名古屋の小酒井不木氏

国枝史郎




 故小酒井不木氏は名古屋市に於ける寵児であった。あらゆる会合へ引っ張り出され、さまざまの講演会へ引っ張り出され、驚くばかりに多方面の人に、訪問をされ、氏に於いてもいろいろの人を訪ねた。新愛知新聞社や名古屋新聞社や、名古屋毎日新聞社などでは、氏をほとんど引っ張り凧にした。かと思うと氏は素人の芝居などの、舞台監督をやられたり、キャフェーへ出かけて談笑したり、諸方面の歓迎会や送別会などへ、常に出席をしてまなかった。東京その他の方面から、名古屋市へ来た文人や俳優や、学者や雑誌編集者などは、一度は大概氏の家をうた。そうして一度訪うた者は、その後必ず訪問した。
 わけても此処数年間は、出歩き詰めであったようであり、来訪者に忙殺されたようであった。驚くきことはタクシの運転手などが、氏の家を大概知っていて、私などが市中でタクシを漫然と拾って、氏の町名番地を云うと「ああ不木先生のお邸ですな」と、運転手の方で云う程であった。多くの人がタクシに乗って、氏を訪ねる証拠といえよう。
「あなたの所はヤスナヤ・ポリヤナですな」
 と、私は冗談に云った程であった。
 かくも氏が名古屋に於て寵児となったのは、趣味が多方面であり、話が聞き上手であり、性質がさっそくであって渋滞せず、感情的で無くむら気でなく、理性的であって親切であり、絶対に信頼される人――そういう人であったからであろう。
 一晩のうちに三ヶ所の会合へ列席したことさえあった。
「そう出歩いたり来訪者ぜめにされて、何時いつ原稿を書くのです?」と一度私は訊いたことがあった。すると氏は、
「夜中です」と答えた。
「その病気で、夜中などに原稿を書いてよいのですか?」
「何時書いても同じです」
「睡眠不足になりませんか?」
「眠りは昼でも取れます」
「しかし昼間の眠は浅くて不為めだということですが?」
「そんなことは有りません。そんなことを思って無理にも夜間眠ろうとするとかえって睡眠不足になります」
 氏はあの病体で徹夜さえした。
 氏が客を好み、談話を好む好一例を私自身経験した。
 一夜私は氏の家を訪うた。と、すぐ書斎へ通された。折柄氏は夕飯中であったがぐ書斎へ出て来られ、
「飯を食っている暇も惜しい、私は此処で食べます」とこう云って、女中をして飯とさいとを持って来させ、一方私と話しながら、他方飯を頬張られた。
 この調子である。客が集まり、客に呼ばれるのは当然と云えよう。
 氏の何より嫌ったのは、偽善家、氏の好意と寛大とにつけ込んであくどく利益を貪ろうとする人物、気障きざな人間嘘き等であった。そういう人々にぶつかって、氏は幾度となく幻滅を感じ、嘆息し、憤ったか知れなかったようである。しかしそういう人物でも、再び氏の家を訪ねれば、氏は何等こだわる所無く歓待した。氏は本質に於ては短気であり覇気に富んでいた。それを氏は驚く程の鍛練と工夫とによって抑えつけていた。
 氏の名古屋市に於ける交際範囲の広いには全く驚かされた。医学界方面は云うまでも無く、法曹界、操觚界、教育界、官公吏界、実業界、キャフェーの世界、梨園界、所謂いわゆる遊侠の世界(すなわち親分と称せられる人々から、破落戸ごろつきと称せられる人々)――あらゆる方面に知己があり友人があった。
 名古屋の人々は、氏の声咳に接することを名誉としていたようであった。
 氏の家庭は極めて整然としているように感ぜられた。氏の世界と夫人及び坊ちゃんやお嬢さんの世界とは、可成かなりハッキリ区別されていたように思う。これは氏が理性に富んでいると共に人情に富んでいたからである。氏は夫人の健康と、氏の後継者の健康とにいちじるしく留意された。つまり氏は自分の病気をそれらの人々に伝染させまいとされたのである。私などが夜遅くまで氏の書斎で話し込み、さて帰ろうとすると、氏は一々断わられた。「家内は早く寝させますので。……お送りもさせませんで」と。
 或る時こういう出来事があった。
 或る夜私は例によって不作法にも長居をしてさて帰る可く腰を上げた。すると氏は夫人に呼びかけられた。
「国枝さんがお帰りだよ。お送りしな。え、あんまり寒いので丹前を着ているって。……え、子供を寝せつけているって?……で、今着物を着換えて行くって?……」それから例の鼻皺を寄せ、上唇をツンと上へ上げる笑いを笑って私の方を見た。
 私は呆々ほうぼうの態で飛び出してしまい、氏の家から一町も離れ、どんなに哄笑してももう氏へは聞えまいと思った所で大声で笑った。そうして「ひどいや!」と叫んだ。
 氏のあの低い、れた声で、あの壁の厚い書斎からあんなことを云ったって、ずっと離れている夫人の部屋へ声が届く筈が無い。証拠だってある。夫人はあの時返辞なんかしなかったでは無いか。聞えなかったからだ。氏は勝手に夫人を呼び、勝手に夫人の声を聞き(聞えもしなかった癖に)勝手に夫人の意を私に伝えた。つまり氏は一人二役をしたのだ。
「酷いや!」
 しかしこういう喜劇は、氏が夫人の健康をおもんぱかる情と、来客たる私の感情を害すまいとする心持から演ぜられたのであった。で私は哄笑しながらも涙を流した。
 氏は他人の意見を寛大に受け入れながら少しも自分の意見を変えなかった。氏と私とは文学上の見解に於ては正反対であった。で、私は度々たびたび氏へ自分の意見を云った。すると氏は「フン、フン、フン、その通りですな。もっともです。そうで無ければなりませんとも。賛成!」などと一切頷き合槌を打った。そうしてればかりで無く、その直後の作に於ては、私の意見を、ほんのチラリとではあるが織り込んで、氏一流の婉曲な云い廻わし方で「あなたの意見は尤ですから織り込みましたよ」と云われた。私たるもの、多少の得意を感じざるを得ない。とうとう氏を感化してやったなどと思う。が、その次の氏の作には、私の意見のようなものは何処にも織り込んでない。で、私が変な顔をする。が、しかし氏は、もうその時には何も知らない顔ですましている。
 氏に関して書く可きことは無限にある。いずれ、随時随所に於て書くことにしよう。





底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社
   2005(平成17)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「新青年」
   1929(昭和4)年6月増大号
初出:「新青年」
   1929(昭和4)年6月増大号
入力:門田裕志
校正:Juki
2014年5月14日作成
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