飛鳥山遠足

大町桂月




東京第一の射的場なる戸山の原、あちにも、こちにも、銃聲ぱち/\。臥してねらふ兵士、立ちて列をなして射撃にとりかゝらむとする兵士、部下を集めて射撃の講釋をなす士官、午後の暑さをよそに、とり/″\、汗を流して活動し、喇叭の聲やかましく、走る馬に塵たつ中を通りぬけて、ほつと一息す。寺の名は、亮朝院、神佛混淆の痕跡、七面大明神の額に殘れる堂前に、石の仁王あり。左の仁王に榜して、『この石像をたゝくべからず』としるせり。知らぬものは訝かるべく、好奇心を起すべし。右の仁王をたゝけば、こつ/\と石の音し、左の仁王をたゝけば、かんかんと金の音す。これは不思議と、物ずきのもの、つどひ來ては、石にてたゝくに、これでは、仁王の身も、終に破滅すべしと氣づかひて、かくは禁札をたてたるものと見ゆ。去年までは、こんな禁札は無かりきなど、先達ぶりで、説明するもの也。さて、何故に、金の音がするかは、言はぬが、お慰み/\。
 雜司ヶ谷の鬼子母神に到る。繁昌は、稻荷の佛化せる威光天に侵されて、子授銀杏、むなしく偉大也。こゝなる石の仁王は、御利益ありと見えて、赤き紙片ひら/\貼りつけられたり。大欅の竝木は、東京に、その類なき奇觀なるが、餓鬼道の亡者には、名物の燒鳥あるべし。
 雜司ヶ谷の墓地を過ぐ。青山、谷中、染井、その次には、こゝが數へらるゝ墓地なるが、名士の墓は、見當らず。木蔭の砂利路、さまで、きたなからざるに、横臥して休息す。見上ぐれば、われを蔽へる五六本の欅、可成り高く枝しげる。處々、枯枝あり。上なる枝に、頭をおさへられて、日光をうくるに由なきを以て、いづれも斯くは枯朽せる也。觀ずれば、一本の中にも、人生あり。優者は存し、劣者は亡ぶ。進取なる哉。人は死ぬるまでも、進取せざるべからず。さは云へ、進取にも、種類あり。世俗、一般には、利と權とのある處、廉恥なく、同情なく、下司の根性を逞しうして、他を押倒し、踏みしだき、殘忍非道の行ひをなして平氣なるもの、物質界の成功者となる。苟くも精神界の趣味を解し、物のいはれを知れる者は、渇しても盜泉の水は飮まず。盜賊一味の輩と伍を爲して、物質界の成功を得るに忍びざる也。その枯るゝは、眞に枯るゝに非ず、物質界に屈して、精神界に伸ぶる也。
下枝を枯枝にして青葉かな
 音羽の護國寺の境内を逍遙す。形勝の雄、都下に冠たり。堂宇の壯も、都下にては、十指の中に入るべし。たゞ四周の欄干にあるべき筈の擬寶珠すべて無くして、みすぼらし。まさか、和尚が鼻の下の建立にあてたるものにはあらず。必ずや、盜賊がぬすみ去りしものなるべしなど、入らぬ心配をして、征露記念塔に到れば、四天王の銅像無し。これも盜賊に奪はれたるにや。それとも盜難を恐れて、他に藏せるにや。
緑陰や釋迦牟尼佛の像高し
桃葉
 川越街道を横切りて、路を王子に取る。東京の膨脹、こゝにも及びて、新築の小さき家ならび連なる。中に一軒、勸工場式、むしろ、ハイカラ式といふべき店ありて、唐物の類を賣り、垢ぬけしたる女、流行の二百三高地ならで、ゆひたての舊式の高髷つやゝかに、店頭に新聞を讀む。これは場所に似合はずと、いぶかりつゝゆくに、路傍に下宿屋多く、幾んど下宿屋毎に『有空房』の三字の貼り札あり。路づれの桃葉、これを見て、『普通の明間ならよけれど、空房では、空閨が聯想せらる』といふのに、はじめて氣が付き、下宿人は支那人なるべしとて、名札を見るに、すべて支那人也。それで、空房の漢語も讀めたれば、場所に似合はぬ唐物屋も、よめたり。なほ進めば、宏文學院の巣鴨別校ありて、その門前には、支那料理店も控へたり。支那の學生は、幸か不幸か。このあたりは支那學生の爲に榮ゆ。啻にこのあたりのみならず、數萬の支那學生を收容して、東京の一部は、爲に賑へり。過日、めづらしき、孔子祭が行はれたるが、これ表面には、ちやんと、日本人が孔子を祀るべき理由あり。されど、裏面に、支那人の機嫌をとらむとする小刀細工あるは、孔子祭の發起人のおもなるものが、支那學生教育家のおもなる者なるを見ても、わかること也。有つても、害は無し。孔子は、かつがれても、不平は無かるべし。
 飛鳥山に上る。山一面、葉櫻に蔽はれたり。眺望も、亦蔽はれたり。そのために、煤烟天を焦す幾多の烟突も蔽はれて、却つて、うれしき心地す。老松の下に老婆の茶を賣るも、場所にふさはしく、春の熱閙にひきかへて、夏は幽靜清凉の地也。
花の山青葉になりぬ茶の畑
 王子神社へとて、山を下る。一條の川、堰ありて、水、四條に流る。他に、其類まれ也。この川、このあたりは音無川と稱す。三寶寺池より發する石神井川也。有名なる瀧野川の楓は、四五町ばかり上流に在り。その瀧野川は、世人、往々、川の名と思へど、村の名なり、川の名にはあらず。崖を攀づれば、王子神社あり。拜殿の前に、四方あけはなしの舞殿あるは、東京にては、幾んど、其比を見ず。樓門をひかへて、末社多く、ありとあらゆる屋宇、みな朱塗にして、緑陰の中に、燦然として、光彩を放てり。『土足のまゝにて上るべからず』、『堂内にて午睡すべからず』など、制札多く、その上にも、『神前結婚式、有志諸士の爲に之を行ふ。其順序方法は社務所に聞合せられたし』といふ札もあり。さりとは、粹な神樣かな。今、二十年も早からば、來りて、御世話にあづからむものを。あゝ、われは老いたり。君等はいかにと云へば、同行、皆、苦笑す。
 田端停車場へとて、道灌山下を歩す。田にも、森にも、暮烟たなびきて、日暮れむとす。一望蒼々たる水田より、一群の白鷺とびたち、杳々として、去つて暮色の中に沒す。
白鷺の青田離るゝ夕哉
桃葉
 停車場に近づけば、役宅多し。かひ/″\しく、水をくみて運びゆく女もあれば、買物風呂敷さげて歸る女もあり。其中に、年まだ若く、湯上り姿の新しき女、塀に倚りて立てるは、夫の歸りを待つにや。
蚊柱や新粧の女門にたつ
(明治四十年)





底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:雪森
2019年5月28日作成
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