気狂い機関車

大阪圭吉




          一

 日本犯罪研究会発会式の席上で、数日前に偶然にも懇意になったM警察署の内木うちき司法主任から、不思議な殺人事件の急電を受けて冷い旅舎に真夜中過ぎの夢を破られた青山喬介と私は、クレバネットのレイン・コートに身を包んで烈しい風を真面まともに受けながら、線路伝いに殺人現場のW停車場へ向って速足に歩き続けていた。
 いてて泣き喚く様な吹雪の夜の事だ。
 雪はやんでいたが、まだ身を切る様な烈風が吹まくり、底深く荒れ果てた一面の闇を透して遠く海も時化しけているらしく、此処から三マイル程南方にある廃港の防波堤に間断なく打揚る跳波の響が、風の悲鳴にコキ混って、粉雪の積った線路の上を飛ぶ様に歩いて行く私達のあし音などは、針程も聴えなかった。
 やがて前方の路上には遠方信号機の緑燈が現れ、続いて無数の妙に白けた燈光が、蒼白い線路の上にギラギラと反射し始める。そして間もなく――私達はW駅に着いた。
 赤、緑、橙等さまざまな信号燈の配置に囲まれて、入換作業場の時計塔が、構内照明燈ヤード・ライトの光にキッカリ四時十分を指していた。明るいガランとした本屋ほんおくのホームで、先着の内木司法主任と警察医の出迎えを受けた私達は、貨物積卸つみおろしホームを突切ってただちに殺人の現場へ案内された。
 其処はW駅の西端に寄って、下り本線と下り一番線との線路に狭まれて大きな赤黒い鉄製の給水タンクが立っている薄暗い路面であるが、被害者の屍体は、給水タンクと下り一番線との間の、四フィート程の幅狭い処に、数名の警官や駅員達に見守られながら発見当時のままで置かれてあった。
 被害者は菜ッ葉服を着た毬栗いがぐり頭の大男で、両脚を少し膝を折って大の字に開き、右を固く握り締め、左掌で地面を掻きむしる様にして、線路と平行に、薄く雪の積った地面の上に俯伏うつぶせに倒れていた。真白な雪の肌に黒血のにじんだその頭部の近くには、顎紐の千切れた従業員の正帽がひとつ、無雑作に転っている――。
 警察医は、早速屍体の側へ屈み込むと、私達を上眼で招いた。
「――温度の関係で、硬直は割に早く来ておりますが、これで死後三四十分しか経過していません。勿論他殺です。死因は後頭部の打撲傷に依る脳震盪のうしんとうで、御覧の通り傷口は、脊髄に垂直に横に細く開いた挫傷で、少量の出血をしております。加害者は、この傷口やそれから後頭部の下部の骨折から見て、幅約〇・八センチ、長さ約五センチの遊離端を持つ鈍器――例えば、先の開いた灰掻棒はいかきぼうみたいなもので、背後から力まかせにぶん殴ったものですな」
「他に損傷はないですか?」喬介が訊いた。
「ええ、ありません。もっとも、顔面、掌その他に、極めて軽微な表皮剥脱乃至ないし皮下出血がありますが、死因とは無関係です」
 喬介は警察医と向い合って一層近く屍体に寄添うと、懐中電燈の光を差付ける様にして、後頭部の致命傷を覗き込んだ。が、間もなく傷口を取巻く頭髪の生際はえぎわを指差しながら、医師へ言った。
「白い粉みたいなものが少しばかり着いていますね。何でしょう? 砂ですか?」
「そうです。普通地面のありふれた砂ですよ。多分兇器に附着していたものでしょう」
「成程。でも、一応調べて見たいものですね」そして駅員達の方へ振向いて、「顕微鏡はありませんか? 五百倍以上のものだと一層結構ですがね――」
 すると、私の横に立っていた肥っちょのチョビ髭をはやしたW駅の助役が、傍らの駅手に、医務室の顕微鏡を持って来いと命じた。
 喬介は、それから、固く握り締められたままの被害者の右掌や、少し膝を折って大の字に拡げられた両の脚などを、時折首をかしげながら調べていたが、やがて立上ると、今しがた部下の警部補と何か打合せを終えた内木司法主任に向って声を掛けた。
「何か御意見を承給うけたまわりたいものですね」
 喬介の言葉に司法主任は笑いながら、
「いや。私の方こそ、貴下あなたの御援助を得たいです。が、まあ、とにかく捜査に先立って、大切な点をお知らせして置きましょう。と言うのは、外でもないですが、一口に言うと、つまり現場に加害者の痕跡が微塵もないと言う事です。何しろ、御承知の通り犯行の推定時刻までにはあの通り雪が降っていましたし、報告に接して急行した吾々われわれ係官の現場調査も、充分――いや、これはむしろ貴下方の御信頼に任すとして――、それにもかかわらず、この雪の地面には、加害者と覚しき足跡は愚か、被害者自身の足跡すら発見されなかったのです。従って私達は、ここで最も簡単にしかも合理的に、犯行の本当の現場を見透す事が出来るのです。即ち屍体は、推定時間当時に於てこの下り一番線上を通過した機関車から、灰掻棒で殺害後突墜つきおとされたものに違いないと言う事――私のこの考え方を裏書してくれる確実な手掛りを御覧下さい」
 司法主任はそう言って、軌条と屍体との中間に当る路面に、懐中電燈の光を浴びせ掛けた。――成程、薄く積った地面の雪の上には、軌条から二フィート程離れしかも軌条に平行して、数滴の血のしずくの跡が一列に並んで着いている。その列の尖端、つまり血の雫の落始まった処は、屍体よりも約五フィート程の東寄にあって、其処には同じ一点に数滴の雫が、停車中の機関車の床から落ちたらしく雪の肌に握拳にぎりこぶし程のしみを作っている。そして二フィートフィートと列の西に寄るに従って、雫と雫との間隔は一インチインチと大きくなって、やがて吾々の視線から闇の中へ消えている。司法主任は、それらの雫の特異な落下点を指差しながら、機関車が給水のため此処で停車していた時に犯行が行われたに違いない、と附け加えた。喬介はそれにいちいち頷きながら聴いていたが、やがて、駅員達の方へ振返って、屍体発見並に被害者の説明を求めた。
 と、それに対して、ゴム引の作業服を着た配電室の技師らしい男が進み出て、自分が恰度午前四時二十分前頃に、交換時間で、配電室から下り一番の線路伝いに本屋ほんおくの詰所へ戻る途中、この場で、この通りに倒れている屍体を発見し、ただちに報告の処置をった旨を、詳細に且つ淀みなく述べ立てた。が、被害者に就いては、一向に見覚えがない旨を附加えた。すると今度は、今まで助役の隣で、オーバーのポケットへ深々と両手を突込んだまま人々の話に聞き入っていた頬骨の突出たやせギスの駅長が、被害者は、W駅の東方約三十マイルのH駅機関庫に新しく這入った機関助手である事は判るが、姓名その他の詳細に就いては不明であるため、既にH機関庫に打電して、屍体の首実検を依頼してある旨を陳述した。
 恰度この時、先程の駅手が顕微鏡を持って来たので、喬介はそれを受取ると、整った照明装置に満足のえみを漏しながら、警察医に機械を渡して、屍体の傷口に着いた砂片の分析的な鑑定を依頼した。そして再び振返ると、駅長に向って、
「では次にもうひとつ、今から約一時間前の犯行の推定時刻に、この下り一番線を通過した列車に就いて伺いたいのですが――」
 すると今度は、チョビ髭の助役が乗り出した。
「列車――と言うと、一寸門外の方には変に思われるかも知れませんが、恰度その時刻には、H機関庫からN駅の操車場ハンプヤードへ、作業のために臨時運転をされた長距離単行機関車がこの線路を通過しております。入換用のタンク機関車で、番号は、確か2400形式・73号――だったと思います。御承知の通り、臨時の単行機関車などには勿論表定速度はありませんので、閉塞装置に依る停車命令のない限り、言い換えれば、あらかじめ運転区間の線路上に於ける安全が保障されている以上、多少の時刻の緩和は認められております。で、そんな訳で、その73号のタンク機関車が本屋のホームを通過した時刻を、今ここで厳密に申上げる事は出来ないですが、何でもそれは、三時三十分を五分以上外れる様な事はなかったと思います。尚、機関車が下り一番線を通ったのは、恰度その時、下り本線に貨物列車が停車していたためです。――」
「すると、勿論そのタンク機関車は、本屋のホームを通過してしまってから、現場ここで、一度停車したんでしょうな?」
 喬介が口を入れた。
「そうです。――多分御承知の事とは思いますが、タンク機関車は他のテンダー機関車と違って、別に炭水車テンダーを牽引しておらず、機関車の主体の一部に狭少な炭水槽タンクを持っているだけです。従ってH・N間の様に六十マイル近くもある長距離の単行運転をする場合には、どうしても当駅で炭水の補給をしなければならないのです。勿論73号も、此処で停車したに違いありません。そして、この給水タンクから水を飲み込み、そこの貯炭パイルから石炭を積み込んだでしょう」
 チョビ髭の助役はそう言って、給水タンクの直ぐ東隣に、同じ様に線路に沿って黒々と横わった、高さ約十三、四フィート長さ約六十フィートの大きな石炭堆積台パイルを、ふとった体を延び上げる様にして指差した。
 そこで喬介は助役に軽く会釈すると、今度は、司法主任と向合って顕微鏡の上に屈み込んでいる警察医の側へ行き、その肩へ軽く手を掛けて、
「どうです。判りましたか?」
 すると警察医は、一寸そのままで黙っていたが、やがてゆっくり立上って大きく欠伸あくびをひとつすると、ロイド眼鏡の硝子たまを拭き拭き、
「有りましたよ。いや。仲々沢山に有りましたよ。――先ず、多量の玻璃はり質に包まれて、アルカリ長石、雲母うんぼ角閃石、輝石等々の微片、それから極めて少量の石英と、橄欖かんらん岩に準長石――」
「何ですって。橄欖岩に準長石?……ふむ。それに、石英は?」
「極く少量です」
「――いや、よく判りました。それにしても、……珍らしいなあ……」と喬介はそのまま暫く黙想に陥ったが、やがて不意に顔を上げると、今度は助役に向って、「この駅の附近の線路で、道床に粗面岩の砕石を敷詰めた箇所がありますか?」
 するとその問に対して、助役の代りに配電室の技師が口を切った。
「此処から三マイル程東方の、発電所の近くに切通きりとおしがありますが、その山の切口から珍らしく粗面岩が出ていますので、その部分の線路だけ、僅かですが、道床に粗面岩の砕石を使用しております」
「ははあ。するとその地点の線路は、勿論当駅の保線区に属しているでしょうな?」
「そうです」今度は助役が答えた。
「では、最近その地点の道床に、搗固つきかため工事を施しませんでしたか?」
「施しました。昨日と一昨日の二日間、当駅保線区の工夫が、五名程出ております」
 助役が答えた。すると喬介は、生き生きと眼を輝かせながら、
「判りました。――殺人に用いられた兇器は撥形鶴嘴ビーターです!」そして吃驚びっくりした一同を、軽く微笑して見廻しながら、「しかも、それは、当駅の工事用器具所に属するものです!」

          二

 私は、喬介の推理に今更の様に唖然としながらも、鶴嘴の一方の刃先が長さ約五センチ程のばち形に開いた兇器――よく汽車の窓から見た、線路工夫の振上げているあの逞しい撥形鶴嘴ビーターを、アリアリと眼の中に思い浮べた。内木司法主任も、私と同様に驚いたらしく、眼を大粒に見開いたまま、警察医の方へ臆病そうに顔を向けた。すると今まで、相変らずポケット・ハンドをしたまま黙り込んでいた痩ギスの駅長が、ズングリした頬骨を突出しながら、熱心な語調で喬介に立向った。
「しかし、たとえそれらの鉱片が傷口に着いていたからとて、何もそれだけで、兇器を、あの切通で使った撥形鶴嘴ビーターであると推定されるのは、少し早計ではないでしょうか?――御承知の通り、砕石道床と言う奴は、砕石が角張っている点は理論的に言えば道床材料として大変好都合なんですが、何分高価なものですから我国では普通に使用されず、その代りに主として精選砂利を用いております。が、これとても又相当に値段が張りますので、普通経済的に施工するためには、道床の下部に砂交りの切込砂利を入れ、上部の表面だけに精選砂利を敷詰める方法、所謂――化粧砂利と言うのがあります。で、この、化粧砂利の下の粗雑な切込砂利に、石英粗面岩の細片を使用した道床が、つまり表面は普通の精選砂利でも、内部が石英粗面岩の切込砂利になっている道床が、H駅の附近にも数ヶ所もあるのです」
 駅長はそう言って喬介の顔を熱心に見詰めた。が、喬介は、決してひるまなかった。
「石英粗面岩――ですって? いや。大変いい参考になりました。でも、石英粗面岩と粗面岩とは、同じ火成岩中の火山岩に属していながらも、全々別個の岩石である事を忘れないで下さい。即ち、粗面岩は石英粗面岩と違って石英は決して多くは存在せずに、却って橄欖岩や準長石の類は往々含有している事、をですな。そしてしかも、この種の岩石は、本邦内地には極めて産出が少く、大変珍らしい代物なんです」
 そこで駅長は、二、三度軽く頷くと、そのまま急に黙ってしまった。喬介は司法主任へ向って、
「とにかく、撥形鶴嘴ビーターと言えばそんな小さな品ではないんですから、一応その辺を探して見て下さい。もし有るとすれば、きっと発見みつかるでしょう」
 で、二名の警官が、司法主任から兇器の捜索を命ぜられた。
 一方喬介は、ソッと私を招いて、先程司法主任が知らしてくれた軌条沿いの血の雫の跡を、懐中電燈で照しながら、線路伝いに駅の西端へ向って歩き始めた。
 が、二十メートルも歩いたと思う頃、立止って振返ると、給水タンクの下であれこれと指図しているらしい司法主任の方を顎で指しながら、私へ言った。
「ね君、大将の言ってる事は、あの屍体に関する限り、大体間違いない様だよ。つまり、屍体は、タンク機関車73号からおとされたもので、同時にこれらの血の雫は、同じ73号の操縦室キャッブの床の端から、機関車が給水で停車している時から落始めたものだ、と言う風にね。そして先生、73号の、被害者と同乗した被害者以外のもう一人の、或は二人の、乗務員に対して、有力な嫌疑を抱いているらしい。ま、大体素直な判定さ。だが、僕は、その推理に就いて云々する前に、あの屍体の奇妙に開かれた両脚や、五指を固く握り締めたままの右掌に対して、何よりも大きな興味を覚えるよ。そしてだね君。あの屍体の傷口を思出してくれ給え。あの傷は、打撲に依る挫創並に骨折で、決して出血の多いものではなかった筈だ。ね。それにもかかわらず、ほら、御覧の通り、機関車の操縦室キャッブの床から落ちた血の雫は、こんな処まで続いているじゃないか※(感嘆符疑問符、1-8-78) いや、それどころかまだまだ西方むこうまで続いている様だ。――ひとつ、僕達は、その血の雫の終る処までつけて行って見ようじゃないか」
 で喬介は再び歩き出した。私は一寸身顫いを覚えながら、それでも喬介の後に従った。
 嵐はもう大分静まっていたが、この附近の路面には建物がないので、広々とした配線構内の上には、まだ吹止まぬ寒い風が私達を待っていた。喬介は線路の上を歩きながら、何かブツブツ呟いていたがやがて私へ向って、
「君。この血の雫の跡を見給え。落された雫の量の大きさは少しも変っていないのに、その落された地点と地点との間隔は、もう二メートル余にも達している。僕は、先刻さっきからこの間隔の長さが、追々に伸びて行く比率に注意しているよ。それは余りに速く伸び過ぎる。――つまり73号機関車は、あの給水タンクの地点から急激に最高速度で出発させられたのだ。――大体、入換用のタンク機関車などと言う奴は、僕の常識的な考えから割出して見ても、牽引力の大きな割に速力は他の旅客専用の機関車などより小さい訳だし、それに第一転轍器ポイントや急曲線カーブの多い構内で、そんな急速な出発をするなんて無茶な運転法則はないんだから、この73号の変調は、先ずこの事件の有力な謎のひとつと見て差支ないね」
 そこで、歩きながら私が口を入れた。
「しかし、もしもその機関車の操縦室キャッブの床に溜った血の量が、全体に少くなって来たのだとしたなら、雫の大きさは同じでも、落される間隔は、あたかも機関車の速度が急変したかのように、長くなるのじゃないかね?」
「ふむ。仲々君も、近頃は悧巧りこうになったね。だが、もしも君の言う通り、そんなに早く機関車の方の血が少くなって来たのだとしたなら、この調子では、もう間もなく血の雫は終ってしまうよ。――其処まで行って見よう。果して君の説が正しいか、それとも、僕の恐ろしい予想に軍配が挙がるか――」
 で、私達は二人共亢奮して歩き続けた。
 もうこの附近はW駅の西端に近く、二百メートル程の間に亙って、全線路が一様に大きく左にカーブしている。私達は幅の広いそのカーブの中を、懐中電燈で血の雫の跡を追いながら、下り一番線に沿って歩き続けた。が、間もなく私の鼻頭には、この寒さにもかかわらず、無気味な油汗がにじみ始めた。――私は、喬介との闘いに敗れたのだ。
 線路の横には、喬介の推理通り行けども行けども血の雫の跡は消えず、タンク機関車73号は、明かに急速度を出したらしく、もうこの辺では、血の雫の跡も五、六メートル置きにほぼ一定して着いていた。そしてそのカーブの終りに近く、下り一番線から下り本線への亙り線の転轍器ポイントの西で、とうとう私達は、異様な第二の他殺屍体にぶつかってしまった。

          三

 屍体は第一のそれと同じ様に、菜っ葉服を着、従業員の正帽を冠った、明かに73号の機関手で、粉雪の積った砂利面の上へ、線路に近く横ざまに投げ出されていた。――辺りは、一面の血の海だ。
 私は、ただちに喬介を置いて元来た道を大急ぎで引返した。そして司法主任や警察医の連中を連れて、再び其処へ戻った時には、もう喬介は屈み込んで、綿密な屍体の調査を始めていた。
 やがて喬介ならびに警察医の検案に依って、第二の屍体は、第一のそれと殆ど同時刻に殺されたもので、致命傷は、鋭利な短刀様の兇器で背後から第六胸椎と第七胸椎との間に突立てた、創底左肺に達する深い刺傷である事が判った。尚、屍体が機関車から投げ出された際に出来たらしく、顱頂骨ろちょうこつの後部に近くアングリ口を開いた打撲傷や、その他全身の露出面に亙る夥しい擦過傷等も明かになった。
 私達は協力して暫くその辺を探して見たが、勿論殺害に使われた兇器は発見みつからなかった。そして線路の脇の血の雫の跡も、もうそれより以西には着いていなかった。
 司法主任は、第二の屍体の発見に依って自分の抱いていた疑いが微塵に砕かれてしまったためか、すっかりしおれて、黙々としていたが、やがて思い出した様に傍らの路面から、私はうっかり気付かなかったのだが、先刻さっきここへ来た時に持って来て置いたらしい大型の撥形鶴嘴ビーターを取上げると、喬介の眼前へ差出しながら、
「やはり有りましたよ。こいつでしょう? 最初の屍体に加えられた兇器は。――あの貯炭パイルと、直ぐその東隣のランプ室との間の狭い地面にほうり込んでありましたよ。ええ、無論そのばち形の刃先に着いていた砂は、顕微鏡検査に依って、貴方あなた仰有おっしゃった通り、あちらの屍体の傷口の砂と完全に一致しました。尚、も調査しましたが、加害者は手袋を用いたらしく、指紋はなかったです」
 喬介はそれに頷きながら撥形鶴嘴ビーターを受取ると、自身で詳しく調べ始めた。が、その柄の端近くに抜かれた小指程の太さの穴に気付くと、貪る様にして暫くその穴を調べていたが、やがて傍らの助役へ、
「これはどう言う穴ですか?」
「さあ――※(感嘆符疑問符、1-8-78)
「当駅の撥形鶴嘴ビーターで、柄の端にこんな穴の開いた奴があったのですか?」
「そんな筈は、ないんですが――」
「ふむ。判りました。その通りでしょう。第一この穴は、こんなに新しいんですからね……」
 喬介はそれなり深い思索に陥って行った。
 間もなく、W駅の本屋ほんおくの方から一人の駅手が飛んで来て、H機関庫から首実検の連中が到着したとの報告をもたらした。すると司法主任は急に元気附いて、警官の一人にこの場の屍体を見張っている様命ずると、先に立って歩き始めた。私達もその後に従った。
 やがて私達が、給水タンク下の最初の現場へ戻り着いた時には、運搬用の気動車モーター・カーでやって来たらしい三名の機関庫員は、既に屍体の検証を済して、一服している処だった。が、その内の主任らしい男が、肥った体をヨチヨチやらして私達より一足遅くやって来た助役の顔を見ると、早速立上って、
「――飛んだ事でした。被害者は確かに73号の機関助手で土屋良平つちやりょうへいと云う男です」
「いや、どうも。ところで、機関手の名前は?」
「機関手――ですか? ええ。井上順三いのうえじゅんぞうと言いますが」
「ふむ。そいつも殺されておりますぞ!」
 助役の言葉で、機関庫主任も駅長も明かに蒼くなった。そして一名の機関庫員は、飛ぶ様にして第二の屍体の検証に向った。
 すると司法主任が、待構えた様に機関庫主任を捕えて、
「73号のタンク機関車が、H機関庫を出発したのは何時ですか?」
「午前二時四十分です」
「ははあ。で、当駅を通過したのが三時半と――。じゃあ、無論途中停車はしなかったですね?」
「ええ、そうですとも。当駅で炭水補給の停車以外には、N操車場ハンプ・ヤードまで六十マイルの直行運転です」
「ふむ。ところで、乗務員は何名でしたか?」
「二名です」
「二名――? 三名じゃあなかったですか?」
「そ、そんな筈はありません。第一、原則的に、機関手と助手の二名だけ――」
「いや。その原則外の、非合法の一人があったのだ!」と、それから、き込んで、駅長へ、「N駅へその男の逮捕方を打電して下さい。もう機関車は、N操車場ハンプ・ヤードへ着くに違いない――」
 すると、今まで黙っていた喬介が、突然吹出した。
「……冗談じゃあない。内木さんにも似合わん傑作ですよ。ね。――もしも私が、その場合の犯人であったとしたなら、N駅へ着かない以前に、機関車を投げ出して、とっくの昔に逃げてしまいますよ。いや、全く、貴下の意見は間違いだらけだ。例えば、最初機関車がH駅を出発した当時から、犯人が被害者の二人と一緒に乗っていたものとすれば、第一の屍体の兇器、即ち昨日まで道床搗固つきかために使われ、当駅の工事用具所へ仕舞われたあの撥形鶴嘴ビーターを犯行後機関車の中からランプ室と貯炭パイルの間の狭い地面へ投げ捨てる事は出来るとしても、一体、何処からそいつを手に入れる事が出来ると言うんです。そして、又よしんばそれが出来得たとしても、犯人は何の必要があって、わざわざ当駅で停車中などに二人もの人間を殺害しなければならなかったのです。犯人が機関車に乗っていたのならば、何もこんな処で殺さなくたって、あの吹雪の闇を疾走中に、もっと適切な殺し場がいくらもあった筈ではないですか。――いや、この事件は、いま貴下が考えていられるより、もう少しは面白いものらしいです。そしてその事は、非常に沢山の謎が証明してくれます。例えば、この第一の屍体に於ける奇妙な硬直姿勢、撥形鶴嘴ビーターの柄先の不可解な穴、そして、タンク機関車73号の急激なスタート、尚又、二つの屍体に与えられた兇器がそれぞれに異ったものである事、等々です。で、ここでひとつ、手近な処から片附けて見ると、二つの屍体に於て異る兇器が与えられたと言う事実は、先ず、犯人が別々に時間を隔てて二人を殺害したか、或は何等かの方法で同時に殺害したか、と言う二様の立場から見る事が出来ます。ところが――、前者は、第二の屍体から流れ落ちた血の雫が、最初の屍体の置かれたと同一のこの地点から始まっている事、そしてこの地点に於ける機関車の停車時間は決して長いものではなかった事、尚又屍体検査に依る死後時間の一致、等に依って抹殺されてしまいます。従って殺害は同時になされた事になります。すると、短い停車時間の間で、殆ど同時に二人の人間をそれぞれ異った兇器で殺害するためには、犯人が二人であるか、或は一人で何等かの特殊な方法に依ったものであるか、と言う二つの岐路に再度逢着します。――ここで私は、もうひとつの謎をこれに結び付けてみる。即ち、あの撥形鶴嘴ビーターの柄先の奇妙な穴を思い出すのです。そして、ひとまず犯人は一人であるとし、その一人の犯人が、二人の殺害に当って必らずさなければならなかったであろう筈のカラクリ即ち兇器の特殊な使用方法に就いて、今までずっと考え続けていたのです。で、その結果に就いて申上げる前に、一寸駅の方に御注意して置きますが、犯人は、一人でしかも機関車がこの地点へ来て停車した時に殺害の目的で乗込んだと同様に、犯行後、再びこの場で機関車から離れたのです。つまり、――タンク機関車73号が、西方へ向ってこの地点を急速度で発車した時には、既に犯人は73号に乗っていなかったのです」
 すると、今まで黙って喬介の説明を聞いていた助役が、急に吹き出しながら、
「そ、そんな馬鹿な事はない。もしもそうとすれば、機関車は独りで疾走はしって行った事になる――。と、とんでもない事だ!」
 そして心持顎を突出し、眼玉を大きく見開いて、一寸喬介を軽蔑する様にして見せた。が、その顔色は恐ろしく蒼褪あおざめていた。

          四

 駅長も、助役と同じ様に喬介の言葉には驚いたらしく、ひどく心配そうに蒼白い顔をして、亀の子の様に大きなオーバーの中へ首や手足をすくめる様にしていたが、間もなく本屋ほんおくの方へ歩いて行った。喬介は、一向平気に極めて冷淡な語調で、再び助役へ向った。
「時に、当駅に、73号と同じ形式の機関車はありませんか?」
 すると助役は、一寸不機嫌そうに、
「ええ、そりゃあ、仕別しわけ線路の方には二輛程来ていますがね。……一体何ですか?」
「実地検証です。是非、一輛貸して頂きたいです。この一番線へ当時の73号と同じ方向に寄越して下さい」
 で、助役はケテン顔をしながら出掛けて行った。
 間もなく、2400形式のタンク機関車が、※(「竹かんむり/甬」、第4水準2-83-48)シリンダーから激しい蒸気を洩し、喞子桿ピストン・ロッド曲柄クランクをガチンガチン鳴らしながら、下り一番線上を西に向って私達の前までやって来た。そこで喬介の指図に従って、路面上の血の滴列の起点の上へ、恰度操縦室キャッブの降口の床の端が来る位置に機関車が止ると、喬介は、給水タンクの線路側の梯子を真中頃まで登って行って、其処にタンクの横ッ腹から突出している径一センチ長さ〇・六メートル程の鉄棒を指差しながら、下を振向いて助役へ言った。
「これは何ですか?」
「あ、それは、いま貴下の前に、タンクの開弁装置へ続く長い鎖が下っているでしょう。その鎖の支棒として以前用いられたものです」
「成程。ところで、ついでにひとつ、その撥形鶴嘴ビーターを取ってくれませんか」
 で、助役は、顫えながら、その通りにした。
 喬介は撥形鶴嘴ビーターを受取ると、その柄先の穴を、例の鉄棒のさき充行あてがってグッと押えた。するとスッポリふさがって、撥形鶴嘴ビーターは鉄棒へぶら下った。と喬介は、今度は少しずつ梯子を登りながら、撥形鶴嘴ビーターの柄を持って先の穴を中心に廻転させ、やがてそれが刃を上にして殆ど垂直に近く立つ処までやると、恰度其処に出ているもう一本別のさびた鉄の支棒のさきに、その柄元を一寸引掛けた。そして最後に、開弁装置へ続く鎖の恰度第二の鉄棒に当る位置に縛りつけてある太い、短い、妙に曲った針金を、同じ鉄棒の中頃へ引っ掛けた。
 それらの装置が終ると、喬介は梯子を降りて来て、今度は、規定の位置に停車している機関車の操縦室キャッブへ乗り込み、そこから投炭用のスコップを持ち出すと、地面へは降りずに汽罐側のサイド・タンクに沿って、フレームの上を給水タンクの梯子と向合う処まで歩くと、ウンと力んで片足を給水タンクの足場へ掛け、機関車と給水タンクとの間へ大の字にまたがった。
「さて。これから始めます。先ず私を、この事件に於ける不幸な第一の被害者、土屋良平君と仮定します。そして、タンク機関車73号に給水するため、土屋君は頭上に恐るべき装置があるとも知らず、この通りの姿勢をって、ここにぶら下っているこのズック製の呑口スパウトを、こちらの機関車のサイド・タンクの潜口マンホールへ向けて充行あてがい、給水タンクの開弁を促すために右でこの鎖を握り締めて、この通りグイと強く引張ります――」
 喬介は本当に鎖を引張った。すると撥形鶴嘴ビーターは恐ろしい勢で、柄先を中心に半円を空に描きながら、喬介の後頭部めがけて落ちて来た。と、喬介は素速く上体を捻って、左手に持っていたスコップを、恰度頭の位置へ差出した。
 ジーン――鋭く響いて、スコップは私達の前へ弾き落された。私達は一様にホッとした。……
 やがて、見事に検証を終えた喬介が、機関車を帰して、両手の塵を払いながら私達の側へ戻って来ると、チョビ髭の助役が、顫え声で、すかさず問い掛けた。
「じゃあ一体、貴方のお説に従うと、犯人は何処どこから来たのです。道がないじゃあないですか?」
「ありますとも」
「ど、どこです?」
 すると喬介は、上の方を指差しながら、
「この給水タンクの屋根からです。ほら。御覧なさい。少し身軽な男だったら、給水タンク、石炭パイル、ランプ室、それから貨物ホーム――と、屋根続きに何処どこまでも歩いて行けるじゃないですか※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 ――私は驚いた。喬介に言われて始めてそれと気付いたのだが、四つの建物は、高さこそ各々三、四尺ずつ違うが偶然にも一列に密接していて、薄暗い構内に、まるで巨大な貨物列車が停車したかの如く、長々と横わっている。成程これでは、私だって歩いて行けそうだ。
「ところで、犯行前には、雪が降っていたのでしたね」
 そう言って喬介は、給水タンクの梯子を登り始めた。で、司法主任と助役は本線側の梯子を、私は喬介と同じ一番線側の梯子を、それぞれ喬介の後に従って登って行った。
 直ぐに私達は、地面から二十フィートとないその頂に達した。そして其処の鈍い円錐形の鉄蓋やねの上の、軽く積った粉雪の表面へ、無数に押し着けられたままの大きな足跡や、の跡や、はては撥形鶴嘴ビーターを置いたり引摺ったりしたらしい乱雑な跡などを発見した。
 喬介はすぐ鉄蓋やねの上へい上った。――実際こんな処では、匐っていなければ墜ちてしまう――そして、その上の無数の跡に就いて調べ始めた。
 向うの梯子の上では、司法主任と並んで、興奮した助役が、唇を噛み締めながら喬介の仕草を見ていたが、とうとう堪え兼ねた様に、
「じゃあ、は、犯人は、ここから梯子伝いに機関車へ乗り移り、犯行後そのまま機関車で走り去ったに違いない。ね、走り去ったんでしょう?」
 すると喬介は笑いながら、
「何故貴下は、いつまでもそんな風に解釈したがるんですか※(感嘆符疑問符、1-8-78) ほら、これを御覧なさい。この足跡は、石炭堆積台パイルの上にうず高く積み上げられた石炭の山から上って来て、こちらの一番線側の梯子口へ来ていると同時に、逆に、再び戻っているじゃないですか?」
 助役は、血走った眼で喬介の指差す方を追っていたが、やがてぶるぶる顫い出すと、あわてて腕時計を覗き込んだ。そして顫える声で、
失敗しまった……大変なことになったぞ……」
 そう言ってそのまま蒼くなって、大急ぎで梯子を降りて行った。そして、保線係やH機関庫主任等を捕えて、乗務員なしで疾走し去った73号機関車が、その閉塞区間の終点であるN駅で、既に、当然惹き起したであろう恐るべき事故。そして又、そのために一体どんな責任問題が起るか――等々に就いて大騒ぎを始めた。

          五

 一方、鉄蓋やねの上の足跡を一心に調べていた喬介は、やがて私と司法主任に向って、
「じゃあ、犯行の大体の径路を、僕の想像に従って、話して見よう。――先ず、撥形鶴嘴ビーターを持った犯人は、あの貨物ホームの屋根から、ランプ室、貯炭パイルを伝って此処へやって来ると、先刻さっきの実験通り撥形鶴嘴ビーターに依る殺人装置を施して、蝙蝠こうもりの様にその梯子の中途にヘバリ着きながら73号のやって来るのを待っていたのだ。やがて機関車が着くと、素速く梯子から機関車のフレームへ飛び移って、乗務員に発見されない様に、汽罐の前方を廻って反対側のフレームいつくばっていたに違いない。一方、機関助手の土屋良平は、そんな事も知らずに給水作業に取掛る。そして、あの恐ろしい機構からくりに引掛って路面の上へ俯伏うつぶせにぶっ倒れる。すると操縦室キャッブにいた井上順三が、何事ならんと驚いて、操縦室キャッブの横窓から、半身を乗出す様にして覗き込む。と、そうだ。恰度その時を狙って、反対側のフレームうずくまっていた犯人は、素速く操縦室キャッブに飛び込むと、井上順三の背後から、鋭利な短刀様の兇器で、力任せに突刺したんだ。――」
 すると今まで黙って聞いていた司法主任が急に眉をひそめて、
「じゃあ、つまり貴方は、機関車を動かしたのは、犯人だ、と仰有おっしゃるんですね?」
「無論そうです。この場合、犯人以外には機関車を動かす事は出来なかった筈です。――従って犯人は、操縦技術を知ってる男で、犯行後再び機関車からこちらの梯子へ飛び移る前に、素速く発車てこを起し、加速装置アクセンレーターを最高速度に固定したに違いありません。そして給水タンクから貨物ホームへ、屋根伝いに逃げ去りながら、撥形鶴嘴ビーターをパイルとランプ室の間へ投げ捨てて行ったのです。一方、操縦室キャッブの床に倒れていた井上順三の屍体は、機関車の加速度と、曲線カーブに於ける遠心力の法則に従って、あの通りに投げ出されます。だが、ここで問題になるのは、何故犯人は犯行後機関車を発車させたか? と言う点です。が、この最後の疑問を突込む前に、僕は、いまひとつ、新しい発見を紹介しよう」と、それから喬介は明かに興奮を浮べた語調で、「この鉄蓋やねの上を見給え。いま吾々がこうしていると同じ様に、犯人も、必ず此処の上ではって歩いたのです。そしてしかも、あの重い撥形鶴嘴ビーターは、この通り、自分より少しずつ先へ投げ出す様にして運びながら匐進ふくしんしたのです。それにもかかわらず、どうです、犯人のの跡は、右掌だけで、何処を見ても左掌の跡はひとつも無いじゃあないですか。――つまり、犯人は、右手片腕の男です!」
 そして、吃驚びっくりしている私達を尻眼に掛けながら、喬介はタンクの梯子を降りて行った。そして其処で騒いでいた助役を捕えると、
「当駅の関係者で、左手の無い片腕の男があるでしょう?」
「ええッ!――片腕の男※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 助役は、急にサッと顔色を変えると、物におじけた様に眼を引きつけて、ガクガク顫えながら暫く口も利けなかった。が、やがて、
「あ、あります」
「誰れですか?」と、喬介は軽く笑いながら、「――それは、多分……」
 すると助役は、不意に声を落して、
「え、え、駅長です」
 ――私は驚いた。
 そして、満足そうに煙草に火を点けている喬介を、いっそ憎々しく思った。が、流石さすがは司法主任だ。直ちに彼は、数名の部下を督励して本屋ほんおくの駅長室へ馳けつけて行った。
 が――、間もなく司法主任は、興奮しながら飛び帰ると、
「手遅れです。駅長は短刀で自殺しました!」
「自殺※(感嘆符疑問符、1-8-78)――失敗しまった」
 今度は喬介も一寸驚いた。
 可哀想な助役は、機関庫主任と一緒に、転ぶ様にして本屋の方へ馳けつけて行った。
 私は、驚きながらも、喬介の興奮の静まるのを待って、この殺人事件の動機に就いて、訊ねて見た。すると喬介は、重々しく、
「多分、――復讐だよ」
 と、それなり黙ってしまった。
 恰度その時、助役と機関庫主任が、一層興奮してやって来た。そして助役は、喬介へ、
「私は、気狂いになりそうだ!――ともかく、運搬車モーター・カーへ乗って下さい。只今、N駅からの電信に依ると、とっくの昔に着いて、と言うよりも、そこで恐るべき衝突事故を起してる筈の73号が、まだ不着だそうです!……事故は、途中の線路上で起ったのだ!」
 で、私達は、早速二番線に置かれてあった無蓋の小さな運搬車モーター・カーへ乗込んだ。
 やがて線路の上を、ひとかたまりの興奮が風を切って疾走し始めた。が、駅の西端の大きな曲線カーブの終りに近く、第二の屍体が警官の一人に依って見張られている地点まで来ると、急に喬介は立上って車を止めさした。そして助役へ、
「73号は、此処のわたり線を経て、下り一番線から下り本線へ移行する筈だったんですか?」
「そうですとも。そして、勿論そうしたに違いないです」
 すると喬介は笑いながら、
「ところが73号は、この亙り線を経て本線へ移ってはいないのです!――この屍体の位置を御覧なさい。もしも73号が、この亙り線へ移ったのであったならば、遠心力の法則が覆えされない限り、屍体はカーブの内側、即ちこの転轍器ポイントの西方へ振落される事は絶対にないのです。そして、何よりも先ず、こちらの一番線の延長線上を見て下さい。ほら、亙り線と違って、雪が積っていないじゃあないですか!――とにかく駅長の仕事です。転轍器ポイントの聯動装置ぐらい楽に胡魔化せますよ。ところで、この先の線路は、何になっていますか?」
「車止めのある避難側線です。――もっとも途中の転轍器ポイントに依って、三マイル先の廃港へ続く臨港線に結ばれていますが」
「ふむ。とにかく、出掛けて見ましょう」
 そこで転轍器ポイントが切換えられると、私達を乗せた運搬車モーター・カーは再び疾走はしり出した。そして、雪の積っていない軌条を追い求める様にして、もうひとつの達磨転轍器だるまポイントを切換えた私達は、とうとう臨港線の赤錆た六十五封度ポンド軌条の上へ疾走はしり出た。
 もう風も静まって大分白み掛けた薄闇の中を、フル・スピードで疾走はしり続けながら、落ついた調子で、喬介は助役へ言った。
「これで、大体この事件もケリがつきました。で、最後にひとつお尋ねしますが、駅長が片腕になられたのは、いつ頃の事でしたか?」
「半年程前の事です。――何でもあれは、入換作業を監督している際に、誤って機関車に喰われたのです」
「ふむ。では、その機関車の番号を、覚えておりますか?」
 すると助役は、首をかしげて、一寸記憶を呼び起す様にしていたが、急にハッとなると、見る見る顔を引き歪めながら、低い、しゃがれた声で、呻く様に、
「ああ。――2400形式・73号だ!」

 それから数分の後――
 荒れ果てた廃港の、線路のある突堤埠頭ビヤーの先端に、朝の微光を背に受けて、凝然と立すくんでいた私達の眼の前には、片腕の駅長の復讐を受けた73号を深々と呑み込んだドス黒い海が、機関車の断末魔の吐息に泡立ちながら、七色に輝く機械油を、あてもなく広々と漂わしていた。
(「新青年」昭和九年一月号)





底本:「とむらい機関車」国書刊行会
   1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
   1936(昭和11)年初版発行
初出:「新青年」博文館
   1934(昭和9)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:川山隆
2008年11月12日作成
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