『白川へ至りて甲子の山見ざらむは、甲子の門過ぎて入らざるが如し。甲子の山へ到りて楓葉の景見ざらむは、堂に至りて室に入らざるが如し』とは、白河樂翁公の記せる所也。夏の事とて、その所謂、室には入るを得ざれど、いざ往いて堂に上らむ哉。
一家一族あはせて九人、午後十一時發の汽車にて上野を發し、曉の四時半白河驛に着し、驛前の旅店に朝食し、『馬あるか』と問へば、『前夜より注文せざれば辨ぜず』といふ。『さらば行ける處までは』とて人力車五臺を雇ひて、女連三人と四男の九歳なると荷物とを之に載せ、われは長男、次男、三男、義甥の健男と共に徒歩す。橋なき川もありて、路惡しく、車行、人行よりもおそし。空曇りて、雨、をり/\到る。時鳥數聲鳴く。歌の上にのみ知りて、まだ實際に聞きたることなき妻に知らせばやと思ひて、その車を待ちあはせ、又鳴くかと待てば、生憎鳴かず。鶯の谷渡りの聲、絶えてはまた續く。路傍に二三軒の家を見るのみにて、一望唯

油紙背にかぶりてとぼ/\と
雨に山ゆくをさな兒あはれ
男女老若入りまじりての歩行に、路は捗らず。相逢ふ馬はみな牝馬にて、いづれも子馬をつれたり。子馬をり/\立とまりて、母馬の乳を飮むさま、いと可憐也。四男特に笑ひ興ず。その笑ひ興ずるを見て、われは更に又笑ひ興ぜざるを得ざりき。雨に山ゆくをさな兒あはれ
子をつれて我も越えゆく山道に
子をつれてくる馬もありけり
山路とは云へど、野の名殘を留めて、傾斜は急ならず。少し上るかと思へば、また平地あり。幾棟のトタン屋根の大なる馬小屋を左方數町の外に見る。このあたり一面、軍馬補充部白河支部の牧場に屬す。路平らかなるかと思へば、また上る。渇を覺ゆる頃、少しばかりの平地ありて、一株の老松の下に、清水湧く。こゝを高清水と稱す。霽るゝ日は、白河の市街が見渡さると聞く[#「聞く」はママ]子をつれてくる馬もありけり
鳥居平を經て馬立に至る。折口より三里也。唯

『もうすぐ/\』と弱れる女子供を勵ましつゝ、午後五時に至りて、甲子温泉に達す。温泉宿は唯


峯巒四面欝崔嵬。一道溪流排レ霧來。更想晩秋霜葉際。勝花亭上獨銜レ杯。
甲子温泉に二十日あまり滯留しけるが、湯治は余の目的に非ず。都會に棲めるものは出でて山海に接せざるべからずとは、余が平生の持論也。この數年間、夏は一家擧つて海に親めり。今年は山に親まむとする也。
をさな兒を綱に曳きつゝ山岨の
上り下りを日課とはする
奧州に名高き阿武隈川の水源にして、支溪も少なからず。世に甲子八十八瀧の稱あり。樂翁公の口眞似すれば、甲子の楓葉見て甲子の瀧見ざるは、堂に上りて未だ室に入らざるが如しとも云ふべきかとて、白河風士記に據り、宿の人々に聞きたゞして、あまねく甲子の瀧を探りぬ。温泉の在る處は、白水川の阿武隈本溪に合する處也。その白水川にも瀧多し。その中にて見るに足るものを擧ぐれば、先づ近く白水瀧あり。その上に向瀧あり。その上に衣紋瀧あり。その上に夫婦瀧あり。路は白水と衣紋とに通ずるのみにて、他には通ぜず。いづれも二三丈内外の高さありて、水の分量も少なからざるが、向瀧最も小に最も要領を得て可憐也。上り下りを日課とはする
一日導者を雇ひ、一家擧つて阿武隈の本溪を遡る。期せずして、一人の女學生と三人の湯治客と來り加はり、『旅は路伴れ』の感、殊に深し。宿に飼へる牡牝二匹の中の牡犬も來り加はれり。凡そ十町ばかりにして、路盡く。溪流を右に渡り、左に渡り、僵木を踏み、絶壁を攀ぢ、木の根に縋り、熊笹を分けなどして、たどりゆく。弱き女子供は恐る/\靜に歩み、危き場所は人に扶けらるゝを以て、却つて怪我せざるが、路伴となれる三客の中の二客は、身體矯捷、嶮路を輕視す。一客先づ溪中に落ちて、衣服悉く霑ふ。他の一客も落つ。余も一度轉びぬ。
あなあぶな妻兒如何にと氣遣へば
我身却つて足を失ふ
三面絶壁となりて、阿武隈本溪の水、正面の絶壁を奔飛す。高さ六七丈、幅二間ばかりに見ゆ。瀧壺は數十坪、瀧の割合に大にして且つ深く、紺碧の色濃くして、其の底を見ず。これ大熊の雌瀧也。白水の諸瀑を見來りて、この瀧に對すれば、頓に目覺むる心地す。前後左右を見渡して、これより上へは登るに路なきかと思はるゝに、導者かる/″\と右壁を攀ぢ上る。女子供の手を曳きて、一同これに尾し、雌瀧の落口の上にいたれば、正面數町の外に大瀧を見る。これ大熊の雄瀧也 [#「雄瀧也 」はママ]たら/\下りて、瀑底に就く。雌瀑を見來りて、この雄瀧に對すれば、更にまた目覺むる心地す。瀧壺の大さはほゞ相同じ。幅は劣れるが、高さに於いて、雌瀧に三倍す。瀧壺の外に、餘地もあり。雌瀧にては、天地唯我身却つて足を失ふ

大熊の雄瀧のさまに比ぶれば
雌瀧はやはり雌瀧なりけり
數坪の平地に休息するより早く、先づ枯木を集めて火を焚き、一同携へたる握飯を食ひ、犬にも分てり。歸路につきて、路ある處まで來りしが、一里瀧を見むとて、溪流を下ること一町ばかり、左に轉ずれば、二三丈の飛瀑あり。その右肩を攀ぢ上りて、行くこと數町、更に右手より流れ落つる小溪流に沿うて上ること二三百歩にして達す。水の分量は極めて少なけれども、上下二段に分れ、二段の距離遠く、且つ瀧の外は樹木に蔽ひつくされて、上下二瀑をあはせ見れば、如何にも高く、又如何にも深く、世にも幽玄の趣を極む。雌瀧はやはり雌瀧なりけり
御空より落つるとばかり思はれて
仰ぐも高き一里瀧かな
甲子の瀧見は、努力を要す。されど、犬の行ける路なれば、さまでの嶮にも非ず。唯仰ぐも高き一里瀧かな

なほ雌瀧の下の方を左折すれば、素麺瀧あり。雄瀧の上にも幾多の小瀑ありて、終に巨巖の中腹より飛泉迸り出づる處に至りて、溪盡く。これ阿武隈川の本源なりとの事也。
温泉場裡の[#「 温泉場裡の」はママ]人氣純樸にして、よろづ原始的なるは、余の大いに喜べる所也。唯

下界より酒樽のせて今日や來る
明日やと馬の待たれぬる哉
那須山の名は中央に噴火しつゝある茶臼嶽に代表せらるゝが、大別すれば、南の南月山、中央の茶臼嶽、北の三本槍嶽より成る。その餘脈北に曳きて、旭嶽隆起し、なほ連なりて甲子山を經て、大白森一帶の連山となる。大白森一帶の連山の中には、小白森あり、鎌房山あり、二股山あり。平らなる白河布引山もあり。白河より甲子へ行く途中、南は南月山、北は白布引山までの間の連山を望む。峰形複雜にして裾野の偉大なること、實に天下の壯觀也。甲子山はこの連峰中、布引山を除くの外の最も低き處にて、磐城の南部より岩代の南部に通ずる路に當る。山と云ふよりも寧ろ峠といふべし。山にしても旭嶽の支峰也。旭嶽は阿武隈水源の盟主たるの觀あり。こゝに又樂翁公の口眞似すれば、甲子の瀧を見て旭嶽に登らざるは、堂に上りて室に入らざるが如きかとて、女と幼兒とは殘し、別に導者を雇ひて、午前二時半宿を出づ。明日やと馬の待たれぬる哉
提燈の光たよりてのぼる哉
旭の嶽に旭見るとて
阿武隈本溪と白水川との間の温泉山を攀づ。僅か十數町の程なるに、路は四十八折す。上り果つれば、路は平らかにして、甲子山に達す。午前四時、路と分れて、路なき甲子山を攀ぢむとす。『待て暫し、こゝにても旭日の上るを見るを得む』とて、火を焚いて休息す。一里瀧の上とおぼしきあたりに、一鳥啼く。『何か』と導者に問へば、『桃花鳥にて、朝早く啼く鳥也』といふ。空漸く白みて、始めて鶯の啼き始むるを聞く。ます/\白みて、雲一面に大地を蔽ひつくせるを見る。その雲の東方の空をも蔽へるに、紅色天に潮したるだけにて、いつしか旭は出でたるさま也。旭日の本體を見るを得ざるに、一同失望す。旭の嶽に旭見るとて
五時十分に至りて、甲子山を攀づ。二十分にして頂上に達し、二三の小凸起を經て、南に下る。凡そ一坪ばかり、草剥げて土露はるゝ處あり。導者先づ認めて、『熊の足跡あり』といふ。見れば、なるほど、犬や鹿よりは大なる足跡也。導者曰へり、『野獸にてこの山に棲めるは、唯

大木の林の中に入る。路無けれど、歩み難からず。導者處々樹皮を切りて、目印として進む。大木盡きて小木となれば、枝條横斜相重なりて、身を投ずる能はず。導者鉈にて一々切りて路を通ず。
木を切りて路を開きてゆく山の
七八町に小半日かな
旭嶽の東側に坊主沼を認むるまでは、曇りながらも、展望利きたりしが、坊主沼忽ち隱るゝと見る程もなく、天地全く濃霧につゝまれたり。唯七八町に小半日かな

歸路、藤田虎太郎氏等、白河青年の一團の上り來るに逢ふ。『雨の登山大儀なり』と云へば、『路を開かれたるおかげにて登り易し』といふ。本年湯治客にして旭嶽に登りたるは、余等一行に始まる。知らず、藤田氏一行の後、また登る勇者ありや否や。
旭嶽は海拔六千餘尺、甲子温泉は三千尺に達す。尋常の燕ならで、岩燕軒端に土巣を構ふること數十百の多きに及ぶ。雛巣中に在り。その顏を出して、親鳥の餌をくはへ來るを待つさまを見て、子供は珍らしがりしが、それも厭きたり。食事には牝牡二匹の犬必ず來り候す。子供はそれに食を別つことを慰みにせしが、それも厭きたり。温泉に浴することも、植物を採集することも、岩魚を釣ることも、すべてみな厭きたり。さらば歸らむ哉。
牝牡二匹の中、牝犬最も食を貪る。歸る時、それと知りて、牝犬のみ尾し來る。馬立の小屋に小憩し、菓子を買ひて與へ、出立すると同時に、手を振つてこれを追ふ。また尾し來る。又追ふ。斯くすること數時、見返り/\名殘惜しげに、ひとり溪山の中をもどりゆく。
一里來て追ひて漸く別れけり
二十日なれにし湯の宿の犬
二十日なれにし湯の宿の犬
(大正七年)