秋の雨しめやかに降る日、
高崎驛にて電車に乘換へて、澁川町に著きしは、夜の八時半也。饑ゑては食を擇ばず、夜更けては宿屋を擇ばずと悟り顏して、車掌の勸むるまゝに、一旅店に投じたるが、女中までも浴したる後の風呂、白く濁りて、ぬるく、而も垢臭く、通されたる前二階の六疊の部屋、三人には、ちと窮屈也。酌する女中の蒼くて血の氣なきに、酒もうまからず。よい加減に切上げて寢に就く。
明くれば、雨なほ止まず。沼田行の鐵道馬車の一番發に乘らむとて、停車場に駈けつくれば、馬車は早や十分前に發したり。やれ/\次の發車までは、一時間も待たざるべからず。十口坊駄句りて曰く、
次の馬車待つ山驛の秋しめり
裸男は傘をさゝぬつもりにて、ゴム引きのマントを被りたるが、古びたる事とて、雨漏る。馬車を待つ餘裕あるにつれて、傘を買ふか、買ふまいかと思案し、遂に買ふと決心して、番傘を買ひたるが、果敢なや、人間の智慧の一寸先は闇、馬車未だ沼田に著かざる前に、天氣は快晴となりたり。失策つたりと天を仰げば、太陽人を笑ふに似たり。右に赤城山、左に榛名山、自然の關門を成して、利根の本流中を貫くといふ天下無比の壯觀も、馬車の中にては十分に賞玩するに由なし。利根の支流なる吾妻川を渡るに、大いに濁れり。右に利根の本流を見る。吾妻川よりは少し澄めり。その利根の本流に會する片品川を見れば、全く澄み切れり。裸男曰く、『われら三人を川に比すれば、十口坊は吾妻川、夜光命は利根の本流、僕は片品川に非ずや』と。夜光命苦笑し、十口坊むツとす。裸男言を改めて曰く、ともかくも我等三人を世上一般の人に比すれば、世上一般の人は吾妻川若しくは利根の本流にして、われらは片品川に非ずや』と。十口坊も、夜光命も始めて破顏す。
鐵道馬車は、沼田の入口にて終點となれり。會津街道を取りて、がたくり馬車に乘る。われら三人の外には、乘客なし。御者も別當も少年也。御者に向つて、其年を問へば、『十六歳なり』といふ。『別當の年は』と問へば、『二十五歳なり』といふ。年齡より云へば、御者と別當とあべこべ也。御者の顏付は利發、別當の顏付はのろま也。身體は別當の方が少し大なれども、二十歳以上とは見えず。吹かでもよきに、喇叭を吹きて、御者に叱らる。馬車の前を走るかと思へば、忽ち立ち止まり、又思ひ出したるやうにして走る。池を見れば、立ち寄りて石を投ぐ。察するに、腦膜炎でも病みて、低能となりたるにや。御者曰く、『あの男は、別當より外には何も使ひ道なし。然るに感心なことには、月給は一切自から遣はずして、親父に渡す』と。世にも氣の毒なる親子哉。試みに御者に向つて、『あの別當が二十五歳とは意外也。もう色氣があるか』と問へば、『そんな事は知らず』とて微笑す。
高平といふ處にて、馬車を下る。是れ、がたくり馬車の終點也。一旅店に午食を頼めば、始めて米をとぐといふ次第にて、凡そ一時間も待たされたり。今朝澁川の宿にて、『握飮をこしらへて貰はむか』と裸男の云ふに、他の二人は、あざ笑つて取りあはざりき。『そら見給へ』と、裸男低き鼻うごめかす。十口坊も夜光命も、唯

徒歩して、栗生峠を越ゆ。天氣となりて、邪魔になるは、澁川にて買ひたる傘也。されど棄つるも惜しければ、いや/\ながら持ちゆく。いよ/\進むに從つて、黄に紅に、山はいよ/\明か也。他所には見難き桑竝木の中を通りて、千歳橋に至る。橋の下は例の澄める片品川也。數町の間、兩岸は絶壁にして、水急湍を成し、虎踞し、龍躍るの概あり。一同立ちどまりて、これは/\とばかりに感歎す。橋を渡れば、追貝村にて、物賣る店あり。旅店も三つ四つあり。裸男數年前、こゝの一旅店にやどりしことありけるが、今來て見れば、主人もかはりて、木賃宿となり居れり。滄桑の感なしとせず。追貝に名高き『龍宮の椀』は閑却して、吹割の瀧を見る。利根の一支流なる片品川とは云へ、餘程の水量あり。幅四五十間、全石を底となし、水其上を蓋うて流る。その底一落し、乙字形を成して、瀧之に懸る。中央は瀧と瀧と相鬪ふ。水力電氣の工事の爲に、少し風致を損したれども、なほ天下無類の奇景也。
日は暮れむとす。追貝に宿らむか、明日金精峠を越ゆる能はざるべし。明日金精峠を越えむか、今日、もそつと進みおかざるべからず。終に、進むことに決し、途に提燈と蝋燭とを買ふ。その提燈は、小兒の玩具にするものにて、極めて小にして、赤く色どりたり。蝋燭の大きさは、紙卷の煙草ぐらゐに過ぎず。最も年若き十口坊、提燈持となり、先に立ちて行く。四面暗黒にして、唯

草鞋を脱いで、店先に上れば、折しも買物に來れる一紳士。じろ/\裸男の顏を眺めしが、圖らずも裸男の名を稱す。『明日金精峠を越ゆ』と云へば、『御案内申さむ』といふ。座に請じて共に飮む。千明林藏といふ人にて、豫備の陸軍少尉、在郷軍人會の片品村支部長なるが、四五年間米國に遊歴せりとて、詳かに米國の事を説く。山村には思ひもかけぬこと也。扇持ち來りて揮毫を乞ふまゝに、裸男惡筆を揮ひて、
米國を語る山家の夜寒かな
明くれば晴天也。二三日は雨降りさうにもなし。例の澁川の傘を宿にやりて、始めて重荷をおろす。午前七時發足す。千明氏蓑を著け、「ビク」を背負ひて導を爲す。會津街道と別れて、小川を溯る。八時半、白根温泉に達して、小憩す。菊目石とて、菊形の紋理ある石、この溪谷より出づ。『持つて行かれずや』とて、主人の出す石、可成り大にして重し。標本にとて、碎いて小片として持ちかへることとせり。主人紙を展べて、揮毫を乞ふに、十口坊は、
紅葉する谷の出湯の一二軒
裸男は、温泉や紅葉の底の山の奧
夜光命も負けぬ氣になりて、
薄く濃く山の紅葉の色づきて
ゆはたさらせる小川邊の里
上れば上るほど、紅葉の美觀加はる。樹梢に「あけび」のぶらさがれるを見て千明氏つる/\と登り、もぎとり來りて、一行の口に分つ。いと甘し。千明氏曰く、『我村の少年は、「あけび狩り」とて、辨當も持たずに山に入り、「あけび」を取りて食ひつゝ日を暮らすことあり』と。山いよ/\幽になると共に、溪川はいよ/\小となる。大尻沼に至りて、光景忽ち一變す。長さ十町、幅二三町、長瓢の形を成す。沼盡きて、平らなる溪流に沿ふかと思へば、やがて又一の山湖あり。丸沼と稱す。四五町四方もありて、ほゞ圓形を成す。湖の北畔は平地也。清水流れ、温泉湧く。千明森藏氏の別莊あり。水産講習所の孵化場もあり。千明森藏氏は、片品村第一の財産家なりとの事也。千明由松といふ老人夫婦、その別莊の番を爲せるが、この由松氏は、豪氣人に絶し、産業を治むるを屑しとせず、劍術に長じ、銃獵を好み、常に山に入りて猛獸と鬪ふ。或時野津將軍の案内して、金精峠を越えしことあり。將軍その謝禮として鐵砲を贈る。由松氏大いに光榮として、常に野津將軍を説く。村人は千明由松とは云はずに、野津由といふに至れりとかや。亦一種の快男子也。午食せむとて、別莊に立寄りしに、たま/\出張し居りたる川村久次郎氏、裸男の顏を知る。大いに喜びて、一同を孵化場に導き、いろ/\説明す。水産講習所にては、五年前、この湖に姫鱒を放養せしが、今や正にその産卵に際す。雌鱒産卵せむとて、細流を溯る。雄鱒之に尾す。共に捉へて、雌の卵を絞り出し、雄の精液を絞り出して之に注ぎて孵化す。絞られたる雌も雄も共に死して、人の食となる。果敢なき鱒の一生哉。雌の産卵期になれば、雄の頭凹みて、口尖る。これ雄と雄が雌を爭うて、相鬪ふに由るとかや。魚類にても、雄は鬪ふ爲に生れたるかと、いとゞ感慨に堪へず。ゆはたさらせる小川邊の里
別莊の二階に請ぜられて午食す。今日は握飯を持參せり。千明林藏氏は蕎麥饅頭を饗す。中に桑の實のジヤムあり、みな自家製也。林藏氏更に酒を饗す。番人の野津由氏は、鱒の燻製と新しき鱒を燒きたるものとを饗す。湖水の景色、幽にして雅也。この湖、海拔五千尺、高きだけに、紅葉を見むには時機少しおそし。紅葉は多く落ちたるが、黄葉はなほ殘れり。白根山雪を帶びて、その頭だけを連山の上に露はす。明年よりこゝに温泉を引きて旅館を設くといふ。眞に塵外の別天地也。野津由氏の乞ふまゝに、裸男先づ書きなぐりて曰く、
紅葉鱒温泉高さ五千尺
風景の美に打たれ、孵化の話に興を催し、珍らしき馳走に舌皷うちて、この湖畔に凡そ二時間ばかり費して、今や午後二時半となりぬ。夜光命そつと裸男の肩を叩いて曰く、『御説の通り握飯を持參しても、この通りに非ずや』と。裸男一言もなくして、頭を掻く。
いざとて、林藏氏と別れて發足す。林藏氏一老夫をして、導を爲さしむ。八町坂の急路を上る。夜光命曰く、『富士上層の胸突八町より急なり』と。右手に八町瀑の水音を聞く。これに就くの路なし。湖上に舟を浮べて見ば、この瀧定めて壯觀ならむと思はる。坂路盡きて菅沼に出づ。老夫舟を漕ぐ。この湖長さ十四五町、幅三四町、大尻、丸の二湖に比して、更に大に、更に幽邃也。とにかくに白根の北麓に連なれる三湖、大なりとはせざれど、風致あり。日光に遊ぶもの、脚力と風景眼とあらば、閑却すべきに非ず。夏は、日光よりこゝに來たる學生や西洋人少なからずと聞く。
湖の北端に上陸して老夫と別れ、いよ/\金精峠を攀づ。八町坂に比すれば、ずつと勾配緩にして、思ひしより上り易し。頂上に達して、時計を見れば、正に午後五時也。上り來りし方は樹に妨げられて見えず。笈摺岩、右に天を衝く。前方には男體、太郎の二山、相竝んで立ち、近く脚下に湯の湖の一半見ゆ。この峠海拔六千六百尺、箱根の最高峯の神山の絶頂よりも高きこと千六七百尺、通路として高きこと、天下有數也。日暮れぬほどにとて、一呼して下る。この峠に男根の形したる石を祀れる祠ありとの事なるが、こは見落したりき。
急坂を下りに下りて、やれ安心と思ふ折しも、路を失ひて澤に行當れり。澤を下るに、大石小石ごろ/\横はりて、手を用ゐずば、歩くを得ず。夜光命泣聲を出して、『こは人の通る路に非ず。うか/\行きては、どんな目に遇ふかも知れず』とて立どまる。『まア/\行き給へ。必ず路に出づるに相違なし』と、裸男勵まして行く。昨夜用ゐし提燈また役立ちたり。提燈を點ずれば、數歩は明かなる代りに、それ以外は、提燈なきよりも、却つて一層闇黒也。『危い/\』と、夜光命幾たびか泣聲を出す。『歩くが危しとならば、こゝに火を焚いて夜を明かさむか』と云へば、それもいや也。『さきへ行くが危ければ、あとの澤の入口へ引返さむか』と云へば、それもいや也。『も少し進んで見ずや』と云へば、それもいや也。こまつたこと哉。十口坊ふと右の方に上りしに、忽ち叫んで曰く、『路あり/\』と。これにて夜光命の機嫌回復、元氣も回復、うれしや/\と熊笹の中を通ること、凡そ半里にして、湯本に著く。夜光命曰く、『われ生れてより、今夜のやうに困りしこと無し。提燈は珍藏して、家の寶となさむ』と。
一浴して、快更に加はる。晩食の鍋に、紅の肉堆し。食ひて見たるに、牛肉には非ず。馬肉かと問へば、『鹿の肉なり』といふ。馬と鹿とは辨じても、馬肉と鹿肉とを辨ぜざるやうにては、いづれ我等も趙高に馬鹿にせらるゝを免れざるべし、と笑ひ興ず。
明くれば、風花に送られて湯本を發す。風花とは、奧山に積れる雪を風の吹送り來たる也。大尻、丸、菅の三湖を見來りて、湯の湖に對すれば、更に一層大なるに、目先かはりて面白し。湯の湖より瀉下する湯瀑は、高さ三四十丈、幅十數間天下の大瀑たるを失はず。一里四方の戰場ヶ原將に盡きむとする頃、右側に龍頭瀑を見る。瀑としては勾配緩に、急湍としては勾配急なる奔流也。中禪寺湖に出づ。湯の湖よりもなほ一層大也。海拔四千一百九十四尺、ひろさは東西三里、南北一里と稱す。一里あまり湖岸をつたひて、中宮祠に來り、一店に投じて、蕎麥を食ひ、且つ飮む。今日の午食は、早く簡單に濟みたり。
湖と別れて數町、絶壁の中程まで下りて、近く華嚴の瀑に對す。直下七十五丈と稱す。水の一半は、未だ瀑壺に落ちざる前に烟となりて上昇す。いつ見ても爽快きはまる大瀑也。日本の瀑布を角力に見立てて、那智を西の大關とすれば、華嚴は東の大關なるべし。而も直下の趣は華嚴の獨得也。見晴山に上りて、後ろは男體山を仰ぎ、中禪寺湖に俯し、前は高原山を望み、野州の平野を見渡し、近くは大谷川の溪谷を見下す。日光より湯本まで六里の間、見晴しは、この名詮自性の見晴山にのみ在りて、單調を破る。舊道を一呼して下り、劍ヶ峯の茶屋に小憩す。日光の紅葉は、こゝの眺望を第一とす。今や眞盛りなるが、今年は秋になりて雨多かりし爲め、平年に比して色大いに劣れり。
馬返より電車に乘り、東照宮の前にて下りて、板屋町の淨光寺に、田岡嶺雲の墓を訪ふ。遺骨の一半は故郷に葬らる。げに數奇の一生、殊に晩年は病魔に襲はれて、湯河原にゆき、熱海にゆき、この日光にも來りしが、終に起たず。日光の山は高く、華嚴の瀑は鋭く、大谷川は清くして急也。嶺雲の人格と文章とに彷彿たるものなしとせず。わけて日光は雷鳴のしげき處、嶺雲が熱烈の文字に思ひ及ぼして、うたゝ感慨に堪へず。
裸男は、親戚の法事の爲に、この日歸京せざるべからず。夜光命に向つて、『君はゆる/\東照宮を見物し給へ』と云へば、『拜觀料の餘裕なし』といふ。日光を見ずんば結構を説く勿れとは、東照宮の事也。數年前、夜光命は、裸男と共に日光に來りたれど、東照宮を見る由なかりき。この度もまた東照宮を見る能はず。よく/\拜觀運のなき男哉。汽車に乘りて、辨當と酒とを買へば、あとは無一物、一杯機嫌に腹も張りて、あちらでもぐう/\、こちらでもぐう/\。
(大正五年)