今日も
千日前へ
首が
七つかゝつたさうな。…
昨日は
十かゝつた。‥‥
明日は
幾つかゝるやろ。‥‥
こんな
噂が、
市中いツぱいに
擴がつて、
町々は
火の
消えたやうに
靜かだ。
西町奉行荒尾但馬守は、
高い
土塀に
圍まれた
奉行役宅の一
室で、
腕組みをしながら、にツと
笑つた。
『
乃公の
腕を
見い。』
彼れは
腕は
細かつたが、この
中には
南蠻鐵の
筋金が
入つてゐると
思ふほどの
自信がある。
其の
細い
手の
先きに
附いてゐる
掌が、ぽん/\と
鳴つた。
『お
召しでございますか。』
矢がすりの
袷に、
赤の
帶の
竪矢の
字を
背中に
負うた
侍女が、
次の
間に
手を
支へて、キッパリと
耳に
快い
江戸言葉で
言つた。
『
玄竹はまだ
來ないか。』
但馬守もキッパリと
爽かな
調子で
問うた。
『まだお
見えになりません。』
侍女は
手を
支えたまゝ、
色の
淺黒い
瓜實顏を
擡げて
答へた。
頬にも
襟にも
白粉氣はなかつた。
『おそいなう。
玄竹が
見えたら、
直ぐこれへ
連れてまゐれ。』
滅多に
笑つたこともない
但馬守、
今日は
殊に
機嫌のわるい
主人が、にツこりと
顏を
崩したのを、
侍女紀は
不思議さうに
見上げて、『
畏まりました。』と、うや/\しく一
禮して
立ち
去らうとした。
其の
竪矢の
字の
赤い
色が、
廣い
疊廊下から、
黒棧腰高の
障子の
蔭に
消えようとした
時、
『あゝ、これ、
待て、
待て。』と、
但馬守は
聲をかけた。
『
御用でございますか。』と、
紀は
振り
向いて
跪いた。
但馬守はヂッと
紀の
顏を
見詰めてゐたが、
『
其方は
江戸に
歸りたいか。』
優しい
言葉が、やがて一
尺もあらうかと
思はるゝほどに
長く
大きな
髻を
載せた
頭のてツぺんから
出た。
『はい。』
紀の
返辭はきはめて
簡單であつた。
『
歸りたいか。』
『はい。』
『
歸りたいだらう。
生ぬるい、
青んぶくれのやうな
人間どもが、
年中指先でも、
眼の
中でも
算盤を
彈いて、
下卑たことばかり
考へてゐるこの
土地に、まことの
人間らしい
人間はとても
居られないね。
狡猾で
恥知らずで、
齒切れがわるくて
何一つ
取り
柄のない
人間ばかりの
住んで
居る
土地だ。
取り
柄と
言へば、
頭から
青痰を
吐きかけられても、
金さへ
握らせたら、ほく/\
喜んでるといふ
其の
徹底した
守錢奴ぶりだ。
此方から
算盤を
彈いて、この
土地の
人間の
根性を
數へてやると
泥棒に
乞食を
加へて、それを
二つに
割つたやうなものだなう。』
但馬守は、
例の
額の
筋をピク/\と
動かしつゝ
言つた。
紀はなんとも
答へなかつたが、
厭で
厭でたまらないこの
土地の
生ぬるい、
齒切れのわるい
人間をこツぴどくやつ
付けてくれた
殿樣の
小氣味のよい
言葉が、
氣持ちよく
耳の
穴へ
流れ
込んで、すうツと
胸の
透くのを
覺えた。
『あゝもういゝ、
行け/\。‥‥
江戸はもう
山王祭だなう、また
賑かなことだらう。』
但馬守は
懷かしさうに
言つて、
築山の
彼方に、
少しばかり
現はれてゐる
東の
空を
眺めた。
紀も
身體がぞく/\するほど
東の
空を
慕はしく
思つた。
暫らくして、
紀が
再び
廣縁に
現はれた
時は、
竪矢の
字の
背後に、
醫師の
中田玄竹を
伴うてゐた。
『
玄竹、
見えたか。』
さも/\
待ちかねたといふ
風にして、
但馬守は
座蒲團の
上から
膝を
乘り
出した。
『
見えたから、
此處に
居りまする。』
玄竹は
莞爾ともしないで
言つた。
『また
始めたな、
玄竹。
其の
洒落は
古いぞ。』と、
但馬守は
微笑んだ。
『
古いも
新らしいも、
愚老は
洒落なんぞを
申すことは
嫌ひでございます。
江戸つ
子のよくやります、
洒落とかいふ
言葉の
戲れ
遊びは、
厭でございます。
總じて
江戸は
人間の
調子が
輕うて、
言葉も
下にござります。
下品な
言葉の
上へ、
無暗に「お」の
字を
附けまして、
上品に
見せようと
企んで
居ります。
味噌汁のことをおみおつけ、
風呂のことをおぶう、
香のもののことをおしんこ。‥‥』
『もういゝ、
玄竹。
其方の
江戸攻撃は
聞き
飽きた。なう
紀。』と、
但馬守は
玄竹のぶツきら
棒に
言ひたいことを
言ふのが、
好きでたまらないのであつた。
江戸から
新らしく
此の
町奉行として
來任してから
丁度五ヶ
月、
見るもの、
聞くもの、
癪に
障ることだらけの
中に、
町醫中田玄竹は
水道の
水で
産湯を
使はない
人間として、
珍らしい
上出來だと
思つて
感心してゐる。
『
玄竹さまは、わたくしがお
火のことを
おしと
言つて、
ひを
しと
訛るのをお
笑ひになりますが、
御自分は、
しを
ひと
間ちがへて、
失禮をひつれい、
質屋をひち
屋と
仰しやいます。ほゝゝゝゝゝ。』と、
紀は
殿樣の
前をも
忘れて、
心地よげに
笑つた。
『
紀どのは、
質屋のことを
御存じかな。』と、
玄竹の
機智は、
敵の
武器で
敵を
刺すやうに、
紀の
言葉を
捉へて、
紀の
顏の
色を
赧くさせた。
『
料理番に
申しつけて、
玄竹に
馳走をして
取らせい。
余もともに一
獻酌まう。』と、
但馬守は、
紀を
立ち
去らせた。
『
殿樣、
度々のお
人でございまして、
恐れ
入りました。
三日の
間城内へ
詰め
切りでございまして、
漸う
歸宅いたしますと
町方の
病家から、
見舞の
催促が
矢を
射るやうで、
其處をどうにか
切り
拔けてまゐりました。』
『それは
大儀だツた。どうだな
能登守殿の
御病氣は。』と、
但馬守は
容を
正して
問うた。
『
御城代樣の
御容態は、
先づお
變りがないといふところでございませうな。
癆症といふものは
癒りにくいもので。』と、
玄竹は
眉を
顰めた。
『
前御城代山城守殿以來、
大鹽の
祟りで、
當城には
碌なことがないな。』
『
猫間川の
岸に
柳櫻を
植ゑたくらゐでは、
大鹽の
亡魂は
浮ばれますまい。しかし
殿樣が
御勤務役になりましてから、
市中の
風儀は、
見ちがへるほど
改まりました。
玄竹、
辯ちやらが
大嫌ひでござりますで、
正直なところ、
殿樣ほどのお
奉行樣は
昔からございません。』と
言つて、
玄竹は
剃り
立ての
頭を
一つ、つるりと
撫でた。
『
譽められても
嬉しくはないぞ。
玄竹、それより
何か
面白い
話でもせんか。』と、
但馬守の
顏には、どうも
冴え
切らぬ
色があつた。
『
殿樣のお
氣に
召すやうな
話の
種は
尠うござりましてな。また
一つ
多田院參詣の
話でもいたしませうか。』
『うん、あの
話か。あれは
幾度聽いても
面白いな。』と、
言ひかけた
但馬守は、
不圖玄竹の
剃り
立の
頭に、
剃刀創が二ヶ
所ばかりあるのを
發見して、『
玄竹、だいぶ
頭をやられたな。どうした。』と、
首を
伸ばして、
覗くやうにした。
『いやア。』と、
玄竹、
頭を
押へて、『
御城内で、
御近習に
切られました。
御城内へ
詰め
切りますと、これが
一つの
災難で‥‥。』と、
醫者仲間では
嚴格と
偏屈とで
聞えた
玄竹も、
矢張り
醫者全體の
空氣に
浸つて、
少しは
輕佻な
色が
附いてゐた。
『
能登守殿の
近習が、
其方の
頭を
切るか。』と、
但馬守は
不審さうにして
問うた。
『
左樣でござります。
愚老の
頭を
草紙にして、
御城代樣のお
月代をする
稽古をなさいますので、
成るたけ
頭を
動かしてくれといふことでござりまして。どうも
危いので、
思ふやうに
動かせませなんだが、それでもだいぶ
創が
附きましたやうで、
鏡は
見ませんが、
血が
浸染んで
居りますか。』と、
玄竹は
無遠慮に、
圓い
頭を
但馬守の
前に
突き
出して
見せた。
疊三
枚ほど
距つてはゐるが、
但馬守の
鋭い
眼は、
玄竹の
頭の
剃刀創をすつかり
數へて、
『
創は
大小三ヶ
所だ。‥‥
大名といふものは、
子供のやうなものだなう。
月代を
剃らせるのに
頭を
動かして
仕樣がないとは
聞いてゐたが、
醫者の
坊主の
頭を
草紙にして、
近習が
剃刀の
稽古をするとは
面白い。
大名の
頭に
創を
附けては、
生命がないかも
知れないからな。』と
言ひながら、
但馬守は『
生命がない』の一
語を
口にするとともに、
少し
顏の
色を
變へた。
玄竹は
病家廻りの
忙しい
時間を
割いて、
日の
暮れるまで、
但馬守の
相手をしてゐた。
酒肴が
出て、
酒の
不調法な
玄竹も、
無理から
相手をさせられた
盃の
二つばかりに、ほんのりと
顏を
染めてゐた。一
合ほどを
量とした
但馬守は、
珍らしく二三
度も
銚子を
代へたが、一
向に
醉ふといふことを
知らなかつた。
飮めば
飮むほど
顏色の
蒼ざめて
行くのが、
燭臺の
火のさら/\する
中に、
凄いやうな
感じを
玄竹に
與へた。
玄竹は
今日の
奉行役宅が、いつもよりは
更に
靜かで、
寂しいのに
氣が
付いた。
夜に
入るとともに、
靜寂の
度が
加はつて
川中の
古寺の
書院にでも
居るやうな
心持ちになつた。いつも
氣に
入りの
玄竹が
來ると、
但馬守は
大抵差し
向ひで
話をして
障子には、
大きな、『××の
金槌』と
下世話に
惡評される
武士髷と、
固い
頭とが
映るだけで、
給仕はお
氣に
入りの
紀が
一人で
引受けて
辨ずるのであるが、それにしても、
今宵は
何んだか
寂し
過ぎて、
百物語の
夜といふやうな
氣がしてならなかつた。
『
玄竹、
其方に
逢つたのは、いつが
初對面だツたかなう。』と、
但馬守は
空の
盃を
玄竹の
前に
突き
出して、
銚子の
口を
受けながら
言つた。お
氣に
入りの
紀さへ
席を
遠ざけられて、
何かしら
込み
入つた
話のありさうなのを、
玄竹は
氣がかりに
思ひつゝ、
落ち
着かぬ
腰を
無理から
落ち
着けて、
天王寺屋、
米屋、
千種屋と
出入りの
大町人に
揃ひも
揃つて
出來た
病人のことを、さま/″\に
考へてゐた。
『
御勤役間もない
頃のことでござりました。
岡部樣の一
件から、
しようもないことが、
殿樣のお
氣に
召しまして。‥‥』と、
玄竹は
圓い
頭を
振り/\
言つた。さうして
物覺えのよい
但馬守がまだ
半年にもならぬことを、むざ/\
忘れてしまはうとは
思はれないので、
何か
理由があつてこんなことを
問ふのであらうと、
玄竹は
心で
頷いた。
『あゝア、さうだつたなア。
美濃守殿のことから、
其方の
潔白を
聞いて、ひどく
感心したのだつたな。
全く
其方は
此の
卑劣な、
強慾な、
恥知らずの
人間ばかり
多い
土地で、
珍らしい
潔白な
高尚な
人間だ。
余は
面前で
其の
人間を
譽めるのを
好まんが、
今夜は
許してくれ。』と、
但馬守はまた
盃を
上げた。
『
黒い
物ばかりの
中では、
鼠色も
白く
見えまするもので。‥‥』と、
玄竹は
得意氣に
言つた。
『しかし、
美濃守殿も、
不慮のことでなう。
江戸表參覲の
出がけに、
乘り
物の
中で
頓死するといふのは
椿事中の
椿事だ。』と、
但馬守の
言葉は、
死といふことになると、
語氣が
強く
且つ
沈痛の
響きを
帶びた。
『あの
時は
愚老も
不審に
思ひました。
岸和田藩のお
武士が
夜分内々で
見えまして、
主人美濃守急病で
惱んでゐるによつて
診てくれとのお
話。これから
直ぐお
見舞申さうと
申しますと、いや
明日でよい、
當方から
迎へをよこすと、
辻褄の
合はぬことを
言うて、さツさと
歸つて
行かれるのでござります。
翌る
日も
漸う
巳の
下刻になつて、ちやんと
共揃ひをした
武士が
改めて
愚老を
迎へに
見えましたが、
美濃守樣はもう
前の
日の
八つ
頃に
御臨終でござりまして。‥‥』と、
玄竹は
天下の一
大事を
語るやうに、
聲を
密めて
言つた。
『この
土地で
病み
患ひをしたのは、
其方の
見立て
書きがないと、
江戸表へ
通らないことは、かねがね
聞いてゐた。
其の
特權を
利用して、
其の
方は
不當の
袖の
下を
取るのだらうと、
實は
當地へ
勤役の
初めに
睨んでおいた。ところが
美濃守殿の一
件で、
言はゞ五
萬三
千石の
家が
立つか
潰れるかを、
其方の
掌に
握つたも
同樣、どんな
言ひがかりでも
付けられるところだと、
内々で
注意してゐると、
潔白の
其方は、ほんの
僅かな
藥禮を
受けて、
見立て
書きを
認めたと
聞き、
實に
感心したのだ。』と、
但馬守は
今もなほ
感心をつゞけてゐるといふ
風であつた。
『
醫道の
表から
申しますれば、
死んだものを
生きてゐるとして、
白々しい
見立て
書きで、
上を
僞るのは、
重い
罪に
當りませうが、これもまア、五
萬三
千石の一
家中を
助けると
思うていたしました。』と、
玄竹はまた
得意氣な
顏をした。
『
天下の
役人が、
皆其方のやうに
潔白だと、
何も
言ふことがないのだが。‥‥』と、
但馬守は、
感慨に
堪へぬといふ
樣子をした。
『
しようもないことが、お
氣に
召したとは
存じて
居りましたが、しかし
殿樣にあの
時のことをすツかり
愚老の
口から
申し
上げますのは、
今日が
初めでござります。』
『
余も
其方の
面前で、この
事を
譽めるのは、
今夜が
初めだ。
其方とは
何かにつけて、
氣が
合ふなう。』
『
愚老も
殿樣が
守口で、
與力衆の
膽玉をお
取り
拉ぎになつたことを、
今もつて
小氣味よく
存じて
居ります。』
話がよく
合ふので
二人は
夜の
更けるのを
忘れて
語りつゞけた。
西町奉行荒尾但馬守が、
江戸表から
着任するといふので、三十
騎の
與力は、
非番の
同心を
連れて、
先例の
通り
守口まで
出迎へた。
師走の
中頃で、
淀川堤には
冬枯れの
草が
羊の
毛のやうでところ/″\に
圓く
燒いた
痕が
黒く
見えてゐた。
戲れに
枯草へ
火を
移した
子供等は、
遙かに
見える
大勢の
武士の
姿に
恐れて、
周章てながら
火を
消さうと、
青松葉の
枝で
叩くやら、
燃えてゐる
草の
上へ
轉がるやらして、
頻りに
騷いでゐた。
青い
水の
上には、
三十石船がゆつたりと
浮んで、
晴れた
冬空の
弱い
日光を、
舳から
艫へいツぱいに
受けてゐた。
伏見から
京街道を
駕籠で
下つて
來た
但馬守が、
守口で
駕籠をとゞめ、
靜かに
出迎への
與力等の
前に
現はれたのを
見ると
眞岡木綿の
紋付きに
小倉の
袴を
穿いてゐた。
何處の
田舍武士かと
言つたやうな、
其の
粗末な
姿を
見て、
羽二重づくめの
與力どもは、あつと
驚いた。
與力の
中でも、
盜賊方と
地方とは、
實入りが
多いといふことを、
公然の
祕密にしてゐるだけあつて、
其の
裝ひでもまた
一際目立つて
美々しかつた。
羽二重の
小袖羽織に
茶宇の
袴、それはまだ
驚くに
足りないとして、
細身の
大小は、
拵へだけに四
百兩からもかけたのを
帶してゐた。
鐺に
嵌めた
分の
厚い
黄金が
燦然として、
冬の
日に
輝いた。それを
但馬守に
見られるのが
心苦しさに
地方の
與力何某は、
猫に
紙袋を
被せた
如く
後退りして、
脇差しの
目貫の
上り
龍下り
龍の
野金は、
扇子を
翳して
掩ひ
隱した。
『
遠方までわざ/\
出迎へを
受けて、
大儀であつた。
何分新役のことだから、
萬事宜しく
頼む。しかしかうして、
奉行となつて
見れば、
各々與力同心は、
余の
子のやうに
思ふ。
子だから
可愛いが、いけないことがあると
叱りもすれば
勘當もする。
事によつたら
殺すかも
知れない。
各々も
知つてゐるだらう、
御城與力や
同心は、
御城代へ
勤役中預けおく、といふ
上意だが、
町奉行へは
與力同心を
勤役中下されおくといふ
上意になつて
居る。
御城與力は、
御城代の
預り
物だが
町奉行は
與力同心を
貰つたのだ。
詰まり
各々は
今日から、この
但馬の
貰ひ
物だ。
貰ひ
物だから、
活かさうと
殺さうと
但馬の
勝手だ。
其處をよく
辨へて、
正しく
働いて
貰ひたい。
爪の
垢ほどでも、
不正があつたら、この
但馬は
決して
默つてゐない。』
堤の
枯草の
上に
立つて、
但馬守は
大きな
聲で
新任の
挨拶に
兼ねて一
場の
訓示演説をした。
其の
演説に
少しも
耳を
痛めないで
聽くことの
出來た
者は、
多くの
與力同心中で
殆んど
一人もなかつた。
『
此地の
與力は
皆な
贅澤だと、かね/″\
聞いてゐたが、しかしこれほどだとは
思はなかつた。お
蔭で
但馬、
歌舞伎役者の
座頭にでもなつたやうな
氣がする。』と、ひどい
厭味を
言つた
時は、
與力どもが
皆な
冷汗に
仕立ておろしの
襦袢の
胴を
濡らした。
かうして、
但馬守は
敵地にでも
乘り
込むやうにして、
奉行役宅へ
入つたのであつた。
天滿與力はそれから
急に
木綿ものの
衣類を
仕立てさせるやら、
大小の
拵へを
變へるやら、ごた/\と
大騷ぎをしたが、
但馬守の
眼は、キラ/\と
常に
彼等の
上に
光つて、
彼等は
眩しさに
尻込みばかりしてゐた。
但馬守は
先づ
與力どもを
威かし
付けて
置いて、それから
町家の
上に
眼を
配つた。すると
其處には、あらゆる
腐敗が、
鼻持ちもならぬまでにどろ/\と、
膿汁のやうな
臭氣を八
方に
流してゐた。
其の
中で、
内安堂寺町に
住む
町醫の
中田玄竹だけが、ひどく
氣に
入つて、
但馬守の
心は
玄竹の
圓い
頭を
見なければ、
決して
動くことがなくなつた。
但馬守が
玄竹を
愛したのは、
玄竹が
岡部美濃守の
頓死を
披露するに
最も
必要な
診斷書を、
何の
求むるところもなく、
淡白に
書き
與へたといふ
心の
潔白を
知つたのが
第一の
原因である。それから、
但馬守が
着任して
間もなく、
或るところで
變死人があつた
時、
其の
土地の
關係で、
但馬守の
配下の
與力と、
近衞關白家の
役人ともう一ヶ
所何處かの
代官の
何かの
組下と、かう三
人揃はなければ、
檢死は
行はれない
事情があつて、
死體は
菰包みのまゝ
十日近くも
轉がしてあつた。それで
其の一
町四
方は
晝間も
戸を
締めたといふほど、ひどい
臭氣が、
其の
頃の
腐つた
人間の
心のやうに、
風に
吹かれて
飛び
散つた。
漸く
三組の
役人の
顏が
揃うて、いざ
檢死といふ
時、
醫師として
中田玄竹が
出張することになつた。
流石に
職掌柄とて
玄竹は
少しも
死體の
臭氣を
感じない
風で、
菰の
下の
腐肉を
細かに
檢案した。
『もういゝ
加減でよいではないか。』
近衞家の
京武士は、
綺麗な
扇で、のツぺりした
顏を
掩ひつゝ、
片手で
鼻を
摘まんで、三
間も
離れたところから、
鼻聲を
出した。
『もうよい
分つた。』と、
但馬守配下の
與力も
言つた。
『ひどい
蛆だなア。』と、一
番近く
寄つた
某家の
武士の
側からでも、
死體まではまだ一
間半ばかりの
距離があつた。
『もつと
近うお
寄りなさい。それで
檢死の
役目は
濟みますか。』と
言ひ/\、
玄竹は
腐つた
死體を
右に
左に、
幾度もひつくりかへした。
皮が
破れ、
肉が
爛れて、
膿汁のやうなものが、どろ/\してゐた。
内臟はまるで
松魚の
酒盜の
如く、
掻き
廻されて、ぽかんと
開いた
脇腹の
創口から
流れ
出してゐた。
死體が
玄竹の
手で
動かさるゝ
度に、
臭氣は一
層強く、
人々の
鼻を
襲うた。
『やアたまらん。』と、
京武士は
更に一二
間も
後退りした。
『もツと
側へ
寄つて、ほんたうに
檢死をなさらんと、
玄竹檢案書を
認めませんぞ。』と、
玄竹は
大きな
聲を
出した。
其の
聲は
遠くから、
鼻を
摘まみつゝ
檢死の
模樣を
見たがつてゐる
群衆の
耳まで
響くほど
高かつた。
三
人の
武士は
仕かたなしに、
左右を
顧みつゝ、
少しづつ
死體の
側に
近寄つて
來た。
玄竹は
町醫であるけれども、
夙に
京都の
方へ
手を
廻して、
嵯峨御所御抱への
資格を
取り、
醫道修業の
爲めに
其の
地に
遣はすといふ
書付に、
御所の
印の
据わつたのを
持つてゐるから、
平生は一
本きり
帶してゐないけれども、二
本帶して
歩く
資格を
有つてゐて、
與力や
京武士の
後へ
廻らなくてもいいだけの
地位になつた。
『まるで、
今の
世の
中を
見るやうに
上も
下も、すつかり
腐つて
居りますぞ。
臭いもの
身知らずとやら、この
死骸よりは
今の
世の
中全體の
方が
臭氣はひどい。この
死骸の
腐り
加減ぐらゐは
今の
世の
中の
腐りかたに
比べると
何んでもござらん。』
玄竹は
當てこすりのやうなことを
言つて、
更らに
劇しく
死體を
動かした。三
人の
武士は、『ひやア。』と
叫んで、また
逃げ
出した。――
この
話を
但馬守が、
與力から
聞いて、一
層玄竹が
好きになつたのであつた。それからもう
一つ、
玄竹が
但馬守を
喜ばせた
逸話がある。
其の
春、
攝州多田院に
開帳があつて、
玄竹は
病家の
隙を
見た
上、一
日其の
參詣に
行きたいと
思つてゐた。ところが
丁度玄竹に
取つて
幸ひなことには、
多田院別當英堂和尚が
病氣になつて、
開帳中のことだから、
早く
本復させないと
困るといふので、
玄竹のところへ
見舞を
求むる
別人が
來た。
其の
前年の八
月、
英堂和尚が
南都西大寺から
多田院への
歸りがけに、
疝氣に
惱んで、
玄竹の
診察を
受けたことがあるので、一
度きりではあるが、
玄竹は
英堂和尚と
相識の
仲であつた。それで
直ぐ
準備をして、
下男に
藥箱を
擔がせ、
多田院からの
迎への
者を
先きに
立てて、
玄竹はぶら/\と
北野から
能勢街道を
池田の
方へ
歩いた。
駕籠に
乘つて
行かうかと
思つたけれど、それも
大層だし、
長閑な
春日和を、
麥畑の
上に
舞ふ
雲雀の
唄を
聽きつゝ、
久し
振りで
旅人らしい
脚絆の
足を
運ぶのも
面白からう、
何んの六
里ぐらゐの
田舍路を、
長袖の
足にも
肉刺の
出來ることはあるまいと
思つて、
玄竹は
殆んど二十
年振りで
草鞋を
穿いたのであつた。
北野を
出はづれると、
麥畑の
青い
中に、
菜の
花の
黄色いのと、
蓮華草の
花の
紅いのとが、
野面を
三色の
染め
分けにして
其の
美しさは
得も
言はれなかつた。
始終人間の
作つた
都會の
中ばかりを
駕籠で
往來してゐた
玄竹が、
神の
作つた
田舍の
氣を
心ゆくまで
吸つた
時は、ほんたうの
人間といふものがこれであるかと
考へた。
駕籠なんぞに
窮屈な
思ひをして
乘つてゐるよりは、
輕い
塵埃の
立つ
野路をば、
薄墨に
霞んだ
五月山の
麓を
目當てに
歩いてゐた
方が、どんなに
樂しみか
知れなかつた。
左の
方には、
六甲の
連山が、
春の
光りに
輝いて、ところ/″\
赤く
禿げた
姿は、そんなに
霞んでもゐなかつた。
十三、
三國と
川を
二つ
越して、
服部の
天神に
參詣し、
鳥居前の
茶店に
息んだ
上、またぼつ/\と
出かけた。
玄竹の
藥箱は
可なり
重いものであつた。これは
玉造の
稻荷の
祭禮に
御輿擔いだ
町の
若い
衆がひどい
怪我をした
時玄竹が
療治をしてやつたお
禮に
貰つたものであつた。
療治の
報酬に
藥箱の
進物といふのは、
少し
變だが、
本道のほかに
外療も
巧者の
玄竹は、
若い
者の
怪我を
十針ほども
縫つて、
絲に
絡んだ
血腥いものを、
自分の
口で
嘗め
取るといふやうな
苦勞までして、
漸く
癒してやつた
其の
禮が、たつた五
兩であつたのには、一
寸一
兩の
規定にして、
餘りに
輕少だと、
流石淡白な
玄竹も
少し
怒つて、
其の五
兩を
突き
返した。すると、
先方では
大に
恐縮して、いろ/\
相談の
末、
或る
名高い
針醫が
亡つて、
其の
藥箱の
不用になつてゐたのを
買ひ
取り、それを
療法の
禮として
贈つて
來たのが、この
藥箱で、
見事な
彫刻がしてあつて、
銀金具の
厚いのが
打つてあつた。
五月山の
木が一
本々々數へられるやうになると、
池田の
町は
直ぐ
長い
坂の
下に
見おろされた。
此處からはもう
多田院へ一
里、
開帳の
賑ひは、この
小都會をもざわつかしてゐた。
朝六つ
半に
立つてから、
老人の
足だから、
池田へ
着いた
時は、もう
八つであつた。おくれた
中食をして、またぽつ/\と、
馬も
通ひにくい
路を、
川に
添つて
山奧へと
進んで
行つた。
今まで
前面に
見てゐた
五月山の
裏を、これからは
後方に
振りかへるやうになつた。
美しい
瀬を
立てて、
玉のやうな
礫をおもしに、
獸の
皮の
白く
晒されたのが
浸してある
山川に
沿うて
行くと、
山の
奧にまた
山があつた。
權山といふ
峠は、
低いながらも、
老人にはだいぶ
喘いで
越さねばならなかつた。
峠の
頂上からは、
多田院の
開帳の
太鼓の
音が
聞えて、
大幟が
松並木の
奧に、
白く
上の
方だけ
見せてゐた。
峠を
下ると『
多田御社道』の
石標が
麥畑の
畦に
立つて、
其處を
曲れば、
路はまた
山川の
美しい
水に
石崖の
裾を
洗はれてゐた。
川に
附いて
路はまた
曲つた。
小さな
土橋が
一つ、
小川が
山川へ
注ぐところに
架つてゐた。
山川には
橋がなくて、
香魚の
棲みさうな
水が、
京の
鴨川のやうに、あれと
同じくらゐの
幅で、
淺くちよろ/\と
流れてゐた。
正面にはもう
多田院の
馬場先きの
松並木が
枝を
重ねて、ずうつと
奧へ
深くつゞいてゐるのが
見えた。
松並木の
入口のところに、
川を
背にして、
殺生禁斷の
碑が
立つてゐた。
松並木の
路は
流石に
廣くつて、
松も
可なりに
太く
老いてゐた。
參詣の
老若男女は、ぞろ/\と、
織るやうに
松並木の
路を
往來して、
袋に
入つた
飴や、
紙で
拵へた
旗のやうなものが、
子供の
手にも
大人の
手にもあつた。
太鼓の
音に
混つて、ひゆう/\と
笛の
音らしいものも、だん/\
間近に
聞えて
來た。
松並木が
盡きると、
石だたみのだら/\
坂があつて、
其の
邊から
兩側に
茶店が
並んでゐた。『
君勇』とか『
秀香』とか、
都の
歌妓の
名を
染めた
茶色の
短い
暖簾が、
軒に
懸け
渡されて、
緋毛氈の
床几を
背後に、
赤前垂の
女が、
甲高い
聲を
絞つてゐた。
『お
掛けやす、お
入りやす、
息んでおいでやす。』
『
御門内はお
腰の
物が
許りません。お
腰の
物をお
預りいたします。』
おちよぼ
口にお
鐵漿の
黒い
女は、
玄竹の
脇差しを
見て、かう
言ひながら、
赤い
襷がけのまゝで、
白い
手を
出した。『えらい
權式ぢやなア。』と
思ひながら、
玄竹は
腰差しを
預けようとすると、
多田院から
來た
迎への
男が
手を
振つて、『よろしい/\。』と
言つた。
『あゝ、
御寺内のお
客さんだつかいな。
孫右衞門さん、
御苦勞はん。』と、
茶店の
女は
愛嬌を
振り
撒いた。
東の
門から
入つて、
露店と
參詣人との
雜沓する
中を、
葵の
紋の
幕に
威勢を
見せた
八足門の
前まで
行くと、
向うから
群衆を
押し
分けて、
脊の
高い
武士がやつて
來た。
物を
言つたことはないが、
顏だけは
覺えてゐる
天滿與力の
何某であることを
玄竹は
知つてゐた。この
天滿與力は
町人から
袖の
下を
取るのに
妙を
得てゐる
形だけの
偉丈夫であつた。
新任の
奉行の
眼が
光るので、
膝元では
綿服しか
着られない
不平を
紛らしに、こんなところへ、
黒羽二重に
茶宇の
袴といふりゆうとした
姿で
在所のものを
威かしに
來たのだと
思はれたが、
多田院は
日光に
次ぐ
徳川家の
靈廟で、
源氏の
祖先が
祀つてあるから、
僅か五
百石の
御朱印地でも、
大名に
勝る
威勢があるから
天滿與力も
幅が
利かなかつた。
黄金作りの
大小を
門前の
茶店で
取り
上げられて、
丸腰になつたのを
不平に
思ふ
風で、
人を
突き
退けながらやつて
來た
其の
天滿與力は、
玄竹が
脇差しを
帶してゐるのを
見て、
怪しからんといふ
風で、一
層ひどく
人を
突き
退けながら
南の
門の
方へ
出て
行つた。
『
馬鹿ツ。』と、
玄竹は
與力の
後姿を
振りかへつて
獨言をした。
鷹尾山法華三昧寺多田院と
言つても、
本殿と
拜殿とは
神社風で、
兩部になつてゐた。
玄竹は
本殿に
昇つて、
開帳中の
滿仲公の
馬上姿の
武裝した
木像を
拜し、これから
別當所へ
行つて、
英堂和尚の
老體を
診察した。
病氣は
矢張り
疝癪の
重つたのであつた。
早速藥を
調合し、
土地の
醫者に
方劑を
授けたが、
其の
夜玄竹は、
塔頭の
梅の
坊といふのへ
案内されて、
精進料理の
饗應を
受け、
下男とともに一
泊して、
翌朝歸ることになつた。五
百石でも
別當はこの
土地の
領主で、
御前と
呼ばれてゐた。
其の
下に
代官があつて、
領所三ヶ
村の
政治を
執つてゐた。
其の
夜、
天滿與力の
何某が、
門前の
旅籠屋に
泊り、
大醉して
亂暴し、
拔刀で
戸障子を
切り
破つたが、
多田院の
寺武士は
劍術を
知らないので、
取り
押へに
行くことも
出來なかつたといふ
話を、
玄竹は
翌朝聞いて
齒痒く
思つた。
翌日は
別當の
好意で、
玄竹は
藥箱を
葵の
紋の
附いた
兩掛けに
納め、『
多田院御用』の
札を、
兩掛けの
前の
方の
蓋に
立てて
貰つた。さうして
下男には、
菱形の四
角へ『
多』の
字の
合印しの
附いた
法被を
着せてくれた。
兩掛けの一
方には
藥箱を
納め、
他の一
方には
土産物が
入つてゐた。
少し
重いけれど、かうして
歩けば
途中が
威張れて
安全だといふので、
下男は
勇み
立つて
歩き
出した。
成るほど
葵の
紋と『
多田院御用』の
木札は、
行き
逢ふ
人々に
皆々路を
讓らせた。
大名の
行列が
來ても、五
分々々に
通れるといふほどの
權威のあるものに、
玄竹の
藥箱は
出世した。
岡町で
中食をして、
三國から
十三の
渡しに
差しかゝつた
時は、もう
七つ
頃であつた。
渡船が
込み
合つてゐるので、
玄竹は
路の
片脇へ
寄つて、
待つてゐた。この
次ぎには
舟が
空くだらう、どうせ
日いつぱいには
歸れまいから、ゆつくりして
行かうと、
下男にさう
言つて、
煙草をくゆらしてゐると、いつぱい
人を
乘せて、もう
岸から二
間ほども
出かゝつた
渡船をば、『こら
待て、
待て。』と、
呼び
留めながら、
駈けて
來たのは、
昨日多田院で
見た
天滿與力の、
形だけは
偉丈夫然とした
何某であつた。
武士に
呼び
留められたので、
船頭は
不承々々に
舟を
漕ぎ
戻した。こぼれるほどに
乘つた
客は
行商の
町人、
野ら
歸りの
百姓、
乳呑兒を
抱へた
町家の
女房、
幼い
弟の
手を
引いた
町娘なぞで、一
度出かゝつた
舟が、
大きな
武士の
爲めに
後戻りさせられたのを、
不平に
思ふ
顏色は、
舟いつぱいに
溢れてゐた。
天滿與力は、
渡船を
呼び
戻してみたけれど、
殆んど
片足を
蹈み
込む
餘地もないので、
腹立たし
氣に
舌打ちして、
汀に
突つ
立つてゐたが、やがて
高く、
虎が
吼えるやうに
聲を
張り
上げると、
『
上れ、
上れ。
百姓町人、
同船ならん。』と、
居丈高になつた。
さう
言はれると、
弱い
者どもは
強い
者の
命に
服從するよりほかはなかつた。
腹立たし
氣な
顏をしたものや、ベソを
掻いたものや、
怖さうにおど/\したものなぞが、
前後してぞろ/\と
舟から
陸へ
上つた。
母に
抱かれた
嬰兒の
泣く
聲は、
殊に
哀れな
響を
川風に
傳へた。
空になつた
渡船へ、
天滿與力は
肩をいからして
乘つた。
六甲山に
沈まうとする
西日が、きら/\と
彼れの
兩刀の
目貫を
光らしてゐた。
船頭は
憎々しさうに、
武士の
後姿を
見詰めながら、
舟を
漕ぎ
出した。
舟がまた一
間半ばかり
岸を
離れた
時、
玄竹は
下男を
促して
兩掛けを
擔がせ、
大急ぎで
岸へ
駈け
付けて、
『
待て、
待て。
其の
舟待て。』と、
高く
叫んだ。
墨黒々と
書かれた『
多田院御用』の
木札を
立てて
來られると、
船頭はまた
舟を
返さないわけに
行かなかつた。
天滿與力は
面を
膨らしつゝ、
矢張り『
多田院御用』の
五文字に
膨れた
面を
射られて、うんともすつとも
言はずに、
雪駄穿きの
足を
舟から
岸へ
跨がないではゐられなかつた。‥‥さうして
葵の
紋の
附いた
兩掛けに
目禮して、
片脇へ
寄つてゐなければならなかつた。
玄竹は
意氣揚々と、
舟の
眞ん
中へ『
多田院御用』の
兩掛けを
据ゑて、
下男と
二人それを
守護する
位置に
跪いた。
船頭が
棹を
取りなほして
舟を
出さうとするのを、
玄竹は、『あゝ、こら、
待て/\。』と
止めて、
『
同船許す、みんな
乘れ。』と、
天滿與力に
舟から
引きおろされた
百姓町人の
群に
向つて
聲をかけた。いづれも
嬉しさうにして、
舟へ
近付いて
來るのを、
突き
退けるやうにして、
天滿與力は
眞つ
先きに
舟へ、
雪駄の
足を
跨ぎ
込んだ。
其の
途端、
玄竹はいつにない
雷のやうに
高聲で、
叱
[#ルビの「した」はママ]した。
『
武士、
同船ならん。』
天滿與力は、
太い
棒か
何かで
胸でも
突かれたやうに、よろ/\としながら、
無念氣に
玄竹の
坊主頭を
睨み
付けたが、『
多田院御用』の
五文字は、
惡魔除けの
御符の
如く、
彼れを
壓し
付けて
動かさなかつた。
玄竹の
高い
聲に
驚いて、
百姓町人の
群れまでが、
後退りするのを、
玄竹は
優しく
見やつて、
『
百姓乘れ、
町人乘れ、
同船許す。』と、
手招きした。
天滿與力がすご/\と
船から
出るのに、ざまア
見ろと
言はぬばかりの
樣子で
摺れちがつて、
百姓町人はどや/\と
舟に
乘つて
來た。
鈴生りに
人を
乘せた
舟が、
對岸に
着くまで、
口惜しさうにして
突つ
立つた
天滿與力の、
大きな
赤い
顏が、
西日に
映つて一
層赤く
彼方の
岸に
見えてゐた。――
この
與力は
間もなく、
但馬守から
閉門を
命ぜられた
擧句に、
切腹してしまつた。
其の
咎の
箇條の
中には、
多田院御用の
立札に
無禮があつたといふ
件もあつた。
但馬守は
新任の
初めから、この
腐つた
大きな
都會に
大清潔法を
執行するつもりでゐた。
彼れはかね/″\
書物を
讀んで、
磔刑、
獄門、
打首、それらの
死刑が
決して、
刑罰でないといふことを
考へてゐた。
彼れは
刑罰といふものが
本人の
悔悟を
基礎としなければならぬと
考へる
方の
一人であつた。
殺されてしまへば、
悔いることも
改めることも
出來ない。
從つて、
死刑は
刑でないといふ
風に
考へた。
ところが
彼れは、
町奉行といふ
重い
役目を
承つて、
多くの
人々の
生殺與奪の
權を、
其の
細い
手の
掌に
握るやうになると
忽ち一
轉して、
彼れの
思想は、
死刑をば十
分に
利用しなければならぬといふ
議論を
組み
立てさせ、
着々それを
實行しようとした。
死刑は
理想として
廢すべきものだけれど、それが
保存されてある
以上、
成るたけ
多く
利用しなければならぬ。
曲つた
社會の
正當防衞、
腐つた
世の
中の
大清潔法、それらを
完全に
近く
執行するには、
死刑を
多く
利用するよりほかにないと
考へた。
往來で
煙草を
吸つたもの、
込み
合ふ
中で
人を
押し
退けて
進まうとしたもの、そんなのまでを
直ぐ
引つ
捕へて、
打首にするならば、
火事は
半分に
減ずるし、
世の
中の
風儀は
忽ち
改まるであらうと
思つた。
しかし、
但馬守も
流石に、そんな
些事に
對して、一々
死刑を
用ゐることは
出來なかつたが、
掏摸なぞは
從來三
犯以上でなければ
死刑にしなかつたのを、
彼れは二
犯或は
事によると
初犯から
斬り
棄てて、
其の
首を
梟木にかけた。十
兩以上の
盜賊でなくても、
首は
繋がらなかつた。
死刑は
連日行はれた。
彼れが
月番の
時は、
江戸なら
淺右衞門ともいふべき
首斬り
役の
刃に、
血を
塗らぬ
日とてはなかつた。
『
今日は
千日前に
首が
七つかゝつた。』
『
昨日は
十かゝつた。』
『
明日は
幾つかゝるやろ。‥‥』
こんな
言葉が、
相逢ふ
人々の
挨拶のやうに、また
天氣を
占ふやうに、
子供の
口にまで
上るとともに、
市中は
忽ち
靜まりかへつて、ひつそりとなつた。
但馬守は
莞爾と
笑つて、
百の
宗教、
千の
道徳も、
一つの
死刑といふものには
敵はない、これほど
效果の
多いものは
他に
求むることが
出來ないと
思つた。
配下の
與力同心は
慄へあがるし、
人民は
皆な
往來を
歩くにも
小ひさくなつて、
足音さへ
立てぬやうにした。
芝居の
土間で
煙草を
吸つて、
他人の
袂を
焦がしたものも、
打首になるといふ
噂が
傳つた
時は、
皆々蒼くなつた。それはもとより
噂だけにとゞまつたが、それ
以來、
當分は
芝居を
觀ながら
煙草を
吸ふものが
殆んどなくなつた。
噂だけでも、
死刑といふものには、
覿面の
效力があると
思つて、
但馬守は
微笑した。
氣に
入りの
玄竹を
相手に、
夜の
更けるのを
忘れてゐた
但馬守は、
幾ら
飮んでも
醉はぬ
酒に、
便所へばかり
立つてゐたが、
座敷へ
戻る
度に、
其の
顏の
色の
蒼みが
増してくるのを、
玄竹は
氣がかりな
風で
見てゐた。
夜はもう
亥の
下刻であつた。
『
玄竹、
多田院參詣の
話は
面白いなう。もう一
度やつて
聽かさんか。』と、
但馬守は
盃をあげた。
『
何遍いたしましても、
同じことでござります。』と、
玄竹はこの
潔癖な
殿樣の
相手をしてゐるのが、
少し
迷惑になつて
來た。しかし、
今からもう
病家廻りでもあるまいし、
自宅へ
方々から、
火のつくやうに
迎への
使の
來たことを
想像して、
腰をもぢ/\さしてゐた。
『
玄竹。
今夜は
折り
入つて
其方に
相談したいことがある。
怜悧な
其方の
智慧を
借りたいのぢや。…まあ一
盞傾けよ。
盃取らせよう。』と
言つて、
但馬守は
持つてゐた
盃を
突き
出した。
『
有り
難うはござりますが、
不調法でござりますし、それに
空腹を
催しましたで。‥‥』と、
玄竹はペコ/\になつた
腹を
十徳の
上から
押へた。
『はゝゝゝゝ。
腹が
空いたか。すつかり
忘れてゐた。
今に
飯を
取らせるが、まあそれまでに、この
盃だけ
一つ
受けてくれ。』と、
但馬守は
強ひて
玄竹に
盃を
與へた。
『
愚老にお
話とは、どういふ
儀でござりますか。』と、
玄竹は
盃を
傍に
置いて、
但馬守の
氣色を
窺つた。
『
玄竹、
返盃せい。』と、
但馬守は
細い
手を
差し
伸べた。
『
恐れ
入ります。』と、
玄竹は
盃を
盃洗の
水で
洗ひ、
懷紙を
出して、
丁寧に
拭いた
上、
但馬守に
捧げた。それを
受けて、
波々と
注がせたのを、ぐつと
飮み
乾した
但馬守は、
『
玄竹。
酒を
辛いと
感ずるやうになつては、
人間も
駄目だなう。
幾ら
飮んでも
可味くはないぞ。』
『
御酒は
辛いものでござります。
辛いものを
辛いと
思し
召しますのは、
結構で、‥‥
失禮ながらもう
御納盃になりましては。‥‥』
『
其方と
盃を
取り
交したから、もう
止めてもいゝ。』
但馬守は
悵然として
天井を
仰いだ。
『
愚老へお
話とは。』と、
玄竹はまた
催促するやうに
言つた。
『ほかでもない、
其方の
智慧を
借りたいのぢや。‥‥』
『おろかものの
愚老、
碌な
智慧も
持ち
合はせませんが、どういふ
儀でござりませうか。』と、
玄竹はまた
但馬守の
氣色を
窺つた。
『
玄竹、‥‥
三日の
道中で
江戸へ
歸る
工夫はないか。』
但馬守は、
決心したといふ
風で、キッパリと
言つた。
『はア。』と、
玄竹は
溜息を
吐いた。
『
工夫はないか。』と、
但馬守は
無理から
笑ひを
含みながら
言つた。
『
韋駄天の
力でも
借りませいでは。‥‥どんなお
早駕籠でも
四日はかゝりませうで。‥‥』と、
玄竹はもう
面をあげることが
出來なかつた。
但馬守は
屹と
容を
正して、
『
今日、
江戸表御老中から、
御奉書が
到着いたした。一
日の
支度、
三日の
道中で、
出府いたせとの
御沙汰ぢや。』と、
嚴かに
言つた。
『
恐れ
入りましてござります。』と、
玄竹は
疊に
平伏した。
老眼からは、ハラ/\と
涙がこぼれた。
『
玄竹、
今のは
別盃ぢやぞ、
但馬守の
生命も
今夜限りぢや。
死骸の
手當ては
其方に
頼む。』
『
畏まりましてござりまする。』
玄竹は
涙に
濡れた
顏をあげて、
但馬守を
見た。
奉行と
醫者とは、
暫らく
眼と
眼とを
見合はせてゐた。
『
玄竹。‥‥だいぶ
殺したからなう。‥‥』
但馬守の
沈み
切つた
顏には、
凄い
微笑があつた。
昔、大阪の町奉行に荒尾但馬守といふ人があつたさうです。それとほゞ時代を同じうして、安田玄筑といふ醫者もあつたさうです。しかし、本篇の奉行荒尾但馬守と、醫師中田玄竹とは、それらの人々と全く無關係であります。