続スウィス日記(千九百二十三年稿)

辻村伊助




帰郷




 蒼茫として暮れてゆくアルプスの群山を仰げば、あの氷の上を羚羊かもしかのごとく跳び廻った日が夢のように遠い。
 日にさらされた蛍光石の闇に光を放つように、身に沁みた歓びを胸底に秘して、眼を閉じて回顧に耽った幾年が、今、こうして染み染みと山にむかえば、あたかも果敢ない幻影であったかの如く思われる。僅かに放射する有るか無きかの光、それを以て如何いかにして太陽の光輝を想い得よう、日に照せば彼は一片の石塊となる、回顧はついに茫乎として去った夢をうに過ぎない……私はつくづくと年の経ったのを感じた。
 妻と小さな子供をれている私には、横浜を出るとき親しい友達は桟橋に残ってしまったが、それでも旅らしい気分になれなかった。
 一と月半の船の上も平常と全くかけ離れた生活ではない。次ぎ次ぎと現われて来る港々の景色にもこれと云う変りは認めなかった。然し航路は山へ急ぐ旅人にも決して不快なものではない。アラビヤの沙漠をわたる熱風を満面に浴びて遠くシナイの山顛さんてんを眺め、火のような阿弗利加アフリカの、空にはアクラブ Akrab, 10000ft. の英姿を仰いで、いくたび船の上で山を讃美したろう。
 涼風の通う地中海に、マストに近くクリートの残雪を指さし、乱積雲を想わせるエトナの噴煙を左舷に望めば、リパリ、ストロムボリと、指顧に暇ない船はガルフ・ドゥ・リヨンの平な水をわたって、地平線上にはかすみのようにアルプ・マルティムが現われて来る。
 日の強い南欧の平野をあとに、昨日はジュネーヴの風に吹かれて、透明な真夏の空に、サレーヴの新緑を旅宿の窓に眺めた時も、また、その麓を囲む白亜の家と濃い碧藍を埋めたレマンの湖を見下しても、朝夕逢う友人に何の変りも認めないように、記憶のままなのを当然であると思っていた。
 汽車はオーベルラントの高原を走って、窓を吹きぬける風は水のように冷い。新緑の丘と碧玉の水と、それを点接する白樺の梢に遠く、キラッと光るアルプスの主脈を瞥見した時、渦巻くようにこみ上げて来る感激に胸は一杯になった。磁石の鉄片を吸うように山は力強くこの心を引く、「我がこころ高原にあり」と歌った詩人の声を私は明らかにこの耳に聴いた。
 自然に対するとき人は微細な鉄屑に過ぎぬ、腕は父らしく無心の児を抱いているが、天外の雪に吸いよせられるこの心をどうすることも出来ないのだ。私は手帳の片はしに

人も惜しされどいつしか妻を趁ふ眸は雪の山にむかへる

 と書きつけて寂しく妻をかえりみた。
 沿線の牧場に遊ぶ牛の群が子供達の興をひいた、然し父の耳には牛の鈴クーグロッケのほがらかな響さえ、かれの過ぎ去った日を葬る挽鐘のように悲しく響いた。この六年の間遠く故郷に離れていた妻は、今再び、彼女を生み彼女をはぐくんだアルプスの連嶺に迎えられる喜びを子供達に分けようとする様に、頬ずりしながら山を指す姿を見ると、私はさびしくなってゆくばかりだ。父として夫として私は、彼等を見守っているが、しかしあの山頂をかすめて風に吹かれる雲のように、心は、ともすれば雲の上をさまようておる。家族と共に居れば独り離れて山を思い、山に入れば却って麓に残した家族を想うのではあるまいか。私にはあの前の独り旅がたまらなくなつかしい。何の羈絆きはんも拘束もなく、興に乗じては嶺から嶺を渡り歩いて、山で死ぬ日をすら美しく脳裏に画いた若い日は、もう私には再び帰って来ないのか……。子を膝にのせて山を見ている妻をいじらしく又尊く私は感じた。そして同時に、裏切るような不純な自分を、山も亦人も思うままに愛し得ない自分を、つくづく情なく感じたのである。
 窓外の景色はいくたびか変って、青葉に包まれた町や村が眼まぐるしく走った、そし尚[#「そし尚」はママ]幾つかの停車場を数えるのさえ、帰郷を急ぐ妻にはたまらなく待ち遠しかった。子供達まで好奇の眸を光らして幾度も窓から首を出しては母親に叱られている。然しその中に私はひとり取り残されて、発車信号の六点鐘を寥しく聞きながら、眼を閉じてアルプの雪を思い過ぎ去った前の旅を憶った。むくろを搬ぶに似た汽車は山脚の樹林を貫いて遂にシュピエツに着く。
 桜桃キルシュの実のる七月なかば、こうして四度スウィスを訪れた……。
 薄くもり日の日暮れに近い雪の山脈は、この日も空に屹えていた。トゥーンの水は暗く沈んで、プロムナードのポプラの若葉が際だって明るい。湖水を囲む前山の急斜は、残雪のまだらに見える岩壁の麓を取りまく常緑樹の森と、一抹のもやを含む落葉松林の入り交った丘につづいて、南へ曳く高原の空にはブリュームリスアルプが氷山のように美しい。
「●「続スウィス日記」原稿」のキャプション付きの図
●「続スウィス日記」原稿

 私達は長い旅の後こうして湖畔の家へ帰って来て、窓をあけ放してこの景色を眺めた。そこには何の変りもない、すべてが元のままだ、庭さきから湖へつづく草原にはカムパヌラや羽衣草が繁っている。シュピエツ城の塔の風見がフェーンの風に曲ったのも昔のままだ。アルプの雪は軒端に近く、人も家も山も湖水も、涙ぐんだ眼から寥しく消え去ったあの六年前が、こうして見ると僅か四、五日あとのような気もする。が、窓に近い桜桃は驚くほど丈がのびて、あの頃は枯れ残った黄葉が二葉、三葉、不安らしく木枯の風にふるえていたが、見れば生き生きと岳おろしにそよぐ青葉の蔭に紫黒色の実を綴って、その梢を圧して屹えるニーセンの北面には、七月とは云えやっと萌え出たらしい若草の急斜と、樅か唐檜の真黒な木立を貫いて、はすっかけに二条の残雪が光っていた。
 日は程なくり方の雲に隠れて静かな夕暮は来た。暗い湖水のどこからと知らず湧き上って水面に凝集する薄靄は見る見る溢れて、地は静かに夕闇の底に沈んでゆくが、空は却って夜が明けてゆくように刻々と明るくなって、淡い今にも融けて消えそうな山の輪廓が桃花の如く夕陽に――高く、驚くほど高くうつし出された。
 然しアルペングリューンの見るまに淡く薄れてゆく雪の光の、見れば見るほど、異なった感じを与えるのが、今初めて逢った現象のように、もう前の旅を忘れていたのかと疑えば疑えるほど、遠いかすかな記憶のようにさえ思われて来る。自然は刻々に変りつつある、人はその小さな陰影に過ぎない、山を思う心は瞬時もあの雪から離れてはならないのだ……私は過去を顧みた、そしてアルプの雪に遠ざかったこの幾年が、賑やかな寥しい長い年月であったのを、こうして今しみじみと感じたのである。
 山を仰いだ刹那湧きあがるかと覚えた歓びはいつか消えて、胸を圧迫する重苦しさをどうすることも出来ない、あたかも遠い漂浪の旅から故郷に辿り着いたような寥しさを感ずるだけだ、喜びではない、また悲みでもない、私はハラハラと涙を落して、胸を押えてジッと夕闇の空を見いった……ああ故郷。
 その晩はとうとう一睡もしなかった。いくたびもそっと床を離れては窓際に来たが、しーんと寝静まった村の中に、自分ひとり落ちつかないのが不安に感ぜられるばかりだ。窓を押せばすうっと流れ込む山の空気が気持よく熱した頬に触れる。野も林も寂として声がない、対岸の灯が蛍火のように明滅する――アルプスの群山は濃い闇に吸いこまれて、空に星はさんとして輝いているが、氷の片影すら認め難い。
 然し、高緯度の国の夏の夜ほど寝つかれぬ身に楽しいものはあるまい。鐘塔が三時を報ずると間もなく、もう闇の裏にも何となく、朝の近づくけはいがする、ものの動く力を感ずる、森の木の葉はフレッシュな風に微動し、野の声、水のささやき、ありとある物象は微笑し低吟する。自然は今静かに目ざめて、レスタテメンテに朝の序楽が奏される時だ。明るいほがらかなトーン・クレシェンドの美しい曲、そこに何等哀愁の響はなく、黒鶫アムゼルの高音が短笛ピッコロのように鋭い、あのアッフレタンドの旋律だけでもどう聞いても平原の調ではない――こうして夜はほのぼのと明けてゆく、湖に浮く朝靄と見分けがたい炊煙すいえんが青葉に包まれた村のあちこちにも棚曳く頃には、黒鶫アムゼルはいつか城跡の森へ飛び去って、木立の奥から遠くかすかに「エコー」のように、その旋律がくり返される。
 然しこの楽を聴くとともに、幻影のように照らし出されるアルプスの大観を見落すことは出来ない。山と湖水の間には、幾段の靄が水平に懸かったまま、驚くべき高度の差を示しておる、空はぼーっと霞んでその奥に何か明るいものの象を蔵しているらしく見える。湖水の正面にピカッと光っているのは、雪だ、山頂の雪だ、グロース・シュレックホルンの絶顛に「二羽の白鳩」と呼ばれる雪のフレックだ。
 朝日は間もなくファウルホルンの一角から表われる、団々たる朝暾あさひが岩角に登るや、空はエーテルのように引火して一斉に白光と化してしまう、もう湖水の方へはまともに顔も向けられない。窓にシャッターを閉めて南むきのヴェランダに出ると、もう子供達も小さなセルヴィエットを着けて朝餐の卓について居る。紅玉を砕いたような桜桃のジェリー、今朝焼いたばかりの Weggliウェックリ、アルプから届けてれたあたらしい牛酪アンカなどが、どんなに一同を喜ばせたろう。卓上には露にぬれたカムパヌラが挿してある、私達も子供のように喜んで久しぶりに国の朝餐を味わった。
 然しこの楽しい食事の間にも、絶えず眼は白樺の梢にそそがれた。そこには南東にあたって、モルゲンベルクホルンからカンデルの渓へ曳く長い斜面が、草原も木立も水を浴びたようにあざやかだ。アッシ・リエトの寒村が山側の高原に点在するうしろには、ブリュームリスアルプの山塊が屹えておる。氷山のようなこの群峰は今白熱の中心となって、天の一角から、強い冴えかえった眩しい光線を輻射している――あれが氷雪に包まれた山岳だろうか――馬鹿な! 火の塊だ、白熱の霊火だ、宇宙の光源だ、我等が情想の熱源だというのをどうして人が知らなかったんだろう。
 その中心にあたってワイセフラウは、三稜にって落したグラートから閃光を放って直視するに耐えない、やや低いウィルデフラウの絶壁は、真ッ黒にきっ立った岩角が、殆ど太陽の黒点を想わせる……。
 この眼の眩む空の光に比べて、何と云う柔かな裾野だろう。緑の野には陽炎がもえて、クーライエンが恐らく朝空に朗に響いているのだろう――食事のあと杖をふりながら丘の上に立ったのは、未だ朝露のかわかぬころであった。
 空には晩春のようにまだ雲雀レルヘが鳴いている、しかしクーライエンは聞えなかった。牛も山羊もみなアルプへ追い上げられて、雪の消えた高原に山草をんでいるのだろう。Alpfahrtアルプファールト! 言葉を聞くだけで心のすでに浄化されるを覚える。山へ行こう、この高原を越えて雲のように山へ行こう!
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Bundestagブンデスターク




 登山準備を山登りと殆ど同程度に愉快に感ずるのは決して私一人ではあるまい。一日がかりでシュタイクアイゼンにやすりをかけたり、靴の曲った釘を打ちかえたりするような、はたから見るとたわいもない労力までが、もう岩角へとっついたように緊張させる。久しぶりに登山服を取り出して、いつの夜営の記念だろう、偃松はいまつけむりの染み込んだのを頬にあてると、遠のいていた華やかな日を呼び帰したように生き生きする。「オバケだと思やしないか」と云いながら、会員のゴースデンがひょっくりやって来たのは、こんな仕度をしていた雨の日であった。昨日ベルンでモリエーに逢ったら、君はまだ来ないだろうと云っていたなど話した。まだ日本にいることと御互いに思っていた二人が、ここで山の計画を語り合うのは実際思いがけないことだった。那須皓君が来て、二、三日するとまたあわただしく山の方へ行ってしまったのも、その間のことであった。
 私は「船の上で幾度も山を讃美した」と書いた、その話対手は横浜から隣のケビンで一緒にジュネーヴまで来た会員の那須であったのだ。然し湖水の藍色の水を一眼見ると、ものにつかれたようになって、私達のとめるのを振りきって、どうしても二、三日遊んでゆくと云い出したその二、三日が、四、五日となり五、六日と変って、明日は行くと云う日付の異った幾枚かの絵葉書が湖畔のあちこちから送られて、山へも行かず待ち暮らした私のところにやっと着いたのは、うそ寒い日が幾日か続いた七月も末となって居た。そしてジュネーヴに比べると夏と春ぐらい陽気の違うオーベルラントは、湖水の照りかえしで日に焼けて来た那須には余程意外であったらしい。
 私達は晩餐のあとかかさず湖畔の草原へ出て、奇麗に露を綴った羽衣草を踏みながら、黄昏たそがれの長い北国の夕を味わった。かつて対岸の――シュピエツベルクに遮ぎられてここからは見えないが――オーベルホーフェンの小さな宿で、近藤君と一と月近く負傷後の身を養っていた時は、よく那須のことを憶い出しては叱られたものだ。この間も横浜まで見送りに来たとき、今度は那須君と一緒で本当にいいねと皮肉を云われて苦笑したが、こうして見ると矢張やはり何となく寂しい。
 高野にしても武田にしても、眼を閉じればおもかげは彷彿とするが、今は距たること実に五十日の旅程にある、頼りはしてもおいそれと返事は来ないから、まるでツンボと話してるようにいらいらする。私は那須のそばにいながら、いつか

恨むらくは雪の嶺こそ眉にあれわが側に君まさぬこと

 と大井川の奥かられた中村の消息を思い出した。
 このあきたらぬ感じを突きつめれば、私達がこの雪をめぐらしたスウィスに生れなかった不運をかこつ外はない。自分の生れた国を置いてしからん奴だと、まさか友達にはあるまいが、世間には思う者があるかも知れない、あったってこの事実をどうすることも出来ない。
 グロース・シュレックホルンの雪崩アヴァランシュで負傷した時グリンデルワルトで世話になった三十四聯隊(Gebirgs-Artilleri)の兵士達を思い出した。私の国だったらどうだろう。或人は親切に慰めて呉れるかも知れない、ある人は、いやどうも飛んだ御災難でとあたかも災難ででもあったかの如くまともに慰問の言葉を浴びせるかも知れない。然し私達を知らぬ人は異邦人を見るよりもなおうとましく私には感ぜられる。山を知らない人の言葉は要するに多ければ多いだけ私達の間を阻隔するばかりだ。あの時は故郷にいるより遥かに愉快に兵士達の看護をうけてインテルラーケンの病院へむかった、それだのに私は、ただ一人の旅人として、別れてしまわなければならなかった。
 山を思う人だけが、永遠の氷にとざされた山岳の間に一国をつくろうとするのは果して不合理であろうか。今私達の新しい希望としては余りに空想的であるかも知れない、然しそれを実現した一人を過去に見出すことが出来る、それは我が Helvetiaヘルフェツィア である。まだもっとも可能性に富んでいた一人を知っておる、それはのナポレオンである。然しサン・ベルナールに氷雪の洗礼をうけた時、この古今を絶した山岳の懐にいだかれて、なお人間の暗い性情にとらわれていなければならなかった彼は、彼の努力がすばらしいものであっただけに、いかにも浮かばれないように私には感ぜられる、山上の静寂に黙思する暇もなく、馬に曳っぱられてアオスタの谷へ下りてしまった彼の運命は、神が予期したより遥かに悲惨であったのは已むを得ない。この意味に於て、アルプスの天地に国家をきずきあげたヘルフェツィアを私は心から愛する。彼女の後裔には、アルプの雪にかこまれて幾百年を送って来たスウィス民族には、その胸底に私達と共鳴する何ものかを蔵していなければならない。
 彼等がうたうヨーデルを聴け、何れの歌章にも山を讃美しているではないか。彼等の中に一人でも山を愛さないものがあるだろうか――気の毒なことには無いと云い切ることは出来ない――白痴や狂人がそれだ、これ等の気の毒な人達は我国の多数の人と同様に山を知らずに死んで行くのだ。然しノルマルな人間なら女子供でも、山を去ることの苦痛を知って居る、或いは時に、それを明らかに意識していないかも知れない、然しこころみに彼等を山岳から引き離して見るがいい、その時初めて、秘露ペルーのインカ族を山地から追い下した白人のように、どんな罪を彼等に対して犯したかが分るだろう。郷愁ノスタルディヤは山岳国民の通性である。郷愁を主題テーマとしたスウィスの民謡を聞いて、あのやるせない曲に涙を落さないものは、山に縁の遠い人間だ、スウィス国民の中の狂人か白痴に等しい部類だ、冷静に観察すればどこにか欠けている或るものを見出す、そしてそれを感ぜずに生きてゆかねばならぬ彼等の運命に同情するようになる。
 こういう人達が、期節に入った今頃はよくこの辺をうろうろするが、いずれも流行で山奥までまぐれ込んだ遊覧客である。見ると私はいつも平原の水流を想い起す。汐のさし引きで当てもなく曳かれてゆく塵あくた、犬猫の屍骸まで一所いっしょになって、ぶくりぶくり無気味な泡を立てながら、さすでも無く曳くでもなくただようて居る。それによく似た流行をう人の群だ、自分の趣味でも主張でもなく、人のあとにくっついてうろうろする、煩わしいが罪のない気の毒な人達だ。
 パリジアンらしく眼のふちをぼかした女を抱くようにして、大それた、羚羊シャモアの角など飾りに付けた杖を得意げに振りながら、クールサールをうろついて、大通りで宝石――輸入品の――を冷やかして、べちゃくちゃ云いながら日を暮してしまう。アルプスの連嶺が雲の上に表われようが消えようが、ゼンマイ仕掛のような唇は動きつづけてむ時はない。彼等がスウィス人でないのはせめてもの心やりではあるが、いずれにしても余りいい気持はしない、恐らく諸君も不快な感じにいらだった眼をあげて、顔をそむけずにはいられまい、と、そこに君は何を見るだろう!
 寛容な自然はこの人達をもさすがに見捨てずに、雪をかずいた連峰は漂々とかすみの上から、君とそして彼等を見下ろしているではないか。茫然としてこれに対すれば、名状しがたい歓びに君の胸はふるえて来る。そしてふと眼を落して再び彼等を見かえる時――何と云うやさしい君の眸だろう! ――麓に集る彼等が騒がしければ騒がしいほど静かに、君は、聖者のように彼等を見かえって、人間を嘲笑することなしに、なお偉大なる山岳を讃美するであろう。
 スウィス国民を理解するためには八月一日のブンデスタークを見て置く必要がある。然しその為には通り一遍のこういう遊覧客の多い町にばかりいない方がよろしい。
 この日は開国の記念日である、然し人間の働くべき昼の間は殆ど平常と違うところを見出さない。いたずらに典礼ばかり重んじて、虚偽な煩瑣はんさな形式にばかりとらわれた祝日らしくないのがうれしい。子供はいつもの通り学校へ行く、歴史の時間でもあれば格別、さもなければ授業もふだんの通りで、別にいかめしい式や訓示みたいなものは絶対にない。然し少しセンシブルな人であれば、往来で逢う朴訥ぼくとつな村人の顔にも隠すことの出来ない喜びを見出すだろう。
 前の宵から降り初めた氷雨ひる頃になってようやく晴れた。八月一日の日記としてこんな文字を使うのは適当でないかも知れない、しかし寒かったのは事実だ。私達は多少の好奇心も手伝って、ストーヴのそばで樅の根株のパチパチはねるのを気持よく聞きながら、静な朝を迎えた。窓から見ると、雲の這い上っては消え失せてゆく前山の、中腹から上は真白に新雪に覆われて、湖水に面した絶壁にしがみついた樅の木立は若芽の緑が斑に雪をかずいて居た。
 が、日が照るにつれて、さすがに陽気は目に見えてゆるんで、外にいても外套の必要を感じない位になった。私達は湖水のふちを、山毛欅の多いビュルクの裾を廻って、Faulensee の水に臨んだ芝生で休んだ。静かな日だ、湖水の水は平らに、鏡のように雪の影を宿して、インテルラーケンのあたりから、船のホルンがかすかに湖を渡って響いて来る。
 雨上りの空は一点の曇りもなく、湖と等しく濃く深く澄み切っていた。眼をあげて虚空を見れば、無辺際に築き上げた氷の山岳が、きっとして強い日ざしにさえかえっている。そこに何等の雲影もなく、万象は光明を象徴せる如く感ぜられる。その何処にも罪悪をかもすような陰影はない。この透明な蒼空の下に、この至純な盛夏の新雪の間に、建国の日を祝う国民を私は羨まざるを得ない。
 日暮からはいかにも祝日らしい光景を呈する。アーベントグリューンが消える頃、丘のあちこちに建てられたホテルには一斉にイルミネイションがひかり初める、そして村の楽隊バンドの Berner-Marsch が大通りの坂道を城の方へ動いて行く時分には、村中の男女は手に手に赤地に白十字の国旗を染めた提灯をかざして、光の一団となって、静かに湖の方へ下りてゆく。湖畔の家はいずれも窓を開け放して、昼をあざむく光線が奇麗に水面に反影する。空には満天の星が下界を祝福する如く輝いている、空もまた光の海だ。山岳は夜のとばりをかかげて、下界の子の歓びにほほえむように、この群集を見下ろしておる。
 ふと私達は山頂にいくつかの火光を見出した、星ではない、明らかに火だ。ファウルホルンの方角にはシンニゲ・プラッテの附近が際立って明るく、ニーセンの頂上にはアーク灯らしい光が天狼星シリウスのように光る。火の数はますます増して、思いがけない高所にもあちこち光り初める、モルゲンベルクホルンの山腹、シュトックホルンの絶壁の直下、遠く小さく恐らくブリュムリスアルプのホートュルリの小屋あたりと思われる地点にも火星のような光がまたたき出した。
 私はこの山上の火を見て、山岳を中心として結び着いたスウィス人の温かい心を直視する如く感じた。麓へ下りられない人達が、アルプに牛を飼っているため今日の祭に加わり得ない山ゥ人アルプレルが、幾日も幾日も仕事の合間に運び上げた薪に火を放って、山にいる彼等も祖国を思うことの変りなきを示すのだ。火は小さく、然し鮮かに輝いている、恰も彼等の胸のように……。
 湖畔の群衆は粛然とこの火光を仰いで帽を脱した、船に移った楽隊バンドは荘重な国歌プサルムを奏する、私達は声高くその一節を唱った……。
(未完)





底本:「スウィス日記」平凡社ライブラリー、平凡社
   1998(平成10)年2月15日初版第1刷
底本の親本:「スウィス日記」講談社文庫、講談社
   1977(昭和52)年5月31日発行
※画像は、「スウィス日記」梓書房、1936年6月10日普及版発行からとりました。
入力:富田晶子
校正:雪森
2022年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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