ばけものばなし

岸田劉生




       *
 これは怪談をするのではない、ばけものについて、いろいろと考えた事や感じたこと等、思い出すままに描いてみようと思うのである。画工である私は、ばけものというものの興味を、むしろ形の方から感じている。そんな訳で、私の百鬼夜行絵巻も文の間に添えておこうと思う。

     君子は乱神怪力を語らず

 孔子こうし様は、君子は乱神怪力を語らずといわれた。さすがに深い深い実感から生れた話だと思う。
 乱神怪力を語るという事は、結局「嘘」という事に無神経だという事になる。
 妖怪変化ようかいへんげというものは、「」いといってしまってはきょくのないものにはちがいない。人間というものは、何事でも面白い方が好きなもので、ばけもの等も、本当は、無いのだという事になる事はちと興ざめな話なのである。
 元来妖怪等というものは、人間の神秘的要求、恐怖本能、等から生れた空想を一層興味を以て潤色し工風くふうした一種の恐怖的な神秘詩なのだから、人間の一面には、この化物を愛好し、その存在を守ろうとする一種の本能的な気持があるものだ。
 それと同時に人間には、そういういわゆる乱神怪力を、信じない本能がある。信じまいとする本能は誰れでも気がつくが、それではなく信じない本能というものがあると思える。つまり「何だかおかしい。そんな理屈はどうもない」という、唯物的、合理性本能というようなものが、学ばずして人間にはあるように思える。昔、科学の力のなかった時代でもよく、賢明にして意志の強いような人物は、「世に変化へんげたぐいあることわりなし」とか何とか明言しているが、その人が今日の唯物論を学んでいた訳はないので別に学術上の確かな論拠は持っていないはずである。しかしその人にとっては、それは実感であって、動かし難いものなのである。その人とても大木の下を通る時とか、その他恐ろしいところを通る時にはやはり実感的に一種の鬼気を感じたであろうが、それにもかかわらずその人は、世に変化の類ある事なしという実感の方を肯定しているのである。
挿絵
 ところで、怪力乱神を語りたがる人とても無論、この唯物的合理性本能は持っていようし、殊に今日のように学問の力でお化け退治の一と先ずは済んだ世の中にあっては一通り理論上では御化けを否定は出来るにかかわらず、やはり何となく御化けが好きなのである
 さて手っとり早く言ってしまえば、心から妖怪を信じる人は別として(そういう人はある、その人はまたいろいろな実験からたしかに信じているのでまた一つの感じがある)大てい妖怪談を好んで語る人は、一、多少嘘つき、一、反省の足らぬ人、一、他人の中にあって談ずるに、自己を持す意力の弱い人、一、甚だしく遊戯的気分の多い人、一、話の興味のために自己を偽る人、一、甚だしく対他的興味の強い人、一、芝居気のある人、一括していえば性格の弱い人が多いと思える。つまり才子風の人が多いと思う。
 だから、御化けの話を好む人は大てい、意地の悪くない、多少他人に対して臆病な、好人物が多い。これに対して、化物はないという方の人間にはどうかすると、意志の強い、他人が少しは嘘と知りつつも面白さに引かれて怪談でもしている時に、その嘘の方を少し大げさににくみ、興味に遊んでいる方を楽しまないていの意地の悪さがある。つまり昔の堅人とか、水野越前守えちぜんのかみ式の人にはそういうところがある。しかし何といっても、化け物は無いという方の人物にはしっかりしたところのある事は争われない。
 君子というものは水野越前式な他人をゆるさない底のものではないが、しかし、和して同せず、真を愛し、嘘をいやがり、そういう感情的な事よりも理性を重んずるから、いきおい、お化けの談などはしなくなる。
 ましてそれが人心を迷わす、昔時にあってはこれを一つのいましめとしたのは正に当を得た事で、この一言の中には這般しゃはんの消息が感じられるように思え、孔子様を今更深い主観を持った人だと感心する次第である。
 しかし、それにもかかわらず私は怪談という事には或る興味を持つものである。私は御化けのあるという事はまるで信じていない。また戯談は別として、他人に御化けのあるという事を話す事もしない。
 しかし、怪談をやる事、聞く事は好きである。しかしそれは話として、それを味うのである。私は御化けというものは民族的、または人類の一種の芸術的な作品、一種の詩だと前にも述べたが、一つ一つの怪談に表われている様々な技巧や、様々な空想や、実感やらを味う事がすきなのだ。
 かなり技巧的なものもあれば本能的に実感的なものがある。実感的な奴は、ピリッと来るつまり、「怪」という一つの実感がよくつかんであって、またその「怪」の、感じの種類がピッタリ自分にも実感出来るものだったりすると、甚だ感心するのである。
 こういう意味で、遊びを遊びとして楽しめば、乱神怪力を語ったとてあながち非君子とされなくってもすむだろうと思っている。

     妖怪と幽霊の区別

 幽霊とは人間の化けたもので妖怪とは人外じんがいかいである。
 幽霊は大てい、思いを残すとか、うらみをのこすとかいう、れっきとした理由があって出て来るのであるが、妖怪の方は、山野に出没する猛獣と等しく何らのうらみなしに、良民をなやまし、あるいはとって喰う等の残酷な事を行う。
 人に、君は幽霊と妖怪とどっちがこわいといって聞くと大ていは幽霊の方がこわい、妖怪はむしろ可愛い気分があると答える。
 なるほどたぬきの化ける三目入道や、見越し入道の類には可笑味おかしみも可愛気もあるが、しかし一つ目小僧の如きものが戸外から帰って来た自分の部屋などにだまってすわっていたらかなりこわいものだ。
 私は幽霊などという事は無いと思うが、一種の「鬼気」という、主観上の事実は打消す事が出来ない。それは全然主観的なもので客観的には何物もないと知っていても、「鬼気」の感ずるものは外界にある。
 幽霊がないと信じている自分がふと何かの調子で、「鬼気」を感ずる時、感ずる対象はどうしても、一種の「もののけ」である。
 もののけとは、物の気、または物の怪であろう。ともかくも幽霊よりはもっと客観性に富んだ存在である。
 私は一つ目小僧だとか、あかなめ(深夜人のねしずまった時に浴槽よくそうあかをなめに出る怪)だとかいうような一種の妖怪がふと、どこかにり得るような感じがするものである。それは無論感じだけの話だが、私には幽霊などという合理的性質の化けものよりはむしろ、怪物は怪物らしいこの出鱈目でたらめで非人情な妖怪の方がなんとなく幾分でも存在性が強いと思う。
 尤も幽霊に出られてはかなわないが、幽霊に出られたよりも妖怪というものに出られた方がもっと、徹底的な恐怖を味う事と思う。妖怪はどうしても一種のニヒリストだ。
 尤も狐狸こり妖怪といって、妖怪の或るものは多く狐狸その他のけものの神通力によって変幻する現象とされてある事もある。しかしまたそうでなく妖怪は本質から妖怪となっているものもある。一つ目、三つ目、大入道、見越入道等は狸の化けたのだとされる場合が多いが、前記のあかなめ等は本質的な妖怪らしい。
 狐狸の化けたのでは御話しにならない、私のいうのは本質的妖怪の事で狐狸の事に関しては後項で私見をのべよう。

     妖怪の存否とその起元

 妖怪変化の起元は、元始人類が、他の巨大な動物、未知の動物、または自然の威力等に対して持った実感に基づくと思える。この事は私が今更いまさら言うまでもなく、定説となっているかもしれない。
 ともかくも恐怖、人外の異常なるものに対する恐怖心は、人類以前の動物時代から持ち越しの本能となっていたものと思える。
 だから人間は元始時代からでに、何か人外の異常なる恐ろしきものを恐れる本能を持ち、同時にそれを想像する事も一つの本能となったように思う。だから恐ろしいものが来ない時でも、いつもそういうものを恐れ、考える事をしているので、暗いやみの中とか、大樹深山の中とかへ行く時は必ず、そういう、「魔」というものを想像する。それは一つの本能と見る事が出来る。
 妖怪というものは、だから、一つの人間の生物的本能として存在するものという事が出来る。同じ理由によって、妖怪というものは客観的存在でないということも出来る。

     幽霊に足のない訳
      附 妖怪に足のある訳

 幽霊に何故足がないか、尤も、幽霊に足のなくなったのは徳川中期以後だという事だ。それ以前の絵などには幽霊にも足がかいてあるという事を何かで読んだ事がある。
 しかし、幽霊の絵としては、足のあるのは本当らしくない。妖怪だと足があるのは不自然でないけれど。
 何故徳川中期以前の幽霊に足があって、それ以後に足がなくなったかというと、徳川中期以後は絵画のみならずすべての芸事が実写的(写実的という語と少しちがう、何でも、本当らしくという、自然主義的というほどの意)になって行った。明治になって一層その傾向が強くなった。この事は芝居の大道具背景小道具等の変せんを見れば一目瞭然いちもくりょうぜんとするはずである。芝居にしても、荒唐無稽こうとうむけい荒事あらごとから自然主義的な人情劇にかわり、明治大正には新劇という少しの芝居もしない自然そのままの芝居になってしまった。
 幽霊の絵もこの類を漏れず、如何にも幽霊らしい、本当の幽霊とはどんな感じだろうという幽霊のかかれたのは応挙おうきょ以来だという事だ。この説の当否は別として、ともかくも応挙時代からという事だけは当っていようと思う。
 ここにちょっと面白い例を引くと、西洋の天の使をかいたものの変遷を見ると、日本幽霊の画の変りかたとかなり面白い共通がある。
 即ち初期ルネサンス時代(ヴァン・エック、アンゼリコ、等)の天の使には足がある、また崇厳な端麗な感じはどこともなくあるが、その扮装ふんそうは高貴な王女のようでともかく霊体のようにはかいてない。
 ところがチントレットになってやや天人は地上的でなくなり、グレコになると、一層この世ばなれという事がことに考案されてある。
 更にレムブラントになるともし天人というものが、仮にあるとして、それが姿をあらわしたらこうもあろうという風に、つまり、実写的天人がかいてある。
挿絵
 ヨセフだったか何だか忘れたが二人の老夫婦? のようなもののところへ現われている天使は、その体が透きとうていて背景の物体がみえている。正に幽霊の如く、足もあいまいになっている。
 これらの事に関する美術上の批評は本論でないからわざと省いて、ともかくも、芸術というものは後世になるに従い、つまり人間の科学的になるにしたがって、実写的になりたがる(写実的ではなく)。活動写真がよろこばれるのはその理である。
 それで幽霊も、古い絵巻等には足のある、常人とかわらぬものが描いてある。菅公かんこうが幽霊となって、時平ときひらのところへ化けて出るところをかいた、天神縁起えんぎの菅公の幽霊は、生前の菅公をそのままにかいてある。
 そこでここに一つの断定が出来る、つまり幽霊というものを本当にモティフにしたのは、つまり独立して、幽霊の幽霊らしさをモティフとしたのはどうしても応挙以後である。徳川中期以後である。
 その前の化けものの画はまだ完全に幽霊をモティフにしたものはなく、大てい妖怪をモティフにしている。
 これは、画の描き方の変遷によるのであって、徳川中期以後にはつまり、幽霊の幽霊らしさを描く技法なり、画の傾向なりが適して来たから、さてこそ、幽霊画というモティフも、おのずと生れて来たわけで、画法の変遷と、モティフの興廃とは有機的に混一しているものである。徳川中期以前はつまり、その画法なり画的興味なりが、むしろ妖怪を生むのに適切であったと思える。
 さて、前おきが長くなったがところで幽霊には足のない方がより実感的であるという訳は解ったはずである。それなら何故幽霊に足がないか。
 この事を話す前に、私は私の見た幽霊の事を話そう。それは無論、半分夢のさめかけた時にみた幻覚だが、八、九年前私は夜中、ふと、自分のねている蒲団ふとんすその方に、髪をおどろにふりみだした女が、手を以て顔をおおうているのを見た。驚いて、ひとみをこらすうち意識がはっきりして来たらそれは夢の一種のつづきで、ふすまをもれる隣室の電気の光を、夢でみていたものとむすびつけてそうみていたものという事が解った。
 そしてその時私は、なるほど、幽霊には足がないなと思った。何故なら私のみたそれは、頭と手と胸の辺だけであとはボーッとしていたからである。
 この事が幽霊が主観的のものだという事の一つの証拠にもなるのだが。人は誰でもその知人の事を考え、その知人を思い出す時胸から上を考えるのが当然で、その人の足を考える人はめったにない。特に足に異常のある人とか、ともかく足という事に特異の注意のないかぎり、人はその人の胸から上を思う。
 この事が幽霊に足のない理由で、幽霊を幽霊らしい感じに描こうとするものはどうしてもその実感を実写的に写さねばならぬのである。
 次にそれなら何故妖怪には足があるか、三つ目入道、河童かっぱ、天狗等のポピュラーなものから、前述、あかなめ、こだま、かあにょろ、しゅの盤、等の特殊な妖怪に至るまで皆、五体をそなえた現実的な姿をしている。かまくら時代の百鬼夜行の絵巻物には、この妖怪がへんに生々なまなましくかけているが、皆足を持ち、様々な姿態をつくして活動している。
 これらの画は、つまり一つの「怪」とか、「鬼気」とかいう無形の実感を、その時々の感じに応じて様々に具象させたもので、画工の想像力によってよりぴったりとその「怪」「魔」「鬼気」等の無形の実感を表現させたものである。
 更にまた、われわれは、物象を一つじっと見ているとその実在感が変に神秘的に見え、時によるときみ悪くみえて来る事がある。妖怪変化の中、器物に手足がえ顔が生じたり、している奴があるが、これらはそういう実感を具象したものである。
 幽霊の方はどっちかいうと、幽霊の幻覚がモティフになっているから足がないのであるが、これに反して、妖怪に足のあるのは、それが全然、想像的な創作だからである。殊に、目のないところに目をつけたり手や足を生やすことが一つの「怪」の気持をなすからで、此処へ行くと幽霊の方が、リアリスチックであるが、またそれだけに「怪」としての味ではポピュラーである。

     一つ目小僧の味

 私は一目小僧という妖怪を、妖怪創作家としての日本民族の一つの大なる傑作だと思っている。
 ちょっと考えると、この妖怪は少しも恐ろしい事はないむしろ滑稽こっけいな幼稚な想像のように思えるが、その人はまだ一つ目小僧の本質の味を味識していないのである。
 一つ目小僧というものを、普通にとりあつかっているよりもっと進んだ感覚でとりあつかってみる時、即ち、もっと、リアリスチックに、生きたものとして感じてみる時、皮膚を持ち肉を持った生きたものとして感じてみる時、それは誠にきみのわるい、生々しい、そしてミスチックな生きものである。
 一つ目小僧を滑稽なものと感じる感覚は一つ目小僧を生のものとして感じず、張子はりこか何かの細工ものとしてのそれを考えているからである。三つ目小僧の如きに至っては、一つ目小僧の如く実感から生れたものでなく、一つ目に対して、三つにしたものか、普通人の二つ目に一つを加えてこしらえた、考案から成り立った概念的なもの故、それはどうしても張り子のでくのような感じがともなう。まして、ろくろ首にしたり、鉄棒を持たせたり大入道おおにゅうどうにして、ラングイヒゲを生やしたりすると一層滑稽になる。
 一つ目の味はぬるりとしたちょっと奇形児のごとくなきみのわるいところにある。一体日本の妖怪の凄さはそういうところにある。この事は後項にややくわしく考えよう。
 ともかく一つ目の味は、へんに生きたようなきびのわるいところにある。短身で、頭がひどく大きく、色は白く、口があかい。こういう奴はどこかにいそうな感じがある。
 一体目というものはミスチックなものだ、近代フランス美術界名うての、ルドンも一時さかんに目の玉をかいたものだ。大きな目の玉だけが、空中に太陽のように輝いている図などもあったが相当にミスチックなへんな夢のような感じがとらえてあった。彼は一つ目をもっと端明に、エキスプレスして表現したものだといえる。
 しかし東洋の一つ目の方がどうもリアリスチックでへんに味が濃く、きみが悪いと思う。

     日本妖怪の病的感

 日本妖怪の感じは概して病的である、前項にちょっと一つ目小僧の感じが奇形児に似ている事をかいたが、古い画巻えまきの中に図の如き妖怪を描いてあるのを江馬務えまつとむ氏の著の中にみた事がある。これらは全然アルコールづけの奇形児である。
挿絵
 この事は一見古人が、妖怪を表現するために、自分のみた病人や奇形児からヒントを得てその形をかりたというようにも考えられるが私の考としてはそれは少し概念的な考え方だと思う。勿論そういう点もあろうが、私にいわすと、きみ悪いものを描こうとするとどうしても「病人」の感じとなり、デカダンスが形をとろうとすればどうしても、この世に現在する生存上のデカダンス、即ち、病気とか、奇形とか不具とかの形而けいじと一致して来る。それが一つの形而的法則であるという風に思える。
 日本妖怪の味は、生きものの、きみ悪さというものを生かしている。人は美人の髪をみて甚だ美くしいと思い、その腕をみてはなやましくも思うだろうが、もし、如何に美人のでも、髪が切って落ちていたり、腕や足が離れてそれだけあったりしたら正にきみの悪いものである。離れて落ちていないでも、ただ腕や、足というものなどだけじっとみているとへんに生きもののきみ悪さがある。そのきみの悪さを日本妖怪の作者はつかんでいるのである。
 壁から手の出る話は『旧約聖書』にもあるが、日本の便所や天井から出る手は正に凄い。例の『四谷よつや怪談』では御岩おいわ様の幽霊は概念的作品であまり凄くない。凄くしようという意図の方が凄さの実想より先に見えるからだが、その中にただ、たらいの中から青白い手の出るところがある。これはちょっともののけの感じが出ている、『四谷怪談』中の唯一の怪味であろう。『源平げんぺい布引ぬのびきたき』で女が腕を生んだといって、青白い腕がしきりに活躍する芝居があるがあれもちょっとグロテスクだ。こういう風に、日本の妖怪には切りはなされた肢体したいを非常に実想的にとりあつかってある。これらも「病的感」「不具感」である。
 ともかくも日本妖怪の味は概して、生々とした、病的感、癈頽はいたいした生きものの感じを持つ、或るものはらい病を思い出すように鼻などがなくつるりとしている。これは全くきみ悪い感じである。一つ目小僧などは正にその一つであろう。
挿絵
 また、のっぺらぼう、またはぞべらと呼ばれるところの妖怪がある。或る時は非常に美しい御姫様または奥女中風の後姿をしているが、それがふとふり向くと目も鼻も口も何もない、顔をしている。その風姿は必ずしもきまってはいないが、ともかくも顔の道具をすべて持たない妖怪であるが、これらも一種の奇形感、病気感、を持っている。きみの悪い味である。
 外に、撞木しゅもく娘といって、美くしい町娘の風をしていて、顔が丁度、撞木の形、即ち丁字形であって、丁の横の棒の両端に目がついていて中央に赤い口を持ち鼻はない。撞木ざめという魚に似ているがやはり色は真白できみが悪い、これらも同前の感じである。
 ぞべらも、その撞木娘もともに多く美装した娘であるが、これがまたへんに凄い不思議ななぞの味を持っていると思う。

     狐にばかされるという事の合理的の解釈
      附 狐附きの考

 これは誰れでも考えついている事かもしれないが私が一通りすじ道を立て、自分でも合理な説明と思えるのでかく事にした。
 狐にばかされるという事実は実際にある事であろう。しかし、それはそういう結果があるのでその元因は何も狐がそれを本当に行うのではない。
 一口にいえばこれは自己催眠の民族的一殊異現象という事が出来る。
 即ち、一時的に狂態を演ずるところの痴呆ちほう状態になる一種の病的現象というものは、狐が化かすという口碑伝説のつたわらない以前の日本にも、また全然狐がばかすという事実を知らぬ外国にもある現象にちがいない。
 この状態に入るのは一種の催眠状態から入るものらしく、余の知っている某老人の仕立職したてしょくが、余が幼時の家である銀座通りの店へ入ろうとして、店の前まで来てどうしても入る事が出来ず行き過ぎ引きかえしてまた入れず、かくする事四回にしてようやく気がついて、「狐につままれ」たといいつつ入って来た事を覚えているが、これらは全く一種の自己催眠で、どうしても入れぬという観念を何かによって自己自身で自己に与えたためにそうなったらしい。
 ともかく催眠術をかけるのは催眠状態に入らしめて、後に暗示を与え、その暗示通りになるというのだそうだが、この狐に化されるのもそれに適合している。即ち化かされるものは、狐が化るという事をどこかで信じているか疑っていてももし本当ならこわいという恐怖を割に持っているかどっちかの人であって、そういう人が山道とか、畑道とかを通る。かねがね物の本でみたり人に聞いたりした狐に化かされた人の話やその痴態やらを思い出す。あの田の中へ入っておお深い深いといっていたそうだなど思っているところへ、狐か、狐に似た犬か何かがスッと飛び出しでもすると、もう完全にその人は自己催眠に陥る、すると、かねて人に聞いたり、または画本などで見ていた、狐に化かされた男女のいろいろな狂態が頭に浮ぶ、常は忘れていたような事まで、無自覚の中に頭に浮んで来る。そこで、それを一つ一つ、自分で実行しなくてはならない命令を全く無意識の中に自己が自己にしている。この事の証拠は狐に化かされた人の化かされた時にする狂態が必ず、一致している。一つの法則を出ない、即ち、田を河の如くに渡るとか、糞尿ふんにょうのために入って風呂ふろをつかうような事をするとか、馬糞を牡丹餅ぼたもちとして食うとか、皆同一規である。これは自己の智識記憶がその暗示となって、それをしなくてはならなくなってしまうからの事である。
 其処そこに折よく第三者が来て、「彼奴あいつは狐に化かされている」といって、背中をどやしてくれると即ち催眠状態がめるのである。
 狐つきはやはり一種の一時的狂気であるが、狐に化かされるのよりは永続的で、また催眠状態ではなく本当に気がちがうのである。
 ただ普通の狂気とちがうのは、その人の狂気前に見聞きしていた狐つきなどの説話が、全く無意識の中に狂気と同時にその人の頭脳の中に一種の強迫観念となって生息し出し、その説話の命令通りに行為させる。
 この時は狐に化かされている時の状態と同じで丁度酔漢が酔った時におおくの人の為すべき行為を、自己命令でやる心理とよく似ている。狂人というものは無意識の中に、人とちがった事、狂った事を狂った事とする意識を持っているもののように思う。
 即ち狐つきが油揚げを急に好きになったり、大食をしたりするが、大食の方はそういう狂気の性質もある、だが油揚げの方は正に病気前の見聞が暗示となったものである。何となれば肉食獣である狐は必ずしも油あげを殊に好くものではないからである。
 とにかく狐が化かすという説は日本が主のようであるがその元は支那か印度あたりにあるものかもしれないがよくは知らぬ。
 心理学はちっとも知らないのだからちがっていたら御かんべん御かんべん。

     鬼について

 鬼というものは東西両洋、その他世界中に大ていあるようだ、多少ずつの変化はあろうけれど。
 しかし、支那における鬼の観念は支那らしいへんに実感的なきみのわるいものである、日本の鬼も、時代時代で大分その感じが変って来ているようである。
 鬼には、地獄に住んでいる一種の巡査としての鬼と、現世の深山、たとえば、丹波たんばの大江山等に住んでいるこの半人半怪の惨酷ざんこくなる奴と、もっと幽霊らしい、死して鬼となるといったような一種の悪霊としての鬼と、悪気災難、病気等をシンボライズする一種の悪鬼等があるようである。追儺ついなの豆に追われる弱い奴はこの終りの奴で、大江山の鬼などはなかなか豆位で、追っぱらわれそうもない。
 ともかくも「鬼」という感じは、たしかに人間の感ずる、一種の「気」である。兇事を喜びつかさどる、一種の気である。「鬼門」とか、「鬼気」とか、または鬼界ヶ島とか皆その感じがある。
 私のみた夢に、鬼をへんに生々しくみた事がある。誰れでも、これ位リアリスチックな、生きものとしてこの鬼を見た人はあるまいと思う。
 人々は、鬼といえばいてい木で造ったような物体と考えると思うが、われわれと同じ肉体の感じを持った鬼を見た人はあるまい。私は夢ながらそういう鬼を見た、鬼とは正にその通りのものであろうというような鬼である。
 その夢はこうである。丁度その時分知人の家庭に少しゴタゴタがあったのだが、夢の中もそのゴタゴタのため、その知人の家へ私と家内とで行っているのである。八畳ほどの部屋で、中央に電気がついている。夜である。皆座敷に立ったまま何か話している、私の家内のほかにそこの主人とそこの妻君さいくんの四人であった。部屋の左手は襖右手は障子だがあけはなしてあって椽側えんがわがあり、その外は暗い庭である。私はふと右手の椽側を見るともなしに見たところ、其処に、へんな奴が立っている。それは鬼だが、顔の皮膚が丁度皮をむいた桜海老さくらえびの通りの色をしている、へんに生々しい感じである。別に画にみるようなトゲトゲはないが短かい角はある。髪はザン切りにしていた。それがひどくよごれた印袢天しるしばんてん風のものを着て、汚れたひもを帯の代りに締めている。胸が少しはだけているがその皮膚はやはり顔と同様桜海老である。手はだらんと下げていたがやはり同じ色と感じを持っている。そいつが実に黙って椽側の外に立っているのだ、私はこれはいけない、イヤナものが来たと、全く心底から思った。この感じは恐らくこういうものを見た時の実際の感じに近いと私はいつも思っている。妻や何かに知らせて、大さわぎしたら、座敷へ上って来るだろう、どうしようかと思っていると、たちまち妻がひどい金切声かなきりごえで「どうしましょう、あんなものが!」といった。これを聞くと同時に私は一足とびにすみの柱にかじりつく、皆も飛んで来て、私の上からしがみつく。するとその鬼が、上って来て、一人一人上からはがして行くのでないかという恐怖が全く実感的であった。それで眼がめたのだがこの時の妻の呼び声そのことば等かなり実際的なもののように私は思うのである。
 ばけもの談大分永くつまらぬ事をかいた、この辺でこのばけものも消えようと思う。
(大正十三年八月二日記)





底本:「岸田劉生随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年8月20日第1刷発行
底本の親本:「岸田劉生全集 第三巻」岩波書店
   1979(昭和54)年8月発行
初出:「改造 第六巻第九号」
   1924(大正13)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について