枕上浮雲

河上肇




暖くなりしためか、静養の結果か、営養の補給十分なりしためか、痩せゐることは変りなきも、この数日総体に体力のやや恢復せるを覚ゆ。室内の歩行に杖を用ひず、階上への上り下りにも、さまで脚のだるきを感ぜず。別冊「歌日記」、余白なくなりたるを機会に、今日より新たなる冊子に詩歌を書きゆき、題名も新たに「枕上浮雲」となす
葉がくれの青梅ひびに目立ちつつやまひおこたるきざし見えそむ
人の書きし米国地理を見てあれば行きて住みたき心地こそすれ
めゆきて死所と定めむ天竜のかひちかき村清水湧くところ(原君、飯田市より二三里を距てたる山本村の清水に疎開し来れと誘はるるにより、かかる夢あり)
以上五月十三日

痩せ衰へつつも尚ほ生き続くらしければ
我ながら驚くばかり痩せし身もなほ生きてあり生くる道あり
かくばかり衰へて尚ほいのちあり不思議なるかないのちてふもの
五月十四日

数十日目に頭髪を刈り、帰りてよめる
理髪屋にゆきてかへりていねをれば夕方まけて熱高まりぬ
脈多く熱高けれど負けもせずねどこ這ひでていひをはみけり
若くしていためし胃腸何事ぞ六十路をすぎていよよすこやか
藪蚊いで顔さすころを今も尚ほゆたんぽ入れてわれいねてをり
以上五月十四日

生来蟄居を好み旅を楽まむとする心の甚だ乏しかりし余も、六十七歳となれる今年、一月より病臥すること半ヶ年になんなんとするに及び、もはや此の世に分かるるも遠からじと思ふに至れるものか、旅に出でむとする心次第に萌して、漸く抑えがたきを覚ゆ
いづこにて死なむもよしとあきらめて行末定めぬ旅に立たばや
やうやうに杖つきえなば旅に立ち山をも見なむ海をも見なむ
金もうせ力もうせし今となり旅に遊ばむこころ湧き出づ
五月十九日
行く春をひねもすふしどにうちふして千里風月の旅をし夢む
五月二十一日

生死は自然に任せむ
余一時衰弱日に加はり、この勢にて進まば最早や再起難かるべきかと思ひし時期あり。当時ひそかに思へらく、再起到底望みなき身なれば、食糧の欠乏極度に達せる今日、食ふこと一日多ければ人の糧を減ずることまた一日、しかも彼我共に利する所なし、如かず意を決して自ら断食せんには、希くば一日妻子を招いて留別送別の食事を共にし、その際今生の思ひ出に汁粉なりとも存分に食ひ、それを機会に死を迎ふる用意を為さんと。かく思ひまどひつつ、未だ決するに至らざるうち、遂に此の小詩を作るに至る

年五十九
老衰のため山を下り
年六十九
衰弱愈※(二の字点、1-2-22)加はりて
木村元右衛門が家の裏庭の小舎に
移り住みし後の良寛上人も
生死はただ自然に任せたまひけむ
遂に七十三まで
生き延びたまひし由を知り
ひそかに心を安んじぬ
今年われ六十八
老衰頓に加はりて
早くも事に耐へず
人を煩はすのみの身となりぬれど
さもあらばあれ
希くはわれもまた上人にならひ
生死を自然に任せつつ
超ゆべくんば古稀の阪をし越えむ
五月二十一日清書

去年秋金子君を通じて依頼せし半截物の表装中※(二の字点、1-2-22)出来ず、年内にと云ひてうそになり、四月末までには是非にと云ひて、それもうそになる。恐らく代価を出し惜みする為めならむと思ひ、その由を金子氏まで申出でしが、あとにて余り我儘を云ひたりと気付き、いたく後悔す。乃ち歌二首を送る
くさぐさの我儘申し恥しや垂死老病の身と許したべ
あなあらばあなに入らばやさまざまのあやまち犯す身をし恥ぢ入る
五月二十二日

病床雑詠
かこつまじ国の行末もあす知れず老いらくの身のいかに成るとも
たかどのに錦のしとね重ねつつ行末憂ふる人もあるらむ
ひねもすを半ばいねつつすぐる身は夢見ることぞくらしなりけれ
五月二十一日
窓のの梅の実ややにそだちけり物のいのちをたのもしと見る
今一度もの書くことの叶ふ身となりなばいかにうれしかるらむ
落つるがに衰へてゆくけはひやみ踏みとどまりて力やや湧く
五月二十三日
陽の光こほしきあまり縁に出で空とぶ雲の行末を見守まも
五月半ば真冬の着物ぬぎあへず夏来たる日を首あげて待つ
をし物のさはにありてふ国ならば往きて住まなと思ふこの頃
白波の寄するなぎさに腰かけてさんさんとふる陽をし浴びばや
五月二十四日

夏近づけり
過ぎ去りし冬の寒さかりしには、この上もなき難渋を覚えたり。幸にして生き延び、ここに夏を迎へんとするに当り、健康やや恢復の兆あり、心身共に伸び伸びとして喜びを感ずること少からず
夏こそはわがふるさとなれ。

うす寒き二旬にわたる曇り日の
やうやう晴れて初夏の
陽の光やや強まるなべに、
重き※(「糸+褞のつくり」、第3水準1-90-18)袍ぬぎすてて
厚き毛糸のシャツもぬぎ
痩せし身の重荷おろして
ちぢこめゐたる首伸ばし
手足伸ばせば、
船ゆ港を望むごと
ふるさと見ゆる心地して心は勇む。

霜白き冬の朝、
しとしとと雪ふりつもる冬の夜、
空曇りて陽は見えず
寒き風吹きすさび
手足の血も凍り
骨も凍らんとする
冬の日を度るは、
ただひとり病める身の
草枕日くれて野辺にうちふし
異郷の旅に苦むごとし。

足袋ぬぎて
素足にて踏む畳こそ
わがふるさとのしるしなれ。
早暁起き出でて大気を吸へば
垂死の身もよみがへる。
窓のを見よ、
梅の実日にけにそだちつつ
夏も漸く近づけり。
船ゆ港を望むごと
わがふるさとは近づけり。
五月二十六日作

小林君猛火に包囲されながら奮闘、同君の責任を負へる実業史博物館を辛うじて火災より救ひ出だせる由の通信を見て
猛火にも負けぬますらをふるひ立ち博物館を守り遂げしと
猛火にも焼けぬ君はも生きてあり尚ほ生きてありうれしかりけり
六月三日

病臥雑詠
今一度山川みたくおもへどもめゆく力うせにけるかも
いかなればかばかり力うせにけむふみ見るすらもものうかりけり
五月三十日
今ははや夕かたまけて蚊になやむ夏ともなりて病癒えざり
帰らじと思ひし旅ゆ帰り来てあはれあはれはや八年を経ぬる
いましばし生きながらへて世の様を寄る年波は見せずといふや
六月十四日
今しばし生きてあらめと思へども寄る年波はかちがたきかな
わがいのち家苞となして帰りてゆあはれあはれはや八年を過ぐるか
けふこそは筆をとらなと思ひしに午をも待たで熱出でにけり
豆粕のこなをおやつに貰ひ受け喜ぶ孫ぞあはれなりける
心にも任せぬ身をし横へて夢に遊ぶや万里の空
六月十五日
井戸の底沈み果てつつ暮すとも生きてあらむとわれ願ひをり
頂きし君のみうたをよろこびてけふひねもすをうち誦じけり(石田博士へ)
もしも天われに許さば蒸したての熱き饅頭べて死なまし
たのみにし夏はやうやう来ぬれどもわがいたつきは癒えむともせず
あづさ弓かへらぬ旅の門出かと谷底に落ちて骨を撫でをり
力なき身によぢ登るすべもやと谷底に落ちてひとりもがきつ
七月四日
今ははや何事もみな成し了へて清く死ななと思ふばかりぞ
七月五日
今はただひねもすいねて夢も見ず心しづかに死ぬ日待ちつつ
這ひ上がる力もなくて谷底に落ちゐて尚も谷底に生く
谷底にいねつついく日経ぬるらむなど思ひつつけふもいひ
急変を好めるさがにさからひていとおもむろに死にて行くらし
今一度都門のに出でなむと望みし願ひあだなるに似たり
七月六日


畑田君間もなく京に移らるる由を聞きしに、それも望みなきこととなり、同君より聞きし様々の好意をたよりに、いろ/\の夢を結びゐしに、みな真に夢と消え去りたれば
あはれ夢みな夢となり戦ひのやみなむ日まで君に逢へなく
空中の楼閣忽ち土崩瓦解して身は寄す孤舟万里の波
あはれ夢夢みな夢と消え去りて病みこやしつつ独りいねをり
夢多きわが身は夢の破るるに慣れてしあればかなしみもせず
よしやよし夢は破るとかなしまじ夢多きこそわがさがなれば
こりもせで夢破るれば新たなる夢に耽りてまた夢を追ふ
七月四日―十日

「生死は自然に任せむ」の小詩を
漢詩の形にて(定稿)
多少波瀾  多少の波瀾
六十七年  六十七年
浮沈得失  浮沈得失は
任衆目憐  衆目の憐むに任かす
俯不耻地  俯して地に恥ぢず
仰無愧天  仰いで天に愧づるなし
病臥及久  病臥久しきに及びて
氣漸坦然  気漸く坦然
已超生死  已に生死を超え
又不繋船  又た船を繋がず

竹田博士に
未央宮の古瓦にて作りし硯と称するを貰ひ受けて
賜はりし未央東閣の瓦にて作りし古硯日々に撫でつつ
秘めおきし支那の古墨とりいだし未央の瓦硯磨りて楽む
家財みな焼け果つるとも硯のみあとに残らむわが形見とて
焼け死にてむくろもそれと分かぬ日はこの硯をぞ墓に埋めよ
七月十三日

石田博士に
今一度ありし姿に帰らなと思へど覆水盆にかへらず
ももとせを生きよと君はのたまへど古稀の阪をも越えかねてをり
骨と皮残れるばかりのうつそみになほもひそめる貪慾のこころ
生きのびて何かあらむと思ひつつ尚ほ生きむとて食を貪る
声色の慾はすでに絶えたれど食慾のみは尚ほ御しがたき
世を忘れ世に忘らるる老人を君ならなくにたぞ顧みむ
賜ひにし分に過ぎたる御歌よみ恥ぢ入りつつもよろこびてをり
信じがたき人の言の葉信じつつ六十七年われ生きて来し
七月十四日
ともしびは消えなむとして消えもせずいつのゆふべか限りなるらむ
老いし人の歌こそよけれつくづくとしか思ふ日の多くなりぬる
七月二十六日

西賀茂太田氏本宅双鶴書院に五泊して
「命のみ長くて老いゆく程に、世の中騒がしくなりて……恐ろしければ、北山のほとりの西賀茂といふ所ににげいりて 露の身をただかりそめにおかむとて草ひき結ぶ山の下かげ」(蓮月尼)
われもまたこの山里に露の身をしばしおかなと思ひけるかも
来て見れば庭のたつみに茶室ありこの一間にぞ住まなと思ひぬ
世の中の恐ろしければと蓮月がうつり住みにし西賀茂の里
西賀茂のありあけの朝にたたずみて町に出でゆく牛車見る
有明の空に消えゆくひとときをあさげのけむり立つる家々
さわがしき警戒警報よそにして思はぬ里の月を見るわれ
荷車にあまたつみけるかぼちや見て欲しき物ぞとわれも思ひぬ
朝露のまだひぬ畑の茄子の色濃き紫はうつくしきかも
七月三十日
わづか五日目方増して帰りしがわづかのうちにまた痩せにけり
八月二日

雑詠
北隣り夾竹桃の花咲きてわが階上の窓うつくしき
われ食めば妻子めこのかて減す道理ぞと知りつつなほも貪りてをり
八月二日
みみたぶにうなりよる蚊の声すらも聞えずなりぬ今年の夏は
八月五日
ねころびて夕空見れば大きなる二匹の蜘蛛の巣をかけてをり
八月六日
まけいくさ尚ほやめずして人はみな飢えてかつえて痩せしほれけり
八月十三日

うれしきは(その一)
橘曙覧に倣ふ
うれしきは峠の茶屋につきたての大福食ひてばんちやのむとき
うれしきは思はぬ時に人の来て食べてくれよとお萩出すとき
うれしきは表装成りて拙かる書も引き立ちて見られ得るとき
うれしきははてしもあらぬ蒼海を汽船にのりて日ごとゆくとき
うれしきは届かぬものと決めてゐし小包つきて封をば解くとき
うれしきはよき点とりて孫の子が通知簿出して見せくるる時
八月十日

うれしきは(その二)
うれしきはめさめてすぐにさつきつめ銀のきせるに煙吸ふとき
八月十一日
うれしきは物を贈りて貰ふ人うれしうれしとよろこべるとき
うれしきは欲しき物食はで分けてやり喜ぶ孫の顔を見るとき
うれしきはついでに食べと老妻に夕餉の残りさはにとらすとき
八月十二日
うれしきは黒き屋根超えむらさきの西山遠く眼にうつるとき
うれしきは長居の客の去りゆきておくれしひるげうまく食ふとき
うれしきは夕餉うまく食ひ了へて二階の縁にすずみゐるとき
うれしきはふと眼を上げて夕空にかがやき初むる月を見しとき
八月二十一日
うれしきは声高らかに只今と帰れる孫の声を聞くとき
八月二十三日

平和来たる
――八月十五日――
あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ
あなうれしうれしかりけり生きのびて戦やめるけふの日にあふ
いざわれも病の床をはひいでて晴れゆく空の光仰がむ
計らずも剣影見ざる国内くにぬちにわれ住み得るかいのちなりけり
昨日までおびえつ聞きし飛行機の爆音すらもなごみわたれり
運よくも物一つ焼けず怪我もせず戦やめるけふの日にあふ
大きなる饅頭蒸してほほばりて茶をのむ時もやがて来るらむ
いざわれもいのちをしまむながらへて三年四年は世を閲さなむ
けふの日を誰にもまして喜ぶは先生ならめと人は云ふなり
けふの日を喜ぶ権利もたす君喜びてませと人は云ふなり
思いきやいのちたもちてわれもまた今日の此の日に相逢はむとは

うれしきは(その三)
うれしきはガラス戸越して望月のさし入る夜半にふとめざむとき
うれしきは金色コンジキなせる夕雲に仏の国を思ふとき
八月二十六日
うれしきはよきふみよくよみよき人のよきここ〔ろ〕ざしよくさとるとき
八月三十日
うれしきは早暁起きて喞々ショクショクと秋の虫鳴く声を聞くとき
九月一日
うれしきは妻の作りしむしパンにあまきジャムを添へて食ふとき
九月四日
うれしきは疲れをみせぬ老妻の風呂にもゆくと出でてゆくとき
九月四日
うれしきはひねもす静かに坐りゐて思ふことうまく書き了へしとき
九月十九日
うれしきはいろ紺青に晴れわたる秋晴の空を鳶とべる時
うれしきは秋晴の朝空高く有明月のまろきを見る時
うれしきは秋晴の空うちながめ縁に這ひでて陽にあたる時
九月二十五日
うれしきは正直者の馬鹿を見る世に正直を押し通す人
十月二十七日

雑詠
今一度起き上がらなと思へども思ふにまかせぬわがよはひかな
八月二十七日
動くこと好まぬさがのわれ老いてかどさへも出で得ずなりぬ
八月二十八日
饅頭が欲しいと聞いて作り来と出だせる見れば餡なかりけり
九月一日
天われにいのち許さば杖つきて半里をありく力をしむな
雨もりてバケツも桶も間に合はずはてはままよとあきらめにけり
九月四日
近からば君がりゆきて茄子トマト腹に満つまで食べなむものを
近からばかた手にあまる大きなるトマト携へ訪ひ来んものを(以上二首小林輝次君の葉書を見て)
今やまたひなた恋ほしくなりにけりひなたに出でて蟻を見てをり
今日はまた力〔ぬ〕けぬる如くにて為すこともなく枕してをり
余りにもからだだるくて腹が立ち思はず荒き声立てにけり
九月七日

平和来たる(その二)
何も彼もやがては遂に焼けなむと諦めゐたる物みな残る
爆弾にもろ手失ひわかものの生き残れるは見るもかなしき
怪我もせず物も焼かれず生きのびて今日の日に遇ふ夢のごとくなり
満洲は支那にかへれりやがてまた大連立ちて吾子も帰らむ
九月四日
思ひきや戦やめるけふの日に生きえて我の尚ほ在らむとは
思ひきやげに思ひきや一兵も残さぬ国にわれ生きむとは
忽ちに風に木の葉の散る如く軍部の猛者のしぼみゆくかな
九月五日
何事も一朝にして顛倒し鬼は仏に非は善となる
生き給ふ甲斐こそあれや主義に生く八十八の咢堂先生(但し先生の言ふ所に一々賛成なるにはあらず)
五年をひそみゐたりし人たちの頭もたげて名の聞えくる
九月六日

雑詠
蚊帳つるも力乏しくものうくて蚊にさされつつ寝ねがてにしてをり
つぎつぎに歯は落ちくれど医者にさへ通ふ力もなくなりてをり
よくもまた痩せけるものか骨と皮九貫にも足らぬ身となりにけり
九月六日
願はくは死ぬる夕を庵にて花にかこまれ香たきてあらむ
願はくは花にかこまれ小さなる庵に臥して世と分かれなむ
小さなるいほりに住みて大きなる饅頭ほほばり花見てあらな
九月七日
われ死なば花を供へよ大きなる饅頭盆に盛りて供えよ
階段は山を攀づがに苦しかり今ひとへやの階下に欲しき
何よりも今食べたしと思ふもの饅頭いが餅アンパンお萩
死ぬる日と饅頭らくに買へる日と二ついづれか先きに来るらむ
雨ふれば雨もり月照れば月もる此のあばらやも壕にはまさるか
急変を好めるさがのわがためにうれしきかぎり世は急変す
九月八日
さほどまで肉もさかなも思はねど饅頭のみは日に恋ひつのる
分厚なる黒餡つつむ饅頭にまされる味は世にあらじかし
ふるさとの焼き饅頭の黒餡のにほひこほしむ老病の身
仏壇に法事するとてうづたかく饅頭盛りし昔なつかし
九月九日
さ庭べに擬宝珠の花咲きいでて今年の夏もまた逝きにけり
九月十日
今しばしいのちを許せ力をも今少したべわが造物主
今の時見す見す死んでたまるかい元気を出してまた振ひ立て
九月十一日

平和来たり米国の日本管理始まる
次ぎ次ぎに拉致されてゆく高官の名を聞くだにも生ける甲斐あり
東条は最後になりても死にそこねアメリカ兵の輸血を受けぬ
九月十二日
死にそこねアメリカ人に救はるる東条こそは日本のシムボル
九月十五日
知恩院のゆふべの鐘の聞こゆなり久に絶えにしその鐘の音の
九月二十日

雑詠
久しくもさかる花よと見てありし夾竹桃も今は老いけり
九月十三日
飽きるまで物しに来よとよばれても行く力なき先生あはれなり
蝕める杖折れしがに腰くだけ這ひありく身とわれなりにけり
何事もまだきに来れ日を経なばいや待ちがてのわがいのちぞも
今一度旅にいでまく思へどもいねて旅する日はいつの日ぞ
九月十五日

この数日疲労頗る著し。秀の言ふに、もはやとても電車にすら乗られうるからだにあらず、たとひ勧めらるるとも西賀茂などへ行かるべきかは、未練がましき挨拶をせず、かかる類の人の勧めは綺麗に辞退し、こころ静かに、気の向くままに、家の内にて起居しをるべしと。余之を聞いて洵にもつともの忠告なりと思ひ、かれこれ未練がましき夢を描き居たりしも、この際綺麗に諦めむと、心に定む。乃ち数首を得たり
日を経るも元の力はかへり来ずいざあきらめて家にこもらむ
むしばめる杖をれしがのうつせみの元にかへらむ力あらなくに
足腰も立たぬむくろとなり果てて夢なほ多きわがうらみかな
今ははやあきらめてよき時節なり長く生きよと君云ふなかれ
九月十六日

雑詠
大風の吹きにしあとの遠山の濃きむらさきの色めづらけき
九月十七日
さ庭べの擬宝珠の花折り来たりコップに活けて枕辺におく
秋の気はさはやかなれどやがて来ん冬の寒さの先づ気遣はる
九月十七日
音痴なるわれにふさはし廚下にてあさゆふになくこほろぎの声
蚊の足と痩せにしすねに食ひ入りて血を吸ふ蚊あり九月のなかば
生きなむともがく心をすてしよりをしもの貪る心も消えぬ
九月十九日

安井国手に贈る
今年九月に至り衰弱殆どその極に達し、今ははや終りならめと諦め居たりしに、計らずも安井国手来り診て、こは棄ておくべきに非ず、一切は余に任せよと云ひて、これまでは辱知の間柄にもあらざりしに、爾来日々来りて、注射及び投薬を施され、ために体力日に快方に向ふ。来診を乞ひても物を持ち行かざれば応ぜざるが多く、注射も患者より材料を提供せねばならぬ例少なからぬ今日、無報酬にてかかる恩恵を受くること、洵に有りがたき次第なり。乃ち喜びの余り短歌十首を作る
消えなむとするに任せしともしびに油さしつぐくすしの君は
風待たで消ゆるばかりにほそりゐし灯火のいままたもえつづく
今ははや終りならめと諦めてゐたりしいのち尚もつづくか
陋巷に窮死するにふさはしき我を棄てじと訪ひくる君はも
死ぬもよし生きなば更によからむと残りのいのち君に任せつ
来む春に逢はむ望もたえたりと諦めし日に君と逢ひけり
今更に為すある身にはあらねども恵みをうけて尚ほ生きてをり
生くとても為すこともなき老いの身は君のめぐみの勿体なくして
願はくは君が恵みに力えてまた都門のにも出でばや
枯れ果てし老いらくの身も冬を経てまた来む春に逢ひ得なむかも
十月十八日

病床雑詠
今ははや再び起たむ望みなしいざやしづかに死を迎へなむ
窓により外ながむればスタスタと道ゆく人のなほ羨まし
九月二十日
いざわれも閻魔王庁にまかりいで無条件の降服なさむ
われ生きてあらむ限りは生きてゐよとたらちねの母はせちにのらせども
九月二十一日
知恩院の鐘が鳴るかやゆふぞらに遠く尾をひき消えてゆくなり
わが床を階下にうつし臨終の床となさばや今日より後は
九月二十二日
今ははや望みもなしと諦めて明日ともなればはや忘れつつ
九月二十五日
枯れし身にはや甲斐なからむとけふよりは灸することも思ひとまりつ
九月二十九日
小さなる蚤一つ這へば感じたる皮膚もたるみて鈍りはてつつ
十月二日
けふはしも老いらくの身の尚ほ生きて治安維持法の撤廃にあふ
十月五日
十余年会はざりし人のとめ来たりわがすがた見て涙をこぼす
十月十二日
湯ぶねにて病みほほけたる我を見て感慨無量と人くりかへす(この春銭湯に浴せしが、生涯にての最後となるらし。けふその日のことを思ひ出でて)
十月十二日
身をちぢめふせゐる我を憐みて秋の夕日の枕べにさす(はや寒さを感ず)
十月十二日
この冬は越えがたからむいざ急ぎ書きたきことも書きてしおかむ
この冬は越えがたからむ食べたしと欲りするままに物もしなむ(元気またなく、やはり駄目かなと思ふ)
十月十三日

いのちありて白昼赤旗ひるがえる日にも遇ひけりいのちなるかな
十月十四日

越ええじと恐れゐる身にひにけにも今年の冬の近づきてくる
天もしもいのち許さば願は今一しほの力をもたべ
十月十五日
ふるき友おほかたはみな土となりよわき我のみ今日の日にあふ
十幾年たたかひぬきし同志らの顧みくるる老いらくの身
十月十五日
ひとたびはあきらめはてし我なれどしがみつきても今は生きなむ
十月十五日

ひとりわれ昂奮しつつ老妻はかなしみなげく時のまた来ぬ
十月十八日

あやしげのいひをはみつつあやしげのいのちつづくる今の世の人
十月二十一日

世を忘れ世に忘られし柴のとに世の波風のまた立ち寄するかな
十月二十二日

游ぐこと巧ならざる人はみな飢えてかつえて死ぬべかりけり
京に来て七条に住めこのあたり人情あつく太古に似たり(十月二十三日、小林輝次君失業せる由を聞きて)
つとめなば尚ほ生きなむとつとめよとくすしの言葉杖とたのみつ
十月二十三日

時にあひ心はやれどむなしくもひねもすいねて筆もとりえず
十一月二十五日

金子君の古稀を超えたまひしを祝して
やすやすと古稀の坂をしうちこえて尚ほ登りゆく君をことほぐ
大方の友はみな土となりて君のみひとり古稀を超えゆく
喘ぎつつ登りゆく我を顧みて高きにありて君さしまねく
十一月十八日

垂死の床にありて
久しくもやみこやす
わが魂の浮き沈み
今日にても
明日にても
早くぽつくりと死にたしと
思ふ日のあり
二年ふたとせ三年みとせ
尚ほ生きなむと
願ふ日もあり
十一月十八日

徳田志賀両君に寄す
牢獄につながるること十有八年
独房に起居すること六千余日
闘ひ闘ひて生き抜き
遂に志を曲げず
再び天日を仰ぐに至れる
同志徳田
同志志賀
何ぞそれ壮んなる
日本歴史あつてこのかた
未だ曾て例を見ざるところ
ああ羨ましきかな
ああ頼母しきかな
ああ尊ぶべきかな
これ人間ジンカンの宝なり
七十の衰翁
蕭条たる破屋の底
ひとり垂死の床にありて
遥に満腔の敬意を寄す
十一月二十一日

病床雑詠
遺憾なり半生の間鍛え来しつるぎ抜き得ず力しなへて
久しくも白虎に会はず青竜も薯蔓わづか三日に一銭
十月[#「十月」はママ]二十七日
枕べに人の侍りて筆とりて我が思ふこと誌しくれなば
ひねもすをいねつつくらす身とならば生き残るとて甲斐あらめやも
十一月二十五日

  〔昭和二十一年(一九四六)〕

同志野坂を迎へて
同志野坂新たに帰る
正にこれ百万の援兵
我軍これより
更に大に振はむ
刑余老残の衰翁
竜鐘として垂死の床に危坐し
声を揚げて喜ぶ

われもし十年若かりせば
菲才われもまた
筆を提げ身を挺して
同志諸君の驥尾に附し
澎湃たる人民革命の
滔天の波を攀ぢて
共に風雲を叱咤せんに

露のいのち
落ちなむとして未だ落ちず
幸にけふのよき日に逢ふを得たれども
身はすでに病臥久しき〔に〕亘り
体力ことごとく消え去り
気力衰へてまた煙の如し
遺憾なるかな

同志野坂
国を去りてより十有六年
万里を踏破して
新たに帰り来るの日
空しくわれ病床に臥して
思ひを天下の同志に馳せ
切にその奮起を祈つてやまず
一月十六日





底本:「河上肇全集 21」岩波書店
   1984(昭和59)年2月24日発行
底本の親本:「河上肇著作集第11巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年
初出:「河上肇著作集第11巻」筑摩書房
   1965(昭和40)年
※底本では、題名の下に「昭和二十年五月十三日起筆」と書かれています。
※底本では、短歌に改行なしで続く括弧書きは、折り返し以降が1字下げになっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※〔〕書きされた部分は編集部が付したものです。本文内の〔〕は編集部の追加及び脱字を補ったもの、注記された〔〕は誤りを正したものです。
入力:はまなかひとし
校正:林 幸雄
2008年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について