犠牲者

平林初之輔




     一、小さな幸福

 中学の課程すらも満足にえていない今村謹太郎いまむらきんたろうにとっては、浅野護謨あさのごむ会社事務員月給七十五円という現在の職業は、十分満足なものであった。自分のような、何処といって取柄のない人間を、大金を出して雇ってくれている雇主やといぬしは世にも有り難い人であると、彼はいつも心から感謝していた。
 彼は、それだけの給料で、ささやかながらも、見かけだけは堅牢な家庭生活を築き上げていた。彼の郷里である山陰道の農村から、ほとんど富士山も見ないようにして、まっすぐに彼の家庭へとびこんで来た細君は、村の生活と、彼等二人の家庭生活とのほかには、世間のことは文字通り何も知らず、彼等の生活とちがった人生が、此の世の中にあり得るなどと考えたことすらもなかった。夫婦の生活というものは、月収七十五円の範囲内で営まるべきものと神代の昔からきまっているように想像していた。従って、現在の生活に満足している程度は、今村と同様若しくはそれ以上であり、今村が雇主に感謝していると同じように、彼女は、百姓娘の自分を人のうらやむ東京へつれて来て養ってくれている今村に、心からの感謝を捧げていたのである。
 多くの下級事務員の生活がそうであるように、今村の生活には、一年じゅう何の変化もなかった。毎日時間をきめて、自宅と会社との間を往復すべく運命づけられた機械のような生活であった。しかし、彼は、それを当然であると考えていた。これは、自分の生れない前からきめられていたことで今更らどうにもしようがないのみならず、変化などがあってはそれこそ却って大変だと考えていた。このまま、月給七十五円の事務員として一生涯をおわっても、そんなことは一向彼には苦にならなかった。むしろそれをのぞんでいる位だった。それで結構一人前の生活をしてゆくことができるという驚くべき自信を彼はもっていた。物価が騰貴すれば騰貴しただけ生活費を切り詰めればよい。現在六畳と二畳とで十五円の家賃は、六畳一室借まがりにすれば少なくも三円の室代へやだいを切りつめることができると彼はしじゅう、万一の場合の覚悟をきめていた。しかも此の自信を彼は現在の生活によって着々と実証していた。四年の間に積み立てられた貯金は、既に二百七十円なにがしという額に達していた。そして、この貯金は、毎月少なくとも十円位の割合で増加していたのである。
 この小さな財産の上に、今村の一切の希望は築きあげられていた。郊外のどこかに、六畳一室に三畳くらいの小ざっぱりした家を建てよう、月に一度位は女房とやがてできるであろう子供とをつれて洋食の一皿も食べに出かけよう、年に一度くらいは芝居も見物したい――安月給取の頭の中を毎日のように往来するこうした小さな慾望が、今村には現実の慾望とはならずに、遠い未来の希望として、描かれたり消されたりしていたのである。ことに家を建てるという考えは、幾度び彼の頭の中で咀嚼そしゃくされ、反芻はんすうされたことであろう。彼の脳裡のうりには、もう空想の自宅が、完全に設計され、建造され、建具や家具や装飾をそなえつけられて、主人を迎え入れていたのである。此の自宅は、自分の所有なのだ。家賃を払う必要がないのだ。彼には何だか勿体もったいないような気がするのであった。おまけに、この幸福な思想の特徴は、何度繰り返して頭に浮んできても決して、平凡な無刺戟なものになってしまうようなことはなくて、いつも、いきいきとした新鮮な姿で現われ、それが浮んで来る度びに、彼の幸福の雰囲気を濃厚にする不思議な力をもっていたことである。

     二、吹雪の夜の大都会

 夜の十時過ぎ。平生ふだんならば、銀座通りはまだ宵のうちだ。全日本の流行のすいをそぐった男女の群が、まるで自分の邸内でも歩いているように、屈託のない足どりでプロムナードを楽しんでいる時刻だ。
 けれども、その日は朝から雪で、午過ぎからは風が加わって吹き降りにかわっていた。九時頃には二寸も粉雪がつもって電車もとまってしまった。車道も歩道も街路樹も家々の屋根もただ見る一面の雪におおわれている。時々、自動車が、猪のように疾走して去る外には殆んど生物の住んでいることを暗示させるものは何もない。まるで、大自然の威力の前に、脆弱ぜいじゃくな人間の文明がおどおどして、蝸牛かたつむりのように頭をかたく殻の中へかくして萎縮しているようである。
 この荒寥こうりょうたる大都会の夜景の中を、全人類を代表して自然の暴力に抵抗しようとしている人のように、吹雪を真正面に受けて、新橋から須田町の方角へ向かって歩いてゆく一点の人影があった。自然は又自然で、小ざかしい人間の企図を思うまま弄殺ろうさつしてやろうと決心したかのように、時には、うなりをたてて疾風を送り、時にはけろりと静まって、まるで傍観しているような様子を示す。
 人間は、寒さにいじけ、風に圧せられてよろけかかっているように見える。此の世に希望を失った人生の落伍者が、あてどのない八つあたりの不平と自己嫌悪とに気を腐らして、人生の行路さながらの吹雪道を無目的に歩いているように見える。
 しかし、十時の夜勤をすまして駒込こまごめの自宅へ徒歩で帰ろうとしている、浅野護謨会社事務員今村謹太郎ははたで思う程あわれな存在ではなかった。第一雪道を歩くのは経験のない人が想像する程寒いものではない。少しくらい靴の皮をとおして水気が足へしみこんだところで、摩擦の熱は、それを蒸発させるに十分である。歩行の速度を少しばかり速めさえすれば、運動が熱にかわって必要な程度に全身が温まってくる。むしろ雪道を歩くのは汗の出る仕事である。今村は、暗い空から無限に湧いては、軒灯の光の中を斜めに切って、ほてった顔にばらばらと降り注いでくる灰色の雪の冷たい感触をむしろ享楽していた。彼が、一見風に吹かれてよろけているように見えたのは、実は、一歩一歩大地を踏みしめる足の下から、温泉のように湧き上って来る幸福な思想のばねにはねかえされておどっているのであった。
 実際今村はお伽噺とぎばなしの王子のように幸福であった。吹雪は、自然が彼の幸福にささげてくれる伴奏のように彼には思われた。人気のない天地の中に、ただ独り歩いている彼にとっては、空想は外部から邪魔されるおそれはない。ことに雪の夜の都会は空想の翼をほしいままにひろげるには此の上なく好都合な環境である。少年時代の思い出、未来に対するかずかずの希望、現在の生活の満足さ、果報さ――こうした思想の細片が、一つ一つ歓喜の詩となって、彼の頭の中で、最も非現実的な、お伽噺の中でのみ見られる幸福の讃歌を綴ってゆくのであった。
 わけても、今村のほしいままな空想をややもすれば独占しようとするのは、近い将来に彼等の家庭の一員に加えらるべき子供のことであった。彼はそれを男の児として考えて見る。丸々と肥った健康のシンボルのような嬰児はいつのまにか水兵服をつけた五つ六つの年頃にかわる。妻と二人で両方から手をひいて動物園へつれてゆく。何でもすきな玩具おもちゃを買ってやる。やがて中学の制服を着た姿にかわる。学科も優等でなくちゃいかん。スポーツは野球がよいかな……次には女の児として想像して見る。洋服にしようか、和服が似合うかな。名前は何とつけよう? いや名前などは今から考えちゃいかん。その時のインスピレーションにまかせておかなくちゃ。顔は母に似て丸ぽちゃに相違ない。女学校はどこへ入れようかな。成長おおきくなったら音楽家にしようか、それとも画家がよいか知らん。画は日本画と西洋画とどちらがよいか知らんて。琴や生花を仕込んで純粋な日本娘風にしつけるのもわるくはないな……空想の泉は、空から湧いて来る雪と無限をあらそうて、それからそれへとはてしがない。

     三、奇禍

 読者諸君、私は、ここで、厳正な第三者として一言述べておきたいことがある。今村のような環境に生き、今村のような人生観をもっている人生の行路者は果して幸福であろうか? 私は即座に否と答えるに躊躇しないのである。何となれば、彼の頭の中にえがかれている人生と現実の人生との間にはあまりにも残酷な溝渠こうきょ穿うがたれている。少くも今日の世の中では今村のような人間の存在そのものが甚だ不自然である。人間社会に行われている自然淘汰は、彼のような病的な存在を長く許しておく筈がないのである。今の社会に生きてゆくためには、もう少し悪ずれのしていることが絶対に必要である。今村のような人間は、人間社会を支配している機械の歯車の中へ不用意に飛びこんだ蝿のようなもので、それがしつぶされてしまうのは自然でもあり、必然でもあるので、それを今更ら悲しんだり同情したりするのはもう遅過ぎるのである。これから私が語ろうとするエピソード、即ち彼が社会の歯車でおしつぶされた次第は、多少不自然のきらいがないでもないが、決して珍らしいことではなく、こういう人間に必らずふりかかって来る運命なのだ。もっと目立たない形で、人間の社会にざらに行われている平凡な現象の一つの要約レジュメと言えば言える位なものに過ぎないのだ。蛇足のようであるがこれだけのことを是非言っておかないと弁護士という職業に従っている私の妙な態度を誤解される恐れがあるから、ちょっと言っておくのである。
 閑話休題、今村が本郷の通りを真っ直ぐに、上富士前へ出て、横町を左に折れて木戸坂の方へさしかかった時は、もう時計は十一時を大分まわっていた。
 あたりに立ち並んでいるしもた家には、軒灯のついているのは珍らしい位なので、道筋は概して薄暗かった。町はずれの夜中の十二時前、しかもひどい吹雪と来ては、よっぽど差し迫った用事のある人でなければ門外へ足を踏み出す気遣いはない。一つ場所に三十分もたっていても、恐らく一人の人間にも出遇うことはないであろう。
 こういう寒い晩には、今村の細君は湯豆腐をこしらえておいてくれる習慣になっていた。今村は急に空腹を意識して、熱い湯豆腐を眼の前に想像しながら足をはやめた。その時、彼はだしぬけに、脳天のあたりにひどい衝撃を感じた。非常に堅い物体で力一ぱいかーんと喰らわされたような感じだった。くらくらと脳髄のうずいしびれたような感覚があったかと思うと、ぱったりその場に昏倒してしまった。それは、ものの二秒ともたたぬ間の出来事であった。
 それから何分間たったか、それとも何時間たったかわからない。彼が意識を恢復した時に外套がいとうの上に積っていた雪の厚さから察すると、少なくも一時間以上もたっていたであろう。彼は無言のままふらふらと起き上った。あたりは何事もなかったように静まり返っている。彼はずきずき痛む頭へ手をあてて見た。別に血の出ている様子もない。彼は身体をゆすぶって外套の雪を払い落した。帽子を拾いあげて羅紗らしゃにくっついている雪を落してかぶった。今までポケットへ手をつっこんでいたので気がつかなかったが、手袋が片っぽしかない。あたりの雪を足でかきまぜてさがして見たがどうしても見あたらぬ。どっかで落したものらしい。彼は、この馬鹿げた事件をひとりで苦笑にがわらいするより他はなかった。交番へ訴える必要はないと彼は判断した。第一これを人間が故意に彼に加えた行為であると断定する根拠は何もない。暴行者の顔を見たわけでもなければ声を聞いたわけでもない。まるで降って湧いたように頭をどやしつけられたというに過ぎないのだ。ことによると上から、かわらか或は枯枝か何かが、偶然彼の頭上へ落ちて来たのかも知れない。いずれにしても、何も証拠はないのだから、訴えたところで加害者のわかる気遣いはなし、加害者がわかったところで彼には何の利益もない。ただ、彼と同じように交替の時間が来て家へ帰れるのを待っているお巡りさんに無駄な手数をかけ、自分もたとえしばらくでも時間を空費するだけのことだ。しかも、若しこれが人間の所為ではなくて、偶然の天災であるとしたらどうだろう。大自然を交番に訴えて、人間に裁いてもらうなんて、考えただけでも滑稽ではないか?
 とは言え、まるで先刻さっきの不意の一撃が、今村の頭から歓喜の感情をすっかり追い出し、彼の身体から体温をすっかり奪ってしまったかのように、彼は身体じゅうにはげしい寒さを感じた。頭の中にはもう一片の空想も芽ぐむ余地がなかった。ことに局部の痛みと手さきの冷たさとは全身の調子をひどく不愉快にした。その上、何となく不吉な予感が、彼の心を執拗むやみに蝕ばむのである。まるで、これまで運命の神にめぐまれていると信じきっていた人間が、突然、最も露骨な、醜悪極まるやりかたで、不信任の刻印をおされた時のような不面目な気持ちがするのである。安心と満足との山頂から、不安と恐怖とのどん底へ突き落されたような気持ちがするのである。
 彼は世界が急にまっ暗になり、今まで光り輝いていた自分の未来が見る見るその闇の中へ吸いこまれてゆくように思った。

     四、拘引

 妙な出来事のために不愉快な心を抱いて、今村が自宅の門口にさしかかって来たときである。不意に、まるで雪の中から湧いて出たように、三四人の黒い人影が、ばらばらと彼の面前に現われて、粗暴とも不礼ともいいようのないやりかたで、両方から彼の腕を鷲掴わしづかみにした。
 自信をもっていた人間が、一たん自信を裏切られると、それから先はひどく臆病になってしまって、何事にも自信がもてなくなる。一種の強迫観念にとらわれてしまって、することなすことが、ことごとへまの連発になる。勝負事に一度敗け出すととめどなく敗けつづけるような工合である。
 今村は、不意に闇の中からあらわれた暴漢の、無法極まる仕打ちに対して、抗議することも何も忘れてしまった。まるでそういう取り扱いを受けるのは当然のことで、自分はそれにさからう資格のない人間ででもあるような気がした。
「静かにしろ」と一人の壮漢そうかんが釘を打ちこむような声で言った。「貴様は今村謹太郎に相違ないか?」第二の男が幾らかふるえを帯びた声で言った。三人目の男は衣嚢ポケットから警察章を出して見せて「吾々は警視庁の刑事だ。すぐに同行するんだ」と言いながら、大事そうにまた警察章を衣嚢へしまった。
 今村は、全身が蒟蒻こんにゃくのようにふるえるのをおさえることも、かくすこともできなかった。第一の打撃でよい加減気を腐らしていた折柄、咄嗟とっさに降って湧いた二度目の更に一層グロテスクな出来事をどう判断してよいか、彼には考えるひまも力もなかった。ただ、理由なしに怖ろしかった。そして、誰も他の人は見ていないにかかわらず、彼は、まるで白昼大通りで丸裸にされて侮辱を受けているような侮辱を感じた。細君が家の中から出て来ないのを不審がるよりも前に、この不面目な場面を細君に見られたら大変だという警戒の念が先に起った。
「家内はこのことを知っておるでしょうか?」
 と彼はがたがた慄えながらきいた。
「だまってゆけ」
 と一人の刑事が、無慈悲そのもののような調子で言った。今村の両手はいつのまにか捕縄とりなわでかたく縛られていた。
 彼は命令された通り、だまってついてゆくよりほかはなかった。自分の意志を全く失ってしまって、他人の命令に絶対服従する気持には一種の快感が伴うものだ。今村が、恐れとか怒りとかいう感じをその時さらに感じなかったのは極めて自然であると私は思う。貪慾な所有者は家宝の花瓶に少しくらいきずのついた時には、くやしくて、残念で、二晩や三晩は眠れないかも知れない。けれども、此の花瓶が、超人の手によって、百尺の高さから、花崗岩かこうがんの庭石の上へ投げつけられ、物の見事に文字通り、粉微塵こなみじんに破壊されたらどうだろう。どんなに貪慾な人間でも、その時は、一時、残念とかくやしいとかいう生やさしい心境を超脱してしまうに相違ない。
 彼は、さも愉快そうにげらげらと笑い出すかも知れない。無限の両端は一致するという真理には例外はないのだ。
 この刹那の今村の心理状態を学者が分析するなら、命よりも大切にしていた家宝の花瓶を、一思いに粉砕された刹那の所有者の心理状態との間に、少なからぬ共通点を見出したことであろう。
 彼は、刑事がするがままに、外套と上着と短衣チョッキ洋袴ズボンとの衣嚢をのこらず裏返して紙屑一つあまさず所持品という所持品を悉く没収された。飼主に追われて小舎の中へ入る豚のような恰好と心理とをもって、彼は自動車に乗せられた。
 その途たんに、彼は一瞬間自意識にかえった。名状しがたい絶望感が、風のように彼の全身を通り過ぎた。彼の唇は彼の意志とは独立にゆがみ、頬のあたりの筋肉は剛直した。
「もう駄目だ!」
 卑怯な家畜のような声が思わず彼の歯間をれて出た。三人の刑事は一斉にじろりと彼の方を見た。

     五、恐怖

 四人の人間の塊りをのせた自動車は、石ころでも乗せたように無感覚な相貌をして、雪の中を疾走していった。一行が警視庁へ着いた時は、もう時計は二時をよほど廻っていた。
 彼はもう一度厳重な身体検査を受け、外套と帽子と上衣とは参考品として没収され、一言も言わずに、まるでメリケン粉の袋か何かのように荒々しく留置所へ入れられた。
 今村は何よりも空腹と寒さとを感じた。そして、こんな場合に、こんなところで空腹を感じる自分の動物的本能に嫌悪を感じた。しばらくすると係りの警官が毛布を二三枚もって来た。外には二名の警官が立ち番をしているらしかった。彼は本能的に毛布を足でもちあげ、歯でくわえて短衣の上にまきつけた。その毛布は、これまで幾度び、ありとあらゆる忌わしい犯人の身体にまきつき、その体臭と汗とに浸みこまれていることであろう。彼は何とも言いようのない屈辱を感じたが、それでも毛布をすてはしなかった。それどころか、その毛布が自分にふさわしい着物のようにさえ思われた。
 彼にはどう考えても今夜の出来事は合点がゆかなかった。ことによると、あの最初の一撃を受けた瞬間に、頭の調子が狂ってしまって、今は夢を見ているのじゃなかろうか? それよりも、最初の打撃そのものが既に夢の中の出来事で、自分は現在、家で蒲団にくるまって、女房と枕を並べて安らかに眠っているのかも知れない。
 廊下を往来する守衛の靴の音が、此の上なく非音楽的なリズムをつくって、乾燥した音波を鼓膜に送って来る。その音には、日本帝国官憲の威力がこもっているようで、鼓膜を打つたびにひやりとさせる。それを聞いていると、或いは自分が無意識の裡に何か悪いことをして、それを自分で気がつかずにいるのではあるまいかという考えが湧いて来る。そして、時とすると、それが動かしがたい、確定的な事実のように思われて来る。
 彼は身体をはげしくゆすぶって、此の忌わしい考えを振り払おうとした。
 今頃女房はどうしているだろう。自分がこんな不名誉なところに、こんな見苦しいざまをしていることを知ったらどうだろう。自分は何も悪いことをしたおぼえはないように思う。が女房はそれを信じてくれるだろうか。それとも彼女は、自分を悪人だと信じきって、愛想をつかして逃げ出していはしないだろうか? 自分が刑事につかまった時に顔を見せなかったのはどうもおかしい。あの時もう既に逃げたあとだったかも知れぬ。
 彼はまた恐ろしいものを振り払うように身体をゆすぶって妄想を追いやろうとしたが、数時間前に、幸福な考が泉のように湧いて出たように、今は、あらゆるいまわしい想像が、工場の煙突から吐き出される煤煙ばいえんのように、むらむらととぐろを巻いて、彼の意識全体にひろがってゆくのであった。
 それでも彼は誰をもうらまなかった。うらもうにもうらむ相手がなかったのである。警官は理由なしに臣民を拘引するわけはない。然らば如何なる理由で自分を拘引したのだろう。わからぬ。全くわからぬ。明かに無法だ。無茶だ。だが誰が一体自分に無法を加えているのだろう? 彼は、できるだけ冷静に自分の周囲を反省して見た。
 妻は勿論論外だ。さりとて、護謨会社の一事務員である自分には、怪しむべき交友もない。社は忠実につとめている。社長は自分が忠実にはたらくことを知って並々ならぬ好意を示している。工場へは出入しないから、職工とは別に交渉はない。事務員はほかに四人いるが、みんな自分をすいている。小使は社中で自分に一番したしんでいるし、自分も彼には親切にしてやっている。給仕に至っては、自分は他の事務員のようにこきつかわないで、友達同然につきあっている。そのほかには、自分に交渉のある人間は世界中に両親のほかにはないといってもよい。こんな平和な、安穏な環境に生きている自分に、一体警察沙汰ざたになるような事件の渦中に巻きこまれる可能性があるだろうか?
 全身はぞくぞく寒い。頭はうずく。縄が両腕に喰い入ってぴりぴり痛む。頭には旋風が吹いているようで何が何やらさっぱりわからぬ。彼は、この奇怪極まる立場にいることが次第に腹立たしくなって来た。一体彼等は自分をどうしようというのだろう。どうにでもしてくれ。一刻もはやくどうにか始末をつけて貰いたい。その代り、ここからはやく出して貰いたい。この光を奪われた底冷たい無気味な部屋にいることだけは一分間でも辛棒ができん。彼は死刑台へでもよいから、はやくこの部屋を出してつれていってほしいと思った。

     六、板倉刑事課長の審問

 約二十分経った。彼にはそれが数時間のように思われた。
 家畜小屋のかんぬきのような、非美術的極まる留置室の扉が、此の上なく野蛮な音をたてて、ごりごりときしみながら開いた。生れおちるとから、罪人以外の人間には接触したことのないような、型にはまった三人の警官が物々しい様子をして外に立っている。
「此処へ来い」
 そのうちの一人が錻力ブリキを叩くような声で命令した。彼は奴隷のように柔順にだまって出て行った。
 三人の頑固な警官が、彼を、まるで危険な猛獣か何かのように、物々しく三方から護衛しながら、燦然さんぜんと電灯の光のてらしている大きな西洋室へつれて行った。
 今村は、日光をおそれる土龍もぐらのように、明るい部屋へ出るのが気まりがわるかった。彼は、数時間前から、彼の身にふりかかって来たあまりに急激な変化のために、以前の自分と現在の自分との連絡をはっきり自覚することができなかった。不面目きわまる現在の自分の姿が、見知らぬ悪漢か何ぞのように客観視された。彼は自分で自分を笑ってやりたいような気持になった。「ざま見ろ」というような痛快な感じが心のどこかから湧いて来るのであった。
 室の中央には、数百年来そこにおいてあった彫刻か何かのような、その場にふさわしい恰好をして、板倉いたくら刑事課長が悠然と腰をおろしていた。彼は(こんなことは言う必要がないかも知れぬが)前の晩にまだ四つになったばかりの末娘をどの女学校へ入れるかというくだらん問題について夫人と衝突し、十一時頃床へは入るまで不機嫌であったところへ、ちょうど眠入りばなを本庁から電話で起されたのであった。「何だ今頃?」と彼は叱るように電話口で答えたのであった。
 当番の警部は、つい今しがた、京橋の浅野護謨会社の事務所で、小使が頭部を打たれて惨殺されているのが社長に発見されたこと、ただちに管下に非常線を張ったこと、現場へはただちに判検事及び係りの警官や警察医が臨検に向う手筈になっていること、犯人は当夜夜勤をしていた今村という事務員に嫌疑がかかっていることなどを、かいつまんで話した。電話をきいているうちに、課長の顔には次第に職業的緊張があらわれ、「すぐ行きます」と打ってかわっておとなしい言葉で電話を切ったのであった。そして、彼は大急ぎで服を着かえて、自動車をとばしたのである。
「君が今村君かね?」
 と課長は彼独得の、おとなしい、それでいて威厳のある語調ことばで口をきった。この語調は彼が官庁の飯を食い出してから二十余年の間に習得されたものであった。序でに鳥渡ちょっと言っておくが、彼は、柔よく剛を制すという戦術タクチックを殆んど盲目的に信じていて、嫌疑者や犯人が手剛てごわい人間であればある程ますますおとなしい調子で話しかけるのが習慣であった。今の口の切り出しかたで見ると、彼が今村を余程油断のならぬ敵手と値踏みしていることは確実といってよいのである。
 課長の戦術は、初心な今村に対しては殆んど催眠術のような効を奏した。第一印象に於て、彼はすっかり課長の柔和な人品に打たれたのである。何か自分に犯行があったら、すっかりこのお方に白状してしまいたいような気持ちになった。この人を喜ばすためになら何かちょっとした罪くらいなら犯してもよいと思った位であった。ところが、あいにく自分が青天白日の身で何も白状すべきことがないので、彼は、課長に対して申しわけのないような気の毒なような気がするのであった。そこで、せめて課長の訊問に対して、できるだけ丁寧に答えるのが、自分の義務でもあり、愉快な人道的な行為でもあると考えた。
「そうです」
 と彼は心から恐縮しきって答えた。
「いずれ詳しいことは判事から審問がある筈だが、君は、何故拘引されたかわかっているだろうね?」
 彼は忽ち返事に窮した。実際彼にはさっぱり拘引された理由がわからなかったのである。しかし「わかりません」と鸚鵡おうむ返しに言ってのければ、余計に相手の疑を増すことにもなり、それに第一無礼にあたるような気もした。少し妙ではあるが、ことによると帰り途で最初の一撃にあったことと関連して、何かの人違いで自分が拘引されたのかも知れぬとふっと気がついたが、さればと言って「わかっています」と言いきるのは相手を馬鹿にしたようで如何にも図々しすぎる。
「はっきりとはわかりませんが……」ともじもじしながら彼は答えた。
「はっきりわからなくともおぼえはあるんだね、よしよし」と課長は独り合点して大きくうなずいた。
「君は昨夜、浅野護謨会社の小使を殺したろう?」
 獲物に向って発射した弾丸たまの手ごたえを見定める時の、熟練した猟夫のような眼で、課長は穴のあく程相手の顔を見た。今の不意討ち的訊問の手ごたえを見てとろうとしたのである。
 ところが、彼の期待とは打ってかわった妙な反応があらわれた。今村はぽかんとして、無感動な調子で「何ですか?」と訊きかえした。実際よくききとれなかった様子である。課長は、化学反応の実験がうまくゆかなかった時の理科の教師のように小首をかしげた。しかし彼はすぐに気をとりなおした。
「浅野護謨会社の小使を殺したのは君だろうというのだ」
 課長は、相手を容易ならぬ強敵と見てとって、できるだけ冷静に言った。いくら隠しだてしたって、こちらでは何もかもわかっているということを犯人に強く印象させる必要のある時に彼が用いる態度である。
 今村は、はじめて、自分が容易ならぬ嫌疑を受けているらしいことを自覚して、総身そうみに水を浴びたように胴慄いした。そしてこれまでの自分の返事が、みんな自分の実際の気持ちを裏切って相手に不利に解釈されていることに気がついて底知れぬ不安に打たれた。課長に対する敬愛の心は、忽ち憎悪の念にかわった。唇は歪み、舌はひきつってとみに返事もできなかったので、彼はだまっていた。ところが彼がだまっていたのは、却って彼の図太さの証拠であると課長は判断してこういう場合にいつも用いる、息をもつかせぬ「急追法」をとった。

     七、証拠

「昨夜君は何時に社を出た?」
「かっきり十時に出ました」
「それから真直に家へ帰ったか?」
「はあ真直に帰りました」
「そうか、君は算術は出来るね? 社を出たのがかっきり十時、それで君が家の門口まで帰ったのは今朝の一時二十分過ぎだ。君は帰り途に三時間と二十分費やしているわけだよ。その頃は電車はとまっていたそうだが、京橋から君の家までは、いくら足のおそい人でも、徒歩で二時間あれば沢山だ。ことに昨夜のような雪の晩には、誰でもそうのろのろ歩いているものはない。若し君が真直に家に帰ったのなら、十時に社を出たというのは偽りだろう」
 今村は帰途で奇禍にあったことを余っ程話そうかと思った。けれども、それは何も証拠のないことである。却って不自然なつくり話だと思われる恐れがある。彼は返事に窮してまただまった。課長はそれを決定的な有罪の証明であると判断して、別段返事の督促もしないで次の訊問に移った。
「この手袋は君のだろう?」
 彼はデスクの上にのせてある一つの駱駝らくだの手袋をさし示して言った。
「そうです」
 と先刻から不思議そうにそれを見ていた今村は承認した。
「この手袋の片一方はどうしたかおぼえているか?」
「途中で落したと見えてありませんでした」
「どこで落したかおぼえがあるか?」
「ありません」
「君は小使を撲殺した時に、不注意にも現場に落してきたのだ。被害者のそばに落ちていたということだぞ。臨検の警官からの電話で、君の手袋の片一方が発見されたことが明瞭になっているのだ」
 今村は、頭から尻へ、串でつきとおされたような気がした。彼を犯人だと信じきった課長は、勝ち誇った勝軍の将が、敵の降将に降伏条件を指定する時のような、確信に満ちた態度で言った。
「どうじゃ、おぼえがないとは言えないだろう?」
「おぼえはありません」
 と今村は低声こごえうなるように云った。そして、こんな返事は却って、おぼえのある証拠であるように思えて、自分で自分のへまさ加減がいやになった。
「おぼえがありません」というような答えは真犯人の常套語であるということを、従来の経験にてらして知りぬいている課長は、今村の返事などは歯牙にもかけずに訊問をすすめた。
「おぼえのない人間が、どうしてつかまった時に『家内はこのことを知っておりますか』なんて云う必要があるのか? 自動車に乗せられるときは『もう駄目だ』なんて独り言をいう必要があるのか? いずれ重大な事件だから、すぐに係りの検事から審問がある筈だが、なまじっかいつわりを申し立てぬがいいぞ。隠してはためにならぬぞ」
 課長は肥った身体を満足そうにゆすぶりながら、言いたいだけのことを言ってしまうと、先刻から不動の姿勢をとっていた護衛の警官にあごの先で合図した。
 今村は、咽喉に栓が詰って、一言もものがいえなかった。しょんぼりとして、警官にひきたてられてゆく彼の姿を見ると誰の眼にも、すっかり恐れ入ってひきさがってゆく罪人とかわりはなかった。
 実際今村自身にさえ、自分が罪人であるとしか思われなかったのである。絶体絶命の不可抗力に、「お前が犯人だ」と暗示され、その暗示は、人間わざではどうすることもできないような気がした。ニューヨークの摩天楼のてっぺんから、真逆様に墜落するときに感ずるでもあろうような、何とも施しようのない、ただ落ちるがままにまかせておくよりほかに仕方のないような宿命を感じた。
 昨夜のことがきれぎれに彼の頭をかすめて通りすぎる。細君の顔と刑事課長の顔とが消えたり浮んだりする。その度びに彼は脳髄の中へ氷の棒をつきとおされるような思いがした。
 それから間もなく臨検の一行が帰り、証人として浅野社長も召喚されて、予審廷が開かれたことは言うまでもないが、その内容は今のと大同小異だからここで発表する必要はなかろう。ただ翌日の新聞の夕刊(朝刊の記事には間にあわなかったので)には「浅野護謨会社小使惨殺さる」という記事の標題みだしとして「加害者は同社の事務員」と記され、今村がすっかり罪状を自白してただちに未決監へ収監された記事がのっていたことだけを言っておけばよい。

     八、むしろ永久に未決監に

 今村は今も未決監にいる。彼が無罪であることは、彼からきれぎれに聞いた話を綜合して、今読者に語っている、彼の係りの弁護士なる私はかたく信じている。けれども彼が法律上無罪になるかという問題になると、私には必らずしもそれは保証できない。弁護士として甚だ不謹慎な放言をするようであるが、実際自分は自分の弁論の効果に余り自信がもてないのである。第一彼は、あの晩に家へ帰る途中で、奇禍にあったことを一度も裁判官に言っておらぬし今になってそんなことを言い出せば、却って疑を深くするような立場にある。然るに、犯行は十一時頃と鑑定されているからこれを言わなければどうしても現場不在証明が立たぬ。第二に彼は、その時に受けた頭部の打撲傷を判事に発見されたときに、それになるべく自然らしい説明を与えようとして、途中で転んで頭を打ったと申し立てている。ところが、これは極めて不自然な説明となっている。何故かなら、あの打撲傷はかっきり脳天に受けているのであるから、真逆様に転んだのでなければ、あんなところに傷のできる気遣いはない。然るに歩いている人間が真逆様に転ぶことはあり得ない。第三に、事務所に彼が忘れて来た手袋がちょうど被害者のそばに落ちていたということは、あまりにもフェータルな暗合である。勿論手袋だけなら単なる一つの薄弱な情況証拠としかならぬが、他の証拠と重なり合って来ると、これは、容易ならぬ、殆んど決定的な価値を帯びてくるのである。その他にも彼は予審廷に於て、いろいろへまなことを申したてている。そして、一旦口外したことは嘘であろうが何であろうが、彼は断じて取り消そうとしない。前言を翻すのは男子の恥辱だと心得ている。男子の一言金鉄の如しというヒロイズムだけを彼は頑固に信じている。そんなわけで、彼の答弁は却って矛盾だらけになっているのである。これを要するに、彼はあまりに善良過ぎるために罪を背負って、その重荷を放すことができないという結論になって来る。
 それというのも我が国の、いやひとり我が国のみならず、全世界の裁判制度なるものが、形式万能主義で、今村のような世にも珍らしい被告の心理に彩られた複雑な事件をさばくようにはできていないからである。
 最後に此の事件には他に一人も嫌疑者がない。犯罪があって犯人がないというようなことは警察として忍びがたいところだ。それに世間が、新聞が承知しない。そこで、警察は犯人がなければ犯人を製造してもかまわぬ位の意気込みで仕事にあたっている。それも事情やむを得ないのであろう。いわんやこの事件では、被告に充分嫌疑をかける表面的理由があるのだから、他に有力な嫌疑者でも出ない限り、彼が証拠不充分で釈放されるのぞみはないと言ってよい。ただ裁判所が一番困っているのは兇器が見つからぬことだ。被告も兇器のことは知らぬ存ぜぬでおしとおしていることだ。
 然らば万一、被告が法律上無罪になったとしたら彼は救われるかというと、一たんかくも無惨に破壊された人間の生活というものは容易に繕われるものではない。被告はこれまで、呪いとか、憎みとか、不平とかいうものを知らなんだ。そのためにこそ彼は七十五円の月収で未来の幸福を空想し、この空想が現在の生活を幸福にしていたのである。ところが、今度の事件によって、彼の頭には、不正に対する呪いと憎悪とが深刻にきざまれたに相違ない。それに、浅野合資会社は、この事件のあったすぐあとで破産している。仮に彼が釈放されても生活の本拠が既になくなっているのだ。人間が多過ぎて困る不景気な今の世の中に、殺人犯の嫌疑を受けた人間を雇い入れるような好奇心をもっている資本家は一人だってありはしない。世間の人の眼には、いくら無罪にきまっても、一たん収監された人間には、どうしても黒い影がつきまとって見えるものだ。アナトール・フランスのかいたクランクビュという青物屋と同じ待遇を彼等は世間から受けなければならんのだ。最後に、本人はまだ知らずにいるが、細君はあの事件に証人としてよばれるやら何やらで胆をつぶして月足らずで流産し、彼の空想の楽しいかてであった愛子は、闇から闇に葬られている。細君は国元へひきとられて、もう二度と東京の土をふまぬようにと親戚からさとされている。これを今村が知ったらどうだろう。彼の空想の幸福は、要するに、一寸した間違いのために、精神的にも、物質的にも、家庭的にも、すっかり廃墟となってしまって、それを再建するよすがはないのである。私は、むしろ、彼を永久に未決監において、せめても一の空想を楽しみながら世を去らせてやりたいと思う位だ。

     九、補遺――真犯人は誰か?

 私はこの物語を以上で終るつもりでいた。ところが今村の公判もまぢかに迫った最近ちょっとした事件が起ったので、それを補遺として書き添えておくのを適当だと思った。何故かなら、たとえ正確にはわからなかったにしても、此の事件の真犯人について私が何の意見ものべなかったのは一部の読者を失望させただろうからである。
 数日前、私は少し調べ物をする必要があったので、訪客を避けて、沼津の千本浜の一旅宿へひっこんでいた。三日の間、私は新聞も読まずに此の事件とは関係のない或る重大な事件の調査に没頭していた。
 四日目の朝であった。昨日まで吹きすさんでいた西風がけろりとんで、珍らしく海がいでいた。静浦の沖には、無数の漁船が日光を享楽している水鳥の群のように点々と浮んでいる。おだやかな波は、小石だらけのなぎさへぽしゃりぽしゃりと静かな音をたてて打ち寄せている。一体波の音というものは、宇宙間に於ける最も美妙な音楽であると私は言いたい。それは何千億という細かい小音の集りである。あたかも、大洋の水を構成している無限数の分子の一つ一つの衝撃が、それぞれ独得のひびきを発し、人間の耳では到底ききわけることのできない千差万別の音階をもって自然の一大交響楽を奏しているかのようである。
 私は、硝子障子ガラスしょうじを一ぱいに開け部屋じゅうへ日光を直射させながら、二階の廊下へ足を投げ出して、はじめて波の音をきく人のように珍らしそうに、この自然の音楽にきき入りながら、うっとりとして寝ころんでいた。
 その時に宿の女中が一枚の名刺をもって来た。「瀬川秀太郎せがわひでたろう」という活字は、すぐに私の心を自然に対する親しみから、人間に対する親しみへ引き戻した。私は三日の間、食事の時に宿の女中とお座なりの言葉を交すだけだったので、人間の肉声に渇していたのである。ことに、学校を出てから、この附近に小さい病院を開業している開業医でありながら、どこか神秘思想家の面影をそなえた瀬川は、此の際私の渇を医するには最も好ましい話相手であった。今度の事件が起ってからも彼とは一二度あっているのだ。私はチャブ台の前に端座して、来客を待っていた。
「浅野という男が死んだね」
 瀬川は一わたり久闊きゅうかつの挨拶がすんでから、急に話頭を転換して言った。私には浅野という男が誰のことかとみには思い出せなかったので、
「はあ……」
 とわかったような、わからぬような生返事をしていた。瀬川は衣嚢から一枚の東京新聞をとりだして、「静岡版」のところをひろげて一つの記事を指し示した。「浅野社長自殺す」というみだしで、浅野護謨会社社長が、ひきつづく事業の失敗のために会社を解散し、その後修善寺の新井旅館に隠棲していたが、昨夜、家人の寝しずまってから猫いらず自殺をとげたこと、原因は、物質的打撃のために精神に異状を来たしたものらしく、遺書の如きものは見当らぬというようなことが書いてあった。
「これは君が弁論を引き受けている小使殺しのあった会社の社長じゃないか?」
 瀬川は私が記事を読みおわったころを見すまして言った。
 私の記憶は、新聞を見た刹那からすでによみがえって読んでいるうちにも、私の脳細胞は活溌に活動しつづけていたのである。しかもあの事件の公判はもう旬日のうちに迫っていたので、職業意識は極度に緊張して、私の推理と想像の機能を最大限にはたらかせた。記事を読んでしまった時には、私はすっかり謎が解けたような気がした。
「わかった!」
 と私は読み了ると同時に叫んだ。
「こいつが犯人だ!」
「浅野がかい?」瀬川は別段驚きもしないでききかえした。「どうしてだい?」
 私は、咄嗟のうちに頭の中に描かれたプロットを追いながら、話し出した。もっとも、いよいよ話し出して見ると、すっかりわかったように思われたのが、所々曖昧な部分がのこっていることに気がついたが。
「君は、あの晩今村が帰り途で何者かに後ろから殴りつけられたことを僕が話したのをおぼえているだろう。あれは、今村の帰宅の時間をおくらせるために浅野が暴漢を雇って殴らせたのだよ。そうしとけば今村のアリバイがたたぬからね。それに証拠は何ものこらない。頭の傷のことを言い出せば、却って小使と格闘した時に受けたのだろうと逆に攻めつけられて藪蛇になるからね。うまくたくんだものだ。こうしておいて浅野はその間に自分で小使を殴り殺して兇器をかくしてしまい、今村が事務所におき忘れていた手袋を屍体のそばにのこしておいて、ちょうどその晩今村が夜勤の番にあたっていたのを幸い、彼に嫌疑を向けようとして、何くわぬ顔で警視庁へ電話をかけたのだ。殺害の原因はしらべて見ねばわからぬが、多分、何か浅野が不正なことをしていたのを小使が知っていたために、生かしておいては危険だとでも思ったのだろう。まあそんなところに相違ない。こういうぼろ会社の社長は不正なことをせぬ方が却って不思議な位だからね。こん度の自殺は、良心の苛責かしゃくの結果にきまっている。すべてが関聯しているじゃないか。すっかり辻褄つじつまがあうじゃないか?」
 私は吾ながら、自分の推理が比較的整っていたので得意を満面に浮べて相手を見た。すると、今まで神秘的な眼つきをして空間の一点を見つめていた瀬川は、おもむろに口を開いて語り出した。
「矢っ張り君もそう思ったかね。僕も新聞を見たときには君と同じように考えても見たが、どうもそれはこじつけだよ。君のような法律家には、人間界に起る凡ての現象が法律の範疇の中で動いているように見えるかも知れない。凡ての出来事が関聯し、関聯した出来事はすべて人間の意志に操られて計画的に進行しているように見えるかも知れない。けれども、僕に言わせると、あの事件は、何もかもが無関係で偶然だよ。それを勝手に人間が結びつけて、犯人のないところに犯人を製造しているのだ。君たちは、人間が少しかわった死にかたをすれば、必らず殺した人間がなければならぬと考える。死人のそばにあるものは、紙屑一つでも、その犯罪に関係のある証拠品のように考える。犯罪と同時刻に起った出来事は、何でも、その犯罪と因果関係をもっているように思い込む。仮りにいたずら者があって、屍体のそばに百人ばかりの名刺と十種ばかりの兇器とをばらまいておいたら、君たちは一たいどれを『有力な証拠品』と見なすつもりだい。君は今になって今村が帰途で受けた傷を何か人間の行為ときまっているような口吻くちぶりを洩らすが、あれは人間の行為じゃないよ。あれは、三十尺位の高さから、直径二寸あまりの枯木の枝が、ちょうど今村がその下を通りかかる時に墜落したのだ。珍らしい出来事だがあり得ないことではないよ。少なくも、その位の枯木が今村が奇禍にあった場所に落ちていたことは、僕が此の眼で実際に見たんだから確実だ。それに、ちょうど脳天へ傷を受ける可能性はこれ以外に想像できないからね。それから、ちょうど折悪しくその時刻にもう一つの出来事が京橋の事務所で起ったのだ。それは、小使のおやじが、火の用心のために部屋を見廻っている時に心臓麻痺で倒れた拍子に床でこっぴどく頭を打ったのだ。臨検の医師は、頭部を兇器で打たれて、そのために心臓麻痺を起して倒れたのだと言っているようだが、これは時間にすれば殆んど同時であるが、原因結果の順序は逆になっている。兇器がいくら探しても見つからぬのは兇器がないからなのだ。そこへ用事があって事務所へ来た社長が小使の屍体を発見して警視庁へしらせ、臨検の警官が、今村が運悪くその場へ落していった手袋を発見して、彼を有力な嫌疑者とにらんだのだ。それから、今度の浅野の自殺は、新聞にある通り、事業の失敗による精神過労の結果発狂したためだ。どの事件もみんな別々に、互に無関係に起っているのだ。ただ君たちのような法律家は、これを偶然の暗合としてすませないで、是非とも『真相を解決』しようとするんだ。とまあ僕は解釈するね」 
     ×    ×     ×
 正直に白状するが、私には今だにこの事件の真相はわからない。私の解釈にも多少理由があるように思う。瀬川の解釈にも動かし難い真理があるように思う。しかし、私の解釈の証拠は浅野が死んだ以上堙滅いんめつしてしまっている。瀬川の解釈は自然を証人にたてるよりほかには法廷の問題にはならぬ。して見ると周囲の事情は依然として哀れな今村に最も不利である。私には依然としてこの事件の弁論に対する自信はない。考えて見ると弁論そのものがいやになって来る。人間には人間をさばく力がないのだ。わかりきった過誤をも私は現在の法律では証明することができないのだ。
 こんなことを考えて来ると私は弁護士という職業を廃業するより外に道がないような気もする。しかし、どんな職業だって同じだという気もする。それで、私は、相変らず、こののぞみのない弁論をして見る気でいるのだ。今村をたすけるためではなくただ自分の職業として。
 私が瀬川と二人で、人間の過誤の犠牲となった今村のことなどは忘れて、よい気持になってその晩酒をのんで別れた。瀬川もそんなことは少しも気にしていないような様子で陽気に唄をうたったりした。海は、何事にも無関心で、千古のままの波を岸に寄せているらしかった。
(一九二六年五月)





底本:「「新青年」傑作選 幻の探偵雑誌10」光文社文庫、光文社
   2002(平成14)年2月20日初版1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1926(大正15)年5月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2009年3月24日作成
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