幕末維新懐古談
猫と鼠のはなし
高村光雲
少し変った思い出ばなしをします。鼠の話を先にしましょう。
私が十五、六歳の時です。師匠の手元にいて、かれこれ二、三年も稽古をしたお蔭で、どうやら物の形が出来るようになって来ました。それで、そろそろ生意気になって、何か自分では一廉の彫刻師になったような気持で、師匠から当てがわれた仏様の方をやるのは無論であるが、それだけではたんのう出来ないような気持で、何か自分の趣向を立てたもの、思い附いたものを勝手にやって見たいという気が起って来る。もっとも、こういうことは、師匠の眼の前で実行してはお叱りを受けますから師匠の眼に留まらないような時を見て、朝がけとか、夜業のしまいとかいう時にコッソリといたずらをするのであります。
けれども、まだ初心のこととて、自分の腕に協いそうなものでなければ手が附きません。そこで思い附いて彫り出したのが鼠であった。
それはちょうど実物大の鼠を実物をお手本にする気で考え考え、コツコツと彫り出しましたが、彫り上げて見ると、どうやら形になったような気持……それは檜の材でありますから、真白であるのを、本当の鼠を行くのであるから、自分で考えてちょうどな色をそれに附ける。手に取って打ち返して見れば、さすがに自分の拵えたもの故、ほんの遊びいたずらとはいいながら、他のあてがわれた仏様よりも愛念の情が自ずと深いわけ。或る日、その出来上がった鼠をば、昼食を終ったわずかの休みの暇に、私かに店頭の棚に乗せて眺めていました。その頃の仏師の店は前にも申した通り、往来に面した店がすなわち仕事場で、今日の仏師の店と大した相違もないような体裁、往来からも一目に店が見えるのでありますから、私は内外に気兼ねをしながら見ていました。
すると、奥の方から師匠の自分を呼ばれる声がする。びっくりして師匠の前へ参ると、
「幸吉、お前、これから直ぐに大伝馬町の勝田さんへ使いに行ってくれ、急ぎの用だから、早く……」
と、いうお言葉。畏まって、直ぐに店を飛び出して行きましたが、その時、急な要事というので、鼠のことを打ち忘れ、そのまま、棚の上に置きっぱなしにして出たのでありました。そうして、師用を済まし、私は午後三時頃てくてく帰って来ました。
ところが、その、私の留守中に、店へ来られたお客があった。その方は上野東叡山派の坊様で、六十位の老僧、駒込世尊院の住職で、また芝の神明さまの別当を兼ねておられ、なかなか地位もある方であったが、この方が毎度師匠の許へ物を頼みに見えられます。今日もそれらの用向きで参られて、師匠と店頭にて話をしておられました。と、ふと、坊様は、師匠に向い、
「先刻から、あの棚の上に鼠がいるので妙だなと思っていたのだが、あれは本当の鼠ではないのですね。彫り物なんですね。誰が拵えたのですか」
といいながら、起って、その鼠を棚から卸して来て、掌に乗せて、つくづく見ながら、
「これは、どうも、まことによく出来ている。本物と私が見違えたのも無理はない。誰が彫ったのですか」
坊様の興味ありげな言葉に、師匠も初めて心附き、それを見ながら、
「これは、あの幸吉のいたずらでありましょう」
と答えました。
「そうですか。彼児がやったのですか。これは私が貰って置きたい。私は実は子の歳なので、鼠には縁がある。これは譲ってもらいましょう」
「それはお安いことです。幸吉は今使いに参っておりませんが、いたずらにやった鼠がお目に留まって貴僧に望まれて行けば何より……」
と、紙に包んで坊様に呈げてしまいました。
すると、坊様は、折角、幸吉が丹念に拵えたものを只で貰うは気の毒、これを彼児へお小遣いにやって下さいと一分銀を包んで師匠へ渡しました。
私は留守のこと故、その場の容子は見てはいませんから知りませんが、まずこうした順序の妙な事が起ったのでありました。そこで、ちょっと、師匠も困りました。実際ならば、まだほんの年季中の小僧の身のこと、師匠のいい附けもせぬものを勝手に彫って見るなぞとはよろしくないと口小言をいって将来をも誡むべきであるのですが、今、こうして師匠自身も尊敬している坊様より、お礼の意味の金子を幸吉へというて出されては、その処置に困ったのでありました。
それで、師匠は、その一分銀の使用法を考えて、坊様が帰ってから、ちょうど時刻もお八ツ時となったこと故(二時から三時の間)思い附きて蕎麦の大盤振舞をすることにしたのでありました。物価の安い時、一分の蕎麦はなかなかある。師匠の家庭は師弟平等主義で、上下の区別を立てず至極打ちとけた家風でありましたから、奥と店とが一緒で、一家内中が輪になって、そのおそばを食べておりました。
其所へ私が帰って来ました。
師匠は私の顔を見ると、
「大きにご苦労だった。さあ、今日は蕎麦の大盤振舞だ。お前は蕎麦が好きだ。沢山にお食べなさい」
という言葉。私は少し合点行かず、平生のお八ツとは大変に容子が違っていますから、何か、お目出たいことでもあったのかと、その由を師匠に聞くと、
「まあ、好いから、沢山におあがり……」
という。私は好物のことなれば直ちに箸を取り、お礼をいって食べていると、誰やら、くすくす笑い出します。師匠の妻君も笑い出す。師匠の妹にて、お勝という台所を仕切っていられる婦人も笑い出し、「幸さん、ご馳走様……」などいい出して、いかにも容子が変であるから、一体、このおそばはどうしたのですと、また問いますと、今まで真面目な顔をしていられた師匠も笑をふくみ、
「実は、これは、お前の御馳走なんだ。お前の鼠は逃げて蕎麦になったんだ。遠慮なしに沢山おあがり……」
こういわれて初めて気が附き、あの鼠を棚へ上げたまま、忘れてしまって使いに行ったが、どうしたろう、と店へ行って棚を見ると、鼠は何処へやったかおりません。……しかし、鼠が逃げてそばになったとは、いよいよおかしいと思っていると、実は斯々と師匠は私の留守に起った一条を物語り、世尊院の住職のお目に留まったは好いとしても、今から勝手なことをするようでは末始終身のためにならぬからと、アッサリと注意をされ、その場は笑いで終りました。
その後、この上人が、鼠一匹のことから、何かにつけて私を愛してくれられ、幸吉へと指名して彫る物を頼まれたことも度々で大いに面目を施したことがありました。この世尊院という寺は本郷駒込千駄木に今でもあります。
ついでに、も一つ猫の話をしましょう。これは私の少し悪戯をし過ぎた懺悔ばなしです。
誰でも奉公をした方は覚えがありましょうが、発育盛りの十六、七では、当てがわれただけの食事では、ややともすれば不足がちなもの……小体の家ではないことだが、奉公人を使う家庭となると、台所のきまりがあって、奉公人の三、四人も使っておれば、大概お総菜など、朝は、しばのお汁、中飯に八ハイ豆腐か、晩は鹿尾菜に油揚げの煮物のようなものでそれは吝しいものであった(朔日、十五日、二十八日の三日には魚を付けるのが通例です)。
或る年の三、四月頃、江戸では鰹の大漁で、到る処の肴屋では鰹の山を為していました。それで何処の台所へもざらに鰹が這入る。師匠の家でも或る日鰹の刺身がお総菜に出るという塩梅、大漁のお蔭にて久しぶり我々は有難くそれを頂戴したことであったが、今申す如く、発育盛りの年輩ですから、おきまりの一人前の刺身位は物の数でもなく、たちまちそれは平らげられてしまいます。おかしいお話だが、実は口よごしといった位のもの……それでかえって物足りない気がして、もっと心行くばかり今の刺身が食べたいという気持になるは無理もなく、台所には、まだ師匠や妻君の分が大分皿に盛られたまま晩食の分が鼠入らずに這入っておりますので、私はどうも、それが気になって、何んとかして一つそれをすっぱりとやってみたくなりましたが、当時師匠の台所は師匠の妹のお勝という婦人が仕切っていますからいかに奥店無差別の平等主義な家庭であっても、そう勝手に台所の権利を攪乱するわけには行きませんから、何んとか旨い案を考えて、その目当てのものを占領めてやろうと、店で仕事をしながら考えましたが、ここに一つ名案が浮かんで来たので、私はそっと台所へやって行きました。
台所へ行くと、其所に大根卸しに使った大根の切れッ端がある。それを持って来て、お手の物の小刀で猫の足跡を彫り出したのです。ちょうどそれは梅の花の形のような塩梅に……たちまちそれが一つの印形のようなものに出来上がったのを、私は見ていると自分ながらおかしくなったが、しかし、これが名案なのであるから、再びそれを持って台所へ行き、お勝さんのいないのを幸い、竈の灰を今の大根の彫りものの面へなすりつけ、竈の側やら、板の間やらへ猫の足跡とそっくりの型をつけ、あたかも、泥棒猫が忍び込んだというような趣向にした後で、私は鼠入らずの刺身のお皿を取り出し、美事に平らげてやったのでありました。そうして知らん顔をして店へ来て仕事をしておりました。
暫くすると、台所の方で、お勝さんの声で怒鳴っております。何を騒いでいるかと耳を立てると、案の条、鼠入らずの中の刺身がなくなっていることを問題にしているらしく、「あの畜生だ、あの泥棒猫の仕業だ」と怒っている。師匠の家にも三毛猫が一匹いるが、裏口合せの長屋の猫が質が悪く、毎度こちらの台所を荒らすところから、疑いはその猫に掛かっている様子であります。私は心におかしく、なかなか名案だったと思いながら、なお、台所の方へ気を附けていると、また暫くしてから、台所でガタピシと大変な物音がします。何んだろうと窺いて見るとお勝さんが、疑いを掛けたその裏長屋の泥棒猫を捉まえて、コン畜生、々々といって力任せに鼻面を板の間へ※[#「てへん+麾」の「毛」に代えて「手」、U+64F5、83-9]り附けております。物音を聞いて、師匠も其所へ立ち出で、様子を聞き「それはお勝、お前が手落ちなんだ。そんなに手荒らにしなさんな。もう好いから許しておやり」などなだめている。
「いえ、いけません。此奴がお刺身を奪ったんです。以後の見せしめに、こうしてやるのです」
と、また鼻面をいやというほど猫は※[#「てへん+麾」の「毛」に代えて「手」、U+64F5、83-14]られておりますから、私は、どうも甚だ恐縮……不埒な奴はその猫ではなく、悪戯半分の手細工は自分なので、何んとも早気の毒千万、猫に対して可愛そうで、申し訳がないような立場、今さら斯々といって出るのも変なもので、少し薬の利き過ぎたことを自分で驚きながら、やっと台所の静かになったのに胸を撫で卸したことがありました。
それ以来、私は、無実の罪を得て成敗を受けた猫のために謝罪する心持で、鰹の刺身だけは口に上さぬように心掛け、六十一の還暦までは、それを堅く守っておりました。六十一は一廻りそれからは赤ン坊から生まれ還った気持ですから、今日では鰹の刺身も口にするようになりました。他愛のない話であるが、何んの気もなくやった悪戯が存外深い記憶を印しているというはなしで人間一生の中にはいろいろなことがあるものである。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:しだひろし
2006年2月14日作成
2018年5月18日修正
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「てへん+麾」の「毛」に代えて「手」、U+64F5
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