足柄山へとて、天野長川をつれて、新橋より汽車にのりけるが、何十度となく通過せる路なれば、送る水、迎ふる山、最早めづらしくも無し。地圖をひろげて見入りけるに、長川も同じく地圖をひろぐ。その地圖の裏面に細字にて書きならべたるを、何かと手に取りて見れば、足柄山に關する古歌をかき集めたる也。試みに歌合にして見むとて、嗚呼がましくも、自稱判者となる。
右 勝
大江廣房
行末も跡もさながら埋もれて
雲をぞわくる足柄の山
雲をぞわくる足柄の山
左
加藤千蔭
旅人の朝ゆく駒のひづめより
雲たちのぼる足柄の山
左は、さまで旅行の趣味を解せざる人が細工したる歌也。駒の蹄をもち出して、却つて匠氣を見る。右は自然にして大也。幽寂の趣、掬すべし。讀み去つて、おのづから雲中にあるの心地す。雲たちのぼる足柄の山
右
藤原行朝
富士の根を山より上に顧みて
今こえかゝる足柄の山
今こえかゝる足柄の山
左 勝
祝部成茂
足柄の山路の月に峯越えて
明くれば袖に霜ぞのこれる
右は、東海道中數日相親みし富士に別れて、足柄峠を下らむとする情景、げにさもあるべけれど、左の、霜に明月の名殘をとゞめたるが、すが/\しく感ぜらるゝ也。明くれば袖に霜ぞのこれる
右 勝
卜部兼直
しぐれつる雲を外山にわけすてて
雪に越えゆく足柄の關
雪に越えゆく足柄の關
左
前中納言爲相女
足柄の山のあらしの跡とめて
花の雪ふむ竹の下道
花を踏むも、雪を踏むも、風情にさばかりの優劣はなけれど、嵐のあとをさぐるよりは、時雨の雲をわけつる方が、細工の痕なくて、自然の詩趣を得たり。花の雪ふむ竹の下道
右
後鳥羽院
葉をしげみ洩る隙もなし秋の夜の
月おぼろなる足柄の山
月おぼろなる足柄の山
左 勝
法印慶運
足柄の山たちかくす霧の上に
ひとりはれたる富士の白雪
秋月のおぼろに、文字の面白味を寓せるつもりなるべけれど、さばかりの詩趣はあらず。われは、霧の上に霽れたる富士の白雪を眺めむ。ひとりはれたる富士の白雪
右 持
藤原光俊
秋までは富士の高根に見し雪を
わけてぞ越ゆる足柄の關
わけてぞ越ゆる足柄の關
左
從二位頼重
旅衣しぐれてとまる夕暮に
なほ雲こゆる足柄の山
いづれも、小細工と小理窟とよりこねあげたる駄作也。似たりよつたりの愚作也。なほ十數首ありたれど、さまではとて、地圖を長川に返しぬ。なほ雲こゆる足柄の山
山北驛に下る。これより山ふかく入ることなればとて、未だ停車場を出でざるに、早くこゝの名物の鮎鮨を買ひて、
酒匂川をわたる。川に竹の繩をかけわたして、舟を結びつけ、手にて繩を攫みて舟を進むるやうな仕掛にせり。水淀みて、可成り深くして、清く澄む。舟をやるものは、村の少女なるが、紅裙風にひるがへりて、水も亦赤し。雪よりも白き家鴨、三つ四つ、悠々として浮べり。
一溪に沿うて右折し、不動堂の前を過ぎて溪に下り、四五町ゆけば、溪窮まりて、飛流絶壁を走る。高さ二十一丈、幅三間と稱す。さまでの瀑には非ず。夏は納涼に適すべけれど、紅葉だになき十二月の下旬、寒くして久しく居るべからず。不動堂前の常實坊にいたりて休息す。僧曰く、『今見られたるは、一ノ瀧也。なほ上に、二の瀧と三の瀧とあり。いづれも高さは、一ノ瀧の半分もなけれど、瀧のさまは、とり/″\に見處あり。されど、この溪よりは行くべき路なし。右の峯を越えて行かざるべからず』と。導者はなきものにやと云へば、洗濯し居たる老婆を呼びて、村に行かしむ。間もなく歸り來りて、導者はあらずといふに、無ければ仕方なしとあきらめぬ。
『日本名勝地誌』に據れば、足柄上郡には、この洒水瀑を始めとし、大瀑頗る多し。曰く、

郡中第一と稱せられたる尼瀧へとて、あくる日、宿の主人を導者に頼みて、河内川を遡る。凡そ一里、永歳橋のあたりにいたれば、河内川は、わかれて、三筋となる。左なるが
三人とも不知案内なる窮谷の底。路も無し。石をつたひて、まだか/\と、あこがれてゆく。左崖に一瀑あり。長さ十餘丈、これかと問へば、然らざるべしといふ。又十餘丈の瀑あり。これかと云へど、なほ、かぶりふる。このあたり兩崖高くして、しかも、近く相迫りて、物凄きまでに幽峭也。既にして、溪終にきはまれり。一二丈の飛瀑かゝる。されど、その上の方を見れば、右手より、凡そ二十丈ばかりと覺ゆる瀑布奔り下れるが、全體は見えず。之に就かむとすれば、前の小瀧に遮らる。瀧壺へ落ちてもよしと覺悟すれば、攀ぢられさうなれど、十二月の末の寒天、水に落ちては閉口也。先づ寒さしのぎにとて、枯木を集めて火を點ず。火、熾んに起る。この火あらば、萬一、瀧壺へ落ちてもよしとて、身輕にして、攀ぢ上り、漸く全體を見ることを得たり。されど、水量も高さも、やゝ洒水瀑にまされるだけにて、これが足柄の第一の瀑かと、大いに失望しぬ。
火にあたゝまりながら午食して、歸路に就き、箒澤村にいたる。中川右岸の小村落にして、かねて、河内川流域の最奧の人里也。箒澤の大杉とて、このあたりに鳴りとゞろきたる杉の木あり。試みに傍の家より繩をかり來りて、はかりたるに、六抱半ありき。是と竝びて、可成り大なる杉あり。大さは三分の一ぐらゐなれど、高さは、やゝまされり。思ふに親杉の方は數百年間孤立して風雨と鬪ひし爲に、力を主もに根に用ゐて、幹は高くは成れざりしなるべし。子杉の方は、親杉の蔭に生ひたちたるを以て、根よりは、幹に力を注ぐことを得たる也。親杉ある間は、よし。親杉なくなれば、危き也。之を歴史上の人物にあてはむれば、平忠盛は親杉也、清盛は子杉也。清盛はまだ可成り根をはれり。宗盛に至りては、根の小さきひよろ/\杉也。
繩をかりたる家に就いて休息し、主人に向ひて、尼瀧の案外小なることを語れば、『そは下の瀧のみを見給へる也。まだ上に二つ三つあり。されど、他の溪より上りゆかざれば見えず』といふ。げに、この家に立ちよりてよかりき。然らずば、余が見たる下の瀧のみを尼瀑と思ひ込むべかりし也。
この夜、山崎氏を招きて、共に飮む。あくる日は、村役場へ用事ありとて、一里半ばかり共に歩す。
一昨日、たちよりし皆瀬川畔の旅店に午食し、午後二時四十七分山北發の汽車に乘ることと定めけるが、まだ時間あまれり。その間にとて、酒匂川をわたり、内山村の大楠を見る。古祠のうしろにあり。大さ七抱へもあり。千年の風霜を凌ぎたるべし。この大楠、箒澤の大杉、湯觸の一葉松は、足柄山中の三大木といふべし。瀑布見物のかたはら、一見すべき價値あるもの也。
(明治四十二年)