夏の日の夢

THE DREAM OF A SUMMER DAY

小泉八雲 Lafcadio Hearn

林田清明訳





 その旅館は、楽園のように思えたし、女中メイドたちも天女のようだった。これは、明け方、条約による五開港の一つ、長崎から逃げるように帰って来たばかりだからである。というのも、「近代的モダンな設備」を完備したヨーロッパ式ホテルの方がよっぽど快適ではなかろうかと、当初思い込んでいたからだ。それだけに、ここでこうして、浴衣ゆかたを着てくつろぎ、ひんやりした座布団に座り、よろしき声の女中たちのもてなしを受けて、美しい調度品に囲まれているのは、一九世紀西洋のあらゆる不満足さから解放される気分で、ほっと安堵した。朝食にはたけのこと蓮根が出て、宿泊の記念にと団扇うちわが配られた。団扇には、海鳥うみどりが海岸に打ち寄せる大波と青空のはるか彼方から勇んで獲物を狙い定めている様が描かれている。これを眺めていると旅の難儀さを忘れるようであった。溢れんばかりの陽光と雷鳴のようにダイビングする一瞬の身構え、それに波を砕く海風うみかぜの勝ちどきのすべてが、この一枚の中にある。最初これを見たとき、あっと叫びたいと思ったほどだ。
 二階のバルコニーの杉の円柱の間からは――黄色い小舟がもの憂げに停泊している――三角みすみ港が見え、その湾曲した海岸に沿って、綺麗な灰色の町並みが望める。港は釣り鐘を伏したような緑の大きな岩山と岩山の間に開口しており――その向こうにある水平線にはきらきらした夏の輝きが見える。その水平線の辺りには、古い記憶のように、山々の影がぼんやりと霞んでいる。灰色の町と黄色い舟と緑の崖の他は、みんな青色であった。
 そのとき、風鈴のを聴くようなすずやかな声で、「ご免くださいまし」という丁寧な言葉が聞こえると、私はうたた寝の白昼夢から覚めた。それは、旅館の女主人が茶代(1)のお礼にやってきたもので、私も両手を付いてお辞儀をした。彼女はとても若くて、歌川国貞の「胡蝶こちょうの美女」や「青蛾せいが娘図むすめず」を思わせて、うっとりする、とても愛想の良い人だった。ふと何気なく私は死を想った。というのは昔から言うように、美しさには、時として不幸の予感が付きまとうことがあるからだ。
 女主人は、お出かけなさいますなら、人力車くるまをお呼びしましょうかと訊ねた。私はつぎのように返事した。
「熊本ヘ帰リマスデス。コノ、リョカンノ、名ハ、何トイイマスカ? キット覚エテオクデス。」
「お部屋はたいしたものじゃございませんし、女中メイドたちも行き届きませんだったでしょうが……。浦島屋と申します。それでは、おくるまを呼ばせましょう。」

 彼女の音楽をかなでるような声は過ぎ去ったが、私には――霊的な網で、ぞくぞくするような――魔法がすっぽりと掛けられた気がした。旅館の名も、男に魔法を掛けて魅惑する詩歌の物語と同じ名前だった。


(1)旅館に着いて、しばらくして宿泊代などの他に客が与える心付け。チップ。


 さて、この物語を一度聞けば、読者諸氏も忘れることはないだろう。私も毎年夏には海辺に立つが――とくにとても柔らかくて穏やかな日には――、その物語はいつも私の脳裏から離れない。この昔話には、芸術作品から刺激を受けたときのように、作り替えたものが多くある。けれど、非常に印象的で最も古いものは万葉集にあるが、これは五世紀から九世紀の間の詩歌を編纂したものである。この古い版から、優れた学者のアストン氏は、これに手を加えて文章にしているし、またチェンバレン教授も詩と散文に翻訳している。しかし、英語の読者にとって最も魅力あるのは、チェンバレン教授が子どもたちのために書いた『日本おとぎ話集』であろう――というのは、日本人の画家が描いた素晴らしい彩色の挿絵があるからである。手元にある和綴わとじの小さな冊子に拠りながら、私自身の言葉で昔話を再現してみたい。

 むかしむかし、四〇〇と一六年ほど前、漁師のせがれの浦島太郎は、住之江の浜から自分の舟を漕ぎ出して、漁に出た。夏の日は、当時も今日と同じように、――まったくもって物憂げに眠ったようである。海は淡い青色をしていて、ただ少しばかり光があって、鏡のようであり、その上には真っ白な雲が浮かんでいた。また、遠くの丘も同じようであった――青空に溶け込むかのように、淡く青い形をしていた。それに風もどこか眠たげである。
 この少年もまた眠くてうとうとして、釣り糸は垂れているものの、舟は漂うままである。この舟は変わっていて、塗装も施されておらず、また舵もなく、おまけに、西洋では見かけることのないような形をしている。しかし、四〇〇年後の今日もなお、日本海の海岸の古い漁村には、このような舟がまだ見受けられるのだ。
 長いこと待って、やっと何かが釣り糸に掛かった。浦島が引き上げて見ると、それは一匹の亀だった。
 ところで、亀は海の龍神のお使いであり、その寿命は一〇〇〇年とも――人によっては一万年とも――言われている。だから、その亀を殺すことなんぞはとても悪いこととされている。浦島は、釣り糸からこの動物を優しく放してやり、神に祈りを捧げた。
 けれども、今度は何の獲物もかからなかった。この日はとても暖かくて、海も大気もあらゆるものが辺り一面静寂に包まれていた。太郎はとても眠くなり、浮かび漂う舟の中で眠り込んでしまった。
 やがて、海の夢の中から美しい乙女が立ち現れた。――それは先のチェンバレン教授の『浦島』の本にある挿絵で窺うことができる。――乙女は深紅色と青色の服を着て背中から足まで長く伸びた黒髪をしている――これは一四〇〇年前の王女の装束に因んでいる。この乙姫様は水の上をすうーっと滑るようにやって来た。舟の中で眠りこけている少年の枕元まくらもとに立ち、軽く触れて起こすと言った。「驚かれなさるな。父なる海の龍神が、私をそなたの許へ差し向けたのです。そなたが優しい心を持っていて、今日、亀を放してやったからです。常夏とこなつの島にある、父の宮殿へお連れいたしましょう。お望みならば、私がそなたの花嫁となってもかまいませぬ。そこで永遠とわに幸せに暮らしましょう。」
 浦島は、乙姫様を見上げて不思議に思うばかりであった。彼女は、今までに見たことがないほど美しかったので、恋い慕わずにはいられなかった。それから、彼女は艪を取ると、彼もまたもう一つの艪をとった。――そして、一緒に漕ぎだしたのだ。――読者のみなさん方にとっては、それはちょうど西洋の海辺から、はるか遠くの沖合を、――釣り舟が黄金色に染まって夕日の中を進んで行き、夫婦が共に漕いでいるのを眺めるようなものだったろう。
 二人は、優しくまた素早く、静かな青い海を南へ漕いでいった。――そして、夏が終わることのない島へと、またそこにあるという海の龍神の宮殿へと向かった。

(ここで小さな本のお話は突然に終わるのだが、挿絵では、さざ波の青いうねりがこの頁いっぱいにあふれている。これらの波の向こうの遥かな水平線に、島の長くて、柔らかそうな砂浜の海岸が描かれている。常緑の葉の上にはそびえ立つ屋根が見える――これは海の龍神の宮殿である竜宮城である――それはちょうど一四一六年前の雄略帝の宮殿のようである。)

 風変わりな従者たち――とは海の生き物たちである――が、正装して、両名を迎えに出て、龍神の義理の息子となる浦島太郎に丁寧に挨拶した。
 こうして、乙姫様は浦島の花嫁となった。絢爛豪華な結婚式が盛大に営まれて、竜宮城は大いなる歓喜に包まれた。
 浦島にとって毎日は新鮮な驚きと新しい喜びの連続であった。海神の召使いたちがもてなしするのも、とても驚いたし、また、常夏の国で極楽のような歓待も味わった。あっという間に三年の年月としつきが過ぎた。
 けれども、この歓待ともてなしにもかかわらず、漁師の少年は、両親が自分の帰りを待っているのではないかと考えると、心の中はいつも気がかりだった。そして、ついに太郎は花嫁に、両親にほんの一言を言うわずかの間だけでいいから、実家いえに帰らせてもらえないか――そうしたら、またすぐにあなたの許に戻ってくるからと頼んだ。
 この言葉を聞いて乙姫様はさめざめと泣いて、悲しんだ。長いこと一人で静かに泣いていたが、やがて夫に言った。「行きたいとお思いなら、もちろん行かれませ。でも、あなたが行ってしまわれるのではないかと不安です。再びお会いすることもできなくなるのではと恐れます。でも、よろしい。それではこの小箱を差し上げますので、ぜひお持ち下され。申し上げる通りになさいますなら、この小箱はあなたが私の許へお帰りになるのをお助けするでしょう。でも、決して開けてはなりませぬ。――どんなことがあっても! 開けたならば再び帰って来ることはできないのです。そうなれば、もう二度と私と会うことも叶いませぬ。」
 そして、乙姫様は絹の紐で結んである小さな漆の箱を浦島に手渡した。(この小箱は今日、神奈川の、海の傍にある寺で見ることができる。そして、住職は、浦島の釣り糸、また海神の国から持ち帰った不思議な宝物を保存している。)
 しかし、浦島は花嫁を慰め、どんなことがあっても誓って箱は開けないし――絹の紐を緩めることもないと約束したのである。そして、永遠に眠っているかのような海の上を照らす夏の光の中を通って、去っていった。常夏とこなつの島の影は、浦島のうしろで夢のように霞んでいった。彼の眼の前には、北の水平線の白い輝きの中に影を見せている、日本の青い山々が再び見えてきた。
 ついに再び、自分の生まれ故郷の入り江にたどり着いたのだ。そして、自分のいた浜辺に降り立った。あたりを見回しているうちに、大きなとまどいが湧いてきた。――どことなく違っているようだった。
 というのは、この場所自体はかつてと同じようだったが、どこか元のようではない感じがする。現に、父の漁師小屋はもう見当たらなかった。村はあるが、家々は見たこともないような形になっている。木々も変わっていた。野原も、それに村人の顔でさえそうだった。覚えていた土地の様子はほとんどないのだ。神社ですらも新しい場所に建て直されているようだったし、その森も消えて失くなっている。村の中を流れている小川のせせらぎや山々の形だけが昔と変わらなかった。他のものはみんな馴染みがなく、新しいものばかりである。両親の家を探そうとしたが見当らなかった。ここの漁師たちが不思議そうに浦島を眺めている。これらの人たちのどの顔も以前に会ったことのない顔ばかりだった。
 そこへ、古老が杖を突いてやって来たので、浦島は自分の家への道を知らないかと尋ねた。しかし、お爺さんはひどく驚いた様子だった。口の中でもごもごと尋ねられた問を繰り返してしていたが、大きな声で言った。
「浦島太郎といわっしゃったか? おみゃーさんはどこから来なさったか知らんが、浦島の話を知りなさらんとみえるのぉ。浦島太郎となぁ! 溺れてからもうかれこれ四〇〇年にもなろうかい。とうに墓も建っとるだぁな。親類縁者もみな墓ん中だ。――今じゃその古い墓場さえ村じゃ使つちゃおらん案配さね。浦島太郎とはなぁ! 彼の家はどこかってか? ハハハ、そんなことを訊く者はおらんのぉ。」そして、古老は尋ねた者を馬鹿ばかしいとあざ笑って、また杖を突き足を引きずりながら去って行った。
 しかし、浦島は村の墓場へ行ってみた。――今ではもう使われていないという墓場の方であったが、なんとか自分の墓と両親や親類の者たち、それに知り合いの者たちの墓も見つけた。それらはかなり古いもので苔むしているため、刻まれた名前を読むのさえ難しかったのだ。
 それから、浦島は、自分が何か不思議なまぼろしに包まれていることに気がついて、また浜辺に戻った――手には例の、乙姫様からの贈り物である玉手箱を携えている。しかし、この幻とはどんなものだったろうか? この箱の中には何が入っているのだろうか? この小箱の中にあるものが、この幻の原因ではないのか?、と思った。こうして疑念が信念にまさった。太郎は、向こう見ずにも乙姫様との約束を破って、絹の紐をほどいて玉手箱を開けた!
 すると、にわかに箱の中から、白く冷たい幽霊のような霞が音もなく夏雲のように立ちのぼり、どっと現れた。そして、この煙は静かな海の上をゆっくり南の方へと漂い始めた。玉手箱には他には何も入っていなかったのである。
 浦島は、自分の幸せを壊したのだと気がついた――愛する妻の元へはもう戻ることはできないのだと悟った。そこで、彼は絶望のあまり大声をあげて泣いた。
 しかし、それもほんのわずかの間だった。つぎの瞬間、太郎自身に変化が起こった。氷のように冷たい一撃が体中の血の中を駆けめぐった。すると、たちまちに歯はこぼれ、顔には皺が現れ、髪は雪のように白くなり、そして手足はえた。彼の壮健さも衰弱して、四〇〇年という歳月の重みによってしだかれたように、力なくへなへなと浜の砂の上に座り込んだのである。
 ところで、天皇の公式の記録にはつぎのように書かれている。「雄略天皇の御世の二一年(原文のまま。日本書記には二二年とある)に、丹後国餘社よさ郡水之江の住人、浦島子、釣り舟にて蓬莱山へ行く。」この後、三一代にわたる天皇の御代の間には記事はない。――それは五世紀から九世紀の間である。それから、また、この記録には、「後淳和天皇の御世、天長二年、浦島太郎、帰る。また出発するも、その行方は誰も知らず」とある(1)


(1)Chamberlain, The Classical Poetry of the Japanese, in Trubner's Oriental Series (1880) 参照。なお、西暦では、浦島が漁に出たのは四七七年で、帰ったのは八二五年である。


 妖精のような女主人が戻ってきて、もうご用意ができましたよと言って、その細い両手で私の旅行鞄を持ち上げようとした。が、とても重いので、私が遮った。すると、彼女は笑って、私が自分で鞄をお持ちしても構いませんのにと言った。代わりに、背中に漢字の付いた半纏を着ている海の生き物に命じた。私は彼女に深くお辞儀すると、女主人は大したおもてなしもできませんでしたが、こんなつまらないところでよろしかったら、またお出かけ下さいませと言った。それから「車屋には七五銭だけお払い下さいまし」と言い添えた。
 人力車に乗り込んで二・三分もすると、この小さな灰色の町は、背後うしろの曲がり角に消えた。私は海岸を見下ろしながら、白い道に沿って進んでいる。右手には薄茶色の崖があり、左手には海と空間とが広がっている。
 余すところなく輝いている陽光を眺めながら、海辺の道を何キロも長いこと揺られながら進んでいった。何もかもが青い色に染まっているのだ――見事なまでの紺碧の色だ。それはまるで大きな真珠貝の中心に向かって行くようだった。海の紺碧さは大きくなって、電気的に融合してスパークした閃光の中で、うつろな空の青色と溶け合って、空と渾然一体ならんとしている。その向こうには、巨大な青い幻影まぼろし――のような肥後の山々――が現れて、紫水晶の塊のようにギザギザに尖った山頂いただきが聳え立っている。何という透き通った青さだろうか!この統一された色調を破るのは、峰の頂きの上にぽっかりと浮かび、眩しく光る幾つかの雲の白さだけである。雲は白く、紺碧の海面に映えて雪のようにキラキラと震えるように反射している。沖合いをゆく何艘かの船は、後ろに長い糸――一面にたなびく霞の中で唯一鮮明な線――を曳いているようである。それにしても、何と神々しい雲であろうか! それは涅槃ニルヴァーナへ向かう道程みちのりでひと休みしている、白雲の精なのだろうか? あるいは何百年もの昔に浦島のあの玉手箱から流れ出た白い霧なのだろうか?

 私の魂が小さな虫となって、青い夢の中に飛び立っていった。――太陽と海の間――一四〇〇年の夏の光る幻影を通って、いにしへの住之江の浜にブーンと戻ってきた。私は身体からだの下で船底がかすかに揺れ動くのを感じた。そこは雄略帝の御世である。すると、乙姫様が、鈴のような声で言った。「さあ、父の宮殿へいっしょに参りましょう――そこはいつも青いのですよ。」「イツモ青イノハ、何故デスカ?」と私は訊ねた。「私が雲の全部を箱の中に閉じこめているからですよ。」「デモ、ワタシ、家ニ帰リマスノ、必要アリマス。」と、私はきっぱりと答える。「ならば、車屋に七五銭だけお払い下さいまし。」

 ここで、はっと目が覚めた。今日は明治二六年の夏の一番暑い土用の日だ。――現代いまである証拠に、この宇土半島の海岸べりの道路の脇には電柱が並んでいるし、車屋は、相変わらず、空や峰や海の変わらぬ青い景色の中を軽やかに走っている。ただ、もう白い雲は消えていた!――道路の近くにはもう崖はなかったが、かわりに遠方の丘辺りまで広がっている麦畑や水田があった。電信柱にしばらく注意を奪われた。というのは、一番上の電線に、そしてその線にだけ、たくさんの鳥の群れが止まっており、皆が皆とも道路の方を向いていて、私たちが近づいても驚きもしなかったからである。鳥たちはじっとしたまま、何か通り過ぎても素知らぬ振りで、私たちを見下ろしているのだった。実に何百羽も並んで止まっており、ずっと何キロにも渡って長く連なっている。どうしてこんな風に止まっているのだろうか? 何を見て、何を待っているのだろうかと考えたが、分からなかった。並んでいる奴を驚かそうと、時々帽子を振ったり、叫んでみたりした。それによって、何羽かの鳥がバタバタと飛び上がったりはしたが、前と同じ格好でまた同じ電線の位置に止まった。他の大多数の鳥たちは私を相手にもしなかった。

 車輪が回転する鋭い音も、ドーン、ドーンと腹に響くような音にかき消されるようになった。ある村のはずれにさしかかったとき、私は開けっ放しの納屋の中で裸の男たちが、たくさんの太鼓を叩いているのを見た。
「オーイ、車屋サン!」と、私は叫んで、「アレデス。アレハ何デスカ?」と訊ねる。車屋は、停止もせずに走りながら、叫んで答えた。
「どこでん、今は、同じこつばやっとります。もうずいぶんなとこ、雨が降っちゃおりまっせんけん、雨乞いばしよるとです。そんために太鼓ば打ちょっとです。」
 他のいくつかの村も通り過ぎたが、そこでも大小様々な太鼓を見たし、音も聞いた。そして、水田の遙か向こうの、見えない村々からも、あちこちの太鼓の音が山彦のように響き、こだましていた。


 また浦島のことにつらつらと思い巡らしはじめている。この伝説が、一つの民族の想像力に与えている影響を浦島(劇)の一部として記録している絵や詩やことわざについて、私は考えている。かつて、とある宴会の席で見たのだが、出雲の踊り子が――小さな漆塗りの箱を抱えて踊っていたが、大団円のあの悲劇の瞬間にその中から、京都のこうの霧が立ちのぼった――ことを思いだした。古い美しい舞踊についても考えている。――また、そのために何代にもわたる踊り子たちも消えてしまったことを思い起こした。――それゆえに抽象的な煙について、また具体的な煙――私が七五銭を払うべきと言われた車屋の履き物が巻きあげている土煙つちけむり――について考えはじめていた。また、そのうち古い人間はどれくらいのほこりとなるのだろうかとか、質量不変の法則においては、心の動きは埃の動きよりもより大きな結果をもたらすのだろうかなどと想像してみた。だが、ここで私の先祖ゆずりの道徳感が警告を発したためそれは止めて、こう考えてみることにした。つまり、一千年も生き延びることができる物語は、時を経るにしたがって、より新鮮な魅力を得て、その中にある真実のゆえに生き残っているのではないか、ということである。では一体どんな真実があるのか? 今のところ、この問の答えを見い出すことはできていない。

 非常に暑くなってきたので、私は叫んだ。
「オーイ、車屋サン! ワタシ、喉、渇キマシタ。水、欲シイデス。」
 彼は走りながら答える。
「長浜の村ん中に、大きな湧き水がありますたい。こん先の、そげんに遠くなかですけん。そこんとは、ほんに良か水ですたい。」
 私はまた叫ぶ。
「オーイ、車屋サン!――アノ小鳥タチハ、ナゼイツモ、コッチ側バカリ向イテイル、デスカ?」
 彼は走りつつも、少しスピードを落として、答えた。
「鳥は、たいがい、風の来る方ば向いて止まりますと。」
 おう、そうだったと、まず自分のうかつさに、ついで自分の忘れっぽさに呆れた。――そういえば、少年の頃、どこかで同じようなことを言われたことを思い出した。おそらく、浦島の謎もまた、忘れっぽさが作り出したものなのだろう。

 再び、浦島のことを考えた。乙姫様は、宮殿の中で美しく着飾って、今日か明日かとあてどなく帰りを待ちわびている――そこへ「雲」が戻ってきて、無慈悲にも起こったことを話した――そして、正装した長い服を着た海の生き物たちは愛らしいものの、不器用であるが乙姫様をしきりと慰めようとしている。しかし、本当の物語では、これらのことはどれもなかった。日本の人びとが同情するのは浦島の方であるようだ。そこで、私は自分なりにつぎのように考えてみた。
 浦島を哀れむのは、全体、正しいと言えるのか? もちろん、浦島は神によって惑わせられている。神によって惑わせられていない者はいるか? 惑いのない「人生」なぞあるだろうか? 浦島は惑わせられたが、神の目的を疑って、ついに箱を開けた。にもかかわらず、何のトラブルもなしに往生し遂げた。人々は彼のために浦島明神なる神社まで建立している。なぜ、そんなに浦島に同情するのか?
 西洋では、まったく異なって取り扱われる。西洋の神々に従わなかったあかつきには、私たちは生かされ続けて、後悔の極みからその端ばしに至るまで、はてはどん底に至るまで完膚なきほどに思い知らされることになる。私たちの誰も、最良の時期に安心して往生することなど許されてはいないのだ。いわんや、死後に自分自身の権利として、小さな神になることなど微塵も認められていない。浦島が現身うつしみの神たちとかなり長く暮らした後で、浦島がした愚行にどうして同情できるというのだろうか?
 おそらく、この問いに答えることができるとすれば、まさしくこの同情されているという事実そのものなのだろう。この場合の同情とは、自己への憐憫あわれみでなければならない。そうだすると、浦島伝説は万人の魂の言い伝えとなりうるのである。その想いは、ちょうど青い光と柔らかな風のある季節に――そして、いつも古い疵痕きずあとの記憶のように訪れるものである。また、その想いは季節や季節感とかと密接な関係があるために、ある人の人生や祖先の一生の中の、現実のものと結び付けられてきたものである。けれども、現実のものとは何か? 乙姫様とは誰だったのか? 常夏とこなつの島はどこにあるか? 玉手箱の中の雲とは何か?
 これらの疑問に全部答えることはできない。ただ解るのは――そうした想いはちっとも新しいことではない、ということである。

 そこで、私は太陽と月とが今よりも大きくて、もっと光り輝いていた場所と魔法のような時間ときを思い出した。それがこの人生でなのか、あるいは前世であったのかは定かではない。けれど、その時の空ははるかにもっと青くて、もっとこの世界に近かった――あたかも赤道付近の夏に向かって航行してゆく蒸気船のマストのすぐ真上にあるように思ったほどであった――と憶えている。海は生き生きしていて、よく語りかけてきた――そう、「風」に吹かれ撫でられると、私はただもう嬉しさのあまり叫び声をあげたほどだった。他の年には一度か二度、聖なる日には山間やまあいで暮らしたときも、同じ風が吹いていたことをしばらくの間空想していた――が、それはぼんやりとしかおぼえていない。
 また、そこでは、雲がとても綺麗で、えも言われぬ色合いをしていた――それはよく私を空想にひたらせ、好奇心をいっぱいに満たしてくれたが、あの頃の一日は今よりももっとはるかに長かったこと――それに毎日毎日が自分にとって新鮮な驚きや新しい喜びであったことを私は憶えている。そこでは、「ある人」がその旧家と時間の大半を穏やかに治めていて、私を幸せにすることだけを考えてくれていた。私は、せっかく幸せにしてくれようとするのに時折駄々をこねて、よく手を焼かせたが、彼女は苦にもせず聖人のようであった。困らせてしまってご免なさいと思ったことを覚えている。日が暮れて月が昇る前に夜のとばりが降りてくると、彼女はお話をしてくれたが、私は全身で喜んだものだ。今まで他ではそんなとても素敵な話の半分も聞いたこともなかった。うれしさのあまり浮かれたときには、彼女がちょっと変わった歌を歌ってくれて、たいてい私を寝かし付けてくれたのだった。やがて別離わかれの時が訪れた。彼女は目を潤ませ、そしてお守りをくれた。それは、お前を若いままに保ってくれ、また帰ってくる力を授けてくれるものだから、くれぐれも失くさないようにね、と念を押すように言ってくれた。けれども、私は帰らなかった。また何年かが経ったある日、このお守りを失くしたことに気がついたら、私はびっくりするほど急にけてしまっていたのである。


 長浜の村は、道路の近くの緑の崖の麓にあって、杉の木立の陰になった岩の池の周りに、全部で十二軒ばかりの茅葺き屋根の農家が散在している。池は、崖の中心からまっすぐに噴き出してくる湧き水で満たされており、冷たい水で溢れている――あたかも詩人の心から直接に詩が浮かんでくることを人々が想像するかのように――。ここは人力車や休息している人たちの数から測ると――明らかに絶好の休息場所である。木陰にはベンチがいくつか置かれている。喉の渇きを癒した後、私はそこに腰掛けて煙草をくゆらしていた。そして、女の人が洗濯をしたり、また、旅の者たちが池で一息入れているのを眺めたりしていた――私の俥夫も服を脱いで桶で冷たい水で水浴びをしている。すると、背中に赤ん坊を背負った若い男が私にお茶を運んできてくれた。私が赤ん坊をあやすと、その子は「あァ、ばァ」と発声した。
 これが日本人の赤ん坊が発する最初の声である。しかし、これはとても東洋的である。それはローマ字では Aba と書かれよう。そして、まだ誰にも教えられていない発声として、 Aba あバァは興味深いのである。日本の子どもたちの話しぶりでは、それは「さようなら」に当たる言葉である――だから、とても幼児がこの幻想の世界に入ってくるときに発する言葉とは思えないものである。この小さな魂が、誰かにあるいは何に向かってさようならと言っているのか?――まだ親しく覚えている前世での友だちに向かってだろうか?――あるいはあの冥府からの旅の道連れたちに対してだろうか? 赤ん坊たちは私たちのためにこうだとは決められないのだから――つぎのように推測することが、まずは信心めかした観点からは妥当なところといえるのではあるまいか。つまり、赤ん坊ははじめて発声するという謎めいた瞬間に何を考えていたか、この疑問に答えられるほど成長した暁には、そんなことなどすっかり忘れ去っているものなのだ、と。
 突然、奇妙な思い出が浮かんだ――たぶん赤ん坊を負ぶった若い男を見たからか、岩清水のざわめきの音のためだったか、それはつぎのような物語である。

 昔むかし、ある山の中に、貧しい木樵きこりの夫婦が住んでいた。二人はすっかり年老いていたが、子どもはなかった。お爺さんは、毎日、木樵に出かけ、お婆さんは家ではた織りをしていた。
 ある日、おじいさんはある木を切るためにいつもより深く森の中へ分け入った。すると、突然、これまでに見たこともない小さな池のほとりに出た。ここの泉の水は不思議なほど澄んでいて、冷たかった。その日はとても暑かったし、また一生懸命に働いたから彼はとても喉が渇いていた。そこで、自分の大きな編み笠を脱いで、ひざまづくと、しばらく泉の水を飲んだ。この水のおかげでいつもと違ってみずみずしく若々しい気分になった。それから、池の水面に映った自分の顔を見ると、思わず後退あとずさりした。確かに自分の顔のようではあったが、家の古い鏡で見慣れている顔とはまったく違っているではないか。それはとても若い男の顔だった! 我が目を疑った。両手を頭に差し伸べてみると、ほんの少し前にはほとんど禿げていたのに、今は黒い髪がふさふさとしている。また顔も少年のように張りがあってなめらかだった。あったはずのしわは全部消え去っていた。その時、お爺さんはにわかに新しい力が体中にみなぎるのを感じた。また、これまで老齢のためえていた手足を見つめると、驚くかなそれらは若い筋肉でくっきりと、また固く盛り上がっている。知らなかったのだが、お爺さんは「若返りの泉」の水を飲んだのである。それを飲んだために彼は変わったのである。
 まず、お爺さんは小躍りして、おお、と歓喜の叫び声を上げた。そして、今までのどの時よりも速く走って一目散に家に帰った。家に入るや妻が驚いた。――というのは、お婆さんは見知らぬ若者だと思ったからだ。若返ったお爺さんは不思議な出来事を語ったが、妻はにわかには信じられなかった。けれども、やっとのことで眼の前に居る若い男が自分の本当の夫に間違いないと信じることができた。夫は不老の泉の在りかを教えると、一緒に行こうと言った。
 すると、お婆さんが言った。「お前さんは若返って美男子になったので、この老婆をもう愛することはできますまい。ならば、あたしもすぐにそれを飲まなければならないでしょう。しかし、家から遠いところに二人一緒に出かけることはありますまい。あたしがひとりで行きますから、お前さんはここで待っていてくだされ。」
 そう言うと、お婆さんは一人で森の方へばたばたと出かけて行った。
 お婆さんは、ああここかと泉を見つけた。さっそくひざまづいて、水を飲み始めた。ああ! 何という冷たさ、それになんと甘露なことか! 老婆は飲みに飲み続けて、息を継ぎ、そしてまた飲んだ。
 今や若返ったお爺さんは辛抱強く待っていた。老いた妻が綺麗な細身の少女となって戻ってくるものと思っていた。しかし、彼女はいつまで経っても帰って来なかった。お爺さんは、心配のあまり、家の戸締まりをすると、探しに出かけた。
 例の泉の所まで来たが、老婆の姿は見あたらなかった。諦めてもう帰ろうとしたときだった、泉の近くの丈の高い草の茂みの中に小さな泣き声がする。そこに行ってみると、妻が着ていた服と――おそらく生まれて六ヶ月くらいのとても小さな乳飲みの――赤ん坊を見つけた!
 実は、お婆さんは霊泉の水をたくさん飲み過ぎていたのだ。飲み過ぎて若い時期をはるかに超えて、まだ口もきけない幼児の頃にまで若返ってしまったのだ。
 乳飲み児を腕に抱き上げると、赤ん坊は悲しげに、どうしたらよいかわからない気持ちで夫を見上げた。夫は赤ん坊をあやしながら――不思議な思いで、また憂鬱な気持ちで家に連れて帰った。

 浦島について空想した後では、この昔話の教訓は、以前に読んだときよりも満足のいくものではないようだ。というのは、人生の泉を飲み過ぎてしまえば、私たちが若返ることはないからである。

 裸になって涼しくなった俥夫が戻ってきた。申し訳なかですが、この暑さじゃ、とてもお約束の四〇キロを走ることは無理です。けれど、残りの道のりを走ってくれる代わりの俥夫がおりますけん、と断ってきた。それで、これまで走った分は五五銭でいいですから、と言う。
 本当にとても暑い日だった。後で三七度七分以上もあったと聞いた。遠くで、雨乞いの太鼓の音が、暑さそれ自体の脈拍でもあるかのように途切れることなくドーン、ドーン、ドン、ドン、ドンと響いている。そして、私は龍神の娘の、乙姫様のことを思った。
 「七五銭ですよ、と浦島屋の乙姫様は言った」ので、私はこれを守ることにした。「アナタ、約束ドオリ、ナイデス。ケレド、七五銭、払ウデス――ワタシ、神様ワイデスカラネ。」
 そして、まだ疲れていない俥夫の後ろに座ると、私はまたじりじりと照りつける炎天下の中へと疾走していった――太鼓の大きな音のする方へと。





翻訳の底本: "THE DREAM OF A SUMMER DAY", in OUT OF THE EAST AND KOKORO, by Lafcadio Hearn (The Writings of Lafcadio Hearn, Large-paper ed., in sixteen volumes v0l. 7), Rinsen Book, 1973.
Reprint. Originally published. Boston: Houghton Mifflin, 1922.
   上記の翻訳底本は、著作権が失効しています。
翻訳者:林田清明
   2011(平成23)年4月3日公開
   2018(平成30)年9月22日補訂正
   2022 (令和4)年3月25日補訂正
入力:林田清明
2022年4月20日作成
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