「古琉球」自序

伊波普猷




『古琉球』を公にするに当って、まず言わなければならぬことは、恩師田島利三郎氏のことである。田島氏は私が中学時代の国語の先生で、琉球語に精通し、琉球人に対して多大の同情を有する人であった。氏は言語学者チェムバレン氏が一種不可解の韻文としてさじを投げた『おもろさうし』の研究に指を染め、その助けをかりて古琉球を研究しようと試みた。氏がオモロの研究に熱中しているのを見て、当時の人は氏を一種の奇人としてあしらった位である。私の五年生の時であった。田島先生は校長の気に入らないで、諭示免職となって、琉球新報社に入ることになった。
 この時の校長は一種の愛国者で、琉球人じきじんに高等教育を受けさせるのは国家のためにならないという意見をっていたが、そういうことが動機となって、明治二十八年の秋に、沖縄の中学で未曾有のストライキが起った。私は漢那〔憲和〕君(今は衆議院議員で海軍少将)外三名の同級生と共に、その犠牲になって、二十九年の夏、東京に遊学することになった。その時私はよほどぐずぐずした青年であったが、それでも他日政治家になって、侮辱された同胞の為に奮闘する決心をした。そして二、三度高等学校の競争試験に応じて、かなり苦い経験をめた。その間に、私は自分の性質や境遇が、政治的生活を送るに適しないということをさとって、断然年来の志望をなげうった。三十三年に、京都の高等学校に入学した頃には、史学を修めて、琉球の古代史を研究してみようという気になっていた。二、三の友人は私が目的を変更したのを惜んで、幾度となく忠告をしてくれたが、三十六年には、いよいよ文科大学で、言語学の講義を聴くようになった。目的を貫徹するに、それが最も適当な方法だと考えたからだ。
 その頃田島氏も上京して、日本女学校に教鞭きょうべんっておられたが、私が言語学を修めると聞いて、大そう喜ばれた。そして私のうちにしばらく厄介になっていた返礼として、数年間苦心して集めた「琉球語学材料」をことごとく私に譲り、他日その研究を大成してくれということになった。私は氏と一緒に本郷西片町で自炊するようになったのを幸、琉球研究の手始めとして少しずつオモロの講釈を聴いた。二、三枚位も進んだかと思う頃、氏は突然東都を去って、台湾へ行かれたので私はおおいに失望した。そこでやむをえず、オモロの独立研究インデペンデントスタデーを企てたが、さながら外国の文学を研究するようで、一時は研究を中止しようと思った位であった。しかしオモロが如何に解し難い韻文だといっても、もともと自分らの祖先がのこした文学であって見れば、研究法さえ良ければ、解せないこともないと思って、根気よく研究を続けた。その頃考古学の講義で聴いたフランスの学者がロゼッタストーンを研究した話などは、私の好奇心を高めるにあずかって力があった。それから琉球古語の唯一の辞書『混効験集』の助けによって、オモロを読み始めた。一年もたないうちに、半分位は解せるようになった、それでいけない所は田舎や離島の方言の助けによって読んだ。二年も経たない中に、七、八分通り解せるようになった。三十九年には、大学を卒業して国に帰った。私の専門の知識は如何いかがわしいものであったが、私はとにかくオモロのオーソリチーとなって帰った。
 この通りオモロがわかりかけると、今までわからなかった古琉球の有様がほのみえるような心地がした。私は歴史家でもないのに、オモロの光で琉球の古代を照して見た。時々は妙な発見などもした。発見するごとに、それを郷里の新聞に出した。それを見て伊波君は気が狂ったのではないか、と怪しんだ人々もあったということだ。
 さて過去数年間新聞に出した草稿が今では積って二十余篇になった。もとより公にするほどの価値もないのであるが、友人大城彦五郎氏の勧めによって、今度これを『古琉球』と題して公にすることにした。学友照屋〔宏〕君の話によれば、田島氏は私がく新聞などに出すのを見て、伊波君も大分当世流の学者になった、と歎ぜられたとのことであるから、この書を公にすると聞いて、田島氏は恐らく眉をひそめるであろう。田島氏の希望にそむくとは知りつつも、なおこういう小冊子を公にするに至ったのは、別に考える所があるからだ。万一この書が沖縄の社会に対して貢献する所があったら望外の幸である。
 この頃台湾から帰って来た人に聞くと、田島先生は坊主に扮して、南支那を放浪しておられるとのことであるが、私は私がもっと価値のある著書を公にするの日、田島先生が飄然ひょうぜんとしてこの南海の楽園に再来されんことを祈るのである。

明治四十四年七月初旬
沖縄図書館にて
伊波普猷





底本:「古琉球」岩波文庫、岩波書店
   2000(平成12)年12月15日第1刷発行
   2015(平成27)年2月5日第8刷発行
底本の親本:「古琉球」青磁社
   1942(昭和17)年10月20日初版発行
初出:「古琉球」沖縄公論社
   1911(明治44)年12月
※底本における表題「自序」に、底本名を補い、作品名を「「古琉球」自序」としました。
※〔 〕内の注記は、校訂者外間守善氏による加筆です。
入力:砂場清隆
校正:かたこ
2020年2月21日作成
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