暴風雨の夜

小酒井不木





 秋もたけなわなる十一月下旬のある夜、××楼の二階で、「怪談会」の例会が開かれた。会員は男女五人ずつ併せて十人、百物語の故事にならって、百という数の十分の一に相当する十人が毎月一回寄合っての怪談会である。
 今夜はF君が、最近手に入れたという柳糸堂りゅうしどうの「拾遺御伽婢子しゅういおとぎぼうこ」の原本を持って来て、面白そうな物語を片っ端から読みあげたが、そのうち、「逢怪邪淫戒ほうかいじゃいんかい」と題する一篇から、はからずも、話に花が咲いたのであった。物語の筋は、喜平次という男が他行たぎょうすると、野中でにわかに日が暮れる。はるか前方に人家の灯影が見えたので、それをたよりに行きついて見ると若い美しい女が一人で居る。色好みの喜平次は思わずも引きつけられて、厚顔あつかましくも女に言い寄ると、案外容易になびいて、二人は怪しい夢を結ぶ。ふと、喜平次が夜半よなかに目を覚ますと、自分の傍に寝て居るのは、美人どころか異形の化物だったので、ヒャッと言って飛び出すと化物が跡を追って来る。ようやく化物をまいてある里に辿りつくと、一軒の家で酒もりの声がする。喜平次は胸を撫で下し、その家に避難しようと思って覗き込むと、意外にもそれは妖怪変化たちの集会で、そーらよい肴が来たと、中からみんなが追かけて来る。驚いた喜平次は又もや夢中になって駈け出し、幸いに彼等の追跡を免れて、ホッとしながら、ある里にはいると、鶏の声がしたので、やれ嬉しやと思って道を急ぐと、傍の木蔭から、鬼の形相をした白髪の老婆が、珍しや喜平次といって抱きつき、ウンといって彼は気絶するという、怪談としては、ありふれた筋であった。
 ところが、この物語の前半が、会員たちの間に話の花を咲かせたのである。即ち、女にしろ、男にしろ、一しょに寝たものが、目がさめた時、異形の化物に代って居たら、果してどんな気持がするだろうかという問題であった。もっとも、会員の誰もが、自分自身にはそういう経験をしたものがないので単に想像説を述べるに過ぎなかった。
「僕はやっぱり、喜平次のように飛び出して逃げるでしょう」と新聞記者のH君が言った。
「いや、僕は、恥かしながら、腰を抜かしてしまうだろうと思います」と浮世絵研究家のB君が言う。
「わたしなら噛みついてやりますわ」と長唄師匠のS子さんが言った。
「大へんな勢ですねえ」と、四十恰好の医師のM氏が言った。「僕は大ていの男は気絶するだろうと思います」
「まあ」とS子さんは驚いた。「男の方はそんなに弱虫なんですか」と、皮肉な口調を交えて言った。
「気絶とは少々極端過ぎますね」と、H君も反対した。
「それは」と、医師のM氏は真面目な顔をして言った。「S子さんにしろH君にしろ、そういうような事の起る、前後の事情を考えて見られないからです。化物でも幽霊でも、心に怖しいとかやましいとか思ってればこそ出現するので、そうした心の動揺状態にある者の前に、今のような現象が起ればきっと気絶するにきまってります。いや、気絶どころか、時には発狂します」
「でも、発狂とはあんまりのようで御座いますねえ」とS子さん。
「いや本当です」
「それではM先生は何かそういう実例を御存じですか?」とS子さんは抜目なく突こんだ。
「知らないでもありません」と医師のM氏は煙草に火を点じて、意味ありげに、にやにや笑った。そこで、会員たちは、口を揃えて、M氏にそれを話すように迫った。
「では、かく御話致しましょう」
 こういって、M氏はお茶をすすった。


 皆さんも御承知のことと思いますが、医師というものは自由な職業のようで可なりに束縛を受けて居るものです。生活難という悩みはどの職業にも共通ですけれど、医師はそれ以外に医師法や刑法の窮屈な条文から起る種々いろいろな悩みがあります。こう言うと、私が法律に反抗して、種々の罪悪を犯したがって居るのかと思いになるかも知れませんが、決してそうではありません。私の言う悩みは刑法と人道との相容れぬときに起るものを言うのであります。一寸ちょっと考えるとそんなことはありそうにないようですけれど実際にはあるのです。といっても抽象的な話では御わかりになりますまいからこれからその実例を述べようと思うのですが、それが又、今晩の主題たる怪談とも縁故があるのです。
 私は花柳病かりゅうびょうを専門として開業しましてから、二年目に妻を迎えました。私が二十五、妻が二十一でした。こうして、白髪の生えかかった今でも、怪談や探偵小説が好きですから、ましてその頃は至って冒険的精神に富んでりました。似たもの夫婦とでも言いますのか妻が又大の冒険家で、いっそ二人で映画俳優にでもなろうかと相談しあったことさえありましたが、その頃は現今いまとちがって、日本の活動写真界は極めて幼稚なもので、到底私たちの希望に叶いそうもありませんでしたから、無論その話は沙汰止みになりましたが、只今は、子供が五人もあって、妻などはすっかり冒険的精神をなくしてしまい、私だけが、多少まだ冒険心を残して居るに過ぎません。
 さて、結婚して半年ほど過ぎたある日のことです。夫婦生活も半年に及ぶと、少くとも私たちのような冒険好きなものに取ってはいささか倦怠を覚えざるを得ませんでした。その倦怠を覚えかけたところへ、二十五六になる一人の男が診察を受けに来ました。診察の結果、黴毒ばいどくの初期だとわかりましたから、その旨を告げると、男は、
「先生、三ヶ月後に僕は結婚しなければなりませんから、それ迄に治して下さい」
 と言いました。私はそれをきいて、直ちに、
「それは無謀です。少くとも結婚は一ヶ年御延しなさい。さもなければお嫁さんに伝染します」
 と忠告しました。すると男は、
「それが、どうしても延すことの出来ぬ事情ですから、何とか方法を講じて下さい」
 と頻りに頼みました。何を頼まれても、こればかりは、どうにも仕様がないので、そのことを告げると、
「仕方がありません。この儘結婚します」と、彼は自暴自棄的に言いました。
 私はぞっとしました。私は顔色をかえて、純潔無垢な花嫁に怖しい黴毒をうつすことは人道に反した卑怯ひきょうな行為であるから、たといどんな事情があろうとも、延期するのが男らしいではないかと懇々と諭すと、彼は却って腹を立てて私に喰ってかかりました。医者は黙って患者を診療してればよい、余計な世話を焼くな、と、こういうのです。私もしゃくにさわりましたから、「君がそういう料簡りょうけんなら僕にも考えがある。僕は人道上、花嫁に事情を告げるだけだ」と申しました。
 これをきいた彼は益々怒り出しました。彼は某大学の法科を出たので、相当に法律の知識に富んで居たと見え、「他人の秘密をあばくなら、刑法に触れるから、それを覚悟でやるがよい」という意味の捨科白すてぜりふを残して、さっさと帰って行きました。
 皆さん、従来、日本では黴毒患者の結婚ということが、左程さほどの大問題とはなって居ないようですが、私は花嫁となる人が気の毒でなりませんでした。如何にも刑法の規定にると、医師は業務上取扱ったことで知り得た他人の秘密を故なく漏すと罰せられることになってりますが、純潔無垢な花嫁に黴毒をうつすことが罪にならないで、それを妨げるのが却って罪になるのですから、悩みを感ぜざるを得ないじゃありませんか。私も刑法に触れてまで、その男の秘密をあばく気にはなりませんでしたから、私は妻に向って、ひそかにこの悩みを打明けました。すると、妻は私に非常に同情し、結婚するその娘さんを救うのは、あなたの義務だと申しました。然し、法律に触れないでどうしたなら、その娘さんを救うことが出来ましょうか。そこで私たちは種々相談してその手段を考えましたが、もとより、良い方法のある筈はありません。
 何はともあれ、先ず、彼と結婚する娘の身許を探らねばならぬと思い、種々探索の結果、くだんの男は××区のある旧家へ養子をするのだとわかりました。驚いたことには、あの時彼自身の口から三ヶ月後に結婚するといったにかかわらず、三週間過ぎると結婚してしまいました。養子先は加藤という財産家で、さほど大きな邸宅ではありませんが、旧幕時代からあって、可なり広い庭園にかこまれて居ました。娘の名は友江といって十九歳の美人、養子となった彼の名は信之ですが、信之は元来、加藤家の財産を宛に養子をしたらしく、彼が「延すことの出来ぬ理由」といったのは、延せば他から養子を迎えるというおそれに過ぎぬようでした。そうしたさもしい心の持主である上に、身体までが病毒に汚されて居たのですから、加藤家こそいい迷惑です。いわんや無邪気な友江さんは尚更なおさら可哀相なものです。友江さんは文字通りの箱入娘で、世間のことは何一つ知らず、良人おっと一人を後生大事とかしずいて居るのでした。
 養子を貰って安心したせいか、又は偶然か、加藤家の老夫婦は、友江さんが結婚してから半年たたぬうちに相次でなくなりました。友江さんにとっては、この上もない不幸ですが、信之に取っては思わぬ幸運が来たものといわねばなりません。彼は養父母を失うと、それまで勤めて居た会社をやめて家にひっこんでぶらぶら暮して居ました。
 皆さん、そうした状態に置かれた加藤家が首尾よく栄えようとは想像出来ないでしょう。何か暗い運命が落ちかかって来るだろうことが誰にも予期されます。全く、その通りで、恐しい運命の手は、先ず、無垢な友江さんをとりこに致しました。即ち、友江さんは、私が信之に予言したごとく、彼の怖しい病気に感染したのであります。
 加藤家には、旧主人に愛された老婆が一人雇われてりましたが、信之は、何かにつけて、うるさく思い、養父母の死後、間もなく暇を出して、若い女中とかえました。然し、その女中は一月たたぬに暇を取り、それから後は、来る女中も、みんな、早いのは一週間ぐらいで暇を取りました。その理由は後にわかったことですが、信之は、それ等の女中に不倫にも言い寄ったらしいのです。それは一つには、信之の淫蕩な性質がしからしめたのでもありますが、又一つには友江さんの容色が日に日に衰えて行ったからでもあります。いう迄もなく、その恐しい病気のために※(感嘆符二つ、1-8-75)
 皆さんは黴毒の二期、三期の患者の世にもみじめな姿を御存じですか。感染してから半ヶ年も過ぎた頃には、顔から身体中に種々の吹出ものが出ます。脣の色は蒼白くなって、口中は石榴ざくろのようにただれます。それのみならず、ことに女にとって一ばん恐しいことは、髪の毛が束になって抜けることです。一櫛ごとにはらはらと、いや、はらはらどころか、こっぽりと抜けて来ます。皆さんは義太夫の「四ツ谷怪談」の文句を御承知でしょう。女主人公のお岩が、毒薬をのまされて、にわかに顔がはれ上り、髪の抜け落ちるところに、
「しんき辛苦の乱れ髪、びんのおくれも気ざわりと、有合ありあう鏡台きょうだい抽斗ひきだしの、つげの小櫛もいつしかに、替り果てたる身のうさや、心のもつれとき櫛に、かかる千筋ちすじのおくれ髪、コハ心得ずと又取上げ、解くほどぬける額髪ひたいがみ、両手に丸めて打ながめ……」
 とありますが、本当にこのお岩そっくりの相好といってよいのが、黴毒患者の状態であります。
 どうです、皆さん、無邪気な加藤家の一人娘友江さんは、伊右衛門ならぬ良人おっとのために、お岩そっくりにされてしまったのです。今に何か恐しい怪談じみた出来事があっても誠にふさわしい事情ではありませんか。皆さん、実際、これからが、私のお話ししようとする怪談の本筋にるのです。


 さて、自分の妻が病気のために、こういうなさけない姿になったら、いや、すでに、かような進んだ状態にならぬ前に、世の常の良人おっとならば、必ず医師にかけるのが当然でありましょう。ところが信之は無情冷酷といってよいか、何といってよいか、友江さんを医者にかけなかったのであります。医者にかければ、直ちに黴毒と診断され、彼のうつしたものであることが妻に知れるのを怖れたからであります。たといおとなしい妻でも、事の真相がわかれば、どんな態度に出るやらわからず、又場合によっては、医師が智慧をかして、そのため離婚の訴訟などを起されてはならぬと思い、彼はそのままに捨てて置いたのであります。何も知らぬ友江さんは、ただもう自分の不運とあきらめて、その日その日を送ったのですが、信之は後に友江さんの姿を見ることにさえ一種の不快を感ずるに至りました。それがため彼は外出して、その不快の念を晴らそうかとも思いましたが、留守中に友江さんが医者を訪ねるようなことがあってはならぬからと、家にのみ引込み、従って彼は性的興奮にかられて、女中に手をつけようとしたのであります。
 すべて運命の神は、一旦その手をもって人を虐げにかかると、どん底まで引き込まねばやまぬものですが、可憐の友江さんもその例に洩れないで、黴毒は遂に彼女の脳を冒し、精神に異常をきたしたのであります。かような精神異常は、駆黴療法くばいりょうほうを行えば、すぐなおるのですが、何しろ一度も医師にかけぬのですから、精神異常は日に日に重くなるばかりでした。ことに友江さんは妊娠中だったので、たださえ女子の妊娠時には、精神異常を来し易いのですから、ますます悪い条件が重なった訳です。始め高度の憂鬱状態に陥った彼女は、度々自殺を計るようになりましたので、さすがの信之も閉口して、日夜、警戒監視を怠りませんでした。
 かような事情の中へ、新らしく一人の女中が出かわって雇われて来ました。彼女は名を沢と言って相当な美人で、一見すると良家の子女のように見え、年は友江さんより一つ二つ上らしく、非常に気転がききましたので、信之は沢によっていつしか心の虜にされてしまったのです。実際、この女中が後に信之の身を滅ぼすもとになりましたが、細君に持ちかねて居るところへ、細君よりも、はるかに世間的知識に富んで居る女があらわれたのですから、やがて、どんなことが起るかは皆さんにも大方想像されるだろうと思います。しかも、これまでの女中は、信之が言い寄ると、みんな、すぐ様暇を取って帰って行ったのに、沢は逃げるどころか、却って彼に対して一種の好意を見せて居るようなので信之の心はすっかり掻き乱され、彼の沢に対する恋は日に日に猛烈になって行きました。
 すると、友江さんは、精神に異常を来しながらも、信之の沢に対する心持を感知したと見え、はげしい嫉妬にかられては、沢の頸筋をつかんで殴ることさえ屡々しばしばありました。然し沢は、何か野心を持って居たと見えて、ただ笑って居るだけで、少しも、つらいとも居にくいとも申しませんでした。これを見た信之は益々友江さんを憎んで、沢に同情し、遂に友江さんを、土蔵の中に監禁すると言い出しました。沢は始め反対しましたが、結局信之の言葉に従って、友江さんを土蔵に押しこめました。けれど、沢は深切に友江さんの面倒を見ました。土蔵の戸の鍵は沢が預って居て、友江さんの食事も土蔵の掃除も沢がかかりきりでしたが、信之は、友江さんを監禁してから、一度も見舞に行きませんでした。自殺のおそれあるものを、土蔵に監禁するなどということは、随分危険な話でしたが、沢に心を奪われた信之は、今では、結局、友江さんが自殺でもしてくれたらいいと思ったらしいのです。
 ところが、運命というものは誠に皮肉なもので、始め憂鬱状態にあった友江さんは、段々病が進むにつれて発揚状態にかわりました。多分妊娠の進んだせいもありましょう。従って近頃では自殺どころか、すこぶる陽気になって、時々、土蔵の中から彼女の歌う声が洩れることさえありました。然し庭が広いので、余所よそへ知れる心配はなく、実際友江さんが、家続きの土蔵に監禁されて居ることを知って居るものは信之と沢の外には一人もありませんでした。
 さて、友江さんが土蔵に監禁されると、広い家には、信之と沢との二人きりです。そうなると皆さんも想像されるごとく、信之は、盛んに沢に言い寄りました。然し、沢は、好意は見せても、断然その身を任すことはしませんでした。すると信之は日に日に焦燥の情を増しました。後には暴力にまで訴えようとしましたので、とうとう沢も決心して、奥さんが生きて見える間は決して、御言葉には従いませんと言い切りました。
 さあ、そうなると、恋に狂った信之の取る手段は何でしょう。言わずと知れてります。
 妻をなきものにしよう……
 沢はある夜、信之の晩酌の相手をしながら、信之の言葉とその眼の色によって、友江さんを殺害せつがいする意のあることを悟りました。彼女は自分が信之に言った言葉を後悔すると同時に、これは十分警戒せねばならぬと覚悟致しました。


 ある、恐しい暴風雨あらし市街まちを襲いました。宵から降り出した雨は車軸を流し、風は獅子のゆるような音を立てて荒れ狂いました。そういう晩は健全な人をも異常な心境に導くものです。信之は沢を相手に、頻りに酒杯を傾けましたが、だいぶ酔がまわって来てから、突然、友江を見舞って来るから、土蔵の鍵を貸してくれと沢に申しました。沢は頻にとめましたが、どうしてもききません。そこで、沢は一しょに行くと言いましたが、信之はそれをも承知しなかったので、彼女は仕方なく鍵を渡し、恐しい暴風雨あらしの音をききながら、がらんとした家の中にちぢこまってりました。
 暫らくすると信之は顔色をかえて、走って来ました。
「沢、友江が首を吊って死んで居る」と、彼は提灯ちょうちんをも消さないで沢に告げました。
「ひえッ!」といったかと思うと、沢はその場に気絶して仰向きにたおれました。信之はいよいよ慌てて水を取りに走り、それを沢の口へそそぎかけました。沢は凡そ二時間あまりも意識を恢復しませんでしたが、やっと、眼をさますと、むっくり起きて、室内の一隅を指し、
「あれ、奥さまが!」
 といって顔を蔽いました。信之も流石さすがぎょっとしたらしいでしたが、
「馬鹿な、誰も居やせん」
「いえいえ、たしかに今、奥さまが、髪を振り乱して、そこに立って見えました」
「そんなことがあるものか」
「それじゃ、もう一度土蔵の中を見て来て下さいませ」
 信之は、気が進まぬらしかったけれども、沢が頻に頼むので仕方なく、又もや、提灯をともして土蔵の中を見に行きました。そのとき暴風雨あらしは益々はげしくなりました。
 暫くすると信之は、土のように蒼ざめて帰って来ました。提灯を持つ手が、ぶるぶる顫えて居たので、沢はただならぬことが起きたと思いました。
「どうなさいました?」と沢はたずねました。
 信之は沢の顔を見つめるだけでした。
「旦那様、どうかなさいましたか?」と、沢は再びたずねました。信之は先刻さっきから、モルヒネを飲んだ患者のように、ぼんやりした眠たそうな顔をして居ましたが、その眠たそうな顔の中にも、恐怖の色がありありと見えました。
「実は、友江の死体が、消えてなくなったんだ」
 と、信之は、この世ならぬ声で申しました。
「ひえッ!」と又もや沢はその場で気絶しました。無理もありません。それは正しく友江さんの死体が幽霊となった証拠ですから!
 信之は、こんどは、何思ったか、水も持って来ないで、沢の気絶した姿を微笑しながら眺めて、頻に酒を飲みましたが、やがて、沢を抱き上げたかと思うと、寝室の方へ運び、手早く敷蒲団を敷いて沢を寝かせました。ついで自分はその傍に坐って、うるんだ眼を情慾に輝かせつつ沢を見つめて居ましたが、どうした訳か、頻に眠気を催し、沢の身体に手をかけたかと思うと、そのままぐったりと横になって寝入ってしまいました。恐らく彼は幽霊の魔法にでもかかったのでしょう。
 幾時間かの後、信之は眼をさましました。それはまだ夜の明けぬ前で、暴風雨あらしはその時幾分かその勢を弱めて居ました。信之はもはや酔もさめたと見えて、顔を上げて怪訝けげんそうにあたりを見まわしましたが、ふと冷たいものが手に触れたので、その方を見るなり彼はぎょっとしました。
 皆さん! 信之の傍に寝て居た筈の沢は、いつの間にか、一尺に足らぬ、女の赤ん坊の死骸とかわり、しかもその赤ん坊の全身の皮膚はあだかも熱湯をそそいだかのように焼けただれて居ました。げに恐しい幽霊の復讐です!
「イヒヒ、ウフフ、アハハハハ」
 信之は突然その赤ん坊の死骸を抱き上げて、気味の悪い笑い声を発しながら、室の中を走りまわりました。彼は引き続く恐怖のためにとうとう発狂してしまったのです。その時暴風雨あらしは更に勢を増して、室内を照す電灯のたまが頻に揺れました。


 皆さん。私の怪談の本筋はこれで終りました。申す迄もなく信之が発狂したのは、単に沢が、怖しい姿の赤ん坊に変って居たということばかりではなく、実は、信之は暴風雨あらしに乗じて友江さんを絞殺し、縊死いししたように見せかけて置いたのでして、その為に起った良心の苛責がその主要な原因となったのでした。
 さて、皆さんは、恐らく、この怪談の真相を御ききになりたいだろうと思いますから、簡単に説明して置きます。この怪談こそは、冒険心に富んだ私と妻との書いた狂言に外ならぬのでした。もはや御察しのことと思いますが、信之の心を奪った女中の沢は、私の妻だったのです。私たちは、是非とも、友江さんを救いたいと思って、種々取り調べた結果、友江さんが黴毒にかかったことや女中が度々出かわることをきき出しました。そこで妻は女中となって住みこみましたが、最早やその頃、友江さんの病気は可なりに進んで居ました。友江さんを盗み出して治療するのは訳のないことですが、何とかして、信之に、十分悔悟させてやりたいと思ったものですから、時機を待つことにしたのです。妻と私とは無論度々秘密に会見して手筈をめることにしましたが、愈よ妻が信之に友江さんを殺そうとする意志のあることをたしかめましたので、その翌日の夜から、私は毎晩、ひそかに加藤家をたずねて、警戒致しました。するとその暴風雨あらしの晩が来ました。私は今夜は何か起るにちがいないと、土蔵を監視して居ますと、果して信之がやって来ました。彼はいきなり手拭をもって友江さんを絞殺し、友江さんの紐を解いて死骸を梁に吊し、逃げるようにして去って行きました。彼が若し刃物をつかったならば、飛び出して妨げるつもりでしたが、絞殺を行いましたからはらはらし乍らも、時機を待って居ました。彼が立ち去るなり、私は手早く、友江さんを下し、人工呼吸を施しますと、間もなく息を吹き返しましたので、かねて妻と打合せてあった室に運びこみました。すると程なく、友江さんは産気づきました。生れた子は黴毒のために恐しい姿となって死んで居ました。友江さんが窒息したので、胎児も窒息したのです。胎児は七ヶ月ぐらいのものでしたからとうとう助かりませんでした。一方妻は、かねて酒の中に催眠剤を入れて置きましたので信之は気絶を装って居た妻に暴行を加えない先に眠ってしまいました。そこで私たちは、生れた胎児を彼のそばに寝かして置いたのです。
 この狂言は、すべてが機会チャンスに任せてありまして、いざというときには、私が飛び出す手筈になって居ましたが、妻が巧みに働いてくれたので、幸いに、私は顔を出さずにすみました。私たちはただ、信之に大きな恐怖を与えて、改心させようとしたのですが、少し薬がききすぎて、彼は発狂してしまいました。友江さんの発狂は、その後駆黴療法を施した結果、完全になおりましたが、信之はとうとう恢復しませんでした。考えて見れば、彼は友江さんを一旦殺したのですから、それが当然の罰かも知れません。いや、私も妻も、若気の至りとはいえ、随分立ち入った冒険をしたものです。それにしても、皆さんは私の長話に定めし御退屈をなさったことでしょう……」





底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房
   2002(平成14)年2月6日第1刷発行
初出:「講談倶楽部」
   1926(大正15)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:宮城高志
2010年4月19日作成
2014年2月22日修正
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