裸男が十口坊と共に、梅を久地に探りし時も、山神附纏ひたれば、壬生忠岑の子となりたりき。又裸男が夜光命と共に、梅を江東に探りし時も、山神が附纏ひたれば、矢張壬生忠岑の子となりたりき。忠岑の子は忠見、即ち唯

愛でましし梅の花をば探る身に
歌よましめよ菅原の神
裸男承諾して、午後より共に家を出で、大塚仲町より電車に乘り、廐橋を渡りて、外手町に下り、押上町行きの電車に乘換へむとせしが、雨大いに至る。二人とも傘を持たず。雨に濡れての梅見でもあるまじと斷念して、下るより早く、乘りて引返す。停留場を二つ過ぐる程に、日照る。さらばとて、三つ目の停留場に下り、又乘りて、外手町に達す。我ながら周章てたる男哉。さりながら、多年風雨に鍛へし旅行家の身、我れ一人ならば、如何に老いたりとて、このやうな風雨に弱ることは無けれども、鼻の下の人竝より長きが、裸男の一大缺點、唯歌よましめよ菅原の神

改札口を經て停車場を出づるは、甚しき迂路なるを以て、別に出口を設けたり。切符を驛夫に渡して直ちに柵外に出づ。雨少しくこぼれ來たる。例の鼻下長の裸男、山神をいたはりて、『この寒きに、御苦勞千萬なり』と云へば、『聞かせ給へ』とて、
雨まじり身を切るごとき寒風も
物の數かは二人し行けば
『宇田川』と染め拔ける印半纏著たる男、後よりすた/\歩み來り、『梅園に行かるゝか』と問ふ。『然り』と答ふれば、『之を持たせ給へ』とて、肩にせる二本の傘の一つを山神に渡して、またすた/\早足に行く。山神その傘をさすより早く、雨は止みて、傘が却つて手荷物となりたり。物の數かは二人し行けば
停車場より僅々三町ばかりにして、梅園に達す。園の名を古梅園と稱す。字は大房にて、越ヶ谷町に屬す。掛茶屋四つ五つありて、頻りに客を呼べども、傘を借りたる義理あれば、『宇田川』といふ掛茶屋に就く。ほんの申譯ばかりの垣根が一方にあるだけにて、淨光寺といふ寺に連なり、田に連なり、畑に連なる。天の浮橋とて、老木の一幹は立ち、他の一幹は横になりて、瓢箪池の中央に自然の橋を爲し、彼方にて起つ。可成り大なる老木もありて、花は今を盛りと咲き滿ちたり。されど遊客は、我等夫婦の外には、唯

梅の花にほひ零るゝこの里を
鶯ならで訪ふ人の無き
梅の花は此の園内のみに非ず。傘を貸して呉れたる印半纏の男に導かれて行くに、梅また梅、家あれば必ず梅ありて、その盡くる所を知らず。山神咏じて曰く、鶯ならで訪ふ人の無き
わけ行けば奧より奧に奧ありて
果てしも見えぬ梅の花園
『雲龍』と稱する老木、一茅屋の前に在り。一幹は横はり、一幹は立ちて、枝を垂る。導者曰く、『去年多く實を結びたれば、今年は木弱つて花多からず』と。それでも可成りの花あり。實に見事なる大木也。榜して曰く、『祖先が植ゑたるものにて、今日まで既に十數代を經たり』と。數百年外のもの也。畑の中に、『日の出梅』と稱する梅あり。幹はさまで大ならざれども、枝を四方八方に張ること、恰も孔雀の尾を擴げたるが如く、花も枝に滿ちて、世にも珍らしき梅也。廻り廻りて『宇田川』にもどる。導者曰く、『この村の梅を悉く精しく見むには、一日を要す』と。この村には、桃林もあり。『梅と桃と、いづれが利益多きか』と問へば、『梅なり』といふ。梅干一つ頬張りながら、茶を飮みて去る。果てしも見えぬ梅の花園
越ヶ谷驛に來り、一汽車後らして、大相模村の不動に詣づることにしけるが、歩きては間に合はず、早く/\とて入力車に乘る。街を離るれば、路、元荒川に沿ふ。凡そ二十四五町、堤を右に下りて境内に入る。恰も縁日にて、近郷の男女老若群集して、廣き境内を埋む。新婚の女なるべし、若き女の晴衣著飾りて、老女に伴はるゝものを、二三人見受く。いづれも五枚襲ねなり。東京には見ざる所なりとて、山神目をまるくして見入る。見世物も三つ四つあり。
本堂は十五六年前に燒けて、今在るは假りの粗末なるもの也。山門は燒けずして殘れり。山門を出でむとする右手に、梅園あり。十善梅といふは、幹の廻り一丈三尺、關東第一の梅の大木と稱す。其他みな老木にて、恰も老梅共進會の觀あり。いづれも寄附に係る。幹の上部や大枝をちよん切りたるは、移植上已むを得ざるものと見えたり。梅園の中に、十間四方の藤棚あり。梅園と本堂との間に、高さ僅に一丈三尺、而して東西十一間南北十六間にひろがれる老松もあり。幹の廻り一丈にて、十善梅より稍

幾千代の雪を凌ぎて梅の花
我大君の御世にあらはる
車を返して久伊豆神社に詣づ。松の竝木長く、池畔の藤棚偉大也。停車場近くまで戻りて、山正園を訪ふ。杉の竝木あり、小亭あり、池あり。圓錐丘の上に淺間祠あり。丘の中程より老松横になり、倒れむとして漸く柱に支へらる。もと淺間御社の境内なりしが、原鐵運送店の主人買收して公開せるなりとは、殊勝なる事也。我大君の御世にあらはる
停車場に來りしに、まだ時間あり。何かみやげをとて、物賣る家を見廻したれども、これはと思ふものなし。幼兒がマツチ箱のペーパーを集め居ることを思ひ浮べて、まだ所持して居らざるペーパーをやつと一つ探し出して、たつた一箱だけ買ふ。其の價五厘、年とりたる主人、『この頃は物價騰貴で、マツチの價まで昂りて御氣毒さま』といふ。これが此日のみやげ也。裸男、山神に謎をかけて曰く、『吝嗇坊の遊山とかけて何と解く』『分りません』、『斬髮屋』『心は』『きりつむ』。『車だけが惜しいことをしましたね。』
(大正五年)