道徳の観念

戸坂潤




 第一章 道徳に関する通俗常識的観念

 道徳の問題を持ち出す際、いつも邪魔になるものは、道徳に関する世間の通俗常識である。ここで通俗常識というのは、常識があるとか常識がないとかいう、ああした人間の共通な生活必需観念の謂ではなくて、却って世間の人がごく便宜的に大まかに粗雑に振り回している処の、出来合いの観念のことを云うのであるが、この意味に於ける通俗常識は、事物を少し細かく検討しようとする時に、大抵邪魔になる。これは今更ここで説くまでもないことだろう。だが今の場合、事が道徳の問題に関してだと、この邪魔になり方が普通の場合に較べて比較にならぬ程甚だしいのだ、ということを注意したいのである。それはなぜかというと、後に説明するように、道徳そのものが実は或る一定の意味に於ける常識に他ならないからで、常識自身はそこまでつきつめて考えないに拘らず、道徳とは常識そのものと斉しく生活意識[#「生活意識」に傍点]全般を総括する名称だと考えられねばならぬだろうからである。生活意識全般は、或る一定の意味の常識なのだ。
 尤も道徳というものに関する常識的な観念が、道徳というものに就いての理論的な分析省察の邪魔になるからと云って、この常識自身と全く別な世界にぞくする言葉で道徳を説明するのでは、元来道徳の説明[#「説明」に傍点]でも何でもなくなって了うだろう。そういう意味では道徳の理論的な観念はいつも道徳の常識的観念を縁とすることによって、その検討が始められねばならず、そして終局に於て、常識的道徳観念からの絶縁としてではなくて却ってそれの深化又は変貌として、道徳に関する理論的概念を取り出さねばならぬ。だがそのためにも、道徳に就いての常識的な観念が、殆んど迷信に近いまでに頑なで有害なものだということを知らねばならぬ。
 常識はまず第一に、道徳というものを社会構造の領域乃至文化領域の一つだと仮定している。と云うのは、社会機構の諸層は常識によると、経済・政治・社会関係・道徳界・芸術・宗教・学問・等々に区分されている。この区分法の原理を吟味して社会構築の段階として之等のものを適当な順序に排列するのだとすれば、この区分をすること自身は科学的なことで誤りではないのだが(史的唯物論の不朽の功績の一つはここにある)、併しそれにも拘らずその場合にも、あくまで道徳に関する通り一遍の常識を利用[#「利用」に傍点]してそう云っているのであって、道徳なるものに関するこの場合の常識的想定そのものに就いては、なお問題を残しているのである。史的唯物論がそこで[#「そこで」に傍点]問題にしているのは(併し他の場合には問題がもっと変らねばならぬが)、所謂道徳なるもの(と云うのは「常識的に」道徳と呼ばれている処のもののことだ)が決してそれ自身絶対に独立した全く独自な原則に立つものではなく、実は社会機構に於ける下部構造の上に建てられた処の、そしてこの下部構造を原因とする一つの結果としての、上部構造の一部分に他ならぬ、ということであって、この所謂道徳なるものが実はどういう含蓄を有つものであるかは、その限りではしばらく論外におかれているのである。
 従って、道徳がそうした何か判り切ったような一領域であり、他の諸領域との区別限界などが初めから知れ切ったものであるかどうか、それはまだその限りでは問題ではないのだ。つまり史的唯物論が道徳に対して、そのイデオロギー論的段階づけによって一定の領域を指定した限りでは、さし当り常識で道徳と呼んでいる処のものはここに位置するものだということを、科学的に単に指示したに過ぎないのであって、それ以上に、この常識的な道徳という観念によって指し示された領域が果してそのままで充分に理論的に不都合のないものかどうかは、まだ問題になっていない。――だが史的唯物論によるイデオロギー理論乃至文化理論は、問題を当然そこまで押し進めなければならない筈だ。そうすると、一体道徳とは何かということが初めて根本的に問題になる。一体道徳という観念[#「観念」に傍点]が何かということからが問題になって来ざるを得ない。道徳なるものの占める領域がどこからどこまでに渡っているかというような領土問題などは、その時、道徳という観念の如何に対応する名目的な問題になると云うことが出来るかも知れない。
 道徳の領域は常識によると大して問題にならない程度に判然としているように思われている。例えば法律で禁じられていないに拘らず道徳では禁じられている行為がある。これで見ると恐らく道徳の領域は法律の領域よりも広く、そして又恐らく之を含んだものだろう、という風に考えられる。法律で禁じられていても道徳的には正しいと意識される場合も、今日のブルジョア的乃至半封建的法律では決して少なくないが、それは元来道徳そのものが二つに(階級的に)分裂しているからで、一方の側の道徳から見て善い行為も、他の側の道徳から見て悪いということになっていればこそ、法律上でも禁止されているわけだし、それにこの点をもっと便宜的に片づけるには、悪法も法である以上之に従うことが道徳的だという風に形式化して考えれば、咄は極めて簡単だ。とに角道徳界と法律界との限界は判然としているように見るのが、常識である。
 経済領域と道徳領域との区分も亦、常識的には一応判然としている。物質への興味と精神への興味とは相容れない裏表であると考えられている。カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ、と云うのである。史的唯物論は生産関係によって経済関係乃至社会関係を説明するのであるが、道徳も亦この生産関係から終局的に説明される。それはすでに云ったことだが、その場合にも依然として経済関係(乃至社会関係)と道徳との常識的限界を利用している。と同じに道徳と政治との限界さえが常識を利用して設定されている。尤もこの常識を利用したからと云って、この理論自身が常識を仮定しているということにもならず、ましてこの理論が常識的だということにもなるのではないが、にも拘らずここで常識的限界が利用されているという事実は今大切だ。
 史的唯物論を模倣した一例はF・シュタウディンガーの著書『道徳の経済的基礎』(岩波文庫版)である。之によると経済が道徳を決定するというのであるが、処がこの道徳なるものは、要するに単に社会秩序乃至社会機構のことに他ならないのである。人間相互の物的関係や利益社会関係や共同社会関係が道徳の材料であって、この共同社会関係が他の社会関係の上位に位するようになることが、取りも直さず道徳ということだと考えられている。従って道徳は、もはや経済機構自身や社会機構自身と領域的に別なものではないので、社会全体が道徳的本質に他ならぬものとなる。社会主義も亦一つの倫理学に帰着する。政治も亦道徳に他ならない、ということになっているわけである。――社会を道徳に還元することは独りシュタウディンガーに限らず、多くのカント社会主義者(乃至カント主義的マルクス主義者)の共通特色であって、一見之は、道徳や倫理を、もはや常識的な狭い領域にとじこめられた観念としてではなく、之を最も広範な含蓄を持った観念にまで深化するもののように見えるかも知れない。だが実は、これこそ何よりも、道徳の独立領域[#「独立領域」に傍点]という常識観念の誇張の結果そのものなのだ。
 カントは経験界とは全く独立な之とは全く絶縁した本体界を、英知界を、道徳の世界・道徳の領域と考えた。之は道徳という領域が何かハッキリと決って他の領域から機械的に限界されて横たわっているという一つの根本的な常識を、批判体系の根柢として採用したことであって、シュタウディンガーやM・アードラー、フォルレンダー達のカント社会主義者は、多かれ少なかれ、この常識のこうした科学的合法化の後継者に他ならなかったのである(この点に関しては米田庄太郎『輓近社会思想の研究』上巻が参考となる)。
 道徳の領域が何かハッキリしているように想定されるのは、実は道徳に関する観念自身が機械的に固定しているからなので、道徳という観念と他領域の観念との間に機械的に限界を引き得るとか、道徳という観念は固定不動なものだとか、考えることに由来する。そしてこういう考え方は要するに道徳の内容そのものが固定不動なものだという考え方から脈を引いているのである。――なる程道徳と名づけられる一つの領域が存することを、吾々は何としても疑うことは出来ないだろう。だが夫は何も道徳という独立な世界がどこかでハッキリとした柵をめぐらしているということにはならぬ。問題はいつも道徳の領域と他領域との交流[#「交流」に傍点]であり而もその本質的な交流なのだ。道徳と政治との交流はシュタウディンガーも触れているが、卑俗な形では現に政治の倫理化とか政教一致とかなって現われている。特に道徳と法律との交流は著しいので、ヘーゲルなどは両者を「抽象法」の名の下に一緒に取り扱っていると云ってもよい。アメリカの法律家ロスコー・パウンドは実際家の見地から、この交流に就いて興味深い分析を加えている(『法と道徳』高柳・岩田訳)。
 だがそれより以上に大切なことは、一体道徳なるものが、一般に一つの領域だ(その限界は機械的に与えるべからざるものでその内容も固定不変なものではないとして)と云って片づけられ得るかどうかなのだ。と云うのは、道徳は社会関係・政治関係・法律体系・其の他其の他と並列[#「並列」に傍点]する一領域であると考えられるにも拘らず、他方之等一切の諸領域の一つ一つに接着していることをも見落すことが出来ないのである。そういう関係があればこそ、社会そのものが道徳的本質に還元されたり、政治や法律が単なる道徳に帰着されたりするということも初めて可能だったわけで、社会主義が倫理学に包括されて了うという誤りも、決して理由なしには発生しなかったのである。でもしそうだとすると、道徳はもはや単なる一領域であるに止まらず、恐らく一領域であるにも拘らず他領域をも蔽うか又は之に付随するかする処の、或るものだと云わねばならぬ。之をなお或る種の領域だと云うことは自由だが、それはもはや之まで云って来た意味での一領域ではない。
 だから、例はやや飛躍するが、プラトンが善のイデアを最高のイデア、諸イデアのピラミットの頂点と考えたことには意味があったわけで、善のイデアはもはや他の諸イデアと並列したものではなく、一段と高いオーダーにぞくすることを意味するのだと解釈すべきだとも云われている。だがそうだからと云って誰もプラトンを汎道徳主義者や倫理主義者に数えようとはしないだろう。――つまり凡てのものを道徳に還元しようという各種の汎道徳主義乃至倫理主義なるものは、実は凡ての他領域の事物を、道徳という一つの領域[#「領域」に傍点]に還元しようとするからこそ誤っているのであって、之は、道徳というものをどこまでも一領域にすぎぬものと仮定しておいた上で、さてこの特別な一領域を無遠慮にも世界の全領域に押し拡げよう、という仕組みに他ならない。常識はいつでもこの種の手口を便宜に思うもので、教育学者や教育家は、教育というものを何か自分達の専門[#「専門」に傍点]の領域だと仮定した上で、この専門領域の内に世の中の一切のものを抛り込んで了おうとする。徳育や修身の専門家(?)が養成されるのも、日本のこの教育専門家の領域[#「領域」に傍点]からであるが、そうした道徳の専門家の考えは、道徳が生活の特別な一領域であり従って[#「従って」に傍点]又生活の全領域を含む領域だという、道徳領域説の常識が、漫画になったものだ。
 道徳が生活場面の一領域の意味に尽きると考えることは、道徳に就いての常識的観念の第一の不備な点であった。之によるとスッカリ道徳にぞくするものと全く道徳にぞくさないものとが、ハッキリ区別されるわけだが、併し之ほど都合の悪い結果を伴うものはあるまい。芸術は芸術であって道徳とは別だという。それでは芸術に於ける道徳=モラル程、無意味なものはなくなるわけだ。内容は道徳でも形式は道徳ではなくて芸術だと云うのだろうか。だが道徳の形式とは何だろう。それはもはや常識が答え得る問いではないかも知れないが、自由意志の自律に従うとか、目的意識的行為の形を取ったとかいうことだろう。処が自律に従わなかった場合も決して道徳の領域外にあったのではなくて、却って反道徳・不道徳という刻印を捺されるために、あくまで道徳の領域の内になければならぬ。実践的行為の形を取るということが道徳の形式でないことは、芸術的創作だって実践的行為だし、単に善いか悪いか何かを考えただけでも立派に道徳的な問題にぞくする、そういうことを考えて見れば判ることだ。――道徳なるものは、だから生活の一切の領域に、或る仕方に於て着き得るのだ。どういう権利でどういう仕方で着くかは、後に見ようと思うが、とに角その意味に於て、道徳とは生活意識そのものを意味するのだと、仮に云っておくこととしよう。念のため断わっておくが、道徳は確かに一応、常識がそう想定している通り、生活の一領域のことなのだ。にも拘らず、それに尽きることなく[#「それに尽きることなく」に傍点]、根本的には生活意識そのものを意味するという含蓄を有つものだ、と云うのである。

 常識による道徳の考え方の第二の特色は、道徳を善価値[#「善価値」に傍点]だと考えて片づけることだ。という意味は、道徳とは道徳的なこと[#「道徳的なこと」に傍点]であり善であることだ、というのである。尤もこの常識は少し常識的に反省して見ても可なり動揺せざるを得ないもので、もし道徳ということが善であるとしたら、悪は道徳の外に逸して了わざるを得ないだろう。それから、もし仮に悪をも道徳に数えるならば善と悪という道徳的価値の対立が理解出来なくなる、というわけだ。
 このディレンマに類する関係は確かに、道徳を例の仕方に従って領域的に考える処から生じる。道徳という領域を善であることの領域に限定するから、悪なる領域をも含む筈の道徳領域が説明出来なくなるのである。善悪という(仮にそういう常識的用語を借りるとして)道徳的価値対立[#「価値対立」に傍点]の関係をば、なお領域的に考えることから起きる困難なのだ。
 併しそうだからと云って、道徳という領域が現に存するという事実と無関係に、単に善悪という対立だけを道徳現象だと云って片づけることは出来ないことだ。領域という空間と関係なしに、価値の対立という力関係を考えることは、全く人工的なことに過ぎないだろう。道徳は一つの領域だ、処が道徳的であることは価値対立の一方を選ぶことだ。この対立関係も領域も、どれも道徳的であると云う他あるまい。――だがこの点は常識が心配する程困難なものではなく、吾々にはこの常識の二つの矛盾した要求を調和させることは容易だ。例えば人間界という一つの領域には色々の人間が充満している。どの人間も間違いなく人間だ。どの人間も領域的には皆人間的[#「人間的」に傍点]だ。処がその内にこの人間界全体と対比して見て比較的人間界の一般共通の性質をよく代表しているのとそうでないものとの区別が、事実この領域内の内容に就いて発見される。前者はそこで、価値的に云って人間的[#「人間的」に傍点]であり、後者は之に反して人間的でないと云われることになる。この関係はそのまま道徳にもあて嵌まる。道徳という領域の内容をなす夫々の道徳現象は、領域的には皆道徳的[#「道徳的」に傍点]だ、処が価値的にはその領域に最も相応わしいものだけが[#「だけが」に傍点]最も道徳的なのだ。一般に価値は各個現象が全体現象に対して持つ比例の区別を、抽象して強調誇張する処から発生する。道徳価値の対立は道徳領域の内容たる全道徳現象の単なる比例関係[#「比例関係」に傍点]から発生するのだ。
 善価値(悪という反価値の対立物としての)にだけ道徳を認めようという常識の権利とその失権との消息は右によって略々明らかになったと思うが、併し道徳を価値的に道徳的[#「価値的に道徳的」に傍点]であることに限定したり又は専らそこを強調しなければ気が済まなかったりするのには、他に一つの動機が伏在しているのである。云う意味は、道徳なるものを人間の或る特別な独立な属性と考えていると云うのだ。つまり人間性には善の性質と悪の性質とがあって、善の性質を有った人間が、善人であり道徳的人物であり、悪の性質を持ったものが悪人で不道徳漢だというわけなのだ。或いは人性初めから善であるとか又は初めから悪であるとかいう穿鑿も亦、ここにぞくする考え方なのである。これによると道徳とは結局人間性の一性質に過ぎぬわけで、人でなしは往々にしてこの大事な人間性を欠くが故に人非人だということになる。
 人間の性善と性悪との対立によって、その善性だけを人間の道徳と見做すということは、事実甚だ通用性を有った常識であることを注目せねばならぬ。スティーヴンソンの『ジーキル博士とハイド氏』(この小説はキリスト教を唯物論から擁護しようとして書かれた点が探偵小説以外の興味をなすが)は、この常識の文学的な典型だろう。ジーキル博士は善で道徳であり[#「道徳であり」に傍点]、之に反してその二重人格の片割れたるハイド氏は動物性や野性を帯びているので悪であり道徳でない[#「道徳でない」に傍点]、と云った調子である。この常識は人間の心理や文学的真実に無知な新聞の社会面などに於ても、価値評価の原則になっている。あそこで「悪」とか「社会悪」とか呼んで判ったように説いているものの空疎さは、何人も気付いている処と思う。
 この常識は極めて容易く人格者と非人格者とを区別する(〔貴族院や衆議院〕の議員候補者はいつも人格者として紹介される)。まるで人格という属性を有った人間と之を欠いた人間とがいるかのように。之は又知識と人格とを区別する原理ともされている。知育に対する徳育、頭に対する肚、能力に対する精神、等々の卑俗な対立区分は、どれもこの常識的道徳観念から来るのである。――領域に就いて、道徳が独自な独立した一領域に他ならぬと考えたように、それと同じ調子でこの常識は、人間性に就いて、道徳が独自な独立な一属性だと仮定する。人間の肉体のどこかに、道徳の器管でもあるような風だ。
 悪というものが反道徳であり、之に反して善が道徳的だということを、疑う人はいない。善とか悪とかいうことが何であるかは今殊更問題にしないとすればだ。そして善悪の価値対立が道徳現象だということを疑う人もいる筈はない。だがそういうことと、人間生活の諸事象を、之は善之は悪という風に篩い分けるということとは別だ。処が道徳を善悪の対立につきると思ったり、又善だけが道徳だと云いたがったり、又そこから人間に道徳的器管を想定したくなったりするのは、他の必要からではないので、正に之は善之は悪という風に、節分の豆撒き式の処置を取ろうという心がけからなのである。常識のこの安易な心がけが、道徳に就いての理論を妨害する第二の性質であるのだ。――道徳とは何か[#「道徳とは何か」に傍点]という問題では、すぐ様例の第一の領域道徳主義の常識が妨害を試みる、何が道徳か[#「何が道徳か」に傍点]という問題ではこの第二の善悪道徳主義の常識が妨害を試みる。吾々はこの常識を掣肘しなければ、道徳を理論的に取り扱うことが出来ない。
 この第二の常識的惰性に直接関係あるものは、云わば徳目[#「徳目」に傍点]道徳主義である。道徳を善悪問題と決めて了い、やがて道徳は善だと決め、それから道徳は人間の善性だと決めるから、ではその善性は何々かと云うことになって、知仁勇とか、仁義礼知信とか、忠孝とか、忠君愛国とか、三従の婦徳とか、という徳目(Virtues)が念入りに算え上げられる。で今やこの徳目を覚えることが、之を学習したり暗記したりすることが、そしてこの徳目の活用宜しきを得ることが、道徳となる。こういう常識による道徳は修身[#「修身」に傍点]なのだ。之は徳目の運算なのだから教科書も可能だし試験も可能だ。道徳的なカテキズム(教義問答書)や倫理的カズイスティクが、スコラ論理学のような意味で可能になる。――で人間の人間的性能は諸徳目の化合物かコロイドか混合物と見立てられる。
 だが修身の特色は、この徳目を永久不変な人間性の元素と見立てることだ。これは道徳内容の(形式だけのではない)固定化を意味する。この徳目を社会にまで及ぼしたものが、国民道徳や公民道徳なのである。国民や公民の徳目は云うまでもなく絶対不動な人間性と絶対不動な国民的伝統とに根ざしていなくてはならないとされる。そう仮定することは、この場合の道徳が有つべき社会的強制力、而も外部的な社会強制力を合理化するために必要なのだ。かくて一つ一つの社会的道徳規範[#「道徳規範」に傍点]や道徳律[#「道徳律」に傍点]が、道徳の何よりの実質だということになる。そして道徳を道徳規範や道徳律として強調しようという常識は殆んど凡ての場合、その規範乃至道徳律が永久不変な内容でなければならぬと仮定している。――かくて徳目道徳主義の常識は、一般に道徳の絶対化、道徳の形而上学化、と必然的な連関を有つのである。この道徳に関する非歴史的な観念は、道徳に就いての常識観念の内最もよく注意されている欠陥であって、事実、道徳全般の一つの秘密は、事物の変化を観念の不変物でおき代えることにあると云ってもいいからだ。このようにして、道徳を道徳律[#「道徳律」に傍点]だけに集中しようとするのが、常識的な道徳観念の第三の欠陥だ。
 だが注意すべきは、仮に道徳規範や道徳律が永久不変な形而上学物と考えられずに、歴史的に変化発展するものと想定されているような場合でも、この想定は多くは単なる想定に止まるものであって、実質的には道徳律を変化発展するものとは考え得ていないのだ、という点である。一体一定の内容を一時的にせよ固定させない限りは、道徳規範にも道徳律にもならないことは云うまでもない。処が道徳内容を一時的にしろそういう固定物に転化することは、つまりその後之を公式として運用するためでしかない筈だが、そうならば之は道徳を例の徳目運算におきかえることに他ならない。道徳律や道徳規範を専ら道徳として尊重するのは、この道徳律や道徳規範がなるべくそのまま[#「そのまま」に傍点]役に立つような詳細さを備えていることを要求することでなければならぬ。処がそういう一つ一つの事項にレディメードに役立つような詳細道徳律は、未だかつて生きた変化する道徳を云い表わし得た例しがない。所謂修身の徳目以外に事実詳細道徳律はないのである。
「万国のプロレタリエルは結束せよ」というのを仮に道徳律[#「道徳律」に傍点]として選んだにしても、之は決してそのまま徳目的に役立つ詳細道徳律ではあり得ないだろう。――だから道徳の名に於て道徳律や道徳規範ばかりに力を入れる常識は、決して道徳の理論的理解を促進するものではあり得ないので、こうしたものを含めて私は、徳目道徳主義の常識としての惰性を指摘すべきだと考える。
 道徳が不変不動な絶対物であるという常識の方は、この徳目主義乃至道徳律主義に較べればまだ度し易いとさえ云っていいだろう。なぜというに、この批難はあまりに屡々云われていることで、今日では寧ろそれ自身常識に化しているだろうからだ。のみならず之はすでにカント自身に於ても意識されていることで、であればこそ彼はその無上命法という最高道徳律を、特に形式的[#「形式的」に傍点]なものとして強調したわけだ。それに、道徳律の時と所によるヴァラエティーに就いては、近世以来殆んど総てのブルジョア実証社会理論家の研究が常識となっている。この常識を知らないものは高々眼のない哲学者か倫理学者先生に過ぎないのだ。
 だが道徳の不変性を要請すること、それは道徳を専ら徳目乃至道徳律として見なければならぬという常識と結局一つのものに帰するのであったが、之は、単に事物を固定した運動のないものと見立てるという例の形而上学的な態度より以上のものを、含んでいる。その点を今注目しなければならない。単に自然物や或る種の社会関係が不変であるという思想は、云わばまだその不変物の真の意味での絶対性[#「絶対性」に傍点]を、即ち絶対的権威や圧力を、主張することではない。例えばキュヴィエがジョフロア・サン・ティレールに反対して夫々の生物の種の不変性を主張した時、彼は必ずしもこの種を絶対的な権威ある存在と考えたということにはならぬ。処が例えばこの夫々の種が神の造り与え給うたものであるが故にとか、イヴの腹に初めから仕込まれてあった限られた一定の数のものであるが故にとかいう理由で、種の不変性を主張するならば、その時この種は何等か絶対的な権威[#「権威」に傍点]をもったもの、真に絶対的なもの、となる。之を実証的に覆した進化論も、この絶対的権威を覆したと考えられる限りに於て、初めて批難[#「批難」に傍点]や賞讃[#「賞讃」に傍点]の対象となるのだ。――つまり道徳の問題となる時初めて、不変者は真の意味での絶対者となる。神聖にして不可侵なもの、批評を加えるべからざるもの、となるのだ。
 だから道徳の不変性という観念は、単なる不変性の観念ではなくて、神聖な絶対者、批判すべからざる不可侵物、という観念なのである。事物の不変性は価値評価の世界では事物の神聖味[#「神聖味」に傍点]となって現われる。道徳はそれ自身価値ではなく、却って道徳的価値対立(普通之を善悪と呼んでいる)を強調によって成り立たせる或る領域か或いは領域以上のものであることを述べたが、にも拘らず之は道徳が要するに価値的なものであることを云い表わしているのであった。この価値[#「価値」に傍点]の世界に横たわる処の道徳の不変性を主張するということが、その神聖な絶対性を主張するということになるのは、当然なことだ。
 今は一般に価値というものの理論的分析を企てる機会ではないが、或る学者達の所説によると、一切の価値が、真理価値も美的価値も、それが価値であるという資格を得るためには、或る意味での道徳的価値に帰するというのだが、仮にこの所説を利用するとすれば、真理の評価や芸術的判断に於ても、道徳的評価と同じく、その絶対性と神聖味とが強調される所以は、見易い理屈でなければなるまい。絶対真理(相対的真理に対す)も事実上、一定真理の神聖不可侵、不可批判性、を意味している。認識論上の絶対真理の主張(機械論的・形而上学的・形式論理的・認識論のもの)は、つまり法皇やツァールの真理の権威を擁護することに他ならないわけだ。――処でこれは皆、外観では道徳の例の不変性の主張に帰するのである。
 常識によって想定される道徳の不変性とは、常識の立場にとっては、凡そ道徳なるものは神聖にして侵すべからざるもので、断じて批判の対象になってはならぬ、という想定なのである。常識にとっては道徳そのものを批評批判することは、云わば第一に言葉の上でさえ矛盾したことなのだ。吾々は不道徳をこそ批判すべきであって、道徳そのものを批判することは、原則的に不可能だと考え得べきだろう。と云うのは批評批判する場合の尺度そのものが、他ならぬこの道徳なのであるから、布地で物指を測ることが無意味なように、道徳を批判することは意味がないのだ、とも考えられる。
 なる程事物を価値評価するものがこの道徳である以上、道徳自身を以て道徳を批判するとでも考えない限り、道徳の批判は不可能な筈だ。処でこの神聖な道徳を神聖な道徳自身で批判することは、神聖不可侵な王様が自分を束縛する法律を発布するようなもので、不可能なことか八百長か、のどっちかだ。――でこういうわけで、常識が道徳を不変なものと考えたがることには、表面的に考えて気付かないような深刻な内容があるのである。
 だが云うまでもなく道徳は不変ではない。それは歴史の教える処だし、現今の未開人の道徳と吾々やヨーロッパ人の道徳とを較べて見れば判ることだ。そして更に、今日の道徳は何と云っても徹底的に批判されねばならぬ理由が存する。なぜなら今日の既成道徳――ブルジョア的及び半封建的道徳――の殆んど凡ては、吾々勤労者の階級から見れば明白に吾々人間の解放の妨害者以外の何ものでもないからなのである。併しでは、この道徳は如何にして何に基いて、批判され得るのか。既成道徳そのものがこの道徳を批判し得ないことはすでに述べた。では新しい何等かの道徳によってであるか。だが新しい道徳はどこにあるか、或いはどうやって探しどうやって建設されるのか。仮に自然と新しい道徳が生じて来たにしても、どういう権利根拠で之が既成道徳を克服出来るのか。お互いに相手の道徳が不道徳だ、悪い、と云い合うにすぎないではないか。それは子供の喧嘩か日本の政治家の演説のようなもので、なぜ悪いかを筋道を立てて説明することが出来ないではないか。
 さてここまで来て明らかになる一つの関係を注意しなければならない。実際、道徳位い批判するに容易でないものはないのである。水準の低い人間は最も容易に一切のものを道徳による批判[#「道徳による批判」に傍点]に還元して了う。戦争することは善いことか悪いことか、神社に参拝することは善いことか悪いことか、小学校の児童はすぐ社会問題をこういう道徳問題に還元する。修身教育がそういう子供の態度を養成するのである。だがこの最後の判断の転嫁の地である道徳そのものは、一向判断の対象になり得ない。――それは他でもないのだ。ここで云う道徳なる常識物は、何よりも科学でない[#「科学でない」に傍点]という規定を有っているのである。理論的な分析を放擲するということが、子供が一切の問題を善いか悪いかに還元する所以なのであり、そして夫が同時に、この「善い悪い」自身が常識によって問題にされ得ない所以なのだ。「善い悪い」は善いか悪いかを問う限り、もう問題は残っていないのが当然だ。常識による道徳[#「道徳」に傍点](夫はその建前から云って不変で絶対で神聖不可侵なものだ)とは、科学の反対物[#「科学の反対物」に傍点]を意味するための言葉だ。
 そこでこの道徳の批判、道徳のこの常識的観念の批判、つまり道徳の不変性乃至絶対神聖性の打倒、の唯一の武器、唯一の立脚点、唯一の尺度は、科学[#「科学」に傍点]でなくてはならぬ、という結論になるのである。俗間常識による道徳なるものは、単にそれが必要であるとか有用であるとか、又吾々人間社会の習慣や伝統であるとかいう、事実の認識だけでは不充分なのであって、そうした科学的な説明を含んだ一個の事実である以上に、特別な意味での価値を持っていなければならず、その価値のおかげでこの科学的な規定が殆んど完全に蔽い尽されて全く別な相貌を呈していなければ承知しない。科学からは全く異った別なこの相貌が道徳のもつ神秘性なのだ。で道徳は専ら神秘性[#「神秘性」に傍点]の主体として、社会人相互の間に受け渡され流通するものである。丁度紙弊[#「紙弊」は「紙幣」の誤記か]は、それが国営銀行で金貨に兌換されて初めて価値を受け取るのだということを全く忘れられた心理で、紙弊[#「紙弊」は「紙幣」の誤記か]という紙片として尊重されるように、道徳は事実としてのその合理的科学的な核心を忘れられて、専らその神秘的な外被として、尊重されるのである。常識で云う所謂道徳は、例えば人間の社会生活の規範(実は階級規範と云った方が理論的に正確なのだが)というだけのものではない。それが仮に永久不変な人間の規範であってもまだ所謂道徳ではない。それが絶対化され神聖化され、かくて完全に神秘性を与えられた時初めて、世間でいう所謂道徳(この常識的な道徳観念)となるのだ。――常識が道徳を好むのは、常識が科学を恐れるからである。科学の代りに徳を、これが現下に於ける一切のブルジョアジーの乃至ファッショの、デマゴギーの秘密だ。
 科学は、理論は、事物の探究を生命としている。之は科学自身の批判を通して行なわれる。この点常識にぞくする。処が道徳に関しては常識はそうは考えない。道徳は事物の探究[#「探究」に傍点]ではない、寧ろ事物を(勝手に常識的に)決める[#「決める」に傍点]武器だ。道徳自身を批判した処で、道徳なるものが探究でない限り、何の役にも立たぬ。そして道徳そのものを探究すること、之は道徳自身の仕事ではなくて、道徳学とか倫理学とかいう専門的学問の仕事だ、と常識は考えているのである。――だが以上は、道徳を絶対神聖物と考える常識から云って、完全に首尾一貫した観念の展開に他ならない。
 本当を云えば、道徳なる一定領域にだけ道徳の世界があるのでもなかったし、善悪という価値対立やまして善価値だけに道徳の本質があるのでもなかったし、道徳律だけが道徳でもなかった。まして価値の絶対神聖味とその神秘性とに、従ってその没科学性に、道徳の真髄があるのでもなかった。こうした考え方は要するに道徳を、夫々の意味に於て固定化して考える結果に過ぎなかった。道徳はそうした固定物ではない、そういうものでなくなるだろう、又そういうものであってはならぬ。道徳とはそれ自身一つの探究の態度か又は探究の目標を指すのだ。道徳は事物の探究だ(どういう仕方による探究かはズット後に述べよう)。と同時に、当然なことだが、道徳自身が常に探究されねばならぬ、道徳は常に批判され改造されねばならぬ。社会的矛盾が今日のブルジョア国家に於てのように根本的である場合には、道徳は根本的に批判され改革されねばならず、矛盾が比較的瑣末な場合には瑣末な点に於て批判改革されねばならぬ。そうしなければ道徳は道徳として成立せず、即ち事物の道徳的探究という道徳の存在理由が成り立たなくなる、一切の意味での道徳は成り立たなくなるのだ。――道徳は探究であり又探究されるべき処のものである。
 総じて常識によれば、一方に於て道徳は著しく愛好されているにも拘らず、他方に於ては著しく面倒臭さがられているのだ。と云うのは、道徳を他人にあて嵌める時には心が躍るが、之を自分にあて嵌める時には気が重くなるというのが、常識的俗物達の習性のように見える。だがいずれにしても彼等の常識は、道徳を何等かの単なる外部的強制[#「外部的強制」に傍点]だと想定しているのである。人が自分に之を加えようと自分が人に之を加えようと又自分が自分に加えようとだ。その意味で道徳とは常識的に云えばいつも既成物のことだ。だから常識的俗物は好んで道徳を口にするに拘らず(人の噂や評判又告白さえを見よ)、実は道徳を少しも尊重せず又愛してなどは無論いない。社会の支配的常識によると、実は道徳位い厄介なものはないのである。
 でこういうことになる。道徳はなる程常識と親密な関係を持っている。或る場合には、道徳的ということは常識的ということであり、常識的ということが道徳的ということでさえある。だが実は、道徳は常識とこそ一致すれ、実は人間生活[#「人間生活」に傍点]そのものに就いてはその常識的意識をさえ満足させないのだ。この道徳は社会人の生活意識を少しも満足させてはいない。だからこの道徳程人間の社会生活の正直な佯らない興味から疎隔したものはない。道学者や腐儒や法律の学者の類が、俗物から軽蔑される所以が之なのである。
 だが以上、常識々々と云ったが、之は専ら所謂常識と呼ばれる社会に於ける下級な平均価的な惰性的な知識のことであって、人間の社会生活を統一する処の生活意識の原則を意味する処のあの「常識」のことではなかった。卑しめられた意味での常識であって、「健全な常識」とか良識とかいう意味での夫ではなかった。この卑しい常識が自分の相手として、或いはその双生児として、常識的な所謂道徳[#「道徳」に傍点]の観念を選んだことは、だから初めから不思議なことではなかったのだ。
 処で私は先に、真の道徳なるものが、常識的な道徳観念では片づかない所以を見て来た。そして今や、その常識そのものに就いても、云わば常識的観念に帰するものと本当の常識との区別を見た。真の道徳[#「真の道徳」に傍点]はそこで、この真の常識[#「真の常識」に傍点]と、略々一致する内容のものだと推定するのは、そんなに無理なことではあるまい。私は尤も、まだ真の道徳なるものに就いて積極的には何も説かなかった。だが、もし仮りに今、本当の意味に於ける道徳による道徳意識を、人間の社会生活意識だと見做していいとしたら、道徳が常識だ、という云い方は、この場合にも無理ではあるまい。世間では道徳意識を良心とか法への服従とか習俗の尊重とか考えるが、之は人間の社会生活意識の夫々の内容でなくて何であるか。――俗間の所謂常識による道徳の観念が所謂常識なる観念と相蔽うということをすでに見た。真の道徳と真の常識とも亦、その内容が略々同一のものだと云うのである。

 吾々が現下に於て道徳に就いて物を考えねばならぬという根拠は、云うまでもなく既成のブルジョア的乃至半封建的な道徳の批判克服を通じて、自由な新しい生活の道徳を探究建設せねばならぬ事情に置かれている、ということの内に存する。之は社会機構の必然的な変動の一部分であり、又その結果であるべきであり又夫を予想しての準備でもあるのだ。道徳の変革によって併しながら、社会そのものの原則的な変化を期待することは事実不可能だ。それは吾々が道徳に就いて懐いている観念そのものから云って、避けることの出来ない一結論だろう。だがそうだからと云って道徳問題の解決への道を想定せずには、一切の社会理論も文化理論も現実的ではあり得ない、ということも見落されてはならない。
 社会理論が現実的となり大衆的となればなる程、道徳問題の意義がハッキリして来るだろう。つまり道徳という大衆の生活意識の総括的な要約点が解明されなければ、大衆の社会意識は納得が行かないからなのだ。社会の客観的現実は、多かれ少なかれ社会大衆の生活意識の内へ、道徳意識として反映されるものだという、道徳意識なるものの根本的な役割をここに見ねばならぬ。道徳は出来合のあれこれの事物のことではなくて、社会秩序が刻々に発散する汗か脂のようなものだ。社会人の意識は之を吸収して生活意識のさし当りの内容とする。――新しい道徳を伴わない如何なる社会建設も文化建設もない。社会建設が現実に始まり、文化建設が現実的に企てられる処には、すでに道徳の建設がある。このことはソヴェート・ロシアに於ける性道徳の歴史を見ても判るし、フランス大革命直後に於ける労働婦人の革命的役割を見ても知られるだろう(コロンタイ『新婦人論』を見よ)。
 だが新しい道徳の建設又は建設の見透しは、同時に新道徳の観念[#「観念」に傍点]の建設と平行せねばならぬ。大いに、新しい道徳[#「新しい道徳」に傍点]に就いての観念を建設するだけではなく、道徳に就いての新しい観念[#「新しい観念」に傍点]を必要とするだろう。そしてこうした道徳の新観念を理論的に仕上げるためには、新しい物の考え方・方法の考察も亦必要となるだろう。私がこの本で企てる処は、どういう風に考えれば、道徳に就いての最も科学的な観念を得るかということだ。この観念によって、新しい道徳の建設という課題も、初めて充分に目的意識的に、而も包括的な観点から見たその含蓄に於て、解けるようになるのではないか、と思っている。
 この手短かな本で以て、私が新しい道徳そのものを説き立てるというようなことは、元来出来ない相談でもあるし、少し滑稽なことでもあろうと考える。私の問題はもっと手近かにある。現下の既成乃至待望道徳に対する吾々の不信を系統化することだ。そしてそれが道徳なるものの新観念[#「新観念」に傍点](尤も本当は新しくも何ともない当然な観念の再認識だと思うが)の検討ということになるのである。――私はそのために邪魔になるような通俗常識的な道徳観念[#「通俗常識的な道徳観念」に傍点]をまず整理したのである。
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 第二章 道徳に関する倫理学的観念

 道徳に関する理論乃至科学が、普通、倫理学[#「倫理学」に傍点]というものだと考えられている。なる程倫理学(Ethics)を言葉通りに取るなら、一切の道徳問題は倫理学の対象であると云っていい。なぜならこの言葉は性格(ethos[#「e」はマクロン付き(-)E小文字])と習慣(ethos)とから来たものであって、社会生活を営む人間の比較的外部的な生活規定である処の習慣風俗の問題と、その比較的内部的な生活規定である性格性情の問題とは、吾々の道徳問題の一切を含むと考えられるだろうからだ。
 そういう意味で、吾々は広く倫理思想というもので以て、道徳に関する意識を云い表わすことも出来ないではない。だがその場合、そこに含まれるものは所謂「倫理学」ばかりではないので、政治学・法律学・社会理論・人性論(人間学)・制度理論・実践哲学、等々も亦ここに含まれていなくてはならぬだろう。だから之を以てすぐ様、倫理学的思想とすることは出来ないわけだ。――元来今日云う処の所謂倫理学(近代倫理学)は、主にイングランドを中心として発生し又隆興したものであって、イギリスの倫理学・道徳科学・道徳哲学、等々がその最初の代表者なのだ。トーマス・ホッブズが人間社会に於ける善悪の区別を、社会支配の法的・法律的な合法性と非合法性との区別に解消しようとして以来、そして之は彼一流の人間論(マキャヴェリの系統を引く処の人間狼説)に立脚するのであるが、それ以来、イギリスの哲学に於ては、人性論に立脚して、専ら道徳理論が盛大に展開された。而も之がイギリスの哲学全体を可なりに永く支配した。で近代倫理学の存在権は、歴史的にはここで確立されたものと見てよい(H.Sidgwick,Outlines of the History of Ethics参照)。
 尤もホッブズの思想は必ずしも所謂「倫理学」ではない。又イギリスの道徳理論家(即ちイギリスの多くの哲学者だが)が皆、その道徳理論を「倫理学」と呼んだわけでもない。だが哲学史に於ける彼等の業績は、倫理学という或る独立独自な学問[#「独立独自な学問」に傍点]を世間に向かって承認させるには充分であった。尤も極めて日常常識的なイギリスの哲学者自身は、倫理学なるものの学問としての独立性や限界や対象の規定方などに就いて、あまりアカデミックな興味は有っていなかった。彼等にあっては倫理学はもっと遙かに活きた実際的な意味を持っていたからだ。倫理学という観念を却ってイギリスの倫理学者達に向かって教えたものは寧ろ、講壇哲学的学校訓練を持っていた後のドイツの哲学者であって、特にカントの批評的道徳哲学はここに与って力があった。T・H・グリーンの『倫理学序説』は、ドイツ哲学によって講壇化された処のイギリス倫理学、の代表だと云ってもいいだろうと思う。だがグリーンの倫理学と雖も、政治上に於ける自由主義運動と深い実際関係を有っていたことは、注目すべきだが。
 こうして歴史的権威を認められた所謂「倫理学」は、今日では往々、それの科学論的な省察――方法論の如きもの――から始められねばならぬと考えられている。ドイツの哲学教授の手によると、倫理学の問題は道徳という広範な現象の問題であるよりも先に、倫理なるものに就いての学問や科学や哲学自身に関する問題であるように見える。例えばN・ハルトマンによれば、人間の生活は認識と行為と希望との三つの段階を持っていると云う。認識は現実界を、希望は幻想界を対象とする、そして行為は両者の中間にあって現実を幻想に媒介する役目を果すものだという。云うまでもなくこの行為を論じるものが倫理学だというのであって、その第一の根本問題は何を為すべきかであり、その第二の根本問題は何が生活の価値であるかだ、云々というのである。
 理論は精密で根柢的で統一的であらしめるための科学論乃至科学方法論は、従来極めて非歴史的な観点によって導かれるのを常とした。と云うのは、諸科学は夫々の発生発達の歴史的条件を顧ることなしに、単純に合理的に、排列され秩序づけられるのを常とした。この点ここでも亦例外ではない。倫理学はその歴史的な動機との関係などに拘らずに、単に人間生活の三段階の一つを対象とするなどという風に、一般的に[#「一般的に」に傍点]決定されて了っているわけだ。この人間生活[#「人間生活」に傍点]という観念自身が持っているドイツ観念論的な抽象性と皮相味とは今論外としても、倫理学なるものがイギリスのブルジョアジー(及び資本制下に於ける貴族地主達)の哲学として発達したという歴史を抜きにすることは、倫理学論として見逃すことの出来ない欠陥でなければならぬ。今日の所謂「倫理学」、即ちそういう一種の独立な又は支配的な又大切な哲学か精神科学、の根柢には、初め近世イギリス・ブルジョアジーによって代表された生活意識からの伝統が反映されているのである。之が近代倫理学[#「近代倫理学」に傍点]の根本特色なのだ。
 そして而もこの歴史的な階級的な規定を特に無視することによって、自分を何か普遍的に通用するものであるように見せようということが又、近代倫理学なるものの根本特色でもあるのである。――所謂倫理学は、単にそれがブルジョア観念論哲学一般の理論的に最も重要な一環であるからばかりではなく、それに特有な歴史的起源から云っても亦、ブルジョア的道徳理論の他のものではなかったのである。で吾々は、道徳理論一般をすぐ様、倫理学と呼ぶことを躊躇せざるを得ない。吾々は道徳に関して、特に「倫理学的」な観念を他の道徳観念から区別して指摘する必要があるのだ。
 処が通俗常識に従えば、道徳理論は問題なしにすぐ様倫理学と呼ばれるに値いするように想像されている。この点は注目を必要とする処である。単に今日の通俗常識が、独り倫理学に限らず、一般に哲学・文化理論・其の他の階級性一般を承認せず、ましてそのブルジョアジー的階級性を認識しようとしないからばかりではなく、事実又、今日の通俗常識が道徳と考える処のものは、比較的忠実に倫理学から理論的奉仕を受けているからなのである。道徳という独自の絶対的領域の承認、善悪標準の樹立の無条件な強調、絶対不変な道徳徳目や道徳律への熱中、道徳価値に関する超合理主義的な神聖視、道徳に関する超歴史的・超階級的・特権の強調、等々他ならぬこの倫理学(ブルジョア道徳理論)自身が想定する処のものだったのである。
 その意味に於て倫理学は、その煩瑣な分析にも拘らず、要するに常識的な道徳観念の多少理論的な釈明に過ぎないのであって、決して道徳現象の科学的説明を企て得るものではない。道徳なるものはすでに常識によって与えられている、倫理学は単に之を明快にして秩序立てさえしたならばよい、というのが、道徳に関する倫理学[#「倫理学」に傍点]的観念の役割なのだ。だから、倫理学的道徳観念は、根本に於ては、常識的な道徳観念を批判克服しようとするものではあり得ない。まして新しい道徳観念の創造、そして又新しい道徳の創造、などについては殆んど全く無力なのだ。之は寧ろ初めから当然だと云わねばならぬ。なぜと云うに、今日の通俗常識はつまりはブルジョア社会に於て支配的な常識でしかないので、このブルジョア的の観念にぞくする常識的道徳観念が、同じくブルジョア社会の観念に立脚する所謂倫理学によって、批判され克服されるというようなことは根本的には、到底あり得ないことだからだ。

 だが今日の(ブルジョア)倫理学と雖も、決して近世になって初めてその準備を始めたのでないことは、云うまでもない。倫理的思想は古来、殆んど有史以来、凡ゆる民族に於て見出されるもので、倫理思想の一貫した発達を古代から今日に至るまで辿ることは、極めて容易なことと云わねばならぬ。少なくとも古代支那、古代印度(特に原始仏教)、ユダヤ乃至古代ローマ(原始キリスト教)、及びギリシアは、倫理思想の古代に於ける四つの大きな淵源であった。倫理なるものが、すでに述べたように社会の習慣と人間の性格とを意味したとすれば、つまり倫理思想というのは、人間の社会生活の意識的反映のことなのであって、これの割合直接な直覚的なそして皮相なものがその中でも特に倫理思想と呼ばれ、そして他のそれより立ち入って科学的に分析された反映の部分は偶々他の名で呼ばれるに過ぎないから(道徳に関する社会科学的観念や文学的観念の如き)、倫理思想が古来人間の生活と思想とを一貫して来ていることに何の不思議もない。従って所謂倫理学の素材も亦古く古代と中世とを通じて伝承されたものによる他はなかったわけで、その意味から云えば又、古来倫理学は存在したのだ。――つまりブルジョア倫理学は(之はイギリスに発生しドイツ観念論との接触を以て栄えて今日に至っている処のものを中心とする)、当然なことながら、封建制下に於ける倫理思想乃至倫理学(主にキリスト教神学的な)、又それにも増して、奴隷制度下に於ける古代倫理思想乃至倫理学(末期ギリシア及びギリシア・ローマ時代の哲学と教父神学とを中心とする)からの伝統を有つわけで、この伝統の近世資本主義的変貌であると云っていいだろう。
 すでにアリストテレスでは「倫理学」と呼ばれる書物は二つまである(道徳論と題するものも一二あるが)。このようにこの名称自身は、古い歴史を有っているのは断わるまでもない。併しそれであるからと云って、その内容をすぐ様近代の倫理学の発端と見做すことは誤りであるし、又之が学問の世界に於て占めた位置関係から云って今日の所謂倫理学と同じだったとも云えない。第一そこで問題になる善(To Agathon)の観念にしても、近代倫理学で問題になっている所謂道徳や倫理の善悪の善[#「善」に傍点]のことではないので、それより活々として、真理で美しくて有益で怡ばしいものを意味している。従ってこの倫理の根本観念が占める理論上の地位は、遙かに今日のものよりも実質的な重大性と含蓄とを有っていたのだが、併しそれだけに却って、倫理学自身の独立性はあまり著しくは現われ得なかったわけだ。プラトンの国家論は寧ろ道徳論にぞくするユートピアだろう。
 現にアリストテレスでは、倫理学(エティカ)の位置は経済学(オイコノミカ――之は純粋にアリストテレス自身のものではないらしいが)と政治学(ポリティカ)とに先立つ処に意味を有っている。まず個人の問題を解いてから次に家庭の問題、それから社会(国家)の問題を解いて初めて、この一連の課題[#「一連の課題」に傍点]は解けるのである。倫理学だけを取り出しても、それだけで道徳という事物が根本的な解決を与えられるわけではない。この点、近代倫理学の心がけや主張と可なりに違っているのである。今日の倫理学は、実際上今日の(ブルジョア)政治学や(ブルジョア)経済学と殆んど全く何の関係を有たずに済む哲学の一分野となって了っている。尤もイギリスに於けるブルジョア倫理学の発生当時の動機に於ては決してそうではなかったのだが、夫が今日ではそういう退屈なことになって了っている。このことに一定の意味があるのだ。と云うのは、こうしなければ道徳に就いてのマンネリズム的な常識的観念の允許を得ることが出来ないからだ。ブルジョア哲学そのものの内部に於ても、倫理学という専門学科は孤立した独自のシステムを持てるものだと倫理学の教授達は想定している。多くの倫理学の教科書は、そういう立場から今日安心して書かれ得るという実状だ。
 従来「倫理学」という名がついた書物や理論でも、必ずしも近代ブルジョア学問の一つとしての所謂「倫理学」でない所以は、スピノザの哲学体系たる『倫理学』を見ても分ることだ。――こういう風にして、古来から存する倫理思想や自称倫理学の書物は、決してそのまま今日の所謂「倫理学」でもなければ又その濫觴でもない。
 だがそれにも拘らず、倫理の問題・道徳の問題は、古代から今日の倫理学に至るまで、一定の脈絡を以て伝承されている、と云わねばならぬ。ブルジョア倫理学にも実はありと凡ゆる形態があり、又この学問ほど様々な角度から試みられているものはない。例えばシジウィクは倫理学の方法をエゴイズムと直観主義と功利説とに分類しているし(The Methods of Ethics)、J.Martineau(Types of Ethical Theory,2 Vols.)はより広範な立場から倫理学の形態を区分している。現代では形式倫理学と実質倫理学との区別などが試みられている。だがそれにも拘らず総括的に見れば、今日のブルジョア倫理学は、古来の倫理思想乃至倫理学の、一応の決算[#「一応の決算」に傍点]でなければならぬのである。――なぜ一応の決算かと云うと、従来の倫理思想乃至倫理学は、何と云っても(多少例外と考えられる場合――例えばストイック学派の唯物論に見える倫理学までも含めて)、観念論に立脚したものであり、又事実多くは観念論自身の拠り処であったのだが、この観念論的倫理思想[#「観念論的倫理思想」に傍点]は近代ブルジョア倫理学によって、決算報告を受け取ったという形であるし、それだけではなく、このブルジョア倫理学の崩壊と共に、古来観念論的に提出されて来た道徳理論が、初めて科学的な会計検査を受ける時期に這入る、というわけだからである。道徳の唯物論的理論こそ、古来の倫理思想乃至倫理学と、近代倫理学思想との、本当の決算でなければならぬだろう(一般の倫理学史としてはF Jodl,Geschichte d.Ethik,2 Bde.が、短いものではクロポトキン『倫理学』が便利である)。

 さて所謂倫理学(近代ブルジョア倫理学)の一般的特色に就いてはこの位いにして、今度は倫理学による道徳の伝統的観念を明らかにする順序である。それにはこの倫理学的道徳観念が、どのような道徳問題を選択したか又するか、そして之を如何なる形で解こうと欲したか又するか、を見ればよい。
 古代支那や古代インドに就いては暫く措こう。古代ギリシアに於ては、道徳が倫理学的[#「倫理学的」に傍点]反省の対象となったのは決してそれ程古い時代からではない。なる程道徳的観念が思想一般に一定の作用をし始めたのは、恐らくギリシア都市国家の成立とその社会秩序・社会規範の成立とに前後する古い時代であり、特にギリシア哲学の発生と時期を同じくするらしい。ホメロス的伝説に見られるような諸神の道徳的無秩序を清算して、道徳的秩序を打ち建てねばならなかったということが、ギリシア哲学理論の発生原因の一部分であったとされている。だがここでは秩序は主として自然[#「自然」に傍点](フューシス)として把握されたのであって、法[#「法」に傍点](ノモス)として取り出されたのではなかった。道徳論が自然論から分離し始めたのは、云うまでもなくソフィスト達からであり、彼等は主にアテナイ其の他の都市国家を中心とするヘラス地方(ギリシア)の経済的・政治的・外交的・軍事的な動揺を反映して、自然論に対する懐疑から、道徳に就いての懐疑にまで到達したものである。
 この道徳論の発生と共に、ギリシア哲学は著しく観念論的な問題の提出をし始めたことを注意せねばならぬ。道徳そのものは明らかに観念乃至イデオロギーにぞくする部面が著しいから、道徳問題を観念論的な形で提出することには、一等安易な初歩的な必然性が有ったわけだ。ソフィストが有った問題は、それが理論的な範囲にぞくする限り、ソクラテスを通って二人の代表的な貴族層出身の哲学者プラトンとアリストテレスとによって引き継がれた。ここにギリシア特有の倫理学が成立する。
 ギリシア文化の所謂繁栄期(実は一種の頽廃期なのだが)を代表するこの哲学的トリオが、道徳に就いて提出した課題は、何が善であるか、否善と云われるものは何か、であった。ソクラテスは英知こそ快楽であり幸福であり、そして之こそ善でなければならぬと考えたが、プラトンが善のイデアを一切のイデアの最高峯に、或いは一切のイデアを統一するイデアとしたこと(「ピレボス」篇)は、既に触れた。アリストテレスはその『ニコマコス倫理学』に於て、善をば、中庸・程の好さ・に求めている。――だがこうした善のイデアは、正にイデアであるが故に、決して今日の倫理学や道徳常識で云うような、ああしたただの倫理価値[#「価値」に傍点]標尺の如きものと一つものではなかったのである。イデアは云わば英知的な眼とも云うべきものを以て見[#「見」に傍点]られる処のものだ。価値のような云わば論理的な想定のことではない。善がギリシアに於て美や幸福や快楽の意味を持ち、又その意味に於て真であり有利なものであったのは、そのためである。
 善というものはイデア(之は決して近代的な意味での観念[#「観念」に傍点]のことではない)という存在として見る、この存在論的倫理説は、云うまでもなく古代的形態に於ける観念論の頂点をなしている。ここでは善は見ら[#「見ら」に傍点]れるもの(イデア)として観照の世界にぞくする。善が人間の実践行動に直接関係しているのは勿論だが、今の場合その実践なるものそのものが観照の対象でしかない。善は意志の目的物ではなくて寧ろ哲学的直観の対象である。善は一つのイデアとして、主観的なものではなくて寧ろ客観的なものだが、それだけに一向主体的なものにならぬ。ここにこの道徳観念の形式主義(形相主義から来る)と普遍主義と非歴史主義との一切が結果する(このイデア論はアリストテレスが克服しようとした処であるが、今の問題はイデアによって代表されるギリシア思想自身にあるのだ)。当時の実際的な道徳観念は、云うまでもなく奴隷所有者の支配的自由民のものだが、夫がプラトンやアリストテレスの社会理論の内に根深く食い込んでいるにも拘らず、善のイデアは特にプラトンに於てのように、そうしたものから全く超然としているのだ。
 だがこのイデア論的倫理説は、一種貴族的な観念論(之は当時政治的には反動を意味した)に立脚したにも拘らず、それであるが故に却って今日の倫理学に較べて、すぐれた幾つかの点を有っている。この道徳理論は当時の(今日でもそうだが)常識にも拘らず、道徳をば専ら道徳律を中心として考えるのでなく、又徳目さえがそこでの最後の問題ではなかった。その善なるものが所謂善悪という便宜的な価値標尺の如きものでなかったことは、何べんも述べた処だ。
 道徳という観念をより近代的なものに近いものへと齎したのは、ストイック派やエピクロス派である。これはソクラテスと小ソクラテス派の忠実な伝統を追うものであって、道徳は個人の生活術[#「個人の生活術」に傍点]を意味することとなり、ここに云わば倫理学のアウタルキーが確立されたのである。と云うのは、道徳はこの倫理学によると、社会や家庭の問題とは全く無関係に、完全に個人の関心として、一つの小さな封鎖された纏りを持つ領域となる。独身のルンペン主義哲人で有名なキニック派のディオゲネスや、下ってネロの忠良な廷臣セネカ(ストイック派)などを思い起こせば、この点は明らかだろう。エピクロスは甚だ社交的な敬愛すべき哲人だったので有名だが、その道徳理論は、略々ストアのゼノンと同じに、不動心[#「不動心」に傍点]という知的エゴイズムに他ならなかった。
 これ等の道徳理論家達は、ギリシア・ローマ期を通じての社会的動揺に処してその道徳を社会に於て貫く代りに、之を個人生活の生活術にまで萎縮させることによって、道徳を著しく倫理学的なものにした。道徳の観念は個人主体の心理にまで深められはしたが、併し之を、知的に見れば全く便宜的なものに他ならない処世術に仕えさせたがため、結果として退屈な徳目の教説に終らざるを得なかったのである。彼等による道徳の問題は幸福の探究[#「探究」に傍点]であったのだが、この実践的な課題の解決も、社会的に見れば完全な無為無能を意味する個人の心の静けさ以外には求め得なかった。之ならば奴隷にも抑圧された原始キリスト教徒にも、カエサルと同様に、あて嵌まるわけだ。個人主義的、主観主義的な観念論的道徳観念の、古代的な代表が之なのである。
 古代乃至中世に於ける観念論的道徳観念のもう一つの典型は、教父乃至スコラの倫理説であるが、その根源的なものは教父・聖アウグスティヌスのものであった。彼によれば神の存在の証明は宇宙論的にも心理的にも出来ると云うのであるが、神の道徳的証明が何より今興味がある。人間が善をなすように仕向けるものは、社会其の他による外部的強制ではない。それはただ善き意志[#「善き意志」に傍点]だけがなし得る処だ。これは神の意志である他ない、と云うのである。人間はこの神に仕え、神はその善き目的の下に人間をあらしめる。神は人間に恩寵を垂れ給う。そしてこの恩寵の内にこそ人間の道徳が横たわるのである。――人間は意志の自由[#「意志の自由」に傍点]を持っている、これこそ神が人間にだけ与え給う恩寵だ、従って之は実は人間のものではなくて神にぞくする。その意味では吾々は道徳的に決定論・宿命論のものだ、意志の自由[#「意志の自由」に傍点]は本当ではない。だが事実、神が与えた意志自由によって人間は現に悪をなすことが出来る。処がこの悪も亦恩寵の一つなのだ。悪は世界の全体の善に寄与するためにあらざるを得ないものだ、と云うのである。馬は石に躓いても、躓くことの出来ない石よりも、よく歩くものであり、人間は自由意志によって罪を犯しても、自由意志がなくて罪を犯すことさえ出来ない他の動物よりも、立派なのだ、と云う。
 アウグスティヌスによれば、道徳は幸福[#「幸福」に傍点]と永生[#「永生」に傍点]との内に存する。ギリシア哲学者はエピクロス学派もストイック学派も幸福を地上のものに限って考えたので、之を永生へ結びつける術を知らなかった。処が真の完全な幸福は、神を楽しむことでなければならぬ、と云うのである。――でここに、道徳に就いての倫理学的観念に就いて、神の世界がその根柢を与えることとなったわけだ。道徳的な善悪は、イデアの問題でもなければ現世的な生活術の問題でもなくて、天国と地上との対立のことでしかなくなった。之はヘブライ的思想から来た全く新しい観念論的観点なのである(ヘブライ思想をギリシア思想に結びつけたものがこのアウグスティヌスで、之に先立って、ギリシア思想を東方思想に結びつけたのがプロティノスであった)。
 だが夫と同時に、エピクロス学派やストイック学派には見られなかったような、一つの視野が開かれて来たことを見落してはならぬ。と云うのは、アウグスティヌスの「神の国」はカエサルの国の対蹠物に他ならなかったので、当然この現実の社会[#「社会」に傍点]が、倫理上の問題とならぬば[#「ならぬば」は「ならねば」の誤記と思われる]ならぬからだ。彼によると、個人が神の僕であると同じに、社会は神に仕えるためのものであって、全く道徳的本質のものだ。山賊ででもない限り、人間はこの社会の正義たる国法を遵らねばならぬ、と云うことになる。特にキリスト教国に於ては、社会の倫理的行為たる教育は、神の認識を教えることだけで充分であって、ギリシア人的な自然研究などは無用有害だと云うのである(尤も言語・弁証術・修辞学・数理論は必要だとする――事実アウグスティヌスは優れた文化人であったことを忘れてはならぬのだ)。――かくてアウグスティヌスの神に基く神聖倫理は、つまり世俗のカエサルの帝国に於ける常識的な階級道徳そのものと、少しも実質を異にするものではない。倫理学に於ける神学的観念論[#「神学的観念論」に傍点]はここに始まる。
 アウグスティヌスによって道徳の観念は宗教倫理的なものとなった。ここに含まれる特有な道徳問題は、単に善(或いは悪)や幸福(乃至浄福)の問題ではなくて、恩寵であり永生であり、そしてもっと大事なのは、之に直接関係のある悪[#「悪」に傍点](根本悪)と自由意志[#「自由意志」に傍点]との問題なのである。之はギリシア倫理学では殆んど全く存在しなかったものであると共に、之なくしては近代ブルジョア倫理学を考えることの出来ないような、根本問題なのだ。こうした根本問題がアウグスティヌス(広くキリスト教倫理学)から発生したのである。

 さて私は以上、古代(乃至中世)に於ける道徳理論乃至倫理説・倫理学の三つの典型と、夫々に含まれた課題とを述べた。そしてこの三つのものが、夫々の形に於て、如何に観念論と不可分な関係に立っていたかを見た。――之を頭においた上で、近代ブルジョア倫理学の課題と特色とを見よう。
 古代に於ける倫理思想がそうだったように、近代に於ける倫理思想の自覚も亦、一般思想の激しい動揺、即ち社会機構の著しい変革によって促された。すでに述べたように、道徳は社会秩序の分泌物のようなもので、従ってその反映である道徳意識乃至倫理観念は、社会秩序の上部構造的な表現に他ならないが、社会秩序が比較的安定を得ている場合には、その道徳乃至道徳意識は、自分の内に何等の抵抗も矛盾も感じないので、倫理思想は殊更自覚される縁もなければその必要もない。倫理が問題として自覚され、倫理学などが発生するのは、一般に社会変動と夫に基く思想的動揺とに照応してのことなのだ。近代ブルジョア倫理学の発生も亦そうなのである。
 前にも云ったが、近代倫理学はイギリスのブルジョア倫理学として発生し又発展した。その直接の源をなすものはトーマス・ホッブズであった。ホッブズに先立つエリザベス時代は、イングランドがヨーロッパ[#「ヨーロッパ」は底本では「ヨーロョパ」と誤記]に於ける制海権を握り植民地貿易企業には莫大の利潤をあげ得た、商業資本主義の大規模な発達時代であった。当時の海外貿易会社は一〇〇割の配当をなし得たとさえ云われている。尤もこの点ルイ十四世治下のフランスでも大した差はなかったのだが、併しイングランドに於ける特色ある一事情は、新興ブルジョアジーの早い発達が容易に地主貴族の利害と結合出来たという点に存する。だから反封建的なノミナリズム的な経験論的機械論(之が近世ブルジョアジーの本来の世界観であった)が、絶対君主主義などと理論的に結合することも強ち不可能ではなかったので、恰もホッブズの倫理思想は、そうした場合に相当するものに他ならなかったわけだ。
 ホッブズの倫理説は、人間性[#「人間性」に傍点]の検討から始まる。と云うのは、人間の情念(Passion)の分析から始まる。人間の情念は精神の機械的運動に他ならないが、一般的な情念としては愛好・欲求(索引運動に相当する)と苦痛・憎悪・恐怖(反発運動に相当する)とが対立している。その根柢を貫くものは権力と名誉との欲望だ。それ故人間は元来一人々々夫々皆第一人者となろうとして競争と闘争とをなしつつあらざるを得ない。所謂「万人が万人に対する闘い」である。各個人はその自然状態に於ては、キリスト教的伝統観念とは反対に、自己保存と自己増殖との欲望によって動かされる野獣か狼に他ならない。こうして各個人は無限の権力を欲するものなのだ。その際、善[#「善」に傍点]とは銘々が自分に気に入った都合のよいこと以外のものでなく、夫が各個人にとっての正義[#「正義」に傍点](法)というものに他ならぬ。第一の善は自己保存であり、第一の悪は死ぬことだ、とホッブズは主張するのである(読者はここに、道徳の問題が人間性の問題から善悪の標尺の問題へ移行するのを見るだろう)。
 処がこの自由状態に於ける各人は、お互の反目猜疑抗争が、銘々の生存に取って実は危険極まりないものであることを発見する。人間に理性乃至悟性がある限りこの発見は容易だ。そこで人間は平和を欲求するようになる。かくて今度は、善とは人間社会の平和にとって必要な凡ての手段の名であり、悪とは之を妨げるものの名だ、ということになる。では人間社会のこの平和を保証するものは何か。夫が法であり国法である。従って更に又、善とは国法に従うこと以外の何物でもなく、悪とは国法に従わないこと以外の何物でもない、という結論になる。道徳の善悪価値標尺の問題は、こうして社会国家に於ける法不法[#「法不法」に傍点]の尺度の問題に帰着する。
 ここにホッブズの有名な社会契約説が彼の倫理学に対して有つ根本関係が横たわる。社会は自由状態に於ける各個人が、その快不快の実際を理性的に反省した結果、平和機構の契約を交した処に成立するというのである。――処がこの社会なるものは、ホッブズによると実は専制君主国のことでしかない。つまり一人の支配者を選択して、他の人員は臣下として之に殆んど絶対的に服従するという契約が、初めて社会を成り立たせるのだ。君主はかくて一種の天賦の自然権を有つものとなる(尤も君主が君主に相応わしくない時は臣下は之を捕縛したり追放したり監禁したりしてもよいとも云っているのだが)。――このホッブズのアブソリュティズムは、チュードル王朝特に又スチュアート王朝のデスポティズムを倫理的に合理化したものであることは、疑いを容れない。当時個人[#「個人」に傍点]の形で現われたブルジョアジーの勢力は却って、国家[#「国家」に傍点]の形で発現したこのデスポティズムの積極的発動を促した。ハンプテンなる人物は船舶税の納入を拒否した。そしてチャールズ一世は議会を半永久的に解散して了った。――こうしたわけでホッブズ倫理学は、イギリス・ブルジョアジーの発展初期に於けるこの云わば変則な必然性を表現した処の、やや変則な[#「やや変則な」に傍点]ブルジョア倫理学に他ならなかったのである。やや変則なとは次の意味だ。
 一般にホッブズの哲学が機械論的唯物論の代表であったことは、今更説明を必要としない。その倫理学も全くこの唯物論の可能的な帰結の一つに過ぎない。だがこの唯物論がやがてジョン・ロック等の手によって、経験論にまで精練されることによって、イギリスの爾後の倫理学は名目上でも完全な観念論の典型となるようになった。特に経験論の一つの形である処の、道徳感情や道徳感覚や常識哲学の常識を依り処とする各種のイギリス道徳科学・道徳哲学・倫理学はそうだ(シャフツベリ伯爵・トーマス・リード其の他)。機械的唯物論が倫理学に於て再び口を利き始めたのはフランス唯物論者に於てであった(エルヴェシウスやホルバッハ伯爵)。――ホッブズの唯物論的倫理学が(ブルジョア)倫理学であるべきであった限り、それは歴史的に不幸に終らざるを得なかった。なぜなら其の後のブルジョアジーは、倫理学の内に他ならぬ観念論の代表者と足場とを発見しようと欲したのだからである。
 だがそれにも拘らず、ホッブズ倫理学の人間性論[#「人間性論」に傍点]が、長くイギリス倫理学の根本課題として残されたことは、重大である。先に云った一連の道徳感情論的倫理学は正にここから出発したのであったし、イギリスの政治学や経済学も亦これなしには発育しなかった(ロック・ヒューム・スミス・等を見よ)。そして人間性の善悪[#「善悪」に傍点]の問題(ホッブズに於ては人間性悪説だった)は、道徳の問題を善悪の価値対立問題として、その後の倫理学を支配した(ベンサムの功利主義に立つ最大多数の最大幸福説――之はベッカリーアの思想から糸を引いていると云われる――を見よ)。そして最後に、ホッブズが善悪の対立を法不法の対立に還元することによって、道徳を少なくとも何よりも道徳律[#「道徳律」に傍点]として理解せねばならなかったことを注目しなければならぬ。之も亦その後のブルジョア倫理学に於ける常識的道徳観念の一つの形態をなすものである(之はカントによって探究された形態の「道徳論」だ)。
 だが、道徳がその本質を社会[#「社会」に傍点]の内に持っているということは、ホッブズの倫理説によって初めて真向から取上げられた処の、忘るべからざる特色なのである。この特色は事実上唯物論(機械論)的倫理学と必然的な関係があるものであって、後にエルヴェシウスなどは十八世紀に於けるその代表者でなければならぬ。尤も機械的唯物論は道徳の歴史的[#「歴史的」に傍点]発達を理解し得ないのを常とする。従って之によっては道徳の社会的本質は、本当の処を理解し得ないのが当然だ。之は機械論的唯物論的倫理学の最大の根本的欠陥であると共に、同時に又、ブルジョア観念論的倫理学にとって略々共通の(ヘーゲルは除く)根本的遺漏に他ならない。
 かくて吾々は、ホッブズの倫理学とそれに基くブルジョア倫理学なる独立領域の成立との内に、近代ブルジョア通俗常識[#「通俗常識」に傍点]による道徳観念の、根本的な諸規定(夫を私は第一章で述べた)の殆んど一切の萌芽を見ることが出来ると云っていいだろう。――だがそれにも拘らずここにはまだ、近代ブルジョア観念論的倫理学の、最も大切な二三の根本問題が盛られていないのである。現にホッブズのは本来が唯物論的倫理学に他ならなかった。近代ブルジョア観念論が最も愛好する倫理学的テーマが、それにはまだ欠けているのだ。そしてこの特有に近代倫理学的なテーマを介して、ブルジョア観念論一般が、ブルジョアジーの通俗常識を踏み越えるようにさえ見せかける筈である。――一体ホッブズ倫理学では、すでに古典的に現われた道徳の諸問題を、何と云ってもあまりに機械的にそして簡単に、片づけて了った憾みがあっただろう。

 ブルジョア倫理学の観念的代表者は他ならぬI・カントである。尤もカント哲学は必ずしも純粋なブルジョアジーの哲学ではなくて、それのプロシャ的啓蒙君主的変容に相当するものであるが、併しカント哲学の新鮮味はヨーロッパ・イギリス・ブルジョアジーの生活意識を積極的に吸収した処に存する。彼の世界市民[#「世界市民」に傍点]の理想は之を最もよく云い表わしているだろう。
 ホッブズでもそうであったが、カントの倫理思想はその国家・法律・政治の理論と密接な関係に立っている。又彼はホッブズと同じく、自然法の正統にぞくしている。だがカントの特色は、そうした国家・法律・政治等々の理論とは比較的独立[#「比較的独立」に傍点]に、「実践理性」の領域を、「道徳」(Sitte)の領域を、取り出し得ると考えた処にあるのである。カントの手によって「実践理性批判」とか「道徳の形而上学的原理」とか「倫理学」とかいうものが、独自な封鎖された学問領域として掲げられた。――カントは主として、道徳の世界を自然界・経験界から峻別した。この区別はカントの考え方の至る処に、体系的に貫かれているのである。だから又、カントによる倫理学の独立[#「倫理学の独立」に傍点]は、極めて体系的な根拠を有っていることを忘れてはならない。
 カントによれば理論理性は夫が経験的に用いられる時、と云うのは感性的な直観乃至知覚と結合して用いられる時、経験界の自然科学的な認識を齎す。之以外に正当に経験とか認識とか呼ばれるべきものはない。つまりこのような現象界に就いてしか、吾々は経験や認識を有てないわけなのである。現象界の背景にあるかのように考えられる本体界(物そのものの世界)は理論理性の対象ではあり得ない。之を無理に理論理性の対象としようとすると、二律背反というような困難が発生するのだ、と彼は云う。処でこの本体界(ノウメナ)に這入り得るものは、理論理性ではなしに正に実践理性[#「実践理性」に傍点]なのである。この実践理性の世界が道徳界に他ならない。
 なる程この道徳界は経験界(自然界)と全く無関係なものとは云えない。事実道徳界は経験的現象界を通じて見出される他はないだろう。人間は道徳界にぞくするものとして自由[#「自由」に傍点]である、だがこの自由も因果律に従って行動する経験的な人間自身が持つ処のものだ。で、二つの世界は無論無関係ではない、ただ全くその世界秩序が別なのだ、と考えられている。――だがこの全く別な秩序界の間の、体系的な関係は何か。両者が無関係でなくどこかに接触点があるということと、この接触が体系的に明らかであるということとは別だ。この意味で道徳界と経験(自然)界、倫理学の領域と経験科学的認識の領域とは、どう関係するか。この問題は当然カント哲学全般の体系的な構造が何であるかを尋ねることだ。処がカント自身によっては、実はこの関係が殆んど全く有機的に解かれていないのである。なる程例の『判断力批判』は理論理性と実践理性との総合を問題にしているように見える。だが実は、この第三批判が丁度第一批判と第二批判との中間に位する問題[#「位する問題」に傍点]を取り扱っているというまでで、この問題自身が両者の総合や結合を意味するというわけではない。この意味からいうと、カントの批判哲学の「体系」は彼自身の手によっては与えられていなかったと云わねばならぬ(カント哲学の体系づけを試みた良書としては田辺元『カントの目的論』がある)。
 こうしてカントの倫理学は、認識理論や芸術理論から殆んど全く独立な領域として現われる。その結果は而も社会・国家・政治・法律からさえ、独立した一つの封鎖領域なのである。――処でこの関係は二つの結果を必然にする。一つは倫理学の形式化[#「形式化」に傍点]であり、一つは倫理学の固有問題[#「固有問題」に傍点]の設定である。と云うのは、倫理学の内に実質的内容を入れて考えるとすれば、他領域との関係が這入って来なくてはならなくなるし、倫理学だけに固有で他の学問では取り扱えないような問題がいくつか見出されなければ、倫理学という特別な専門領域は無用になるだろうからだ。
 カントの倫理学に於ける形式主義は有名であるが、之はブルジョア倫理学にとって決してただの偶然ではない。ブルジョア倫理学が倫理学という固有領域を確保するためには絶対に夫が必要だったのだ。まず経験的因果の連鎖を取り除き、次に人間的欲望の性向(傾向)を取り除き、それから道徳律=根本命題の特殊な中味を取り除く。かくて倫理学は極めて貧弱なものとなるように見えるのだが、実は却って之によって、倫理学という特殊領域が、いつでもどこにでも口を容れることが出来るような特権を獲得するのである。場所・歴史的時代・社会階級などとは全く無関係に、この倫理理論は通用出来るわけだし、又如何なる社会現象の根柢としても、この形式的な倫理学は、形式的であるが故に必ず想定されて構わぬものとなる。社会が倫理的[#「倫理的」に傍点]に見られるためには、即ち、社会が観念論的[#「観念論的」に傍点]に特徴づけられるためには、倫理学は形式主義を取らねばならぬわけだ。であるからK・カウツキーが近代のブルジョア哲学にぞくする倫理学の中から、特にカントを長々と取り出して、専らその形式的普遍主義を指摘したのは、当っているだろう(カウツキー『倫理学と唯物史観』はマルクス主義=唯物論的文献に於ける唯一のやや系統的な道徳論だ)。
 併しいつでもどこにでも口を容れることが出来るためには、倫理学は自分でなければ取り扱えない諸問題、而も一切の他領域に於て根本的な役割を有つだろう諸問題、を有っていなくてはならぬ。この問題を掘り下げた者が、カントであった。自律・自由・人格・性格[#「自律・自由・人格・性格」の「・」を除く部分に傍点]などの根本概念が之だ。意志の自由の問題はすでにストイック学派にも見られるが、最も深刻な意義のものはアウグスティヌスの神学的観念による夫であった。カントは之を人間理性の自律の内に発見したのである。この自律による自由の主体が人格であり、人格の特色をなすものが性格だ。道徳乃至倫理とは要するに、この人格を以て、手段ではなくてそれ自身目的であるように、行動することに他ならぬ。人格は経験的には何であろうと倫理的にはそういう目的[#「目的」に傍点]であるというのだ(カントは経験的性格と英知的性格とを対立させる)。
 かくて倫理学とは、自由[#「自由」に傍点]や人格[#「人格」に傍点]やを、そしてこの根本概念に基いて道徳律や善悪の標準やを、研究する処の、一つの独立な封鎖された学問のこととなる。道徳律や善悪標準の問題はブルジョア通俗常識の問題でしかない、だが之を倫理学という専門的な学問は、自由や人格という範疇の検討を以て、裏づけるというのだ。――処がその裏づけの結果は倫理学に一種のブルジョア的光栄を齎すものだ。なぜなら、一切の人間関係・社会関係は、之によって、人格[#「人格」に傍点]の結合や「目的の王国」や理想[#「理想」に傍点]の体系界というような根本的意義を与えられることになるので、つまりこのブルジョア観念論的倫理学は、一切の社会理論の根柢をなすものだということになるのである。観念論は一般にだから、この倫理学を利用さえすれば仕事は極めて簡単となる。
 自由や理想や人格は、今日の道徳常識では寧ろ平凡な観念になっていると云っていいだろう(自由に就いてはヴィンデルバント『意志の自由』――戸坂訳が参考になろう)。世間の人達が唯物論に反対するために考えつく根拠も、唯物論が之等の問題を(この正に倫理学的な道徳の問題を)、解こうとしないという論拠である。この批難に意味のないことは、いずれ明らかになることだが、併しこの種の倫理学的範疇にもう一つ「我」というカテゴリーをつけ加えたフィヒテのことを忘れてはならぬ。フィヒテはその純粋我[#「純粋我」に傍点]なるものの存在の仕方を論じることによって、行・実践[#「行・実践」の「・」を除く部分に傍点]なる倫理学的規定を強調するに至った。之は「我」という倫理的主体にとって必然な倫理学的規定だ。処が之は恰も極めて倫理学的な規定であることを見落してはならぬ。なぜというに、ここで行なう行とか実践とかは、何等人間的活動としての産業や政治活動を意味するのではなくて、単に自覚的に考えたり身体を動かしたりするということにすぎないからだ。何でも自覚的にやりさえすれば夫が実践だというわけだ。――だがそれにも拘らず「我」(之は必ずしも社会に対する個人[#「個人」に傍点]というだけのものではないが)は、人格という観念と共にブルジョア・イデオロギーを代表する処の有力な合言葉である。道徳の問題を我[#「我」に傍点]へまで持って行くことはそれ自身意味のあることだ。併しこのフィヒテの我たるものが、極度に独立した独身の自発性を有ったもので、一切の世界がこの自我からの発展だというのである。我はフィヒテにとっては、ドイツ哲学的主観的観念論のパンドーラの箱に他ならない。而もこの我がフィヒテの倫理学の枢軸だったのだった。
 フィヒテの哲学及び倫理説が、カント哲学の体系的発展(実践理性によって理論理性を統一しようという)であったことは、云うまでもない。フィヒテに次ぐドイツ観念論者はシェリングであるが、晩年のシェリングはヘーゲルとの論争に沿って、自由意志論の展開を試みた。だが夫は極めて宗教的哲学思索であって、もはや道徳に関する倫理学的な常識観念の他へ出て了っている。――でつまり近代ブルジョア倫理学の内、道徳に関する倫理学的問題・倫理学的根本概念、を最も積極的に展開するものは、カント(乃至フィヒテ)であったということになる。現代の群小諸倫理学は、多少ともこの影響に立たないものはない(T・リップス其の他)。
 だが最後に、ごく近代的な倫理学の一傾向として、生命[#「生命」に傍点]の倫理学を数えておかねばならぬ。その一つはダーヴィン主義的倫理学であり(カウツキー前掲書参照)、その二つは例えばギュイヨーの夫だ(「義務も制裁もなき道徳の考察」其の他)。形式主義的倫理学に了る道徳観念の代りに、生命内容による闘争や生活意識の高揚やを導き入れたことがその特色であるが(特にギュイヨーの如きは道徳を道徳律中心主義的な又善悪対立主義的な観念から解放した)、道徳の歴史的発展[#「歴史的発展」に傍点]に就いての積極的な体系は全く之を欠いている。之は、この種の「生」の倫理学が依然として形式主義的倫理学と共に分つ宿命なのである。之はだから実は本当に内容的な[#「内容的な」に傍点]倫理学ではあり得ないわけだ。この点現象学的[#「現象学的」に傍点]倫理学其の他のもの(M・シェーラーの如き)になれば、もっと明らかだろう。
 極めて最近では、倫理学を人間学乃至「人間の学」と見做すことも行なわれるが(例えば和辻哲郎博士)、こうした人間学[#「人間学」に傍点]は要するに社会を倫理[#「倫理」に傍点]に解消する代りに、之を人間[#「人間」に傍点]に解消するためのもので、明らかにこの点で従来のブルジョア観念論倫理学の代用物としての機能を有つ、夫が改めて今時、倫理学と見立てられるのは尤もだと云わねばなるまい。――倫理思想を歴史的[#「歴史的」に傍点]に導いて来なければならぬと云って、東洋倫理や日本倫理学を説く者が、今日の国粋反動復古時代に多かりそうなことは、誰しも思い付くことだ。西晋一郎博士によれば、「東洋倫理」は科学や学問ではなくて教え[#「教え」に傍点]であり教学[#「教学」に傍点]であるという。この教学主義の体系が今日の日本に於ける典型的な半封建的ファシズム・イデオロギーの帰着点であり、特色ある観念論組織の尤なるものであることは論外としても、この種の歴史的(?)な倫理学が、実は何等の歴史学的認識に立つものでもないことは、一目瞭然たるものであろう。古代支那の習俗と支那訳印度仏教教理との結合が、二十世紀の資本主義強国日本の生活意識だというのであるから(其の他、日本の師範学校教師式倫理学の大群に就いては、ここに語る必要はあるまい)。
 さて、道徳に関する倫理学的観念、特に又ブルジョア観念論的ブルジョア倫理学から眺められた道徳観念、その特色ある典型を私は見たのであるが、この倫理学なるものが如何に独立独歩の専門的学問であり、その根本問題(自由とか人格とか理想とか)が如何に倫理学にだけ特有なものであったとしても、結局それによって生じる道徳なるものの観念は、今日のブルジョア常識による道徳観念の、埒外へ出るものではない。道徳は非歴史的で超階級的で、普遍的で形式的であり、真に社会的な何ものでもない。在るものは個人主義道徳(個人道徳)か、個人主義道徳の単なる社会的拡大でしかない(R・ナトルプの「社会理想主義」の如きが後者だ)。このおかげで道徳は、今日の観念論の権威と神秘との聖殿に他ならぬものとなっている。何か倫理学的な独立封鎖領域があって、凡ての社会理論はこの聖地を訪れることによって初めて人間的価値を受け取る。そして而もその際、道徳とは、多くの場合(一二の例外は別として)、道徳律や修身的徳目のことでしかなく、善悪の標準のことでしかなかったのだ。
 倫理学はこのようにして、道徳という常識観念をただ哲学的に反覆するものであるにすぎない。道徳的常識の批判どころではない所以である。――道徳は倫理学によって、全く卑俗な矮小な憐むべき無力なガラクタとなる。之が総じてブルジョア社会特有な個人主義[#「個人主義」に傍点]のおかげであることは、改めて説明するまでもないことだ。だが之が神聖なるものの事実であったのだ。
 私はこの卑小な道徳の観念を超えて、道徳に就いての、もっと生きたスケールの大きな観念を見ねばならぬ。それは今日の社会科学(特に史的唯物論=唯物史観)が約束する処のものである。
[#改頁]

 第三章 道徳に関する社会科学的観念

 すでに見たように、道徳というものが日常生活・日常常識にとってまず第一に意識される形は、一種の外部的な強制力としてであった。之は原始人に就いて最もよく見られる処だ。自分はその欲望、情操、理性、其の他に基いてある一定の自由を欲している、所が社会から来る外部的な抑圧がこの自由を抑圧している、と感じる。この感じの内に悪意は含まれていないにしろ、或いは寧ろ大抵の場合好意と得意とが含まれているにしろ、又はそういう好悪に全く無関心であるにしろ、この感じ自体がこの際の原始的な道徳観なのである。ここではまだ夫が善いことか悪いことかさえ考えられてはいない。なる程この一定の道徳的強制(道徳律)を破ることは、色々な意味で悪いことだと解せられる。夫は自分や自分が属する部族氏族又家族に、ある一定の不幸を齎すかも知れない、神やスピリットは怒るかも知れない、からだ。併しそれだからと云って別に、この強制そのものがそれ自身に善なのだというような、合理的な理由による価値評価があるわけではない。だがそれにも拘らず之は立派に道徳――原始的な――なのである。でもし、原始社会を専らこの社会的強制という一フェースからだけ考察するならば、原始社会の機構は道徳的で又宗教的なものだということにもなるだろう(E・デュルケム『宗教生活の原始的諸形態――オーストラリアのトーテム組織』――邦訳あり――参照)。
 この原始的な道徳観念は実はやがて、現代人が道徳に就いてもつ最も原始的な観念でもあったのである。処でここに注意しておかなくてはならぬ点は、この道徳がこの際(夫が原始宗教の形をとる場合でもよい)、他ならぬ社会的[#「社会的」に傍点]強制だったという点である。道徳はここでは全く社会的[#「社会的」に傍点]なものと考えられているのである。処が道徳に就いての観念がもう少し進歩すると(そしてこの進歩は実に社会そのものの進歩の結果に相応するものだが)、道徳は単なる社会的強制ではなくて、更に強制される自分の主観自身がその強制を是認する、という点にまで到着する。この時初めて、道徳に就いて本当の価値感が成り立つのである。そしてこうして道徳の観念が構成される際の一つの方向は、道徳を主観の道徳感情・道徳意識に伴う価値感そのものだと考えることに存するようになる。こうして良心とか善性とかいう主観的な道徳観念が発生する。所謂「倫理学」は、こうした主観的な道徳観念を建前とする段階の常識に応ずる処の、道徳理論だったのだ。
 従ってこの「倫理学」は、道徳が有っている最も原始的な又は最も要素的な、例の社会的強制という性質を、殆んど全く忘れて了い勝ちなので、あとから社会道徳[#「社会道徳」に傍点]とか個人の対社会的義務とかいうことをいくら口にするにしても、その出発点に於ては、倫理学は前社会的又は超社会的・脱社会的な道徳観念に立脚しているのである。だから夫が社会的理論にぞくさずに、独立した倫理学となれるのだ。主観の名に於て社会を忘れ、個人主体から社会的な事物をも説明しようというのが、ブルジョア・イデオロギーの一つの基本的な特色で、之はヘーゲルの適切な言葉を借りれば、個人のアトミスティクである処の「市民社会」の物の考え方の特徴だ。わが倫理学(ブルジョア倫理学)も亦、その一例に過ぎぬ。尤も問題を本当に主観の圏内だけに限ったような倫理学は、実は寧ろないと云った方がよいかも知れぬ。もしそういうものがあったなら、夫は貧弱極まる倫理学としてあまりに露骨に見え透くからだ。併し如何に云わば客観的な倫理学でも、その原理=端初は、主観的なので、倫理学が観念論の論拠の不可欠な一環として利用されるのも、ここに関係があったわけだ。
 併し道徳が社会的強制であるという観念から、道徳の本来の価値感を惹き出すのには、主観的な方向の他に、もう一つの方向が可能である。夫は社会的強制によって強制された主観の強制感ではなしに、この強制自身の方が自分自身で何かの合理的意義を有つものだ、と考えようとする方向である。道徳は主観の心情に求められるのではなくて、社会的強制そのもののもつ神的又は理性的な意義根拠の方向に求められる。一般に社会に関する自然法[#「自然法」に傍点]的評価(この自然が本当の天然であろうと理性であろうと又神によって与えられた理性であろうと)が之であって、道徳は社会の自然法として取り出されることとなる。でこの際の道徳観念は、再び全く社会に即して見出されるわけだ。
 処でこの後の方向に於ては、道徳が社会と直接に結合していると見られるのだから、そこでの倫理学は社会理論と不可避に結びついている筈である。で、この種の倫理学は、夫が一方に於て道徳という観念によってごく常識的に主観的心情としての道徳感を表象し勝ちな処から(なぜなら自然法の道徳的価値も結局は道徳感によって評価される他ないからだ)、その点あくまで所謂倫理学なのだが、にも拘らずこの倫理学はもはや単なる倫理学ではなくて、実は同時に社会理論でもなければならなくなってくる。否、この社会理論に結びつくのでなければ、倫理学自身も成り立たない、という関係になって来るのだ。それだけではない、たとい倫理学の方は成り立たなくても、社会理論は立派に独立に成立出来そうだ、という状態になって来るのだ。その実例は、トーマス・ホッブズを述べた際などに最もよく見られたことと思う。
 こういうわけで、倫理学は社会理論(=社会科学)と結合し、やがて之へ移行する。従って道徳の倫理学的[#「倫理学的」に傍点]観念は道徳の社会科学的観念[#「社会科学的観念」に傍点]にまで接触し、やがて之へ移行する。之は私がこの本で倫理学的な道徳観念の次に社会科学的な道徳観念を持って来なければならぬ根拠であるが、実は又之が、ホッブズから(カントを通って)ヘーゲルを経、更にマルクス・エンゲルスに至る社会科学的道徳理論の発展をも物語っているのだ。と云うのは、ホッブズでは倫理学とその社会理論とはズルズルベッタリに絡み合っている。之をハッキリと一刀両断したのがカントである。それをもう一遍絡み合わせて整頓したものがヘーゲルの「法の哲学」なのである。そして遂に科学としての社会理論を打ち建てることによって、倫理学の独立性を廃棄したものがマルクス主義者だ、というのである。――因みに近世に於ける社会理論乃至社会科学の発展は、一方に於て倫理学乃至道徳理論と直接関係が少なくないと共に、本質に於てやはり一種道徳論的乃至倫理的である処のユートピア(非科学的社会主義・前科学的社会科学)との関係を離れては考えられない。そして之は又歴史哲学との交渉からも見られねばならぬものを持っている(この発達史に就いてはH・クーノー『マルクス・歴史・社会・国家学説』が一応の便宜を提供する)。

 さて、ホッブズ(及びカント)に就いてはすでに簡単に述べたから省くとして、まずヘーゲルを見よう。ヘーゲルに於ては道徳が如何に取り扱われたかを。――元来道徳はすでに云ったように、極めて広範な領域を占有するものであるだけでなく、所謂道徳という名のつかない領域にも接着して現われる処のものだ。風俗習慣がまず第一に道徳である。裸で街を歩くことは風俗壊乱だから不道徳なのだ。日本では左側を、外国では右側を歩くのが交通道徳である。こうした単なる便宜的な約束さえが道徳なのだ。云うまでもなく法律も道徳的なものである。犯罪は凡て道徳的な悪として説明される、支配者は政治犯や思想犯も、なるべく之を道徳上の干犯に見立てようとしている。そして良心や人格や性情が道徳であるのは初めから当り前だろう。処で道徳の観念に関するこういう一切のニュアンスを、極めて組織的に見渡し得た最初の人が、ヘーゲルだと云わねばなるまい。
 まずヘーゲルに於て、道徳の問題が所謂道徳というテーマの下にではなく、もっと広く法[#「法」に傍点](必ずしも[#「必ずしも」は底本では「心ずしも」と誤記]法律[#「律」に傍点]には限らぬ――丁度道徳が道徳律[#「律」に傍点]に限らぬように)というテーマの下に持ち出されていることを見ねばならぬ。即ち彼に於ては道徳の理論はもはや倫理学ではなくて正に「法の哲学」なのだ。ヘーゲルのこの法律哲学が所謂法律[#「法律」に傍点]の哲学でないことは云うまでもない(初期の労作を除けばヘーゲルの法乃至道徳理論は『法の哲学の綱要』――一八二〇年乃至一年――と『エンチクロペディー』第二版――一八二七年――とであるが、両者は殆んどその組み立てを同じくする)。
 元来ヘーゲルが法乃至道徳と考えるものは正確には客観的精神[#「客観的精神」に傍点]と呼ばれている処のものだ。今日広く文化形象一般を客観的精神とも呼んでいるが、ヘーゲルでは、所謂文化(芸術・宗教・哲学)は客観的精神よりも一段高い精神の段階たる絶対精神にぞくせしめられている。そしてこの客観的精神より一段低い精神の段階は主観的精神であって、人間学や現象学や心理学の世界は之にぞくするのである。処で精神[#「精神」に傍点]なるものは実はヘーゲルによると理性の(或いは思考・イデー・概念の)最も高い段階に他ならない。理性乃至概念が最も直接に最もさし当りの姿態で即ち又抽象的に自己を自覚し自己を現わしたものが、「論理の科学」の世界たる論理[#「論理」に傍点]であり、この論理が一旦自分を投げ出して自分とは別になったものの内に却って自分を見出すような関係にまで具体化された段階が、「自然の哲学」の世界たる自然[#「自然」に傍点]であるとして、更に、この自然とは実は概念乃至理性が自分で自分を引き離したものに過ぎなかったのであり、自然それ自身はもはや概念乃至理性とは別なものではないという関係をもう一遍具体的に実現した(自覚した)段階が、「精神の哲学」の世界たるこの精神[#「精神」に傍点]なのである。――客観的精神とは主観的精神が外界へ自分をなげ出して、そこに却って初めて身分の形ある姿を発見するという関係にある精神のことだ。そして法乃至道徳が恰も之だ。
 さてこの客観的精神即ち法乃至道徳(必ずしも法律や道徳律に限らぬ)は、ヘーゲルによると元来、理性乃至概念の発展段階の一つであったが、それ故に又自分自身の内に、三つの発展段階を含んでいる。第一は「法」(乃至「抽象的法」)であり、第二は「道徳性」であり、第三は「習俗性」(「人倫」と訳されている)だというのである。この三つの段階が例のアンジッヒ・フューアジッヒ・アンウントフューアジッヒ・の弁証法的連関に於て叙述されていることは勿論だ。
 法(Recht)乃至抽象法は、日本語で普通或る意味で法律と呼んでいるものに相当する。と云うのは、法律という日本語はGesetz――法文・法律[#「律」に傍点]ばかりでなく、法文・法律[#「法律」の「法」に傍点]が云い表わすRecht――狭義に於ける法[#「狭義に於ける法」に傍点]をも意味するから。この狭義の法乃至或る意味での所謂法律が、まず道徳(吾々が今その観念を探ねている処の)の第一の現われ方だ、というわけである。法というヨーロッパ語は同時に権利[#「権利」に傍点]を意味していることを忘れてはならぬが、事実、権利のブルジョア社会機構に伝えられた一等著しいものは所有権だ。所有[#「所有」に傍点]は契約[#「契約」に傍点]と共にブルジョア社会(市民社会)機構の二つの根本的な法的道徳的現われだろう。この場合、市民社会に於ける反社会的不道徳は何かと云うと、所有権の否定や契約の不履行という不法[#「不法」に傍点]でなければならぬ。で、所有・契約・不法・の三つが法(法律・乃至抽象法)の三段階をなすとヘーゲルは書いている。
 ヘーゲルによれば法律に次ぐ第二の段階が道徳性であるが、法律が社会の外部的乃至内部的強制として、法が云い表わす自由の観念にとって偶然であり、その意味で抽象的であるが、之に反して道徳性は、それに必然性の意識が裏打ちされているので、法概念がそれだけ尤もらしさを得、その意味で法概念がより具体的になったものだ。処で倫理学や常識の或る段階で道徳[#「道徳」に傍点]と呼んでいるものが、丁度この道徳性の世界のことで、之が決意[#「決意」に傍点](及び責任[#「責任」に傍点])・意図[#「意図」に傍点]と福祉[#「福祉」に傍点]・善悪[#「善悪」に傍点](及び良心[#「良心」に傍点])・の三段階を含んでいるのを見れば、この点すぐ判ると思う。決意や責任という自由意志[#「自由意志」に傍点]の問題や、幸福[#「幸福」に傍点]や健康[#「健康」に傍点]や利害[#「利害」に傍点]の問題や、善悪[#「善悪」に傍点]や良心[#「良心」に傍点]の問題は、倫理学的常識による道徳問題の凡てだったろう。
 処が道徳は決してこんな処に止まっているものでは事実ないのだ。道徳は他方に於て習慣[#「習慣」に傍点]的なコンヴェンションであり又風俗[#「風俗」に傍点]的な満足でもなければなるまい。そうした習俗[#「習俗」に傍点]が社会に於けるより具象的な道徳だ。実はこうした道徳にして初めて、法律の根柢にもなることが出来る。ローマ法は慣習(mores)と切っても切れない関係に立っているという(P・ヴィノグラドフ『慣習と権利』――岩波文庫・三〇頁)。ヘーゲルはこの第三のものを習俗性[#「習俗性」に傍点]と呼んでいるのである。処で社会の習俗で人間の生物的な存在がその先行条件をなすのは云うまでもない。人間とはまず生物的な人類だ。人類とは人間の間に自然的な繋帯として生みつけられる類=性(Gattung=Geschlecht)による人間的結合から来た命名法だ(例えば嬶――Gattin、媾合――Begatten、人類――Menschengeschlecht)。この性行為に基く社会的習俗がそして家族[#「家族」に傍点](乃至家庭[#「家庭」に傍点])でなければならぬ。――人倫の倫は比倫とか絶倫とか云って、「たぐい」であり類であり、根柢に於てそれが性関係に基くことを示しているだろう。旧約聖書的な父子兄妹相姦の如きものが最も非人倫的なものと考えられるのは、だからこの言葉の上から云って当を得ているわけだ。人間のこの性関係・類関係に基く社会的制度を、古代支那の制度(礼[#「礼」に傍点])の論者は、道徳の中心に置いて考えた。恐らく仁[#「仁」に傍点]の観念が夫だろう。仁とは从であり、人間関係に就いての現実的表象だ。之を修身的なものに浮き上がらせて了ったものは、少なくとも日本近世の封建的腐儒の輩だったろうと思うが、とに角、習俗性(Sittlichkeit)を人倫[#「人倫」に傍点]と訳すことには意味があるのだ。
 ヘーゲルの家族は結婚[#「結婚」に傍点]と家族財産[#「家族財産」に傍点]と子供[#「子供」に傍点](の教育[#「教育」に傍点])とを含んでいる。処がヘーゲルによると、子供の独立は家庭からの独立であり、その意味で家庭の解消に相当する。家庭は解消されて個々の個人[#「個人」に傍点]となる(之は近代社会の事実上の根本傾向でもあるだろう)。そしてこの個々人は社会では家庭とは別な習俗に従って結合を有つに至る。と云うのは夫が個人の原子論的な(相互の間に機械的な結合関係しかない処の)結合に這入るのである(F・テニエス風に云えば共同社会関係から利益社会関係へだ。――その著『共同社会と利益社会』)。処で之が市民社会[#「市民社会」に傍点]と云う第二の習俗性・人倫の段階である。
 市民社会は即ちブルジョア社会のことに他ならぬ。之は云わばヘーゲルが発見した範疇であって、彼はこの内容の内に、需要・労働・財産・身分・司法・警察・等々の凡ての重要観念を忘れてはいない。そして特にヘーゲルの烱眼は、之を国家[#「国家」に傍点]から区別したことだ。かくて国家が第三の習俗性=人倫の段階となる。ヘーゲルは国家の規定として単に国法乃至憲法のみならず、最後に世界史[#「世界史」に傍点]を置くのであるが、世界史とは民族[#「民族」に傍点]精神の統一的な歴史に他ならない。国家は習慣風俗人情を共通にする民族を離れては考えられ得ないことになっている。だからそれが習俗性=人倫の最高段階だと考えられるのは尤もだろう。従来の社会理論の多くは社会を以てすぐ様国家だと考えた。処が国家は実際いうと(之はヘーゲルに責任を有たせることではないが)、家族・氏族・部族・民族・の次に来る一つの[#「一つの」に傍点]社会形態に他ならないのである。だから少なくとも、とに角社会(このブルジョア社会)と国家とを区別したことは、ヘーゲルの重大な功績といわねばならぬ。

 以上のようなものがヘーゲルの道徳理論(「法の哲学」)の輪郭の単なる紹介であるが、之が道徳に関して従来普通有たれたような諸観念を、如何に理解と心配りとの行き届いた仕方で取り上げたか、如何に之が道徳に包括的な観念を提供するものであるか、吾々はこの点をまず何より先に認めねばならない。経済・法律・政治・等々と所謂道徳との関係、風俗習慣人情等々と所謂道徳との連関など、之によって略々一応の連絡がつけられているということが、尊重されねばならぬ点なのである。なぜかというと、こういう予備的な観念がない処に、道徳の社会科学的観念などは発生し得ないし、又理解もされ得ない根柢をも欠くだろうからだ。
 処がヘーゲルの社会理論(法の哲学)、夫が道徳理論に他ならぬのだと私は云って来たのだが、夫に一つの疑問が生まれて来はしないか。一体なぜ私は、社会をそうした(私が云う意味での)道徳でもあるように説明し得たかと云うと、それはヘーゲルのこの社会理論がつまり法の哲学だったからのことだ。いや、その法[#「法」に傍点]又は法の哲学[#「哲学」に傍点]なるものが、他ならぬ客観的精神[#「精神」に傍点]の現われや現われ方の叙述に他ならなかったからだ。つまり社会はヘーゲルによると絶対精神=理念=概念の自己発展段階に他ならなかったからである。だから社会的なの[#「社会的なの」に傍点]が皆法[#「法」に傍点]にぞくすると考えられているので、私は之を、私が今私かに予定している道徳の観念に照し合わせて、敢えて道徳の世界と合致するものと見做したのである。
 併し社会が道徳的なもの、というのは法的なもの、と称することは、他でもない、例の倫理学の建前に他ならなかった筈だ。従ってヘーゲルの法の哲学による道徳理論は、実はまだ充分倫理学的な夾雑物から自由になっていない。之は倫理学と社会科学とが月足らずの双生児として癒着したようなものだ。夫は即ち、まだ本当に社会科学的[#「社会科学的」に傍点]な道徳の観念に行き得ないことを意味するわけだが、それと云うのも、ヘーゲルの例の理性=絶対精神=概念の独自な自己発展という体系に責任があったことだ。
 この点はだが、凡ゆる機会に吾々が反覆聞かされている処である。ヘーゲル体系の弱点は、その方法(弁証法)とそれの使用の客観的な必然性とに拘らず、一つの封鎖された閉じた体系を与え得ようと欲する処に存する。その一例はヘーゲルの国家の概念であって、当時の現実のプロイセン的国家の諸規定が、他ならぬ国家のイデー[#「イデー」に傍点]にされて了っているのも、体系が現実に終りに到着出来ると考えたその有限的な弁証法(有機体説的全体説)の形式のおかげだが、こうした有機体説的弁証法を採用させたのは又、彼の愛好した体系なるものの性質の欠点からだ。この観念論的体系[#「観念論的体系」に傍点]が、その弁証法という方法をも、観念的なものたらしめた。――云われているように、ヘーゲルの体系の客観的意図は(ヘーゲル自身の主観的意図はとに角として)、従来の観念論通り、単に世界を解釈することにあって、世界を変革することにはなかった。解釈のための体系としてなら、世界を理性の自己発展と見ることは、最も面倒がなく手際よく行くものに相違ない。
 でこの解釈の哲学[#「解釈の哲学」に傍点]の体系に立つと、社会的な諸世界も凡て法という性格を有ち、客観的精神という本質のものになる。だから、この際社会的な諸世界は道徳に解消されると云っても、説き過ぎではあるまい。――ヘーゲル哲学の弱点は、その自然哲学に関する騒然たる批難嘲笑を除けば(これでもエンゲルスが自然弁証法を惹き出す歴史的根拠となったのだが)、正にこの「法の哲学」の内になければならぬ。即ち、丁度吾々が問題にしている道徳理論をめぐって、ヘーゲルの弱点と、それの批判克服とが、一般に必然性を有って来るわけだ。吾々の議論にとっては全く都合のよい事情である。
 ヘーゲルの「法の哲学」を系統的に批判しようとした者は他ならぬ初期のK・マルクスであった。『ヘーゲル法哲学の批判序説』(一八四四年)と『ヘーゲル国法の批判』(一八四三年)とが夫であるが、特に未完成な後者の方は、ヘーゲル『法の哲学の綱要』の二六一項から三一三項までを、逐条的に要点に就いて批判したもので、マルクスがヘーゲルの逆立ちを如何に足で立ち直らせようと試みたかの、よい見本と云っていい。当時のマルクスはまだマルクス主義者になり切っていないと考えられる時期の人だが、併しもはや三四年以前のマルクスのような一人のヘーゲル学徒にすぎぬ者でないことは、勿論だ。社会科学が法の哲学から分離し、従って倫理学の代りに社会科学的道徳理論が発生する一応の基礎は、この時出来ていたと見るべきだろう。社会科学的な道徳理論の原則乃至方法である史的唯物論は、『ドイツ・イデオロギー』を以てその基本的な労作とする。――だが実は、社会科学乃至マルクス主義による道徳問題プロパーに関する文献は、極めて乏しいことを告白せねばならぬ。
 E・A・プレオブラジェンスキーはパンフレット『道徳及び階級規範について』(希望閣訳版)で云っている。「道徳問題に関するマルクス主義文献は――云うに足りない。マルクス及びエンゲルスの著書及び手記の或る個所、並びに史的唯物論の理論に関するマルクス主義文献に於ける道徳方面について軽い論述の他には、K・カウツキーの有名なパンフレット『倫理と唯物史観』、G・V・プレハーノフの著作の或る部分、特にフランス唯物論者に関する部分、A・ボグダーノフの著作の或る部分、N・ブハーリンの著書『史的唯物論の理論』の或る頁、マルクス主義的見地からは完全に良いとは云われないのが、J・ディーツゲンの或る著作、を示すことが出来る。そしてこれで全部であるように思われる」云々。――無論広く道徳問題に直接関係のある特殊諸問題(例えば性問題とか文学と政治との関係の問題とか)については、論述は限りなくなるのだし、又一応の道徳理論の教程にも存するのだが、併し結局プレオブラジェンスキーのこの小さなパンフレットが最も纏ったもののように思われる。

 ヘーゲルは法乃至道徳を、自由なる絶対精神の発展段階の一つと見た。だが之は決して道徳についての説明[#「説明」に傍点]ではない。単に現前の道徳という諸事象の持つ形態を明らかにし、それが有つ一種の意義・意味を解釈したに過ぎない。ただの道徳意識や何かでなく、家族とかブルジョア社会とか国家とかいう、道徳的「実体」を見出したことは、確かにヘーゲルの卓見だが、処が折角のこの道徳的実体[#「実体」に傍点]も、絶対精神の現われだというのでは、之の分析を通じて夫が含む現実の諸問題を処理するのに、何の役にも立つまい。なる程こうした家族其の他の客観的な道徳的実体が人間の歴史にとって極めて重大な実質をなしているということは一つの事実だが、そういう事実を、歴史的に科学的・因果的・分析を用いて説明することと、この事実が単に世界史の発展の一段階だという意味を持っていると解釈することとは、別だ。そういう解釈ではこの道徳的実体の現実的な意味が解釈さえ出来ないのだ。
 解釈[#「解釈」に傍点]としては道徳は絶対精神の現われでよいかも知れぬ。ただ困るのは、それでは現実の道徳関係の理論的な説明にはならぬという点である。歴史はディルタイなどがそう云っている処とは反対に、正に説明[#「説明」に傍点]されるべきものであって単に解釈されるべきものではない。と云うのは、歴史に於ける事件の時間的前後相承の関係こそ、因果的[#「因果的」に傍点]に説明されることを必要とするものなのだ。歴史の発展を因果的に説明すること、丁度博物学・自然史が自然の歴史的進化を因果的に説明するように、社会の歴史的発展進化を因果的に社会の自然史的発達として説明すること、之こそ歴史の科学[#「歴史の科学」に傍点]の方法であり、史的唯物論の方法なのだ。
 さて道徳を社会の自然史の立場から科学的に説明しようとすると、之は一つのイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]に他ならぬものとなる。社会に於ける生産関係をその物質的基底として、その上に築かれた文化的・精神的・意識的・上部構築が一般にこの場合のイデオロギーという言葉の意味だが(尤もイデオロギーとは社会の現実の推移から取り残されたやがて亡びねばならぬ意識形態をも意味するが、道徳に就いてのこの意味でのイデオロギー性質も後になって意義を見出すだろう)、社会のこの上部構築としてのイデオロギーの一つが道徳現象だということになるのである。政治・法律・科学・芸術・宗教・それから社会意識、こうした文化乃至意識が夫々イデオロギー形態であるが、道徳はこの諸形態と並ぶ処の一イデオロギーだというのである。
 だがここで注意しておかなくてはならぬ点は、こうしたイデオロギーとしての道徳なるものが、他でもない一つの文化領域[#「領域」に傍点]を指しているものだという点である。ではどういう領域かと云うと、すでにヘーゲルが見たように、夫は客観的に見て、社会の習俗やその習俗が制度的な実体となった習俗性(人倫)――家庭とか市民社会とか国家とか――でもあれば、主観的に見て道徳意識のことでもある。それだけではなく例えば法律其の他という領域にもその背後には道徳が横たわっている。だから道徳を一つの領域と見るにしても、それがどういう限界を持った領域なのかは、事実容易に決定し難いのである。処が通俗常識は極めて常識的に、道徳というものを何か一定の決った又判った領域だと仮定する。事実又吾々は日常、常識に対しては融通を利かすという特権を許しているので、之が一応立派に通用するのだ。で今、道徳が法律や政治や科学・芸術・宗教・等々と異った一つのイデオロギーだという時、こうした領域としての道徳[#「領域としての道徳」に傍点]という常識を仮定し、之を借用利用しているわけである。無論之はさし当り少しも困ることでもなければ間違ったことでもない。実際吾々はこのような通俗常識的な、従って又倫理学的な、道徳の観念を、批判打倒するためにも、まずこの観念を一旦許してかからなければなるまい。社会科学によるイデオロギーとしての道徳[#「イデオロギーとしての道徳」に傍点]の観念は、丁度そういう克服の過渡期にぞくする処のものだ。夫は一方に於てこの常識的な道徳観念を想定し借用する(之は領域道徳主義から始めて例[#「例」に傍点]の道徳律主義や善悪価値中心主義其の他までを想定し借用することになるだろう)、と共に之を批判し克服することによって、そういう通俗常識的道徳観念をば消滅させる処の、理論にぞくする。そこで所謂道徳なるものは終焉[#「終焉」に傍点]するのだ。――で社会科学的道徳観念(「イデオロギーとしての道徳」の観念)は、それ自身が初め肯定したものを終局に於て否定するという、ディアレクティックな特色を、特別に著しく帯びている。つまり、社会科学にとっては、所謂道徳は大いに問題とされ得るとも見えるし、又道徳は問題にならぬとも見えるわけで、史的唯物論に於ける道徳理論が量的に貧弱なのは、この点から云っても単に偶然ではないだろう。
 道徳を一つのイデオロギーと考えるこの社会科学的道徳観念は、それが道徳を一領域と見做してかかるという点では、なる程通俗常識に沿うものなのだが、併し同時に道徳を一つの上部構築としてのイデオロギーと見ることは、通俗常識による道徳観念の最も包括的で根本的な特色であった処の、あの道徳の形而上学説、つまり道徳は不変不動であり従って絶対的で神聖な権威をもつ価値物だと思い込んでいる処のあの道徳観念を、残る処なく根こそぎに覆して了うことなのだ。イデオロギーとは、社会に於ける物的根柢の歴史的発展を原因として生じた歴史的結果であり歴史的一所産に過ぎないわけだから、通俗常識が道徳という観念で何より頼みにしていた道徳のあの絶対性は、道徳が一つのイデオロギーだというただ一つの言葉で、根柢から揺ぎ出すのである。社会科学的道徳観念が最初から通俗常識乃至ブルジョア倫理学による道徳観念を超克している点は、云うまでもなくここにあるのだ。――そのためイデオロギーとしての道徳という観念が、道徳の通俗常識の一切[#「一切」に傍点]の特色を悉く払い落して了ったものだ、というような感じも産まれて来るのだが、必ずしもそうばかりではないということを、私は今云った。

 史的唯物論によれば、道徳の本質はその社会的性質[#「社会的性質」に傍点]に存する。理論的社会科学では人間は、個々の個人として理解されるのではなくて、社会に於て社会的生活をなす個人をしか意味してならぬのは云うまでもない。個人とは社会的個人だ。ブルジョア倫理学の多くのものは処が、この個人を社会から切り離して了って単なる個人と見做し得るという想定に立っている。従ってそれに基く倫理学的な道徳とは、その材料となる内容は何であるにせよ、その様式から云えば、全く個人[#「個人」に傍点]自身の内にしか根拠を有たないもののことだ。人格の自律とか自由とか責任とか良心とかいうものは、個人に於ける道徳のこの倫理学的根拠を云い表わすために選び出された言葉に他ならない。その意味で、多くの倫理学は、道徳を個人道徳[#「個人道徳」に傍点]と考えている。道徳の本質はその個人的性質[#「個人的性質」に傍点]にあると考える。ブルジョア社会は個人のアトミスティックであったから、最高の哲学的原則は何によらず個人の内に求められる他はない、そうしなければ全く外面的な機械的な尤もらしからぬ説明になるからだ。道徳も亦そこでは、専ら内面的[#「内面的」に傍点]なものとなる。処で社会科学的道徳観念によると、道徳は社会的本質のものだというのである。尤も之は道徳の歴史的発達の事情を少し考えて見ればすぐ判ることだし、又原始社会で現に行なわれている事実を見ればすぐ気のつくことだ。処が倫理学は、倫理的な価値の問題がこうした事実の問題とは関りなく成り立たねばならぬという風に考える処から、この事実に対して充分に倫理学的な尊敬を払おうとしない。事実の理論的分析を因果的に果そうとする史的唯物論が、この事実を正当に尊重し得る最初のものであると共に、この事実が持つ処の倫理的[#「倫理的」に傍点]意義自身を初めて見出し得るものも亦、史的唯物論でなければならぬ。
 かくて道徳とは、要するに社会に於ける制度[#「制度」に傍点]と夫が社会人の意識に課する処の社会規範[#「社会規範」に傍点]とになる。尤もこの際、社会科学的な道徳観念はなお通俗常識を仮定しているので、制度という習俗的「実体」自身を道徳に数えることを、多少躊躇するだろう。道徳なる領域・イデオロギーは、単に習俗という客観的に横たわる制度のことではない、それならば一つの社会機構であってまだその上層建築としてのイデオロギーではないかも知れぬ。この習俗が社会人の意識に対してゾルレンの意味を有つ時初めて、そこに道徳というイデオロギーの一領域がなり立つのだ、と考える。で道徳とは、つまり社会規範だ、ということに大体落ちつくのである(なお、倫理的「実体」を発見したヘーゲルがカント倫理学によるゾルレンを最も軽蔑したのは、今の場合興味のないことではない)。
 この社会規範[#「社会規範」に傍点]なるものが俗に[#「俗に」に傍点]「道徳」と呼ばれる処の、或いは神来の或いは先天的の、或いは永遠な理性に基く神聖な、価値物の実質だと考えられる。云うまでもなく社会規範とは社会生活が円滑に進行出来るための行為の標尺になるもののことだが、処が社会生活そのものの本質はその物質的根柢から理解される他はない。処が社会機構の本質、終局的な要因は、社会の生産機構(物質的生産力と生産関係)である。従ってこの社会規範は社会の生産機構乃至生産関係からの、云わば物質的な歴史的所産に他ならない。一切の生産様式は、社会規範となることによって初めて、人間の社会生活を、人間の社会に於ける生産生活を観念的に統制し得る。社会規範は社会の生産様式の反映だ。――例えば殺人行為について考えて見てもよい。古代奴隷制以前の社会では、捕虜は皆殺されることになっていたらしい。処が奴隷労働力が社会の生産力として充用されるような生産様式即ち(奴隷制)になると、捕虜を奴隷にする代りに殺して了うことは、禁じられる。殉死は往々最高の道義的殉情の発露だと説明されるが、之は家臣という奴隷が一つの私有財産であったという所有関係(生産関係の直接の表現)を示すに他ならぬ。姨捨山は不生産的な労働力を維持するだけの労働営養(食物)の過剰のない生産組織の或る時期に起きる。それから、帝国主義戦争に於ける敵の殺戮は倫理的命法にぞくするだろう、等々。
 道徳は併し権威[#「権威」に傍点]を有っていると云うだろう。処がその権威は実は単に権力[#「権力」に傍点]が神秘化されたものに過ぎぬ。道徳の権威とは、権力としての社会規範に過ぎぬ。而もその権力自身が生産関係から生じることは又、見易い道理だ。家父長の権力は彼が家族を扶養し得るという経済的実力から来る。この一人前の男は社会の生産機構に与っているが故に(実際には社会の生産的な要素でなくて社会の穀つぶしであっても)、一人前の男として妻子を所有し養っている。之に反して妻や子供達は単に社会的生産に於て穀つぶしであるだけではなく、元来社会の生産機構そのものに殆んど全く与っていない。彼等は経済的に夫に依存する処の、社会的に見た限り単なる消費者なのだ。たとい家内労働に於て何か生産的であっても、そういう内助[#「内助」に傍点]は社会的には不生産的なものとしか見做されない。で、こうした夫の一般的な(例外はいくつあってもよい)経済的優越が、今日の家父長の権力を成り立たせ又保持していることを、知らぬ者はあるまい(夫は所天[#「天」に傍点]と書くが天は古代支那で扶養者を意味する)。この権力を承認することがこの社会の経済的秩序を維持するために必要で、そこに生じるものが一連の家族主義的道徳観念や道徳律なのだ(F・エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』はこの場合依然として古典的意義を持っている。――家族感情の科学的説明としては、R・ブリフォールト「家族感情」――青山訳『国家及家族感情の起原』の内――や、コロンタイ前出書などが参考となる)。
 社会秩序・身分関係は、つまる処権力関係として現われるが、そこに一定の尊敬[#「尊敬」に傍点]の体系が、そういう礼俗[#「礼俗」に傍点]が、発生する。人格に就いての現実的な観念も(人格はカントも云う通り尊敬の対象目的物だが)ここに初めて成立するのである。処がこの夫々の時代に一般普通の世間に通用する筈の礼儀風俗が、実は社会の生産関係や之に依存する家庭経済の直接の反映であることは、特別な場合に、例えば家庭経済上の破綻などに際して、著しく身に応えて判るのであって、つまり妻を養うことの出来ない夫が威張るというようなことほど、立派に道徳的で而も滑稽に見えることはない、というようなわけである。わが国の封建的武士階級支配の権力を反映する社会規範が、忠義であり武士道であり、又孝行であったことも有名である(赤穂義士の歌舞伎的道徳へのアッピールはこれを特徴的に物語っている。而もこの快挙の最後の原因はこの浪士[#「浪士」に傍点]達を産み出した「お家断絶」の件であるが、倫理的理由に基くこのお家断絶が亦、幕府の領有拡大を目的としたものだった)。其の他其の他。
 かくて社会的権威を有っている一切の道徳、道徳律、徳目・善悪の標準が、社会的権力を、社会的身分関係を、社会的秩序を、つまり結局に於て社会的生産関係を、反映している処の、社会規範の他ではなかったと云わねばならぬ。つまり一定の支配的な社会生産関係の維持乃至発展にとって有益[#「有益」に傍点]なものが道徳的であり、それにとって有害[#「有害」に傍点]なものが不道徳的なものだというわけだ。通俗常識が道徳について何より先に考えつく処の、例の善悪[#「善悪」に傍点]の対立は全く之に他ならない。単に銘々の個人々々にとって有益な好ましいものが道徳的で善だというのでもなく、又ベンサム風の単なる数量上の最大多数者の最大幸福が道徳的善だというのでもない。問題は個人々々にあるのではなくて社会にあるのであり、そしてその社会の意義もその単なる人頭関係ではなくてその生産関係という質の内にあるのである。社会規範[#「社会規範」に傍点]が道徳だということは、そういう意味に於てなのである。
 だがこういうと、倫理学的常識は必ず反発と不満とを禁じ得ないだろう。それでは道徳に特有な道徳的感情・道徳的情緒――道徳的な満足感乃至後悔・義務感・正義感・良心・等々――が見逃されて了うではないか、而もそこにこそ道徳の道徳たる所以があった筈ではないか、と云うに違いない。だが、史的唯物論に従って道徳をイデオロギーとして見る吾々は、何もこの道徳感という一つの明瞭な事実[#「事実」に傍点]を見ないのでも忘れているのでもない。之こそ実は初めからの問題に他ならぬ。ただ吾々の問題は、この道徳感情をその社会的成立過程から科学的に説明する[#「科学的に説明する」に傍点]ことにあったのである。然るに倫理学者は逆に道徳感情を以て社会的道徳現象や一般社会現象を解釈しようとする。ただ夫だけの差なのだ。だがその差の意義は絶大である。
 道徳を社会規範として社会的に説明する[#「社会的に説明する」に傍点]ことは、道徳を単なる社会関係そのものに還元して了うことではない。もし之を単なる社会関係に還元して了ってよいなら、初めからイデオロギーなどというもので道徳を云い表わす必要はなかった筈だ。イデオロギーは下部構造としての単なる社会関係に還元出来ない上部構造であったればこそ、特にイデオロギーだったわけだ。
 だから道徳には道徳に固有なものが存するのである。之がなければ道徳は道徳にならぬ。そしてその固有なものと云うのが社会規範ということだ。道徳に固有なものと云っても、夫が何か道徳という一定の封鎖された埒内だけで独自に孤立的に片づくものだと考えるならば、そういう封鎖国家のような倫理的アウタルキーが、例の倫理学でいう「道徳」の世界だったのだ。そんなものは道徳の固有性を倫理学的[#「倫理学的」に傍点]に誇張した偏見に過ぎない。決して固有なものがないというのではない、その固有なものをこういう風に理解することが根本的に誤っているというのである。――道徳には善悪の価値対立というような固有なものがある。それは一つの事実だ。少なくとも人々が自分も他人もそういう価値感を以て行動しているという一つの心理的事実だ。意志の自由が一つの心理的事実であると同じに事実だ。だから夫は否定出来ないと同時に、証明を要するものでもなければ証明が出来るものでもない。自由意志や価値感情という事実を証明[#「証明」に傍点]しようとした如何なる観念論者も理想主義者も私は知らない。と同時に彼等はこうしたものを説明[#「説明」に傍点]しようともしないのが特色である。彼等は単にこれを事実として認めることを人に求める。而もそうすることを何かその証明か説明かと思い違いをしているので、唯物論者に向かっても、出来るものならこの事実を証明して見たらどうか、と試みて来る。だが史的唯物論者は事実の証明[#「事実の証明」に傍点]などを必要とはしない、事実は認定されさえすればよい、必要なのはこの事実の成立[#「事実の成立」に傍点]の「説明」なのだ。
 未だかつて、道徳という一つの事実を説明[#「説明」に傍点]し得た観念論的倫理学を私は知らない。史的唯物論のイデオロギー論による道徳理論が、初めて道徳の事実を正当に説明しようと企て、又事実之を説明しつつあるのである。史的唯物論は価値の発生を事実から説明するのである、之に反して観念論や倫理学は、価値によって事実を説明するか、それとも単に価値と事実とを区別して見るだけだ。――で道徳は、社会規範として説明[#「説明」に傍点]される。
 倫理学は倫理的価値という一つの感情上の事実を単に主張するだけだ、社会科学的道徳理論は、倫理的価値感を現実的に陶冶する。倫理学は単に意志の自由の否定に抗議を申し出るだけだ、社会科学は自由一般の獲得とその現実的な形態の規定とを志す。倫理学は理想を単に想定として愛好する、社会科学的道徳理論は、一定の理想を現実的に割り出し之を現実的に追求することを志す。――この相違は凡て、道徳を社会規範として説明[#「説明」に傍点]しないかするか、の相違から来るものに他ならないだろう。

 道徳が一つのイデオロギーとして社会規範として説明される時、当然なことながら、道徳の発生・変遷・消滅等々の歴史的変化が結論される。一定の社会規範の物質的原因であった社会に於ける生産関係は、その内に含まれている矛盾の関係に推されて、変化せざるを得ない。従ってその結果、道徳も亦必然的に変化せざるを得ないのである。ただ、原因の変化に較べて結果の変化の方は、大体時間的に後れるもので、道徳と現実とはその意味でいつも或る種の矛盾撞着を免れない。そういう意味で又、道徳はそれ独自の運動法則を有っているかのような現象を呈するのである(イデオロギーは凡てそうだ)。道徳の世界の絶対的な自律独立を認めようとするのも、この関係を誇張する結果からだ。
 だから道徳(道徳律・善悪・其の他等々)は決して絶対真理[#「絶対真理」に傍点]ではない。それが事実上道徳的価値を云い表わす言葉である以上、道徳とは一種の真理のことだろう。だが一般に真理には決して絶対的なものはない、真理は客観的[#「客観的」に傍点]なものだ、主観的な真理などはない、客観性を有つが故に真理なのだ。だが絶対的[#「絶対的」に傍点]な真理はないのだ。もし絶対的真理があると云うなら、そういう神聖な真理は必ず何かの必要に答えている虚偽[#「虚偽」に傍点]のことだろう。法皇やツァールの真理はそういう神聖な「絶対」真理であり、即ち虚偽を蔽い匿すために神聖というベールをかけた、まやかし物に他ならない。――之は史的唯物論と唯物論的認識論との公式だが、道徳に就いても亦全くその通りなのである。
 だが道徳が、その実質であるイデオロギー・社会規範、としてではなく、絶対的真理として持ち出されるのを常とすることには、一つの事情があるのである。社会の支配者がその社会の規範をあくまでも保持しようとする処に、道徳という言葉の御利益が必要なのである。つまり道徳が現実にそうした階級規範[#「階級規範」に傍点](もはや単なる社会規範ではない)として機能していればいる程、益々社会規範は単に社会規範としてではなくて正に道徳として神聖化され絶対化される必要があるわけで、ただの社会規範ならば、道徳がそういう社会規範だという説明を、そんなに恐れる必要はなかっただろう。
 それでこういう結論になる。社会が階級社会である限り、道徳とは階級規範に他ならない。之が階級道徳[#「階級道徳」に傍点]乃至道徳の階級性[#「道徳の階級性」に傍点]ということである。そして社会の階級的変動(社会の凡ての根本的変動は階級的変動に原因する)は、この階級規範たる道徳[#「道徳」に傍点]の変革を必然的に結果する、という結論だ。――ここでは階級的に有益なものが道徳的で、階級的に有害なものが不道徳的だ。処が階級はいつも階級対立に於てしかあり得ないのだから、道徳は今や二つの体系に分裂する。ここにブルジョア道徳[#「ブルジョア道徳」に傍点](そこからブルジョア通俗常識的道徳観念やブルジョア倫理学的道徳観念も生じたのである)と所謂プロレタリア道徳[#「プロレタリア道徳」に傍点]との対立が起こる。道徳の闘争がそこに横たわる。旧道徳は歴史的必然の理法によって、新道徳に道を譲らざるを得なくなる。勝利する道徳が新道徳[#「新道徳」に傍点]となる。そしてこの推移の過程の内に、多くの道徳的混乱やアナーキーが、道徳的犠牲の様々が、織り出されるのである。――こういう根本的な而も眼前の事実を認めまいとするために、恰も倫理学というブルジョア理論が、今日存在理由を有っているのである。
 この道徳の歴史的推移、旧道徳の殆んど完全なる根絶、全く新しい、否同じく道徳という言葉を以て云い表わしていいかどうか判らない程に新しい道徳の漸次的形成と定着、こうしたものの生きた実例を吾々の眼の前に見せているものが、ソヴェート・ロシアの最近の事情だろうと思う。今までブルジョア諸国に於て道徳自体の問題としては解くことが絶対に絶望だと思われたような問題が、社会科学的に次第に根本的に解かれつつあるのである。特に宿命的に考えられる道徳問題は性道徳の夫だろうが、ソヴェートの道徳的実験はここでも見事に成功した。ここではただ、旧い「道徳」なるものを忘れさえすれば、真に道徳的になれるというような具合である(コロンタイ『新婦人論』やS・ヴォリフソン『結婚及び家族の社会学――マルクス主義的現象学入門』などが、この点の参照となる)。

 さて道徳を社会規範・階級規範として説明出来た限り、実は、神秘的なニュアンスを歴史的に纏っている道徳という言葉などは、もはや理論的にあまり賢明なものではなくなった、ということを告白しなければならぬ。それだけではない、今まで人々が道徳という名の下に日常見聞きしてなれ親しんでいる旧既成道徳が、根柢的に新しい形のものとおきかえられたような実例に臨んでは、「道徳」という言葉は心理的にもあまり尤もなものではなくなって来ただろう。
 元来道徳という言葉は通俗常識が最も愛用する言葉であって、吾々が日常この言葉を尊重しているのも亦、全くそれだけの理由からなのだが、処で通俗常識が之によって何を意図していたかというと、認識の不足と認識の歪曲とを、事物の科学的理論的分析と説明との欠乏と忌避とを、夫によって埋め合わせて合理化そうというのであった。だから科学[#「科学」に傍点]はこの「道徳」なるものを、どこまでも信用しなければならぬ義理合いには立たぬ。――のみならず社会規範と雖ももし階級社会が消えて無くなれば大して積極的な価値を有ったものではなくなるだろう(なぜなら今日までの社会規範は殆んど総て実は階級規範だったから)。だから夫は特に道徳という勿体振った表現を必要とする程に勿体振ったものではなくなるだろう。
 いずれにしても「道徳」という観念は、有用なものではなくなる。道徳は認識[#「認識」に傍点]へ解消する。道徳の真理は科学的真理[#「科学的真理」に傍点]に解消する。レーニンはカリーニンに向かって「演劇が宗教にとって代るだろう」と云ったそうだが、丁度それと同じに、認識が道徳にとって代るだろう。否、とって代らねばならぬ。
 かくて社会科学的観念によれば、道徳なるものは、この通俗常識が好んで仮定している道徳なるものは、遂に批判克服されて無に帰する。(ブルジョア)常識的観念乃至(ブルジョア)倫理学的観念としての道徳は、科学的[#「科学的」に傍点]でなかった。「道徳」は消滅する。「道徳」は終焉する。
[#改頁]

 第四章 道徳に関する文学的観念

 通俗常識では極めて漫然と、倫理学では不変不動な超越的な一つの永久世界として、社会科学では発生変化消滅せねばならぬ一イデオロギーとして、取り扱われた道徳は、結局、道徳という一つの何等か特定な領域[#「領域」に傍点]を意味するのであった。この地域は道徳であり、その外の地域は道徳にぞくさない、という風に考えられた処の道徳であった。その点から云って、社会科学=史的唯物論が、道徳に関するブルジョア卑俗常識(倫理学というアカデミックでペダンティックな名を持ってはいても)を、根柢から批判克服し去ったに拘らず、この社会科学的道徳観念自身も亦、なお依然として通俗常識のものだと云わねばならぬ。
 尤も私はこの道徳に関する史的唯物論の理論が、間違っているとか、不完全であるとか云うのではない。通俗常識そのものやブルジョア倫理学は、倫理に関する常識としても理論としても、極めて不充分なもので、そして間違ったものだと私は思うのだが、史的唯物論による道徳観念・道徳理論は、実はそのままでの真理だと云って少しも差閊えはない。なぜなら、つまりこの社会科学的な道徳観念によると、一領域としての道徳の世界[#「一領域としての道徳の世界」に傍点]なるものは、終焉せしめられる筈だったからだ。にも拘らず之はなお、領域道徳という通俗常識をば、想定し仮定し利用している。だからまだ之は通俗常識のものだと云うのである。
 処がこうした領域道徳の観念だけが、実は真の常識[#「常識」に傍点]による道徳観念の凡てではない。一体極めて通俗な常識は、とかく何かと云うと、道徳というものに就いて拘泥する、事物を道徳的に角立てたがる。審美的判断よりも所謂道徳的判断の方が、下し易いし興味も多い。つまり通俗常識とは通俗道徳で物を考えたり云ったり生活したりすることだろう。――だが少し教養のある常識(教養は必ずしも教育と同じではない)は、道徳というものをもっと自由に[#「自由に」に傍点]理解しているのが、世間の事実だ。既成の所与の所謂道徳などに拘泥しないことこそ、或いはそういう拘泥を脱却するだけの見識を持つことこそ、道徳的だ、とこの常識は考えるだろう。道徳々々と云うことが道徳ではない、丁度人格者というものの人格程貧困なものはないように、とも考えられる。道徳は、所謂道徳という名がつきレッテルがはられ看板が掲げられてある処にばかりあるのではない、ということになる。丁度自称の良心は却って決して良心的ではないだろうし、俺は偉いと称する人間は必ず馬鹿であるというようなものだ。処が馬鹿な人間ほど、俺は偉いと自ら称する人間を本当に偉いと思い込むものだ。
 で、之こそ道徳だとみずから名乗り出るものは、実は道徳としてあまり尊重すべきものではなく、却って所謂道徳という領域には普通属していないものに、道徳の実質があるとも考えられる。之は私が道徳という言葉をそう勝手に拡大して使おうと欲しているわけではないので、事実、少し気の利いた常識のある常識は、道徳を今云ったようにしか見ていないのだ。例えばこの常識は勝れた歴史叙述の中に道徳[#「道徳」に傍点]を見る(その極端なものは「春秋」や「通鑑」の類だろう)。又例えば衣装さえが道徳を象徴する(カーライルの『サーター・レザータス』を見よ。――或る批評家はこの衣裳哲学の著者の極めて不道徳にも古びた帽子を見て、彼が衣裳に就いて哲学を語る資格を有たないことを主張した)。併し何より知られているのは、芸術作品に於ける、特に直接には文芸作品に於ける、道徳というものだろう。それが仮に芸術のための芸術であり、又純粋文学であるにしても、それだけにそれが表わすモラル[#「モラル」に傍点]は、却って純粋だとも云えるのだ。所謂道徳なるものを目指していなければいない程、そのモラルは純粋になりリアリティーを有ったものとなる。道徳の否定そのものが、又優れた道徳だ(多少文学的とも云うべき哲学者、ニーチェやシュティルナーなどを見よ)。そしてこういう文学は、よい常識・良識ならば、実は苦もなく夫を理解出来る処のものだ。そういう大衆性[#「大衆性」に傍点]を有たない純粋文学は、そのモラルが偉大でないからこそ、ケチ臭ければこそ、非大衆的なのだ。
 だから常識のある常識は、世間の道徳や人格商売屋や倫理学者達などが道徳を感じない処にこそ、却って自由な生きた濶達な道徳を発見するのだというのが事実である。殆んどあるゆる文化領域・社会領域に即して、道徳が見出される。だからこの道徳は、もはや単なる一領域の主人を意味するのではないことが判るのだ。
 こうした広範な含蓄ある道徳の観念は、これまで色々の名称で呼ばれて来ている。文化的な自由[#「自由」に傍点]が(自由は経済的・政治的・文化的・等々に区別されるだろう――文化的自由は人道的自由[#「人道的自由」に傍点]とも呼ばれている)その近代的な名称の一つだし、ヒューマニティー[#「ヒューマニティー」に傍点](人道ではなくて寧ろ人間性)はその近世的な名称である、等々。――夫は併しもっと適切にはモラル[#「モラル」に傍点]又は倫理[#「倫理」に傍点]と呼ばれている処のものだ。モラルというフランス語は(之は後に見るようにフランス文化を離れては歴史的に理解出来ないものなのだから)、大体物理という言葉に対立する。つまり之はフューシス(物理・自然)に対立する処のエトス(倫理)であり人事であり精神なのである。
 処でこのモラルという言葉が今日では全く文学的な用語として通用していることを忘れてはならぬ。人々は文学の内に(文学を必ずしも狭く文芸に限らず広く芸術の思想的イデーと理解してよいが)、常にモラルを求めている。処がこのモラルが所謂道徳――例の領域道徳として善悪とか道徳律とか修身徳目とかに帰する処の通俗常識的道徳――でないことは、判り切ったことだろう。文学の内にそういう通俗常識的道徳律や勧善懲悪や教訓を求めることは、専ら通俗常識か道学者かの仕事であって、常識ある文学読者のなすべきことではない、ということに世間では事実なっているだろう。
 さてこの文学的良識によると、道徳は、吾々が之までの各章で見なかった処の或る別な相貌を以って現われて来るわけだ。夫は現にモラルという名の下に、文学の内に最も著しく現われているのだ。或る意味に於て、文学が追求するものこそこのモラルだと云うことが出来る。――でこのモラル乃至倫理を、私は仮に文学的[#「文学的」に傍点]な道徳観念と呼ぶことにしよう。

 繰り返して云うが、道徳に関するこの文学的観念は、少なくとも夫が普通世間に存在している形では、全く一つの――但し相当優れた――常識にぞくする。と云うのは、この文学的観念としての道徳に就いては、まだそれ程出来上った既成乃至自明な理論的科学的な概念が与えられているとはいうことが出来ないからである。事実文学者連が好んで使っているモラルという言葉は、概念としては至極曖昧であることを免れないだろう。この道徳観念が概念として曖昧であることは、必ずしも道徳に就いてのこの文学的観念が貧弱であったり成っていなかったりすることを意味しないのであって、事物の文学的検討や叙述には、夫でも結構事は足りる場合が多いだろう。だが吾々は、この観念を理論的に明らかにし、之を道徳理論に於ける一つの根本概念として取り出すことを必要とする。
 文学(広く芸術に於ける精神)がモラル(この文学的道徳の観念)を追求するものだという事実は、文学が常に常識[#「常識」に傍点]に対する反逆[#「反逆」に傍点]を企てるものだという処に、一等よく見て取れるだろう。文学は大抵の場合常識に対立せしめられる。処でこの反文学的な常識とは、例の低俗な通俗常識のことに他ならず、それが又通俗常識的観念による所謂道徳のことに他ならぬ。かくて文学的道徳・モラルは結局通俗常識的道徳に対立しているわけなのだ。ではどういう風に之に対立するのかと云えば、要するに通俗道徳に対してその批判者[#「批判者」に傍点]として立ち現われるのが、モラルだということに他ならぬ。夫が通俗道徳を批判するものである限り、夫も亦一つの道徳でなくてはならぬ、モラルでなくてはならぬ。だが夫と同時に、夫はもはや通俗道徳という意味に於ては、道徳ではない。でモラルという観念自身が、所謂道徳なるものを解体する処のものを意味せねばならぬ。だが単に道徳を道徳でないものによって道徳でないものにまで解体して了うのでは、夫が科学的手続きによるのでない限り、道徳の単なる否定というものにしか過ぎない。それでは例の通俗常識による道徳という通俗観念さえが、事実上納得され得るようには克服出来まい。道徳を納得的に否定し得るものは、一種の道徳[#「一種の道徳」に傍点]の他にはあり得ない。モラルは少なくとも現在、事実上そういう一種の道徳の観念だ。
 社会科学的な道徳観念も亦、道徳を解体し道徳を道徳の否定にまで導く過程に生じる処の、道徳観念であった。だが夫は道徳を本当に科学的に終焉せしめて了うものだ。之に反して道徳の文学的観念は、道徳を道徳として、モラルとして、云わば止揚し且高揚する処の観念に他ならない。ただ文学自身では、この観念が極めて曖昧で無限定なのだ。そこで今吾々は、之を理論的に表現しなければならぬというのである。
 だが、或いはだから、文学的道徳の観念を吾々は無条件に信用してかかってはならないのである。それは誤謬へ導くかも知れない多くの諸規定を無定量に含んでいる、それがこの観念の理論的に曖昧である所以だ。吾々がこの観念[#「観念」に傍点]について、理論的な概念[#「概念」に傍点]を造るためには、実はこの文学的道徳観念の特有な弱点から、まず注意して行かねばならない。
 一体現在の事実問題として見る時、文学的道徳観念であるこのモラルは、どういう内容を与えられているか。云うまでもなくパッションやペーソスから始めて一切の規定を含んではいるが、その骨組みは例えばまず幸福[#「幸福」に傍点]というものにあるように思われる。本来モラルは言葉通りに一切のものであり得る。実を云うと、吾々の日常生活が社会に於ける階級闘争の形を一つ一つ取らざるを得ないような時、モラルとは階級道徳のこと以外のものではあり得まい。そうでなければ吾々は満足[#「満足」に傍点]しないからだ。処がこの所謂「モラル」という言葉は、事実上必ずしもそういう現実内容[#「現実内容」に傍点]に即して用いられている言葉ではないのである。「モラル」という流行観念の実際のニュアンスは、もっと形式的[#「形式的」に傍点]な処にあり、又その形式そのものをその独自の内容として居坐らせたものに他ならない。階級闘争のモラルは、夫が階級社会の実践的活動分子たる人間に満足を与える限り、初めてモラルとなる。だからモラルは、その階級闘争の情熱や憎悪や意欲という内容にあるのではなくて、之が満足に帰するというその形式にあるのであり、そしてこの形式が満足という一般的な内容に直ったものがモラルの内容だ、ということになる。でモラルはそれ自身に固有な形式的内容[#「固有な形式的内容」に傍点]を有つ。夫が一般に満足ということで、やがてよく云われる所謂幸福[#「幸福」に傍点]というものが夫だ。
 モラルの内容(実はそれに固有な一般的内容)を幸福に求める文学者は、無論極めて多い。否殆んど総ての文学者はモラルの追求の名に於て幸福の探究を企てる。例えばA・ジードの自叙伝『一粒の麦もし死なずば』や『文学とモラル』などはこの意図をよく物語っているだろう。K・ヒルティの『幸福論』(岩波文庫訳)によると、「哲学的見地から或いは勝手に反対することも出来ようが、しかし人が、意識に目覚めた最初の時からその終りに至るまで、最も熱心に追求してやまないものは、実にただ幸福の感情である」というのだ。
 確かに道徳・倫理・モラルは、善だとか悪だとか、正しいとか不正だとかいうことよりも、幸福ということの内にあるだろう。ヘドニズムの疑うことの出来ない根拠は全くここにある。真に幸福について考えて見たことのない人間は、決して道徳を知った者ではないかも知れぬ。――だが理論的に忘れてならぬことは、この幸福なるものが、実はモラルの形式的[#「形式的」に傍点]な規定に過ぎなかったという点、或いはこの形式的規定がそのまま一転してモラルの一般的[#「一般的」に傍点]従って又抽象的[#「抽象的」に傍点]な云わば形式的内容[#「内容」に傍点]になったものに過ぎぬという点、なのだ。なる程、一切のものは幸福に帰趨するだろう、エピキュリアニズムは因よりストイシズムもアスケティシズムも、夫々一種の幸福感・満足に帰趨するだろう。併し逆に、幸福というもの自身からは単に幸福をしか導き出すことは出来ぬ。幸福からはモラルの本当の内容[#「本当の内容」に傍点]を導き出すわけには行かないのだ。もし幸福のモラルからコンミュニズムを導き出した文学者がいたとすれば、彼には一つの転向[#「転向」に傍点]が必要であったに相違ない。と云うのは、幸福のモラルからコンミュニズムを惹き出したと云うのは、実は方向を反対にしてコンミュニズムから幸福のモラルを惹き出したことに他ならない。
 幸福のモラルは、モラル自身の形式そのものを云い現わす固有な特別な一般的抽象的内容に他ならないが、併しそれであるが故に、このモラルは形式的なものであり、このモラルの観念は形式主義的な条件を免れ得ない。幸福の説は恰もそういう形式主義的なモラルの観念に基くものだ――形式主義とは形式が内容の「鍵」で「窮極の基礎」だと考えることだが、恰もヒルティなどは「幸福は実に我々のあらゆる思想の鍵である」とも云い、「幸福は、あらゆる学問・努力・あらゆる国家的及び教会的施設の窮極の基礎である」とも云っている(前掲書)。之は全くキリスト教徒の声だ。なる程社会変革の運動は大衆の幸福を目標としているには違いなかろう。だが大衆の幸福をそれ自身如何に捏ね回しても、神の国[#「神の国」に傍点]かユートピア[#「ユートピア」に傍点]以上のものは、決して出て来ないのだ。
 で幸福とはこうした形式主義的なモラルの内容だが、恐らくこの点が、実際に世間に行なわれている所謂「モラル」の特色を最もよく云い表わしているだろう。モラルは文学者の用語だが、文学者は之によって、極めて形式的なモラルを影像として受け取っているように思われる。と云うのはモラルとは何か身辺のアトモスフェヤとか、特定内容から切り離された抽象された生活感情とかいうものであって、生産機構に発して産業や経済生活や政治活動やを踏み分けて通った処の、社会そのものの脱汗の粒々たる結晶としての生活意識とは、おのずから別なのである。つまりモラルは多くの文学者にとっては、個人身辺のものであって決して社会的なものなどではない。
 吾々は、処で道徳に関する文学的観念たるモラルのこの観念から、こうした文学者的な皮相さを除り去らねばならぬ。もしそうしなければ、モラルは主観的道徳感情とか個人道徳とかいうものになって了って、例の倫理学が眼の前に置いて考えていたような道徳の、而もごく不体裁な模造品にすぎぬものとならざるを得まい。夫ならば社会科学によって、すでに解決と解消とを完了された処のものに過ぎない。今更モラルでもないわけである。

 で吾々にとってまず第一に必要なのは、モラルという文学的観念を、どうやったならば科学的[#「科学的」に傍点]な道徳(モラル)観念にまで、洗練出来るかに答えることだ。そのために社会科学的道徳観念とこの文学道徳観念との、相違点をもう少し考えて見なければならぬ。
 一般に道徳が社会意識と不離な関係にあるらしいことを、私はこの本の初めの方で述べた。道徳が社会の汗か脂のようなものだとも云った。従って道徳は常に社会的[#「社会的」に傍点]なのである。併し又本当に個人[#「個人」に傍点]が考えられていない処に道徳というものもあり得る筈はない。社会意識は個人が社会に対して持つ意識か、それでなければ社会という主体が持つと譬えられた意識のことだが、社会という主体が統一的な意識を有てるかのように仮定するマクドゥーガル的なGroup mindの観念も、社会に於ける個人が有つ個人的な意識の社会的総和という風に理解しない限り、心理学者のフィクションに過ぎぬものとなるだろう。社会意識たる道徳意識も、だからこうした個人意識としての道徳意識の総和であるか、それとも個人が社会に対して有つ道徳の自意識に他ならぬ。――いずれにしても道徳は、社会[#「社会」に傍点]と個人[#「個人」に傍点]との関係に於てしか成り立たないことを見るべきだ。
 社会科学的道徳観念の科学的高さをなす所以の一つは、道徳が社会と個人との関係に於て初めて成り立つものであって、単に個人自身の内で成り立ち得るものではないという、云われて見れば初めから当然至極なこの関係を、ハッキリ組織的に解明したことにあった。往々世間では、史的唯物論が客観的な社会機構だけしか問題にし得ないもので、個人にぞくする諸問題は之を忘れるか避けるかするのだ、という風に誤解しているが、この誤解は少なくとも史的唯物論による道徳理論を見るならば、氷解することだろうと思う。元来社会科学は個人を問題にしないどころではない。実は例えば、如何なる個人は如何なる社会条件の所産であるかを問題にすることこそ、社会科学の具体的な現実的な課題なのだ。なる程社会科学が与える諸々の公式は、一般的な通用性(尤も之は歴史的な適用条件を持っているのだが)を有っていればこそ公式である。併し又特殊の夫々の事情に向かって特殊的に適用されないような公式は、元来何等一般的な公式ではないのだ。公式はいつも特殊化[#「特殊化」に傍点]され得るものだし又特殊化されねばならぬ処のものだ。従って社会機構の一般的諸関係を云い表わす社会科学的公式は、当然個々夫々の特殊事情に相当する処の各個人[#「個人」に傍点]の場合々々について、特殊化され得るし又特殊化されねばならぬ。社会科学が個人を問題に出来ないという説は、何かの誤解だと云わねばなるまい。
 だから道徳が如何に個人のものであり個人を介してでなければ成り立たないにした処で、それを理由にして、道徳が社会科学的に分析出来ないものだなどと考えたり主張したりすることは、許されないわけで、そういう誹謗は偶々、個人主義的なブルジョア倫理学自身の自己弁解を物語る以外のものではないのである。道徳の個人的特色(階級道徳も亦この道徳の個人的特色の必然的な規定だ――なぜなら個人そのものが社会における個人でしかなかったから)を最もよく説明したものは、他ならぬ史的唯物論だったのだ。
 道徳は社会科学的観念によって、いつも個人化[#「個人化」に傍点]され得る。その意味でなら、客観的な道徳も常に主観化[#「主観化」に傍点]され得るし、客体的な道徳も必ず主体化され得る。――だが社会に対するこの個人、又或る意味で(後を見よ)客観乃至客体に対するこの主観乃至主体、とは何か。社会や客観乃至客体は、論理的には一つの普遍者[#「普遍者」に傍点]である。と云うのは、個人(或る意味では主観や主体も)の多数の複数を通じて共通に横たわる或るものだ。之に較べれば個人(或る意味では主観乃至主体)は、確かに論理的に特殊者[#「特殊者」に傍点]だ。個物は特殊者だ。処がこの個人なるものも実は、社会の普遍性とは異った併し一種の普遍性・一般性を持っていることを見落してはならぬ。「これ」とか「この」とか云っても、「あれ」も吾々がそこを注意すれば「これ」であり、「あの」も吾々がそこへ行けば「この」に他ならぬ。つまり「これ」ということ[#「こと」に傍点]と「これ」と云われるもの[#「もの」に傍点]との間には、一向必然的な結合はないのだ。吾々はバットを「これ」と指さしてもいいし、チェリーを「これ」と呼んでもいいわけだ。――尤も、もしもバットに霊あらば(あまり唯物論的な仮定ではないが)、彼は自分をしか「これ」と呼ぶことは出来ず、チェリーとチェリー氏はいつも「あれ」とか「かれ」とか呼ばれるに違いないが。でこの特殊性をもった個体は一般性[#「一般性」に傍点]を有っているものだ。
 だがこの一般的な個人(或る意味では主観や主体もそうだが)は、まだ決して「自分」(「私」「我」「自我」等々)ではない。と云うのは、ナポレオンという個人が個人的であり個性的であることは、カエサルという個人が個人的であり個性的であることと、共通なことである。無論二人の個性は別だが、歴史家は二人が夫々の異った個性の、有ち方までを異にしているとは考えない。そういう不公平な歴史家は少なくとも科学的な歴史家ではなくて、ナポレオン党員か何かだろう。処がナポレオン自身[#「自身」に傍点]は、自分がナポレオンであるという関係と、或る男がカエサルだという関係とを、同一共通なものとは考えない。もしそうでないと反対する読者がいるなら、その読者が偶々ナポレオンでないからに過ぎない。何人も「自分」の自分を他人の自分と取り換えることは出来ない。ここに古来人間が一日も忘れることのなかった「自分」というものの意味があるのである。この自分[#「自分」に傍点]はもはや決して個人[#「個人」に傍点]ではない。個人はなお一般的だ、従って「自分」こそ最後の特殊的[#「特殊的」に傍点]なものだ、ということとなる。――処でモラルはこの「自分」というものと深い関係があるだろう。

 問題はそこでまず、この自分なるものが社会科学でどう取り扱われ得るかである。自分というこのごく日常的な常識にぞくする観念を、下手に哲学的に解明しようとすると、忽ち札つきの観念論に陥らざるを得ない。事実之までの思い切った観念論(バークリやフィヒテの主観的観念論)は単に観念を馬鹿々々しく尊重したことがその動機なのではなくて、この「自分」なるものを観念のことだと思い誤ったり、又之を観念的に掴むことが相応わしいことだと思い込んだりしたことに由来する。「自分」は社会科学(つまり史的唯物論――唯物論)でどう取り扱われるか。
 M・シュティルナーは何と云っても参照を免れまい。シュティルナーに云わせれば、「神と人類とは何物にも頓着しない、自分以外の何物にも。だから自分も同様に、自分のことを自分の上に限ろう。神と同じく他の凡てのものにとっては無である自分、自分の凡てである自分、唯一無二である自分の上に」(『唯一者とその所有』――岩波文庫訳)、である。「自分にとっては自分以上のものは何もない」のだ。自分だけが自分の唯一無二の関心事だ。――だがどうしてそんな馬鹿げたことが主張出来るのか。併しシュティルナーが、自分と云うものを人間[#「人間」に傍点]や人類[#「人類」に傍点]というものから区別しているという点を今忘れてはならない。シュティルナーが云っているのは、個人が凡てだというのではない、個人ではない[#「ない」に傍点]処の「自分」が凡てだというのだ。そう云われて見れば、この唯我独尊主義も、決して簡単な妄想ではなくて相当複雑な虚妄であることに、戒心しなければならないだろう。
 処がシュティルナーの「自分」は「創造者的な虚無」だというのである。と云う意味は、自分が一切のものの創造者であり、世界はつまり自分の所産だというのである。そして自分は世界を創造するに際しても何ものにも負うのでなくて自分自身にしか負う処がない。だから「無からの創造」だというのである。人間の生涯とその歴史的発達は、この自分の創造物だというのだ。――だがこうなるとこの自分と人間(個人)とはどうして別なのだろうか。なる程人間(個人又はその集合としての人類)ならば、それが歴史を創ったということも何とか辛うじて説得出来るかも知れない。併し誰が一体、自分が古代から現代までの歴史を造ったと実感するものが、狂人でない限りあるだろうか。――自分なるものが個人や人間と別な範疇だという論理はよい、だがそうだからと云って、「自分」なるものの形而上学的体系は困る。之は独りシュティルナーに限らず、彼の先輩たるフィヒテに就いても同様に困る点だ。
『ドイツ・イデオロギイ』(唯物論研究会訳)の大半をこの「聖マックス」・シュティルナーの批判に割いたマルクスは、処で彼をこう批評した。「若しも聖マックスが、種々な『事』及びこれ等の事の『所有主』、たとえば神・人類・真理をばもう少し詳しく観察していたならば、これ等の人格の主我主義的な行状に立脚せる主我主義も、これらの人格自身と全く同様に、仮構物であらざるを得ないという、反対の結論に到達する筈だったのだ」と(多少訳を変更)。――つまり「自分」の体系としての形而上学に立脚しようとするが故に、却って「自分」というものが個人という人格物に帰着して了うわけだ。
 シュティルナーの根本的なナンセンスは、彼が「自分」というものを正面へ持ち出したことではなくて、却ってこの自分を安易にも、結局に於ては個人人格というようなものだと想定し、そしてこの個人人格から歴史と社会とを体系づけようとした処の、観念論的な大風呂敷にあったのだ。彼の人間に関する理論が、機械的で非歴史的で意識主義的であるのは、全くここから来る。
 自分というものを個人(人間)から区別しながら、なお結局に於て自分を個人と考えねばならなくした根本的要求は、自分を何か世界の説明原理[#「世界の説明原理」に傍点]としようとする企ての内に存する。個人を世界の説明原理としようとするのが典型的な観念論であるが、之に倣って「自分」なるものを世界の「創造者」という説明原理にしようとしたのが、シュティルナーによって典型的に云い表わされたエゴイズム(理論的又道徳的)なのだ。――だが「自分」とは実は、そういう世界の説明原理(創造者・元素・其の他)である或る[#「或る」に傍点]物ではなくて、単に世界を見るものであり之を写す(模写する)ものなのだ。「自分」は個人とは異って交換することの出来る物[#「物」に傍点]ではない。自分とは自分一身[#「自分一身」に傍点]だ。之は鏡面であって物ではない。
 社会を特殊化せば個人になる。ここまでは明らかに社会科学の領域だ。併しこの個人を如何に特殊化しても「自分」にはならぬ。一体もはや特殊化し得ない分割不可能であるということが個人乃至個体(In-Dividuum)の意味だったのだから、これは寧ろ当然だと云わねばならぬ。もし同じ[#「同じ」に傍点]特殊化の原理で「自分」というものにまで到着出来るのなら、この特殊化[#「特殊化」は底本では「殊特化」となっている。誤記か]の原理を恰もその科学的方法としている処の社会科学は、同様に「自分」というものをも、そのままで[#「そのままで」に傍点]、科学的[#「科学的」に傍点]に取り扱える筈だが、特殊化の原理が「個人」以上に進行し得なかったのだから、社会科学的方法は個人の処で止まらざるを得ない。つまり一般に社会科学的概念は、そのままの資格に於てでは[#「そのままの資格に於てでは」に傍点]、「自分」という事情をうまく科学的に問題に出来ないのである。
 そこで考え得られる対策は二つしかない。一つは、個人を社会科学的に自分[#「自分」に傍点]にまで押して行く代りに(夫は不可能だった)、「自分」から出発し、そして個人の方へ還って来ようという仕方である。だが之も亦不可能であった、なぜなら自分とはそういう世界の説明原理[#「世界の説明原理」に傍点]であってはならなかったから。もし夫が世界の説明原理であるかのように思われるとしたら、夫はもはや「自分」ではなくて個人のことだろう、処が個人で以て世界を説明することは途方もない観念論だった。――でこの方向が駄目だとすると余る処はただ一つの方向だけである。それは個人から自分にまで行くには、社会から個人にまで来るのに使った社会科学的方法・社会科学的個別化原理を、何か適当に改革乃至修正しなければならぬということだ。恐らくこの仕方以外に、理論的に「自分」なるものの概念を規定出来る道はないだろう。モラルの概念も亦、ここで初めて理論的に成り立つことが出来るだろう、ということになる。

 だがもう少し「自分」というものを分析して見る必要がある。一体自分というものは、シュティルナーが夫で熱中していたに拘らず、存在[#「存在」に傍点]するものかどうか、そういう一見奇妙な疑問を出してかかる必要があるのである。なる程個人は立派に存在している。そして個人が持っている精神や心というものも、丁度物体に力が存在しているような意味で存在している。処が自分というものの存在に就いては、古来哲学はその証明に苦心しているのだ。たしかに自分はあるようだ。併しどういうことが自分が存在しているということであるか、又なぜ自分が存在していると云う[#「云う」に傍点]ことが出来るか、という問題になると、解答は極度に厄介なのである。デカルトの、「自分が考える、故に自分が存在する」というのが、何等の推論でないことは云うまでもないので、この「故に」は単に、彼が自分というものの存在を事実上すでに仮定していることの告白を示す気合か掛声にしか過ぎない。――とに角、少なくとも自分というものは、普通の意味での存在性を持ってはいない、普通の意味では存在しない[#「存在しない」に傍点]、従って普通の意味では無[#「無」に傍点]だ(無である[#「ある」に傍点]とは云えない、ただ無だ)。
 処で之と同じような事情におかれたもう一つのものがある。夫は意識[#「意識」に傍点]だ。意識も丁度自分に対立する自分という個人[#「自分という個人」に傍点]のように、精神や心と考えられればその存在性に問題はないが、それが本当に意識と考えられると、夫が存在するかどうかが問題だ。意識(Bewusstsein)はDas bewusste Seinという或る存在(Sein)であるように書かれるが、之は単にドイツ語で哲学の術語を造る時の便宜から起きたことに過ぎない。そして之は恐らく「意識ある存在」という意味にはならずに、「意識された存在」、即ち存在が意識された、という意味になるのだろう。いずれにしても、存在[#「存在」に傍点]と意識[#「意識」に傍点]とは別であり、従って意識は存在ではない、存在しない、無だ。――自分は自分で自分を考えることが出来る。自分が自分で自分を考えなければ、即ち自覚しなければ、即ち又自意識を有たなければ、自分というものは考えられない、処がこの考えるとか考えられるとかいうことが、他ならぬ意識するということだ。で之を以て、自分というものと意識というものとが、同じ性質のものだということが判る。その意味で、自分はあるかないか知らないが、とに角夫は意識だ、と云うことが出来る。
 物質は云うまでもなく普通の意味で、存在[#「存在」に傍点]している。之を写し反映するものが意識だ。簡単に機械的に考えると、物質を反映し模写するものは頭細胞其の他の物質だ、と云われるかも知れない。だが外界の物質と頭物質との関係は物質相互間の物的因果交互作用関係にすぎないのであって、それ自身は反映でも模写でもない。反映・模写とは物質と意識との間にしか起きない関係を云い表わす言葉だ。で外界の物質と頭細胞物質との物質相互の物的関係が存在していて、その存在に沿って随伴[#「沿って随伴」に傍点]して起こる或る関係が、意識による反映・模写ということであり、つまりそういう作用としての意識なのである。この関係は存在に随伴することなしには決して起きない。存在が存在しなくなれば起きなくなる関係だ。それでこの存在とこの関係との間には又何等かの関係[#「関係」に傍点]がある。之は一応不離な関係だが併し直接には因果関係ではない。反映・模写という言葉は、こうした非因果的な直接関係を云い表わす範疇なのである。だから実は意識があって存在を反映するのではない(意識は元来なかった)、却って反映という存在の随伴現象が意識ということだ。夫が「自分」ということなのだ。
 自分乃至意識は、存在に随伴する関係であるが(その随伴の仕方関係が意識とも反映とも模写とも写すとも見るともいうことだ)、処が一般に存在に随伴する関係は、意味[#「意味」に傍点]と呼ばれる。意味は厳密に云うと存在の因果所産でも何でもなくて、存在が有つ[#「有つ」に傍点]処の一つの関係のことだ。存在に意味があり、存在が意味する[#「意味する」に傍点]のである(意識が意味するのではなくて存在が意味するのだ。インテンションとは実は之だ)。意味がある[#「ある」に傍点]とは、意味が存在するということではなく、又意識が意味を産み[#「産み」に傍点]与えるというのでもなくて、存在が意味を有つ[#「有つ」に傍点]ということだ。で意味はない[#「ない」に傍点]のだ。――そうすると、例の自分乃至意識は意味[#「意味」に傍点]にぞくするものだということになるだろう。
 さて私はここに二つの秩序界を並べねばならぬ事情に立ち至った。一つは存在・物・物質の秩序界だ、もう一つは自分・意識・意味の秩序界だ。前者は存在し後者は存在しない。そして後者は前者の存在に随伴するのである。――「個人」と「自分」とを隔てたあのギャップは、実はこの二つの秩序界の間に横たわるギャップであった。而もこのギャップならば、随伴という橋渡しは一応ついた。
 併しそうすると、つまり自分というものは個人に随伴するというだけでケリがつきそうだ。それなら社会科学は個人の問題を取り扱うことによって、随伴的に[#「随伴的に」に傍点]自分というものの問題を取り扱えばよいわけだ。処がそう簡単には行かない。自分・意識・意味はそれ自身一つの秩序界だ、というのは、独自の体系をなすことが出来る(尤もそれは存在[#「存在」に傍点]の世界の体系ではないが。)今物質界乃至存在界が独自の体系をなすことは自明だろう。処でこの二つの独自の体系が並べられたとすると、簡単に一つの存在と一つの意味とを対応させて済ますことは出来なくなるので、意味は更に意味同志、存在は云うまでもなく存在同志、の間に、意味的連関や因果的交互作用的関係を有っている。――この二つの体系を総合することは、二つを簡単に加え合わせるようには行かぬ。二つを掛け合わせなくてはならぬ。と云うのはつまり、存在の体系に意味の世界を附加[#「附加」に傍点]することによって、存在の体系をば意味の世界を含んだ[#「含んだ」に傍点]体系にまで、拡張的に[#「拡張的に」に傍点]組織し直さねばならぬということだ。個人から自分なるものへの橋渡しをするためには、そういう論理的工作が要るのである。――モラルとはこの論理的工作の内に、必然的に出て来るものだ。

 私は少し長々しく、認識論めいた議論を試みたが、之は全く、自分というあの一見判り切った日常観念を、少しばかり而も常識的に反省して見る必要があったからだ。でその結果は、存在の体系を、どうすれば意味の世界をも含んだ体系に、拡張出来るかという、論理上の工夫を考えねばならぬということに帰着する。
 存在の体系の諸規定を云い表わす諸範疇は、実験的・技術的な検証性を有った処の、技術的な科学的概念[#「科学的概念」に傍点]である。だが之だけでは意味の世界を含んだ体系を築くカテゴリーにはなれない。そこでこの科学的範疇を、意味の世界との連絡と云い表わし得るようなカテゴリーにまで、改造しなければならぬ。それには他の手段はないので、実験的技術的に検証し得るというこの科学的範疇の性質を、或る点で制限し、比較的且つ一応そうした検証的実証性から独立に見えるような性質を、外被のように之にかぶせる他はないだろう。実験的科学的機能だけではなく、そういうものから一応比較的に独立であるように見える機能をば、この実験的科学的機能という肉体の上に、被服として纏わらせねばならぬ。こうしてこの科学的概念[#「科学的概念」に傍点]は、様々のニュアンスを得、一種のフレクシビリティーを得、例のギャップを飛躍する自由を得るのである。この機能は空想力(想像力・構想力)とか象徴力とか誇張力とかアクセント機能とかだ。
 こうして大体象徴的な性質を有たされた限りの科学的概念は、もはや之までの科学的概念ではなくて、文学的表象・文学的影像[#「文学的表象・文学的影像」の「・」を除く部分に傍点]である。象徴や空想や誇張其の他は、そうしたニュアンスやアクセントは、正に文学的な影像と観念との、特色ではないか。――この間の消息の内に、一般に、科学と文学(独り文芸に限らず広く芸術一般に於ける精神・イデーでよい)との論理的連関が設定される。そして今この科学的概念が社会科学乃至史的唯物論のものだとすれば、この文学的表象が持つ象徴や空想や誇張その他の、この非存在的[#「非存在的」に傍点]な機能が、自分[#「自分」に傍点]というものを個人[#「個人」に傍点]から区別する例のギャップを埋めるものに他ならぬ。個人とは社会科学的概念だ。之は史的唯物論によって片づく。之に反して「自分」とは、文学的表象だ。之は一切の文学的又実に道徳的なニュアンスとフレクシビリティーとを有っているだろう。個人に関する体系は立派に社会科学という科学になる。だが自分に就いての体系は、文学にはなっても科学的――実証的・技術的――理論とはならぬ。ニーチェやシュティルナーなどの自我思想が文学的特色を有つのは、広義に於けるそのスタイルの問題には止まらない。

 さて私はどうやら道徳・モラルの問題に帰ることが出来るようだ。以上に述べた科学的概念と文学的影像との関係、科学と文学との関係、の内に、モラル(文学的観念による道徳)なるものが横たわるだろうからだ。
 モラルとは自分一身上の問題であった。尤も之は何も個人道徳[#「個人道徳」に傍点]を意味するのでもないし、又道徳が個人的なものだというのでもない。個人が自分[#「自分」に傍点]と別だということは既に述べた処だ。寧ろモラルは常に社会的モラルだ。社会機構の内に生活する一人の個人が、単に個人であるだけでなく正に「自分」だということによって、この社会の問題は所謂社会問題や個人問題としてではなく、彼の一身上の[#「一身上の」に傍点]問題となる。一身上の問題と云っても決して所謂私事[#「私事」に傍点]などではない。私事とは社会との関係を無視してもよい処のもののことだ。処が一身上の問題は却って正に社会関係の個人への集堆の強調であり拡大であった。社会の科学的理論の体系も亦、この一身上の問題を単に私事として顧みずにおくことは出来ない。モラルはこうしたものだと云うのである。――科学的概念が文学的表象にまで拡大飛躍することは、他でもないので、この科学的概念がモーラライズされ道徳化されヒューマナイズされることだ。この概念が一身化され[#「一身化され」に傍点]自分というものの身につき[#「身につき」に傍点]、感能化され感覚化されることだ。今や[#「今や」に傍点]、自分=モラル=文学[#「自分=モラル=文学」の「=」を除く部分に傍点]は一続きの観念なのである。社会の問題が身についた形で提出され、自分一身上の独特な形態として解決されねばならぬということが、文学的モラルを社会科学的理論から区別する処のものだ。
 処で考えなければならないのは、すでに述べた文学的モラルのあの抽象性(幸福の如き)に就いてである。というのは、道徳に関する文学的観念としてのモラルは、事実の問題として見る時、文学者が有たねばならぬ社会科学的認識とは、殆んど全く無関係[#「無関係」に傍点]な場合が普通なのである。吾々はモラルと社会科学的認識とを区別はしたが、その区別の根拠は実は寧ろ両者の橋渡し[#「橋渡し」に傍点]の説明の上に立ってのことだった。科学的概念による社会科学的認識と、文学的表象による文学的認識との間に、一定の合理的な関係を設定したればこそ、科学的認識と文学との間の区別も出て来たわけであった。処が多くの文学的モラルは、社会科学的認識と関係なしに、何か自分だけで纏まり得たようなモラルとなっている。そういう独自に自分だけで結末のつくモラルの内容は、精々かの幸福のようなものだったろう。そしてそういう超社会科学的幸福は、事実上は、独善的な逃避的な貧弱な幸福に堕す他はあるまい。之は富まずして淫するモラルである。
 こうした独善的モラルの観念を私は、文学主義[#「文学主義」に傍点]的なものと呼ぶことが出来ると思う。文学的表象はその現実的肉体として、社会科学的概念をその核心に持っていなければならなかった。処がこの科学的核心がない時には、文学的表象は自分自身で勝手な核心を――再び全く文学的にすぎぬ核心を――造り出す。そうやって文学的表象をそのまま文学的な概念[#「文学的な概念」に傍点](之は何と矛盾した表現だ!)にして了う。要するに科学的概念を排撃して文学的概念を、手近かににわか造りするのである。こういう文学的表象の幽霊か漫画かのおかげで、その際成り立つモラルも幽霊か漫画のようなモラルとなる。而もそういうモラルに限って、社会的には無知な反動的勢力として凡そ社会のモラルを蹂躙するものだが。そしてその際「自分」や自我は、極めて皮相な思い上った又は卑屈な自意識となって了うのだ。
 真に文学的なモラルは、科学的概念による認識から、特に社会科学的認識から、まず第一に出発しなければならない。この認識を自分の一身上の問題にまで飛躍させ得たならば、その時はモラルが見出された時だ。逆に初めから文学的モラルから出発するなら、遂に何等の科学的認識へも行きつくべき方法を見出すことは出来まい。そのモラルは自慰的なものとならざるを得ない。そしてこの自慰的環境から脱出するには、もはや文学的モラルでは間に合わないだろう。――例えば階級対立が社会そのものの一切の本質的な規定を決定しているこの社会に於て、階級道徳を抜きにした文学的モラルなどは、本当は想像も出来ない代物だろう。社会のこの歴史的なリアリティーのあくどさや強大さに心を動かさぬということは、モラルのないことの証拠になりはしないか。――「自分」を発見するということは、そんなに素手で方法なしに出来るものではない。そしてその方法は社会科学的認識の淵をばモラルにまで飛躍するという機構であり手続きであるのだ。之を抜きにして見出された自己などは、誠に賤しいものだ。

 文学とモラルとのこの結びつきを、特別な形で示しているものは、フランスの文学的伝統の一つであるモラリスト[#「モラリスト」に傍点]たちの立場であろう。モラルという文学的な道徳の観念や言葉も、実はこのモラリストのものであったのだ。道徳の倫理学的観念が初めイギリス的乃至ドイツ的であったに対して、モラルという文学的観念は主としてフランスのものだ。処でモラリストの特色の一つが、矢張り「自分」を探究することにあったのを忘れることは出来ない。――E・ブリュンティエール(之はレーニンによると済度すべからざる反動家だが)は、モンテーニュの『エッセー』に就いて言っている、「それは、人が自己を描こうと企てた最初の書物である。自己を並々の人間の一例として考察しつつ、その自己の中に掴みえた発見を以て人類の博物誌を豊富にしようと企てた最初の書物である」(『仏蘭西文学史序説』岩波文庫訳に基く)。モンテーニュは云わばモラリストの父だが、夫が自分を描こうとした最初の人だというわけである。
 処がこの自分・自己とはモンテーニュでは何か。彼の『エッセー』は云っている、「各人は自己の前方を見る。私は私の内部を見る。私はただ私に用があるだけだ。私は私を考察し、私を検査し、私を思料する。……私は常に己れの内を省る」云々(ブリュンティエール前掲書参照)。――処でこの言葉だけを取って見ると、このルネサンスのフランスの貴族文学者は、まるで十九世紀の「ドイツの小市民」の、あのシュティルナーそっくりではないか。ただその自己がもっと文化的に教養が高かったというまでだ。とに角ここでいう自分とは、内部のことだ。自分を単に内部として感じることは、自分を「自分」としてではなしに人間として感じることだ(フランスにはメヌ・ド・ビランの『内部的人間学』なるものがある)。つまり夫は、欲すると否とに関係なく、自分を自分としてではなしに、例の個人という物体として見ることに帰着せざるを得ないだろう。――かくてモラリストの立場は、所謂人間学に[#底本では「間学に」に傍点をしているが、「人間学」あるいは「人間学に」に傍点すべきであろうと思われる]甚だ近いと云わねばならぬ。実際また人間学の多くの型は、モラリストの哲学から生じたものであった。パスカル(『パンセ』)やラ・ロシュフコー(『道徳的省察』――『箴言録』)を見れば、この(内部的)人間学が何であるかは容易に判る。そこでは自分は、人間の名に於て、社会的認識とは殆んど全く独立に、探究されている。之に較べれば、ラ・ブリュイエール(『性格』)やモンテーニュ自身は、実はもう少し社会的関心をもった「自分」であったかも知れない。
 だがそれにも拘らず、モラリストは、文学とモラルとの必然的な結合を、その意味で、道徳に関する文学的観念の一つの典型を、思想史の内に印象づけた。その歴史的意義は之を尊重し又利用すべきだろう。――もし多少の歴史的語弊を忍ぶとすれば、道徳に関する文学的観念は、正にこのモラリスト的な[#「モラリスト的な」に傍点]道徳観念だと云っていいかも知れぬ。ただ吾々に必要なのは、之が科学的認識、特に社会科学的認識を踏み渡った上での、道徳・モラルでなければならぬという点だったのである。

 最後に科学と文学とを図式的に対比させることによって、文学的観念による道徳なるものの、一つの総括的な意味を、云い表わしておきたい。――科学は云うまでもなく事物の探究だ。文学も亦この科学的探究を踏み渡った揚句、課題を新たにした事物の探究[#「探究」に傍点]である。処で科学の探究の対象は真理[#「真理」に傍点]と呼ばれる。之に対して、文学の探究の対象が道徳・モラル[#「道徳・モラル」の「・」を除く部分に傍点]なのである。この人間的(実は「自分」の)真理は吾々のムードやマナーの末にまで現われるのだ。かくて道徳・モラルとは、一身上の真理[#「一身上の真理」に傍点]のことだ。
 だから道徳とは、丁度科学的真理がそうであるように、常に探究される処のものなのだ。その点から見れば、道徳は与えられた道徳律や善悪のことや一定の限定された領域などのことではない。特に、科学が決して、真理と虚偽との対立を決めるというような妙な形の興味を有つものではないと同じに、何が善で何が悪かというような設問の内を堂々巡りしていることは、道徳の探究の道ではなく、従って又道徳の本義ではないのである。
 道徳が自分一身上の鏡に反映された科学的真理であるという意味に於て、道徳は吾々の生活意識[#「生活意識」に傍点]そのものでもなければならぬ。そういう生活意識こそ偉大な真の常識というものだろう。そしてこの道徳を探究するものこそ、本当のそして云わば含蓄的な意味に於ける文学[#「文学」に傍点]の仕事なのだ。モラル乃至道徳は、「自分」が無かったように、無だ。それは領域的には無だ。それは恰も鏡が凡ての物体を自分の上にあらしめるように、みずからは無で而も一切の領域をその内に成り立たせる。
 私が道徳を社会科学的に見ることに満足しないで、何か文学的に見ようとした、と或る種の人達は考えるかも知れない。併し科学が文学に解消でもして了わない限り、道徳を文学の探究対象のことに他ならぬと見ることは、決して道徳に就いての余計な観念でもないし妙な観念でもない筈だ。何となれば、もしそうでなかったら、一体、文学というものは何のために、何をなしつつ、存在するのか。
(第四章に就いては拙著『思想としての文学』〔本巻所収〕――特にその第一項――を参照。)



底本:「戸坂潤全集 第四巻」勁草書房
   1966(昭和41)年7月20日第1刷発行
   1975(昭和50)年9月20日第7刷発行
入力:矢野正人
校正:小林繁雄
ファイル作成:野口英司
2001年5月16日公開
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