沖縄人の最大欠点

伊波普猷




 沖縄人の最大欠点は人種が違うということでもない。言語が違うという事でもない。風俗が違うという事でもない。習慣が違うということでもない。沖縄人の最大欠点は恩を忘れやすいという事である。沖縄人はとかく恩を忘れ易い人民だという評を耳にする事があるが、これはどうしても弁解し切れない大事実だと思う。自分も時々こういう傾向を持っている事を自覚して慚愧ざんきに堪えない事がある。思うにこれは数百年来の境遇がしからしめたのであろう。沖縄に於ては古来主権者の更迭こうてつが頻繁であったために、生存せんがためには一日も早く旧主人の恩を忘れて新主人の徳をしょうするのが気がきいているという事になったのである。加之しかのみならず、久しく日支両帝国の間に介在していたので、自然二股膏薬ふたまたこうやく主義を取らなければならないようになったのである。「あがてだをがみゆる、さがてだをがまぬ」という沖縄の俚諺りげんくこの辺の消息をもたらしている。実に沖縄人に取っては沖縄で何人なんぴとが君臨しても、支那で何人が君臨しても、かまわなかったのである。明、清の代り目に当って支那に使した沖縄の使節の如き、清帝と明帝とに奉る二通りの上表文を持参して行ったとの事である。不断でも支那に行く沖縄の使節は琉球国王の印をした白紙を用意していて、いざ鎌倉という時にどちらにも融通のきくようにしたとの事である。この印を捺した白紙の事を「空道こうだう」といい伝えている。これをきいてある人は君はどこからそういう史料を探してきたか、何か記録にでも書いてあるのかと揚足あげあしを取るかも知れぬ。しかし記録に載せるのも物にこそよれ、沖縄人如何いかに愚なりといえども、こういう一国の運命にも関するような政治上の秘密を記録などに遺しておくような事はしない。これは古来琉球政府の記録や上表文などを書いていた久米村人間で秘密に話されていた事である。私は同じ事を知花朝章ちばなちょうしょう氏から聞いたことがある。とにかく、昔の沖縄の立場としてはこういう事はありそうな事である。「食を与ふる者は我が主也ものくゐすどわーおしゆう」という俚諺もこういう所から来たのであろう。沖縄人は生存せんがためには、いやいやながら娼妓しょうぎ主義を奉じなければならなかったのである。実にこういう存在こそは悲惨なる存在というべきものであろう。この御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる。これはた沖縄人の欠点中の最大なるものではあるまいか。世にこういう種類の人ほど恐しい者はない、彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない。沖縄の近代史に赤穂義士的の記事の一頁だに見えない理由もこれでくわかる。しかしこれは沖縄人のみの罪でもないという事を知らなければならぬ。とにかく現代に於ては沖縄人にして第一この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々ごくごくつまらない者である。しからばこの大欠点を如何にして補ったらよかろうか。これ沖縄教育家の研究すべき大問題である。しかしさしあたり必要なる事は人格の高い教育家に沖縄の青年を感化させる事である。陽に忠君愛国を説いて陰に私利を営むような教育家はかえって沖縄人のこの最大欠点を増長させるばかりである。自分は当局者がこの辺の事情を十二分に研究せられんことを切望する。
(明治四十二年二月十一日稿『沖縄新聞』所載、『琉球古今記』所収「空道について」参照)





底本:「古琉球」岩波文庫、岩波書店
   2000(平成12)年12月15日第1刷発行
   2015(平成27)年2月5日第8刷発行
底本の親本:「古琉球」青磁社
   1942(昭和17)年10月20日初版発行
初出:「沖縄新聞」
   1909(明治42)年2月21日
入力:砂場清隆
校正:かたこ
2021年3月27日作成
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