国事犯の行方

―破獄の志士赤井景韶―

国枝史郎





 石川島監獄のなかは陰森として暗らかった。
「……どうもれはくあるまい。わしにはうも賛成出来ぬ。……それは残念には相違あるまい。泥棒をしたというのでは無く、いずれも国家の行末を案じ、一片耿々こうこうの志をもって天下のめに大事を行い、その結果捕われて幽囚されたのじゃから、俯仰天地に恥ずる所は無く、従って捕われて自由を奪われた事は無念であるに相違無い。しかし、それ故破獄して浮世の風に当ろうと云うのは大丈夫としてすべからざることじゃ。男子すべからく天命に安んずし。何んとそうではあるまいかな」
 う云ったのは河野広中ひろなかである。明治十七年三月二十七日の夜で、此頃河野広中氏は福島事件に連座して、此処監房に入れられていたが、同室の赤井景韶かげあきと同じく松田克之の二人に破獄逃亡を勧められたのである。
「左様でござるかな。止むを得ませぬ」
 松田は斯う云って頷いたがその顔色は不愉快そうであった。
「では我々も思いまりましょう」
 赤井も続いて斯うは云ったが、その言葉の嘘であることは河野氏には解っていたらしい。
 松田はこの時二十八歳。加賀金沢の産であって、島田一郎の同志の一人で、明治十一年五月十四日、時の内務卿大久保利通を紀尾井坂に於て暗殺したため無期徒刑を宣せられていたし赤井に至っては二十四歳。越後国高田の産れで天誅党なる秘密結社を結び、要路の大官を暗殺しようとしたのを、密偵長谷川三郎の為めに主意書の断片を発見されたことから、計画中に捕縛され九年の懲役を課せられていた。
 二人とも青年血気である。河野氏に懇々こんこんさとされたぐらいでは折角せっかくの思い付を止めるはずがない。其夜彼等は脱獄し海上三里を泳ぎ渡り羽田からおかへ上がったが其儘そのまま何処へ行ったものかようとして知ることが出来なかった。
 さて彼等は何処へ行ったものであろう。
            ×
 麹町八重洲まち一丁目。元松平三河守みかわのかみ屋敷。此処に当時の警視庁があった。
 脱獄のあった其翌朝、一人の百姓が駆け込んで来て、千住せんじゅ五丁目六道の辻、字反野たんのの畑の中に人が殺されていると告げて来た。
 警視二局の主任警部、武東むとう警部を真先に石田、大井の二刑事は取る物も取らず駈け付けて見ると、四十歳前後車夫ていの男が頭蓋骨を砕かれて死んでいた。襦袢じゅばん一枚の裸体はだかである。一見他殺に相違なかった。
「重い物で頭をなぐられたらしい。……その辺に凶器が落ちていないかな。……ず鉄棒という所だが」武東警部は斯う云って部下の刑事を見廻わした。石田大井の二刑事はぐに敏活に動き出したが、
「あ、鉄棒が落ちていました」石田刑事は斯う叫んでベットリと血の着いた太い鉄棒を菜畑の中から引き出した。
 武東氏はつくづく見ていたが、
「ふうん、犯人は破獄囚だな」うなるように呟いたものである。
「どうしてお解りでございますな?」石田刑事は不思議そうに訊く。
「見たまこれは疑いも無く牢屋の窓格子に穿めてあったものだよ」
 其時、畑のうねの中から何か堀り出した大井刑事が驚いたような顔をして飛んで来たが、
「こんな物が出て来ました」
 見れば赤い獄衣である。
「いや、御明察恐れ入りました」石田刑事は頭を下げる。――武東氏は獄衣を手に取りながら、
「これは恐らく斯うだろう、犯人の破獄囚は情を明かし、いやむしおどし付けてくるまに乗って此処まで来たが車夫の密告が怖くなった処から、車夫を殺して着物を剥ぎ、そいつを着て車夫に化け、俥をいて逃亡したのだろう。遣口やりくちが極わめて大胆じゃ。恐らく市中へ逃げ込んでいよう」
「は、御尤ごもっともでございますな」二人の刑事も同意見であった。千住警察署の警官達や法官や医者が来た頃には大方の目星や手筈まで武東氏の胸中には出来上がっていて命令めいを下すばかりになっていた。
 検証を終えて帰庁すると先ず市中に非常線が張られた。あらゆる近県の監獄に向かって破獄囚の有無が照会された。と、石川島監獄から直ぐに返辞があったのである。
 赤井景韶、松田克之。いずれも凶猛の国事犯人が破獄したというのである。


 一人のみすぼらしい旅人が、甲州谷村やむら宝村たからむら大旗おおはた尋常高等小学校へ、深夜こっそり訪れて来た。校長に逢いいと云うのである。
 校長林信幸氏は、校内の一室に住んでいたが、室へ通して面会した。煮染めたような木綿のあわせに帽子無しの頬冠り、乞食のような風采ではあったが、眉目も清秀で気品もあり何うやら学問もありそうだったので、乞いを入れて一泊させた。翌日身分を訊いて見ると信州長野在吉田村の士族、佐藤義範ということであった。年は二十三歳だと云う。
「大分学問もやられたようだが、何処で修業なされたな?」
「東京で少々漢籍の方を……」
「これから何方どちらへお出でなさるな?」
「実は東京の人心が益々軽佻浮華に流れ見るさえ不愉快に存じますので修業を廃し故郷へ帰えり鋤鍬を持つつもりでございますが、さて故郷というところは案外予言者を入れぬもので、襤褸ぼろを纏った私などはさぞ虐待されることでございましょう」
「いやいやそんな事もござるまいが、もし帰えるのがおいやなら此処へおとどまりなさるがよい。恰度ちょうど教員が不足でしてな。代用教員の欲しいところでござるよ」
「それはそれは有難いことで、是非お願い致します」
 こんな具合で佐藤義範は大旗小学校の教員となった。子供には親切村の人達にも丁嚀ていねい、それに何うして学力に於ては校長を遥かに凌いでいたので彼の評判は素晴らしかった。
 或日村方の有志とも云うべき岩村さかん、武井峰松、この二人がやって来たが、
「先生、ひとつ私共の為めに漢籍の御教授を願い度いもので」
 こう佐藤に頼んだものである。
「私など未々まだまだ若輩で。……それより校長にお願いしたら」
「校長さんはお忙しい。それに少々老朽でしてな。アッハッハッハッ」と笑ったものだ。
「そうですか、そう迄仰有おっしゃるなら、出来ない迄もやって見ましょうか。」
「場所はこっちで見付けますから」
 こう云って二人は帰って行った。
 場所は岩村家の離舎はなれと決り好学塾と名付けられた。農村のことであったから授業は勿論夜間であった。教授課目は「大学」と「史記列伝」かたわら「韓非子」をやろうと云うのである。
 彼の講義ぶりあざや所謂いわゆる水際立っていた。二月あまり経った頃には塾生の数も八十人を越し、※(「口+伊」、第4水準2-3-85)いごの声道に響き行人の足を止める程であった。佐藤はすこぶる得意であった。従って講義に油が乗る。自然学校の方はおろそかになる。校長林氏が厭な顔をする。で、佐藤は意を決し代用教員を辞してしまった。
 是が彼の最初の失敗で、学校側の人達は佐藤を忘恩の痴者しれものののしった。斯ういう悪声はぜんを追うて一般に拡がるものである。
 やがて第二の失敗が来た。彼は女に恋されたのである。それは岩村斌の二女でお君と云う十八歳の娘であった。
 お君には既に許婚いいなずけがあった。しかも夫れは塾の世話人で、岩村斌とは親戚関係にある、武井峰松の長男であった。
 で、斌も峰松も、佐藤とお君との恋愛をひどく嫌ったのは云う迄も無い。二人は塾の事に冷淡になった。是が直ちに影響し塾生の数がとみに減った。すると今度は佐藤の方で全然すっかりお冠を曲げて了った。
「講義を止める」と云い出したのである。
 遂々とうとう塾は廃止になり佐藤は全くの浪人となった。で、百姓家の二階を借り、ることもなく日を暮らした。彼には多少貯金もあったしなお彼を慕う旧塾生もあって米麦べいばく野菜を貢いで来たので直ぐには生活にも困らなかった。
 或夜お君は家を抜け出し彼のもとへ走って来た。彼は決して木石では無くむしろ人一倍感情のはげしい血気盛んの若者だったので喜んでお君を隠匿かくまった。これが第三の失敗である。
 翌日岩村家から人が来たが彼は娘を返えそうとはしない。たちまち村中の問題となりいくらか残っていた彼の信用は是で悉皆すっかり地に墜ちて了った。
 持て余した岩村家では事件を警察へ移そうとした。と、夫れ迄は豪然として空嘯そらうそぶいていた佐藤義範は、警察と聞いて色を変え娘を返えすと云い出した。すると今度は村の人達が村を立ち退けと強要した。
 夏も終りに近付いて残暑の陽射し熱い中にも秋の姿の伺われるという八月中旬の或早朝、佐藤義範は村を立った。別れを惜んで泣いてれたのはお君の他には誰も無い。そのお君さえ日を経たなら彼の事などは忘れて了うであろう。そうして峰松の長男と結婚するに相違ない。――佐藤は如何いかにも寂しそうにこうべを垂れて歩くのであった。草叢では虫が鳴いている。水田では鯉が跳ねている。


「……何かひどく思い詰めて此処へ参られた御様子じゃ、お止めしても無駄でござろう。折角発心なされた上は、よろしい愚僧導師となってお望通り得度させてあげよう」
 同じ谷村ではあったけれど宝村とは山一つへだてた此処広教寺の住職の高島智拳ちけん氏は斯う云って佐藤義範の様子を見た。
「は、どうぞお願い申します」
 佐藤は安心したように恭しくかしらを下げたものである。
 宝村から追い立てられた其翌日の出来事であるが、昨日までの教員が、今日は青々と髪を剃った納所なっしょ坊主と一変し、名も拳龍けんりゅうと改めたのは、有為転変の世の中とは云えそぞろあわれを催させる。
 爾来拳龍の勉強ぶりは目を驚かすばかりであって経文の如きは瞬時に覚え、わけても説教は大得意で、師の坊よりも上手であった所から、附近の善男善女から酷く渇仰されるようになった。
「これは飛んだ掘出し物だ」
 智拳和尚も喜んで拳龍を大切にするようになった。斯うして平和の月日が経ち秋も終りに近付いた。拳龍は説教や学問の暇には墓場へ出て行って掃除をする。台所の用事も一手でやる。蔭日向なく立ち働くのであった。
「拳龍よ」
 と或日智拳は呼んだ。
「お前の部屋に脇差があるが、あれは一体何にるのじゃな?」
「はい」
 と云ったものの拳龍は鳥渡ちょっと返辞に当惑した。しかし其処は才子の事で何時迄も黙ってはいなかった。
「破邪のつるぎでござります。……例えば不動の降魔の剣。……」
「アッハッハッハッ。よく答えたの」
 話は是で片付いたが、拳龍は部屋へ取って返えすと、袱紗に包んだ長船おさふね長安を急いで押入へ仕舞い込み、「あぶないあぶない」と呟いた。
 折に触れて政治問題でも出ると、彼は俄に眼を怒らせ、
「当路の大官どもは下情かじょうに通ぜぬ」
 斯う云って激昂したりした。
「どうも少し変な男だぞ」
 智拳和尚は拳龍に対して間も無くこんなように思うようになった。
 或日、武張ぶばった様子をした五十五六の立派な男が、広教寺へ墓参に来た。土地の豪家で北辰一刀流の達人、橋本久五郎という人物である。庫裏に人気ひとけが無かったので井戸端の閼伽あか桶へ水を汲み自分で提げて墓地へ行った。
 枯草の上に腰かけながら一人の今道心いまどうしんほんを読んでいる。
「おや、お前居ったのかえ」久五郎は不平そうに声を掛けた。
「これは何うも相済みません」
 今道心――即ち拳龍は、急いで久五郎から手桶を取ると甲斐甲斐しく墓の掃除をした。
 其様子を久五郎は見ていたが、
「お前、どこかで逢ったことがあるね」
 卒然として問いかけた。
「はッ」
 と、拳龍は声を筒抜かせ、顔の色を一変させたが、
「いいえ、一向存じませんが」
「私も明瞭はっきりとは覚えていないが確か何処かで逢った筈だ。お前の顔に見覚えがある」
 しきりに久五郎は首を傾げたが、併し明瞭とは思い出せないらしい。
 翌日久五郎は勤務つとめ先の谷村警察署へ出て行った。彼は剣道の師範役なのである。
 警察の門を潜った途端彼は忽然と思い出した。
「ううむ、彼奴、赤井景韶だ!」
 彼は署長室へ飛び込んだ。
「署長! 偉い者を見付けましたぞ! 破獄囚赤井景韶が、坊主となって広教寺に……」
「えッ」
 と署員総立ちとなる。
「警視庁から配布された写真と寸分相違ありません!」
 署長と久五郎と三人の警官、都合五人の同勢が、息き広教寺へ取り詰めた時には、拳龍こと赤井景韶は、とうに寺から逃げた後で、肝を潰した智拳和尚ばかりが、眼を白黒して立ち騒いでいた。


 警視庁への打電、近県への非常線、遅れせ乍ら谷村署ではあらゆる方法を講じたが赤井の消息は知れなかった。
 併し逃げ道は三つしかない。東京へ戻るか長野県へ出るか、富士川を下って静岡県へ出るか。
            ×
 警視庁二局では武東警部が――後年鬼武東とうたわれて日本全国の悪人ばらから鬼神の如く恐れられたところの鋭敏の頭脳を働かせ乍らじっと黙想にけっていたが、
「大井刑事」
 と声を掛けた。
「は」
 と大井は前に立つ。
「岳南自由党の発生地ね、何処だか君は知っているかね?」
「静岡県でございます」
「君、静岡へ急行して呉れ給え」
「…………」
 黙って暫く立っていたが、「承知しました」と叫ぶように云うと大井刑事はしつを出た。
 赤井景韶は国事犯である。静岡県には同志もあろう。其方そっちへ逃げたに相違無い。行って捕縛しろという謎なのである。
            ×
 静岡県藤村在落合村の一流名士で自由党員として令名のある清水綱義かたの裏門が内からこっそり開けられて二人の人物が現われた。
 時は初冬の草昧そうまい戸外そとは一面靄立ちめ人の姿さえ朧ろである。
 一人は主人あるじの綱義で柔道で固めた肉体は堂々として立派である。もう一人の男は旅人と見え、三斗笠さんどがさを冠り茣蓙ござを纏い手に竹杖を突いているが何うやら夫れは仕込杖らしい。
 二人は足早に歩いて行く。ほとんど一言も物を云わない。
 大井川の岸まで来た。長い橋がかかっている。橋番のおやじに橋銭を渡し二人は橋を渡りかけた。と、旅人は綱義に云った。
「もう結構でございます」――「いや、う少し」と綱義は云った。「向う岸まで送って進ぜる」
 で、二人はズンズン歩いた。やがて橋の中程迄来た。と、行手から五六人の車夫が足を早めてやって来た。二人は何気無く振り返って見た。と、背後うしろからも同じように五六人の車夫が現われて此方こっちへ足早に歩いて来る。
「変だな」と二人は顔を見合わせた。
「赤井君!」と途端に声が掛かる。
「人違いだろう」と綱義は云ったが、両手を腰へ引き付けたのは、寄らば投げんと構えたのである。
「いや、貴郎あなたではありません」斯う云い乍ら一人の車夫が旅人の前へ突き進んだかと思うとプッと笠を叩き落した。
「何をするか、無礼者!」
 叫ぶ旅人の鼻先へ一葉の写真を突き付けたが「是は赤井の写真です。貴郎と大変似ていましょうがな」
成程なるほど」と旅人は苦笑したが「そう云えば何処か似ていますなァ。……ところで……君の姓名は?」
「警視庁の刑事、大井というものです」
「清水さん! もうとて不可いけません!」
「そうか、併し、残念だなあ」
 綱義は暗然と云ったものである。
「赤井景韶神妙にしろ!」
 改めて大井は一喝した。
「御苦労」と赤井は両手を出した。「警視庁刑事に縛られるなら縛られ甲斐があると云うものさ」
 朝靄が晴れて日が昇り、初雪をキラキラと輝かせている。凶徒は縛に付いたのである。
            ×
 彼等――赤井と松田とは――石川島を破獄するや、先ず深川永住町ながすみちょうへ出で、折柄其処に供待ともまちしていた、車夫宇田川三次郎(四十三)を嚇し、二人乗の俥を出させ、六道の辻まで曳かせて来たが、密告を恐れて三次郎を殺し、松田が三次郎の着物を着、赤井を乗せて俥を曳き、京橋区新肴町しんさかなちょう、元自由党の先輩たる井上啓二郎方を訪れたのが、人を訪ねた最初であって、其処で衣裳と旅費とを貰い、神田鍛冶町の今金いまきん鱈腹たらふく軍鶏しゃもを食ったのが脱獄後最初の馳走であった。今金のかどで二人は別れ、松田は本郷から俥に乗り浦和の知人を訪ねようとした処、この車夫たるや余人に非ず敏腕石田刑事だったので、板橋の先の志村の旅舎やどたばかられて他愛無く捕らわれた。
 残る赤井の行動については、既に筆者の記した所である。
 明治十八年七月二十七日、破獄謀殺二重の罪に依って、市ヶ谷監獄の絞首台で二人乍ら死刑に処せられたが、流石さすがに名を惜む壮士だけあって、その最後振の立派さは立会の人達を驚かせたそうである。





底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社
   2005(平成17)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部」
   1925(大正14)年1月
初出:「講談倶楽部」
   1925(大正14)年1月
入力:門田裕志
校正:阿和泉拓
2020年6月27日作成
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