沖の小島

大町桂月




箱根路を我が越えくれば伊豆の海や
  沖の小島に浪の寄る見ゆ
とは、鎌倉右大臣の作として有名なるが、二所參詣の時、箱根權現を經て伊豆山權現に詣づる途中にて詠みたるものなるべし。沖の小島とは初島の事なり。當年箱根より伊豆山へ下るには、蘆ノ湖の東南端より鞍掛山に上り、峯づたひに十國峠を經たるべしと思はる。七百年後の今日、裸男この路を經過するに、白浪依然として沖の小島に寄る。伊豆山の浴舍に投ずれば、沖の小島近く窓に當りて、裸男を招かむとするに似たり。十七年の昔、伊豆山より舟を雇ひて之に赴かむとせしに、『浪荒し』とて應ぜず。その後、伊豆山に遊ぶ毎に、必ず舟を雇はむとせしが、いつも天候惡しくして、其の意を得ざりき。大正二年の秋、また伊豆山に遊び、舟を雇はむとせしに、『今日は不可なり。二三日待たれよ』といふ。げに待てば海路の日和とかや。眼は覺めたれど、猶ほ蓐中に在り。煙草を喫しながら、玻璃窓を通して海上に昇る朝日を眺めしに、圖らずも、『今日は天候よし、舟を出さむ』と、女中來り報ず。嬉しや十七年の宿志、今日始めて達す。傍らに臥せる長男を呼び起せば、手を拍つて喜び勇む。旅は路伴とて、同行者を募らしむるに、應ずる者なし。他の宿屋に求めしむるも無し。『番頭の中、誰か行かずや』と誘へど、『いづれも都合惡し』といふ。さらばとて朝食を終へ、親子だけにて舟に上らむとせしに、『同伴を許されよ』とて、女中來たる。女は多く舟に醉ふを以て、遠慮して誘はざりき。『舟に醉はぬか』と問へば、『醉はず』といふ。さらばとて伴ひしが、果してその言の如く、往復とも少しも醉はざりき。
 漁夫四人にて漕ぐ。秋の空霽れて波靜かなり。靜かなれども、大海の事なれば、波のうねりあり。舟は前後に大いに動き、左右に少し動く。左に相模の大山見えそむるかと思へば、右にも天城山見えそむ。天城の傾斜中に、富士形に突起するもの二つあり。大なるを大室山といひ、小なるを小室山といふ。『富士山/\』と長男の叫ぶに、顧みれば、富士の尖端、日金山の上に露はる。舟進むに從ひて益※(二の字点、1-2-22)露はる。箱根の主峯なる神山は、霧に封ぜられ、その支峰なる聖山、鍛冶屋山より岩戸山、日金山、弦卷山、玄嶽、小川澤山は順次南に連なりて、恰も屏風を立つるが如く、その裾に伊豆山、熱海、網代、伊東等の市街散在す。畑層々高く、山の半腹以上にも及ぶ處あり。左には眞鶴崎突出し、右には黒吹崎突出す。三浦半島や、總房半島や[#「總房半島や」はママ]、大島は、霧に隱れて見えず。風起りければ、帆を擧ぐ。黒き鳥の浮べるあり。『鵜か』と問へば、『眞鳥なり』といふ。その飛ぶを見るに、羽の裏白く、腹も白し。その眞鳥の、左の方遠く海上に群れるを漁夫指して、『鰹か鮪かが押寄せたるなり』といふ。『鰹や鮪と眞島とは如何んか關係ある』と問へば、『眞鳥は鰹や鮪の爲に食を得るなり。鰯を食とするものなるが、其の水中にあるは食ふに由なし。鰹鮪來りて鰯の群を襲へば、鰯驚いて水上に浮ぶ。眞鳥はその浮びたる鰯を食ふ。今彼處に群れるは、鰯が下なる鰹鮪と、上なる眞鳥との包圍攻撃に遭へるなり』といふ。憐むべし、鰯は弱き魚と書く。弱き者は禍なる哉。
 初島の緑色益※(二の字点、1-2-22)鮮かになりぬ。一簇の人家も見えそむる頃、風強くなり、海一面に波の花を生じ、船の動搖も甚しくなれりと思ふ間もなく、島に著きて島司の家に休息す。初島に遊ぶ者の例として菓子を多く用意して行き、群り來たる小兒に與ふ。初は五六人來りしが、やがて増して數十人となる。幼兒の幼兒を負へるもあれば、老女の幼女を負へるもあり。先を爭うて手を出す。轉んで泣くもあり、菓子を得ずして泣くもあり。分ち盡したる後に來りて、失望して去るもあり。可笑しくもあれば、憐れにもあり。持ち行きたる酒は、漁夫に分ち、なほ不足なれば、『酒なきか』と問ふに、『昨日祭禮ありて、酒を飮み盡したり』といふ。さらばとて、午食して島内を散歩す。
 人家は島の北方、稍※(二の字点、1-2-22)低き處に簇れり。その數四十、古來制を立てて之より上は増さず。外に神社一つ寺一つ小學校一つあり。この島東西八町、南北四町と稱す。海面より高きこと二三十丈もあるべし。人家のある處を除きては悉く畑なり。周圍に樹木あり。區域にも竝木あり。路は低く、畑は石垣の上に稍※(二の字点、1-2-22)高し。畑の面積は十七町に過ぎざれど、芋、麥、黍の三作を得て、島民は農のみにて生活するに餘りあり。魚來れば、法螺の貝を吹きて之を報じ、一島擧つて船に赴く。海上にて獲たる物は、家毎に等分し、耕作は家々之を別にす。農は個人的にして、漁は社會的なり。社會的の中に個人的あり、個人的の中に社會的あり。耕作物の外、桃あり、椿あり。椿は取りて油を製す。水仙も多し、その花大にして美なりとて有名なり。盜賊あらざれば、夜、雨戸を締むることなし。島内に物賣る家なし。子供等の遊客の菓子を珍らしがるも、尤もなる次第なり。井戸は二つあり。試みに之を掬せしに、清冽にして、少しも鹽氣を帶びず。小學校はコスモスの花に圍まれたり。校長に逢はば面白き話もあらむと思ひたれど、授業中なりければ、立寄らざりき。人家の間、路縱横に通じ、石を敷けり。ぐう/\の鳴聲にて豚を飼へるを知り、こゝにも豚あるかと、一つの小屋を覗けば牛なりき、島司の家だけは、衡門あり、白き土藏もあり。客室の※(「木+眉」、第3水準1-85-86)間には、『天樂』の額を掲げ、床の間には、『化而裁之存變、推而行之存通』の一軸を掛く。いづれも中村敬宇翁の書也。
 この島より伊豆山、熱海、伊東へは、いづれも三里、網代へは最も近くして二里あり。往きには、二時間と二十分かゝり、歸りには今少し多くかゝりぬ。伊豆山を出づる時、船中に蠅數十匹居りしが、歸る時にも、ほゞ同じ數なり。島に移住せしものは無かりしと見ゆ。中央と覺しき處にて、二度までも、小さき黄色の蝶の、船を掠めて飛び行くを見たり。何處に何を求めむとすらむ、その健氣なるに驚かざるを得ざりき。
(大正五年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:雪森
2019年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード