瀧口入道

高山樗牛




第一


 やがて壽永じゆえいの秋の哀れ、治承ぢしようの春の樂みに知る由もなく、六歳むとせの後に昔の夢を辿たどりて、直衣なほしの袖を絞りし人々には、今宵こよひの歡曾も中々に忘られぬ思寢おもひねの涙なるべし。
 おご平家へいけを盛りの櫻にくらべてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國にふだうしやうこくが花見の宴とて、六十餘州の春を一夕いつせきうてなに集めてみやこ西八條の邸宅。君ならでは人にして人に非ずとうたはれし一門の公達きんだち宗徒むねとの人々は言ふもさらなり、華冑攝※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)くわちゆうせつろく子弟していの、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずるやからは、今日けふはれにと裝飾よそほひて綺羅星きらほしの如くつらなりたる有樣、燦然さんぜんとしてまばゆばかり、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦こうりやうゑんぐわいしだゝみ影薄かげうすげにぞ見えし。あはれ此程このほどまでは殿上てんじやうまじはりをだに嫌はれし人の子、家のやから、今は紫緋紋綾しひもんりよう禁色きんじきみだりにして、をさ/\傍若無人の振舞ふるまひあるを見ても、眉をひそむる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍いはう紋色もんしよく、烏帽子のためやうまでよろづ六波羅樣ろくはらやうをまねびて時知り顏なる、世は愈※(二の字点、1-2-22)平家の世と覺えたり。
 見渡せば正面に唐錦からにしきしとねを敷ける上に、沈香ぢんかう脇息けふそくに身を持たせ、解脱同相げだつどうさう三衣さんえした天魔波旬てんまはじゆんの慾情を去りやらず、一門の榮華を三世のいのちとせる入道清盛、さても鷹揚おうやうに坐せる其の傍には、嫡子ちやくし小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將知盛とももりを初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時のみかど中宮ちゆうぐう、後に建禮門院と申せしは、入道が第四のむすめなりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、かしづける女房にようばう曹司ざうしは皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮りくきゆう粉黛ふんたい何れ劣らずよそほひらして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎かぜごと素袍すはうの袖をかすむれば、末座にみ居る若侍等わかざむらひたちの亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑をかし。時は是れ陽春三月の暮、青海せいかいの簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りもはじめず、欄干おばしま近く雲かとまがふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふさまに、月さへかゝりて夢の如きまどかなる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色ふうしよく碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍とほざむらひのあなたより、遙か對屋たいやに沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳とちやう、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條のやかたひかり到らぬくまもなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏きんこくゑんりの春のゆふべも、よも是には過ぎじとぞ思はれける。
 饗宴の盛大善美を盡せることは言ふもおろかなり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜のくるを知らず、かねて召し置かれたる白拍子しらびやうしの舞もはや終りし頃ほひ、さときぬを裂くが如き四絃一撥の琴の音にれて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下にはか動搖どよめきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方こなたなる壯年わかうどは』、『あれこそは小松殿の御内みうちに花と歌はれし重景殿よ』など、女房共の罵り合ふ聲々に、人々ひとしく樂屋がくやの方を振向けば、右の方より薄紅うすくれなゐ素袍すほうに右の袖を肩脱かたぬぎ、螺鈿らでん細太刀ほそだちに紺地の水の紋の平緒ひらをを下げ、白綾しらあや水干すゐかん櫻萌黄さくらもえぎに山吹色の下襲したがさね、背には※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)やなぐひきて老掛おいかけを懸け、露のまゝなる櫻かざして立たれたる四位の少將維盛これもり卿。御年やうやく二十二、青絲せいしみぐし紅玉こうぎよくはだへ平門へいもん第一の美男びなんとて、かざす櫻も色失いろうせて、何れを花、何れを人と分たざりけり。左の方よりは足助あすけの二郎重景とて、小松殿恩顧のさむらひなるが、維盛卿よりわかきこと二歳にて、今年まさ二十はたち壯年わかもの、上下同じ素絹そけんの水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍したぎを見せ、厚塗あつぬりの立烏帽子に平塵ひらぢりの細鞘なるをき、たもとゆたかに舞ひ出でたる有樣、宛然さながら一幅の畫圖とも見るべかりけり。二人共に何れ劣らぬ優美の姿、適怨清和、きよくに隨つて一絲も亂れぬ歩武の節、首尾能く青海波せいがいはをぞ舞ひ納めける。滿座の人々感に堪へざるはなく、中宮ちゆうぐうよりは殊に女房を使に纏頭ひきでもの御衣おんぞを懸けられければ、二人は面目めんもく身に餘りて退まかり出でぬ。跡にて口善惡くちさがなき女房共は、少將殿こそ深山木みやまぎの中の楊梅、足助殿あすけどのこそ枯野かれの小松こまつ、何れ花もも有る武士ものゝふよなどと言い合へりける。知るも知らぬも羨まぬはなきに、父なる卿の眼前にこれを見て如何許いかばかり嬉しく思い給ふらんと、人々上座の方を打ち見やれば、入道相國のも喜ばしげなる笑顏ゑがほ引換ひきかへて、小松殿は差しうつぶきて人におもてを見らるゝをものうげに見え給ふぞいぶかしき。

第二


 西八條殿にしはちでうでんゆらぐ計りの喝采を跡にして、維盛・重景の退まかり出でし後に一個の少女をとめこそ顯はれたれ。是ぞ此夜の舞の納めと聞えければ、人々ひとみを凝らして之を見れば、年齒としは十六七、精好せいがうの緋の袴ふみしだき、柳裏やなぎ五衣いつゝぎぬ打ち重ね、たけにも餘る緑の黒髮うしろにゆりかけたる樣は、舞子白拍子の媚態しなあるには似で、閑雅しとやか※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らふたたけて見えにける。一曲いつきよく舞ひ納む春鶯囀しゆんあうてん、細きは珊瑚を碎く一雨の曲、風に靡けるさゝがにの絲輕く、太きは瀧津瀬たきつせの鳴り渡る千萬の聲、落葉おちばかげ村雨むらさめひゞきおもし。綾羅りようらの袂ゆたかにひるがへるは花に休める女蝶めてふの翼か、蓮歩れんぽふしきふなるは蜻蛉かげろふの水に點ずるに似たり。折らば落ちん萩の露、ひろはば消えん玉篠たまざゝの、あはれにも亦あでやかなる其の姿。見る人※(「りっしんべん+夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2-12-81)ぼうぜんとして醉へるが如く、布衣ほいに立烏帽子せる若殿原わかとのばらは、あはれ何處いづこ女子むすめぞ、花薫はなかほり月霞む宵の手枕たまくらに、君が夢路ゆめぢに入らん人こそ世にも果報なる人なれなど、袖褄そでつま引合ひてののしり合へるぞ笑止せうしなる。
 榮華の夢に昔を忘れ、細太刀の輕さに風雅の銘を打ちたる六波羅武士の腸をば一指の舞にとろかしたる彼の少女の、滿座の秋波しうはに送られて退まかり出でしを此夜の宴のはてとして、人々思ひ思ひに退出し、中宮もやがて還御くわんぎよあり。跡には春の夜の朧月、殘り惜げに欄干おばしまほとり蛉※さすら[#「足へん+并」、U+8DF0、7-10]ふも長閑のどけしや。
 此夜、三條大路さんでうおほぢを左に、御所ごしよの裏手の御溝端みかはばたを辿り行く骨格たくましき一個の武士あり。月を負ひて其の顏は定かならねども、立烏帽子に綾長そばたか布衣ほいを着け、蛭卷ひるまきの太刀のつかふときをよこたへたる夜目よめにもさはやかなる出立いでたちは、何れ六波羅わたりの内人うちびとと知られたり。御溝をはさんで今を盛りたる櫻の色の見てしげなるに目もかけず、物思はしげに小手こまぬきて、少しくうなだれたる頭の重げに見ゆるは、太息といき吐く爲にやあらん。扨ても春の夜の月花つきはなに換へて何の哀れぞ。西八條の御宴より歸りみちなるさむらひ一群二群ひとむれふたむれ、舞の評など樂げにたれはゞからず罵り合ひて、果は高笑ひして打ち興ずるを、件の侍は折々耳そばだて、時にひややかに打笑うちゑさま、仔細ありげなり。中宮の御所をはや過ぎて、垣越かきごし松影まつかげ月を漏らさで墨の如く暗きほとりに至りて、不圖ふと首を擧げて暫し四邊あたりを眺めしが、俄に心付きし如く早足に元來もときし道に戻りける。西八條より還御せられたる中宮の御輿おんこし、今しも宮門を入りしを見、と本意なげに跡見送りて門前に佇立たゝずみける。おくれ馳せの老女いぶかしげに己れが容子ようすを打ち※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みまもり居るに心付き、急ぎ立去らんとせしが、何思ひけん、つと振向ふりむきて、件の老女を呼止めぬ。
 何の御用と問はれて稍※(二の字点、1-2-22)躊躇ためらひしが、『今宵こよひの御宴のはてに春鶯囀を舞はれし女子をなごは、何れ中宮の御内みうちならんと見受けしが、名は何と言はるゝや』。老女は男の容姿を暫し眺め居たりしが微笑ほゝゑみながら、『扨も笑止の事も有るものかな、西八條を出づる時、色清いろきよげなる人の妾を捉へて同じ事を問はれしが、あれは横笛よこぶえとて近き頃御室おむろさとより曹司そうししに見えし者なれば、知る人なきもことわりにこそ、御身おんみは名を聞いて何にし給ふ』。男はハツと顏赤らめて、『すぐれて舞の上手じやうずなれば』。答ふる言葉聞きも了らで、老女はホヽと意味ありげなるゑみを殘して門内に走り入りぬ。
『横笛、横笛』、件の武士は幾度か獨語ひとりごちながら、おもむろに元來し方に歸り行きぬ。霞の底に響く法性寺ほふしやうじの鐘の聲、初更しやかうを告ぐる頃にやあらん。御溝の那方あなたに長く曳ける我影におどろきて、傾く月を見返る男、眉太まゆふと鼻隆はなたかく、一見凜々りゝしき勇士の相貌、月に笑めるか、花にわらふか、あはれまぶたあたりに一掬の微笑を帶びぬ。

第三


 當時小松殿の侍に齋藤瀧口さいとうのたきぐち時頼と云ふ武士ありけり。父は左衞門茂頼もちよりとて、よはひ古稀こきに餘れる老武者おいむしやにて、壯年の頃より數ヶ所の戰場にて類稀たぐひまれなる手柄てがらを顯はししが、今は年老たれば其子の行末を頼りに殘年を樂みける。小松殿は其功をで給ひ、時頼を瀧口の侍に取立て、數多あまたの侍の中に殊に恩顧を給はりける。
 時頼の時年二十三、せい濶達にして身のたけ六尺に近く、筋骨飽くまでたくましく、早く母に別れ、武骨一邊の父の膝下ひざもとに養はれしかば、朝夕みゝにせしものは名ある武士が先陣拔懸ぬけがけのほまれれある功名談こうみやうばなしにあらざれば、弓箭甲冑の故實こじつもとどりれし幼時よりつるぎの光、ゆづるの響の裡に人と爲りて、浮きたる世の雜事ざれごとは刀のつかの塵程も知らず、美田みたの源次が堀川ほりかはの功名にうつゝかして赤樫あかがしの木太刀を振り舞はせし十二三の昔より、空肱からひぢでて長劒の輕きをかこつ二十三年の春の今日けふまで、世に畏ろしきものを見ず、出入いでいる息をのぞきては、六尺のからだ、何處を膽と分つべくも見えず、實に保平ほうへいの昔を其儘の六波羅武士の模型なりけり。れば小松殿も時頼をすゑ頼母たのもしきものに思ひ、行末には御子維盛卿の附人つきびとになさばやと常々目を懸けられ、左衞門が伺候しこうの折々に『茂頼、其方そちは善きせがれを持ちて仕合者しあはせものぞ』と仰せらるゝを、七十の老父、まがりし背もらん計りにぞ嬉しがりける。
 時は治承ぢしようの春、世は平家の盛、そも天喜てんぎ康平かうへい以來九十年の春秋はるあき、都もひなも打ち靡きし源氏の白旗しらはたも、保元ほうげん平治へいぢの二度のいくさを都の名殘に、脆くも武門の哀れを東海の隅に留めしより、六十餘州に到らぬくまなき平家の權勢、おごるもの久しからずとは驕れるもの如何で知るべき。養和やうわの秋、富士河の水禽みづとりも、まだ一年ひととせぬ夢なれば、一門の公卿こうけい殿上人てんじやうびとは言はずもあれ、上下の武士何時いつしか文弱ぶんじやくながれみて、嘗て丈夫ますらをの譽に見せし向ふ疵も、いつの間にか水鬢みづびんかげおほはれて、おもきを誇りし圓打まるうち野太刀のだちも、何時しか銀造しろがねづくりの細鞘にそりを打たせ、清らなる布衣ほいの下に練貫ねりぬきの袖さへ見ゆるに、弓矢持つべき手に管絃の調しらべとは、言ふもうたてき事なりけり。
 時頼の有樣を觀て※(二の字点、1-2-22)つら/\思ふやう、扨も心得ぬ六波羅武士が擧動ふるまひかな、父なる人、祖父なる人は、昔知らぬ若殿原に行末短き榮耀ええうの夢を貪らせんとて其の膏血はよもそゝがじ。萬一事有ことあるの曉には絲竹いとたけに鍛へしかひな白金造しろがねづくり打物うちものは何程の用にか立つべき。射向いむけの袖を却て覆ひに捨鞭すてむちのみ烈しく打ちて、笑ひを敵に殘すはのあたり見るが如し。君の御馬前に天晴あつぱれ勇士の名をあらはして討死うちじにすべき武士ものゝふが、何處に二つの命ありて、歌舞優樂の遊にすさめる所存の程こそ知られね。――弓矢の外には武士の住むべき世ありとも思はぬ一徹の時頼には、兎角なげかはしく、苦々にが/\しき事のみ耳目に觸れて、平和の世のなか面白からず、あはれ何處にても一戰ひといくさの起れかし、いでや二十餘年の風雨に鍛へし我が技倆を顯はして、日頃我れを武骨物ぶこつものと嘲りし優長武士に一泡ひとあわ吹かせんずと思ひけり。衆人醉へる中に獨り醒むる者はれられず、斯かる氣質なれば時頼はおのづから儕輩ひと/″\うとんぜられ、瀧口時頼とは武骨者の異名いみやうよなど嘲り合ひて、時流外なみはづれに粗大なる布衣を着て鐵卷くろがねまきの丸鞘を鴎尻かもめじりよこたへし後姿うしろすがたを、蔭にてゆびさし笑ふ者も少からざりし。

            *        *
       *        *

 西八條の花見の宴に時頼もつらなりけり。其夜更闌かうたけて家に歸り、其の翌朝は常に似ず朝日影まどに差込む頃やうやく臥床ふしどを出でしが、顏の色少しく蒼味あをみを帶びたり、終夜よもすがら眠らでありしにや。
 此夜、御所の溝端に人跡絶えしころ、中宮の御殿の前に月を負ひて歩むは、まがふ方なく先の夜に老女を捉へて横笛が名を尋ねし武士なり。物思はしげに御門の邊を行きつ戻りつ、月の光に振向ける顏見れば、まさしく齋藤瀧口時頼なりけり。

第四


 物の哀れも是れよりぞ知る、戀ほど世に怪しきものはあらじ。稽古の窓に向つて三諦止觀さんたいしくわんの月を樂める身も、一てう折りかへす花染はなぞめ幾年いくとせ行業かうげふを捨てし人、百夜もゝよしぢ端書はしがきにつれなき君を怨みわびて、亂れくるし忍草しのぶぐさの露と消えにし人、さては相見ての後のたゞちの短きに、戀ひ悲みし永の月日を恨みて三ぱつあだなるなさけを觀ぜし人、おもへばいづれか戀のやつこに非ざるべき。戀や、秋萩あきはぎ葉末はずゑに置ける露のごと、あだなれども、中に寫せる月影はまどかなる望とも見られぬべく、今の憂身うきみをつらしとかこてども、戀せぬ前の越方こしかたは何を樂みに暮らしけんと思へば、涙は此身の命なりけり。夕旦ゆふべあしたの鐘の聲も餘所よそならぬ哀れに響く今日けふは、過ぎし春秋はるあき今更いまさら心なきに驚かれ、鳥の聲、蟲のにも心なにとなう動きて、我にもあらでなさけの外に行末もなし。戀せる今をまよひと觀れば、悟れる昔の慕ふべくも思はれず、悟れる今を戀と觀れば、昔の迷こそ中々に樂しけれ。戀ほど世にいぶかしきものはあらじ。そも人、何を望み何を目的めあてに渡りぐるしき戀路こひぢを辿るぞ。我も自ら知らず、只※(二の字点、1-2-22)朧げながら夢とうつゝの境を歩む身に、ましてや何れを戀の始終と思ひ分たんや。そも戀てふもの、いづこより來り何こをさして去る、人の心の隈はうつすべき鏡なければ何れ思案の外なんめり。
 いかなれば齋藤瀧口、今更いまさら武骨者の銘打つたる鐵卷くろがねをよそにし、負ふにやさしき横笛の名にめる。いかなれば時頼、常にもあらで夜ををかして中宮の御所ごしよには忍べる。吁々いつしか戀の淵に落ちけるなり。
 西八條の花見の席に、中宮の曹司横笛を一目見て時頼は、世には斯かる氣高けだかき美しき女子をなごも有るもの哉と心ひそかに駭きしが、雲をとゞめ雲を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐらたへなる舞の手振てぶりを見もて行くうち、むねあやしう轟き、心何となく安からざる如く、二十三年の今まで絶えておぼえなき異樣の感情くもの如く湧き出でて、例へばなぎさを閉ぢし池の氷の春風はるかぜけたらんが如く、若しくは滿身の力をはりつめし手足てあし節々ふし/″\一時にゆるみしが如く、茫然として行衞も知らぬ通路かよひぢを我ながら踏み迷へる思して、果はまひ終りがく收まりしにも心付かず、軈て席を退まかり出でて何處ともなく出で行きしが、あはれ横笛とは時頼其夜初めて覺えし女子の名なりけり。
 日來ひごろ快濶にして物に鬱する事などの夢にもなかりし時頼の氣風何時いつしか變りて、うれはしげに思ひわづらふ朝夕の樣ただならず、紅色あかみを帶びしつや/\しき頬の色少しく蒼ざめて、常にも似で物言ふ事も稀になり、太息といきの數のみぞ唯ゝ増さりける。果は濡羽ぬれは厚鬢あつびん水櫛みづぐしあてて、筈長はずなが大束おほたぶさに今樣の大紋だいもん布衣ほいは平生の氣象に似もやらずと、時頼を知れる人、訝しく思はぬはなかりけり。

第五


 打つて變りし瀧口が今日此頃けふこのごろの有樣に、あれ見よ、當世嫌ひの武骨者ぶこつものも一度は折らねばならぬ我慢なるに、笑止や日頃ひごろ吾等を尻目に懸けて輕薄武士と言はぬ計りの顏、今更何處どこに下げて吾等にむかひ得るなど、後指うしろゆびさして嘲り笑ふものあれども、瀧口少しも意に介せざるが如く、應對等は常の如く振舞ひけり。されど自慢の頬鬢掻撫かいなづるひまもなく、青黛の跡絶えず鮮かにして、萌黄もえぎ狩衣かりぎぬ摺皮すりかは藺草履ゐざうりなど、よろづ派手やかなる出立いでたちは人目にそれまがうべくもあらず。顏容かほかたちさへ稍※(二の字点、1-2-22)やつれて、起居たちゐものうきがごとく見ゆれども、人に向つて氣色きしよくすぐれざるを喞ちし事もなく、※(二の字点、1-2-22)たま/\病などなきやと問ふ人あれば、却つて意外の面地おももちして、常にも増して健かなりと答へけり。
 皆是れ戀のわざなりとは、哀れや時頼未だ夢にも心づかず、我ともなく人ともあらで只※(二の字点、1-2-22)思ひ煩へるのみ。思ひ煩へる事さへも心自ら知らず、例へば夢の中に伏床ふしどを拔け出でて終夜よもすがらやまいたゞき、水のほとりを迷ひつくしたらん人こそ、さながら瀧口が今の有樣に似たりとも見るべけれ。
 人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧口何處のはてまで辿りけん、夕とも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れならで知る人もなく、只※(二の字点、1-2-22)門出かどでの勢ひに引きかへて、戻足もどりあしの打ちしおれたる樣、さすがに遠路のつかれとも思はれず。一月餘ひとつきあまりも過ぎて其年の春も暮れ、青葉の影に時鳥ほとゝぎすの初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝる有樣のあらたまる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬の稽古さえおのづから怠り勝になりて、胴丸どうまるに積もるほこりうづたかきに目もかけず、名に負へる鐵卷くろがねまきは高く長押なげしに掛けられて、螺鈿の櫻を散らせる黒鞘に摺鮫すりざめ鞘卷さやまきし添へたる立姿たちすがたは、し我ならざりせば一月前ひとつきまへの時頼、唾も吐きかねざる華奢きやしやの風俗なりし。
 されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひそしる人も漸く少くなりし頃、蝉聲せみかまびすしき夏の暮にもなりけん。瀧口が顏愈※(二の字点、1-2-22)やつれ、頬肉は目立つまでに落ちて眉のみ秀で、凄きほど色蒼白あをみてこまやかなる雙の鬢のみぞ、愈※(二の字点、1-2-22)其のつやを増しける。氣向きむかねばとて、病と稱して小松殿が熊野參寵のともにも立たず、やゝもすれば、己が室に閉籠りて、夜更くるまで寢もやらず、日頃は絶えて用なき机に向ひ、一すゐともしびかゝげて怪しげなる薄色の折紙をりがみ延べ擴げ、命毛いのちげの細々と認むる小筆の運び絶間なく、卷いてはかへす思案の胸に、果は太息といきと共に封じ納むる文の數々かず/\、燈の光に宛名を見れば、薄墨の色の哀れを籠めて、何時の間に習ひけん、貫之流つらゆきりうの流れ文字に『横笛さま』。
 世になまめかしき文てふものを初めて我が思ふ人に送りし時は、心のみを頼みに安からぬ日を覺束なくも暮らせしが、籬に觸るゝ夕風のそよとのたよりだになし。前もなき只の一度に人の誠のいかで知らるべきと、更に心を籠めて寄する言の葉も亦あだし矢の返す響もなし。心せはしき三度みたび五度いつたび、答なきほど迷ひは愈※(二の字点、1-2-22)深み、氣は愈※(二の字点、1-2-22)狂ひ、十度、二十度、哀れ六尺の丈夫ますらをが二つなき魂をこめし千束ちづかなす文は、底なき谷に投げたらんつぶての如く、只の一度の返りごともなく、あまわたる梶の葉に思ふこと書く頃も過ぎ、何時いつしか秋風の哀れを送る夕まぐれ、露を命の蟲の音の葉末にすだく聲悲し。

第六


 思へば我しらで戀路こひぢの闇に迷ひし瀧口こそ哀れなれ。鳥部野とりべのの煙絶ゆる時なく、仇し野の露置くにひまなき、まゝならぬ世の習はしに漏るゝ我とは思はねども、相見ての刹那に百年もゝとせの契をこむる頼もしきためしなきにもあらぬ世の中に、いかなれば我のみは、天の羽衣はごろも撫でつくすらんほど永き悲しみに、只※(二の字点、1-2-22)一時ひとときの望みだにかなはざる。思へば無情つれなの横笛や、過ぎにし春のこのかた、書きつらねたる百千もゝちの文に、今は我には言殘せる誠もなし、しあればとて此上短き言の葉に、胸にさへ餘る長き思を寄せんすべやある。つれなの横笛や、よしや送りし文は拙くとも、變らぬ赤心まことは此の春秋の永きにても知れ。一夜の松風に夢さめて、おもひさびしきふすまの中に、わがありし事、すゝきが末の露程も思ひ出ださんには、など一言ひとことの哀れを返さぬ事やあるべき。思へば/\心なの横笛や。
 はさりながら、あだし人の心、我が誠もてはかるべきに非ず。路傍みちのべの柳は折る人の心にまかせ、野路のぢの花は摘むぬし常ならず、數多き女房曹司の中に、いはばうきくさの浮世の風に任する一女子の身、今日は何れの汀に留まりて、明日あすは何處の岸に吹かれやせん。千束ちづかなす我が文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざらんも知れず。ましてや、あでやかなる彼れがかんばせは、浮きたる色をづる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老女を捉へて色清げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしやひとにはあらぬ赤心まことを寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷女たをやめに二つなき心盡しのかず/\は我身ながら恥かしや、アヽ心なき人に心して我のみ迷いし愚さよ。
 待てしばし、るにても立波たつなみあら大海わたつみの下にも、人知らぬ眞珠またまの光あり、よそには見えぬ木影こかげにも、なさけの露の宿するためし。まゝならぬ世の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎ひとごとひとには測られぬうきはあるものぞかし。あはれ後とも言はず今日の今、我が此思ひを其儘に、いづれいかなる由ありて、我が思ふ人の悲しみ居らざる事を誰か知るや。想へば、氣高けだか※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らふたけたる横笛をうきくさの浮きたる艷女たをやめとはひがめる我が心の誤ならんも知れず。さなり、我が心の誤ならんも知れず。鳴く蝉よりも鳴かぬ螢の身を焦すもあるに、聲なき哀れの深さにくらぶれば、仇浪あだなみ立てる此胸の淺瀬は物のかずならず。そもや心なき草も春に遇へば笑ひ、じやうなき蟲も秋に感ずれば鳴く。血にこそ染まね、千束なす紅葉重もみぢがさねの燃ゆる計りの我が思ひに、薄墨の跡だにかへさぬ人の心の有耶無耶ありやなしやは、誰か測り、誰か知る。なり、つれなしと見、心なしと思ひしは、僻める我身の誤なりけり。然るにても――
 瀧口の胸は麻の如く亂れ、とつおいつ、或は恨み、或は疑ひ、或は惑ひ、或は慰め、去りては來り、往きては還り、念々不斷の妄想、流は千々にかはれども、落行く末はいづれ同じ戀慕の淵。迷の羈絆きづな目に見えねば、勇士の刃も切らんにすべなく、あはれや、鬼もひしがんず六波羅一のがうもの何時いつにか戀のやつことなりすましぬ。
 一夜時頼ときよりかうけて尚ほ眠りもせず、意中の幻影まぼろしを追ひながら、爲す事もなく茫然として机にり居しが、越し方、行末の事、はしなく胸に浮び、今の我身の有樣に引きくらべて、思はず深々ふかぶか太息といきつきしが、何思ひけん、一聲高く胸を叩いて躍りあがり、『嗚呼あやまてり/\』。

第七


 歌物語うたものがたりに何の癡言たはことと聞き流せし戀てふ魔に、さては吾れとくよりせられしかと、初めて悟りし今の刹那に、瀧口が心は如何いかなりしぞ。『嗚呼過てり』とは何より先に口を衝いて覺えず出でし意料無限の一語、襟元に雪水を浴びし如く、六尺の總身ぶる/\と震ひ上りて、胸轟き、いきせはしく、『むゝ』とばかりに暫時しばしは空を睨んで無言のてい。やがてを閉ぢてつくづく過越方すぎこしかたを想ひ返せば、哀れにもつらかりし思ひの數々かず/\、さながら世を隔てたらん如く、今更かし暮らせし朝夕の如何にしてと驚かれぬる計り。夢かと思へば、うつせ身の陽炎かげろふの影とも消えやらず、うつゝかと見れば、夢よりも尚ほ淡き此の春秋の經過、例へば永の病に本性を失ひし人の、やうやく我に還りしが如く、瀧口は只※(二の字点、1-2-22)恍惚として呆るゝばかりなり。
『嗚呼過てり/\、弓矢ゆみやの家にまれし身の、天晴あつぱれ功名手柄して、勇士の譽を後世に殘すこそ此世に於ける本懷なれ。何事ぞ、眞の武士の唇頭くちびるぼすもいまはしき一女子の色に迷うて、可惜あたら月日つきひ夢現ゆめうつゝの境にすごさんとは。あはれ南無八幡大菩薩も照覽あれ、瀧口時頼が武士の魂の曇なき證據、まつ此の通り』と、とこなる一刀スラリと拔きて、青燈の光に差し付くれば、爛々たる氷の刃に水もしたゝらんず無反むそり切先きつさき、鍔をふくんで紫雲の如く立上たちのぼ燒刃やきばにほひ目もむるばかり。打ち見やりて時頼莞爾につこと打ちみ、二振三振ふたふりみふり不圖ふと平見ひらみに映る我が顏見れば、こはいかに、内落ち色蒼白あをじろく、ありし昔に似もつかぬ悲慘の容貌。打ち駭きて、ためつ、すがめつ、見れば見るほど變り果てし面影おもかげは我ならで外になし。扨も窶れたるかな、はづかしや我を知れる人は斯かるすがたを何とか見けん――、そも斯くまで骨身をいためし哀れを思へば、深さは我ながら程知らず、是もが爲め、思へば無情つれな人心ひとごゝろかな。
 碎けよと握り詰めたるつかも氣も何時いつしかゆるみて、臥蠶ぐわさん太眉ふとまゆ閃々と動きて、覺えず『あゝ』と太息といきつけば、霞む刀に心も曇り、うつるはわがかほならで、烟の如き横笛が舞姿。是はとばかり眼を閉ぢ、氣を取り直し、鍔音高くやいばを鞘に納むれば、跡には燈の影ほの暗く、障子に映る影さびし。
 嗚呼々々、六尺のに人竝みの膽は有りながら、さりとは腑甲斐なき我身かな。影も形もなき妄念まうねんに惱まされて、しらで過ぎし日はまだしもなれ、迷ひの夢の醒め果てし今はのきはに、めめしき未練は、あはれ武士ぞと言ひ得べきか。輕しとかこちし三尺二寸、双腕もろうでかけて疊みしはそも何の爲の極意ごくいなりしぞ。祖先の苦勞を忘れて風流三昧にうつゝを拔かす當世武士を尻目にかけし、半歳前の我は今何處いづくにあるぞ。武骨者と人の笑ふを心に誇りし齋藤時頼に、あはれ今無念の涙は一滴も殘らずや。そもや瀧口が此身は空蝉うつせみのもぬけのからにて、腐れしまでも昔の膽の一片も殘らぬか。
 世に畏るべき敵に遇はざりし瀧口も、戀てふ魔神には引く弓もなきに呆れはてぬ。無念と思へば心愈※(二の字点、1-2-22)亂れ、心愈※(二の字点、1-2-22)亂るゝにれて、亂脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈※(二の字点、1-2-22)擴がり、果は狂氣の如くいらちて、時ならぬ鳴弦の響、劍撃の聲に胸中の渾沌をすまさんと務むれども、心茲にあらざれば見れども見えず、聞けども聞えず、命の蔭に蹲踞うづくまる一念の戀は、玉の緒ならで斷たん術もなし。
 誠や、戀に迷へる者は猶ほ底なき泥中に陷れるが如し。一寸うへに浮ばんとするは、一寸したに沈むなり、一尺きしのぼらんとするは、一尺そこくだるなり、所詮自ら掘れる墳墓に埋るゝ運命は、悶え苦みて些の益もなし。されば悟れるとは己れが迷を知ることにして、そをだつせるのいひにはあらず。哀れ、戀の鴆毒ちんどくかすも殘さず飮みせる瀧口は、只※(二の字点、1-2-22)坐して致命の時を待つの外なからん。

第八


 消えわびん露の命を、何にかけてやつなぐらんと思ひきや、四五日て瀧口が顏に憂の色漸く去りて、今までの如く物につけ事に觸れ、思ひ煩ふさまも見えず、胸の嵐はしらねども、表面うはべまきの梢のさらとも鳴らさず、何者か失意の戀にかへて其心を慰むるものあればならん。
 一日あるひ、瀧口は父なる左衞門に向ひ、『父上にことあらためて御願ひ致し度き一義あり』。左衞門『何事ぞ』と問へば、『斯かる事、我口より申すは如何いかゞなものなれども、二十を越えてはや三歳にもなりたれば、家に洒掃の妻なくてはよろづことけてこゝろよからず、幸ひ時頼見定みさだめ置きし女子をなご有れば、父上より改めて婚禮を御取計らひ下されたく、願ひと言ふは此事に候』。人傳ひとづてに名を聞きてさへはぢらふべき初妻うひづまが事、顏赤らめもせず、落付き拂ひしことばの言ひ樣、仔細ありげなり。左衞門笑ひながら、『これはな願ひを聞くものかな、おそかれ早かれ、いづれ持たねばならぬ妻なれば、相應ふさはしき縁もあらばと、老父われも疾くより心懸け居りしぞ。シテ其方そなたが見定め置きし女子とは、何れの御内みうちか、但しは御一門にてもあるや、どうぢや』。『小子それがしが申せし女子は、る門地ある者ならず』。『らばいかなる身分みぶんの者ぞ、衞府附ゑふづきさむらひにてもあるか』。『いや、さるものには候はず、御所の曹司に横笛と申すもの、聞けば御室おむろわたりの郷家の娘なりとの事』。
 瀧口が顏は少しく青ざめて、思ひ定めし眼の色たゞならず。父はしばことばなくうつむける我子の顏を凝視みつめ居しが、『時頼、そは正氣しやうきの言葉か』。『小子それがしが一生の願ひ、しんもついつわりならず』。左衞門は兩手を膝に置き直して聲勵まし、『やよ時頼、言ふまでもなき事なれど、婚姻は一生の大事と言ふこと、其方そち知らぬ事はあるまじ。世にも人にも知られたるしかるべき人の娘を嫁子よめごにもなし、其方そちが出世をも心安うせんと、日頃より心を用ゆる父を其方は何と見つるぞ。よしなき者に心を懸けて、家の譽をも顧みぬほど、無分別の其方そちにてはなかりしに、扨はかねてより人の噂に違はず、横笛とやらの色に迷ひしよな』。『否、小子それがしこと色に迷はず、にも醉はず、しんもつて戀でもなく浮氣でもなし、只※(二の字点、1-2-22)少しく心に誓ひし仔細の候へば』。
 左衞門は少しく色を起し、『默れ時頼、父の耳目を欺かん其のことば、先頃其方が儕輩の足助あすけの二郎殿、年若きにも似ず、其方が横笛に想ひを懸け居ること、後の爲ならずとねんごろに潛かに我に告げ呉れしが、其方そちに限りて浮きたる事のあるべきとも思はれねば、心も措かで過ぎ來りしが、思へば父が庇蔭目ひいきめあやまちなりし。神以て戀にあらずとは何處どこまで此父を袖になさんずる心ぞ、不埒者め。話にも聞きつらん、祖先兵衞ひやうゑ直頼殿、餘五將軍よごしやうぐんつかへて拔群ばつくんの譽を顯はせしこのかた、弓矢ゆみやの前にはおくれを取らぬ齋藤の血統ちすぢに、女色によしよくに魂を奪はれし未練者は其方が初めぞ。それにても武門の恥と心付かぬか、弓矢の手前に面目なしとは思はずか。同じくば名ある武士の末にてもあらばいざしらず、素性すじやうもなき土民郷家の娘に、茂頼斯くて在らん内は、齋藤の門をくゞらせん事思ひも寄らず』。
 おいの一徹短慮に息卷いきまあらく罵れば、時頼は默然として只※(二の字点、1-2-22)差俯さしうつむけるのみ。やゝありて、左衞門は少しくおもてやはらげて、『いかに時頼、人若ひとわかき間は皆あやまちはあるものぞ、萌えづる時のうるはしさに、霜枯しもがれの哀れは見えねども、いづれか秋にはでつべき。花の盛りは僅に三日にして、跡の青葉あをばいづれも色同じ、あでやかなる女子の色も十年はよも續かぬものぞ、老いての後に顧れば、色めづる若き時の心の我ながらわからぬほどたはけたるものなるぞ。過ちは改むるに憚る勿れとは古哲の金言、父が言葉に落ちたるか、横笛が事思ひ切りたるか。時頼、返事のなきは不承知か』。
 今まで眼を閉ぢて默然もくねんたりし瀧口は、やうやくかうべもたげて父が顏を見上げしが、兩眼はうるほひて無限の情をたゝへ、滿面に顯せる悲哀のうちゆるがぬ決心を示し、おもむろに兩手をつきて、『一一道理ある御仰おんおほせ、横笛が事、只今限り刀にかけて思ひ切つて候、其の代りに時頼が又の願ひ、御聞屆おんきゝとゞけくだ下さるべきや』。左衞門はさもありなんと打點頭うちうなづき、『それでこそ茂頼がせがれ、早速の分別、父も安堵したるぞ、此上の願とは何事ぞ』。『今日より永のおんいとまを給はりたし』。言ひ終るや、堰止せきとめかねし溜涙ためなみだ、はら/\と流しぬ。

第九


 天にも地にも意外の一言に、左衞門呆れて口も開かず、只※(二の字点、1-2-22)其子の顏色打ちまも[#「目+帝」、28-2]れば、瀧口は徐ろに涙を拂ひ、『思ひの外なる御驚おんおどろききに定めてうわそらともおぼされんが、此願ひこそは時頼が此座の出來心できごゝろにてはつゆさふらはず、斯かる曉にはとかねてより思決おもひさだめし事に候。事の仔細を申さば、只※(二の字点、1-2-22)御心にたがふのみなるべけれども、申さざれば猶ほ以て亂心の沙汰とも思召おぼしめされん。申すも思はゆげなる横笛が事、まこと言ひかはせし事だになけれども、我のみの哀れは中々に深さの程こそ知れね、つれなき人の心に猶更なほさら狂ふ心の駒を繋がむ手綱たづなもなく、此の春秋はるあきは我身ながらつらかりし。神かけて戀に非ず、迷に非ずと我は思へども、人には浮氣とや見えもしけん。唯※(二の字点、1-2-22)つるぎに切らん影もなく、弓もて射んまともなき心の敵に向ひて、そもいくその苦戰をなせしやは、父上、此の顏容かほかたちのやつれたるにて御推量下されたし。時頼が六尺の體によくもになひしと自らすら駭く計りなる積り/\し憂事うきことの數、我ならで外に知る人もなく、只※(二の字点、1-2-22)戀の奴よ、心弱き者よと世上せじやうの人に歌はれん殘念さ、誰れに向つて推量あれとも言はん人なきこそ、返す返すも口惜しけれ。此儘の身にては、どの顏げて武士よと人に呼ばるべき、腐れし心をいだきて、外見ばかりの伊達だてに指さん事、兩刀の曇なき手前に心とがめて我から忍びず、只※(二の字点、1-2-22)此上は横笛に表向き婚姻を申入るゝ外なし、されどつれなき人心、今更靡かん樣もなく、且や素性すじやういやしき女子なれば、物堅き父上の御容おんゆるしなき事もとより覺悟候ひしが、只※(二の字点、1-2-22)最後の思出おもひでにお耳を汚したるまでなりき。所詮天魔に魅入みいられし我身の定業ぢやうごふと思へば、心を煩はすもの更になし。今は小子それがしが胸には横笛がつれなき心も殘らず、月日と共に積りし哀れも宿さず、人の恨みも我がいつくしみも洗ひし如く痕なけれども、殘るは只※(二の字点、1-2-22)此世の無常にして頼み少きこと、秋風の身にしみ/″\と感じて有漏うろの身の換へ難き恨み、今更骨身ほねみこたへ候。おもんみれば誰が保ちけん東父西母がいのち、誰がめたりし不老不死の藥、電光の裏に假の生を寄せて、妄念の間に露の命を苦しむ、おろかなりし我身なりけり。横笛が事、御容しなきこと小子それがしに取りては此上もなき善知識。今日けふを限りに世を厭ひて誠の道に入り、墨染のころもに一生を送りたき小子それがしが決心。二十餘年の御恩の程は申すもおろかなれども、何れのがれ得ぬ因果の道と御諦おんあきらめありて、なが御暇おんいとまを給はらんこと、時頼が今生こんじやうの願に候』。胸一杯の悲しみにことばさへ震へ、語り了ると其儘、齒根はぐき喰ひしばりて、と耐ゆる斷腸の思ひ、勇士の愁歎、流石さすがにめゝしからず。
 過ぎせし六十餘年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思はず、涙は無念の時出づるものぞと思ひし左衞門が耳に、哀れに優しき瀧口が述懷の、何としてかるべき。うたむ人の方便とのみ思ひ居し戀に惱みしと言ふさへあるに、木のはしとのみ嘲りし世捨人よすてびとが現在我子の願ならんとは、左衞門如何いかでか驚かざるを得べき。夢かとばかり、一度は呆れ、一度は怒り、老の兩眼に溢るゝばかりの涙を浮べ、『やよせがれ、今言ひしは慥に齋藤時頼が眞の言葉か、幼少より筋骨きんこつ人に勝れて逞しく、膽力さへすわりたる其方、行末の出世の程も頼母しく、我が白髮首しらがくび生甲斐いきがひあらん日をば、指折りながら待侘まちわび居たるには引換へて、今と言ふ今、老の眼に思ひも寄らぬ恥辱を見るものかな。奇怪とや言はん、不思議とや言はん。慈悲深き小松殿が、左衞門は善き子を持たれし、と我を見給ふ度毎たびごとのお言葉を常々人に誇りし我れ、今更乞食坊主の悴を持ちて、いづこに人にあはする二つの顏ありと思うてか。やよ、時頼、ヨツク聞け、他は言はず、先祖代々よりの齋藤一家が被りし平家の御恩はそも幾何なりと思へるぞ。殊に弱年の其方を那程あれほどに目をかけ給ふ小松殿の御恩に對しても、よし如何に堪へ難き理由わけあればとて、斯かる方外の事、言はれ得る義理か。弓矢の上にこそ武士の譽はあれ、兩刀捨てて世を捨てて、悟り顏なる悴を左衞門は持たざるぞ。上氣じやうきの沙汰ならば容赦ようしやもせん、性根しやうねを据ゑて、不所存のほどあやまつたと言はぬかツ』。兩の拳を握りて、怒りの眼は鋭けれども、恩愛の涙は忍ばれず、雙頬傳うてはふり落つるを拭ひもやらず、一息つよく、『どうぢや、時頼、返答せぬかッ』。

第十


 深く思ひさだめし瀧口が一念は、石にあらねばまろばすべくもあらざれども、忠と孝との二道ふたみちに恩義をからみし父の言葉。思ひ設けし事ながら、今更にはらわた千切ちぎるゝばかり、聲も涙に曇りて、見上ぐる父の顏も定かならず、『仰せらるゝ事、時頼いかでことわりと承らざるべき。小松殿の御事は云ふも更なり、年寄り給ひたる父上に、斯かるなげきを見參らする小子それがしが胸の苦しさは喩ふるに物もなけれども、所詮浮世と觀じては、一切の望に離れし我心、今は返さんすべもなし、忠孝の道、君父の恩、時頼何としておろそかに存じ候べき。りながら、一度人身を失へば萬劫還らずとかや、世を換へ生を移しても、生死妄念を離れざる身を思へば、さとりの日のおそかりしに心かれて、世は是れ迄とこそ思はれ候へ。只※(二の字点、1-2-22)是れまで思ひ決めしまで重ね/″\し幾重の思案をば、御知りなき父上には、定めて若氣わかげの短慮とも、當座の上氣じやうきとも聞かれつらんこそ口惜しけれ、言はば一生の浮沈にかゝはる大事、時頼不肖ながらいかでか等閑なほざりに思ひ候べき。詮ずるに自他の悲しみを此胸一つに收め置いて、なからん後の世まで知る人もなき身の果敢はかなさ、今更いまさら是非もなし。父上、願ふは此世の縁を是限これかぎりに、時頼が身は二十三年の秋を一期に病の爲にあへなくなりしとも御諦おんあきらめ下されかし。不孝の悲しみは胸一つには堪へざれども、御詫おんわび申さんにことばもなし、只※(二の字点、1-2-22)御赦おんゆるしを乞ふ計りに候』。
 そゝぐ涙に哀れをめても、飽くまで世を背に見たる我子の決心、左衞門いまは夢とも上氣とも思はれず、いとしと思ふほど彌増いやまにくさ。慈悲と恩愛に燃ゆる怒のほのほに滿面しゆを濺げるが如く、張り裂く計りの胸の思ひに言葉さへ絶え/″\に、『イ言はして置けば父をさし置きて我れ面白おもしろ勝手かつての理窟、左衞門聞く耳持たぬぞ。無常因果と、世にもたはけたる乞食坊主のえせ假聲こわいろ、武士がどの口もて言ひ得ることばぞ。弓矢とる身に何の無常、何の因果。――時頼、善く聞け、畜類のいぬさへ、一日の飼養に三年の恩を知ると云ふに非ずや。へば立て、立てば歩めと、我が年のつもるをも思はで育て上げし二十三年の親の辛苦、さては重代ぢゆうだい相恩さうおんの主君にも見換へんもの、世に有りと思ふ其方は、犬にも劣りしとは知らざるか。不忠とも、不孝とも、亂心とも、狂氣とも、言はん樣なき不所存者、左衞門が眼には、我子のかたちけし惡魔とより外は見えざるぞ、それにても見事其處に居直りて、齋藤左衞門茂頼が一子ぞと言ひ得るか、ならば御先祖の御名立派に申して見よ。其方より暇乞ふ迄もなし、人の數にも入らぬ木のはしは、勿論親でもなく、子でもなし。其一念の直らぬ間は、時頼、シヽ七生までの義絶ぞ』。言ひ捨てて、ふすま立切たてきり、疊觸たゝみざはりはも荒々あら/\しく、ツと奧に入りし左衞門。跡見送らんともせず、時頼は兩手をはたとつきて、兩眼の涙さながら雨の如し。
 外には鳥の聲うら悲しく、枯れもせぬに散る青葉二つ三つ、無情の嵐に搖落ゆりおとされて窓打つ音さへ恨めしげなる。――あはれ、世は汝のみの浮世かは。

第十一


 一門の采邑、六十餘州のなかばを越え、公卿・殿上人三十餘人、諸司衞府を合せて門下郎黨の大官榮職をほしいまゝにするもの其の數を知らず、げに平家の世は今を盛りとぞ見えにける。新大納言が隱謀もろくも敗れて、身は西海のはてに死し、丹波の少將成經なりつね、平判官康頼やすより、法勝寺の執事俊寛等しゆんくわんら、徒黨の面々、波路なみぢ遙かに名も恐ろしき鬼界が島に流されしより、世は愈※(二の字点、1-2-22)平家の勢ひに麟伏し、道路目をそばだつれども背後にゆびさす人だになし。一國の生殺與奪の權は、入道が眉目の間に在りて、衞府判官は其の爪牙たるに過ぎず。苟も身一門の末葉につらなれば、公卿華胄の公達きんだちも敢えて肩を竝ぶる者なく、前代未聞ぜんだいみもんの榮華は、天下の耳目を驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の行爲ふるまひ、一朝の怒に其の身を忘れ、小松内府のいさめをも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽とばの北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職をはがれ、或は遠島に流人るにんとなるもの四十餘人。ひなも都も怨嗟の聲にち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日けふよろこびに明日あすの哀れを想ふ人もなし。盛者必衰のことわりとは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にもつくされね。父入道が非道の擧動ふるまひは一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて※(二の字点、1-2-22)つら/\世の無常を感じたる小松の内大臣ないふ重盛卿、先頃さきごろ思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人におもてを合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕しゆつしもなし。れば平生徳になつき恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひいたまざるはなかりけり。

            *        *
       *        *

 短き秋の日影もやゝ西に傾きて、風の音さへ澄み渡るはづきなかばの夕暮の空、前には閑庭を控へて左右は廻廊を[#「廻廊を」はママ]めぐらし、青海のみす長く垂れこめて、微月の銀鈎空しく懸れる一室は、小松殿が居間ゐまなり。内には寂然として人なきが如く、只※(二の字点、1-2-22)簾を漏れて心細くも立迷ふ香煙一縷、をりをりかすかに聞ゆる戞々の音は、念珠を爪繰つまぐる響にや、主が消息を齎らして、いと奧床し。
 やゝありて『誰かある』と呼ぶ聲す、那方あなたなる廊下の妻戸つまどけて徐ろに出で來りたる立烏帽子に布衣着たる侍は齋藤瀧口なり。『時頼參りて候』と申上ぐれば、やがて一間ひとまを出で立ち給ふ小松殿、身には山藍色やまあゐいろ形木かたぎを摺りたる白布の服を纏ひ、手には水晶の珠數を掛け、ありしにも似ず窶れ給ひし御顏にゑみを含み、『珍らしや瀧口、此程より病氣いたつきの由にて予が熊野參籠の折より見えざりしが、僅の間に痛く痩せ衰へし其方が顏容かほかたち、日頃鬼とも組まんず勇士も身内の敵には勝たれぬよな、病は癒えしか』。瀧口はやゝしばし、きつと御顏を見上げ居たりしが、『久しく御前にとほざかりたれば、餘りの御懷おんなつかししさに病餘の身をも顧みず、先刻遠侍とほざむらひに伺候致せしが、幸にして御拜顏の折を得て、時頼身にとりて恐悦の至りに候』。言ふと其儘御前に打ち伏し、濡羽ぬれはの鬢に小波を打たせて悲愁の樣子、たゞならず見えけり。
 哀れや瀧口、世を捨てん身にも今を限りの名殘には一切の諸縁何れか煩惱ならぬはなし。比世の思ひ出に、それとはなしに餘所ながらの告別いとまごひとは神ならぬ身の知り給はぬ小松殿、瀧口が平生の快濶なるに似もやらで、打ち萎れたる容姿を、いぶかしげに見やり給ふぞことわりなる。
 四方山よもやまの物語に時移り、入日いりひの影も何時いつしか消えて、冴え渡る空に星影寒く、階下のくさむらに蟲の鳴く聲露ほしげなり。燭を運び來りし水干に緋の袴着けたるわらべ後影うしろかげ見送りて、小松殿は聲を忍ばせ、『時頼、近う寄れ、得難き折なれば、予が改めて其方そちに頼み置く事あり』。

第十二


 一すゐともしびを狹みて相對あひたいせる小松殿と時頼、物語の樣、しめやかなり。
『こは思ひも寄らぬ御言葉を承はり候ものかな、御世は盛りとこそ思はれつるに、などまはしき事を仰せらるゝにや。憚り多き事ながら、殿とのこそは御一門の柱石ちゆうせき、天下萬民の望みの集まる所、吾れ人諸共もろとも御運ごうんの程の久しかれと祈らぬ者はあらざるに、何事にて御在おはするぞ、聊かの御不例に忌まはしき御身の後を仰せ置かるゝとは。殊更ことさら少將殿の御事、不肖弱年の時頼、如何いかでか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つや/\合點がてん參らず』。
『時頼、さては其方そちが眼にも世は盛りと見えつるよな。盛りに見ゆればこそ、衰へん末の事の一入ひとしほ深く思ひらるゝなれ。弓矢の上に天下を與奪よだつするは武門の慣習ならひ。遠き故事を引くにも及ばず、近きためしは源氏の末路まつろ仁平にんぺい久壽きうじゆの盛りの頃には、六條判官殿、如何いかでか其の一族の今日こんにちあるを思はれんや。に居てらんを忘れざるは長久の道、榮華の中に沒落を思ふも、たゞに重盛が杞憂のみにあらじ』。
るにても幾千代重ねん殿が御代みよなるに、など然ることの候はんや』。
いなとよ時頼、あしたの露よりも猶ほあだなる人の身の、何時いつ消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふひまさへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひはからんや。我もし兎も角もならん跡には、心に懸かるは只※(二の字点、1-2-22)少將が身の上、元來孱弱の性質、加ふるにをさなきより詩歌しいか數寄の道に心を寄せ、管絃舞樂のたのしみの外には、弓矢の譽あるを知らず。其方も見つらん、さんぬる春の花見の宴に、一門の面目とたゝへられて、舞妓まひこ白拍子しらびやうしにも比すべからんおの優技わざをば、さも誇り顏に見えしは、親の身の中々にはづかしかりし。一旦事あらば、妻子の愛、浮世の望みにかされて、如何なる未練の最期さいごを遂ぐるやも測られず。世の盛衰は是非もなし、平家の嫡流として卑怯の擧動ふるまひなどあらんには、祖先累代の恥辱この上あるべからず。維盛が行末守り呉れよ、時頼、之ぞ小松が一期いちごの頼みなるぞ』。
『そは時頼のぶんに過ぎたる仰せにて候ぞや。現在足助あすけ二郎重景など屈竟くつきやうの人々、少將殿の扈從こしようには候はずや。若年じやくねん未熟みじゆくの時頼、人にまさりし何ののうありて斯かる大任を御受け申すべき』。
『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平にれて衣紋裝束えもんしやうぞく外見みえを飾れども、まこと武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流にすさめる重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只※(二の字点、1-2-22)彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が扈從こしようとなせしのみ。繰言くりごとながら維盛が事頼むは其方一人。少將ことあるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。
 思ひ入りたる小松殿の御氣色みけしき、物の哀れを含めたる、心ありげのことば端々はし/″\も、餘りの忝なさに思ひ紛れて只※(二の字点、1-2-22)感涙にむせぶのみ。風にあらで小忌をみころも漣立さゞなみたち、持ち給へる珠數震ひゆらぎてさら/\と音するに瀧口かうべもたげて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面をそむけて、御袖の唐草からくさたゞならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは一入ひとしほ深し。夜もけ行きて、何時いつしかみすを漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。
 蟲のわたりて月高く、いづれも哀れは秋の夕、しとてものがれんすべなきおのが影を踏みながら、うでこまぬきて小松殿のかどを立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、布衣ほいの袖重げに見え、足のはこびさながら醉へるが如し。今更いまさら思ひさだめし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙にふさがりて、月の光もおぼろなり。武士の名殘も今宵こよひを限り、餘所よそながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。御仰おんおほせかたじけなさと、是非もなき身の不忠を想ひやれば、御言葉の節々ふし/″\は骨をきざむより猶つらかりし。哀れ心の灰に冷え果てて浮世に立てん烟もなき今の我、あゝ何事も因果なれや。
 月は照れども心の闇に夢ともうつゝとも覺えず、行衞もしらず歩み來りしが、ふと頭を擧ぐれば、こはいかに身は何時いつの間にか御所の裏手、中宮の御殿のほとりにぞ立てりける。此春より來慣れたる道なればにや、思はぬ方に迷ひ來しものかなと、無情つれなかりし人に通ひたる昔忍ばれて、築垣ついがきもとに我知らずたゝずみける。折柄傍らなる小門の蔭にて『横笛』と言ふ聲するに心付き、思はず振向けば、立烏帽子に狩衣かりぎぬ着たる一個のさむらひの此方に背を向けたるが、年の頃五十計りなる老女と額を合せてさゝやけるなり。

第十三


 月より外に立聞ける人ありとも知らで、件の侍は聲ひそませて、『いかに冷泉れいぜい折重をりかさねし薄樣うすやうは薄くとも、こめし哀れは此秋よりも深しと覺ゆるに、彼の君の氣色けしきは如何なりしぞ。夜毎の月も數へ盡して、まどかなる影は二度まで見たるに、身の願の滿たん日は何れの頃にや。頼み甲斐なき懸橋かけはしよ』。
 怨みの言葉を言はせも敢へず、老女はまばらなる齒莖はぐきを顯はしてホヽと打笑うちゑみ、『りとは戀する御身にも似合はぬ事を。此の冷泉に如才じよさいは露なけれども、まだ都慣れぬ彼の君なれば、御身が事可愛いとしとは思ひながら、返す言葉のはしたなしと思はれんなど思ひ煩うておすにこそ、咲かぬうちこそ莟ならずや』。言ひつゝツと男の傍に立寄りて耳に口よせ、何事か暫しさゝやきしが、一言毎ひとことごと點頭うなづきてひやゝかに打笑める男の肩を輕く叩きて、『おわかりになりしや、其時こそは此の老婆ばゞにも、秋にはなき梶の葉なれば、渡しのしろは忘れ給ふな、世にも憎きほど羨ましき二郎ぬしよ』。男は打笑ふ老女の袂を引きて、『そは誠か、時頼めはいよ/\思ひ切りしとか』。
 己れが名を聞きて、松影に潛める瀧口は愈※(二の字点、1-2-22)耳を澄しぬ。老女『此春より引きも切らぬ文の、此の二十日計りはそよとだに音なきは、言はでもるき、あだなる戀と思ひ絶えしにあんなれ。何事も此の老婆ばゞに任せ給へ、又しても心元こゝろもとなげに見え給ふことの恨めしや、今こそ枯技かれえだに雪のみ積れども、鶯鳴かせし昔もありし老婆、よろづ拔目ぬけめのあるべきや』。袖もて口をおほひ、さなきだに繁き額の皺を集めて、ホヽと打笑ふ樣、見苦しき事言はん方なし。
 後の日を約して小走りに歸り行く男の影をつく/″\見送りて、瀧口は枯木の如く立ちすくみ、何處ともなく見詰むる眼の光たゞならず。『二郎、二郎とは何人なんびとならん』。獨りごちつゝ首傾けて暫し思案のさまなりしが、忽ち眉揚まゆあがまなこするどく『さては』とばかり、面色めんしよく見る/\變りて握り詰めし拳ぶる/\と震ひぬ。何に驚きてか、垣根の蟲、はたと泣き止みて、空に時雨しぐるゝ落葉る響だにせず。やゝありて瀧口、顏色やはらぎて握りし拳もおのづから緩み、只※(二の字点、1-2-22)太息といきのみ深し。『何事も今の身には還らぬ夢の、恨みもなし。友を賣り人を詐る末の世と思へば、我が爲に善知識ぞや、誠なき人を戀ひしも浮世の習と思へば少しも腹立たず』。
 立上りつゝ築垣ついがき那方あなたを見やれば、琴のかすかに聞ゆ。月を友なる怨聲は、若しや我が慕ひてし人にもやと思へば、一の哀れおのづから催されて、ありし昔は流石さすがあだならず、あはれ、よりても合はぬ片絲かたいとの我身のうんは是非もなし。只※(二の字点、1-2-22)塵の世に我が思ふ人のとこしなへにけがれざれ。戀に望みを失ひても、世を果敢はかなみし心の願、優に貴し。
 千緒萬端の胸の思ひを一念「無常」の熔爐にかし去りて、澄む月に比べん心の明るさ。何れ終りは同じ紙衣玉席、白骨を抱きて榮枯を計りし昔のゆめ、觀じ來れば世に秋風の哀れもなし。君も、父も、戀も、なさけも、さては世に産聲うぶごゑ擧げてより二十三年の旦夕に疊み上げ折重ねし一切の衆縁、六尺の皮肉と共に夜半よはの嵐に吹き籠めて、行衞も知らぬ雲か煙。跡には秋深く夜靜しづかにして、亙るかりがねの聲のみ高し。

第十四


 治承三年五月、熊野參籠の此方このかた、日に増しおもる小松殿の病氣いたつき。一門のたより、天下の望みをつなぐ御身なれば、さすがの横紙よこがみやぶりける入道にふだうも心を痛め、此日あさまだき西八條より遙々はる/″\の見舞に、内府ないふも暫く寢處しんじよを出でて對面あり、※(「日+向」、第3水準1-85-25)はんときばかて還り去りしが、鬼の樣なる入道も稍※(二の字点、1-2-22)涙含なみだぐみてぞ見えにける。相隨ひし人々の、入道と共に還りし跡には、やかたうちと靜にて、小松殿の側にはんべるものは御子維盛これもり卿と足助二郎重景のみ。維盛卿は父に向ひ、『先刻祖父そふ禪門ぜんもん御勸おんすゝめありし宋朝渡來の醫師、聞くが如くんば世にも稀なる名手めいしゆなるに、父上のこばみ給ひしこそ心得ね』。いぶかしげに尋ぬるを、小松殿は打見やりて、はら/\と涙を流し、『形ある者は天命あり。三界の教主けうしゆさへ、耆婆きばが藥にも及ばずして跋提河ばつだいが涅槃ねはんに入り給ひき。佛體ならぬ重盛、まして唯ならぬ身の業繋ごふけなれば、藥石如何でか治するを得べき。唯※(二の字点、1-2-22)父禪門の御身こそ痛ましけれ。くらゐ人臣を極め、一門の榮華は何れの國、何れのにもためしなく、齡六十に越え給へば、出離生死しゆつりしやうじ御營おんいとなみ、無上菩提の願ひの外、何御不足なにごふそくのあれば、煩惱劫苦ぼんなうごふくの浮世に非道の權勢を貧り給ふ淺ましさ。如何に少將、此頃の御擧動おんふるまひを何とか見つる、臣として君を押しめ奉るさへあるに、下民の苦を顧みず、遷都の企ありと聞く。そもや平安三百年の都を離れて、いづこに平家のさかりあらん。父の非道を子として救ひ得ず、民の怨みをのあたり見る重盛が心苦こゝろぐるしさ。思ひれ少將』。
 維盛卿も、傍らにせる重景もかうべを垂れて默然もくねんたり。内府は病み疲れたる身を脇息けふそくに持たせて、少しく笑を含みて重景を見やり給ひ、『いかに二郎、保元ほうげん弓勢ゆんぜい平治へいぢ太刀風たちかぜ、今も草木をなびかす力ありや。盛りと見ゆる世もいづれ衰ふる時はあり、末は濁りてもれぬ源には、流れも何時いつまんずるぞ。言葉のむねはかり得しか』。重景ははづかしげにかうべし、『如何でかは』と答へしまゝ、はか/″\しくいらへせず。
 折から一人の青侍あをざむらひ廊下に手をつきて、『齋藤左衞門、只今御謁見を給はりたき旨願ひ候が、如何計らひ申さんや』と恐る/\申上ぐれば、小松殿、『是れへれ參れ』と言ふ。暫くして件の青侍に導かれ、緩端えんばた平伏へいふくしたる齋藤茂頼、齡七十に近けれども、猶ほ矍鑠くわくしやくとしてすこやかなる老武者おいむしや、右の鬢先より頬をかすめたる向疵むかふきずに、栗毛くりげ琵琶びはもゝ叩いて物語りし昔の武功忍ばれ、籠手摺こてずれに肉落ちてふしのみ高き太腕は、そも幾その人の首を切り落としけん。肩は山の如く張り、頭は雪の如く白し。『久しや左衞門』、小松殿聲懸こゑかけ給へば、左衞門は窪みし兩眼に涙を浮べ、『茂頼、此の老年に及び、一期の恥辱、不忠の大罪、御詫おんわび申さん爲め、御病體を驚かせ參らせて候』。小松殿まゆを顰め、『何事ぞ』と問ひ給えば、茂頼は無念の顏色にて、『愚息ぐそく時頼』、と言ひさして涙をはらはらと流せば、重景は傍らより膝を進め、『時頼殿に何事の候ひしぞ』。『遁世とんせい致して候』。
 是はと驚く維盛・重景、仔細如何にと問ひ寄るをこたへも得せず、やうやく涙をのごひ、『君が山なす久年きうねんの御恩に對し、一日の報效をもげず、猥りに身を捨つる條、不忠とも不義とも言はん方なき愚息が不所存、茂頼此期このごに及び、君に合はす面目も候はず』。言ひつゝふところより取り出す一封の書、『言語に絶えたる亂心にも、君が御事忘れずや、不忠を重ぬるわざとも知らで、殘しありし此の一通、君の御名を染めたれば、捨てんにも處なく、餘儀なくこゝに』と差上ぐるを、小松殿は取上げて、『こは予に殘せる時頼が陳情ちんじやうよな』と言ひつゝ繰りひろげ、つく/″\讀み了りて歎息し給い、『あゝ我れのみの浮世にてはなかりしか。――時頼ほどの武士ものゝふも物の哀れに向はんやいばなしと見ゆるぞ。左衞門、今は嘆きても及ばぬ事、予に於いて聊か憾みなし。禍福はあざなえる繩の如く、世は塞翁さいをうが馬、平家の武士も數多きに、時頼こそは中々にねたましき程の仕合者しあはせものぞ』。

第十五


 かうけて、天地の間にそよとも音せぬ後夜ごやの靜けさ、やゝ傾きし下弦かげんの月を追うて、冴え澄める大空を渡る雁の影はるかなり。ふけ行く夜に奧も表も人定まりて、築山つきやま木影こかげ鐵燈かねとうの光のみわびしげなる御所ごしよ裏局うらつぼね、女房曹司の室々も、今を盛りの寢入花ねいりばな對屋たいやを照せる燈の火影ほかげに迷うて、妻戸を打つ蟲の音のみ高し。※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)廊のあなたに、蘭燈らんとう尚ほかすかなるは部屋へやならん、主はふかきにまだ寢もやらで、獨り黒塗の小机に打ちもたれ、かうべを俯して物思はしげなり。かたはらにある衣桁いかうには、紅梅萌黄こうばいもえぎ三衣さんえを打懸けて、めし移りに時ならぬ花を匂はせ、机の傍に据ゑ付けたる蒔繪のたなには、色々の歌集物語かしふものがたりを載せ、柱には一面の古鏡を掛けて、わざとならぬ女の魂見えて床し。主が年の頃は十七八になりもやせん、身には薄色に草模樣を染めたる小袿こうちぎを着け、水際みづぎは立ちしひたひよりたけにも餘らん濡羽ぬれは黒髮くろかみ、肩に振分ふりわけてうしろげたる姿、優に氣高し。誰れ見ねども膝もくづさず、時々鬢のほつれに小波さゞなみを打たせて、吐く息の深げなるに、哀れは此處こゝにも漏れずと見ゆ。主はぞ、是れぞ中宮ちゆうぐうが曹司横笛なる。
 其の振りぐる顏を見れば、鬚眉すうびの魂をとろかして此世の外ならで六尺の體を天地の間に置き所なきまでに狂はせし傾國けいこくの色、凄き迄にうるはしく、何を悲しみてか眼にたゝゆる涙のたま海棠かいだうの雨も及ばず。膝の上になか繰弘くりひろげたる文は何の哀れを籠めたるや、打ち見やる眼元めもとに無限のなさけを含み、果は恰も悲しみに堪へざるものの如く、ブル/\と身震ひして、丈もて顏を掩ひ、泣音なくねを忍樣いぢらし。
 折から、此方こなたして近づく人の跫音あしおとに、横笛手早く文ををさめ、涙を拭ふひまもなく、忍びやかに、『横笛樣、まだ御寢ぎよしんならずや』と言ひつゝ部屋へやの障子しづかに開きて入り來りしは、冷泉れいぜいと呼ぶ老女なりけり。横笛は見るより、しをれし今までの容姿すがた忽ち變り、きつかたちを改め、言葉さへ雄々をゝしく、『冷泉樣には、何の要事あれば夜半よはには來給ひし』、と咎むるが如く問ひ返せば、ホヽと打笑ひ、『横笛さま、心強きも程こそあれ、少しはひとなさけを酌み給へや。老い枯れし老婆の御身に嫌はるゝは、可惜あたら武士ものゝふ戀死こひじにせんいのちを思へば物の數ならず、るにても昨夜よべの返事、如何に遊ばすやら』。『幾度申しても御返事は同じこと、あな蒼蠅うるさき人や』。はづかしげにおもてあからむる常の樣子と打つて變りし、さてもすげなき捨言葉すてことばに、冷泉いぶかしくは思へども、流石さすが巧者しれもの、氣をそらさず、『其の御心の強さに、彌増いやます思ひに堪へ難き重景さま、世に時めく身にて、霜枯しもがれ夜毎よごとに只一人、憂身うきみをやつさるゝも戀なればこそ、横笛樣、御身おんみはそを哀れとはおぼさずか。若氣わかげの一てつは吾れ人ともに思ひ返しのなきもの、可惜あたら丈夫ますらをこがじにしても御身は見殺しにせらるゝ氣か、さりとはつれなの御心や』。横笛はさもものうげに、『左樣の事は横笛の知らぬこと』。『またしてもうたてき事のみ、恥かしと思ひ給うての事か。年わかき内は誰しも同じながら、斯くては戀はてざるものぞ。女子をなごさかりは十年ととせとはなきものになるに、此上こよなき機會をりを取りはづして、卒塔婆小町そとばこまち故事ふるごとも有る世の中。重景樣は御家と謂ひ、器量と謂ひ、何不足なき好き縁なるに、何とて斯くはいなみ給ふぞ。扨は瀧口殿が事思ひ給うての事か、武骨一の瀧口殿、文武兩道にひいで給へる重景殿にくらぶべくも非ず。してや瀧口殿は何思ひ立ちてや、世を捨て給ひしと專ら評判高きをば、御身は未だ聞き給はずや。世捨人よすてびとに情も義理もらばこそ、花ももある重景殿に只※(二の字点、1-2-22)一言の色善いろよかへごとをし給へや。やがて兵衞にも昇り給はんず重景殿、御身が行末は如何に幸ならん。未だ浮世うきよれぬ御身なれば、思ひ煩らひ給ふもことわりなれども、六十路むそぢに近き此の老婆、いかでためしき事を申すべき、聞分け給ひしかや』。
 顏差しのぞきて猫撫聲ねこなでごゑ、『や、や』とびるが如くゑみを含みて袖を引けば、今までいらへえもせずうつむき居たりし横笛は、引かれし袖を切るが如く打ち拂ひ、忽ち柳眉りうび逆立さかだて、言葉ことばするどく、『無禮なめげにはおさずや冷泉さま、榮華の爲に身を賣る遊女舞妓と横笛を思ひ給うてか。但しは此の横笛を飽くまで不義淫奔におとしいれんとせらるゝにや。又しても問ひもせぬ人の批判、且つは深夜に道ならぬ媒介なかだち、横笛迷惑の至り、御歸りあれ冷泉樣。但し高聲擧げて宿直とのゐさむらひを呼び起し申さんや』。

第十六


 鋭き言葉に言いこらされて、餘儀なく立ちあがる冷泉を、引き立てん計りに送り出だし、本意ほいなげに見返るを見向みむきもやらず、其儘障子をはためて、仆るゝが如く座に就ける横笛。暫しは恍然うつとりとして氣を失へる如く、いづこともなくきつ凝視みつめ居しが、星の如き眼のうちにはあふるゝばかりの涙をたゝへ、珠の如き頬にはら/\と振りかゝるをば拭はんともせず、蕾のくちびる惜氣をしげもなく喰ひしばりて、噛み碎く息の切れ/″\に全身の哀れを忍ばせ、はては耐へ得で、體を岸破がばとうつ伏して、人には見えぬまぼろしに我身ばかりのうつゝを寄せて、よゝとばかりに泣きまろびつ。涙の中にかみ絞る袂を漏れて、かすかに聞ゆる一言ひとことは、誰れに聞かせんとてや、『ユ許し給はれ』。
 しや眼前にかばねの山を積まんとも涙一滴こぼさぬ勇士に、世を果敢はかなむ迄に物の哀れを感じさせ、夜毎よごとの秋に浮身うきみをやつす六波羅一の優男やさをとこを物の見事に狂はせながら、「許し給はれ」とは今更ら何の醉興すゐきようぞ。吁々あゝに非ず、何處いづこまでの浮世なれば、心にもあらぬつれなさに、互ひの胸の隔てられ、恨みしものは恨みしまゝ、恨みられしものは恨みられしまゝに、あはれ皮一重ひとへを堺に、身を換へ世を隔てても胡越の思ひをなす、吾れ人の運命こそ果敢はかなけれ。横笛が胸の裏こそ、中々に口にも筆にも盡されね。
 飛鳥川あすかがは明日あすをも俟たで、絶ゆるもなく移り變る世の淵瀬ふちせに、百千代もゝちよを貫きて變らぬものあらば、そは人の情にこそあんなれ。女子をなごいのち只一たゞひとつの戀、あらゆる此世の望み、樂み、さてはいうにやさしき月花つきはなの哀れ、何れ戀ならぬはなし。胸に燃ゆる情のほのほは、他を燒かざれば其身をかん、まゝならぬ戀路こひぢに世をかこちて、秋ならぬ風に散りゆく露の命葉いのちば、或は墨染すみぞめころも有漏うろの身をつゝむ、さては淵川ふちかはに身を棄つる、何れか戀のほむら其躯そのみを燒きくし、殘る冷灰の哀れにあらざらんや。女子のさがの斯くなさけふかきに、いかで横笛のみ濁り無情つれなかるべきぞ。
 人知らぬ思ひに秋の夜半よはを泣きくらす横笛が心を尋ぬれば、次の如くなりしなり。
 想ひ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはせば、はや半歳の昔となりぬ。西八條の屋方やかたに花見のうたげありし時、人のすゝめにもだし難く、舞ひ終る一曲の春鶯囀に、かずならぬ身のはしなくも人に知らるゝ身となりては、御室おむろさとに靜けき春秋はるあきたのしみし身のこゝろまどはるゝ事のみ多かり。見も知らず、聞きも習はぬ人々の人傳ひとづてに送る薄色うすいろの折紙に、我を宛名あてなの哀れの數々かず/\都慣みやこなれぬ身には只※(二の字点、1-2-22)胸のみ驚かれて、何と答へんすべだに知らず、其儘心なく打ち過ぐる程に、雲井の月の懸橋かけはしえしと思ひてや、心を寄するものも漸くすくなくなりて、始めにかはらず文をはこぶは只※(二の字点、1-2-22)二人のみぞ殘りける。一人は齋藤瀧口にして、他の一人は足助二郎なり。横笛今は※(二の字点、1-2-22)やゝ浮世に慣れて、風にも露にも、餘所よそならぬ思ひ忍ばれ、墨染のゆふべの空に只※(二の字点、1-2-22)一人、わたる雁の行衞ゆるまで見送りて、思はず太息といきく事も多かりけり。二人の文を見るに付け、何れ劣らぬ情のこまやかさに心迷ひて、一つ身の何れをそれとも別ち兼ね、其れとは無しに人の噂に耳を傾くれば、或は瀧口が武勇ひとすぐれしをむるもあれば、或は二郎が容姿すがたかたちの優しきをたゝふるもあり。共に小松殿の御内にて、世にも知られし屈指の名士。横笛愈※(二の字点、1-2-22)こゝろまどひて、人の哀れを二重ふたへに包みながら、浮世の義理のしがらみ何方いづかたへも一言のいらへだにせず、無情と見ん人の恨みを思ひやれば、身の心苦こゝろぐるしきも數ならず、夜半の夢※(二の字点、1-2-22)しば/\駭きて、涙に浮くばかりなる枕邊まくらべに、燻籠ふせごの匂ひのみしめやかなるぞあはれなる。
 或日のこと。瀧口時頼が發心ほつしんせしと、誰れ言ふとなく大奧おほおくに傳はりて、さなきだに口善惡くちさがなき女房共、寄るとさはると瀧口が噂に、横笛とゞろく胸をおさへて蔭ながら樣子を聞けば、つれなき戀路に世を果敢はかなみてのわざと言ひはやすに、人の手前も打ち忘れ、覺えず『そは誠か』と力を入れて尋ぬれば、女房共、『罪造りの横笛殿、可惜あたら勇士を木のはしとせし』。人の哀れを面白げなる高笑たかわらひに、是れはとばかり、早速さそくのいらへもせず、ツとおのが部屋に走り歸りて、終日ひねもすもすがら泣き明かしぬ。

第十七


『罪造りの横笛殿、あたら勇士に世をてさせし』。あゝなかたはむれに、なか法界悋氣ほふかいりんきの此一語、横笛が耳には如何に響きしぞ。戀に望を失ひて浮世を捨てし男女の事、昔の物語に見し時は世に痛はしき事に覺えて、草色の袂に露の哀れを置きし事ありしが、うつゝならぬ空事そらごととのみ思ひきや、今や眼前かゝる悲しみに遇はんとは。しかも世を捨てし其人は、命を懸けて己れを戀ひし瀧口時頼。世を捨てさせし其人は、可愛いとしとは思ひながらも世の關守せきもりに隔てられて無情つれなしと見せたる己れ横笛ならんとは。餘りの事に左右とかうの考も出でず、夢幻ゆめまぼろしの思ひして身を小机こづくゑに打ち伏せば、『可惜あたら武士ものゝふに世を捨てさせし』と怨むが如く、嘲けるが如き聲、何處いづこよりともなく我が耳にひゞきて、其度毎そのたびごとに總身宛然さながら水をびし如く、心も體もこほらんばかり、襟を傳ふ涙の雫のみさすが哀れを隱し得ず。
 掻き亂れたる心、やうやう我に歸りて、※(二の字点、1-2-22)つら/\思へば、世を捨つるとは輕々しき戲事ざれごとに非ず。瀧口殿は六波羅上下に名を知られたる屈指の武士、希望に滿てる春秋長き行末を、二十幾年の男盛をとこざかりに截斷たちきりて、樂しき此世を外に、身を佛門に歸し給ふ、世にも憐れの事にこそ。數多あまたの人にまさりて、君の御覺おんおぼえ殊にめでたく、一族のほまれを雙の肩にになうて、家には其子を杖なる年老いたる親御おやごもありと聞く。他目よそめにもかずあるまじき君父の恩義惜氣をしげもなく振り捨てて、人のそしり、世の笑ひを思ひ給はで、弓矢とる御身に瑜伽ゆが三密のたしなみは、世の無常を如何に深く觀じ給ひけるぞ。ああ是れ皆此の身、此の横笛のせしわざやいばこそ當てね、可惜あたら武士を手に掛けしも同じ事。――思へば思ふほど、乙女心をとめごゝろむねふさがりてくより外にせんすべもなし。
 吁々、かなはずば世を捨てんまで我を思ひくれし人の情の程こそ中々に有り難けれ。儘ならぬ世の義理に心ならずとは言ひながら、斯かる誠ある人に、只※(二の字点、1-2-22)一言ひとこと返事かへりごとだにせざりし我こそ今更にくやしくも亦罪深けれ。手筐てばこの底にめ置きし瀧口が送りし文、涙ながらに取り出して心遣こゝろやりにもり返せば、先には斯くまでとも思はざりしに、今の心に讀みもて行く一字毎にはらわた千切ちぎるゝばかり。百夜もゝよしぢはしがきに、今や我も數書かずかくまじ、只※(二の字点、1-2-22)つれなき浮世とあきらめても、命ある身のさすがに露とも消えやらず、我が思ふ人の忘れ難きを如何いかにせん。――など書きつらねたるさへあるに、よしや墨染の衣に我れ哀れをかくすとも、心なき君にはうはの空とも見えん事の口惜くちをしさ、など硯の水になみだちてか、薄墨うすずみ文字もじ定かならず。つらつら數ならぬ賤しき我身に引くらべ、彼を思ひ此を思へば、横笛が胸の苦しさは、譬へんに物もなし。世を捨てんまでに我を思ひ給ひし瀧口殿が誠のこゝろと竝ぶれば、重景が戀路は物ならず。して日頃より文傳へする冷泉が、ともすれば瀧口殿を惡しざまに言ひなせしは、我をさそはん腹黒き人の計略たくみならんも知れず。斯く思ひ來れば、重景の何となううとましくなるに引き換へて、瀧口を憐れむの情愈※(二の字点、1-2-22)せつにして、世を捨て給ひしも我れ故と思ふ心の身にひし/\と當りて、立ちても坐りても居堪ゐたゝまらず、窓打つ落葉のひゞきも、蟲のも、我を咎むる心地して、繰擴くりひろげしふみ文字もじは、宛然さながら我れを睨むが如く見ゆるに、目を閉ぢ耳をふさぎて机の側らに伏しまろべば、『あたら武士を汝故そなたゆゑに』と、いづこともなくさゝやく聲、心の耳に聞えて、胸は刃にかるゝ思ひ。あはれ横笛、一夜を惱み明かして、朝日あさひかげ窓にまばゆき頃、ふらふらと縁前えんさきに出づれば、くや、檐端のきばに歌ふ鳥の聲さへ、おのが心の迷ひから、『そなたゆゑ/\』と聞ゆるに、覺えず顏を反向そむけて、あゝと溜息ためいきつけば、驚きて群雀むらすゞめ、行衞も知らず飛び散りたる跡には、秋の朝風音寂おとさびしく、殘んの月影ゆめの如くあはし。

第十八


 女子をなごこそ世にやさしきものなれ。戀路はつに變れども、思ひはいづれ一つ魂にうつる哀れの影とかや。つれなしと見つる浮世に長生ながらへて、朝顏のゆふべを竣たぬ身に百年もゝとせ末懸すゑかけて、覺束おぼつかなき朝夕あさゆふを過すも胸に包める情の露のあればなり。戀かあらぬか、女子のいのちはそも何に喩ふべき。人知らぬ思ひに心をやぶりて、あはれ一山風ひとやまかぜに跡もなき東岱とうたい前後ぜんごの烟と立ち昇るうらわか眉目好みめよ處女子むすめは、年毎としごとに幾何ありとするや。世の隨意まゝならぬは是非もなし、只ゝいさゝ川、底の流れの通ひもあらで、人はいざ、我れにも語らで、世を果敢はかなむこそ浮世なれ。
 れば横笛、我れ故に武士一人に世を捨てさせしと思へば、乙女心をとめごゝろの一徹に思ひ返さんすべもなく、此の朝夕は只※(二の字点、1-2-22)泣き暮らせども、影ならぬ身の失せもやらず、せめて嵯峨の奧にありと聞く瀧口が庵室におとづれて我が誠の心を打明うちあかさばやと、さかしくも思ひさだめつ。誰彼時たそがれどきまぎれて只※(二の字点、1-2-22)一人、うかれ出でけるこそ殊勝しゆしようなれ。
 頃は長月ながつき中旬なかばすぎ、入日の影は雲にのみ殘りて野も出も薄墨うすずみを流せしが如く、つきいまのぼらざれば、星影さへもと稀なり。たもとに寒き愛宕下おたぎおろしに秋の哀れは一入ひとしほ深く、まだ露りぬ野面のもせに、我が袖のみぞ早やうるほひける。右近うこんの馬場を右手めてに見て、何れ昔は花園はなぞのの里、霜枯しもがれし野草のぐさを心ある身に踏みしだきて、太秦うづまさわたり辿たどり行けば、峰岡寺みねをかでらの五輪の塔、ゆふべの空に形のみ見ゆ。やがて月はのぼりて桂の川の水烟みづけぶり、山の端白はしろ閉罩とぢこめて、尋ぬる方は朧ろにして見えかず。もとより慣れぬ徒歩かちなれば、あまたたび或は里の子が落穗おちぼ拾はん畔路あぜみちにさすらひ、或は露に伏すうづらとこ草村くさむら立迷たちまようて、絲より細き蟲のに、覺束なき行末をかこてども、問ふに聲なき影ばかり。名もなつかしき梅津うめづの里を過ぎ、大堰川おほゐがはほとり沿ひ行けば、河風かはかぜさむく身にみて、月影さへもわびしげなり。裾は露、袖は涙に打蕭うちしをれつ、霞める眼に見渡せば、嵯峨野も何時いつしか奧になりて、小倉山をぐらやまの峰の紅葉もみぢば、月にくろみて、釋迦堂の山門、木立こだちの間にあざやかなり。噂に聞きしは嵯峨の奧とのみ、何れの院とも坊とも知らざれば、何を便たよりに尋ぬべき、ともしびの光をあてに、かずもなき在家ざいけ彼方あなた此方こなた彷徨さまよひて問ひけれども、絶えて知るものなきに、愈※(二の字点、1-2-22)心惑ひて只※(二の字点、1-2-22)茫然と野中のなかたゝずみける。折から向ふより庵僧とも覺しき一個ひとりの僧の通りかゝれるに、横笛、わたりに舟の思ひして、『慮外りよぐわいながら此のわたりのいほりに、近き頃さまへて都より來られし、俗名ぞくみやう齋藤時頼と名告なの年壯としわかき武士のおさずや』。こゑふるはして尋ぬれば、件の僧は、横笛が姿を見てしばくびかたむけしが、『露しげき野を女性によしやうの唯※(二の字点、1-2-22)一人、さても/\痛はしき御事や。げにる人ありとこそ聞きつれど、まだ其人に遇はざれば、御身が尋ぬる人なりや、否やを知りがたし』。『して其人は何處いづこにおする』。『そは此處こゝより程とほからぬ往生院わうじやうゐんなづくる古き僧庵に』。
 僧はねんごろに道を教ふれば、横笛に嬉しく思ひ、禮もいそ/\別れ行く後影うしろかげ、鄙には見なれぬ緋の袴に、夜目にも輝く五柳の一重ひとへ。件の僧は暫したゝずみて訝しげに見送れば、焚きこめし異香いきやう、吹きる風に時ならぬ春を匂はするに、俄にいまはしげにかほそむけて小走こばしりに立ち去りぬ。

第十九


 斯くて横笛は教へられしまゝに辿り行けば、月の光にかげくらき、もりの繁みをとほして、かすかに燈のひかり見ゆるは、げにりし庵室と覺しく、隣家とても有らざれば、げきとして死せるが如き夜陰の靜けさに、振鈴しんれいひゞきさやかに聞ゆるは、若しや尋ぬる其人かと思へば、思ひ設けし事ながら、胸轟きて急ぎし足も思はずゆるみぬ。思へばうつゝとも覺えで此處までは來りしものの、何と言うて世を隔てたるかどたゝかん、我がまことの心をば如何なる言葉もて打ち明けん。うら若き女子をなごの身にて夜ををかして來つるをば、蓮葉はすはのものと卑下さげすみ給はん事もあらば如何にすべき。はたまた、千束ちづかふみ一言ひとことも返さざりし我が無情を恨み給はん時、いかにいらへすべき、など思ひ惑ひ、恥かしさも催されて、御所ごしよ拔出ぬけいでしときの心の雄々をゝしさ、今更いまさら怪しまるゝばかりなり。斯くてつべきに非ざれば、やうやく我れと我身に思ひ決め、ふと首を擧ぐれば、振鈴の響耳に迫りて、身は何時いつしか庵室の前に立ちぬ。月の光にすかし見れば、半ばくづれし門のひさし蟲食むしばみたる一面の古額ふるがく、文字は危げに往生院と讀まれたり。
 横笛四邊あたりを打ち見やれば、八重葎やへむぐらしげりて門を閉ぢ、拂はぬ庭に落葉つもりて、秋風吹きし跡もなし。松の袖垣すきまあらはなるに、葉は枯れてつるのみ殘れるつたえかゝりて、古き梢の夕嵐ゆふあらし、軒もる月の影ならでは訪ふ人もなく荒れ果てたり。のきは朽ち柱は傾き、誰れ棲みぬらんと見るも物憂ものうげなる宿やどさま。扨も世を無常と觀じては斯かる侘しき住居も、大梵高臺の樂みに換へらるゝものよと思へば、あるじの貴さも彌増いやまして、今宵こよひの我身やゝはづかしく覺ゆ。庭の松がつるしたる、ほの暗き鐵燈籠かなどうろうの光に檐前のきさきを照らさせて、障子一重の内には振鈴の聲、急がず緩まず、四曼不離の夜毎の行業かうごふに慣れそめてか、まがきの蟲のおどろかん樣も見えず。横笛今は心を定め、ほとほととかどを音づるれども答なし。玉をべたらん如き纖腕しびるゝばかりに打敲うちたゝけども應ぜんはひも見えず。に佛者はおこなひなかばには、王侯のめしにも應ぜずとかや、我ながら心なかりしと、しばし門下に彳みて、鈴の音の絶えしを待ちてふたゝかどを敲けば、内にはあるじの聲として、『世を隔てたる此庵このいほは、夜陰やいんに訪はるゝおぼえなし、恐らく門違かどちがひにても候はんか』。横笛ひそめし聲に力を入れて、『大方おほかたならぬ由あればこそ、夜陰に御業おんげふを驚かし參らせしなれ。庵は往生院と覺ゆれば、主の御身は、小松殿の御内なる齋藤瀧口殿にてはおさずや』。『如何にもそれがしが世に在りし時の名は齋藤瀧口にて候ひしが、そを尋ねらるゝ御身はそも何人なんぴと』。『わらはこそは中宮の曹司横笛と申すもの、隨意まゝならぬ世の義理に隔てられ、世にも厚き御情おんなさけに心にもなきつれなき事の數々かず/\、只今の御身の上と聞きはべりては、悲しさくるしさ、女子をなごの狹き胸一つには納め得ず、知られで永くみなんこと口惜くちをしく、ひとつには妾がまことの心を打明け、且つは御身の恨みの程を承はらん爲に茲まで迷ひ來りしなれ。こゝけ給へ瀧口殿』。言ふと其儘、門のとびらに身をせて、聲をしのびて泣き居たり。
 瀧口はしばらくいらへせず、やゝありて、『如何いか女性によしやう、我れに在りし時は、御所ごしよる人あるを知りし事ありしが、我が知れる其人は我れを知らざる筈なり、されば今宵こよひ我れをおとづれ給へる御身は、我が知れる横笛にてはよもあらじ。しや其人なりとても、此世の中に心は死して、殘る體は空蝉うつせみの我れ、我れに恨みあればとて、そを言ふの要もなく、よし又人に誠あらばとて、そを聞かん願ひもなし。一切諸縁に離れたる身、今更ら返らぬ世の浮事うきことを語り出でて何かせん。聞き給へや女性によしやう、何事も過ぎにし事は夢なれば、我れに恨みありとな思ひ給ひそ。己れにつれなきものの善知識となれるためし、世に少からず、誠に道に入りし身の、そを恨みん謂れやある。されば遇うて益なき今宵の我れ、唯※(二の字点、1-2-22)何事も言はず、此儘歸り給へ。二言とは申すまじきぞ、聞き分け給ひしか、横笛殿』。

第二十


 因果の中に哀れを含みし言葉のふし/″\、横笛が悲しさは百千もゝちの恨みを聞くよりもまさり、『其の御語おんことば、いかであだ聞侍きゝはべるべき、只※(二の字点、1-2-22)親にも許さぬ胸のうち、女子の恥をも顧みず、聞え參らせんずるをば、聞かん願ひなしと仰せらるゝこそ恨みなれ。つれなかりし昔の報いとならば、此身を千千ちゞきざまるゝとも露壓つゆいとはぬに、なまじあだなさけの御言葉は、心狹き妾に、恥ぢて死ねとの御事か。無情つれなかりし妾をこそにくめ、可惜あたら武士ものゝふを世の外にして、樣を變へ給ふことの恨めしくも亦痛はしけれ。茲け給へ、思ひめし一念、聞き給はずとも言はではまじ。のう瀧口殿、ここ開け給へ、情なきのみが佛者ぶつしやかは』。喃々のう/\かどを叩きて、今やくると待侘まちわぶれども、内には寂然として聲なし。やゝありて人の立居たちゐする音の聞ゆるに、うれしやと思ひきや、振鈴の響起りて、りん/\と鳴り渡るに、是れはと駭く横笛が、呼べども叫べども答ふるものは庭の木立のみ。
 月稍※(二の字点、1-2-22)西に傾きて、草葉に置ける露白く、桂川の水音かすかに聞えて、秋の夜寒よさむに立つ鳥もなき眞夜中頃まよなかごろ、往生院の門下に蟲と共に泣き暮らしたる横笛、哀れや、紅花緑葉の衣裳、涙と露にしぼるばかりになりて、濡れし袂につゝみかねたる恨みのかず/\は、そも何處までも浮世ぞや。我れからめるおのが影も、しをるゝ如くおもほえて、つれなき人にくらべては、月こそ中々に哀れ深けれ。横笛、今はとて、涙にくもこゑ張上はりあげて、『のう、瀧口殿、葉末はずゑの露とも消えずして今まで立ちつくせるも、わらは赤心まごゝろ打明けて、許すとの御身が一言ひとこと聞かんが爲め、夢と見給ふ昔ならば、つれなかりし横笛とは思ひ給はざるべきに、など斯くは慈悲なくあしらひ給ふぞ、今宵ならでは世を換へても相見んことのありとも覺えぬに、のう、瀧口殿』。
 春の花を欺く姿、秋の野風にさらして、恨みさびたる其樣は、如何なる大道心者にても、こゝろうごかんばかりなるに、峰の嵐にうづもれて嘆きの聲の聞えぬにや、鈴の音は調子少しも亂れず、行ひすましたる瀧口が心、飜るべくも見えざりけり。
 何とせんすべもあらざれば、横笛は泣く/\元來もときみちを返り行きぬ。氷の如く澄める月影に、道芝みちしばの露つらしと拂ひながら、ゆりかけしたけなる髮、優に波打たせながら、畫にある如き乙女の歩姿かちすがたは、葛飾かつしか眞間まゝ手古奈てこなが昔しのばれて、斯くもあるべしや。あはれ横笛、乙女心の今更に、命に懸けて思ひ決めしことあだとなりては、歸り路に足進まず、我れやかたき、人や無情つれなき、嵯峨の奧にも秋風吹けば、いづれ浮世には漏れざりけり。

第二十一


 胸中一戀字いちこひじ擺脱はいだつすれば、便すなはち十分爽淨、十分自在。人生最も苦しき處、只※(二の字点、1-2-22)是れ此の心。然ればにや失意の情に世をあぢきなく觀じて、嵯峨の奧に身を捨てたる齋藤時頼、瀧口入道とのりの名に浮世の名殘なごりとゞむれども、心は生死しやうじの境を越えて、瑜伽三密の行の外、月にも露にも唱ふべき哀れは見えず、荷葉の三衣、秋の霜に堪へ難けれども、一杖一鉢に法捨を求むるの外、他に望なし。にや輪王りんのうくらゐたかけれども七寶しつぱうつひに身に添はず、雨露うろを凌がぬのきの下にも圓頓ゑんどんの花は匂ふべく、眞如しんによの月は照らすべし。あしたに稽古の窓にれば、垣をかすめて靡く霧は不斷の烟、ゆふべ鑽仰さんがうみねづれば、壁を漏れて照る月は常住じやうぢゆうともしび、晝は御室おむろ太秦うづまさ、梅津の邊を巡錫じゆんしやくして、夜に入れば、十字の繩床じようしやう結跏趺坐けつかふざして※(「口+奄」、第3水準1-15-6)うんあ行業かうごふに夜の白むを知らず。されば僧坊に入りてより未だ幾日も過ぎざるに、苦行難業に色黒み、骨立ち、一目ひとめにては十題判斷の老登科らうとくわとも見えつべし。あはれ、厚塗あつぬりの立烏帽子に鬢を撫上なであげし昔の姿、今安いづくにある。今年二十三の壯年わかものとは、如何にしても見えざりけり。
 顧みれば瀧口、性質こゝろにもあらで形容邊幅けいようへんぷくに心をなやめたりしも戀の爲なりき。仁王にわうともくまんず六尺の丈夫ますらをからだのみか心さへ衰へて、めゝしき哀れに弓矢の恥を忘れしも戀の爲なりき。思へば戀てふ惡魔に骨髓深く魅入みいられし身は、戀と共に浮世に斃れんか、た戀と共に世を捨てんか、えらぶべきみち※(二の字点、1-2-22)此の二つありしのみ。時頼を無常と觀じては、何恨むべき物ありとも覺えず、武士を去り、弓矢を捨て、君に離れ、親を辭し、一切衆縁を擧げつくして戀てふ惡魔の犧牲にそなへ、跡に殘るは天地の間に生れ出でしまゝの我身瀧口時頼、いのちとともに受繼うけつぎし濶達くわつたつ氣風きふう再び欄漫らんまんと咲き出でて、かたちこそ變れ、性質こゝろは戀せぬ前の瀧口に少しもたがはず。名利みやうりの外に身をけば、おのづから嫉妬の念も起らず、憎惡ぞうをの情もきざさず、山も川も木も草も、愛らしき垂髫うなゐも、みにくき老婆も、我れに惠む者も、我れを賤しむ者も、我れには等しく可愛らしく覺えぬ。げに一視平等いつしびやうどう佛眼ぶつげんには四海兄弟と見えしとかや。病めるものは之を慰め、貧しきものは之を分ち、心曲こゝろまがりて郷里の害を爲すものには因果應報の道理をさとし、すべて人の爲め世の爲めに益あることは躊躇たゆたふことなくし、絶えて彼此かれこれ差別しやべつなし。れば瀧口が錫杖の到る所、其風そのふうを慕ひ其徳をあふがざるはなかりけり。或時は里の子供等を集めて、昔の剛者つはものの物語など面白く言ひ聞かせ、喜び勇む無邪氣なる者のさまを見て呵々と打笑ふ樣、二十三の瀧口、何日いつに習ひ覺えしか、さながら老翁の孫女をもてあそぶが如し。
 斯くて風月ふうげつならで訪ふ人もなき嵯峨野の奧に、世を隔てて安らけき朝夕あさゆふを樂しみしに、世に在りし時は弓矢のほまれ打捨うちすてて、狂ひじにに死なんまでこがれし横笛。親にもしゆうにも振りかへて戀のやつことなりしまで慕ひし横笛。世を捨て樣を變へざれば、吾から懸けし戀のきづなく由もなかりし横笛。其の横笛の音づれ來しこそ意外なれ。れど瀧口、口にくはへし松が枝の小搖こゆるぎも見せず。見事みごと振鈴しんれいの響に耳をまして、含識がんしきながれ、さすがに濁らず。思へば悟道ごだうの末も※(二の字点、1-2-22)やゝ頼もしく、風白む窓に、傾く月をさしまねきてひやゝかに打笑うちゑめる顏は、天晴あつぱれ大道心者だいだうしんしやに成りすましたり。

            *        *
       *        *

 さるにても横笛は如何になりつるや、往生院の門下に一夜を立ち明かして曉近く御所に還り、後の二三日は何事もなく暮せしが、もなく行衞知れずなりて、其部屋そのへやの壁には日頃ひごろ手慣てなれし古桐の琴、ぬしちげに見ゆるのみ。

第二十二


 或日、そら長閑のどかに晴れ渡り、ころもを返す風寒からず、秋蝉のつばさあたゝ小春こはるの空に、瀧口そゞろに心浮かれ、常には行かぬかつら鳥羽とばわたり巡錫して、嵯峨とは都を隔てて南北みなみきた深草ふかくさほとりに來にける。此あたりは山近く林みつにして、立田たつたの姫が織り成せる木々の錦、二月の花よりもくれなゐにして、匂あらましかばとしまるゝ美しさ、得も言はれず。たきゞる翁、牛ひくわらんべ、餘念なく歌ふふし、餘所に聞くだに樂しげなり。瀧口く/\四方よもの景色を打ち眺め、※(二の字点、1-2-22)やゝ疲れを覺えたれば、とある路傍の民家に腰打ち掛けて、暫く休らひぬ。主婦は六十餘とも覺しき老婆なり、一椀の白湯さゆを乞ひてのんどうるほし、何くれとなき浮世話うきよばなしの末、瀧口、『愚僧ぐそういほりは嵯峨の奧にあれば、此わたりには今日けふが初めて。何處いづこにも土地とちめづらしき話一つはある物ぞ、いづれ名にしはば、哀れも一入ひとしほ深草の里と覺ゆるに、話して聞かせずや』。老女は笑ひながら、『かゝる片邊かたほとりなるひなには何珍しき事とてはなけれども、其の哀れにて思ひ出だせし、世にも哀れなる一つの話あり。問ひ給ひしが因果いんぐわ事長ことながくとも聞き給へ。御身の茲に來られしみちすがら、溪川たにがはのあるあたりより、山の方にわびしげなる一棟ひとむねの僧庵を見給ひしならん。其庵の側に一つのさゝやかなる新塚あり、主が名は言はで、此の里人は只※(二の字点、1-2-22)戀塚こひづか々々と呼びなせり。此の戀塚のいはれに就きて、とも哀れなる物語のさふらふなり』。『戀塚とは餘所よそながらゆかしき思ひす、らぬまへの我も戀塚のあるじなかばなりし事あれば』。言ひつゝ瀧口は呵々から/\と打笑へば、老婆は打消うちけし、『否、笑ふことでなし。此月の初頃はじめごろなりしが、畫にあるやう※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)じやうらふの如何なる故ありてか、かの庵室あんしつこもりたりと想ひ給へ。花ならば蕾、月ならば新月、いづれ末は玉の輿こしにも乘るべき人が、品もあらんに世をよそなる尼法師に樣を變へたるは、慕ふをつとに別れてか、つれなき人を思うてか、みち、戀路ならんとの噂。薪とる里人さとびとの話によれば、庵の中には玉をまろばす如きやさしき聲して、讀經どきやう響絶ひゞきたゆる時なく、折々をり/\閼伽あか水汲みづくみに、谷川に下りし姿見たる人は、天人てんにん羽衣はごろもぎて袈裟けさけしとて斯くまで美しからじなど罵り合へりし。心なき里人も世に痛はしく思ひて、色々の物など送りてなぐさむるうち、かの上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)おもひおもりてや、みつきて程もず返らぬ人となりぬ。言ひ殘せし片言かたごとだになければ、誰れも尼になるまでの事の由を知らず、里の人々相集りて涙と共に庵室の側らに心ばかりの埋葬を營みて、卒塔婆そとばあるじとはせしが、誰れ言ふとなく戀塚々々と呼びなしぬ。來慣きなれぬ此里に※(二の字点、1-2-22)たま/\來て此話を聞かれしも他生たしやう因縁いんねんと覺ゆれば、歸途かへるさには必らず立寄りて一片の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)ゑかうをせられよ。いかに哀れなる話に候はずや』。老婆は話し了りて、燃えぬ薪のけぶりむせびて、なみだ押拭おしのごひぬ。
 瀧口もやゝ哀れを催して、『そは氣の毒なる事なり、其の上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)何處いづこ如何いかなる人なりしぞ』。『人の噂に聞けば、御所ごしよ曹司ざうしなりとかや』。『ナニ曹司とや、其の名は聞き知らずや』。『れば、とやさしき名と覺えしが、何とやら、おゝ――それたしかに横笛とやら言ひし。嵯峨の奧に戀人こひびとの住めると、人の話なれども、定かに知る由もなし。聞けば御僧の坊も同じ嵯峨なれば、心當こゝろあたりの人もあらば、此事つたへられよ。同じ世に在りながら、斯かるあでやかなる上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)の樣を變へ、思ひじにするまでにつれなかりし男こそ、世に罪深つみふかき人なれ。あだし人の事ながら、誠なき男見れば取りも殺したく思はるゝよ』。餘所よその恨みを身に受けて、他とは思はぬ吾が哀れ、老いても女子は流石さすがにやさし。瀧口が樣見れば、先のこゝろよげなる氣色けしきに引きかへて、かうべを垂れて物思ものおもひのていなりしが、やゝありて、『あゝあまりに哀れなる物語に、法體ほつたいにも恥ぢず、思はず落涙に及びたり。主婦あるじことばに從ひ、愚僧は之れより其の戀塚とやらに立寄りて、暫し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)ゑかうの杖をとどめん』。
 網代あじろの笠に夕日ゆふひうて立ち去る瀧口入道が後姿うしろすがた頭陀づだの袋に麻衣あさごろも、鐵鉢をたなごゝろさゝげて、八つ目のわらんづ踏みにじる、形は枯木こぼくの如くなれども、いきある間は血もあり涙もあり。

第二十三


 深草の里に老婆が物語、聞けば他事ひとごとならず、いつしか身に振りかゝる哀の露、泡沫夢幻はうまつむげんと悟りても、今更ら驚かれぬる世の起伏おきふしかな。樣を變へしとはそも何を觀じての發心ほつしんぞや、憂ひに死せしとはそも誰れにかけたる恨みぞ。あゝ横笛、吾れ人共に誠の道に入りし上は、影よりもあはき昔の事は問ひもせじ語りもせじ、閼伽あか水汲みづくみ絶えて流れに宿す影留らず、觀經の音みて梢にとまる響なし。いづれ業繋ごふけの身の、心と違ふ事のみぞ多かる世に、夢中むちゆうに夢をかこちて我れ何にかせん。
 瀧口入道、横笛が墓に來て見れば、墓とは名のみ、小高くりし土饅頭どまんぢゆうの上に一片の卒塔婆を立てしのみ。里人の手向けしにや、なかばれし野菊のぎくの花の仆れあるも哀れなり。四邊あたりは斷草離離としてあとを着くべき道ありとも覺えず、荒れすさぶ夜々の嵐に、ある程の木々の葉吹き落とされて、山は面痩おもやせ、森は骨立ほねだちて目もあてられぬ悲慘の風景、聞きしに増りて哀れなり。ああ是れぞ横笛が最後の住家すみかよと思へば、流石さすがの瀧口入道も法衣ほふえの袖をしぼりあへず、世にありし時は花の如きあでやかなる乙女をとめなりしが、一旦無常の嵐にさそはれては、いづれのがれぬ古墳の一墓のあるじかや。そが初めの内こそ憐れと思ひて香花かうげ手向たむくる人もあれ、やがて星移りとしれば、冷え行く人のなさけれて顧みる人もなく、あはれ何れをそれと知る由もなく荒れ果てなんず、思へば果敢はかなの吾れ人が運命や。都大路みやこおほぢに世の榮華をつくすも、しづ伏屋ふせやあぜ落穗おちぼひろふも、暮らすは同じ五十年の夢の朝夕。妻子珍寶及王位さいしちんぱうおよびわうゐ命終いのちをはる時に隨ふものはなく、野邊のべより那方あなたの友とては、結脈けちみやく一つに珠數じゆず一聯のみ。之を想へば世に悲しむべきものもなし。
 瀧口ころもの袖を打はらひ、墓に向つて合掌がつしやうして言へらく、『形骸かたちしや冷土の中にうづもれても、魂は定かに六尺の上に聞こしめされん。そもや御身と我れ、時を同うして此世に生れしは過世すぐせ何のいん、何のくわありてぞ。同じ哀れを身にになうて、そを語らふ折もなく、世を隔て樣を異にして此の悲しむべき對面あらんとは、そも又何のごふ、何の報ありてぞ。我は世に救ひを得て、御身はきに心をやぶりぬ。思へば三界の火宅くわたくのがれて、聞くも嬉しきまことの道に入りし御身の、欣求淨土ごんぐじやうどの一念に浮世のきづなき得ざりしこそ恨みなれ。戀とは言はず、情とも謂はず、ふや柳因りういんわかるゝや絮果ぢよくわ、いづれ迷は同じ流轉るてん世事せじ、今は言ふべきことありとも覺えず。只※(二の字点、1-2-22)此上は夜毎よごと松風まつかぜ御魂みたますまされて、未來みらい解脱げだつこそ肝要かんえうなれ。仰ぎ願くは三世十方の諸佛、愛護あいご御手おんてを垂れて出離しゆつりの道を得せしめ給へ。過去精麗くわこしやうりやう出離生死しゆつりしやうじ證大菩提しようだいぼだい』。ける人に向へるが如く言ひ了りて、暫し默念の眼を閉ぢぬ。花のもとの半日のかく、月の前の一夜の友も、名殘は惜しまるゝ習ひなるに、一向所感の身なれば、先の世の法縁も淺からず思はれ、流石さすがの瀧口、かぎりなき感慨むねあふれて、※(二の字点、1-2-22)うたゝ今昔こんじやくじやうに堪へず。今かゝる哀れを見んことは、神ならぬ身の知る由もなく、嵯峨の奧に夜半よはかけて迷ひ來りし時は我れ情なくもかどをばけざりき。恥をも名をも思ふいとまなく、樣を變へ身を殺す迄の哀れの深さを思へば、我れこそ中々に罪深かりけれ。あゝ横笛、花の如き姿いまいづこにある、菩提樹ぼだいじゆかげ明星みやうじやうひたひらすほとり耆闍窟ぎしやくつうち香烟かうえんひぢめぐるの前、昔の夢をあだと見て、猶ほ我ありしことを思へるや否。逢ひ見しとにはあらなくに、別れつらく覺ゆることの、我れながらいぶかしさよ。思ひ胸に迫りて、吁々あゝ太息といきに覺えず我れにかへりてかうべぐれば日はなかば西山せいざんに入りて、峰の松影色黒み、落葉おちばさそふ谷の嵐、夕ぐれ寒く身にみて、ばら/\と顏打つものは露か時雨しぐれか。

第二十四


 其の年の秋の暮つかた、小松の内大臣重盛、かねての所勞しよらうおもらせ給ひ、御年四十三にて薨去あり。一門の人々、思顧のさむらひは言ふも更なり、都も鄙もおしなべて、いたしまざるはなく、町家は商を休み、農夫は業を廢して哀號あいがうこゑ到る處にちぬ。入道相國にふだうしやうこく非道ひだう擧動ふるまひ御恨おんうらみを含みて時のみだれを願はせ給ふ法住寺殿ほふぢゆうじでんゐんと、三代の無念を呑みてひたすら時運の熟すを待てる源氏の殘黨のみ、内府ないふ遠逝ゑんせいを喜べりとぞ聞えし。
 士は己れを知れる者の爲に死せんことを願ふとかや。今こそ法體ほつたいなれ、ありし昔の瀧口が此君このきみ御爲おんためならばと誓ひしはあめが下に小松殿たゞ一人。父祖ふそ十代の御恩ごおんを集めて此君一人にかへし參らせばやと、風のあした、雪のゆふべ蛭卷ひるまきのつかのも忘るゝひまもなかりしが、思ひもかけぬ世の波風なみかぜに、身は嵯峨の奧に吹き寄せられて、二十年來のこゝろざしも皆空事そらごととなりにける。世に望みなき身ながらも、我れから好める斯かる身の上の君の思召おぼしめしの如何あらんと、折々をり/\思ひ出だされては流石さすが心苦こゝろぐるしく、只※(二の字点、1-2-22)長き將來ゆくすゑ覺束おぼつかなき機會きくわいを頼みしのみ。小松殿逝去せいきよと聞きては、それもかなはず、御名殘おんなごり今更いまさらしまれて、其日は一日ばう閉籠とぢこもりて、内府が平生など思ひ出で、※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)向三昧ゑかうざんまいに餘念なく、夜に入りては讀經の聲いとしめやかなりし。
 先には横笛、深草の里に哀れをとゞめ、今は小松殿、盛年の御身に世をかへ給ふ。彼を思ひ是を思ふに、身一つにりかゝるき事の露しげき今日けふ此ごろ、瀧口三の袖を絞りかね、法體ほつたい今更いまさら遣瀬やるせなきぞいぢらしき。にや縁に從つて一念とみ事理じりを悟れども、曠劫くわうごふ習氣しふきは一朝一夕にきよむるに由なし。變相殊體へんさうしゆたいに身を苦しめて、有無流轉うむるてんくわんじても、猶ほ此世の悲哀にはなれ得ざるぞ是非もなき。
 徳を以て、はた人を以て、柱とも石とも頼まれし小松殿、世を去り給ひしより、誰れ言ひ合はさねども、心ある者の心にかゝるは、同じく平家の行末なり。四方よも波風なみかぜしづかにして、世はさかりとこそは見ゆれども、入道相國が多年の非道によりて、天下の望みすでに離れ、敗亡の機はや熟してぞ見えし。今にもひる小島こじまの頼朝にても、筑波つくばおろしに旗揚はたあげんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、いやしくも志を當代に得ず、怨みを平家へいけふくめる者、響の如く應じて關八州は日ならず平家のものに非ざらん。萬一斯かる事あらんには、大納言殿(宗盛)は兄の内府にも似ず、暗弱あんじやく性質うまれつきなれば、もとより物の用に立つべくもあらず。御子三位さんみの中將殿(維盛)は歌道かだうより外に何長なにちやうじたる事なき御身なれば、紫宸殿ししいでんの階下に源家げんけ嫡流ちやくりう相挑あひいどみし父のきやうの勇膽ありとしも覺えず。とうの中將殿(重衡)も管絃くわんげんしらべこそたくみなれ、千軍萬馬の間に立ちて采配さいはいとらんうつはに非ず。只※(二の字点、1-2-22)數多き公卿くげ殿上人てんじやうびとの中にて、知盛とももり教經のりつねの二人こそ天晴あつぱれ未來事みらいことある時の大將軍と覺ゆれども、これとても螺鈿らでん細太刀ほそだち風雅ふうがを誇る六波羅上下の武士を如何にするを得べき。中には越中次郎兵衞盛次ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぐ、上總五郎兵衞忠光、惡七兵衞景清あくしちびやうゑかげきよなんど、名だたる剛者がうのものなきにあらねど、言はば之れ匹夫ひつぷゆうにして、大勢たいせいに於てもとよりえきする所なし。思へば風前ふうぜんともしびに似たる平家の運命かな。一門上下しやうかはなひ、月にきやうじ、明日あすにもめなんず榮華の夢に、萬代よろづよかけて行末祝ふ、武運の程ぞ淺ましや。
 入道ならぬ元の瀧口は平家の武士。忍辱にんにくの衣も主家興亡の夢におそはれては、今にも掃魔さうま堅甲けんかふとなりかねまじき風情ふぜいなり。

第二十五


 其年も事なく暮れて、くれば治承四年、淨海じようかい暴虐ばうぎやくは猶ほまず、殿でんとは名のみ、蜘手くもで結びこめぬばかりの鳥羽殿とばでんには、去年こぞより法皇を押籠おしこめ奉るさへあるに、明君めいくんの聞え高き主上しゆじやうをば、何のつゝがもおさぬに、是非なくおろし參らせ、清盛の女が腹に生れし春宮とうぐう今年ことし僅に三歳なるに御位を讓らせ給ふ。あはれ聞きも及ばぬ奇怪の讓位かなとおもはぬ人ぞなかりける。一秋毎ひとあきごとに細りゆく民のかまどに立つ烟、それさへ恨みと共に高くはのぼらず。野邊のべ草木くさきにのみ春は歸れども、世はおしなべて秋の暮、枯枝かれえだのみぞ多かりける。元より民の疾苦しつくを顧みるの入道ならねば、野に立てる怨聲を何處いづこの風とも氣にかけず、或は嚴島行幸に一門の榮華を傾け盡し、或は新都の經營に近畿きんきの人心を騷がせて少しも意に介せず。世を恨み義に勇みし源三位げんざんみ、數もなき白旗殊勝しゆしようにも宇治川の朝風あさかぜに飜へせしが、もろくも破れて空しく一族の血汐ちしほ平等院びやうどうゐん夏草なつくさに染めたりしは、諸國源氏が旗揚はたあげの先陣ならんとは、平家の人々いかで知るべき。高倉たかくらみや宣旨せんじ木曾きそきたせきひがしに普ねく渡りて、源氏興復こうふくの氣運漸く迫れる頃、入道は上下萬民の望みにそむき、愈※(二の字点、1-2-22)都を攝津の福原にうつし、天下の亂れ、國土の騷ぎをつゆ顧みざるは、※(二の字点、1-2-22)そも/\之れ滅亡を速むるの天意か。平家の末はいよ/\遠からじと見えにけり。
 右兵衞佐うひやうゑのすけ(頼朝)が旗揚はたあげに、草木と共に靡きし關八州くわんはつしう、心ある者は今更とも思はぬに、大場おほばの三郎が早馬はやうまききて、夢かと驚きし平家の殿原とのばらこそ不覺ふかくなれ。討手うつての大將、三位中將維盛卿これもりきやう赤地あかぢの錦の直垂ひたゝれ萌黄匂もえぎにほひの鎧は天晴あつぱれ平門公子へいもんこうし容儀ようぎに風雅の銘を打つたれども、富士河の水鳥みづとりに立つ足もなき十萬騎は、關東武士の笑ひのみにあらず。前のを悟りて舊都に歸り、さては奈良炎上えんじやう無道むだう餘忿よふんらせども、源氏の勢は日に加はるばかり、覺束なき行末を夢に見て其年も打ち過ぎつ。治承五年の春を迎ふれば、世愈※(二の字点、1-2-22)亂れ、都に程なき信濃には、木曾の次郎が兵を起して、兵衞佐と相應あひおうじて其勢ひ破竹はちくの如し。傾危けいきの際、老いても一門の支柱しちゆうとなれる入道相國は折柄をりから怪しき病ひに死し、一門狼狽して爲す所を知らず。墨股すのまたの戰ひに少しく會稽の恥をすゝぎたれども、新中納言(知盛)軍機ぐんきしつして必勝の機をはづし、木曾のおさへと頼みしじやうの四郎が北陸ほくりくの勇をこぞりし四萬餘騎、餘五將軍よごしやうぐん遺武ゐぶを負ひながら、横田河原よこたがはらの一戰にもろくも敗れしに驚きて、今はとて平家最後の力を盡して北に打向ひし十五萬餘騎、一門の存亡をせし倶利加羅くりから篠原しのはらの二戰に、哀れや殘り少なに打ちなされ、背疵せきずかゝへて、すごすご都に歸り來りし、打漏うちもらされの見苦みぐるしさ。木曾は愈※(二の字点、1-2-22)勢ひに乘りて、明日あすにも都に押寄せんず風評ふうひやう、平家の人々は今は居ながらける心地もなく、りとて敵に向つて死する力もなし。木曾をだにさゝへ得ざるに、關東の頼朝來らば如何にすべき、或は都を枕にして討死すべしと言へば、或は西海さいかいに走つて再擧さいきよはかるべしと説き、一門の評議まち/\にして定まらず。前には邦家のきふに當りながら、うしろには人心の赴くところ一ならず、何れ變らぬ亡國の末路まつろなりけり。
 平和の時こそ、供花燒香に經を飜して、利益平等りやくびやうどうの世とも感ぜめ、祖先十代と己が半生の歴史とをきざみたる主家しゆかの運命なるを見ては、眼を過ぐる雲煙うんえんとは瀧口いかで看過するを得ん。人の噂に味方みかた敗北はいぼくを聞くごとに、無念むねんさ、もどかしさに耐へ得ず、雙の腕をやくして法體ほつたいの今更變へ難きを恨むのみ。
 或日瀧口、閼伽あかみづまんとて、まだけやらぬ空に往生院を出でて、近き泉の方に行きしに、みやこ六波羅わたりと覺しき方に、一道の火焔くわえんてんこがして立上たちのぼれり。そよとだに風なき夏の曉に、遠く望めば只※(二の字点、1-2-22)朝紅あさやけとも見ゆべかんめり。かぜしづかなるに、六波羅わたり斯かる大火を見るこそいぶかしけれ。いづれ唯事たゞごとならじと思へば何となく心元こゝろもとなく、水汲みていそぎ坊に歸り、一杖一鉢、常の如く都をさして出で行きぬ。

第二十六


 瀧口入道、都に來て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、池殿いけどの、西八條のあたりより京白川きやうしらかは四五萬の在家ざいけまさに煙の中にあり。洛中らくちゆうの民はさながらきやうせるが如く、老を負ひ幼を扶けて火を避くる者、僅の家財を携へて逃ぐる者、或は雜沓ざつたふの中にきずつきて助けを求むる者、或は連れ立ちし人に離れて路頭ろとうに迷へる者、何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、修羅しゆらちまたもかくやと思はれたり。只※(二の字点、1-2-22)見る幾隊の六波羅武者、蹄の音高く馳せ來りて、人波ひとなみてる狹き道をば、容赦ようしやもなく蹴散けちらし、指して行衞は北鳥羽の方、いづこと問へど人は知らず、平家一門の邸宅ていたく、武士の宿所しゆくしよ、殘りなく火中にあれども消し止めんとする人の影見えず。そも何事の起れるや、問ふ人のみ多くして、答ふる者はなし。全都ぜんとの民は夢に夢見る心地して、只※(二の字点、1-2-22)心安からずおそまどへるのみ。
 瀧口、事の由を聞かん由もなく、とゞろく胸をおさへつゝ、朱雀すざくかたに來れば、向ひよりかたちみだせる二三人の女房の大路おほぢを北に急ぎ行くに、瀧口呼留めて事の由を尋ぬれば、一人の女房立留りて悲しげに、『未だ聞かれずや、大臣殿(宗盛)の思召おぼしめしにて、主上しゆじやうを始め一門殘らず西國さいごくに落ちさせ給ふぞや、もしゆかりの人ならば跡より追ひつかれよ』。言捨いひすてて忙しげに走り行く。瀧口、あツとばかりに呆れて、さそくの考も出でず、鬼の如き兩眼より涙をはら/\と流し、恨めしげに伏見ふしみの方を打ち見やれば、明けゆく空に雲行くもゆきのみ早し。
 榮華の夢早やめて、沒落の悲しみまさに來りぬ。盛衰興亡はのがれぬ世の習なれば、平家に於て獨り歎くべきに非ず。只※(二の字点、1-2-22)まだ見ぬ敵におそれをなして、輕々かろ/″\しく帝都を離れ給へる大臣殿おとゞどのの思召こそ心得ね。ても角ても叶はぬ命ならば、御所のいしずゑまくらにして、魚山ぎよさん夜嵐よあらしかばねを吹かせてこそ、りてもかんばしき天晴あつぱれ名門めいもん末路まつろなれ。三代のあだを重ねたる關東武士くわんとうぶしが野馬のひづめ祖先そせん墳墓ふんぼ蹴散けちらさせて、一門おめ/\西海さいかいはてに迷ひ行く。とても流さん末の慫名うきなはいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。
 瀧口はしばし無念の涙を絞りしが、せめて燒跡やけあとなりとも弔はんと、西八條の方に辿り行けば、夜半よはにや立ちし、早や落人おちうどの影だに見えず、昨日きのふまでも美麗に建てつらねし大門だいもん高臺かうだい、一夜の煙と立ちのぼりて、燒野原やけのはら、茫々として立木たちきに迷ふ鳥の聲のみ悲し。燒け殘りたる築垣ついがきの蔭より、屋方やかたの跡をながむれば、朱塗しゆぬり中門ちゆうもんのみ半殘なかばのこりて、かどもる人もなし。嗚呼あゝ被官ひくわん郎黨らうたう日頃ひごろちように誇り恩をほしいまゝにせる者、そも幾百千人の多きぞや。思はざりき、主家しゆかたふ城地じやうちほろびて、而かも一騎のかばねを其の燒跡やけあとに留むるものなからんとは。げにや榮華は夢かまぼろしか、高厦かうか十年にして立てども一朝の煙にだも堪へず、朝夕玉趾ぎよくし珠冠しゆくわん容儀ようぎたゞし、參仕さんし拜趨はいすうの人にかしづかれし人、今は長汀ちやうていの波にたゞよひ、旅泊りよはくの月に※※さすら[#「足へん+令」、U+8DC9、83-9][#「足へん+并」、U+8DF0、83-9]ひて、思寢おもひねに見ん夢ならではかへり難き昔、慕うて益なし。有爲轉變うゐてんぺんの世の中に、只※(二の字点、1-2-22)最後のいさぎよきこそ肝要なるに、天にそむき人に離れ、いづれのがれぬをはりをば、何處いづこまでしまるゝ一門の人々ぞ。彼を思ひ是を思ひ、瀧口は燒跡にたゝずみて、暫時しばし感慨の涙に暮れ居たり。
 ※(二の字点、1-2-22)やゝありて太息といきと共に立上たちあがり、昔ありし我が屋數やしきを打見やれば、其邊は一面の灰燼となりて、何處をそれとも見別みわけ難し。さても我父は如何にしませしか、一門の人々と共に落人おちうどにならせ給ひしか。御老年の此期このごに及びて、斯かる大變を見せ參らするこそうたてき限りなれ。瀧口いまは、誰れ知れる人もなき跡ながら、昔の盛り忍ばれて、盡きぬ名殘なごり幾度いくたび※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)ふりかへりつ、持ちし錫杖しやくぢやうおもげに打ち鳴らして、何思ひけん、小松殿の墓所ぼしよして立去りし頃は、夜明よあけ、日も少しくのぼりて、燒野に引ける垣越かきごしの松影長し。

第二十七


 世のはて何處いづことも知らざれば、き人のしるしにも萬代よろづよかけし小松殿内府の墳墓ふんぼ、見上ぐるばかりの石の面に彫り刻みたる淨蓮大禪門の五字、金泥きんでいいろあらひし如く猶ほあざやかなり。外には沒落の嵐吹きさみて、散り行く人の忙しきに、一境げきとして聲なき墓門の靜けさ、鏘々として響くは松韵、戞々かつ/\として鳴るは聯珠、世の哀れに感じてや、鳥の歌さへいと低し。
 墓の前なる石階の下にひざまづきて默然として祈念せる瀧口入道、やがて頭を擧げ、泣く/\御墓に向ひて言ひけるは、『あゝ淺ましき御一門の成れのはて草葉くさばの蔭に加何に御覽ぜられ候やらん。御墓の石にまだす苔とてもなき今の日に、早や退沒の悲しみに遇はんとは申すも中々に愚なり。御靈前に香華かうげ手向たむくるもの明日よりは有りや無しや。北國ほつこく關東くわんとう夷共えびすどもの、君が安眠のにはを駭かせ參らせん事、思へば心外の限りにこそ候へ。君は元來英明にましませば、事今日あらんこと、かねてより悟らせ給ひ、神佛三寶に祈誓して御世みよを早うさせ給ひけるこそ、と有り難けれ。夢にも斯くと知りなば不肖時頼、直ちに後世ごせ御供おんともつかまつるべう候ひしに、性頑冥にして悟り得ず、望みなき世に長生ながらへて斯かる無念をまのあたり見る事のかへすがへすも口惜しう候ふぞや、時頼進んでは君が鴻恩の萬一に答ふる能はず、退いては亡國の餘類となれる身の、今更きみに合はす面目も候はず。あはれ匹夫の身は物の數ならず、願ふは尊靈の冥護を以て、世を昔に引き返し、御一門を再び都にれさせ給へ』。
 きくる涙にむせびながら、掻き口説くどことも定かならず、亂れし心を押し鎭めつ、眼を閉ぢかうべを俯して石階の上に打伏うちふせば、あやにくや、沒落の今の哀れに引きくらべて、盛りなりし昔の事、雲の如く胸に湧き、祈念の珠數にはふり落つる懷舊の涙のみしげし。あゝとばかり我れ知らず身を振はして立上たちあがり、よろめく體を踏みしむる右手の支柱、曉の露まだ冷やかなる内府の御墳みはか、哀れ榮華十年の遺物かたみなりけり。

            *        *
       *        *

 盛りの花と人に惜しまれ、世に歌はれて、春の眞中に散りにし人の羨まるゝ哉。陽炎かげろふの影より淡き身をなまじき殘りて、木枯嵐こがらしの風の宿となり果てては、我が爲に哀れを慰むる鳥もなし、家仆れ國滅びて六尺の身おくに處なく、天低く地薄くして昔をかへす夢もなし。――吁々思ふまじ、我ながら不覺なりき、修行の肩に歌袋かけて、天地を一爐と觀ぜし昔人も有りしに、三衣を纏ひ一鉢を捧ぐる身の、世の盛衰に離れ得ず、生死流轉の間に彷徨さまよへるこそ口惜しき至りなれ。世を捨てし昔の心を思ひ出せば、良しや天落ち地裂くるとも、今更驚く謂れやある。常なしと見つる此世に悲しむべき秋もなく、喜ぶべき春もなく、青山白雲とこしなへに青く長へに白し。あはれ、本覺大悟の智慧の火よ、我が胸に尚ほ蛇の如く※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)まつはれる一切煩惱を渣滓さしも殘らず燒き盡せよかし。
 斯くて瀧口、主家の大變に動きそめたる心根を、からくも抑へて、常の如く嵯峨の奧に朝夕のぎやうを懈らざりしが、都近く住みて、變り果てし世の樣を見る事を忍び得ざりけん、其年七月の末、久しく住みなれし往生院を跡にして、飄然と何處ともなく出で行きぬ。

第二十八


 昨日は東關の下にくつわならべし十萬騎、今日は西海の波に漂ふ三千餘人。強きに附く人の情なれば、世に落人の宿る蔭はなく、太宰府だざいふの一夜の夢に昔を忍ぶ遑もあらで、緒方をがたに追はれ、松浦に逼られ、九國の山野廣けれども、立ちまるべき足場もなし。去年こぞ九重こゝのへの雲に見し秋の月を、八重やへ汐路しほぢ打眺うちながめつ、覺束なくも明かし暮らせし壽永二年。水島みづしま室山むろやまの二戰に勝利を得しより、勢ひ漸く強く、頼朝、義仲の爭ひのひまに山陰、山陽を切り從へ、福原の舊都まで攻上せめのぼりしが、一の谷の一戰に源九郎が爲に脆くも打破られ、須磨の浦曲うらわの潮風に、散り行く櫻の哀れを留めて、落ち行く先は、門司もじ赤間あかまの元の海、六十餘州の半を領せし平家の一門、船をつなぐべきなぎさだになく、波のまに/\行衞も知らぬ梶枕かぢまくら高麗かうらい契丹きつたんの雲のはてまでもとは思へども、流石さすが忍ばれず。今は屋島やしまの浦にいかりを留めて、ひたすら最後の日を待てるぞ哀れなる。

            *        *
       *        *

 壽永三年三月の末、夕暮ゆふぐれちかき頃、紀州きしゆう高野山をのぼり行く二人の旅人たびびとありけり。浮世を忍ぶ旅路たびぢなればにや、一人は深編笠ふかあみがさおもてを隱して、顏容かほかたちるに由なけれども、其の裝束は世の常ならず、古錦襴こきんらん下衣したぎに、紅梅萌黄こうばいもえぎ浮文うきあや張裏はりうらしたる狩衣かりぎぬを着け、紫裾濃むらさきすそごの袴腰、横幅廣く結ひ下げて、平塵ひらぢりの細鞘、しとやかに下げ、摺皮すりかは踏皮たびに同じ色の行纏むかばき穿ちしは、何れ由緒ゆゐしよある人の公達きんだちと思はれたり。他の一人は年の頃廿六七、前なる人の從者ずさと覺しく、日に燒け色黒みたれども、眉秀いで眼涼しき優男やさをとこ、少し色剥げたる厚塗の立烏帽子に卯の花色の布衣を着け、黒塗の野太刀を佩きたり。放慣れぬにや、はた永の徒歩かちに疲れしにや、二人とも弱り果てし如く、踏み締むる足に力なく青竹あをだけの杖に身を持たせて、主從相扶け、あへぎ/\のぼり行く高野かうやの山路、早や夕陽も名殘を山の巓に留めて、そばの陰、森の下、恐ろしき迄に黒みたり。祕密の山に常夜のともしびなければ、あなたの木の根、こなたの岩角いはかどに膝を打ち足をくじきて、仆れんとする身をやうやさゝへ、主從手に手を取り合ひて、顏見合す毎に彌増いやまさる太息の數、春の山風身に染みて、入相いりあひの鐘の梵缶ぼんふうの響きかすかなるも哀れなり。
 十歩に小休、百歩に大憩、からうじて猶ほ上り行けば、讀經の聲、振鈴の響、漸く繁くなりて、老松古杉の木立こだちを漏れてほのかに見ゆる諸坊のともしび、早や行先も遠からじと勇み勵みて行く程に、もなく蓮生門を過ぎて主從御影堂みえいだう此方こなたに立止まりぬ。從者ずさは近きあたりの院に立寄りて何事か物問ふ樣子なりしが、やがて元の所に立歸り、何やら主人に耳語さゝやけば、點頭うなづきて尚も山深く上り行きぬ。
 飛鈷ひこ地に落ちて嶮にひし古松の蔭、なかば立木を其儘に結びたる一個の庵室、夜ごとの嵐に破れ寂びたる板間いたまより、漏る燈の影暗く、香烟窓を迷ひ出で、心細き鈴の音、春ながら物さびたり。二人は此の庵室の前に立ち止まりしが、從者ずさはやがて門に立ちよりて、『瀧口入道殿の庵室は茲に非ずや。遙々はる/″\たづね來りし主從二人、こゝ開け給へ』と呼ばはれば、内よりともしびげて出來いできたりたる一個の僧、『瀧口が庵は此處ながら、浮世の人にはる/″\訪はるゝ覺えはなきに』と言ひつゝ訝しげなる顏色して門を開けば、編笠あみがさぎつゝ、ツと通る件の旅人、僧は一目見るより打驚き、しきいしにひたと頭を附けて、『これは/\』。

第二十九


 世移り人失ひとうせぬれば、都は今は故郷ふるさとならず、滿目奮山川、ながむる我も元の身なれども、變り果てし盛衰に、憂き事のみぞ多かる世は、嵯峨の里も樂しからず、高野山に上りて早や三年みとせ、山遠く谷深ければ、入りにし跡をふ人とてあらざれば、松風ならで世に友もなき庵室に、夜に入りておとづれし其人を誰れと思ひきや、小松の三位中將維盛卿にて、それに從へるは足助二郎重景ならんとは。夢かとばかり驚きながら、たすけ參らせて一間ひとませうじ、身ははるかに席を隔てて拜伏はいふくしぬ。思ひ懸けぬ對面に左右とかうの言葉もなく、さきだつものは涙なり。瀧口つらつら御容姿おんありさまを見上ぐれば、沒落以來、いくその艱苦を忍び給ひけん、御顏痩せ衰へ、青總の髮あらゝかに、紅玉のはだへ色消え、平門第一の美男と唱はれし昔の樣子、いづこにと疑はるゝばかり、年にもあらで老い給ひし御面に、内府の俤あるも哀れなり。『こはうつゝとも覺え候はぬものかな。扨も屋島をば何としてのがれ出でさせ給ひけん。當今あめが下は源氏のせいちぬるに、そも何地いづちを指しての御旅路おんたびぢにて候やらん』。維盛卿は涙を拭ひ、『さればとよ、一門沒落の時は我も人竝ひとなみに都を立ち出でて西國にくだりしが、行くも歸るも水の上、風に漂ふ波枕なみまくら此三年このみとせの春秋は安き夢とてはなかりしぞや。或はよるべなき門司の沖に、磯の千鳥とともに泣き明かし、或は須磨を追はれて明石の浦に昔人むかしびとの風雅を羨み、重ね重ねし憂事うきことかずへ忍ぶ身にも忍び難きは、都に殘せし妻子が事、波の上に起居する身のせんすべなければ、此の年月は心にもなき疎遠に打過ぎつ。嘸や我を恨み居らんと思へば彌増いやまなつかしさ。ても亡びんうたかたの身にしあれば、息ある内に、最愛いとしき者を見もし見られもせんとからくも思ひさだめ、重景一人ともなひ、夜にまぎれて屋島をのがれ、數々のき目を見て、阿波の結城の浦より名も恐ろしき鳴門なるとの沖を漕ぎ過ぎて、やうやく此地までは來つるぞや。憐れと思へ瀧口』。打ちしをれし御有樣、重景も瀧口も只※(二の字点、1-2-22)袂を絞るばかりなり。瀧口、『いうに哀れなる御述懷、覺えず法衣をうるほし申しぬ。るにても如何なれば都へは行き給はで、此山には上り給ひし』。維盛卿は太息き給ひ、『ればなり、都に直に歸りたき心は山山なれども、※(二の字点、1-2-22)つら/\思へば、斯かるていにて關東武士の充てる都の中に入らんは、捕はれに行くも同じこと、先には本三位の卿(重衡)の一の谷にて擒となり、生恥いきはぢを京鎌倉にさらせしさへあるに、我れ平家の嫡流として名もなき武士の手にかゝらん事、如何にも口惜しく、妻子の愛は燃ゆるばかりにせつなれども、心に心を爭ひて辛く此山に上りしなり。高野に汝あること風の便たよりに聞きしゆゑ、汝を頼みて戒を受け、さまを變へ、其上にて心安く都にも入り、妻子にも遇はばやとこそ思ふなれ』。
 瀧口はかうべゆかに附けしまゝ、暫しなみだむせび居たりしが、『都は君が三代の故郷なるに、樣を變へでは御名も唱へられぬ世の變遷こそ是非なけれ。思へば内府の思顧の侍、其數を知らざる内に、世を捨てし瀧口の此期このごに及びて君の御役に立たん事、生前しやうぜん面目めんぼく此上このうへや候べき。故内府の鴻恩にくらべては高野の山も高からず、熊野の海も深からず、いづれ世に用なき此身なれば、よしや一命を召され候とも苦しからず。あゝ斯かる身は枯れても折れても野末のづゑ朽木くちきもとより物の數ならず。只※(二の字点、1-2-22)金枝玉葉きんしぎよくえふの御身として、定めなき世の波風なみかぜたゞよひ給ふこと、御痛はしう存じ候』。言ひつゝ涙をはら/\と流せば、維盛卿も、重景も、昔の身の上思ひ出でて、泣くより外に言葉もなし。

第三十


 二人の賓客を次の室にやすませて、瀧口は孤燈のもとに只※(二の字点、1-2-22)一人もやらず、つら/\※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)おもひめぐらせば、痛はしきは維盛卿が身の上なり。誰れあらん小松殿の嫡男として、名門の跡を繼ぐべき御身なるに、天が下に此山ならで身を寄せ給ふ處なきまでに零落おちぶれさせ給ひしは、過世すぐせ如何なる因縁あればにや。習ひもおさぬ徒歩かちの旅に、知らぬ山川をる/″\彷徨さまよひ給ふさへあるに、玉のふすま、錦のとこひまもる風も厭はれし昔にひき換へて、露にも堪へぬかゝる破屋あばらやに一夜の宿を願ひ給ふ御可憐いとしさよ。變りし世は隨意まゝならで、せる都には得も行き給はず、心にもあらぬ落髮をげてだに、相見んとこがれ給ふ妻子の恩愛は如何に深かるべきぞ。御容おんかたちさへやつれさせ給ひて、此年月の忍び給ひし憂事うきことも思ひやらる。思ひ出せば治承の春、西八條の花見の宴に、櫻かざして青海波を舞ひ給ひし御姿、今尚ほきのふの如く覺ゆるに、わきを勤めし重景さへ同じ落人おちうどとなりて、都ならぬ高野の夜嵐に、昔の哀れを物語らんとは、怪しきまでしき縁なれ。あはれ、肩に懸けられし恩賜の御衣に一門の譽を擔ひ、み居る人よりは深山木みやまぎの楊梅とたゝへられ、枯野の小松と歌はれし其時は、人も我も誰れかは今日けふあるを想ふべき。昔は夢か今はうつゝか。十年にも足らぬ間に變り果てたる世の樣を見るもの哉。
 はてしなき今昔こんじやくの感慨に、瀧口は柱にりしまゝしばし茫然たりしが、不圖ふといなづまの如く胸に感じて、想ひ起したる小松殿の言葉に、ひそみし眉動き、沈みたる眼閃ひらめき、くづせし膝立て直しきつころもの襟を掻合かきあはせぬ。思へば思へば、情なき人を恨み侘びて樣を變へんと思ひさだめつゝ、餘所よそながら此世の告別に伺候せし時、世を捨つる我とも知り給はで、頼み置かれし維盛卿の御事、盛りと見えし世に衰へん世の末の事、愚なる我の思ひはからん由もなければ少しも心に懸けざりしが、扨は斯からん後の今の事を仰せ置かれしよ。『少將は心弱き者、一朝事あらん時、妻子の愛にかされて未練の最後に一門の恥をさらさんもはかられず、時頼、たのむは其方一人』。幾度となく繰返されし御仰おんおほせ、六波羅上下の武士より、我れ一人を擇ばれし御心の、我は只※(二の字点、1-2-22)忝なさに前後をもわきまへざりしが、今の維盛卿の有樣、正に御遺言に適中せり。都を跡に西國へ落ち給ひしさへ口惜くちをしきに、屋島の浦に明日あすにも亡びん一門の人々を振り捨てて、武士は櫻木、散りての後の名をも惜しみ給はで、妻子の愛にめゝしくも茲まで迷ひ來られし御心根おんこゝろね、哀れは深からぬにはあらねども、平家の嫡流として未練のそしりは末代まつだいまでものがれ給はじ。斯くならん末を思ひはからせ給ひたればこそ、故内府殿の扨こそ我に仰せ置かれしなれ。此處こゝぞ御恩の報じ處、なさけを殺し心を鬼にして、つれなき諫言を進むるも、御身の爲め御家の爲め、さては過ぎ去り給ひし父君の御爲ぞや。世に埋木うもれぎの花咲く事もなかりし我れ、はからずも御恩の萬一を報ゆるの機會に遇ひしこそ、息ある内の面目なれ。あゝなり、なりと點頭うなづきしが、然るにても痛はしきは維盛卿、斯かる由ありとも知り給はで、情なの者よ、變りし世に心までがと、一に我を恨み給はん事の心苦こゝろぐるしさよ。あゝ忠義の爲めとは言ひながら、君を恨ませ、はづかしめて、たり顏なる我はそも何の因果ぞや。
 義理と情の二岐ふたみちかけて、瀧口が心はとつおいつ、外には見えぬ胸の嵐に亂脈打ちて、暫時しばし思案に暮れ居しが、やゝありて、兩眼よりはら/\と落涙し、思はず口走くちばしる絞るが如き一語『オ御許おゆるしあれや、君』。言ひつゝ眼を閉ぢ、維盛卿の御寢間おんねまに向ひ岸破がばと打伏しぬ。
 折柄をりからすぎ妻戸つまどを徐ろに押しくる音す、瀧口かうべを擧げ、ともしびし向けて何者と打見やれば、足助二郎重景なり。はしなくは進まず、かうべを垂れてしをれ出でたる有樣は仔細ありげなり。瀧口訝しげに、『足助殿には未だ御寢ならざるや』と問へば、重景太息吐き、『瀧口殿』、聲を忍ばせて、『重景改めて御邊に謝罪せねばならぬ事あり』。『何と仰せある』。

第三十一


 何事と眉をひそむる瀧口を、重景はおそろしげに打ちみまも[#「目+帝」、96-6]り、『重景、今更いまさら御邊ごへん面合おもてあはする面目もなけれども、我身にして我身にあらぬ今の我れ、のがれんに道もなく、厚かましくも先程よりのていたらく、御邊ごへんの目には嘸や厚顏とも鐵面とも見えつらん。維盛卿の前なれば心をあかさん折もなく、しばしのあひだながら御邊の顏見る毎に胸を裂かるゝ思ひありし、そは他事にもあらず、横笛が事』。言ひつゝ瀧口が顏、ぬすむが如く見上ぐれば、默然として眼を閉ぢしまゝ、衣の袖のゆるぎも見せず。『世を捨てし御邊が清き心には、今は昔の恨みとて殘らざるべけれ共、凡夫ぼんぷの悲しさは、一度をかせる惡事は善きにつけ惡しきにつけ、影の如く附きまとひて、此の年月の心苦しさ、自業自得なれば誰れに向ひて憂を分たん術もなく、なせし罪に比べて只※(二の字点、1-2-22)我が苦しみの輕きを恨むのみ。のう、瀧口殿、最早もはや世に浮ぶ瀬もなき此身、今更しむべき譽もなければ、誰れに恥づべき名もあらず、重景が一懺悔ざんげ聞き給へ。御邊ごへん可惜あたら武士を捨てて世をのがれ給ひしも、扨は横笛が深草の里に果敢はかなき終りをげたりしも、起りを糾せばみな此の重景が所業にて候ぞや』。瀧口は猶ほも默然として、聞いて驚く樣も見えず。重景は語を續けて、『事の始めはくだくだしければ言はず、何れ若氣わかげの春の駒、止めても止まらぬ戀路をば行衞も知らず踏み迷うて、やつ憂身うきみも誰れ故とこそ思ひけめ。我が心の萬一もみとらで、何處どこまでもつれなき横笛、冷泉と云へる知れる老女を懸橋に樣子を探れば、御身も疾ぐより心を寄する由。扨は横笛、我に難面つれなきも御邊に義理を立つる爲と、心にねたましく思ひ、彼の老女を傳手つてに御邊が事、色々惡樣に言ひなせし事、いかに戀路に迷ひし人の常とは言へ、今更我れながら心の程の怪しまるゝばかり。又夫れのみならず、御邊ごへんに横笛が事を思ひ切らせん爲め、潛かに御邊が父左衞門殿に、親實しんじつうはべに言ひ入れしこともあり、皆之れ重景ならぬ女色に心を奪はれし戀のやつこの爲せしわざ、云ふも中々慚愧の至りにこそ。御邊が世を捨てしと聞きて、あゝ許し給へ、六波羅の人々知るも知らぬも哀れと思はざるはなかりしに、同じ小松殿の御内みうちに朝夕顏を見合せし朋輩の我、却て心の底に喜びしも戀てふ惡魔のなせるわざ。あはれ時こそ來りたれ、外に戀を爭ふ人なければ、横笛こそは我れに靡かめと、夜となく晝とも言はず掻口説かきくどきしに、思ひ懸けなや、横笛も亦程なく行衞しれずなりぬ。跡にて人の噂に聞けば、世を捨つるまで己れを慕ひし御邊の誠に感じ、其身も深草の邊に庵を結びて御邊が爲に節を守りしが、乙女心のうきに耐へ得で、秋をも待たず果敢はかなくなりしとかや。思ひし人は世を去りて、殘る哀れは我れにのみ集まり、迷の夢醒めて、初めてさとる我身の罪、あゝ我れなかりせば、御邊も可惜あたら武士を捨てじ、横笛も亦世を早うせじ、とても叶はぬ戀とは知らで、道ならぬ手段てだてを用ひても望みを貫かんと務めし愚さよ。唯※(二の字点、1-2-22)我れありし爲め浮世の義理に明けては言はぬ互の心、底の流れの通ふに由なく、御邊と言ひ、横笛と言ひ、皆盛年の身を以て、或は墨染の衣に世を遁れ、或は咲きもせぬ蕾のまゝに散り果てぬ、世の恨事何物も之に過ぐべうも覺えず。今宵こよひはしなく御邊に遇ひ、ありしにも似ぬ體を見るにつけ、皆是れ重景がせる業と思へば、いぶせき庵に多年の行業にも若し知り給はば、嘸や我を恨み給ひけん。――此期に及び多くは言はじ、只※(二の字点、1-2-22)御邊がゆるしを願ふのみ』。慚愧と悲哀に情迫り聲さへうるみて、ひたひの汗を拭ひ敢へず。
 重景が事、斯くあらんとはかねてより※(二の字点、1-2-22)ほぼ察し知りし瀧口なれば、さして騷がず、只※(二の字点、1-2-22)横笛がことはしなく胸に浮びては、流石さすがに色に忍びかねて、法衣の濡るゝを覺えず。打蕭うちしをれたる重景が樣を見れば、今更憎む心も出でず、世にときめきし昔に思ひ比べて、哀れは一入ひとしほ深し。『若き時の過失あやまち人毎ひとごとまねかれず、懺悔ざんげめきたる述懷は瀧口かへつて迷惑に存じ候ぞや。戀にはもろき我れ人の心、など御邊一人の罪にてあるべき。言うて還らぬ事は言はざらんにはかず、何事も過ぎし昔は恨みもなく喜びもなし。世に望みなき瀧口、今更何隔意なにきやくいの候べき、只※(二の字点、1-2-22)世にある御邊の行末永き忠勤こそ願はしけれ』。淡きこと水の如きは大人の心か、昔の仇を夢と見て、今のうつゝに報いんともせず、恨みず、亂れず、光風霽月の雅量は、流石は世を觀じたる瀧口入道なり。

第三十二


 早ほの/″\と明けなんず春のあかつき、峰の嶺、空の雲ならで、まだ照り染めぬ旭影。霞にとざせる八つの谷間による尚ほ彷徨さまよひて、梢を鳴らす清嵐に鳥の聲尚ほ眠れるが如し。遠近をちこちの僧院庵室に漸く聞ゆる經の聲、鈴の響、浮世離れし物音に曉の靜けさ一入ひとしほ深し。まことや帝城を離れて二百里、郷里を去りて無人生むにんしやう、同じ土ながら、さながら世を隔てたる高野山、眞言祕密の靈跡に感應の心も※(二の字点、1-2-22)うたゝ澄みぬべし。
 竹苑椒房の音に變り、やぶくづれたる僧庵に如何なる夜をや過し給へる、露深き枕邊に夕の夢を殘し置きて起出で給へる維盛卿。重景も共に立ち出でて、主や何處と打見やれば、此方の一間に瀧口入道、終夜よもすがら思ひ煩ひて顏の色たゞならず、肅然として佛壇に向ひ、眼を閉ぢて祈念の體、心細くも立ち上る一縷の香煙に身を包ませて、爪繰つまぐる珠數の音えたり。佛壇の正面には内府の靈位を安置しあるに、維盛卿も重景も、是れはとばかりに拜伏し、共に祈念をらしける。
 軈て看經かんきん終りて後、維盛卿は瀧口に向ひ、『扨も殊勝の事を見るものよ、今廣き日の本に、淨蓮大禪門の御靈位を設けて、朝夕の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)ゑかうをなさんもの、瀧口、そちならで外に其人ありとも覺えざるぞ。思へば先君の被官内人、幾百人と其の數を知らざりしが、世の盛衰にれて、多くは身を浮草の西東、もとの主人に弓引くものさへある中に、世を捨ててさへ昔を忘れぬ爾が殊勝さよ。其れには反して、世に落人の見る影もなき今の我身、草葉の蔭より先君の嘸かし腑甲斐なき者と思ひ給はん。世に望みなき維盛が心にかゝるは此事一つ』。言ひつゝ涙を拭ひ給ふ。
 瀧口は默然として居たりしが、暫くありてきつおもてを擧げ、襟を正して維盛が前に恭しく兩手を突き、『ほど先君の事御心おんこゝろに懸けさせ給ふ程ならば、何とて斯かる落人にはならせ給ひしぞ』。意外の一言に維盛卿は膝押進めて、『ナ何と言ふ』。『御驚きはることながら、御身の爲め、又御一門の爲め、御恨みの程を身一つに忍びて瀧口が申上ぐる事、一通り御聞きあれ。そも君は正しく平家の嫡流にておさずや。今や御一門の方々かた/″\屋島の浦に在りて、生死を一にし、存亡を共にして、囘復の事叶はぬまでも、押寄する源氏に最後の一矢を酬いんと日夜肝膽を碎かるゝ事申すも中々の事に候へ。そも壽永の初め、す敵の旗影はたかげも見で都を落ちさせ給ひしさへ平家末代の恥辱なるに、せめて此上は、一門の將士、御座船ござぶね枕にして屍を西海の波に浮べてこそ、天晴あつぱれ名門めいもんの最後、潔しとこそ申すべけれ。然るを君には宗族故舊を波濤の上に振捨てて、妻子の情に迷はせられ、斯く見苦しき落人に成らせ給ひしぞ心外千萬なる。明日にも屋島沒落の曉に、御一門殘らず雄々しき最後をげ給ひけん時、君一人は如何にならせ給ふ御心に候や。若し又關東の手に捕はれ給ふ事のあらんには、君こそは妻子の愛に一門の義を捨てて、死すべき命を卑怯にも遁れ給ひしと世の口々に嘲られて、京鎌倉に立つ浮名をば君には風やいづこと聞き給はんずる御心に候や。申すも恐れある事ながら、御父重盛卿は智仁勇の三徳をそなへられし古今の明器めいき。敵も味方も共に景慕する所なるに、君には其の正嫡と生れ給ひて、先君の譽をきずつけん事、口惜くちをしくはおぼさずや。本三位の卿の擒となりて京鎌倉に恥をさらせしこと、君には口惜しう見え給ふほどならば、何とて無官の大夫が健氣けなげなる討死うちじにを譽とは思ひ給はぬ。あはれ君、先君の御事、一門の恥辱となる由を思ひ給はば、願くは一刻も早く屋島に歸り給へ、瀧口、君を宿し參らする庵も候はず。あゝ斯くつれなく待遇もてなし參らするも、故内府が御恩の萬分の一に答へん瀧口が微哀、詮ずる處、君の御爲を思へばなり。御恨みのほどもさこそと思ひらるれども、今は言ひ解かんすべもなし。何事も申さず、只※(二の字点、1-2-22)屋島に歸らせ給ひ、御一門と生死を共にし給へ』。
 忌まず、憚らず、涙ながらに諫むる瀧口入道。維盛卿は至極の道理に面目なげに差しうつぶき、狩衣の御袖を絞りかねしが、言葉もなく、ツと次の室に立入り給ふ。跡見送りて瀧口は、其儘岸破がばと伏して男泣きに泣き沈みぬ。

第三十三


 よもすがら恩義と情の岐巷ちまたに立ちて、何れをそれとさだかねし瀧口が思ひ極めたる直諫に、さすがに御身の上を恥らひ給ひてや、言葉もなく一間ひとまに入りし維盛卿、吁々思へば君が馬前の水つぎ孰りて、大儀ぞの一聲を此上なき譽と人も思ひ我れも誇りし日もありしに、如何に末の世とは言ひながら、露忍ぶ木蔭こかげもなく彷徨さまよひ給へる今の痛はしきに、こゝろよき一夜の宿も得せず、のあたり主をはぢしめて、忠義顏なる我はそも如何なる因果ぞや。末望みなき落人おちうどゆゑの此つれなさと我を恨み給はんことのうたてさよ。あはれ故内府在天の靈も照覽あれ、血を吐くばかりの瀧口が胸の思ひ、聊か二十餘年の御恩に酬ゆるの寸志にて候ぞや。
 松杉暗き山中なれば、傾き易き夕日の影、はや今日の春も暮れなんず。姿ばかりは墨染にして、君が行末をけはしき山路に思ひくらべつ、溪間たにまの泉を閼伽桶あかをけに汲取りて立ち歸る瀧口入道、庵の中を見れば、維盛卿も重景も、何處に行きしか、影もなし。扨は我が諫めをれ給ひて屋島やしまに歸られしか、然るにても一言の我に御告知しらせなき訝しさよ。四邊あたり※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)みまはせば不圖ふと眼にとまる經机きやうづくゑの上にある薄色の折紙、取り上げ見れば維盛卿の筆と覺しく、水莖みづぐきの跡あざやかに走り書せる二首の和歌、
かへるべき梢はあれどいかにせん
    風をいのちの身にしあなれば
濱千鳥入りにし跡をしらせねば
    潮のひる間に尋ねてもみよ
 哀れ、御身を落葉とくわんじ給ひて元の枝をば屋島とは見給ひけん、入りにし跡を何處とも知らせぬ濱千鳥、潮干しほひの磯に何を尋ねよとや。――扨はとばかり瀧口は、折紙のおもて凝視みつめつゝ暫時しばし茫然として居たりしが、何思ひけん、あらかじめ祕藏せし昔の名殘なごり小鍛冶こかぢの鞘卷、狼狽あわたゞしく取出してころもの袖に隱し持ち、麓の方に急ぎける。
 路傍の家に維盛卿が事それとなしに尋ぬれば、狩衣かりぎぬさむらひ二人ふたりふもとの方に下りしは早や程過ぎし前の事なりと答ふるに、愈※(二の字点、1-2-22)足を早め、走るが如く山を下りて、路すがら人に問へば、尋ぬる人は和歌の浦さして急ぎ行きしと言ふ。瀧口胸愈※(二の字点、1-2-22)轟き、氣もなかば亂れて飛ぶが如く濱邊はまべをさして走り行く。雲に聳ゆる高野の山よりは、眼下に瞰下みおろす和歌の浦も、歩めば遠き十里の郷路、元より一こく※(「日+向」、第3水準1-85-25)はんときの途ならず。日は既に暮れ果てて、朧げながら照り渡る彌生やよひなかばの春の夜の月、天地を鎖す青紗の幕は、雲か烟か、た霞か、風雄のすさびならで、生死の境に爭へる身のげに一刻千金の夕かな。夢路を辿る心地して、瀧口は夜すがら馳せてやうやく着ける和歌の浦。見渡せば海原うなばらとほけぶりめて、月影ならで物もなく、濱千鳥聲絶えて、浦吹く風に音澄める磯馳松そなれまつ、波の響のみいと冴えたり。入りにし人の跡もやと、此處彼處こゝかしこ彷徨さまよへば、とある岸邊きしべの大なる松の幹をけづりて、夜目よめにもしるき數行の文字。月の光に立寄り見れば、南無三寶。『祖父太政大臣平朝臣清盛公法名淨海、親父小松内大臣左大將重盛公法名淨蓮、三位中將維盛年二十七歳、壽永三年三月十八日和歌の浦に入水じゆすゐす、徒者足助二郎重景二十五歳殉死す』。墨痕淋漓として乾かざれども、波靜かにして水に哀れの痕も殘らず。瀧口は、あはやと計り松の根元ねもと伏轉ふしまろび、『許し給へ』と言ふもせつなる涙聲、哀れを返す何處の花ぞ、行衞も知らず二片三片ふたひらみひら、誘ふ春風は情か無情か。

            *        *
       *        *

 次の日の朝、和歌の浦の漁夫ぎよふ、磯邊に來て見れば、松の根元にはら掻切かききりて死せる一個の僧あり。流石けがすに忍びでや、墨染の衣は傍らの松枝まつがえに打ち懸けて、身に纏へるは練布の白衣、脚下に綿津見わたつみの淵を置きて、刀持つ手に毛程の筋の亂れも見せず、血汐ののりまみれたる朱溝しゆみぞの鞘卷逆手さかてに握りて、膝もくづさず端坐たんざせる姿は、何れ名ある武士の果ならん。
 嗚呼是れ、戀に望みを失ひて、世を捨てし身の世に捨てられず、主家の運命を影に負うて二十六年を盛衰の波に漂はせし、齋藤瀧口時頼が、まこと浮世の最後なりけり。





底本:「瀧口入道」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年12月2日第1刷発行
   1968(昭和43)年10月16日第32刷改版発行
   1980(昭和55)年3月10日第43刷発行
初出:「読売新聞」
   1894(明治27)年4月16日〜5月30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の署名は「大学生某」です。底本の解説に拠れば、著者が匿名を希望したため、「大学生某」の作として発表されました。
入力:笠置一郎
校正:双沢薫
2001年7月12日公開
2015年8月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「足へん+并」、U+8DF0    7-10、83-9
「目+帝」    28-2、96-6
「足へん+令」、U+8DC9    83-9


●図書カード