南洲留魂祠

大町桂月




明治四十年六月三十日、第十一回目の文藝講演會を牛込の演藝館に開き、演説終りて、同所に小宴を催し、夜の十時過ぎに散會したるが、和田垣博士に要せられて、小日向臺なる其家にいたる。博士は、博識多才、一代に超絶す。洋畫や、日本畫や、書や、古物や、一々實物に就いて説明せらる。謠曲をもうたはる。終に手風琴をとり出し、曾て小栗風葉來りし時、奏して聞かせしに、風葉感じ入りて涙をおとしたることありき。今その曲を君等の爲にとて、一曲を奏す。如何にぞや、涙はこぼれぬかといふ。されど、かなしや、音樂を聞く耳をもたず。所謂馬耳に東風なるもの也。ありのまゝに、その由を言へば、さらば、今一つ奏せむ、耳を澄まして聞けとて、再び奏す。何となしに、あはれには聞ゆれど、涙は出さうにも無し。曲よりは、却つて、聽官のにぶきに涙をこぼしたくなりぬ。酒を侑められ、醉ひし上に醉ひて、辭して出でたる時は、既に午前三時を過ぎたり。世人普通に明日といふ處なるが、正しく云へば、今日也。今日、遠足の約あり。さらば、夜明けてとて、松本道別は、佐々木作樂氏と共に、本郷の方に去り、山根勇藏氏は、余と共にして、終に余が家にやどりぬ。
 まどろむ間もなく、覺めて待つに、道別來たる。出立す。田中桃葉も加はりて、一行すべて四人也。
 吾妻橋までは、電車に由る。徒歩して、曳舟通りを行く。曳舟もがなと思ひしに、果して、曳舟あり。夫は舟にありて棹をとり、妻は岸上にありて、綱にて舟を曳く。兒は、舟中に坐して菓子を食ふ。東京にはめづらしき景致也。木下川藥師の石標に導かれて川と、はなる。左は藥師、右は江戸道とある石標二つ三つ見る。東京の近郊、舊き道標は多けれども、江戸の名あるは、他にあまり見當らず。生れぬ前の江戸の世にあひたる心地して、いとゆかし。路の竝木に、藥師の昔の繁昌も思ひやられて、寺内に入る。本堂も、庫裡も、新築にかゝり、さばかり莊嚴の趣も無し。鶴の翼を張りたるが如き一株の松、富の松といふ八代將軍の命名に、空しく當年繁昌の跡を殘して、藥師の利益は、既にうすらぎけむ、參詣者、今は、まれ也。
 仁王門を出でて、左折すれば、小丘の上に石龕あり。石の鳥居も立てり。これ南洲留魂祠にして、勝海舟の建てし所に係る。建てし海舟も、今は地下に眠れり。いと荒廢せるさま也。橋絶えて、行くに路無し。池一面、水草生ひて、水を見ず。海舟や、南洲と肝膽相照せり。南洲が討死してより間もなく、即ち明治十二年にこの祠をたてたるは、知己に酬ゆる一片の涙のほどばしれる也。こなたの丘上に、石碑あり。南洲自書の詩を刻す。其詩の終りに、『願留魂魄皇城』の句あり。祠名もこれより出でたるなるべし。海舟がこの詩をえらびたるは、南洲の寃を雪がむとの心もこもるべく、謀叛人を祀る辨疏の意も、ふくまるゝなるべし。裏面に、海舟の書を刻し、南洲が江戸市民の大恩人なる由をしるす。なほ別に、一碑あり。留魂碑をこゝにたてし時は、恰も旱魃に際せしが、石碑運び出さるゝに及びて大に雨ふり、建つる時にも大にふりて、農民雀躍して相喜べり、雲中に龍の姿さへあらはれたりなど、書きしるす。作者は、神官などにや、南洲の建碑と豪雨と何か關係あるらしく言ひなせり。こゝに來りて、最も感ぜらるゝは、海舟の誠心也。留魂祠、小なりといへども、澆季の世の中に、まことの朋友の道を語るもの也。
 橋畔の茅店に休息す。店前に一道の川あり。めづらしさうに、我等を見入る童子に問へば、一人の童子、新川なりといふ。水澄みたり、藻の花もさきたり。凉風青田をわたり、水をわたりて、いと心地よし。携へし握飯を食うて、なほ足らず。心太を買ひ、『なほし』を飮む。四人みな醉へり。陶然として、中川の土手を歩し、諏訪野の渡をわたる。桃葉しきりに、薫風や/\とうなりたるが、あとの句がうかばず。田のくさきに、道別は、糞風や/\とまぜかへす。醉うては、句も出來まじと云へば、桃風忽ち、
薫風や直酒過ぎたる四人づれ
といふ。何でもなき句も、場合に應じて、いと興あり。妙々と、ほめそやす。
 柴又の帝釋天に至る。三人とも、未だ人車鐵道を知らずといふに、導いて、發着所にいたりて、唯※(二の字点、1-2-22)一目見物し、去つて精巧をきはめたる仁王門を見上げ、堂前の清泉に渇を醫し、堂後の庭に、花菖蒲を見る。これが何よりの御功徳也。もとより堂内の本尊には、縁の無き衆生の身、村店の酒未だ醒めざれども、更に一酌をとて、此地に有名なる川甚に入る。水に望める座敷に上るより早く、道別、桃葉の二人、衣を脱して、川に躍り込む。われ山根氏を顧みて、君は如何にと云へば、水泳を知らずといふ。われは二人の眞似して、水に入つて見たるが、冷堪ふべからず、直ちに上り來て、風呂に入る。一冷一熱、衞生上、よいか、わるいか、知らぬが佛。浴より出づる山根氏、川より出づる道別、桃葉を待ちかねて團欒し、たすき掛けの女中に酌してもらひて、此料理屋獨得の川魚料理を肴に、酒のむ。松戸より來られしかとは、粗末なるわれらの服裝、どうしても、都の紳士とは見えざればなるべし。中れりと一笑して、且つ飮み、且つ眺む。三四室ある一亭、瀟洒にして、直ちに水に接す。江戸川溶々として流る。下流に、國府臺の林丘、欝蒼として横はる。この日は、白帆見えず。唯※(二の字点、1-2-22)一艘、下流にあらはれて、閑鴎の浮ぶが如く見えしが、滿帆に孕まれし風つよく、間もなく近く眼前を過ぐ。舟の水を切る音、高く江天にひゞく。やがて又、遠く上りて、また白鴎の如し。長江むなしく悠々として天を浮べて流る。江山に對すれば、天地は人間にあらざれども、嚢中を思へば、心細し。熟醉を買ふほどの阿堵物を持たず。萬事の周旋は、一行中の世才に長けたる山根氏にまかせて、そのさしづのまゝに切り上ぐ。小岩停車場より汽車にのることと定めて、徒歩す。日暮れたり。螢ぼつ/\飛び來たる。
夕闇や螢過ぎゆく鼻の先
と山根氏の言ふを聞けば、どうにか、かうにか、句になつて居るやう也。見つけ次第、捕へて紙につゝむ。
家土産に螢とらばと思ひけり
と云へば、桃葉は、
螢とぶや蓮田の上を一文字
螢とぶ里の土橋のくづれより
われはまた、
螢とぶ木蔭の墓標新しき
大螢終に逸せし川邊かな
 小岩停車場に着きて、上り汽車を待つ。片田舍の小驛の暢氣さ。事なきまゝに、驛長は少年の驛員を相手に、しかも、片馬はづしてもらつて、將棊をさす。われ見て以爲へらく、田舍の役所、學校などにて職務を妨げぬ限りにて、かゝる娯樂を爲せば、酒色などの誘惑をさくる方便ともなりて、至極よきこととて、一寸覗きし處、下手將棊王より飛車を大事がりの手合なれど、退屈まぎらしに見物す。二三回勝負つきたるが、斧の柄ならぬステツキは朽ちもせず、下界の、しかも下手の勝負つくこと早く、たゞ、ほんの、汽車を待つ間の、二三十分の事也。
(明治四十年)





底本:「桂月全集 第一卷 美文韻文」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年5月28日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2009年1月13日作成
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