マイクロフォン―雑感―

「新青年」一九二五年一二月

国枝史郎




「新青年」はすべからく「探偵小説新青年」とう改題する必要がある。
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 川田功氏の「砲弾を潜りて」は、日本のあらゆる戦争文学の中、第一位に置かるき名作であった。「尼港の怪婦人」に至っては、遺憾ながらやや落ちる。
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 小酒井不木氏は「手術」を書いて、素人の域から飛躍した。しかし「遺伝」に至っては、学者の余技たる欠点を、露骨に現わしたものである。「犯罪文学研究」は、西洋物ほどには精彩がない。
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 近代文学とは如何いかなるものか? 反逆性ある文学である。日本の探偵小説家に、反骨の無いのはウンザリものである。
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 トリック、トリック! 解剖、解剖! これだけでは近代の探偵小説とは云えない。
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 所謂いわゆる刑事上の罪人なるものを、真の罪人と思い込んでいるのが、探偵小説家の悪い癖である。
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 ウェルシーニンの「死の爆弾」を、喝采謳歌しないような、探偵小説家はヤクザである。さすがに前田河広一郎氏は、ウェルシーニンを認めていた。
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 内容を変えることが出来なかったら、せめて型でも破ってくれ。日本の探偵小説家よ。
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 活動写真の筋書のような、「近頃読んだもの」は無くもがなである。
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 モーリス・ルブランはお喋舌しゃべりに過ぎ、ビーストンは高踏的、チェスタートンは固い道化で、ドイルは既に古くなった。
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 手淫芸術、幇間芸術、日本の探偵小説家は、その製造に忙しそうだ。
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 純芸術と称せられるもの、大方無気力の書斎芸術である。本当の巷芸術は、う所の大衆文芸である。そうして探偵小説は大衆文芸の一分派である。
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 大衆文芸の大衆の意義は? 大は大勢の大であり、衆は民衆の衆である。そうして民衆とは第四階級のいいだ。果然大衆文芸とは大勢の第四階級の文芸ということになる。だが日本の探偵小説家で、ここまで考えているものが果して幾人あるだろう?





底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社
   2005(平成17)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「新青年」
   1925(大正14)年12月
初出:「新青年」
   1925(大正14)年12月
入力:門田裕志
校正:Juki
2014年4月10日作成
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