遙に此書を滿州なる森鴎外氏に獻ず
大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりてあまぐもとなる、あまぐもとなる
獅子舞歌
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卷中收むる所の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亞に三人、英吉利に四人、獨逸に七人、プロ
ンスに一人、而して佛蘭西には十四人の多きに達し、曩の高踏派と今の象徴派とに屬する者其大部を占む。
高踏派の莊麗體を譯すに當りて、多く所謂七五調を基としたる詩形を用ゐ、象徴派の幽婉體を飜するに多少の變格を敢てしたるは、其各の原調に適合せしめむが爲なり。
詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意に非らず、これ或は山嶽と共に舊るきものならむ。然れども之を作詩の中心とし本義として故らに標榜する所あるは、蓋し二十年來の佛蘭西新詩を以て嚆矢とす。近代の佛詩は高踏派の名篇に於て發展の極に達し、彫心鏤骨の技巧實に燦爛の美を恣にす、今茲に一轉機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、
ルレエヌの名家之に觀る所ありて、清新の機運を促成し、終に象徴を唱へ、自由詩形を説けり。譯者は今の日本詩壇に對て、專ら之に則れと云ふ者にあらず、素性の然らしむる所か、譯者の同情は寧ろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又徒らに晦澁と奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳の新聲、今人胸奧の絃に觸るゝにあらずや。坦々たる古道の盡くるあたり、荊棘路を塞ぎたる原野に對て、之が開拓を勤むる勇猛の徒を貶す者は怯に非らずむば惰なり。
譯者甞て十年の昔、白耳義文學を紹介し、稍後れて、佛蘭西詩壇の新聲、特に
ルレエヌ、
ルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上文人の作なほ未だ西歐の評壇に於ても今日の聲譽を博する事能はざりしが、爾來世運の轉移と共に清新の詩文を解する者、漸く數を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全歐思想界の一方に覇を稱するに至れり。人心觀想の默移實に驚くべき哉。近體新聲の耳目に嫺はざるを以て、倉皇視聽を掩はむとする人々よ、詩天の星の宿は徙りぬ、心せよ。
日本詩壇に於ける象徴詩の傳來、日なほ淺く、作未だ多からざるに當て、既に早く評壇の一隅に囁々の語を爲す者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神經の鋭きに傲る者なりと非議する評家よ、卿等の神經こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新聲の美を味ひ功を收めざるに先ちて、早く其弊竇に戰慄するものは誰ぞ。
歐洲の評壇亦今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。佛蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。譯者は藝術に對する態度と趣味とに於て、此偏想家と頗る説を異にしたれば、其云ふ所に一々首肯する能はざれど、佛蘭西詩壇一部の極端派を制馭する消極の評論としては、稍耳を傾く可きもの無しとせざるなり。而してヤスナヤ・ポリヤナの老伯が近代文明呪詛の聲として、其一端をかの「藝術論」に露はしたるに至りては、全く贊同の意を呈する能はざるなり。トルストイ伯の人格は譯者の欽仰措かざる者なりと雖、其人生觀に就ては、根本に於て既に譯者と見を異にす。抑も伯が藝術論はかの世界觀の一片に過ぎず。近代新聲の評隲に就て、非常なる見解の相違ある素より怪む可きにあらず。日本の評家等が僅に「藝術論」の一部を抽讀して、象徴派の貶斥に一大聲援を得たる如き心地あるは、毫も清新體の詩人に打撃を與ふる能はざるのみか、却て老伯の議論を誤解したる者なりと謂ふ可し。人生觀の根本問題に於て、伯と説を異にしながら、其論理上必須の結果たる藝術觀のみに就て贊意を表さむと試むるも難い哉。
象徴の用は、之が助を藉りて詩人の觀想に類似したる一の心状を讀者に與ふるに在りて、必らずしも同一の概念を傳へむと勉むるに非ず。されば靜に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に應じて、詩人も未だ説き及ぼさゞる言語道斷の妙趣を翫賞し得可し。故に一篇の詩に對する解釋は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。例へば本書九〇頁「鷺の歌」を誦するに當て讀者は種々の解釋を試むべき自由を有す。此詩を廣く人生に擬して解せむか、曰く、凡俗の大衆は眼低し。
法利賽の徒と共に虚僞の生を營みて、醜辱汚穢の沼に網うつ、名や財や、はた樂欲を漁らむとすなり。唯、縹緲たる理想の白鷺は羽風徐に羽撃きて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬の白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。之を捉へむとしてえせず、此世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釋たるに過ぎず、或は意を狹くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉體の欲に
きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縱生活の悲愁こゝに湛へられ、或は空想の泡沫に歸するを哀みて、眞理の捉へ難きに憧がるゝ哲人の愁思もほのめかさる。而して此詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。一〇七頁「花冠」は詩人が黄昏の途上に佇みて、「活動」、「樂欲」、「驕慢」の邦に漂遊して、今や歸り來れる幾多の「想」と相語るに擬したり。彼等默然として頭俛れ、齎らす所只幻惑の悲音のみ。孤り此等の姉妹と道を異にしたるか、終に歸り來らざる「理想」は法苑林の樹間に「愛」と相睦み語らふならむといふに在りて、冷艶素香の美、今の佛詩壇に冠たる詩なり。
譯述の法に就ては譯者自ら語るを好まず。只譯詩の覺悟に關して、ロセッティが伊太利古詩飜譯の序に述べたると同一の見を持したりと告白す。異邦の詩文の美を移植せむとする者は、既に成語に富みたる自國詩文の技巧の爲め、清新の趣味を犧牲にする事あるべからず。而も彼所謂逐語譯は必らずしも忠實譯にあらず。されば「東行西行雲眇々。二月三月日遲々」を「とざまにゆき、かうざまに、くもはるばる。きさらぎ、やよひ、ひうらうら」と訓み給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱が二條の家に物張の尼が「月によつて長安百尺の樓に上る」と詠じたる例に從ひたる所多し。
明治三十八年初秋
上田敏
[#改丁]
彌生ついたち、はつ燕、
海のあなたの靜けき國の
便もてきぬ、うれしき
文を。
春のはつ花、にほひを
尋むる
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との
染分縞は
春の心の舞姿。
彌生來にけり、
如月は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠の
毛衣脱ぎすてて、
綾子羽ぶたへ
今樣に、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、
足速の
戀慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、菫ぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の「春」の君ゆゑに。
けふは野山も
新妻の姿に通ひ、
わだつみの波は輝く
阿古屋珠。
あれ、
藪陰の
黒鶫、
あれ、なか
空に
揚雲雀。
つれなき風は吹きすぎて、
舊巣啣へて飛び去りぬ。
あゝ、
南國のぬれつばめ、
尾羽は
矢羽根よ、鳴く
音は
弦を
「春」のひくおと、「春」の手の。
あゝ、よろこびの
美鳥よ、
黒と白との
水干に、
舞の足どり教へよと、
しばし招がむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ
麗人の
イソルダ姫の物語、
飾り
畫けるこの
殿に
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環こゝにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは「春」のめがみ
大神。
われはきく、よもすがら、わが胸の
上に、君眠る時、
吾は聽く、夜の
靜寂に、
滴の落つるを
將、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、
絶間なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。
[#改ページ]
「夏」の
帝の「
眞晝時」は、
大野が原に廣ごりて、
白銀色の
布引に、
青天くだし
天降しぬ。
寂たるよもの
光景かな。
耀く
虚空、風絶えて、
炎のころも
纏ひたる
地の
熟睡の
靜心。
眼路眇茫として
極無く、
樹蔭も見えぬ
大野らや、
牧の
畜の水かひ
場、泉は
涸れて音も無し。
野末遙けき森陰は、裾の
界の
線黒み、
不動の姿
夢重く、
寂寞として眠りたり。
唯熟したる麥の田は
黄金海と連なりて、
かぎりも波の
搖蕩に、眠るも
鈍と
嘲みがほ、
聖なる
地の安らけき
兒等の姿を見よやとて、
畏れ
憚るけしき無く、日の
觴を
嚥み干しぬ。
また、
邂逅に吐息なす心の
熱の穗に出でゝ、
囁聲のそこはかと、
鬚長頴の胸のうへ、
覺めたる波の
搖動や、うねりも
貴におほどかに
起きてまた伏す行末は
沙たち迷ふ雲のはて。
程遠からぬ青草の
牧に伏したる
白牛が、
肉置厚き
喉袋、
涎に濡らす
慵げさ、
妙に
氣高き
眼差も、世の
煩累に倦みしごと、
終に見果てぬ内心の夢の
衢に迷ふらむ。
人よ、爾の心中を、喜怒哀樂に亂されて、
光明道の
此原の
眞晝を
孤り過ぎゆかば、
がれよ、こゝに
萬物は、
凡べて
虚ぞ、日は
燬かむ。
ものみな、こゝに命無く、
悦も無し、はた憂無し。
されど
涙や
笑聲の
惑を脱し、
萬象の
流轉の
相を
忘ぜむと、心の
渇いと
切に、
現身の世を
赦しえず、はた
詛ひえぬ
觀念の
眼放ちて、幽遠の大歡樂を念じなば、
來れ、此地の
天日にこよなき
法の言葉あり、
親み難き
炎上の
無間に沈め、なが思、
かくての後は、
濁世の都をさして行くもよし、
物の
七たび
涅槃に
浸りて澄みし心もて。
夢
圓なる
滄溟、
濤の
卷曲の
搖蕩に
夜天の星の影見えて、
小島の
群と輝きぬ。
紫摩黄金の
良夜は、
寂寞としてまた
幽に、
奇しき
畏の滿ちわたる海と空との原の上。
無邊の
天や無量海、
底ひも知らぬ
深淵は
憂愁の國、
寂光土、また譬ふべし、
耀郷。
墳塋にして、はた伽藍、
赫灼として幽遠の
大荒原の
縱横を、あら、
萬眼の
魚鱗や。
青空かくも莊嚴に、
大水更に
神寂びて、
大光明の
遍照に、
宏大無邊界中に、
うつらうつらの夢枕、煩惱界の
諸苦患も、
こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる。
かゝりし程に、
粗膚の
蓬起皮のしなやかに
飢にや狂ふ、おどろしき
深海底のわたり
魚、
あふさきるさの
徘徊に、身の鬱憂を紛れむと、
南蠻鐵の
腮をぞ、くわつとばかりに開いたる。
素より無邊天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
參の
宿、みつ
星や、
三角星や
天蝎宮、
無限に
曳ける
光芒のゆくてに
思馳するなく、
北斗星前、横はる
大熊星もなにかあらむ。
唯、ひとすぢに、
生肉を噛まむ、碎かむ、
割かばやと、
常の心は、
朱に染み、血の
氣に欲を
湛へつゝ、
影暗うして水重き潮の底の
荒原を、
曇れる
眼、きらめかし、悽慘として遲々たりや。
こゝ
虚なる
無聲境、浮べる物や、泳ぐもの、
生きたる物も、死したるも、此
空漠の
荒野には、
音信も無し、影も無し。たゞ
水先の
小判鮫、
眞黒の
鰭のひたうへに、沈々として眠るのみ。
行きね
妖怪、なれが身も
人間道に異ならず、
醜惡、
獰猛、
暴戻のたえて異なるふしも無し。
心安かれ、
鱶ざめよ、
明日や食らはむ人間を。
又さはいへど、
汝が身も、
明日や食はれむ、人間に。
聖なる
飢は
正法の
永くつゞける
殺生業、
かげ
深海も光明の
天つみそらもけぢめなし。
それ人間も、
鱶鮫も、
殘害の徒も、
餌食等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。
沙漠は
丹の色にして、波
漫々たるわだつみの
音しづまりて、日に
燬けて、
熟睡の
床に伏す如く、
不動のうねり、
大らかに、ゆくらゆくらに
傳らむ、
人住むあたり
銅の雲たち
籠むる
眼路のすゑ。
命も音も絶えて無し。
餌に飽きたる
唐獅子も、
百里の遠き
洞窟の奧にや今は眠るらむ。
また岩清水
迸る
長沙の
央、青葉かげ、
豹も來て飮む
椰子森は、麒麟が常の水かひ場。
大日輪の
走せ
る氣重き
虚空鞭うつて、
羽掻の音の聲高き
一鳥遂に飛びも來ず、
たまたま見たり、
蟒蛇の夢も熱きか
圓寢して、
とぐろの綱を動せば、
鱗の
光まばゆきを。
一天霽れて、そが
下に、かゝる炎の野はあれど、
物鬱として、
寂寥のきはみを盡すをりしもあれ、
皺だむ
象の
一群よ、
太しき
脚の
練歩に、
うまれの里の野を捨てゝ、
大沙原を横に行く。
地平のあたり、一團の
褐色なして、
列なめて、
みれば
砂塵を蹴立てつゝ、路無き原を
直道に、
ゆくてのさきの
障碍を、もどかしとてや、
力足、
蹈鞴しこふむ
勢に、
遠の
砂山崩れたり。
導にたてる
年嵩のてだれの象の全身は
「時」が噛みてし刻みてし、
老樹の幹のごとひわれ
巨巖の如き
大頭、
脊骨の弓の太しきも、
何の苦も無く
自づから、滑らかにこそ動くなれ。
歩遲むることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
塵にまみれし
群象をめあての國に導けば、
沙の
畦くろ、穴に穿ち、續いて歩むともがらは、
雲突く
修驗山伏か、
先達の
蹤蹈でゆく。
耳は扇とかざしたり、鼻は象牙に
介みたり、
半眼にして
辿りゆくその
胴腹の波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、烟となつて
散亂し、
幾千萬の昆蟲が、うなりて
集ふ
餌食かな。
饑渇の
攻や、
貪婪の
羽蟲の
群もなにかあらむ、
黒皺皮の滿身の
膚をこがす炎暑をや。
かの
故里をかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼路のあなたに生ひ茂げる
無花果の森、
象の邦。
また忍ぶかな、
高山の奧より落つる
長水に
巨大の
河馬の
嘯きて、
波濤たぎつる河の瀬を、
あるは
月夜の清光に
白みしからだ、うちのばし、
水かふ岸の
葦蘆を蹈み碎きてや、
降りたつを。
かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
涯も知らぬ
遠のすゑ、
黒線とほくかすれゆけば、
大沙原は今さらに不動のけはひ、
神寂びぬ。
身動迂き
旅人の雲のはたてに消ゆる時。
ルコント・ドゥ・リイルの出づるや、哲學に基ける厭世觀は佛蘭西の詩文に致死の
棺衣を投げたり。前人の詩、多くは一時の感慨を洩し、單純なる悲哀の想を鼓吹するに止りしかど、此詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統を樹て、藝術の莊嚴を帶ぶ。評家久しく彼を目するに高踏派の盟主を以てす。即ち格調定かならぬドゥ・ミュッセエ、ラマルティイヌの後に出で、始て詩神の雲髮を捉みて、之に悛嚴なる詩法の金櫛を加へたるが故也。彼常に「不感無覺」を以て稱せらる。世人輙もすれば、此語を誤解して曰く、高踏一派の徒、甘じて感情を犧牲とす。これ既に藝術の第一義を沒却したるものなり。或は恐る、終に述作無きに至らむをと。あらず、あらず、此暫々濫用せらるゝ「不感無覺」の語義を藝文の上より解する時は、單に近世派の態度を示したるに過ぎざるなり。常に宇宙の深遠なる悲愁、神祕なる歡樂を覺ゆるものから、當代の愚かしき歌物語が、野卑陳套の曲を反復して、譬へば情痴の涙に重き百葉の輕舟、今、藝苑の河流を閉塞するを敬せざるのみ。尋常世態の瑣事、奚ぞよく高踏派の詩人を動さむ。されど之を倫理の方面より觀むか、人生に對する此派の態度、これより學ばむとする教訓は此一言に現はる。曰く哀樂は感ず可く、歌ふ可し、而も人は斯多阿學徒の心を以て忍ばざる可からずと。かの額付、物思はしげに、長髮わざとらしき詩人等も、此語には辟易せしも多かり。されば此人は藝文に劃然たる一新機軸を出しゝ者にして同代の何人よりも、其詩、哲理に富み、譬喩の趣を加ふ。「カイン」「サタン」の詩二つながら人界の災殃を賦し、「イパティイ」は古代衰亡の頽唐美、「シリル」は新しき信仰を歌へり。ユウゴオが壯大なる史景を咏じて、臺閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乘逸話の上に敍情詩めいたる豐麗を與へたると並びて、ルコント・ドゥ・リイルは、傳説に、史蹟に、内部の精神を求めぬ。かの傳奇の老大家は歴史の上に燦爛たる紫雲を曳き、この憂愁の達人は其實體を闡明す。
*
讀者の眼頭に彷彿として展開するものは、豪壯悲慘なる北歐思想、明暢清朗なる希臘田野の夢、または銀光の朧々たること、其聖十字架を思はしむる基督教法の冥想、特に印度大幻夢涅槃の妙説なりけり。
*
黒檀の森茂げき此世の涯の老國より來て、彼は長久の座を吾等の傍に占めつ、教へて曰く、「寂滅爲樂」。
*
幾度と無く繰返したる大智識の教話によりて、悲哀は分類結晶して、頗る靜寧の姿を得たるも、なほ、をりふしは憤怒の激發に迅雷の轟然たるを聞く。是に於てか電火ひらめき、萬雷はためき、人類に對する痛罵、宛も藥綫の爆發する如く、所謂「不感無覺」の墻壁を破り了ぬ。
*
自家の理論を詩文に發表して、シォペンハウエルの辨證したる佛法の教理を開陳したるは、此詩人の特色ならむ。儕輩の詩人皆多少憂愁の思想を具へたれど、厭世觀の理義彼に於ける如く整然たるは
罕なり。衆人徒に虚無を讚す。彼は明かに其事實なるを示せり。其詩は智の詩なり。而も詩趣
饒かにして、
坐ろにペラスゴイ、キュクロプスの城址を忍ばしむる堅牢の石壁は、かの纖弱の律に歌はれ、往々俗謠に傾ける當代傳奇の宮殿を摧かむとすなり。
エミイル・
ルハアレン
[#改ページ]
波の底にも照る日影、神
寂びにたる曙の
照しの光、
亞比西尼亞、珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし
深海の
谷隈の奧に
透入れば、
輝きにほふ蟲のから、命にみつる
珠の華。
沃度に、鹽に、さ
丹づらふ海の寶のもろもろは
濡髮長き
海藻や、珊瑚、
海膽、
苔までも、
臙脂紫あかあかと、
華奢のきはみの繪模樣に、
薄色ねびしみどり石、
蝕む底ぞ
被ひたる。
鱗の光のきらめきに
白琺瑯を曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何を
尋ぬる
一大魚、
光
透入る水かげに
慵げなりや、もとほりぬ。
忽ち
紅火飄へる思の色の
鰭ふるひ、
藍を
湛へし靜寂の、かげほのぐらき
青海波、
水搖りうごく
搖曳は、
黄金、眞珠、
青玉の色。
さゝらがた錦を張るも、
荒妙の
白布敷くも、
悲しさは
墳塋のごと、樂しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま戀ふる、凡べてこゝなり、
をさな
兒も、老も
若も、さをとめも、妻も、夫も。
葬事、まぐはひほがひ、烏羽玉の
黒十字架に、
淨き水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆こゝに物は始まり、皆こゝに事は終らむ、
産屋洩る初日影より、臨終の
燭の火までも、
天離る
鄙の
伏屋も、
百敷の
大宮内も、
紫摩金の
榮を盡して、
紅に
朱に
矜り飾るも、
鈍色の
樫のつくりや、
楓の木、杉の
床にも。
獨り、かの
畏も悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらの
失にし床に、
物古りし親のゆづりの
大床に足を延ばして。
高山の
鳥栖巣だちし
兄鷹のごと、
身こそたゆまね、憂愁に思は
倦じ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄誥ぶ夢ぞ逞ましき、あはれ、
丈夫。
チパンゴに在りと傳ふる
鑛山の
紫摩黄金やわが物と遠く求むる
船の帆も
撓わりにけりな、
時津風、
西の世界の不思議なる
遠荒磯に。
ゆふべゆふべは壯大の
旦を夢み、
しらぬ火や、
熱帶海のかぢまくら、
こがね
幻通ふらむ。またある時は
白妙の帆船の
舳さき、たゝずみて、
振放みれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海の底よりのぼる、けふも
新星。
[#改ページ]
夢のうちに、
農人曰く、なが
糧をみづから作れ、
けふよりは、なを養はじ、土を
墾り種を蒔けよと。
機織はわれに語りぬ、なが
衣をみづから織れと。
石造われに語りぬ、いざ
鏝をみづから執れと。
かくて
孤り人間の
群やらはれて解くに由なき
この
咒詛、身にひき纏ふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き
憐愍垂れさせ給へよと、
祷りをろがむ
眼前、ゆくての
途のたゞなかを獅子はふたぎぬ。
ほのぼのとあけゆく光、疑ひて
眼ひらけば、
雄々しかる田つくり男、
梯立に口笛鳴らし、
具の
木もとどろ、小山田に
種ぞ
蒔きたる。
世の
幸を今はた
識りぬ、人の住むこの
現世に、
誰かまた思ひあがりて、
同胞を凌ぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。
[#改ページ]
波路遙けき
徒然の
慰草と
船人は、
八重の潮路の
海鳥の沖の
太夫を
生擒りぬ、
楫の枕のよき友よ心
閑けき
飛鳥かな、
奧津潮騷すべりゆく
舷近くむれ
集ふ。
たゞ
甲板に据ゑぬればげにや
笑止の
極なる。
この
青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き
双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、
益も無き二つの
櫂と曳きぬらむ。
天飛ぶ鳥も、
降りては、やつれ醜き
瘠姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた
鈍に痛はしく、
煙管に
嘴をつゝかれて、
心無には嘲けられ、
しどろの足を
摸ねされて、
飛行の空に
憧がるゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の
歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ
獵男の弓をあざみしも、
地の
下界にやらはれて、
勢子の叫に煩へば、
太しき
双の羽根さへも
起居妨ぐ足まとひ。
時こそ今は
水枝さす、こぬれに
花の顫ふころ、
花は薫じて追風に、不斷の
香の爐に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる
眩暈よ、
花は薫じて追風に、不斷の香の爐に似たり。
痍に惱める胸もどき、
オロン
樂の
清掻や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる
眩暈よ、
神輿の臺をさながらの雲悲みて
艶だちぬ。
痍に惱める胸もどき、
オロン
樂の
清掻や、
闇の
涅槃に、痛ましく惱まされたる
優心。
神輿の臺をさながらの雲悲みて
艶だちぬ、
日や落入りて溺るゝは、
凝るゆふべの
血潮雲。
闇の
涅槃に、痛ましく惱まされたる
優心、
光の過去のあとかたを
尋めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、
凝るゆふべの
血潮雲、
君が名殘のたゞ在るは、ひかり輝く
聖體盒。
悲しくもまたあはれなり、冬の夜の
地爐の
下に、
燃えあがり、燃え盡きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
過ぎし
日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。
喉太の
古鐘きけば、その身こそうらやましけれ、
老らくの
齡にもめげず、
健やかに、
忠なる聲の、
何時もいつも、
梵音妙に深くして、
穩どかなるは、
陣營の歩哨にたてる老兵の姿に似たり。
そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごゝちに、
寒空の
夜に響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
覺束な、
音にこそたてれ、
弱聲の
細音も哀れ、
哀れなる
臨終の
聲は、血の波の
湖の岸、
小山なす
屍の
下に、
身動もえならで
死する、
棄てられし
負傷の兵の息絶ゆる
終の
呻吟か。
こゝろ
自由なる人間は、とはに
賞づらむ
大海を。
海こそ人の鏡なれ。灘の大波はてしなく、
水や
天なるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ
深海の潮の
苦味も世といづれ。
さればぞ
人は身を
映す鏡の胸に飛び
入りて、
眼に抱き腕にいだき、またある時は
村肝の
心もともに、はためきて、
潮騷高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の
音の、物狂ほしき
歎息に。
海も
爾もひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、
爾が
心中の深淵探りしものやある。
海よ、
爾が
水底の富を數へしものやある。
かくも
妬げに
祕事のさはにもあるか、海と人。
かくて
劫初の昔より、かくて無數の歳月を、
慈悲悔恨の
弛無く、
修羅の
戰酣に、
げにも非命と
殺戮と、なじかは、さまで好もしき、
噫、永遠のすまうどよ、噫、
怨念のはらからよ。
黒葉水松の
木下闇に
並んでとまる
梟は
昔の神をいきうつし、
赤眼むきだし思案顏。
體も崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く
日脚推しこかす
大凶時となりにけり。
鳥のふりみて達人は
道の悟や開くらむ、
世に
忌々しきは煩惱と。
色相界の
妄執に
諸人のつねのくるしみは
居に
安ぜぬあだ心。
現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の發展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を變じて欝悶と改めしのみと、而も再考して終に其全く變質したるを
曉らむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ち之を詩章の龍葢帳中に据ゑて、黒衣聖母の觀あらしめ、絢爛なること繪畫の如き幻想と、整美なること彫塑に似たる夢思とを恣にして之に生動の氣を與ふ。是に於てか、宛もこれ絶美なる獅身女頭獸なり。悲哀を愛するの甚しきは、いづれの先人をも凌ぎ、常に悲哀の詩趣を讚して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と號せり。
*
先人の多くは、惱心地定かならぬまゝに、自然に對する心中の愁訴を、自然其物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃ち巴里叫喊地獄の詩人として胸奧の悲を述べ、人に叛き世に抗する數奇の放浪兒が爲に、大聲を假したり。其心、夜に似て暗憺、いひしらず、汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐悔恨の凄光を放つが如きもの無きにしもあらず。
エミイル・
ルハアレン
ボドレエル氏よ、君は藝術の天にたぐひなき凄慘の光を與へぬ。即ち未だ曾て無き一の戰慄を創成したり。
クトル・ユウゴオ
[#改ページ]
主は
讚むべき哉、
無明の闇や、
憎多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に與へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く
狗子のやうに從ひてむ。
生贄の羊、その母のあと、從ひつつ、
何の苦もなくて、
牧草を
食み、身に生ひたる
羊毛のほかに、その
刻來ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。
また魚とならば、
御子の
頭字象りもし、
驢馬ともなりては、主を乘せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より
穰ひ給ひし
豕を見いづ。
げに末つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心
素直にも
忍辱の道守るならむ。
常によく見る夢乍ら、
奇やし、
懷かし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ
女なれど、思はれ、思ふかの
女よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異りて、
また
異らぬおもひびと、わが
心根や悟りてし。
わが心根を悟りてしかの
女の眼に胸のうち、
噫、
彼女にのみ
内證の祕めたる事ぞ無かりける。
蒼ざめ顏のわが額、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ
術あるは、玉の涙のかのひとよ。
栗色髮のひとなるか、
赤髮のひとか、金髮か、
名をだに
知らね、唯思ふ朗ら
細音のうまし名は、
うつせみの世を
疾く去りし昔の人の
呼名かと。
つくづく見入る
眼差は、
匠が
彫りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居たる其
音聲の
清しさに、
無言の聲の懷かしき戀しき
節の鳴り響く。
秋の日の
オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
佛蘭西の詩はユウゴオに繪畫の色を帶び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具へ、
ルレエヌに至りて音樂の聲を傳へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。
譯者
[#改ページ]
革衣纏へる兒等を
引具して
髮おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは
離り迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに
愁然と、
大原の山の麓にたどりつきぬ。
妻は倦み兒等も疲れて
諸聲に、
「
地に伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉の
暗夜の空を仰ぎみれば、
廣大の
天眼くわつと、かしこくも、
物陰の奧より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつつ、
倦みし妻、眠れる兒等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに
逃れゆく。
かゝなべて、日には
三十日、
夜は、
三十夜、
色變へて、風の音にもをのゝきぬ。
やらはれの、
伏眼の旅は果もなし、
眠なく
休ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの國、海のほとり、
荒磯にこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ
來し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、
天眼ひしと睨みたり。
おそれみに身も世もあらず、
戰きて、
「隱せよ」と叫ぶ
一聲。
兒等はただ
猛き親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髮の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも
眼睨む」とカインいふ。
角を吹き
鼓をうちて、
城のうちを
ゆきめぐる
民草のおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
銅の壁
築き上げて父の身を、
そがなかに隱しぬれども、
如何せむ、
「いつも、いつも
眼睨む」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。
砦守る
城築あげて、
その
邑を固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶の
祖トバルカインは、いそしみて、
宏大の
無邊都城を營むに、
同胞は、セツの
兒等、エノスの兒等を、
野邊かけて
狩暮しつゝ、ある時は
旅人の
眼をくりて、夕されば
星天に
征矢を放ちぬ。これよりぞ、
花崗石、
帳に代り、くろがねを
石にくみ、
城の形、
冥府に似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建終り、
大城戸に
刻める文字を眺むれば「このうちに
神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。
さて親は
石殿に
住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
「
墳塋に寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは
住はむ。何物も
われを見じ、
吾も亦何をも見じ」と。
さてこゝに
坑を
穿てば「よし」といひて、
たゞひとり
闇穴道におりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼なほも
奧津城にカインを眺む。
ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして狂
激浪の如くなれど、温藉靜冽の氣自から其詩を貫きたり。對聯比照に富み、光彩陸離たる形容の文辭を疊用して、燦爛たる一家の詩風を作りぬ。
譯者
[#改ページ]
さても千八百九年、サラゴサの
戰、
われ時に軍曹なりき。此日慘憺を極む。
街既に落ちて、家を圍むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鐵火、窓より降りしきれば、
「憎つくき僧徒の振舞」と
かたみに低く
罵りつ。
明方よりの合戰に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦がき
紙筒を
噛み切る口の黒くとも、
奮鬪の氣はいや益しに、
勢猛に追ひ迫り、
黒衣長袍ふち廣き帽を狙撃す。
狹き
小路の行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の
任にしあれば、
精兵從へ推しゆく折りしも、
忽然として
中天赤く、
鑛爐の
紅舌さながらに、
虐殺せらるゝ婦女の聲、
遙かには轟々の音とよもして、
歩
毎に
伏屍累々たり。
屈でくぐる軒下を
出でくる時は銃劍の
鮮血淋漓たる兵が、
血紅に染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
敵潛めるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
將校たちは色曇り、
さすが、
手練の
舊兵も、
落居ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。
忽ち、とある
曲角に、
援兵と呼ぶ佛語の一聲、
それ、戰友の危急ぞと、
驅けつけ見れば、きたなしや、
日常は
猛けき勇士等も、
精舍の段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
圓頂の
黒鬼に、くひとめらる。
眞白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々しさよ、
血染の
腕卷きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
慘絶、壯絶。それと一齊射撃にて、
やがては掃蕩したりしが、
冷然として、殘忍に、軍は倦みたり。
皆心中に
疾しくて、
とかくに殺戮したれども、
醜行
已に爲し了はり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍より
階かけて、
紅流れ、
そのうしろ樓門聳ゆ、巍然として鬱たり。
燈明くらがりに
金色の星ときらめき、
香爐かぐはしく、靜寂の
香を放ちぬ。
殿上、奧深く、神壇に
對ひ、
歌樓のうち、やさけびの
音しらぬ顏、
蕭やかに
勤行營む白髮長身の僧。
噫けふもなほ
俤にして浮びこそすれ、
モオル
廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だゝみを照らして、
紅流に
烟たち、
朧々たる低き戸の
框に、
立つや老僧。
神壇
龕のやうに輝き、
唖然としてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや當年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日
精舍の奪掠に
負けじ心の意氣張づよく
神壇近き
御燈に
煙草つけたる
亂行者、
上反鬢に
氣負みせ、
一歩も讓らぬ氣象のわれも、
たゞ此僧の髮白く白く
神寂びたるに畏みぬ。
「打て」と士官は號令す。
誰
有て動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ
素振神々しく、
聖水
大盤を捧げてふりむく。
ミサ
禮拜半に達し、
司僧むき直る祝福の時、
腕は伸べて
鶴翼のやう、
衆皆一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音
澱なく、
和讚を咏じて、
「歸命頂禮」の歌、常に異らず、
聲もほがらに、
「全能の神、爾等を憐み給ふ。」
またもや、一聲あらゝかに
「うて」と士官の號令に
進みいでたる一卒は
隊中
有名の卑怯者、
銃執りなほして發砲す。
老僧、色は
蒼みしが、
沈勇の
眼明らかに、
祈りつゞけぬ、
「父と子と。」
續いて更に一發は、
狂氣のさたか、
血迷か、
とかくに
業は了りたり。
僧は
隻腕、壇にもたれ、
明いたる手にて祝福し、
黄金盤も重たげに、
虚空に
恩赦の
印を切りて、
音聲こそは
微なれ、
※[#「門<具」、64-7]たる堂上とほりよく、
瞑目のうち述ぶるやう、
「聖靈と。」
かくて
仆れぬ、
禮拜の事了りて。
盤は三たび、床上に跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に
鬼胎をかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。
聊爾なりや「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。
[#改ページ]
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく
[#改ページ]
山のあなたの空遠く
「
幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ
尋めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「
幸」住むと人のいふ。
[#改ページ]
森は今、花さきみだれ
艶なりや、
五月たちける。
神よ、
擁護をたれたまへ、
あまりに
幸のおほければ。
やがてぞ花は散りしぼみ、
艶なる時も過ぎにける。
神よ
擁護をたれたまへ、
あまりにつらき
災な
來そ。
[#改ページ]
けふつくづくと眺むれば、
悲の
色口にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。
秋風わたる
青木立
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
[#改ページ]
ふたりを「
時」がさきしより、
晝は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。
されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。
[#改ページ]
子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麥は
足穗うなだれ、
茨には紅き果熟し、
野面には木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。
[#改ページ]
妙に清らの、あゝ、わが
兒よ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは
妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。
ルビンスタインのめでたき樂譜に合せて、ハイネの名歌を譯したり。原の意を汲みて餘さじと、つとめ、はた又、句讀停音すべて樂譜の示すところに從ひぬ。
譯者
[#改ページ]
怕るゝか死を。――
喉塞ぎ、
おもわに
狹霧、
深雪降り、木枯荒れて、
著るくなりぬ、
すゑの近さも。
夜の
稜威暴風の
襲來、恐ろしき
敵の
屯に、
現身の「
大畏怖」立てり。しかすがに
猛き人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は盡きて、
障礙は
破れぬ、
唯、すゑの
譽の
酬えむとせば、
なほひと
戰。
戰は
日ごろの
好、いざゝらば、
終の
晴の勝負せむ。
なまじひに
眼ふたぎて、
赦るされて、
這ひ行くは
憂し、
否、
殘なく
味ひて、かれも人なる
いにしへの
猛者たちのやう、
矢表に立ち
樂世の
寒冷、
苦痛、
暗黒の
貢のあまり捧げてむ。
そも勇者には、
忽然と
禍福に轉ずべく
闇は終らむ。
四大のあらび、
忌々しかる
羅刹の
怒號、
ほそりゆき、
雜りけち
變化して
苦も
樂とならむとやすらむ。
そのとき
光明、その時
御胸、
あはれ、心の心とや、
抱きしめてむ。
そのほかは神のまにまに。
苔むしろ、飢ゑたる岸も
春來れば、
つと走る光、そらいろ、
菫咲く。
村雲のしがむみそらも、
こゝかしこ、
やれやれて影はさやけし、
ひとつ星。
うつし世の命を
耻の
めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
君がおも。
嗚呼、
物古りし
鳶色の「
地」の
微笑の
大きやかに、
親しくもあるか、
今朝の
秋、
偃曝に
其骨を
延し
横へ、
膝節も足も、つきいでゝ、
漣の
悦び勇み、
小躍に越ゆるがまゝに
浸たりつゝ、
さて
欹つる耳もとの、さゞれの
床の
海雲雀、
和毛の胸の
白妙に
[#「白妙に」は底本では「白砂に」]囀ずる聲のあはれなる。
この教こそ
神ながら
舊るき
眞の道と
知れ。
翁びし「
地」の知りて
笑む世の
試ぞかやうなる。
愛を捧げて
價値あるものゝみをこそ愛しなば、
愛は
完たき益にして、必らずや、身の利とならむ。
思の痛み苦みに、
卑しきこゝろ清めたる
なれ自らを地に捧げ、
酬は高き天に求めよ。
時は春、
日は
朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に
這ひ、
神、そらに
知ろしめす。
すべて世は事も
無し。
蜜蜂の
嚢にみてる
一歳の
香も、花も、
寶玉の底に光れる
鑛山の富も、不思議も、
阿古屋貝映し
藏せるわだつみの
陰も、光も、
香、花、陰、光、富、不思議、
及ぶべしやは、
玉よりも輝く
眞、
珠よりも澄みたる信義、
天地にこよなき
眞、
澄みわたる
一の信義は
をとめごの清きくちづけ。
ブラウニングの樂天説は、既に二十歳の作「ポオリイン」に顯れ、「ピパ」の歌、「神、そらにしろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合せられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を豫言する點に於て一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、彼は有神論、靈魂不滅説に信を失はざりき。此詩人の宗教は基督教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の繩墨を脱し、教外の諸法に對しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、其愛と其力とを信じ、之を信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想を妄なりとせず、藝術科學の大法を疑はず、又人心に善惡の奮鬪爭鬩あるを、却て進歩の動機なりと思惟せり。而してあらゆる宗教の教義には重を措かず、たゞ基督の出現を以て説明すべからざる一の神祕となせるのみ。曰く、宗教にして、若し、萬世不易の形を取り、萬人の爲め、豫め、劃然として具へられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、厭ふべき凝滯はやがて來らむ。人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義ある可からずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。殊に晩年に莅みて、教法の形式、制限を脱却すること益著るく、全人類に亘れる博愛同情の精神愈盛なりしかど、一生の確信は終始毫も渝ること無かりき。人心の憧がれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、藝術美に倦みたる希臘詩人の永生に對する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には、事業の永續に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事の果敢なき夢なるを説きて、更に個人の不滅を斷言す。「亞剌比亞の醫師カアシッシュの不思議なる醫術上の經驗」といふ尺牘體には、基督教の原始に遡りて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「沙漠の臨終」には神の權化を目撃せし聖約翰の遺言を耳にし得べし。然れども是等の信仰は、盲目なる狂熱の獨斷にあらず、皆冷靜の理路を辿り、若しくは、精練、微を穿てる懷疑の坩堝を經たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等之を證す。之を綜ぶるに、ブラウニングの信仰は、精神の難關を凌ぎ、疑惑を排除して、光明の世界に達したるものにして永年の大信は世を終るまで動かざりき。「ラ、セイジヤス」の秀什、この想を述べて餘あり、又、千八百六十四年の詩集に收めたる「瞻望」の歌と、千八百八十九年の詩集「アソランドオ」の絶筆とは此詩人が宗教觀の根本思想を包含す。
譯者
[#改ページ]
燕も
來ぬに水仙花、
大寒こさむ三月の
風にもめげぬ
凜々しさよ。
またはジュノウのまぶたより、
イナス
神の
息よりも
なほ
たくもありながら、
菫の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
嫁ぎもせぬに散りはつる
色蒼ざめし
櫻草、
これも
少女の
習かや。
それにひきかへ
九輪草、
編笠早百合氣がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草のよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。
[#改ページ]
心をとめて窺へば花
自ら教あり。
朝露の野薔薇のいへる、
「
艶なりや、われらの姿、
刺に
生ふる
色香とも知れ。」
麥生のひまに
罌粟のいふ、
「せめては
紅きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
驗ある露の藥水を
盛りさゝげたる盃ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
聲もかすかに
菫草、
「人はあだなる
香をきけど、
われらの示す
教曉らじ。」
[#改ページ]
小曲は刹那をとむる
銘文、また
譬ふれば、
過ぎにしも過ぎせぬ過ぎしひと時に、
劫の「
心」の
捧げたる
願文にこそ。光り匂ふ
法の
會のため、
祥もなき
預言のため、折からのけぢめはあれど、
例も
例も
堰きあへぬ
思豐かにて
切にあらなむ。
「
日」の歌は象牙にけづり、「
夜」の歌は黒檀に
彫り、
頭なる
華のかざしは輝きて、
阿古屋の
珠と、
照りわたるきらびの
榮の
たさを「
時」に示せよ。
小曲は
古泉の如く、そが
表、心あらはる、
うらがねをいづれの力しろすとも。あるは「
命」の
威力あるもとめの
貢、あるはまた
貴に
妙なる
「戀」の
供奉にかづけの
纏頭と贈らむも、よし
遮莫、
三瀬川、船はて
處、
陰暗き
伊吹の風に、
「死」に
拂ふ
渡のしろと、
船人の
掌にとらさむも。
心のよしと
定めたる「
力」かずかず、たぐへみれば、
「
眞」の
唇はかしこみて「
望」の
眼、
天仰ぎ
「
譽」は
翼、
音高に
埋火の「
過去」
煽ぎぬれば
飛火の
焔、
紅々と
炎上のひかり
忘却の
去なむとするを
驚し、
飛び
翔けるをぞ控へたる。
また
後朝に卷きまきし玉の
柔手の名殘よと、
黄金くしげのひとすぢを肩に殘しゝ「
若き
世」や、
「
死出」の
頭と、
例も
例もあえかの花を編む「
命」。
「
戀」の
玉座は、さはいへど、そこにしも
在じ、
空遠く、
逢瀬、
別の
辻風のたち迷ふあたり、
離りたる
夢も通はぬ
遠つぐに、
無言の
局奧深く、
設けられたり。たとへそれ、「
眞」は「
戀」の
眞心を
夙に知る可く、「
望」こそ、そを
預言し、「
譽」こそ
そがためによく、「
若き
世」めぐし、「
命」
惜しとも。
草うるはしき岸の
上に、いと美はしき君が
面、
われは
横へ、その髮を二つにわけてひろぐれば、
うら若草のはつ花も、はな
白みてや、
黄金なす
みぐしの
間のこゝかしこ、
面映げにも
覗くらむ。
去年とやいはむ今年とや年の
境もみえわかぬ
けふのこの日や「春」の足、
半たゆたひ、
小李の
葉もなき花の
白妙は
雪間がくれに
迷はしく、
「春」住む庭の
四阿屋に風の
通路ひらけたり。
されど卯月の日の光、けふぞ谷間に照りわたる。
仰ぎて
眼閉ぢ給へ、いざくちづけむ君が
面、
水枝小枝にみちわたる「春」をまなびて、わが戀よ、
温かき
喉、熱き口、ふれさせたまへ、けふこそは、
契もかたきみやづかへ、戀の日なれや。冷かに
つめたき人は
永久のやらはれ人と
貶し憎まむ。
[#改ページ]
心も空に奪はれて物のあはれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君の
傍に近づかば
心に思ひ給ふこと
應へ給ひね、洩れなくと、
綾に
畏こき
大御神「愛」の
御名もて告げまつる。
さても星影きらゝかに、更け行く
夜も三つ一つ
ほとほと過ぎし折しもあれ、忽ち
四方は照渡り、
「愛」の
御姿うつそ身に
現はれいでし不思議さよ。
おしはかるだに、その
性の
恐しときく
荒神も
御氣色いとゞ
麗はしく
在すが如くおもほえて、
御手にはわれが
心の
臟、
御腕には
貴やかに
あえかの君の
寢姿を、
衣うちかけて、かい
抱き、
やをら
動かし、
交睫の醒めたるほどに
心の
臟、
さゝげ進むれば、かの君も
恐る
恐るに
聞しけり。
「愛」は
乃ち馳せ
走りつ、馳せ走りながら打泣きぬ。
[#改ページ]
ほのぐらき
黄金隱沼、
骨蓬の白くさけるに、
靜かなる
鷺の羽風は
徐に影を落しぬ。
水の
面に影は
漂ひ、
廣ごりて、ころもに似たり。
天なるや、鳥の
通路、
羽ばたきの
音もたえだえ。
漁子のいと
賢しらに
清らなる網をうてども、
空翔ける
奇しき翼の
おとなひをゆめだにしらず。
また知らず日に
夜をつぎて
溝のうち
泥土の底
欝憂の網に待つもの
久方の光に飛ぶを。
ボドレエルにほのめき、
ルレエヌに現はれたる詩風はこゝに至りて、終に象徴詩の新體を成したり。此「鷺の歌」以下、「嗟嘆」に至るまでの詩は多少皆象徴詩の風格を具ふ。
譯者
夕日の國は野も山も、その「
平安」や「
寂寥」の
黝の色の
毛布もて
掩へる如く、物
寂びぬ。
萬物凡て
整ふり、折りめ正しく、ぬめらかに、
物の
象も筋めよく、ビザンチン
繪の
式の
如。
時雨村雨、
中空を雨の
矢數につんざきぬ。
見よ、
一天は
紺青の伽藍の
廊の色にして、
今こそ時は
西山に入日傾く夕まぐれ、
日の
金色に烏羽玉の
夜の
白銀まじるらむ。
めぢの
界に物も無し、唯
遠長き
並木路、
路に沿ひたる樫の
樹は、巨人の
列の
佇立、
疎らに
生ふる
箒木や、
新墾小田の末かけて、
鋤休めたる
野らまでも
領ずる顏の姿かな。
木立を見れば
沙門等が
野邊の
送の
營に、
夕暮がたの悲を心に痛み歩むごと、
また
古の
六部等が
後世安樂の
願かけて、
靈場詣、杖重く、
番の
御寺を訪ひしごと。
赤々として暮れかゝる入日の影は
牡丹花の
眠れる如くうつろひて、
河添馬道開けたり。
噫、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、
たとしへもなく靜かなる
夕の空に
二列、
瑠璃の
御空の
金砂子、星輝ける神前に
進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らす星辰は
壇に捧ぐる
御明の
大燭臺の
心にして、
火こそみえけれ、其
棹の
閻浮提金ぞ
隱れたる。
ほらあなめきし
落窪の、
夢も曇るか、こもり
沼は、
腹しめすまで
浸りたる
まだら牡牛の水かひ
場。
坂くだりゆく
牧がむれ、
牛は
練りあし、馬は
、
時しもあれや、
落日に
嘯き吼ゆる
黄牛よ。
日のかぐろひの
寂寞や、
色も、にほひも、日のかげも、
梢のしづく、
夕榮も。
靄は
刈穗のはふり
衣、
夕闇とざす
路遠み、
牛のうめきや、斷末魔。
北に
面へるわが
畏怖の原の上に、
牧羊の
翁、
神樂月角を吹く。
物憂き
羊小舍のかどに、すぐだちて、
災殃のごと、死の羊群を
誘ふ。
きし
方の
悔をもて
築きたる此
小舍は
かぎりもなき、わが憂愁の
邦に在りて、
ゆく水のながれ
薄荷莢におほはれ、
いざよひの波も重きか、
蜘手に
澱む。
肩に赤十字ある
墨染の小羊よ、
色もの凄き羊群も
長棹の鞭に
撻れて歸る、たづたづし、罪のねりあし。
疾風に歌ふ牧羊の翁、神樂月よ、
今、わが
頭掠めし稻妻の光に
この
夕おどろおどろしきわが命かな。
嗚呼、
爛壞せる
黄金の毒に
中りし大都會、
石は叫び
烟舞ひのぼり、
驕慢の
圓葢よ、塔よ、
直立の
石柱よ、
虚空は震ひ、勞役のたぎち沸くを、
好むや、
汝、この
大畏怖を、叫喚を、
あはれ
旅人、
悲みて夢うつら
離りて行くか、
濁世を、
つゝむ火焔の帶の停車
場。
中空の山けたたまし
跳り過ぐる
火輪の響。
なが胸を
焦す
早鐘、陰々と、とよもす
音も、
この
夕、都會に打ちぬ。炎上の焔、
赤々、
千萬の
火粉の光、うちつけに
面を照らし、
聲黒きわめき、さけびは、妄執の心の
矢聲。
滿身すべて
涜聖の言葉に
捩れ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
實に自らを
誇りつゝ、
將、
詛ひぬる、あはれ、人の世。
舘の闇の靜かなる
夜にもなれば
訝しや、
廊下のあなた、かたことと、
杖のおと、杖の
音、
「
時」の
階のあがりおり、
小股に
刻む
音なひは
これや
時鐘の
忍足。
硝子の
葢の
後には、
白鑞の
面飾なく、
花形模樣色
褪めて、
時の數字もさらぼひぬ。
人の
氣絶えし
渡殿の影ほのぐらき
朧月よ、
これや
時鐘の眼の光。
うち沈みたるねび聲に
機のおもり、
音ひねて、
槌に
鑢の
音もかすれ、言葉悲しき
木の
函よ、
細身の秒の指のおと、
片言まじりおぼつかな、
これや
時鐘の針の聲。
角なる
函は
樫づくり、
焦茶の色の
框はめて、
冷たき壁に
封じたる
棺のなかに隱れすむ
「
時」の
老骨、きしきしと、
數噛む
音の
齒ぎしりや、
これぞ
時鐘の恐ろしさ。
げに
時鐘こそ不思議なれ。
あるは、
木履を
曳き惱み、あるは
徒跣に
音を
竊み、
忠々しくも、いそしみて、
古く仕ふるはした
女か。
柱時鐘を
見詰むれば、
針のコムパス、
身の
搾木。
[#改ページ]
夕暮がたの
蕭やかさ、
燈火無き
室の
蕭やかさ。
かはたれ
刻は
蕭やかに、物靜かなる死の如く、
朧々の物影のやをら浸み入り
廣ごるに、
まづ天井の
薄明、光は消えて日も暮れぬ。
物靜かなる死の如く、
微笑作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、
別の
手振うれたくも
わが
俤は
蕭やかに
辷り
失せなむ
氣色にて、
影薄れゆき、
色蒼み、
絶えなむとして
消つべきか。
壁に
掲けたる
油畫に、あるは
朧に色褪めし、
框をはめたる
追憶の、そこはかとなく留まれる
人の記憶の
圖の
上に心の國の
山水や、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。
夕暮がたの
蕭やかさ。あまりに物のねびたれば、
沈める
音の
絃の
器に、
をかけたる思にて、
無言を
辿る
戀なかの深き
二人の
眼差も、
花
毛氈の
唐草に
絡みて
縒るゝ
夢心地。
いと徐ろに日の
光隱ろひてゆく
蕭やかさ。
文目もおぼろ、
蕭やかに、
噫、
蕭やかに、つくねんと、
沈默の
郷の
偶座は
一つの
香にふた
色の
匂交れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。
[#改ページ]
夕まぐれ、森の
小路の
四辻に
夕まぐれ、風のもなかの
逍遙に、
竈の灰や、
歳月に倦み
勞れ來て、
定業のわが行末もしらま弓、
杖と
佇む。
路のゆくてに「
日」は多し、
今更ながら、行きてむか。
ゆふべゆふべの旅枕、
水こえ、山こえ、夢こえて、
つひのやどりはいづかたぞ。
そは
玄妙の、
靜寧の「
死」の
大神が、
わがまなこ、閉ぢ給ふ國、
黄金の、
浦安の
妙なる
封に。
高樫の
寂寥の森の小路よ。
岩角に
懈怠よろぼひ、
きり石に
足弱惱み、
歩む
毎、
きしかたの
血潮流れて、
木枯の
颯々たりや、
高樫に。
噫、われ倦みぬ。
赤楊の
落葉の森の小路よ。
道行く人は
木葉なす、
蒼ざめがほの耻のおも、
ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
かたみに避けて、よそみがち。
泥濘の、したゝりの森の小路よ、
憂愁を風は葉並に囁きぬ。
しろがねの、
月代の霜さゆる
隱沼は
たそがれに、この道のはてに
澱みて
げにこゝは「
鬱憂」の
鬼が
栖む國。
秦皮の、
眞砂、いさごの、森の小路よ、
微風も
足音たてず、
梢より梢にわたり、
山蜜の色よき花は
金色の
砂子の光、
おのづから曲れる路は
人さらになぞへを知らず、
このさきの都のまちは
まれびとを迎ふときゝぬ。
いざ足をそこに止めむか。
あなくやし、われはえゆかじ。
他の
生の
途のかたはら、
「
物影」の
亡骸守る
わが「
願」の
通夜を思へば。
高樫の路われはゆかじな、
秦皮や、
赤楊の
路、
日のかたや、都のかたや、水のかた、
なべてゆかじな。
噫、小路、
血やにじむわが足のおと、
死したりと思ひしそれも、
あはれなり、もどり來たるか、
地響のわれにさきだつ。
噫、小路、
安逸の、
醜辱の、
驕慢の
森の小路よ、
あだなりしわが
世の
友か、
吹風は、
高樫の
木下蔭に
聲はさやさや、
涙さめざめ。
あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮
苦し、
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。
いづれは「
夜」に入る人の
をさな心も
青春も、
今はた過ぎしけふの日や、
從容として、ひとりきく、
「
冬篳篥」にさきだちて、
「秋」に響かふ「
夏笛」を。
(
現世にしては、ひとつなり、
物のあはれも、さいはひも。)
あゝ、聞け、
樂のやむひまを
「
長月姫」と「
葉月姫」、
なが「憂愁」と「歡樂」と
語らふ聲の
蕭やかさ。
(
熟しうみたるくだものゝ
つはりて枝や
撓むらむ。)
あはれ、
微風、さやさやと
伊吹のすゑは
木枯を
誘ふと知れば、憂かれども、
けふ
木枯もそよ風も
口ふれあひて、
熟睡せり。
森蔭はまだ
夏緑、
夕まぐれ、空より落ちて、
笛の
音は山鳩よばひ、
「夏」の歌「秋」を
搖りぬ。
曙の美しからば、
その晝は晴れわたるべく、
心だに優しくあらば、
身の夜も樂しかるらむ。
ほゝゑみは口のさうび花、
もつれ
髮、
髷にゆふべく、
眞清水やいつも澄みたる。
あゝ人よ、「愛」を命の
法とせば、
星や照らさむ、なが足を、
いづれは「
夜」に入らむ時。
途のつかれに
項垂れて、
默然たりや、おもかげの
あらはれ浮ぶわが「
想」。
命の朝のかしまだち、
世路にほこるいきほひも、
今、たそがれのおとろへを
透しみすれば、わなゝきて、
顏
背くるぞ、あはれなる。
思ひかねつゝ、またみるに、
避けて、よそみて、うなだるゝ、
あら、なつかしのわが「想」。
げにこそ思へ、「時」の山、
山越えいでゝ、さすかたや、
「命」の里に、もとほりし
なが足音もきのふかな。
さて、いかにせし、盃に
水やみちたる。としごろの
願の泉はとめたるか。
あな
空手、
唇乾き、
とこしへの
渇に
苦める
いと
冷やき
笑を
湛へて、
ゆびさせる其足もとに、
玉の
屑、
埴土のかたわれ。
つぎなる
汝はいかにせし、
こはすさまじき姿かな。
そのかみの
たき
風情、
嫋竹の、あえかのなれも、
鈍なりや、
宴のくづれ、
みだれ
髮、
肉おきたるみ、
酒の
香に、
衣もなよびて、
蹈む足も醉ひさまだれぬ。
あな
忌々し、とく
去ねよ、
さて、また
次のなれが
面、
みれば
麗容うつろひて、
悲削ぎしやつれがほ、
指組み
絞り胸隱くす
双の
手振の怪しきは、
饐えたる血にぞ、
怨恨の
毒ながすなるくち
蝮を
掩はむためのすさびかな。
また「驕慢」に
音づれし
なが
獲物をと、うらどふに、
えび
染のきぬは、やれさけ、
笏の
牙も、ゆがみたわめり、
又、なにものぞ、ほてりたる
もろ手ひろげて「
樂欲」に
らうがはしくも走りしは。
醉狂の
抱擁酷く
唇を噛み破られて、
滿面に
爪あとたちぬ。
興ざめたりな、このくるひ、
われを
棄つるか、わが「想」、
あはれ、耻かし、このみざま、
なれみづからをいかにする。
しかはあれども、そがなかに、
行清きたゞひとり、
きぬもけがれと、はだか身に、
出でゆきしより、けふまでも、
あだし「
想」の
姉妹と
道異なるか、かへり
來ぬ、
――あゝ
行かばやな――
汝がもとに。
法苑林の奧深く
素足の「愛」の
玉容に
なれは、ゐよりて、
睦みつゝ、
靈華の
房を摘みあひて、
うけつ、あたへつ、とりかはし
双の
額をこもごもに、
飾るや、
一の花の
冠。
ホセ・マリヤ・デ・エレディヤは金工の如くアンリ・ドゥ・レニエは織人の如し。また、譬喩を珠玉に求めむか、彼には青玉黄玉の光輝あり、此には乳光柔き蛋白石の影を浮べ、色に曇るを見る可し。
譯者
[#改ページ]
延びあくびせよ、
傍に「命」は倦みぬ、
――
朝明より夕をかけて
熟睡する
その
たげさ
勞らしさ、
ねむり眼のうまし「命」や。
起きいでよ、呼ばゝりて、過ぎ行く夢は
大影の奧にかくれつ。
今にして
躊躇なさば、
ゆく末に
何の
導ぞ。
呼ばゝりて過ぎ行く夢は
去りぬ
神祕に。
いでたちの旅路の
糧を
手握りて、
歩もいとゞ
速まさる
愛の一念ましぐらに、
急げ、とく行け、
呼ばゝりて、過ぎ行く夢は、
夢は、また歸り來なくに。
進めよ、
走せよ、物陰に、
畏をなすか、
深淵に、
あな、急げ……あゝ遲れたり。
はしけやし「命」は愛に
熟睡して、
栲綱の
白腕になれを卷く。
――
噫遲れたり、呼ばゝりて過ぎ行く夢の
いましめもあだなりけりな。
ゆきずりに、夢は嘲る……
さるからに、
むしろ「命」に口觸れて
これに
生ませよ、藝術を。
無言を
祷るかの夢の
教をきかで、
無邊なる神に
憧るる事なくば、
たちかへり、色よき「命」かき抱き、
なれが刹那を
長久にせよ。
死の憂愁に歡樂に
靈妙音を生ませなば、
なが
亡き
後に殘りゐて、
はた、さゞめかむ、はた、なかむ、
うれしの森に、春風や
若緑、
去年を
繰返の愛のまねぎに。
さればぞ歌へ
微笑の
榮の光に。
[#改ページ]
白銀の
筐柳、
菩提樹や、
榛の
樹や……
水の
面に
月の
落葉よ……
夕の風に
櫛けづる
丈長髮の匂ふごと、
夏の
夜の
薫なつかし、かげ黒き
湖の
上、
水
薫る
淡海ひらけ鏡なす波のかゞやき。
楫の
音もうつらうつらに
夢をゆくわが船のあし。
船のあし、空をもゆくか、
かたちなき水にうかびて。
ならべたるふたつの
櫂は
「
徒然」の
櫂「
無言」がい。
水の
面の月影なして
波の
上の楫の
音なして
わが胸に
吐息ちらばふ。
[#改ページ]
色に
賞でにし
紅薔薇、日にけに花は散りはてゝ、
唐棣花色よき
若立も、
季ことごとくしめあへず、
そよそよ風の
手枕に、はや
日數經しけふの日や、
つれなき北の木枯に、河氷るべきながめかな。
噫、歡樂よ、今さらに、なじかは、せめて爭はむ。
知らずや、かゝる
雄誥の、世に
類無く
烏滸なるを、
ゆゑだもなくて、徒に
痴れたる思、去りもあへず、
「悲哀」の
琴の絲の
緒を、ゆし
按ずるぞ
無益なる。
*
ゆめ、な語りそ、人の世は
悦おほき
宴ぞと。
そは愚かしきあだ心、はたや卑しき
痴れごゝち。
ことに歎くな、
現世を
涯も知らぬ
苦界よと。
益無き
勇の
逸氣は、たゞいち早く悔いぬらむ。
春日霞みて、
葦蘆のさゞめくが
如、笑みわたれ。
磯濱かけて風騷ぎ波おとなふがごと、泣けよ。
一切の
快樂を盡し、
一切の
苦患に堪へて、
豐の
世と
稱ふるもよし、夢の世と
觀ずるもよし。
*
死者のみ、ひとり吾に聽く、
奧津城處、わが
栖家。
世の
終るまで、吾はしも己が心のあだがたき。
亡恩に
榮華は盡きむ、
里鴉畠をあらさむ、
收穫時の
頼なきも、吾はいそしみて種を播かむ。
ゆめ、
自らは悲まじ。世の木枯もなにかあらむ、
あはれ
侮蔑や、
誹謗をや、
大凶事の
迫害をや。
たゞ、詩の神の
箜※[#「竹かんむり/候」、120-3]の上、指をふるれば、わが
樂の
日毎に清く澄みわたり、
靈妙音の鳴るが樂しさ。
*
長雨空の
喪過ぎて、さすや忽ち薄日影、
冠の
花葉ふりおとす栗の林の枝の
上に、
水のおもてに、
遲花の花壇の上に、わが眼にも、
照り添ふ匂なつかしき秋の
日脚の白みたる。
日よ何の意ぞ、
夏花のこぼれて散るも惜からじ、
はた
禁めえじ、
落葉の風のまにまに吹き交ふも。
水や曇れ、空も
鈍びよ、たゞ悲のわれに在らば、
想はこれに養はれ、心はために
勇をえむ。
*
われは夢む、
滄海の
天の色、
哀深き入日の影を、
わだつみの
灘は荒れて、風を痛み、
甚振る波を、
また
思ふ
釣船の
海人の子を、
巖穴に
隱ろふ蟹を、
青眼のネアイラを、グラウコス、プロオティウスを。
又思ふ、路の
邊をあさりゆく
物乞の
漂浪人を、
栖み慣れし軒端がもとに、
休ひゐる
賤が
翁を、
斧の
柄を
手握りもちて、肩かゞむ
杣の
工を、
げに思ひいづ、
鳴神の都の
騷擾、
村肝の心の
痍を。
*
この一切の
無益なる世の
煩累を振りすてゝ、
もの恐ろしく汚れたる都の憂あとにして、
終に分け入る森陰の
清しき
宿求めえなば、
光も澄める
湖の靜けき岸にわれは悟らむ。
否、
寧われはおほわだの波うちぎはに夢みむ。
幼年の日を養ひし
大搖籃のわだつみよ、
ほだしも波の
鴎鳥、呼びかふ聲を耳にして、
磯根に近き
岩枕汚れし
眼、洗はゞや。
*
噫いち早く襲ひ來る冬の日、なにか恐るべき。
春の
卯月の贈物、われはや、既に盡し果て、
秋のみのりのえびかづら葡萄も摘まず、
新麥の
豐の
足穗も、
他し
人、
刈り干しにけむ、いつの
間に。
*
けふは
照日の
映々と
青葉高麥生ひ茂る
大野が上に空高く
靡びかひ浮ぶ
旗雲よ。
和ぎたる海を白帆あげて、
朱の
曾保船走るごと、
變化乏しき
青天をすべりゆくなる白雲よ。
時ならずして、
汝も亦近づく
暴風の
先驅と、
みだれ姿の影黒み
蹙める空を
翔りゆかむ、
嗚呼、大空の
馳使、添はばや、なれにわが心、
心は
汝に通へども、世の人たえて汲む者もなし。
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靜かなるわが
妹、君見れば、
想すゞろぐ。
朽葉色に
晩秋の夢深き君が
額に、
天人の
瞳なす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古りし
花苑の奧、
淡白き
吹上の水のごと、空へ走りぬ。
その空は
時雨月、清らなる色に曇りて、
時節のきはみなき欝憂は池に
映ろひ
落葉の
薄黄なる
憂悶を風の散らせば、
いざよひの
池水に、いと
冷やき
綾は亂れて、
ながながし
梔子の光さす入日たゆたふ。
物象を靜觀して、これが喚起したる幻想の裡、自から心象の飛揚する時は「歌」成る。さきの「高踏派」の詩人は、物の全般を採りて之を示したり。かるが故に、其詩、幽妙を虧き、人をして宛然自から創作する如き享樂無からしむ。それ物象を明示するは詩興四分の三を沒却するものなり。讀詩の妙は漸々遲々たる推度の裡に存す。暗示は即ちこれ幻想に非らずや。這般幽玄の運用を象徴と名づく。一の心状を示さむが爲、徐に物象を喚起し、或は之と逆まに、一の物象を採りて、闡明數番の後、これより一の心状を脱離せしむる事これなり。
ステファンヌ・マラルメ
[#改ページ]
落日の光にもゆる
白楊の
聳やく並木、
谷隈になにか見る、
風そよぐ梢より。
小鳥でさへも巣は戀し、
まして青空、わが國よ、
うまれの里の
波羅葦増雲。
海のあなたの遙けき國へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ
憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき國へ。
オオバネルは、ミストラル、ルウマニユ等と相結で、十九世紀の前半に近代プロ
ンス語を文藝に用ゐ、南歐の地を風靡したるフェリイブル詩社の翹楚なり。
「故國」の譯に
波羅葦増雲とあるは、文祿
[#「文祿」は底本では「文録」]慶長年間葡萄牙語より轉じて一時、わが日本語化したる基督教法に所謂天國の意なり。
譯者
[#改ページ]
頼み入りし
空なる
幸の
一つだにも、
忠心ありて、
とまれるはなし。
そをもふと、胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
にがき
憂に。
きしかたの
犯の罪の
一つだにも、
懲の
責を
のがれしはなし。
そをもふと胸はひらけぬ、
荒屋のあはれの胸も
高かき望に。
[#改ページ]
白波の、
潮騷のおきつ貝なす
青緑しげれる
谿を
まさかりの眞晝ぞ
知す。
われは昔の野山の
精を
まなびて、こゝに宿からむ、
あゝ、神寂びし
篠懸よ、
なれがにほひの
濡髮に。
兒等よ、今晝は
眞盛、日こゝもとに照らしぬ。
寂寞大海の
禮拜して、
天津日に捧ぐる
香は、
淨まはる
潮のにほひ、
轟く
波凝、
動がぬ
岩根、靡く藻よ、
黒金の船の
舳先よ、
岬代赭色に、獅子の
蹈留れる如く、
足を延べたるこゝ、
入海のひたおもて、
うちひさす都のまちは、
煩悶の
壁に
惱めど、
鏡なす
白川は
蜘手に流れ、
風のみひとり、たまさぐる、
洞穴口の花の錦や。