霧の旅

吉江喬松




 北國ほくこく街道の上には夏草がのびてゐた。
 柏原かしはばらから野尻湖まで一里ばかりの間、朝霧が深くかゝつてゐて、路上の草には露が重かつた。汽車をおりて初めて大地を踏んで行く草鞋の心持、久振で旅を味ふ心には、總てが鮮かに感じられた。
 柏原には一茶いつさ俳諧寺はいかいじの在ることは聞いてゐたが、霧が深くて見に行く氣にもなれなかつた。何處の國道沿ひにでも見る破驛はえきの姿は此村にも見られた。桑の葉の蒸されたやうな香ひと、上簇期じやうぞくきに近い夏蠶なつこの臭ひとが、家々の戸口からもれて、路上に漂つてゐた。
 村を出拔けると、霧の間から白樺の林の樹幹みきだけが、ぼんやりと兩側に見えて來た。しとしと草を踏んで行く自分の草鞋の足音だけが耳に入つた。不圖立ち停ると、急に周圍がしんとして來る。霧が一層濃く覆ひ被さつて來るやうな氣がする。其中で、霧が林の木の枝に引きかゝり、白樺の簇葉むらはにからまつて、やがて重い露となつて、ぼた/\草の上へ落ちるのが聞える。
 又ぱた/\と歩き出す。と、向うの方から農夫らしい風をした男が二人ばかり、ぼんやり霧の中へ浮ぶやうに姿を見せるかと思ふと、擦れ違つて、直ぐまた後の方へ消えてしまふ。
 何のために、何處へ歩いて行くのであらう?
 何を目當に旅へ出たのだらう? 何處へ行つたらば、其目的のものが得られるのだらう? 何故旅を思ふときに自分の胸は躍るのだらう? この樣な考えが不圖胸の中へ浮んで來る。
「寂しさの果て」を求めて旅へ行く、さういふ旅でもないらしい。旅へ出なければ消されない程の寂しさを常々感じてゐるわけでもない。目先の違つた景色を求めて歩く、それ程に自然を無變化な、靜的なものだとも考へても居ない。美しい景色とか、變化の多い景色とか、さういふものを搜して歩く好奇心が自分の胸に起つたこともない。それでは何故か。何を求めて歩いて居るのだらう。何處へ行つたらば、その求めてゐるものが得られるのだらう。靜かに引きしまつた自分の心の中へ何が蘇生よみがへつて來るのか、何が浮んで來るのか、私はそれを求めてゐる。恐ろしさとうれしさの期待を持つてそれを求めてゐる。
 新聞も見ず、手紙も見ず、友人にも離れ、知人にも逢はず、職業にも刺戟にも都會のどよめきにも、電車の響にも總てに離れて、私は歩いて行く。廣い自由の天地の中をたゞ一人で歩いて行く。其時私の心の中へ、胸の中へ、頭の中へ、浮んで來るものは何であらう。私はその者を捉へたさに、その者の閃きが何處へ現はれようとも、――森の中であらうとも、山の頂であらうとも、海岸であらうとも、力の總てを盡してその方へ走らずに居られない。
 私はプレジュアー、ハンターが歡樂を追ふやうに、ドンジュァンが千人の女を抱くやうに、しかも幾人いくたりの女を抱いても、幾多の歡樂を盡しても、彼の求めてゐる女は一人であり、彼の願ふ歡樂は唯一つであるやうに、私はそのものを求めて歩いてゐるのであらう。それは私には決して空漠たる願望でない。私にはその求めるものは、はつきりしてゐる。たゞそれの表はれる場所と、それの表はれるやうな自分の心構へとを得たいと思つて歩いてゐる。
 霧が帽子の縁に突裂かれて、さあツ、さあツと音を立てるやうに思はれる。地上足の向いて行く三尺ぐらゐ前が目に入るだけになつた。今にもこの濃い霧が一時に崩れて雨となりはしまいか。でなければ、この霧が一時に凝結して動きのとれないものになつてしまひはしないか。そんな事を思ひながら歩いて行くと、今迄動かずに一層深く/\集つてゐた霧が次第に少しづつ流れ出した。濃淡の差別けじめを見せて周圍に流れ出した。上の方へ、林の頂へ逃げるやうに昇つて行くもの、下の方へ、草叢の中へ低く爬ふやうに迷ひ込むもの、その中間を透して、豆畑や粟の畑や、草原の白樺の幹やがぼんやり見えて來る。農家が一二軒處々に立つてゐるのが目に入る。
 太陽は、晝間見る月のやうに、たゞ薄白く、霧の薄れた中から形だけ見せるけれど、光をば散らさない。その形も見えたかと思ふと、直ぐ霧の中に隱れてしまふ。不圖鶯の聲が白樺の林の中から響いて來た。霧の中にこめられたその聲は、祕めた歡樂をうたふやうに、低い平原國を追はれたものが、山の中へ來て思ふまゝの自由を享樂してゐるやうに、何人をも憚らず唄つてゐる。
 霧の薄れて行く林の中から、蝉の聲がまた聞え出した。迷つてゐる者に道を教へるやうに、日中が近寄つて來ることを告げるやうに、身をゆすぶり、木をゆすぶり、林をゆすぶつて、立ちこめる霧を追ひやるやうに鳴き出した。
 蘆のこんもり群立つてゐる姿が處々に見えだした。水溜が次第に近寄つて來たことを思はせる。その中からけたたましく行々子よしきりの聲が騷ぎ立てる。何ものかの警告を與へるやうに、今まで默つてゐたものが不意に目を醒ましたやうに。
 今までは默々として動き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐた霧が、天地を我もの顏に領してゐたのだが、今度は一つ一つ聲を立てゝ、飛び※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)るものの生命が目を醒まして來た。
 先きの方に、山の裾が見え出して、その裾をめぐつて、曇つた鏡のおもてのやうに、水面がぼんやり霧の中から浮んで見える。山々の間に入り込んで、彼處にも此處にも、光の無い水が見える。けれど水の上は餘所よりも明るい。樹林のこんもり茂つた島の形も見える。小高い途が少しづつ降りはじめて、野尻の村へ入つて行つた。比處にも昔の宿驛の跡が殘つて居た。店家があり、舊い大きな家があり、それが大方皆戸を閉ぢて居る。日は少しづつ光を増して來た。湖面は少しづつその光を照り返して、周圍の緑がきら/\輝き出した。私は急いで家と家との間から、稻田へ出て、その畔の小徑を湖水の岸まで歩いて行つた。
 湖に向ふ者の心の靜けさ。自分が何處をどう歩いて來たかも忘れて、突然その岸へ連れて來られたもののやうな氣がする。波の靜けさ、伸びやかさが心を靜めてくれる。波は柔かい手で撫でてくれるやうな氣がする。ぴつしや、ぴつしや、岸へ忍び寄るその音が樂しい囁きとなつて耳から胸へ、胸から體躯全體へ輕く行き亙る。淺い水の中から岸へつゞいて一面に生えてゐる淺緑の蘆の葉が光を反し、人の魂をその中へ吸ひ込む。その中に包まれて立つてゐる者の心は、緑の光となつて四方へ漂うて行く。湖上の霧は低く迷つて、山の間へ奧深く人を誘ふ。
 心の引きしめられる心持、固く脣を結んで見張る心持、それは海の與へてくれる命である。湖の岸へ來て立つてゐる時、人の心はなごみ、靜まり、輕い柔しい微笑が脣邊しんぺんに漂ふ。霧をくゞつて來る水の忍び寄るやさしい響、私はそれを耳にして暫く默つて水面を見つめて立つてゐた。
 岸に近い宿屋から船を一艘仕立てゝ貰つて、湖上を周ることにした。
「こんな處にこんな池があるといふことが、東京までも知れて居るんですかね。」
 そんな事を言ひながら、一人の若者が櫓を押しながら船を進めて行つた。辨天のほこらのある島には杉だの松だのが一面に立つてゐて、石の階段が水際から奧深く次第に高く導いてゐた。その奧には辨天の祠が在つて、四抱へ以上もある杉の老木が電火に打たれて立つてゐた。島を繞つて四方に湖水が開けてゐる。周圍四里近いこの湖水は、幾ら高い所に立つても一望に見果てがつかない。山脚の間々を繞つて入り込んでゐるので、或處は廣く、或處は狹く、周圍にも途がついてゐない。湖を極めるには船に頼るより仕方がない。湖上には日の光が縞を織つて、殆んど微動すら見せない。水の面は明るく、暗く、照り渡つてゐる。
 島からまた船に乘つて、誘はれるやうに奧へ奧へと入つて行つた。
 何處の湖水にでもロマンスはある。この湖の成立は知らないけれど、若者の語るところでは一種の谿湖らしい。山麓の谿間に自づと水が溜つて、その谿間には巨樹の立つてゐるままで水に浸され、檜や、杉が、水中深く白骨のやうになつて、立枯れしてゐるといふことである。その巨木の立枯れしてゐる中へ、あかがねの船が一艘沈んでゐる。その船は、謙信の智將宇佐美貞行うさみさだゆきが、謙信の爲めに謀つて、謙信の姉聟長尾政景ながをまさかげの謀反を未然に防ぐために、二人して湖水に船を浮べ、湖上のもみさきといふ所まで出た時に、水夫に命じ船底へ穴を開けさせ、政景の身を擁して、二人とも船と共に水中に沈んでしまつた。その船だといふ。それは事實であらう。その後幾度となくその船を引き上げようと企てた者もあつた。最近一二年前にもこれを企てゝ失敗に終つた者がある。船のあるのは事實だけれど、引き上げることは困難である。水が冷たいのと巨木の間に挾まれてゐるのと、泥の膠着かうちやくしてゐるのとで上げられない。
 二人の死骸すら遂に上げられずにしまつた。わづかに彼等が着けてゐた具足の端を水中から切り取つて、近くの寺の境内に埋めて、墓を建てたとの事である。幾百年前からとなく水中に沈んでゐるその巨樹を少しづつ切り上げて、その寺の境内にはそれらの木で一宇[#「一宇」は底本では「一字」]の堂を建てゝあるとの事である。
 諏訪湖には信玄の石棺が沈められてゐるといふ傳説が一時傳つてゐた。それは明かな虚構であるにしても、鐘が淵に巨鐘の沈んでゐることは今でも信じられてゐる。何處の湖水にでも、何か水中に祕密を藏してゐない事はない。迷信の作り出して來る傳説であらうとも、史實の傳へる遺跡であらうとも、水は靜かな表面を見せて、少しもその祕密を現はさうとはしない。
 冬季には、この湖水も諏訪湖と同じく凍りついて、氷上を渡ることが出來る。厚いときは二三尺にも餘ると、若者が話してくれた。
 湖の東の方にあつて、逃げゆく霧の中から斑尾山まだらをやまが眞正面に見え出して來た。信越の國境を形づくる山の一つである。振り返つて見ると、妙高、黒姫、飯繩いひづなの三山が、これも霧の中から徐に姿を見せだした。
 私は船をかへして岸の方へ向ふ事にした。信越の境に跨るこの三山の雄大な景色を、ぢつと眺めて居たくなつたからである。上へ/\と逃げて行く霧は、山の中腹から頂にかけて、次第に空へまでも擴がつて、山に近い空は薄灰色にぼかされて一帶にどんよりしてゐる。
 妙高は稍々右の方に當つて、峯が重り合つて奇怪な姿を見せてゐる。黒姫くろひめは眞正面に雄大な壓倒するやうな勢で、上から見下してゐる。飯繩は左へよつて右肩からおろして來る一線を裾長く曳いてゐる。
 高原地といふ感じをこの三山の連立してゐる地くらゐ、明かに與へる場所は他にない。富士の裾野でも、私達は廣い平野の中へ立つてゐるやうな感じはするが、自分等のゐる處が高い場所であるとは感じない。八ヶ嶽の麓には高原の感じは十分ある。けれども此の三山の裾のやうに、閉鎖せられ、瞰下せられ、サーカスへ入れられた馬のやうに、四方から山といふ巨人に見下されてゐるといふ感じはない。サーカスの中の馬の眼には、人達の塊團かたまりが恐ろしく見えるであらう。私達が、これ等の山の麓へ立つてゐるときは、如何にも自分等の小さなことが思はれる。明るい寂しい、空氣の澄んだ中で、丁度壜の中へ入れられた蟲が、人間の眼の働きを恐れるやうに、私達はこの明るい透徹した高原の大氣の中で、一種の恐怖を感じて身の周圍を見廻したくなる。
 靜かな湖上から眺めやつた三山の姿は、所謂日本アルプスのやうな、連嶺の重苦しさはなく、山に向ふといふ感じを最も明かに與へて呉れる。空中をおろして來る太いなだらかな線は、裾野の中へ走り込んで、この三山の麓では、その線の先きが互に交叉してゐる。私は子供の時分からいつもその線をぢつと見つめてゐると、何ものかが此の線上へ姿を現はして自分を呼んで居るやうな、その中にその者は幾つもの數に殖えて、その線上を下へ駈け降つたり、駈け昇つたりしてゐるやうな氣がした。また或時は、何人かがその肩を越して向うへ消えて行つたやうな、その人は一度越えた背を見せると、いくら呼んでも返辭をしないやうな氣がして、堪らなくなつたことがあつた。
 幾度見ても黒姫は、いつも同じやうで、しかも面目を改めて、私の前に嚴しく聳えてゐる。連嶺れんれいの亙り續いてゐる頂にばかり目を馳せてゐた私達が、初めて一山の美しき姿を仰ぐことの出來たのもこの山であつた。そして越後の海を初めて見て泣きたいばかりに心の締つた記憶と共に、何年たつても忘られないのはこの山の美しい姿であつた。しかもこの山は富士山のやうに全くまろび出たやうに孤立してゐるのではない。妙高、戸隱、飯綱の諸山は相呼應して、嚴として高原の奧に空を劃して立つてゐる。
 けれど私は、この山ばかりではない。何の山に向つてでもさうであるが、長く曳いてゐるその線上を辿つて頂上まで登つて見たいといふやうな感じはしたことがなかつた。寧ろそれに縋つて見たい、父親の膝に縋りつくやうに縋つて見たい心持が起つた。またある時は、その線上を登るのではなくして下つて見たい、あのなだらかな線上を滑り降りて見たい、何處までも降りられる處まで、走つて行かれる處まで走つて見たいといふ心持がした。私は山をば仰いで見るけれど、それを形づくる線上へ眼を走らせる時は、いつも上から下へ視線を走らせてゐた。それは私一人の經驗かも知れない。下から線を上へ辿るとき、私には一種の苦しさが伴つて來る。山は盛り上がつたのかも知れないが、それを圍む線は少くも上から一條に、また一呼吸にき下されたのだといふ感じがいつもされた。
 兎に角、この三山の私に與へてくれたものは、常住の姿であつた。不斷の生命の流れであつた。安心して自分の思つてゐることを、考へてゐることを、感じてゐることを、纏めて見ることの出來る感じであつた。この感じが私には何よりも尊いものであつた。自分の尊敬してゐる友人の前へ、有らゆる自分の姿を、深く心に祕めてゐる考へを、安心して打開けることの出來るやうに、私は山に向つてゐるとき、常は忘られてゐる心の底の流れが、自由に流れ出すのを感ずる。自分の持つてゐるものの總てが殘らず響を立てゝ表面へ現はれるのを覺える。これが私の全體の生活でなくて何であらう。私の全體の生命でなくて何であらう。
 深い悦びが、生の悦びが體躯からだ全體に漲つて來る。私の體躯の血潮が有らゆる力を盡して、順潮にめぐつてゐる。それが狂ふやうに躍るのではなく、今にも血を吐きはしまいかと思はれるやうに心臟が鼓動するのではなく、脈搏は大樣に、力強く波打つて、身體全體がほてつて來る。心の活動が寸分の隙もなく充實して來る。何故喧騷の中で、群集の中で、臆病な人間が、この自然の前へ來た時、十分の活力を得られるであらうか。何故、私達人間は友人の前に居る時だけ、戀人と向ひ合つて居る時だけ、樂しい自由な、流れるやうな心持が味はれるのであらう。
 私がそんな事を思つてゐる間に、いつか船は蘆の生えてゐる淺瀬の上へ、ばさ/\入つて來た。と眼の前に蘆の葉の薄緑が一連ひとつらに輝いて見え出した。私は水にひたした濡れ手拭を取つて、船の中へ立つた。若者はもう水の中へ飛びこんで、肩で船尾ともの方を押しながら、蘆の發生してゐる中の船小屋の方へ、船を進めて行つた。私はこの小屋へ船の入らないうちに、蘆の根元へ飛び降りた。
 稻田の畦の小徑を宿屋まで歸つて來た。湖面は日を照り返して、周圍の雜木林の中から蝉の聲と、鶯の聲とが聞えて居るばかり。その他には、何處か遠くの方で人聲がして居るやうではあるけれど判らない。明るくて、涼しい眞夏の晝、山中の湖水の岸は、總てがひつそりしてゐた。身を動かすにも荒い動作をしたくないやうな氣がする。
 私はその家に泊つて、二三日讀書でもして居ようかと思つた。それ程靜けさが私の心を捉へてしまつた。けれど、また先き/″\の事を思ふとぢつとして居られないやうな氣がして、十一時頃にその家を出た。
 野尻村は信濃の最北の村で、私の今歩いてゐる北國街道が、小さな峠を登つて下りると、其處の谿間に關川が流れて、その橋を渡ると、越後の國である。
 國境に近い村には一種の感じが漂つてゐる。その村の人々も他處で見られない一種の感じを抱いてゐる。一種の郷土の誇りといつたやうな感じが國境を間にして、兩側の村人の胸に明らかに湛へられている。それでも彼等は互に交通してゐる。姻戚の關係を結んでゐる。一つの村の兒童は他の村の、他の國の川へ、峠を越して魚を漁りに行つてゐる。同じ國の村よりも、他國の村に近く住んでゐる彼等は、互に一種の誇りを持ちながら、互にあはれみ合ひ、助け合つて生活をしてゐる。
 少しの坂路を登りつめると、草の生えた路が、なだらかに越後の國へ向いて降りて行く。路傍には、萩が咲き、葛の廣葉が風にひるがへる間から、紅紫の花がこぼれる。落葉松の密林、白樺の疎林、杉が處々に孤立してゐて、下の谿間を見おろしてゐる。谿を隔てゝのテーブル、ランドの上には、黒姫の麓の高原には、黒い岩の散つて落ちてゐるのが、矮林わいりんが、藪だたみが、まだ消えやらない山頂の霧の影を寫して、白く光る處、薄暗く隈どる處、人間の住まない寂しい原野の姿を見せてゐる。
 眞夏の晝を一人歩いて行く心持は如何にも明るい。日光を遮る砂塵もない山中の空氣は、眞上なる青い空から注ぎかける光を十分に吸ひ込んで、十分の明るさを見せて輝いてゐる。谿へ下る路が、崖の上へ來て、深い谿底を見おろして居るとき、日の光は音を立てゝ、その谷底へ流れ注ぐかと思はれる。路傍の林の簇葉むらはは、その光を漉して、青い光を樹根きのねへ投げ、林の奧は見透されないやうに、光と影が入り亂れて、不思議な思ひを起させる。
 谷底の川音が全谿に反響を立てゝ、流れから起る風が、高い兩岸から身を伸ばし、手を延ばしてゐる蔓草や松の木の枝を搖り動かしてゐる。
 山の肌を洗ひ、細い血管を傳つて、頂から麓へ、麓から谿間へ落ち込んで來る幾多の水、樹々の根元や、燒石の間へぷつ/\湧き出した小さな泉が、途を求め、藪をくぐつて、下へ/\と落ちて來た水、谿間の奧深くへ數年となく湛へてゐて、次第々々に周圍の草の根をひたし、立樹を枯らし、やがて、その白骨のやうな立枯れた巨木をも水底へ沈めてしまひ、上へ上へと登つて來て、山の出鼻を包み、岩角を沒し、林といふ林を眼にも附かないくらゐ徐々として下から呑んでしまひ、そして一樣に、何處をも平らかな水の野原としてしまつた湖水の水、その水も一箇所山の間に缺所を求めると、四里にも餘る一圓の水が俄に色めき立ち、騷ぎ立ち、殺氣を帶んで來て、爭つてその一箇所の方へ向つて急ぎ出す。長い間沈默を守つて居たものの流動が始まる。湖水全體が一團となつて恐ろしい大きな渦紋うづを卷くかと思はれる。恐ろしい唸り聲を立てるかと思はれる。周圍を繞らしてゐる崖を削り、突裂いても、脱れ出る途の方へ向ふ。見る/\その一箇所の缺け目は擴げられる。響きは四方へ反響して幾百年默してゐたものの爆聲を一時に立てる。水は郷土を求めて、廣い郷土を求めて、海へ向ふ。默してゐる水の不斷の盲動と、聲立てて走る水の小止みなき活動と、私は湖を出て、谿間の川へ下りる時、その不思議さを思はずには居られなかつた。
 關川の上流、妙高山の中腹に當る赤倉温泉から少し下つた處に、「地震の瀑」といふのがある。谿間を充たして來る水が、不意に懸崖の上へ滑り落されて、驚いて、幾丈となき其崖を飛び降りる處である。地軸を動かすやうな瀑布の響、それは水の驚きと喜びとを同時に見せる響である。一度動き出したなら瞬時も止まつて居らない水は、何物にも出逢つても、それを乘り越し、突き崩さずには居られない。默々として幾年の間でもそれ等の水は、機會を待つて領土を擴げてゐる。その領土の擴がり盡した時、其水は他へ向つて突出する。何物が其突出の力に抗することが出來得よう。水の不斷の凱歌が谿間には鳴り響いてゐる。
 國境の川を渡つて、田口の停車場まで半里程の間、次第に地勢が平かになつて、降るべき場所まで降つて、もうこれ以上は海へ走るより仕方がないと云ふ感じをさせる。
 今朝、山を包み、空を包み、林も、森も、野も、路も、村落をも沒してゐた執念しつこい霧は、妙高の頂に逃げ集つてゐたが、正午を過ぎる頃から、又其頂を下りて、そろ/\山の中腹を包み、山を離れて廣く中空に浮び出で、麓の谿に怪しい影を落し、次第々々に里を目がけて降りて來た。そして廣い天地を包んでゐたのが、此一山に集合せしめられたので、色は一層濃くなり、黒くなつて、忽ちに山の姿を全く隱してしまつた。涼しい風が、雨氣を含んだ風が、其中から吹き下して來た。日の光も薄くなつて、川の水は輝かしさを消してしまつた。
 田口の停車場へは、山から降りて來たと思はれる、足支度をした人や、何處の登山口にでも見るやうな人を乘せて來た馬が二三頭、近くの立木に繋いであつた。そして温泉の香を匂はせた若い男達が、荒い皮膚をして、それでゐて生々とした光澤つやを見せて、酒にでも醉つたやうな顏をして、幾人も集つて來た。彼等は高田、直江津方面へ行く汽車を待つてゐた。
 汽車は來た。それ等の男も私も乘り込んだ。停車時間の短い驛だから、手早に乘つたと思つたが、乘ると直ぐに動き出した。それ等の男は窓から首を出して、頻りに山の話をしてゐた。温泉の話をしてゐた。
「旨い時に下りて來たもんぢや無えか、そら山は雨だ。途中であいつに出逢つたら大變だつたぜ。」
 大勢が一時に窓から山を見上げるやうにした。山を包んでゐた今朝の霧は、雲は、一層色が黒くなり、もの/\しくなつて、表面だけしか判らないけれども、確かに動いているのが判る。雨となつて、山腹へ注いでゐることが判る。雨氣を含んだ風が涼しく車窓へ打當つて來た。日が曇つてきた。
 明日の朝もまたあの霧が私を包むのであらうか。其時私は何處を歩いて居るのであらう。私は未だそれを定めて置かなかつた。





底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
親本:「霧の旅」中興館
   1914(大正3)年6月
※「飯繩」と「飯綱」の混用は、底本のままです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2004年8月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について