小酒井不木氏が死んだ。
生理学者として、法医学者としての博士については、私は、博士が非常に明晰な頭脳の所有者で医学界で期待されていたということだけしか知らぬ。実地の医学の方面では、闘病術その他の著者として、肺結核その他一般の慢性病の療法において抵抗療法の主唱者であり、一病一薬主義の正統派の治療法の反対者であったことくらいしか知らぬ。そしてまたここでは、博士のこれらの方面に触れる必要は全くない。
ここでは犯罪文学の研究者として、探偵小説の作家として、また翻訳者紹介者としての小酒井不木氏の業績について一言して、氏に対する哀悼の意を表したいと思う。
私はたった一度博士とあったことがある。その時何を話したかよくおぼえていないが、話のついでに、イギリスの物理学者ファラデーの話が出て、博士が学者としてというよりもむしろ人としてのファラデーを非常に尊敬していることを話され、珍しく雄弁に、熱をもってこの特色ある学者の二三のアネクドート〔(anecdote =逸話、秘話)〕を語られたことをおぼえている。
その時に私は有名な、鼻の下に細かいしわを寄せて笑う氏の笑いかたも目撃したのであった。
鋭いインテリジェンスのひらめき、ほとんど神経質的ともいえる感性の動き、そしていっけん冷徹とも見える外貌の中に蔵された情熱、そういったものを私は博士との二時間足らずの会談のうちから得たのであった。
これらの特徴は氏の文学的業績のうちに十分にあらわれている。
氏の驚くべき豊富な、古今東西にわたる犯罪文献の研究、理論的実際的の医学的背景の上に展開された犯罪の科学的研究、特に、殺人、毒、毒殺等の研究は、最近日本に勃興したいわゆる探偵趣味の普及に貢献するところが少なくなかった。実際、近代科学ときりはなすことのできない探偵小説は、氏のような十分の資格を備えた水先案内がなかったら、日本では今日のような隆盛を見ることはなかったであろう、少なくももっとおくれたであろう。
次に、氏の業績としてあげねばならぬのは西洋の探偵小説の紹介である。ことに北欧の名作家ドゥーゼの紹介である。氏が鳥井零水という匿名で、ドゥーゼの「スミルノ博士の日記」「夜の冒険」の二作をひきつづき『新青年』に連載しはじめたとき、原作の優秀と、訳文の巧妙とは相まって、私は、いまだにあの時ほど、雑誌の出るのを待ちこがれた経験はない程である。
最後に、博士はついに探偵小説の作家としてたった。二三の短編を発表したあとで、出世作「恋愛曲線」があらわれて、氏の探偵小説家としての地位は第一線におかれるようになった。この小説は氏の両方面の特色、科学的な理性の透徹と、詩人的な想像力の奔放とを兼ね備えたスリリングな傑作である。いうまでもなくこの二つの特色が同一人に兼備されている場合は甚だまれである。氏はこのまれな人の一人であった。そして偉大な探偵小説作家にはこの二つの特色は是非とも必要とされるものである。
氏の創作短編集には『恋愛曲線』『疑問の黒枠』等があり、その他これらの集におさめられていない作品も相当の数にのぼるであろう。病弱の身で、多方面な研究と著述とに従いながらこれだけの収穫をのこした氏はかなり多産な作家であったといえる。
五月号『新青年』に氏の「闘争」が載っている。科学者としての氏の特色のより多く出た作品であるが科学者の人間実験という着想そのものが既に氏の詩人的なスケールの大きさを示している。
(『東京朝日新聞』一九二九年四月四日)