さて、楠公像は、この原型を同じ美術学校の鋳金科教授岡崎雪声氏が鋳造致して住友家へ引き渡したことでありました。木型はその後大阪の博覧場というのに飾ってありましたが、今日は何処にあることか。確か、白い木地は銅色に色をつけてあったと記憶します。
またその後に至って、右の木型の形を縮めて、
楠公像の馬場先門外に建ったのは、ずっと後のことで、その建設の場所なども、最初は学校の方で選定することになっておって、二重橋寄りで、直ぐ門に接した処にしたいという考えであったが、それは宮内省の方で、練兵の都合などあって御許しがなく、現在の位置に立つこととなりましたが、かえって今日ではこの方がよろしかったかと思われます。
また台石の方は多分宮内省の方で作ったことと思います。この台石製作の任に当った人は、研究調査のため洋行をしたとか聞きました。
何しろ、その当時のことで、銅像は東京市中に珍しく、