ par excellence なる「公共圈」に外ならない。經驗を救ふといふロゴスの課題は、それが客觀的なる公共性を得ることによつて初めて滿足に解決されるのであるが、かかる公共性に對するロゴスの衝動は、それがその當時の學問的もしくは哲學的意識によつて「基礎付けられ」、「客觀化される」ことに努力することを意味するのである。それ故に我々は、人間の自己解釋(Selbstauslegung)としてのアントロポロギーに對立させて、イデオロギーを人間の自己了解(Selbstverst※(ダイエレシス付きA小文字)ndigung)として規定し得るであらう。イデオロギーに於ては經驗の表現は夫々の時代の學問または哲學によつて媒介され、それらのものによつて客觀的に限定されてゐる。これに反して第一次のロゴスは生の根源的なる交渉の中から直接に生れてそれを直接に反映し、自己みづからのうちには基礎付けられ、客觀化されることに對する要求はいまだ顯はでないのである。固よりこのものと雖も、それがロゴスである以上、客觀性への要求はそれ自身の中に含まれてゐるのであつて、それが自覺される場合このものはただちにイデオロギーにまで發展するであらう。アントロポロギーは最初にそして原始的にはひとつの第一次のロゴスであるけれども、しかしそれはイデオロギーの形態に於て存在することが出來、そしてまた事實上時としてはかかるものとして存在して來た。然しながら、それが人々から殆ど全く見逃されてゐる、そして私がここに特に高調しようとする重要な役目を演じて來たのは、多くの場合第一次のロゴスとしてである。アントロポロギーは、恰もカントのシェマティスムスに於ける時間が直觀と範疇とを媒介するやうに、基礎經驗とイデオロギーとを媒介する。けだしそれは、一方では、生の交渉の中から直接に産れるものとしてそれ自身或る意味では基礎經驗そのものであり、そして他方では、それは既にそれ自身ロゴスとして他の意味ではイデオロギーに屬するが故に、能く兩者を媒介することが出來るのである。このやうに媒介することに於てアントロポロギーの構造はイデオロギーの構造を規定することとなる。そしてまさにそこに人間學が第一次のロゴスとして有する機能の全き重要さは横はつてゐる。そしてその意味に於てまさしくそれはあらゆる歴史的社會的科學の基礎であると云はれることが出來る。けれどそれにも拘らず、最も注意すべき事柄は、各のイデオロギーにあつてはそれの構造を規定するアントロポロギーが直接には顯はでないといふことである。むしろイデオロギーの堅き概念の組織を破壞することによつてそれの根柢をなす隱れたるアントロポロギーは發見され得るのが普通である。アントロポロギーはイデオロギーの成立にあたつてそれの規定力としてはたらいてゐる、しかしひとたび後者が成立し終るや否や、前者みづからは後者の中に埋沒し沒入してしまふ。私は今これらの事情を多少詳細に分析してみよう。
 精神科學は生、殊にそれに於ける實踐そのものの中から出生し、成長した。この學問の分化は生の分化、殊にそれの實踐の領域に於ける分化によつて規定されて來た。精神科學の對象をなす歴史的社會的存在は人間を基體として成立する世界である。自然は言ふまでもなくそれの缺くべからざる要素であるに相違ないが、それはただ人間と交渉し彼の生と關係する限りに於てのみこの世界へ這入つて來ることが出來る。歴史はひとつの人間的なる、人間中心的なる世界である。純粹なる自然主義の立場にとつては一般に歴史は存在し得ない。歴史的世界は人間がそれを作るところの、作りつつあるところの、そして彼がみづからその中に住むところの世界である。人間はこの世界に單に對立するのでなく、却て絶えず彼自身それの基本的なる契機としてそれと密に交渉する、――それは「對象的存在界」ではなくして「交渉的存在界」である、――したがつてそれは彼にとつて彼がそれと交渉するところの具體的なる仕方を離れては現實的になることが絶對的に不可能であるであらう。そしてそれ故にこの世界に向ふところの認識もこの具體的なる交渉を離れてはそれに接近すべき如何なる現實の通路も見出すことが出來ぬであらう。精神科學と生との不離なる關係は根本的にはここにその深き根據をもつてゐると考へられる。ところで歴史的社會的存在界を構成する者として、そして同時にそれと交渉する者として、人間は、單に精神ではなくむしろ精神物理的統一であり、單に思惟する主觀でなく却て意志、感情、表象のあらゆる方面に自己を表現する統一的主體である。精神科學の對象が生の交渉を離れて現實的になり得ぬ以上、またそれを離れてこの學問の認識は對象への現實の通路をもつことが出來ぬ以上、この學問に於て認識主觀と云はるべきものは、單に表象し思惟する主觀でなく、具體的なる全體的なる人間の存在そのものであることは明白であるであらう。この學問の領域に於て嘗て偉大なる業績を爲し遂げた人々の多くが單なる理論家でなく同時に強大なる實踐家であつたことも同じ理由からむしろ當然のこととして感ぜられるであらう。さて、人間は彼が存在と交渉する仕方に應じて直接に自己の存在を把握する。彼は存在を語ることに即してそれに於て自己を語る。――一切の物は、人間の交渉を受ける程度に應じて、人間にとつて見ゆるものとなり、即ち初めてとなり、ここに於てその稱呼、その名稱を與へられるのであるが、その場合、ノアレによれば、「固有の人間の活動が原本的語根の内容として留まるのである**。」――この過程に於て彼が自己を語るところの言葉即ちアントロポロギーが生れると共に、このロゴスはひとつの獨立なる力となり、彼の經驗の先導となり、支配者となる。このとき彼の經驗する存在は凡て人間學的なる限定のもとに立つこととなる。かやうにして、高次のロゴスである歴史的社會的諸科學が自己の研究の出發點に於て與へられたる現實として見出すところのものは、つねに既に斯くの如く人間學的なる限定のもとにある存在に外ならないのである。そしてそれ故に存在がこれらの學問に向つて提起する課題は、基礎經驗と人間學との間に矛盾の存在してゐない限りに於て、それは同時にアントロポロギーがそれらに對して提出する課題を意味するであらう。したがつてまたその限りに於ては、イデオロギーが存在の問題を殘りなく解決し終るならば、それはやがてアントロポロギーがそれに課する限りの問題を解決することにもなるであらう。アントロポロギーとイデオロギーとの間にこの場合にあつては矛盾が存在しない。そこで後者が一の完了した、客觀的なる體系として組織されるとき、前者はこのものに於て充全に表現され、かくしてそれは安定を得て後者の中に埋沒し沒入してしまふ。イデオロギーの概念體系に於てそれの構造を規定するアントロポロギーが何故に直接に顯はでないかは明瞭になつた。尤も基礎經驗と人間學との間に矛盾の存在する場合、若くはイデオロギーが存在の問題を滿足に解決してゐない場合、アントロポロギーがこれらのものの間にあつてひとつの獨立なる力として、自己の存在を維持し、主張しようとするのは論ずるまでもないことであるであらう。さて、ひとたび成立したところのイデオロギーは我々の生活に徹底的に干渉するに到る。我々はそれの立場からのみ存在と交るやうにさせられ、それの解決し得る問題のみを存在に於て見るやうに強ひられる。それは固より經驗の客觀的なる表現であり、把握であるが故に、それは恰も斯く干渉することに於て、むしろ經驗を導き、教へ、それを活かし、發展させるに役立つことが出來る。然しながら經驗の發展が一定の段階に達するとき、斯く干渉することは、却てまさしくそれの根源的なる發展を拘束し、妨害することとなる。即ちイデオロギーは經驗の發展形式からそれの桎梏にまで轉化する。ロゴスと經驗との間のこの辯證法的なる關係に於て、イデオロギーの變革の運動は時としては緩慢にそして時としては急速に成就されるのである。私はこれをロゴスの第二次變革過程と呼ばうと思ふ。我々はここに素晴らしい革命を見る。數世紀に亙つて大伽藍の如く聳えてゐた概念體系が徐々に動搖を始め、昨日まで帝王の如く君臨してゐた思想體系が一朝にして權威を失墜する。人々はかの文藝復興期に於ける、かの啓蒙時代に於ける變動を想ひ起してみるが好い。然るにこのやうな目覺しい變動を觀察するにあたつて、ひとはこの過程の根抵に横はつてゐるひとつの決定的なる要素を見落してはならない。アントロポロギーは基礎經驗とイデオロギーとを媒介するのであるが、イデオロギーの變革はまたアントロポロギーの變革によつて媒介される。イデオロギーが自己の研究を出發するに際して直接與件として見出すところの現實がそもそも既に人間學的なる限定のもとにある限り、それと經驗との間の辯證法的なる運動は、アントロポロギーの運動によつて媒介されることなくしては起り得ないであらう。高次のロゴスの變革は低次のロゴスの變革によつて規定される。ロゴスの第一次變革過程が既に行はれた後、あるひは少くとも現に行はれつつある場合でないならば、ロゴスの第二次變革過程は生ずることがない。前者の運動は後者のそれに比して、見たところ顯著でないために、人々に氣附かれぬことが多いけれども、それだけそれは一層直接的であり、一層浸透的であり、一層普遍的である。イデオロギーの人目を惹くに足る變化も、若しそれがこのやうな基礎を缺いてゐるならば、眞實でなく、現實的でもなく、却てただ既成概念の整理であり、折衷であり、修正と補足であるに過ぎない。苟も根本的なる、徹底的なる、生命あるイデオロギーの變革に際しては、ひとはその背後に、たとひそれが顯はでないにせよ、必ずアントロポロギーの本質的なる變革を見逃すことが出來ぬであらう。
* W. Dilthey, Einleitung in die Geisteswissenschaften (Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字1、1-13-21). Band), S. 21 u. 39. 參照。
** Ludwig Noir※(アキュートアクセント付きE小文字), Der Ursprung der Sprache, S. 369.
 人間學の位置と意義とは右の敍述によつて極めて簡單ながら明かにされた。そして私はそれによつて同時に私の當面の問題である唯物史觀の解釋に關して必要な手懸りを捉へ得たかのやうに思ふ。唯物史觀は言ふまでもなくひとつの――右に規定した概念の意味に於て――イデオロギーである。それは如何なる基礎經驗にもとづき、如何なる人間學――このものは勿論唯物史觀の概念體系そのものに於ては直接に顯はでないが、――に倚つて組織されたイデオロギーであるであらうか。斯く問ふことは、唯物史觀をひとつの固定したドグマとして單純に信奉するのでなく、それをひとつの凝結した體系として外面的に批評するのでもなく、却てそれをひとつの生ける生命として根本的に把握するためには避くべからざることであると私は信ずる。アリストテレスやマキアヴェリの政治學が彼等のアントロポロギーを除いて理解されないやうに、唯物史觀はアントロポロギーのマルクス的形態を先づ認識することなしには到底完全に理解され得ないのである。若しこのイデオロギーに對して人間學が有する重要な意味を認めないならば、マルクスの『フォイエルバッハに關するテーゼ』について「新しい世界觀の天才的なる萠芽を藏してゐる最初の文書としてこの上なく貴重なものである」、とエンゲルスが云つた言葉の意味はつひに十分に理解され得ないであらう。我々はこの貴重なる文書に於てマルクスの人間學に出會ふ。唯物史觀は一箇の獨立した、特色ある人間學の上に立つ世界觀である。それ故にこそそれは、ひとり經濟學者にとつてばかりでなく、また哲學者にとつて、そしてむしろあらゆる人間にとつて研究さるべき事柄なのである。唯物史觀は今やひとつの現實である。何人もこれと對質すべく迫られてゐる。


「ドイツにとつては宗教の批判は本質に於ては終つてゐる、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提である」、といふ語をもつて、マルクスは千八百四十四年『ヘーゲル法律哲學批判』の序論を書き起してゐる。一切の批判、從てまた經濟學批判の、前提であると考へられた宗教批判の仕事は實にフォイエルバッハによつて爲されたのである。彼が彼の劃期的な著述『キリスト教の本質』に於て遂行したこの仕事は、若いマルクスによつて全き情熱をもつて迎へられた。エンゲルスは後年、「この書が齎した救ひの力がどのやうなものであつたかは、みづからこれを體驗した者でなければ想像がつかぬ。世を擧げて感激した、我々は皆ひとときはフォイエルバッハの徒であつた」、と告白してゐる。フォイエルバッハの宗教批判はいつたい何を爲し遂げたのであらうか。それに於て何がマルクス及びエンゲルスにかくも決定的な影響を與へたのであるか。
 フォイエルバッハの宗教批判に於て發見されたのは人間である。彼によれば、宗教は人間と動物との本質的な差異に基礎をもつてゐる、動物は如何なる宗教ももたない。人間と動物との本質的な區別は意識にある。しかるに嚴密な意味に於ける意識はそのものにとつてそれの種あるひはそれの本質性が對象であるところにのみ存在する。このやうな意識は無限なるものの意識と離すことが出來ぬ、制限された意識は本來の意味に於ては何等の意識でもない。無限なるものの意識に於ては意識にとつて自己の本質の無限性が對象である。對象に於て人間は自己みづからを意識する、對象の意識は人間の自己意識である。ところで宗教は無限なるものの意識である。從てそれは人間の、有限な、制限された彼の本質についてのではなく、却て彼の無限なる本質についての、意識のほかの何物でもあり得ない。神的本質とは人間的本質の他のものではなく、しかし個人的な現實的な人間の制限から離れて、對象化された、即ちひとつの他の、彼とは異る、獨立の存在として直觀され、崇拜された、人間の本質に外ならないのである。主觀的に若くは人間の側に於て本質の意義をもつものは、また客觀的に若くは對象の側に於て本質の意義を有する。神的本質のあらゆる規定はそれ故に人間的本質の規定である。宗教は人間の本質的なる規定を人間から引離してそれを獨立なる本質として神化する。このとき單に人間の悟性的規定、道徳的規定が神の規定として對象化されるばかりでなく、また特に彼の感情的、感性的規定が神のものとせられるのである。神は愛である、といふのは、人間の愛が神的なものであることであり、神は惱み、感ずる神である、と教會が教へるのは、人間の苦惱や感覺やが神的本質のものであるのを意味する、三位一體の教理は人間の性愛や友情の投射である。このやうにして我々は、「神學の祕密は人間學である」、と云ひ得るであらう。宗教は人間の本質の自己内に於ける反射であり、反映である。人間は彼に對立する存在として神を自己に對せしめる。人間があるところのものは神ではなく、神があるところのものは人間でない。神と人間とは兩極端である。然しながら、眞實を言へば、それをもつて宗教が成立するところのこの對立、この乖離は人間と彼自身の本質との乖離である。「人間――これが宗教の祕密である――は彼の本質を對象化し、そして然る後ふたたび、自己を、この對象化された、ひとつの主體、ひとつの人格にまで轉化された本質の對象とする**。」この過程に於て神的本質は萬能なる絶對者として人間に臨むに到る。然しながら彼に對する對象の力は彼みづからの本質の力に外ならない。感情の對象の力は感情の力であり、理性の對象の力は理性そのものの力であり、意志の對象の力は意志の力である。かくの如く、宗教は「人間の自己分離」であり、ヘーゲル的に表現するならば「人間の自己疎外」(die menschliche Selbst entfremdung)である。
* Feuerbach, Vorl※(ダイエレシス付きA小文字)ufige Thesen zur Reform der Philosophie (S※(ダイエレシス付きA小文字)mmtliche Werke, Hrsg. v. Bolin und Jodl, ※(ローマ数字2、1-13-22). Bd., S. 222.).
** Das Wesen des Christenthums (※(ローマ数字6、1-13-26). Band, S. 37.).
 宗教の祕密を暴露することによつて見出されたものは人間であつた。神とは何か、といふ從來の神學の根本問題は、神とは人間である、といとも簡單に答へられたのである。「人間を否定するのは宗教を否定するの謂である。」人間が宗教を作るのであつて、宗教が人間を作るのではないのである。我々はここにひとつの全く重大なる轉換を見定めずにはゐられないであらう。「宗教の批判は人間を迷ひから醒めしめ、それによつて彼がひとりの覺醒した、理性に達した人間の如くに考へ、行ひ、彼の存在を形造り、それによつて彼が自己みづからの周圍を、またかくて彼の眞實の太陽の周圍を運動するやうにせしめる。宗教はただ、人間が自分自身の周圍を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)轉してゐない間、人間の周圍をめぐる幻想的太陽に過ぎない**。」今や人間は自己みづからの上に立つことが可能になつた、彼は自己みづからを中心として※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)轉し始めねばならない。彼は彼が宗教に與へることによつて失つた彼の本質を取戻すために、神へではなく彼自身へ正當に復歸すべきである、といふのがフォイエルバッハの仕事の當然の歸結である。マルクスは云つてゐる、「宗教の批判は、人間が人間にとつて最高の存在である、といふ教義をもつて終る、したがつてそれは、その中では人間が一の賤められた、隷從させられた、見棄てられた、輕蔑すべき存在であるところの一切の關係を覆さうとする無上命令をもつて終る***。」――ついでながら、彼が『資本』に謂ふ「自由の王國」はかかる顛覆の完成された状態であるであらう。――宗教の批判は人間を超人間的な外部的な力への隷屬から救ひ、彼をして彼自身が産出した關係によつてみづから束縛されることから自由ならしめることを絶對的に命令するのである。「それ故に眞理の彼岸(das Jenseits der Wahrheit)が消滅した後には、此岸の眞理(die Wahrheit des Diesseits)を建設することが歴史の任務である。人間の自己疎外の神聖なる姿が面被を剥がれてしまつた後には、その神聖ならぬ姿に於ける自己疎外の面被を剥ぐといふことがまづ歴史に仕へる哲學の任務である。天國の批判はかくして地上の批判に、宗教の批判は法律の批判に、神學の批判は政治の批判に變じて來る」、とマルクスは考へたのであると。
* Feuerbach, Das Wesen des Christenthums (※(ローマ数字6、1-13-26), 54.).
** Marx, Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie (Aus dem literarischen Nachlass von Karl Marx und Friedrich Engels, Hrsg. v. Mehring, ※(ローマ数字1、1-13-21). Band, S. 385.).
*** Op. cit., S. 392.
 批判の原理はフォイエルバッハにとつて人間であつた。「新しい哲學は、人間を、人間の土臺として自然をも含めて、哲學の唯一の、普遍の、最高の對象とする――人間學をそれ故に、生理學をも含めて、普遍學とする。」宗教のイデオロギーはただそれの根柢であるアントロポロギーによつてのみ批判されることが出來る。神學の祕密が人間學であるやうに、思辨哲學の祕密は神學である。ヘーゲルの哲學は神學の教説の最も合理的なる表現に外ならない。したがつて哲學のイデオロギーはまたそれの基礎をなすところのアントロポロギーによつて最もよく批判され得るであらう。ところでフォイエルバッハに從へば、人間とは最も現實的なる原理の謂である。彼は『キリスト教の本質』の第二版の序文の中で、彼の批判の仕事を囘顧して「この哲學はスピノザの實體、カントやフィヒテの自我、シェリングの絶對的同一者、ヘーゲルの絶對精神、簡單に言へば抽象的なる、ただ思惟され若くは想像されたるのみなる存在ではなく、却てひとつの現實的なる、あるひはむしろ最も現實的なる存在、即ち人間を、したがつて最も實證的なる實在原理を、それの原理としてもつ**」、と記してゐる。イデオロギーの批判は、單にそれの内的矛盾、それの論理的困難を指摘するといふが如き、形式的な、抽象的なる道を辿るべきでなくして、それの現實的地盤を明瞭にして、それと具體的存在との聯關を決定することによつてのみ行はれることが可能である。「哲學はかくして自己みづからを始點とせず、却てそれの反對を、非哲學を始點とすべきである。」「哲學の端初は神でなく、絶對者でなく、絶對者若くは理念の客語としての存在でもない、――哲學の端初は有限なるもの、限定されたもの、現實的なるものである***。」イデオロギーの批判が、一のイデオロギーに他のイデオロギーを、一の理論に他の理論を對立せしめることをもつて始めらるべきではなく、あらゆる理論、凡てのイデオロギーの現實の土臺を吟味することをもつて始めらるべきである、といふことは、フォイエルバッハがマルクスに教へた最も重要な思想である。
* Feuerbach, Grunds※(ダイエレシス付きA小文字)tze der Philosophie der Zukunft (※(ローマ数字2、1-13-22), 317.).
** Vorrede zur zweiten Auflage vom ”Wesen des Christenthums“ (※(ローマ数字7、1-13-27), 283.).
*** Vorl※(ダイエレシス付きA小文字)ufige Thesen zur Reform der Philosophie (※(ローマ数字2、1-13-22), 230, 235.).
 然しながら人間を一切の隷屬的關係から解放するために、マルクスが要求した全面的なる批判は、フォイエルバッハの哲學の範圍内で遂行されることが不可能であつた。フォイエルバッハは神學のイデオロギーをそれの根柢に横はるところのアントロポロギーに解消した。アントロポロギーをもつて彼は神學の完成と考へられたヘーゲルの思辨哲學に反對した。それにも拘らず彼のアントロポロギーは神學と完全な分離をしてゐないのである。神學が彼の人間解釋をあらかじめ一定の方向に規定してゐる。彼が分析したのは神學と關係する限りに於ての人間である。彼は現實の人間の存在そのものが何であるかを根源的に研究することなく、却て宗教に於て反射される限りの人間が如何なるものであるかを、神學を手懸りとして研究してゐるのに過ぎない。フォイエルバッハは人間の本質がどこまでも宗教的なものであると見做し、宗教こそ人間と動物とを區別する標準であると考へる。そこでは人間に於ける宗教の最も決定的な支配が既に豫想されてゐる。この點に於て彼のアントロポロギーは思辨哲學と共通の前提に立つてゐると云ふことが出來る。そこでマルクスが、「ドイツの批判は、それの最近の努力にいたるまで、哲學の地盤を去らなかつた。それはそれの一般的哲學的前提を吟味するどころか、それの全體の問題は却て一定の哲學的體系、即ちヘーゲルの體系の地盤の上に成長してゐるのである。それの答に於てのみならず、既に問題そのものに於てひとつの神祕化が存した」、と評してゐるのは正當であらう。尤もフォイエルバッハは感性と感覺とを著しく重んじはしたが、そしてそこにヘーゲルとの相違はあるのであるが、しかし彼はこれらのものそのものをさへ直ちに宗教的に解釋して少しも怪しまなかつたのである。「人間はかくして、彼が動物の如く制限された感覺論者でなく、絶對的なる感覺論者であるといふことによつてのみ、人間である。此れまたは彼れの感覺的なるものでなく、一切の感性的なるもの、世界、無限なるものが、しかもそれが純粹にそれ自身のために、即ち美的享樂のために、彼の感官、彼の感覺の對象であることによつてのみ、人間は人間である**。」私はこの文章に於てロマンティクの基礎經驗が雄辯に語られてゐるのを見逃すことが出來ない。――(フォイエルバッハの「人間」は、例へば、シュレーゲルの「ルチンデ」に於て最も美しい表現を見出しはしないだらうか。)――實際、フォイエルバッハのアントロポロギーは、ヘーゲルの哲學とは全く異る仕方に於てではあるけれども、同じロマンティクの基礎經驗の表現であるかの如くに思はれる。二人が共に、この基礎經驗の最も古典的な表現であるところの、シュライエルマッハーの『宗教論』(Reden ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Religion)から影響されたことは、事實の我々に教へるところである。ヘーゲルがこの基礎經驗の創造的な過程の中に生きてゐたのに反して、フォイエルバッハはそれの崩壞してゆく過程を代表する。神學上のイデオロギーを生ける生そのものから解釋するといふことは、既にシュライエルマッハーがロマンティクの基礎經驗の中で企てた天才的な仕事に屬するのであつて、フォイエルバッハはそれの徹底した、しかしもはやこの基礎經驗の頽廢を表現する繼續者である。一般にイデオロギーの根本的なる批判と變革はアントロポロギーの根源的なる、本質的なる變革なくしてはあり得ない。しかるに我々はフォイエルバッハの人間學に於てこのやうな原理的なる變革を認めることが出來ない。それの感覺論的、唯物論的傾向も今や衰亡しつつある基礎經驗の頽廢的なる形態であつて、まさに新たに發展しつつある基礎經驗の積極的なる把握ではなかつたのである。
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21). Bd., S. 235.
** Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele, Fleisch und Geist (※(ローマ数字2、1-13-22), 350.).
 ひとつの全く新しい基礎經驗が發展しつつあつた。無産者的基礎經驗がそれである。それの發展が一定の段階に達したとき、それはフォイエルバッハ流のアントロポロギーと必然的に衝突せねばならなかつた。彼の人間學を覆すべき基礎經驗が既に成長しつつあつたに拘らず、フォイエルバッハはそれを知らなかつたのである。マルクスやエンゲルスは彼に無産者的基礎經驗の缺けてゐることを屡指摘し且つこれを非難してゐる。彼は遂に千八百四十八年といふ年を理解することなく、彼にとつてこの年は現實の世界との最後の絶縁、孤獨生活への隱退を意味したに過ぎない。さて進展の過程にあつたプロレタリア的基礎經驗はフォイエルバッハの人間學と矛盾に陷り、ここにアントロポロギーの變革は必然的に行はれたのであつたが、この變革を把握したのは實にマルクスであつたのである。


 マルクス學に於けるアントロポロギーは無産者的基礎經驗の上に立つてゐる。先づ無産者は世界に對して絶えず實踐的にはたらきかけるが故に、彼等はかく交渉することに於て自己の本質を實踐として把握する。しかるに如何なる實踐も感性なくしては行はれないから、彼等はつねに實踐的に交渉することに於て人間の本質を感性として解釋するに到る。フォイエルバッハも抽象的思惟をもつて滿足せず、直觀を欲したけれども、彼は感性を實踐的活動として理解してゐない。彼は『キリスト教の本質』に於てただ觀想的受動的態度のみを純粹に人間的なものと見、これに反して實踐的活動は凡てただその汚らはしいユダヤ的現象形態に於てのみ捉へられて輕蔑され、それの本質的な根源的な意義に於て理解されなかつたのである。彼にとつては、「感性的、即ち受動的、受容的」(sinnlich, d. i. leidend, receptiv)の謂であつたが、マルクスは無産者的基礎經驗からして感性をもつて「實踐的な、人間的―感性的な活動」(die praktische, menschlichsinnliche T※(ダイエレシス付きA小文字)tigkeit)として解さねばならなかつたし、そしてまた實に斯く解したのである**
* Vorrede zur zweiten Auflage vom ”Wesen des Christenthums“ (※(ローマ数字7、1-13-27), 283.).
** Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 5.
 しかるに實踐はそれの對象の存在を必然的に前提する。若しはたらきかくべき何物も存在しないか、或はこのものが單に我々の觀念的影像に過ぎないかであるならば、感性的活動としての實踐即ち勞働はあり得ないであらう。人間が勞働するにあたつては、彼がそれをもつて、それに對して勞働すべき何物かが既にそこになければならず、しかもこのものは彼から獨立なる「他のもの」としてあらねばならぬ。かかるものを我々は一般に自然と呼んでゐる。自然とは人間にとつて既にそこにある他のものである。――ギリシア人は自然的存在を[#有気記号付きυ、U+1F51、31-4]ποε※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、31-4]μενον(既にそこに横はつてゐるもの)と考へた。――然しながら若しこの他のものがどこまでも他のものであるならばまた勞働は存在し得ない。勞働の概念は物にはたらきかけてそれを變化することを意味するからである。しかるに自然は人間にはたらきかけられることによつて謂はば人間化される。いま大工が机を作るとするならば、彼は彼の前に横はつてゐる木材を加工せねばならぬが、この加工の仕方は人間の存在の規定によつて限定されるばかりでなく、作らるべき机はまた人間の存在の規定によつて限定されるのであつて、例へばそれの高さは人間の身長によつて規定されるであらう。更にまた勞働に於ては人間そのものもひとつの自然力として、彼の身體に屬する自然力、手や足をはたらかせる。かくて勞働の過程に於て自然と人間との對立物は同一性に持ち來たされる。「人間はこの運動によつて彼の外部の自然に作用し、それを變化すると共に、彼は同時に彼みづからの性質を變化する。」何故かならば、彼は彼自身の中に眠つてゐる能力を喚び起すのでなければ自然を變化し得ないばかりでなく、彼はその能力を對象的に規定するのでなけれはこの變化を有效に成就し得ない。大工は彼の可能なる力を現實的にすることによつて、そしてその際この力を彼のはたらきかける對象に即して規定することによつてのみ仕事をすることが出來るのであり、かくして彼は仕事をすることに於て自己を變化するのである。このやうにして自然と人間とは勞働の過程にあつて辯證法的統一に於て運動するが故に、我々はこれをひとつの自己變化(Selbstver※(ダイエレシス付きA小文字)nderung)として辯證法的に合理的に把握することが出來る。そこでマルクスは云つた、「環境と人間的活動との變化の合致、あるひは自己變化は、ただ革命的實踐としてのみ把握され且つ合理的に理解され得る**。」我々はここに唯物辯證法の最も原始的なる根源的なる形態を見出すことが出來る。唯物史觀は、時として全く誤解されてゐるやうに、人間は環境の産物である、などといふが如き俗流の理論を主張するものではない。このやうな思想に對してマルクスは、「環境と教育との變化に關する唯物論的學説は、環境が人間によつて變化されそして教育者自身が教育されねばならぬといふことを忘れてゐる。だから、それは社會を二つの部分――その一つはその他を超越する――に分たねばならぬ」、と云つて断然と反對してゐる。
* Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21),140.
** Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 3.
 自然と人間との辯證法はひとつの最も重要なる思想、即ち存在の歴史性の認識に我々を導くであらう。フォイエルバッハは存在の歴史性については何事も理解することがなかつた。彼は彼をめぐる感性的なる世界が永遠の昔から全く直接に輿へられた、つねに同一なる事物であるかの如く思惟する。けれども最も單純な感性的對象、例へば櫻樹でさへ、ただ社會的發展、産業と商業的交通によつてのみ彼に與へられたのである、櫻樹はやうやく數世紀前に商業によつて我々の地帶に移植されたのであり、そしてそれ故にそれは一定の時代に於ける一定の社會のかかる行動によつて初めてフォイエルバッハの感性に輿へられたのである、と云つてマルクスは彼に反對してゐる。靜觀的なる、受容的なる感性をもつて存在と交渉する者にとつては、直接的なる、フォイエルバッハの謂ふ「感性的確實性」(die sinnliche Gewissheit)の認識にとどまり得るかも知れないが、實踐的なる、それ自身過程的なる活動に於て存在と絶えず交渉する者にとつては、存在はそれをそれのγ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)νεσι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)に於て、過程に於て、したがつて歴史に於て把捉することによつて、初めて現實的に理解され得るのである。我々にはもはや單純なる自然は存在しない。自然もまた歴史的に限定されてゐる。ところで自然と人間とは辯證法的に相交渉するが故に、自然の歴史はまた人間の歴史と相互に制約し、かくてそれらは一つの辯證法的なる、歴史的なる過程に於て發展する。「我々はただ一の唯一なる科學、歴史の科學を知るのみである。」唯物史觀はそれ故に自然に絶對的に對立するものとしての歴史に關する理論ではなく、全世界の運動過程に就ての一の全體的なる世界觀である。それは「一切の世界の進行を自己運動において、自發的發展において、生ける實在において把握する**。」
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 237.
** 河上博士譯、『レーニンの辯證法』、一〇七頁。
 自然は人間の感性的實踐的なる交渉に於てそれの歴史性に於て把握された。この交渉の過程に於て人間の存在そのものの歴史性の理解されぬ理由はあり得ないであらう。けだし人間は自然と辯證法的統一に於てあるからである。單に思惟し觀照するのみなる人間にとつては、自己の本質を孤獨なる存在として解釋することもまた可能であるであらう。然しながら、實踐的なる人間は、彼等の生産に於てただに自然にはたらきかけるのみならず、また人間相互の間にも作用し合ふ。彼等は一定の樣式に於て共同に作用しまた彼等の活動を相互に交換することによつてのみ生産する。生産するためには彼等は相互に一定の關係に入り込み、そしてこの社會的關係に於てのみ彼等の自然へのはたらきかけは生じ、生産は生ずるのである。實踐的である限り人間は必然的に社會的であり、そして、「一切の社會的生活は本質上實踐的である。」しかるにフォイエルバッハは人間を彼等の與へられた社會的聯關に於て、彼等の現實の生活關係に於て捉へることなく、ただ「人間」といふ抽象體として理解した。彼は人間を歴史的社會的生活過程から抽象して、恰も永遠に變らぬ人間自體があり、そして彼の本質が常住なる宗教的感情にあるかの如く考へた。この人間の根本的規定は意識であり、そして意識の本性はそれが自己の本質を種(Gattung)に於て對象とするにある。ところで種とは「内的な、暗默な、多數の個人を自然的に結合する普遍性」に外ならないではないか、とマルクスは云ふ。人間の本質が種の意識にあるとフォイエルバッハが考へてゐる限り、彼はいまだ「現實的なる、歴史的なる人間」を知らないのである。「フォイエルバッハの新しい宗教の核心をなしてゐた抽象人の崇拜は、現實の人間と彼等の歴史的發展に關する學問(die Wissenschaft von den wirklichen Menschen und ihrer geschichtlichen Entwicklung)によつて代へられねばならない**。」彼のアントロポロギーは必然的に變革さるべき理由があるであらう。固よりフォイエルバッハも人間と人間との關係を全く無視したのではない。「人間の本質はただ共同社會のうちに、人間と人間との統一のうちに含まれてゐる」、と彼は云つてゐる***。けれども彼は人間と人間との統一を、人類の存在する限り決して變ることなきものとして觀念的に把握された性愛や友情やに於てのみ見出したに過ぎない。フォイエルバッハの抽象人から現實の生きた人間に達するためには、人間を「歴史に於て行動する」ものとして考察せねばならぬ。
* Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 8.
** Engels, Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen Philosophie (Hrsg. v. Duncker), S. 48.
*** Grunds※(ダイエレシス付きA小文字)tze der Philosophie der Zukunft, ※(ローマ数字2、1-13-22), 318.
 神學的觀念を批判することによつてそれ自身ひとつのイデオロギーにまで發展したフォイエルバッハの人間學は、新興の無産者的基礎經驗を把握するマルクスの人間學によつて、必然的に押し退けられた。マルクスの人間學はフォイエルバッハのそれと對質せねばならなかつた歴史的状況に於てまたそれ自身ひとつのイデオロギーにまで展開された。それは無産者的基礎經驗の中から直接に生れる第一次のロゴスとしてのアントロポロギーの自覺された、その當時の學問的意識に於て客觀的公共性の中へ持ち出された形態に外ならないのである。それ故に我々はマルクス、殊にエンゲルスのアントロポロギーが、一方では消極的に、フォイエルバッハのそれによつて限定されてゐると共に、他方では積極的に、その當時支配的な學問的意識であつた自然科學によつて特に著しく色づけられてゐることを怪しむべきではないのである。マルクスはフォイエルバッハの人間學を、後者がヘーゲルの思辨哲學を抽象的であると考へたやうに、抽象的であるとして排斥した。けだし如何なるイデオロギーもそれ自身として絶對的に抽象的であるのではない。ヘーゲルの哲學と雖もそれの誕生の地盤であるロマンティクを支配した汎神論的なる基礎經驗にとつては具體的であり現實的であつたのである。ひとつのイデオロギーが抽象的であるか否かは、それが現實の基礎經驗に對する關係に於て決定される。現代に支配的なる無産者的基礎經驗に對しては、それとの必然的なる聯關なき凡ての思想は、現代の意識にとつて抽象的である外なく、そして現代の意識のみが、他の箇所で明かにされるやうに、我々には唯一の現實的なる意識である。さてマルクスの人間學に於て最も重要なのは、繰り返して記せば、一は人間の實踐的感性的なる活動或ひは勞働の根源性の思想であり、他は存在の原理的なる歴史性の思想である。然るに一般にアントロポロギーの構造はイデオロギーの構造を限定するから、これら二つのものこそまさに唯物史觀の構造を限定する最も根源的な契機である。かくて唯物史觀は無産者的基礎經驗の上に、それの規定する人間學の限定の上に、成立してゐると考へられる。そしてこの學問の階級性の理論もまた私が第一節に述べた基礎經驗とアントロポロギーとイデオロギーの相互制約の原理から最も根本的に把握され得るであらう。
* 『ドイッチェ・イデオロギー』の中で、マルクスは歴史に於て行動する人間を次の如く規定した。先づ最初に、歴史を作り得るためには人間は生活することが出來ねばならぬ。ところで生活には何よりも飮食、住居、衣服、なほその他若干のものが屬する。第一の歴史的行爲はそれ故に、これらの欲望を滿足させるための手段を作ること、即ち物質的生活そのものの生産である。第二に、滿足させられた最初の欲望そのもの、滿足させる行爲、そして既に獲得された、滿足させるための器具は、更に新しい欲望に導く。そしてこの新しい欲望の生産は第一の歴史的行爲である。そもそも最初から歴史的發展の中へ入り込むところの第三の關係は、彼等自身の生活を日々新たにする人間が、他の人間を作り、繁殖し始めるといふことである。夫婦、親子の間の關係、即ち家族がそれである。――初めには唯一の社會的關係である家族は、後には、増大した欲望が新しい社會的關係を、そして増大した人間の數が新しい欲望を作るとき、從屬的な[#「從屬的な」は底本では「従屬的な」]關係となる。――以上のものは人間の社會的活動の三つの方面若くは契機である。しかるにそれらの活動は凡て社會的であるが故に言葉によつて行はれる。言葉は他の人間との交通の欲望と必要とから生れる。言葉は意識と共に古く、むしろ言葉こそ實踐的なる、他の人間に對しても存在し、したがつてまた私自身に對しても存在する、現實的なる意識そのものである。意識は根源的なる歴史的關係の第四の契機である。
 私は最初に基礎經驗はロゴスに於て表現されることによつて安定を獲得すると云つた。若しさうであるならば、無産者的基礎經驗は唯物史觀に於て把握されることによつて果して安定におかれてゐるであらうか。このことはこの基礎經驗の特殊性によつて絶對に不可能である。何故ならプロレタリア的基礎經驗はそれの特殊性に於て根源的に實踐的であるからである。それにとつては意識を變革するといふことが最大の關心であり得ず、却て存在そのものを變革することが第一の關心事なのである。從てそこでは、マルクスが云つたやうに、「理論は物質的なる力となる。」しかして他方では、斯くの如き特性を有する基礎經驗の充全なる表現であるためには、唯物史觀はまたそれ自身實踐を止揚することなくしては理論としても成立し得ないのである。それは意識の變革の範圍内にとどまることが出來ない。フォイエルバッハはイデオロギーの變革によつて直ちに眞に人間的なる文化が創造され得るかのやうに思惟する。然しながらマルクスは云ふ、「意識を攣革しようといふこの要求は、結局、現に存在するものを他の仕方で解釋しようといふ、即ちそれを他の解釋によつて承認しようといふ要求に外ならない。」「哲學者は世界を種々に解釋しただけだ、世界を變革することが問題なのだ。」マルクス學はひとつの革命的なる理論である。そのことはこの理論が根源的に實踐的なる、現存の事物を革命的に變化することに於て自己の本質を見出すところの無産者的基礎經驗によつて限定されてゐることによつて必然的であるであらう。「一定の時代に於ける革命的なる思想の存在は既に革命的なる階級の存在を前提する。」そして他方から考へるならば、無産者的基礎經驗はそれの發展形式であるロゴス、唯物史觀を戰ひとることによつてのみ、それを指導とし、指針とすることによつてのみ、自己みづからを發展せしめることが出來る。しかるにイデオロギーがひとつの物質的なる力となり得るためには、このイデオロギーが現實の基礎經驗を的確に把握してゐると共に、このイデオロギーを指導原理とすべき現實の基礎經驗がまたそれに對して必要なだけ十分に發展してゐるのでなけれはならぬ。イデオロギーが目的意識的に經驗に對してはたらき得るためには、基礎經驗が自然成長的にそのイデオロギーへの發展の過程にあるのでなければならぬ。基礎經驗はつねに自然成長的に自己を表現すべきロゴスを要求する、けれどロゴスは基礎經驗に對しては明かに「他のもの」である。基礎經驗は自己を發展せしめるためにイデオロギー即ち「他のもの」を必要とするのであるが、この「他のもの」はしかしそれ自身現實の基礎經驗に於て具體的な地盤をもつてゐるのでなければならぬ。基礎經驗は自己から出て、「他のもの」に移り、しかもこの「他のもの」が自己の把握であることによつて、「他のもの」に移ることが自己に還ることとなる。レーニンが好んで用ゐた自然成長性と目的意識性との兩概念の關係はこのやうに辯證法的に把握さるべきであらう。そして基礎經驗とイデオロギーとの辯證法的統一の要求は、經驗の現實の段階の分析研究をつねに要求せずにはゐないであらう。かくてイデオロギーは、この辯證法的統一の故に、經驗を變化し發展させると共に自己を變化し發展させずにはゐられない。經驗の發展とイデオロギーの發展とは相互に制約する。これイデオロギーの實現の過程に於て所謂方向轉換が要求される所以である。さて、我々の研究は、マルクスが、「哲學はプロレタリアートを止揚することなくしては實現され得ないし、プロレタリアートは哲學を實現することなくしては自己を止揚し得ない」、と云つた言葉に多少の解明を與へ得たであらう**
――(一九二七・五)――
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 266. アントロポロギーのマルクス的形態を論ずるに當つて、階級の理論は決して見逃すべからざる、重要なものであるが、私はそれについての研究を後の機會に讓ることにした。
** Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie (Nachlass, ※(ローマ数字1、1-13-21), S, 398.).
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マルクス主義と唯物論



 言葉は魔術的なはたらきをする。或る人々にとつては、唯物論の名は、既に最初から何かいかがはしいもの、汚らはしいものを暗示する。彼等はその名を聞くとき、肩をゆすぶり、十字を切つて去り、それを眞面目に相手にすることをさへ、何か爲すまじき卑しきことであると考へる。それにも拘らず自己を唯物論として憚るところなく主張するマルクス主義は、もはや誰も見逃すことの出來ぬ現實の勢力である。一般に現實を囘避することによつて思想の高貴さを示さうとする者は、ただ單に然か自己を粧ふのみであり、却てたまたま彼の思索の怯懦と怠慢とを暴露するに外ならない。嘗て哲學はフランス革命に對する感激によつて著しい進展を遂げたやうに、今はまたそれは何等かの仕方でマルクス主義と交ることによつて、恐らく現在の無生産的なる状態を脱し得るであらう。マルクス主義はそれ自身多岐多樣なる意味に於て語られる唯物論の長い歴史の列に屬してゐる。人々はこれに特に近代的唯物論の名を負はせてゐる。このとき冠せられた近代的とは正確には何を謂ふのであるか。マルクス主義はその如何なる構成の故に、そもそも唯物論として自己を規定するのであらうか。
 この問を正しく捉へようとする者は、唯物論の名と共に不幸にも最も屡聯想されてゐるところの、一は理論的見解に關する、他は實踐的態度に關する、唯物論のかの二つの形態を遠くに追ひ退けておかねばならない。マルクス主義は第一に生理學的唯物論ではない。それは意識の現象が腦髓の物質的構造そのものから導き出され、若くは思想が、恰も尿が腎臓から排泄されるやうに、人間の腦髓から分泌されるといふが如きことを説くものではない。斯くの如き唯物論は、それをマルクスが形而上學的と銘打つて排斥した當のものである。ところでまたマルクス主義は第二に倫理學的唯物論でもない。それは人間の一切の行爲を物質的欲望の滿足と個人的幸福の追求とに從屬せしめようとする主張ではないのである。マルクスはこのやうな快樂主義的、功利主義的思想に對して手酷しい攻撃を加へてをり、それについてはつねに侮蔑と憎惡とをもつて語つてゐる。
 十八世紀風の、粗雜なる、粗野なる唯物論が退けられた後に、我々は先づ如何にして、マルクス主義的唯物論のために、現實の地盤を獲得すべきであらうか。我々は既に、唯物史觀の構造を規定する人間學が、プロレタリア的基礎經驗の上に立つてゐることを論述した。したがつて近代的唯物論がまた實に近代的無産者的基礎經驗のうちにその理論の具體的なる根源を有するといふことを明白ならしめることが、我々の現在の課題でなければならぬであらう。私はこの課せられた問題を十分に解決し得ることを期待する。
 私の意味する基礎經驗とは現實の存在の構造の全體である。現實の存在はつねに歴史的必然的に限定された一定の構造的聯關に於て組織されてゐる。存在の組織――アリストテレスの謂ふτ※(鋭アクセント付きα、1-11-39)ξι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)――は、最も原始的には、それの全體を構成する契機であるところの、人間の存在と自然の存在との動的雙關的統一のうちに横はつてゐる。それが現實性に於て在る限り、人間は自然に於ける存在即ち生であり、そして自然はこの生に關係して限定されてゆく存在である。基礎經驗が我々にとつて構造づけられたまたは組織づけられた存在、したがつてまさに現實の存在そのものを意味する以上、人々はこの概念によつて、何者かの意識若くは體驗が直接に表現されてゐると考へてはならない。私が無産者的基礎經驗といふとき、私は特に無産者の體驗する、或ひは無産者のみの體驗し得る意識を謂つてゐるのではない。却て私はそれによつて特殊なる構造ある現實の存在そのものを指してゐるのである。ひとは基礎經驗の名に於てなによりも存在的なるものを理解すべきであつて、決して意識的なるもの、從てまた觀念的なるものを理解すべきではないのである。むしろ私は意識的なるもの、觀念的なるものが一定の構造と組織とを有する――それ故にこそまさに存在は運動し、發展することが出來る、――存在の運動と發展の過程に於て初めて、現實的になるといふことを主張したいと思ふ。基礎經驗の「基礎」とは、このものが種々なる意識形態の根柢となつて、それを規定することを表はすのである。現實の存在そのものを特に「經驗」と稱するのは、さきにも記した如く、存在をそれ自體に於て完了したものと見做すところの、從てそれを特に運動に於て把握することなく、却て靜的なるものに固定する傾向を含むところの、素朴實在論から我々を出來る限り截然と區別するためである。かくして基礎經驗とは、相互に自己の存在性を規定しつつ發展する諸契機を有する、動的なる、全體的なる存在に外ならない。しかるに存在を組織づけ、構造づけるものは、根本的には人間の存在の交渉の仕方である。この交渉の仕方そのものは歴史的社會的に限定されてゐるのであつて、「無産者的」とはこのやうな交渉の仕方の謂はばひとつの歴史的類型であり、またそれによつて規定された現實的存在そのものの歴史的なる性格である。それ故に我々はそれを恐らく正當に存在の歴史的範疇のひとつに算へ得るであらう。
 さて無産者的基礎經驗の構造を根源的に規定するものは勞働である。無産者は感性的實踐として特性づけられる交渉の仕方をもつて存在と交渉する。このとき、彼等がそれをもつて、またそれと共に働くところの物は、若し勞働といふことがその本質を維持すべきであるならば、彼等の心の映像といふが如き觀念的なるものであることが出來ない。實踐はそれの存在に於てそれの對象が實踐する者とは異る他の獨立なる存在であることを本質的に必然的に要求する。さうであるから、最も徹底した觀念論者であつたフィヒテにあつてさへ、自我は自己の「實踐的なる」本質を發揮するために、自己の克服すべき「抵抗」として、自我ならぬものを要請し、かくして必然的に非我を定立するに到る、と考へられた。むしろフィヒテは自我の實踐的なる根本規定から感覺、したがつて感性的なる世界を演繹した。人間が實踐的に交渉する限り、彼のはたらきかける存在がそれの存在に於て空無なる影であることは不可能である。もとよりフィヒテに於ては、實踐はどこまでも叡智的活動であつたから、自我がみづからの抵抗として定立する非我もなほかつ觀念的なる性格を失ふことがない、と彼は思惟することが出來たのであつた。これに反して、我々にとつて實踐は、勞働として、それ自身人間的感性的活動であるが故に、斯くの如き交渉の仕方に於てその存在性を顯はにする存在は、最後まで獨立する、感性的にして物質的なる存在のほかの何物でもあり得ない。勞働はあらゆる觀念論を不可能にする。フォイエルバッハは云ふ、「觀念論の根本缺陷はまさに、それが世界の客觀性または主觀性に關する、實在性または非實在性に關する問題を、單に理論的な立場から提出しそして解決するところにある。けれど實際には世界は、それが意志の、存在に對する、また所有に對する意志の客體であるの故をもつてのみ、もともと、はじめて、悟性の客體なのである。」心の外に世界が實在するか否か、そしてこの世界が感性的物質的であるか否か、の思辨的なる問題は、勞働に於て存在と交渉する者にとつては、問題となることさへ出來ぬ、ひとつの原始的なる事實に於て解決されてある事柄である。
* Feuerbach, Ueber Spiritualismus und Materialismus, besonders in Beziehung auf die Willensfreiheit, ※(ローマ数字10、1-13-30), 216.
 ところで勞働に於て自然と構造的聯關に立つ者として人間はまた彼自身感性的存在でなければならぬ。彼は彼の物質的な力をもつて絶えず自然にはたらきかけ、斯く交渉することにおいて直接に彼は自己の存在を感性的として把握する。即ち勞働は自然を感性として、そして人間をまたかかるものとして構造づける。この場合ひとは感性を抽象的に理解してはならない。それは感覺そのもの若くは純粹感覺といふが如きものを意味するのでない。却て感性とは存在の「存在の仕方」の概念である。それは魂または意識そのものの作用を謂ふのではなく、寧ろこの現實的なる人間の「存在」――「私は魂でなく、却て人間である」、とブルタークの失はれた書の斷片の中で既にひとりのギリシアの哲學者が云つてゐる、――がその存在の現實性に於て存在するひとつの特殊なる仕方を示すのである。人間は言ふまでもなく精神物理的統一體である。この存在を感性的として規定するとき、それは感覺主義的觀念論の立場を採るものでは固よりないが、然しながらまたそれは精神から絶對に分離された物質を説く機械的唯物論の立場に與するものでも斷じてない。「眞理は唯物論でも觀念論でもなく、生理學でも心理學でもない。眞理はただアントロポロギー(人間學)である」、とフォイエルバッハは云つてゐる。彼は抽象的な觀念論や唯物論に反對して、具體的なる、人間學的なる立場を支持する。單に靈魂が考へたり、感じたりするのでないと同じく、また單に腦髓が考へたり、感じたりするのでない。意識とは却て全體的な人間的存在の具體的なる存在の仕方に外ならない。マルクスが「意識(das Bewusstsein)とは意識された存在(das bewusste Sein)以外の何物でも決してあり得ない」、と云つたのはこの意味に解されねばならぬであらう。總じて精神と物質とを絶對的に對立せしめ、その一を排してその他を樹てる思想は、いづれも抽象的思惟の産物に過ぎぬ。そこでまたフォイエルバッハは記してゐる、「人間を身體と精神に、感性的本質と非感性的本質とに分離することは、ただひとつの理論的なる分離である。實踐に於て、生に於て、我々はこの分離を否定する**。」實踐に於て生きるマルキシストは觀念論者であり得ないと共に、抽象的な意味に於ける唯物論の把持者であることも出來ないであらう。かくて唯物論と觀念論の問題は、物質から意識を「導出し」、若くは思惟から存在を「演繹する」といふが如き、それ自身既に形而上學的なる見地から放たれて、他の地盤に移されねばならぬ。マルクス主義は如何にして、具體性を失ふことなしに然も唯物論であり得るであらうか。答は既に與へられてゐる。存在は人間がそれと交渉する仕方に應じてその存在性を規定するのであるが、人間はまた斯くの如く交渉する仕方に即して直接に自己の本質を把握する。それ故に勞働即ち感性的物質的なる實踐に於て存在と交渉するところの者は、自己の存在の存在性あるひは存在の仕方を感性的物質的として理解せずにはゐられないであらう。マルクス主義の唯物論に謂ふ「物」とはかくして最初には人間の自己解釋の概念であり、我々の用語が許されるならば、一の解釋學的概念であつて、純粹なる物質そのものを意味すべきではないのである。勞働こそ實に具體的なる唯物論を構成する根源である。
* Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele etc., ※(ローマ数字2、1-13-22), 340.
** Op. cit., ※(ローマ数字2、1-13-22), 345.
 勞働はその一層具體的なる規定に於て生産である。しかるに近代的なる生産はその樣式に於て特に社會的である。マルクスは『經濟學批判』の序説の首めに云つてゐる、「社會に於て生産しつつある人々が――從て人々の社會的に規定された生産が言ふまでもなく出發點である。スミスやリカアドがそれをもつて始めるところの、個々の孤立的な獵夫や漁夫は、十八世紀の想像力なき空想に屬する。」我々の研究は現實には存在せぬ一個の抽象體であるロビンソンをもつて始むべきでなく、社會に於て生産しつつある人間を出發點とすべきである。人間は彼等相互に一定の關係に入り込むことなくしては生産し得ない。彼等は彼等の活動を相互に交換してのみ生産する。社會的である限り、私はいつまでも單に私としてとどまることが出來ない。その活動に於て相互の間に作用し合ふ限り、我は汝となり、汝は我となる。私は私に對しては我であり、同時に他の人に對しては汝である。私は主觀であると共に客觀である。それ故にフォイエルバッハの次の言葉は正しい、「現實的な我はただそれに汝が對立するところの我であり、そしてこの者自身は他の我に對しては汝であり、客觀である。しかるに觀念的な我にとつては、客觀一般が存在しないやうに、如何なる汝もまた存在しない。」我と汝との統一として人間の現實性は初めて成立する。人間はひとつの綜合的概念である。「私はただ主觀―客觀(Subjekt-Objekt)として在り、思惟し、否、感覺する**。」然しながらこのとき、主客の綜合、若くは統一(Einheit)と謂ふのは、兩者の同一(Identit※(ダイエレシス付きA小文字)t)と直接には等しくないのである。ロマンティクの所謂同一哲學諸體系(Identit※(ダイエレシス付きA小文字)tssysteme)は主觀と客觀との絶對的な同一性を主張した。これに反して、我々にとつては我と汝、主觀と客觀はどこまでも互に相異る他の存在である、――若しさうでないならば相互の間の實踐的交渉は不可能であるであらう、――そして恰もその理由によつて人間は、社會的存在として、主客の綜合である。私は、私の存在の現實性の最初にして最後の根據から、本質的に私を私以外の他の存在に關係させる存在であり、この關係なくしては在り得ない。このやうにして各の人間の存在が主觀・客觀であり、そしてその意味に於て獨立的であるならば、そこにはもはや、あらゆる客觀を生産するものとしての、若くは支持するものとしての觀念的な絶對自我、または純粹意識は、何處にも存在すべき餘地を見出し得ないであらう。社會的生産はあらゆる種類の絶對的觀念論を不可能にする。
* Feuerbach, Ueber Spiritualismus und Materialismus etc., ※(ローマ数字10、1-13-30), 214.
** Ebd., 215.


 人間が社會的に生産することに於て相交渉することによつて、ここにひとつの著しい現象が生れる。即ち意識の埋沒がそれである。從來の唯物論が處理するに最も苦しんだところの、したがつてそれらの凡てに對してあらゆる機會に於て試金石であつたところの「意識の問題」は、この現象を根本的に把握することによつてのみ無理なしに、具體的に解決され得る、と私は信ずる。
 現代の認識論の中心問題は意識である。意識がむしろ今の哲學にとつて唯一の、あるひは凡ての研究對象を形造つてゐる。それは如何なる哲學も必ず取扱はねばならぬ、最初にして最後の問題であり、それ故に自明なる、永遠なる問題である、と考へられてゐる。しかしながら、我々にとつて自明なるものは多くの場合我々にとつて惡しき因縁であるものであるに過ぎず、永遠なるものは時として我々にとつて宿命であるものを意味する。我々は斯くの如きものを支配し得る位置に身をおくのでなければ、我々の學問、また我々の生を發展させることが出來ない。現代の哲學は意識の問題に對してそれを自由になし得る優越なる立場を發見し得るのでないならば、恐らく身動きのならぬ、もはや前進することの出來ぬ状態に固着されてしまふであらう。この状態を脱却するためには、哲學は我々が歴史的破壞的方法と名づけようと欲する特殊なる方法に從つて、自己の道を開拓してゆかねばならぬ。けだし一切の存在は歴史的であり、歴史的なる存在は凡て我々を解放することから我々を壓迫することにまで必然的に轉化する矛盾の存在である。この矛盾を歴史的必然性の根源に於て把握することが我々の要求する方法である
* 我々の學問にとつて最も重要な意義を有するこの方法については他の場合に詳論されるであらう。
 あらゆる存在は發見された存在である。如何なる存在も元々から單純に在るのでなく、我々が歴史に於てそれに出會ひそれを見出して在るのである。意識が哲學の中心に現はれて來たには歴史がある。外的社會的生活の一切を排して個人の内面的生活に唯一の、最高の價値をおくキリスト教の宗教的態度に於て意識は初めてその存在に於て捉へられたのである。宗教的關心の要求に從つて、内的世界の實在性と獨自性とを明かにし、意識の事實の無限なる豐富さを顯はにしたのはアウグスティヌスであつた。かくして發見され闡明された意識は、デカルトに至つて、知識、殊に數學、力學等の認識の確實性の基礎付に對する關心によつて著しい變容に出會つた。アウグスティヌスにあつては、意識はそれが精神生活にとつて何物かを意味する限りに於て解明されたに反して、デカルトの意識の解釋は絶えず學的認識に對する支配的なる關心によつて導かれてゐる。カントは更に、彼に於てはまた數學的自然科學の普遍妥當性の權利付がその中心問題であつたのであるが、この關心からそれまでは「存在の領域」であつたところの意識を意識一般の概念のもとに「主觀」として解釋し直した。それと共に主觀はもはや存在の一つであることをやめて、むしろあらゆる存在を向ふに※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)はしてそれを統括するといふ普遍的意味を負ふものとなつた。最近に於てフッサールの現象學は、――彼にとつても數學や形式論理學が認識の理念性のモデルである、――デカルトの物心二元論を排棄しつつ、しかも意識を、アウグスティヌスの場合ではその最も根本的なる規定は神と關係させられて恐怖や欲望として顯はにされたところの意識の存在を、デカルトの Cogito ergo sum の方向に徹底して解釋すると共に、このものに凡ての存在がそれに還元されるといふ普遍的意味を擔はせてゐる。このやうにして、もともと宗教的内面性とのつながりに於て見出され、その意味に於てその存在を規定された意識は、その後次第にその根源を離れて、純粹なる理論、それも主として形式論理學、數學、自然科學等の認識の基礎付をすべき任務を負はされて、遂にその視點からのみ根本的には解釋され闡明されることになつた**。この轉釋(Umdeutung)の過程に於て意識は次第に普遍的意味を獲得した。けれどこの普遍的意味は、マルクス的用語に於ける「妖怪的對象性」(gespenstige Gegenst※(ダイエレシス付きA小文字)ndlichkeit)のうちに横はつてゐるに過ぎない。嘗ては人間の生を解放する役目をもつてゐた意識は、今はそれの固定された妖怪的對象性によつて我々を身動きもならず支配する。意識は今や矛盾の存在である。マルクス主義的唯物論はこの矛盾の解決でなければならぬ。
* デカルトとアウグスティヌスとの對立を、デカルトと、彼と同時代に生きてゐてアウグスティヌスの思想につながつてゐたパスカルとの對照に於て眺めることは、我々にとつて教訓多きことであるであらう(拙著『パスカルに於ける人間の研究』參照)。
** 現代の心理學もまた主知的傾向から自由でない。そこでは知覺、表象、注意、思惟などが主なる問題を形成してゐる。これに反して中世の哲學的心理學に於ては如何であるか。情緒若くは情念(passiones)はそれの最も好んで取扱つた對象であつた。近世の初めに當つても、デカルトやスピノザは、その主知主義的傾向にも拘らず、また情念について詳細な、卓越した研究を遺してゐる。
 我々が足をギリシアの思想世界の中に踏み入れるとき、そこには全く新しい展望が開ける。我々はもはや所謂主觀の概念に出會ふことがない。今日主觀と呼ぶ代りにギリシア人は我々[#鋭アクセント付きη、U+1F75、55-12]με※[#曲アクセント付きι、U+1FD6、55-12]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57))と云つた。主觀が我々であると同時に、主觀の内容としての意識に對して、我々は言葉λ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、55-13]γο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57))として内容を規定された。ギリシア人にとつては人間は本質的に社會的であり、孤獨なる人間といふが如きはそれ自身矛盾した概念であつた。從て我は最初から我々を意味する。そして社會的である限り、意識はつねにただロゴスによつて代表され、むしろロゴスに於てのみ存在することが出來る。そこで彼等は人間を二重の規定に於て、即ち、社會的なる生存(ζ※[#曲アクセントと下書きのι付きω、U+1FF7、56-3]ον πολικ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、56-3]ν)として、言葉ある生存(ζ※[#曲アクセントと下書きのι付きω、U+1FF7、56-4]ον λογιστικ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、56-4]ν)として、最も根本的に規定し得ると考へたのである。社會的に生きる限り、個人の意識は公共的なる存在である言葉の中に埋沒する。個人は自己の意識を言葉をもつて表現することによつて、それの主觀性を言葉の中に沒入せしめて、それを公共的ならしめることなしには、社會的に交渉し得ない。言葉こそ社會に於て唯一の現實的なる意識である。人間を歴史的社會的存在として考察したマルクスは云つてゐる、「言葉は意識と共に古い、――言葉は實踐的なる、他の人間に對しても存在する、從てまた私自身にとつても存在する、現實的なる意識である。そして言葉は、意識と同じく、他の人間との交通の欲望と必要とから初めて、生ずる。」ここでは運動する空氣の層、音、簡單に言へば言葉の形式に於て現はれる物質と結合した精神が意識と考へられたのである。物質を呪ふ「純粹なる」意識は實踐的であることが出來ない。我々はフォイエルバッハに於ても同じやうな思想を見出すことが出來る、「人間は人間に話といふ器官を通じて彼の最も内面的な思想、感情、欲望を自ら進んで傳達する。ところでこの感性的に言表された本質から區別されて、魂、内面、本質そのものは一體何であるのか**。」
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21). Bd., S. 247.
** Feuerbach, Wider den Dualismus von Leib und Seele etc., ※(ローマ数字2、1-13-22), 343.
 それ故に私は進んで言葉が存在に及ぼすはたらきのうち最も注目すべきものに關して研究しよう。言葉はその具體性に於て社會的である。話すといふことは、或る人が、或る物について、或る人に對して話すといふ構造をもつてゐる。言葉のこの構造によつて、語られた物は、語る私のものでもなく、聽く彼のものでもなく、誰といふ特定の人のものでなく、我々の共同のものになる。このとき存在を所有する者は「我々」であり、「世間」であり、範疇的なる意味に於ける「ひと」(ドイツ語の”man“――フランス語の≪on≫)である。言葉の媒介を通じて初めて存在は十分なる意味で公共的となる。そして世界を相互ひに公共的に所有することによつてまた初めて社會は成立する。言葉が社會的であるといふのは、言葉によつて社會が存在するといふことである。アリストテレスも人間がロゴスをもつてゐることが彼の特に社會的なる存在である理由だと述べてゐる**。然るに存在が言葉によつて表現されて社會的となり、「ひと」といふ範疇に於て成立する世界へ這入つて來るとき、それはひとつの著しい性格を擔ふに到る。我々が存在の凡庸性もしくは中和性と名づけるものがそれである。私がいま机を買ひに行くとする。私は家具屋の主人に向つて「机をくれ」と云ふ。このとき彼は私をただちに理解して、若干の机を取り出して私に示すであらう。彼が私を理解し得るのは机が言葉に於て中和的にされてゐるからである。家具店よりの歸途私は電車に乘る。車の中には高位高官の人もあるであらう、場末の商人もあるであらう。また悲しみに充てる人もあり、喜びに溢れたる人もあるであらう。然しながらこの場合それらの人々の凡ては乘客といふ言葉に於て凡庸化され、むしろこの言葉の見地から經驗されるのである。そのとき二三の空席が車中に見出されるならば、私はそのいづれであるかを構はず私に與へられた席に腰を卸すであらう。それはそれらの空席が凡て空席として中和的にあるからである。存在が斯くの如く中和性に於て在ることによつて、我々の特に社會的なる實踐は可能になる。机が若し中和的に存在し得ないならば、商人は机を賣り、私は机を買ふことは不可能であるであらう。言葉はその根源性に於て理論的でなく却て實踐的である。存在の凡庸性の現象はこのことを何よりも明かにする。言葉が本來社會的實踐的であるといふことを理解するのは、ロゴスと共に先づ第一に論理或ひは理論を考へることに慣れてゐる今の人々にとつて極めて大切である。そのことと關係して、存在の中和性が恰も概念の普遍性に基くものの如く見做す普通に行はれてゐる誤解から、ひとは全く自由にならねばならぬ。私が家具屋と理解し合ふのは机といふ概念の普遍性に依るのである、と一般には思はれてゐる。然しながら、私が「机をくれ」と云ふとき、私は抽象的なる、即ち理論的に普遍的なる机を意味してゐるのではなく、却て私は一個の具體的なる、現實的なる机を買はうと欲してゐるのである。しかもそのとき机といふ言葉は私が商人の示す種々なる机を選擇し吟味した後買つて歸るところの全く特定の机をまさに最初から意味してゐるわけでもない。若しさうであるならば、何故に商人は一個の机の代りに數個の机を取り出し、そして何故に私は選擇と吟味を行ふか、は理解し難きことであらう。存在の中和性は概念の抽象性もしくは普遍性によつて成立するのでもなく、また反對にそれの特殊性もしくは個別性によつて基礎付けられてゐるのでもない。むしろそれは獨立なる、具體的なる、しかも夫々の存在を表現する。簡單に云へば、それは存在の Jeweiligkeit の謂である。現實のどれでもの存在が凡庸性といふことによつて意味される。アリストテレスの謂ふτ※[#重アクセント付きο、U+1F78、59-11] ※[#有気記号と鋭アクセント付きε、U+1F15、59-11]καστονとはかかる性格に於ける存在であつて、多くの場合考へられてゐるやうに個別的なるものの謂ではない。言葉が最初には實踐的性質のものであり、そしてこの實踐が本質的には社會的性質のものであるところに、存在の凡庸性はその根源をもつてゐる。このとき存在は勿論交渉的存在である。前段で述べた、「意識―主觀」の形式にあつてはそれに對するものは客觀または對象としての存在であるが、これに反して「言葉―我々」の形式に於てはそれに對するものは交渉的存在であるの外ない。それ故にギリシア人は物をπρ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、60-3]γμαといふ語で表はした。ところで存在の凡庸性に於て意識の埋沒の行はれることは固より明かであらう。我々が存在に對して懷く愛も憎みも、主觀的なるもの、内面的なるものの一切はそこでは埋沒してしまひ、從て存在の主觀的なる、内面的なる規定はそこでは隱され蔽はれてしまふ。けれどもかくして失はれるものに比して得られるものは一層大であるであらう。人間の社會的なる、實踐的なる規定はそこに於て發揮され、滿足させられることが出來るのである。然しながら、最も注意すべきことには、嘗てはこのやうに人間の社會性を發展させることに役立ち得た存在の凡庸性は、今ではそれの發展に對する桎梏にまで轉化した。かかる轉化が行はれるためには、現實の存在そのものの構造に於て既に重大な變化が成就されてゐなければならない。けだし近代に於ける存在の凡庸化の原理は商品である。商品が次第に支配的範疇となり、遂には普遍的範疇となるに及んで、存在の凡庸性は人間の社會性の發展を拘束し、妨害することにまで到達した。存在の凡庸性はかくして矛盾に陷り、それと共にロゴスもまた同じ矛盾に陷らねばならなかつた。我々はこのことについて考察を試みるであらう。
* アリストテレスは言葉が三つのものから結合されてゐることを既に述べてゐる。即ち第一には話す人([#有気記号付きο、U+1F41、61-2] λ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)γον)、第二にはそれについて彼が話すところのもの(περ※[#重アクセント付きι、U+1F76、61-2] ο※[#有気記号と曲アクセント付きυ、U+1F57、61-2] λ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)γει)、第三にはその人に對して彼が話すところの人(πρ※[#重アクセント付きο、U+1F78、61-3]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ※[#有気記号と鋭アクセント付きο、U+1F45、61-3]ν)。Aristoteles, Ars rhetorica, A. 3.
** Derselbe, Politica, A. 2.
 資本主義社會の全體を明かにしそれの根本的性格を示さうとした、マルクスの二つの大なる、成熟した著作が、共に商品の分析をもつて始められてゐるのは偶然でない。社會とは近代に於ては現實には商品生産社會である。人類の發展の現段階にあつては、如何なる問題も、それの究極の分析は必ず商品を指し示し、それの最後の謎はつねに商品の構造のうちに横はつてゐる。商品の問題は特殊科學としての經濟學の特殊問題ではなく、更にそれの中心問題であるばかりでなく、却て資本主義社會そのものの全體的なる問題である。商品の構造はこの社會に於けるあらゆる存在の對象性の形式の原型である。この社會的特性に應じて、存在の凡庸化の傾向は極限にまで推し擴げられる。そしてそれに應じて意識は我々の現實の生活から益埋沒し、かくて存在の物質化は愈支配的となる。そこでは人間の勞働、その最も内面的なるものも、一個の商品に過ぎない。最も物質的なる勞働と雖も固よりそれが精神的なる意味を有し得ることを妨げるものではない。或る時は他に仕へて他のために働くといふことが、一の道義的精神の現はれであることもあつたであらう。然るに商品が全體の社會的存在の普遍的範疇として支配する資本主義社會に於ては、單に人間相互の間の意識的なる關係のみならず、一切の社會的關係そのものが埋沒し、沒入してしまふ。商品の構造の本質は人間の間の關係が物質性の性格を得、かやうにしてこのものにそれ自身の嚴密な法則性に於て人間の間の關係の一切の痕跡を隱蔽するところの、かの妖怪的對象性を賦與するところに存在する。本來各の勞働は社會的全體的勞働の一部分であり、そしてそれらの凡ての部分は互に依存する。ところがそのことは、我々の社會に於ては、事實上は相互のために働くところの人間の間の社會的聯關は、我々の眼に隱されてしまふやうな形式に於て、行はれてゐるのである。資本主義の世界に於ては人間の間に於ける勞働結合は眼に見えぬものである。それは何に因つてであるか。事物がすべて商品の形態をとり、市場において運動し、そして人間が合理的に市場を支配するのでなく、却て市場がその價格をもつて人間を支配してゐるからである。人間の間の關係は斯くの如くにして商品の間に於ける關係として現はれる。これがまさにマルクスが「商品の魔術性」(Fetischcharakter der Ware)と呼んでその祕密を暴露したところのものの意義である。彼は次の如く記してゐる、「商品形態の全祕密はそれ故に單純に、それが人間に彼等自身の勞働の社會的性質を、勞働生産物そのものの對象的性質として、これらの物の社會的なる自然性質として反射し、かくしてまた總勞働に對する生産者の社會的關係を、彼等の外部に存在する對象の社會的關係として反射するところに横はつてゐる。この quid pro quo によつて、勞働生産物は商品、即ち感性的に超感性的なる、或は社會的なる物となる。……ここに人々の眼に物と物との關係の幻想的形態を採つて映ずるものは、唯人間自身の一定の社會的關係に外ならない。」商品の世界のこの魔術的性質は、商品を生産する勞働の特有なる社會的性質から生ずるのである。この根本的事實によつて、その背後に眞實には人間の相互的勞働が隱れてゐる事物の運動は自己の法則に從つて固有の運動をし、そして逆に人間を支配するに到る。それによつて、人間に彼自身の活動、彼自身の勞働が或る客觀的なるもの、彼から獨立なるもの、即ち商品として、彼を人間とは縁なき自身の法則性によつて支配するものとして對立することとなる。簡單に言へば、人間は人間みづからの作つたものによつて支配される。ここに於て「人間の自己疎外」(die menschliche Selbstentfremdung)は成就される。資本主義社會の特質は存在の凡庸化が斯くの如き自己疎外に於て普遍的に完成するところにある。
* Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21), 38-39.
 この社會にあつて無産者的存在の可能性は如何なるものであらうか。社會的存在の客觀的現實性は、それの直接性に於ては、無産者にとつても有産者にとつても「同一」である。けだし無産者は資本主義的社會秩序の必然的産物として現はれる。一切の生のかの物質化をそれ故に無産者は有産者と共同に分有する。然しながら兩階級がこの同一なる直接的現實性を、それの媒介性に於て、本來の客體的現實性にまで高める範疇は、兩階級の存在の存在の仕方の相異るに從つて、根本的に相異るものでなければならぬ。マルクスはこのことを次の如き明瞭な言葉をもつて言ひ現はしてゐる、「有産階級と無産者の階級とは同一の人間的自己疎外を現はす。しかし第一の階級はこの自己疎外に於て幸福さと確實さを感じ、この疎外を彼自身の力として知り、そしてそれに於て人間的存在の假象を所有する。第二のものはこの疎外に於て否定されたのを感じ、それに於て彼の無力と非人間的存在の現實性を見る。」彼は更に我々に語る、「一切の人間性からの、人間性の假象からさへもの抽象は、發達したプロレタリアートに於て實踐的に完成されてゐるが故に、プロレタリアートの生活條件のうちに、今の社會の凡ての生活條件はそれの最も非人間的頂點に於て總括されてゐるが故に、人間はプロレタリアートに於て自己自身を亡失してをり、然しながら同時にこの亡失の理論的意識を獲たのみならず、またもはや拒むべからざる、もはや掩ふべからざる、絶對的に命令するところの窮迫に――必然性の實踐的表現に――よつて直接的に、この非人間性に對する叛逆にまで餘儀なくされてゐるが故に、それ故にプロレタリアートは自己を解放し得るし、また解放せざるを得ぬ。」このやうにして、同じ直接的現實性に對して相反する二樣の實踐的態度が可能となる。有産者はこの社會の自己疎外に於て彼等の存在を肯定されてゐるから、その存在の必然性に從つて、この疎外の現象形態をそれの資本主義的地盤から、從てそれの歴史性から游離せしめて、それを獨立のものとし、そしてそれを――商品形態に於て構造づけられた人間の間の關係を――人間の關係の可能性一般の無時間的なる典型として永遠化する。斯くの如き永遠化は一應可能であるかの如く見える。何故なら今や商品の構造は社會的存在一般の對象性の原型として普遍的意味を擔ふことにまで到達したからである。そこで彼等はこの永遠化を實現するために所謂「永遠なる」イデオロギーを打ち建て、所謂「普遍妥當的なる」理論を築き上げる。眞實を言へば、このそれ自身抽象的なる永遠性若くは普遍妥當性は、商品に於ける人間の自己疎外の、人間性そのものからの抽象の反映に外ならない。資本主義の發展の過程に於て、商品の構造は絶えず一層深く、一層運命的に、一層構成的に人間の意識の中に這入つてゆく。あらゆるロゴスは商品の範疇の普遍的なる、決定的なる支配のもとに、人間から抽象された、從て現實の存在から游離された、惡しき意味に於けるイデオロギーに移り變つてゆき、かくして逆に人間性の發展を抑制し、壓迫する。然しながら有産者にはこのやうなイデオロギーを批判する可能性がその存在のうちに與へられてゐない。なぜかならば彼等の存在はそこに於て直接に肯定されてをり、それ故に存在を過程に於て、歴史に於て考察することが拒まれてゐるからである。これに反して、無産者は現在の社會に於てその存在が否定されてゐるが故に、まさしくその否定性の故に、存在を運動性に於て、歴史性に於て把握することが出來、また把握せざるを得ない。彼等は所謂永遠なる理論が資本主義社會の歴史的條件の上に立つてゐることを理解する。「支配階級の思想が各の時代に於て支配的なる思想である**。」彼等は所謂普遍妥當的なるイデオロギーが有産者階級のイデオロギーに過ぎないことを理解する。プロレタリアートは、その存在の必然性に從つて、必然的に批判的である。私は更にこの批判の特性、そしてそれと關係して、マルクス主義的唯物論の特性を見るであらう。
* Die Heilige Familie oder Kritik der kritischen Kritik, Nachlass, ※(ローマ数字2、1-13-22). Band, S. 132-133.
** Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 265.


 イデオロギーを現實からの游離に於て見出した批判は、必然的に現實そのものから出發せねばならぬ。從て唯物論はその限りに於て先づ現實主義、實證主義を意味する。マルクスの先蹤として、宗教的イデオロギーの批判に從事したフォイエルバッハは、すでに記してゐる、「思辨は宗教をしてただ、思辨みづからが考へた、そして宗教よりも遙かによく語つたところのものを、語らしめる。それは、宗教から自己を規定せしめることなく、宗教を規定する。それは自己から出ることがない。しかるに私は宗教をして自己みづからを語らしめる。私は單にそれの聽手と通譯をなし、それの後見をなさない。案出することでなく、――被ひを去ること、〔現實の存在を顯はにすること〕、が私の唯一の目的であつた。正しく見ることが私の唯一の努力であつた。」即ち『キリスト教の本質』の中で彼の行はうとしたことは、「物に忠實な、それの對象に最も嚴密にくつついてゆく、歴史的―哲學的分析**」(eine sachgetreue, ihrem Gegenstand sich aufs Strengste anschliessende, historisch-philosophische Analyse)に外ならなかつたのである。彼はまた斯うも云つてゐる、「私は精神上の自然研究者に外ならぬ、ところで自然研究者は器具なしには、物質的なる手段なしには何事もなし得ない。」物質的なる手段とは經驗の謂である。若し我々が同樣の思想をマルクスに於て見出し得なかつたならばむしろ不思議であるであらう。實際、彼は云つてゐる、「我々がそれをもつて始めるところの前提は、隨意なものではなく、ドグマではない、それは、それからひとはただ想像に於てのみ抽象し得る、現實的な前提である。……これらの前提は純粹に經驗的な方法で確められることが出來る***。」また我々は、「この考察の仕方は無前提ではない。それは現實的な前提から出發し、それを瞬時と雖も離れない。その前提は、何等かの空想的な閉鎖性と固定性に於ける人間ではなく、却て一定の條件のもとに於ける、彼等の現實的な、經驗的に見ることの出來る發展過程に於ける人間である。」といふ言葉に出會ふ。マルクスは唯物史觀の歴史考察を、從來の觀念的な歴史敍述に對立せしめて、「現實的な歴史敍述」(die reale Geschichtschreibung)と呼んでゐる****。恰もそのやうにマルクス主義は本來の意味に於ける現實主義である。そしてこのことはマルクス主義の理論的構成の必然的歸結であるであらう。この理論はもともと自己のうちに實踐の契機を含んでゐる。然るに存在に對して實踐的にはたらきかけ、それを實踐的に支配し得るためには、存在それ自身の法則を認識せねばならぬ。「自然はそれに從ふのでなけれは征服されない」、とはベーコンの有名な言葉である。現實の變革の理論は、現實にどこまでもかぶりついてそれの運動の法則を見究めるほか方法をもつことが出來ぬ。マルクス主義は、革命の理論として、現實から游離した惡しき意味に於けるイデオロギーではあり得ないのである。
* Vorrede zur zweiten Auflage vom ”Wesen des Christenthums“ ※(ローマ数字7、1-13-27), 283.
** Op cit., ※(ローマ数字7、1-13-27), 290.
*** Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 237.
**** Zur Kritik der politischen ※(ダイエレシス付きO)konomie, ※[#ローマ数字46、69-7].
 唯物論の批判的實踐的意義を認識することは極めて重要である。マルクスは『神聖家族』に於てフランスの唯物論と對質するに際して、それのこの意義を明かにしてゐる。彼に從へば、フランスの唯物論にはその起源をデカルトにもつものと、ロックにもつものとの二つの方向が存在する。前者は本來の自然科學の中へ流れ込んでしまつたに反して、後者は直接に社會主義または共産主義と結合した。例へばフーリエは直接にフランスの唯物論の思想から出立してゐる。共産主義と十八世紀の唯物論との聯關は、主として、このものが神學や觀念論的な形而上學、そして兩者から影響されてゐる道徳に對して行つた批判の鋭さのうちに存する。唯物論は神學の獨斷的な信仰、形而上學と倫理學との説く永遠なる觀念や理念に反對して、時と境遇とに應じて人間の道徳や價値判斷の變化することを教へた。マルクスはイギリス及びフランスの社會主義または共産主義が唯物論の社會批判的方面と特に密接に結合してゐることを示してゐる。彼は、「人間の本性の善、平等な知的天分、經驗、習慣、教育の萬能、人間に對する外的境遇の影響、産業の重大な意味、享樂の是認、等々に關する唯物論の説から、それと共産主義及び社會主義との必然的な聯關を洞見するには、大なる慧眼を少しも必要としない。」と述べた。唯物論の實踐哲學が何よりも特に共産主義の基礎であつたのである。然しながら、マルクスは同時に、この實踐哲學と關係する唯物論の理論的方面の、從てまたこの實踐哲學そのものの缺陷を紛ふ方なく認識した。この缺陷は第一に、十八世紀の機械的唯物論が存在の歴史性について何事も理解しなかつたところにある。それ故にそれは一の抽象的理論に終り、その上に立てられた實踐哲學はまた一の空想に終らねばならなかつた。それは眞に現實的な、そしてその意味に於て眞に學問的な方法を知らなかつた。マルクスは『資本』の中で、「抽象的、自然科學的唯物論の缺陷が歴史的過程を除外するにある**」ことを記してゐる。これに反して、「唯一の唯物論的な、そしてそれ故に學問的な方法」(die einzig materialistische und daher wissenschaftliche Methode)であるマルクス的方法は、現實をそれの現實性に於て、歴史的過程に於て把握する。第二に、「あらゆる從來の唯物論(フォイエルバッハのそれをも計算に入れて)の主缺陷は、對象、現實性、感性がただ客觀のまたは直觀の形式のもとに於てのみ把握され、感性的・人間的活動、實踐として把握されず、主觀的に把握されないことである***。」所謂「純粹なる唯物論者達」は、人間を靜的、觀照的存在として分析し、分解する。これに反してマルクス主義にとつては、生産行爲――人間相互と自然との材料交換行爲――が、人間の存在の、生活の、意識の基底である。「初めに行爲があつた」(Am Anfang war die Tat)、それ故に人間は思惟する前に行爲してゐた、――これがマルクス主義的唯物論の根抵である。
* Nachlass, ※(ローマ数字2、1-13-22), 238-239.
** Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 336 Anmerkung.
*** Die Thesen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Feuerbach, 1.
 從來の唯物論は恰も右の缺陷の故に、それの上に立つ變革的實踐は單にユートピアを描くにとどまり、或はそれ自身は現存の世界の革命的變革に到ることなく單にイデオロギーの理論的變革を要求するにとどまつた。これらの唯物論は凡て片端である。けだし唯物論は、空想的實踐にはしるときそれの現實主義的本質を失ひ、イデオロギーは範圍内に終始するときそれの唯物主義的特質を發揮し得ないからである。簡單に言へば、それらの凡ては理論と實踐との辯證法的統一を理解しない。これを把握するものはまさにマルクス主義的唯物論である。このものは第一に理論を重んずる。それはユートピア的社會主義に對して自己を科學的社會主義として規定する。「革命の理論なくして如何なる革命の運動もあり得ない」(レーニン)、とはそれのモットーである。現實の忠實な歴史的哲學的分析がそれの第一の課題である。第二にこの唯物論は本質的に實踐的である。マルクスは云ふ、「實踐的唯物論者、即ち共産主義者にとつては、現存の世界を革命すること、現在の事物に實踐的にはたらきかけ、變化することが問題である。」然しながら、マルクス主義は理論と實踐とを、第一のもの、第二のものとして、單に對立せしめるのでなく、却て兩者を辯證法的統一にもちきたす。そこでは理論は實踐の要求する限りの理論であり、實踐は理論に指導される限りの實踐である。理論と實踐との對立物は相互に制約し合ひ、實踐は理論に指導されることによつて發展し、かくして發展した實踐は更に新しき段階に於ける理論を要求する。理論は實踐を發展させると共に自己を發展させ、かくして發展した理論は更に新しき段階に於ける實踐を要求する。理論と實踐とはかかる必然的統一に於て各の段階を通じて相互に發展する。斯くの如き辯證法的統一の故に、理論は決して現實の地盤から游離することが出來ない、マルクス主義がひとつのイデオロギーでありながら、決して惡しき意味に於けるイデオロギーであり得ない理由は根本的にはここに横はつてゐる。また恰もその故に、ひとはマルクス主義の概念のもとに固定したドグマを考ふべきでなく、却てつねに發展の過程にある現實的なる理論を理解すべきである。そしてマルクス主義が從來の哲學的用語法に於ける相對主義若くは絶對主義の如何なるものでもない理由は、またまさにその故である。この理論と實踐との辯證法的統一に於てマルクス主義はそれの現實性の頂點に到達する。マルクス主義が單に從來の唯物論に對してのみならず、またあらゆる觀念論に對して、理論として有する最も固有なるもの、最も優越なるものは、實に斯くの如き辯證法のうちに表現されてゐる。そしてこのやうな特質はマルクス主義が無産者的基礎經驗をそれの現實の地盤とする限り必然的なる歸結として生れるであらう。今ひとりの勞働者が机を作るとせよ、彼は木材を鋸でひき、それに鉋をかけ、鑿で孔を穿ち、そしてそれを組合はせる。このことは彼の勞働過程そのものから段階的に要求される。鋸でひくとき彼はその法則を必要とする、けれどそのとき彼は鉋を用ゐる法則を必要としない。このものは彼が鉋をかける段階にまで進んだとき初めて必要とされるのである。鋸でひく實踐は必然的に鉋をかける法則を要求するに到る。あるひは鋸を用ゐる法則は必然的に鉋を使ふ法則にまで轉化する。斯くの如く、無産者的勞働者にあつては理論と實踐とは辯證法的統一にあり、これなくしては彼は彼の存在をもち得ないから、彼にとつては所謂イデオロギーは成立のしようもないのである。
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 241.
 マルクス主義は理論と實踐との辯證法的統一を知るが故に、それは如何なる當爲をも、如何なるゾルレンをも知り得ない。マルクスは云ふ、「共産主義は我々にとつて作り出さるべき状態ではない、現實がそれに準ぜねばならぬ理想ではない。我々は今の状態を止揚するところの現實的なる運動を共産主義と呼ぶ。この運動の諸條件は今現存する前提から生ずる。」そこでエンゲルスもまた云つてゐる、「マルクスはそれ故に彼の共産主義的要求を決して我々の道徳的感情の上に基礎付けなかつた、却て彼はそれを我々の眼前で毎日日増に成就されつつある、資本主義的生産社會の必然的な崩潰の上に基礎付けた、彼は、ひとつの單純な事實である、剩餘價値は支拂はれざる勞働から構成されてゐる、といふことを語るのをもつて滿足する**。」ところでマルクス主義に從へば、この理論的な必然性は必ず實踐的な表現を得てゐなければならない。プロレタリアートの窮迫(Noth)はまさにこの必然性の實踐的な表現(der praktische Ausdruck der Nothwendigkeit)である、とマルクスは考へる。今や人類の大衆が全く「無産」となり終り、彼等の貧困はもはや忍び難きものとなつた。かかる現實を將來した資本主義的生産方法はもはや「堪へ難き」力となり、それを革命することはもはや止むを得ざることとなつた。無産者の生活の窮迫はかくしてもはや拒否し得ぬ絶對的命令に於て社會の變革を命令する。これがマルクス主義の理論の「實踐的前提」である。マルクス主義は理論と實踐との辯證法的統一の上に立つが故に、全無産階級の物質的貧困と窮迫とをその理論のうちに止揚する。ここにマルクス主義が自己を唯物論として規定するひとつの根源は横はつてゐる。
* Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), 252.
** Mis※(グレーブアクセント付きE小文字)re de la philosophie, Pr※(アキュートアクセント付きE小文字)face, p. ※(ローマ数字12、1-13-55).
 さて無産者は彼等の基礎經驗の特殊なる構造の故に生れながらの辯證論者であるから、彼等は自己を物質的窮乏から解放するために、全く物質化された彼等の現實、そして全社會そのものの現實とは少しの縁もなき何等か精神的なる方法に從ふことが出來ない。むしろ彼等の物質的要求を最も徹底的に主張することによつてのみ、單に彼等の現實のみならず、現實の全社會を變革し得ることをこの辯證法は彼等に必然的に認識せしめる。然しながら、眞實を語るならば、物質の最も徹底的なる主張によつて解放されるものは、辯證法の本質に從つて、單に物質のみではないのである。既にマルクスは云つてゐる、「プロレタリアートはだが、彼自身の生活條件を止揚することなくしては、自己自身を解放し得ない。プロレタリアートは彼の状態のうちに總括されてゐる今日の社會の一切の非人間的生活條件を止揚することなくしては、彼自身の生活條件を止揚し得ない。」無産階級運動の本質は、彼れ若くは此れの無産者を解放することでなく、むしろ全無産階級を解放することであり、そしてこのことは、無産者的存在そのものの歴史的本質に從つて、却て一切の階級を止揚することなくしては實現されない。恰もそのやうに、物質の解放を要求する無産者は、此れ若くは彼れの物質的欲望の解放を要求するのでなく、むしろ全物質的生活の解放を要求するのであり、しかもこのことは、辯證法的唯物論の内的本質そのものに從つて、却て全人間的生活を解放することなくしては成就されない。最も徹底的に物質を主張することによつて解放されるのは單なる物質のみではない、單なる精神ではもとよりない。却て物質と精神とは止揚されて全體の人間性そのものが解放されるのである。そこでは虐げられた物質は自由となるであらう、埋沒した意識は囘復されるであらう。そこでは物質的精神的人間の全體がそれの全體性に於て輝き始める。――私は私の研究が史的唯物論としてのマルクス主義に多少の解明を與へ得たことを期待する。
――(一九二七・七)――
* Nachlass, ※(ローマ数字2、1-13-22), 133.
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プラグマチズムとマルキシズムの哲學



 唯物史觀の哲學的基礎の把握に際して私の用ゐて來た諸概念は、多少とも大膽なものであつたかも知れない。私はそれらのものが種々なる誤解を誘ひ得ることを懸念せずにはゐられなかつた。私のこの懸念は現實に理由のないものではなかつたのである。しかも、誤解は最も簡單な事柄に關して最も起り易い、といふ人性論的な法則はこの場合にも例外を作ることを欲しなかつた。私は從來屡交渉及び交渉的存在(das pragmatische Sein)といふが如き語を使用し慣はした。そこから直ちに或る人たちは、私の見地をもつてプラグマチズムのそれである、と極めて無雜作に結論することが出來た。この誤解は、それが全く素朴なものであるにしても、恐らく孤立したものではないであらう。かくして私は私の思想をプラグマチズムと對質せしめる必要を感じた。このことは私自身にとつて決して無駄ではなく、寧ろ甚だ歡迎すべきことであつたであらう。なぜなら、ラッサールがマルクスへ宛てた手紙の中で述べてゐる次の言葉はまた、一定の理論の生命と發展とに關しても眞理であると信ぜられるからである。――「鬪爭は力と生氣とを黨に與へる。定つた形態の無いことそして明かに限られた境界の缺けてゐることは、黨の無力の最も有力な證左だ。純化されることによつて、黨は愈強力になる。」私はこの對質をこれによつて同時にマルキシズムがこの側面から闡明されてゆくやうに遂行するであらう。
* 秋山次郎氏は『マルクス主義』(一九二七年)七月、八月、九月の三號に亙つて、『公式社會主義者の哲學』及び『唯物論と觀念論』なる二論文を發表され、河上博士の『唯物史觀に關する自己清算』(『社會問題研究』第七十七册以下續載)を批評された。今ここに私は同氏と河上博士との間に割り込んで論議を試みようとする者ではない。私と關係する唯一つの點は斯うである。秋山氏は、博士がその自己清算の中で私の文章を引合ひに出された(特に第七十九册)のに對して、それを再び引摺り出されて、それを根據として博士の立場をプラグマチズムのそれであると論斷された(特に八月號)。即ち氏は博士のプラグマチズムの理由の一つは少くとも私の思想の中に横はつてゐると思惟されるものの如くである。秋山氏の行論は不幸にして十分に分析的でなく、却て著しく神託的調子を帶びてゐるために、私は同氏の主張の基礎を把握するのに困難を覺える。それだから私は氏の議論に直接に應答することをやめて、むしろ私自身の見地を眞直に説述したいと思ふ。それによつて私は秋山氏の論難に對して明瞭に自己を釋明し得ることを期待する。この場合私は固より神託の如くに語ることを好まない。マルクスは『資本』のフランス譯の出版に際して書かれた書簡の中で、彼の用ゐた特異なる方法が「分析の方法」であつたことを云つてゐる。分析的であることは如何なる學問的研究にとつても要求されてゐる。更に新しい誤解の起らないために、私の唯物史觀解釋が河上博士のものと同一でない、といふことは特に記されておく必要があるかも知れない。
 私は二三の概念の内容を規定することをもつて始めなければならないであらう。私の意味する「交渉」は所謂實踐とは直接に同一でないのである。實踐は勿論一つの交渉であり、特にそれの優越なるものではあるが、然し後者は前者よりも一層包括的な概念である。それ故に私は實踐をひとつの交渉の「仕方」と呼ぶのであつて、交渉の仕方には實踐――このものが既に歴史的に多種多樣に規定されてゐる――以外になほ他のもの、例へば藝術的、宗教的などがある。一般に交渉とは人間の存在が世界の存在に對する動的雙關的關係の謂である。これを特に交渉と名づけるのは、この關係を所謂主觀・客觀の關係に還元しようとすることなく、却てそれをその具體性に於て取扱はうとするために外ならない。近代の認識論は存在を凡て客觀の側に推し遣り、これに反して主觀はあらゆる意味で存在とは異る存在ならぬものとしてそれに對立せしめる。しかるに我々は認識の問題と雖も、それが十分具體的に把握される限り、存在の問題であり、このものの發展の過程に於て現實的に形成される問題であると考へる。それにも拘らず、存在の存在の仕方または性格が存在の交渉の仕方によつて根源的に規定されると理解し、更に斯く規定されることによつて存在は現實的には初めて存在すると見做す點に於ては、我々はかの先驗哲學の根本思想を襲うてゐると言ひ得るであらう。一切の現實的なる存在はつねに一定の性格を擔つてゐる。交渉に於てその存在性を規定されざる存在は、ギリシア的に表現すれば、存在無き存在、即ちμ※[#重アクセント付きη、U+1F74、81-6]ονである。單に在るものはいまだ在るとも言ひ得ない。如何に在るかに於て限定されるとき初めて在るものは現實的な意味に於て在ると語られ得るのである。認識の問題を存在の問題の展開秩序に於て捕捉する點で唯物論に接近しながら、しかも抽象的な唯物論に我々が反對するのは主としてこれに依るのである。否むしろ、存在そのものは交渉の一定の仕方に應じて、或ひは唯物論的に或ひは觀念論的に、その性格を規定されるのであつて、そしてそこから理論としての唯物論若くは觀念論は必然的に生れて來る。ところで存在の交渉の仕方はいつでも歴史的に規定されてゐる。一定の歴史的規定を有する交渉の仕方の根源的なる特性に應じて、觀念論または唯物論は一定の時代に於て、その現實性に於て規定されて成立する。兩者を單に抽象的に對立せしめ、その孰れが眞であるかを單に抽象的に決定しようと欲することなく、却てそれらを存在の大いなる歴史的進行の道程に於て眺め、その必然性とその意義とを具體的に把握しようと試みることは、我々の哲學の企てに屬してゐる。――マルクスは『共産黨宣言』の中で、如何に「ブルジョアジーが歴史に於て一の甚だ革命的なる役割を演じた」かを、極めて鮮かに敍述してゐる。ブルジョア的基礎經驗の中から發生したイデオロギーと雖も一定の歴史的時代にあつては頗る革命的なる眞理として妥當したのである。――かくして私は無産者的基礎經驗即ち感性的實踐なる交渉の仕方によつて構造づけられた存在から出發して、そこに生れる人間學の特殊なる形態を明瞭にし、そしてこのものによつてその構成を規定されてゐる唯物史觀の理論の成立を跡づけようと試みて來た。我々は全く同一の見地からマルクス經濟學の諸礎石をもまた理解され得るものとなすことが出來るであらう。例へば、その勞働價値説の如き、或ひは生産力の根源性の主張の如き、我々はその必然性をプロレタリア的基礎經驗によつて規定されたものとしてのみ把握し得る。存在は理論をして必然的に一定の方向に向つて抽象を遂行せしめる。この抽象性は存在との生ける聯關から産れる必然的なる限定であつて、そこに理論が現實を變革し得る力は孕まれてゐる。從てこの抽象性は具體性である。限定こそ力なれ、とは單に生の知慧のみではないのである。
* ここに我々は、もとよりその意圖に於て我々のものとは距つてゐるにせよ、ディルタイの謂ふ「形而上學の現象學」(Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie der Metaphysik)の理念について想ひ起す。
 然るに交渉の右の意味に應じて交渉的存在といふ概念の意味も與へられる。プラグマチズムはギリシア語のπρ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、83-4]γμαから出た言葉である。そしてπρ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、83-4]γμαは根源的にはπρ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、83-4]ξι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)と同一であり、このものは行動または行爲を意味する。プラグマチズムは主としてプラグマのこの意味に固執してゐる。ジェームスに據れば、その概念は千八百七十八年、チャールス・ピアスによつて初めて哲學の中へ導き入れられた。ピアスは考へる。ひとつの思想の意味を顯はにするためには、我々はただそれが如何なる行爲を産み出すに適してゐるかを決定することが必要である。行爲が我々にとつて思想の唯一つの意味である。或る思想の眞理性を決定するものは、それの論理的歸結でなくして、却てそれの實踐的歸結(practical consequence)である。事實、ひとつの事柄に關して論理的には各齊合的なる二つ以上の理論の成立の可能なことは屡あるのであつて、それらの間にあつてその如何なるものが眞理であるかはひとり實踐ばかりが裁斷し得ることである。然しながら、既にギリシアに於てπρ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、83-13]γμαは單に行爲を意味したのみでなく、また状態、更に關係、或ひは事實、進んでは事柄を意味するなど、極めて廣き範圍の使用をもつてゐた。廣き意味に於て人間の現實の存在と具體的交渉のある凡ての存在がこの語によつて表現されてゐた**。それだからそれは特に實踐と關係するといふこと以上の意味を含んでゐたのである。むしろプラグマといふ語に於て決定的なるものは、先づそれが主觀に對する客觀もしくは對象を意味せず、却て具體的なる人間の存在と現實的に交渉するものを意味したことであり、次にそれがすべて特に過程的なる存在(Hergang)、したがつてまた由來(Herkunft)を有する存在の謂であつたことである。我々は主として斯くの如き意味に從つて、近代的術語なる「對象」(Gegenstand)から區別する目的をもつて、交渉的存在([#無気記号と重アクセント付きο、U+1F42、84-7]ν ※[#有気記号付きω、U+1F61、84-7]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) πρ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、83-7]γμα)といふ表現を用ゐようと思ふ。この語の意味に於て何を高調するかといふ點でプラグマチズムと我々の見地との差異は既に明瞭であるであらう。
* William James, Pragmatism, p.46.
** プラグマなる言葉のこのやうな廣義の使用を理解するために、ひとはヘーゲルの die pragmatische Geschichte の概念について考へてみるがよい(Hegel, Vorlesungen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Philosophie der Geschichte, Reclam-Ausgabe, S. 38.)。ひとはかかるものとして、ヴォルテールやモンテスキューの歴史を見ることが出來る(W. Dilthey, Die Jugendgeschichte Hegels, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字4、1-13-24), 8. 參照)。


 さてプラグマチズムは次の如き契機を有する理論である。第一にプラグマチズムは實踐を重んずることによつて眞理を動的過程的に把握する。それは眞理についての一の發生説(genetic theory)である。主知主義者の假想は眞理が本質的に惰性的な、靜的な關係を意味するといふことであるに反して、プラグマチストは先天的なる理由、固定された原理、閉鎖された體系、所謂絶對者を排斥する。「眞理は眞と成る、諸の出來事によつて眞と爲される。それの眞理性は實にひとつの出來事であり、ひとつの過程である、即ちそれが自己を實證してゆくところの過程、それの實證・過程である。」我々の觀念は我々を、それが喚び起すところの行爲や他の觀念を通じて、經驗の他の諸部分へ導いてゆく。このやうな結合と移動とが一點から一點へと進行し、そしてそのとき何處までも調和と一致とが存するならば、それがその觀念の證明なのである。私は今この牛の通る路に沿うて一軒の家の表象をもつてゐる、私がこの心の像に從つてこの小徑を辿つて現實に家を見出す、この表象はそこで證明を得る。斯くの如く單純にそして十分に實證された指導(leading)がまさに眞理・過程の原型である。第二に、眞理を指導として主張することによつて、プラグマチズムは自己を單なる方法として告知する。合理主義者は宇宙の所謂原理を魔術的な言葉をもつて名づける、この言葉を所有することが彼等にとつては、宇宙そのものを所有することである。善、物質、理性、絶對者などはこのやうな言葉に屬し、それを所有するとき彼等の形而上學的探究は終結を告げる。しかるにプラグマチズムはひとをして休憩せしめない。ひとは彼の所有する各の言葉の實際上の效果を試さねばならぬ、彼はそれを彼の經驗の流のうちに於て働かさねばならぬ。それは解決といふよりも、むしろ一層多くの仕事に對するプログラムであり、そして更に特に現存の存在が變化され得るが如き諸の途への指示である。かくて理論は道具(instrument)となる。それは我々がそこに安住し得るところの、謎に對する答ではない。我々はその上に横臥することなく、我々は運動を續行する。プラグマチズムは強張れる理論を嫋かにして仕事に着かしむる方法である。それは方法として、特殊なる結果でなく、却て一定の態度である。第一の事物、原理、範疇、必然性から眼を背けて、最後の事物、結實、歸結、事實へと眼を向けるところの態度である。かくして第三に、プラグマチズムの足場は明かに經驗である。それの趨くところは具體と充實、行爲と力である。
* James, Pragmatism, p. 201.
 然るにプラグマチズムは經驗論として特殊性を有する。第一にそれは經驗「論」の偏執をもたぬことを誇つてゐる。プラグマチズムは方法である以外、如何なるドグマでも、如何なる理論的教説でもない。從てそれは單に方法の上で合理主義や主知主義に反對するのみであつて、教説内容の上でこれらのものに絶對に對立してゐるとは考へない。最も抽象的な觀念と雖も、それが具體的な生にとつて何等かの效果を現はす限り、それが現實の經驗のなかで何等かの收穫を齎す限り、それはプラグマチズムにとつて、「その限りに於て」(in so far forth)眞なのである。そこでジェームスはかの「絶對者」を‘its bare holiday-giving value’に從つて、しかしその制限内に於ては充分に承認してゐる。むしろプラグマチズムの最も著しい精神はこの方法が理論的論爭の「仲裁者」(mediator)であり、「調停者」(reconciler)であらうと欲するところに横はつてゐる。それは本質的には新しい哲學ではなくて、古來の多くの哲學的傾向と調和するばかりでなく、却てそれらの間の鬪爭を仲裁するといふ課題を負うてゐる。世界の實體は物であるかそれとも心であるか、一であるかそれとも多であるか、――これらの問題に關する議論は限なく盡きることがない。このやうな場合プラグマチズム的方法はその各の思想を夫々の實踐的歸結に從つて解釋することを努める。そして若しそこに如何なる實踐的差異も辿られることが出來ないならば、そのときには相排する二つの思想は實質的には同一のものを意味してゐるのであるから、一切の爭論の無駄であることが示される。他のときには、各の意見は銘々の實踐的現實的價値(practical cash-value)に應じて、「その限りに於て」互に眞とされることによつて、今後の軋轢の不用であることが明かにされる。「プラグマチズム的方法は第一に、さなくては果つることなきが如き形而上學的諸論爭調停の方法である**。」我々はここに於てジェームス自身が云つてゐるやうに、如何にそれが「デモクラチック」であるかを見ることが出來るであらう***
* Op. cit., p. 72 ff.
** Ibid., p. 45.
*** Ibid., p. 81.
 第二にプラグマチズムは從來のあらゆる經驗論の態度よりも一層徹底的である。ジェームスは斯くの如き立場を特に「根本的經驗論」(radical empiricism)と呼んでゐる。經驗に徹底することによつて到達するのは、言ふまでもなく、内在性の立場である。ジェームスはこれを次の如く表現してゐる、「我々の經驗の一つの部分は、それが觀察され得る若干の方面の何等かの一つに於てそれがまさにあるところのものとするために、他の部分に凭り懸るとしても、經驗は一の全體として自己包括的であり、そして何物にも凭れ懸らない。」このことから次のことが結果する、「苟も知るといふが如きことがあるならば、知るものと知られるものとは兩者共に經驗の部分でなければならぬ**。」プラグマチズムに從へば、それ自身我々の經驗の部分であるに過ぎぬところの觀念は、まさにそれが我々を助けて我々の經驗の他の部分と滿足なる關係に這入らしめる限りに於て眞と成る。むしろ我々が眞とする思想は、恰もそれが我々の經驗に於ける一契機であるが故に、それは働くことが出來、我々はその思想の指導によつて經驗の特殊の中に浸り、このものと有利な結合をすることが出來る。かくして私はプラグマチズムが近代の生の哲學と共通の原理の上に立つてゐるのを知る。生の哲學の根本原理は、ディルタイが繰り返し述べてゐるところによれば、「生を生そのものから理解する」といふことにある。プラグマチズムにとつては認識もまた我々の生の機能の一つであり、それの眞理性はそれが我々の生にとつて有用であるといふことにある。この意味に於て「眞理は、普通に想像されてゐるやうに、善から區別された、そしてそれと對等な範疇ではなく、善の一種である***。」生を超越するが如き如何なる認識の原理もなく、却てこのものは生そのものによつて根源的に制約されてゐる。そこでジェームスは氣質(temperament)が嚴密に客觀的なる前提の如何なるものよりも哲學者に對して一層強い偏執を輿へると考へる。或る者が柔軟なる心の人(the tender-minded)であるか若くは強靱なる心の人(the tough-minded)であるかに從つて、現實的に彼の採る哲學上の立場が定まる。氣質がその願望と拒否とをもつて哲學を限定する。そして斯くの如く認識が生の流の中に織り込まれるに應じて、認識の問題は存在の問題に轉化し、從てこの場合最も決定的なことは生の存在そのものが如何に把握されるかといふことに聯關することになるであらう。
* Essays in Radical Empiricism, p. 193.
** Ibid., p. 196.
*** Pragmatism, p. 75.
 あらゆる形態に於ける生の哲學は、多かれ少なかれ、凡てプラグマチズムの要素を具へてゐる。そのうち最も鮮明なものの一つはベルグソンの哲學である。ベルグソンに依れば、本來、我々は行ふためのほか考へない。我々の知性は行爲の鑄型に嵌めて出來てゐる。「生の進化がそれを型作つた姿にあつて我々の知性は、我々の行爲に光を與へ、事物に對する我々の行爲を準備し、ひとつの與へられた状況について、それに隨ひ得る有利な若くは不利な諸の出來事を豫見するといふことを、本質的な機能としてもつてゐる**。」――私は更に他の箇所を引用しよう。「我々は、一般に、知るために知ることを狙はない。却て決意するために、利益を取り出すために、つまり一の關心を滿足させるために知ることを目指すのである。我々は、如何なる點まで知らるべき物が此れまたは彼れであるか、如何なる既知の部類の中へそれが這入るか、如何なる種類の行爲、運動または態度をそれが我々に示唆すべきであるかを研究する。これら種々の可能なる行爲と態度は恰もそれだけ種々なる、我々の思惟の、全然限定されたる概念的方向である、我々はそれらのものに從ふほかない、まさしくそこに事物に對する概念の適用は成立してゐる。ひとつの概念をひとつの物に於て試みるといふこと、それは我々がそれをもつて爲すべきところのもの、それが我々のために爲し得るところのものを、その物に尋ねることである。ひとつの物の上にひとつの概念の張札を張りつけるといふこと、それはその物が我々に示唆すべきであらうところの行爲または態度の部類を精密な言葉に於て記し付けることである。***」かくて進んで、我々の知識は主として行爲にとつて有用なるもの、利用し得べきものの製作を目的とすると見做される。知性とは道具、殊に道具を作る道具を製造する能力の謂である。地球上に於ける人間の出現の時として我々の溯り得るのは、彼等が最初の武器、最初の道具を製造した日である。それ故に人間は Homo sapiens としてよりも Homo faber として一層適切に定義され得るであらう****
* ベルグソンとジェームスとの關係を我々は彼等自身の言葉によつて窮ふことが出來る。William James. Extraits de sa correspondance, par F. Delattre et M. Le Breton, avec une pr※(アキュートアクセント付きE小文字)face de Henri Bergson.
** L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, p. 31.
*** Introduction ※(グレーブアクセント付きA小文字) la m※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique (Revue de m※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique et de morale, 1903, p. 16.).
**** L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, p. 149 et suiv. さて全く異つた思想の上に於てではあるが、マルクスもまた記してゐる、「勞働手段の使用及び創造は、その萠芽に於ては既に或る種の動物種屬に屬してゐるけれども、特に人間的な勞働過程を特性付ける、そしてフランクリンはそれ故に人間を道具を作る動物(a toolmaking animal)として定義してゐる」(Das Kapital, ※(ローマ数字1、1-13-21), 142.)。
 然しながらベルグソンに從へば、知性は大いなる生の進化の過程に於ける單に一つの方向に過ぎない。この創造的過程そのものの原型は純粹持續(dur※(アキュートアクセント付きE小文字)e pure)である。その一々の瞬間は個々異質的であり、相互に浸透して流動する。この流動の連續、それは諸の状態の一繼起であり、その各はそれに隨ふところのものを告知し、それに先立つところのものを包含する。眞實を言へばそれらのものは、私がこれを既に通り越してしまひ、そして私がその足跡を見るために後を振返つたときに於て、多數の状態を組立ててゐるばかりである。ところが私がこれを體驗した間にあつては、それらのものは、何處でそれらのうちの或る一つが終り、何處で他の一つが始るかとも言ひ得ぬほど、緊密に有機的結合をなしてをり、ひとつの共通の生によつて深く生かされてゐたのである。實際、それらのうち如何なるものも始りもせねば終りもせず、却て凡ては相互に融合して進展する。持續とは過去を含み未來を咬み前進しつつ膨れてゆく絶え間なき過程である。然るに我々の知性は斯くの如き異質的浸透的連續的發展を把握する手段でない。蓋し我々の知性は同質性と反覆とを狙ひ、並置と空間化とを仕事とする。このことは我々が行動し、創造するために缺くべからざる條件であるけれども、それだけ實在の認識にとつて不十分であり、不完全である。實在はただ直觀によつてのみ知られることが出來る。直觀は知的同感(sympathie intellectuelle)であり、これによつてひとは、物の獨特な、從て表現し得ぬところと合一せんがために、その物の内部に身を運び込む。これに反して知性に屬する分析は、物を既知の諸要素に、換言すれば、この物と他の諸物に共通な諸要素に還元する處理法である。分析することはそこで物をその物ならぬところのものを借りて表現することにある。かくて凡ての分析は飜譯であり、記號に由つての展開であり、ひとが研究する新しい對象とひとが既に知つてゐると信ずる他の諸對象との間の接觸點をそれからして記述するところの次から次へと繼ぐ諸觀點より採られた表現である。ひとはこのつねに不完全にとどまる表現を完全にするために限なく觀點を増加し、撓みなく記號を變化する、しかし彼はいつまでもその物の外部を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐるに過ぎない。然るに直觀は觀點の上に立つことなく、記號を用ゐることなく、原物をその絶對性に於て内部から直接に捕捉する。それはひとつの單純な作用である。


 前節に述べられた思想に對して我々は如何なる態度を取るべきであらうか。この場合、最も屡繰り返されてをり、そしてプラグマチズムを一撃にして撲殺し得るものの如く普通に信ぜられてゐる主張、即ち眞理は人生に有用なるが故に眞なのではなく、却て眞なるが故に人生に有用なのであるといふ主張は、我々にとつて多くのことを語るものとは思はれぬ。なぜなら、このやうな攻撃は、それが十分に意味を有すべきであるならば、眞理と生とが或る分離に於て考へらるべきことを前提しなければならない、或ひは、認識の問題が生の問題から獨立に成立し得る領域を形造るといふことが豫め承認されてゐなければならない。ところがプラグマチズムは斯くの如き見方をそもそも否定するのであつて、むしろ認識が生の一契機に繰り入れられ、從て認識の問題が存在の問題のなかへ導き込まれることこそ、我々が注意しておいたやうに、まさにこの立場の特色である。「知識の理論と生の理論とは我々にとつて互に分離し難く見える」、とベルグソンは云ふ。「知性を生の一般的進化のうちに置かぬところの知識の理論は、如何に知識の諸框が構成されてゐるか、如何にして我々がそれらを擴げまたはそれらを超え得るかを我々に教へないであらう。」それ故に若し我々がプラグマチズムを單に超越的にではなく眞に内在的に批評しようと欲するならば、我々は先づプラグマチズムに於ける存在の概念を批判し、然る後にこれとの聯關に於てそれの認識の概念を批判すべきであらう。
* L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, ※(ローマ数字4、1-13-24).
 ジェームスは存在を「經驗」なる概念によつて表現した。その理由をもつて直ちに彼の立場を所謂經驗論と見做し、そして經驗論に附纏ふ諸弱點を指摘してこれを片付けようとする企ての不當なことは前述の通りである。プラグマチズムにあつては「經驗論者的氣質が支配的である」(the empiricist temper regnant)けれども、それの主として目指すところは知識を生の流の中に於て眺めるにあるからして、我々はこれを認識論上の經驗論と同一視することを避けねばならぬ。我々にとつて最も決定的なことはむしろジェームスがこの經驗を直ちに意識と等置したことである。――ベルグソンに於ても意識がまさに存在のモデルである**。――斯くの如く經驗が意識の流によつて置換へられることによつて、存在はただ心理的主觀的にのみ把握されることとなる。そして恰もそこにプラグマチズムの最も根本的なる過誤は横はつてゐる。プラグマチズムの高調する實踐は心理的主觀的であり、從て實踐を樞軸とする眞理もまた心理的主觀的に規定されるほかない。ジェームスによれば、眞理は畢竟信仰(belief)に於て成立し、それを信ずることが生にとつて有用であり、生の利益をもたらすところの觀念が眞なのである。マルクスもまた經驗を重んずる。然しながら經驗は彼にあつては心理的主觀的でなく、却て客觀的歴史的に規定された存在である。それ故に彼にとつては意識は經驗そのものでもなければ、存在のモデルでもない。マルクスは「意識を單にそれの(現實的なる生ける諸個人の)意識として考察する***」、即ち意識は歴史に於て活動する人間の存在のひとつの契機に過ぎず、それ自身社會的歴史的に規定されてゐる。マルクスもまた實踐を高調する。けれども彼の謂ふ實踐は心理的主觀的なる活動ではなくて、却てそれは勞働として、現實的なる人間の社會的歴史的に規定された活動である。このやうに存在及びそれの實踐の歴史性――むしろ歴史的なる實踐をもつて存在と交渉することによつて存在は歴史的に規定されて存在する――を根本的に理解するとき、『フォイエルバッハに關するテーゼ』の中の次の言葉は、そのプラグマチズム的外觀を除き去られることが出來るであらう。――「人間的思惟に對象的眞理が適合するか否かの問題は、何等理論の問題でなく、却て一の實踐的なる問題である。實踐に於て人間は眞理を、即ち彼の思惟の現實性と力、此岸性を、證明せねばならぬ。思惟――實踐から游離されたそれ――の現實性または非現實性に關する爭ひは、一の純粹にスコラ的な問題である。」マルクス經濟學の價値論は、歴史的客觀的なる勞働の上に立つことによつて心理的主觀的なる效用、この抽象的に永遠なる價値を、從てまたかの限界效用説を見棄てた****。恰もそのやうに、實踐の歴史性の把握は我々をして、眞理をもつて人生に有用なるものと見做すところのプラグマチズムの迷妄を排除せしめるであらう。
* ここに私はベルグソンから次の一節を引いておかう。「テーヌのそれの如き所謂『經驗論』と或るドイツの汎神論者の最も超越的な思辨との間の距離は、ひとの想像するよりはずつと少い。方法は二つの場合に於て類似である、それは飜譯の諸要素について恰もそれらが原物の諸部分であるかのやうに論ずることのうちに成立してゐる。しかるに眞の經驗論は、原物そのものを出來るだけ近く引き寄せ、それの生命を究め、そして、一種の知的聽診によつてそれの魂の鼓動するのを感じるのを目的とするところのものである、そしてこの眞の經驗論が眞の形而上學である」(Revue de m※(アキュートアクセント付きE小文字)taphysique et de morale, 1903, p. 14.)。
** 我々が哲學的研究の中へ導き入れようとする「存在のモデル」若くは「認識のモデル」なる概念の含む重大な諸問題に今は立入ることを許されない。我々のモデルの意味をフッサールは“der exemplarische Index”といふ語をもつて表現してゐるやうに見える(Edmund Husserl, Philosophie als strenge Wissenschaft, Logos, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 295.)。一般に認識のモデルが論理學または數學的自然科學に求められ、そしてこのモデルが更に存在のモデルにまで高められてゆくといふことは、現代の哲學の著しい傾向に屬する。我々はその例として矢張フッサールの『哲學的文化の理念』(『日獨學藝』一九二三年八月)を擧げることが出來る。この現代の傾向を批評することもまた我々にとつて別個獨立の題目を作るであらう。
*** Marx-Engels Archiv, ※(ローマ数字1、1-13-21), S. 240.
**** 千八百五十六年四月二日附のエンゲルスに宛てた書翰の中にマルクスは記してゐる、「價値。勞働量に純粹に還元されたもの、勞働の尺度としての時間。使用價値は――それが主觀的に勞働の usefulness として見られるにせよ、若くは客觀的に生産物の utility として見られるにせよ、――ここでは價値の素材的な前提として現はれ、このものは今のところ全然經濟的な形式規定から除外される。價値自體は勞働そのもの以外の如何なる他の「素材」ももたぬ。價値のこの規定は、最初にはペティに於て暗示的に、純粹にはリカルドオに於て作り出されたのであるが、單に資本家的富の最も抽象的な形式である。それ自身に於て既に次のことを前提する。一、自然成長的な共産主義の排棄(インドその他)、二、そのうちでは交換が生産をそれの全範圍に亙つて支配してゐないところの、一切の未發達な、前資本主義的な生産の仕方の排棄。尤もこの抽象、歴史的抽象は、まさにただ社會の一定の經濟的發展の基礎の上に於てのみ行はれることが出來た」(Briefwechsel zwischen Friedrich Engels und Karl Marx, Hrsg. v. Bebel und Bernstein, ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 266.)。
 ベルグソンは意識を純粹持續のモデルと見做すばかりでなく、むしろこの意識を大いなる生の創造的進化の過程の中へ流し込んでゐる。これによつて彼にあつては存在が一層客觀的に把握されてゐるかの如く見える。然しながら、このときベルグソンの説く客觀的なる生は、人々が屡彼の哲學を生物主義と名附けてゐるやうに、一の生物學的なる生に外ならない。生の持續は生物學的なる生の不斷の流動と發展とを意味してゐる。然るに若し生にして生物學的なる生の謂であるならば、それが純粹持續の形式に於て進化するといふことは如何にして基礎付けられることが出來るか。純粹持續は我々の内面的意識にとつては恐らく直接に與へられた經驗であり得るであらう、けれどその故をもつてそれが客觀的なる生物學的なる生の發展過程の形式であるといふことは未だ確保されてゐない。この場合我々は、ベルグソンのするやうに、生物學上の進化論に根據を求めることが出來ない。なぜなら、進化論について生物學の内部で種々なる議論があるばかりでなく、最も重要なことは、そもそも進化の概念そのものが根源的には生物學の範圍の中で生れたのでなく、却て人間及び歴史に關する研究のうちにその誕生の地をもつといふことである。そして生物學者が彼等の指針を求めたのは特に經濟學のもとにおいてであつた。ペリエは云つてゐる、「經濟學の諸法則の新しい適用が形態學に對してなされる度毎に、この適用は結果に於て收穫あるものとして現はれる。」分業、自由競爭、聯合などいふが如き經濟學に於て作り出された諸概念は、生物學の中へ輸入されてそこで多くの實を結ぶものとして自己を證した。斯くの如き概念は、それがひとたび生物學の領域へ導き入れられるや否や、固よりこの領域に於ける現象は人間及び歴史に關する現象よりも一層單純であるから、そこに於て運用されることによつて一層明確なる規定に到達することが出來る。そして斯く明確になつた概念は、再び歴史的諸科學の中へそれの手引として逆輸入される。この場合その概念は斯くの如くにして明確に形造られることによつて、それが元々人間及び歴史の世界の中で生れたものであることが忘れられて、恰も生物學から全く新たに借りて來られるかの如き外觀を呈することが普通である。然しながらあらゆる概念についてそれの由來する固有なる地盤が認識されることは大切である**。さうでないならば、それの具體的なる意味、またそれの限界も理解されず、我々はつねに所謂μετ※[#曲アクセント付きα、U+1FB6、100-13]βασι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ε※[#無気記号付きι、U+1F30、100-13]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) ※[#無気記号と鋭アクセント付きα、U+1F04、100-13]λλο γ※(鋭アクセント付きε、1-11-49)νο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)の過誤を犯すことになる。概念をその由來に從つて知らないならば、我々はただ概念に引摺りまはされるのみであつて、これを支配する優越なる位置に立つことは出來ぬであらう。ところで若し進化の概念にして根源的には人間及び歴史の世界にその固有なる成立の地盤を有するとするならば、――ソレルはその興味深き著述、『進歩の諸幻想』の中で進歩の説がブルジョアジーの支配階級となつた時代に於てドグマとして受け容れられたこと、それがブルジョア的理論に外ならぬことを述べてゐる、――存在の運動及び發展の具體的なる、現實的なる意味は歴史的世界に於て與へられるのであつて、生物學上の進化論によつて基礎付けられるものではないであらう。ミルが有機體の概念に關して既に云つた、社會の問題の解決は動物的有機體の問題の解決よりも一層早くそして一層完全に成功するであらう、との言葉を、我々は移してまた進化の概念についても語り得るであらう。
* Georges Sorel, De l'utilit※(アキュートアクセント付きE小文字) du Pragmatisme, p. 365 et suiv.
** 所謂自然辯證法の問題を論ずるにあたつても、辯證法が果して自然をそれの固有なる成立の地盤としてゐるか否かは最も吟味を要するであらう。總じて自然辯證法を唯物史觀の根柢に据ゑようとする立場は、左の問題を十分に考慮すべきであらう。一、自然辯證法を除いても辯證法的なる史的唯物論は獨立に成立しないか否か。二、辯證法の成立する固有なる領域は自然であるか否か。三、自然科學は所謂イデオロギー的要素を含まぬか否か。四、最も進歩した自然科學は現實に辯證法を支持してゐるか否か。かくして最後に問題は根本に還つて來る、辯證法とは何であるか。
 存在の歴史性を把握しないことによつて、ベルグソンの哲學にとつてひとつの重大なる結果が起つて來るやうに見える。私はそれによつて彼の思想の中心をなすところの時間及び運動が何等現實的な意味をもたぬものと結局なりはしないかを恐れる。實在的なる持續(dur※(アキュートアクセント付きE小文字)e r※(アキュートアクセント付きE小文字)elle)は事物を噛みそしてそこにその齒の跡形をのこすところのものである、とベルグソンは云ふ。然しながら若し凡てのものが時間のうちにあり、凡てのものが内面的に變化し、そしてその各の瞬間が相互に限りなく浸透してゐるとするならば、そこには過去、現在、未來なる時間の諸契機を分つところの何物もないであらう。このやうな持續は進むとも退くとも云ひ得ず、これを持續と呼ぶことさへ不可能であらう。若し強ひて語るならばそれは唯「永遠の今」として名附けられ得るばかりである。かくて直觀の方向に從へば永遠があるのみであつて、過現未の契機を有する現實的なる時間は見出されない。それでは反對に概念の方向に從へば如何であらうか。概念的認識の本質は、譬喩的に云へば、未來と過去とを現在の函數として計算し得るが如く見做すにある。けれど眞實を云へば、それは時間的繼起の關係を空間的並置の關係に直すことである。一言にして云へば、ベルグソンの謂ふ「流れる時間」(le temps qui s'※(アキュートアクセント付きE小文字)coule)は永遠であつて時間でなく、「流れた時間」(le temps ※(アキュートアクセント付きE小文字)coul※(アキュートアクセント付きE小文字))は空間であつて時間でない。即ちベルグソンには現實的なる時間は何處にもないのである。若しさうであるならば、そのことと關聯して、彼の最も力説する運動及び變化の實在性といふこともまた現實的なる意味を奪はれるであらう。現實的なる時間及び運動の概念は、ベルグソンの如く、知的なる直觀を謂はば生の中心におき、それと共に實踐をそれの周邊に退ける態度からしては生れて來ない。それらはただ優越なる意味に於て現實的なる、歴史的なる實踐の基礎經驗のうちにのみその具體的なる地盤を有する概念である。今この基礎經驗の分析に這入るのをやめて、私はここにはただひとつの歴史的事實を注意しておかう。靜觀的なる生(β※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、103-9]ο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) θεωρητικ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、103-9]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57))を最高としたギリシアの思想にとつては凡ては畢竟自然であつた。歴史の概念はヘブライ人、殊に彼等の豫言者たちの實踐的なる生の中から初めて産れたのである。
* オックスフォードに於けるベルグソンの講演、≪La perception du changement≫はこの問題の論究によき手懸を與へる。更に、W. James, The experience of activity (Essays in Radical Empiricism ※(ローマ数字6、1-13-26).) なる論文參照。
 然るにひとたび生の歴史性(Geschichtlichkeit des Lebens)が明瞭に把握されるや否や、我々はもはやベルグソンの如くそれの理解を直觀に委ねてしまふことが出來ない。我々はこのときむしろディルタイの如くに語るべきであらう。「人間が何であるか、はただ歴史のみが語る。歴史的研究を見棄てることは人間の認識を斷念することである。」生が何であるかを、我々は感傷的な瞑想、天才的な、斷片的な直觀、若くは心理學的實驗によつて知るのではなく、却て歴史を通して知るのである。歴史的諸生産物の聯關、更にはそれの形成されるところの歴史的諸過程の分析が初めて客觀的に人間を理解せしめる。むしろ生はその存在に於て本質的に歴史的であるが故に、それの認識は分析的であり得る。ベルグソンは、「或ひは哲學が可能でなくして事物についての一切の知識がそのものから引出される利益に對して向けられた實際的知識であるか、或ひは哲學することが直觀の努力によつて物そのもののうちに身をおくことに成立してゐるかである」、と主張する。然しこのやうな alternative は存在の根源的なる歴史性に對する無智のうちに於てのみ意味を有する。存在は歴史的であるから、我々がそれについて分析的に、學問的に、體系的に、漸次に認識を獲得してゆくことは可能である。そしてまさしくその故に哲學が「學問」であることを斷念して、直觀にひたすらに身を委せることは無用でもあれば、正當でもないのである。
* Wilhelm Dilthey, Gesammelte Schriften, ※(ローマ数字4、1-13-24). Band, S. 529.


 さてソレルが「マルキシズムの解體」(la d※(アキュートアクセント付きE小文字)composition du marxisme)――彼はこの表題のもとに書を著してゐる――に抗して、マルキシズムをその眞髓に於て甦らせようと欲したとき、彼は屡彼の理論の根據をベルグソンに求めようとした。それ故に我々は進んでサンヂカリズムとベルグソンの哲學との交渉について論究を試みるであらう。
 ソレルは階級鬪爭においてマルキシズムの根柢を見る。この鬪爭を戰ふべき方法は、直接行動(l'action directe)を措いてない。サンヂカリストは議會、立法等の所謂合理的なる迂路を經ずして、直ちに勞働組合の暴力(violence)の行使による總同盟罷工(gr※(グレーブアクセント付きE小文字)ve g※(アキュートアクセント付きE小文字)n※(アキュートアクセント付きE小文字)rale)に訴へようとする。このときこの直接行動の目的として如何なる未來の理想社會をも描くことが許されない。プロレタリアの暴力は革命的變革の運動である。然るにベルグソンによれば、運動は分ち得ぬ全體であつて、そこでは出發點も到着點も問題となることが出來ない。從て革命的運動が豫め定められた方向に都合好く進行することを期待するのは無意味であつて、むしろそこでは凡ては豫見し得ない。豫見するとは未來のうちへひとが過去に於て知つたことを投射するにある。「ひとは未來について過去に類似するところのもの或ひは過去の諸要素に類似なる諸要素をもつて再び組立て得るところのものの外は先見しないのである。」その各の瞬間が獨創的なる歴史の獨創的なる瞬間である全體的流動的過程にあつてはあらゆる豫知が拒まれてゐる。豫知するといふことはものが創造されるに先立つてそれを創造することであるから自己自身に矛盾する。即ち革命的運動は理知の分析を容れぬものである。然るに「ユートピアは一の知的勞作の産物である、それは理論家の作物である**。」理論家は事實を觀察し、反省し、論議した後に、現存する社會をそれと比較し得る模型を作る、それはひとつの想像的な制度であるが、然もそれに關して思辨し得るために十分であるやうに現在の社會との類似を含んでゐる。これに反して如何なるユートピアとも係りなき總同盟罷工は、ソレルの語を用ゐれば、一の mythe である。ミトは「事物の敍述でなく、却て意志の表現である。」それは一個の社會團體の確信の運動の言葉をもつての表現であり、從て諸部分に解體し能はぬものである。總同盟罷工は一の分たれぬ全體として見られねばならぬ。それ故に實行の如何なる細目も社會主義の智慧にとつて利益を供しない、のみならず若しひとがこの全體を部分に分解しようと試みるならば彼はこの智慧に於て或る物を失ふ危險にある、と云はれることが出來る。「ミトは現在の上に働きかける手段として判斷されねばならぬ。歴史の過程の上にそれを實質的に適用する仕方についての一切の議論は意味無きことである。重要なのはひとりミトの全體である***。」「現代の社會に反對して、社會主義によつて開始された戰鬪の種々なる運動に相應する諸感情の總體を、一切の反省された分析に先立つて、全體としてそして唯一の直觀によつて(en bloc et par la seule intuition, avant toute analyse r※(アキュートアクセント付きE小文字)fl※(アキュートアクセント付きE小文字)chie)喚び起すことの可能なるところの心象の全體に訴へることが必要である。サンヂカリストは全社會主義を總同盟罷工の劇のうちに集中することによつてこの問題を完全に解決する****。」
* H. Bergson, L'※(アキュートアクセント付きE)volution cr※(アキュートアクセント付きE小文字)atrice, p. 30.
** G. Sorel, R※(アキュートアクセント付きE小文字)flexion sur la violence, p. 46.
*** Op. cit., p. 180.
**** Ibid., p. 173.
 ソレルの思想のうち最も特色あるものはこの mythe social の概念である。彼は世界歴史のあらゆる革命的時代に於て、例へば、原始基督教、宗教改革、フランス革命等にあつて、夫々ミトを見出し得ると信じた。これらの時代に於て如何に人々が革命に對してつねに準備されてゐたかを探究するとき、我々は彼等がつねに、時代に從つて各異つた形式を有する社會的ミトを頼みとしてゐたことを容易に知り得る。一定の社會團體の意志と確信の表現としてのミトの認識は歴史家にとつて重要である。ソレルは更に云ふ、「主知主義の哲學はまことに、歴史上の大なる諸運動の説明に對して、根本的に無力なものである。」ひとはミトを、物をその要素に解體する如く、分析することなく、却てこれを一の歴史的勢力として全體として捉へなければならぬ、「殊に、行動の前に受け容れられてゐた諸表象(即ちミト)と成し遂げられた諸事實とを比較することを愼しまなければならない**。」ミトは革命を全體として與へる。それ故にそれはこの革命の運動を、恰もこのものを構成する如く見られるところの、系列的に並べられた繼起的なる諸斷片に解體することを許さない。不可分的であるべき運動が諸部分に分解され得ると思惟するところに、あらゆる改良主義、合理的議會主義等の誤謬は横はつてゐる、とソレルは主張する***
* Op. cit., p. 38.
** Ibid., p. 33. ベルトラムはその注目すべき著作『ニイチェ』(E. Bertram, Nietzsche.)の中で Mythos について語つてゐる。彼によれば歴史はひとつの Mythologie である。「説話」(Legende)は歴史的傳承の最も根源的なる形態である。それは古代と現代、聖者と民衆、英雄と農民、豫言者と後代とを結びつける。歴史的なる人格はただ説話の形態に於てのみ存續する。彼は形象として、ミュトスとしてのみ生きるのであつて、嘗て在りし者の知識及び認識としてではない。如何なる分析的方法もこの形象を形造ることが出來ない。ところでベルトラムの概念とソレルのそれとの間の根本的相違は、一が個人の人格の後の歴史のうちに働く力として傳承されるところの形態に關係してゐるのに反して、他は一定の社會團體が現存の歴史に對してまさに革命を實行せんとするところの形態に關係してゐるにある。
*** La d※(アキュートアクセント付きE小文字)composition du marxisme, p. 59.
 サンヂカリズムの思想とベルグソンの哲學とは果して合致するであらうか。直接的なる運動が理知の分析を容れぬとする點に於て、未來の發展が豫知を許さぬとする點に於て、兩者の間に吻合點の認められるのは固よりである。我々はユートピア的社會主義、政黨主義等をベルグソンの謂ふ知性に、そして革命的サンヂカリズムをベルグソンの直觀に配し得るやうに見える。然しながら飜つて考へるならば、ベルグソンにあつては直觀は、知性がつねに人間の行動と聯關してゐるのに異つて、實踐と全く係りなきものである。これに反してサンヂカリストの直觀はそれが行動の動力である。若しベルグソンに於て行動の直觀的なる原理を求めるならば、それは知性に對する直觀(intuition)ではなく、却て知性に對する本能(instinct)であるであらう。そして實際、ソレルは總同盟罷工若くは暴力のミトがプロレタリアの間に於ける自然成長的(spontan※(アキュートアクセント付きE小文字))なものであり、本能的に悟られるものである、と述べてゐる。しかしここまでベルグソンとの間の類似を押して來るとしても、なほ兩者の間には原理的なる差異が存在するであらう。けだしソレルにあつては、「階級鬪爭が一切の社會主義的考察の出發點である。」暴力と雖もそれが階級鬪爭のなまの、明かなる表現でない限り歴史的價値をもたない。階級とは一の歴史的概念である。然るにベルグソンにあつては存在は斯くの如き客觀的歴史的規定に於て考へられることなく、客觀的に考へられる限り、存在はつねに生物學的に捉へられてゐる。所謂「エラン・ヴィタール」に於ては階級、況んや階級の對立は基礎付けらるべくもない。ベルグソンの場合、知性と本能との對立は矛盾なく生の流れの中へ流れ込む。ソレルの場合、直觀と知性とは相矛盾する二つの階級の表現であり、そしてその限りに於てのみ意味を有する。階級の絶對的なる對立を高調することに於てソレルは最も徹底的である。この點に於てサンヂカリズムは、連續を説くベルグソン的思想と一致しないのみならず、またその根本精神に於て調停的でデモクラチックであるジェームス流のプラグマチズムと最も著しい對立に立つてゐると見られねばならぬであらう。
 この相違は更に次のことを考察することによつて愈顯著となる。ベルグソンに於て未來は豫知し得ないにせよ、しかも一の持續のうちにそれは過去及び現在と相互に連續してゐる。ところがソレルに於て總同盟罷工がひとつの眞に完全な仕方に於て提供するものは「全體的なる異變の繪」(le tableau de la catastrophe totale)である。社會政策主義者や社會改良論者が連續的なる「進歩」を實現しようと努力するのとは反對に、サンヂカリストは「資本主義から社會主義への經過を、それの過程は敍述し得ぬところのひとつのカタストロフとして理解する。」過去及び現在、そして未來との間にはあらゆる連續が拒まれてゐる。ここに我々はソレルの思想がベルグソン的であるよりも、むしろその精神に於てキリスト教的であることを見逃すことが出來ぬであらう。彼はキリスト教的社會の誕生を細心の用意をもつて研究し、この研究に大なる重要さをおいた。何故なら、若し社會主義が勝利を得べきであるならば、それはそれが初代キリスト教徒の用ゐたのと類似した手續を使ふことによつてである、と彼には見えたからである。プロレタリアにとつて總同盟罷工、社會革命は、今日、復活や神の國の到來が初代キリスト教徒にとつて演じたのと同じ役割を演ずる。私は實にソレルにおいて最後の審判、かの終末觀(eschatologie)の觀念を見る**。ブルジョア社會は今や最後のデカダンスに陷つてゐる。このデカダンスから人類を救ひ出すものは唯プロレタリアの暴力の行使による究極的なるカタストロフしかない。この全體的なる破壞から生ずる世界は窺知することを許さない。それ故に革命的階級は「不確實なるもののために働く」のである***≪On travaille pour l'incertain.≫即ちプロレタリアの革命的行動はパスカルの所謂「賭」である。この賭による以外人類の現在の墮落に對する救濟の途はない。それによつてのみ全く新しい歴史は始り得る。或る人がサンヂカリズムを「熱烈なる社會的ジャンセニスム」(ardent jans※(アキュートアクセント付きE小文字)nisme social)と呼んだのは理由なきことではないであらう****。現在社會と將來社會との間の絶對的なる距離を力説し、この間の轉換がただ賭による意志決定を通じて可能であると見做す點に於て、サンヂカリストは疑ひもなくパスカリザンである。サンヂカリストにとつては同盟罷工が成功するか否かは問ふところではない。彼等はユートピスト流のオプチミスムをもつて却て反動的と見做してゐる。ひとつの絶對的なるカタストロフが押し迫つてゐる、この感情に於て彼等は明かにペシミストである。然しながらソレルはペシミスムなくしてはこの世に於て如何なる崇高なるものも成就されないと確信する。同盟罷工が失敗するとしても、それによつてプロレタリアが教育され、巨大なる事業に對して準備されるといふことがサンヂカリストにとつて重要なのである。異變と救濟、絶望と希望、この分たれたる感情の間にあつて、我々がサンヂカリストに於て紛ふ方なく感ずるものは高貴なるものに對する情熱であらう。
* Op. cit., p. 217.
** マルクスもまた共産社會と共に全く新しい歴史が始るとし、それまでの從來の一切の歴史を人類の「前史」と見做し、歴史のこれら二つの時代の間には絶對的なる分離が存在すると考へた。Sorel, Op. cit., p. 201.
*** この言葉はパスカルの心を打つた聖アウグスチヌスの言葉である(Pens※(アキュートアクセント付きE小文字)es, 234.)。ソレルは時々パスカルの名を掲げてゐる。なほ賭については、拙著、『パスカルに於ける人間の研究』參照。
**** Georges Guy-Grand, La philosophie syndicaliste, p. 61.
 高貴なるもの、崇高なるものへの感情に於て、私はソレルがニイチェに接近するのを見る。前者がプロレタリアートとブルジョアジーとの間の越ゆべからざる溝渠を説くところに、私は後者の所謂「距離の情熱」(Pathos der Distanz)を感ずる。ニイチェは『道徳の系譜學』(Zur Genealogie der Moral)などに於て、距離の情熱から道徳的價値判斷の發生を説明した。我々はソレルが「暴力の道徳」を語り、「生産者の倫理」を語るとき、まさにこれに類したものを發見する。彼がブルジョアをもつてデカダンスを、プロレタリアをもつて生の原的エネルジーを代表させるところに、我々はニイチェの俗人と超人との關係を見ないであらうか。今日ヨーロッパは民主主義、平和主義、人道主義等によつて馴らされ、馬鹿にされ、昔のエネルジーを失つた。プロレタリアの暴力のみがひとりこの無氣力に根源的なる生――ニイチェの blonde Bestie――の精氣を與へ得る。この暴力のみがひとり、資本家として現在の妥協的傾向から脱せしめて、彼等に彼等がかつて所有したエネルジー、鬪爭的性質を賦與するところのものである。プロレタリアこそ、ソレルがヴィコの用語に從つて用ゐた言葉を使へば、あまりに老いた現代文明に對して、一の「更新」(renouvellement)を實現する。プロレタリアは「ブルジョア的怯懦」(l※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)chet※(アキュートアクセント付きE小文字) bourgeoise)のためにデカダンスに墮した人類の中へ新しい精氣を流し込み、世界を更新し得る新しい力である。
 さてマルキシズムの「新學派」であるサンヂカリズムは正統マルキシズムに對して如何なる關係にあるであらうか。私は最後にこの間題に觸れよう。所謂新學派はマルクスの思想に於て階級鬪爭を正面へ持ち出し、それのうちになほ殘存すると見えるユートピアを全く排除することによつて、革命的マルキシズムを生かし得ると信ずる。それにも拘らず兩者の間には本質的なる對立が存在する。サンヂカリズムはマルキシズムの根抵をなす唯物辯證法を知らない。それがその精神に於て如何に觀念的であるかは、既に上の敍述によつて明瞭であつて、再び繰り返す必要がないであらう。ソレルが唯物論的に語ると考へられるとき、彼は「經濟史觀」の範圍を出てゐないのである。彼に於て歴史の運動は辯證法的でない。そこに何等かの法則が認められる限り、ソレルはヴィコの影響のもとに立つてゐる。ヴィコは我々に人類が二つの條件に從つてゐることを教へた、即ち先づ人類は、本能、ヘロイズム、詩から出發して、理知、法律、科學へ向つて行くといふ、規則的な順序を、そして次にこの順序の繰返を有する。この繰返を新たに再び始めるといふことは反省や知的なる批評の仕事から出て來ることが出來ない、それは、その出發點に本能的なる、熱情的なる、ミトロヂックなる或る物があるときにのみ生れ得る。ソレルは理知的な、合理的なブルジョアジーがその文化によつて骨拔きにされ、活動と信仰とに對する絶對の無能力に達したとき、歴史をして再び開始せしめるものはプロレタリアートであると考へる。かくて彼はこの階級に於ける本能的なるもの、自然成長的なるものを極端にまで尊重する。その結果理論と本能、目的意識性と自然成長性とは相對立する二つの階級の間に絶對的な仕方に於て分配されるのである。プロレタリアートは單にブルジョア的イデオロギーを除去すべきであるばかりでなく、またあらゆる理論を、理論そのものを排斥すべきである、なぜなら理論的なるものは凡てブルジョアジーに屬してゐるからである。このやうにしてまたサンヂカリストは鬪爭手段としても目的意識的であると見做されるところの政治的手段を全然退けて、ひとり自然成長的であると信ぜられるところの總同盟罷工に訴ふべきであるとする。マルクスによれば、「各の階級鬪爭は然しながら一の政治的鬪爭である。」經濟的諸條件は先づ大衆を勞働者に變形した。資本の支配はこの大衆に向つて一の共同の状態、共同の諸利害を創造した。かくてこの大衆は資本に對しては既に一の階級であるが、自己自身にとつてはなほ未だ階級ではない。鬪爭の進展につれてこの大衆は結合し、自己自身にとつての階級を構成する。彼等が防禦する諸利害は階級の諸利害となる。「ところが階級對階級の鬪爭は一の政治的鬪爭である」、とマルクスは云ふ**。既に政治的鬪爭である以上、そこでは政治的鬪爭手段は避けられないばかりでなく、また大いに重大とされねばならぬ。次に、マルクスは理論を排するのでなくて、却て極めて理論を重要視する。彼の攻撃するのは現實の根柢を缺ける理論である。彼は云ふ、「共産主義者たちの理論的諸命題は、此れまたは彼れの世界改良家によつて案出され若くは發見されてゐるところの諸觀念の上に、諸原理の上に基礎をおくものでは決してない。それはただ、現存する階級鬪爭の、我々の目前で行はれつつある歴史的運動の、事實上の諸關係の一般的なる表現である***。」共産主義の理論は勞働階級の諸關係の中から言ふまでもなく自然成長的に發生しはするけれども、それが理論である限り、理論としての力を現はすべきである限り、目的意識性はそれの條件である。レーニンは、殊に『何を爲すべきか』(Que faire?)の中で、所謂エコノミストその他に反對して、目的意識性を力説した。理論に對する無關心こそ、理論鬪爭の缺如こそ、實にプロレタリア運動の發展に對する妨害である。彼は『ドイツ農民戰爭』の中からエンゲルスの次の言葉を引用してゐる****。「ドイツの勞働者たちはヨーロッパのその他の國の勞働者たちにまさつて二つの重要なる長所をもつてゐる。第一のものは、即ち、彼等がヨーロッパの最も理論的なる民族に屬すること、そして彼等が、ドイツの教化された諸階級によつて殆ど全く失はれた、理論のこの意識を保存したことである。この理論に先立つたドイツ哲學なしには、殊にヘーゲルの哲學なしには、ドイツの科學的社會主義、嘗て存在した唯一の科學的社會主義、は決して構成されなかつたであらう。彼等には生具なるこの理論的意識なしには、勞働者たちはこの科學的社會主義を斯くの如き點まで決して同化しなかつたであらう。云々。」かくしてサンヂカリズムとマルキシズムとの對立は我々にとつてもはや明瞭になつて來た。
――(一九二七・一一)――
* Das kommunistische Manifest.
** Mis※(グレーブアクセント付きE小文字)re de la philosophie, p. 217.
*** Das kommunistische Manifest.
**** Que faire? p. 25. et suiv.
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ヘーゲルとマルクス



 ヘーゲルの『法律哲學綱要』の序文の中に我々は次の如く書かれてゐるのを見出す、「個人に關して云へば、もとより各の者は彼の時代の子である。哲學もまたさうであつて、思想に於て把握されたそれの時代である。何等かの哲學がそれの現在の世界を越えて行くと思ふのは、個人が彼の時代を飛び越え、ロードゥスを飛び渡ると思ふと同じく馬鹿なことである。」もしこの言葉にして眞であるならば、それは何よりも先づヘーゲル自身の哲學に對して適用されねばならぬであらう。まことにヘーゲル哲學はそれの屬するロマンティクの時代、この時代の存在の基本的構造としてのロマンティク的基礎經驗の最も宏大なる表現ではあるが、しかしなほロマンティクを越えて進むことが出來ず、却てこのものによつて根本的に限定されてゐる。基礎經驗の構造はイデオロギーの構造を規定する。ヘーゲル哲學に於ける最も強力なるもの、その辯證法的方法と雖も、ロマンティク的基礎經驗によつてその構造を規定され、斯く規定されることによつてその意義と特質とを獲得すると共にまたその制限と限界とをも賦與されてゐる。けだし辯證法は形式論理學の如きものではない。ヘーゲルは考へる、哲學は學問であるべきであるが、それはこのためにそれの方法を下級の學問、例へば數學の如きから借りてはならず、それかと云つて、また内的直觀の斷言的なる保證に身を委せてもならず、更にそれは外面的なる反省の根據からの論證、即ち形式論理學を用ゐることも許されない。認識の絶對的なる方法は同時に「内容そのものの内在的なる魂」であるべきである。學問的認識のうちに運動するものは内容の本性であり得るのみである。「方法とはそれの内容の内的なる自己運動の形式についての意識である」(die Methode ist das Bewusstsein ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Form der inneren Selbstbewegung ihres Inhalts)、とヘーゲルは云つてゐる。さうであるとすれば、ヘーゲルの辯證法的方法はその特性を、彼の學問的加工に這入つて來た存在の特殊性によつて、與へられねばならぬであらう。私はこの聯關をいま少し嚴密に分析してみようと思ふ。
* Hegel, Wissenschaft der Logik, Hrsg. v. Lasson, Erster Teil, S. 35.
 私は存在の最も原始的なる構造を一般に基礎經驗と名附けて來た。基礎經驗は直接に、謂はば裸のままで、イデオロギーの中へ取り容れられるのではなかつた。兩者の間には媒介がある。そして私はアントロポロギーをかかる媒介として指し示した。しかるに、アントロポロギーの媒介を通じて基礎經驗がその特殊な構造に於て解明されることによつて、イデオロギーにとつて先づ成立するものは、私が「存在のモデル」と呼ばうと欲するところのものである。このものに於て基礎經驗は自己をその特殊性に從つて抽象せしめる。この抽象の過程は全く自然的に行はれる。なぜかならば、各の基礎經驗の特殊性は人間の存在の特殊なる交渉の仕方によつて規定されてをり、そしてアントロポロギーはこの人間の存在が恰もその交渉の仕方に應じて直接に自己の本質を把握することによつて夫々特殊なる形態に於て成立してゐるが故に、基礎經驗とアントロポロギーとの間には同質性、むしろ通約性とも見らるべきものが存在するからである。存在のモデルはこのやうにして全く自然的な抽象の過程によつて生成するをもつて、まさにそのために、それは殆ど凡ての理論家によつてその抽象的本質を洞察されることなく、却て最も具體的なるもの、最も根源的なるものとして主張されることがつねである。かかる存在のモデルとして、基礎經驗の種々なる構成要素が、或ひは人間の存在が、しかもときには意識、ときには身體が、若くは世界の存在が、しかもときには人間の世界、ときには自然の世界が、歴史に於て自己を抽象せしめて來た。ひとたびこのモデルが成立するや否や、それはモデルとして、存在のあらゆる研究にとつて指導的な、支配的な位置に立つこととなる。一切の存在はこのモデルによつて代表されるか、若くはそれの形式に從つて調節され、變容されるか、して初めて理論的構成のうちに現實的には這入つて來ることが出來る。存在のうち理論家が學問的に最も研究さるべき根本的な存在として眞面目に問題にするのは、このモデルの意味を擔ふ存在ばかりである。他の種類の存在は彼等によつて、意識的あるひは無意識的に顧られないか、または暴力をもつてそのモデルの形式の中へ押込められるかするのが普通である。ここに我々はひとつの根本原理を把握する、即ち存在は先づ存在を抽象することによつて理論を抽象する。いま一定の歴史的時代に於て特に「意識」が存在のモデルとして妥當してゐるとせよ。このとき意識は固より抽象的な存在であるに拘らず、その抽象的本質に於て認識されることなく――この批判的なる認識は上に述べた理由からして、基礎經驗したがつてアントロポロギーの變化と發展のみがひとりよく成就し得るところである――、寧ろこのものこそ最も根源的なる、最も具體的なる存在として定立される。このとき歴史的社會的存在は無視され、それが問題となる限りに於ては、それはそれが意識に在る限りに於てのみ、意識の形式に於て捉へられ得る限りに於てのみ、取扱はれるのである。あからさまに研究の對象となるのは意識ばかりである。斯くの如く存在と理論との聯關はつねにただ存在のモデルを通じて行はれる。從て一定の理論の構造の研究にとつて、何がそこに存在のモデルの役割を演じてゐるかを發見するといふことは、重要なことであらう。基礎經驗やアントロポロギーが歴史的に制約されてゐるやうに、各の歴史的時代は種々相異る存在のモデルを有して來たのである。この場合次のことが注意されねばならぬ。ロゴスはその本性上經驗に對して優越なる位置にあり、これを支配し、指導しようとする。平生我々は我々の既に有するロゴスの見地からしてのみ存在と交渉し、これを經驗する。私はこのやうな經驗から基礎經驗を區別した。丁度そのやうに、右に敍述したが如くにして存在のモデルが形成される過程から、このものが形成されるところのひとつの他の過程が區別されねばならぬ。即ち存在のモデルがロゴスの見地から形作られる場合がそれである。ロゴスのうち最も優越なるものは言ふまでもなく學門的[#「學門的」は底本では「學間的」]認識であらう。しかるに學門的[#「學門的」は底本では「學間的」]認識の中に於ても、或る時代にあつては或る特定の種類の認識が、他の時代にあつては他の特定の種類の認識が、一切の認識に對するモデルとして現はれる。それのみでない、この認識のモデルの構造が存在のモデルにまで高められ、かくしてあらゆる存在がこのモデルの構造を通じてのみ理論的構成の中へ取り容れられることがある。例へば、形式論理學または數學が認識のモデルとされて、一切の認識はこの認識の形式に填る限りに於て「學問性」を與へられるばかりでなく、この認識の構造が存在一般の構造の原型と見做され、存在はそれに於て解明され得る限りに於てのみ存在として、――現今普通に「認識の對象」といふ高貴なる名をもつて呼ばれてゐるところの存在はまさに斯くの如きものではないであらうか、――理論的考察に値すると考へられる。このとき存在は存在の側から、或ひは、存在はその存在に於て問題とされない。寧ろこのとき存在そのものの無視が實に學問性の名に於て公然と行はれるのである。存在のモデルの抽象性は、先きの場合にあつては、基礎經驗そのものによつて基礎付けられてゐるが故に、その基礎經驗を有する一定の時代の範圍内に於ては、現實的意義を失ふことがない。これに反して今の場合にあつては、具體的な存在は元々から絶縁されてゐるから、存在のモデルの抽象性はただそれに於てこの絶縁が完成されることを意味するに外ならないのである。さて、もし我々の分析にして正しいならば、我々は、何がヘーゲルに於て存在のモデルであつたかを見究めることなしには、彼自身、物の自己運動の形式であると考へたところの彼の辯證法の特質を把握し得ないであらう。けだしマルクスにあつても辯證法は物の自己運動の形式以外の何物でもない。そして哲學者のうち嘗てへーゲルほど歴史的社會的存在に關して廣汎な、透徹した研究を爲し遂げた者はない。それにも拘らず、マルクスは彼の辯證法をヘーゲルのそれに對立せしめてゐる。「私の辯證法的方法は、根本において、ヘーゲルのそれとただに異なるのみならず、むしろその正反對のものである」、とマルクスは記し、また、「辯證法は彼にあつては逆立ちしてゐる」、とも云つてゐる。等しく客觀的歴史的存在を考察しながら、そして時としてはその考察に於て唯物論的傾向を示しながら**、何故にヘーゲルの辯證法が觀念的であつたかといふことは、彼に於ける存在のモデルを檢討することによつて具體的に究明されることが出來る。なぜならイデオロギーにとつて存在は存在のモデルを通じて初めて現實的に存在として在る。辯證法は單純に、抽象的に、物の自己運動の形式であるのでない。存在のモデルに於て限定された存在の運動法則としてのみ、辯證法は現實的意義を有するものである。然しながら、この問題を追ふに先立つて、我々はマルクス主義がヘーゲル哲學に於ける制限として思惟したところのものを吟味しておかう。
* 拙稿、問の構造(「哲學研究」第百二十四、百二十八號)參照。
** 笠信太郎氏譯、プレハノフ、『ヘーゲル論』、參照。
「理性的なるものは現實的である、そして現實的なるものは理性的である」(Was vern※(ダイエレシス付きU小文字)nftig ist, das ist wirklich ; und was wirklich ist, das ist vern※(ダイエレシス付きU小文字)nftig.)、とはヘーゲルの有名なる命題である。彼は云ふ、「在るところのものを把握するといふことが哲學の課題である、なぜなら在るところのものは理性であるから。」然しながら現實性は、ヘーゲルの思想に從へば、與へられた事實にあらゆる状況のもとにあらゆる時代にあつて屬するところの屬性でない。ローマ共和國は現實的であつた、けれどそれを推し除けるローマ帝國もまた現實的であつた。フランス王政は千七百八十九年に於て、ヘーゲルがそれに就ては絶えず感激をもつて語つた大革命によつて、絶滅されねばならなかつたやうに、非現實的となり、かくて一切の必然性を奪はれ、非理性的となつた。それ故にこのとき王政は非現實的なるものであり、革命は現實的なるものであつた。このやうに發展の過程に於て凡て以前に現實的なるものは非現實的となり、その必然性、存在の權利、その合理性を失ふ、そして滅びつつある現實的なるものの代りにひとつの新しい、生存の能力ある現實が現はれるのである。各の歴史的状態は、それがその起源を負ふところの時代とその條件にとつては必然的である、然しながらそのもの自身の懷の中から發展するところの一層新しい、一層高い條件に對してはそれは力無きものである、それは一層高い段階に場所を讓らねばならぬ、そしてこのものもまたそれ自身次には崩壞と滅亡の列につらなるのである。エンゲルスはヘーゲルのかの有名なる命題を實に斯くの如くに解して云つてゐる、「このやうにしてヘーゲルの命題はヘーゲルの辯證法そのものによつてそれの反對へと囘轉する。人間歴史の領域に於て現實的なる一切のものは、時と共に非理性的となる、それ故に既にそれの規定に於て非理性的であり、元々から非合理性(Unvern※(ダイエレシス付きU小文字)nftigkeit)を負はされてゐる。」「一切の現實的なるものの合理性に關する命題は、ヘーゲルの思惟方法のあらゆる規則に從つて、他の命題に自己を解消する、即ち、存立する凡てのものは、沒落するに値する。」そしてまさしくそこにエンゲルスはヘーゲル哲學の眞の意義、それの「革命的性質」(der revolution※(ダイエレシス付きA小文字)re Charakter)は横はつてゐると考へた。それは人間的思惟及び行爲の一切の結果の究極性を打ち碎く。哲學に於て認識さるべき眞理は、ヘーゲルにあつてはもはや、ひとたび發見されて、ただ暗誦的に學ばれることを欲するところの、出來上つたドグマの蒐集ではない。眞理は認識そのものの過程のうちに、認識の低次の階梯から絶えず高次の階梯へと昇りゆく學問の歴史的發展のうちに横はつてゐる。しかるにこの發展は所謂絶對的眞理の發見によつて、そこでは更に前進することの不可能であるが如き點に決して到達することがない。實踐的活動の領域に於ても同樣である。ここでもまた歴史は人類の完全な理想状態、完全な社會、完全な「國家」に於て一の完成した終結を見出すことがない。辯證法的哲學は最後妥當的なるもの、究極的なるもの、絶對的なるものに關する一切の表象を解消する。我々はこのことを形式的には次のやうに表現し得るであらう。辯證法にあつては、正は反を樹て、兩者の矛盾は合に於て統一される、けれど綜合が成立するや否や、それはそれ自身またひとつの(高次の)正として現はれ、そしてそれの反對者を自己に對立せしめる、この矛盾は再びひとつの(高次の)合に於て綜合されはするけれども、この綜合はそれ自身やがて矛盾に陷るべき綜合である。かくして辯證法は、方法として、形式的には、限無き發展の過程を意味するのみであつて、自己のうちに終結または完了の必然性を含まない。歴史に於ける各の形態はその實現に於て自己を同時にみづから解消し、それ自身の否定をそれの結果としてもつ、そしてこのやうにして一層高い形態へと轉化する。かかる終結なき、完了することを知らぬ轉化の必然性のうちに辯證法の革命的意義は存在する。尤も辯證法はまたひとつの保守的な方面をもたぬではない。それは一定の認識並びに社會の段階のそれの時代及び状態に對する權利を承認する、しかしまたただその限りに於て承認するのみである。「この見方の保守主義は相對的である、それの革命的性質は絶對的である――それが妥當せしめるところの唯一つ絶對的なるものである。」然るにヘーゲルは彼の方法のこの必然的な歸結を明らさまには斯くの如き鋭さをもつて導かなかつた。このことは、エンゲルスに從ふならば、ひとつの單純な理由からである。即ち彼は一の體系を作るべく迫られ、そして哲學の體系は在來の要求によれば何等かの種類の絶對的眞理をもつて閉ぢられねばならなかつたからである。ヘーゲルはその方法に從つて永遠の眞理が歴史的過程そのもの以外の何物でもないことを高調しながら、彼の體系に於ては何處かで終局に達せねばならなかつたが故に、恰もその故に彼自身はこの過程に終結を與へるやうに餘儀なくされた、とエンゲルスは考へる。かくて、ヘーゲルは彼の哲學に於て歴史に於ける哲學的認識の全發展は完了し、それの一切の矛盾は完全に、最後究極的に止揚され盡したとなした。歴史の終局は人類が絶對的理念の認識に到るにある、ところで彼はこの認識がまさにヘーゲル哲學に於て到達されたものの如く言明する。彼は斯くの如く彼の體系の全體のドグマを絶對的眞理として宣することによつて、彼の辯證法的なる、一切のドグマ的なるものを解消する方法と矛盾に陷ることとなる。何故なら、辯證法に從へば、彼の哲學が從來の哲學の歴史的發展に於ける凡ての矛盾の綜合として結果したとしても、それが成立するや否や、それはひとつのテーゼとして、必ずそれのアンティテーゼを豫想すべきであるからである。歴史的實踐に關しても同じことが語られ得る。絶對的理念の社會的客觀的なる表現形態は國家に於てその發展を完成する、そしてヘーゲルはかかる完成の實現をフリードリッヒ・ウィルヘルム三世の國家に於て現實的に見た。しかるに辯證法によれば、この國家と雖も人間社會の低きより高きへ昇る限なき發展過程に於ける一の單なる段階であるべきであるから、斯くの如く見ることによつてヘーゲルは自己自身に矛盾する者でなければならないであらう。
* Engels, Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen Philosophie, S. 17.
 ヘーゲルのこの錯誤は何に由來するのであるか。それは、エンゲルスの説明した如く、體系に對する彼の欲望が彼の方法を制限したのに基くのであらうか。換言すれば、辯證法の革命的性質は體系の保守的傾向によつて窒息せしめられたのであらうか。事柄はそのやうに形式的ではない。けだし體系と方法との分離こそまさにヘーゲルがつとめて反對したところである。彼にあつては成果はそれの生成の道から別たれることが出來ぬ、結果の敍述(Darstellung)は同時にそれの生産過程(Herstellung)であることを要求する。それ故に、若し彼の體系にして保守的であるならば、彼の方法そのものもまた既に何等かの保守的性質を擔つてゐるのでなければならぬ。實際、ヘーゲルに於てはその通りであるやうに見える。彼の辯證法は定立、否定、綜合の單に無限なる進行ではない。彼はこのやうな、ひとむきなる、ひたすらに前進するのみなる無限を、惡しき無限として、つねに輕蔑してゐる。完全なのは圓運動の如きものである。それは自己より出て自己に還る運動の過程であるべきである。辯證法は、ヘーゲルにあつては、絶對的理念が An sich から F※(ダイエレシス付きU小文字)r sich となり、An und f※(ダイエレシス付きU小文字)r sich に到る過程であり、この全體の道は、理念が自己のそもそも最初に立つてゐる點に復歸することにほかならず、自己の根源への歸還以外の他のものではない。簡單に云へば、それは理念の自覺もしくは自己認識の過程である。かかる辯證法は、その本性上、終結的であり、自己完結的であり得るであらう。我々はそこに於てまさに、觀念的辯證法が唯物辯證法に對して有する保守的性質を紛ふべくもなく認識し得るであらう。辯證法が一般に、方法として、いつでも革命的性質を帶びてゐるのではない。内容から離された辯證法の所謂「論理」は究極は單にひとつの空虚な概念に過ぎないからである。ひとは辯證法の概念のもとにつねに存在論的なるもの(das Ontologische)――ディルタイの用語を恐れずに用ゐるならば、「生の範疇」(die Kategorien des Lebens)の體系――を理解すべきであつて、單に論理的なるもの、あるひは單に認識論的なるものを理解すべきではないのである。革命的なのはひとり唯物辯證法のみである。――ついでながら、唯物辯證法をもつて一の不可能なる概念と見做すところの思想は、二つの、私の信ずる限り、間違つた前提の上に立つてゐる。第一に、それは辯證法の眞理内容を單に論理に求め、第二に、それは「存在論的なるもの」と「存在的なるもの」(das Ontische)とを區別することを知らない。そして唯物論は、少くとも現實的なる唯物論は、ひとつの存在論である。また辯證法に於て論理的なるものと然らざるものとを篩ひ分けようとする試みも、單に辯證法を破壞するばかりであつて、畢竟無駄な努力であるであらう。具體的なる生に於ては[#無気記号と鋭アクセント付きο、U+1F44、132-2]νλ※[#鋭アクセント付きο、U+1F79、132-3]γο※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)とは分離し難きものである、生は根源的に ontologisch である。この認識は、最も偉大なるアリストテリカーであり、また最も優越なる意味に於ける「生の哲學者」であつた、ヘーゲルのものであつた。――革命的な、マルクス主義的辯證法の把握にとつて必要である限り、私はヘーゲルの辯證法の特性を闡明しよう。このときヘーゲルに於ける存在のモデル、進んでは基礎經驗そのものの分析が行はるべきであるといふことは、我々にとつてもはや明瞭であると信ずる。
* ディルタイが如何なる意味でヘーゲル主義者であつたかを、私は私の論文『ディルタイの解釋學』(近代社刊、「哲學講座」、第十五)の中で明かにした。


 成熟した形態に於けるロマンティクの基礎經驗のひとつの著しい性格は、それが汎神論的なるところにある。しかもこの汎神論は特殊なものである。それは、例へばスピノザに於ける汎神論とは異つて、發展史的であることをその特色とする。しかるに汎神論は宗教的體驗のうちでも特殊なものである。それは、例へば人格神論的なる宗教が實踐を重んずるのと違つて、つねに觀想的であることをその本質としてゐる。觀想的、發展史的、汎神論的、は、ロマンティクの代表者が共通に擔ふところの性格であつた。ゲーテとヘーゲルとは彼等の各の領域に於て「オリュンピアのツォイス」であつたが、等しくこれらの性格を代表してゐる。
 汎神論的體驗は有限なるもののうちに於ける無限なるものの存在の直觀、神と世界との統一の直觀である。汎神論の立場に於ては、神と世界、永遠に普遍的なるものと特殊的なるもの、空間的並びに時間的に限定されたるものは、世界全體または宇宙の二つの方面である。しかもこのとき存在の實在性若くは實在性の量はその存在に屬する價値若くは價値の量から分たれない、世界の諸規定に於てそれの實在性と價値とは合致する。しかるに若し神的なるものが全く有限なる諸現象のうちに含まれてゐるとするならば、それはまた全くこれら諸現象に於て認識されることが出來る。世界の認識が即ち神の認識である。汎神論はかくて此岸性(Diesseitigkeit)の思想につらなる。そこに於てそれはこの世に於ける大いなる諸客觀態(Objektivit※(ダイエレシス付きA小文字)ten)、すなはち歴史的社會的諸生産物への轉向を導くのである。汎神論的觀念論は「客觀的觀念論」(Objektiver ldealismus)である。このやうにして、シュライエルマッハーがカントの心情の倫理學から文化財の内容的價値倫理學へ轉じたが如く、ヘーゲルはカントの規範的歴史哲學または當爲の社會哲學から一切の歴史的なる、社會的なる客觀態の最も包括的なる考察へ移つた。現實的なるもの、客觀的なるものに對する情熱はヘーゲルに於て決して缺けてゐなかつたばかりでなく、むしろ我々はそれが彼に於て他の如何なる哲學者に於てよりも烈しく燃えてゐたのを感ずる。彼のファウスト的なる欲望、百科全書的なる知識は、世界の全體に於て絶對的なるものは自己を顯現してゐるといふ汎神論的經驗のうちにおのづから意味付けられてゐたのである。ところで汎神論にとつては宇宙を超越して、この現象世界の彼岸に、何物も存在することが許されぬから、宇宙の理解はまさに宇宙そのものからなされねばならぬ、超越的なる諸表象は除外されて、世界は世界そのものから解釋されるの外ない。存在のこのやうな内在的な解釋は存在の自己解釋として初めて充全に表現されることが出來るであらう。しかるに汎神論はヘーゲルにあつては發展史的である、神的なる本質は一度にそして究極的に世界のうちに自己を表現するのではなく、却て段階的に、歴史を通じて、歴史に於て、自己を實現する。それ故に彼にあつては存在の自己解釋はまた歴史的に、發展的に行はれなければならない。辯證法は恰も斯くの如き發展史的なる存在の自己解釋の過程であるべきであらう。
 然しながら、客觀的なるものの中に沒入し、現實的なるもののうちに沈潛しようとするヘーゲルの衝動は、まさしくその汎神論的前提の故に、制限をもたねばならなかつた。汎神論は言ふまでもなくひとつの宗教的態度である。宗教的態度はいつでも意識と最も密接に繋り合つてゐる。けだし意識の存在または精神生活は、人間の歴史に於て、彼の宗教的なる交渉に於て初めて、その實在性と獨立性とに於て、發見されたものである。それは、人間の宗教的交渉の仕方から離れてはその根源的なる意味を奪はれると共に、この交渉の仕方にあつては最も根源的なるもの、最も現實的なるものの意味を失ふことがない。かくて宗教的なる基礎經驗の關係する限り、そこで存在のモデルであるところのものはつねにただ意識または精神であり得るのみである。ヘーゲルは彼の成長の歴史に於て神學から哲學へ來た。彼にあつては、まさしくこの神學的研究に於て、彼が歴史的生の諸形態に適用したところの、特異な方法が發展した、と考へられる。このヘーゲルに於て意識が存在のモデルであつたのは固よりである。「私の意見によれば、凡ては、眞なるものを實體(Substanz)としてでなく、却て恰もまさに主體(Subjekt)として把握しそして表現する、ことにかかつてゐる」、と彼は云ふ**。この注目すべき言葉はスピノザの實體に對して、シェリングの絶對者に對して語られる。眞なるものは自然としてではなくて――スピノザの根本命題は「神即自然」(Deus sive natura)であつた、――精神として把握され、表現さるべきである。それはまたシェリングに於ての如く知的直觀をもつて諦觀されるところの無差別同一の絶對者ではなくて、思惟をもつて認識され、思惟の諸規定に於て自己を敍述するところの特殊なる構造を有する精神である。精神のこの固有なる構造は一般に差別と運動とにあると云ひ得るであらう。――アリストテレスは既にκρ※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、136-5]νεινκινε※[#曲アクセント付きι、U+1FD6、136-5]νとをもつてψυχ※[#鋭アクセント付きη、U+1F75、136-5]の根本規定と見做してゐる***。――差別と運動とに於てある精神の構造的聯關が畢竟辯證法である。精神の辯證法はヘーゲルに於ては、フィヒテやシェリングに於てさうであるやうに、要するに精神の自覺の過程に外ならない。自體に於ける精神は自己を必然的に否定し、否定は更に必然的に否定される。否定に於て自己を外化した精神が、否定の否定に於て再び自己を取り戻す過程が自覺である。精神は否定を媒介とすることなくしては自己認識に到達し得ない、否定はそれ自身積極的なものである。肯定、否定、否定の否定(肯定)に於て運動する辯證法は、精神が自己より出て自己に還りゆく過程である。辯證法は、ヘーゲルにあつては、自覺の辯證法であつたが故に、必然的に自己完了的であつたのである。さて、精神を存在のモデルとすることによつて、客觀的觀念論は宇宙の説明に精神の聯關をその基礎におかうと企てる。客觀的觀念論の課題は、今や、外的なる現實のうちに精神的なる聯關、ヘーゲルの場合に於ては自覺の辯證法、を指し示し、このものによつてこの現實の意味を理解し得るものとなさうと試みることにある。かくして、一切の歴史に於て、それの最高點は精神の發展してゆく自己認識である、といふことが示されねばならぬ。ヘーゲルの言葉を用ゐれば、「世界歴史は自由の意識に於ける進歩である」ことが、その必然性に於て認識されなければならない。精神の構造的聯關は一切の歴史的客觀的過程に對するシェマを含んでゐる。しかるにこの聯關はヘーゲルでは論理學に外ならぬから、論理學が彼に於ては歴史の最も優越なる意味に於けるシェマ若くはオルガノンであつた。「自己みづからに來りそしてただ自己のうちに在るところの思惟の靜かなる場所に於て、諸民族及び諸個人の生を動かすところの諸關心は默してゐる。」外的現實のうちに精神的聯關を解明しそしてこのものによつてこの現實の意味を解釋するといふ課題は、ヘーゲル主義の最近の形態であるところのディルタイの哲學が或る程度まで企てたやうに、分析的に遂行されることも出來る。然しながらヘーゲル自身に於てこのことは、まさに彼の哲學の汎神論的前提の故に、不可能であつた。汎神論はかの課題が綜合的に實現されることを要求する。汎神論そのものが包括的、普遍的、綜合的であることを本質とするからである。それはかの課題が世界全體に於て自體に於ては到るところ解決されてゐることを前提する。意識のモデルの斯くの如き、謂はば宇宙的なる使用は如何にして可能であらうか。この可能性を與へるものはカントの所謂コペルニクス的轉※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)であると信ぜられる。コペルニクス的轉※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)に汎神論的意味を負はせることによつて、かの課題は初めて綜合的に解決されて、宇宙の一切の内容は餘すところなくそれみづからに於て精神的聯關を現はすこととなる。精神は存在のモデルであることから進んで存在そのものとなる、宇宙は精神の自己發展として把握される。論理學は存在の認識のシェマもしくはオルガノンであることをやめて、宇宙そのものが却て大いなる論理學となる。即ち、汎論理主義(Panlogismus)がそれである。それと共に固有なる意味に於ける論理學は理念のそれ自身論理的なる發展に於ける一つの段階、即ち即自に於ける理念となり、これに對しては對自に於ける理念としての自然哲學、そして即自對自に於ける理念としての精神の哲學が存在する。コペルニクス的轉※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)が汎神論的意味を負ふためには、宇宙の體系は精神の流出的(emanatistisch)體系とならなければならない。ここに於て論理學はまた流出的論理學とならねばならぬ****。最も特異なる形態に於ける新プラトン主義であるところのヘーゲルの哲學に於て、辯證法は流出的性質を具へてゐる。流出性は然しながら辯證法の凡ての本質に屬するものではないのである。唯物辯證法は流出性については何事も知らうと欲しない。流出性は觀念的辯證法にとつて、その汎神論的前提の故に、それの契機であるのである。さて、このやうな流出的體系に於ては一切は構成的であつて分析的であり得ないから、現實の事實に對する無視の行はれるのは言ふまでもないことであらう。
* W. Dilthey, Die Jugendgeschichte Hegels. 參照。なほ簡單には、クーノ・フィッシァーの近世哲學史の中の『ヘーゲル』についてのディルタイの批評(Beilage zur Deutschen Literaturzeitung 1900. Nr. 1.)を看よ。
** Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie des Geistes, Vorrede.
*** Aristoteles, De anima Γ9.アリストテレスのこの書とヘーゲルの『精神現象學』とを比較することは有益なことであると思はれる。
**** 流出的論理學については、E. Lask, Fichtes Idealismus und die Geschichte.參照。
「眞なるものは全體である」(Das Wahre ist das Ganze)といふヘーゲルの語が、その意味を殘りなく盡し得る地盤は明かに汎神論の地盤であらう。けだし汎神論にとつてはつねに宇宙が、世界全體が問題であるからである。しかるに汎神論はヘーゲルに於て發展史的であるが故に、そしてまた直觀のものでないが故に、全體はただ「彼の發展によつて自己を完成しつつある本質」であり得るばかりである。絶對的なるものは直接的なるものでなくて、却て本質的に結果であり、終末に於て初めてそれが眞實にあるところのものであるものである。眞なるものは發展の過程を通じて自己を實現してゆくものであるが、しかし汎神論が何よりも全體に重心をおく限り、この過程は終末に達して完了することが要求される。宇宙は自己完了的なる發展の全體でなければならぬ。簡單に言へば、宇宙は體系として把握され、表現されねばならぬ。「眞なるものはただ體系として現實的である」(Das Wahre ist nur als System wirklich)、とヘーゲルは云つてゐる。體系の要求は、ヘーゲルにあつて、エンゲルスの考へた如く現實的な意味をもち得ぬものであつたのではなくて、却て彼の發展史的汎神論の上に具體的な地盤をもつてゐたのである。
 發展が絶えず自己完了的全體を目差すことによつて、辯證法はまた特殊な構造をもたねばならないであらう。一般に辯證法は正、反、合の三つの契機を具へてゐるが、そのうち正と反とは矛盾であり、合はこの矛盾の綜合であるから、辯證法には矛盾と綜合との二つの方面があると解されることが出來る。矛盾は辯證法的運動に於て特に過程的なるものであり、これに反して綜合は、よしや暫定的と考へられるにせよ、完了的なるものの性質をおのづから帶びてゐる。從て體系が現實的に求められるところでは、辯證法に於て、矛盾にではなく却て綜合に重きがおかれるのは自然の勢ひであらう。實際ヘーゲルの辯證法にあつてはその通りである。そしてこのことはまた次のことと關係する。汎神論では存在の諸規定と價値の諸規定とが合致する。從てそこでは存在の高まりゆく規定に於て同時に價値的に否定的なるもの、矛盾的なるものが次第に肯定と調和とに昇つてゆき、かくて遂には宇宙に於ける神の、絶對的價値の支配が隈なく認識されねばならない。神の攝理が到るところ現實に實現されてあるといふことを理解するのが汎神論の大いなる關心である。宇宙は矛盾と鬪爭とを經つつも究極は調和と和解とに於てあり、世界に於ける否定的なもの、反價値的なものも神の普遍的現在を妨げるものではない、といふことを闡明することは、それの關心すべき目的である。このやうにして、ヘーゲルは彼の歴史哲學的考察がひとつの「神義論」(Theodizee : Rechtfertigung Gottes)であることを述べてゐる。それは世界に於ける禍を概念的に把握し、思惟する精神と惡とを和解せしめ、かくて思惟をもつてこの世の罪を贖ふべき、ひとつの”vers※(ダイエレシス付きO小文字)hnende Erkenntnis“である。斯くの如き罪を贖ふところの、和解せしめるところの認識は、何處に於ても世界歴史に於てほど甚しく要求されはしない、とヘーゲルは信じた。「この和解はただ、それのうちではかの否定的なるものがひとつの從屬的なるもの、征服されたものにまで消え失せるところの肯定的なるものの認識によつて、一部分は、眞理に於てあるものが世界の究極目的であるといふところの、一部分は、この目的が世界のうちに實現されてあり、そして惡はそれとは究極は競ひ得なかつたといふところの意識によつて、到達されることが出來る。」そのためには、ヘーゲルによれば、單に攝理に對する信仰のみでは不十分であつて、νο※[#曲アクセント付きυ、U+1FE6、142-3]※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57)に對する信仰が必要である。理性はその「思辨的」本質の故に、否定的なるものを肯定的なるものへの必然的關係に於て思惟する。然しながら理性の辯證法的思惟がひとつの vers※(ダイエレシス付きO小文字)hnende Erkenntnis であり得るためには、辯證法はそれ自身特殊な性格のものであるべきであらう。そのためには、辯證法の構造に於けるかの二つの方面のうち特に綜合に重心が落ちて來なければならない。ヘーゲルの辯證法が自己完了的傾向を示してゐるのは、一部分はここからも由來するのである。このやうにしてヘーゲルにあつては世界歴史は漸次に高まりゆく調和の過程であり、それは恰もヘーゲルに於て最高點に達したものの如く見做される。彼の哲學に於て過去の歴史の一切の矛盾は綜合され、聖化されて、理念は絶對的認識に到る。これに反してマルクスに於ては如何であつたか。彼によれば、あらゆる從來の社會の歴史は階級鬪爭の歴史である。抑壓者と被抑壓者とは互ひに絶えざる對立に立ち、間斷なき、或るときは隱れたる、他のときは明らさまなる戰を戰つた、この鬪爭たる、つねに全社會の革命的な變革もしくは相戰ふ階級の共通の沒落をもつて終つたのである。階級の間の對立、矛盾乃至鬪爭は、現代に於て調和に到達しないのみか、まさに凡ての歴史的時代よりも普遍的となり、全面的となり、激烈となつたのである。かかる見方をするマルクス主義に於て、その辯證法がいつでも矛盾の方面に重きをおくのは當然であらう。辯證法は、それが辯證法である限り、必然的に矛盾と綜合とを自己のうちに含んでゐる。しかしヘーゲルの觀念的辯證法では特に綜合に、これに反してマルクスの唯物辯證法では特に矛盾に、おのづからその構造の重心が定まるのである。この著しい對立は、如何に兩者が現代を把握したか、といふことに於て最も顯はになる。ヘーゲルは彼の屬する現代を綜合の完成した時代と見做し、マルクスは現代をもつて矛盾の完成した時代であると考へた。現代の意識はしかるに、過去の歴史が如何に把握されるか、といふことに對する根源である。二人の思想家の全史觀の對立は辯證法の構造に於ける對立に於て明瞭に窺はれることが出來る。ところでこのことは恰も次のことと聯關する。
* Vorlesungen ※(ダイエレシス付きU小文字)ber die Philosophie der Geschichte, Reclam-Ausgabe, S. 49 u. 50.
 現在といふ時の契機はそれが過程的であることを本質とする。今は刻々に過ぎ去つてとどまることがない。我々は現在を直接に認識にもたらすべき手段をもたないのである。現在はただ媒介されることによつてのみ認識されることが出來る。しかるに我々は現在の認識を媒介するものとして過去と未來とを考へ得るであらう。現在は過去を契機として媒介されるとき、即ち囘顧的に把握されるとき、如何にあらうか。この場合現在は過去の延長として若くは過去の結果乃至は終結として現はれるであらう。即ちこのとき現在はそれ自身過去に屬し、少くとも過程としてあることをやめる。かくては現在の本質は把握されることが出來ぬ、なぜなら現在の本質はまさにそれが過程であるところに横はつてゐるからである。これに反して、現在が未來を契機として媒介されるとき、即ち囘顧的にでなく寧ろ展望的に把握されるときには、如何にあるか。言ふまでもなくこの場合には現在は未來への傾向として、手續として、即ち一般に未來への過程として現はれる。かくして現在はその現在性に於て認識されることとなる。けだし現在性は恰も過程性を意味するが故である。現在は過去を媒介とすることによつてでなく、却て未來を媒介とすることによつて初めて、本質的に把握されることが出來る。しかるに人間の生活態度に於て、觀想的(kontemplativ)なるそれは主として過去への關係を含み、從て囘顧的であり、實踐的(praktisch)なるそれは主として未來への傾向を含み、從て展望的である、と云はれ得る。それ故に現在をその現在性に於て捉へ得るものは、觀想でなくて却て實踐である。ヘーゲルの哲學的態度は根本的に觀想的であつた。そしてそれは彼の哲學の前提であつたところの汎神論と根源に於てつながつてゐる、汎神論的態度は本質的に觀想的であるからである。ヘーゲルの哲學が如何に觀想的であり、囘顧的であつたかは、彼が哲學そのものの本質について述べたところに最も雄辯に語られてゐる。哲學そのものは彼の全體系に於て最高の段階にあり、それを冠する榮位に据ゑられてゐる。各の歴史的哲學は各の歴史的時代の時代精神の概念的表現である。それはこのものの政治、法律、藝術、宗教などに於ける樣々の表現のうち最も優越なる形態である。それは最高の華である。精神の全體の姿の概念、全體の状態の意識または精神的本質である。多姿多態なる相に分化した全體は、哲學のうちに、恰も一の單一なる焦點においての如く、反映する。そこから、哲學はその時代と全然同一である、といふことが隨つて來る。哲學は、ヘーゲルによれば、「それの時代の實體的なるものの知識」(das Wissen des Substantiellen ihrer Zeit)である。しかるに一定の時代精神の自己認識として、哲學は、この時代精神がそれの外的なる發展に於て既に謂はば「その多面性の全體の富を顯現しそして展開し」終つた段階に到つたとき初めて、この時代精神がそれの生命に於て外に向つては既に謂はば自己を汲み盡した段階に達したとき初めて、可能である。そのとき初めて、この時代精神の外的なる道行をひとつの哲學的體系に於て表現に持ち來さうといふ欲望が現はれて來るのである。一の民族が彼の具體的な生活から一般に離れ出て、そしてその民族が彼の沒落に近づいた場合、そのとき初めて哲學される、とヘーゲルは考へる。「哲學は實在的なる世界の沒落と共に始まる、それがそれの諸抽象性をもつて、灰色を灰色で描きながら、現はれるとき、青年の、生命性の新鮮さは既に過ぎ去つてゐる。」彼はまた記してゐる、「哲學がその灰色を灰色で描くとき、生の姿は老人となつてゐる、そして灰色を灰色でもつてしてはその姿は自己を若返らしめるのでなく、却てただ認識せしめるのである。ミネル※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)の梟は侵ひ來る薄暮と共に初めてその飛翔を始める。」哲學的認識は一定の時代が成熟し終つて、その外的なる騷擾の全體が過ぎ去つてしまつた後、これを囘顧し觀照する立場にある者にとつてのみ可能である。まことにヘーゲルは斯くの如き立場にある者であつた。彼はロマンティク時代の結實期に於て哲學した。ここに私の引用した美しい言葉はなによりも觀想的なる彼の哲學の本質を語つてゐる。彼の體系は觀想的に構造づけられたロマンティクの基礎經驗の最も雄大なる表現である。このやうにして、ヘーゲルの哲學が彼みづからによつて過去の歴史に於ける哲學的發展の綜合として、結果として、終結として理解されたのは當然であらう。ヘーゲルの偉大なる先驅者はアリストテレスである。ところでアリストテレスはまた、それ自身觀想を本質としたところのギリシア的世界の、外的には沒落の、思想的には完成の、時期に立つてゐた。ヘーゲルと類似した彼の立場は彼をしてまたヘーゲルと類似した哲學を構成せしめたと思はれる。如何にアリストテレスが彼自身の時代を考へたかと尋ねるとき、我々は彼が政治的及び美的領域にあつては發展は本質に於て終結してゐると見做したのを疑ふことが出來ない。彼は『ポリティカ』の中でまさに云つてゐる、若しそれらの制度がよいものであつたならば、多くの時、多くの年に於て、それらのものが知られずに隱されてゐた筈がないといふことを我々は記憶せねばならぬ、凡てのものは殆ど發見されてゐる、それらのものをひとは綜合しないか若くはひとは知りながら利用しないかであるばかりである**。理論的領域にあつても同樣である。彼以前の歴史的發展に於て既に見出されて、彼の前に材料として横はつてゐるところの諸の思想は、ひとつの終結的なる認識を導くためには既に十分である。アリストテレスはそれらの思想を彼の哲學に對せしめて單純に虚僞として斥けるのでない。それらのものは固より眞理である、しかしいづれも部分的、從て抽象的眞理に過ぎないから、それらのものに於けるこの眞理の契機を綜合的に、統一的に把握することによつて、一の全體的なる、具體的なる眞理を完結せしめることが必要である。彼の哲學はこの課題の解決である。アリストテレスは彼の體系をもつて學問の發展が包括的に、大仕掛に終結し、研究の最高頂が到達されてゐる、と考へた。然しながら哲學の歴史はアリストテレスをもつて結ばれなかつたやうに、またヘーゲルに於て終りはしない。二人の思想家は「現代」をただ單に過去の結果として理解するのみであつて、それを同時に未來への過程として把握しない。そしてこのことは兩者の代表する基礎經驗が共に觀想を本質としたといふことによつて必然的に規定されてゐるのである。發展を根本概念とするアリストテレス的、ヘーゲル的哲學にとつて觀想的性質はそれの最も重大なる制限であり、恰もこのものがそれをして自己矛盾をおのづから犯さしめる。まさにこのために、現在は單なる生産物となり、過程的なる生成は實體的なる物となり、辯證法は再び形而上學となる。彼等には未來への展望、「未來の論理」がない。この點に於てフィヒテは彼等に優つてゐたかのやうに見える、彼には未來の認識が存在するかの如くに見える。フィヒテは人類の地上生活の歴史の全體を五つの根本時期に分つて、彼の屬する現代をそのうちの第三のもの、即ち「罪惡の完成した状態」(der Stand der vollendeten S※(ダイエレシス付きU小文字)ndhaftigkeit)に配した。從て彼にとつては現代は終結的なものでなく、却て過程的なもの、未來へまで自己を發展すべきものであつた。この未來を彼は理性科學及び理性藝術なる二つの時期として認識した。かく未來への展望をもつといふことはフィヒテの哲學の實踐的なる性格と聯關してゐるであらう。然しながらこの場合、未來は、歴史の全體の過程が自覺のモデルに於て認識されたが故に、なほそれ自身完了的であつたばかりでなく、またそれは、具體的な現實の地盤の上に於てでなく却て先驗的な構成に於て、當然として把握されたに過ぎないのである。未來の認識はフィヒテに於て當爲の認識である。しかるにヘーゲルは當爲をもつて抽象的なもの、形式的なものとなし、それに對しては絶えず鋭い批評と攻撃とを加へてゐる。當爲はひとつのユートピア、その最も獨自な形態のものであるにせよ、畢竟ユートピアに外ならぬ。この意味に於て、ヘーゲルに未來の論理が缺けてゐるといふこと、彼が現在に、精神が既に自己みづからに到達した段階と見做された現在に、留まつてゐるといふことは、彼の哲學に於ける――アリストテレスの哲學に於てもまたさうであつた――現實に對する根源的なる衝動、あらゆるユートピアの排斥、哲學をもつて歴史を超越するものとしてでなく却て歴史そのものの思想に於ける表現として把握しようとする彼の企圖を表はす。現在の絶對化といふことは、範疇を歴史的過程そのものから展開しようといふ、彼のこの衝動から出てゐるとも考へられる。ヘーゲルの哲學はその汎神論的流出論的傾向にも拘らず、驚くべく現實的であり、從て實に分析的であるのである。そして普通には形而上學者の部類に入れられてゐるアリストテレス、彼は實に比類稀なる分析家であつた。然しながらそれらの凡てに拘らず、二人の思想家の制限は制限として承認されねばならぬ。繰り返して言へば、彼等には未來への展望がない。そしてそのことは彼等が現在を結果としてのみ認識して、同時にそれを過程として把握しないのに由來する。未來を現實的に、フィヒテに於ての如くそれを單に當爲としてでなく、認識するためには、現在を辯證法的に把握しなければならない。それによつてヘーゲル主義は克服され得るのであつて、そしてマルクス主義はそれを爲し遂げたと私は考へる。私はこのことを明瞭にするであらう。
* Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts, Vorrede.
** Aristoteles, Politica, B. 5.


 先づ一般的なることを記しておかう。我々はヘーゲル哲學の根本的前提を汎神論に於て見た。そこでヘーゲル主義からの解放のためには第一にこの汎神論的前提の除去が成就されねばならないのは明白であらう。フォイエルバッハの宗教批判はこの仕事を遂行し得たと信ぜられた。彼は思辨哲學の祕密を神學に於て發見し、そして神學を人間學に解消することによつてヘーゲルを批判したのである。
 しかるにフォイエルバッハはヘーゲルの批判にあたつて同時に辯證法そのものをも排除せねばならぬと考へた。辯證法の本質は事物を「媒介性」(Vermittelung)に於て認識するにある。フォイエルバッハは媒介性をもつて單に觀念的なるものと見做して、それにあらゆる現實性と客觀性とを拒否する。彼によれば、現實的なるものはただ直接的なるもののみであり、客觀的なる眞理はひとり「直接性」(Unmittelbarkeit)に於ける認識ばかりである。「何等の證明も要せぬもの、直接に自己みづからによつて確實であり、直接に自己のために語り且つ取り入れ、直接に、それがあるといふ肯定を、伴ふもの――單純に決定されたもの、單純に疑はしからぬもの、白日の明白さあるもの、のみが眞でありまた神的である。」「一切は媒介されてある、とヘーゲル哲學は云ふ。しかし或るものはただ、それがもはや媒介されたものでなくて、却て直接的なるものであるとき、眞なのである。」かく述べてフォイエルバッハはただちに反問する、「自己を媒介する眞理はなほそれの反對に纏はれた眞理である。反對から始められる、それはしかしその後に止揚される。ところでそれがひとつの止揚さるべきもの、ひとつの否定さるべきものであるならば、何故に私はそれから始むべきであつて、何故に同樣にそれの否定から始むべきでないのであるか。」かくてフォイエルバッハにとつては媒介性はもはや存在そのものの辯證法的なる構造の思想的表現ではない。彼にあつてはそれは直接に明白なる思惟内容の傳達(Mitteilung)のための形式的な手段にまで墮し終つたのである。彼はこのことを彼の『ヘーゲル哲學批判』の中で全く明瞭に語つてゐる**。思惟は、それが自己活動である限り、直接的なる活動である。證明は他の者に對する思想の媒介活動のうちにその根據を有するに過ぎぬ。私が或ることを證明しようとするとき、私はそれを他の者に對して證明するのである。一切の證明はそれ故に思想そのものに於けるまた對する思想の媒介ではなく、却て言葉をもつての、それが私のものである限りの思惟とそれが彼のものである限りの他の者の思惟との間の媒介である。證明の諸形式はただ傳達の諸形式である。このやうにしてフォイエルバッハは媒介性の問題を、一部分は純粹に論理的に、形式的に、一部分は直接的な直觀、感性に訴へることによつて解決しようとする。彼はヘーゲル哲學に「直接的な統一、直接的な確實性、直接的な眞理」の缺けてゐることを屡非難する。
* Grunds※(ダイエレシス付きA小文字)tze der Philosophie der Zukunft, ※(ローマ数字2、1-13-22), 301.
** Zur Kritik der Hegelschen Philosophie, ※(ローマ数字2、1-13-22), 169-172.
 然しながらフォイエルバッハは斯くの如くにしては、彼みづからの希望したやうに、ヘーゲル主義を克服することが出來ない。なぜなら彼は――マルクスが『ドイッチェ・イデオロギー』の中に書き記してゐる如く――「この感性的世界が何等直接に永遠の昔から與へられた、絶えず自己同一なる、物でなく、却てその各がそれに先立つものの肩の上に倚りかかつてゐるところの諸世代の生産物である」、といふことを看過したからである。フォイエルバッハの感性に直接に供せられる現實の世界もただ歴史的發展の過程に於て生成したものであり、かく生成したものとして初めて彼の直接的なる感性に這入つて來るのである。然るに彼は存在の歴史性については何事も知らない。彼は現實をそれの生成の道に於て、ゲネシスに於て把握しない。そして辯證法とはまさしく事物をそれの生成(Werden)に於て認識する方法である。それではこの辯證法は直接性については何事も知らないのであらうか。恰もその反對である。辯證法はただ直接性を、フォイエルバッハがこれを絶對化するのに反して、相對化するのみである。即ちヘーゲルに從へば、存在の辯證法的發展の各の段階にあつて、從來の過程の結果はつねに直接的なるものとして現はれる。例へば、我々にとつて我々の現在の社會形態は直接的なる明證に於て與へられてをり、しかもそれが一層複雜な、ヘーゲル的に言ふならば、一層媒介された形態であればあるほど、それだけ一層直接的に明證的なのである。ところがこの直接性は、まさにそれが發展の結果の擔ふところのものであるの故をもつて、假象である。この直接性は、このものがこの直接性となるために過程に於てそれを通して進展して來たところの媒介の諸範疇がなほ認識されてゐないことを意味する。然しながらこの假象そのものは存在の一の必然的なる客觀的なる形態である。そしてこの必然性と客觀性との認識はそのものを存在の必然的なる假象、存在の必然的なる現象形態となして來たところの媒介の諸範疇が示されるとき、それ故に直接的なるものが單に結果としてその直接性に於て把握されるばかりでなく、また同時に過程の一契機としてその煤介性に於て把握されるとき、可能である。
 ヘーゲルの辯證法は右の關係を正しく理解した。それにも拘らず彼の哲學は「現代」――それは最初にそして原始的には直接性に於て與へられてゐる――の絶對化、從て直接性の絶對化をもつて終つてゐる。彼は現代をただ結果としてのみ觀察して過程として觀察しない。我々はこの制限の根源を、彼に於ては意識が存在のモデルであり、そしてその辯證法が自覺のモデルに從つて自己より出て自己に還るところの或ひは即自に於ける直接性の對自を媒介として即自對自に於ける絶對的なる直接性に到るところの完結的なる過程であつたといふこと、そしてそのことと聯關して彼の哲學的態度が根本的に觀想的であつたといふこと、のうちに見出した。この制限が除かれるためには、觀念論から唯物論への、觀想から實踐への、轉換が行はれなければならない。マルクス主義はかかる轉換を爲し遂げた。實踐的なる唯物論――フォイエルバッハの唯物論は觀想的であつたため直接性を絶對化せねばならなかつた――、所謂戰鬪的唯物論(der k※(ダイエレシス付きA小文字)mpfende Materialismus)にして初めて能く現代を單に結果としてのみならずまた同時に過程として把握し得る。實踐に於ては現在は未來と關係させられて特に過程として現はれる。しかるに過程が過程として批判的に認識されるためには、それは同時に過去の發展の結果として觀察されねばならぬ。現在を過去に關係せしめるのは特に優越なる意味に於ける觀想であり、理論的態度がそれである。――我々が理論と譯する言葉の語源をなすギリシア語のθεωρ※[#鋭アクセント付きι、U+1F77、155-7]αは根源的には觀るといふことを意味した。――このやうにして、そのうちには理論と實踐との二元性が止揚されるところの態度にとつては、現代は一方では具體的なる、直接的なるものとして、けれど歴史の過程の結果として、從てゲネシスに於て、それの直接性の根柢に横はる凡ての媒介性を通じて、捕へられ、そして他方では現代はこのものを越えてゆく過程の契機として掴まれる。我々は既に屡マルクス主義の本質を理論と實踐との辯證法的統一に於て見た。現在の直接性に對する批判的なる態度のみがそれを人間の活動と關係せしめ得る。現在の含むところの自己自身を打越える契機のうちに人間の實踐的批判的活動、革命的なる實踐の現實の地盤がある。そして現在を單に後方に向つてばかりでなく、却てまた前方に向つて一の過程に轉化するところの態度のみが現在を批判的に把握することが出來る。現在は成つたものとしてそして同時に成りつつあるものとして理解されねばならぬ。この矛盾の理解は理論と實踐とを辯證法的に止揚する立場に於て初めて可能である。まさに現在に於てあらゆる對象性に於ける過程的なるものは全く具體的に充實されてゐる。なぜなら現在は過程の結果と出發點との統一を示してゐるからである。恰も斯くの如きものとして、現在は最も具體的なるもの、最も現實的なるものである、と云はれることが出來る。從て現實的なるもの、具體的なるものの認識が單なる觀想的、理論的態度によつては不可能であるといふことは明かであらう。理論と實踐との辯證法的統一の上に立つ哲學のみが眞に具體的なる哲學である。未來への展望を含むか否かが學問の現實性の基準である。我々はこのことをマルクス主義から學ばねばならぬ。
――(一九二八・四)――





底本:「三木清全集 第三巻」岩波書店
   1966(昭和41)年12月17日発行
底本の親本:「唯物史觀と現代の意識」岩波書店
   1928(昭和3)年5月
初出:人間學のマルクス的形態「思想 第六十八号」岩波書店
   1927(昭和2)年6月号
   マルクス主義と唯物論「思想 第七十号」岩波書店
   1927(昭和2)年8月号
   プラグマチズムとマルキシズムの哲学「思想 第七十四号」岩波書店
   1927(昭和2)年12月号
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
※底本の「〔」と「〕」はアクセント分解の記号と重複するため、「[」と「]」に置き換えました。
※底本では、欧文横組みのダブルクォーテーションである「”」は文字列の左下に、「“」は右上に、置かれています。
入力:石井彰文
校正:阿部哲也
2012年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

有気記号付きυ、U+1F51    31-4
鋭アクセント付きι、U+1F77    31-4、103-9、136-5、155-7
鋭アクセント付きη、U+1F75    55-12、136-5
曲アクセント付きι、U+1FD6    55-12、136-5
鋭アクセント付きο、U+1F79    55-13、56-3、56-4、103-9、132-3
曲アクセントと下書きのι付きω、U+1FF7    56-3、56-4
重アクセント付きο、U+1F78    59-11、61-3
有気記号と鋭アクセント付きε、U+1F15    59-11
曲アクセント付きα、U+1FB6    60-3、83-4、83-4、83-4、83-13、83-7、100-13
有気記号付きο、U+1F41    61-2
重アクセント付きι、U+1F76    61-2
有気記号と曲アクセント付きυ、U+1F57    61-2
有気記号と鋭アクセント付きο、U+1F45    61-3
ローマ数字46    69-7
重アクセント付きη、U+1F74    81-6
無気記号と重アクセント付きο、U+1F42    84-7
有気記号付きω、U+1F61    84-7
無気記号付きι、U+1F30    100-13
無気記号と鋭アクセント付きα、U+1F04    100-13
無気記号と鋭アクセント付きο、U+1F44    132-2
曲アクセント付きυ、U+1FE6    142-3


●図書カード