探偵戯曲 仮面の男

平林初之輔




    人物
青木健作    富豪
久子      青木夫人
芦田義資よしすけ    警視庁探偵
牧       芦田の腹心の警部補
東山      亜細亜新聞社会部長
書生
正木夫人
島村夫人
塩田夫人
ある富豪
文枝      ある富豪の娘、東山の許嫁いいなずけ
女中
園遊会の客男女多勢、警官多勢

第一幕

 

第一場


成金実業家青木邸の主人の居間、室内の家具、装飾等卑俗なくらいにけばけばしい洋室である。主人青木健作は安楽椅子に沈みこんでシガーをふかしている。四十歳前後の、成り上がり者らしいタイプ。幕開くとすぐに左手のドアを開けて夫人久子がはいってくる。二十六七歳位の派手なつくり。ともにふだん着の和服姿である。

 久子――ねえ、あなた、わたしいいことを思いついたわ。(椅子にかける)
 健作――何だい、そんなにあわてて?
 久子――さっきも、あなた仰言おっしゃったでしょう、何とかして明日の園遊会を世間にぱっと吹聴させる方法はないものかって。
 健作――そうだせっかく費用をかけて園遊会を開いておきながら、ちっとも世間の話題にならぬようじゃその甲斐がないからね。今どき算盤珠そろばんだまのとれぬ仕事なんざ馬鹿々々しくてやれんからな。
 久子――それについてわたしいいことを考えついたの。きっと東京じゅうの新聞が大騒ぎするわ。
 健作――莫迦ばかな。東京の新聞記者は事件には食傷している。我々の園遊会の記事なんざ、どんなに手をまわして運動したって、六号活字で二三行書いてくれるのが関の山だ。
 久子――そりゃただ青木邸で園遊会があったというだけなら、三流新聞の記者だって見向きもしないことは、わかってるわ。
 健作――では、どうするというんだ?
 久子――そこにトリックをつかうんですよ。でもことわっておきますが、それにはあなたに主役をつとめていただかなくちゃならないのよ。
 健作――そりゃ、うちのためになることなら、わしも一肌ぬがぬこともない。どうしろというんだね?
 久子――あなた近頃新聞を読んでいらっしゃるわね?
 健作――むろん新聞はよんどる。
 久子――いま東京じゅうの新聞が一番大騒ぎしている事件は何だとお思いになって?
 健作――そうだな、支那問題かな、それとも市会議員の問題かな。
 久子――まだほかにあるわ、社会だねの方に。
 健作――社会だねと言えば、近頃仮面強盗のことで大騒ぎのようじゃないか。しかしそんなことが、お前の話に何か関係があるのかい?
 久子――その仮面強盗をたねに使おうというのですよ。あの強盗は、犯罪をやるときは、いつもおかめの面をかぶってるというんでしょう? そして真っ昼間でもかまわずにどこへでも現れて警視庁の役人を手こずらせているということでしょう? それに盗むものは宝石や貴金属ばかりで、しかも盗まれても別に困らないような人のものだけにしか手を出さぬというんでしょう?
 健作――そうだ、金持ち連はそのためにびくびくしとる。だがそんな強盗をどうしようというんだ? まさか雇ってくるわけにもゆくまい?
 久子――あなたに、明日その仮面強盗になっていただくんですよ。おかめの面をかぶって、ピストルをもって、すっかり仮面強盗と同じ服装みなりをして、いい潮時を見はからって出ていただくんです。そうすると、きっと大騒ぎになってよ。
 健作――ふむ、そりゃ面白い考えだ。わしが、おかめの面をかぶってピストルをつきつけたら、夫人連の中には気絶する者もあるかも知れん。そりゃうまい思いつきだ。だが、そんなことをしたら、警察の方がやかましくないか知らんて?
 久子――そんな心配はないわ。玩具おもちゃのピストルを使うんですもの。そして、くび飾りや指環はいったん盗んでおいて、みんなの者が恐ろしがって、がたがた慄えているときに、突然あなたが面をはずして、あなたの素顔を出して、盗んだ品物はみんな返すんですもの。それにわたしも盗まれる役になるんですもの。
 健作――もし相手がほんもののピストルをもっていて、抵抗してきたら危険だね。
 久子――ピストル携帯で園遊会に来る人なんか、あるもんですか。
 健作――それもそうだね。いや、たしかにそいつは名案だ。明日ははじまりは十一時だったね。そうすると一時半頃がいいな。そうだ、かっきり一時半に、お前は、夫人連を三四人つれて四阿あずまやのそばへ来ていてくれ。そうするとうしろの物陰からわしが出てきて、ピストルをつきつけて、手をあげろというからな。しかし、その夫人連には、おしゃべりの女を選択しなきゃならんぜ。そうすれば、一週間でも、二週間でもことによると一年も二年も、会う人ごとにその話をふれまわってくれるからな。もとでなしで青木家の広告ができるというもんだ。
 久子――そうね、誰にしましょう?
 健作――書生をよんで、出席者の名簿をしらべてみよう。(卓上のベルを押す)
書生がはいってくる。二十歳位の青年。
 書生――何か御用でございますか?
 健作――明日の案内状の返事はもうたいてい来たかね?
 書生――はあ、五百通出したうちで、出席の返事が三百三十六通と欠席の返事が五十二通とで、あとはまだ返事がまいりません。
 健作――そうか、ではその出席の返事の分をちょっとここまでもってきてくれんか。
 書生――はっ。
書生退場
 久子――この分じゃ出席が四百にはなりますわね。返事のないのを半々と見て。
 健作――うむ、それに家族同伴じゃから、人数は千人を越すだろう。なかなか盛会だぞ。
書生葉書の束をもってはいってくる。
 書生――これでございます。
 健作――よし、よし。
書生退場。青木と夫人久子とは卓子テーブルの上で、返信の葉書を一枚一枚繰って、差出人の名前を調べている。
 久子――あら徳田さんが来て下さるのね。吉富さんも、正木さんも……
 健作――正木の妻君はどうかな。あの女なら、半月くらいは方々へ行ってこの話を、しゃべりつづけてくれるだろう。
 久子――それから島村さんの奥さんもいいでしょう。新婚のほやほやのところをおどかしちゃ少しお気の毒かしら。
 健作――そうだ、あの女は有名なモダンだから、それに大した真珠の頸飾りを新調したというから、わしにピストルを向けられたら青くなるだろう。それから塩田夫人とお前と、この四人位でいいだろう。
 久子――そうね、ではわたし、さっそくお面とピストルとを買ってくるわ。このことは誰にも話さないでおきましょうね。うちの者にもだまっといた方がいいわ。きっとみんなびっくりするわ。(久子立ち上がって出ようとする)

第二場


その翌日、警視庁の一室。名探偵芦田義資は中央のライティングデスクに向かって、しきりに何か調べ物をしている。背広服、年齢四十歳位。そこへ牧警部補がはいってくる。

 牧――お仕事ですか?
 芦田――(顔を上げて)いや何、まあかけたまへ[#「かけたまへ」はママ]
 牧――(ポケットから数枚の葉書と一通の封書をとり出して渡しながら)これをご覧なさい、なかなか猛烈なのがありますよ。
 芦田――また投書かね、「仮面強盗は白昼帝都を横行している。警視庁は何をしとる。渋谷憤慨生」か、「我らは警視庁を信任せず。総監以下速時そくじ総辞職せよ。麹町一市民」「もしもし警視庁のおじさん、仮面強盗は立派な紳士よ。わたし大好きだわ。あの方は決してあなた方の手でつかまりっこはないわよ。あなた方とは段ちがいだわ。現代の英雄だわ。英雄崇拝の一少女」ちぇっ莫迦ばかにしとる。(封書の宛名を見て)これはわしの名前になっとるな。(封を切って黙読する。見る見る怒気満面にあらわれる)
 牧――どうかしましたか?
 芦田――(だまって手紙の中味を渡す)
 牧――「本日午後一時半、青木健作邸の園遊会にてお目にかかる」ほほう、文句の下におかめの面が書いてありますね。近頃いたずらもするぶん深刻になりましたね。
 芦田――いや、いたずらじゃない。ほんとうにあれ寄越よこしたんだ。わしは彼奴きゃつの筆跡はよく知っとる。
 牧――まさか、いくら大胆な奴だって、白昼、人のたくさん集まる園遊会などへ、のこのこ出てくるわけにも行きませんよ。
 芦田――いや、そうでない。しかも、きっといつものように、あの人の目につくおかめの面をかぶって仕事をやるに相違ない。あいつのやり方は電光石火的だから、かえって人の沢山集まっている方が仕事がやりよいくらいだ。
 牧――ではあなたもそちらへお出かけになるんですか?
 芦田――無論、こういう図々しい挑戦を受けちゃ、行かないわけにはいかん。
この時ドアの外で叩音ノックが聞こえる。そして給仕が名刺をもってはいってくる
 給仕――(名刺を芦田に渡しながら)ただいまこの方がご面会です。
 芦田――(名刺を見て)通してくれ。
 給仕――はっ。(退場)
 牧――お客さんのようですな、私は失礼しましょう。
 芦田――まあいいじゃないか。亜細亜アジア新聞の東山君だ。あそこの社会部長をしている男だ。君も知ってるだろう。
 牧――ああ東山さんですか、ではもう少しお邪魔さしていただきましょう。あの人の話はずいぶん参考になりますからね。今朝の亜細亜新聞にはまったく驚いてしまいましたよ。仮面強盗の写真を麗々しく出しているんですから。あれはほん物でしょうか?
給仕の案内で亜細亜新聞社会部長東山一男がはいってくる。折目正しいモーニングを着て、きれいに髪をわけた三十六七歳の堂々たる紳士。太いステッキをもっている。給仕は椅子をおいて退場。
 東山――お話し中のようですな。
 芦田――いやかまいません。ちょうどいま貴方あなたのうわさをしていたところなんですよ。さあどうぞ。
 東山――(椅子にかける)ではちょっとお邪魔しましょう。
 牧――(東山に向かって)どうもしばらくでした。
 東山――や、どうも。
 芦田――いや牧君と話していたんですが、えらい写真を出しましたね?
 牧――あれはほんものだろうかなんて、いまも芦田さんにおたずねしていたところなんですよ。
 東山――こないだ東京駅の待合室で例の事件のあったとき、うちの記者がスナップしたのが運よくカメラにおさまったのです。全く奇跡でしたよ。決してにせ物なんかじゃありません。
 芦田――それよりも、今朝のあなたのとこの新聞で、仮面強盗はまだ東京にいると書いてあったが、あれには何か理由があるんですか?
 東山――わたしのとこの新聞では理由のないことは書きません。ご承知のとおりあの男は、一種の正義観をもって泥棒をしているでしょう。盗まれて生活に困るような人のものは決して盗まん、そして盗んだ金の大部分は慈善団体とか労働団体とかに寄付することを公言している。そこへ私の社では目をつけたんです。そして、昨日無名の人からある慈善団体へ三千円の寄付があったことをたしかめたのです。しかもその書留郵便の消印が東京の中央郵便局の消印になっていたんですから、彼がまだ東京にいると推定する理由は十分じゃありませんか。
 芦田――しかし無名で寄付をするものは必ずしも仮面強盗だけに限りませんよ。
 東山――いかにもその通りです。私も、昨夜あの記事を書いたときは、実に半信半疑でした。ところが、つい今しがたそれについて動かぬ証拠を握ったんです。というのはその手紙の上書きが、あの男の自筆であることをたしかめたのです。
 芦田――それはまたどうして?
 東山――あの男が私のとこへ手紙をよこしたのです。(芦田と牧とは驚きの表情で顔を見合わせる)大胆不敵な挑戦状です。これをご覧なさい。
芦田は手紙を受けとって牧と二人頭を寄せてよむ
 芦田――「今朝の新聞は大出来、貴社の推定の通り小生はまだ東京に健在している。本日午後青木邸の園遊会へ出かける予定。このことは芦田探偵にも通知してあるから、よく相談して、小生の正体を観破せられよ。貴紙の発展を祈る」――ふん、やはりおかめの面がついている。きゃつの自筆にちがいない、実はね、東山さん、私のとこへもたった今こんな手紙がついたとこなんですよ。(卓子テーブルの上においてあった手紙を同時に渡す)
 東山――(手紙を一瞥して)なるほど、であなたはそちらへ行かれるでしょう?
 芦田――もちろんゆかないわけにはゆきません。あなたは?
 東山――わたしももちろんゆきます。種を探すのは我々のしょうばいですからな。だが、あなたの前でこんなことを言っちゃ何ですが、わたしは、実を言うとあの男の動機はにくめないと思いますよ。何しろ自分の命を犠牲にして一種の社会政策をやっているんですからね。ありあまる人のものをとって、困っている者にわけてやってるんですからね。
 芦田――しかし、手段が間違っている以上はやむを得ません。我々には我々の職務がありますからな。
 牧――そうですとも、我々は彼の行為の結果がよいかわるいかは問題にしなくともよいのです。ただ、彼の行為が法に抵触するかどうかだけが問題なんです。彼が強盗という手段をとる以上、我々は徹底的に彼と戦わねばなりません。
 東山――時に青木という人間はどんな人間ですか? 何のために今時園遊会などをやるのでしょう?
 牧――あの男はご承知のとおり、金は沢山もっているが、成金の悲しさに社会的の地位というものをもっておらんのです。名誉というものにがつがつしているんです。今度の園遊会も一種の売名政策ですな。
 東山――なるほど、仮面強盗に白羽の矢をたてられる資格は十分ですね。こりゃ何しろ面白い。国法の権威のために、警視庁の名誉のために成功を祈りますよ。私も及ばずながらできるだけのお手伝いはしたいと思っています。じゃいずれ後程。ちょっと回るところがありますから、私は一足先へ失礼します。
東山二人にちょっと会釈して出てゆく。
 牧――(時計を見て)もう十時過ぎましたね。そろそろしたくをしなければ……
 芦田――そうだ、あのうちにはたしか門が三つあるはずだから三つの門は厳重にかためて、一時半過ぎたら誰も外へ出さないようにしておかねばならん。邸内へは君と僕と二人ではいってゆけば沢山だ。君はこれからすぐに部下の手配をしてくれ給へ。それからピストルは忘れんようにね。
――幕

第二幕

 

第一場


青木邸の庭園――中央に四阿あずまやがあり、その手前にベンチが二つある。周囲あたりは樹立。右手から主人健作と夫人久子とが話しながらはいってくる。健作はモーニング、夫人はきらびやかな洋装。

 健作――いい按配あんばいだったな、天気がよくて(立ちどまる)
 久子――ええ、もうだいぶ揃ったようですわ。余興も、模擬店も大成功よ。
 健作――松木水声の漫談なんて、どうかと思ったが、受けたようだね。
 久子――近頃の若い人には、落語なんかよりあの方がいいのよ。
 健作――わしらにはもう若い者の好みなんてわからんな。ところで、ランチは二時からだったね。ランチでわしが挨拶する前に、例のことをやろうてんだろ?
 久子――そうよ、あんたはここの所から(樹立を指しながら)おかめの面をかぶって、ピストルをもって出てくるのよ。
 健作――そしてお前たちは、このベンチに腰をかけているんだね。だが、その時に他の男の客がでてきちゃまずいな。
 久子――大丈夫、一時半から、手踊りがはじまるから、男の方はみんなそっちへ行くにきまってるわ。(二人は歩き出す)
 健作――それもそうだな。ではもう一時すぎだからすぐ仕度をしてこよう。お前は一時半かっきりに、連中をつれてここへ来ていてくれんと困るぜ。(二人右手へ退場)
左手から東山が太いステッキをもってあらわれる。しばらくだまって二人の後ろ姿を見送ってから後をつけてゆき、一二分の後再びひきかえしてくる。
 東山――(独白ひとりごと)何だか事件が複雑になってきたようだぞ。
芦田、牧ともにモーニングを着て右手から登場。
 牧――やっぱり、我々をからかったのですよ。幾ら何でもこんな場所へ、まっ昼間出てくるもんですか。
 芦田――そうかも知れん。だが一時半にはまだ十五分あるからな。それにあいつはこれまでにわしに予告をしておいて嘘をついたためしがない。きっといまに出てくるに相違ない。だが、こんな広い邸のどこへ出てくるか疑問じゃて。
ベンチにかけている東山を見つけて二人は足をとめる。
 二人――やあ、先程はどうも。どうしてこんなところにお一人で?
 東山――ぼつぼつ一時半になりますから、活動をする前に一つ新しい空気でも吸っておこうと思いましてね。ところで何か手がかりでもありましたか?
 芦田――残念ながらまだ何もないですよ。何しろ、今も牧君と話していたんだが、この広いやしきじゃ。敵がどこへ姿を現すかわからんので、手のつけようがない。といって、ぞろぞろ部下の者を多勢おおぜいひきつれてきたんじゃ、折角の機会を逃がしてしまいますからな。
 牧――きっとこの辺の淋しいところへ出てくるに相違ないと私は思いますね。
 東山――いいや、そうではあるまいと私は思う。きっとこれからはじまる余興の会場の方へ出てくるに相違ありません。そして人ごみを利用して何か仕事をするつもりなんです。人ごみの中の方がかえって仕事はしやすいですからね。
 芦田――そうだ、僕も、この点では東山君の説に賛成だ。それにあいつの目的はその大胆な行為を、なるべく多勢の人に見せてあっといわせることにあるんですからね。それには余興場の付近がもってこいだ。さあ牧君、我々はあちらへ行ってみよう。
芦田と牧右手へ退場、東山は何かうなずきながら二人と反対の方へ退場。一分間舞台空虚になる。舞台の右手の方で「手を上げろ」という声が聞こえる。つづいて芦田と牧とが両手をあげて後ずさりをしながら帰ってくる。二間ばかり離れて仮面をつけたモーニングの男が二人にピストルの銃口つつぐちをさしむけながら悠々とはいってくる。
 仮面の男――ははあ、君らは警察の回し者だな。お気の毒だが我が輩はもう少し年貢をおさめるわけにはいかんのだ。君らの痩せ腕でつかまるようなこって、まっ昼間、こんな危ないところへ、うかうか顔が出せると思うか。
 牧――何をっ!
 仮面の男――(きっとなって)声を出しちゃ、ためにならんぞ。実はな、ここへ今に三四人ばかり、いりもしない首飾りや指環をつけた夫人連がやってくるので、その不要品を頂戴して、貧しい者に恵んでやろうと思っていたのだ。それを君らが邪魔するもんだから、つい、ふりかかるごみは払わにゃならんという仕儀になったのだ。我が輩は乱暴は好まん。それはこれまでの我が輩のやり口を見てもわかるだろう。我が輩はまだ一滴も血を流したことはない。だがそれは君らの方でおとなしくしている場合に限るんだ。さあ、二人ともピストルをこちらへ出せ! はやく出せ。
 芦田――(相変わらず手をあげながら)仕方がない。今は君に従う。だが今日は勝利はこちらのものだぞ。入口は部下の者が厳重に武装してかためている。君はこのうちから一歩も逃げ出すわけにはゆかないんだ。
 仮面の男――はははは、君の部下はいったい何を目当てに我が輩を捕らえようというんだ。我が輩はこの仮面を脱いだら、横から見ても縦から見ても立派な紳士だ。この邸内には我が輩と同じような紳士が今日は四百人も集まっている。我が輩がつかまるとすれば、ここへ来ている大臣も、国会議員も、会社の社長も銀行の頭取もみんなつかまるわけだ。そんなことが君の部下にできるかい? ぐずぐずしないで潔くピストルをこちらへ渡してしまえ。
仮面の男二三歩前へ進む。この時どこからか小石がとんできて仮面の男の胸元に落ちる。はっと吃驚びっくりして下をむいたとたんに二人の警官はすばやくピストルを取り出し形勢逆転する。仮面の男は周章あわてて逃げ出す。二人はあとを追いかける。舞台空虚。ややあって反対の方角から夫人連が息をきらして四人ではいってくる。すべて洋装。
 久子――(ベンチを指しながら)どうぞ皆さん、ここへおかけなすって。
四人ともぐたりと腰をかける。
 塩田夫人――でご相談というのは、どんなことですの?
 久子――わざわざこんなとこへおよびしてほんとうにすみませんわ。でも計画がもれるといけないと思いましてね。
 正木夫人――どんな計画ですの?
 島村夫人――はやく承りたいわ。
 久子――いまあちらの余興がすんだあとで、わたしたち四人で何か奇抜な、みんなをあっと言わせるようなことをしてみたいと思ったんですの。
 塩田夫人――そりゃすてきね。どんなことがいいでしょう?
 久子――それをご相談しようと思ったのですよ。
久子の台辞せりふのおわらぬうちに、樹陰から、前に出てきたのと同じような仮面の男が、忽然として、しかし静かに現れ、四人の方へピストルの銃口つつぐちを向けながら直立している。久子の台辞がおわると、どっしりした声でいう。
 仮面の男――こんなことじゃ、奇抜にゃなりませんか?
一同ふりむき、驚いてあれっと声をたてようとする。
 仮面の男――しっ、静かに、声をたてちゃためになりませんぞ。私の顔は(仮面を指しながら)皆さんご承知のはず。(一同真っ蒼になってふるえる)さ、手をあげなさい! (一同手をあげる)一番こちらの夫人おくさんから次々にくび飾りと指環とをはずしてお渡しなさい。(正木夫人を指さして)貴女のはいただくに及びません。頸飾りなんてものはこういう偽物が一番安全です。贅沢なものは必要ありません。
 久子――まあ、あなたは失礼な……
 仮面の男――おっと、騒いじゃいけません。あなたはお宅の奥様のようですな。あなたは先刻さっきから何か誤解をしていらっしゃるようだ。私の声がわかりませんか? 私はあなたのご主人じゃありませんよ。ご主人はいま、私と同じ仮面をかぶって、こちらへいらっしゃるところを、あいにく芦田探偵に見つかって、お逃げになりました。(遠くの方で騒々しい叫び声が聞こえる)おききなさい、いま広間ホールじゃ大騒ぎですよ。芦田探偵はほんものの仮面強盗だと思って、きっとご主人と組み打ちでもしていることでしょう。お気の毒に、お怪我をなさらねばよいが……
 久子――(がたがたふるえながら)それではあなたが……
 仮面の男――ほんものの仮面強盗です。ご主人に故障が起こって、折角あなたとお二人で打った芝居が中途でできなくなったようですから、私が代わりに飛び出したのです。ただし、私は皆さんのご不要品を頂戴しっぱなしで、あとでお返ししないという点だけがちがうのです。さ、ぐずぐずしてはおられません。はやく出しなさい。贅沢な指環や頸飾りは、必要なものじゃありません。(島村夫人を指さしながら)あなたのその真珠の頸飾りが一つありゃ、百人の困った者が一年食ってゆける。だが、あなたの薬指の方の指環はエンゲージ・リングのようだから、それだけはのこしときなさい。あなた方の幸福の紀念きねんを奪うほど私は冷酷な男ではありませんからな。しかし指環は一つありゃ沢山だ。第一、二つも三つも指輪をはめているのは見っともない。
四人の女は次々に指環をぬき、頸飾りをはずして差し出す。仮面の男は、右手にピストルをもったまま、左手で受けとってはポケットの中へしまいこむ。
 さあこれでよい。ことわっておきますが、これは決して私が頂戴するんじゃありませんよ。私は貴女あなたがたの不要品をいただいていって、それを金にかえて、困っている者に取り次ぐだけです。これから私はうしろの樹陰へかくれますが、まだ動いちゃいけませんよ。ご苦労だが、もう十分間そうして手をあげて、そこにじっとしていて下さい。私はかげからよく見とりますよ。もし動いたり、声をたてたりしたら、このピストルが承知しませんからね。かっきり十分です。
仮面の男は、四人の女にピストルを向けたまま後退あとずさりして、正面の樹陰へかくれる。夫人たちは、ふるえながら、手をあげたままである。

第二場


広間の入口の廊下。ドアはしまっている。七八人の男女の客が前をぶらぶら歩いたり、話したりしている。そこへ仮面の男が息を切らして駆けてくる。そのあとから二人の探偵が追っかけてくる。皆の者は驚いて、四方あたりにとび散りながら、眼をみはって闖入者ちんにゅうしゃを見る。仮面の男は扉の前でばったりたおれる。

 芦田――とうとう追いついた。
 牧――(芦田と二人で仮面の男をしっかりおさえながら)いよいよこれで君も運のつきだ。さあ神妙に手を出せ。(手錠をはめる)
 仮面の男――(息を切らしながら)ま、まちがいです。ひ、人ちがいです。私は……
 芦田――今になって、つべこべ余計なことを言うな。もう少し最後を男らしくしたらどうだ。
 仮面の男――ち、ちがいます。私は青木です。健作です。うちの主人です。
 牧――なに? 青木健作だ? うちの主人だ?
物音をきいて扉を開いて多勢おおぜいの客が四方からのぞきこむ。
 芦田――牧君、この男の仮面をぬがしてくれたまえ。
牧仮面をとる。青木健作の顔である。一同あっと驚く、東山もいつのまにかそこへやってきて群集の中に混じっている。
 牧――やっ、これは一体……
 芦田――いや、仮面強盗の正体が誰であろうと、それは驚くにあたらぬ。たというちのご主人だろうと、仮面強盗にかわりはないのじゃから。とにかくすぐに拘引して取り調べなければならん。
 第一の客――(前へ進み出て)これは何かの間違いですよ。青木君は決して……
 第二の客――どうしたんだ君、何かこれにはわけがあるだろう。話したまへ[#「話したまへ」はママ]
 芦田――いや、皆さん、間違いであるかないかはこれより取り調べればわかります。(ポケットから仮面強盗の手紙を取り出して、健作の前へつきつけ)これにはおぼえがあるでしょうな。(東山の姿を見つけて)私のとこばかりではない。ここにおられる東山さんのとこへも同じような挑戦状が来ているのです。これが仮面強盗の筆跡であることは疑いがないのです。こんなものを寄越よこしておいて、いまさら卑怯な真似はよした方がよいでしょう。
 東山――しかし、何だか様子が変ですよ。何かこれには事情があるらしいじゃありませんか?
 青木――(手錠を見て仰天しながら)こんなものははずして下さい。まったく、これはんでもない間違いです。私は実は今日の園遊会に、何か変わった趣向をして皆様をあっといわせるつもりで、家内と相談して、近頃東京じゅうの金持ちが名前をきくだけでもふるえあがっている仮面強盗に変装してご婦人のかたを吃驚びっくりさせようと目論もくろんでいたのです。先程ちょうど私が面をつけて、玩具おもちゃのピストルをもって四阿あずまやの方へゆこうとするところで、貴方あなたがたにでくわしてしまったので、ついあんなことになったのです。このピストルを見て下さい。これは玩具のピストルです。貴方がたへの挑戦状なんて、そのようなものは少しも知りません。このことは家内が証明してくれます。
 東山――そういえば、奥さんはどちらにいらっしゃるんです?
 青木――そうだ。あれは今頃きっと四阿へ行って、私が変装して出てくるのをまっているにちがいありません。
この時久子、正木夫人、島村夫人、塩田夫人の四人が恐ろしさに色を失って、あわてた足どりではいってくる。
 久子――大変です、いま、四阿のところでほんものの仮面強盗が出ました。
 正木夫人――そしてピストルをつきつけてわたしたちを脅迫しました。
 島村夫人――わたしたちの指環や、頸飾りを強奪してゆきました。
 塩田夫人――そして四阿のうしろへ逃げてゆきました。
 芦田――何? ほんものの仮面強盗? ど、どちらへ行きました?
 島村夫人――もう十分も前にどこかへ逃げてしまいました。
 牧――どうしてすぐに知らせて下さらなかったのです?
 塩田夫人――賊がピストルをつきつけて、十分間手をあげてじっとしておれ、声を出したり、動いたりしたら命がないっておどしたもんですから。
 正木夫人――そして、その間に賊は逃げたのです。
 久子――わたしは、はじめのうちは青木だとばかり思っていたもんですから(青木の手首の手錠を見て)あっ、まああなたはどうなすったのです。
 健作――まちがいだ。途方もない間違いが起こっちまって、こうわかったら、すぐにこれをはずして下さい。手先がしびれるようです。
 芦田――牧君、ともかくあれをはずしてあげなさい。(牧が青木の手錠をはずす)それでどうしたんです、奥さん?
 久子――あとのお三方がひどく吃驚びっくりしてふるえていらっしゃるのを見て、わたしどもの計画がすっかりうまく行ったと内心に喜んでいましたところが、そのうちにむこうの男に注意されて気がつくと、どうもうちの声とはちがうのです。それに丈が一二寸も高いように思われるのです。そのことに気がつくとわたしはもう恐ろしくて、恐ろしくて……
 牧――ちぇっ、またやられましたなあ。
 芦田――だが入口を見張りしている部下のものから、まだ何の合図もないから、犯人はまだ邸内にひそんでいるにちがいない。
 島村夫人――盗まれた品は返していただけるでしょうか?
 芦田――犯人がつかまればもちろんすぐお返しします。こうなれば、いまこの邸内にいる方々は全部嫌疑者と見なさねばなりません。あとの方には甚だ失礼ですが、これから、正面玄関で全部の方の身体検査をします。
「そりゃひどい!」「人権蹂躙じゅうりんだ!」「名誉毀損だ!」等かしましい不平の声が群集の間から起こる。

第三場


青木邸の正面玄関、芦田、牧、ほかに七八名の警官が、出てゆく男女の客の身体検査をしている。青木夫妻、東山もその場に立ちあっている。

 客甲――商工会議所理事高山新三郎、こちらは家内。(二人は警官の身体検査をうけてぷりぷりしながら出てゆく)
 客乙――日鮮漁業会社専務取締役篠原順平夫妻。(同じく検査をうけて出てゆく)
 客丙――市会議員是枝伝三夫妻、これは三男と次女とで。(二人の子供を指す)
警官は子供まで検査をしようとする。
 是枝――子供は君いいじゃろう。
 警官甲――でも念のために。(子供のポケットをさがす)
 是枝の三男――いやなおじさんね。
四人の親子は出てゆく。
 芦田――もうこれでみんなすんだかね?
 警官丁――検査人員は九百二十八名です。
 接待係――(胸に徽章をつけている)あとは三人の被害者と、東山さんと、あなたがたお二人とで、ちょうど受付人員九百三十四名と数はあっております。
 芦田――では、東山さん、あなたも形式ですから、一応しらべます。
 東山――(苦笑しながら)さあどうぞ。
 芦田――(一通りしらべてから)いや、それでよろしい。
東山は太いステッキをもって出てゆく。
 芦田――牧君、君も一応しらべよう。
 牧――はっ。
 芦田――最後にわしもしらべてくれ。
牧かわって芦田の身体検査をする。三人の被害者と青木夫妻とは検査の進行を心配そうに注視していたが、検査がすむと絶望の表情をうかべる。
 健作――とうとうわかりませんか?
 芦田――残念ながらとりにがしました。
 島村夫人――わたしの頸飾りはもう帰ってこないでしょうか? 先だって紐育ニューヨークからとりよせたばかりの品で、関税だけでも二万三千円もとられましたのに……(泣き声になる)
 芦田――(憮然ぶぜんとして)何ともお気の毒ですが、仕方がありません。
――幕

第三幕

 

第一場


幕あくと舞台は真っ暗である。ややあって、徐々に神秘的に明るくなる。富豪の居間。十年前の出来事。贅沢な火鉢をはさんで、ある富豪と、二十五六歳の見すぼらしい一人の青年とが対座している。青年は十年前の東山である。

 ある富豪――(五十歳位)とにかく、君のように学校を出て二年にもなるのに、まだ、つとめ口もなくて、遊んでいるようなことでは、娘をやるわけにはいかん。
 東山――僕は何もすきで遊んでいるわけじゃありません。戦後の反動で、去年から今年へかけての不景気は、あなたもよくご存じのことと思います。一しょに学校を出た三百人あまりの同窓生のうちで、職にありついた者はまだ四十人たらずというようなわけで……
 ある富豪――だから君も、のらくら遊んでいていいと言うのか?
 東山――そういうわけじゃありませんが、雇ってくれる人がなければ仕方がありません。しかし、そのうちに僕はきっと……
 ある富豪――馬鹿! 誰が君のような貧乏書生に頭を低げて頼みにくる奴があるか、君の方で、つてを頼って、せっせと足まめに運動しなくちゃ、今時職を求める人間は掃く程あるのだ。何しろ、君のような、なまけ者の甲斐性なしに娘をくれるわけにはゆかんから、もう帰ってくれ!
 東山――あなたの仰言おっしゃる事はよくわかります。だが文枝さんと僕とは愛しあっているのです。僕が現在職にもありつかずに、貧乏しているのは、それは重々あやまります。現在のところ、僕は人並みの家庭をもつことはできません。しかし今年じゅうには、僕は石にかじりついても何とか生活の道をたてます。それまで、もう二月ふたつきです。二月だけ待って下さい。
 ある富豪――もう君の泣き言は聞きあきた。二年ものらくら遊び暮らしていた上で、あと二月でどうかするって、口幅ったいことを言わずとはやく帰ってくれ。
 東山――では、こんなに申し上げても……
 ある富豪――そうだ、何と言ってももう君にはとりあわぬ。
 東山――父がきめてくれた許嫁いいなずけの約束も、僕が貧乏だからというので反古ほごになるんですね?
 ある富豪――それがどうしたのだ?
 東山――文枝さんはこのことを知っているんですか?
 ある富豪――もちろんだ。君のような貧乏人のところへ、誰がすき好んでゆく奴があるか。
 東山――そうですか、わかりました。では、ちょっと文枝さんに一目だけあわして下さい。私のこの耳で、直接、文枝さんの口から、そのことをきけば、私も潔くあきらめます。これが最後のお願いです。
 ある富豪――そうか、そういう気なら、あわしてやる。(手をうつ)
女中がはいってくる。
 ある富豪――ちょっと、文枝をここへよんでくれ。
 女中――かしこまりました。(退場)
三十秒ほど沈黙、文枝がはいってくる。十九歳。
 文枝――(東山に向かって)いらっしゃいまし。
東山黙礼する。
 ある富豪――東山君がお前に何か用事があるそうだ。
 文枝――……(伏目になって頭を垂れる)
 東山――文枝さん!
 文枝――……(間)
 東山――文枝さん、あなたはすっかりご存じですか?
 文枝――(細い声で)申しわけありません、許して下さい。
 東山――何? ではほんとうですか? まさかと思ったら、あなたもやっぱり金に目がくらんで、親と親とがきめてくれた約束も、これまでの二人の愛もすててしまうんですか? こないだまでの、あなたのやさしい唇から出た愛の言葉は、みんな嘘だったのですか? それとも貴女あなたは金に良心を売って心にもない人のところへゆくのですか?
 文枝――すみません、すみません。(低声こごえで泣く)
 東山――すみませんというのはあなたの行為を是認した言葉なんですか、それとも否認した言葉なんですか? もし貴女が悪かったと思うなら、まだおそくはありません。僕は、今すぐからでも、何とかしてあなたを養ってゆくことはできます。金の誘惑をおしのけて、僕の、愛のふところへ帰ってきて下さい。
 文枝――……
 東山――はやく、この場で返事をして下さい。
 文枝――……
 東山――返事のないのは、僕がいやだという意味なんですか?
 文枝――……
 ある富豪――もう大抵わかったろう。(文枝に向かって)もうお前は去ってもよい。
文枝立ち上がって出ようとする。
 東山――(憤然としてち上がり)待て! では、お前は、いよいよ魂の中まで腐ってしまったのか? 汚らわしい奴だ! (文枝はちょっと立ちどまったが、かまわず出てゆく。ある富豪に向かって)娘も娘なら、親も親だ!
 ある富豪――(呼鈴ベルを押しながら)いまさら未練がましいことを言うのはよせ。だが、最後に忠告しとくが、これからは、これに懲りて、自分の生活の保障もたたんうちに、恋だとか愛だとかいう人並みな考えを起こすのはよしたがいいぞ。
 東山――何をっ! この復讐はきっとしてみせるぞ! 貴様一個人に復讐するんじゃない。金がわるいんだ。貴様の心を腐らしたのも、文枝さんを人でなしにしたのも、みんな金のせいだ! 僕は、金に復讐するんだ! 世界じゅうの、世界じゅうの、金をもった奴に復讐するんだ!
――舞台 暗転ダークチェンジ

第二場


東山のアパート。再び十年後にかえる。東山はベッドに寝ている。

東山――(ベッドの上に起き上がって)ああまたあの夢を見た。この十年の間、俺は毎日のように、あの夢にうなされては眼がさめる。十年もたった今でも、あの時の光景は、まだ眼の前にまざまざと生きている。あれから今日まで、三千六百日の間、俺は、ただ一つの観念のために生きてきたのだ。復讐! 金のための復讐! そうだ、この人間の世界の、ありとあらゆる美しいものは、すべて金のために汚されている。すべての罪悪は金のためにかもされている。俺は、文枝さんもうらまん。文枝さんのおやじもうらまん。ただ金をうらむんだ。金があの人たちの心を腐らしたんだ。俺はあれから十年の間金に復讐しようと思って、天下の金持ちどもを片っ端から敵としてたたかってきた。いま日本全国の金持ちどもは、俺の名を聞くと身慄みぶるいしている。仮面強盗という名をきいただけで、全国の金持ちどもは慄えあがっている。
ベッドを抜け出て、スリッパをはいてへやの隅へ行き、そこにもたせてあった太いステッキをとってきて椅子にかける。
 痛快だ! (ステッキの柄を抜いて、中から卓の上へ青木邸で盗んできた指環と頸飾りと布製のおかめの面とを出しながら)痛快だ! なるほど俺はたしかに泥棒に相違ない。だが俺の行為は道徳的に悪い行為なのだろうか? (卓子テーブル抽斗ひきだしからピストルを出して)俺はこの通り、ピストルをもっている。だがこのピストルには実弾のこめてあったことはない。俺は世間の強盗のように人の命をとったことはもとより、人を傷つけたことも一度もない。盗みはするが、盗まれて困るような人のものを盗んだことがない。ありあまる者の不要の品を盗むのだ。世間の泥棒と反対に俺は現金を盗んだことがない。俺の盗むものは宝石と貴金属に限られている。こういう品物は世の中になくてもすむものだ。いやむしろない方がよいのだ。
頸飾りと指環とを手にとって見ながら、
 これをいつものところへもって行って金にかえる。そして貧しい者にわけてやる。その喜ぶ顔を見るのが俺にとっては無上の楽しみだ。俺は盗んだ金を一厘だってわたくししたことがない。俺は必要のない人のものを奪って、必要のある人に融通しているに過ぎんのだ。
ステッキをとってながめる。
 それにしても、このステッキの簡単な仕掛けに気がつかんとは、世間の奴らも案外甘いもんだ。
ステッキの空洞あなの中へ、宝石類を入れながら、
 俺が、この中へはいる程度の小さいものにしか、手を出さぬというところへ眼をつける者が、一人や二人あってもよさそうなものだ。
卓子テーブルの上からおかめの面をとり上げる。
 だが不思議なことには、俺がこの面をこうつけて
面をつける
 このピストルをもって、
ピストルをとりあげる
 物陰から風のように現れると
ち上がる
 亜細亜新聞記者東山一雄という俺の人格はすっかり消えてなくなって、仮面強盗という、正体のない、別個の人格が忽然こつぜんと生まれてくるのだ。名は実の賓なりと言うが、この面をつけて、ピストルをもつだけで、この頃では、俺の心の中までもがらりと一変して、別の人間になるような気がする。ただの、世間普通の新聞記者としての俺はこのマスクをかぶると、煙のように消えてしまって、金と金持ちとを憎む権化になるような気がする。
この時ドアの外で叩音ノックが聞こえる。彼はどきっとして、あわてて仮面をぬいで、ピストルとともに卓子の抽斗ひきだしへしまう。
 どなたです?
 扉の外の声――新聞をもってまいりました。
東山は扉を開いて、一束の新聞を受けとる。
 東山――有り難う。
扉をしめてもとの位置へかえり、新聞を卓子の上へ置く。
 ああ吃驚びっくりした! ジキル博士はハイド君になると、すっかりもとの個性を失ったというが、俺には、面をかぶって仮面強盗になっている時でも、やはり、東山一雄の意識がはっきりつきまとっている。今の驚きようはどうだ! まるで何か悪いことをして、世を忍んでいる日陰者のような驚きかただ!
 すると俺のやりかたはいったい間違っているんだろうか? 俺の復讐のしかたはまともの道をはずれているのじゃなかろうか? そうだ、この疑問が、俺を明け暮れ苦しめるんだ! 金のために苦しめられた人間が、金に復讐する! それが何で悪い? だが、俺の心はこの復讐で、一分間だって安らかだったことはない。どこか頭の奥の奥で、それは間違っていると囁くものがある。良心か? いや良心ではない。良心は満足している。芦田君は法律と言った。法律? 何だか俺の心を苦しめるのはそう言った物らしい。
 だが世間の金持ちどもの言語の絶した狂態と、傍若無人な我儘とを見ると、俺の心の中の血が湧きかえるのだ。十年前の記憶がむらむらと湧き起こって、俺の意識をおおってしまうのだ。
 昨日もそうだ。この東京にはえに泣いている人間が数えきれぬ程あるのに、なんの意味もない、あの園遊会騒ぎは何だ! なるほど法律は正義をまもってくれているのかも知れん。しかし、法律の力ではあのような不公平を、あのような罪悪を、どうすることもできない。そこで俺は、この、
また仮面をとり出してかぶる。
 面をかぶったのだ。そして、法の擁護者なる芦田探偵に挑戦したんだ! それと同時に、俺自身に、仮面をはずした善良な紳士東山一雄にも挑戦したんだ。
――幕





底本:「平林初之輔探偵小説選※()〔論創ミステリ叢書1〕」論創社
   2003(平成15)年10月10日初版第1刷発行
初出:「新青年 一〇巻四号」
   1929(昭和4)年3月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年7月4日作成
2011年2月23日修正
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