作品名: | 新日本の進路 |
作品名読み: | しんにほんのしんろ |
副題: | 石原莞爾将軍の遺書 |
副題読み: | いしわらかんじしょうぐんのいしょ |
著者名: | 石原 莞爾 |
分類: | NDC 392 |
文字遣い種別: | 旧字新仮名 |
備考: | この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫) |
分類: | 著者 |
作家名: | 石原 莞爾 |
作家名読み: | いしわら かんじ |
ローマ字表記: | Ishiwara, Kanji |
生年: | 1889-01-18 |
没年: | 1949-08-15 |
人物について: | 1889.1.18-1949.8.15。山形県鶴岡生。陸軍軍人。思想家。国柱会の信行員でもある。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。ドイツ留学の後、法華経・日蓮信仰とも結び付いた独特の「世界最終戦争論」を生み出す。関東軍参謀として、1931(昭和6)年、満州事変を立案・実行、成功に導く。第4連隊長を経て、参謀本部に入り、二・二六事件の鎮圧に活躍する。しかし、盧溝橋事件以降の日中戦争拡大阻止に失敗、関東軍に転じるが、東條英機と対立。京都第16師団長を最後に軍職を離れ、民間人として、東亜連盟運動を推進。戦後、GHQからの指令により解散させられるまで、活発に活動する。 晩年は、極東国際軍事裁判酒田出張法廷にも証人として出廷したりもしたが、専ら庄内の西山農場にて同志と共同生活を送った。なお、「石原」を「いしはら」と読むのは誤りである。(石原莞爾デジタル化同志会) ![]() |
底本: | 石原莞爾全集 第二巻 |
出版社: | 石原莞爾全集刊行会 |
初版発行日: | 1976(昭和51)年5月30日 |
入力に使用: | 1976(昭和51)年5月30日 |
校正に使用: | 1976(昭和51)年5月30日 |
入力: | 薦田佳子 |
校正: | 土屋隆 |
ファイル種別 | 圧縮 | ファイル名(リンク) | 文字集合/符号化方式 | サイズ | 初登録日 | 最終更新日 |
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