鹽原新七不思議

大町桂月





夜光命、十口坊、打揃ひて裸男を訪ひ、『鹽原温泉に遊ばずや』といふ。『鹽原は幾度も遊びたる處也。唯※(二の字点、1-2-22)未だ鹽原の紅葉を見ず。紅葉の時節なら、否應は云はねど、今はその時節に非ず。又避暑の時節にも早し』と首打傾くれば、『我等兩人未だ鹽原を知らず。枉げて東道の主人となり給はずや』といふ。斯く押強く言ふ以上は、必ず懷が暖かなるべしとは思ひたれど、『例の軍用金』はと念を押せば、夜光命微笑して、『そは我れに成算あり』といふ。さらばとて、三人打揃うて、上野驛より汽車に乘る。裸男、二人に向ひ、『鹽原には七不思議あり。公等之を知れりや』と問へば、『知らず』といふ。曰く逆杉、曰く一夜竹、曰く冬蓼、曰く冬桃、曰く夫婦鳥、曰く片葉ノ蘆、曰く精進川、これ鹽原の所謂七不思議なり』と説明す。裸男更に語を改め、『この行にも七不思議が出來さう也。先づ夜光命が大金を懷にして、我等を旅に誘ふといふことは、これ迄に例の無きことにて、不思議に非ずや。これを新七不思議の第一と爲さむ』と云へば、二人笑つて頷く。


西那須野驛に下りて、大和屋に午食し、三里の那須野を輕便鐵道にて過ぐ。『前の左手に高きは高原山、鹽原はその右の方の山間に在り。右に高くして烟を吐けるは那須山、後ろに最も高きは八溝山、こゝは三島村、これは三島子爵の別邸、あれは三島神社、この櫻樹の多く連なるを見よ。當年の偉人三島通庸、那須野に新道を通じ、那須野を開墾し、其姓は村の名となり、神にさへ祀らる。あの岡が烏ヶ森、那須野を知らむとせば、是非とも烏ヶ森に上らざるべからず。烏ヶ森の彼方には、雲照律師を葬れる雲照寺あり。扨又あれは大山公の別莊、又あれは松方侯の別莊』と、裸男知つた振して、のべつに饒舌る。『乃木大將の別莊は何處ぞ』と、夜光命に問はれて、『それは知らず』と頭を掻く。
 關谷にて輕便鐵道を下り、馬車や人力車を間却して、福渡戸まで凡そ二里の路を徒歩す。裸男相變らず、知つた振して説明す。『この脚下の清流が箒川、これが囘顧橋、この下方に大瀑あり。そら、こゝから囘顧して見給へ、大瀑見ゆ。囘顧して始めて見ゆる瀑なれば、囘顧橋と名づけたり。こゝは大網温泉なるが、紳士の湯治には適せず。この隧道は白雲洞。龍化瀑は、この右方の奧に在り。これは材木岩、あれは五色岩、この一と構へは御用邸、この一簇の人家が福渡戸温泉』と饒舌りながら歩きしに、和泉屋の人々出迎へ、『大和屋より電話かゝれり。いざこちらへ』とて、第一等の客室に請ず。蓬頭粗服の三人、旅に優待せられたる例しなきこととて、互に顏見合せて、これは/\と打驚く。『宮樣の止宿あらせらるゝ室なり』と、女中の説明を聞いて、益※(二の字点、1-2-22)驚く。裸男二人に向ひ、『我等が宿屋に優待せらるゝといふことは、不思議に非ずや。これを新不思議の第二となさむ』と云へば、二人頷く。


一浴したるが、日暮るゝには、まだ程あり。出でて天狗巖の高きを賞め、蒲生氏郷が野立したりと傅ふる野立石の大なるを賞め、三島通庸の碑を見、高尾の碑を見、七ツ岩を見て、それより引返して杯を擧ぐ。十口坊、先日風呂屋にて卒倒したりとて、一滴も口にせず。矢張り人並に命が惜しきものと見えたり。裸男二人に向ひ、『十口坊が酒飮まぬといふことは、これまでに例の無きこと也。これを新七不思議の第三となさむ』と云へば、二人頷く。裸男口吟して曰く、
名にし負ふ箒川べにゆあみして
  こゝろの塵も拂はれにけり
『箒の縁語にて、塵を拂ふと云ひたるは、氣が利きたるやうにて幼穉なり』と、夜光命冷かす。裸男さらばとて、
醉倚欄干意氣豪。奔流噴雪萬雷號。一聲杜宇不處。天狗巖頭北斗高。
『調子古し。萬雷と云ひ、杜宇と云ひ、聲が多過ぎる』と、夜光命また冷かす。裸男、さらば又と氣張りしが、一句も浮かばずして、そのまゝ眠る。


明くれば、雨の降りさうな天氣也。雨具を用意して出で、箒川の左岸を上る。鹽釜を過ぎて、畑下戸温泉を路の左右に見る。『當年「金色夜叉」を草せし尾崎紅葉の宿りしは、こゝの温泉なり』と、裸男例の知つた風の事をいふ。門前温泉を通り蓬莱橋を渡りて箒川と別れ、古町温泉を經て、行くこと凡そ十町、左折して八幡宮に詣づ。祠前に偉大なる杉二本相接して立つ。一はやゝ大にして、一はやゝ小也。大なる方を測りしに、凡そ五抱へありき。『見よ、枝みな下垂す。依つて逆杉と稱す。即ち鹽原七不思議の一なり』と、裸男説明すれば、『これは別に何も不思議には非ず。我等の新七不思議の方が、ずつと不思議なり』と十口坊いふ。しばし休息して引返す。『おい/\十口坊、新七不思議とは云ふものの、まだやつと三つだけに非ずや』と云ふ折しも、十口坊は手に持ちたる蝙蝠傘をぱツと開きて、さしかざす。蝙蝠傘をさしたればとて、何も不思議は無けれど、色黒々と鬼を欺く十口坊、南海苦熱の濱に長じて、上京するまでは帽子を被りたることも無き荒男、平生蝙蝠傘などさしたることなし。さゝぬといふよりも、持たぬといふ方が當れるかも知れず。その平生を知れる我等より見れば、所持するといふことが、既に不思議也。さまで暑くもなきに、之をさすに至つては、益※(二の字点、1-2-22)不思議ならずんばあらず。之を新七不思議の第四となさむ。


源三窟に立寄る。窟の案内を乞へば、白衣と著替へさせて後、導者蝋燭を點じて、先に立ちてゆく。地、呀然として口を開き、洞は横に通ず。入口は高さ一丈六尺、幅二丈八尺と稱するが、少し進めば、狹くして、竝行する能はず。直立することも出來ざる處あり。誤つて頭を天井に打付けて、痛や/\。のそり/\行くこと數十間、行きつまりて引返す。鐘乳石の洞にて、洞内の天井と左右とは、種々さま/″\の奇形を成す。傳ふる所に據れば、源三位頼政の嫡孫、伊豆冠者有綱、逃れてこの地に來り、鹽原家忠に依りけるが、鎌倉勢に押寄せられ、敗れてこの窟に隱れて身を全うしたりとの事也。又傅ふる所に據れば、洞の長さ八町、最奧に有綱の祠あり、いろ/\の武具もありたるが、萬治年間、地震の爲に、洞の内崩れて、數十間よりさきは塞がれりとの事也。
 午食は、鹽の湯温泉と定めて、門前に來たる。裸男左の方を指して夜光命に向ひ、『この奧に妙雲寺あり。平重盛の姨なる妙雲尼、この地に來り潜みて、この寺を開けり。其墓もあり。本尊釋迦如來は、西天竺毘首羯摩の作、本朝三釋迦の一、重盛の歸依せしものにて、妙雲のはる/″\攜へ來れる所に係る。寺にはまた高尾の襠裲の殘片と稱するものをも藏す。如何にや、案内申さむか』と云へば、『腹減りたり。早く午食にありつきたし』といふ。考古癖の夜光命が妙雲寺を間却せるは、不思議に非ずや。之を新七不思議の第五となさむ。


鹽釜まで戻り、鹽涌橋を渡りて、鹿股川を遡る。この橋より鹽の湯までの新道を『お兼道』と稱す。お兼といふ女の開ける所也。お兼はこの土地の産にして、氏家の豪家に嫁せり。殖産の才ありて財産をふやし、慈悲の心に富みて、數百の婢僕を子の如くにいたはれり。名詮自性、お兼は殖産の才と慈悲の心とを兼ねたり。この點のみにても珍とすべきに、死に臨み、遺言して、金五千圓を投じて、この新道を開かしめたり。當年知事たりし三島通庸は、山形縣に、福島縣に、栃木縣に、到る處新道を開けり。鹽原の新道をも開けり。その功や大也。されど官の事業也。お兼の開きしは、ほんの十町内外の路なれども、一女子の私財を以てせり。五千圓は多額とせざれども、一私人の寄附とすれば、少額には非ず。道を開くことを遺言したるは、世にも尊き心根に非ずや。鹽原は名妓高尾を出したるを以て有名なるが、今お兼の出でて、鹽原に光彩を添へたり。お兼の碑出來て、鹽原に新しき名所を加へたる也。
 鹽の湯に[#「鹽の湯に」は底本では「鹽の場に」]至り、明賀屋に投ずれば、『和泉屋より電話かゝり居れり』とて、こゝにても第一等の客室に通さる。長廊を下りて浴場に行く。湯槽直ちに溪流に接す。自然の巖穴がそのまゝ湯槽になれるものあり。兩岸の絶壁數百仭、溪流屈曲せるを以て、前後左右みな絶壁、樹木鬱蒼たり。仰げば唯※(二の字点、1-2-22)數十間四方の天を見る。眞にこれ洞中の別天地也。浴し終りて、酒し、飯す。番頭氣を利かして枕を持ち來たる。裸男二人に向ひ、『君等は午睡し給へ。余は一寸雄飛瀑まで散歩して來む』と云へば、十口坊、『我も行かむ』といふ。夜光命も、『我も』とて出で立つ。
 鹿股川は箒川の水量を二分す。溪深く、山幽に、雄飛瀑を始めとし、咆哮、霹靂、雷霆、素練、萬五郎等の諸瀑あり。鹽原の山中にて、最も深山幽谷の趣をきはむ。殊に雄飛瀑の瀧壺の雄偉なることは、鹽原の諸瀑に冠たりなど、裸男説明しつゝ行く。思ひしよりも遠きに、夜光命も十口坊も口をそろへて、『まだか/\』と問ふ。棧道落ちて一二間ばかり路なし。痩せたる裸男、懸崖にすがりて、つる/\と行く。夜光命も過ぐ。肥れる十口坊は躊躇せしが、さすがに日本男兒也。思ひ切つて、蝸牛の這ふやうにして、漸く過ぐ。それより四五町行きしが、裸男以爲へらく、『雄飛瀑まで行きては、歸路必ず日暮るべし。日暮れては、この路危險なり』とて引返す。二人覺えず喜聲を發す。裸男曰く、『われ旅行を始めてより、幾んど三十年、目ざしたる處に達せずして止みたることなし。今日中途にして歸るは、不思議に非ずや。之を新七不思議の第六と爲さむ。』


途にして和泉屋の番頭の來り迎ふるに逢ひ、一寸明賀屋に立寄りて、歸途に就く。鹽涌橋より二町ばかり手前にて、左折して親抱松を見る。枝曲りて幹を擁するを以て、この名あり。品川彌次郎の歌に曰く、
親抱の松に昔の忍ばれて
  思はずしぼる旅衣かな
 彌次郎のみならむや。夜光命も、裸男も、衣をしぼらざるを得ざる身也。十口坊は兩親在り。まだ/\衣をしぼる心もなかるべし。
 和泉屋に二泊しぬ。裸男今日は東京に戻らざるべからず。夜光命は、金あるまゝに、悠然尻を据ゑ、『四五日湯浴せむ』といふ。十口坊も之と共にす。これ二人には、例のなきこと也。不思議にはあらねど、假りに之を新七不思議の第七となさむ。眞の不思議は、裸男去りたる後にてや起るらむ。
 番頭を先に立てて、二人送り來たる。白雲洞を過ぎ、左折して龍化瀑を見る。日光の華嚴瀑を十分一も小にしたるやうな瀑なり。こゝにて番頭の攜へし麥酒を一同の口に分てり。なほ送り來り、共に大網の湯壺を見て、こゝに始めて手を分つ。囘顧橋のあたりにて、杜宇の一聲を聞く。夜光命も十口坊も杜宇を聞きたることなし。『一度は聞いて見たきものなり』と言ひ居りしことを思ひ出して、覺えず振向けば、また一聲鳴きぬ。
(大正五年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「並」と「竝」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、「杖乃跡」至誠堂書店、1916(大正5)年12月12日発行、1916(大正5)年12月25日三版の表記にそって、あらためました。
入力:H.YAM
校正:雪森
2019年5月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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