私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。この人は前にも話しました通り、高橋鳳雲の息子さんで、その頃は鉄筆で筒を
ある日、また、四人が集っていますと、相変らず仕事場の前をぞろぞろ人が通る。私達の話は彼の佐竹の原の噂に移っていました。
「佐竹の原も評判だけで、行ってみると、からつまらないね。何も見るものがないじゃありませんか。」
「そうですよ。あれじゃ仕様がない。なにか少しこれという見世物が一つ位あってもよさそうですね。なにかこしらえたらどうでしょう。うまくやれば儲かりますぜ」
「儲る儲らんはとに角、人を呼ぶのに、あんなことでは余り智慧がない。なにか一つアッといわせるようなものをこしらえてみたいもんだね」
「高村さん、何か面白い思いつきはありませんか」
というような話になりました。
「左様さ……これといって面白い思いつきもありませんが、何か一つあってもよさそうですね。原の中へこしらえるものとなると、高値なものではいけないが、といってちっぽけな見てくれのないものではなおさらいけない……どうでしょう。一つ大きな大仏さんでもこしらえては……」
「大きな大仏をこしらえるというのは、大仏を作って見物を胎内へ入れる趣向なんです。どのみち何をやるにしても小屋をこしらえなくてはならないが、その小屋を大仏の形でこしらえて、大仏を招きに使うというのが思いつきなんです。大仏の姿が屋根にもかこいにもなるが、内側では胎内
「……そうして
「大仏が小屋の代りになるところが第一面白い。それで中身が使えるとは一挙両得だ。これは発明だ」など高橋氏や田中氏は大変おもしろがっている。ところが野見氏は黙っていてなんともいいません。考えていました。
「野見さん、どうです。高村さんのこの大仏という趣向は……名案じゃありませんか」
高橋氏がいいますと、
「左様ですな。趣向は至極賛成です。だが、いよいよやるとなると、問題は金ですね、
野見氏は無口の人で多くを語りませんが、肚では他の人よりも乗気になっているらしい。私は、当座の思いつきで笑談半分に妙なことをいいましたが、もし、これが実行された暁、相当見物を惹いて商売になればよし、そうでもなかった日には、飛んだ迷惑を人にかけることになると心配にもなりました。
野見長次さんは早速、親父さんにその話をしました。
野見老人は興行的の仕事の味のわかっている人。これは物になりそうだ。一つやってみたいというので、長次さんが老人の考えを持って来て、また四人で、相談して、一応、私はその大仏さまの雛形を作ってみるということになりました(実のところは雛形を作っても大工や仕事師に出来ない。また金銭問題で止めになるに違いないとは思いましたが、とに角、自分でいい出したことだから雛形に掛りました)。
その日は竹屋へ行って箱根竹を買ってきて、昼の自分の仕事を済ますと、夜なべをやめて、雛形に取り掛りました。見積りの四丈八尺の二十分一、即ち二尺四寸の雛形を作り初めたのです。まず坪を割って土台をきめ、しほんといって四本の柱をもって支柱を建て、箱根竹を
「おやおや何をこしらえているのかと思っていたら、大仏様が出来ましたね」
と家の者はいっております。
「大仏に見えるかね」
「大仏様に見えますとも」
といっております。大仏が印を結んで安坐している八角の台の内部が、普通の見世物小屋位あるわけになります。出来上がったので、それを例の三人の友達に見せました。
「うまく行った。これならまず大丈夫勝利だが、今度はこれをこしらえるに全部で何程金が掛るか、これが問題です。そこで、この事は仕事師に相談するのが早手廻しで、この四本の柱をたよりにして仕事をするものは仕事師の巧者なものより外にない。早速当ってみよう」
ということになりました。で、
私はそのカヤ方の仕事師という男に逢って見ました。
私の肚の中では、この男に逢って雛形を見せたら、恐らくこれは物になりません、というだろうと思っておりました。もし、そういってくれたら却って私にはよかったので、この話はそれで消えてしまう訳。もしそうでもないと、話がだんだん大きくなって大仏が出来るとなると、私の責任が重くなる。興行物としての損益はわかりませんが、もし損失があっては資本を出す考えでいる野見さんに迷惑が掛ることになります。どうか、物にならないといってくれればいいと思って、その男に逢いますと、仕事師は暫く雛形を見ておりましたが、
「これはどうもうまいもんだ。素人の仕事じゃない。この梯子の取付けなどの趣向はなかなか面白い。私共にやらされてもこう器用には出来ません」
といって褒めています。それで、これを四丈八尺の大さに切り組むことが出来るかと
しかし、この仕事はカヤ方の仕事師ばかりでは出来ません。仕事師の方は骨を組むのでありますが、この仕事は大工と仕事師と一緒でなければ無論出来ません。そこで大工を頼まなければならないので誰に頼もうという段になったが、高橋氏が、私の兄に大工のあることを知っているので、その人に頼むのが一番だという。なるほど私の兄に大工があるが、しかしこういう仕事を巧者にやってのける腕があるかどうか、それは不安心、けれども、
そこで、兄は竹屋から竹を買い出してくる。千住の大橋で真中になる丸太を四本、お祭の
黒漆喰で下塗りをして、その上に黒に青味を持った丁度大仏の青銅の肌のような色を出すようにという注文……それが五十円で出来るというのでした。すると、まず二百円で大仏全体が出来上がることになります。そうして、胎内に一つの古物見立展覧場を作るとして、いろいろの品物を買いこむのだが、この方には趣向を主として実物には重きを置きませんからまず百円の見積り……たりない所は
「よろしい。三百円、私が出します」
と野見さんはいうのです。なにも経験、当っても当らなくても、こうなっちゃ、損得をいっていられない。道楽にもやってみたい。儲かれば重畳……いよいよ取り掛りましょう、ということになりました。
それが三月の十五日で、梅若さまの日で、私が雛形を作ってから十日も経つか。話は
さて、カヤ方の仕事師は人足を使って雛形をたよりに仕事に取り掛って、大仏の形をやり出したのですが、この仕事について私の考えは、まず雛形を渡して置けば、大工と仕事師とで
ある日、私は、どんなことになるかと心配だから仕事の現場へ行って見ると、これはどうも驚いた。まるで滅茶滅茶なことをやっている。これには実に閉口しました。
大工や、仕事師は、どんなことをしているかというに、まるで仕事師が役に立たない。先には苦もないようなことをいっておったが、実際に臨んでは滅茶滅茶です。また、兄貴の大工の方も同様でまるでなっていないのです。たとえば、大仏が膝を曲げて安坐をしているその膝頭がまるで三角になっている。ちっとも膝頭だという丸味が出来ておりません。印を結んだ手が手だかなんだか、指などはわからない。肩の丸味などは矢張り三角で久米の
「これはいけない。こんなことは雛形にない」
と私がいうと、
「どうも、こうずう体が大きくては見当がつきません」
仕事師も、大工も途方に暮れているという有様……そこでこのままでやられた日には衣紋竿を突張ったような大仏が出来ますから、私は仕事師、大工の中へ入って一緒に仕事をすることに致しました。
「私のいうようにやってくれ」というので指図をした。
膝や肩の丸味は三角の所へ弓をやって形を作り、印を結んだ手は片面で、四分板を切り抜いて、細丸太を切って小口から二つ割にして指の形を作る。鼻の三角も両方から板でせって鼻筋をこしらえ小鼻は丸太でふくらみをこしらえる……という風に、一々仏の形のきまりを大
それで、私はよすどころでなく毎日仕事場へいかねばならなくなった訳であります。が、毎日高い足場へ上って仕事師大工達の中へ入って仕事をしていますと、なかなかおもしろい。面白半分が手伝って本気で汗水を流して働くようになりました。今日では思いも寄らぬことですが、また歳も若し、気も
だんだんと仕事の進むにつれて、大仏の頭部になってきましたが、大仏の例の
「やあ、大仏様の頭に笊が乗っかった」
などと、群衆は寄ってたかって物珍しくわいわいいっております。突然にこんな大きなものが出来出したので、出来上がらない前から人々は驚いているという有様でありました。
ある日、私は、遠見からこれを見て、一体どんな容子に見えるものだろうと思いましたので、上野の山へ行って見ました。丁度、今の西郷さんのある処が山王山で、そこから見渡すと、右へ筋違いにその大仏が見えました。重なり合った町家の屋根から、ずっと空へ抜けて胸から以上出ております。空へ白い雲が掛って、笊を植えた大きな頭がぬうと聳えている形はなんというていいか甚だ不思議なもの……しかし、立派な大仏の形が悠然と空中へ浮いているところは甚だ雄大……これが上塗りが出来たら更に見直すであろうと、一層仕事を急いで、どうやら下地は出来ましたので、いよいよ、左官与三郎が塗り上げましたが、青銅の味を出すようにという注文でありますから、黒ッぽい銅色に塗り上げると、大空の色とよく調和して、天気のよい時などは一見銅像のようでなかなか立派でありました(この大仏に使った材料は竹と丸太と小舞貫と四分板、それから漆喰だけです)。
「どうも素晴らしいものが出来ましたね。えらいものをこしらえたもんですね」
など見物人は空を仰いでびっくりしております。正味は四丈八尺ですが、吹聴は五丈八尺という口上、一丈だけさばを読んで奈良の大仏と同格にしてしまいました。そこで口上看板を仮名垣魯文先生に頼み、立派な枠をつけ、花を周囲に飾って高く掲げました。こんな興行物的の方は友達の方が受持ちでやったのでありました。
それから、胎内の方は野見の親父さんの受持ちで、切舞台には閻魔の踊りを見せようという趣向。そこでまた私は閻魔の顔をこしらえさせられるなど自分の仕事をそっちのけにして忙しいことで、エンマの顔は張子に抜いてぐるぐる目玉を動かすような仕掛けにして、中へ野見の老人が入って仕草をするという騒ぎ……一方、古物展覧の方も古代な
この興行物は「見流しもの」といって、ずっと見て通って、見た客は追い出してしまうので、見世物としては大勢を入れるに都合のいいやり方であります。大仏の頭が三畳敷位の広さで人間が五、六人位は入れますが、目、口、耳の窓から外を見ると、先の客は後から