越ヶ谷の半日

大町桂月




裸男が十口坊と共に、梅を久地に探りし時も、山神附纏ひたれば、壬生忠岑の子となりたりき。又裸男が夜光命と共に、梅を江東に探りし時も、山神が附纏ひたれば、矢張壬生忠岑の子となりたりき。忠岑の子は忠見、即ち唯※(二の字点、1-2-22)見るだけといふ苦しい洒落也。飮みもせず、食ひもせざる也。薩摩守だけの罪は無けれども、『酒なくて何の己れが櫻かな』と云へり、いつも/\山神に附纏はれては閉口と、裸男一人にて、越ヶ谷方面の梅を探らむとすれば、山神同行を乞ふ。『梅を見て、歌を詠み得るならば、伴れて行かむ』と云へば、『梅を見るまでも無し。只今直ぐに咏み申さむ』とて、
愛でましし梅の花をば探る身に
  歌よましめよ菅原の神
 裸男承諾して、午後より共に家を出で、大塚仲町より電車に乘り、廐橋を渡りて、外手町に下り、押上町行きの電車に乘換へむとせしが、雨大いに至る。二人とも傘を持たず。雨に濡れての梅見でもあるまじと斷念して、下るより早く、乘りて引返す。停留場を二つ過ぐる程に、日照る。さらばとて、三つ目の停留場に下り、又乘りて、外手町に達す。我ながら周章てたる男哉。さりながら、多年風雨に鍛へし旅行家の身、我れ一人ならば、如何に老いたりとて、このやうな風雨に弱ることは無けれども、鼻の下の人竝より長きが、裸男の一大缺點、唯※(二の字点、1-2-22)一つしか無き晴衣を著たる山神を氣の毒に思ひての仕業に外ならずと、分疏するだけが野暮にて、馬鹿の上塗なるべし。外手町にて乘換へて、業平橋に下り、小梅橋を渡りて、淺草驛より東武線の汽車に乘り、五十分かゝりて越ヶ谷驛に下る。平日は下等の賃金片路二十七錢なるが、梅の爲に、大割引となりて、往復の賃金三十錢也。
 改札口を經て停車場を出づるは、甚しき迂路なるを以て、別に出口を設けたり。切符を驛夫に渡して直ちに柵外に出づ。雨少しくこぼれ來たる。例の鼻下長の裸男、山神をいたはりて、『この寒きに、御苦勞千萬なり』と云へば、『聞かせ給へ』とて、
雨まじり身を切るごとき寒風も
  物の數かは二人し行けば
『宇田川』と染め拔ける印半纏著たる男、後よりすた/\歩み來り、『梅園に行かるゝか』と問ふ。『然り』と答ふれば、『之を持たせ給へ』とて、肩にせる二本の傘の一つを山神に渡して、またすた/\早足に行く。山神その傘をさすより早く、雨は止みて、傘が却つて手荷物となりたり。
 停車場より僅々三町ばかりにして、梅園に達す。園の名を古梅園と稱す。字は大房にて、越ヶ谷町に屬す。掛茶屋四つ五つありて、頻りに客を呼べども、傘を借りたる義理あれば、『宇田川』といふ掛茶屋に就く。ほんの申譯ばかりの垣根が一方にあるだけにて、淨光寺といふ寺に連なり、田に連なり、畑に連なる。天の浮橋とて、老木の一幹は立ち、他の一幹は横になりて、瓢箪池の中央に自然の橋を爲し、彼方にて起つ。可成り大なる老木もありて、花は今を盛りと咲き滿ちたり。されど遊客は、我等夫婦の外には、唯※(二の字点、1-2-22)一組の男女あるのみ。茶店はいづれも失望せるさま也。山神咏じて曰く、
梅の花にほひ零るゝこの里を
  鶯ならで訪ふ人の無き
 梅の花は此の園内のみに非ず。傘を貸して呉れたる印半纏の男に導かれて行くに、梅また梅、家あれば必ず梅ありて、その盡くる所を知らず。山神咏じて曰く、
わけ行けば奧より奧に奧ありて
  果てしも見えぬ梅の花園
『雲龍』と稱する老木、一茅屋の前に在り。一幹は横はり、一幹は立ちて、枝を垂る。導者曰く、『去年多く實を結びたれば、今年は木弱つて花多からず』と。それでも可成りの花あり。實に見事なる大木也。榜して曰く、『祖先が植ゑたるものにて、今日まで既に十數代を經たり』と。數百年外のもの也。畑の中に、『日の出梅』と稱する梅あり。幹はさまで大ならざれども、枝を四方八方に張ること、恰も孔雀の尾を擴げたるが如く、花も枝に滿ちて、世にも珍らしき梅也。廻り廻りて『宇田川』にもどる。導者曰く、『この村の梅を悉く精しく見むには、一日を要す』と。この村には、桃林もあり。『梅と桃と、いづれが利益多きか』と問へば、『梅なり』といふ。梅干一つ頬張りながら、茶を飮みて去る。
 越ヶ谷驛に來り、一汽車後らして、大相模村の不動に詣づることにしけるが、歩きては間に合はず、早く/\とて入力車に乘る。街を離るれば、路、元荒川に沿ふ。凡そ二十四五町、堤を右に下りて境内に入る。恰も縁日にて、近郷の男女老若群集して、廣き境内を埋む。新婚の女なるべし、若き女の晴衣著飾りて、老女に伴はるゝものを、二三人見受く。いづれも五枚襲ねなり。東京には見ざる所なりとて、山神目をまるくして見入る。見世物も三つ四つあり。
 本堂は十五六年前に燒けて、今在るは假りの粗末なるもの也。山門は燒けずして殘れり。山門を出でむとする右手に、梅園あり。十善梅といふは、幹の廻り一丈三尺、關東第一の梅の大木と稱す。其他みな老木にて、恰も老梅共進會の觀あり。いづれも寄附に係る。幹の上部や大枝をちよん切りたるは、移植上已むを得ざるものと見えたり。梅園の中に、十間四方の藤棚あり。梅園と本堂との間に、高さ僅に一丈三尺、而して東西十一間南北十六間にひろがれる老松もあり。幹の廻り一丈にて、十善梅より稍※(二の字点、1-2-22)小なる四恩梅は、今上陛下御即位大典の記念に植ゑたるものなりと記せるに、裸男一首うなり出して曰く、
幾千代の雪を凌ぎて梅の花
  我大君の御世にあらはる
 車を返して久伊豆神社に詣づ。松の竝木長く、池畔の藤棚偉大也。停車場近くまで戻りて、山正園を訪ふ。杉の竝木あり、小亭あり、池あり。圓錐丘の上に淺間祠あり。丘の中程より老松横になり、倒れむとして漸く柱に支へらる。もと淺間御社の境内なりしが、原鐵運送店の主人買收して公開せるなりとは、殊勝なる事也。
 停車場に來りしに、まだ時間あり。何かみやげをとて、物賣る家を見廻したれども、これはと思ふものなし。幼兒がマツチ箱のペーパーを集め居ることを思ひ浮べて、まだ所持して居らざるペーパーをやつと一つ探し出して、たつた一箱だけ買ふ。其の價五厘、年とりたる主人、『この頃は物價騰貴で、マツチの價まで昂りて御氣毒さま』といふ。これが此日のみやげ也。裸男、山神に謎をかけて曰く、『吝嗇坊の遊山とかけて何と解く』『分りません』、『斬髮屋』『心は』『きりつむ』。『車だけが惜しいことをしましたね。』
(大正五年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:雪森
2020年5月27日作成
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