石仏

THE STONE BUDDHA

小泉八雲 Lafcadio Hearn

林田清明訳





 第五高等中学校(五高)の背後にある立田山たつだやまの一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯こみねという古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。
 つぎの授業までに空いた時間があるので、この際、この丘陵まで行ってみることにした。丘を登っていると、足下を黒い(無毒の)蛇が横切っていった。私の人影に驚いて、枯葉色をしたバッタたちがブーンと飛び立った。畑の細い畦道は、墓地の入口の壊れた石段に達する手前で、下草の中に消えてしまっている。墓地の中と言えば、通路などはまったくなく――雑草と石だけである。しかし、丘の上からの眺めは良かった。肥後平野の広大な緑野が広がり、その向こうには青い峰々がぐるりと輪になって取り囲んで、地平線の光をバックにして光り輝いている。これらの峰々の上にひときわそびえ立つ、阿蘇山の頂が悠久の噴煙を上げている。
 私の下には、眺めがちょうど鳥瞰的に広がっており、五高ごこうの校舎を望むことができるが、それは現代の町を模したようで、窓が多くある横長の煉瓦造の建物が並んでいる。これらの建物は、一九世紀の功利的な建築様式を示している。それらが、ケントやオークランドあるいはニューハンプシャーといった所に置かれたとしても、年代的には少しも違和感はないであろう。けれど、これらの一画の上にある、この段丘とそこを耕している農民たちは、ずっと旧態のままであり、はるかいにしえの五世紀あたりの姿と同じといっても過言ではないようだ。私が読んだ墓石に刻まれた文字は、梵語で表記されている。私の傍には、台座に座ったブッダの像があるが、一六世紀の加藤清正時代の頃のものだという。その思索的な凝視まなざしは、半眼の目蓋の間から官立の五高とそこでの喧噪な生活とを見下ろしている。石仏は、危害を蒙っても復讐しない穏やかな人たちの微笑みを表わして完爾にっこりとしておられる。この表情は仏師が彫ったものではなく、幾星霜も経た苔や埃のためにできたものである。また、その両手も欠けていることに気がついた。私は気の毒に思って、頭部にある小さなシンボリックな突起である螺髪らほつの苔を取り除いてやろうとした。というのは「法華経」の古い経文を思い出したからである。

「その時、ほとけ眉間みけん白毫相びゃくごうそうの光を放ちて、東方万八千の世界を照らしたもうに、周遍しゅうへんせざることなし。しも阿鼻地獄あびじごくに至り、かみ阿迦尼咤天あかにたてんに至る。此の世界に於てことごと六趣ろくしゅ衆生しゅじょうを見、又彼の土の現在の諸仏を見る」


 日は高く、私の後ろにある。眼の前の眺めは、日本の古い絵本にあるのとそっくりだ。日本の古い絵本には、決まりとして影は描かれない。肥後平野も影ひとつとてなく、緑が地平線の彼方まで広がっている。そこでは遠くの山々の青い峰が蜃気楼の中で揺れているようである。けれども、大部分は同じ色合いではなく、緑色のグラデーションで彩られている。それは濃淡の色調で継ぎ合わせられて、あたかも刷毛はけで光の帯のように長く塗ってそれぞれが互いに重なりあったさまをなしている。これもまた、日本の絵画にある光景を思わせるようである。
 読者の皆さんは、このような本をはじめて開いたとき、はっとした印象を――つまり驚くべき感じを抱くに違いない。そして、それは「日本人の『自然』に対する感じ方や見方はどこか不思議で、またなんと珍しいものだろう」と思わせるのである。この疑問が大きくなって、あなたは、「日本人の感覚というのは私たち西洋人のとまったく違っているのだろうか?」と問いかけるだろう。そう、それは実際ありえると言える。だが、もうちょっと絵本を見て欲しい。そうすると、そこには、前の二つの疑問を肯定して、三つ目の、そして究極の考えが輪郭を現して来よう。あなたは、この絵は同じような光景を描いた西欧の絵よりももっと「自然」に近いものであって――西欧の絵画が与えることのできないような「自然」の感覚を生み出している、と感じるに違いない。この中には、じつにあなた方が発見できるあらゆるものが含まれているのである。しかし、そうする前に、もう一つの謎に首をかしげるだろう。たぶん、こんな風にである。「これらは不思議と生き生きとしている。この、えも言われぬような色彩は「自然」そのものである。「でも、物事がとても霊的に見えるのはどうしてだろうか?」
 それは、もっぱら絵の中に影がないからである。それをそうと意識させないのは、色彩の価値を認めていることと、そこに用いられている驚くべき技法のためである。しかし、場面は一方の側から照らされているかのように描かれているのではなく、光で周りを照らし出したかのように描かれている。風景がこのような眺めに見える、その瞬間が本当に存在する。だが、西欧の画家たちはほとんどと言っていいほどこのことを研究してこなかったのである。
 とはいえ日本人が古くから月が作り出す影をで、その様を描いてきたのも事実だ。これは、月影は神秘的で不思議なものであり、色彩があっても別に構わなかったからである。けれども、日本人は、太陽の下にある世界の美しさを黒くし、また台無しにするような影を喜ばなかった。彼らにとって、日光の下にある景色が影によってまだらにされるのは、ただ薄い影によってだけである――あたかも夏の雲の前を走って逃げてゆく半陰影のように、濃淡をわずかに深めにすることで表現される。外の世界も内面と同じように、日本人にとっては輝いていた。彼らは心理的にも影のない人生を見てきたのである。
 それから、西洋人たちが突如、仏教徒たちの平和に入り込んできて、彼らの芸術品を見て、それを買い漁った。それは残されたもののうちで、一番良いものを保存しようとする帝国の法律が発布されるまで続いた(1)。ところが、もう買うべきものがなくなったとき、また新らたに描かれてしまうと、すでに購入した芸術品の価値を減少させることになると分かるや、西洋人たちは言った。「おお、どうしたことでしょう! もう描いてはいけません、そんな風に物事を見てはだめです、分かりましたか? そんなものは芸術アートじゃありません。実際に影を見るようにしなくちゃなりませんよ。――お金を払えば教えてあげましょう。」

 かくして、日本人たちは、自然や人生また思想における影をどのように見るべきかを学ぶために授業料を払った。そこで西洋が教えたのは、神聖な太陽の唯一の仕事は安っぽい影を作ることだった。また、西洋は、より高価な影は西洋文明が作り出したものでなければならず、そして、それを賞賛して採用するように命じた。そうして、日本は、機械と煙突それに電柱の影を見て驚いたのである。鉱山や工場の影、またそこで働く人々たちの心の中の陰影。そして、二〇階建ての建物の影やその下で物乞う貧民の影。貧困を倍加するたくさんの慈善事業の影や悪をたくさんはびこらせる社会改良の影。誤魔化しと偽善、それにお偉い顕官けんかんたちの燕尾服の影。火刑ひあぶりにするために人々は造られているのだと公言してはばからない外国の神の影を見て驚いた。その結果、日本人はかなり真剣に反省し、これ以上の影絵を学ぶのを拒絶するようになった。世界にとって、幸いだったのは、その唯一無比の芸術に回帰したことである。また、日本にとって幸運だったのは、本来の美しい信念に立ち帰ったことである。けれども、いくつかの影はもうすでに日本人の生活にまとわり付いているので、それらを取り除くことは難しいであろう。また、日本人にとっては外の世界も以前と同じように本当に美しいとは思えないものになってしまっている。


 墓地の少しばかり向こうには、柵で囲われた小さな畑があり、農夫が神代かみよの昔ながらのすきを牛に曳かせて黒い土を耕している。また、その傍らでは妻が、日本の建国の時よりもはるかに古そうな長柄の鍬を使って手助けをしている。これら三者は、労働は生命の糧なりという知識で無慈悲に奨励されているかのように、不思議とも思える熱心さで骨の折れる農作業を続けている。
 その農夫はといえば、私が、一八世紀に描かれた浮世絵の中で見たような男だった。また、はるか昔の掛け軸の絵の中にもこのような姿の男を見たことがある。それとまさしく一緒ではないか! 他の数え切れないくらいの衣装は変化したが、農夫のわらの笠、みのそれに草鞋わらじの履物は依然としてそのままである。彼自身は着ている物よりもはるかに古い感じで、かなり老けている。農夫が耕す大地は、実に彼を何百回も何千回も飲み込んできた。けれど、その都度、大地は新しくなった生命力を農夫に返して来たのである。この絶えざる更新に農夫は満足しているので、それ以上は求めない。山はその形を変化させ、川も流れを変えているけれども、農夫は変化しない。しかし、変化しないままではあるが、農夫は変化させる人である。彼らのおびただしい汗水から鉄の船や鉄道が、それに石造りの建物が造られる。その手は大学を建てるために、また新しい文物を学ぶための支払いをする手である。また、それは電信や電気それにライフル銃のために、また、科学や商売の機械それに戦争の機械をあがなうための支払いをする手である。農夫はすべてのものを与えてくれる人である。その代わりに、彼らは永遠に働き続ける権利が与えられている。それゆえ、農夫は人々の新しい生活を植え付けるために何世紀にも渡ってただひたすら耕し続けるのである。彼らは、世界の仕事がなし終わるまでずっと、このように黙々と耕し続けて労働しなければならないだろう――そう人類の滅亡のその時までずっと。
 では人間の終焉とは何か? それは病を得たものかあるいは健全なものか? はたまた私たちにとっては未解決の謎のままなのか?
 西欧の英知はつぎのように答えている。「人類の進化とは完全かつ至福へ向かう進歩である。進化の目的は均衡である。悪が一つずつ次第に滅びてゆけば、善が生き残ることになる。その時に至っては、知識はその最善にまで発展して、精神は素晴らしい開花の時を得て、ありとあらゆる争闘や心の苦しみ、悪や愚行もひとつ残らず終焉する。人々はみな救済され、不滅となり、神のようになる。人びとは何世紀も生きながらえる。人生のあらゆる喜びは、詩人のはかない夢よりもまことしやかなものとなり、地上の楽園でみんなが共有するであろう。そこには、支配者も支配される者もいない。政府も法律も存在しない。あらゆる物事の秩序は愛によって解決されるであろう。」
 で、それから?
「それから?」おお、「力」の継続や他の宇宙の法則のゆえに消滅が訪れよう。あらゆる統一体はつぎには分解に到らなければならない。これが科学の言うところだ。」
 勝ち残ったものすべてが、今度は失わなければならない。耕されるべきものすべては、まったく耕されないままである。そして、今度は、征服されるべきものすべては、征服されざるを得ない。良いと思われたもののために受け入れたものすべてが、訳の分からない無目的のためにまた受け入れられなければならない。未知なるものから過去のおびただしい苦しみが生まれたように、将来のおびただしい苦痛が否応いやおうなく未知なるものの中に消えて行く定めである。そうすると、では一体、私たちの進化にはどんな価値があるといえるのだろうか? また、そのような人生の意味とは何なのか――それは闇の中の幻のような一瞬のきらめきか? あなた方のいう進化とは、絶対的な謎から普遍的な死へと向かう通過のプロセスに過ぎないのか? わらの笠を被った農民が世俗的に最後の時である死に臨んで、自分が耕している土に帰ってゆくとき、膨大な年月に渡るこれまでの労苦のすべては一体何の役に立つのか?
 西洋の人たちはつぎのように答える。「いいや! そのような意味における普遍的な死などない。死は変化を意味するだけである。それゆえ、また別の普遍的な生命が現われるであろう。私たちに消滅を保証するものが、必ずしも再生を確実に保証する訳ではない。宇宙は星雲に解消されるが、世界の別の群れを形成するように再び凝結するであろう。だから、おそらくあなたの農夫はその忍耐強い牛とともに再び出現しうる。そして、紫やすみれ色の太陽に照らし出された土を耕すのである。」そうかもしれないが、その復活の後は?「では、別の進化があり、別の均衡が生まれて、別の滅亡が存在するのはなぜか? これが科学の教えである。これが不変の法則である。」
 しかし、その復活された人生というが、それは新しいものなのか? それは限りなく古いものではないのか? というのは永遠の存在でなければならないと確実に言えるのは、永遠にこれまでもずっとそうであったというものに他ならないからである。終わりがないように、始まりもこれまでなかった。時間でさえ幻想に過ぎない。百万年も照らし続けている太陽の下では新しいものなど何も存在しない。死は死ではない。休息でもない。苦痛の終わりでもない。骨折り損のうちのもっともひどいものに過ぎない。そして、あなた方西洋は、この苦痛の無限の輪から抜ける出る道はないと言っている。あの草鞋をいた農夫がそうであるよりも、私たちをもっと賢明にしてくれてきただろうか? 農夫はこれらのことをみんな了解している。彼は、まだ幼い時分に寺子屋で読み書きを習ったお坊さんたちから、人は何度も生まれ変わるものだという輪廻転生りんねてんしょうや宇宙の無数の誕生や消滅、それに生命の統一性について一通りのことは学んでいる。あなた方西洋が数学的に発見したものは、東洋では、仏教が出現する以前よりも古くから知られている。どのようにして知ったと言えるのか? おそらく、宇宙の崩壊を生き延びた記憶があったのだろう。しかし、そうであったとしても、あなた方が予見したというものは、じつはとても古いものである。西洋のあなた方の方法だけが新しいのであって、それは宇宙の古い理論を確認しただけのものに過ぎないし、永遠の「謎」の複雑さを更にややこしくするだけに過ぎない。

 西欧はこれまでつぎのように答えてきた。「いや、そうではない! 私は世界を形成して、あるいは霧散させる永遠の行動のリズムを見分けてきた。また、感覚を持ったすべての生物を進化させ、また思想を発展させている「苦痛の法則」を予測してきたのである。それに、私は悲しみを減じる手段も発見してきたし、はっきりと示してきた。私は努力が必要なことと、人生の高次の義務を教えてきた。また、人生の義務について知るというのは、じつに人にとってもっとも大きな価値のある知識である。」
 おそらく努力の必要性と人生の義務についての知識は、あなた方西洋人がそれを示してきたように、あなた方よりもはるかに古い知識である。おそらく、あの農夫はこの地上で五万年以上も前から、それを知っていた。神ですら忘れたサイクルの中で、かなり以前に滅んでしまった惑星においてもまたそれはそうであったろう。もしこれが西洋の英知の究極のものといえるなら、藁草履の農夫は、ブッダによって無知なる者――つまり「何度も何度も墓地を占めている」者たちに分類されてはいるが、これを知っているという知識においては西洋人と同等なのである。
 科学はつぎのように反論するだろう。「かの農夫では知ることができない。せいぜいのところ自分が信じているにすぎないか、もしくは信じていると思っているに過ぎない。彼を教えたもっとも賢明なの僧侶ですら証明することはできまい。証明しているのは私だけである。私のみが絶対の証明をしてきたし、道徳的な革新についても証明してきた。ただ、それは破壊のための証明であると非難されてはいるが……。私は人間の知識の限界を定義している。しかし、私はまた最高位の疑念についても、その動かざる基礎を絶えず確立してきた。――それは人の希望の実体でもあるから健全なものである。――私は人間の思想や人間の行いのごく小さいものですら――悠久に通じる、目には見えない振動を通じて自分で登録しながら、永遠に記録していることを証明してきた。そして、私は古い信条の多くを空っぽの抜け殻にしてきたが、それに代わって永続する真理に依拠した新たな道徳の基礎を確立している。」
 そうなのだ!――「西洋の信条」だ。抜け殻にされたのは東洋のもっと古い信条ではないのである。あなた方はまだそれを吟味すらもしてもいない。農夫が持っている信条の多くはあなたが私たちすべてのために証明してきたことだから、この農夫が証明できなくても構わないのではないか? そして、農夫はあなた方が到達していない別の信条も持っている。彼はまた、人の行動と思想とは人の生命よりも長く残ることを教えられている。農夫は、各個人の行動と思想とは、その個人の存在を超越するものであって、まだ生まれていない別の生命を形作るものだとも教えられている。さらに、彼は、もっとも秘めたる願いを、その測ることができない固有の可能性があるので、抑制することを教えられている。また、農夫は身にまとっている蓑と同じように単純に織られた思想と明白な言葉でこのことを教えられている。彼がその前提を証明できないとしても構わないではないか? 西洋のあなた方が農夫や世界のみんなのために、それらを証明してきたのである。農夫はただ来世についての理論を持っているに過ぎない。けれども、あなた方西洋は、それがたんなる夢に基づいたものではないという反論のしようがない証拠をもたらした。あなた方はこれまで、彼の純真な精神に蓄積されたいくつかの信念が真理であると懸命になって確定してきたのだから、つぎのように考えたとしてもまんざら的外れだとも言えまい。つまり、あなた方の手によってまだ検証されていない、日本の農夫が持っている他の信念もまた真理であることが、いずれ西洋のあなた方の将来の研究によって証明されることになるであろう、と。
「たとえば、地震は大きな一匹の魚が引き起こしているとかいう信念はどうか?」
 あざ笑わないで欲しい! そんな事について私たち西洋人の考えも、ほんの二、三世代前には、似たり寄ったりで現実離れしたものであったのだ。いいや、そんなことではない! 私が言っているのは昔からの教えのことである。行為や思想はたんに人生に付随したものというばかりでなく、それを創造しているものでもあるということである。仏典にはつぎのように書かれている。「諸事意を以て先とし、意を主とし、意より成る」(2)


 ここで一風変わった話を思い出した。
 庶民の人たちは、現在の不運は前世でなされた愚行の結果であるということや、現世での人生の過ちは、来世の生まれに影響するだろうということを、たいていは信じている。これらに共通する信念は、おそらくは仏教の出現よりも古くからある種々の迷信によって巧妙に強められている。しかし、それは行為の過ちなき法則と矛盾するものではない。これらのなかでも、とりわけ驚くべきものは、私たちが心の内で密かに悪事を思うことですら、他の人々の生命いのちに霊的な結果を及ぼすことがあるという信念である。

 私の知合いが現在住んでいる家に霊が取りいていた。この家はとても明るくて、光に溢れているようであり、また比較的新しくもあるから、あなた方は、霊が取り憑くなんて想像できないかもしれない。その家には暗い隅や角など一切ない。それは、広くて明るい庭で囲まれている。――よくある九州の風景らしい庭であり、幽霊が潜むような大きな樹木もない。だが、霊が取り憑いており、しかも、いっぱいに明るい昼間である。
 最初に、東洋には二種の亡霊が存在していることを知っておいていただこう。――死霊と生き霊である。死霊は死者の霊に過ぎない。他の国々でもそうであるが、ここ日本でも、古来、たいていは夜に現われるのである。しかし、生き霊とは生者の霊であり、どんなときにも立ち現われる。それは人を殺す力を持っているから、生き霊の方がはるかに恐れられている。
 さて、私が話している家のは生き霊である。
 この家を建てた男は官吏で、裕福な資産家であった。男は隠居用にと考えていた。完成した後、綺麗な調度や物品を持ち込み、軒先には風鈴をつるした。熟練した画工たちが高価な木の板に桜や梅の花、また杉の木の頂に止まっている黄金色の目をした鷹の絵、そして、楓の木陰の下で餌を採っている小さな子鹿、雪中の鴨、飛んでいる青鷺、花開いた菖蒲、水中の月を掴もうとしている長腕の猿の絵を描いた。これらは、みな季節や幸運のシンボルである。
 持ち主は、金持ちだったけれど、残念なことに後継ぎがいなかった。このため、妻とも相談の上、また古い慣例しきたりに従って、家に見知らぬ女を迎え入れることにした。この若い女は田舎の出であるが、子を産んでくれれば相応のお礼をするという約束がなされていた。やがて男児を産むと女は里に帰された。生まれた男児のために乳母が雇われたので、男児は自分の本当の母親がいないことを悲しむことはなかった。これらはみな、はじめから納得づくのことだったし、これを正当化する古い言い慣わしもあった。ところが、女が里に帰されたときには、母親とのすべての約束はまだ果たされていなかった。
 ほどなくして裕福な男は病気になり、日増しに悪くなっていった。このため、周囲まわりの人たちは、この家に生き霊が憑いていると噂し合った。名だたる医師が何人も呼ばれては、できる限りの治療を施したが、その甲斐もなく男は次第に弱っていった。とうとう医師たちも、もう望みはないと言い、匙を投げかけた。男の女房は氏神様におそなえ物をしたり、八百万やおよろずの神々に祈ったりした。しかし、神様のお告げでは、「この男が約束を破った者から許しを得て、また、行いを悔い、過ちを改めなければ、死ぬことになるだろう。なぜというに、お前の家には生き霊が憑いているからだ。」という。
 それで病気の男はやっと思い出したが、良心が咎めたので、使いをやって、若い女を自分の家に呼び戻そうとした。しかし、女はどこかへ行ってしまっていなかった。――この国の四千万人の中で行方不明となっていた。男の病気は悪くなる一方だった。また女を四方八方探したものの、むなしい結果に終わった。何週間か経った頃、ある農夫が門口に現われて、女の行方を知っているから旅費の面倒を見てくれるならば探しに行ってやろう、と言った。病の男はこれを聞いて声を振り絞って言った。「いいや! あの女はもはや許すことができないから、私のことを心底からは赦さないだろう。遅すぎたのだ!」こう言うと、男は息絶えた。
 あとに遺された女房と縁者それに幼い男児は、この新しい家を捨てて出て行ったが、つぎには見知らぬ人が入った。

 不思議なことに、周りの世の中の人たちは、男児の母親について手厳しい――つまり、この女は生き霊が取り憑いたことについて責任があるというのである。
 私もはじめはこの点をとてもいぶかしく思っていた。それは、この事件の正邪について私が積極的に判断したからではなくて、この話の子細を知らなかったからである。にもかかわらず、人々が悪く言うのがとても奇妙だったのである。
 なぜか? 生き霊が憑くこと自体は、当人には何らの故意もないからである。それは魔女だからというのでは決してなくて、生き霊は、当人が知らずとも取り憑くものなのである。(「物」に憑くと考えられている魔術の一種も確かに存在するが――それは生き霊とは違う。)これで、読者のみなさんも、若い女を非難することを私がとても不思議に思った理由わけがお分かりになったろう。
 しかし、あなた方はこの問題の解決をどうやったらよいのか推測がつかないだろう。それは、西洋にはほとんどといっていいくらい知られていない概念を含んだ、宗教上のものであるからである。生き霊を出現させた女は決して魔女としてみんなから批判されているのではない。まわりの人々は、女が意図したために生き霊が造られたものであるとは考えていない。彼らは、女が自分の処遇をただ不満に思っているに違いないと、自分たちが考えたものに同情しているに過ぎないのである。人々が彼女を批判しているのは、女がひどく怒りすぎたということだけである――つまり、女が自分の秘めた復讐心を十分に抑制していないという点である。なぜなら、怒りが秘かにしいままになされれば、霊的なる結果を招くということをの女は自覚すべきであったからである。

 かたくなともいえる強い心の働きがある場合以外にも、「生き霊」が存在する可能性があるなどと主張するつもりはない。しかし、かような信念は振る舞いにも影響を与えるものとしては確かに価値がある。その上、それは示唆的でもある。秘匿されたよこしまな欲望や鬱積した復讐心それに仮面を被った憎悪が、これらを思いつき、そしてそれらをはぐくんでいる当の本人の意思から離れて何らかの力を発揮しないとは、誰も保証できないだろう。ブッダのつぎの言葉には西洋の倫理よりももっと深遠な意味がめられているのではなかろうか――「いかなる時であれ、憎悪は憎悪によっては終わらない。憎悪は慈愛によってのみ止む。これが古くからの真理である。」ブッダの当時においても、この真理はすでに古いものであった。これに対して、私たちの西洋ではつぎのように言われている。「汝に悪がされるとき、それに復讐しないならば、この地上の多くの悪は死に絶えよう。」しかし、そうなのだろうか? 私たちは復讐しないことが十分であると確信しているか? 悪事の感覚によって心の中に解き放たれた動機となる意図は、悪をなされた側が何も行動しないことによって簡単に帳消しにされうるものだろうか? 力というものは消滅しうるものなのか? 私たちが知っている力とは変換されるのみである。ならば、私たちが知らない力についてもまた、多くのものが真実でありえるだろう。これらの力のうちに「生命」、「感覚」それに「意思」がある――これらがみな「私」という無限に神秘的なものを形成しているのである。

[#「4」は中見出し]

 科学はつぎのように答える。「科学の責務とは人間の経験を体系化することにあり、亡霊について理論化することではない。科学がとっているこの前提は、日本においてすら、時の経過によって支持されているではないか。眼下にあるあそこで、私の理論か、あるいは草鞋わらじを履いた農夫の思想か――どちらが現在教えられているだろうか。」
 石仏と私はともに、学校を見下ろしている。そして、私が見つめると、仏様の微笑みは――たぶん光線の具合だろうが――私には表情を変えられたように思われたのだが――皮肉的な微笑みとなられた。にもかかわらず、かなりの強敵のいる要塞を熟視しておられる。そこには、三十三人の教師が四百名以上の学生たちを教えているが、信仰については教えない、たんに事実のみを教える――つまり、人間の経験の体系化の明確な結論についてだけ教えるのである。私がかりにブッダについて訊ねたとしても、三十三人の教師のうち、(ただ一人の親愛なる七十歳の漢文の先生を除けば)誰一人として答えられるものはいないだろう、と間違いなく確信できる。というのは、彼らは新しい世代の人間であり、そんな質問は「蓑の合羽を着た男たち」が考える事柄であって、明治二十六年の今日、教師たるもの、人間の経験の体系化の結論のみを考えていればよいと思っているからである。しかし、人間の経験の体系化とはいうが、科学は、決して「何時」、「何処へ」そして最も悪いことには――「何故か」について、私たちに教えてはくれない。
 ブッダは、「存在の法則おきて」は一因から発するが、この法則を破滅させるも一因なり、と説いている。ブッダは、このような真理についても偉大なる修行者スラマナたる教師である。
 そして、私は、この国で科学を教えることは、しまいにはブッダの教えの記憶を消し去ってしまうことになりはしないかと自問するのである。
 科学はこう答える。「ある信仰が生き残る権利を持っているかどうかの真価は、私が提示する啓示を受け入れ、かつ利用する、その力の中に求められなければならない。科学は、証明できないものを肯定はしないが、また、合理的に証明できなかったものを否定するものでもない。神仏といった不可知なものについて理論化することは、人間精神に必要なものとして認めてはいるが、同時に残念だとも思っている。あなたと、かの蓑を着た農夫は、あなた方の理論を、私が持っている事実と同じレベルにまで発展させて、理論化しても構いはしないが、それ以上は必要ない。」

 この石仏の深い皮肉的な微笑みからインスピレーションを受けて、私が科学と匹敵するレベルにまで理論化してみよう。


 現代知識の全般的な傾向、なかんずく科学教育の全体的傾向は、古代インドのバラモンが言ったように、人たる祈る者は神仏という不可知なる者に近づくことはできないという最終的な確信に向かいつつある。私たち西洋人にも、「西洋の信仰」がいつかは永遠に滅びなければならないと考えている者も少なくない。それはちょうど最も優しかった母親が、子どもたちが成長した暁には、手放さなければならないときのように、私たちが精神的に成熟したときには、自分自身の才知でなんとか切り抜けていくようなものであるからである。信仰の功徳がすべて成し尽されるという、はるか遠い将来には、西洋の信仰は、一定の永遠の精神的な法則が存在するという私たちの確信を十分に発達させていると推測される。また、その時には、西洋の信仰はより深い人間的な同情心を十分に発展させていよう。さらに、西洋の信仰は、存在という恐ろしい真実については、その優しい嘘で、寓話やおとぎ話を私たちに十分に用意してくれていると思われる。また、人間同士の愛情を除いては、聖なる愛などというものは存在しないことを私たちに教えてもくれよう。「父なる神」や救世主や天主の守護神なども存在しないし、さらに、私たちにはあり得べき隠れ家も、自分たち自身の他にはあり得ないことを教えてくれるだろう。
 しかし、西洋の信仰が到達するとされる、そのような神秘的な日でさえ、私たちは、はるか昔にブッダが与えたもうた、つぎの啓示の入口でつまづき、行き詰まるだろう。
 汝、自らの灯りたれ。汝、自身の隠れ家たるべし。他所よそに避難する事なかれ。ブッダは教師に過ぎず。灯りに寄るがごとく真理に拠るべし。隠れ家たる真理を持ちて、他に隠れ家を探すなかれ。

 この言葉には胸をかれるのではないだろうか? 西洋の天国の救いや天上の愛に関する、かくも長き清らかな夢から虚しく目覚めることになるという見込みは、人間にとってありうべき最も暗い予想とはならないだろう。すでに東洋の思想が暗示している、もっと暗い予想がある。科学も、リヒターの夢――死んだ子どもたちがその父なるイエスを空しく探し求めているという夢が実現するよりも、もっと身の毛のよだつような発見を私たちに用意しているかもしれない。唯物論者の否定においてすらも、個人の終焉や永遠の忘却を自ら保証するという――ある種の慰めの信仰があった。しかし、現在の思想家にとっては、そのような信仰もない。この小さな世界で行き当たるあらゆる困難を乗り切った後にも、それをさらに超えて克服すべき艱難辛苦が私たちを待ち受けていること――しかも、この苦難は、現世のどの体系システムよりも広大であり、かつ何千億というおびただしい体系システムを持っている、想像すらつかないような「大宇宙コスモス」よりもはるかに重大であることを私たちはこれから学ばなければならないだろう。また、私たちの仕事はしょいたばかりであること、さらに、言いようのない、また想像も及ばない「時間」という救い以外には、わずかな救済の可能性すらも私たちには与えられはしないだろうということを、まだ学ばずにいる。また、つぎのいくつかのこともさとらなければならないだろう。すなわち、私たちが免れることのできない生と死の無限の輪廻りんねは、他でもない私たち自身が創り出したものであり、のぞんで求めたものに他ならない、そして、いくつもの現世を統合する力とは「過去」に犯した罪過であることをである。さらに、永遠の後悔とは、飽くなき欲望が永久に満たされることがないという飢餓感にすぎないこと、また、燃え尽きた太陽を再び燃え上がらせるのは、消滅したおびただしい生命の不滅の情熱によってのみであることを悟る必要がある。

訳注
(1)一八七一(明治四)年五月に公布された古器旧物保存方を指すと思われる。美術工芸品(宝物、仏像、祭器)、武器、農具、衣服装飾、遊戯具、化石など品目をリストして保存を求めたが、なお十分ではなかった。このため、一八九七(明治三〇)年には古社寺保存法が制定された。
(2)「私たちが今日あるところのすべてのものは、私たちが考えてきたものの結果にすぎない。それは私たちの思想に基づいている。それは私たちの考えから成っている。」という意味である。





翻訳の底本: "THE STONE BUDDHA", in OUT OF THE EAST AND KOKORO, by Lafcadio Hearn (The Writings of Lafcadio Hearn, Large-paper ed., in sixteen volumes vol. 7), Rinsen Book, 1973.
Reprint. Originally published. Boston: Houghton Mifflin, 1922.
   上記の翻訳底本は、著作権が失効しています。
翻訳者:林田清明
   2012年9月2日青空文庫公開
入力:林田清明
2019年3月1日作成
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