冬の榛名山

大町桂月




大いに醉ひて、洋服着たるまゝにて、寢につきたるは夜の一時半、五時の出發には間もなけれど、少しでも睡らむと思へるなり。平生は宵つ張りの朝寢坊なるも、氣の張れる故にや、五時半に眼さめたり。眼ざまし時計を五時にかけ置きたるに、なぜ鳴らぬぞと、いぶかりて、よく見れば、鳴らぬもその筈や、五時にかけたるつもりなるも、大醉のあまりに、誤つて七時にかけたるなり。さるにても、三十分おくれたるのみにて、早く覺めたるこそ仕合せなりけれ。昨夜時間表を見て、五時五十四分新宿發の汽車あることを記憶す。それに乘らむとて、朝飯もくはず、起きたるまゝにて、飛び出でて新宿停車場にかけつけて、時計を見れば、五時五十分なり。
 發車までにはまだ四分ありと喜ぶ間もなく、停車場の時間表を見れば、これも大醉の餘りの見そこなひにして、つい數字の上下を顛倒して、五時四十五分の發車を、誤つて五時五十四分の發車と思ひちがへたるにて、やれ/\、汽車は、正直に、時間通りに、五分前に出發したるなり。
 次の汽車にのりて、田端に着し、前橋行の汽車に乘りかへむとするに、まだ三十分も待たざるべからず。仕方なしとあきらめて、ベンチに腰おろしけるが、渇を催して堪へがたきまゝに、停車場外に出づ。休息店多けれども、朝早ければ、いづこもまだ寢しづまりて、戸をあけさうにもなし。井戸をさがせど、見當らず。あゝ苦しや、醉醒めの水の味を知るものは、醉醒めに水を得ずして、人一倍の苦痛を感ずることもあるなり。
 あちこち、ぶらつく程に、うれしや、一軒の戸あきたり。戸あくと同時に、とびこむ。いづこにても同じためし、起き居たるは、老婆一人、老爺は、なほ眠れるなるべし。起きたるまゝにて、火もなく、湯もわき居らず。餘り早く客にとびこまれて、却つて迷惑せるさま也。火もいらず、茶もいらず、たゞ水のませよとて飮む。一盃、一盃、また一盃、都合三盃、またゝくひまに飮み干して、はじめて蘇生の思ひをなしたり。寒き冬の朝、水を三盃まで飮むを、何とか思ふらむ。老婆にありては、何の造作もなきもてなしなれど、われにありては、仙宮にて玉漿を飮むも斯くや。水をのましゝばかりにて贏ち得たる意外の收入、げに、朝起きは三文の徳のみにもあらずと、老婆さとり顏なり。
 前橋にて汽車を下りて立ち出づれば、休息店の樓上、欄によりて、我を招く者あり。これ翠葉なり。相見て一笑して樓に上る。天隨、天溪の二人、しやも鍋をはさんで對酌す。既に醉へりと見えて、顏の色、鍋の下の火よりも赤し。われも之に加はりて飮むほどに、十二時を過ぎたり。余が汽車にのりおくれたるばかりに、三氏をして、空しくこゝに二時間も待たしめて、洵にすまぬことしたり。旅の路伴、面白きこともある代りに、迷惑することもあるべし。
 澁川まで四里弱の路、鐵道馬車にて過ぎぬ。そこより伊香保まで、凡そ二里、勾配緩やかなる路を、徒歩して上る。微雪となり、微雨となりし空、雪と雨とは收まりたれど、いたく曇りて、日の暮るゝこと早し。さらでだに足弱き翠葉、病氣上りのからだをもてあまして、よその見る眼も氣の毒なり。十歩に二三歩おくれ、十町に二三町後る。たび/\待ちあはせて行く。御蔭の松、名のみ高けれど、見るには足らず。毫も趣味なき路なり。伊香保近くなりたるほどに、重荷背負ひ、草鞋はきて、とぼ/\とたどりゆく老僧あり。名所圖會專門の翠葉とは、話しも合ふべく、足も合ふべしとて進みゆき、水澤村への岐路ある處にて待ち合はす。待つこと十分ばかりにして、老僧はとぼ/\と歩み來れり。翠葉は來らず、更に待つこと十分にして、漸く來たる。あの老いぼれの老僧までも、君の路伴にならぬかと云へど、平生ならば、このやうに弱らざれど、病氣は如何ともし難しと、淋漓たる流汗を拭ひながら、あへぎ/\語るも、苦しげなり。薄暮、伊香保につきて、石坂惠十郎氏の旅館にやどりぬ。
 あくれば、雪後の風強けれど、空はよく晴れたり。翠葉は、直ちに人力車にて、四萬温泉にゆくつもりなりしが、病氣は、靈泉に洗ひ去られたりけむ、俄に元氣づきて、同行して、榛名山にのぼらむといふ。さらばとて、導者一人やとひて立ち出づ。町はづれに、寫眞店あり。翠葉曰く、この遊びの記念に、一同撮影せずやと。衆、同意して、導者をして、おとなはしむるに、答へなし。導者、地下の室をのぞきて、聲高く呼ぶに、なほ答へなし。げに、田舍の心安さ、一家の人はみな不在と見えたり。さらば、歸るさに撮影せむとて、立ち去らむとすれば、向の家の障子開きて、出で來る老人あり。これ寫眞店の主人なり。伊香保祠前に待つこと十分ばかりにして、寫眞道具持ち來たる。四人、石碑の前に立ちて撮影せしむ。地には、雪皚々たり。北風獵々として、耳も飛びさうなり。老人、寫眞器を右にやり、左にやり、前にやり、後にやり、冬の日脚の短きにも頓着なく、いそぐ旅なるにも頓着なく、凍えて死にさうなるにも頓着なく、田舍人の、のんきなるのみならず、寫眞にも慣れざるらしく、經營慘憺としてやうやく、うつし終れり。この間、凡そ二十分、寫眞の上の顏よりは、刻下の寒さをとて、外套の頭巾、目深くかぶれるに、他の三子、いづれも襟もしくは頭巾を脱して、凛々たる寒風の中に、よそ行きの顏してすましこみたるは、年若きだけに殊勝げなり。
 丸子山を右に見、二ツ嶽を左に見て、上る路、三十町ばかり。けはしからねど、雪あるが爲に、歩みやすからず。人の足跡はなくて、處々三叉の痕跡あり。荒鷲などの歩みしにや。北風つよく吹きて、地上の雪、まき上げられて、空に繽紛たるに、寒さも忘れて、覺えず見とれたること幾たびなるを知らず。坂路つきて、前には、圓錐形の榛名富士あらはれ、左に崔嵬たる相馬山あらはる。春になれば、牛羊點綴するなるべし。一目茫々たる高原、白雪、地をうづめて、未だ枯草を埋めず。摺碓岩を數町の外に見て、奇と稱し、榛名湖の東岸をめぐりて、快と呼び、天神峠に上り、前後を眺望して、絶景と叫びぬ。朱華表の傍ら、立錐の地、さゝやかなる掛茶屋あれど、人なし。顧みれば、周圍一里ばかりの榛名湖、堅氷結びて、一大明鏡を開けり。相馬山や、榛名富士や、烏帽子嶽や、鬢櫛山や、硯嶽や、掃部嶽や、湖をめぐりて、それ/″\秀容をあらはす。深くは山をうづめぬ雪の、ところ/″\日光にとけたるは、曉に起きたる女の面に、白粉の消え殘れるが如し。湖畔、鹿角の如き枯木の間に、五六の人家點綴して、一縷の煙のたち昇るも寂しげなり。前を見れば、谷深くして、兩方に山高く聳ゆ。その間、自然の一大扇、半ば開かれて、上の方には、富士、淺間をはじめとし、甲信の群山、淡く描かれたり。下の方には、武藏、上野の山々、濃く描かれたるが中に、怪奇なる妙義山、殊に目だちて見ゆ。翠葉を待ち合はすほどに、煙草を吹かしつゝ、前を望みては、また後ろを望み、後ろを望みては、また前を望み、幾たびとなく、くる/\廻りしさま、たゞ是れ菓子をみせびらかす主人の手につれて、身を轉ずる狗の兒にや喩へむ。
 下ること數町、咽ぶがごとき溪聲を聞く。天神峠の朱華表を顧みれば、鼻孔、はや天に朝す。眼界頓に一谷に限られて、十町許り、趣味なき路を下りしが、左に深き溪を隔てて、葛籠岩を望むに至りて、一種の奇景、また露はれ始めたり。數十丈の大巖、下は大にして、上は小に、累々として、落ちむとして、落ちず。その樣、鴨の首を延ばせるが如し。其の側に、具足岩あれど、これは山壁の骨をあらはせるものにて、さまで奇とするに足らず。路、溪と直ちに相接するに及びて、こゝに始めて榛名神社の裏門に達す。溪の面氷りて、水その下を流れて聲あり。溪身一落する處、氷缺けて、清泉迸出す。狹き谷の、溪畔巖側、また餘地なきまでに、祠宇巍然として立てり。神門に入らむとして、先づ驚く、筍の如き大巖、直ちに門にそひて、矗々として、天を刺す。之を鉾ヶ岳と稱す。門内、右に社務所あり。左に鉾ヶ岳に接して、雙龍門あり。八つ棟造りの建築、精巧を極め、龍の彫刻、神に入り、關羽と張飛との彫像相對して、英姿颯爽たるを覺ゆ。門を入りて、また驚く、祠後鉾ヶ岳よりも更に高く大なる奇巖ありて、幾んど落ち來らむとす。之を御姿岩と稱す。恰も人の懷手して、首を前に傾けて立てるが如し。如何にして上りしにや、その肩のあたりに、幣帛の立てるは、例の、人をおどかさむとする神官の惡戯なるべし。拜殿、直ちに巖下にあり。本殿の半ばは、巖腹に入る。祠宇可成り高けれども、なほ巖の四分ノ一にも足らず。巖の高大想ふべし。拜殿より連なりて、右手の前に國祖殿あり。更に國祖殿に連なりて、拜殿と相對して、神樂殿あり。三宇ほとんど、凹字形をなし、後ろに峭壁を負ひ、前は溪に臨めり。結構壯麗にして、彫刻の精緻、人目を眩惑せむばかりなり。神門を出でて行くこと數十間、小支溪に神橋かゝりて、朱欄、碧巖と相映ず。橋畔の巖を、覗き岩と稱す。小溪の兩畔、大巖、相接して長く連なり、のぞけども、その盡くる所を見ず。橋をすぐれば、左に袖摺岩あり。右にも大巖ありて、相觸れむとして、觸れず。その間わづかに人を通ず。巖腹の凹みたる處に、賽神社の小龕を安置す。巖の中より滴るしづく、滴り/\て、凍りて大氷柱をなし、小龕をかこみて、白玲瓏たり。三重の塔の側を過ぎ、老杉の間を行きつくせば、左に溪を隔てて鞍掛岩を見る。小さく譬ふれば、土瓶のつるの如く、大きく譬ふれば、虹の如き奇巖なり。御祓橋を渡れば、隨神門あり、やゝ荒れたり。門外、數十の茅屋、山中に一寒村をなす。この隨神門より葛籠岩まで、凡そ十町、せまき谷あひにて、一道の清溪、白玉を躍らし、兩方の山、多く骨をあらはして、鞍掛岩、鉾ヶ岳、御姿岩、葛籠岩を最も奇とし、その他、奇石怪石、一々數ふるに遑あらず。三重の塔、連なれる老杉と高さを競ひ、畫橋縹渺、朱欄水に映じ、祠宇宏壯、丹碧燦然として、峭壁の間に光彩を放つ。自然の奇、人工の妙、よく相配合して、まことに天下有數の靈境なり。
 一旅店に入れば、恰も好し、一家の人、午食をすましたる處にて、つめたき客座敷よりは、むさくるしけれど、冬の山里の唯一の馳走、いざ入らせ給へとて、勝手の間の爐側をわれら一行に讓りぬ。いぶる生木に、都の紳士の知らぬ涙催さるれど、主人のいふに任せて、草鞋のまゝにて上り、足を爐に蹈みのばす心安さ。火の上にかざす手よりも、心先づあたゝまりたり。自在かぎに懸れる鐵瓶に、燗徳利入れて、薪を加ふれば、やがて松濤起りて、酒香座にほどばしる。されど、例の田舍酒、到底醉ひを買ふべくもあらざれば、多くは飮まず。天溪も、醉うては歩かれずとて、多くは飮まず。いつも薄々の酒も茶の湯に優るとすまし込む天隨も、多くは飮まざりしは、これも醉うては歩かれずと氣づかへるにや、はた多少宿醉の氣味ありしにや。
 歸るさ、榛名湖までは、同じ路を取りぬ。はじめおもへらく、榛名湖を眺め、天神峠を越え、榛名神社を看て歸るのみにては、尋常一樣の遊蹤なり。相馬山か榛名富士かに上り、且つ沼尻川にかゝれる辨天瀧を見むと。されど、出發の時刻おそかりしかば、日既に西に傾きぬ。榛名富士に上らば、辨天瀧は閑却せざるべからず。瀧を看むとせば、山は閑却せざるべからず。終に瀧を探らむとて、こたびは、湖の西岸を通りて、榛名富士と烏帽子山との間の峠を越ゆ。今や、なつかしき榛名湖とは別るゝなり。別るゝにのぞみて、一言、湖底に恨みを呑みし佳人の香魂を弔はざるべからず。
 三百年前の夢の跡、干戈天下に旁午せし戰國時代に、木部宮内少輔忠近、あへなくも、上野國群馬郡白井の城主、山名大膳重友に攻め殺され、その妻の立田、幼兒龍若丸と家臣宍倉朝興とをつれて、泣く/\難をこの山にさけて、湖畔に草庵を結びてひそみけるが、神ならぬ身の、かくとは知る由もなく、頃も今頃なる天正十三年の冬十二月、山名大膳は、從者數人をつれて、この山に獵し、はからずも、立田の草庵に休息し、從者のもて來れる酒あたゝめて飮みなどす。立田、年二十七八、絶世の美人にて、櫻ならば滿開の花、咲きも遲れず、散りも初めぬ風情、えも言はれず。大膳、一見恍惚として、酌させけるが、醉ふにつけて、抑へきれぬ匹夫の本性、あたら名花をむなしく山奧に散らさむよりは、わが庭にうつして、手活の花と見はやさむと、みだりがはしき獸慾の嵐を柳にうけて、たしなみある女の、うはべには、すげなうもはねつけざるに、ます/\つのりて、其の歡心を得むとてや、たかが小さき城の主なるを、鼻うごめかして名乘り出せば、立田はじめて知る、嗚呼、これ不倶戴天の夫の讐敵。われは木部宮内少輔が妻、覺悟せよとて斬りかかりたるは、健氣なれど、悲しや、かよわき女の身、却つて返りうちにせられ、幾多の重創を被りて、鮮血淋漓たるに、今はこれ迄とて、われとわが身を躍らせて、空しく湖水に沈みけりとかや。
 又俗説の傅ふる所によれば、のち二年を經て、子の龍若丸、宍倉朝興の力をかりて、山名大膳を伊香保に斬り殺して、父母の仇を打ちけりとかや。されど、湖底の怨魂は、終に之を知らざるべし。當時、圓光上人、怨魂を慰めむとて、湖水のほりに、龍體院殿自山貞性大姉と題する墓を立てたる由なるが、斷碑、今何づれの處にか存する。行人時に古を弔へば、榛名湖の名物なる菖蒲の花、徒らに美人の俤偲ばしむるのみなるべし。
 峠を下るに、斜に北に向へる處とて、積雪解けず、深さ一尺にあまれり。例の翠葉、大いに疲れて、歩すること遲々たり。吹く風さむし。あとにて待ち合はすことにして、先づ暖を得むとて、天溪と共に走り下る。下りて、岩蔭の風の當らぬ處にて休むこと多時なりしが、今日の導者、年若うして、山の名、岩の名など、よくは知らず。書物の上にて知れる我らが、却つて教へてやるくらゐにて、導者の用をなさず。すべて榛名山上の路は、わかりやすき路なり。この具合ならば、導者を待たずとも、辨天瀧に至りて、待ち合はすことにせむとて、歩みかくれば、辨天瀧へゆかむには、その手前の路を右折せざるべからずと、後ろの方より呼ぶ聲す。顧みれば、天隨、翠葉、導者の三人、案外に早く來りて追ひつけるなり。もし導者來らずば、とんでもなき方角に出づべかりしを、恥かしや/\、妄りに人を侮りて、剛愎自から用ゐまじきものなり。
 右折すれば、間もなく、辨天瀧を得たり。崖には氷柱を帶び、溪畔の石、みな氷の衣を被りて、水晶宮の觀あれども、もと四五丈の小瀧、わざ/\來て見るべき價値はあらず。されど、下る路には、獅子岩の奇あり。顧みて、榛名富士を仰げば、完全なる三角形に尖り、谷いよ/\深うして、山いよ/\高きの概ありて、觀殊に奇なり。この山、之を湖の南畔より眺むれば、その容温乎たるが、この谷あひより眺むれば、一變して峭乎たり。廬山八面の比にあらねど、南北二面より眺めて、はじめて、榛名富士の觀を逞しうすべきなり。
 歸路、また七重の瀧を見る。七折すといへば面白げなれど、二三尺に過ぎざる小瀑が、數重なれるのみなれば、辨天瀧にだに比するに足らず。溪畔、亭ありて、人なし。夏は、暑さを避くる遊人の爲に賑ふなるべし。
 薄暮、伊香保に着す。この日の行路、わづかに五六里に過ぎざれど、翠葉、弱りに弱り、青ざめたる顏を、まうろく頭巾につゝみ、びつこ引きながら、牛の歩みを運ぶやうになりたるも哀れなり。そのつかれ、浴してもなほ癒えざりけむ、われらの快く飮むをよそに、早く布團の中にもぐりこみぬ。大いに飮みて、盃を收めむとしたりし頃、主人出で來りて、更に座興を添へたり。われらを文人と知りて、なつかしげに話をもち出し、酒までも持て來て、もてなすこと、ねんごろなり。田舍の口きゝらしく、ほろ醉ひ機嫌に、口も輕くなりて、快く飮み、快く談ず。細君も呼び給へといへば、憐み給へ、既にやもをとなりたる身なりといふ。さらば、息子なり、娘なり、一家の方々を呼び給へと云へば、それも呼ぶべけれど、君等に伊香保唯一の文人を紹介せむとて、香山樓の主人を呼び來らしむ。この人、温泉業の片手間に、操觚の事に從ひ、文の舍とて、狂歌の老匠なり。娘も來りぬ。一座にぎはしくなるにつれて、翠葉も眠られざらむ、衾中より頭をもたげて、口を開きはじめたるさま、さながら龜の子の首をふる如し。かくて、一同如何に氣を吐きけむ、醉うて知らず。あくる日、立ち去らむとすれば、文の舍、使に兎一匹もたせて贈り來り、手紙一つ添へ、手荷物に煩はしかるべけれど、例の坊主持ちとやらも、亦一興なるべしとて、狂歌までよみ加へたり。返事くれといふに、手紙のみにては返事にならじとて、漸くひねくり出して、みゝず書きの手紙の末に、
思ひきや冬枯れはてし伊香保根に
  かゝる言葉の花さかむとは
古くさき歌も、旅の恥は、かきずてなり。
 われらは、今や、伊香保を去らむとす。『心ある人に一夜のやどかりて、慣るゝもつらし明日の故里』と詠じけむ、宿のあるじの情のみならで、自然の風致も世になつかしき處かな。伊香保の地は、日本有數の温泉場なり。戸數四五百、三四町の間に層々鱗次し、伊香保神社に至りて盡く。温泉の源は、七八町上の溪間にあり。家々、樋を以て之を引き、浴槽に湯瀧をなす。その末、出でて水車を轉じ、更に下りて、田畝に灌ぐ。地高うして、眺望開け、夏、暑さを知らず、蚊帳をつらず。山下の澁川までは、前橋と高崎とより、鐵道馬車あり。澁川より二里、人力車を通ず。泉質は、炭酸泉にして、殊に胃病に効ありとぞ。われ年來、胃を病めり。浮生半日の閑を得ば、こゝに來りて、優遊せむかな。
 まして、三十町ばかり上れば、榛名湖あり。天神峠の眺望あり、榛名湖畔の奇觀あるなり。榛名山とは、榛名湖をめぐる山彙の總稱にして、烏帽子、鬢櫛、硯、掃部、氷室、摺碓など、みな舊噴火口の外輪山なり。その中の榛名富士は、後更に噴出したるものなり。最高峰を掃部嶽となす。高さ五千尺に近し。南に、鏡臺山あり。東に、二つ嶽、相馬山、水澤山あり。みな寄生火山なり。相馬山、嶮峽を極め、頂上の眺望最もすぐれたりと聞けど、天神峠の景色に對すれば、既に隴を得たるなり。されど、われはなほ直ちに伊香保を去るべからず。天下の名瀑、船尾瀧を見ざるべからざるなり。
 翠葉は、車にて四萬温泉に向ひぬ。余は、天隨、天溪二子と共に、裾野を横にめぐること一里ばかりにて、水澤觀音に到る。坂東第十六番の觀音なり。屋根は藁葺なれども、結構は凡ならず。古色を帶びて蕭散なり。なほ水澤山の裾野をめぐりて七八町行けば、裾野一落して、溪谷をなす。前は、船尾山なり。裾齒長く連亙す。その水澤山に接せむとする處の最上部に、船尾瀧かゝりて、上の半身を露はす。崖を下り、溪に沿うて上る。谷あひいよ/\せまくなりて、瀧ます/\近し。瀧の音も聞え初めぬ。日かげなれば、谷の氷の結べること厚し。幾多の支溪、全くこほりて、地に細長き銀板を横へたり[#「横へたり」はママ]。人、その上を踏みてゆく。心地すが/\しけれど、誤つてすべらば、谷底に轉落すべし。辛うじて、足と手とにて歩みて、瀧壺に近づくことを得たり。瀧の高さ二十丈と稱す。山の頂上より直下す。崖をつたひて落つる水もあれば、瀧の口の石に激して、躍り上つて、崖に觸れずに下る水もあり。相錯綜して落つ。夏にならば、水量更に多かるべし。高さに於て、既に關東有數なり。懸崖にかこまれたる瀧壺も、幽邃の趣を極む。殊に崖を傳ふしづくは、凍りて崖を白うし、傳はざるものは、とがりたる氷柱となりて、千萬の劍鋒を列ね垂らしたるが如し。夏ならば、それとは見えざるべき水のしたゝり、氷に大きくあらはれて、船尾上の上よりかけて、いくつとなく、縱に長大白線を引けり。氷にすべる恐れはあれど、冬ならでは、かゝる奇觀はあらざるべしと覺えぬ。この瀧、高く山の頂上にかゝるを以て、二三里隔たりたる澁川あたりより望むことを得べし。日光の華嚴を第一流の瀑布とすれば、こは、關東に於て、第二流より下らざるべき名瀑なり。
 船尾瀑を觀て、榛名山の遊びも、こゝに終りぬ。十二月三十一日なり。天溪はこの日の中に東京へ歸らむとし、余は天隨と共に、明日を期して、赤城山にのぼらむとす。澁川の旗亭、鼎坐して杯をあげ、斜陽の影に、天溪と手を分ちぬ。四人の同行、今は二人となりて、なほ酒とわかれず。夜ふかくまで痛飮し、文の舍の贈れる兎を煮て、之を食ひつくすと共に、卯の年をも送りぬ。
(明治三十八年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「嶽」と「岳」の混在は、底本通りです。
入力:H.YAM
校正:雪森
2020年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード