ヂユパンの癖とヴァンスの癖

平林初之輔




 デュパンという男は申すまでもなくポーの小説に出てくる探偵である。もっともこの探偵の出てくる小説は、「モルグ街の殺人」と「盗まれた書類」と「マリー・ロジェ奇談」とこの三つしかない。探偵小説には必ず探偵が必要であるというヴァン・ダインの筆法から言うと、ポーの探偵小説は三つしかないわけだ。
 デュパンは、ホームズやルパンなどの紳士とは非常に変わった探偵である。パリのサン・ジェルマンの物淋しい、怪しげな家に住んでいて、絶対に世間の人と交際しないで、他人からおとなしい狂人と思われるような生活をしていた。多くの探偵に見る、陽気な、健全な常識的な明るさは彼には求むべくもなかった。
 彼の誰でも知っているいちばん有名な癖は、夜が非常にすきだという妙な癖であった。ところが、地球は彼の意志にもかかわらず二十四時間に一度自転するので、一日の半分だけは太陽におもてを向けざるを得ない。そこで、彼は夜を模造することを考えついた。といっても別にむずかしい手段は必要でない。ただ光をさえぎりさえすれば、局部的に夜ができるわけだから。彼は、日中は古ぼけた建物の厚い鎧戸をすっかりしめて昼の光をさえぎり、そのうちに強い匂いのする二本の蝋燭ろうそくをたてて物を書いたり読んだり同居しているも一人の男と話をしたりして過ごし、夕暮れをつげる鐘のをきくと二人で街へ散歩にでかけるという風だった。
 彼がものを考える考え方はいかにも分析的で、これは後にコナン・ドイルのシャーロック・ホームズに模倣されたところのものだ。二人で道を歩いていた時、彼は突然相手の考えている複雑な連想のつながりを言いあてる。相手は、自分でも気がつかずにシャンテリーという男が小男で悲劇役者にはむかないことを考えていたのだ。彼は――シャンテリー、オライオン、ニコラス博士、エピキュラス、截石さいせき法、往来の敷石、果物屋――という風に連想したに相違ないと相手の心を当の相手よりもはっきりと分析する。
 どうもこのデュパンという男は気味のわるい男だ。チェスタトンのブラウンから愛嬌をとって、その代わりに陰気なところを加えたような型で、頭はひどくよいが、そのよさが、満べんなく円満によいというのではなくて、どこか片輪のようなよさである。法律の擁護者である探偵などよりも、法律の破壊者に適している。
 無論この男は、他の多くの彼のストーリーの主人公と同じように、彼のデュプリケーション〔複製〕で、どうかすると病的な程に理論的になり、それがどうかしたはずみに神秘的に飛躍する不健康の強さというものがありとすれば、それがポーのつくり出した性格であり、デュパンもその一つの例である。
 ヴァン・ダインは、ファイロ・ヴァンスという素人探偵を使っている。彼は、最近本誌〔『新青年』〕にも探偵小説家の心得を書いているし、その他にも探偵小説について書いたものがある。いわば探偵小説の立法者である。それだけに彼の探偵小説の構成はがっちりしていて、いかにも探偵小説らしい。
 ヴァンスが素人探偵であるのも、もともと彼の信条から出たことで、彼は探偵小説には必ず探偵が出てこなくちゃならんが、その探偵は職業探偵でなくちゃならんというのである。
 ヴァンスの癖は、煙草たばこのすきな点であろう。作者は別に彼が煙草をすきだなんて書いてはいないが、彼の小説を読むと、誰でも煙草をのむ。しょっちゅう煙草をのんでいる。かなり理論的な、肩のこるような会話をつづけさせては、作者は、「といいながら彼は煙草に火をつけた」というようなことを書く。がんらい探偵小説には本筋に関係のない無駄な描写をしてはならないということを信条としているヴァン・ダインが、作中の人物に誰かれとなく煙草をのませるのは矛盾じゃないかと言ったら、彼は一本参るかもしれない。
 煙草をのむことは本筋には何の関係もないからだ。
 ただ私が思うには、これは、会話のいきぬきである。
 煙草でものまなかった日には、彼の小説は論理的分析が次から次へとつづいていってはてしがない。全く数学の書物のようになってしまう。そこでいきぬきに煙草をのませるのである。作者もそれによって文章にくぎりができてきて救われる。じっさい彼の小説では、煙草は、ほんとの煙草をのむのと同じ役割を演じている。
 それは彼の小説のうちのぜいたく品ではなくて必需品になっている。
 ファイロ・ヴァンスも大抵の探偵と同じように何でも知っている頭のよい紳士だが、特に彼の武器として珍しいのは心理学、なかんずく、精神分析学だ。
 探偵小説におけるフロイティズムを代表するのである。
 アメリカの作家としては彼は暗い方だ。必ずしも彼の小説はハッピー・エンディングとは限らない。探偵のヴァンスも溌剌はつらつとしたフラッパー〔おてんば娘〕に好かれそうなタイプでもなければ、ホームズやルパン型のジャイアントでもない。
 平凡なただの人間である。最近できた『グリーン』や『カナリア』に扮したアクターは、まあはまり役だろう。もっともこのトーキーは二つとも失敗の作だ。こんなアクションの少ないものは、もっと心理描写をしなければだめだ。
 作者の描いた行為でなしに、作者の頭の中の論理を視覚化しなくちゃ駄目だ。モンタージュがまるでなっていない。探偵小説の映画化が失敗しているのは、余談だが皆そのためだ。
 脱線してきたからこの辺で擱筆。





底本:「平林初之輔探偵小説選※()〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
   2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「新青年 第一一巻第一一号夏季増刊号・新選探偵小説傑作集」
   1930(昭和5)年8月号
※表題の「ヂユパン」と、本文中の「デュパン」は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年10月28日作成
2010年12月15日修正
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