術数

DIPLOMACY

小泉八雲

田部隆次訳




 屋敷の庭で死刑が執行される事にきまった。その罪人は引き出された。今も読者が日本庭園で見られるような飛石の一列が真中にある、砂を敷いた広場へ坐らされた。彼は後ろ手に縛られていた。家来は手桶の水と小石の満ちた俵を運んだ。それから坐っている男のまわりに俵をつめた、――動けないようにくさびどめにしておいた。主人が来て、その準備を見た。満足らしく、何も云わなかった。
 不意に罪人は彼に呼びかけた、――
『お侍様、今から御仕置を受ける事になったが、私の過は、なにも知って犯したんじゃございません。その過の元は只私が馬鹿だったからです。何かの因果で愚鈍に生れて来たのでいつも間違をせずには居られない。だがなにも愚鈍に生れついたって云うわけで、人を殺すのはそりゃひどい。――そんな無法は胸晴しをせずには居られない。どうでも私を殺すと云うなら、きっと私は復讐する。――あなたが恨みを懐かせるから、復讐になる、つまり仇に報ゆるに、仇をもってするんだ……』
 人がはげしい恨みを呑みながら殺されると、その人の幽霊は殺した人に恨みを報ゆる事ができる。この事を侍は知っていた。彼は甚だ穏かに――殆んど愛撫するように――答えた。
『お前が死んだあとで、――自分等をおどかすことはお前の勝手だが、お前の云おうと思っていることは分りにくい。お前の恨みの何か証拠を――首が切れたあとで――自分等に見せてくれないか』
『見せるともきっと』男は答えた。
『宣しい』侍が長い刀をぬいて云った、――『これからお前の首を切る。丁度前に飛石がある。首が切れたら、一つその飛石をかんで見せないか。お前の怒った魂がそれをやれるなら、自分等のうちにもこわがるものもあるだろう。……その石をかんでみせないか』
『かまずにおくものか』大変に怒ってその男は叫んだ、『かむとも。かむ』――
 刃は閃いた。風を斬る音、首が落ちて、からだの崩れる音がした。縛られたからだは、俵の上へ弓なりになった、――二つの長い血の噴出しが、切られた首から勢よく迸っている。それから首は砂の上にころがった。飛石の方へ重苦しさうにころがった。それから不意に飛び上って、飛石の上端を歯の間に押えてしばらく、必死となってかじりつき、それから力弱ってポタリと落ちた。

 物を云うものがない、しかし家来達は恐ろしそうに、主人を見つめていた。主人は全く無頓着のようであった。彼は只すぐ側に居る家来に刀をさし出した。その家来は柄杓で柄から切先まで水をそそいで、それから丁寧に柔かな数枚の紙で幾度かそのはがねをふいた。……そしてこの事件の儀式的部分は終った。

 その後数ヶ月間、家来達と下部等はたえず、幽霊の来訪を恐れていた。誰もその約束の復讐の来る事を疑うものがなかった。そのたえざる恐れのために、ありもしないものを多く、聞いたり見たりするようになった。竹の間の風の音をも恐れた、――庭で動く影にも恐れた。遂に相談の結果、その恨みを呑んでいる霊のために、施餓鬼を行うように主人に願う事にきめた。
 家来の総代が一同の願を云った時に、『全く無用』と侍が云った。……『あの男が死ぬ時に復讐を誓ったのが、つまり恐れの原因もとであろうと思う。しかし、この場合恐れる事は何もない』
 その家来は頼むように主人を見たが、この驚くべき自信の理由を問う事をためらった。『ああ、その理由は極めて簡単だ』その言葉に表われない疑を推しはかって侍が云った。『彼の最後のもくろみだけが、ただ、危険になれたのだ。そして自分が彼にその証拠を見せろといどんだ時、復讐の念から彼の心をわきへ向けた。つまり飛石にかじりつきたい一念で死んだのだ。その目的を果す事ができたが、ただ、それっきり。あとはすっかり忘れてしまったに違いない。……だからお前達はそんな事にもう、かれこれ心配しないでもいい』
 ――そして実際、死人は何も祟るところがなかった。全く何事も起らなかった。





底本:「小泉八雲全集第八卷 家庭版」第一書房
   1937(昭和12)年1月15日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「(て)居→い (て)置→お (で)見→み」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大久保ゆう
校正:館野浩美
2022年8月27日作成
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