夜の高尾山

大町桂月




小石川の小日向臺に、檜葉菩薩と稱する賢人あり。門内の檜葉の樹、偉大にして、東京に冠たるを以て、斯く名づく。啻に其の檜葉が偉大なるのみならず、其の人格偉大也。其の學も、其の徳も、其の才も、みな偉大也。三馬鹿、年來この菩薩の指導を受く。或時三馬鹿相會し、相議して曰く、『我等の如き馬鹿者は、何事に於ても小日向の菩薩に敵する能はず。併し我等も日本男兒と生れたるからには、何かの事にて、ひとつ此の菩薩を負かしたきものなり』と。馬鹿の寄合だけに、議する所も馬鹿げたる事也。されど、馬鹿は馬鹿ながら、三人寄れば文珠の智慧とかや。裸男、礑と膝を叩いて、曰く、『諸君喜べ。こゝに奇策あり。檜葉菩薩は身體肥滿せり。山登りの一事は、我等に敵する能はざるべし。高尾山に誘ひて、一つ困らせて見ては如何に』と。夜光命眉を顰めて曰く、『其の策や好し。唯※(二の字点、1-2-22)軍用金なきを如何にせむ』と。十口坊膝を進めて曰く、『君等は寅藥師あることを忘れたるか。侠氣に富みて、多く金を有す。この藥師を拜一拜すれば、必ず我等の爲に蕭何の任に當るべし』と。夜光命も、裸男も、齊しく手を拍つて曰く、『妙案、妙案。』
 三馬鹿の陰謀。いよ/\實行せらるゝこととなりぬ、然るに裸男事故ありて、豫期の時刻より後れて新宿驛に駈け付く。爲に一と汽車後れたり。驛前の旗亭に團欒して、酒汲みかはし居たる一同の前に、恐る/\進み出でて謝罪しけるに、檜葉菩薩少しも腹立てたる樣子なく、例にかはらぬ温顏を以て迎へ、且つ杯を屬し、『久しく逢はぬが、無事なりしか』と、情のありあまる一言。『このやうに慈悲深き菩薩を山に伴ひて困らすなどとは、さても何たる罪惡ぞや』と良心一時腦中に閃きたるが、今更中止すべくもあらず』と糞度胸をきめたる凡夫の心こそ淺間しけれ。檜葉菩薩筆とりて、半紙にさら/\と、豈不※[#「肉」から六画目をとったもの、649-11]乎の四字を書し、『これを何と讀むぞ』との奇問。もとより智慧のなき裸男、『豈に肉ならずや』と云へば、『よく字を見よ。肉の字には一つちよぼが足らぬに非ずや』と云はれて、裸男忽ち閉口す。寅藥師も、夜光命も、十口坊も、皆讀む能はず。檜葉菩薩微笑しながら『豈に肉(憎)らしからずや』との説明、一同あつとばかりに、※(「口+去」、第3水準1-14-91)いた口が塞がらず。菩薩更に筆を執りて、近作の俗謠を書して曰く、
我が嫌ひなま意氣なま醉なま物識なまで好いのはなまこ生貝なま
松魚何より好いのは現なまぢや
一同、これは/\とばかり、感歎す。菩薩、裸男を顧みて、『この歌の對に、「我が好き」を作つて見ずや』といふ。裸男の如き馬鹿者の頭より、これに對すべき妙歌の、湧き出づべき筈は無けれど、『出來ません』と跳ね付くるは、餘りに無愛想也。『いづれ、ゆつくり考へて見申さむ』と、お茶を濁す。
 驛より程近き千駄ヶ谷町に、六一菩薩と稱する洋畫の聖あり。六十一歳になりて初めて一子を擧げたるを以て、斯く名づく。旗本の名家に生れ、夙に勝海舟に識られて、畫を海外に學びたる老大家、西洋の筆致に日本的の趣味を加へたる一種靈妙の畫風、當代に異彩を放てり。而して檜葉菩薩と最も親しき仲也。檜葉菩薩ふと思ひ出したる風にて、六一菩薩を呼び寄せ、山行を勸む。六一菩薩、裸男を顧みて、『高尾山の高さは如何ばかりにや』と問ふ。『勾配は九段坂よりも緩やかなり、路程は僅々十數町、先づざつと、九段坂を五倍したるものと見れば可ならむ』と云ひしに、半信半疑の樣子にて、『ともかくも山の麓までおつきあひ申さむ』と云ふ、はゝあ、めたり/\、檜葉菩薩の賢明、三馬鹿の陰謀をそれと見拔き、釣られたる風をして、そつと三馬鹿を出し拔き、麓にて待ち合はす相手にとて、六一菩薩を招きたるよな、その手は喰はぬと、裸男開き直り、『六一菩薩は御老體也。然れども先生は天下の豪傑、而も御年なほ壯也。よもや、山を見て腰を拔かし、我輩も六一菩薩と一緒に、などとは申さるまじ』と念を押せば、『男子の一諾、言ふにや及ぶ』と氣張り給ふ。
 酒肴は蕭何の寅藥師が一切取揃へて汽車に乘る。中野、荻窪、吉祥寺の諸驛を經るほどに、一望茫々、昔の武藏野の俤なしとせず。十口坊、句あり。曰く、
武藏野の果や山あり麥の秋
 蕭何はうと/\眠る。その齎せる兵糧の一部は、一行の口に分たれたり。國分寺驛にて、賣子の珍らしくも干香魚を賣るを見る。高尾山上に多摩川の香魚をあぶるも亦一興と慾張り、眠れる蕭何を起すも氣の毒と、裸男自腹を切り、そつと財布の底をはたいて、五六尾を連ねたる串三つばかり買ひたりけり。
 淺川驛に下り、山麓まで車を走らす。山麓までと云ひし六一菩薩、俄に元氣づきて、『共に上らむ』といふ。車夫一人をして從はしむ。大なる籠、其の背中に在り。一行の兵糧、其の籠に在り。車中にて買ひたる香魚も其の籠に在り。六一菩薩は思ひしより達者也。檜葉菩薩に待ち合せの相棒に擬せられたるを憤慨し、『なあに、老いても山位に屈するものか』と、口には言はねど、おのづから樣子にあらはれて、すた/\と眞先に行く。案ぜし如く、檜葉菩薩の方が苦しげ也。平生健脚を誇る裸男も、歩調を緩めて、吃る鈍舌を鼓し、『六一先生、畫になりますかナ』『なるなる、一週間ばかりこゝに滯在して、名畫をかゝむ』。『こゝの清水で、一寸休みませう』。愛宕山と稱する處にて、まづ一と休み。半ば頃とおぼしき處にて、『裸男さん、これが九段坂の五倍ですか』と、江戸兒の六一菩薩、さすがに拔かりなき哉。
 不動堂より飯綱權現への石段の、急にして長きには、六一菩薩も閉口の體也。檜葉菩薩は猶更の體也。世にも尊き檜葉、六一の二菩薩に、斯かる憂目を見せて、腹の中にて舌を出す馬鹿者の心の底ぞ恐ろしき。奧ノ院へ行かむとすれば、檜葉菩薩忽ち立ちどまりて、出たりや出たり、『我輩はこゝにて待つ』との泣言。六一菩薩も同じく、『我輩も』と立ちどまる。これを豫想しての三馬鹿の陰謀、勝つて兜の緒を締め、『今暫時の御辛捧』と、頭を卑うし、辭を卑うして、やうやつと思を果したるこゝで高尾山の絶頂、西に富士、東に日光、關八州は寸眸の中に收まる。『絶景だ』と檜葉菩薩が言へば、『苦しんだ甲斐がある』と、六一菩薩の挨拶。それで馬鹿者も大願成就。『あれが江ノ島なり』と指させば、檜葉菩薩ポケツトの中より雙眼鏡を取出して、身動きもせず、ぢつと見入り給ふ。江ノ島のこなたの片瀬は、菩薩の夫人の病を養ふ處、生死尊卑の別はあれど、これやこの、碓氷峠ならぬ高尾山、大正の日本武尊と、裸男馬鹿ながらも、人に背いて、涙ほろ/\留めもあへず。折しも夕陽既に沈んで、滿天の暮雲、忽ち五彩を發す。壯とも麗とも、何とも言ひやうなし。『畫になりますかナ』、『なるとも/\。お蔭で始めてこんな絶景を見ました』。夜光命鼻うごめかしながら口吟すらく、
氣位を高尾の山に上り來て
  我れ天下をば小とするなり
 裸男も口吟すらく、
脚力の強きばかりを誇りかに
  阿呆の鼻の高尾山かな
 飮みつ食ひつ、天然の宮殿、天然の食卓に、浮世の外の美味を味ひて、さて暮れぬ程にと、本坊の前の茶屋に待ち合はすことを約し、六一菩薩と寅藥師とは、車夫を伴うて先づ去る。酒盡きて、いざ下らむとすれば、思ひがけずも檜葉菩薩、ポケツトよりウイスキーの瓶を取出だし給ふ。三馬鹿狂喜雀躍、有難し/\と舌鼓うちて、飮むは/\。
 ウイスキー盡きて、始めて氣が付けば、檜葉菩薩あらず。『はゝあ、山の夜路を恐れて、逃げたナ/\』。陰謀功を奏して、勝利も勝利、大勝利、醉つては益※(二の字点、1-2-22)馬鹿になる馬鹿者の口ぎたなく、さん/″\檜葉菩薩を冷評しながら、如法闇夜の山路をたどる行手に、圖らずも謠の一節、
「かやうに候ふ者は、鞍馬の奧、僧正が谷に住まひする客僧にて候。」
 謠に堪能なる檜葉菩薩、鞍馬山を聯想し給ひけむ。『先生はまだ此處にか』と打ち伴れて、行けば行くほど、どうやら通つたことの無き路なりと氣が付き、行きつ戻りつ、漸く本坊の上に出で、『おうい/\』と二聲三聲、かなたにも、『おうい』と答へて、待つ間程なく、うれしや闇を照らす車夫の提燈。
 やうやつと最終の汽車に間に合ひて、歸る汽車の中、檜葉菩薩問ひ給ふらく、『香魚はどうした』。一同始めて氣が付き、山上にても食はず、車中にも無し。天狗にさらはれしか、車夫にくすねられしか。はゝあ/\。
(大正五年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:雪森
2019年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「肉」から六画目をとったもの    649-11


●図書カード