踊る地平線

虹を渡る日

谷譲次




   とりっぷ・あ・ら・もうど

 BUMP!
 ロンドン巴里パリー間航空旅行。
 一九二八年――A・D――七月はじめ、それこそどしんバンプと押し寄せてきた暑さの波ヒイト・ウエイヴまれて、山高帽と皮手袋と円踵まるかかとの女靴と、石炭とキドニイ・パイと――つまり老ろんどんそれじしんが、影のない樹立こだちも、ほこりの白い街路も、商店の軒覆オウニングの下をつたわっていく大男の巡査も、みんな一ようにまっくろなはんけちで真黒な汗をふきながら―― now, つまり、珍しくあつい以外には、まず、しごく平和な夏の英都ろんどんの或る日の正午ちかく、詳しく言えば午前十時四十五分だった。いまや自動車の急流ひきも切らないウェストミンスタア橋の方角からあれよという間に一台駈けぬけてきたTAXIが、リジェント街とチャアルス街の角にぴたりと静止すると、そこの石造建築物のまえに手荷物とともにひらりと地に下り立った男女の東洋人があった。
 旅装と覚悟ここにまったく成り、勇気りんりんとしてあたりを払わんばかり――AHA! 言うまでもなくそれは、これから巴里パリーへ飛ぼうとしている私と彼女だった。
 とまあ、思いたまえ。
 BUMP!
 物語のいとぐちである。
 さて――。
 そこで、くだんの石造建築物の正面階段を登りながら、出来るだけ悠然と天を仰ぐと、空気の層がやたらに青く高く立って、テムズの河畔エンバンクメントにはずらりと木かげに駄馬がやすみ、駄馬にはえが群れ飛び、蠅の羽に陽が光って、川づらの工作船が鈍いうなり声をあげるいいお天気だ。
『大丈夫ね、この調子なら。』
 ちょっと立ちどまった彼女が、こうかすかな声を発する。
『うん。しかし、それあ判らないさ。』私の眼はいささか意地わるく笑っていたに相違ない。『何と言ったって人間のすることだから。』
『あら! だって、こんなしずかな日。風はなし――。』
 なんかと、私と彼女のあいだに、けさからもう何度となく繰り返された会話の反覆がまたしばしつづいたのち、ただちにふたりは敢然と民族的威容をととのえてその建物の内部へ進入した。
 とまあ、思いたまえ。
 BUMP!
 いうまでもなく、チャアルス街とリジェント街の角は、帝国空路会社インピリアル・エアウェイ倫敦ロンドンにおける「空の家エア・ハウス」、いわば空の旅客の集合場である。空の事務所エア・オフィスなのだ。
 Oh ! The Air House !
 なんとこの新語のつ科学的夢幻派の色あいヌアンス――十年まえそも地球上の誰がこんな言葉を考え得たろう?――その超近代さ、自然への挑戦! CHIC! CHIC! Tr※(グレーブアクセント付きE小文字)s chic ! あるとら・もだあん! 私たちが、たしかに生きている証拠にじぶん達のなまの神経をぎりぎり痛感する歓喜の頂天は、まさに空の旅行の提供する thrills につきると言わなければなるまい。なぜならそれは、この速力狂想時代の尖鋭、触角、突線、何でもいい、世紀の感激そのものであり、たましいを奥歯に噛みしめて味わう場合だからだ――というんで、ちょいと巴里パリーまで、なんかと、まあただ「人のする飛行なるものをわれもしてみんとて」、こんにちここにぶらりと立ちあらわれた私達である。
 が、BUMP!
 このチャアルス街空中館エア・ハウス、飛行旅客の待合室へ踏みこんだ刹那、ひとつの正直な反省的心状ムウドが、電波のように私の全身を走り過ぎたことを私は告白しなければならない。
 もっとも超特近代的に無頼であるべき瞬間に、不必要な「冷たい足コウルド・フィート」が私達をとらえたのだ。懐疑――自己保証――そして again 懐疑。
 ここにおいて私と私の常識が押問答をはじめる。
『飛行機というものは絶対に落ちないか。』
『勿論、けっして落ちない――と断言出来ない。しかし、旅客機ならまず九十九パアセントまでは安全だといってよかろう。安全剃刀かみそりの安全なるがごとく、それは日常的に安全なのだ。』
『そうかなあ。けど九十九パアセントってのがどうも気になるね。あとの一パアセントはいったい何だい?』
『それは何かの故障・錯誤・違算――きっと今までの飛行術の知らなかった、ぜんぜん新しい、ほんの針のさきみたいに小さな誤謬の突発可能性さ。それでも空中ではまさに致命的であり得るにきまってるからね。とにかく万能にほど遠い人間が、特定の一目的のほかは何らの用をなさない機械なるものをあやつって高くたかく地を離れるのだから、そりゃあ君、比較的危険率――それとも不安率と言い直そうか――の多い理窟じゃないか。』と。
 つねに冷淡な常識は、ここで私を突っぱなしてしまう。BUMP!
 自殺的行為――墜落中の心理――その感情・光景――新聞記事――それらが私にじつに如実に想描される。
「I・Aの旅客機墜落
  大木を打って一同惨死
    不運の乗客中に日本人夫婦」
 Or ――
「飛行史上に大きな謎
  原因不明の旅客機墜落
    眼もあてられぬ現場」
 Enough !
 だが、これらは不必要な、恐怖のための恐怖、単なる不吉のための不吉で、言わばたぶんの変態的興味をふくんでいるかも知れないが、つぎに私は、このチャアルス街エア・ハウスの第一歩に、AHAGH! より精神的に深刻な悩みをくぐらなければならなかった。
 科学はいま人間をいい気にあまやかしている。一たい、この思いあがったちょこざいきわまる科学を過信し、あの、生をけて以来頭上にいただいてきた大空へ、図々しくもぬけぬけと舞い上ったりしてもいいものだろうか。それとも、原始人の恭敬篤実なこころにかえり、天をおそれ頭を垂れ、鞠躬如きっきゅうじょ、かたつむりのごとく遅々として地を往くほうが、すくなくともこのさい「穏当」ではなかろうか。おもうに、人類――ことに東洋の――にとって、空は直ちにみそらであり天上であり、すでに立派に宗教概念の領域に属する。この聖なる空間をぷろぺらできみだし、鳥族のごとく空を流れるさえあるに、あまつさえそれを近代的だなぞと誇称して蓮葉はすっぱになっているうちに、これだけでも冒涜、不遜、そのうえ人は誰でももろもろの罪業ふかい生物だと聞く。天罰たちどころに到って――現実にBUMP! なんてことになりはしまいか。
 とこういうと、いよいよ空の家エア・ハウスへまで出張でばって来てから、かなり長い思索の時間をもったように聞えるが、じつはただ――出来るだけ悠然とこのチャアルスがい角の入口をまたぎながら、雲のない蒼穹――いまに私と彼女がそこへ行くのだ――と、テムズ河畔にいこう駄馬の列と、駄馬にからかう蠅のむれと、蠅の羽を濡らす光線と、その周囲、さんさんたる陽ざしのなかに黙って並ぶ善きふるき倫敦ロンドンの建物と――とにかく「墜落・惨死」にはあまり縁のありそうもない楽天的風景に接して大いに意を強うし、思わず、
『大丈夫ね、このぶんなら。』
『うん。しかし、それあ判らないさ。何しろ万能にほど遠い人間が、特定の一目的のほか用をなさない機械なるものをあやつって、高く地面を下にするんだから――。』
『あら! だってこんな静かな日――。』
 などと私と彼女がささやきあったとたん、それはほんの瞬間的に私を襲った一種の「はかなさ」にすぎなかったものを、いまあとからこうして解剖し描写しているだけのことなのだ。
 が、運命へ向って骰子とうしを振る気もち――とでもいおうか、底に悲壮な一大決意がよこたわっているのは事実で、こればかりは、いかに老練な飛行家でも、その一つひとつの飛行ごとに新しく経験するところの内的動揺であるに相違ない。この壮烈な賭博感にのみ、近代人を魅縛し去らずにはおかない飛行のCHICがあるのだ。
 空の誘惑。
 AH! The Air Line !
 やっぱり何という「とれ・しっく」! Ultra modern !
 BUMP!
『正午十二時の飛行ですね?』
 声が私を哲学から呼び戻す。「科学信ずるに足るや、はたまた信ずべからざるか」の大きな、そしていつまで経っても堂々めぐりの問題から――。
 で、われに返ってここチャアルス・リジェント街の角、T・A社「空の家エア・ハウス」の内部を見わたすと、茶いろのゴルフ服に身を固めた顔のどす黒い異形の一人物と、あきらかに結婚によるその相棒パルとおぼしく、小っぽけなくせにいやに巴里パリーめかしてこましゃくれた女とが、相方ともに決死の二字――漢字である――を眉間に漂わせ、世にもさっそうとして闊歩してきたんだから、覚悟のほども察しられて、みんなおどろいてこっちを見ている。とにかく、係員はびっくりしたような声を出した。
銀翼号シルヴァ・ウイング――正午十二時の飛行ですね?』
『そうです。』
 飛行機にはもう飽きあきしているというような顔で、私が答える。
『ちょいと巴里パリーまで。』
『は。旅券、切符をお出し下さい。それからこの表へ御記入のうえ署名願います。』
 旅券はいい。切符も二週間まえから買ってある。そこで、彼女とともにかたわらの机にならんで、めいめいに渡された紙片に所要事項を書き入れ出したが、彼女曰く。
いやね。何だか遺言を書いてるようで。』
『国籍、氏名、年齢、住所――なるほどこれさえ残ってれば、どこの誰が死んだのかすぐ判るわけだな。これあ何だ、ええと、たとえ墜落即死致しそうらえども、ゆめ御社を恨むようさらさら御座なく候。後日のためよってくだんのごとし、か――ははあ、ここへ署名するんだな。』
 なに、ただいつもの出入国の形式に過ぎないんだが、虫の知らせとみえて、どうもそんなような書類に見えてしょうがない。
 停車場の待合室そっくりな部屋に、旅行者のむれが不安げにうろうろしている。その一人ひとりが、外套手荷物その他機上へ運び入れるもののすべてを身につけたまま、順々に計重器のうえに立たされて、体重とその衣類手廻品の総合重量を取られる。彼女が呼び上げられたとき、中世以来の騎士道により私がそのハンド・バックを持っていてやろうとしたら、
『彼女をして自身そのハンド・バックを持たしめよ。しかしてわれらをして彼女の身辺の全部に関する最も正確に近き重さの数字を知らしめよ。』
 BUMP! 私は叱られてしまった。
「倫敦巴里間――帝国航空路」という絵紙が荷物にべたべた貼られる。だんだんこころもちが軽く――飛ぶ前だから――なる。右往左往する赤帽、制服の事務員、案内者、立ちばなし、別れの挨拶、笑い声、あわただしさ――こうなるともう普通の待合室と何らの変りもない空の停車場だ。ただ客種がよく、あらゆる設備がはるかにモダンで grand luxe なだけだ。が、エア・ハウスというのは空中旅客の市内集散所で、もちろんじっさいの「空の港エア・ポウト」はロンドン郊外サレイ州のクロイドンにある。客はT・A社の自動車に乗せられて十一時に市の空中館を出るんだが、その十五分まえ、すなわち十時四十五分には必ず出頭するようにと前日社から電話でお達しのあったのは、つまり出発まえにこれだけの手つづきを済ます余裕を見ておくためだった。
 Imperial Airways, Ltd ―― LONDON to PARIS
 時間表――二十四時制
 日曜以外 毎日 クロイドン発
A 七時四十五分
B 十六時三十分
C 十二時
 飛行時間 二時間半から四時間
 乗機賃、発着飛行場と市内空中館間の自動車賃を含む。
A は四ポンド十四シリングペンス
B は五磅五志
C は五磅十五志六片
 で、ABCと出発の時間が違い、各機の大小、新旧、速力、設備、二エンジンか三エンジンかによって運賃にも保険的性質の差異をきたすわけ。つまりこれが等別で、Cが一等、Bが二等、A等は三等にあたる。私たちは万善を期してCをえらんだことはいうまでもない。
 手荷物規則
ひとりにつき三十封度ポンドまで無代
三十封度ポンド以上は、一封度に三ペンスのわりで申し受けます。
 ちなみに私たちは、大型スウツケイス二個、帽子箱一個、グリップ一個、小鞄二個、ホウルド・オウル一個、ケインサック一個、シネ・コダックおよび附属品一個、これだけ持ち込んで超過二ポンドシリングペンスを払った。
 倫敦ロンドンから巴里パリーへは、おなじクロイドン飛行場エロドロウムからやはり一日三回ふらんすのエア・ユニオンの機が飛ぶから、都合六回の離陸があるわけだが、夏はそのすべてが満員で、すくなくとも二、三週間まえから申込まなければなかなか切符が手にはいらないくらいの盛況である。
 エア・ハウスには、最後に人心をおちつけさせるため、奥にこぢんまりした別室がしつらえてある。そこへ腰を据えて飛行場エロドロウムへの出発を待っていると、女給が出現して、
お弁当ランチの御用――ランチはいかが?』
 よって機上で消費すべく二人前のランチを命じ、代金を払って受取りがわりの切符を貰う。これを飛行機のなかで呈示してランチづつみと交換するのだ。
 そばで品のいい英吉利イギリスの若奥さんが何国どこかのお婆さんとさかんにおしゃべりしている。
『はあ。ちょっと巴里パリーまで。』
 奥さんの宣言である。このお婆さんも乗客とみえていささか心配そうに、
『大丈夫でございましょうねえ今日なんか――こんなしずかな日。風はなし――。』
『あたくしなんか随分みなからおどかされましたけれど、でも、この頃ではどんなに風が吹きましても平気だそうでございますよ。』自信あるもののごとく奥さんはつづける。『何でも出発のまえの晩は総がかりで徹夜して、エンジンから機体からすっかり検査してこれでいいとならなければ、決して飛ばないんだそうでございますよ。けれど、なにしろ人間のすることで御座いますから――。』
『ほんとにねえ。』
 やがて、自動車の出る合図。
 空の旅人を満載した二台の大きな車が、日光・無風・暑熱の場末をクロイドンへ――。
 車中、じぶんへの私語。
『どうだい、胸騒ぎはやまったかい。』
 安心立命!
 安心立命!
 あん・しん・りつ・めい!
 そのうちに新開地のクロイドンの「空の港エア・ポウト」だ。飛行場エロドロウムだ。巨大な建物。壮麗な新築飛行ホテル。整然たる発着所。待合室。絵葉書たばこ類売場。食堂。化粧室。乗客と見送人の雑沓。ふたたび旅券検査。私たちにもバアンス夫人の一家と、妻のあそび友達ミス・ノリスとが早くから見送りに来ている。
『ほんとにいいお天気――。』
『大丈夫ですわね、この分なら。』
『ええ。こんなしずかな日。風はなし――。』
 じ・じ・じ・じい――呼鈴ベル
巴里パリー行き! 巴里ゆき!』
 これで、ぞろぞろ野原へ吐き出される。
 茫漠たる青ぐさの展開しばらく踏みおさめの土。
 あ! ならんでる、並んでる! 地に翼をおろして!
 飛行機・複葉・とんぼ・無数の水々しい飛行機――新鮮な果実のような、悪戯心に満ちた反撥と弾力をじっと押さえて、OH! お前たちはいま乗るべき微風を待っているのか。
 引力の反逆者よ!
 思うさま地を蹴れ!

   雲を駈る悪魔

 GRRRR――。
 すでにプロペラの廻転をはじめている淡灰色の莫大な妖怪が、前世界の動物のような筋骨だらけの身体からだをジェリイみたいにこまかくふるわせて、おとなしく私たちの眼前にある。
 定期旅客機「銀のつばさ」である。なんと雲にり切れ、空によごれたそのすがたの頼母たのもしく見えたことよ!
 あんなに積んで飛べるかしらと思うほど、客ぜんたいのトランクやらスウツケイスやら鞄やを山のように機の一部へ押しこんでいる。
 広場のせいか、飛行場へ行ってみると風がある。帽子の吹きとばされそうな強さだ。
『あら! ひどい風ね。』
『こうなると運を天にまかせるんだね、文字どおり。』
 見送り人の一団が遠くに――こわいとみえてそばへは来ないで――かたまって、やたらに手をふったりカメラを向けたりしている。このところちょっと「生きては再び地を踏まず」といった感慨が私たちを東洋的に昂然とさせる。言われるまま機のまえに並んでミス・ノリスのれんずへ社交用微笑を送りこんだのち、車掌――じゃない、機掌だ――にき立てられて、他の乗客とともにどやどやと階段をのぼって機の横腹よこっぱらに開いている入口をくぐる。
 フォウドのタキシが走り出すまえのような、へんに舞踏的な震動だ。
 が、何という愉快な小客間プチ・サロン! 機首が高いので坂のように傾斜している細長いキャビンに、両側に窓、みどり色のカアテン、それに沿って片っぽに十人ずつ二十の座席、緑いろ――そもそも緑色は人の神経を鎮静させる効用をもつ――びろうど張りのふくよかな肘掛椅子、上に網棚、まんなかに通路、絵笠をかぶった電灯、白服の給仕がひとり――「空をゆく応接室」と言っていい。
 一同またたく間に席へつく。中央部が一ばんいいと聞いていたので、ふたりは素走すばしっこく立ちまわって背後うしろから五番目へ左右に別れて腰をおろす。妙にしらじらと冴えわたって、死生めいあり論ずるに足らずといった心境だ。おもむろに眼をうつして機内を見まわす。
 女、十六人――内訳、七十歳あまりの老婆ひとり、中老七人、若い細君――彼女を入れて――四人、女学生三人、五、六歳の少女ひとり。
 男、四人――うち自分を含む。但し男女とも国籍不明。これだけが「死なばもろとも」のみちづれである。
 Grrrr――が高くなり加速度になり、見送人は一そう遠くへ追いやられる。出発が近いのだろう。みんな無言で一せいに椅子のはしを掴む。と、正面の小窓をとおして飛行士の運転房カックピットが見える。そら! 乗ってきた。色の黒い「空先案内パイロット」の横顔。や! 笑ってるぞ! 機外の助手に手を上げて――白い歯、太い首、われらの英雄よ! 君はゆうべ充分の眠りをとってくれたろうな。身心爽快だろうな。とにかく、こうしていま二十二個の生命――私と彼女と君じしんとボウイさんのとを通算して――が、すっかり君ひとりの技能と沈着と「咄嗟の考察クイック・マインド」とにかかっているのだ。君、この飛行さえ無事にやりとげたら、僕は同乗客に演説して君のためにトロフィを贈ろう。ブライトンに別荘を建てて献じよう。君の子供たちの教育費は一さい僕らが負担してもいい――。
 空は誘惑してやまない。
 飛行士の巾ひろい背中がまえへしゃがんだ。
 BUMP!
 機は地上をすべり出す。
 ――GRRRR・轟々爆々―― and then, BUMP!
 BUMP!
 BUMP!
 BUMP!
 はじめは遅く、ようやく早く、それからあせるように※(「足+宛」、第3水準1-92-36)もがくように、咆哮し呶号して機は滑走をつづける。
 もう誰もそとへなぞ何らの注意をはらう人はない。みな凝結したように無言のまま、「人生の足が土をはなれる瞬間」をじっとしずかに期待している。
 私は心描する――倫敦ロンドンから巴里パリーへ弧のように架けられた七色の虹の橋を。
 前世紀人のえがたいその虹を踏んで私たちはいま天を渡ろうとしているのだ。
 虹の橋――何という人類の夢の実現! なんという際限もない科学の征服慾!
 ――まるで射撃中の野砲の内部にでもいるよう、ぷろぺらと機関の音・音・音が完全に鼓膜を独占して、耳のそばで何か言われても金魚があくびしてるように口の開閉が見えるだけだ。
 となりの彼女がしきりに私を突ついては前を指さす。そしてさかんに何か耳へ詰めている。
 へんなことをすると思ってよく見ると、虹の橋なんかとひとり勝手に感激していて気がつかなかったが、前列の椅子の背に、なにか書いたものといっしょに一きれの綿わたがはさんである。
「空の旅行者への注意」――とあるから、さっそく読んでみると、左のごとし。
帝国空路社インピリアル・エアウェイス――LTD――は、この、天空旅行の便宜のために、特に以下列記されたる個条を必ず一読あるべく、われらの乗客各位がそれほど充分親切であらんことを乞いねがうものなり。何となれば、そはこれらの事項を各位の満足にまで説明すればなり。
一、飛行機――空における――の正規の運動。
二、いかにして最大の安楽のうちに天を往くべきか。
三、非常時の対策、およびその場合の心得。」
 第三がずきんと私の胸をいたこというまでもない。すなわち、あえて依頼をたずとも急遽一読すべく充分以上に親切である。
「べつに飛行機に乗るために特別の着物は要りません。長時間のドライヴに適当なものなら何でも間にあいます。
 離陸のさい、たとえ機が飛行場エロドロウムの隅へぶつかりそうに突進することがあっても決して驚いたりあわてたりしてはなりません。飛行機はつねに風にむかって離着陸するものですから、こうしてしばらく滑走しているうちに、いつとはなしに自然に地面から浮かぶのです。
 この綿をむしって耳へおつめ下さい。エンジンの音から聴覚を保護するために。
 気圧の関係で一時かるいつんぼになることがあります。そうしたら鼻の穴をつまんでおいて力んで下さい。あるいは降機ランデンクのときにちょっと唾を飲みこんでもよろしい。すぐ直ります。
 方向をかえる場合、飛行機はよく水平を破って一ぽうに急傾斜しますが、これはまったく安全な行動であります。
 いわゆる真空エアぽけっとなるものは絶対に存在しません。BUMPと称する小急下降運動は、ちょうど船に波浪が作用するように、気流の上下動に乗って機が小刻みに揺れるだけのことです。
 高いビルデングのうえから下を覗いたりする時の眼のくらくらとする感じは、飛行機には、全然ありません。地上とのあいだに何らの物的接続コネクションがないからであります。
 船に弱い人でも飛行機には酔いません。すこしでも気分のわるい方には、一こと仰言おっしゃれば、ボウイが備え付けの薬品をさしあげます。吐壺カスピドアも一つずつ皆さんの足もとにあります。が、空酔いエア・シクネスにいちばんいいのは新鮮な冷たい空気です。自由に窓をおあけ下さい。
 本社の大陸定期飛行機には、すべて後部にWCがついております。そしてどんなに皆さんが動きまわっても、そのため機が平衡バランスをうしなうようなことは断じてありません。
 飲料水はちょっとボウイへ。ウィスキイ・ワインその他の酒類飲み物も積んでおります。
 喫煙はもちろん、いかなる目的にもせよ機内で燐寸マッチをすることは政府の規則により固くおことわり申します。
 何によらず、飛行機の窓からけっしてものを棄てないように願います。
 もしその必要があれば、乗客はキャビン正面の口孔アパアチュアをとおして飛行士と会話することが出来ます。
 あなたの飛行士は過般の大戦の勇士、千風万雲の古つわものであります。そして飛行中、彼はつねに無線電話で目的地と通信を交換し、天候気流その他に関して絶えず豊富な報道を供給され、いかなる状況にもその用意がととのい、事実T・A社はいま全員全力をあげてあなたの安全を守護しているのです。
 海峡横断のさい万一エマアジェンシイのために――ちょうど汽船とおなじに――救命帯がそなえつけてあります。」
 とそれから図解で救命帯の着用方きかたを詳説し、なお、
「キャビンの天井に非常口があります。いざという時は下がっている輪を強く引き、出口を破り開けて下さい。
 エンジンの音が止まりそうに低くなっても、決してびっくりすることはありません。それは着陸の準備か、あるいは単にあなたの飛行士が彼の判断において、速力をよわめるかまたはもっと低く飛んだほうがいいと考えて、そう実行しているまでのことですから――御安心下さい。」
 もう一まい紙がはいっている。それには「銀翼号シルヴァ・ウイングに関する事実サム・ファクツの一部」とあって、
「本機「銀のつばさ」は、アラン・カブハム卿が倫敦ロンドンケイプ・タウン間、ならびに英濠往復飛行に使用して大成功をおさめたるアウムストロング・シドレイ式三八五・四二五馬力冷空ジャガア・エンジン三個により推進プロペルさる。
 正エンジンは操縦席カク・ピットの前面、機の鼻さきに位し、他の二つの補機関は両翼の中間にあり。
 本機は特に長時間飛行のため建造つくられ、キャビンの通風煖※だんぼう[#「火+房」、210-14]照明等すべて最も近代的デザインになる。
 中央エンジンの後部は防火壁にして、石油は上翼下二個のタンク内に貯蔵さる。
 本機の最大速力は一時間百マイル以上。
 満載時の重量は約七トン半なり。」
 こう一気に読みおわった私は、あわてて綿を千切ちぎって耳へ詰めながら見まわすと、なるほどみんな耳の穴を白くふさいでいる。
 BUMP!
 と、風をついて滑走タクシしていた機が――じっさいいつからともなく――ふわりと宙乗りをはじめたらしい。いままで機窓の直ぐそとにあった地面がどんどん下へ沈みつつある。
 天文とジュラルミンと大胆細心と石油の共同作業は、ここに開始された。
 飛び出したのだ。
 Off she goes ―― The Silver Wing !
 OH! Glory ! 何という刹那的な煽情センセイション! 刺激・陶酔・優超感・うなされるこころ――このGRRRRと、そしてBUMP!
 生きながらの昇天だ。人と鞄と旅行免状とランチづつみとボウイさんとの。
 はっはっはっは!
 ほう・ほう・ほ!
 声はき消されて聞えないが、乗客は誰もかれも大きな口をあけて笑っている。皆げらげら笑ってる。何だか無性におかしいのだ。きょうから新しい生命いのちを貰って、全くべつの動物になった気がする。それが可笑おかしくておかしくてたまらない。赤んぼのような根拠のないうれしさだ。
 私も笑う。うんと、うんと、笑ってやれ。
 で、あははははは!
 HO・HO・HO!
 が、機が飛行場エロドロウム驀出ばくしゅつして、すぐそばのアパアトメントの中層とすれすれに飛び、あけはなした窓をとおして一家庭の寝台、絨毯、机、そのうえの本、ちょうどドアを押して這入ってきた女、それらが大きく大きく――実際よりずっと大きく――あざやかに閃過フラッシしたとき、私はふっと悪魔になった気がした。
 そうだ。けさテムズの岸で馬にからかっていた蠅。私はいまあの一匹に化けているのだ。
 だからぶうんとこの窓枠へ飛び下りて、それから机、書物と順々にとまって、そこで首をかしげて両手をこすろう――。
 悪魔だ。
 BUMP! そして Rolling。
 機は「無」のなかを一路駈け上っている。太陽をめざし、神を望んで。
 Bapt※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)me de L'Air !
 大きな赤い屋根、頭からすぐ脚の生えている人間たち、一枚二枚と数えられる自動車――どうしてこの町はこう平べったいんだろう?
 や! 丸い穴、四角い穴、何だ、煙突だ。やあ、テニスしてらあ! 馬鹿だなあ、よして上を見てらあ。顔が靴をはいてるぞ! やあい、手なんかかざすない!
 きちょうめんに長方形なテニス・コウトとその附近がむらさき色によどんで見える。飛行機の影が落ちているのだ。
 BUMP!
 すでに高度は千メートル以上。百メートルの速力。これから千乃至五千の高さを揺曳ようえいして飛ぶ。一分間に汽車の窓から見る視野の二十倍が一秒のあいだに私たちのまえ――いや、下にあるわけで、機の真下の一地点だけでも、まさに六マイル平方にあたる勘定だ。
 もううにクロイドンを飛び出したのだろう。人家がまばらになって、バリカンのあとみたいな耕地がGrrrrと斜めにゆるくうしろへ流れつつある。
 空の濁っているのが倫敦ロンドンの方角らしい。
 機首はきまった――一直線に巴里パリーブウルジェへ!
 こうなると私たちには何らの恐怖も危惧もない。あるのはただこみ上げてくる愉悦と単純な驚異の連続だけだ。
 洋々たる「空の怒濤」。
 おとこの雲。
 おんなの雲。
 こどもの雲。
 みんな仲よく私たちのまわりに遊んでる。さわいでる。笑ってる。
 笑うと言えば、いままで他愛なく笑っていた機内の人々は、急にじぶん達の笑いに気がついて、その笑ったことが恥しいように、あわてて「人間界」の威儀をつくり出した。そこで狂奔する音響のなかで、私のうしろのお婆さんは毎日郵報デエリイ・メイルを拡げ出し、商人らしい中年の紳士は小鞄をあけて書類を読みはじめ、女学生は林檎りんごき、女の児は窓へつかまり、その母親は背後から女の児をつかまえ、もうひとりの若い男はよろけながらWCへ立ち、ボウイが飲み物を売りにくる――いかにも旅行の一頁らしい光景。
 彼女が私へノウトを渡す。筆談だ。書いてある。
『イカガ?』
 私が返事をかく。
『ヘイキ。』
 彼女がほほえむ。私もほほえむ。それからまた、むさぼるように二人は下界の観察だ。
 プロペラの音、その風、自信に満ちみちて大きくうなずく銀いろの翼、私の窓のそとに泣くようにふるえている、一本の寒いロウプ
 地球はいま私たちに関係なく廻っている。
 何たるそれはのろくさい文明であろう! じつに笑うに耐えた平面・矮小・狭隘きょうあい・滑稽そのものの社会であり、歴史であり、思想であり、「人生の悲劇または喜劇」であろう! なんというパセテックなにんげん日々の希望であり、Patho であり、微笑であることよ!
 上から見る生活の白じらしいはかなさ――鳥はすべて虚無主義者に相違ないと私は思う。
 機内はあかるい。天井に薄い布を張った菱形の非常口があるからだ。裂く羽目リッピング・パネルである。Ripping Panel ―― in case of emergency, pull ring sharply. こう読める。忘れていた気味のわるい思いがふっとまた頭を出しかける。No Smoking とも大書してある。Not Even Abdullas とすぐあとに断ってある。アブドュラは軽いから煙草じゃないなんて言う人もあるとみえる。ちょっと引っぱれば取れるように、頭のうえに救命帯が細い糸一ぽんで吊してある。これを見ていてあんまり気もちのいいものじゃない。Life-Belt, Pull Only in Emergency ――。
 私は思い出す。つい一週間ほどまえ、なんとかスタインという倫敦ロンドン財界の大頭おおあたま――すでに何とかスタインである以上、それはつねに財界の黒幕にきまっている――が、海峡のうえで飛行機から落ちて、新聞と取引所をはじめロンドンぜんたいが大さわぎをしていたことを。そして、その死体がきのう海岸で発見されて、先刻クロイドン飛行場エロドロウムにそういう掲示が出ていたことを。一昨日はまた、これは旅客機ではないが、このT・Aの飛行機がBUMPと落ちて、ちょっと Joy-ride としゃれていた会社の女タイピストと事務員の一行を飛行家とともに全部恨みっこなしに殺している。じつはこれらの事実は、私が考えまい考えまいと努力していたところのものだが、「裂く羽目リッピング・パネル」だの救命帯だのをじっと見つめていると、私はいつしか、いまこの天空のうえで故障が起って――操縦者パイロットの心臓麻痺・突然の発狂ということもあり得る――客一同は総立ちになり、誰かが躍り上ってリッピング・パネルを破り、彼女は私にしがみつき、女たちは泣き叫び、男はただうろうろし――そのあいだも、一団の火煙と化した機は螺旋らせんをえがいて落下しつつある! としたらどうだ! などと、内心安全を確信していればこそ、とかくこんな場面も空想にのぼるんだろうが、いままでの空の犠牲者――早い話が何とかスタインにしろT・Aのタイピストにしろ――は、誰でもこの、ぼんやりながら根強い、自分だけは大丈夫にきまっているという内心の確信にまかせて機上の人となったに相違ない。
 そう思うと、何とも飛んだことをしたような気がしてくる――ものの、この快翔に一たい何が起り得るというのだ?
 ああ、悪魔だった。そも悪魔に、落ちたり死んだりすることが考えられようか。悪魔! 悪魔! 赤いももひきに赤いまんと蝸牛かたつむりの頭巾に小意気こいきな鬚のメフィストフェレスは、いま銀のつばさを一ぱいに張ってこの大ぞらを飛行している。悠々とそして閑々と、法規と礼譲と道徳とあらゆる小善とを勇敢に無視して、そのうえを往く「空の無頼漢アパッシュ」だ。何という近代的に無責任なCHIC!
 BUMP! そしてRolling。
 窓から手を出す。指が切れて飛びそうだ。つめたいのか痛いのかちょっと感覚の判断に迷う。
 ボウイが正面壁間ブルワアクの黒板へ何か書き出す。みなの眼が白墨へあつまる。NOW OVER と上にぺんきで出ていて、ボウイのチョウクがあとをつけ足す。
 NOW OVER Sevenoak.
 セヴノウクの町だ。
 ははあ、固まってる。うすっぺらの家が、後園バック・ガアデンが、洗濯物が、木が路が人が。
 鶏? それとも犬かしら? 白い広場に何かぽつんと黒点が見える。ゆらゆらとセヴノウクがうしろへすっ飛んだ。
 畑だ。
 森だ。
 野だ。
 畑は赤・黄・白の幾何的だんだら。森は黒い集団。野は雲の投影。
 機は早い。
 NOW OVER Tombridge.
 おや! 帯が落ちてる。何だ、国道ハイウェイじゃないか。ばかに曲りくねってるなあ。無数のぽちぽちがじっとしてる。自動車の列だ。あれでも早いつもりで走ってるんだろう。そのうえをすうと飛行機の影がいてゆく。
 川がある。橋がある。人が渡ってる。
 川は白い絹糸、橋は六号活字の一、人はペンさきのダットだ。すぐうえに太陽があり、まわりにうすい雲が飛び去り、下は一めんに不可思議なパノラマ――すべての王国と共和国と財宝と野心と光栄と、それらがみな私への所属をねがってひろがっている。何という地上の媚態、嬌姿! だが、現世うつしよの舞台は何と悪魔の眼にあわれに貧しく映ることよ!
 私たちが夢にも知らないうちに、科学はこの赫灼かくしゃくたる動きとパッションをこころゆくまで享楽していたのだ。銀翼号と他の飛行機たちよ! このとおり頭を下げる。おんみらこそは新世紀の芸術だ。私たちの最大の傑作――あ! 汽車だよあれは。二寸ほどの列車! おい、見ろみろ、はっはっは、何てしたり顔の、こましゃくれた爬虫類だろう!
 NOW OVER Dungeness.
 谷・巨木・まっくろな突起。
 岩・白砂・かがやくうんも
 地形に変化が多いと機は動揺する。それを逃げて一段たかく上げかじをとった時、私たちの下にまんまんたる青い敷物があった。
 ドウヴァ海峡だ。
 AHA! 水銀の池。
 乗客はみんな窓から覗いて、またへらへら笑い出した。何となく馬鹿々々しくくすぐったいのだ。いやにしとやかに陽に光って、さわるとぺこんへこみそうな、ふっくらとした水の肌――こいつは落ちても痛くないぞ。
 しかし、何とこれは美々びびしく印刷された地図だろう! 日の矢と、それを反射する段々の小皺と。
 海峡の色は私の食慾をそそる。
 みんなと一しょに私たちも空中でランチをたべる。魔法つかいの会食。舌のサンドウィッチにトマト・桃・バナナ。彼女は水をもらう。飲みながらほほえむ。私もほほえむ。
 彼女の口が大きく動いて、三つの日本発音を私に暗示する――オ・フ・ネ、と。
 やあ! ほんとにオフネだ、オフネだ! 赤い立派なオフネが一そう真下の水に泳いでいる。これは汽船でもなければ、船でもない。たしかに坊やのおもちゃのオフネだ。それにしても、何てまあ横に広い坊やのオフネだろう!
 ドウヴァはいそがしい。灰色の軍艦もむこうに海の陽炎かげろうに包まれている。
 あ! なかまだ! 三台の飛行機! 二つは上に、ひとつは下に。AH! 殷賑いんしんをきわめる空の交通整理よ! 行ってしまった。
 BUMP! 空の波だ。
 一同はっとして「うう!」と唸る。
 BUMP!
 UUGH!
 BUMP!
 UUGH!
 しばらくがぶりがつづく。ボウイが紙に書いて苦悶中の女客へ見せてまわる。
 Bumps will soon be less.
 同じ悪魔でも、やはり女のほうはすこしデリケイトに出来てるらしい。いぎりすの奥さんなんか、けっして下を見ないように真正面に眼を据えたきりだ。お婆さんは相変らず新聞を読み、商人はしきりに書類をしらべ、私は首をのばしてふらんすの海岸線を待っている。
 すると、出てきた。
 くっきりとした地と水のさかい。屈折する陸の進出と、海の侵蝕。仏蘭西フランスの浜は赤土の露出だ。それに白い浪がよせている。
 この絢爛ゴウジャスな感情・王者のこころ。
 私の全神経がぷろぺらとともにしんしんと喜悦の音を立てる。
 百姓家。一つ光る湖、NO! 硝子ガラス窓だ。
 NOW OVER Le Touquet.
 機は早い。
 もう仏蘭西語の地名。
 BUMP!
 UUGH!
 NOW OVER Abbeville.
 巴里パリーは近い。向うむきの雲先案内パイロットの首がますます太くなる。
 君! もっともっとスピイドを出したまえ!
 蟠踞ばんきょする丘と玉突台のような牧場と。
 部落。
 共有地。
 並木。
 小市街。
 無視する。
 黙過する。
 抹殺する。
 やがて巴里――異国者の開港場。
 その巴里が、2・30PMのブウルジェが、ふたたび「社会」が人性が生活が、いまぐんぐん機の下に盛れあぶってきている。
 やあい! 子供が走ってるぞ! ふらんすの子供が!
 踏切りに荷馬車と人が重なって、汽車の通りすぎるのを待ってらあ。
 その上を機は草原の中空へ――ブウルジェ飛行場だ。
 虹の橋のおわり。悪魔ももとの人間に還元しなければならない。で、お婆さんは新聞をたたみ、男はねくたいへ手をやり、女は一せいにバッグをあけて鼻のあたまを叩き出す。
 BUMP!
 BUMP!
 BUMP!
 なつかしい地面が見るみる眼下に迫ってきている。世の中のにおい・石ころ・土・草の葉――色のくろい操縦者の横顔が笑う。下の仏蘭西フランスの格納庫員へ手をあげて――。
 彼女から私への最後の筆談。
『ヒコウカニナリタイ。』

   都会の顔

 ちょうどいつか。そしてどこかですれ違った通行人のなかに、性格的な人の顔が何ということなしに長く頭にこびりついていて、それがときどき訳もなくふっと思い出されるようなことがあるのとおなじに、旅にも、何ら特別の意味もないのに、どういうものかいつまでも忘れられない不思議な小都会というのがある。
 それはなにも、その町のつゴセック建築の伽藍がらんでもなければ、おれんじ色の照明にウォルツの流れる大ホテルの舞踏場でもない。さらにベデカに特筆大書してある「最新流行」の産地たる散歩街や、歴史的由緒のふかい広場や、文豪の家や博物館では決してない。では何がそれほどその町を印象づけるか、というと、そこには分解して言えない一つの空気があるのだ。
 旅の芸術アウトは、こっちがあくまで受動的に白紙ブランクのままで、つぎつぎに眼まぐるしくあらわれる未知に備えずしてそなえ、すべてをこころゆっくりと送迎してゆく手法にある。そうすると深夜に汽車のとまった山間の寒駅にも、高架線の下に一瞥した廃墟のような田舎町にも、夏ぐさにうずもれた線路の枕木の黄いろい花にも、その一つひとつに君は自分を見出すだろう。そうしてそれらに君じしんの姿を見た以上、山間の小駅も廃墟のような田舎町も、枕木の黄色い花も、しっくりと旅のこころに解けあって、いつまでも君を離れないであろう。
 この、人見知りをしない Care-free さで、ぶらりと君がひとつの町へ下りたとする。
 新しい不可思議な色彩が君のまえにある。
 奇妙な文字の看板、安っぽい椅子の海が歩道へはみ出ているキャフェ、悲しい眼の女たち、意気な軍服と口笛の青年士官、モウニング・コウトに片眼鏡の紳士、どなるように客を呼ぶタキシ、四、五人で笑いさざめいてゆく町の娘、見なれない電車、に踊る停車場まえの裸像の噴水、兵卒のような巡査、駈けよってくる花売り女――騒音は都会の挨拶グリイテングだ。
 ちがった外見の、けれど内容のおなじ生活がここにも集合している。しみじみそういう気がする。そのせいだろう、もしそのとき君が、前に一度、夢でか現実にか、この町へ来たことがあるような気がしたら、そしてまた、家のならびや往来の走りぐあいが君の想像していたところと全く同一なら――多くの場合そうだが――君はどんなにその町を愛し、そこにれ親しんでもさしつかえない。君はすでに町をつかんでいるからだ。
 このあたらしい都会でぴたりとくる感じ――私はそれを町の顔と呼ぶ。
 へんなことには、都会の顔は近代化した大通りや、いわゆる「見物の場所プレイス・オヴ・インタレスト」にはけっして見られない。老婆と主婦と雑貨と発音が鳩といっしょに渦をまく朝の市場、しみだらけの歪んだ壁と、小さな窓と、はだしの子供たちの狭い裏まち。それに坂だ!――私はどうしてこう坂と横町と市場が好きなんだろう?――これらに私は、じいっと私を見つめている「町の顔」を発見する。
 こういう「町の顔」のなかで、性格的に印象を打って長くあたまにこびりついている多くの「顔」を私は持つ――そのうちでも白耳義ベルギー首府メトロポリスブラッセルは、私にとって忘れられない「都会の顔」の一つだ。その、千百一の物語を蔵していそうな裏まちと、市場と、市街の坂と、私はこの欧羅巴ヨーロッパの片隅に「存在をゆるされて」いるブラッセルの可憐さ――それは孤児の少女に似た――をいまだに大事にこころの底にしまいこんでいる。
 ブラッセルでは、私たちはブラッセルを生きた。そのあいだ靉日あいじつがつづいていた。
 着いたのは夜だった。
 着くのは、あたらしい町へつくのは夜に限る。昼だと、旅に疲れた君の眼に一ばんさきにうつるのは白っぽい欠点だ。そして、そこにあるのはどこも同じ実務の世界だけだ。が、それがもし夜なら、闇黒とともしびに美化された都会が素顔を包んで君をむかえる。そして、そこにあるのは浪漫の世界だけだ。あくる朝ホテルの窓をあけてほんとの町を発見する。旅人はどうしても夜ついた都会を愛するわけだ。だから、あたらしい町へはいるのは夜にかぎる。
 で、着いたのは夜だった。巴里パリーからブラッセルの「南の停車場ガル・ドュ・ミデ」へ。
 ブラッセル・すなっぷしゃっと。
 セン河にまたがり「沼の上の宮殿ブルック・ツエル」の転訛。
 オテル・ドュ・ヴィユ――市役所。ゴセックとルイ十四世式の効果的合成。十五世紀の建築。
 アンシャン美術館――ルウベンス・ルウベンス・そしてルウベンス。
 正義の殿堂プラス・ドュ・ジュステス――裁判所。前庭の階段にならぶ雄弁家の立像。シセロ、デモステネス、アルピアン。丘。中世紀的市街の鳥瞰。
 しょうべん小僧――ここでいうマネケンである。ルウ・ドュ・レテュルとルウ・ドュ・シエンの角。ちょいとした狭い裏通りの曲りかどに、へこんだ壁を背にして、この一尺ほどの不届きなブロンズはいつもそうそうと水の音を立てている。はだかの子供。一ばん古いブラッセル市民。伝説に曰く。むかしベルギイがどこかの国と戦って、旗色わるく既にあやうく見えたとき、時の王様だったこの小さな子供がちょこちょこと第一線へ走り出てそこで敵へむかって快然と放尿した。それから勢いを盛り返して難なく勝ったその記念だとある。なるほど言いそうなことだ。が、マネケンと称するわけは、この小僧はなかなか衣裳持ちで、市に何か儀式があるごとにその場合に応じた着物をきせられる。そこで衣裳人形マネケンの名。日本からも陣羽織が来ている。町の非常な人気者で、四、五年まえ或る老婦人は遺産一千フランをそっくりしょうべん小僧の維持費に寄附して死んだ。両側とも土産みやげものの店。「英語を話します」「独逸ドイツ語もわかります」と窓に広告してある。這入ってみる。マネケンの置物、マネケンのベル、マネケンの灰皿、マネケンのさじ、マネケンの Whatnot ――。
 無名戦士の墓――コングレスコウラムの下。一九二二年十一月十一日以来、昼夜とろとろと燃えつづけている火。脱帽。
 ヴェルツ美術館――ドュ・ヴォウティア街。アントニイ・ヴェルツ――一八〇六・一八六五――の個人美術館。もと彼の住宅兼工房だった建物に、大胆・異風・写実、そしてかなりの肉感・残忍・狂的・大作のコレクシオンが出来ている。いかに大作であるかは、そのうちのあるものを描くため彼は場所に困って寺院を借りようとしたところが、僧侶が彼を異端者あつかいして、貸す貸さないで一悶着ひともんちゃくあったというのでも知れよう。代表作。パトロクラスを争う。天国に対する地獄の叛逆。悪魔の鏡。死刑囚の幻想。地獄におけるナポレオン。秘密。薔薇。その他。隅の犬小屋と犬の絵も有名だ。つい先ごろまで幕のむこうに隠しておいてわずかに小穴から覗かせたという作も、いまは全部公開している。飢餓・発狂・犯罪と題する、狂女が赤んぼの足を切って鍋へ入れているところ、など・など・などがそれだ。「期待」は、裸女が寝室のとばりをあけて人を待っている図、「好奇心」では、これもやはり裸体の女が浴室らしい部屋の戸を細目にひらいている。孤児、生葬、カシモド、焼けどした子供――等すべて世紀末的なグロテスクネスの極致だと言える。ヴェルツはよく狂人だったと誤りつたえられているが、それほどの血みどろさ、ゆがんだ見方、変態さだ。しかし、成功か不成功か、とにかく彼は絵筆にものを言わせようとしている。ひとつの理想主義、革命的社会思想、階級意識、戦争と力への反撥――そういったものを取材テイマとする絵が芸術であっていいかどうかは第二の問題として――かれの絵は最も端的にそれを摘出し、議論し、口角泡をとばして、画室へ這入るとけんけんがくがくの声が四方の壁に沸き立っているような気がする。使命をもつ絵――ひっきょうヴェルツは十九世紀の漫画カリケチュアだった。が、この狂天才もたしかに人類生活の一飛石ひせきたるを失わない。いかにそれが気味のわるい飛石にしろ!――こういうとヴェルツは、その「自画像」に記して時人じじんに示した著名な文句を、そのまま繰り返すに相違ない。
「一たい絵画において批評ということは可能かね?」
 In matter of painting, is criticism possible ?
 白耳義ベルギー博物館――化石、前世界のとかげの大群。一訪にあたいす。
 大広場グラン・プラアス――夜あけから八時まで、朝露と大きな日傘と花のマアケットだ。ようろっぱで最も美しい中世紀広場スクエアのひとつ。大きな犬が馬のかわりに牛乳や野菜の車をひいて、でこぼこの石だたみのまわりを豊かな装飾の建物がとりまいている。その一つ「ギルド・ハウス」の二六・二七番に、一八五二年にヴィクタア・ユウゴウが住んでいたことがある。
 サンカンテネイル公園の芝生と池、宮殿のうえの並木街――ブラッセルの美は街路樹と街路樹の影にある――私たちは一日に何度となくその下を往ったり来たりした。ぱらぱらと小雨がおちる。木かげのベンチに腰をおろす。れるとまた歩き出す。一ぽん路を下町へおりると南の停車場だった。
 お祭りで、片側にずうっと見世物小屋が並んでいた。
 靴をとられそうに砂のふかい歩道にそって、力持、怪動物、毛だらけの女、めりい・ごう・らうんど、人体内器のつくり物、覗き眼鏡、手相判断、拳闘仕合、尻ふりダンス「モンマルトルの一夜」、蛙男かわずおとこ早取はやとり写真、「女入るべからず」、みにあちゅあ自動車競争、ジプシイ占いブランシェ嬢の「水晶のお告げクリスタル・ゲイジング」、生理医学男女人形、影絵の肖像画、ふたたび「巴里の夜」、大蛇、一寸法師、あふりか産食人種、飛入り歓迎「モンテ・カアロ」の勝負、当て物、キュウピイ倒し、だんすする馬、電気賭博に海底旅行――楽隊・雑沓・灯火・異臭・呼声・温気。肩、肩、肩。上気した人の眼、眼、眼。何しろ今夜は町の祭りだ。
 一フランから三法出して、私たちもその見世物の全部を軒なみに覗いてあるく。「顔じゅうに毛の生えている女」のまえで、私がセ・ビアン! トレ・ビアンと大声を発したら、見物の善男善女ほおをかがやかしてトレ・ビアン! と和唱し私語ささやきあった。正直で単純で熱情的な、羅典ラテンとフレミシュの混血族である。彼らはしんから感嘆しているのだ。ただ一つ「蛙男かわずおとこ」にはへんに吐きたくさせられた。これはほん物の不具者で、身長一尺未満――年齢五十歳前後――のからだに分別くさい巨大な顔がっかって、しかも極端にほそい小さな両手には、水掻きのようなものがついている。それが、何らの興味もなさそうにしずかに仏蘭西フランス語の俗歌をうたっていた。それは私も彼女も、当分食慾に支障をきたしたほどの眺めだった。
 アイスクリームを買いながらタキシを呼びとめ、そのタキシのなかでアイスクリームを食べつつ帰途につく。うしろからはまだ、祭りの雑音が夜風とともにタキシを追ってきていた。
 星あかりだ。
 あしたの天気は楽観していい。

   嘆きの原

 尼院の森ボア・ドュ・ラ・コム、ソワアニの森――このソワアニはブラッセルの「ボア・ドュ・ブウロウニュ」だ――とにかく、みどりの反映で自動車内が、乗っている私も彼女も真っ青に見えるほど、いつまでもいつまでも森のなかばかり走ってる。森だからやたらに大木が生えて、その古い大木がまた出鱈目に枝を張って、枝の交錯から午後の陽が洩れて、土と朽葉くちばのにおいがつめたく鼻をついて、湖があったり、まきをしょった女が小路に自動車をよけていたり――そのうちに森を出たと思ったら、いきなり宿場みたいなほこりくさい町の真ん中へ停めて、運転手の赤ら顔が私たちを振りかえった。
『あれです! 一八一五年六月十七、十八の両日、ウェリントン将軍の参謀本部となったうちは。いまは村の郵便局ですがね。』
 私たちはウォタアルウ古戦場へ行く途中だった。いや、もうここがウォタアルウの町だという。見ると、いかさま「すっかり当時を心得て」いそうな建物が、ふるくて汚いくせに妙に威張って建っている。ここにおいてか私は、
『ははあ、そうかね。大したもんだね。』
 と一つ、亜米利加アメリカ人の観光客みたいに曖昧に感心しておいて、彼女を促し、ショファを引具ひきぐしてちょっとそのウェリントン大公の参謀本部を訪問する。
 二階が本部兼居間兼寝室だ。「すっかり当時を心得て」いそうなお婆さん――このの主婦兼ウォタアルウ郵便局長――が出て来て、
『これが将軍の使った椅子と机。』
『ははあ、大したもんですな。』
『これが将軍の寝台。』
『へえい! 大したもんですな。』
『これが将軍の――これが将軍の――これが将軍の――。』
 弾丸だの槍だのぼろぼろの肩章だの――もちろんすべて将軍の――を一まわり見て戸外そとへ出る。
『これが将軍の踏んだ階段だね。』
 私がこういって木の梯子はしご段をこつこつ蹴ったら、運転手は眉を上げて保証した。
『もちろん、そうです。』
 じぶんのものみたいだ。この運転手はブラッセルの町で拾ったのだが、若いにしてはじつによく「当時を心得」ていて、把輪ホイイルを握りながら、散策中の鶏や犬や、時には村人をあわやきそうになるのもかまわず、はんぶんうしろを向いて盛んに饒舌しゃべり散らす。
『ええ、十七日の十一時ごろから明け方へかけて土砂ぶり、ナポレオンの兵隊は足拵あしごしらえがよくなかった――おまけに大きな溝がありましてね。いまそこへ行きますが。』
 そこへ行こうとして曲り角へ出る。オテル・ドュ・コロウヌと看板を上げた村の倶楽部くらぶみたいなささやかな居酒屋がある。
『一八六一年、ユーゴウはこの家に滞在して、あの「ああ無情レ・ミゼラブル」のなかのウォタアルウのところを書いたんです。やっぱり実感を得に来たんでしょうなあ。』
 ここでも運転手は自分が書いたような顔をする。ぞろぞろ下りて這入りこむ。
『ユーゴウのいた部屋を見たい。』
『ビイルか葡萄酒ぶどうしゅかレモナアドか、何を飲む?』
 バアのむこうに控えてる女は一こうに要領を得ない。その要領を得ないところを掴まえていろいろに詰問すると、まことユーゴウのいたことは事実に相違ないが、もう代が変ってすっかり判らなくなっているという。この問答を聞いて、むこうで村の坊さんがひとりでにやにや笑ってる。仕方がないから運転手君と三人でレモナアドの大杯を傾ける。今こいつに酒精アルコール分を許しては大へんだからだ。
 それからまた田舎みち。モンサントジャンの野原。ここがほんとの戦場だ。陽がかんかん照って「土のピラミッド」が立ってる。下に「当時のパノラマ」の見世物がある。這入ってうっかりしてるとのこのこ案内者がついてきて勝手にまくし立てる。
『この時ナポレオンは兵七万一千九百四十七を擁し、あれなる白い百姓家プランシノアに陣取りまして午前九時、あい変らずこう左手をうしろに廻して白馬にまたがり――それに対し聯合軍は、こちらのブラン・ラルウの街道を押さえ――。』
 見たようなことを言ってる。
『ははあ、どうも大したもんだな。』
『大変でしたろうねえ、ほんとに。』
 ほどよく感心してビラミッドへ登ると、頂上に獅子像が頑張っていて、いま見たパノラマの現場は指呼しこのうちだ。
 天地悠久と雲が流れて、白耳義ベルギーの野づらはうらうらと燃えている。ここにも「すっかり当時を心得」たのが網を張っていて、
『あれ! あすこに見えまする一本の木――奥さんマダム、見えますか?――あれがナポレオン軍苦戦のあと。それから、むこうにぽっちり窓の光っております一軒家は――。』
『ははあ、どうも大したもんだな。』
『大へんでしたろうね、ほんとに。』
 下りてみると、日向ひなたの自動車のなかで運転手がぐっすり居眠りしていた。とうとうこっそりったとみえて、車内にぷうんとにおいが漂っている。これで鶏も犬も人もかずに、ソワアニュの森では大木をよけて、無事にブラッセルまで帰れるかしら?
 なあに、いくら酔ってても、じぶんの車だけは大事にするだろう。
 ウォタアルウ古戦場で、私は計らずも一句うかんだ。ものになってるかどうか、お笑いにまで――。
夏草やつはものどもの夢のあと

   オリンピック1928

日光・群集・筋肉・国旗。
 開会式。曇天。寒風。
 近代的古代希臘ギリシャ之図。
 放鳩。奏楽。
 各国選手入場――ABC順。
 亜弗利加アフリカ。みどりの上着に白のずぼん。
 独逸アルマニュ。上、濃紺。下、白。
 ブルガリアは騎兵だ。
 加奈陀カナダ。上、白。下、赤。
 智利チェリーは白。
 埃及エジプト。赤い帽子。青いコウト。灰色のぱんつ。
 亜米利加アメリカ。上、青。下、白。
 旗手ワイズミュラア。
 ハイチ。黒人、一人。
 伊太利イタリー。こうと灰色。うすい青のずぼん。
 日本。上、青。下、白。役員はフロックコウトに赤靴だ。
 旗手高石たかいし
 墨西哥メキシコ。白に赤襟。
 モナコ。白衣にあかい帽子。九人。
 パナマ。ひとり。
 参加国全四十五。
 宣誓。演説。
 演説。演説。演説。
日光・群集・筋肉・国旗。
 百メートル。二百メートル。
 四百米。タイム五六秒五分の一、五分の三。
 ピストルとストップ・ウォッチ。
 続出する新記録。
 世界レコウド。
 また世界レコウド。
 国家として切るテイプの清新さ。
 オフィシェル・プログラマ? の叫び声。
 高飛び。槍投げ。
 予選。準決勝、そして決勝。
 メインマストの国旗。全スタンド起立。
 脱帽。国歌だ。
ナガタニ――イ!
オダア!
 永谷ながたには254。
 織田おだは257。
 沖田おきた。258。
 南部なんぶ。255。
 人見ひとみ。265。
 あれは誰だ?
 667――加奈陀カナダのウィリアムス。
 553はあめりかのパドック。
日光・群集・筋肉・国旗。
 五色の輪の踊るオリンピックの旗。
 あ! あそこへ行く――。
 いま誰かと立ち話ししている超人ヌルミ。
 おなじく人間機関車のリトラ。
 ハアドル、それから走り巾とび。
 ホップ・ステップ&ジャンプ。
 257――わあっ! 日本の織田だ!
 結果、一五二一。
 セレモニ・オリンピイク!
 オダ・ヤポンの声。
 日章旗! 涙!
 君が代が和蘭オランダの空へ。
 ああ、スポウツにりて白熱する帝国主義!
 帝国主義礼讃。
 勝つことの礼讃。
 少年のような愛国心!
日光・群集・筋肉・国旗。

   おらんだ国巡遊手引き

 自序として、和蘭オランダに関する必要な知識を、まず二、三左に列挙しよう。
 ハランド――どうも独立国らしく思われる。地理については、地理の本の和蘭オランダの条参照のこと。ここではただその地形を略説せんに、概して土地、海面より低く――他の多くの国は幾らか海よりも高きを原則とす――一望さえぎるものなき平原にして、たまたま丘、もしくは山と見ゆるものあるは、怠惰なる牛の座して動かざるなり。また時に遥かに連山の巍峨ぎがたるに接することあれど、すべて雲の峰なれば須臾しゅゆにして散逸するをつねとす。
 気候。驟雨しゅうう多し。青天に葉書を出しに行くにも洋傘コウモリを忘るべからず。
 歴史。歴史の本に詳し。
 名所。国をあげて遊覧客のためにのみ存在す。
 国民性。偉大なる饒舌家。老若男女を問わずよく外国語――日本語以外――をあやつり、即時職業的ガイドに変ず。自己ならびに過去を語るを好み、向上心に乏しく、安逸と独逸ドイツ風のビールと乾酪チーズをむさぼる。人を見ると名刺をつき出し、署名を求める癖あり。皮膚赤く、髪白く――小児も――顔飽くまでふくれ、温順なる家畜の相を呈し、世辞に長ず。
 名物。風車、木靴、にせダイヤ、おらんだ人形、銀細工、ゆだや人、運河。
 アムステルダム――ことしはオリムピックという柄にもない重荷をしょって、町じゅう汗たらたらだった。おかげで私たちも暑い思いをする。
 宮殿――百貨店と間違えて靴下を買いに這入ったりしないよう注意を要す――猶太区域ゲットウ、レンブラントの家、コスタアのだいやもんど工場、国立美術館――レンブラントの Night Watch、エル・グレコ、ゴヤ、ルノアウル、ドラクロア、ミレイ、マネエ、モネエ、ドガ、ゴッホ、ゴウガン、ETC。
 一度停車場まえの橋下からベルグマンのウォタタキシで市内の運河めぐりに出ること。
 フォレンダムとマルケンの島――遊覧船で一日。風と浪とに送られて――それだけ。
 ヘイグ――モウリツホイス美術館のレムブラント筆解剖の図アナトミカル・レッスン、イエファンエンプウルトの牢獄、これはいま博物館になって、昔からの拷問刑罰の器具を細大洩れなくあつめてある。ヘイグでのA・NO・1。
 ちょっと電車でシュヘヴェニンゲンの海水浴場へ行くといい。人ごみのカシノで食事し、一ギルダ出して人混みの桟橋を歩いてしまうと、まずおらんだはこれでENDだ。
 で、END。
 和蘭オランダで感心するもの、雲の変化。
 かんしん出来ないもの、人心と緑茶グリン・ティ――とにかく私たちはホテルでこの茶を飲まされ、ふたりとも二十四時間立てつづけに眠って、折角のゲイムを一日ミスしてしまった。察するところ蘭医の薬草だったに相違ない。眼がさめたからいいようなものの、よっぽど訴訟を起そうかと――覚めてから――思った。ここに特におらんだの緑茶に対し、同胞旅客に向って一大警告を発するゆえんである。

   飛ばない鷲の巣

 せまい田舎みちの両側に木造の低い家がならんで、道には馬糞の繊維が真昼のファンタジイを踊り、二階の張出しでは若い女が揺り椅子に腰かけて編物をしていた。そして――いまどき若い女が神妙に揺り椅子に腰かけて編物をするくらいだから、その周囲の風景も押して知れよう。すなわち、化けそうな自転車があちこち入口の前に寝そべり、それを揶揄やゆしてひまわりが即興歌をうたい、何かくわえた大猫がゆっくりと街道を横ぎり、そのあとからもう一匹の大猫がゆっくりとつづき、塵埃じんあいの白い窓枠に干してある二足の木靴が恋をささやき、村の肉屋は豚肉のうえに居眠り、それへ村の医者が挨拶して通り、どこからかうまやのにおいとハモニカの音律が絡みあって流れ、横町にはすぐ麦畑がひらけ、退屈し切った麦に光る風がわたり、そうしてそれらのすべてのうえに夏の陽がじいっと照りつけたり、にれのてっぺんにしつこいせみの声があったり、小犬がじぶんの尾と遊んでいたり、それを発見した二階の女が編物を中止して笑ったり、その笑いに一家眷族けんぞくみな出てきて盛大に笑いこけたり、そこへ、話しに聞いたばかりで未だ実物を見たことのない日本人が、しかも夫婦で来ているとあって、唯一の旅人御宿おんやどホテル・パブストのまえに村ぜんたいが押しあいへし合い、気味わるそうに凝視し批評しにやにやし、おい、おれにもすこし見せろ、だの、やあ、何か饒舌しゃべってらあ、真黒な髪の毛だなあ、ことのと、いや、そのうるさいったら――さて、ひとりでいい気に進めてきたが、ここらでちょっとテンポをゆるめて場処の観念を明白にしておく必要があると思う。そうしないと、どこで何を騒いでるんだか一向わからないから――そこで、なにを隠そう、この僻村こそは、和蘭オランダユウトラクト在なになに郡大字おおあざ何とかドュウルンの部落である。
 では、一たいどうして私たちが、この何なに郡大字なんとかのドュウルン村へこつぜんと姿を現わしたかというと、なにもわざわざ小犬がしっぽ――小犬じしんの――に戯れるのを見に来たわけではない。これには一条の立派な理由があるのだ。
 知ってる人は知ってるだろう。前独逸ドイツ皇帝ウィルヘルム二世は、いまこのドュウルンの寒村で配所の Moon を見ているのだ。
 順序としてそもそもからはじめる。
 そもそも私たちはアムステルダム市にひとりの知友をもつ。ヴァン・ポウル氏と言って船具会社の重役だが、ある日、私たちが通行人のなかから物色して、卒爾そつじながらとみちを訊いたのがこの親切なヴァン・ポウル氏で、翌日氏は、どこか会社の近処の食料品店で見つけたが、これは日本人の飲料であろう、よろしく召上れと名刺をつけて、給仕を私たちのホテルへつかわし、日本醤油ヤポン・ソウヤ――ヨコハマ太田製FUJI印し――の一瓶を贈ってくれた――何をいうにも旅中の身、はなはだ心苦しい次第だが、これはまた貰いっぱなしになっている――りなんかして、その「ソウヤ」はばかに塩辛く――というわけ。そこで話を醤油からカイゼルへ戻すと、これが縁で短期の交際を開始した私たちとヴァン・ポウル氏が、一夕ファイエンダムの大通りを散歩しながら、
 私『この田舎のドュウルンに。』
 氏『ええ。カイゼルがいますよ。ドュウルンは私の故郷で、このあいだもちょっと帰ってきました。』
 私『それあ有難い! あなたの御尽力で彼に会えないでしょうか。』
 氏『彼って、カイゼルにですか。会ってどうするんです?』
 私『どうってただあいたいんです。ぜひ一つ何とかして下さい。』
 氏『さあ、困りましたな。私もべつにっているわけではなし、公式に面会を申込んだって、勿論そりゃあ全然駄目にきまってますし――。』
 と、暫時ざんじ沈思黙考していた氏が、ああ! お待ちなさい、いいことがある! と傍らの珈琲コーヒー店の食卓ですらすらしたためてくれた一通の紹介状、これを持っていらっしゃいという、見ると、紹介状はドュウルンなるホテル・パブストのおやじへ宛てたものだ。私がつい、こんなものでいいんですかという顔をしたら、かの親切なるヴァン・ポウル氏は、まあ試しに行って御らんなさいと葉巻のけむりのなかで笑ったのである。Well、その翌朝、善はいそげとあって、直ぐさま汽車に揺られ、荷物のごとく乗合自動車に運ばれてこうして野越え山こえ――おらんだのことだから山はないが――ドュウルン村へと辿り着いた私と彼女だ。
 猫・木靴・ひまわり、麦の農村の平和と、ホテルの主人の昼寝とを一しょに妨げてしまう。いやに太陽の近い感じのする暑さだ。
 ややあって出てきたあるじパブスト氏は、村びとの環視のなかで、急がずあわてずまず紹介状の封を切り、それから眼鏡を出していろいろすわりを直し、長いことかかって一読再読し、つぎににわか作りの威厳をもって私たちの相貌風体を細密に検査して、のちおもむろに口を切った。
『お前さん方、ほんとの日本人かね?』
 私があわてて、そのほんとの正真正銘の日本人なることを力説し主張すると、かれパブスト老は急に述懐的口調になって、
『しばらく日本人を見ませんでしたよ。そうさ、かれこれもう六、七年になるかなあ、夏でした。いや秋! 左様さよう、やはり夏だったね。年寄りの日本人の行商人がひとり絵を売りにきたね。日本の絵さ。うちへ泊ってこのさきの――。』
 どうも綿々として尽きない。仕方がないから黙って笑っていると、老人もひとりでに事務へ返って、最後にもう一度手紙を読みなおしてから、特権をもつ人の非常な重要さでつぎのように言った。
 第一に、私たちはいま一に運命の動きにかかる冒険アドヴェンチュアに面している事実を、はっきりと自覚しなければならないこと。なぜなら、Old Bill ――おやじはカイゼルのことをそう呼んでいた。オウルド・ビル、つまり年老いた前独帝ウィリアムだ!――にうまく会えるかどうかは、ただ運命が私達のうえに微笑ほほえむか否かによってのみ決するのだから。というのは、オウルドビルはよくふらふらと風に吹かれてドュウルンの村をあるいている事がある。そして、おもてへ出だすと、このホテルへなぞ毎日のようにやって来て、そこの椅子に――とパブスト氏は応接間パアラアにある奇妙な三角形の椅子をゆびさして――半日でも腰をおろして世間ばなしをして行く。が、それは多く冬のことで、夏はあんまり外出しないようだ。それでも絶対に出てこないとは限らない。現に十日ほど前もぶらりと這入って来て、子供――パブスト氏には七、八つの女の児がある――の頭を撫でたり、アムステルダムの新聞を読んだりして帰って行ったから、ことによるとまた今日あたりひょうぜんと入来しないともいえない。もとより必ずくるとは断言できない。しかし、こうしているうちにも、そこらへぬうっと出現するかも知れないし、そうかといって、運がわるければ、何日待っても一歩もやしきのそとへ出ないこともあろう。だから、どうせ来たものだから、今夜はゆっくり一泊して機会の到来を祈るがいい――とこういうのだ。そして、老人はつけ足した。
『オウルド・ビリイはこの客間がばかに気に入りましてね、お屋敷のなかへこれとおんなじ部屋を一室つくらせましたよ。』
 そういって彼は、その自慢の応接室へ私たちを招じ入れた。
 それはさして広くもない黒い板張りの一間で、カアテンから机かけ敷物にいたるまですべて和蘭オランダ領ジャヴァの物産をもって装飾してある、ちょっと東洋的な、感じのいい部屋だった。極彩色の古風な大時計がことに私たちの眼を惹いた――それはいいとして、カイゼルだが、こう聞いてみると悲観せざるを得ないようでもあるし、一面また、何しろ相手が生きてる人間のことだから、いまにもやって来ないとは保証出来ないので、大いに勇躍していいようにも思われる。どっちにしろ、絶対にこっちから襲って行くみちのない以上、全く老人のいうとおり、運命を信じつ祈りつつ、暫らく待ってみるよりほか何らの方法もないということになる。で、この「神さまに忘れられた」ドュウルンに、あわれ一夜をあかすことに決心していると、パブスト老は二人のボウイをはじめ女中下男の一同をあつめて、誰でも、どこかでカイゼル、もしくはカイゼルに似た人――後姿でもいい――を見かけたものは、宙を飛んで急を私たちに告げよと申し渡している。珍しい日本人が舞いこんできたので老人何でもする気でいるのだ。召使い一統もめいをかしこんで「YA・YA!」と口ぐちに答えている。私も知らん顔もしていられないから、老人へは葉巻を二本、他の連中へもそこばくの黄白こうはくを撒いて「どうぞよろしく」とやった。
 が、いつとも知れないその報告を当てに、ホテルの二階にのんべんだらりとしているわけにも往かないから、またパブスト氏をつかまえてカイゼルの現在の人相をくわしく訊きただすと、彼――というのは老人のいわゆるオウルド・ビリイ――は、この頃好んで、昔よく流行はやった灰色の両前の服を着て、からだはせて高く、ふるい麦藁帽子の下から白髪を覗かせ、それに赤黒い顔と白い顎ひげ、すこし左の肩を上げ気味に、ステッキでそこらの草や石をやたらに叩きながら、忙がしくてたまらないといったようにせっかちに歩く――という。これもどうも平凡で、こんなおじいさんはざらにいそうだが、カイゼルなら村の人がみんな挨拶するからすぐ判るというので、そこでドン・キホウテとサンチオ・ハンザのように、ふたりはいよいよこっちからカイゼルをさがして、午後のドュウルンの村落へ立ちいでた。
 そうするとやはり往還すじに馬糞がダンスし、そのなかを猫が悠歩し、猫に向日葵ひまわりが話しかけ、木と家と乾草の塚と私たちの影が、いたずらにくっきりと地を這って、白日に物音ひとつなく、こうしてあるいていてもいつかうとうとと眠りそうになる。それでも私は、カイゼルに出会い次第取るべき態度、いうべき文句の数々を心中ひそかにととのえていた。何でもいいから見つけるや否、敬意と質問を引っさげて猟犬のごとくどこまでも肉迫することだ。そう私は決心していた。
 せまい村うちだから、すぐにカイゼル幽閉の家のまえへ出た。ちょっと土地の豪農といった構えで、アウチ風の門に門番が立っている。私がきく。
『EX・カイゼルはいまいますか。いま何しています?』
 彼は笑って答えない。しばらくしてこんなことを言った。
薔薇園ロザリアムを見せてあげましょう――カイゼルのばら畠を。』
 そして切符のようなものを二枚渡してくれたので、念のため、
『幾らですか。』
『おぼしめしで結構です。』
 思うにカイゼルへのお賽銭さいせんであろう。そばに一文字に小穴のあいた木箱と訪問者名簿が置いてある。そこで私は金一ギルダ也をその穴へ落しこみ、日本語で日本東京と下へ名前を書いた。
 むこうに本館が見えて、あけはなした窓に白いレイスが動いている。傷ついたゲルマンのわしの鳥籠だ。立って眺めていると、うしろに人のけはいがした。独逸ドイツ児島高徳こじまたかのりに相違ない。老夫婦が一組、私たちがいるのも眼にはいらないふうで、感慨無量といった顔でたたずんでいた。
 それからロザリアムへまわる。邸宅と小道をへだてた一劃で、もとの皇帝ウィリアム二世は、ここで余念もなく薔薇をつくっているのだ。ちょうど季節もよかった。前陛下の御丹精になる色とりどりの花が咲き乱れ、そこここに二、三の園丁が鋏の音を立てて、上には、夏の空に団々たる雲のかたまりが静止していた。ここにも児島高徳らしい独逸人がかなり逍遥している。その児島君のひとりに頼んで、薔薇を背景に私たちをスナップしてもらう。
 邸は高い木に取りまかれ、鉄柵がめぐらしてある。その直ぐそとに小径こみちがついていて、落葉を踏みしだいた靴のあとが、てんめんとして去るに忍びない独逸製児島高徳の胸中と、私たちのような無責任な旅行者のものずきとを語っている。
 刑事のように私たちも長いこと家の周囲に張り込んだ。がくれの池にさざ波が立って、二階に見える真鍮しんちゅうのベッドの端が夕陽にきらめくまで――。
 気早に歩く灰いろの背広、草を打つステッキ――それは私の幻想だった。
 ドュウルンに夜がきて、夜が明けた。
 運命はついに私達のうえにほほえまなかった。が、私は会わなかったことを感謝している。前帝王が路傍に私という無礼者の奇襲を受けていらいらする場面――老いたるウィルヘルムはいま心しずかに薔薇をつくっている。君! これでもうたくさんじゃあありませんか。
 あくる日はまた白日に物音ひとつない青天だった。
 ユウトラクト街道に馬糞の粉末が巻き上り、そのなかをのそりと猫が横ぎり、もう一匹よこぎり、二階ではきのうの女が編物をつづけ、それへ向日葵ひまわりが秋波を送り、退屈し切った麦の穂が――ユウトラクトの停車場で、ハンブルグ行きの汽車を待つあいだ、私たちはかの親切なるアムステルダムの紳士、ヴァン・ポウル氏へ一書を飛ばした。
 カイゼルに会い、いろいろと談じ食事をともにしました。特にあなたへ宜しくとのことでした。





底本:「踊る地平線(上)」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年10月15日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
   1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
2003年6月15日修正
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