これから私のもっている信仰についてお話をしたいと思います。私の信仰と申しますのは、いったい仏教であるか何であるかわからないのであります。私は仏教の経典というものはあまり読んだこともありませぬし、じつはよくわからないのであります。正式に仏教というものと関係があるということを申しますと、坐禅をしたことがありますが、それは正式の仏教としての
たとえば如来でありますが、私の信仰ではみなさんはみな如来であります。一人一人が如来であります。それで
しかしながらこの如来という言葉が、仏教の伝統の言葉とは違うかもしれませぬが、さながらにそこにあるものであります。そういうものがそれが如来であります。それがただ人間だけではありませぬ。動物でも、植物でも、こういうものでもみなこれが如来であります。「仏とはなんぞや」「
それでそういうことを私が気がつきましたのはこれはまだ新しいことであります。去年の十一月のことであります。
たとえば自分のようなものが、はたしてこの世の中に生きているかいがあるだろうかというときに、自分は生きる望みはない。何らの楽しみもないし、前途の光明もない、自分は器量が悪い。私のような者が生きている値うちがあるだろうかというふうに、まったく生きるかいがないというふうに生きがいなさを感ずることもありましょう。自分のような者の命にどういう
その生命というものは地球が太陽から飛び出した勢いであります。それと同じ必然性をもって飛び出してくるものであります。そのものの絶対的権威である。つまり絶対的の価値である。自然であるとか、本然であるとかいうような相対的なものでなく、絶対的価値、宗教的価値である。そうして信仰というものはこの価値を自覚すること、これに気がつくことであります。つまり自分が如来であるということに気がつくことであります。これがほんとうの自分の思うがままの自由な自覚でありまして、そこに一たび立ちまして、そうして何物も恐れない立場から、したがってまた自由な立場から、はじめて振り返って、こんどはこの世界の差別のありさまをみる。そのときの客観的状況はいろいろに変化しておりますけれども、絶対的権威の立場から活動するときに、はじめてそのものは付け焼刃でなく、ほんとうの心からなる活動ができると思うのであります。
しかしながらそういうように無条件の状態に自分の生命がないということは、これはつまりそれだけの自分の心と生活とが、それだけの遍歴をしなければそうなる事ができないということになります。それでありますから、じつは私のもっている信仰というものは若い人にはわかりにくいのであります。一方からいえば残念でありますけれども、すくなくとも三十をすぎた、人間の心の裏表とか、自分がこれまでにたよって、それをたよるにたりなかったとか、あるいは恋愛をしてつまずいたとか、あるいは病気をして苦しんだとか、あるいは学問の方面において理知的に懐疑してその拠りどころを失ったとか、非常に魂が遍歴いたしまして、そうしてもっているものをだんだんなくして、そうしてはじめて何物にも使われない無条件の自分というものになるのでありまして、若い人にわかるはずがないのであります。わかるはずはないのでありますけれども、しかしその人はそのときの生命をもって、そのときの信念をもって真一文字に、まじめに生きてゆくほかはない、生き方の形式は一つの道しかない。そういう自分がこれまでもっていたものがみななくなって、最後にはじめて何物をもたよりにしないところの信仰というものが、はじめて目を見開くのであると思います。
ご承知の臨済という偉い禅宗の僧があります。この人はあらゆるものを奪っている。それで「飢児の食を奪い耕夫のウシを駆る。」飢えたる者の食べ物を取り上げ、百姓のウシを追いやってしまう。そういうふうにそのもののもっているものをすべて奪って、そうして最後の禅の悟りに到達せしむるという言葉がありますが、それは禅宗のほうでありますけれども、私なんかのようなつまり非常に欲望の多い人間は、この人世においていろいろなことを考えるのでありまして、また諦めが悪い。いろいろなものがほしい。そうしてそういうものは何でも心を引かれて、いろいろなものを求めて、そのたびにそれがなくなる。つまりこれはだめだ、これもいけないというふうに、一生懸命にもっていたものを、だんだんと奪われてゆく。そうして最後に、これは自分のものだというものが何もなくなる。何もなくなったときに無一物という境地が出てきたのであります。それがつまり禅宗のほうで申しますと奪ってゆく。浄土真宗のほうでは失ってゆくのであります。だんだん自分の握っていたもの、これこそ確かな、美しいものだというものをだんだん失って、失って、失って、そこに何にももたなくなる。そこに開けてゆくものを道という、裸の生活という。それが親鸞の信仰、そういう無条件の絶対他力の信仰であります。
みなさんが私のこういう話を
信仰が最後までつきつまってその信仰がひるがえって現実の世界に広がってくる。そういう絶対生活の自己展開と申しましょうか、そのにぎった生活、何もなくなったところから、こんどは今まで失うたものがかえってくる。たとえば、ローマンス、恋愛というようなものでも、実際は私はそういうものはあてにしていませんけれども、そうなるというとその人間の人生は砂漠のようになってくる。荒野のようになってくる、実際そういうものである。しかし人生は
そういうようなわけでありまして、一方からいたしてまいりますと正義もなければ愛もないというふうに人生がなってしまいますけれども、そのあとからそのものは回復されてかえってくるのであります、またたとえば最後においてこの宗教的立場、いったい私の信仰と申しますものは非常に個人的、内面的なものであります。信仰というものは本来そういうものでありますけれども、そういう信仰が現実生活というものを、宗教の立場からみてどういうように批判するか。たとえば満蒙の問題というようなものにいたしましても、いろいろな見方がありますが、宗教に関するかぎり、これをどういうようにみるかというようなこと、つまり社会の現実方面のことを宗教的立場に立って、どういうようにみるかということについても話したいのでありますが、それは最後のときにいたしまして現実問題のこともいっこう始めは触れませんで、ほんとうの信仰というもの、これがいちばんたいせつなところでありますから、そのことを始め申しあげなければなりませぬ。自分のにぎっていたものをだんだん失ってゆく経路を話してゆかなければなりませぬからして、始めはそっちの方面ばかりになってしまいますが、最後までしんぼうして聴いていただきたいのであります。
私はやっぱり禅宗の言葉に「ハマグリが口を開いて
それで私はだいたいどういうことをこの講座において話そうと思っているかと申しますと、つまり信仰というものは、どういうところが信仰の本質であって、どういうところから信仰というものが開けてくるか、それに達するところの魂の遍歴を、要点だけをお話して、それから宗教の生活の
[#改段]
それで信仰というものはどうしても個人の心持というものを離れてあるものではありませぬ。それでありますからこれは始めから社会的、経済的のほうへ向かってゆくべきものではない。これは個人的、心理的の気持であります。個人の心持であります。つまり宗教というものは、信仰というものは、体験であります。理屈や思想ではありませぬ。具体的な体験であります。体験というものは個人の心持に即すべきものでありますから、信仰というものは個人の心持が広がってゆくものである。それはちっぽけなもののようでありますけれども、大きいといえばこれほど大きいものはありませぬ。個人の心と宇宙の関係、それが信仰であります。個人的心理的気持を、たとえば社会、国家、あるいは人類全体というふうに、どことむすびつけるかということによっていろいろな種類が生じてきましょう。国家というものと個人というものとをむすびつけるとファッショというものが生まれてくる。人類というものを最後のものとしてくると共産主義というものになってくる。けれどもそれを命というものと個人というものとの関係を広げて、どういうところから自分の命は芽をふいているかという、個人のいちばん深いところまでもってくると、そこに根拠をおかなければ承知できないということになると、宗教生活にはいるのであります。けれども大きなものを生ずるところの根は個人の心持である、個人の心持を離れて社会的、経済的というものは付け焼刃である。それはほんとうのその人の本心から出ているものではなく、中途から出てゆくものであります。そういう生活の最後の原動力、発源地というものは個人と宇宙との関係、そこから出てこなければならぬ。それがほんとうのものであって、それ以外のものはとかくすると嘘が出て、
そういうわけでありましてこの信仰というものは、われわれの生活からとにかくすこしも離すことができない。今日においてもなお宗教がいるかという質問を発する人がありますが、これは非常にふしぎなことであると思います。私は宗教というものは、自分が生きるためにはどうしてもなくてはならないものと思うのでありまして、そういう問いはふしぎでならないのであります。宗教というものは生活と密接な関係があるということをいう人がありますが、そのくらいなことではありませぬ。生活そのものであります。それが宗教であり、それが生活と一枚の宗教でありまして、生活すること、生きることよりほかに宗教はない。だからむしろ
何でも自分の生活に必要でないものを持っているはずはありませぬ。宗教というものが人間の生活に必要でないならば、宗教というものは何も問題とする必要はない。日々の生活になくてはならないもの、人と和らぐうえにおいて、また闘ううえにおいて、あらゆるうえにおいて、宗教というものはなくてはならないものである。宗教の必要があるか、ないかということが問題になるはずがないのでありまして、生活即宗教であります。生きることが信仰でありまして、生きることと密接な関係があるくらいなことではないのであります。
この宗教が伝統的に抹香くさく考えられ、今日宗教のほんとうの本質が理解されていない。それを私はじつに残念に思うのであります。ですからしてこの日々の生活のどういうところをもってきても、それはかならず宗教と関係がないはずはない。たとえば満蒙の問題でも、自分の息子が満州にゆかなければならぬ。そのときには、第一にその戦争をすることがよいものであるか、悪いものであるかということがわかる人はありませぬが、これはすこしむずかしいことであります。第一満蒙問題でも、いったいこれは日本がこすいのであるか、シナがこすいのであるかそれはわかりませぬ、どういうことの現れとして満蒙問題が現われたのか。それは実相というものを、真実の偽りなき姿というものを、研究し、見極めるときにはじめてわかるので、シナでは自分の領土のなかに日本がやってきてかってなことをするというと当然のところもある。けれども満州がシナのものであるということもできない。それには別の事情がある。たとえば、これを普通の言葉で申しますと第三者が、当事者ではわからないというので国際連盟というものが出てきたのでありますから、いろいろな考えがそこに出てくるわけであります。その国際連盟というものは張学良の委任統治にしたほうが穏やかであろうという。この世の中で隣同士の人が喧嘩をしたときに、町内の人がやってきて、これが穏当だろうというような関係で、国際連盟のそういうような考えが出てくるわけでありまして、満蒙問題というものは、日本がはたして正義であるかどうかということは、人道主義の正義というものの見方からみまして、正しいかどうかわからない、そういうふうにもってきて生きてゆかなければならぬ。青年がそういうところへいって、鉄砲によって殺し合って死ななければならない。これは、はたして正しいことであるか。ファッショは正しいと申しますけれども、それと反対の考えをもっております共産主義とか、キリスト教主義とか、人道主義とかの者は正しいというふうには考えない。
そういうふうな場合、そういうような問題をどういうように解決するか。そういうときにはどうしても何が正しいかということを問題としなければならぬ。正しいことには自分の命を投げ出さなければならぬ。しかし正しくないことのためには死にたくないという。自分を捧げて、結局、自分の個人の命を根本的に捧げて、そのもののために死んでもよいという生活にならなければ、どうしても最後の立命というものはえられるものではない。たとえば恋愛なら恋愛、その愛する者のために死んでもよいという。忠義のため、天皇陛下のためなら死んでもよいという。政党のためなら死んでもよい。あるいはファシストならば日本のために死んでもよいという。結局何ものか、これこそまちがいがない、絶対の価値あるものというものをみつけまして、そのもののために自分は死んでもよいという生活形式になったときに、はじめてわれわれの生活は立命するものであります。
けれどもどういうものに自分の命を捧げるかということは、命を投げ出そうとするときに選ばなければならぬわけであります。そうしてこの宗教生活というものはそういう途中のものに対する懐疑をへて、これならばけっして
宗教にはいる正門は善と悪との対立である。だから自分はとにかく正しく生きたい、良い人間になりたいという。自分の
最後に宗教というものに立命する、その立命たるや、そういうように自分がやっていることが正しいとか正しくないとかいう関心も、また友情とか、芸術とか、スポーツとかいうような人生に価値あるものも、そういう価値あるものも惜しいけれども、残念ながらそういうものをいっぺん捨ててしまって、そうしてその後に生活そのもの、宇宙に、生活と自分と端的にそのままに一つになってしまう。端的に一つになる。それがすなわち生活と一枚の宗教である。生活即宗教である。
そういうような生活になりますときにはじめて禅宗でいえば一つの悟りである。真宗でいえば絶対他力、無条件の信仰であります。そういう信仰になるのであります。それで宗教というものはそういうわけで、かならず二つのものが対立してゆく、矛盾撞著というものにぶっつかって、ほんとうの信仰が起こってくるのであります。じっさい生命というものは二つのものからできているからそういうことになるのであります。私は魂(人間の魂という言葉はわかりにくい言葉でありますが)、われわれの心の魂、善悪とか、美に関する魂とかいうもの、心というものでありますが、それが二種のものからできているということを感じております。ゴーリキーの『母』という小説がありますが、あれを
それでこれがじつに人間の生活、生命というものを理解するうえにおいて忘れることのできない
話がたいへん横にそれますが、たとえば搾取、被搾取というような関係でも、これは普通では搾取者が悪くて、被搾取者が善いというふうに考えられている。それもなるほど、たしかにある一つの考え方でありまして、たしかに一つの搾取があるときにそういう形になっております。しかしながらそれもよくよく反省してまいりますというと、搾取、被搾取という関係はむしろ棒押しのような関係であると思います。棒押しというものはこっちが[#「こっちが」は底本では「こつちが」]押すと向こうも押している。実際に現われている形はどうなっているかと申しますと、弱いものは押されております。強いほうが押しております。片方からいえば片方は押しているということになりますが、それがはたして棒押しというものでありましょうか、棒押しの実相というものはそうではない。両方押しているのであります。単純に押しておりますけれども、片方が弱いから片方が押されている。たとえば壁のきわまで押されてきているとウワッと声をたてる。その声がプロレタリアの声である。しかしもしそのほうが強ければあべこべのほうが押されるのであります。また押しているほうでも一生懸命押していなければならぬ。ある程度までそれは譲りましても、向こうが強くなるとまたどうしてもだんだんと押されてくる。ここからが「押し」でここからが「押され」であるというような境目はどこにもない。一生懸命押していなければ、いつでも自分が押されている関係になるのであります。そう申しますと私が押される位置にいないからだというかたもありましょうけれども、私は人と何か、もんちゃくが起こるとかならず押されるのであります。かりに私の家の書生としますが、そういうものと問題が起こります。そういたしますというと雇主と雇われた人でありますから、私のほうが搾取者でありますが、実際は私のほうが負けます。押されているという感じがいたしまして、談判いたしますときに押されているという手ごたえがある。自分はつまりそういう意味でだんだん位置があべこべになってゆくわけであります。そういう書生という位置にあるものが、こんどは自分を押してくるわけであります。だんだん向こうの位置が高くなるとたとえば私の娘なら娘に対する言葉でもだんだんぞんざいになって、しまいには
それでたとえば満蒙問題なんかもそういうものでありまして、日本が帝国主義で悪いというけれども、しかしそれは悪いという簡単なものではない。それは棒押しのようなものである。それでこういう人生の実際のありさまと、すこしばかりの人道的の反省と申しますものと、そのものの実際の姿、ほんとうのありさまとはたいへん違っている。宗教の着目すべきところは、そういう真実のありさま、「実相諦観」実際のありさまを諦観する。諦観というものは諦めるという。よく見るということであります。そのものの実際のありさまから洞察して、ほんとうのモメントをよく見ることであります。諦めるということはよく見るということであります。「実相諦観」というのがほんとうの反省であって、普通の人道的反省というものとか、階級的反省というものは、ほんとうの反省まで達していない。ほんとうの信仰をつかもうとするならば、それらの真実の姿、これだけは隠すことのいらないというほんとうのありさまをつかむ。だから普通の世の中を見て革命なら革命を恐れるとか、会社なら会社の帳簿を調べられることを恐れるというようなことはない。ほんとうのありさまをつかむ。自分の心のほんとうのありさまをつかむ。そこからはじめて宗教というものが、浄土真宗の信仰というものが、そういうふうにして起こってくるのであります。そういうようにしてよく眺めたところの自分の心のありさま、また自分の生き方というものは、それはかならず二つのものからできているのであります。かならず悪いことと善いことからできている。たとえば人間の生活というものはもともと悪いものであります。人間の生活というものは、他の弱いものから皮をはいだり、虫を殺したりして奪ってくる。二宮尊徳が、「天道に委せればイネはできない」というている。人間の立場から雑草を引き抜いたりしてイネを育てる。弱いものから取ってきて自分の衣食住の資をえているばかりでなく、だいたい観照生活というもの、物を見渡すところの力というものは、他から奪ってきたも同様のものであります。動物が始めから自分の生命の姿を眺めたりすることのできるものではないのであります。自分の生命の姿を見ることができなかった。それがそういうような生活をしてまいりますうちに、それだけの余裕ができて、自分の生活はこういうものであるという反省が生ずる。恐ろしい、恥ずかしい、という自分の生活を反省するようになれば宗教というものができ、自分が如来であるという自覚も、それから後にできるのでありますが、そういうような反省する能力というものは、始めからあったのではなく、犠牲をつくってその生活のうえに立って、はじめてそういうものができてくるのであります。ですからわれわれがそういうふうに人間の文化的生活をきずいてゆこうとするときに、人類の生活というものを最初の出発点としてはならない。宇宙は人生のためにあるのではない、そのなかに人間というものがあるのであって、ネズミというようなものもまた生きなければならぬ。そういうものの生活と、人間の生活というものを比較してみて、はじめて人間生活というものがどんな生活であるかということがわかってくる。どういうものを条件として人間の文化的生活ができてくるかということがわかってくる。そこではじめて人生に対する謙遜な批判もでき、そうしてまた人類のなかに現われているところのプロレタリアとブルジョアの闘い、国と国との闘いの実相も、そういうものを
この間ご承知の「亜細亜の嵐」という有名なロシアの映画がありました。「亜細亜の嵐」という映画は赤化宣伝を目的としてつくられた映画であります。結局宗教家とブルジョアなんかが結託して、モンゴールの土人が、たいせつにたいせつにしていた銀ギツネのりっぱな毛皮を、宗教家とブルジョアが籠絡して取りあげたわけであります。取りあげた皮はその商人の令嬢の毛皮になっている。そのなかにモンゴールの酋長のせがれをりっぱな服を着せて、それを政策上の目的からモンゴール王の王子に祭りあげた。ところがあるところで令嬢の毛皮を見た。それは自分の毛皮である。自分が命を的にしてとった毛皮をかけている。そこでモンゴールの王子は「これはおれのものである」と思わずいった。それがきっかけになって、その晩餐会の儀式がめちゃくちゃになって、革命が起こってくるという筋でありますが、そういうときでも私はそれを見ておりまして、どうしてもそれだけでは満足できない。土人は毛皮を私のものであるというが毛皮はキツネのものである。キツネにとっては自分のものでなく自分のからだであります。もしキツネが生きておったら「これは私だ」といったであろうと思います。
そういうような成立からこの世界は成りたっている。それでそういうところのありさまを実際に眺めて、そうしてそれならばそういうありさまを見ないようにすることができるかどうかということであります。むしろわれわれが正しく、強く生きようとするならば、またキツネの毛皮も取らないように、そういうような無慈悲なことをしないということで、われわれが生活できるか。もし正しいということに徹底するならばそうしなければならないはずであります。ところがそれはじつはできない。それができるかできないかということも、これは真信打発の契機でありまして、ほんとうの信心が出発しますのは、こういうことをすべきかということから出発するのであります。すべきことであるならばやろう。ほんとうにできるかできないか。可能と不可能、べきの問題と、可能、不可能という問題があります。これが一つになったときに真信が打発するのであります。やれるか、やれないかということになるわけであります。当然ここにこなければならぬ。できるか、できないかということになってくる。それはやってみなければわからない。これはやってみようという人と、やってみようとしない人とは、そこに問題の解釈が違ってくる。そこが嘘をいうとか、本音をいうとかいうところの問題になってくるわけであります。べきということからいうたならば、恋愛ならば恋愛は嫉妬をおさえるべきであるが、そういう恋愛はできないのであります。それはもともと恋愛というものと嫉妬というものとは一つのものが二つに分かれたもので、べきで嫉妬というものをおさえることはできない。可能か不可能の問題になるのであります。嘘をいえば幾らでもいえますけれども、本音からいえばできない。はじめてべきの問題とできるできないという問題が分かれてくる。そこでべきはそのままで、それを受け取るよりほかに仕方がない。可能、不可能の問題になりますと、やるべきことができない。それはやるべきことである。やるべきことであるけれどもそれができないのであります。できないのは自分の意志が弱いためにできないのであるか、宇宙ができなくさしている。地球を太陽から飛び出させたところの宇宙の力が、べきということを注意せしめ、やるべきことであるということを考えさせておきながら、一方においてはできないようにさせたのであります。その力が宇宙的のものであるということをわれわれが感ずるのであります。そうしてそれから一方において、これはかならずやらなければならぬものという心が、これがまた宇宙的のものであるということ、たとえば当面の問題でいうならば、そういうことのない生活をわれわれがすべきである。事実正しい生活をしようというならどうしてもしなければならぬ。それが嘘だというのでも何でもない。やはり宇宙がそういうように考えさせたものである。けれども片方においてそれができないようにさしている。それがつまり実在は二つの矛盾から成立しているということになるのであります。
そういたしますとこれはこの世界の生命の存在および生長の法則であります。生命というものが存在するにはどういう法則があるか、また生命が生長するにはどういう法則があるか。生命の存在および生長の法則であります。この法則というものにわれわれがぶつかってくるわけであります。そんな法則はないという人もありましょうが、そこがつまり実際にわれわれがそれをつかむのと、つかまないのとの相違であります。「生命の存在および生長」というものは犠牲というものがなければどうしてもできない。愛と正義というものはりっぱなものでありますけれども、愛と正義というものでもし生命現象というものを解釈しようとするとかならず割切れない。その犠牲というものの観念から解釈してゆきますならば、はじめて生命というものの存在および生長の法則を解くことができるのであります。この生命の生長および存在の鍵は愛と正義ではなく最後のものは犠牲であります。犠牲というものには二とおりある。一つは自分が犠牲になることであります。自分が大きなものになる。宇宙のため、国のため、人類のため、家族のため、恋人のため、学問のために自分が犠牲になるということであります。そういう犠牲であります。そうしてもう一つは犠牲をこしらえるということであります。人を犠牲にすることであります。あべこべの立場であります。つまりわれわれがイネを食ったりするのも犠牲であります。犠牲になること、犠牲をこしらえることと、この二つのことがなければ生命は存在することも生長することもできませぬ。この人類生活というものの生命の事実を解釈するのは犠牲の観念をもってしなければならぬ。そうしてこの犠牲というものこそ人類の生命を支えるところの貴いものである。それでありますからわれわれは芝居を見ても何を見ても、われわれの心がほんとうに感動するのは犠牲の場面であります。この間も
自分がどんなに努力してもうまくゆかぬことがある。先天的で努力してもだめである。たとえば私が碁をやりますが、私の近所に碁の天才があります。勉強からいうと私のほうが勉強するのでありますが、どうしても勝てない。十一歳でありますがどうしても、幾ら努力しても弱いからしかたがない。平常はちゃんばらなんかして遊んでおりますが、碁をやると権威がある。どうもしかたがない、位置が低くなる。そういう意味で自分が社会の下積みとならなければならぬということは幾らでもある。私なんか世の中にたってゆくときに、自分を弱者として感ずる場合が多い。そのくせ負けず嫌いで腹がたつ。努力するけれどもだめである。そういうような宿命観というものは弱々しいと申しますけれどもどうしてもある。そうしてそのいちばん最後のものはやはり宿命であります。たとえば私の最愛のもの、友だちなら友だち、妻なら妻というものが精神病になりました。本人はできるだけそういうものになるまいとして努力をする。ことにいかに努力してもだんだんそのものが悪くなる。そうして悪くなっていった結果はどうなるかというと、自分が悪いということも感じられなくなる。いかに努力してもすべて人の頭というものが弱りますと、自分がそうなるということを考えることもできなくなるのであります。これは努力主義というものに対して一つの宿命であります。努力主義の脚の届かないところであります。でありますからしていちばん普通の合理的理想主義というもの、何か善いこと、すべきことをみつけて、一種の努力さえすればできるというのはまだ浅いので、幾ら努力してもできないという一種の宿命がある。それが最後のものである。カエルがヘビに食われるような境地がある。世界がある。どうしても宇宙というものの存在および生長のために、自分がどうしても犠牲にならなければならぬ。自分が身に振りかかってくる不幸を、どうしても受けないわけにはゆかないというときに、それは宇宙の命令でありますから、それを受けているよりほかにしかたがない。だから受け取るよりほかにやりかたがないという境地が、世界が確かにこの人生にある。つまり自分が犠牲になるのであります。この犠牲になること、それから他のものをあまんじて犠牲にすることであります。そのときに私どもの心の中に、われわれが正しいか正しくないか、善悪の問題が非常に混線して、弱いものがいじめられるのを見ておられないということが強ければ強いだけしなければならぬ。どうにもこうにもならないことになる。それをあえてしなければならぬ。ところが実際にそういうふうにしてこの世界が成りたっている。
われわれが一日の生活というものを、そういうふうな気持できてはじめて真実の和解ということもできる。また一方においてわれわれが自分の生活を拡張してゆくためには、片方にあえて犠牲をつくらなければならぬことがある。そのときには友だちとでも争わなければならぬ。いわゆる生命の根で、生活を拡張してゆこうという本能によって、われわれがこの人類の文化を支配してつくっている。そういうものがわれわれの個人のなかにもある。それによって支配せられるものであって、自分が生きて生活を拡張してゆこうとするならば国家にせよ、階級にせよ、個人にせよ、他のものと闘わなければならぬ。そのいくさをやめることができないで闘うならば、どうしても犠牲をつくらなければならぬ。それからまた人と和解するときにも南無阿弥陀仏がいります。この和解するときにもほんとうの平和というものは、前にも申しましたように両方が自分の心を捨てて向こうを圧してゆくにも私が生きるためにしかたがないという。向こうもこれに対して抵抗せざるをえない。しかしこれは気の毒だということを知っていて、そのときにはじめて和解が成りたつのであります。けれども私は正しいということばっかりで、これは正しい、当然の要求であるというふうになると、けっして和解することができない。けれどもそういうふうにわれわれが生きるために争わずにいられない。また争うということがあさましいということを知っている同士の間に、はじめて和解ということができる。ほんとうに和解することも、たたかうことも、そのときにはじめてできるのであります。そうして私らは実際にそういう境地がありませぬならば、とうていこの社会生活をして自分を支えていることはできない。私なんかはすぐにほんとうに踏みつぶされてしまいますが、生きている以上は自分の命を開展さして、発達して進んでゆかなければならぬ。またそれはあらゆる生きている者のすべきことでありまして、すべてのものが向上してゆかなければならぬ。しかし自分がそういう念仏の心があるならば、私は人と争って自分が開展してゆく力が出てこない。私が人に対して家族を支えてゆくこともできなければ、どうしてゆくこともできなくなる。それは、はっきりわかるのであります。私はいつでも口ではいいませぬ、言葉に出しませぬけれども、心の中でいつでもそういう気持にたって人とも争い人の犠牲にもなり、社会生活を送っているわけであります。それは「如来の願船なかりせばいかで苦海を渡るべき」という言葉があると思います。この社会生活というものは一方においてそういう苦海であります。心の素直な者、清らかな者にとっては、確かに世の中に生きてゆくということは苦海である。
私の歌にこういうのがある。
頼みなき人の間に交わりて
頼まぬとしもあらで生きなん
というのは説明するまでもありませぬ。人は頼みにならない。頼みなき間におってたがいに生きてゆかなければならぬが、頼みないといわないで、頼んで生きてゆこう。しかしそういう気持で生きてゆきますけれども、しかしそれだと自分だけは頼みになるというふうにとれます。そこでそれをやり頼まぬとしもあらで生きなん
我も人も頼みなき身と思えども
さのみはいわじさびしきものを
そういう気持のほうが、もっと宗教的な深いところから出ていると思うのであります。そこにつまり前に申しました、さのみはいわじさびしきものを
[#改段]
前にも申しましたように、とにかく私たちが研究しようと思っていることは、いちばん根本的な、いちばん裸な、いちばん端的な、真理であります。でありますからして、その真理を研究しようとしているときには、私たちは、何物をも恐れないで、何物をも飾らないで、そのときにはどういう恥ずかしいことでも、どんなことでもぶちまけて、つまりほんとうを申しますと、私はこういう話は座談会のほうがすきなのであります。しかしこういう催しでありますし、人数も多いのでありますからしてやむをえませぬが、私は講演というようなことは宗教のほんとうのお話をするときにはあまり好ましくないのでありますから、私の気持はつまりみなさんと胸襟を開いて、
親鸞聖人もそういうように罪悪に対して、非常に潔癖である。すこしの罪も気にかかる。だからほんとうの善人なのであります。トルストイがいかに厳粛であったといっても、親鸞ほど潔癖ではない。世界じゅうで親鸞ほど内省が深刻で、正直な人はないと私は思っておりますが、それは一種の潔癖性であります。普通の目から見れば、つまりほかの人が見ればそんなに悪い人ではないがと思うが、自分ではきたないきたないと感ずる。そういうような心の状態であったと思うのであります。それで親鸞がその罪の
つまりそういうようにして出発いたしまして、霊魂の遍歴ということが起こるわけであります。そこでこの遍歴する、巡礼するということは、その遍歴の数、また深さが広ければ広いだけ、その人の世界は広くなっているわけであります。それでこの一つの社会から申しますと、人間の社会というものがあって、それがどういうような歴史をとおって今日までたどってきたかということを観察するのは社会科学上の観察であります。唯物史観というものはそういうような見方であります。そういうことは非常にたいせつでありますけれども、しかし個人の心の遍歴、個人の心の歴史があります。個人の心がどういうようにたどってきたか、どういうような運命を与えられ、どういうような境遇をへて今日になっているかという歴史というものは、精神の問題のほうではもっともたいせつなものであると思います。そういうものを扱ったのを仏教で聴きますのは「
幾つもの山と思いて過ぎこしは
目の前にして広き枯れ原
そういうように自分の現在にきているところの立場から、自分の過ぎ去ったところの、遍歴してきたところの境地を眺めてみるというと、幾つもの山を通ってきているわけであります。その後に広い人生の眺めが、そこに横たわっているわけであります。そういうような眺望は広ければ広いだけ、広い視野をもっているわけであります。前にこういうことをやってみた。こんどはこういうことをやって見た。あの境地はこうであったという。そういう境地をまだへていないところの人から何か相談を受けるとか、あるいは道を聞かれたというようなことがありましたときに、今その人はそこにいると思ってものをいっているわけであります。その人に理解させるということもむずかしいことであります。一つのことを理解するためには、それにさきだつところの遍歴をへて、それをほんとうに体験してはじめて現在の境地がわかるのでありますから、それをわからせるということはなかなかむずかしいことであると思います。私は今では前にも申しましたように、みなさんの一人一人が私の言葉では一人一人の人が如来であります。それに気がついた者が仏ということになっているのでありますが、どうしてそういう気持になったかということを一とおり話そうと思っているのでありますけれども、結局それはみなさんが私と同じようなふうに、その人その人の歩み方がありましょうが、そういうように自分自分の体験をなさらなければ、とうてい私と同感していただくことはできにくいことであろうと思います。目の前にして広き枯れ原
私がいちばん初め出発いたしましたのは、とにかく自分が生きているということを十九ぐらいのときに感じた。それまではぼんやりしていたが、十九のときに私は生きていることを感じたわけであります。自分の命に目覚めたのであります。とにかく自分が生きているということを非常に痛感したわけであります。生に目覚めたわけであります。
それからこんど私の考えましたいちばん初めのことは、どういうようにして生きたら良いかということであります。それについてもちょっといっておきたいのでありますが、自分はどうしたらよいかということを考えることは、それだけの暇がある者でなければ考えられないのであります。そういうことを考えておられない者はどうするかということも考えなければならぬことと思うのであります。自分はどういうように生きて宜いかということを疑うことができないような境遇がもしほんとうにあるとすれば(それは、そういうことはないと思いますが)そういうことはつまり、諸君は有閑階級であるというふうにばかりものをいう人が、そういうことをいうのでありますが、もしほんとうにそうであるとすれば、その人は考えなくてもいいのであります。それはたとえばコップならコップがここにある。コップがここにないわけにゆかないでここにあるならば、このコップは正しい――というとへんでありますがつまりこれでよい。宇宙でこれよりほかにあり方がない。ところをえているのであります。こういうものは如来である。前に申しました「
それは今ちょっと考えてみてもすぐわかることでありますが、たとえば学生なら学生がおりまして、善い人間であるためにはどうしたらよいかというと、わからないということであります。たとえば親から学資をもらって学校へきて勉強している。これは善いか悪いか。たとえばクロポトキンの「青年への訴え」というのをみると、それはいけないということである。それを非常な熱烈なる声をもって訴えたのが「青年への訴え」である。私たちが一生懸命に働いて学校を建ててやるのに、君たちは、おれたちにわからないことばかりを勉強している。けれども私たちは学校を建てて本も印刷してやった。けれども私たちの生活を君たちは見てくれない。君たちは学校をやめて私たちの生活にきて助けてくれないか。これは誰でも知っているクロポトキンの「青年への訴え」であります。そのために苦しんだ学生は幾らもあります。親からもらったところの学資、その金というものはどんなものであるかというと、いわゆる搾取したところの金でもって自分は勉強している。それならば自分はまず学校をやめて労働者の群れに投じて、労働者を助けることから始めなければならぬとも考えられるのであります。しかし一方では、自分の運命をきり開いてゆくためには、自分はもっと勉強してえたところの力をもって、みなの役にたつ仕事をすべきである。人を助けるということだけでなく、自分の欲望を獲得するために生きるということも、善いことではないかというふうにも考えられるのであります。それでその学生はどうしてよいかわからなくなるのであります。そういう懐疑の状態というものは、いったんそのなかにはいってゆきますと非常に苦しいものであります。そのために藤村操も自殺した。芥川竜之介も自殺した。ほんとうにどうしてよいかわからなくなる。これは一つの論理的、思想的な苦痛であります。けれども、これは自分の生活を反省してみますと、どうしても知識階級の者がおちいらないわけにはゆかない苦しみであります。
そのときに私たちのいちばん為すべきことはどういうことであるかというと、正直な、善良な人々であるならば、何が善いことであるかを捜そうとするわけであります。それは自然なことであると思います。何が善いか、善いことさえわかったら、そのことを一生懸命やりたい。けれども善いことがわからない。およそ苦しみに二とおりありまして「わかればするのに」と「できればするのに」という二つであります。「わかればするのに」というほうは、私が「赤い霊魂」という戯曲を書きましたが、W子という女と、同志の女と二人あります。W子というのは革命のほうにはいっていって、市街戦をやったり、どんどん働く。同志の女のほうはそれが、はたして正しいかどうかということがわからないから、はいってゆくことができない。けれどもW子の姿を見ていると、どんなに自分の命が充実するだろうということを思う。けれども正しいということがわからないからすることができない。わかればするのにわかればするのにという苦しみであります。「できればするのに」というのは、たとえば強迫観念でこういう目の前のものが、くるくるくるくる回ります。これは確かに自分の妄想であるからと思って、これをやめようとしても、やめることができなければ弁慶でも力を用いる
どういう仕方でその問題を解くかという方法論がいるのであります。
倫理学の方法論は理性と意志との力であります。その理性の力で善とは何かということを判断してゆこう。そうしてそれがわかったならば、それを意志の力で実行してゆこう。やってゆこう。かならずやるべきことであるからやってゆこう。その生き方を名づけて「合理的理想主義」と名づけることができると思います。
私たちがほんとうに真実に生きてゆこうとする[#「ゆこうとする」は底本では「ゆかうとする」]生き方というものは結局二つよりほかありませぬ。それは「合理的理想主義」の生き方で生きるか、それでなければ「法的自然主義」の生き方でゆくか、結局この二つよりほかに生き方がない。このあとのほうがつまり宗教の道であります。合理的理想主義は普通の倫理道徳の道であります。それで、はじめに考えますことは「合理的理想主義」であります。理性の力をもって善とは何かということを知り、どんな事が善いことであるかということがわかったら、意志の力をもって一生懸命やろう。努力して自分を鞭打ってやろう。これがどんなに苦痛なことであってもやらなければならぬ。まず一般の考え方として、いちばん穏当というふうなことを申しますならば、穏当な考え方である。それは、ほんとうは浅薄、すくなくともいちばんほんとうではなくしてかりのことでありまして、そういうことは宗教生活からみると浅はかなことでありますが、普通の世の中ではこの方法で生きるということが、まず無難なことである。私たちにしたところで子どもたちにどういうようにしたらよいかと聞かれたら、やはり、そうしろというよりほかにない。もとより善とは何かということは倫理学では答えてありますけれども、それはあらゆる倫理学の系統によってみな違っている。どれがほんとうだかわからないけれども、しかしとにかく、自分がこれならほんとうらしいというものをまずたてて、そうして生きようとするよりほかになくなってきます。これは厳粛なものにとっては、非常に不満足なことであります。よく知らないのにこれよりほかしかたがないではないか、だからこれでやろうというようなところでやるよりほかしかたがないのでありますから、非常に不満足ではりあいがないわけであります。そのときに苦しまぎれにもってきたのが、米国のロイスの懐疑の限界という思想であります。それはどういうことであるかというと、懐疑というものはどこまでいったらよいというものではない。これより以上考えることはどっちかにきめるよりはまだ悪い。どっちかきめないよりもきめたほうがよいというところまで懐疑したならば、懐疑にきりをつけなければならぬ。懐疑の限界という、これは私どもをそのとき助けてくれた考え方であります。懐疑の限界、われわれはどこまで迷っていればよいというものではない。どんなにたいせつなことがあっても、結局どうもできないようなところまで考えるよりは、たとえまちがっても、どっちかにきめたほうが、まだ考えるよりはよいという点に達するというのであります。そこまで達したならば懐疑をやめて、これが善いものであるというものは一生懸命にやらなければならぬ。それは果断の意志をもってきめなければならぬ。果断するというところに宗教的な意味があると、ロイスはいっておりますから、それに力をえて、私のいちばん好きな倫理学はリップスの倫理学でありますが、それによって、ロイスの懐疑の限界で、これでよいとしなければならぬというところで、それをうちきって私の生活をそこにたててきたのであります。それは善となることを自分が善ときめてゆこう[#「きめてゆこう」は底本では「きめてゆかう」]。意志の力でむりにきめて生きてゆこう[#「生きてゆこう」は底本では「生きてゆかう」]。そういうようにいたしまして、それからもう一つ、私たちが出発いたしますときには何がよいかというほかに、どんなものが人生に意義があるかということをどうしても考えなければならぬ。美しいもの、清らかなもの、愛、そういうようなものをもとめようとしなければならぬ。そこで私たちは、善ということと幸福ということをむすびつけようとするようになる。みなさまもご承知のように幸福主義というものは、善というものを純粋に保とうとするときには、排斥しなければならぬ。けれども一方において人間には、いちばん善人がいちばん幸福であるということを求めるところの深い要求があります。これは人間らしい要求であると思う。カントなんかの「神の要請」というのもそこからきているのであります。善と幸福とは区別されている。けれども一方において幸福ということは善人に与えたい。それであるから最高善がいちばん幸福であるようなふうに、神がさせてくれなければならぬというので、神というものをうちから要求したわけであります。それで私もそのときに「善と福との一致」ということを、つまりいちばん善い人間にこの世の中でなりたい。そうするといちばん幸福な人間になれるんだ。この世の中で私たちがすべきことはただ善い人間になることである。そうすればいちばん幸福なんだというふうに要求したのであります。
ところがそういうようにこの世の中がなっているかどうかということであります。私はこれは人生における一つの大きな困ったことであると思う。それはかならずしも善い人間が幸福ではないということであります。善と福とは一致していないということであります。世の中には悪い人間が栄えて、善い人間が衰えて、そうしてその極端な場合は、返討ちという場合があります。たとえば自分の父が
しかしながらその生き方というものは実際にやってみますと、これはうまくいかない。それは実際にやってみなければわかりませぬが、なぜうまくいかないかと申しますと、われわれの生活というものは、第一そういうように理屈のとおりになっていない。昨日も書きましたが生命が実際に存在し、ならびに生長してゆくところの法則というものが、そういうように抽象的、分析的になっていないのであります。つまり理性の生き方というものは、たとえば実際の生命がこういうようなコップならコップであると、まずこれを、生命というものを幾つにも分けるわけであります。壊すわけであります。理性の働きというものは分析と綜合でありますから、こまかく割って、それからまたこれを継ぎ合わせてゆこうというのであります。ところがいったんこまかく壊したものは元のとおりに継ぎ合わせることはできないのであります。またたとえ継ぎ合わせてもそれは元のコップではない。無縫の、むりのないところの具体的なものではない。それはたとえばおもしろくない例でありますが、はっきりいたしますから例にひきますが、ある学生がいるといたします。その郷里の同窓の人が宴会を開くということになります。そうするとその通知を広げてみるわけであります。どこそこで国の同窓会がある。会費は三円也。三円、すこし高いな、自分の学費がどういうようにして出ているかということを考えると高い。しかし郷里の人たちの集まるところであるから、とにかく会いたくもあるしするのでそこにゆきます。自分よりもみなさきにきている。まずきてよかったと思う。そういうような宴会で中等学校以上、大学以上になると酒が出る。そこへもってきてかならずエロ、グロな話が出る。そういう場合に、つまり合理的理想主義の態度でみましたときに、どういうように話してよいかわからない。調子を合わせることはできないし、合わせなければへんだし、どうしてよいかわからない。そうするというとそこへ一人のほかの郷里の先輩がたずねてくるわけであります。その人は自分の尊敬している人でありますが、自分の軽蔑している人といっしょにくる。ああいう人といっしょにいることはいやだと思う人と、自分の尊敬している先輩が仲良さそうにしている。そういうことから第一にわからない。そのうちに酒が出ます。芸者がきます。芸者というものをどういうように取り扱ってよいかということは、これは実際問題と理屈とは合わない。芸者というものが出たら失敬するということもできない。酒が出ると芸者が自分の前にきてすわります。第一どういう言葉を使ってよいかわからない。とにかく合理的理想主義という生き方をしているならば、人格主義でありますから、誰それさんこうしてくださいというふうに、一つの礼儀をもって取り扱わなければならぬことは自然であります。女中に対して何々さんといわないで、おくにというふうにいえる人は気の強い人であります。悪いとは思わないのでありますが、私にはいえませぬ。でありますからしてそのときにもその芸者に対して君というか、あなたというか、どうしてくださいというか、どういってよいかわからない。ほかの人たちはどうしているかというとみな楽しそうにやっている。ところが自分は何ともいえない。結局みなのいうとおり、敬語を使わないでいう。それはそうしないとぐあいが悪い。第一芸者自身が、きまり悪がる。そういうとおちつかない。かえって呼び捨てにしてもらうほうを喜んでいる。そのときはどうしても呼び捨ててしまう。そういうときにはやはり酒を飲まないとへんになるから飲む。十人のうち九人まで飲むことになる。そうするとそこにお
これは生命の実相というものと生命の本然のありのままの生きた姿というものと、それから抽象的な分析とが合わないところでありまして、抽象的分析によって実相をとらえることはできないのであります。でありますから、そういうことがいっぱい起こってくる。
これは一つの例でありますが、たとえば私の家に病気でありますから寝ておりますと、労働者がどんどんやってくる。そうしてそういうふうな主義をたてるからどんどんもってゆくわけであります。しまいには私の寝ている蒲団なんかをはいで、君が病気で寝ているよりも、私の貧乏のほうがつらいからねというので、自分の蒲団をはいでゆくということになる。それは労働運動をしている人でありますが、はじめ奥さんが子どもをおんぶしてきて、私の夫は今検束されているというのであります。それで困っているからというので、私がそれにお金を出すわけであります。そうするというと、あとで聞きますとその人の夫はすぐ前にきていて、そのお金を受け取る。夫は留置場にいたはずであるがそういうことである。そういうような金を取ってすぐに酒を飲むというわけであります。これはいかぬというので、私はそのときの自分の仕事にいる金は人にやることができない。仕事によって人類全体に奉仕すべきである。仕事をするには命だけは必要であるから、生物学的に命を保つに必要なもののほかはみなにやらなければならぬ。これはそういうものをまとめて組合に寄付するということにしたのであります。私は印刷工組合に関係が深いから、まとめて印刷工組合に寄付して、そういうような個人にはしない。そういうように助けなくてもよい者を助けたことになりますから、そうしたところが、こんどはほかの組合がきて印刷工組合だけにしては困る。おれたちはどうするかというのでほかの組合がおこる。一つの例をあげればそういうようなものであります。それからそれはただ一つの例でありますが、その他のことにしましても、そのような窮屈なことをたてておりますと、一つ一つの出来事に対してどの部分に該当するかということをきめることができない。しかもその行いたるやすこしも生き生きとしていない。そのことについてみなさんのご承知の、カントとシルレルとの論争がありますが一つの善なることを為そうとすることを考えたならば、自分ができてもできなくても、それを意志の力で為すべきだというのがカントの考えであります。シルレルは自分がしようと思うときにすべきだという。義務として為すべきことだ。すべきことだからすべきだというのと、自分がほんとうにしたくなったときにすべきだというシルレルのいわゆる「美しい魂」の思想とこの二つの論争はどうしても起こってきます。トルストイでもその問題には非常に苦しんだ。トルストイの主義はカント主義であります。カントのようにしなければならぬはずのものである。論理的に申しますとまたトルストイも実際そうしなければならぬと認めておった。たとえば学生がなぜ家出しないかと責めたときに、そのときにトルストイは「家出をすべきである。けれども息のつまったものが息をしないわけにいかないようになったときに私はすべきだ、それまではしない」といいました。がこれは、トルストイの主義から申しますとそうではいけないはずです。が実際私たちが義務としていたしましたことは結果として成績をあげない。自分が心からそうしようと思った十分の一も成績があがらない。それは人間の為すべきこととして、ほんとうに使命なり、すべきこととしておかあさんが子どもを愛するような、そういうようなものでなく、それは不自然なおもしろくないことがあるということを、実際にやってみると痛切に感ずるのであります。そういうような欠点がありますし、それから第一、主義そのものから申しましても、それだけの方針をたててやってゆくといたしましても、いちいちの出来事がそれに当てはまってゆかない。そういう規則できめたことは、ちょうど円いものを
たとえば世の中に渋沢栄一さんだとか、新渡戸稲造さんであるとか、ああいうふうの人は、とても私たちのおよびもつかない良い生活をする人でありますが、しかしながら神経質ではない。反省が深刻ではない。だから仕事のうえではなるほど人の役にたつようなことをしたり、寄付金も集めたりいたしますが、善いとか悪いとか生命の触れたところの、親鸞的な魂が薄いのでありまして、だからして非常に片一方では事務的な仕事はできる。百万円なら百万円の金を儲けて二十万円出しても、それが慈善だと思っているような人である。しかし反省というものはそういうようなほんとうの生命、命というものに達しないところで反省しますから、それは普通の意味で行いが正しい。慈悲ぶかい。みなのために役だつというふうになりますから、自分が悪いということを考えないのであります。そういうようなキリスト教はキリストの生命には触れてこない。もしもキリスト教の生命に触れたものであるならば、戦争なんかできるものではありませぬが、ほんとうの反省ということをせずに肯定するのであります。そういう人は社会には必要でありましょうが、しかしながら生命の問題、ほんとうに生きてゆこうという[#「ゆこうという」は底本では「ゆかうという」]意味を、ほんとうにつきつめてゆこうとするところまでゆきましたならば、そういうところでとどまっているわけにはゆかない。それができるならばほんとうの慈善家として、社会的人物として人からも褒められて、平和な生活もできるでありましょう。これもりっぱなことではありますが、そういうようないわゆる正しさで生きることのなかには、われわれの生命に対して、ほんとうに忠実でないということがあるということを、見のがすことができない。トルストイは非難されるような行いをいたしましたが、それはトルストイが命に対して厳粛であり、非常に燃えるような熱をもっていたから、そういうようなことが起こったのであります。私も一夫一婦ということを考えたのでありますが、そういうように無難にやっている。恋愛にいたしましても、学校を落第しない程度に恋愛して、暮らしに困らない程度に子どもを生んで、良妻賢母でゆきますならば、非難なくやってゆけるわけであります。忠実な夫、忠実な妻君であるといわれるかもしれませぬが、生命を追求してゆくことになれば、そういうようにできないところがある。その意味において善良なる市民、善いクリスチャンだというふうにならないということにも、生命の真摯さがあるということも考えなければならぬのであります。とにかくわれわれの生活はこの合理的理想主義でことがすむならば、それは安心である。何ら不満なく世間が送ってゆける、生命を生かしてゆけるような人々であるならば、その人には宗教はいりませぬ。宗教はそれに不満な人に、はじめているのでありまして、それでは満足できないもっと生命をほんとうに求める人に、はじめて宗教がいるのであります。そうして親鸞聖人のような人がそれであります。
それでそういう合理的理想主義の生活にゆきづまってまいりまして、法的自然主義の生活が始まるわけでありますが、それをどういうようにして始めましたかと申しますと「後ろを見る目」ができたのであります。何でも初めは善いことはどこにあるかというふうに前ばっかり見ておったのであります。後ろを見ることをしなかった。前にも話しましたが「ふけばふくほどよごれる物は何か」という。そうするとその答えは「
それでそういうふうなものが目ざめてきて、そうしていろいろな考えが浮かんでくる。これも私が考えたようでありますけれども、よく考えてみますとわかるようになってくる。これを仏教的に申しますと、私の生まれる前からの
それで私が、はじめて善悪というものを横に
清浄心といって善とはいわない。それは天理教祖は、非常に偉い人であると思いますが、「とうどこの度胸のうち澄みきりましたが ありがたい」ということがある。縦に截るとすみきることがない。いつでも不満がある。ひっかかりがある。これで何でも澄みきるということがない。不満とひっかかりと、残ったものがあって、
それですから自分の心で、私がやったところがどうかということが、理屈できめることはできませぬけれども、自分の心の態度を忠実にしているか否かということはわかるわけであります。でありますから自分の心をそういたしますと、心から出てきた行いがみな善い。みな正しい。そうでないものは不正だということになります。われわれの了解することのできない自然の催しである。そういうような善悪に対する態度主義があるわけであります。それは清浄心と名づけまして、それのすることは何でも清らかになる。一つ一つのものをこしらえおいて清らかというのではありませぬ。はじめにこういうことは悪いということをきめておくのではない。それはきめておかないのであります。それをきめておいては縦に截るのであります。そういう一つ一つの現われるところの行いを見ずして生み出すところの心一般、そういう一般的な心の態度そのものを問題とするのであります。
そういうふうなやり方が宗教的なやり方でありまして、そのときまですこしも知らなかったのでありますが、中江藤樹などのいわれた儒教というものはほんとうはそういうものであったのであります。普通日本の倫理道徳は儒教から出たものであるとされております、が儒教のほんとうの趣旨はこういう趣旨であったのであります。普通にこの権道と王道というものは、権道は策略で悪いことになっておりますが、もともと儒教の趣旨というものは、中江藤樹のいうところによると、儒教のいちばん
それで聖人というものはおのずからにしてその行いが権道にかなっている。周の文王は自分の主人を殺して革命を起こしたのでありますけれども、権道からいえば正しい。それはこのなかにかなった行いをしたのである。行為からいうと不忠でありますが、権道からいえば正しい。たいせつなところは心を一度そういう「心の
そういうようなことを見て、古来の偉い宗教家、偉い人のやり方というものはみな善悪を横に截る仕方であります。清浄心というやり方であったようにみえるのであります。それでつまり私の生き方が宗教的になったわけであります。それでそういうように私がやっていったのでありますが、しかしこのなかにもまだ私があるのであります。そのときにはそれでよいと思いましたがまだ私があった。それはなぜかというと、私は強迫観念にかかったからであります。私は善悪を横に截るという道を第一巻の巻頭のところに書いたのでありますが、そのときに、私の友だちで禅宗の信仰の深い人がある。その人がそれを読んで、どうもこれは君のゆき方は、私たちとだいぶん近づいている。ずいぶん私たちに近づいてきたがどうも違うという。しかし私は私のようにそう生きるよりほかなかった。それはどういうわけであるかというと、自分を清浄にしようということだけは、自分がどうしてもしなければならぬということになるからであります。ほかのことはしなくてもよいがこれだけはしなければならぬ。神に対する義務であるから清浄にしなければならぬ。「神流れ今入る我は
ところが一朝にして強迫観念にかかって、自分がこうすべきだと思ったことは、どこまでも意志の力でもってやろうとする。その心から強迫観念が起こったわけであります。たとえば強迫観念というものにいたしましても、自分の為すべき、先刻書きました「できればするのに」、できればするのにできない。こうすべきだということがわかっているけれども、それができないという問題を与えられた。それがすなわち私の強迫観念であります。たとえば親鸞聖人が自分を清浄にしようとして、できないという問題にあったわけであります。強迫観念の話については、あまりいうのでいやになっているのでありますが、強迫観念と申しますことは、たとえば眠れないという強迫観念の場合とすれば、自分の心を静かにしようとすることが、私の心を静かにさせないわけであります。しかしほうっておけばよいということは現在が静かにないのでありますからそのままでほうっておきますからやはり眠れない。静かにすべきだということがわかっているが、それが眠らせない原因であります。そのままにほうっておいても眠られない。静かにしようとしても眠られない。どうもやり方がない。ジレンマというわけであります。それならばどうしたらよいか、どうすることもできない。それで結局どういうようになるかというと、眠るときのことから申しましても、時計の音なんか聞こえないようにつぎの室にやりますし、目に何も見えないようにする。それでも見える。こんどは目の中が見える。しまいには自分の目が見える。自分の目で自分の目を見ることができるということがあるそうであります。自分の目が自分で見える。ですから眠られるわけがない。絶対に眠られない。目をあけていても眠れないから閉じております。目をあけてはいられないから眠ると目の中が見える。ますます見える。それを禅では
これはじつに最後のものであります。はからいがやめばよろしいのでありますが、はからいというものは業縁が尽きるまではやまないものであります。はからいをやめるということは自分の意志の力ではできない。とまったときにはじめてやむもので、これは禅宗のほうでもそうでありますが、始め題を出しまして、「
その問題を解くために非常に苦心をする。これこそほんとうと思ってもってゆく。だめだといわれる。そこでまた苦心してもってゆく。これこそほんとうだというときにそれがいけないといわれる。それで遍歴するわけであります。それであらゆる遍歴をして、ながい間籠もりきりでもって幾らやっても通じない。だからそれは強迫観念をもっていて、それを治そうとするのと同じことである。そういうあらゆることを遍歴して、最後に何もかも、結局手も足も出なくなってしまう。そのときに、はじめて無というものに禅宗のほうではなるわけであります。浄土真宗のほうでは、与えられた運命が、与えられた公案となって、日々の実際生活において遍歴をするわけであります。強迫観念でも目は見まい見まいとするが見えてしまう。が実際のはからいが尽きてしまったときに、ぐっすり熟睡したのであります。それ以来不眠というものがなくなって、時計をつぎの部屋にやっても、目を閉じても目の中が見えてどうしても眠れないものが、今はどんなことがあっても眠れる。絶対的の不眠のときには目を開いても眠られるということがわかった。はからいがやんだときに、強迫観念があるままそれを通過することができた。私の力でなくそうさせられてそうなった。それは私として大経験であったのであります。そのはからいのやむおもむき、はからいというものはどういうようにしてやむのかといういきさつが、手にとるようにわかったわけであります。
雲にただ今宵 の月をまかせてむ
いとうとてしも晴れぬものゆえ
いとうとてしも晴れぬものゆえ
いとうても雲は晴れないから、今宵の月を雲に任せようという、「光雲無碍」ということであります。私も耳鳴りで苦しんだときにこのさわりがありながら、そのさわりを取り去るのでなくそういう境地になれるのだがなということを願ったわけであります。幾ら願いましても、わかっていても、どうしてもいけない。そのはからいの
それで私は清浄心というものにもまだはからいがある。それがつまり禅宗というものと真宗と違うところであると思う。真宗のほうでは清らかにする。そのままのところでそれが救われる。そういう親鸞の境地を悟ったということがわかったわけであります。なぜかというと、その強迫観念というものが治らなければ、私は廃人にならなければならない。そういうようなわけで、寝ていなければすぐにからだが悪くなることはわかりきっている。第一生きてゆくこともできませんし、まったく困ったことになるわけであります。その私がそういうようにして助かったのであります。そうして単にそういう心のみならず、からだまでがすべて変わってしまったのであります。それからその生き方を今日までずっと続けているわけでありまして、そういうようにして私はこの善悪を清浄心から横に截り、強迫観念を截って、だんだんと真宗の信仰のだいぶ深いところまでいったように、自分では思って喜んだ次第なんであります。ところがまだそこにはからいがあったわけなのであります。
[#改段]
つぎにお話をしようと思いますことは、信仰のいちばんたいせつな極致のところであります。前に善悪を横に截る道、強迫観念にかかってそのままで生きるよりほかなくなって、あるがままの世界が現われたところまで話しましたが、とにかく私は思うのでありますが、われわれはいろいろこせこせしたことをどうしても考えて暮らさなければならぬのでありますが、実際にそういう衣食住のこともやらなければならぬし、いろいろなことに対して腹だたしいこともありますし、こせこせしたことが幾らでも起こってくる。しかし私は去年埼玉県の
それは他の信仰もそうでありましょうが、ことに浄土真宗の信仰は、自分の恥も外聞も忘れてのり出して、自分を仏の前に投げ出したところに起こるところの信仰であります。それでありますからして、その投げ出すということがどうしてできるかということになるのであります。それは投げ出しうるような環境にならなければ投げ出せない。そこがつまりむずかしいところであると思うのであります。
前にもトルストイと親鸞と比較してちょっと話しましたけれども、トルストイと親鸞と比較すると、私はトルストイのほうがあまいと思う。トルストイがなぜ親鸞のように現実の生活をみつめて、深刻でありえなかったかというと、それはトルストイの境遇が、親鸞のように厳粛な反省を起こさせるだけの境遇にならなかった。つまりトルストイのなかでもっとも厳粛なるところは、トルストイの自己内省の部分であると思います。トルストイが自分を批判している部分は、すこしも
虚偽と真実。私は真実と虚偽ということが非常にだいじなことであると思います。これは仏教の言葉でいえば
たとえば、まあ、私のところへくる学生、青年たちの例をあげてみても、一人の人は、自分はプロレタリヤ文学をやるんだという。プロレタリヤの文学がほんとうの文学だという。そういう文学をやるんだというふうに一人の青年はいうけれども、その人の境遇をみると大きな印刷屋の息子である。一人のほうはそれよりもずっと貧しい青年でありますけれども、しかしそれはそういうようにはいわない。文学はそういうようなものではないと主張している。そういうような場合に、私なんかは、その人がどういうように変わってゆくかということをよく見ておりますと、かえって前のプロ文学をやろうといったほうの人のほうが浮いたものである場合が多いのであります。だからといって私はかならずしもブルジョア的のことが真実であるというのではないのであります。私のいうところはブルジョアであると、プロレタリヤであるとを問わず、その人の考えていることが、ほんとうであるか嘘であるかということがたいせつであり、ほんとうと嘘との意味がそういう意味であるということをいったのであります。
それは「あるがままの呈露」、あるがままの状態、浄土真宗の信仰はあるがままになる。あるがままで、よかろうが、悪かろうが、赤裸々な身を投げ出して、仏とあい対するところに浄土真宗の信仰が起こるのでありますが、あるがままというのはそこに現われてくるのでありまして、出そうとするのではない、呈露するのであります。あるがままがそこに現われてくる。あるがままをいろいろな飾りけをなくしてつまり「無一物。
それならばわれわれはどうしてそういう境遇が自分にくることを待ち望むことができるか。われわれは待ち望むべきものではないと思います。われわれは心では幸福になるということが本心で、苦しくなるということを待ち望むものではない。どうしてもいやいやながら不幸になってゆく。苦しいからどうしてものがれようとする。その結果救いの光に触れるわけであります。それを「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて」というふうに親鸞がいっているのは、私はその意味であると思います。私が強迫観念にかかりましてそれからのがれますまで、初めからしまいまで、私の努力はすこしもなく、弥陀のはからいにはからわれて強迫観念にかかり、それをのがれようとして苦しみ、そのままでいるよりしかたがないからそのままになった。そうして強迫観念からのがれることができた。それは初めからしまいまで私の努力ではなく、それはつまり私ならぬもののはからいにはからわれてそうやっていったのであります。
私はそこに絶対他力という意味があるのではないかと思うのであります。そういうふうな状態が一度私の体験になりましてから、私の生き方がこういうようになってきたのであります。「念仏申さるるように」というのであります。「この世の渡りようは念仏申さるるようにすべし」というのが
とにかく私はすべてのことに迷ふときに、念仏申さるるようにきめる。それはこういう
芸術なんかでもって、私たちを感動させるものは、かならず実相が出ていないと、私たちを感動させるものではありませぬ。そのなかにどんなに正しいとか、理屈とかいうものが盛りこんでありましても、それが実相になっていないならば、私たちをほんとうに動かすものではない。だからトルストイの「闇の中に輝く光」という作品が私たちを動さないのに、チェホフの作品が私たちを動かすということは、実相が出ているからであります。みなさんはおすきかどうかしりませぬが、
いかにせん共に死 なめといひて寄る
妹 にかそかに白粉 にほふ
これは松倉米吉というある鍛冶屋の息子がありまして、肺病で難儀をした。一人の恋人がおって、それがなかなか貧乏でありまして、会うということは容易ではない。旅費をつくることも容易ではない。松倉君が肺病で非常に弱っている。命も長くないようになった。
いかにせん共に死なめといひて寄る
妹にかそかに白粉にほふ
妹にかそかに白粉にほふ
そういうような境遇で、自分は今別れたらまた会うことができない境遇のときに、もちろん恋人もやっとのことで旅費をつくってきたというのであります。これは一つの実相であります。まあしかたがないから死のうじゃあないかという、死んでくださいというふうにしてやってくるわけであります。非常に貧乏で着物も粗末で、飾りなんかすることはできないが、やはり白粉はつけている。そのときに松倉君は性欲なんということは考えられないほど弱っている。けれどもやはり白粉をつけてくる。そのときにどういうように松倉君が感ずるかというと、説明することはできませぬけれども、これは人間の心の実相で、善いとか、悪いとか、何とかいうようなことをいってはおられない。動きのとれないものであります。ですからこの歌を読みますと、それを責めるとか責めないとかいうことでなく可哀そうであります。しかたがないではないかという気がします。動かすことのできない。善いとか悪いとかいえないものであります。それが一つの実相であります。「実相観入」ということは、芸術のほうではよくいいます。つまり実相をみてそのなかにはいる実相というものはどんなものか。これが実相だということはできませぬが、とにかくある。ないならばそういうことはいえませぬが、実相とは何かというと、どうしても答えられない。それがほんとうである。言葉というものは概念でありまして、ものを抽象的に分析して、はじめて成立するものである。けれども実相というものは具体的な、概念で分析しない。是非善悪を判断しない。そこにあるがままの丸彫りの状態であります。言葉は概念でありますから、それで現わすことができないのは当然のことであります。
こうした実相の現われた芸術や歌が、われわれをなぜ動かすかということを考えてみましても、実相というものにはある不可説な、言葉でいえないある感じがあるからであると思います。それはどういうようにいったらよいか、たとえば私が熱海におりますときに釣り堀がありまして釣りにいった。そうするとそこにタイがかかったわけであります。ところが小さいイワシがそのなかにいっぱいおった。いかにも生き生きとして泳いでいる。しかもイワシでありますから群居生活をしている。群集になって自由自在に泳いでいる。ところがイワシが何のために入れてあるかというと、タイのえさになる。釣る人はイワシを釣るのではないのでありますが、タイを生かすためにイワシを必要とする。タイが必要であるのでえさのために入れたのでありますが、そういうふうにされているイワシでも、イワシならイワシの生命があって、集団生活をして勇ましくりっぱである。釣り堀のおやじの目から見ればタイのえさである。タイとイワシと比較すれば比較にならない。そういうりっぱな魚のために、餌食として犠牲になっているわけであります。そこへもっていって、人間である私がタイを釣りにいっているわけであります。私が無慈悲だといえばいえますが、そのときは病気でいっていたので、釣り堀はおもしろいと思っていったのではなく、すこしでも慰められると思っていったので、私を責めることはないといえばいえます。おやじさんもやっとのことで暮らしているので、
もしもそのときに私が感じた心のありさまは何であるかといえば、南無阿弥陀仏という気持であります。そういう気持がするように、そのときになってやはりやめようかと思って迷うならば、それは何できめるか。もし迷うならば何できめるかというと、南無阿弥陀仏という感じがよくするようにきめようというのであります。それが念仏を申さるるようにきめるのであります。私はそのときにどうしたかというと釣ったのであります。私は病気のときに国の池で釣ったとき、それをすぐ元に流してやったものであります。しかしそういうことは自分の生活のためには、もっと悪いことをしなければ生きられませぬから、魚のことにだけそういうことをすることは、かえってあまいことでありますから、今はそういうことはしませぬ。南無阿弥陀仏で釣ったということであります。それは一つのことでありますが、それは一つの実相というものは、そういうものであるということをいおうとしたのであります。それですこしは実相ということが説明することができたと思いますが、たとえばまだこういうようなことがある。私が藤沢にいるときに、私の家の下にどっかの官吏の下のほうの人が住んでいる。私の家の二階からその人が
それからまたもう一つは、
つまり前にも申しましたように、犠牲というものによって生命、絶対の、生きているものを理解することはできますけれども、しかし正義というようなことでこれを解釈しようとすると、みな不正になってくる。それも一つの実相であると思います。それでそのときに、「生けるものの命はなべて供へ物己が身一つを惜しまめやゆめ」その魚の頭を見たとき、
生けるものの命はなべて供へ物
わが身一つを惜しまめやゆめ
わが身一つを惜しまめやゆめ
その魚の命はみな供え物である。大きな宇宙のための、みなが生きるための供え物である。それは魚だけでなく、私自身も供え物である。だからわが身一つを惜しまめやゆめ。私のからだも供え物である。もちろん供え物としても、それいたします私自身も、供え物であるタイやイワシを食いますが、タイは人間の供え物である。大きなものの供え物、宇宙における供え物であると思う。自分の身を惜しむまいというふうに、そのつもりでつくったのでありますが、ともかくもそういうようなものも一つの実相であります。
それで今ちょっといいかけましたが、鳥の命と人間の命との間の実相といいましたが、それは私が何でも弱いものをいじめるのが許されているというふうにいうのではありませぬが、二つの命がどういうように、その間の関係が成りたつかといえば、それはそのあとで話したいと思いますが、その生命のもっているところの生命、値のつりあいによって、それを定めるよりほかにしかたがないと思うのであります。知識とか、徳とかいろいろな意味の、そのもっている生命価の全体、人格、タイなんかは人格ということがいえませぬから生命価。その生命の団体なり、階級なり、そういうもののもっているところの生命価。二つのものの生命価のつりあいによって、どういうように従属するか、たとえばどちらをリードするかということがきまってくるのであります。それはおのずと天然がそうさしていることでありまして、しかたがないことであります。それで生命価ということは何ではかるかというと、はかることはできませぬ。知恵の力とか、腕力の力とか、いろいろな力が集まって、そのもっている生命の値うちとなるのであります。その生命の値うちがどういうふうにきまってくるかというと、遺伝、歴史、努力の結果、いろいろな事情がありましょうが、とにかく現在における生命価のつりあいによってきまるよりほかにしかたがない。地球が太陽の周囲を回っているということも、ほんとうは地球と太陽と引き合っているというだけであるが、質量が違っているから、地球のほうが太陽にリードされている形になっておりますが、実際は引き合っているにすぎない。質量が違うだけでそうなっているのであります。こういうような状態も、これも一つの実相であります。
それでそういう実際感が、こうしたほかの世界を眺めますというと、実相感がもっとも生き生きと感ぜられるように物事を見てゆこう。どっちかわからなくなりましたときに、実相感が生き生きと感ぜられるようにきめてゆこう。今日の言葉でいえば、そういう言葉でありまして、それを宗教的にいえば、念仏申さるるようにきめるという。そういうふうに私は物事のきめ方をしてくるようになったのであります。そうなりますと、これは宗教生活のなかにはいったわけでありまして、つまりあるがまま、そのまま、善いとか悪いとかいわないで、そのままを肯定する。実相肯定、つまり実相の肯定であります。実相肯定の生活であります。また実相肯定の生活が念仏に生きる生活であります。そうして私は、親鸞聖人の気持もそういう気持ではなかったろうかと思うのであります。つまりあるがまま、そのままに肯定している。そういうような生活になってきたわけであります。そういうようになりましたからして、私はつまり私の身にどんなことが起こってこようとも、とにかくそのまま受けよう。どんなことが私の境遇に起こってきても文句をいわないでそのまま受けよう。つまり強迫観念をやめることはできないから、回るままで受けようというような生活の仕方になったのであります。そのときに私はちょっとまた別のことを考えました。それはどんなことであるかというと、私は念仏申さるるように生きようとするのでありますから、どんな場合でも念仏を申さなければいけない。そうするというとある一つの場合に私は念仏を申されないことがあるということを感じたのであります。それは何かというとつまり剣難であります。刀で斬られる、そのときに念仏が申されるか。念仏のために汽車のまえに飛びこむことができるか。もし飛びこめないならば、そのときには念仏を申さないことになりはしないかというと、どうも不安になってきた。そうすると、どんな場合にも通ずるイデオロギーではない。イデオロギーというものはいかなる場合にもその原理できってゆかなければイデオロギーにならない。しかし念仏申さない場合があるではないか。それならば唱えるときと唱えられないときがあるではないかということになって、私は自分もどうしたらそれができるかということを求めて、横浜の非常に偉い坊さんのところにいったことがあるが、あなたはそんなことをいって、いつでも念仏を申されるようにしたい。ほかのことは理屈も何も捨ててしまったけれども、それだけは捨てたくない。そのためには白刃をもって斬りかけられても、念仏を申されるようにならなければいけないから、ただ私の命を安心立命をさせること、ただそれだけのために、それはそうなりたいというたことがあったのでありますが、結局話があわなかった。
それで私は
私はそのときに、私がこの宇宙の中にいるからして、私は受け取ることができもしなければ、しなくともいいのだということを知ったときに、ほんとうに、とても歓喜雀躍いたしました。そのときに自分と宇宙とが対立していない。私と仏が対立していない。私も宇宙の中にいるのでありますから、私が宇宙なのでありますから、受け取る必要はないしまたできもしない。私がしなければならぬことはたった一つ残っていた。私の安心立命のためにしなければならぬことは、たった一つ受け取ることだけであった。それをしなくてもよいとすれば何にもすることがない。これがすなわち放下とか手放しとかいうことであります。つまり私は何にもしなくてもよい。私は宇宙の中にいる。そのときに私と宇宙とは一つものであります。向き合っているのではありませぬ。それで私はそのときに老師にその見解を呈すると、「そらごらん、受け取ることもどうすることもできますまいが」といわれた。老師は私と三十も年が違うのでまるで私を子どものようにみておりますが、そのことは私にとってとても大きなことなのであります。生活と一枚の宗教と申しますのは、つまりその私と宇宙とが離れていない。一枚である。初めから宇宙の中にはいっている。仏の船の中に初めから乗っているわけであります。つまり私はいっぺんも宇宙の外にいたことはなかった。初めから宇宙の中にはいっていたのであります。
神流れ今入る我はとこしえの
命の水と流れゆくなり
とこしえの命の水と流れゆく
身はかくのみにあり経しものを
命の水と流れゆくなり
とこしえの命の水と流れゆく
身はかくのみにあり経しものを
ですからして、私がその前に「善悪を横に截る道」と申しましたときにも、私の気持は、これがそのときの、善悪を横に截るときの気持であったのであります。限りなき命の、生命の流れの中へ今私がおどりこむ。それから川にはいるときに、そこにはとこしえの命の水と一つになれると思って
神流れ今入る我はとこしえの
命の水と流れゆくなり
命の水と流れゆくなり
こういう気持になりましたときにも、前に申しましたときにはたいへんな悟りであった。そのときには非常に喜んだ一つの大きな悟りであったのであります。ところがこんどはそうではない。
とこしえの命の水と流れゆく
身はかくのみにあり経しものを
身はかくのみにあり経しものを
つまり私は初めからその命の水の中にはいって、これまでいっぺんも命の水から出たことがなかった。初めからずっと命の水の中にはいって流れていたのである。これがつまり「天地乾坤一枚」と申します。ほんとうの最後の、何もしなくてもよい「
坐禅せば四条五条の橋の上
往き来の人を深山木 と見て
往き来の人を
という歌がありますが、四条五条の橋の上にたくさんの人が往き来を[#「往き来を」は底本では「住き来を」]しておりますが、それは深山の木だと思って、橋の上で坐禅しなければならぬというふうに、一人の悟った人が歌ったわけであります。そうすると他の人が、それはすこしよくない。
坐禅せば四条五条の橋の上
往き来の人をそのままに見て
往き来の人をそのままに見て
それはそのほうが確かによいと思います。深山木と見てということは、自分で何か細工をするのでありますが、そのままに見て、ずっと往き来をしている、それをそのままに見るのでありますから、そのほうがよいと思います。私はそれをこのごろからやるようになっております。歌としてはよいのではありませぬが、
坐禅せば四条五条の橋の上
往き来の人の中に交じりて
往き来の人の中に交じりて
そのままに見てと申しますと、自分と向こうの人との関係がついていない。それは観照の生活のほうからみますというと、そのままに見て。芭蕉とか良寛とかいうような人は観照生活のずいぶん深いところで生きている。芸術の世界の極致のようなものである。
坐禅せば四条五条の橋の上
往き来の人をそのままに見て
往き来の人をそのままに見て
というふうに、そのままに見ているわけであります。芸術に書くときに、そのままにというのが実相肯定の芸術であります。そのままに見たときにいちばん深い芸術ができるわけであります。
坐禅せば四条五条の橋の上
往き来の人をそのままに見て
往き来の人をそのままに見て
というのは、ずいぶんよいと思いますけれども、そのときには自分はここにいて、人が銀座通りなら銀座通りのところを通っているのを、それを見ているというふうに、それと自分が離れている。それで私は往き来の人の中に交じりて、みなといっしょに[#「いっしょに」は底本では「いっしよに」]そこを歩きたい。坐禅は歩くもすわるも、そうしなければ坐禅ではないというのではありませぬから、歩いていろいろなことをする。非常に私はそういうような気持になってきたのであります。
それはつまり私と相手とが対立でなく、私と宇宙とが二枚になっていたものが、一つになって一枚になったということからして、したがって向こうとこちらとを離して考えることがだんだんできなくなって、それでその人の中にはいっていっしょにゆかなければ、気持がすまないようになってきた。芝居でも舞台でもって芝居をやって、観客はこの席で観ているわけであります。ところがこのごろは観客席と舞台との席を分けないでやるようなことを、ロシアのほうでやっている。それとこれとは話が違いますが、とにかく自分がそのままに生きている。あらゆる人間が、あらゆる無生物と自分とを一つにして、いっしょになってゆこうという。そのなかで自分がどういうことをするかというと、それはどういうことをするにしても、自分の安心立命のためには、自分は何もしなくてよいのだ。それで許されているのだという、こういう気がするようになってきたのであります。私はこれがこの宗教の極致でありまして、あるがままの世界の生まれてくる最後のものであると思います。そういうようになりますと、一つ一つのものはみなそのままで如来である。その人にどういう観念が動いてくるにしても、それが如来であります。また私にとって痛切なことは精神病であります。自分の親しい友だちが精神病になって、ひどいものになると、非常に