風船玉

大町桂月




ぱつと日がさして、風なきまゝに、運動にとて、電車を閑却して、家路さして歩く。雨餘の泥濘殘れり。危くも轉ばむとして漸く支へたるが、その拍子に、右足に穿きたる足駄の前齒拔けたり。それを入れむとして見れば、やれ/\前齒の入るべき溝の底より前へかけて、足駄の臺が一面に横に割れたれば、最早溝の用をなさず。新に買ふだけの錢は持たず。已むを得ず、片足だけは、一本齒にて、のそ/\たどりゆく。
 路に風船玉を賣るものあり。子供にとて、五つばかり買ふ。下女とおぼしき女、四五歳ばかりの男の子をおぶひ半※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、126-6]に負ひたるが、一つ買ひて子供にもたすより早く、子供誤つて絲をはなして、風船玉ふは/\と空に浮き上る。あれよ/\と言へど、甲斐なし。風船玉賣る男、氣の毒がりて、その代りに今一つ下女にやらむとすれど、下女辭して受けず。強ひて止まざるが、こんどは子供が承知せず。さきに買ひたるは青き玉なり。今、代りにやらむとするは赤き玉なり。赤は厭なりと、かぶり振る。出來て居るは、あいにく赤のみなれば、別に青玉をつくり、別に錢を拂ふ。子供は唯※(二の字点、1-2-22)風船玉の面白きを知る。錢の貴さを知らず。さすがに、前の失敗にかんがみけむ、しつかりと握りつゝ、うれしげに何やら唱歌らしきもの歌ふ聲、次第々々に、風船玉と共に、霞みゆく。
 わが手にさげたる五つの風船玉、路上の子供の心を惹くこと一方ならず。到る處の子供、見付けては、近寄り來りて目を凝らす。犬に牛肉、猫にまたゝび、狐に油揚、青年に戀、俗人に錢、氣を負ふものに功名、釣られて面白がるが、浮世にや。五六人集まり居りたる中の年最も幼き子、われを風船屋と思ひけむ、賣つておくれと小聲に言ひけるが、他の年やゝ長じたる子、あれは風船屋では無しと言ひきかするに、それと納得して口をつぐみ、目をひからして見送る。店屋の前に、三人ばかり遊び居りたるが、三人の眼、忽ち風船玉に向つて凝る。その中の一人、おくれよといふ。眼を凝らする子供は幾十百人といふことを知らざるが、おくれよと云ひたるは、唯※(二の字点、1-2-22)この子[#「この子」は底本では「こ子」]のみ也。こは商家の子也。近頃流行の出齒るとは、これにや。女に出齒りて大久保の龜とやらになり、金に出齒りて成金黨となり、政治に出齒りて陣笠連となり、學問に出齒りて衒學先生となり、文學に出齒りて自然派文士となるにや。
 家にかへりて、風船玉の二つは、親戚の子に與へ、あとの三つを三男、長女、四男の三兒に與ふ。上の二兒は既に中學校に通ひ居りて、最早風船玉など欲しがらざれば也。四男忽ち絲をはなして、風船玉空に消ゆ。欲しがりて泣く。三男に向ひて、お前はもう三年生だから、風船玉などは讓つてやれといへば、能く聞きわけて讓る。長女の持てる玉、ひしなぶ。欲しがりて泣聲出す。お前も一年生だからと云ひきかす程に、四男のもてる玉もひしなぶ。親が子を喜ばせむとせしも、子が喜びしも、ほんの僅々二三時の間の事なりき。
(明治四十三年)





底本:「桂月全集 第一卷 美文韻文」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年5月28日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2009年1月13日作成
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