科学方法論

戸坂潤






 科学方法論を私は、学問論乃至科学論の一つの特殊な形態として取り扱うべきであると考える。学問の方法を中枢とした限りの学問理論こそ、恰も科学方法論の名を以て呼ばれているものであり、そして又そう呼ばれることが丁度それに適わしいと思われるからである。それ故吾々は、この書物に於て、まず学問に於ける方法概念の分析から出発する理由をもつ。方法概念の様々の形態、従って又科学方法論の様々な形態は、茲に一般的に予め展開せられるであろう。「方法概念の分析」二篇は吾々の理論に於て、総論の位置を占めると云って好い。
 後に続く三篇は、吾々が実際上出逢いつつある既成の科学方法論に就いて、前の総論で得た結果を実地に検証しようとした不完全な試みに他ならない。私はこの際、リッケルト教授が主として与えた限りの「科学論」を、材料の中心として――決して唯一の材料ではない――選ぶのが適当であると考えた。蓋し科学方法論という問題を吾々に最も著しく意識せしめた功績は、就中教授の科学論に帰せられるべきであろうから。併しその結果、吾々の科学方法論は一つの特殊な視角を与えられざるを得なくなり、そこに於て凡そ提出され得た問題はこの視角によって制限されねばならないこととなった。この視角に於て必ずしも照し出すことの出来ないであろう科学方法論の恐らく幾つかの問題はそれ故、遂に吾々の理論の内容となることが出来なかった、私は之を他の機会に取り上げねばならないと思う。この三篇は特殊個々の歴史的内容を取り扱うのであるから、吾々の理論に於て、特論に相当する位置を占めるものである。
 総論と特論とを一貫する叙述の方法は、方法概念の分析、によって得られる処の、方法概念の運動、の内に存在する。事物をその概念の運動に於て理解することは、事物を根柢に於て把握するに必要な道であるであろう。一般に、概念の分析とか概念の運動とかいう言葉が何を意味するかを、読者は実地に就いておのずから明らかにされるならば幸いである。
 併し私は、学問界の伝習的な一つの話題として、吾々のこの問題を取り上げることを好まない。又移り変ることなき絶対的な問題の一つとして之を提出し得ようとも思わない。ただ吾々にとってそして今日、この問題が重大な意味を有ち又有力な効用を約束するであろうことを、吾々は期待していると私は信じる。私の不完全な処女作も専らこの期待に立脚しているのである。私の個人的な不完全さが、この問題に対する公共的な期待を傷け得ないということは、明らかである。

「方法概念の分析」(その一)(その二)の二篇は、雑誌『哲学研究』に載せた文章を多少書き改めたものである。

一九二八・一〇
京都にて
戸坂潤


再版序



 再版に際しては、誤植を訂正する程度の変更を加えることしか出来なかった。それも友人や未知の好意ある読者からの注意によって発見したものが大部分である。前に小倉金之助博士から、座標の問題に関して与えられた助言は、或る部分を相当に書き直さねばならなくなる種類のものなので、この版では不本意ながら無視せざるを得ない事情になった。初めてこの書物を書いた時と、現在の私とでは、可なり考えに変化もあるから、いつかは全体を書き直して見なければならない。私はそういう機会が熟する時を待とうと思う。
 前の序文で、この書物と連関した一群の仕事を約束しておいたが、いまだにその仕事の中心へ立入ることができずにいるのは遺憾である。けれども私は決してそれを破棄しない、寧ろ約束した仕事の重大さを、様々な側面から増々痛切に感じているのである。
一九三二・一〇
東京
著者
[#改ページ]

方法概念の分析(その一)


第一部


 空疎な興奮でもなく、平板な執務でもなくして、生活は一つの計画ある営みである。一定の出発と一定の目的とを有つ歩みで常にあるであろう。この意味に於て、歩みはを逐うて運ばれなければならない。一切の生活に於けるこの特色は、恰も方法という言葉によって代表される。吾々のどのような労作に於ても、方法は根本的な意味を有つ。独り学問の研究に於てばかりではなく、芸術的感覚を完成するにも、人間的性格を育て上げるにも、又その他どのような場合にも、根柢に方法が働いていないとは考えられない。中にも学問の研究にとっては、最も方法が重大でなければならない。学問を真に自己のものとしようとする時、云い換えれば、実際にみずからその学問を追究し自己にとってその学問がもつ必然性を検証しようとする時、方法が吾々にとって問題とならずにはおかない。方法がそれ自身に依って――例えば方法論というような話題に促されてではなく――問題となるのは恐らく、その学問の前途を祝福して野心ある計画を持とうと欲する時とか、それでなければ、その学問の現状に疑いを懐いて去就を決し兼ねるような場合であろう。何となれば、吾々がある学問の特徴を見抜き見極めるのに役立つのは、雑多な末梢的博識ではなくして、正に方法を中心とした中枢的把握である他はないが、かくて把握された方法的理解は初めて、その学問が持つ第一義に優れた特色――性格――を吾々に示すことが出来るからである。又吾々はこの性格を捉えてこそその学問を批判することも出来るのである。任意の、手当り次第の、又は他からそのまま受けとった、一つの特色を持ち出し、又は或る特色自身にとっては偶然であるような視角からその特色を取り扱うことは、少しも批判の名に値いすることではない。たとい論構がどれ程緻密であっても、見当を――又性格を――逸しているならば、そこに取り扱われた問題は批判されたことにはならない。方法的理解のみが学問の性格を明らかにしその批判を可能ならしめる。
 方法的理解――方法を中心とする中枢的把握――と云ったが、併し方法とは何であるか。無論私は学問(乃至学問研究)の方法に就いて答える。そして夫と反対――反対の意味は後に説明される――なものを通じてそれを分析するのが適わしい。方法に反対なるものは対象である。対象は方法の目的であり、方法は対象の出発点であると云ってよい。吾々が方法によって通達するもの、それが対象である。処で或る特定の対象に対して或る特定の方法があるのが至当であると思われる。もし任意の対象に対して任意の方法が適わしいとすれば、特にこの学問の方法というような事を吾々が問題としてそれに関心を有つ理由がない筈である。処が方法が吾々にとって抑々問題となるのは、之がこの学問又はかの学問の夫々の性格を云い表わすからであった。故に特定の対象に対して特定の方法が対立する。今仮に、特定の方法と之に対する特定の対象という二つの既知の概念を用いて、さし当り最も形式的な出発をとるとすれば、論理的に必然な選言として次の四つの場合が現われて来る。(一)対象が方法を決定するか、(二)方法が対象を決定するか、(三)それとも対象でも方法でもない第三者が両者を同時に決定するか、(四)それとも又方法と対象との相互決定であるか。何となれば、特定なものとそれに対立する特定なものとの間の関係を、最も一般的な言葉をかりて、決定と呼んでよいから。恐らく第一の場合は、素朴的乃至独断的、或いは或る意味に於ける実在論的立場と呼ばれるものを云い表わし、第二の場合は「コペルニクス的転回」を経た批判的乃至或る意味に於ける観念論的立場と云われるものを代表するであろう。けれどもこの二つの立場の是非は、或る手懸りを得た後に初めて決定されるべきであって、始めから之を決定して出発することは吾々にとって不利である。何となれば方法と対象との内、何れかが特に優先権を有つ事は形式的出発としては許せないから。第三の場合は方法と対象とへ同じ権利を与える点に於て形式的に整っているには違いない、けれどもその第三者とは何か。吾々は今方法と対象との二つの概念しか知らない。第三者は「或るもの」の外何とも云うことは出来ない。処がそのような「或るもの」から出発することは常に不可能である。何となれば或るものとは、何物の手懸りにもなることが出来ないという意味に於て、一つの逃避的概念であるからである。たとい方法と対象との総合がそれであると云っても、その場合のように単に総合するための総合こそは、折衷の概念がそれを説明しているように、一つの代表的な逃避的概念に外ならないであろう。かくして残るものは第四の場合――相互決定――だけである。第一にそれが形式上の整備を有っていることは明らかである。次にそれは出発の手懸りとなることが出来るに違いない。相互決定の概念が決して逃避的概念ではなくして生産的な概念であることを、私は次第に明らかにして行けるであろうから。
* 方法に対するものとして人々は体系とか主題とか資料とかを挙げるかも知れない。おのずから明らかとなる理由によって私は之からは出発しない。――体系に就いては後を見よ。

 相互決定の分析に先立って一つの注意を忘れてはならない。人々は茲に直ぐさま交互作用を憶い起こすことであろう。方法と対象とは交々互いに決定するのであったし、そしてこの決定は無論静止的関係ではあり得ないが、今もしこの決定をば決定という作用を作用する―― Wirkliches Wirken ――ことであると云うならば、相互決定の関係は一応は交互作用と呼ばれてもよいようである。けれどもそのような意味に於て交互作用を語るのであるならば、それは少しも方法・対象の相互決定を分析するものではなくして、却って一つのより蕪雑な概念――作用という――を用いて同語反覆するに過ぎないであろう。処でもし同語反覆以上のより積極的な内容を之に与えようとするならば、こんどはこの概念の使用の場合を取り違えていることに気付かなければならないであろう。というのは、その積極的内容ある交互作用とはカントに於てそうあるように、一つの範疇に他ならないであろう。という意味は、対象対象との「関係」を構成する概念で夫はあるであろう。処が吾々が求める関係は対象と対象との夫ではなくして対象方法との夫であった。この関係にこの範疇を適用することはカントに於ても許されないことである。いうならばこの関係はカント的範疇を超越し之に先立つのでなければならない**。両者の相互決定の関係は既成の一範疇に包摂されて理解されるような部分的な事情ではないのであって、出来るならば却って一切の範疇をそこに於て統一的に理解せしめるような根本的な関係にぞくさねばならぬ***。それであるから今は交互作用――又は Gemeinschaft ――という概念とは独立に、この相互決定は分析されて行く必要がある。
* カントの言葉を借りるならば Handelndes と Leidendes との交互作用である。ロッツェの根本概念である処の交互作用も亦、物と物との間の夫である。 Lotze, Metaphysik, Kap. 6 参照。
** カントの物自体が感性を感触する処の原因であると云われる時、因果の範疇に就いて今と同じことが云われたことを思い起こす。
*** 例えばフィヒテの自我の体系を取ろう。フィヒテに於ても交互作用は自我から演繹された範疇の一つに過ぎない。

 向に、特定の対象に特定の方法が対立すると云った。その時、特定という言葉はただ任意を否定する目的にのみ用いられた。今や之に次のことを付け加えなければならない。第一にそれは唯一を意味するのではない。唯一の対象と唯一の方法とが必ず一対一の関係にあることを必要とすると云うのではない。唯一でなくして幾個でも好いがただ任意の数であってはならないと云うのである。又唯一の甲ではなくして乙でも丙でも好いが、ただ任意のものであってはならないと云うまでである。或る一定された範囲の内に於て対応関係が成り立たねばならぬことを、それは云い現わしていたのである。その範囲が実際どのようなものであるかは問題としないが、少くともこの範囲は任意でも唯一でもない処の一定――特定――でなければならない。それ故第二に、特定とは一定不変を意味してはならない。対象も方法も決してどのような意味ででも不変と考えられるのであってはならない。却って常に運動し得る(変化し得る)可能性を有っていると考えられなければならない。ただその変化=運動が任意の変動であってはならぬと云うまでである。かかる運動は浮動と呼ばれるような運動ではなくして意味ある運動である。自然界の運動に於ても、意味ある運動は名前を与えられているように――円運動とかジグザグとか――この運動も亦後に名称を有つことが出来るであろう。すでに何かの運動が可能であることが必要であった。どのような運動が実際に存在しているのであるか。――私は論理的分析を出発の手懸りとして事実の分析に這入って行くのが目的である。
 対象と方法とは相互に決定する。その場合、決定が何れから何時始まったか、ということは全く問題になることは出来ない――もしそうでなければそれは相互という概念を破壊する。そうではなくして而も現に已に一方が他方を決定し、かくして決定された他方が更に又一方を決定しているのである。この過程には終りがない。茲に際限ない循環が存在している。けれどもこの循環は無論かの「悪しき循環」であるのではなくして、実に根本的な循環である。何となれば之は思惟に於ける論理的循環ではなくして、相互決定という存在の可能性に於ける云わば存在論的循環に外ならないから。さて、このような何か存在論的なる循環は、方法と対象との間の一つの運動とも考えられるが、併しまだ直ぐには方法それ自身、対象それ自身の持つ運動とは考えられないに違いない。而も吾々が問うていたのは後の場合の運動であった。この循環によっては、対象自身・方法自身はそのまま変化することなく、却って常にその前の自己に還るものではないか、人々はそう尋ねるかも知れない。論理的循環ならば確かにそうである。吾々が或る仮定から結論し、そしてその結論からその仮定を証明する時、それを幾回繰り返しても、仮定は依然として前の仮定であり、結論は依然として前の結論である。もしそうでなければ、もはやそこにあるものは循環ではなくして寧ろ形式論理的矛盾でなければならないのである。処が対象と方法との循環――相互決定は今やこの言葉によって置き替えられる――は論理的循環ではなくして相互決定という何か存在論的なる循環であった。この循環によって対象も方法も変化しない筈であるとは云われない。そして実際にそれは変化する。自然科学の方法にとってその対象は自然的事物であるであろう。自然の事物は自然科学的方法によって観察され、記述され、又説明されると云われている。今まで明るみから匿されていた自然の事物の諸規定は次第に明るみの前へ持ち出される。暗くして恐らく深々と見えた対象は次第に覆いを取り去られ、照らされ、固有の色彩を与えられる。明らかに対象は変化する。暗いものからその反対の明るいものへ運動する。又方法はこの時、始め自然の事物を単に観察するが、やがて之を記述し、次に之を説明しようと企てるであろう。之が方法の変化である。この二つの変化=運動を個々独立には常々吾々は経験しているであろう。併し私が今語ろうとしているのは、そのような個々独立の二つの経験に就いてではなくして、正に両者の相互決定に就いてであった。処がこのような二列の運動をしてそれぞれの運動であらしめるものこそ正に、向の何か存在論的な循環でなければならない。何故ならば、対象も方法もそれ自身の力によって運動するのではない――両者は絶対者一者やの概念ではあり得なかった。そうではなくして却って常に他から決定されねばならない性質を持ち、相互に他から決定されることによって初めて両者は運動することが出来るのであった。それ故両者の運動は両者の間の循環によって初めて必然性を与えられる。
 それであるから今や明らかである。対象・方法の相互決定関係は、両者の何か存在論的循環に基く処の両者の夫々の運動をば、その第一の規定とする。求められる相互決定はこのような構造――何か存在論的な構造――を有つ(出発に選ばれた相互決定は単に形式論理的構造に過ぎなかった)。
* 存在論的とは何を意味するかを後に正確に決定しよう。それは少くとも従来の形而上学の本体論と直接の関係があるのでもなく、又近くは本質論とも云うべきフッセルルの Ontologie と関係するのでもない事を注意して置けば足りる。


 この運動が、直ちに人々の思い至るであろう処の運動の諸概念によっては、必ずしも正しく名称づけられないことを指摘しよう。
 例えば人々はこの場合発展という言葉を好むであろう。尤も発展概念は往々にして進歩の概念を伴うが、今之に触れることは避ける。進歩は歴史にぞくし得る概念であるが、吾々の問題とする運動は別に直ぐさま歴史にまで関係を及ぼしはしないであろうから。之に反して発展概念は確かに今の場合意味を有つことの出来る概念でありそうである。対象は発展し之に対して方法も発展する、という言葉は、対象・方法の構造――但しそれは学問の歴史とは別である――を云い表わすのに恰好であるように見えそうである。併しこの場合、発展という概念を行使して人々は何を企てているのであるか。包まれたるものを拡げ、含まれていたものを表に出し、微細なものを拡大し、低度のものを高度にし、可能なものを現実にし、所謂含蓄より顕現への「移り行き」の結果を――移り行きの過程それ自身の持つ構造をでなく正に過程の結果を――迹づけることを、人々はこの概念によって企てているのではないか。というのは、移り行きが移り行くための必然的な構造として有つ性格を忘れて――それを知らないとか否定したとか云うのではないが――、ただ移り行った足跡として夫が有つ性格だけを把握し、そして之を云い表わすのに発展という概念を利用するのではないか。発展という言葉で、もはや既に、何かが解決出来たかの如くに。尤ももしそうであるとしても之は発展概念自身の困難ではなくして、その概念の使用法の欠点であるかも知れない。併し私はこの概念が何故このように使用され易いかを必然的に理解出来るであろう。発展とは元来、次第にとか、順序に従ってとか、段々にとか、いう漸次概念の一つである。それ故吾々が常にそうする必要がある通り、この概念をもその概念成立の動機から理解するならば、その発展が如何なる構造を持とうともそれは抜きにして、ともかく漸次という形態に当て嵌まった発展として、この概念が理解されることは、自然である。過程を抜きにして過程の結果だけをとり出し勝ちなこの概念の形式性は、やがて独特な一種の発展概念を生むであろう。次第に、おのずから、困難なく、幸福に、そしてこの意味に於て自由に、みずから、独立に、発展するかのように、発展は往々にして分出説的演繹的概念として利用され慣される傾きを有つ。さて吾々の運動は他からの決定による運動であった。この運動のこの性格理解するに、このように単調にして一元的な発展概念の或るものが、如何に不適当であるかを説明する必要はないであろう。それは要するに言葉の問題ではないか、或る人々はそう云うであろう。否常に、所謂言葉の問題は単なる言葉の問題ではあり得ない、ものの性格を如何に理解するかの問題である。言葉はその一つの症状に他ならない。もし吾々の問うている運動をば、今指摘したような意味での発展概念によって片づけようとするならば、それはこの運動の優れたる性格を中庸化することの外の何ものでもないであろう。
 更に不利な運動概念は前後相承 Nacheinander に帰着する諸概念である。例えば意識概念は多く之に帰着するのが常である。意識は一つの流れに、波紋に、円錘に、譬喩されたであろう。無論このような譬喩は意識を説明するには適切であるであろう。けれども問題はかく譬喩されるようなこの概念を今の場合、即ち相互決定に基く運動の場合、にまでも及ぼして好いか好くないかである。尤も意識はそれを単に前後相承と呼ぶだけでは云い足りるものではないと云われるかも知れない。けれども例えば之を時間的持続として性格づけるならば、そのような時間的持続は正に前後相承の概念である。其はたかだか創造しつつある処の独存的概念であって、他からの決定を媒介とする今の運動を之によって理解することは、無論望みないことである。それであるから前後相承の概念――その代表的なものは或る意識概念である――によって今の運動を説明しようとすれば、茲にも亦性格の中庸化が指摘されずにはいないであろう。
 さて以上二つの運動概念、発展概念の或るものと前後相承、は現象が一般に持つと考えられる根本的運動の代表的な二つの概念規定であるであろう。問われつつある運動――これも亦恐らく根本的運動にぞくすであろう――はこの二つのものから警戒される必要があった。

 この運動が他から区別されねばならない根本的な特徴は何処にあるか。私は最初方法に対して対象を対立せしめた。かくして対象・方法の関係が、従ってその内に於ける運動が、問題として提出されて来たのであった。併し何故に方法に対して特に対象が選び出されたのであったか。対象方法反対であったが故に。対象と方法との関係は単に相異るものの対立というだけではなくして、相反対するものの対立であったのでなければならぬ。それであればこそ特定の対象に特定の方法が対立すると考えられる必要があった。両者の間には始めから、未知ではあるが或る特定の必然的な反対関係があったのであり、この反対関係の上に立ったのであればこそ、方法に対して対象が選ばれ、その関係も初めて問題となる手懸りを得たのである。けれども反対とは何か。まずこの反対関係が決して単に論理的なそれでないことは明らかである。という意味は、甲と甲に反対なる或るものとが対立する際に、甲にも甲と反対なものにも共通な一つの普遍者が是非とも予想されなくてはならぬ、という、そのような形式論理的な統一関係が茲に働いているのでないことは明らかである。仮にもしそれであるとするならば、方法に対立するものは単に「方法に反対な或るもの」である筈であって、決して対象が特にそれであるとは云われないわけである。対象と方法との反対は、単に論理的反対というばかりではなく、何か存在論的な反対であると云わなければならない。次に反対が形式論理的矛盾でないことは注意するまでもない。黒は白の反対であるが矛盾ではない。処で黒は白になる、黒は白に運動すると云うことが出来る。之に反して例えば東が西になるとは考えられない。二つは何か概念の構造を異にしている。黒白も東西も同じく相対的な反対概念と考えられるかも知れないが、吾々は両項間に運動の可能性を許すと許さないとを区別する必要がある。前者は反対概念であり、後者は単に相対概念である。そしてこの運動こそ今の場合にとって重大である。今私は両項間の運動の可能性に基く処の反対のみを特に反対と呼ぶこととする。従って例えば主観と客観との対立は反対とは呼ばれない。何となれば、主観と客観との区別によって或るものが説明されるためにこそ、両者の対立は想定されたのであって、両者の相対的概念成立の動機を忘れない限り、両者の間の運動は禁じられているからである。両者の対立関係は恰も前に述べた形式論理的統一のみによって統一しつくされるとも思われる。主観に対するものは「主観に対する或るもの」であり、この或るものが客観と命名されているに外ならないかも知れないのである。この関係に於てならば両項間の運動というものは全く無意味である。又たといそうでないにしても、もし主観が客観に、客観が主観になり得るならば、もはや主客対立を想定しても何の効果も生じなくなるであろうような、即ちその概念が成立の動機を失って破壊されて了うような、そのようなものこそ主観概念・客観概念である筈である。主客の対立を吾々は相関関係と呼ぶことは出来るであろう、併しそれは吾々の意味する反対ではない。かくして反対は対立でもなく、形式的反対でもなく、矛盾でもなく、相対でもなく、相関でもない、夫は運動の可能性に基く一つの関係であるのである。処が対象が方法となり、方法が対象となることこそ望ましくなければならない。それ故に、方法の反対として対象が選ばれた。――さてそうすれば対象・方法に於ける循環は正に反対なるものの間の夫である。処が或るものがそれと反対なものによって決定されるとは何か(この循環は相互の決定の夫であった)。私はそれを否定と呼ぼう。尤も否定は往々矛盾によって惹き起こされるかのように、そして又矛盾のみが否定を惹き起こし得るかのように、云われるであろう。けれども黒が白に変化する時、黒は白によって否定されたであろう。黒が夫と反対なもの――それと矛盾するものではない――即ち白へ、変化する運動を、吾々は黒の否定として理解している。私の云うのはこのように反対に根柢を持つ処の否定である。この反対は運動の可能性を有った。そしてこの反対による決定と考えられたこの否定は、実際一つの――もはや可能性ではない処の――運動である。そこで、対象・方法の循環は否定の循環運動でなければならなくなって来た。従って又この循環運動に基く処の、対象並びに方法の運動=変化はこの否定を媒介とするのでなければ起こることが出来ぬことが明らかとなった。事実、対象が単に対象であって、方法へ向って運動しないならば、対象は少しも対象らしいものとして顕われて来ないであろう。それがそれ自身の実現に向って運動し得るためには、対象は方法によって構成されたものとして見出されなければならない。今まで対象と考えられたものをば、却って吾々は方法として発見するのである。対象は方法に対して与えられたものから、方法によって成立せしめられたものにまで運動する。今まで自然の事物として性格づけられていた対象は自然科学の内容として性格づけられるに至るであろう、そうして自然科学の方法の下にぞくすることとなる。対象は方法によって否定される、そして却ってそのことによってその対象としての実現へ運動することが出来る。方法は常に対象を征服することによって、益々その方法らしさを獲得するのである。方法は常に対象を否定する(常に方法が対象を規定するかのように思いなす観念論の必然性は茲に横たわる)。之に反して逆に又、方法は対象の内に見出されるのでなければならない。単に独立なる方法はない。どのような方法も常に対象によって口授されたものである他はない。之を忘れるならば対象は全く勝手な方法によって――例えば人間は人間としてでなく機械として――取り扱われるという場合も出て来るであろう。方法の持つ性格は実は対象の持つ性格である。方法から見れば対象は一つの試金石であり批判者である。方法の独立は常に対象によって否定される。而もこのようにして否定されればこそ、方法は方法としての自己の実現へ運動し得るのである。対象は自己に固有な方法を命令することによって益々その対象らしさを帯びて来るであろう。対象は常に方法を否定する(常に対象が方法を規定するかのように思い做す実在論は茲にその必然性を享ける)。
 このようにして吾々が問う運動は否定を媒介とする。方法と対象の夫々の運動は相互の循環的な否定に基き、この否定を媒介として初めて可能な運動であった。処が吾々の否定という概念は又運動に根拠を置く約束であった。そして私は対象・方法の関係に於てこのような運動とこのような否定との離すことの出来ぬこの規定を指摘した。処でこのような規定を持つ一つの根本的関係は、弁証法と呼ばれることによって最も適わしい名称を与えられるであろう。弁証法という概念それ自身がすでに決して一定してはいない。そればかりではなく弁証法が一種類に限ると考えられる理由もない。併しながら今求められた規定は少くとも弁証法としてしか呼びようのない処のものであると思う。之が弁証法であると云って弁証法を説明しようとしているのでは今はない。そうではなくして、ある求められた規定を説明するのに弁証法の概念の或るものを用いようというまでである。弁証法は様々な問題提出の仕方に於て問われる。例えば之を論理の根本的な規定として、又形而上学的実在の規定として、吾々は問うことが出来る。私は今之を存在論的規定として求める。というのは、対象・方法の弁証法は存在論に於て初めてその地盤を発見するに違いない。もしそうでなければ今まで述べられたことは一つの砂上の楼閣であったかも知れない。

 今試みに一つの存在論的理論を構成して見ることが必要となった。
 何が吾々にとって直接であるか。近世の哲学は、主観・自我・意識などを以て之に答えたであろう。併し直接性はこれ等諸概念の何れもが意味する処の或るものである。この或るものを人々は現象と呼んでいる。直接者が何であるかは判らないとしても、夫はとにかく直接性――現象――であることを確かに語ることが出来る。それ故出発点として、この現象は何であるか、という形に於ける問題を提出することが最も普遍的結果を約束するであろう。現象論一般の必然性は茲にある。
 現象は存在として現象する。例えば或る意味に於ける意識現象を以てこの現象を代表させることは困難である。何となれば自然現象とか歴史現象とか社会現象とかいう或る現象は、夫々それとは全く別な現象に還元され、引き直おされるのでなければ、意識現象によって代表されることは出来ないであろう。之に反して存在概念は夫々の現象をしてそれぞれの現象たらしめる丁度そのような概念である。妥当と存在との区別に頼る或る人々に対しては次のように説明しよう。吾々の存在概念は、妥当と存在との区別を何故その人達が理論として掲げるに至ったか、という丁度そのことを説明する筈の概念であると。存在を一般に主観的であるとか客観的であるとか呼ぶのは無意味である。元来吾々はどこからそのような主客の対立を持ち出して来たのであるか。それが直接であるからか。併し直接なものは主客対立を好む人々にとって、寧ろ主客の統一・総合・同一ではなかったか。併し又主観も客観も直接でないならば、両者の対立を予想した上でその合致を語ることは、益々直接ではない筈である。之を尚直接と考えようとすれば、主客の対立従ってその合致という課題が、直接性にとっては全く見当違いな出発であったことに気付くのでなければならない。もし之に気づきながらなお且つ主客合一の直接性を語るならば、吾々はその言葉を言葉通りに取る義務はない筈になる。そこで主客合一という黒き白は直接性の追求に容喙する権利を持ち合わせていなかったことが顕らかになったであろう。まして主観と客観との一つ一つは愈々そうである。次に存在は存在する処の或るもの――実体・本体――を意味するのではない。吾々は存在者が何であるかを(カントと共に)知ることは出来ない。ただ存在者が如何に存在するかを問い得るだけである。存在の Was ではなくして存在の Wie が、存在の仕方が、吾々に直接な存在である。現象の問題は存在の問題に他ならないと云ったが、今や、存在の問題とは存在する或るものに関する問題ではなくして存在することの問題であることとなった。この意味に於ける存在概念の分析として、存在論一般は必然的である**
* 現象という概念が、文字を同じくする他の諸概念とどう異るかを、立ち入って述べるまでもないであろう。ハイデッガーは之を分類している(M. Heidegger, Sein und Zeit, S. 28 ff)。
** もし主客の対立から出発する方法を認識論と呼び、窮極的実在を求める方法を形而上学と云うならば、存在論が認識論でも形而上学でもないことは、今や明らかである。

 存在は夫々の性格を有っている。存在の仕方とはこの性格であった。種々なる存在の性格の内、最も根本的な性格は何か。という意味は、吾々が存在を問うためには是非そこから出発せねばならず、従って種々ある他の存在の性格を之によってのみ理解し得るような唯一の par excellence な存在の性格は何か。ハイデッガーは Da の性格を有つ存在がそれであるという。私は今この言葉を借りることを有利と考える。そうすれば根本的存在は Dasein であると云うことが出来る。吾々の始めの言葉を用いるならば、最も直接なものこそ之であった。さて Da とは世界に於てあることを意味する**。尤も世界という一定の領野が先ずあって何かがその世界のに在るということを、之は意味するのではない。世界はこの場合却って Da 性格に基いて規定されるべき概念であって、Da から独立に単独に理解されてはならない。Da とは世界に内在するものの性格ではなくして世界そのものの性格――世界性――であると云って好い。世界ということがすでに Da なのである。この Da としての世界は関心の世界である***。環境という言葉がそれを要求するように、世界に於てあることは関心されてあることであるが、関心に於てあるものは求められ却けられ、又肯定され否定されるであろう。かくて存在の内最も根本的な存在は関心に於て成り立たねばならぬこととなる。
 吾々は他の言葉で存在の今までの規定を繰り返そう。直接なものは、現象は、即ち存在は、出逢うことであると言うことが出来る。それ自体に独存的に存在していながら、偶々主観の鏡に写ることによって吾々に通達出来るようになるような、そのような存在でもなく、主観の普遍的必然的構成に於て初めて浮び出るようなそのような存在でもなくして、吾々の存在はまず第一に現象するのであった。そしてこの現象が出逢うということである。そして出逢うことの最も根本的な――根本的の意味は前を見よ――出逢い方は世界に於て出逢うことに外ならない。世界に於て出逢うとは関心を以て相会することでなければならなかった。この意味に於て吾々は語ることが出来る、最も根本的な存在は交渉的存在であると。
* Heidegger, Sein und Zeit, S. 7 参照。
** 同 S. 52 ff 参照。
*** 同 S. 180 ff. 参照。

 世界に於て――交渉的存在に於て――出逢うと云ったが、何が何に出逢うのであるか。それは吾々が存在に出逢うことである。併しこの吾々は形而上学的実体又は認識論的主観ではなくして又一つの存在である。この存在である吾々が又一つの存在に出逢う。かくしてこそ吾々は存在に通達することが出来、又これであればこそ吾々は存在を問う理由と可能と必然とを有つのである。存在が存在を理解し得ることが Dasein の先から云っている根本性に他ならない。
 現象の存在論的構造を一応こう説明して置いて、吾々は対象・方法の関係に帰ろう。アリストテレスは方法に就いて次のように語っている。研究の道は(方法は)吾々にとって最も知り易く最も明らかなものから、その本性に於てより明らかなより知り易いものへ行くと。方法は吾々から出発する、それはその本性に於てあるものから出発することは出来ない。この意味に於て方法は吾々に属す。吾々はこの道を歩むことによってその本性に於けるものに通達することが出来る。処が方法によって通達されるもの、それは吾々の言葉によれば対象であった。処が又その本性に於けるものとは、とりも直さず存在である。それ故対象は存在にぞくす。かくして今や、対象・方法の関係は吾々―存在の関係に帰した。処が吾々―存在の関係は向の記述に於て交渉的存在であった。それ故吾々は言わねばならぬ。対象・方法の関係は第一に存在――交渉的存在――である。対象・方法の関係が何か存在論的な関係であることを私が語ったのは実は之を指したのであった。第二にこの関係は交渉――交渉的存在――である。対象・方法の関係を弁証法と呼び、そしてこの弁証法が存在論に地盤を見出すであろうと私の云ったのは之を意味したのであった。何となれば交渉――吾々が存在に対する――に於てのみ、方法と対象との弁証法は意味を有つことが出来るから。
* Physica, 184 a 16 参照。

第二部


 方法は無論まず第一に研究の方法である。吾々が実際上学問研究を実行する時、吾々がその後を追わねばならぬ道が方法である。吾々が交渉に於て出会った対象は、ただ之を通路としてのみ通達される。この時、問われた対象は答えられるであろう。対象は茲に一つの変化を蒙りながら運動したことを今吾々は注意しなければならない。今まで期待されてあった対象は実現され、今まで彼岸にあった対象は此岸へ来た。研究の対象は学問の内容となった。事柄それ自身であった処の対象は今やその対象に就いての学問となった。過去の事件としての歴史は書かれたる歴史となる、史学に構成される。この時対象の概念に二つを区別しなければならないのは必要な穿鑿であるであろう。未だ構成されたものではなかった対象が構成された対象となったのであるから、構成前の対象と構成後の対象とが区別されなければならない。実際人々は規定を異にするこの二つの対象概念を交々用いているであろう。「認識の対象」と云う時、人は前者を考えるが、「数学の対象」という時、人々は恐らく数学という学問の内容を考えるであろう。無論吾々は例えば対象内容との区別を之に当て嵌めることは出来ない。この意味での対象自身が構成前とも構成後とも考えられるのだからである。後者の区別は構成前後の夫であって、超越内在の区別ではない。併しフッセルルは却って次の区別を挙げている、Gegenstand schlechthin と Gegenstand im Wie seiner Bestimmtheiten (但しこの区別は二つの別な対象であるのではなくして、同一の概念の二つの異れる規定であるのである。それでは何故吾々は之を別な概念として名づけないのであるか。何故に不便にも対象という同じ概念を用いねばならぬのか。――同一の対象概念自身が運動するからである)。さてこの対象の二つの区別に応じて、方法はこの時、単に研究の方法――構成前の対象に通達すべき――であるばかりではなく、研究されたる――構成後の――学問の対象のその構成の原理でもなければならない。かくて吾々は一見全く異るように見える処の二つの方法概念を得る。「学問研究の方法」と「学問構成の原理」。そして実際二つは全く異った性格を以て吾々に理解されているであろう。一つの実験を如何に装置すべきか、或る学術書を如何にして読むべきか。之は確かに「学問研究の方法」を問うものとして吾々が語る処である。処が化学は如何なる基礎に基くか、法律学は如何なる根柢の上で成り立つか。之は確かに「学問構成の原理」を問うものとして吾々が口にする処である。併し事実上、二つは如何に甚だしく異る問いであることか。――もし前者に答えるのに後者を以てし、又後者に答えるのに前者を以てするならば、吾々は嗤うべき迂遠かあわれむべき浅薄の非難を受けずにはいられないであろう。今私は事実上明らかなこの二つのものの区別を均らして了おうとするのではない。そうではなくして却って、かかる区別にも拘らず、同じく方法という概念を以て吾々がこの二つのものを理解しているその根拠をば、方法概念が有つ存在論的構造に於て発見するのが目的なのである。方法は今や全く離れたかに見える二つの概念を持つ。研究方法と構成原理。そして前者は構造の上から無論後者に先立たねばならぬ。かくて後者は前者の研究の方法に対して、学問の方法と呼び做される。この時元来研究の方法であった方法が、研究という性格を振り落して単に学問の方法となったことは、事実上起こる著しい変化でなくてはならない**
* Husserl, Ideen zu einer reinen Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie, S. 272 参照。
** 二つの区別を最も明らかに意識しようと思うならば、吾々は例えば史学研究法と呼ばれているものと史学認識論と呼ばれてよいものとの一応の対立を憶い起こすべきである。例えばベルンハイムとリッケルト。

 この対立は次のように考えることによって愈々鋭くなって来るであろう。研究の概念はその故郷から追われ学問が之に代った。吾々は研究の業績を研究と呼ぶことはある。併しそれは実際に研究する過程の一つの駅舎を実は意味するのであって、吾々は之によって駅舎から駅舎に進む研究という一つの旅を実は意識しているのであろう。研究の概念は研究することを意味するべく動機づけられているように見える。之に反して、学問の概念は学問された結果を、学問という文化現象を云い表わすべく使用されるように見える。研究は吾々の云わば動作を示す言葉であり、学問は吾々の云わば所有を指す言葉である。研究に於て吾々は吾々の関心が求める処の対象に出会う。方法・対象の交渉が之であった。そして茲に於ける存在は Dasein であった。之に反して学問にあっては必ずしもそうではない。成程吾々は学問に出会う。けれども関心されたもの、求められたものとして、それに出会うのでは必ずしもない。吾々は学問を偶々持ち合わせるのであるかも知れない。気が付いた時にはすでに学問が吾々の手元にあったのであるかも知れない。それは求められたのではなくして、却って吾々に押しつけられたものであり、そして吾々が之に全く見向く意志を有たない場合が少なくないであろう。学問そのものの存在は――学問の研究を云うのではない――直ちには世界に於ける存在ではない。そうではなくして世界の内に内在する存在である。学問の客観的存在とか社会的公共性と呼ばれるものが之を意味する場合は少なくないであろう。学問の存在は直ちには Dasein ではない。処で研究に学問が代ったのであるから、 Dasein に Dasein ならぬ存在―― Vorhanden-Sein ともいうべき存在――が代ったわけである。処が方法の概念は Dasein にぞくしていた筈であった。それ故この概念は本来から云えばもはや学問にはぞくさない筈なのである。もしそれにも拘らず学問に就いても亦方法という概念が用いられるならば、それは学問から学問の根本をなす研究にまで帰って、そこから間接にその概念使用の動機が与えられるのである他はない。研究の方法に対して学問の方法とはこのような手続きを含む言葉でなければならない。この場合の方法概念は其の本来の地盤を遊離した意味を獲得する。従って之は前に決定された方法概念に必ずしも忠実ではあり得ないし、又そうある必要もない。それ故今や人々は学問の方法という概念の下に例えば学問の基礎一般を理解する傾きを持ち、又学問の基礎に就いての一般的考察が方法論的として形容される理由がある。学問の基礎づけが方法論としての形態を取り、或いは又それが方法論と名づけられる根拠は以上の構造の内にあるであろう。
 私はかくて方法の二つの概念の区別と、その区別の必然的構造とを理解した。研究方法と学問構成の原理との区別が之である。さて併し前者から後者への方法概念の運動は吾々に何を語るのであるか。そこに説かれてあるものは運動による方法概念の衰微であるであろう。方法概念は本来の地盤を失い唯名的に使用されるに至ったのを吾々は見た。之は方法が対象によって否定され、概念が方法から対象にまで運動することを意味する。何故なら学問構成という方法概念は、構成されたる対象に方法が対応する時、初めて産れたのだからである。始め方法と考えられたものはやがて対象の根本的規定として見出される。方法という言葉によって実はやがて対象の根本規定そのものが理解されることになって来たであろう。今や対象が方法の名の下に取り扱われる。――さてこの運動を徹底すれば、方法はもはや研究方法でもなく又学問構成でもなくして、更に、根本的なる対象規定として現われて来なければならないであろう。併し之は表象散漫の結果ではなく却って概念の必然性に基く。対象・方法の根本的構造である交渉的存在に於て吾々が見ておいた弁証法が、茲に其の決定的な姿を現わすのに他ならない。併し私は何の目当もなしにただ畳々として弁証法の連鎖を手繰ろうとするのではない。(一)研究方法、(二)学問構成、(三)対象規定は、学問の方法論的省察の根本形態の三つとして吾々に事実上提供されているからである。仮に私にその著しい代表者を選ぶことを許すならば、第一は形式論理学の所謂方法論又は特殊科学自身の持つ研究法であり、第二は例えばリッケルトによって説かれた科学論であり、又第三は例えば物理学の相対性理論の示す世界形象の考察であろう。第一は学問が如何にして研究されるかという反省であり、第二は学問が如何なる概念構成によって構成されるかを問い、第三は学問が有つ世界形象が如何なる根柢の上に成り立っているか――科学的世界の基礎――を説明する。三つのものは何れもその問題を異にしているであろう。併しながら夫にも拘らず、斉しく方法の省察の名に値いする充分の理由のあることは、方法概念の運動自身が之を説明した処である。そして学問の性格を決定するのにその対象ではなくしてその方法を拠り処とする所謂科学論が、何故正しいと考えられるかという理由は、之によって必然的である。

 方法概念の今のこの運動を導くために、私は対象概念の方法概念への運動を借りた。構成前の対象は構成された対象となると云った。研究の対象学問の内容となった。今この対象概念のこの運動を徹底すれば、――その過程は方法に就いてのアナロギーによって明らかにされるであろう――、対象は遂には方法の規定となって現われなければならない筈である。今迄は実践的に行なわれる研究の対象であった対象が、其の本来の地盤を離れて学問内容となり、更に学問の方法的規定に変化するであろう。かくして対象概念は次第に稀薄となり遂に方法概念にまで運動する。この運動の経過する範疇は全く方法の場合に於ける三つの兵站――研究方法・学問構成・対象規定――に平行することはそうありそうなことである。第一の場合――研究の対象――は、例えば生物学の研究対象は生物であるという意味の、対象の観念によって代表される。吾々は生物学的な専門的研究によって教えられることなくしても何を生物として取り扱うかを大体は知ることが出来るであろう。云うならば夫は凡そ動物又は植物と呼ばれる一切の生命ある物を含むものと考えられる。生命あるものとは何かと尋ねる時、古典的常識は例えば営養を摂取するものと答えるであろう。生物学の研究の対象を生物として、又星学研究の対象を天体として、吾々は容易に云い解くことが出来る。この容易さはその対象が一つの常識概念として、学問的研究を俟つまでもなく、学問構成以前に於て存在することを意味するのに他ならない。構成以前とは研究以前の、即ち常識的な、存在を意味するであろう。尤も人々は常識と学問的研究との間に漸次の移り行きを認めることによって、この構成の前後が一つの概略的区別に過ぎないと云うかも知れない。そうすればこの区別は要するに程度の差であって、云わば同じ色の連続スペクトルの任意の二点を偶々私が異る二つの色として指摘したようなことになるかも知れない。そしてそのような偶然の区別は表象散漫によって同一とも異るものとも考えられそうである。――実際又弁証法的諸段階にあっては吾々はそのような不精確さに少なからず出逢うであろう。併しながら常識から学問的知識への移り行きは決して漸次の概念によっては尽されない。常識はそれ自身の尺度を持ち学問的知識はそれ自身の別の尺度を有つ。恰も世論がアカデミーの理論とは別な勢力を持つように、街頭と研究室とは別な社会的存在として現われる性質を持っていることは事実である。二つのものは全くその原理を――出発を――異にする。一から出発してそのまま他へ到着することは出来ない。吾々は常識から出発し――何となれば如何なる人も Dasein としてはまず第一に常識者であるから――、そして若し彼が学者であるならば、一つの転換によって学問研究に向わねばならぬであろう。この転換以後に発生した学問的概念ではなくして、正にそれ以前にすでに吾々が持っていた常識概念が研究の対象となるならば、それが構成以前の対象概念なのである。構成の前後は転換の鋭角によって折目づけられた二つの分野であるであろう。構成以前の対象概念――研究の対象――は研究すべく与えられたる常識概念に於てその実例を見出すと考えられる。一般に博物学的研究の対象は之ではないであろうか**
* アリストテレス(De Anima, 413 a 30)はそう云っている。
** 生物学が物理的化学的精密科学に還元されそうに見えながら、何故還元され得ないかに就いて、その存在論的根柢はかく解釈されることが出来ると思う。Vitalismus の成否は実証家によって決定されるべきであるが、少くともこの思想が何故発生しなければならないかという必然性は茲に理解されるであろう。

 第二は構成以後の対象概念の場合である。対象はもはや研究の対象ではなくして、研究されたる――学問の――内容となる。吾々は例えば物理学に於てその代表者を見出すであろう。生物学の対象が生物であったに対して物理学の対象は何であるであろうか。それは天体でも地球でもない。そこにあるものは天体の物理学、地球の物理学に過ぎない。物理学の対象は特定の此又は彼という具体的な常識概念ではなくして、より一般的な抽象的概念でなければならない。吾々は夫を物体とすら云うことは出来ない。却って物体に於て第一義的に本来属する処の或るものでなければならない。物体の運動或いは静止の、或る原理・或る原因と云われる処の、自然 φ※[#鋭アクセント付きυ、U+1F7B、19-下-2]σι※(ギリシア小文字ファイナルSIGMA、1-6-57) とも云うべきものと考える他はないであろう。この意味に於て物理学の対象は言葉通りに物理である。それは対象と呼ばれるよりも寧ろ、キルヒホフの言葉に従って或る意味での現象と呼ばれて好いような規定を持つ或るものである(人々は物理現象という言葉は好むであろう。併し誰も動物現象とは云わないに違いない)。それは学問的に構成される以前は、或るものと呼ぶ外は実は呼びようのない或るものである。その意味に於て之は到底第一の場合の常識概念ではない。物理学の内容にまで構成されて初めて、自然とも物理現象とも名づけられることが出来、又その名が何を指し示すかを吾々が実質に於て覚ることが出来るような、そのようなものが物理学の対象なのである。之は物理学の内容として物理学的方法によって規定された対象であり、決して其の儘吾々が常識的に出逢う対象ではないからこそ、却って吾々は任意の常識概念の或る一面をとり出して常に之を物理学の対象とすることが出来る訳である。かくして同一の常識概念は例えば生物学の対象とも考えられると同時に又物理学の夫とも考えられる理由が出て来るのである。其の故は後者が構成された対象であり、又その意味に於て抽象の産物であり、一般的であるからに他ならない。物理学が何故自然科学の根柢となることが出来、又何故自然科学の理想的典型として王位に就けられるのを慣わしとするかは、之によって半ば必然的である**。第二の場合の――学問内容としての――対象概念は、物理学に於てその一つの実例を見出すと云うことが出来る。
* アリストテレス、Physica, 192 b 21―23 参照。
** 第二の場合に属する科学は無論物理学だけではない。それにも拘らず物理学だけがこの名誉を担う。その必然性は自然概念の解釈を之に加えることによって完全に与えられるであろう――後を見よ。今の場合だけではこの必然性は半ばを出ない。

 対象が方法の規定となって現われる第三の場合は、再び相対性理論によって与えられると思われる。物理学は座標を現象記載の手段として用いる。一切の自然現象は数量として計量され、数量は空間量として測定され、そして空間量は座標に於て観測される。座標は物理学一般にとって窮極の手段である。そしてかかる窮極の手段は或る意味に於て方法でなければならない。何となれば物理学は之によって初めて学問として構成されるのであり、この学問構成こそは方法を取り扱った第二の場合に相当する学問の方法に他ならないからである。処が相対性理論に従えば、かかる座標系はそれ自身一つの世界を組み立てるのであって、その座標系の軸の変換乃至は曲率の変更、又は測度の置換は、種々なる物理的ポテンシャルとして解釈されるものと説かれる。そして恰も重力・電磁気ポテンシャルこそ物理学の対象でなければならない。それ故茲に於ける座標空間はもはや単に方法ではなくして対象でなければならないように見えるであろう。併し物理的空間はあくまで方法であることを已めることが出来ない。もしそうでなければ物理学者は測定や観測の地盤を有たない処の、通路なき空間の一つの形而上学的変態に面接しなければならなくなるであろうから。物理的空間は元来方法概念として成り立ったものに外ならない。而もそれに於て対象概念が発見されるのである。かくてこの場合に於て対象と考えられたものは実は方法の規定に外ならないことが約束されている。対象は研究の対象としての地盤を離れて運動し却って方法に於て自己を見出す。始め物理的構成を経ない間は物理学的研究の対象と見えた自然の空間的存在は、物理学的構成の極点に於て、方法としての空間――座標――として現われたであろう。この方法がなお矢張り対象の名に値いする理由をば私は今説明した処である。
 方法概念の運動に平行して対象概念の運動を跡づけることが出来ることはかくして――尤も私は簡単に書くためにアナロギーに頼ったのであるが、――存在論的に理解される筈である。学問の性格をその対象に於て見出し、従って之に依って例えば学問の分類を企てることが、如何に必然的であるかは又、今まで述べて来た処から明らかであるに違いない。

 方法は対象を決定し、同じく対象は又方法を決定した。そして方法概念は対象概念にまで運動し、同じく対象概念は方法概念にまで運動した。方法・対象の構造に於て、たとい両者が同一の役割を演じないまでも、少なくも両者は同じ程度の資格を有っていなければならないように見えた筈である。今もし学問というものがこの方法・対象の構造に於て明らかにされるものであるとするならば――多分人々は之に反対はしないであろう――、学問の構造に於て方法と対象とは同じ程度の権利に与らなければならないように見える筈である。実際吾々が既に見た通り、学問は方法によってその性格を理解されると考えられると共に、又同じく対象によってもその性格を理解され得るものと考えられる。前者は科学論の名の下に、後者は学問の分類の名の下に、それぞれの必然性を有った。処がそれにも拘らず人々は学問を性格づけるのに、対象に依ってするよりも方法によってする方を、学問の性格それ自身により適わしいと思うに違いない。それは何故であるのか。私は最後にその必然性を理解しておく義務がある。
 人々は直ちに云うであろう。吾々はすでに方法が吾々の側にぞくするのを見た。そして学問も亦吾々の産んだ仕事である。故にこの吾々という概念を媒介とするならば、学問に固有な契機は対象ではなくして明らかに方法である他はない。其は至極当然ではないかと。けれども人々はかく主張することによって一つの同語反覆をなして居るに過ぎないことを注意する必要がある。学問はどのような意味に於て吾々の産んだ仕事であるのか。それは吾々が方法によって学問を構成すると考えられるからである。この場合それ故学問は方法と同一視されている。方法の性格は無論方法である。又或る人々は学問と真理とを等値する事によって次のように云うかも知れない。真理は吾々が構成したものである、それ故この吾々を媒介として学問は独特な仕方で方法に結び付く筈ではないかと。学問が真理と等値されるという言葉自身を吾々は承認してよいであろう。学問は真理の体系と考えられるであろうからである。けれども真理が吾々によって構成されたものであるとは何を意味するか。恐らくこの構成の原理は所謂普遍妥当性を意味するであろう。即ち「先天的総合判断の可能性」がそれであるであろう。もしそうであるとすれば、主観によって総合された判断が如何にして客観性を有つことが出来るか、という問いをこれは意味する。この時、所謂吾々は主観に他ならない。処が方法が吾々にぞくすと云った場合の吾々が決して主観であってはならないことを私は特に指摘しておいた。従って人々の推論は四個の名辞によらねばならなくなる。のみならず普遍妥当性が独立化せられて規範となり、規範概念が題目となって独立化して価値概念となる時、其は主観とさえ絶縁した客観となって了うであろう。かくて人々は見せかけの媒語をすら失う。それであるから学問に於て特に方法が重大に見える理由は、学問が吾々にぞくするからではない。そうではなくして已に方法が対象に対して何かの優越を示し得るからであるに違いない。処が方法と対象とは今まで述べた限りに於ては平等であるように見えた。この撞着をどう解くか。
 対象・方法の関係は交渉的存在に於てあった。両者は従って共に存在である。処が方法は特有な存在――吾々――にぞくした。もし方法が対象に対する優越を有つとすればそれはただこの点にのみあることが出来るに相違ない。そこで人々は云うであろう。自我は存在の根柢である、それ故この自我にぞくする方法は当然非我にぞくする対象を優越すると。けれどもこのような形而上学的存在が吾々ではなかった筈である。自我が非我に対すると同じに吾々は存在に対するかも知れない。けれども吾々が存在の根柢であるのではなかった。併しながら何故人々は自我を存在の根柢と考えたのであるか。自我が一つの実践概念であるからである(吾々はフィヒテを思い起こせばよい)。そしてこの点に於て吾々という概念も自我という概念と同じ使命を帯びて要求された概念でなければならない。何となれば吾々と存在との交渉は正に一つの実践概念に外ならないからである。かくて交渉的存在のこの実践性を代表し得るものは吾々である。言葉を換えて云うならば、対象・方法の関係を代表するものは方法でなければならない。方法の優位はその実践的優越にあることとなる。疑問はかくして解かれた。単に理論的には方法も対象と平等である。併し実践的には方法が代表的な位置を占めるものとして理解される。学問が何故方法によって性格づけられねばならぬと考えられるかは、学問の実践的成立――研究――にまで遡る時初めてその必然性を享けるのである。
 さてこの平凡な結論は一つの説明を含んでいる。方法の問いは、即ち一般に方法論は、実践的動機に於てのみその必然を有つことが出来る、ということが今や明らかとなったであろう。というのは実践的学問態度――研究――によって動機づけられるのでなければ、方法の問題は決して本来の問題として発生して来る理由がないということである。吾々は方法論を如何なる動機に従っても追求することは出来るであろう。単に話柄として掲げられたものとして之を考察することも出来るし、或いは学問の研究に全く無関心でありながらもその学問の方法論を思弁することも出来る。吾々は或る学問を研究する代りに、其の学問の諸々の方法の説だけを比較し按配することも事実出来るであろう。処がこの種類の所謂方法論が如何に不毛であり無力であるかを人々は知っている。併しそれは何故であるのか。吾々の結論は之を説明する。方法の問いは学問実践からのみ発生する。従ってその発生の地盤である実践を遊離した処の方法論は、実は方法を発見しようとする誠意を欠いた一つの閑話である他はない。この種類の営みは方法なき研究がそうあると同じ程度に、浪費の危険に曝されるであろう。方法の問題は実践的課題である。方法・対象の関係が方法・対象の対立の単なる総合というような視角に於て見ることが許されず、特に存在論的構造から基づけられなければならなかった所以が之である。そして生活に於て方法が根柢に働いていると云った私の最初の言葉は之に基いて理解されるであろう。
 方法概念の分析は、今や、理論的視角から、実践的視角に移る。
[#改丁]

方法概念の分析(その二)


第三部


 方法の問題は実践的課題である。吾々が学問を――今は問題を学問の範囲に限っている――実際的に、即ち単なる関心なき一つの既成の存在としてではなく、吾々自身が現実的に交渉を有とうと欲する処の一つの営みとして、遂行しようとする時、初めて方法の問題は発生する。このような動機から発生しないこの同じ問題は、実は真面目に相手にされるだけの誠実を有つものではないであろう。たといそれを論じる論調と論構とが、どれ程荘重であろうとも、尤もらしさを真実から区別する必要に常々迫られている人々にとっては、之は一つの虚偽の他ではないかも知れない。方法の問題は実践的動機に於て成り立つからして、この問題に於て初めて正当に問題となり得る処の方法概念は又、実践的動機を内に含んでいなければならない筈である。単に、方法とは何であるか、に就いての向の理論的な視角に於てさえ、実際吾々がすでに見たように、方法と対象との存在論的交渉として、実践的動機が現われていなければならなかった。
 この実践的動機は、方法が何であるかという理論的な問題から、必然的に、如何にして方法を求めるかという実践的問題を呼び起こさなければならない。というのは吾々が、この動機を溯る時、之が必然であるのである。
 然し、この如何にしてという問いはこの場合、夫々特殊の学問の内容にまで立ち入った考察を要求するものである他はない。という意味は個々の特殊の学問が、その研究の、その概念構成の、その世界形象の、方法をば自分自身によって決定する他はないのである。方法概念の分析を目的としている吾々は、無論、これ等特殊学問の夫々の成果と計画と傾向とを手懸りとして、方法概念に肉を与え、それによって分析をより現実的にすることは出来る。けれども之を実際に遂行しようとするならば、それはとりも直さず夫々特殊の学問の研究を遂行することと一つであるであろう。吾々は方法概念の分析という課題と、学問研究という課題とを、課題としては区別しなければならない。そうすれば私は方法に就いて今の如何にしてという問いを、正当な権利を以て一応回避することが出来る筈である。もし之を回避せずに強いてこの問題を取り上げるならば、吾々の云うべき言葉は至極普遍的な従って又甚だ抽象的な、幾つかの格率であるであろう。方法は対象に固有であるように求めよ、方法は普遍的であるように択べ、方法は手法を襲踏せずして批判的であるように求めよ、等々。これらの格率は恰も形式的な道徳的格率がそうあるように、等しく又高貴なものではあろう、けれども事実上、現実に対して何かの力を有たないならば――たとい有つべきにしても――之は無用な容喙に過ぎないであろう。吾々は之を通り越して、より根本的に動機を溯って見なければならない。
* 形式論理学に於ける研究法や統制法が、之を産み出した必然性を離れて(例えばベーコンの精神を離れて)既に与えられた既成のものとして理解される時、このような批難が或いは当て嵌まるであろう。ベーコンにとって、その研究法(ars inveniendi)は新しきものの発見を使命としている。


 学問に於ける方法概念の動機――それは実践的である――の最も根本な源は、学問に於て方法が何故求められねばならないか、にある。方法が何であるかとか、如何にして求められるかではなくして、何故に求められねばならないか、である。無論学問に於て方法が何かの理由によって必要であればこそ方法が実践的に要求されるのである筈であるが、その理由は何か。この問いに向って、この動機の溯源が吾々を導いて来る。そして之に対する答えは一応すでに明らかである。学問はその対象を研究するためには是非とも方法によらなければならない、方法とは対象に至る道であった。言葉を換えて云うならば、学問が学問であろうためには是非とも方法を求めなければならないのである。そして学問――この概念は普通知識又は学殖として理解せられる――が学問であろうための、その威厳が要求する処のものを云い表わすもの、之を吾々は一応学問から区別して、特に学問性科学性)という概念を以て呼ぶことが出来る。学問性とはそのような要求を云い現わし従ってその限りこの要求によって要求される必要なるものの成立の動機となることが出来る概念である(常に概念は動機づけられたものであると同時に要求されたものである、この意味に於て概念は常に理念であるということが出来る)。そして学問性という概念・理念のもつこの要求によって必要とされ、この動機によって動機づけられたものが、正に方法概念なのである。故に方法概念成立の実践的動機は正に学問性の概念に在らねばならない。方法概念の分析は、根本に於て(即ちその実践的動機に於て)、学問性概念の分析であるのである。――之が吾々の方法概念分析の課題の最後の形態となるであろう。
 吾々は今学問が何であるかをさし当りの問題にしようとは思わない、そうではなくして学問とは一応区別されたる、学問をして学問であらしめる処の学問の在り方(Wesenheit)――学問性――だけを分析して見れば充分である。それであるから例えば学問は諸々の概念の分類と結合とである、というような立ち入った説明は今の吾々の問題には直接に関わりを持たない。又学問が何を求め何を研究するかということ、例えばそれは事物の原因・原理を研究するというような主張も之を顧みる必要はさし当りない**。吾々が今必要とする処のものは、このような原因、このような原理が、どういう条件に於て求められ研究される時に、その追求なり研究なりが学問的となるかという、その条件なのである。そして学問性が何であるかはおのずから学問が何であるかをも明らかにする出発であるであろう。
* プラトンはその学問――ディアレクティケー――を処々に於てほぼこのように述べている(その代表的なものは例えば『ソフィステース』235 D)。
** アリストテレスにとって学問は原因と原理との追求に他ならない(例えば『形而上学』982 a)。

 さて学問性は、例えば第一に事物が知覚されるということを其の条件とはしない。何となれば学問性は少くとも物の異同を弁ずる働きに依らなければならないであろうが、之を弁ずるものは知覚に固有な夫々の感官であることは出来ない。凡そ吾々が物に就いてその異同を弁じ之によって或る一個の意見――それは常識的である――を有つことは、個々の感官の働きではなくして、云うならば心の働きでなければならないであろう。そこでこの心の働きである意見(ドクサ)は学問性の条件となることが出来るのであるか。少くとも虚偽な意見は之に耐えることが出来ない、ただ正しき意見だけが之に耐え得るように見える。併し又正しき意見も直ちに真の知識を齎すことは出来ない、人々はみずから目撃したことのないものに就いても、ただ他の人々から聞き教えられた処に基いて、一つの意見を而も正しき一つの意見を有つことが出来るであろう、けれどもその正しき意見が真の知識であることが保証されているとは限らない。処が学問性は無論真の知識の一つの性質でなければならないであろう。そこで学問性の条件は単に正しき意見ではなくして、その意見が何故正しいかを語り説明することが出来るのを必要とする。それは今やロゴスによる――説明し得る――正しき意見であるように見える(但し説明とはこの場合理由を語ることを指す)。
* プラトンの『テアイテートス』は続けて述べる、説明し得る正しき意見もまだ真の知識と云うことが出来ないと。けれども私は茲に止ることを有利と考える。プラトンに於てと異って、吾々の問題は、真知識を問うのではなくして学問性を問うのであったから。

 今得た結果から仮に二つのさし当り不必要な規定を除くことが便利である。第一は知識に関する規定である。何となれば知識(又学殖)なるものは単に、学問という概念が帰着し又は結び付く概念、と考えられたのであったが、吾々は今之とは一応区別された処の、学問性の規定を求めていたのであるから。故にこの知識を規定する処の意見という規定はまず第一に除かれることが好ましい。第二に除かれるべきは真理に関わる規定である。何となれば学問性の分析を進めて行った結果、初めて真理の概念に出逢うことがあるにしても、――そしてそれは必然的であるであろう――、この概念との交渉を始めから決定しておく必要は吾々にはないから。それ故この真理概念に属する正しさの規定も亦省かれねばならない。かくて今さし当り学問性の規定として残されるものは説明し得るという夫である。この規定が、アリストテレスの『形而上学』の始めに指摘されている処の、教え得るという学問性の規定と直接に関連し得ることを、吾々は見逃すことが出来ない。
 教え得る(従って又学び得る)という学問性の規定――教導性――は様々に解釈出来るであろう。吾々は少くとも二つの場合を区別することが出来ると思う。学問が学問である以上或る人が築き上げた学問は他の或る人によって伝承されることが出来るというのがその一つである。というのは、成る程他人の業績をそのまま無批判に受けとることはどのような場合にも許されないが、併しそれが学問を有つからには、他人のその労作を一つ一つ実地に繰り返さなくても、自分にとって信頼すべき確実な遺産としてそれを所有することが出来、又は他の視角に於て他人の功績或いは失敗を再び繰り返す無用を節約することが出来、従ってこれを基礎として自分の研究を進めることが出来る筈である、というのが第一の場合である。茲にあるものは伝習の可能性である。――之を伝承性と呼ぶこととしよう。之に対して第二は、学問が学問である以上、まだその学問の語る理論に到達していない処の人々(尤もあまりにそれから距たっているものは別として)をして、之に通達せしめる通路を示し、之へ誘導し得る筈である、という場合である。ここにある問題は素養ある他人が、之に付いて来ることが出来るか否か、即ち異議と曖昧に出逢わずに歩むことが出来るか否か、である。――之を誘導性と呼ぼう。伝承性と誘導性、この二つの場合は、決して同じではないであろう。何となれば第一の意味に於て教え得るものは必ず第二の意味に於ても亦教え得るものでなければならないが、併し、その逆は必ずしも成り立たないからである。この意味に於て例えば哲学は学び得ないという言葉は意味を有つと考えられる。何となれば哲学は誘導され得るが、併し伝承され得ないという関係を、その言葉は語ろうとしているのだから。
 伝承性としての教導性と誘導性としての夫とは、一応このようにして区別されることが出来ると思う。但し後者は前者よりも一般的であったから、学問性のもつ教導性として、場合によっては、誘導性のみを理解しても差閊えないであろう。そこで人々はこう云うかも知れない、このような意味で――誘導性という意味で――教え得るという性質は必ずしも学問に固有であるのではない。芸術も(絵画でさえも)或る意味に於て、但し無論第一の意味でではなくして第二の意味に於て、教え得られるではないか、と。というのは、どのような芸術作品も観照者をしてその作品そのものの理解にまで通達せしめる通路を用意するのを怠ることは許されないのであって、この通路に或る意味に於ける異議と曖昧――其は学問の場合の夫とは異って好い――とが横たわっているのであっては、その作品はそれだけ完成を欠いていると考えられねばならないからである。処が吾々はそのような故障をとり除くために、恰もかの説明し得るという規定を思い出す必要がある。学問性の有つ教導性は、言葉を以って説明することによって理由を与え得る、というそれでなければならない。之に反して例えば芸術の教導性は決してこのような説明を与えるものであってはならない筈であろう。そしてアリストテレスによれば、教え得るということはただ聞き得るという条件に於てのみ結果するのである、聞き得るとはこの場合無論言葉をであって単なる音をではない。故に教え得るとは今の場合、向の意味に於て、説明し得るという事に他ならないのである。芥子が眠りを、梟が賢さを、何かの意味で説明するとは云っても、何より先にそれは言葉による説明ではない。詩の言葉と雖も説明するものである筈はない。そして神話に於ける言葉でさえ、説話ではあっても多くまだ説明ではない、――説明は理由を語ることであった、そして神話は多く理由の代りに伝説を語るものだからである。併し吾々は何も、この教え得る(説明し得る)という規定を以て学問性を定義しようとするのではない。云い換えるならばこの規定によって学問性を規定し尽そうとするのではない。そのようなことは不可能であるであろう。ただ吾々はこの性質を以て学問性の最初の一つの規定としようと云うまでである。であるから、たといこの規定が学問性全体を蔽うのでなくても、少くとも、この規定が学問以外のものにぞくさないことが明らかとなるならば、それで充分なのである。さてこのような意味に於て、そしてただ今云った意味に於てのみ、学問性はまず第一に教え得ること――教導性――である。
* 伝説と理由とを近づける時、神話性と学問性とは見分け難くなる。そして実際そのような場合を吾々はプラトンに於て、特に『ティマイオス』に於て、有つ。蓋し様々な意味に於て、神話は学問と密接な関係にあるであろう。

 学問性の有つ教導性は、学問の有つ公共性の一つの保証の他ではない。何となれば、教導性とはたとえば学問の教育を説くために指摘された規定であるのではなくして、実は、学問が学問であるためには、個人的人格の内面性を踏み越えることが出来なければならぬという、学問の公共性を説くために採用された規定であるからである。事実、学問に於ては特に、独り好がりを人々は最も悪むであろう。公共性を有たない或る人の理論的労作は、たとい其の人によってどのように価値高く空想されようとも、それであるからと云って学問性を有つことが出来るのではない。従ってそれは厳正な意味に於ける学問の名に値いすることは出来ないと考えられる。今、公共性とは普遍的通用を意味する。併しそれは学問が事実に於て通用し、又は統計上概して通用し、或いは又公算上恐らく通用するであろう、と云うのではない。そうではなくして原則に於て普遍的に通用する筈のものであり、又普遍的に通用して然るべき資格を有つものであることを、それは意味する。学問性を有つが故に却って事実上普遍的に通用せず、学問性を欠くが故に却って事実上一般に学問らしいものとして通用するような、そのような場合を人々は知っているであろう。さてこのような原理的な――単に事実的なものとは異る――公共性を人々は普遍妥当性と呼んでいる。そしてそのような人々は又之を以て学問性の規定と見做しているのである。故に教導性の概念が所謂普遍妥当性の古典的な云い表わし方に相当する一面を有つと云うならば、この言葉は許されるであろう。かくて学問性は普遍妥当性として――但し無論向に規定した通りの教導性に相当する学問に固有な普遍妥当性として――一層確実に規定されることが出来た。
 学問性が普遍妥当性であるという言葉は、恐らく人々が好んで用い安んじて使っている処のものであろう。学問性が普遍妥当性であるから、それであるから――その人達はこの時すでにこう推論することのみを用意している――学問性は当為であり規範であり真理価値に関する、と。併し普遍妥当性の概念をこのように形式的に――この概念が単に概念として有つ観念性だけに注意しながらその概念が更に事態として有つ事態性を忘れて――取り扱う前に、吾々はそれよりも先に、どのような普遍妥当性が普遍妥当性と呼ばれているのかを見る必要が、今の場合あるのである。何が普遍妥当性という概念であるかよりも先に、普遍妥当性と云う概念は如何なる事態を指しているのかを見る必要がある。之を怠る時折角の普遍妥当性も内容を顧ないという意味に於て形式的概念に過ぎなくなって了う。実際人々はこのような形式主義に陥っていることが少なくないであろう、往々にして人々は、普遍妥当性が現実にとなって現われているかを顧みずしてこの概念に安んじている場合が多いであろう。処で吾々の普遍妥当性は形式的概念であることに安んじない、それは現実的内容を持つべきである(但し、この現実的内容とは向のかの事実上の普遍妥当ではない。原理的な概念の現実的内容は又依然として原理的でなければならない)。――教導性が恰もこの現実的内容であった。故に所謂普遍妥当性は一つの形式的な夫であり、ただ教導性のみが内容的な普遍妥当性概念であるのである。そこで今や云うことが出来る、学問性とは、内容的な普遍妥当性概念としての、教導性に外ならないと。
 処が更に、教導性――内容的普遍妥当性――は、学問性のまだ抽象的な規定に過ぎないことを注意しなければならない。尤も其が学問性を完全には規定し尽し得ないからと云ってそう云うのではない。そうではなくして寧ろ教導性概念それ自身の立場から云ってこの規定が抽象的なのである。というのは、教導性の概念は別に如何にして教導性を獲得するかというそれ自身に就いての顧慮を含んだ概念ではないからである。凡そ或る概念を分析する場合、それが観念的に有つ規定ばかりではなく、又それが実践的にもつ規定をも指摘しなければならないとすれば、学問性の概念――それが今は教導性であった――に於て、この教導性概念は学問性の(即ち又教導性自身の)観念的規定のみを指摘するに過ぎないと云うのである。何故そう考えられるかを私は他の概念を借りて明らかにしよう。法概念は人々が常に絶対的にそれに服従すべき筈の規定を持つものと思われる。もし人々が之に服従しないと仮定するならばもはやその概念が成り立たないようなそのような概念で法はあるのである。之は無論之だけとして何の謬りも含みはしないであろう。之が法概念の観念的規定である。処が吾々はこのような云わば自然法概念に対して又、法の歴史的概念を持っているであろう。歴史的法概念に対しては、観念的法概念は必ずしも自分の規定をそのまま強制することを得ないと考えなければならない理由がある。却って何かの非合法的な行為によって――而も法の・正義の・概念それ自身の名に於て――法が歴史的に変革して来たことは事実である。それ故法に対して実践的に取引をしよう――それが法の歴史を成すのである――とする時、事実人々は法の観念的規定だけからは多くを期待出来ないであろう。法の観念的規定はすでに成立せるものとしての、又はその成立の如何を問題にしない理念としての、法を説明することは出来る。併し別に如何にして或る法を獲得すべきかという――而も法概念それ自身に就いての――実践への顧慮を含んだ規定ではないのであるから。このようにして法概念に於て観念的規定実践的現実的規定との対立を分析することが出来ると思われる。そして観念的規定は実践への特殊の顧慮をその内に含まぬ点に於て抽象的であるのである。概念分析の一例として挙げた上の場合はそのまま教導性の概念にも当て嵌まらなければならない。教導性は学問性が何であるかを説明する、そしてその説明はそれだけとしては正しい。けれどもこの概念は別に如何にしてその概念自身を実践的に実現するか――如何にして教導性を獲得するか――ということに関する顧慮を含んだ規定では決してない。教導性はそれ故学問性の観念的規定に外ならない、それは従ってこの意味に於て抽象的規定に過ぎないと云うのである。さて、学問性の(又教導性の)具体的(現実的)規定――それは実践への顧慮を計上した規定である――として吾々は何を持っているか。
 それに先立って一つの説明を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)むに好い機会である。学問性を単に教導性又は普遍妥当性として理解すること――学問性の観念的規定を主張すること――は、それ自身に於ては正しい、これは今説明された。処がそれに止るということは、正しい出発をしながらも、やがて謬った帰結を導き入れる結果となるであろう。学問が吾々の実践に関わることなくして何か観念的に規定し得られる存在であるかのような主張を、それは帰結しないとも限らない。その時これは学問性の実践的規定を排斥することに他ならない。処がこの実践的規定の排斥観念的規定の主張とは全く別である。後者は具体性の単なる欠乏(Privatum)である、之に反して前者は具体性の否定である。後者の抽象性は具体性への進展を拒みはしない――それであればこそ吾々は学問性の分析に於て安んじて之を通過することが出来たのである。然るに前者の抽象性は進展を拒んで安住を、逃避と籠城とを欲する。両者はそれであるのに往々にして混同され易いのを人々は知っているであろう
* プラグマチズムが既成の真理概念――普遍妥当性がその代表的なものである――に対して与える攻撃は恰もこの混同に対するものとして解釈される時、初めて正当に理解出来る。真理が例えば普遍妥当性であるという或る範囲の論理主義者の主張を、実は誰も非難しようとするのでないであろう。ただプラグマチズムはそのような論理主義者が、安住と逃避と籠城との動機に従って語っているのを見破っているに他ならない。

 さて今、学問性の実践的規定を求めることが吾々の目的となった。そして元来吾々は方法概念から学問概念への推移の動機として已にこの実践性を持ったのであった。
 学問性――それは今迄の処教導性である――が誘導性と伝承性とに区別されたのを思い出そう。前者は一定の学問が自分への通路を人々に与えてこれを誘導し得るという学問性の規定であり、後者は一定の学問が人々に伝承され研究の基礎となることが出来るという学問性の規定であった。そこで問題は、このような二つの規定――それはまだ抽象的・観念的な規定であった――に相当する現実的・実践的な規定は何であるか、である。というのは取りも直さずこうである、一方に於て如何にすれば誘導的となり得るかという説明を含んだ一つの新しい学問概念を、他方に於て如何にすれば伝承的となり得るかという説明を含んだも一つの夫を、求めることである。そして一方に於てそれは手続きの概念であり、他方に於てそれは成果の概念であるであろう。何となれば手続きを経て誘導することによってこそ学問の誘導は実現され、成果を伝承することによってこそ学問の伝承は実際的となり得るからである。――さて人々は学問に於て、この手続き方法と呼び、この成果体系と名づけている。故に方法体系とが、求められたる学問性の実践的規定に外ならない。――かくて吾々は、学問性の視野に於て、再び方法概念を取り上げ、之を体系概念に対せしめて見直すこととなるのである。
 嘗て学問の性格を云い表わすものとして、方法は対象に対立した。今や学問性の規定として、それは体系に対立する。単に学問の性格を云い表わすと云われるに止らずして、方法は(又体系は)今や更に学問性そのものの規定であるのである。というのは、学問性が今や一方に於て方法であり、他方に於て体系であるのである。かくて学問は一方に於て方法として――手続きとして――、他方に於て体系として――成果として――成立する。学問の学問性は一方に於ては方法によって、他方に於ては体系によって、初めて保証される。さて今、学問性の分析を借りることによって、方法概念は自分自身の根柢に向って云わば垂直に運動して行ったのを人々は見ないであろうか。これは嘗て方法が対象に向って行った運動とは明らかに区別されなければならない運動――恐らく落着又は上昇――である。前の場合の云わば水平運動に対して之は云わば垂直運動であるであろう。そしてこの垂直軸の新しい一点を原点とする水平面に現われるものが体系の概念に他ならない。この新しい水平面に於けるこの二つの概念相互の運動を、吾々は今見よう
* 方法対象との関係が最もよく意識されるのは科学に就いての場合である。之に反して方法体系との関係が意識されるのは重に哲学――哲学と科学の区別は後を見よ――に於てであることを注意しよう。であるから吾々はこの章に於て、哲学を頭に置くことが便宜である。

 人々が茲で方法と呼ぶ処のものは手続きであった、そして手続きは誘導性の実行を説明する概念であった。誘導性とは理論の連続に於て異議と曖昧とに出会わずして理論に通達し得ることを意味した。この意味に於て夫は理論的に無理なきこと――併し之は習俗的な尤もらしさから厳重に区別されねばならぬ――を意味した。そして間隙又は飛躍の無いこと従って綿密であることは、ただこの意味に於てのみ誘導性を保証するものである。それ故人は今や云うことが出来る、学問性は綿密なる――但し今の意味に於て綿密なる――方法(手続き)によって初めて保証されることが出来る、と。事実人々は或る理論が妥当であるか否か――即ち学問性を有つか否か――を見るために、まずその方法(手続き)が綿密であるか否かを検べるのを常とするであろう。全く始めから誘導的であることを心がけない理論は無論のこと、たといそうあることを心がけたものであってもまだ充分に綿密でない理論は、それだけ学問性を低く評価されるのが常であるであろう。かくて方法(手続き)の概念は第一に或る理論が綿密であるか無いかを云い表わす。繰り返して云おう、異議と曖昧とに出会うことなくして或る理論を追跡することが出来るか否か――誘導性を有つか否か――、之を示すものが方法(手続き)の概念でまずあるのである。
 処が、方法(手続き)の綿密さの概念は、単に誘導性の綿密さばかりを云い表わすとは限らない、ということを注意しなければならない。その意味はこうである。学問の手続きが充分に綿密であるためには、その学問を理論する個人が単独に道づけた理論――それは無論事物それ自身に即した理論であるべきではあるが――だけでは、まだ往々にして不充分でありはしないかを人々は恐れるであろう。彼は何物かを見逃し又は気付かぬ誤りを犯しはせぬかを人々は疑うに違いない。茲に人々は文献を要求する。学問の手続きは文献の跋渉を怠ることを許さない。処で文献を無視することが異議と曖昧との可能性を暗示すると想像される限り、なる程文献の有る無しは誘導性の有無を決定すると考えられる、が併し文献のより本来の性質は、如何にして或る学問を伝承するかという伝承性の問題に係わっているのでなければならないであろう。そうすれば文献は、従って文献を計上して初めて許される綿密さは、もはや誘導性と本来の関係があるのではないということが判る。であるから方法(手続き)の綿密さは必ずしも誘導性のそれではない。――この綿密さは伝承性のそれでもなければならないのである。事実、学問の方法(手続き)は文献の跋渉にあると考えられ得るが、その文献はもはや学問の誘導性――それから吾々は手続き(方法)の概念を導いた――の保証を本来の性質とするのではない。そうではなくして正に学問の伝承性を保証することをその使命とするものである。文献は先駆者が残した成果を他にして何ものでもない。そして一旦この成果という概念に到着するならば、人々がやがて直ぐさま体系概念へ運ばれねばならないことは最も自然であった――前を見よ。吾々はであるから次のことを明らかにすることが出来た。始め体系(成果)と単に対立していた方法(手続き)の概念は、今や――文献概念が之を媒介することによって――この体系(成果)の概念との交通路を見出した、ということ。方法(手続き)はもはや理論の単なる誘導性のみを意味することは出来ない、それは之を離れて体系(成果)に向う virtual velocity を有つ処の何物かを意味しなければならないことが明らかとなった。そしてこのことは決して偶然ではなかったであろう、何となれば元来方法概念も体系概念も、同じ教導性概念の二つの規定――誘導性と伝承性と――から導かれたのであったから。
 併し私は文献概念をよりよく注意する必要を有つ。文献は先駆者の成果であった。そこで先駆者の取った方法手続きそれ自身が一つの成果として文献の内容になることはあり得ないか。もし方法(手続き)が理論の単なる誘導性のみを意味するならば、仮にそのような方法(手続き)を成果として伝承したにしても、それは高々理論の鋭さや奥行きを知り又は讃え得るだけであるから、それが文献の内容となるという言葉は云い過ぎであるかも知れない。処が吾々は今、方法(手続き)が理論の単なる誘導性に止ることの出来ない理由を指摘しておいた。それが文献の内容となり得ないという理由は従って見当らない。そして実際、方法(手続き)概念は或る特殊の変更を経ることによって文献の内容となることが出来る。何となれば、先駆者の理論の着眼は、出発の仕方は、問題提出法は、問題の取扱いは、一口で云うならば、その考え方は、吾々が文献に於て――例えば古典という成果として――伝承し得る処のものだからである。この理論の手続きは寧ろ理論の考え方と呼ばれるに応わしいであろう。そうすれば方法概念も亦――それは手続きであった――考え方の概念となる。そこで吾々は便宜のため考え方としての方法を手続きとしての方法から区別することが出来る、後者は理論の単なる誘導性を、之に反して前者は理論の誘導性以上の何ものかを説明する概念である。
 さて吾々は手続き――それは理論の誘導性を説明する――としての方法概念と、之から区別された処の考え方としての方法概念とを得た。前者――それは今まで已に吾々に知られていた――がどのようにして後者へ運動し得たかを重ねて述べる必要はもはやないであろう。
 手続きから考え方への方法概念のこの運動は何を意味するか。併し考え方とは何であったか。最も直接にはそれは着眼である、着眼は出発の仕方を規定する、出発の仕方は問題の提出の仕方に他ならない。一定の仕方に於て問題が提出される時、その問題の先々の取扱い方はその原理に於て已に決定されていなければならない。或る意味に於てその問題の解決は予定されているであろう。例えば人間という概念を生物学的に問うならば人間は一つの動物として解決される他はあり得ない。であるから考え方は実は理論の行く先々の整合を已に予定しているのである他はないであろう。併し整合をそれだけ独立に取出して見るならば、それは組織の概念でなければならない。そして組織は一つの体系概念――但し之は此迄の成果としての体系ではない――ではないか。故に、方法概念が行なう筈であった先の運動は、体系概念への運動に外ならなかったのである。事実、考え方としての方法は、予めその考え方が組織立てられた上で、初めて成り立つことが出来るであろう。方法がこの意味に於て常に体系であると考えられるのは必然である。――之は方法概念がそれ自身に於てそれ自身に向う処の運動ではある(手続きよりも考え方の方がより多く方法らしくはないか)、而もそれは同時に方法概念ならぬ体系概念への運動に他ならない。而も之に並行して体系概念は益々それ自身へ向って運動したであろう(成果よりも組織の方がより多く体系らしくはないか)、そしてそれが同時に方法概念への運動に他ならないことを、人々は類推してよい理由がある。事実、体系概念――それは組織である――は、やがて、組織するという一つの方法概念であると考えられるのが常であるであろう。
* 例えば哲学に於て、優れたる体系は常に一つの方法である。何となれば体系とはこの場合、モザイックではなくして組織であるべきだからである。一例としてフィヒテの Tathandlung の体系を取ろう。又優れたる方法は常に一つの体系である。何となれば、方法とはこの場合、一つの落想ではなくして秩序ある考え方であるべきだからである。一例として現代の現象学――それは一つの方法[#下側の右ダブル引用符、U+201E、33-上-10]Zu den Sachen selbst“を意味する――を挙げよう。方法と体系との相互の運動を注意せしめたのは、恐らくヘルマン・コーエンであった。
(方法概念と体系概念との運動が、相互の否定を媒介して初めて起こる処の運動であり、従って両者が弁証法的関係にあること、この意味に於て二つは相反対する概念であること、之を方法・対象の場合に準じて述べる手数を、私は省いて好いと思う。)
 かくて学問性は、一方に於て、前に手続きとしての方法と考えられたに対して、考え方としての方法であり、又他方に於て、前に成果としての体系と考えられたに対して、組織としての体系である。今や学問性とは学問の方法であり又学問の体系である。此の二つの概念は相互に否定し合う筈であったから、或る時は体系概念が、之に反して又或る時は方法概念が、学問性を云い表わすものとして理解されることは必然であるであろう。第一の場合を吾々はヘーゲルに於て見ることが出来る。ヘーゲルにとっては、「知識は学問としてのみ即ち体系としてのみ現実的である。」そして「体系なくして哲学することは少しも学問的であることを得ない。」ヘーゲルの哲学に於て普通人々の注意を惹くものは、寧ろその方法――弁証法――であるのであるが、併し彼自身にとっては学問の学問らしい性格は常に体系に在ると考えられている。何となれば方法とは「内容の内面的自己運動の形式の意識」に外ならないのであって、認識の内容を顧慮する時、「方法自身が、体系にまで拡大する」のだからである**。学問を已に出来上った所有――財――として観照するヘーゲルにとって、方法――これは実践にぞくする――ではなくして体系が、学問性を保証するものとして現われるのは自然である。処が之に反して、第二の場合――方法概念が学問性を云い表わす場合――の実例も亦吾々は持っているであろう。プラグマチズムはその哲学の――寧ろ一般に学問の――学問性を、方法概念に於てのみ認める。プラグマチズムは何か特定の成果を主張するのではなくして「単に方法に外ならない」、「その方法を除いては何等の教義をも持たない」のである。それは「出来上った体系に背を向ける」処にそれの特色を示す***。かくてプラグマチズムに於て、体系概念の直接なる否定に吾々は出逢うであろう。というのは、第一のヘーゲルの場合にあって、体系概念が方法概念を否定したのは、決してこのような直接なる否定によってではなかった。その場合、体系は方法を、学問性から単純に、全く、排斥して了うのではなくして、之を包み込むことによって之を否定するのであった。然るにプラグマチズムに於ては、方法は完全に、純粋に、体系を排斥する。故にプラグマチズムに於て、方法概念は体系概念を完全に優越すると考えられる外はない。ヘーゲルに於ける体系概念は、この意味に於ては完全には方法概念を優越することが出来なかった。
* Hegel, Ph※(ダイエレシス付きA小文字)nomenologie des Geistes(phil., Bibl. S. 16)及び Enzyklop※(ダイエレシス付きA小文字)die(phil., Bibl. S. 47).
** Hegel, Wissenschaft der Logik(phil., Bibl.)1-Teil, S. 35 及び 2-Teil, S. 500.
*** W. James, What Pragmatism means ? 参照。

 体系に対する方法のこのような優越は併しながら、方法概念の分析の内からまだ必然的に導き出されていない。尤も、方法は体系に較べてより実践的な規定を持つから、其の優越は当然ではないか、そう人々は云うであろう。それはそうである。けれども体系概念であっても例えばそれが教導性の実践的規定として見出された時、方法概念の或るものよりもより実践的ではなかったか。それ故問題はこの場合、方法がどのような点に於て体系に較べてより実践的であるかに存在する。もし之を指摘しないでただ実践的であるが故に方法が体系を優越せねばならぬと云うならば、それは方法概念の分析――それはその実践的動機への溯源であった――を恐らく軽薄にするであろう。方法概念は如何なる点に於て、体系概念に較べて、より実践的と考えられるか、従って之を優越するか。――之に答えることが出来るために、吾々は再び学問性の分析へ立ち戻ることが必要である。今の吾々にとっては、方法概念の分析は、学問性の概念の分析を通過することによって初めて与えられる順序に於てあるのであったから。之は方法概念の実践的動機から云って必然であった――始めを見よ。

第四部


 之まで学問性は普遍妥当性として――但し単なる形式的概念としてではなくして内容あるそれとして――即ち教導性として、理解された。従ってそれは一方に於ては手続き考え方である限りの方法として、他方に於ては成果組織である限りの体系として、理解されて来た。此等の諸概念が学問性を規定し得ることを、恐らく誰も疑わないに違いない。併し又それと同時に、これ等諸概念が学問性のもつ可なり皮相な規定に過ぎないことを、誰しも気付かずにはいないであろう。人々は云うことが出来る。学問が学問であるためには、即ち学問性を与えるものとしては、今挙げられた諸規定は、なる程相当重大であろう、それなくしては成程学問性は成り立たないであろう。併し之が中心となって学問性が成り立つのではない。学問に於て学問性が成り立つために必要な前階としてそれが要求されるだけであって、学問そのものの精神は更にその奥に横たわっている、と。真の学問性にとってかかる規定は欠くことの出来ない必要条件であるには違いないが、かかる規定それ自身がすぐ様真の学問性ではない、と考えられるであろう。――吾々は学問性のより根柢的な規定を求める必要に迫られる。
 吾々はそこで、かく問わねばならない。それならばこれ等の諸規定は何のために必要とされるのであるか。かかる学問性――何となれば向の諸規定は正に学問性の夫として見出されたのであったから――は、何故必要であるのかと。かかる問いに対する答えを含む処の学問性は何であるか。――さてこの問いは、学問性が単に何であるか――観念的規定としては教導性であり実践的規定としては方法乃至体系である――ではなくして、学問に於て学問性が何のために要求されるかを問う。学問性概念の動機に溯って学問性の規定を見出すのが今の課題なのである。或る意味に於ける理論的規定を学問性に求めているのでは今はない、そうではなくして或る意味に於ける実践的規定――何の目的のために学問性が学問にとって必要であるか――を求めているのである。――その時、学問性は真理性を獲得する目的のために必要とされる、と云う言葉が許されるであろう。そうすれば学問性は今や学問の手続きや考え方、学問の成果や組織ではなくして、正に学問の真理性を獲得する処になければならないと考えられる。重ねて云おう、この場合学問性が単に真理性であるというのではない――その場合は後に譲ろう――、そうではなくして学問性は真理性を獲得する――実践的に――処にあると云うのである。真理性を獲得するという意味に於て、そしてただこの意味に於てのみ、学問性は真理性である、という言葉が今の場合許されるのである。それは獲得されんとする、又獲得されつつある、又獲得されたものとしての真理性である。であるから今の場合の真理性はそれの実践的獲得という規定を含んだ真理概念であることを忘れてはならない。それであればこそ、先の所謂普遍妥当性(従って又真理価値)という観念的規定から区別された、実践的な学問性の規定で、それはあることが出来るのである。学問性は今や、真理性の実践的獲得として規定される。
 学問性は真理性の獲得であると云ったが、併し真理性の獲得とは、具体的に何を指すのであるか(問題は真理性の実践的な獲得であるのだから真理性に対する観念論的規定――普遍妥当性・真理価値――は今の場合一応除いておく)。茲に吾々は少くとも解釈の二つの道を事実上知っているのである。第一に真理性の獲得は問題の解決であると考えられる。真理性は与えられた問題を解決することによって初めて獲得され得るのでなければならないと考えられる。もし或る問題を解決し得ないならば、何人も真理性を獲得したとは信じることが出来ないに相違ない、判ったと思うことは不可能であるであろう。それ故この場合学問性は解決である。或る学問が解決力を持つ限り学問性を持ち、夫を有たない時之を有たないと考えられる。実際、何等の解決を齎すことの出来ない学問、その学問の学問性は無に等しいであろう。学問性とは研究を進め課題を解き得る実行力――学問の有用は何よりも先に之でなければならない――の他ではないと考えられる。プラグマチズムは恰も学問性――真理性の獲得――を茲に求めるのである(之に対して、真理は解決力――有用――の有る無しではなくして普遍妥当性を有つか有たないかにある、と云って反対することは、始めから許されていない。何となれば茲では真理性の単なる規定ではなくして真理性の獲得が問題であったのだから)。さて学問性は真理性の実践的獲得に存在し、それが解決の概念であった。処が方法は体系よりも常に何かの意味に於て実践的であったであろう。それ故解決の概念は体系にではなくして正に方法に属さねばならない。解決は方法概念の内にぞくす。それ故この場合の学問性は方法概念にぞくするのである他はない。かくて茲に於ては――学問性がもはや手続きや考え方・成果や組織ではなくして真理性の獲得である処では――方法体系を優越することとならなければならない。学問性概念の動機への分析に於て一つの新しい方法概念――何となればそれはもはや体系概念との相互の否定を許さない優越なる方法であるから――を吾々は茲に見出したであろう。そして実際プラグマチズムの所謂方法は真理性獲得の手段の概念である。真理発見の手段が学問と考えられる。
 真理性獲得の第二の解釈。その一例は批判と考えられる。というのは真理性の獲得はただ批判的であることによってのみ可能であると考えられるであろう。この解釈は第一の夫に較べてより根柢的であり、従って動機へより溯源し、従ってより実践的である。何となれば、真理性の実践的獲得は問題の解決である、と云うばかりに止らず、如何にして問題を解決するか、に答える用意をそれは有っているからである。批判によってのみ問題は正当に解決出来ると考えられる。尤も批判という言葉の意味は様々であるであろう。吾々は第一に、或る一定の文化財の先験的な権利を明らかにし、之を権利づけると共にそれの権利の限界を示し、かく権限を決定することによって夫を基礎づけることを、批判と呼んでいる。自然科学又は歴史科学に対して、夫々の特殊科学が又は哲学がなす処の批判と呼ばれるものがそれである。併しこの場合、所謂基礎づけを直ちにその文化財の単なる権利づけ――肯定と弁護――とばかり考えては無論ならない。人々は権利のないものを権利づけることは出来ない、ただ権利あるもののみを正当づけることが出来るだけであろう。それ故基礎づけは先ず始めに権利の有無を、権利の問題を、問うてかからなければならない。その上で権利あるものへは権利を与え、権利なきものと認められたものからは之を奪わねばならないのである。であるから基礎づけとは必ずしも権利の肯定ではなくして又権利の否定をも含む筈である。基礎づけは一般には権利づけではなくして、事物の根柢――之によって権利が肯定され又は否定される――への探求でなければならない。基礎を検討すること、地盤を検察すること、事物を根柢に於て理解すること、之こそ基礎づけである。今の場合の批判は実はこのことを云い表わす。批判はまず第一に根柢の理解である(同じ根柢に立ちながら、その根柢を理解する代りに、その根柢の上に立つ諸関係を、補綴し辻褄を合わせることは、それ故元来批判という名には値いしない。然るに内在的批判は往々このような補綴に外ならないことが指摘され得るであろう)。第二に批判は、たといそれが自分以外のものに対する批判であるように見える時でも、実は自分自らに対する批判としての意味を有つ時に限って、批判の名に値いする。蓋し事物は人々がそれ自身の立場に一先ず立つのでなければ批判されることは出来ないであろう。もし人々が始めから事物の外部に立って事物を見るならば、即ち自分自身の内にその事物を取り入れることが全く出来ないならば、そこにあるものは批判ではなくして恐らく単なる非難か排斥であるであろう。それ故批判は常に、何かの意味に於ける自分自らに就いての批判である他はない(文化財の基礎づけは無論カントの理性――それは一つの自分自らである――批判から由来した)。批判は根柢の理解であったが、この根柢はそれ故自分自身――それが自我であろうとも其の他の事物であろうとも――の根柢であるであろう。自分自身の根柢の理解、之は反省である。批判は第二に反省でなければならない。人々が自分以外に起こりつつある諸現象を、自己にとりいれようとする時、批判的であるように忠告されるとすれば、そのような批判こそ反省の別の名に他ならないであろう。このような反省として批判概念は向の第一の規定――根柢の理解――に較べて、より実践的な規定――自己自身の根柢の理解――を獲る。故に批判概念はその根源に於て実は常に自己批判である。さて真理性の獲得はこのような自己批判――学問の又学者の――の他ではないと思われると云うのである。吾々は又吾々の学問内容は、多くの独断を有つ。という意味はその成立の根柢を充分に反省することなくしてただ成立した或る成果だけをそのまま尤もなものとして見出し、又之を承認していることが吾々の常であるであろう。そしてその根柢を理解せずしてこの独断の上に更に研究の層を重ねようとする不断の傾きを吾々が持っているのも事実である。なる程この時、その手続きや考え方・成果や組織に於て、そして又課題を兎に角或る範囲に於て解決し得るという点に於て、これ迄述べられた学問性は充分保証されているであろう。併しそうであるからと云って吾々は、そのような仕方に於て真理性の獲得を安んじて期待出来るとは限らない。一体吾々は根柢そのものに就いての真理性を獲得せずに済ませてよい筈があるであろうか。茲に自己批判が要求されるのである。処が第三に、自らの――自己の又は其の他の事物の――根柢は之を徹底的に理解する時――というのは最後の根柢へまで溯る時――常に社会的規定の他ではないであろう。そして一応学問性の根柢に達したと考えられる時でも、その時確実であり又或る意味に於て――第一第二の意味に於て――批判的であると考えられたとしても、社会性に接した根柢に於ては、学問性は実は或る一つの遊離状態にあることが発見されるのを常とするであろう。何となれば社会は事実上常に、事物をその根柢から遊離せしめ、そしてかく遊離せしめられた事物へ一応根柢と思われそうな外見上の固定性を与えるという性質を有つ条件を、それ自身に於て具えているからである。社会的規定はこの意味に於て常に虚偽性を有つ――それは真理性の反対に他ならぬ。処が吾々は今真理性の実践的獲得をば学問性――自己批判――の名に於て欲していたのであった。故に学問性――自己批判――とは、真理性を実践的に獲得するために、このような虚偽性を・社会的遊離を破棄して、事物の最後の根柢である社会的規定――それこそ実践的である――を理解することになければならない。かくて最後に、学問性として批判は社会的規定に対する自己批判となる。第一第二の批判概念はこの批判を根柢とするのでなければならない。
* ベーコンの四つの偶像が――批判はかかる偶像の破壊であるが――、何れも人間の規定から由来していることは、注意に値いしない程当然である。処がこのような人間的規定は社会的規定によって代表される。そこで社会に固有な偶像性が吾々の云う虚偽性なのである。

 このような批判概念を以て学問性を規定し尽すことは出来ないが、併し学問性にとってこの規定程重大なものを見出すことは出来ないであろう。その外観・その形骸に於て学問らしく見えるものもこの規定をただ一つ欠く時、それは学問性の精神を全く有たないものと考えられるであろう(曲学の概念は茲に生れる)。唯名上の学問性を具えている廉を以て、学問らしい威容を有ちながら俗流と一致すべく通用する処の、没批判的理論を吾々は常に眼にしないであろうか。又事実諸々の問題を解決し得る有力な理論でさえも直ぐ様学問性を有つと想像することを吾々は控えねばならない。何となれば一旦提出された問題は、如何なる根柢の上ででも、その根柢自身の批判とは無関係に、必ず一応は解かれ得る性質を有っているからである。そして序に、学殖・博学なる知識それ自らだけでは(之は元来学問性概念とは一応別であったのである――前を見よ)、学問性を有つことが出来ないことを述べる必要があるであろうか。ただ社会的規定に対するこの批判性に於てのみ、真理性のこの獲得に於てのみ、真理の所謂価値という言葉も純粋な意味を受け取ることが出来、そしてかかる真理性の獲得によってのみ、この学問性によってのみ、学問の所謂自由というものも唯名的性質を脱することが出来るであろう(学問に於ける自由――それこそ学問性である――は何か「強制の欠落状態」というようなものであるのではなくして、批判的気魄の存在であらねばならぬ)。学問の所謂神聖は茲に於て初めて保証されるのである。――かくてこのように根柢的な批判性に於て、学問性は夫のもつ真に実践的な規定を、初めて示すことが出来る。何となれば社会的規定こそは真に実践的な規定であるであろうから。――さてそうすれば、このような学問性――根柢的批判性――は方法に属するかそれとも又体系にぞくするか。かかる批判は体系の有つ名ではなくして方法が有つ名である外はないのである。批判的体系なる言葉はあるにしても、もし批判がこのような意味での――根柢的な――批判であるならば、批判という体系、なる言葉は事実上意味を有つことが出来ないに違いない。批判は方法概念にぞくす。批判が実践的な――社会的規定に対する――批判であり、又方法が元来実践的概念であったのだから、之は至極当然でなければならない。そしてこの方法こそが初めて真理性獲得の手段――それはプラグマチズムの場合の方法概念であった――でもなければならないであろう。何となれば根柢的・批判的・方法に於てのみ、どの問題も解決されるべき正当な仕方に於て解決される見込みが初めて立つのだからである。――今や吾々は、方法概念がこの点に於て体系概念を優越する必然性を遂に知ることが出来た。学問性の一規定としての批判概念に於て、学問の方法概念はその中枢的な規定に出逢う学問性方法である。
* 古典に於て、その学問の体系ではなくして正に方法が学ばれねばならないと考えられる理由が、茲にその必然性を享ける。而も特に方法が学ばれねばならないと考えられるのは批判的であろうためであった。それ故手法の末流的伝承は方法を学ぶ目的と相容れない。


 私は方法概念に関わる最後の問題を取り上げる機会に来た。学問の方法が学問の社会的規定に対する自己批判である場合を向に述べた。処が学問のこの社会性――実践性――が、やがて学問全体がそれ自身として社会に対して持つ関係を要求して来るのは自然であるであろう。意味はこうである。今迄の処では学問が内部に於て持つ社会的規定を取り扱った、今やそれはおのずから、学問がその外部に於て持つ社会的規定を取り扱わねばならなくなって来るであろう、そして外部に於て持つ社会的規定、それが学問が社会に対する関係を指す。理由はこうである。学問の学問性は今其の批判的方法にあると考えられた。処で人々の実践生活――それが社会である――は批判的であることを最も屡々理想とするであろう。吾々が生活意識を明白にするとは恐らく之を指すのであろうから。そうすれば生活の理想は充分に批判的であることになるから、即ち批判的方法による生活であることになるから、恰もこの批判的方法である学問性がその在り方(Wesenheit)である処の学問は、生活の理想でなければならないと考えられるのは、至極自然であるであろう。そうすれば学問それ自身が生活の典型的な形態を云い表わすものでなければならなくなる。茲に学問は生活の方法となる。もはや学問が学問性として持つ処の方法――批判――であるには止らずして、学問それ自身が生活に対して、社会・実践的世界に対して、その方法とならねばならない。学問は一つの優れたる生活法となる。学問の方法という概念は今や単に学問のではなくして、一般に、生活の方法という概念となる。かくて学問に関する方法概念は生活の方法の概念としてその最後の位置に就くのである。さてこのような事情は、もし学問性が体系であって方法でなかったとしたならば、起こり得なかったであろう。茲に方法概念の実践的優位が見紛うことを許さぬように顕われる。
* このような場合を吾々は已にギリシアに於て知っている(但し其の他の歴史的制約を見ないとして)。生活法としての学問は、従って又学問のそのような学問性は、中にもプラトンに於て最もよく意識される。プラトンに於ては学問性が、之に対してアリストテレスに於ては寧ろ学問の方法が、主として問題となった。

(思うに現代の最も著しい特色の一つは生活の学問性が強調されていることにあるであろう。生活の指導原理は今や、ゲミュートではなくして正に学問的(又科学的)であることになければならないと考えられている。人々は之を主知的であらんがための合理主義的・啓蒙主義的傾向と混同してはならない。今日の学問性は主知的であらんがためではなくして却って恰も実践的であらんがためのそれなのであるから。実践生活の方法として、時代は学問(科学)を要求しつつあるであろう。このような傾向が何故可能でなければならぬかという必然性を今吾々は見た。今見たこの必然性に従ってこの学問の学問性はもはや対象の高貴や体系の壮麗であることに満足するを得ずに、恰も方法のかの批判性にまで徹底しなければならなかった。事実、要求されつつある学問性は生活の原理・生活方法としての社会的自己批判と考えられている。このような自己批判としての学問性は学殖の崇拝や教育又は功利への関心からは発生しないであろう。恰もこの意味に於て、そして又言葉の原理的に純粋な意味に於て、現代の学問性は哲学的であって詭弁的ではない。)

 もし吾々の課題の形態が学問性に於ける方法概念の分析ではなくして、単に学問性概念の分析であったならば、恐らく最も始めに次のことを注意する必要があったであろう。学問性は真理性の獲得として規定されたが、それは学問が真理を云い表わすものに他ならないと考えられるからでなければならない。そうすれば学問性は真理性と一つに考えられる筈のものである他はないようである。処が真理性の概念は、その真理に至る方法とか、その真理を叙述する体系とかいう概念を以ては、中枢的に把握出来ない処の一つの固有な規定を有っていることを人々は気付くに違いない。この規定の最も代表的な表現深さの感覚―― Tiefsinn ――である。真理性が深さにあるとすれば、学問性が真理性と等置されたからには、学問性も亦深さをその最も深い規定としなければならないこととなるであろう。そうすると、現に方法は学問性の根本的な規定であることを止めねばならなくなりそうである。この結果は成る程、方法概念が体系概念に対して有つ一応の優越を必ずしも破りはしないかも知れない、併し吾々が得た方法概念の優れたる性格――学問性の性格・又生活原理としての――は失われる。かくて実際、方法概念の分析の興味は重大な損失を[#「損失を」は底本では「損夫を」]受けるであろう。終りに臨んでこの不満を処理しておこう。
 或る意味に於て学問性は真理性である。併し真理性必ずしも学問性ではない。というのは人々は独り学問の真理をばかりではなく宗教的体験の・文芸的感覚の・人間的性格の真理を語るであろう。かかる真理は学問の真理とは別であると云うか。そうすれば学問性は特に学問的真理性であるのであろう。又かかる真理は学問・宗教・芸術・道徳・一切に普遍であるというのか。それは真理性必ずしも学問性ではないという向の言葉を裏書きするものである。この場合もしこの言葉を否定しようと欲するならば、人々は学問と他の営みとの区別をも否定しなければならなくなるであろう、そうすれば学問性という概念それ自身が無意味となる。何となれば、凡そ他の概念と区別され得ないものは一定の概念として成立する動機を有つことが出来ないから。かくて真理性必ずしも学問性ではない、ただ学問的真理性のみが学問性であるのである。そこで学問的真理性と学問的でない真理性とを区別するものは真理性であることは出来ない、無論それが学問性であるのである。学問性は真理性の獲得であった、その意味に於て学問性は真理性ではある、真理性一般に属するのではある。が如何にしてその真理性を獲得するかという点に於て、その方法に於て、学問性は他の営みから自己を区別する。そしてただ学問的方法のみが学問性を保証する。学問性はそれ故是非方法にあらねばならない筈である。
 併し深さの感覚はこの場合にどう処理されたか。深さは真理性の一つの根本規定であった。従って又学問性の根本的規定でなければならないと考えられる。それは誤りではないであろう。併しながら深さは独り学問的真理に特有な規定であるのではない、寧ろそれは元来宗教的真理概念から発生した概念であるであろう。そうすれば深さは学問性に特有な規定ではない――実際学問に於ては特に往々深さが非難されるのをさえ人々は知っている。それに特有でない規定を以て或る概念を規定しようと欲する時、人々は一方に於て正しさを得ると同時に他方に於て誤りを犯すであろう。深さを以て学問性を規定しようとすれば人々は、学問が学問的方法によって真理性を獲得する時深さを獲得するであろう、と主張することに於て至極正しくあると同時に、又人々は、学問がただ単に直接に深くあろうと志すことによって真理性を獲得し得るであろう、と主張することに於て誤ることが出来るのである。思うに、深きものを透明に表わすことこそ深さであり、之に反して深くないものを深そうに表わすことは却って一つの浅さに他ならない。学問的方法によって得た結果が深くあり得ることは望ましいことでなければならない(深さを弁護する人々は茲に於て正当である)。併し単に深くあろうと志すことを以て学問性が成立すると思うならば夫は笑うべきである(厳正を求め深さを非難する人々は茲に於て正しい)。吾々はこの二つの場合の混同を最も警戒しなければならない。前の場合は学問性を真理性の獲得として見るのではなくしてすでに獲得された真理性として考える場合であり、後の場合は学問性が現に獲得しようとしている処の真理性を考えている場合である。故に、もし今単に観念的な――観念的の意味は前を見よ――真理概念の分析に満足するならば、学問性の根本規定はまず何よりも先に深さでなければならないであろう。之に反してこの真理性を如何にして獲得するかという実践的な真理概念――それが学問性であった――の分析を必要とするならば、学問性の根本規定は深さではなくして正に方法でなければならない。そして吾々は始めから――方法概念の実践的動機を溯る吾々は――常に実践的概念の分析を要求していた。故に吾々にとって学問性は、再び是非ともその方法になければならないことが、証明された。
* 学問性に就いて深さ厳正とを対決せしめたものは例えばフッセルルがディルタイに対して与えた批評である。吾々にとっては併し、批難されるべきものは深さそのものではなくして非方法的な深さに他ならない。又厳正なる方法のみが代表的な学問性であるとも考えられない――後を見よ(Husserl, Philosophie als strenge Wissenschaft, Logos ※(ローマ数字1、1-13-21). 参照)。

 今や一般的にこう結論することが出来る。方法概念は最後に、学問性の概念として現われる。ここに現われた方法概念は、もはや単に、任意の対象を取り扱う研究の方法でもなければ、科学的概念構成の手続きを意味するのでもなく、又科学がもつ科学的世界の基礎として現われるのでもない。方法概念のこれ等様々の形態が終局に於てそれに帰着し、又之にその根柢を持っている処の、学問にとって恐らく最も意味の重い方法概念が、学問性であるであろう。

 最初、方法概念は対象概念に対立した(第一部)。そして方法概念はそれに固有な実践性故に、対象概念を実践的に優越しなければならなかった(第二部)。今度は方法概念の実践的動機を追跡することによって、学問性概念の分析に溯り、学問性として方法概念が体系概念に対立することを見た(第三部)。そして方法概念は再びその実践性の故に――但し今度は前とは異って学問性概念が媒介した実践性の故に――、体系概念を優越したのである(第四部)。――さてこのようなものが方法概念の運動でなければならない。この概念の、この運動の、分析が、ただ実践的世界の構造――それは存在論的であった――からのみ始まり又之に於てのみ終ったことを注意しておこう。
 分析の結果の凡てを一言によって云い表わせば、学問性格方法である。学問が単に観念的概念として理解されることに安住出来ず、更に実践的概念として理解されねばならぬとすれば――そして吾々は絶対にそれを要求する――、学問概念の性格は方法概念でなくてはならない。さて此の方法の概念が(第一)研究法、(第二)科学的概念構成、(第三)科学的世界の基礎、(第四)学問性、の四つの根本的な形態をとる。それ故方法概念のこの四つの形態に応じて、方法に就いての考察――科学方法論――の四つの形態が必然となる。併し私は第一の場合を形式論理学に一任しよう。その代り第二の場合に於ては、独り方法の考察ばかりではなく、対象の省察をも加える必要を、吾々は有つであろう。故に、吾々の科学方法論は、今から四つの兵站を通過しなければならないであろう。(第一)対象に対応しては「学問の分類」、(第二)概念構成としての方法に対応しては「科学論」、(第三)科学的世界の省察としての方法論、(第四)学問性の省察としての方法論。
[#改丁]

学問の分類


第一部


 学問とは何であるか。この学問論的な、一般的な問題に答える仕方を、吾々は恐らく幾つか持っているであろう。学問に於ける方法対象の構造を分析すること、之は吾々が得た第一の解答であった。学問性の分析、之が吾々の見た第二の道であった。恐らく第三に人々は知識乃至認識の分析を提言するであろう。学問は或る意味に於ける構造から云って、知識乃至認識から成り立ち、又或る特定の条件の下に於けるその集成であることを誰しも常に意識しているに違いない、学問(Wissenschaft)は実際、知識(認識)の集成―― Wissen-Schaft ――であると考えられる。この第三の仕方に於て学問論を追求することは、学問論の内、特に知識学又は認識論**の名を以て呼ばれている。或いは意識の自覚的体系を、或いは認識の論理的条件を解明するものとして――そしてこれも亦一つの学問論の名に値いするであろう――、現われるものがそれである。併し学問が知識乃至認識の集成であると云っても、この言葉自身が物語っている通り、知識乃至認識が直ちに学問であるのではない。学問は単なる知識単なる認識ではなくして、その集成であり、而も大事なことは、この集成が必然的に、――次に説かれるように――、歴史社会的存在としてあらねばならぬということである。吾々の有つ学問概念はこの歴史社会的規定によって、単なる知識概念、認識概念から自己を区別する。それであればこそ、吾々は今まで特に、専ら学問の対象・方法的構造と学問性概念とだけに於て、学問概念を分析して来たのであった(対象・方法が存在論的――即ち又歴史社会的――構造に於てあったこと、又学問性概念が歴史社会的根柢を有ったことを憶い起こそう)。又それであればこそ吾々は今まで、学問をば知識乃至認識という概念規定の側から見るのを故意に避けて来たのであった。
* フィヒテやボルツァーノの知識学とリッケルトなどの科学論とは無論区別されねばならない。後者は前者に対して認識論と呼ばれるべきであろう。後に吾々の関心を呼ぶものは前者ではなく後者である。
** 認識論としての学問論に就いては「科学論」を見よ。

 学問論のこの第三の道を後に回そう――「科学論」の項を見よ。第四の道、それが学問の分類である。人々が普通凡ての概念をそう取り扱おうとする傾きをもつように、もし学問概念が単に学問という名辞によって表象される処の一つの観念に過ぎないならば、第一から第三までの道を除いて、学問概念分析の第四の形態は、到底ありそうに見えないであろう。学問論はこの方向に於ては運ばれ得ないかのように見えるに違いない。けれども人々は学問概念に就いては事実上決してこのような意味での観念論者ではない、誰しも学問が歴史社会的に存在している一つの客観的なる現実の存在であることを承知しているであろう。ただ人々はこのような存在を概念と呼ぶ代りに普通は事実と呼んでいるというまでである。人々が茲に概念と呼ぶものは吾々の言葉を用いるならば実は概念ではなくして単に観念に外ならない。観念こそ現実の事実から逃避する。概念は之に反して現実の事実の理解を離れて成り立ちはしない。学問概念の分析は歴史社会的存在としての学問に就いて行なわれることが出来、又行なわれなければならない。社会に於て歴史的に現実に存在している諸学問、之を学問として理解することに於いて、人々は現実的な、観念的でない学問概念を、最も直接に有っているのであるが、この概念の分析が学問論の第四の道であるのである。そしてこの分析の最も手近かな手懸りが正に学問の分類でなければならない。分けることは支配することの第一歩であるから。

 学問の分類を考察する前に一つの注意を怠ってはならない。元来人々が学問の分類を企てる一般的な動機は、現実に、即ち歴史社会的に(というのは社会は常に歴史社会であるから――後を見よ)、事実として存在している諸規定を見出すことによって、学問概念を分析しようという目論見にあった筈である。人々は学問が何であるかをより好く知るために、まず第一に現実に存在している諸学問を分類してみようとするのであるに違いない。それ故学問は、それが事実上存在している形態の下に、そのまま、或いは又それがあろうとする傾向・あるべき標準に於て現実の事実に基いて、まず区分せられ、次に関係づけられなければならない筈である。茲には学問の現実的な分類が要求される。処が実際このような現実的分類を企てようとする時、云うまでもなく人々は常に何かの分類の原理を見出さねばならないのであるが、一旦或る一つの分類原理を採用したとすると、分類は原理的に導き出され得ることになるし、又それが望ましいことに見えるであろう。そうすれば、現実の諸学問の様々な形態とは往々にして無関係に――それとの一致が最初の関心であったにも拘らず――学問の可能的分類が導き出されるということが生まれて来ないとは限らない。かくて人々が、嘗て存在もしないし又さし当り存在しそうにもないような仮空的諸学問に就いて、その分類を論じようという様な企てを試みることとなるのは自然である。なる程このような仮空的分類も、それが仮空的であるからと云って誤りであるというのではない。恐らくそれは何か他の点に関係して重大な意味を有つことも出来なくはないであろう。併しながら歴史社会的存在としての学問が何であるかに就いて、――知識・認識が何であるかに就いてではない、――況して現実に存在している諸学問が何であるかに就いては、この仮空的分類は吾々に何事をも教えることが出来ないに相違ない。そして若し之を知ることが元来学問の分類の目的であったとすれば――吾々にとっては正にそうであった――、この仮空的分類は少くとも学問の分類によって要求されたものとしては無益であるであろう。成程学問を産み出し又成り立たせると普通考えられている処の、知識(認識)を考察する場合であるならば、この分類は重大な役目を果すかも知れない。知識は凡ゆるその形態を、即ち現実に存在し又現実に存在しない学問を、完全に予め準備しているものと考えられねばならないからである。併しそうすればそれは今の吾々の学問論の形態であるよりは寧ろ知識学乃至認識論の一つの形態に外ならないであろう。この二つの課題――学問分類と知識学乃至認識論――が無関係であると吾々は云おうとするのではない。却って後に至って二つのものの必然的連関を吾々は指摘する場合に来るであろう。併し二つは今の場合一応異った課題なのである。学問の分類を求める吾々にとって、当面の課題は無論後者ではなくして前者である。故に云うことが出来る。吾々にとって、学問の分類は現実的な分類を目的としなければならない、と。
 一般に、事物の分類の原理を見出す時、それは直ちに統一と整正との欲望を伴い、この欲望は又直ちに事物の現実に於ける多角性を忘れさせて体系的な調和を夢みさせ勝ちである。人間の理性に恐らく普遍するこの性質――弱点であり又長所である――が、或る条件の下に現われたものが、吾々のよく見る、学問のかの仮空的分類である。そしてこの性質は学問の分類という概念のもつ必然性に基く、之を後に再び吾々は見るであろう。

 学問の分類を始める前に、之に先だって、学問という社会的存在と、学問ならぬ夫との、区別を与えておく必要がある。吾々の生活に於て、生産的乃至創造的営みと、そうでない営みとを区別出来るならば(蓋し生産は物質的形態に於ける創造概念であり、創造は必ずしも物質的形態を必要としない生産概念であろう)、生産的乃至創造的営み、労作それ自身は、――この労作の結果の享有ではない、――最も根本的な意味に於て、芸術(Ars)と呼ばれて好いであろう。人々は之を或る意味での自然概念に対立せしめる。人間は原理的に、自然の内に於て生活しながら自然を利用し、之を使役し、その意味に於て之を征服し、否定する。自然概念のこのような否定――それは単なる又直接なる否定ではなくして、その克服・止揚である――を理解せしめるものが今の芸術概念なのである。之によって人間の自然生活――如何なる人間も常に自然生活を営まずにはいられないが――は歴史的生活にまで否定され止揚されるであろう。芸術の概念によって初めて、自然生活は常に歴史的生活として性格づけられなければならぬ理由が与えられる。人間生活に於ける此の芸術を認める限り、如何なる場合と雖も、生活の(社会の)単なる自然的条件などというものはあり得ないであろう。人間の生活を今の通り理解する限り、この生活そのものに他ならない社会は、常に歴史的でしかあり得ない。この時社会を自然的な乃至一般に超歴史的な諸関係としてのみ理解し片づける理由は何処にもあり得ない。社会は常に歴史社会である。歴史社会を特徴づけるものそれが芸術であった。そして学問は第一にこの芸術にぞくする。
* 人々は文化という概念を好むかも知れない。が、少くとも今日の吾々の概念としては、文化は、云うならば寧ろ享有概念であって特に生産的規定を高調する概念ではない。
 歴史的に存在した所謂自由芸術とそして恐らく自由芸術ではない処の芸術との区別がどのような標準によって与えられたかは問題の外として、このような歴史上の事実からは独立に、なお自由芸術と不自由芸術との区別が許されるならば、そうすれば学問は第二に、一つの自由芸術と考えられなければならない。
 このような自由芸術としての学問は他の自由芸術から区別されねばならないが、今は、最も広い意味に於ける――それはと最も密接な関係を有つ――から之を区別すれば足りる。詩は或る意味に於て学問と非常に似ているであろう。詩は想像に基くとよく云われるが、学問も亦特にそれなくしては研究を進めることが出来ない。丁度事物への感覚――その働きの一つが実は想像と呼ばれるものに他ならない――を欠いた詩が感傷に終らなければならないと全く同様に、感覚なき学問は単なる博識に終るであろう。学問が imaginatio に基くという言葉は茲にもその意味を有つ(一例としてデカルトを挙げよう)。そればかりではない、或る特定の学問は詩と全く同じ能力に基き同じ使命を有つとさえ考えられる。「哲学は芸術と全く同じく生産的能力に基く。」「平俗な実在から逃れ出る道はただ二つである、吾々を観念界に移す処の詩と、吾々の眼前の実在界を全く消滅せしめる処の哲学と**。」併しながらそれにも拘らず人々は無論両者の間の重大な区別を見逃してはならない。両者がたとい同一の生産的能力に基いても、両者は已に「生産能力の方向を異にしている***」のでなければならないからである。そして或る他の一つの意味に於ては、却って詩ほど学問を遠ざかっているものはないであろう。詩は想像に基くと向に云った。処が学問は之に反して、今の場合の意味に於ては想像に基くのではなくして、正に理性に基くのでなければならないと考えられる***。そして理性は想像とは正反対な概念であるであろう。事実人々は、学問と詩との乖離を嘆き、又学問と詩との分離を誇る。さてこの両つのものの区別の原理は何処にあるのか。人々は知識(認識)概念をかりてこの区別の標準を求めるかも知れない。併し吾々は学問性の概念の有無を以て之に答えることが出来る筈である。その分析を吾々は前にすでに行なっておいた。
* Regulae ad directionem ingenii 参照。
** Schelling, System des transzendentalen Idealismus.
*** ベーコンは理性と想像と記憶とを以て夫々哲学(学問)と詩と歴史とを区別した。但し、彼によれば詩は学問の不充分な形態に過ぎないのであるから、独立したものとして詩が学問に対立しているのではない。

 詩に就いて述べられたことは略々そのまま所謂芸術の一般に、又道徳・信仰等々に就いても述べられ得る。ストア学徒に従って道徳と学問とを同一視し、又スコラ学徒に従って信仰と学問とを同一視することが出来たとしても、学問は常にみずからを他の一切のものから、みずからに固有な学問性によって、区別しなければならない。
 学問をその一項とする分類、学問が学問以外のものに対する分類は、之までとしておいて、学問がその内部に於て、どういう風に分類され、又されることが出来るかを、見よう。

 科学哲学と――吾々の国語は両者を区別する――は今日二つの種類の学問と考えられるのを普通とする。そして恐らく学問に於ける最も根本的な最も屡々必要な区別として人々はこの区別を要求しているであろう。吾々は先ず始めにこの区別に就いて言葉を費す義務を感じる。
 第一に、科学と哲学とのこの対立が、学問の永い歴史の内では、極めて後の時代にぞくする近代的な学問形式に於て、初めて著しく現われて来たものに過ぎない、ということを注意しなければならない。十八―十九世紀に至って、自然科学が隆盛となるにつれ、自然科学的世界観は、或いは一般に自然主義の名の下に、或いは唯物論の名の下に、従来の伝統を形づくっていた学問――哲学――を圧倒しようとする勢を示して来たのは人々の知る通りである。従来の学問即ち従来の哲学=観念論――それは学問一般の典型であった――は終結し、之に代って自然科学乃至一般的に自然科学的学問が時代を支配しなければならぬと思われた(この根本的な潮流は現代に於ても進行を続けている)。処でこのように支配的な学問の形態が、自然科学と呼ばれる或る一つの特殊科学であるのか、或いはそうではなくして一般に自然科学的な学問――それは所謂哲学をも含むことが出来る――であるのか、という問題に就いては、無反省であったことは自然である。自然科学が正に凡ての学問を牽制すべき学問の新しい典型である、その限り一切の学問は自然科学に他ならないと考えられたのは自然である。さてこのような運動に対する反動として――大勢に逆うという意味に於て正に反動であったことを記憶せねばならぬ――自然科学に対する、そして一般に科学に対する批判が、発生したのは必然であった。一面に於て歴史学を自然科学の支配から救い出すために、又他面に於て正に哲学を同じく自然科学の独宰から助け出すために、このことが是非とも必要であったのである。そして特に、新カント主義の名に於て、哲学は、自然科学という特殊科学のアプリオリを検討し、基礎づけ、それによってその妥当の限界を制限し、かくて特殊科学の限界を越えて哲学に代ろうとした自然科学をば形而上学と呼ぶことによって却け、特殊科学としての自然科学の限界の外に自己の領野を保つことに成功したのである。茲に「実証的」科学と「批判的」哲学との調定が成り立った。現代に於ける科学と哲学との区別は実証と批判との区別によって代表される。
 第二に、併し茲に注意しなければならないのは、哲学が科学の特殊性を指摘したことが、決して哲学の全般性を保証することにはならずに、却って同時に自らの特殊性を証明する結果になった、ということである。というのは哲学は古くから考えられたように実在を取り扱う学問ではもはやなくして例えばただ価値のみを――それは実在から区別された特殊の領野である――その対象とすることとなったであろう。価値を以て実在に代えようとする価値の形而上学――それは自然科学的形而上学が破られねばならぬと考えられたと同じ言葉の意味に於て形而上学である――に逃れない限り、哲学はそれ故一つの特殊な学問でなくてはならない筈なのである。たとい哲学が科学に較べてより一般的なより根柢的な対象を取り扱うにしても、それは哲学が全般的・総括的な学問であることを保証するものではない。哲学を何かの意味に於て批判であるとするならば――それが実証科学に取って代ることが出来ないと云う点に於て――それは一つの特殊な学問でなければならない。ただ哲学が何かの理由から実証的となり得る時にのみ、それは初めて哲学に従来期待されていた処のかの全般性を再び獲る機会があるであろう(但し科学が実証的であるからと云って科学の全般性は保証されない)。そして実際人々はすでに之まで実証哲学の名の下に、哲学のこの全般性を求めて来たのである。この時科学と哲学とを区別するものは、その学問が、諸学問の総合・集成として、全般性を有つか、又は有たないか、の相違の他にはないであろう。
* これの代表的なものはオーギュスト・コントである。彼の哲学(科学)――特に社会学――は或る意味に於て諸科学の集成であるということが出来るであろう。より複雑なる学問はより単純なる諸学問の基礎の上に立つと考えられているのであるが、社会(又歴史)の学は、この最も複雑な従って又今の場合最も全般的な総合的な学問であるのである。特殊科学の不当なる拡張であった向の形而上学と、この種類の諸科学の成果の集成(之は往々にして百科全書的となる恐れはあるが)とは、区別されねばならぬ。実証哲学は批判哲学でもないが又形而上学でもないであろう。近代に於て例えばヴントを一例として取ることが出来る(Wundt, System der Philosophie を見よ)。
 自然科学が一つの形而上学となった時、科学と哲学との区別は問題とされる理由がなかった。一つの自然科学(科学)がそのまま――例えば他の特殊科学との総合を俟たずに――形而上学(哲学)となるのだからである。故に第三に、強いて今の場合二つの学問の区別を与えようとするならば、恐らくただ学問が包括する外延上の大小――それは内包上の特殊・全般の区別ではない――がその区別であるであろう。又今、場合を逆にして或る形而上学が例えば一つの自然科学となる時であるならば、前と同じ理由によって、この場合にも亦哲学と科学との区別はあり得ない。事実、シェリングやヘーゲルの自然哲学――それは特殊な哲学的思弁が実証の範囲にまで及んで之に取って代ったという意味に於て前の場合と同様に形而上学でなければならぬ――にとっては、科学はとりも直さず哲学であるべきであった
* シェリング、ヘーゲルにとっては哲学の外に科学が事実存在していたことを注意しなければならない。例えばルネサンスの自然哲学者達――彼等は多くそれ自身自然科学者であった――の場合とこの場合との区別を注意する必要がある。

 哲学を批判として理解する時(第一の場合)、それは実証としての科学から区別され、それを実証的ならしめる時、哲学は単に総合・集成としての全般的なるものとしてのみ特殊科学から区別される(第二の場合)。そして哲学又は科学を形而上学とする時、両者の区別はただ外面的――外延の大小――にしか存在しない(第三の場合)。吾々は科学と哲学との区別として少なくとも今挙げた三つの場合を、事実上有っているであろう。
 吾々は之迄、科学と哲学とを一応対立せしめた上でその区別乃至区別の有無を見た。併しながら歴史の源泉に於ては、このような一応の対立を想像することすら許されない場合が寧ろ本来であったのである。――知識の追求―― philosophia ――は極めて最近に至るまで哲学と同時に科学を意味した。そして又 scientia も科学であると同時に哲学であった。ギリシアに於ける所謂哲学を、今日吾々が科学から区別している処の哲学として理解しようと欲する時、多くの無理を見出すであろうと同じに、ギリシアの科学(例えば自然哲学)を、今日の哲学から区別された所謂科学として待遇することも同様に出来ないことである。例えばアリストテレスの所謂物理学は物理現象に行なわれる種々なる経験法則(それを今日の科学としての物理学は求める)や、又それが基くと考えられる先天的原理(例えばカントの自然哲学は之を求める**)を指摘することをその第一の目的とするのではなくして、まず第一に自然そのものを、自然概念を――但し自然に関する観念や表象(それは後世の意識の問題となる)ではない――分析し、次に之にぞくする諸々の根本概念を分析するのをその任務としたであろう。そうすればアリストテレスの物理学は哲学に対する科学(自然科学)であることは出来ない。けれどもそうかと云ってそれを科学に対する哲学(自然哲学)であると云って了うことも無論許されない。それ故哲学と科学とを区別しようとする現代的な着眼は今の場合稍々当違いな結果を惹き起こすことに終るであろう。そうしてこの場合の例は恐らくギリシアの学問全体に就いて云い及ぼすことの出来るものであるであろう。凡そ哲学と科学との区別は近代的関心から生まれた近代的な学問形態にぞくす――前を見よ。尤もその萌芽は恐らく遠くルネサンス期に於けるイタリアの自然哲学の内に植えられているであろう。併しこの区別への関心は、その自覚は、非常に新しい。古典に於てこの区別は必ずしも伝統的ではなかったことを記憶しなければならない。
* 例えば吾々は Lord Kelvin-Tait の物理学である“Treatise on Natural Philosophiy”(1867)を有っている。
** Kant の Metaphysische Anfangsgr※(ダイエレシス付きU小文字)nde der Naturwissenschaft はニュートンの自然科学に就いての先天的原理を取り扱う。

 哲学と科学との区別を特に提唱する必要があるかないかは、その時代々々の学問の史的条件によって決定せられるであろう。科学が偏狭にして大胆なる形而上学となる時、又哲学が固定した原理を以て生きた事実を強制しようとする時、叫ばれるものは哲学と科学との相互の根本的な限界である。之に反して、科学が或る与えられた手法に堕して普遍的展望を失った特科の学となる時(それは悪い意味に於て言葉通り科学である)、又哲学が科学の取り扱うに適わしいような事実から純粋となることによって実は空疎にして不毛な思弁としてしか見出されない時、両者の衒学的区別は批難されねばならないであろう。さて人々は現在、この二つの場合の何れに於て自らを見出しているか。併し吾々にとっては――学問の現実的な分類を求める吾々にとっては――、科学と哲学とを区別すべきであるか無いかは、当面の問題とはならない。二つのものの区別を提唱する人々も、区別の撤廃を要求する人々も、同じく、現在に於ける二つの学問が事実上区別され、或いは区別されるものと事実上考えられていることを、その出発点としている。吾々にとって必要なのは正にこの事実――区別の事実――であって、まだその区別の是非ではない。それに、現に今吾々が試みようとしている学問の分類という問題は、特殊なる夫々の所謂科学が取り扱うことの出来る問題ではない。何となれば二つの科学の関係――この関係の一つが両者の区別である――の考察は、無論二つの夫々の科学からでは決定出来ない筈であろうから。そうすれば学問の分類は、夫々の科学ではなくして、云うならば科学の科学によって、初めて正しく取り扱われることが望まれる。そして科学の科学、それを哲学と呼ぶことは恐らく不都合ではない。科学と哲学との区別という事実は今の吾々にとって茲に厳存している。
 科学と哲学とのこの事実上の区別は、無論何かの根拠に基く。私は向にさし当り三つの根拠を見ておいた。今この根拠の是非に就いて論じることは避けよう。又これ等の根拠に取って代るべきより根本的な根拠を指摘するに適当な機会では、今はない。ただ両者が事実区別され又され得ると考えられていることに就いて、その一応の根拠の幾つかが指摘されたから、吾々は学問をまず第一に科学と哲学とに分類する権利を、得ることが出来たわけである。
 この区別を指摘したことは併し、吾々にとって一つの実際上の便宜を齎す。というのは科学と哲学とを区別することによって、吾々が今有っている処の学問の分類という課題から、少くとも哲学に関する分類を取り除くことが出来るからである。思うに哲学は、その種々なる分科を、比較的一定したものとしては決して提供しない。分科の分類そのものが夫々の個々の哲学的方法乃至体系によって変更されねばならないと考えられる。そしてこの方法乃至体系は人により又時代によって常に甚だしく異るのをその特色としている。それ故もし吾々が哲学の分類を企てるならば、それは直ぐ様、哲学それ自身の考察となる他はないであろう。吾々の問題はそのような構造へそれることを禁止する。それ故吾々にとって、哲学の分類という課題をば、学問の分類という課題から引き去ることが望ましい。科学と哲学との事実上の区別は茲に役立つ。今や学問の分類は、主として科学の分類」として取り扱われることが出来る(但し、科学の分類の名に於て求められ得る限りの哲学の分類を排斥する必要はないが)。

第二部


 学問の分類が、もし学問そのものにとって固有でないような或る標準を以て与えられるならば、凡ゆる場合の分類がそうある通り、その分類は学問それ自身にとって、殆んど何の意味を有つことも出来ないであろう。そのような分類は分類の目的――学問の性格の理解――を果す望みがない。であるから分類の原理は、学問概念それ自身の内から、見出されなければならない。例えばダンテは詩人らしい着想によって、十個の天体の区別を以て十個の学問の分類の標準とした。かくて彼によれば、月と文法学、水星と弁証法、金星と修辞学、太陽と算術、等々が類推によって対応せしめられる。併しこのような着想は無論、分類の名に値するような何の分類をも、直接に結果することは出来ないであろう。何となれば、天体が学問概念にぞくすことを想像することは少しも学問概念と関係のあることではないからである。
 学問は常に何かの目的を有つであろう、目的を有たない学問はあり得ない筈である。併しそうであるからと云って、学問が常に学問ならぬ他の何ものかの手段でなければならぬということにはならない。なる程学問は吾々の生活に何かの意味で役立つのでなければならない、そうでなければ吾々が学問を必要とする理由は元来何処にもありようがないのであるから。併し実は学問それ自らが却って一個の或いは一部の生活それ自身ではないのか。そうすれば学問が生活に役立つというのは、この場合、学問ならぬ他のものの手段となることではなくして実は学問自らの手段になるということに過ぎない。自らの手段となること、目的となるものと手段となるものとの同一、それは自己目的と呼ばれる。学問は、少くとも学問の理想は、即ち又学問概念の性格から云って学問は、自己目的的であることを認めなければならない。故に学問が学問ならぬ他のものの為めに役立つその仕方に於て分類されるというようなことは、その概念を成り立たせている処の性格それ自身にとって、疎外的である。凡そ概念の性格は任意の一つの特色を以て把握されることを許さない、それは人間の性格に就いてそうあると同じであるであろう。このように疎外的な視覚からする分類は学問自身に固有な特徴を逸して了うという意味に於て、偶然(per accidens)――それは per se に対する――である。吾々はこのような場合をストア学徒に於て発見する。ストア学徒によればそれ自らを外にして目的を持たない学問は虚しくして無用である、凡そ学問は吾々の道徳的生活を指導することをその唯一の目的とする。真偽・有益無益を弁別し、自然の裏に分け入って世界の秩序を跡づけ、善と悪とを見分けること、之こそ学問の効用でなければならない。かくて学問は夫々の外部への目的に従って、論理学・物理学・倫理学に分類されるのである。エピクロス学徒も亦この三分法を採用した。彼等によれば論理学は物理学に役立とうために、物理学は倫理学に役立とうために、そして倫理学は人生――その理想は幸福である――に役立とうために、のみ存在する。この分類そのものが受け容れられ得るかどうかよりも前に、この分類の原理である処の学問概念自身が常に吾々の第一の問題であるのであるが、今のこの分類理論が学問意識に就いて多くの真理を語っているにも拘らず、結局学問概念の性格を或る一点に於て逸している(偶然がそれであった)ということは、この分類の致命傷でなくてはならぬ。学問に対しては常に学問に固有な視角に立つことを吾々は要求する
* 人間生活に役立つその仕方によって試みた学問の分類を吾々は、近くは再び L. Ferrarese(―1828―)に於て有つ(― ―に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)む年度は必要なる著書の出版された年を示す。以下同じ)。ストア学徒と一致する三分法は、又之をロックに発見することが出来る。但しこの場合の分類は別に人間生活に如何に役立つかによって与えられたのではない(Essay concerning Human Understanding)。
 学問の分類という課題は現実の、従って歴史社会的な、諸学問の分類である筈であった(初めを見よ)。そうすれば学問の諸形態の歴史的発展を跡づけ、これから学問の有つ諸時代を画すことによって、この課題が最も好く果されそうに思われるであろう。尤も歴史的発展をただそのまま叙述するのであるならばそれは学問の歴史であって、学問の分類ではないであろう。併し今云うのはかかる学問の中に一定の時代を画し、之に一定の学問の形態をあて嵌めることによって、云わば学問の歴史的分類を企てる場合を指す。之はヴィーコによって創められた。一切の歴史はヴィーコによれば、人間の理解の仕方・知識の形式に従って、三つの時代に分たれる。神祇時代・英雄時代・人間時代。従って学問も亦この三つの歴史的時期によって区分されなければならない。そしてこの三つの時期は人間の理性の発達の程度と順序とによって並べられる。それ故或る時代はこの三つの時期の何れか一つを占めるべきであり、従ってそれ以外の時期は過去又は未来にぞくす筈である。そうすれば学問も亦或る時代に於ては或る時期を占める筈であって、他の二つの時期は過去又は未来にぞくす。であるからこの場合得る学問の分類は少くとも現在現実に存在している諸学問の分類であることは出来ない。学問はその歴史的発展・進歩に於て神祇的・英雄的・人間的に分類されても、現在の学問――仮に人間的な段階にある学問――が如何に分類されるかは、少しも之によって明らかとはならない。処で吾々が学問の分類を企てる動機は、現実にそして現在――何となれば最も直接な現実は現在であるから――存在している異なれる諸学問の間の関係を知ろうとすることにあったであろう。もし仮にただ一様の学問しか吾々の眼の前に与えられてないとすれば、恐らく吾々は学問の分類を求める動機を有たないに違いない。故に今、ヴィーコの歴史的分類は恰も現在の学問を分離することが出来なかったから、この点に於て、それは学問の分類として不充分であることが指摘されなければならない。――無論歴史的分類は学問の分類として決して除外されてはならないであろう。併し歴史的分類から現在に於ける分類へ移ることは少くともヴィーコの立場に於ては――そして次に述べるであろうヴィーコの流れに入る人々の立場に立っては――不可能であることを今述べた。之に反して逆に現在に於ける分類から歴史的分類に移ることは可能である。何となればその時代々々の現在に於ける分類を吾々は歴史的に跡づけることが出来(それは学問分類の歴史である)、之に基いて要すれば学問の発達の歴史的時期を画すことも出来るからである。
 人間理性の発達に基いて歴史的に三つの時代を画し、之によって又学問の三つの形態を与える試みは、普通コントが之を代表すると思われているが、ヴィーコに已に之を見る。併し其の影響が最も大きく又著名なのは無論コントの思想であるであろう。彼が神学的・形而上学的・実証的の三つの時代を区別し、前二者を過去の又は棄て去られるべきもの、ただ実証的精神に基く学問のみが現在あるべき又将来を支配すべき学問形態であると考えたのは、人々の知る処である。此のラテン的とも云うべき歴史社会的考察は直ちにプルドンによって伝承された**。彼はコントの法則に従いながら彼自身の言葉によって次のような区画を与えている。宗教・哲学・科学、即ち、信仰・詭弁・方法(方法は形而上学と呼ばれる)。――コント及びプルドンが与えた学問の歴史的分類(それは普通の意味での学問の分類を脱しているが)が、ヴィーコの夫と全く同じい不充分さを分たなければならないことを、繰り返す必要はない。吾々は学問の歴史的分類ではなくして現在の分類――たとい過去の夫々の時代の現在であろうと――を要求する動機を有つ。処が次にコントが他方に於て、単に学問の段階を歴史的に配列したばかりではなく、諸学問をば、単純―複雑、独立―依存の関係に於て、並列的に――歴史的にではなく――分類したことを、吾々は注意したい。実証的諸科学は、数学から始めて社会学・歴史学に至るまで、この秩序に於て段階づけられる(この分類法は恐らくホッブズから始まるであろう)。コントによれば諸学問は系列的に――歴史的に又並列的に――配列されて分類せられるのである。
* コントの所謂歴史三段階説が、直接には、テュルゴとサン・シモンのそれから伝承されたことは、知られている。
** Proudhon, De la Cr※(アキュートアクセント付きE小文字)ation de l'Ordre dans l'Humanit※(アキュートアクセント付きE小文字), 1843. プルドンは学問の分類に於てただにコントから影響されたばかりではなく、又アンペールからの影響を有つ。後にこの点に触れよう。

 併し学問のこのような――特にコントの――系列的配列はすでにスペンサーによって攻撃されている。スペンサーによれば、学問の歴史的発展が何等そのような系列的順序を有つものではないのみならず、又論理的に云っても事実上の現象から云っても、学問は一般に前後相依存して並列的に一つの系列を造るものではないのである。吾々は茲に学問を歴史的に系列づけることに対する非難と、一般に学問を何かの系列に於て分類することに対する夫とを読むことが出来る。第一の非難を吾々自身先に述べた、第二の非難が次の問題である。例えば、コントの思想をこの点に於て受け容れたと思われるアレキサンダー・ベーンは基礎的諸学問――それは論理学・数学・力学・物理学・化学・生物学・心理学である――を、コントと同じく単純から複雑へ、独立から依存へ、の系列として分類した。又同じくコントの影響を蒙ったと想像されるマーサリクはベーンと略々同様に、その基礎的諸学問――それは大体ベーンの系列の最後に(コントと同じく)社会学を加えればよい――の教職的段階を述べている。この系列的配列はコントの一面又はプルドンの一面のように歴史的発展の順序では無論ない、そうではなくして現在存在する諸学問の間の系列的分類であるのである。さてこのような系列的分類は、今挙げた或る特定の人々の場合に限るのではなくて、広く一般に多くの人々によって採用されている処であろう**。そしてこれが相当正しい洞察の結果であることを疑うわけには行かない。何となれば、吾々の知識の構造から云っても、又学問の成立の秩序から云っても、諸学問が単純―複雑・独立―依存其の他之に似た関係の順序に立つことは、重大な意味のあるであろう処の事実であるからである。併しそうであるからと云って、この系列を直ちに最も正面的な分類と考える理由は何処にも見出されない。第一にかかる系列的分類は、その分類法を採用する人々自身にとってさえ必ずしも、学問全部に通ずる分類原理によって与えられた分類であるとは考えられていない(マーサリクにとっては基礎的学問以外の学問は系列的配列の内に数えられていない)。であるから系列が諸学問の全面的分類の原理となることは恐らく不可能であるであろう。併しもし仮に之が学問全部に及ぼすことの出来る分類原理であったとしても、第二にその分類原理は非常に外面的でしかあり得ない。成程そのような分類によって諸学問の一応の配列は与えられるであろう。併し注意しなければならないのは、吾々はどのような分類原理によっても、総てのものを一応は分類することが出来るということである。人類は皮膚の色によっても、背の高さによっても、言葉によっても、宗教によっても、其の他何によっても分類されうるに違いない。けれどもそれであるからと云って総ての分類原理が同様に外面的でないと云うことは出来ない。であるから系列によって総ての学問が一応分類され得たにしても、その分類原理が外面的でないことの保証は与えられないであろう。そして実際この場合の分類原理――単純―複雑・独立―依存・其の他――は分類原理として外面的であると云う他はない。その理由はこうである。例えば数学が物理学に較べてより単純でありより独立であるとしよう。系列を以て分類しようとする人々にとってはとりも直さず、この単純さこの独立性が分類の原理に外ならない。処が人々が直ちに思い付くであろうように、数学と物理学とは単に、単純であるか複雑であるかとか、又独立であるか他に依存するかとか、又其の他之に類したこと、によって区別されるよりも、此等の学問の取り扱う世界の性質からして区別される方が、恐らくより内面的であるに違いない。というのは数学は先験的妥当性を有ち之に反して物理学は経験的妥当性を有ち、又前者は可能的対象を有ち之に反して後者は現実的対象を持つ、等々のことを標準としてこそ、両者の区別は内面的であるのである。そうすれば系列的分類は第一に必ずしも全面的ではなく又第二に内面的でもあり得ない。故にそれが学問の正面的分類ではあり得ないことが明らかとなる。
* 学問に教職的段階を見出す考え方は Comenius(―1645―)に始まると云われている。
** 吾々はその著しい者として他になお P. E. Dove(―1850―)とか H. M. Stanley(―1884―)とかをつけ加えることが出来る。

 かくて学問の分類が、歴史的系列的分類ばかりではなく一般に、系列的分類そのものに安んじることが出来ないことが見出される。蓋し一般に事物を系列づけることは、事物を分類しようとする動機によるよりも、直接には寧ろ、事物の単なる配列を与えようとする企てによって動機づけられているのが常であるであろう。従ってそれが事物の性格を把握することからは遠く隔っている場合の出てくることは当然であるのである。処が学問の性格を把握することこそ、学問の分類の目的――従って又動機――でなければならなかった。分類はその動機から云って学問の系列として与えられることに満足することは出来ない。学問の系列ではなくして云うならば「学問の樹木」をそれは求める。学問が如何に並んでいるかではなくして、学問が如何に枝さしているかが、学問の分類の課題の真の形態である。

 今もし学問が知識の所産と考えられるならば、学問の分類がまず第一に精神能力――学問に関する限りそれが知識である――を標準として考えられるということは必然である(学問概念が、知識概念として、又方法―対象の構造に於て、又学問性概念として、理解され得るのを初めに述べたことを茲に思い起こせ)。何となれば精神能力は知識のもつ第一の性格であるかのように見えるからである。フランシス・ベーコンは理性的精神の三つの能力を区別する、記憶・想像・理性。この三つの精神能力の所産が夫々歴史学・文学・哲学であることは一般に知られていることである。ベーコンのこの分類は後に主としてアランベールによって訂正を加えられた。この分類がどこまで正当でありどこから不充分であるかは、特に吟味を必要とはしないであろう、吾々はそれを省く。それよりも吾々にとって必要であるのは、精神能力が学問分類の原理として、再び、果して正面的であるか無いかである。併し元来、知識が単に精神能力として理解されることが、一体正面的であったか。精神能力とは、全く人々の主観に於ける、従ってその限り客観的ではない処の、一つの働きを意味する概念であるであろう。処が之に反して知識は単に主観的な働き――精神能力――しか意味しない概念ではない。例えば吾々は知識を交換し知識を蓄えるという言葉を有つ。精神能力を交換したり精神能力を蓄積したりする(それは能力を訓練することではない)ことは、無意味であろう。知識は一般に客観的であることが出来る性質を持っている。まして知識の集成としての学問は、常に客観的でしかない。それは現実的な、歴史社会的な――それこそ客観的である――存在であった。それ故精神能力によって知識概念を正面的に理解することは出来ない。まして学問は精神能力によって正面的に把握されないことは明らかである。故に精神能力の区別による学問の分類は正面的ではない。実際、主観的にしか過ぎない精神能力に対しては、之と並行して夫々の客観的な対象が考えられるのを普通とする。例えば、直観・知覚・理性などの能力に対応して、観念的・事実的・道徳的などの存在が掲げられることが出来るであろう**。そうすれば精神能力による分類と考えられたものはこの時、実は、単にそれだけではなくして、同時に対象による分類でもなければならないわけである。そうすれば、この分類が精神能力を原理とするというのは、ただ名目の上に過ぎないのであって、実は対象の区別こそこの分類の原理でなければならないと考えられる理由も出て来るであろう。現にベーコン自身、精神能力によって第一次の分類を与えながら、この各分科を更に第二次的に分類するに際して、すでに学問の対象をば分類の標準として選んでいるのである***。さて茲に人々は対象による分類へ移る機会をつかむ。――但し精神能力に対立する意味での対象は実は客観に外ならなかった、之に対する主観がこの精神能力であった。故に精神能力の側から出発すれば主客の対立を脱却することは出来ない****。処が吾々が前から意味していた対象の概念は主客の対立に基いてはならなかった筈である、それはそのような認識論的対立に於てはなかった、対象は方法に対立しなければならなかった。故に今のこの機会は、恰も吾々が主客対立の立場を破棄しなければならなくなった機会に外ならないのである。
* Whewell はその独特の立場から、学問が精神能力によって分類され得ないことを主張した。
** Rosmini はそう考えている。
*** 能力と対象とを併せ以て分類の原理とするものは少なくない。例えば Cantoni(―1870―)がそれである。
**** De Pamphilis(―1869―)は客観的・主観的・客観主観的の三つの学問を区別する。
 さて対象による分類に来る。アンペールは自ら与えた分類の特色を、学問それ自身の考察に基く処に存在すると考えた。恰もリンネが植物の分類に於て植物そのものの性質をその原理としたと同じ精神と意味とに於て、アンペールは学問自身の性質に基いて学問の分類を与えると考えた。学問それ自身の性質ではなくして精神的能力の性質に基いて与えられたベーコン・アランベールの分類法――三分法――とは異って、彼は二分法を採用した点に他のも一つの特色を有つ。sciences cosmologiques と sciences noologiques とがその第一次の分類である。処が学問それ自身の性質とは彼によれば正に対象によって代表されるに他ならない。故にこの場合の分類の原理は対象に存在するのである。ベンサムはアンペールと略々同じ動機に従って彼自身の二分法 ―― coeontology と idiontology ――を有つ。又アンペールの分類を訂正したものとして吾々はクルノーを有っている。クルノーの分類の特異な点は三つの系列と五つの群との組み合わせを以てその原理とする処にあるが、この系列も群もそれ自身対象的区別に基くのである**。対象による分類の内最も精密であり又最も現実的にして***且つ現代の学問状態に適切であるのはヴントの夫でなければならない。ヴントの分類は人々の能く知る処である****
* 学問の分類が精神能力の区別によらずして学問それ自身の性質に依らなければならないことを述べた者にすでにカンパネラがあることを注意しよう。
** Cournot, Essai sur les fondements de nos connaissances, Chap. ※[#ローマ数字22、56-下-22] 参照。
*** ベンサムの“Chrestomathia”に於ける分類はその命名法に於てすでに非現実的である。例えば Somatology, Pneumatology ; Posology, Poiology 等々。この非現実的命名法が必要であったことは分類自身が非現実的であったことの症状と考えられないでもない。
**** ヴントの分類はその Logik, Bd. ※(ローマ数字2、1-13-22) ; Philosophische Studien ; System der Philosophie 等に与えられている。なお田辺元博士『科学概論』一七七頁以下を参照せよ。


 対象の区別を原理として学問を分類することは、従来の学問分類の殆んど大多数を支配する特色である。そしてこのことは決して偶然ではないであろう。何となれば吾々は已に学問がもつ対象―方法の存在論的構造に於て、何故学問が対象によって分類されるのを普通とするかを、理解しておいた筈であったから。事実、学問分類の問題は対象概念と離すことの出来ない対応関係にあると考えられた(之に反して科学論の問題に対応するものは方法概念であった)――前を見よ。併しその時と同時に又吾々は、学問の性格が――そしてこの性格を理解する一つの道が学問の分類を動機づけたのであった――結局はその対象にあるのではなくして、正にその方法になければならない理由をも見た(この理由は方法概念の実践的優越にあった)。学問の分類がより根柢的・性格的であるためには、それ故之は対象による分類から方法による分類へと移り行かなければならない。
 ヴントは、自然科学と精神科学――この分類は対象に基く――との各々を第二次的に、現象論的・発生論的・組織論的に分類するに当って、もはや対象ではなくして方法を標準としていることが見出される。或る対象を記述する方法によるものは組織論に、之を説明する方法によるものは現象論に、そして其の中間に位いするものが発生論に該当するものだからである。吾々は恰も之と同一の分類をすでにプルドンに於ても発見する。プルドンは――そのも一つの分類原理を問題の他として(前を見よ)――記述的学問と、変化・進歩等を論じる学問と、法則を見出す学問との、三つを区別した。下って例えば De Roberty は観察の仕方の相違によって四つの学問を分類した、直観による諸学問・単純なる観察による夫・実験によるもの・記述による諸学問、等がそれである。併しこのような例を一つ一つ挙げるならば恐らくそこには際限がないであろう。何となればこの種の方法による分類は、対象の相異による先の分類に劣らず普通一般に行なわれるものに過ぎないからである。現に人々は之に似て、記述科学と説明科学とを区別するのが常であるであろう。それはこの種の方法による分類の他ではない。併し「この種の方法」とは何か。それは学問的概念構成以前に横たわる処の其の意味に於て常識的なる対象、に対する意味での方法を示す。かかる方法が恰も形式論理学の方法論に於て取り扱われるようなそのような方法概念を云い表わしたことを吾々は思い起こそう。之は方法概念の最も原始的な形態に過ぎなかった。そしてこの方法概念は対象概念に向って運動しなければならなかった事実をも亦思い起こそう。対象概念へ向って運動しつつある方法概念、之は学問構成後の対象に対応する処の方法概念――概念構成としての方法――であった。今やこの意味での方法によって学問は分類されることが、必然的になって来るのである。そしてこれはとりも直さずリッケルトの科学論によって与えられた(リッケルトの科学論に就いての細かい考察は後に譲る)。
 処がリッケルトの科学論に含まれている動機を少くとも三段に区別することが出来るであろう。最も根柢的と考えねばならない動機は、諸学問――特に自然科学と歴史学――の夫々がもつ独特の学問性の特色を明らかにしようとする処に横たわると思われる。併しこの動機は第一に、其に先立って、諸科学の方法論を確立する動機となって現われる。処が方法論は更に之に先立って第二に正に科学の分類の課題を動機するのである。この場合科学の分類は云うまでもなく方法による分類でなければならないわけである。その方法概念がとりも直さず今吾々の求めておいた処の意味に於ける方法概念なのである。かくて学問が、特有な意味に於ける――概念構成としての――方法の相違を原理として、分類される場合が生じて来なければならないのである。
 処が次に方法概念の運動はやがてこの方法概念をして対象概念と一致せしむるに至る場合を私は前に指摘しておいた。方法概念は形式論理学に於ける方法概念から科学論に於ける夫へ運動したばかりではなく、更にそれを通過して例えば物理学に於ける相対性理論に於ける方法概念へまで運動する理由があった。この最後の場合に於て、方法はもはや単に方法ではなくして方法並びに対象でなければならなかった。それは対象としての方法でなければならなかった。そこで学問は又この対象としての方法なるものによって分類されることが出来ねばならない筈である。但し今の場合を次のような場合として理解するならばそれは誤解である。例えば学問を論理的なるものと物理的なるものとに分類したとして、その分類の原理が、対象によって与えられると同時に方法によっても与えられる、と考えられる場合であってはならない。というのは、論理的学問と物理的学問とが、その対象からすれば可能界と現実界とに分類され、而もこの同じ分類が、推理と実証という方法の区別によっても亦同じに与えられる、というような場合が今の場合であるのではない。そうではなくして同一の分類原理でありながら、その分類原理が同時に対象でもあり方法でもあるような、そのような場合を今は云うのである。対象と方法との合致――対象としての方法――それは科学的世界の基礎を与える処のものであった。かかる世界の基礎の相違が学問分類の原理とならねばならぬのが今の場合である。科学的世界の基礎の一例として吾々は前に物理的空間の概念を提供したであろう。この空間が基礎となって物理学的世界が科学的に成立することを得、この成立の仕方と他の仕方との相違によって、物理学は他の多くの科学から区別されることが出来るであろう。之と同じく、例えば歴史的世界の構造連関が歴史的世界を成立せしめ、この成立の特性が歴史学を他の諸科学から区別する原理を与えるであろう。かくて例えば自然科学と精神科学とが、夫々の科学的世界の相違によって区別されることとなるであろう。――普通行なわれる処の、自然精神との区別、それによって所謂自然科学と精神科学との分類が与えられるのを普通とするのであるが、この区別は、二つの対象の区別と考えられるのが普通であるにも拘らず、より根柢的に見る時、世界の区別によって与えられるものでなければならないであろう。この世界の科学的表現に他ならない科学的世界の基礎が単に対象ではなくして、恰も対象としての方法でなければならないのである。――かくて科学的世界の区別、夫が学問分類の原理となる場合が可能であるであろう**。後にそれを見よう。
* これはルヌヴィエに於て見出される例である。
** 比較的この場合に近い例を Whewell に於て発見する。彼によれば学問はそれに含まれた諸観念――空間とか運動とか――によって分類されなければならない。そして彼が一方に於て学問の単なる対象による分類を却けていることを今の場合特に注意しなくてはならない。

 対象概念構成科学的世界・この三つの夫々に基く分類に次ぐものは、学問性によるそれでなければならないであろう。――吾々はこの四つの形態を初めに用意しておいた。
 学問性概念は前に、体系を意味することが出来たから、体系による分類が先ず始めに今の場合として与えられそうである。強いてその例を挙げるならばカントを選んで好いであろう。彼は第一批判の“Architektonik der reinen Vernunft”に於て云っている、通常の認識をば初めて学問となし、単なる集合を体系とするもの、そのようなものの組織的統一の術が Architektonik である、と。従って学問は体系であるから、之を形造る Architektonik の相違によって、学問の分類が与えられる筈である。分類原理は組織体系と考えられる。処がカントは続けて云う、それ故この Architektonik は必然に方法論にぞくす、と。方法を特に体系に対立せしめた吾々にとって、それ故、この言葉は体系による分類から方法――学問性としての方法――による夫への移り行きを意味する。そこで方法としての学問性――それこそ真の学問性であった――による学問の分類、それの例は何か**。リッケルトの科学論の、方法論の、根本的な動機の一つとしてそれは現われるであろう。諸科学の学問性を決定することこそ彼の科学論の根本的な動機でなくてはならぬと考えられるであろうから、科学論に於ける科学の分類は、根柢に於て、このようなものとして現われて来る筈である。後に又それを見よう。
* Kant, Kritik der reinen Vernunft, S. 860 参照。
** 真理・真理性――学問性は之の獲得に外ならなかった――の相違を、学問分類の原理として明らかに掲げた場合は案外少ないように思われる。B. Labanca(―1875―)をその一例として探ることが出来る。


 さて最後に、吾々の理論の構造に於て根本的な一つの点を注意しなければならない。学問乃至科学の分類は、最初の叙述から始めて恐らく対象による分類の辺に至るまでの間は、当然学問の分類――諸学問の自然的体系――という名に適わしい課題に他ならないものとして、至極無理なく受け取られたと思われる。処がそれを押しつめた処の、概念構成による分類、又科学的世界による分類、又更に学問性による分類に来る時、学問の分類としての課題は、みずからの概念をば次第に影の薄いものとして来る、という点を人々は気付かなかったであろうか。なる程そうなっても学問分類という概念が完全に失われて了うのではないが、ただそれが次第に何時の間にか、単なる名目に過ぎないものとなり、その実質は之に反して何か他のものとなって来たのを人々は注意すべきである。アンペールやベンサムに倣って生物学的名辞を借りてよいならば、問題はもはや学問の分類学ではなくしてその形態学としての内容を有って来たことは事実上の変化であるであろう。学問分類の概念は、それをつきつめて行く内に、学問形態の概念に向って運動したのである。であるから吾々の問題は、もはや「学問の分類」に止ることは出来ず、学問形態の理論、特に「科学論」でなければならなくなって来た。
(この篇に用いた間接の資料の多くのものは、R. Flint, Philosophy as Scientia Scientiarum and a History of Classification of Sciences, 1904 から借りた。人々は之を参照すべきである。)
[#改段]

科学論


第一部


 科学論――之は現在主としてリッケルトによって代表される――の成立の動機を私はまず始めに分析する。
 方法に対立する概念は、第一に対象である。学問を一般的に取り扱おうとする時、最初の手懸りとなるものは、学問の方法か又は之に対する意味の対象である。「学問の分類」は恰も学問の対象の問題にぞくする考察であった。対象に就いての関心を代表的に満足せしめるものが学問の分類という課題であることを、吾々は前に知っている。之に反して方法に就いての関心が集中する処のものが今や、「科学論」であるのである。方法こそ学問乃至科学の性格を云い表わす概念であった。――さて吾々が行なって来た分析は今、「学問の分類」から「科学論」へ移る場合に来た。
 この推移は併し単にテーマを取り換えただけではない。テーマの単なる交替であるならば、それは云わば私の随意であるであろう、そうすれば二つのテーマのこの並立には別に客観的な意味はないであろう。併し実は、前者が後者へ必然的に――学問分類という概念の成立の動機から云って必然的に――移動するのである。元来学問の分類という概念は、学問が何であるかをば或る限られた範囲に於て分析し理解し得よう目的のために、成立したものに他ならなかったが、科学論こそはこの目的をより根柢的に追求するために生れたテーマでなければならない。
 このような運動の動機をして最も著しく動機せしめる機能は、分類概念の有つ云わば悲劇的な性格内に存在することを注意しよう。分類は現存する諸科学の間の秩序を理解するためにこそ企てられるのであるから、その意味に於て、之に適応するように、分類は現実的でなければならないことが要求された――前を見よ。処が他方に於て又分類は常に何かの分類原理によって与えられる必要がある。諸科学を最も単純に幾つかの群に含ませるためにすら(それは Klassifikation である)、そのような原理が必要であろう。まして完全な分類にとってこの分類原理を欠くことは絶対に許されない。願わくば唯一の原理によって、即ち或る一つのものの分割又は分釈によって、分類は分類らしい資格を得る(Einteilung, Gliederung)ことが望ましい。処がそのような原理的分類は、事実上諸科学の現実の秩序にもはや適応しなくなるような必然性を有っていることをも亦吾々はすでに見ておいた。そこで分類概念それ自身が自分のも一つの要求に於て他のも一つの要求に矛盾して来なければならないのである。之は或る意味に於ける論理的矛盾ではない、静止している二つの観念内容の相互の排斥ではない。そうではなくして二つの現実的規定が運動することに於て、その運動の動機によって衝突に陥る処の、概念的矛盾で之はあるのである。このような矛盾は分類概念それ自身に固有であるから、分類概念はこの矛盾によってその性格の破綻を招き、その限りその性格を失い(全く消滅して了うのではないが)、他の性格を持つ概念に推移しなければならない必然性を有つ。推移の結果生じるこの新しい性格が科学論である。
 もはや現実に存在する諸科学を余す処なく、一つの原理から分類し尽すことを人々は断念しなければならぬであろう。この意味に於て学問の分類は、もしその概念を徹底するならば、成立しない。併しそう云っても学問の分類が単純に他の夫ならぬものによって置き換えられるのではない、この意味に於て全くその概念が消滅して了うのではない。そうではなくして、それ自身が徹底することに於てそれ自身を強度にしながら、却っておのずからそれ自身の衰微を招く点に、この概念の悲劇的性格があるのである。かくて事実上、対象による分類はより徹底した分類であろうためには方法による分類となる。処が方法による分類にとって、最も重大な関心は、実は分類が何であるかよりも先に、方法がどうあるかでなければならない。従って茲に学問の分類は方法論となる。学問の分類は向に科学論となり、今又方法論となる動機を有つ。故に科学論方法論として現われなければならない。――之が科学論の第一の動機である。

 科学論は方法論として現われるが、方法論は更に或る意味に於ける論理学として現われる理由があることを今示そう。之が示されれば、科学論が或る意味に於ける論理学として理解されることが当然となるであろう。そこで今方法論が「或る意味に於ける論理学」として現われなければならない理由を見れば好い筈である。
 方法は吾々が対象に通達する通路であったから、通達の機関として方法の省察がなければならない。そしてかかる機関としての形式論理学の一部分――研究法と統制法――は事実、方法論の名を有っている。私が「或る意味に於ける論理学」と呼んだのは併し、之を指すのではない。それでは何を指すか。
 一般論理学乃至形式論理学を以て最も当然な且つ著しい代表者とする処の論理学は、普通、思考の形式の学問として理解されている。というのは、吾々が断片的な思考に於て、表象的に概念し、判断し、推論する場合から始めて、体系的なる思考に於ける今の夫々の場合に至るまで、凡そ思考が正しくあろうためには是非ともそれに従わなければならない規則をそれは取り扱う。そしてこのような規則は、その規則に従うべきそして場合場合によって異なる処の内容が如何あろうとも、夫によって影響されないような、独立な普遍的な関係でなければならないから、この規則には形式の名こそ適わしい。故に論理学は一般に思考の形式の学問と定義されるのである。思考形式の学問としての論理学は、思考がそうある通り、吾々の理論的労作の一切の場合に就いて欠くことが出来ない。故に一般に論理学は形式論理学によって代表されると考えられるのである(形式論理学は単に或る形式を取り扱うからして形式的であるのではなくして、正に思考の形式を取り扱うからして初めて形式的と呼ばれるのである、ということを注目しておこう)。
 成る程思考は一切の理論的労作に必ず伴うであろう。如何なる理論的な労作も皆思考という形式に於て行なわれる、理論的労作は凡て思考に還元される。併しそうであるからと云って、一切の理論的労作が思考という概念によって理解し尽されるということでは之はない。或る種類の理論的労作――学問――は思考の外に一歩も踏み出さないからと云って、単に思考という概念によって理解し尽されはしない。学問は単なる思考ではなくして或るそれ特有の性格を持った特殊な思考でなければならない――方法的な乃至は体系的な又は一定の対象を有った限りの思考が学問であるであろう。そうすれば例えば学問の形式はなる程思考の形式に従いはするが、併し後者と一つではなく従って後者だけから理解されることは出来ない。そうすれば又学問の形式に就いての学問はなる程形式論理学にぞくしはするが、併し後者と一つではなく従って後者だけから理解されることは出来ない。無論学問の形式から特に思考の形式だけを抽象し独立せしめることはどのような場合でも出来なくはない、そのような結果が形式論理学に於ける向の所謂方法論であったのである。けれどもこの場合問題となるのは実は学問の形式ではなくして、学問に於ける思考の形式に過ぎない。学問の形式と呼ばれて然るべきものはこの場合の問題として這入って来ることは出来ないであろう。思考の形式を取り扱う形式論理学によっては理解し尽されないもの――学問の形式――を取り扱う学問、それはもはや形式論理学ではない筈である。
 形式論理学から区別されたこの学問――それを何と呼ぶかをまだ吾々は決めていなかった――は応用論理学であるか。仮にこの言葉を許すとしよう、併し人々は之を応用論理学と名づけて実は何を説こうとするのであるか。応用論理学はその原理を形式論理学の内に有つ、それは個々の学問の特殊の認識目的にこの形式論理学を応用したものに過ぎない、それは固有の原理を少しも有たない、とこう説こうとするのであろう。併し凡そ応用という概念を今の場合のように使用することは、云わば一種の権謀に外ならぬ。何となれば、この概念は一方に於て応用されるべき受動者が応用されるべき能動者(一般論理学)から理解し尽され得ないという独立性を認めておきながら、他方に於てこの独立性を今の能動者の名に於て否定するものだからである。それ故、独り今の場合に限らず、応用という言葉は何か有力な意味を有つにはあまりにも都合の好すぎる言葉なのである。この言葉が何か有力な意味を有つことの出来る場合は、ただ、学問の形式の内から特に形式論理学にぞくする断面だけを独立せしめた時に限る、そして之は再び形式論理学に於ける所謂方法論に他ならなかった**
* Windelband, Die Prinzipien der Logik, ※(ローマ数字3、1-13-23) 参照。
** ロッツェの『応用論理学』は事実、形式論理学的方法論に過ぎない(Lotze, Logik, 2 Buch 参照)。そしてヴィンデルバントはロッツェの論理学に学んだ。

 学問の――思考のではない――形式を取り扱う学問は形式論理学でもなく又応用論理学でもない。それであるのになお一つの論理学と考えられる理由があるであろう。その理由はこうである。カントの根本思想を借りるならば(この思想が何故今の場合必然性を有つかは後を見よ)、吾々の精神内容は形式と内容との結合として説明される。そして形式は内容の不可欠の条件、その意味に於て論理的予想と考えられる。そうすればこの形式は凡てこの意味に於て論理的でなければならない。そうすれば又学問の形式も論理的でなければならない。そうすれば最後に、この形式を取り扱う学問は今の意味に於て論理学の名に価するわけである。故にもし学問の形式という概念を取り出すならば、それの省察は又一つの――但し形式論理学でも応用論理学でもない処の――論理学であることとなる。思考の論理学――その系列にぞくするものが形式乃至応用論理学であった――に対立する論理学は一般に、客観論理学か先験論理学である。今の場合は先験論理学の名を取ろう。学問形式の理論は先験論理学にぞくする(先験論理学はカントの立場に外ならない)。――処が、学問の形式は、再びカントの立場に立って、学問の方法と考えられる。何となれば形式はカントによれば内容を統制して認識を齎す機能に他ならないが、認識を齎す機能こそ方法ではないのか。学問の形式学問の方法である。故にカントの立場に於て吾々は次の帰結を得る。方法論―― Methodologie, Methodenlehre ――は先験論理学にぞくす、と。之が吾々の求めた「或る意味に於ける論理学」であった。故に又科学論は一つの論理学――先験論理学――と見做される理由が明らかとなった
* 学問の分類――それは科学論の機能の一つであった――も亦論理学にぞくするものとして面目を新にする。諸科学分類の原理は、もはや今までのように任意の視角から取り上げられることが出来ず、論理的に必然的に指定されなければならないことになるからである。
 科学論がぞくする論理学――先験論理学――を、吾々にとって最も意味あるように特色づける他の概念は、認識論であるであろう。認識とか認識論とかいう言葉の意味は様々であるが、今は科学的(学問的)認識の理論を之によって理解しておこう。今は科学的(学問的)認識の分析が、科学論――方法論――の中心的な形態となるであろうと云うのである。学問概念に就いての吾々の分析はそれ故、もはや単に方法対象の構造の分析でもなく、又更に学問性の分析でもなく、又更に学問の分類の問題でもなくして、正に認識の(即ち又知識の)、そして又科学的(学問的)認識の、分析でなければならない。「学問の分類」の最初に挙げた、学問概念の分析の第三の道が之であった。科学論は最後に認識論としてその性格を現わす。科学論は方法論となり論理学となったが最後に認識論として性格づけられる。
* 例えばヴィンデルバントは認識論を形式論理学と方法論とから区別する(Windelband, Die Prinzipien der Logik)。併し今仮にカントの立場に立っている吾々にとって、認識は主に学問的認識を意味してよいであろう。
 科学論――方法論――は論理学として現われ、この論理学は又認識論として性格づけられる。之はカントの批判主義――形式と内容との対立――に立つ時必然である。処で吾々がカントのこの立場に止まることが出来るかどうかを今は問わないとして、この立場自身が何故必然的であるかを理解する義務を吾々は有つ。
 処がカントの批判主義、之に必然に伴わねばならない形式内容の二元論は、人々が素朴なその限り又実在論的な哲学的学問態度を信じることが出来ない限り、直ちに一応必然である。カント自身がコペルニクス的転回として誇り、又後の所謂カント学徒達によって、往々神経質と思われるまで誇張されるものこそこの必然性であるのである。之によって実在乃至存在の問題も亦認識乃至知識の問題にまで転回される。所謂形而上学乃至本体論は認識論乃至論理学にまで転回される。尤もこの時、問題を一歩進めて、この認識論的立場に止ることが当然であるかないかを問うべき場合に来る筈なのであるが、それは遙か後回しとして、少くとも一旦はこの立場に立つことが必然であるであろう。それ故茲に一切の問いは認識乃至知識に就いての夫として性格づけられる。そうすれば学問も亦之に従って一つの認識――学問的認識――として認識という規定に沿うて性格づけられる他はない。科学論が知識理論(Wissenschaftslehre)として認識論に帰属することは茲に初めてその必然性を有つ。科学論はその理論の論理的秩序に於て、学問的認識の論理学――認識論――として意識される、科学論はこの論理的根柢に基いて論理的に構成される。――之が科学論の第二の動機である。
 科学論の動機に就いて今まで与えられた分析の結果は次の二つである。第一、学問の分類の概念から科学論――方法論――概念への推移。第二、科学論はその理論の論理的秩序に於ては、論理学・認識論として意識されるということ。前者は必ずしも其と意識されてはいない処の、従って理論の秩序に於て必ずしも論理的前提ではない処の、動機である。後者は之に反して、理論に於て論理的予想として意識されたる、動機であるであろう(蓋し動機の多くのものは――それが論理的根柢でない限り――論理的構造に於ては意識されないという特徴を有っている。動機と論理的予想とは相蔽う概念ではない)。――科学論は之までの処、一つの動機――科学論は歴史的には学問の分類という課題から動機づけられた――と、一つの論理的予想――認識論――(之も亦一つの動機であるが)とから成立するものとして理解された。動機の分解を今はさし当り茲に止めておこう。
* 科学論の動機は之だけに止まるのではない。その動機は後の機会に至って次第により根柢的に辿られるであろう。今は一応之に止める。

 之から先当分、吾々にとって必要なものは、前者の動機ではなくして後者の論理的予想――認識乃至認識論――である。

 カント的な立場に於ては一切の精神内容は形式と内容との結び付きであった。認識という精神内容に於ける形式と内容とは、概念直観とであると考えられる。但し茲に概念と呼ばれるものは理性の又は悟性の論理的機能を有つものと考えられる限りの概念であり、之に対応して直観と呼ばれるものは、概念以前に与えられ、概念的構成とは独立である処の、独立な感性的――知的ではない――素材を意味する。認識は、従って又科学(学問)は、単に直観だけからも又単に概念だけからも成り立つことは出来ない。そのような場合の知識は盲目であるか空疎であるかであろう。ただ直観が概念と結び付いた場合に於てのみそれは理性的にして実質ある知識となることが出来る。直観と概念とが結び付くというのは併し、両者が同一の資格を以て単純に結び付くのではない。直観はそれ自身に於ては無力であり――何となればそれは例えば知的直観のように自発性は持たないから、――ただ概念のみが働くことが出来るのである。というのは、自発的な悟性が、概念として、能動的に機能し、之に対して直観は全く受動的に悟性によって機能されるのである。悟性は常に直観の多様統一に齎す任務を持つ。この意味に於て悟性は直観を概念にまで構成加工するのである(この構成加工の普遍的な規則が範疇――それは悟性概念である――と呼ばれることはカント範疇論の特異点をなす。併し今吾々は範疇に就いての考察を度外視しよう。何故ならば、この問題がそれだけで独立した可なり困難な課題であるばかりではなく、この問題は又今の吾々にとって是非とも一般的な解決が要求される課題であるとは思われないから)。さて直観は如何にして概念へまで構成され加工されるかの問いに来る。
* 吾々が日常活用している概念という通俗語が必ずしもカント的な意味での――それによれば之は論理的である――概念ではないことを注意する必要がある。吾々が概念の分析を行のうて来た場合の概念も亦カント的な意味での概念ではなかったであろう。又カント的意味に於ける直観も必ずしも吾々が日常用いている直観概念ではないであろう。カントの直観はそれ自身の働きに於て概念の源泉となり地盤となるというようなことがない。然るに実際直観という言葉によって理解されている通り、吾々にとっては直観は却って概念の――思惟の・反省の――根源として通用することが日常である。

 処がリッケルトの科学論に於て、直観と概念とのこの対立は、一つの変容を受ける。というのは、彼に於てもその直観概念に対立するが、直観自身がもはや単なる盲目なる内容ではなくして、すでに形式と結び付いた一つの内容を意味する。之に対応して概念も単なる空虚なる形式ではなくして、すでに内容と結び付いて形式となる。そしてそれにも拘らず前者は単なる内容の、後者は単なる形式の資格を得て、両者は相対立するのである。さてこの意味に於ける直観に於て与えられるものは事実実在)である。まだ概念的――今述べられた意味に於ける概念的――な加工を経ない処の、そしてまだ科学的に構成されない処の、従って科学的認識に対立する処の事実(実在)がそれなのである。実在は科学的知識に対立する云わば常識的知識であるであろう。今カントのコペルニクス的テーゼによれば(吾々は一旦カントの立場に立っている筈であった)、認識は一般に実在の模写であることは出来ない。仮りに科学は実在がある通りに、之を叙述するものであると云っても、叙述されたるものはもはや叙述される実在と一つではない。故に科学は実在の――事実の――模写ではなくしてその加工であるべきであった。処で加工はこの場合複雑化することではあり得ないであろう、何となれば与えられたものの凡てが事実であり、之を更に複雑にするだけの所与は他にないから。そうすれば加工は単純化でしかあり得ない筈である。事実の単純化によってのみ科学的概念は構成されるのでなければならない。之は現代の認識論的乃至論理学的立場に於て一般的に承認され得る命題であるであろう。併し科学は如何にして事実を単純化するか、之が次の問題となる。
 この単純化に於て、科学の方法は、初めて問題となることが出来る。というのはこうである。リッケルトは実在(事実)に二つの根本的な規定を帰する、連続異質性。実在は認識以前、科学以前のものであった筈であるから、その点に於て之は非合理的な性質を有っている筈である。もしそうではなくして合理的であるとすれば、それだけ理性的でなければならないわけであり、そうすればもはや概念から独立な直観としての意味を失って了うから。処が連続と異質性こそ非合理性の特色でなければならないであろう。そこで実在に連続と異質性とを帰することは当然でなければならないであろう。実際、実在――存在又は事件――に就いて人々は明確な限界を限ることは出来ないし(実在は次第の推移の他の何物でもない――自然は飛躍しない)、又如何なる実在でも互いに完全に相等しいものはあり得ないであろう。――人々はライプニツが求めた全く相等しい二枚の木の葉の※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)話を思い出すべきである。実在はそれ故、異質的連続―― stetiges Anderssein ――をなすと考えられる。実在は個別的である。さて科学が実在を単純化するためには、是非ともこの二つの規定の内のどれか一つを捨てなければならないわけである。実在へそのまま近づくことは人々には不可能である、実在は単純化――どれかの規定の破棄――によってのみ通達出来る、ということとなる。そしてリッケルトによれば、異質性を捨てて連続を保存する時、即ちそのような手続き――方法――によって概念を構成する時、数学が生じ、之に反して連続を捨てて異質性を保存する時、即ちこのような別の手続き――方法――によって概念を構成する時、様々の経験科学が生じるのである。かくて彼によれば数学の対象は等質的連続であり**、経験科学の対象は異質的不連続である。前者に於ては純粋なる量――質を量化した量ではない――が、後者に於ては――それのみが個別的である――が支配する。経験科学のみが実在に就いての科学と考えられる理由は、この点からして自ら明らかであるに違いない。――之に反して数学は観念的であると考えられる。かくて先ず第一に、数学と経験科学との区別――それは従来主として単に形式的実質的の区別を以て云い表わされた(ヴントの場合を見よ)――は、即ち両者間の分類は、方法――単純化――に基いて方法論的に与えられる***
* Rickert, Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft, S. 34 ff 参照。
** リッケルトによれば数学の対象は等質的媒質――時間と空間――に於てある。其処に於ては同一の対象が異なれる位置に即くことが出来る、対象は交換し得る(Rickert, Das Eine, die Einheit und die Eins, S. 58 ff 参照)。
*** ヴィンデルバントの如きは数学と哲学とを合わせて「合理的科学」と呼び之を他の「経験科学」に対立せしめた(Windelband, Pr※(ダイエレシス付きA小文字)ludien, Bd. ※(ローマ数字2、1-13-22), S. 141)。

 吾々が実在に通達し得ると考えられるのは数学を通じてではなくして経験科学を通じてであった。――実在の個別性は、経験科学にとって異質性なるものとして残っている。問題をそれ故経験科学に限ろう。実在の単純化――方法――は併し無論人々の勝手であってはならない、それには或る一定のアプリオリがなければならぬ。経験科学が連続的な実在から不連続を単純化し出す時、即ち実在と実在との間に区画を施す時、このようなアプリオリを原理として之に従わなければならないのであるが、選択の原理が正にこのアプリオリなのである。単純化とはこの場合実在から或る一定の原理に従って選択を行なうことに外ならない。或る一定の見地に立って本質的なものと非本質的なものとを分ち、本質的なものだけを抽き出すことによって、科学的概念は構成される。科学の方法は選択の原理――それは方法がそうあると同様に形式的性格を有つ――にある。或る一定の特殊科学に就いて、無論選択の原理は、その方法は、唯一でなければならない。併し元来選択は一定の見地に立つのであったからして、一切の経験科学に就いてこの原理が同一でなければならない理由はない。そして選択の原理を異にすることによってこそ、方法の相違によってこそ、様々の異った特殊科学が生まれて来ることが出来る。故に経験諸科学は再び方法――選択の原理――によって分類されることが出来る筈である。かくてリッケルトによれば経験諸科学は、自然科学歴史科学という特殊科学の主なる二群へ、方法論的に、形式的に――それは内容的に対立して意識されねばならぬ――分類される(之に反して内容的には自然科学と文化科学とに分類される――後を見よ)。
* この区別を今の意味に於て初めて与えたものはヴィンデルバントであったと看做される(Windelband, Pr※(ダイエレシス付きA小文字)ludien,―― Geschichte und Naturwissenschaft)。

 方法として理解されたこの選択の原理は、同時に分類の原理として理解されることを注意しなければならない。学問概念の認識論的・論理的予想は科学論に於て、その科学分類の動機と交叉している(前を見よ)。而もこの交叉は至極自然に又徹底的に行なわれるであろう。処が方法と分類原理とのこの合致は従来の学問分類法に於ては、決して之程自然であり徹底的であることが出来なかった。この合致は今の場合の科学論の一つの長所であるであろう。伝統的な従来の分類に於て最も代表的であり又有力と考えられたものは然るに、自然科学精神科学との区別であった。今の長所を判明にするためには予めこの区別を批評しておく必要がある
* この区別を支持する者としてヴントとディルタイとを並べ挙げることが出来るかも知れない。併し前者と後者とでは、精神科学という概念によって理解する処が、非常に距たっている。所謂精神科学に就いてのディルタイの優れたる洞察は、今の場合の批評の対象とはなり得ないであろう。後に至って之に触れる必然的な別な機会を私は有つ。


 自然科学と精神科学との対立は、自然概念と精神概念との対立に基く。自然という概念は吾々の生活にとって最も活きて働いている概念の一つであり、そしてその起源は古い。それは意味の多くの分岐と変遷とを有っている。ギリシア哲学の自然、スコトゥス・エリウゲナのそれ、スピノザのそれ、ゲーテのそれ、最後に今日吾々にとって最も代表的と考えられるカントのそれ等々、様々に異った自然概念を人々は知っているであろう。併し現在の吾々にとって最も直接に意識されるものは第一に物理的物体的物質的なる自然であるであろう。之に対する精神は――第一に――心理的なるものである。そうすれば物理的なるものを取り扱う物理学と、心理的なるものを取り扱う心理学とが、夫々自然科学と精神科学とを代表すると考えられる(特に精神科学が心理学をその典型とするということに注目しておこう)。併しながらカントによれば――そしてリッケルトは之を承けている――、或る特定の物理的とか物体的とか物質的とかいう物そのものが有つ性質だけが自然であるのではない。自然とは物そのものの有つ性質によって指定される概念ではなくして、却って主観の特定の態度によって決定される一定の領野に他ならない。それは云うならば単なる対象の性質ではなくして或る方法に基いて生じた対象の性質なのである。吾々の感官の対象であり従って又経験の対象である限りの一切の事物の凡て、之がカントの自然概念に外ならない。今このような自然概念を採用するならば、物理的なるものと同じく心理的なるものも亦――心理的自然として――自然であることが出来るであろう。尤も一般に心理現象――例えば意識――は必ずしも物理的なるものに就いてと同じ意味に於て「経験」の対象であるのではないと云うかも知れない。併しそれは何も心理現象が自然である場合を斥けはしない。却って心理的なるものが場合々々によってこのように異った意味を有つことがとりも直さず、心理的なるものを精神と呼ぶ人々にとって、精神という概念が如何に不判明であるかを証拠立てているに過ぎない。かくて心理的なるものと精神とは相蔽わない二つの概念である、心理的なるものも自然にぞくすることが出来る。同時に物理的なるものは自然の他の一部分に過ぎないことが証拠立てられる。かくて第二に自然とは感性的精神物理的対象を指す。そうすれば向に自然科学と精神科学とを夫々代表するかのように見なされ、従ってこの二つの科学の区別を与えることが出来ると考えられた物理学と心理学とは、結局同じく自然を取り扱う限りに於て自然科学にぞくすると云うことが出来るわけである。心理学はもはや自然科学から区別されるべき精神科学を代表することは出来なくなる。自然科学と精神科学とを第一の意味に於て対立せしめるのは単なる対象――まだ方法的省察を経ない処の対象――による区別に他ならない。もし分類をこの点に止め、もしくは之を以て最も根本的な分類と主張するならば、吾々は両者のこの区別を不当と呼ばなければならないであろう。方法こそ今の場合の分類原理でなければならなかった。
 リッケルトによれば、第二の意味に於ける――物理学と心理学とを含むことの出来る――自然科学に対立するものは歴史科学である。そうすれば歴史科学こそ新しい意味に於ける精神科学でありそうに見える。処がこの場合、精神科学の名は彼によれば適当ではない、その理由はこうである。第二の意味に於ける自然――精神物理的・感性的なるもの――に対立する第二の精神概念はなる程見出される。感性的対象と考えられた自然に対して、非感性的なる従って又非実在的なるもの、知覚し得るものではなくして理解すべきもの、ヘーゲルの言葉を借りるならば客観的精神、之こそ精神の第二の概念でなければならない。リッケルトは之を意味と呼ぶ。処が歴史科学はこの意味を専ら取り扱う科学ではない。というのは単なる意味を研究の対象とするものが歴史科学であるのではない。「歴史の材料は引き離された非実在的な意味ではなくして、意味を帯びた精神物理的実在である。」であるから客観的精神の研究が、感性的なる物理的乃至心理的実在の研究と、その方法を異にするからと云って、すぐ様歴史科学が客観的精神――第二の精神概念――をとり扱うことにはならない筈である。そうすれば歴史科学をこの意味に於て精神科学と呼ぶのは適当ではない
* Rickert, Die Probleme der Geschichtsphilosophie, S. 15―25 参照。
 精神科学は、一方に於て心理学として自然科学に対立することが不当であり、他方に於て歴史科学として理解されることも不適当であることが主張された。精神科学という概念の代りに単に歴史科学か又は文化科学かの概念が望まれる。之こそ初めて真に自然科学に対立することが出来るであろう。歴史的方法に基く諸科学は、之をその形式から見て名づける時、歴史科学と呼ばれ、之を内容から見て名づける時、文化科学と呼ばれるのである。今やリッケルトによれば経験科学は自然科学と精神科学とに分類される代りに、自然科学と歴史科学(又は文化科学)とに分類されなければならない
* もし客観的精神を単に irreale Sinngebilde, Bedeutung f※(ダイエレシス付きU小文字)r sich としてばかり見る代りに、寧ろより正当に、感性的実在に於て表現され之によって帯びられている限りの精神として理解するならば、リッケルトの主張と衝突することなくして而も歴史科学を精神科学と呼ぶ正当な理由があるであろう。例えばディルタイの場合。
 経験科学の分類はその方法によって初めて原理的に与えられることが明らかとなった。吾々は愈々分類への関心を捨てて方法への関心に移動すべきである。

 夫々の認識目的に応じた選択原理に従って事実(実在)を単純化す時、科学的概念が構成される。概念構成の相違によって――形式的には――自然科学と歴史科学とが区別されるのであった。自然科学的概念構成は歴史科学的概念構成に対して限界を有つ。この限界を簡単に叙述する機会である
* 以下特に断らない限り Rickert, Die Grenzen der naturwissenschaftlichen Begriffsbildung ; Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft ; Die Probleme der Geschichtsphilosophie 参照。
 自然科学的概念は普遍的である。何かの意味に於て普遍的でない概念は在り得ないと云うならば、この場合の普遍は共通を意味すると云うべきである。異質的にして非連続的なるものとして通達し得るようになった実在――それはなお見渡し尽せないほどの多様である――の凡てから、夫々の実在に固有であって他の実在には欠けているような点は之を捨て、ただ凡てに共通な点だけを選択することによって構成されたものが、普遍的な自然科学的概念である。この概念の云い表わす任意の対象はそれ故、他の凡ての対象と異る特色を有つが故に対象となり得たのではなくして、他の凡ての対象の見本としての資格を有つが故に初めて択ばれたのである。このような普遍的概念は一般化によって成立すると云わなければならない。そうすれば自然科学に於ける概念構成――その方法――は一般化でなければならない。
 事実(実在)に於ける事件は空間に於て存在すると同時に、時間に於て継起するが、かかる継起に就いて普遍者を求めるならば、それは反覆するものに他ならない。反覆する現象を云い表わすもの、それは法則の概念である。故に自然科学は普遍的法則を求める科学、法則的科学でなければならない。――ヴィンデルバントは之を nomothetisch と名づけている
* von Kries は科学を略々之に似て nomologisch と ontologisch とに分つ(Die Prizipien d. Wahrscheinlichkeitsrechnung, 1. 27. S. ※[#ローマ数字15、71-上-2]. 及び Logik 其の他参照)。
 凡て一般化し得るものは質ではなくしてと考えられるであろう。質と量との区別は決して一義的に決定出来る程明白ではないが、量は一般化することが出来之に反して質は一般化し得ないという言葉が受け容れられる限りに於て、一般化し得るものは量であると云うことが許される。この意味に於て自然科学は量を取り扱う、乃至は、一切の対象を量として、量化して取り扱う、と云うことが出来る。
 かくて自然科学的概念構成は、普遍・一般化・反覆・法則・量的などにその限界をもつ。さて之によって限界される歴史科学的概念構成は従って、当然、特殊・個別化・一回性・質的などの性質を有つ筈である。
 自然科学に於ては、――中にもその典型的なものと見做されている理論物理学に於ては――、特殊な性質を有つ対象は例外として取り除かれる。尤も自然科学の各対象が皆同様であって異っていてはならないと云うのではない。一つの一般的法則の下に摂しられる諸現象は無論同じではなくして別々でなければならないであろう、もしそうでなければ法則の普遍性――共通性――という概念自身が成り立つ理由がない筈であるから。併しこの場合単に異るということと個別であるということとは区別される必要がある。カエサルがルビコン河を渡ったという事実は無論、他の人が之と同じくルビコン河を渡ったという他の一つの事実と同じではない、それは異った二つの事件である。併し今この事を、或る誰人でも好い二人の人間がルビコン河を渡った事件としてのみ見るならば、二つの事件は異っているにしても共通の普遍的事件の二つの場合に過ぎないであろう。渡った一人はカエサルと呼ばれたローマの将軍ではなくして偶然に選び出された人類の一員でしかないであろう。この場合のカエサルは他の何人によっても置き換えることを許さない歴史上唯一の個人としてのカエサルではなくして、向の他の一人に対して単にその人と異る処の一人の人間に過ぎない。処が之に反して歴史上の個人としてのカエサルはこの人間に対して個別な人間でなければならない。前者は云わば量的個別、後者は質的個別――それのみが本当の個性をもつ――である。両者は別である。そこで自然科学の対象は量的個別は有つであろう、質的個別に対しては歴史科学のみが関心を有つのである。事実、歴史家は或る対象が普遍的な・一般的な性質を有つ限り、之を記述するのではなく、それが特殊であり個別的であり個性を有つ限り、之を記述する理由を見出すのである。歴史科学的概念構成はそれ故個別化に基く。
 時間的・空間的である処の事実(実在)に於ける事件に就いて、個別なるものを求めるならば、それは反覆しないもの、一回限りのもの、である他はない。一回的なものに就いて自然科学的法則が成り立つことは出来ない。普遍的事件の類例としての資格を有つ限りに於ては一回的なる事件も皆自然法則に従うのではあるが、この一回的の事件が、一回的事件としての資格を有つ限りに於ては、それはもはや自然法則に従っているのではない。カエサルを刺すものは自然法則的に誰でなければならないか。個別化とは、関連ある諸事物の独立化・無関係化ではなくして、却って個別化されたる諸事物間の或る特殊の一定の関係を見出すことこそ其の目的でなければならないのであるから、この個別化に基く歴史は、一回的なるものの単なる羅列であってはならない筈である。歴史には個別的因果関係が一貫している。併しそうすると、自然法則と個別的因果との関係はどうあるか。併し個別的因果とは何か。
 人々は普通、一般に因果と合法則性――それは普遍的であった――とを同一に考える。併し因果関係が、経験的に実在するものでなければならない以上、一般にそれは普遍的ではなくして個別的である他はない。経験的実在は個別的――異質的――でしかなかったからである。実在に於ける因果関係はそれ故個別的因果でなければならない。歴史的発展の段階相互の関係に於て、又歴史的事件とその環境との関係に於て、見出される因果関係、それは又この個別的因果関係であるのである。個別的因果を具えた事実(実在)をその個別的因果に於て把握し得るものは自然科学ではなくしてただ歴史科学だけでなければならない。歴史科学が歴史的全体と部分との連関を明らかにし之を云い表わすためには、この因果関係を跡づけなければならないのである。併し歴史家はこの場合単に原因結果の時間的継起を指摘するだけではなくして、この反覆し得ない個別的原因が、この反覆し得ない個別的結果を惹き起こさねばならないというように、一つの必然性を見出す必要があるであろう。この必然性なくしてただ二つの事件の時間的な前後関係を指摘しただけでは少しも科学的意味を得ることは出来ないからである。処がこの必然性を見出すためには、結果と見做されるべき個別的事物を、まずそれに結合している諸々の普遍的な要素に分解し、次に之をば原因としての事物の同じく普遍的な要素に結び付けるのでなければならない。即ち個別的因果を必然的なるものとして指摘するためには、普遍的因果を迂回した上で、個別的原因が個別的結果を惹き起こすことを跡づける必要があるのである。かくすれば、個別的因果の指摘は必然に因果法則を必要とすることとなるであろう。然るに法則は一般化に固有であった。個別的因果を用いねばならない歴史科学はそれ故、もはや単に個別化ではなくして一般化に含まれて了うことになりそうである。かくては歴史科学も自然科学から区別される今まで見た唯一の特徴を失って了わなければならないようである。併し個別的因果を指摘するために必要な普遍的因果――因果法則――は、要するに一つの迂路に外ならなかった。という意味は、因果法則の追跡がこの場合、歴史科学の目的であるのではなくして、ただその目的を達成するために必要な一手段で夫はあるのであった。因果法則は個別的因果の追求という目的の手段としての意味しか持たない。歴史科学は個別的因果に於て、個別的なるものを取り扱うことをその目的としている。その手段として或る範囲の一般化――因果法則のような――は用いるであろう、併し自然科学に於てのように、この一般化がその目的であるのではない。歴史科学の概念構成は、この意味に於て、矢張り個別化である。
 自然科学的概念構成は一般化に基き、歴史科学的概念構成は個別化に基く。一般化を如何にして実際に行なうかは特に説明を必要としないであろう。それは一切の現象に例外なく当て嵌まるような普遍的関係を見出すまでである、と云えばそれで足りるであろうから。例えば物理学的法則を心に留めるならば一般化が何を意味するかは明らかである。処が之に反して個別化の概念は今までの叙述だけではまだ人々に充分理解されないに違いない。それを単に一般化――ヴィンデルバントの言葉を借りるならば nomothetisch ――に対蹠して idiographisch と呼ぶことによって、性格づけおおせたと思うならば早計である。何となれば個別化しただけでは個別化された対象の数は依然として無限であるので、歴史学が之を記述して何かの意味に於て終点に来ることは出来ないであろう。個別化と云うだけであっては、歴史科学の対象――歴史的連関――の統一がどのようにして齎されるかを説明することは出来ないからである。歴史記述は個別化という規定のみによってはまだ成り立たない。
 個別的なる無限の対象の内から更に選択を施すことが茲に必要となる。歴史学が或る統一ある記述であるためにはそうなければならないであろう。この場合の選択は何を標準として行なわれるか。
 記述すべき歴史的事件は、人々にとって――但しそれは必ずしも歴史家個人ではない――個別的なものとして、何か夫々特有の興味をもち人々の関心を占めることが出来るものでなければならないことは、明らかである。処で人々が或る歴史的事件に興味と関心を有つのは、その事件が人々の評価している何かの価値――文化価値――に対して何かの意味を有つからである。無論人々は或る事物を評価して之を毀誉褒貶するであろう。併しこの事物を積極的に評価しているにしても消極的に評価しているにしても、この歴史的事件はこの事物――それが評価されて価値となる――に対して、たとい等しくないまでも、とにかく人々が無関心でない限りは、何かの意味を有つことができる。この歴史的事件はこの価値に関係づけられて意味をもつ。価値への関係づけがそれ故歴史的資料を選択する標準となり、之に基いて或る限られたる範囲内の事件のみが記述され得、又されねばならないのである。処が元来人々が個人である以上人々は、他の人々とは無関係に全く主観的に過ぎない評価をしないとも限らない。甲の関心を有つものに対して乙が全く無関心であったり、乙の賞讃するものを甲は誹謗したりするかも知れない。もしそうすれば歴史家は茲に至って、甲に従って好いか乙に従ってよいかを決定する標準を失うわけである。そこで歴史家が歴史的個物を関係づける処の価値は一般的価値であることが必要となる。一般的価値とは但し人々が事実上一般的に認めて評価を下している価値のことである。超越的な理念としてのそれではなくして、事実に於て現実に評価されて現われている価値――国家とか芸術とか宗教とかに現われた――がそれであるのである。歴史家は、人々によって事実上一般に評価されている価値へ或る歴史的個別的対象が関係せしめられ得るか否かを見て、その対象の取捨選択を行なう。それ故彼は一般的価値概念を自ら与えたり、況んや諸価値の体系を組み立てたりする必要はない(それは哲学者の仕事である)。価値関係づけに於ける一般的価値は常に事実的でなければならない。さて資料選択の標準が価値であるとすれば、この価値によって選択された一群の対象が、この価値を標準として、初めて因果関係の連関に於て、統一を得ることが出来るわけである。
(歴史家が対象を価値へ関係づけることと、歴史家自身が与える価値の評価とは関係がない。それは先程、人々が或る事物を如何に評価するかに関らず、ともかくそれに関心を持つことが出来たのと同じ理由によってである。評価は恐らく実践的であるであろうが、価値関係づけは之に反して完全に理論的であることが出来る。)
 かくて歴史科学的概念はその概念構成の過程に於て価値的――文化価値的――であることを特色とする。処が之に反して自然科学的概念は没価値的である。何となればこの概念は、価値に対して意味を有つが故に選択され構成されるのではなくして、単に普遍的であるというだけの理由から――強いて云うならばそういう価値の故に――成立するのであるから。歴史科学はこの意味に於て云わば人間的であり自然科学は之に反して人間的ではない、とも云えるであろう。蓋し価値は常に人間によって評価されることを絶対に必要とするから。自然科学に於ては、そこに発見されるであろう個別化――それは量的であった――と雖も没価値である。
 リッケルトはかかる方法=概念構成の区別に基いて学問を分類する、自然科学と歴史科学との区別がそれであった。この二つの科学は無論、仮空的・可能的にのみ存在するのではなくして、吾々が現在、学問が現代に於て現実に存在している歴史的形態に於て、常に見出すことの出来る、現実の二つの学問の群であるであろう。吾々は少くとも物理学と歴史学とを夫々の代表者として有っている。併しこの分類の特徴とする処は現存する諸科学を単に配列して見たのではないということに存する。一般に分類の最初の動機は恐らく、異った幾個かのものを配列することによって何かの統一を齎すことにあるであろうが、今の場合の分類は之とは異って、配列ではなくして科学相互の限界の決定という動機から発生した。そしてこの限界の決定は更に又、科学の夫々の特色を見抜くためにこそ要求されたのである。この特色は方法に於て跡づけられた。それであるからこの分類は単に現存する諸科学の配列ではなくして、諸学問の方法の相異を検出する使命を有っているのである。そうすればこの時分類は、云うならば諸科学の方法による分類ではなくして、科学的諸方法の分類として現われなければならない筈である。――人々は茲に、科学論がもはや学問分類ではなくして全く方法論となって来なければならない所以を重ねて注目すべきである。自然科学と歴史科学とはそれ故、二つの学問の名ではなく実は科学の二つの方法の名であるであろう。両者は自然科学と歴史科学ではなくして実は自然科学的科学歴史科学的科学の謂でなければならない。ただこの二つの方法を理想的に代表しつつ現存する二つの科学が所謂自然科学と歴史科学であるのである。両者は現実に存在する科学であり又そうなければならない――この分類は仮空的ではない――併し同時に又両者が一切の現存する諸科学を包括し尽さなければならない義務を有つ必要はない。実際両者は諸科学の相異なる二つの傾向の夫々の極端を意味するに過ぎない(但しこの両極は仮空的な二つの科学ではなくして現実の二つの科学――物理学と歴史学――である)。多くの他の諸科学はこの両極の中間領域に於て存在する。「自然科学に於ける歴史的分子」、「歴史科学に於ける自然科学的分子」、がこの中間領域にある諸学問を造る。
 かくて自然科学と歴史科学とは科学の方法――概念構成――の分類を云い表わすのであった。この分類に基いて同時に又この二つの科学の方法による分類が与えられたのである。さて学問の方法が学問の形式と呼ばれる理由を吾々は前に見ておいた。そこでこの分類は形式的であったのである。処が形式に対応して内容を指摘することが出来るから、形式的分類に対応して、二つの科学はそのまま内容的分類を与えるであろう。この時二つの科学が夫々、自然科学及び文化科学と名づけられるのであった。
(但しこの場合の内容は直ちに対象を意味するのではない。何となれば、もし内容が直ちに対象と一つであるならば、それは自然と精神とに分類されなければならなかった筈であって――前を見よ――、自然と文化とではなかった筈であるから。それではこの内容は何を意味するか、後に之を理解する機会があるであろう。)

第二部


 リッケルトのこの科学論に対して人々は様々な関心と視角とからして、様々の疑問を提出することが出来るし、又事実それを試みているものは少なくない。私は今吾々にとって必要な限りの批評を簡単に与えることで満足すべきである。そして吾々にとって比較的便宜あるのはフリッシュアイゼン・ケーラーが加えている夫である。私は第一に、略々之を手懸りとすることによって吾々の関心している問題――方法概念の運動――を動かして行くことが出来るであろう。
* Frischeisen-K※(ダイエレシス付きO小文字)hler, Wissenschaft und Wirklichkeit, S. 139 ff. はこの批評のために特に章を設けている。
 第一の批難個別的因果の概念に関係して見出される。リッケルトによれば、因果関係――之は一つの必然性であった――と合法則性――之も一つの必然性である――とは、普通同一に見做されているにも拘らず、相異なる二つの必然性概念である。というのは、因果関係必ずしも法則的必然性ではない。法則的必然性はそれが法則的であるから当然、自然科学のみに固有な筈である、之に反して歴史科学を支配するものは、法則的ではない処の因果関係――個別的因果――であると考えられた。個別的因果は元来事実(実在)そのものに固有であった、そして歴史科学のみがそれを科学的に把握し得るのであった――前を見よ。併し個別的因果をより立ち入って吟味して見よう。それが特に個別的であると呼ばれるからには、吾々はそれに就いて二つの場合を想像することが出来る(フリッシュアイゼン・ケーラーはそう考える)。同一の原因が時の異なるに従って異る結果を惹き起こすことが出来る場合(第一の場合)、それでなければ、仮に普通の因果関係と同じく同一の原因が同一の結果を生むものとした上で、同一の原因が元来二度と起こり得ない場合(第二の場合)。第一の場合であるとして見よう、即ち実在する諸事件の内に於て同一の原因が異った結果を惹き起こし得るものと想像して見よう。併し如何なる手段によって吾々は、因果的に継起する或る一定の事件を因果的として指摘することが出来るのか。成る程転変する諸事件の間に或る何かの個別的な必然性があると云えば、原因と結果という時間上の関係の存在は一応形式的には指摘されるには違いないが、併しそれだけではどの事件とどの事件との関係が因果的であるのかを現実に指摘することはまだ出来ない。そうするためには何かの特徴を用いて、因果関係として把握し得るような一定の関係を見出すのでなければならない。処がそれはその関係の項――事件の個々の内容――から独立してその関係そのものだけで吾々に知られ得るようなものでなければならない。反覆し得る関係だけがそのような資格を有つ。故に因果関係が単に形式的に思惟し得られるばかりではなく現実に把握されなければならない以上――そして茲に初めて科学的認識はあるのである――、因果とは同一の原因が常に同一の結果を惹き起こすことである外はない。かくして個別的因果がたとい事実(実在)に於て具わっていると想像出来なくはないにしても、之を現実に把握する手段がないのであるから、現実に把握出来て従って科学に於て意味をもつことの出来る因果関係は、ただ同一の原因が同一の結果を惹き起こす処の、法則的因果だけであると云う他はない。そうすれば、法則的因果は常に事実と離れることの出来ないように結び付いていることになるから、この概念構成をこの事実から独立なものとして、引き離して考えることは出来なくなる。又第二の場合であるとしよう。即ち同一の原因が同一の結果を伴うとして、元来同一の原因が二度と起こり得ない、のが個別的因果であるとしよう。併しこのような個別的因果は(第二の批難の結果から知られるであろうように法則的なるものも亦個別的なるものを取り扱い得るから――後を見よ)法則的因果と区別され得るものではない。そうすれば個別的因果という概念が成り立つ理由は無くなる。従ってこの場合にも亦法則的因果を事実から独立に引き離された概念構成にぞくするものと見ることは許されない。――まず始めに単なる事実が与えられ、之に対して後に他から、法則的因果――それは自然科学的概念構成に固有であると考えられた――が加えられるのではなくして、事実そのものが始めから法則的因果を具えていると考えられなければならない。事実(実在)に具わっている因果関係は個別的因果ではなくして寧ろ法則的因果であることとなるであろう。故に個別的因果の概念を用いることによっては歴史科学を自然科学から区別する理由を見出すことが出来ない。――之が第一の批難である。
* この第二の場合をばフリッシュアイゼン・ケーラー自身は後に述べるであろう第二の批難に関係づけて語っている。私はこの批難と後の批難とを切り離して見た。

 リッケルトの個別的因果の概念は今仮定された第一の場合ではなくして専ら第二の場合でなくてはならない。何となれば個別的因果の認識は彼によれば、普遍的法則的因果を手段として之を迂回することによって、その目的を達することが出来るものであったが、この迂回は同一の原因が同一の結果を伴うと考えられる場合を他にしては、許されないであろうから。個別的因果は個別的なる原因が個別的なる結果を、但し一定の原因は常に一定の結果を伴うという条件の下に、伴うことを意味しなくてはならない。そこでこの意味での個別的因果は法則的な普遍的因果に帰着し得るか。もし帰着し得るとすれば、少くともリッケルト自身の立場をそのままとる時、個別的因果の概念は成立の動機を失う筈であるし、もし帰着し得ないとすればリッケルト自身の立場をそのまま取ってもこの概念は成り立つことが出来る筈である。フリッシュアイゼン・ケーラーによれば法則的(普遍的)なるものも個別的なるものを含むというのであるから――次の批難を見よ――、個別的因果は普遍的因果に帰着すると考えられるわけである。尤もリッケルトの個別は単に別個のものを意味するのではなくして実は個性あるものを意味するのであったのに、フリッシュアイゼン・ケーラーの個別は単に別個のものを指しているに過ぎない――第二の批難を見よ――から、法則的(普遍的)なるものが個別的なるものを含むという言葉は、リッケルトの意味に於ては許されないのではある。併し元来そのような個性はただ価値に関係づけられてのみ初めて把握出来る――個別化がそれであった――筈であったから、価値関係づけを欠いた場合には本来の個性――個別――概念は実は許されない筈である。即ち価値関係づけ以後に於てのみ個性個別の概念は成り立つことが出来、それ以前に於てはただ別個の概念しか成り立たない筈である。そうすれば個別の概念は歴史科学的概念構成――それが価値関係づけであった――に就いてのみ許されるのであって、歴史科学的概念構成以前の之と独立な直観的に与えられた事実実在)に就いては許されない筈である。故にリッケルトが個別的因果を事実それ自身に具わったものと考える時、この個別の概念は本来の個別の概念から堕した或るものと考えられなければならない。そしてこの時それは単なる別個と実は択ぶ処がないであろう。そうすればフリッシュアイゼン・ケーラーが、個別的因果――それは実は単に別個なるものの因果の外の何物をも意味しない――は普遍的因果に帰着する、と主張する時、その主張は正しいであろう。従って個別的因果に対する向の批難は正しいであろう。

 然るに、個別を単なる別個なるものとして理解する代りに個性的なるものとして理解するならば――そして之こそリッケルトの真意である――吾々はリッケルトと共に、又他の多くの人々と共に、歴史に於ける個別的因果を――何かの立場に立って――許さなければならないであろう。そこで問題の解決はこうなる。吾々はリッケルトの個別的因果という概念を認めるが、併しリッケルトがこの概念を用いている立場そのものは之を認めない、と。リッケルトの立場、それは第一に事実と一般に科学的概念構成との独立、に外ならない。まず始めに、自然科学にも歴史科学にもぞくさない直観的に与えられた事実があり、之に対して云わば外から夫々の概念構成が加えられる、というのが彼の立場の第一歩であった。そして、事実そのものに個別的因果が具わっており、歴史科学的概念構成――それは事実を個別的因果に於て把握する筈であった――が之を受け取る、というのが彼の立場の第二歩であった。処で歴史科学的概念構成が事実を把握する最も優れた――少くとも自然科学的概念構成に較べて――仕方であることを何人も認めなければならないであろうから、個別的因果――それが歴史に必要であることを吾々はすでに認めた――がただ歴史科学的概念構成にだけ固有であって事実そのものには之がないということは、考えられないであろう。彼の立場の第二歩を吾々は認めないわけには行かない。そこで吾々が棄てねばならない彼の立場とは、向の第一歩の夫であることとなる。吾々は事実科学的概念構成との独立というリッケルトの根本的な立場を棄てることを強いられることになって来た。そして之は個別的因果の概念を救うために必然であったのである。
* 個別的因果の概念が一般に成り立つか否かに就いては、故左右田博士と田辺博士との論争を参照すべきである。後者は最近、性格的必然性の概念として之を認めた(『哲学研究』一四六号)。リッケルト自身はこの問題に関して、Hessen, Individuelle Kausalit※(ダイエレシス付きA小文字)t を推奨している。――歴史科学にとって個別的因果の概念が何故必然であるかはなお後を見よ。

 事実(実在)は歴史科学的概念構成と独立に与えられているのではない。又同様にそれは自然科学的概念構成から独立に与えられているものでもない――之はすでにフリッシュアイゼン・ケーラーの主張であった。
 故に第一の批難は、実は個別的因果に対する批難ではなくて、この概念がリッケルトによって用いられたリッケルトの特有な根本的な立場――事実と科学的概念構成との独立――に対する批難である、ことが明らかとなる。事実と科学的概念構成との独立は併しながら、内容形式との対立から由来したことを思い起こそう。カントに於ては実際内容と形式とは相互に独立して対立していたであろう。より一般的に云う時、この対立は主観客観との認識論的――人々は之を論理的とも名づける――立場に於ける対立に由来する。今や云うことが出来る、第一の批難は認識論的立場――それは主客の対立から出発する特色をもつ(前を見よ)――に対する批難に他ならない、と。

 第二の批難。仮にフリッシュアイゼン・ケーラーの云う処に従って、個別的因果の概念が、一般に従って又リッケルトの立場に於ても亦、成り立たないとすれば、リッケルトの立場に立って一般に因果は自然必然的な普遍的法則的因果でしかあり得ないこととなるわけである。一般に因果が行なわれると考えられる処には即ち又法則性が支配していなければならないということとなる。それ故又、もし実在が因果的であるとすれば、法則性の有無を以て自然科学と歴史科学との区別の徴表とすることは出来ないし、之に反して法則性を以て区別の徴表とし得るためには人々は実在に具わった因果を一般に否定せねばならなくなる。もし実在(従って又歴史)に具わった因果を否定する理由がないとすれば――そして恐らく人々はリッケルトと共に之を認めるであろう――、そうすれば自然科学と歴史科学との区別は法則性――一般化――によっては与えられなくなる。このことは即ち、前に述べた通り、両者の区別が個別化によっては与えられないことをも意味する。そうすると、自然科学に於ける法則は果して個別的なるものを排除するかどうかが、重大な疑問とならねばならない。そして恰も之に関係して、リッケルトにとって一つの困難が実際かくされている。
 法則に固有な一般化は一つの抽象化ではあるであろう。実在そのものを模写していない以上法則は抽象化が産んだものではあろう。併し抽象化必ずしもリッケルトの意味する一般化―― Generalisation ――ではない、とフリッシュアイゼン・ケーラーは考える。種概念から類概念への上昇がこのような一般化の意味であるが、このような種類の一般化が自然科学全体又はその代表的なるものを支配しているのではない。恐らく生物学であるならば(あまり代表的ではないこの自然科学であるならば)、この種類の一般化がそれに特有であるかも知れない。併し無論生物学の概念構成が例えば物理学の(代表的なるこの自然科学の)夫ではない。そしてこの物理学に於てこそ初めて法則の概念がその本来の面目を現わす。そうすれば法則の一般性は Generalisierung であることは出来ない。分析―― Isolierung ――こそ夫である。――フリッシュアイゼン・ケーラーはそう区別する。
* フリッシュアイゼン・ケーラーによれば所謂単純化は Isolierung ではなくして、ただ Generalisierung にのみぞくする。
 自然科学に於ける――一般に凡ての科学に於ける――法則は何のために求められるのであるか。無論普遍的な関係を求めることが法則の目的には違いないが、この普遍的な関係が更に何のために求められるのか。それは、之によって個々の現象を統一的に説明し得ようためである。法則の目的はそれ故実は一般化ではなくして一般化を通じて個々のものを理解することになければならない。単に普遍的関係を見出しただけでは――なる程それだけでも知識上の一つの収穫ではあろうけれども――、法則は法則としての本来の機能を現わすことは出来ない。例えば社会が次第に分化して行くという普遍的な関係を指摘し得ても、この関係によって個々の社会現象が今まで出来なかった仕方に於て説明され得、又之を機関として更に個々の現象の研究を進め得る、そのような実践的機能を有たない限り、その関係はただ単に法則の名を有っていると云うまでである。之を法則と呼ぶのは差閊えないであろう。そのようなものを法則と呼んで法則の名に満足することは、法則概念自身が許さない。ケプラーの法則はただ天体界の普遍的関係であるのではなくして、之によって諸々の星の軌道を計算し得るものでなければならないであろう。法則は、法則概念の性格それ自身によって、単なる普遍的関係ではなくして、与えられたる諸現象を説明し得、且つその上に、未だ与えられない諸現象へ理論を嚮導し得る資格をもたなければならない。この与えられたる又未だ与えられない諸現象――それは普遍的ではなくして個々の現象である――を法則が規制するのでなければ、法則は本来の法則ではない。法則の目的は個々の現象を統一的に記述することに存在する、普遍的関係を用いることはそれの一つの手段の外ではない。法則は普遍者に到着することが目的ではなくして個々の現象に還ること――それこそ学問的実践である――を目的とするものであることを特に吾々は注意しなければならない。この意味に於て、法則の有つ一般化は Generalisierung ではなくして Isolierung と呼ばれることに重大な意味があるであろう。リッケルトの法則概念はこの関係を意識することに於て、散漫であった。
* 法則が理論に与える実践的機能を人々が意識しない時、無益なる法則概念が成立するであろう。この機能なき法則概念を強いて機能せしめようとする時、生まれるものは不生産的な衒学的理論であると思われる。吾々は物理学を模倣して法則的であろうとする様々の学問に於て、そのような法則概念の使用を見る。

 法則の機能性は次の場合を考える時愈々明らかとなるであろう。理論物理学的法則は多く代数的乃至微分的方程式の形をとることが出来る。この場合、この方程式によって云い表わされる関係それ自身が、普遍的であるというばかりではなく、更にこの方程式の各々の変数が普遍概念であることを注意する必要がある。というのは各々の変数が常数ではなくして正に変数であることに於て、法則の機能性を、方程式の関数性として、示しているのである。処が関数は一般に、個々の異った切線を有つ点の連続としての曲線を云い表わす。関数とはその微分係数が個々の切線の方向を与え得るような一般者である。関数の場合の一般者は個々の場合を除外しない。そして理論物理学の法則は実際、このような関数なのである。故に法則は今の場合に於て、その機能性を――関数性を――最も鮮明に示すことが出来る。法則の機能性に於て現われる一般化は、決して個々のものを排除することを意味するのではなく、個々のものを俟たずには却って一般化の目的を失って了わねばならぬであろう。リッケルトが与えている法則概念は少くとも法則のこの重大な性質を強調することを忘れている。困難は茲に横たわる。
* この弱点を指摘したものの内で代表的と考えられるのは、カッシーラーである(Cassirer[#「Cassirer」は底本では「Gassirer」], Substanzbegriff und Funktionsbegriff, S. 292 f 参照)。

 この困難は併しながら、リッケルト科学論の理論的整合から見て、必ずしも致命的ではないであろう。なる程自然科学――それは普遍的法則を求める――は決して個々のものを排除しはしないであろう。併しそうであるからと云って、自然科学の法則が個別的なものを記述することにはならない。個々のものは成る程一般的なるものとしてではなく正に個々のものとして、法則の規制を受けるのではある、併しそれであるからと云って、個々のものの有つであろう個性が、個性として、法則の支配を受けるということにはならない。相異るもの――個々のもの――が必ずしも個別的なものではなかったことを人々は思い起こすべきである。個別的という概念によって理解されるべきものは実は常に、個性を有ったものでなければならなかった。処が個々のものは差異性をこそ持て、それだけではまだ個性を有ちはしない。問題は個性の有無であった。そしてリッケルトは、その概念規定がやや不適当であったとしても、とにかく量的個別性と質的個別性とを区別することによって、この区別を与えていたであろう。それ故例えば精神物理学が個別的なそして而も質的なものを取り扱うからと云っても、個別や質がこの場合個性的なものを意味しないからには、この科学が依然として自然科学にぞくすることを妨げはしないのである。真に個別的なるもの――個性――は一定の価値に関係せしめられて初めて理解されるべきであった。かかる価値は自然科学の対象の規定に少しも与かる理由を見出さない。個別化はそれ故矢張り歴史科学にのみ特有であるのである。それであるから、自然科学は、その法則は、個別的なものを取り扱わない、というリッケルトの言葉は、一応誤ってはいないであろう。――ただ批難されなければならぬものと見えるのは、この言葉によって事実上暴露されている処の、自然科学的法則概念の理解の不充分さである。元来自然科学的概念構成の限界を決定することによって歴史科学の概念構成の特色を説明しようとするのが、科学論の理論上の手続きであったのであるから、この自然科学的概念構成の特徴として掲げられた法則概念がすでに不充分であることは、必然に自然科学的並びに歴史科学的概念構成の理論を薄弱にしないではおかない筈である。特に今は自然科学に就いて――歴史科学に就いては後を見よ――この弱点が恰も指摘されたのであった。
* フリッシュアイゼン・ケーラーはこれを一例としてリッケルトの困難を指摘し得たと考えたが、それは誤解であるであろう(Wissenschaft und Wirklichkeit, S. 151)。

 第二の批難が示すものは、一般的に云うならば、科学論が特に自然科学的方法の現実的内容へ充分に立ち入ることをしなかったという欠点である。この欠点故に科学論は、現実の科学の、特に自然科学の、内部に立脚しない処の、地盤を有たない方法論として意識される理由があるであろう。自然科学の地盤から加えられる批難は、それが正当な批難であっても不当な批難であっても、その根本的な動機をこの意識から享けていると思われる。

 第三の批難。歴史科学が取り扱う概念は個別化されたるもの、個性、であったが、個性とは実は価値へ関係づけられたる限りの個物を意味するものとして理解された。歴史科学的概念構成の性格は価値関係づけであると考えられた。併しながら、所謂価値関係づけだけによっては、歴史科学的概念構成の性格は明らかにされず、又価値関係づけがそれの最も重大な特色であるのでもない、之がフリッシュアイゼン・ケーラーの第三の批難である。歴史科学的記述は、個物のもつ多様の性質の内から特に価値に関係づけられて取り出された特定の性質だけを記述することである、と云うのが誤りであると云うのではないが、歴史科学にとって重大な関心となるものは、単に歴史科学が今述べたように記述するものであるという主張ではなくして、如何なる手続きを経ることによって歴史科学がかかる記述を現実的に行ない得るかにあるであろう。なる程価値へ関係づけられることによって歴史科学的統一の準備は整ったであろう。併し単に価値へ関係づけられただけの対象はそれだけではまだ実際の統一を有ってはいない。例えば歴史家が実際に、或る歴史的人物の個性を記述するとしよう。彼はその人物の全体を標準としてその部分となるべき一切の行動や表現を材料として選択しなければならない。この場合材料の選択はそれがこの全体の有つ内部的連関を明らかにする材料として役立つように行なわれるべきである。この選択は価値へ関係づけて行なわれるには違いない。併し選択しただけではまだ実際の記述ではない、現実の記述は、この材料を如何にして全体と部分の連関として関係づけるかという、現実的な問題の内に存する筈である。故に価値へ関係づけるという性質を特に指摘して見た処で、歴史的部分相互の、又部分が全体に対する、連関の実際上の分析には、少しも現実的に寄与することを得ない。歴史科学的概念構成の特色はそれであるから、単に価値関係づけであると云うことによっては現実的には明らかにされ得ない。そうすれば次に、価値関係づけは第二段として、特に云い立てる必要のないものとしてしか意識されず、之に反して歴史的全体と部分とを連関せしめる現実的な方法が、第一義的な問題となって、歴史科学的概念構成を性格づけると考えられることは自然であるであろう。価値関係づけという規定はこの時次第に無視される結果を招き、従って例えば「自然科学的な意味に於て構成され得る特徴を与えるのでなければ、どのような特殊の事物の記述も不完全である」というような点が力説されることとなり、そして却って之が、価値関係づけだけでは歴史記述の解明として不充分であることの証拠と考えられるに至るであろう。又例えば価値関係づけとは、歴史家にとって単に、歴史的全体――歴史的普遍概念――の内容へ歴史的事件を従属せしめることを意味するにすぎない、とも考えられるに至るであろう。そうすれば歴史記述の特色はもはや価値関係づけではなくして、例えば、目的乃至作用の連関の記述になければならないと考えられるのも必然であろう**
* Frischeisen-K※(ダイエレシス付きO小文字)hler, Wissenschaft und Wirklichkeit, S. 164―175 参照。
** 同上 S. 176 及び Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in der Geisteswissenschaft(Gesammelte Schriften, Bd. 7, S. 138)参照。フリッシュアイゼン・ケーラーはディルタイに基く。

 この批難は併し、直接には、少しもリッケルトに対する批難とはならない。何となればリッケルト自身、歴史的な作用の連関の記述を以て歴史記述の目的と見ているのだからである。個別的因果の概念の如きかかる連関に就いてこそ必要であったのである。却って彼は、一般に承認されているであろう処の歴史記述の今のこの目的の根柢に、価値関係づけという新しい関係を見出した点に於てこそ、独創的であったのである。フリッシュアイゼン・ケーラーの批難は、リッケルト自身が述べているように、彼に対する誤解に基くと云うことが出来るであろう。併しながらこの誤解は決して無意味な誤解ではない、それは結局リッケルトの事実上示している一つの欠点を指摘する動機に基いているからである。リッケルトの科学論に於ては、歴史記述に就いてただ価値関係づけという規定だけが強調され、之に反して歴史的作用の連関という他の重大な規定は極めて軽んじられて見えることは事実である。処が作用連関の記述こそ歴史記述の現実的な規定でなければならない。というのは、価値関係づけという規定を指摘した処で歴史家の歴史記述に対して実際上の解明を与える余地は恐らく少ないであろう、之に反して作用連関の記述の仕方を指摘することは、それ自身実際的歴史記述の解明であるであろうから。人々は茲にリッケルトの歴史哲学とディルタイの夫とをその実際上の効果に於て比較して見るべきである。歴史記述のこの現実的な規定――作用連関――を特に強調しようとすることが、とりも直さずフリッシュアイゼン・ケーラーの批難の根本動機をなす。であるからこの批難は直接にはリッケルトに対する批難となることは出来ないが、それにも拘らず、間接に、結局は、科学論の一つの欠点を実質上指摘しているものでなければならない**
* 人々はリッケルトの歴史理論と、例えばエドゥアルト・マイアーの歴史論とを比較して見よ(E. Meyer, Zur Theorie und Methodik d. Geschichte. ―― in“Kleine Schriften”)。両者の比較はすでにマックス・ヴェーバーによって与えられている(M. Weber, Zur Auseinandersetzung mit Eduard Meyer. ――“Gesammelte Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze zur Wissenschaftslehre”, S. 215 ff.)。
** この欠点を補ったものに相当するのは Max Weber, Objektive M※(ダイエレシス付きO小文字)glichkeit und ad※(ダイエレシス付きA小文字)quate Verursachung in der historischen Kausalbetrachtung(“Gesammelte Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze zur Wissenschaftslehre”, S. 266 ff)であるであろう。

 歴史科学の概念構成が価値関係づけであるという主張は、そのものとして、誤りでないばかりではなく、至極必要なそして意味ある洞察に基いたものである。人々は之を否定することは出来ないであろう。ただかく主張することによって、歴史記述が現実に遂行されるその手続き――之こそ真に概念構成の名に適わしい――を充分顧みる必要がないかの如く見えるように振舞うならば、それは事実上、一つの重大な欠点として現われてくることは当然であるであろう。科学論の第三の批難はこの欠点を指摘する処に横たわる。歴史科学的概念構成の現実的内容に充分立ち入らず、従って歴史科学的方法のただ観念的な――現実的に対象に食い込まない――規定のみを与えることに満足するかのように見えるこの欠点を指摘しようとすることが、歴史科学の地盤から加えられる処の、多くの正当な又不当な、批難の根本的な動機であるであろう。

 第四の批難。私はフリッシュアイゼン・ケーラーの加えた批評から離れて、科学論に対する更に一般的なそしてより重大と思われる、批難を顧みる。歴史科学が法則を求めることをその目的としないということ、個別化がその概念構成の特色でなければならないということ、之に対する批難とその或る意味に於ける弁解とを私はすでに述べた。併し之までの攻撃は必ずしも積極的な攻撃でもなければ正面からの衝突でもなかった。今度は之に反して、歴史科学の地盤から現実の歴史記述に立脚して、積極的な正面からの攻撃が加えられる場合である。最も有力な攻撃は主として、歴史を社会概念へ関係づけて理解しなければならないと考える人々から加えられている夫であろう。一方に於ては伝統的歴史家から例えばランプレヒトの場合を、他方に於ては唯物史家の場合を、この例として挙げることが出来る。前者にとっては社会的心的法則が、後者にとっては社会的物質的存在の法則が歴史を一貫する原理であり、そして歴史科学は、それの追求並びに之による歴史の説明を目的とするものとして、理解される。元来歴史に於て法則を否定することこそリッケルトの歴史科学方法論の核心であり又その独創であったのであるから、この攻撃は正に正面的である他はない。そこでリッケルトはこの攻撃に対して答える。所謂歴史的法則と考えられているものは、実は歴史の原理ではなくして社会の原理に外ならない。社会生活の原理として、社会学の対象として、そのような法則は意味あるものであろう。併し元来社会学は、往々それを要求されるにも拘らず、決して歴史哲学であるのではない。それは社会生活の原理を求めるのであって文化生活の原理を求めるものではないからである。文化生活の原理、それこそ歴史的原理であるであろう(歴史的原理はリッケルトによれば再び価値の外ではない)、併しそれは歴史的法則ではない。歴史的法則という概念は論理的矛盾であって論理的に不可能である、と**。それ故リッケルトによればこの批難の誤れる根拠は歴史概念と社会概念との――文化自然との――混同に存在しなければならない。
* 前者が国民を以て、後者が階級を以て、支配的な社会単位と見做しているのも好い対照である。
** Die Probleme der Geschichtsphilosophie, S. 89 ff 其の他参考。

 なる程歴史と呼ばれるものも社会と呼ばれるものも与えられた実在ではなくして、実在に加工することによって構成された夫々の概念であったであろうから、たとい歴史と社会とが現実には離れることの出来ない関係にあるとしても、二つを離すことが出来ないのでもなく、又離してならないのでもない。そして二つを一旦全く引き離して了うことは、概念を学問的に明晰にするために常に必要であるであろう。併しそのことは、一方のものを他方のものへ関係づけて、よりよく立ち入って理解することを、禁止する理由とはなり得ない筈である。歴史と社会とが、相互に独立なものではなくして常に結合しているということが事実であり、この事実を明晰に理解するためにこそ、一旦両者の区別を明晰にする必要があったのであるから、之を通り過して更により好く両者の結合を理解することこそ、却って両者の区別の動機と目的とに一致する筈である。歴史概念は現実的には社会概念を離れて成り立つことは出来ない。歴史の現実的概念――現実的概念と観念的概念との区別は前を見よ――は常に社会概念への関係を含まずにはあり得ないのである。事実、歴史を単に観想的――それは観念的なるものの代表的な場合である――に理解するのではなくして、現実的――それは実践的なるものの代表的な場合である――に理解しようとするならば、社会概念こそ歴史概念の中枢でなければならないと考えられるであろう。今はもはや歴史を吾々の現実の関心から遠ざかった過去の事物と見るのでなくして、現に吾々を動かし、又吾々が現にその内に於て動き得るような、そのような現実の運動として見るならば、歴史は常に社会に於てこそ見出されるべきであろう。この場合、あくまでも歴史と社会との区別に執着するならば、それは無意味であると云わなければならない。もし歴史を文化概念に帰着せしめることによって、之を社会から区別し得ると考えるならば、社会――それは自然概念に帰着する部分をもつ――を除外した文化概念こそは、文化の正に代表的な観念的概念に外ならないであろう。――さて歴史概念と社会概念とが現実的に云って分離されてはならないものであるならば、両者の混同は批難されるべき混同ではなく、却って両者を区別したままに放任しておくことこそ批難されるべき不充分さと見えるであろう。科学論の歴史概念は歴史の観念的概念に過ぎない。観念的概念はその内部に於て何の矛盾も不当も有つものではないが、之に止まるということは、即ち歴史の現実的概念に眼を蔽い況して積極的に之を排除することは、必然的に事実上、批難を呼び起こす理由があるのである。
 併し、科学論に於て歴史概念が観念的概念に止まっているという事情は、科学論にとって偶然であるのではなくして、科学論そのものの動機から必然的に動機されているのである。科学論の歴史に対する関心は、専ら歴史記述がどうあるかに存在する。というのは、歴史的存在とも云うべきもの――それが現実的にはとりも直さず又社会的存在である――はとにかくとして、それよりも先に之とは独立に、歴史科学的概念構成がどうあるかが問題なのである。茲に科学論が、その問題提出の仕方そのものに於て、問題の観念的解決を約束しているのを人々は見ないであろうか。処が科学的概念構成として歴史科学の特色を求めるならば、当然自然科学の概念構成――法則を求める――の限界から出発しなければならないから、之に対して個別化が歴史科学の概念構成を第一に性格づけるものとして現われるのは必然でなければならぬ。歴史的存在そのものから出発せずして、一旦之とは独立に理解された限りの歴史学的方法から問題を提出すれば、科学論の理論の順序は必然に、この方法を個別化に於て求めさせる他は結果しないのである。かくて科学論の歴史概念が観念的概念に止まらないわけに行かず、従って科学論は歴史学的方法を個別化に求める他はなかったのである。之に反して今、もし歴史的存在の側から問題を提出するならば――そして之が社会的歴史観の理論の順序である――、それは必然に歴史に就いての現実的な解決を約束するであろう。そうすれば科学論の主張とは異って、歴史が法則を有つということもありそうなこととなるかも知れないのである。この法則は併し恐らく自然必然的な自然法則――それはリッケルトによれば反覆を意味した――ではなくして、ただ歴史的社会的存在に於てのみ見出され得るような歴史運動の原動力としての歴史的法則でなければならぬであろう。之が自然科学に於ける法則とその性質を全く同じにするということはあり得ないことであろう、それにも拘らず矢張り一つの法則と呼ばれねばならぬ関係でそれはあると想像される。歴史的法則は自然法則ではないと云ったが、そうであるからと云って又、それと単なる歴史的連関とは同じではないであろう。何となれば歴史的連関を如何に理解するかということがすでに歴史的法則を如何に把握するかに依存しているのであるから。さてこのような歴史的法則が実際見出されると考えられる時――例えば人々は之を歴史的弁証法に於て見出すと考えている――、歴史科学はもはや単に個別化をその方法とするのではなくして、又一つの法則科学として主張されることが許されるであろう。之を例えば歴史学から区別された単なる社会学として片づけることは出来ない、現実的な歴史概念はもはや社会概念から独立ではなかったから。
 科学論に対するこの批難はそれ故、歴史に就いての現実的概念として歴史科学の現実的内容となって現われるべき歴史的存在――それは同時に社会的存在でもあることをその特色とする――への関心を怠り、そして専ら、歴史的存在とは独立に理解された歴史叙述――歴史科学的概念構成としての方法がそれであった――に対してのみ関心をもつ、という科学論の根本的な重点に向けられている。歴史叙述としての方法概念が、歴史的存在としての対象概念へ、まだ充分に現実的に交渉を有たないという点に、結局の批難が加えられているに外ならない。歴史科学が法則科学ではないという科学論の主張に対する正当な又不当な批難は、多く茲にその動機を有つであろう
* 歴史と社会との現実的に不離な関係によって、吾々は歴史科学の概念から直ぐ様社会科学の概念――人々はこの概念を最も一般的に理解すべきである――に思い至る筈である。併し社会科学に就いての問題は、吾々が取り上げている今の科学論の問題の動機の外に、之と異った他の動機を持っている。であるから、吾々は之を他の機会に独立に、但し恐らく学問論乃至科学論の名に於て、取り扱うことが便宜であるであろう。

 リッケルトの科学論に対する四つの重な批難を私は吟味した。此等の批難が吾々にとって何を意味するかを改めて述べよう。
 第一の批難は、与えられた事実(実在)と科学的概念構成との相互に独立な対立に基く立場に向けられると云った。事実と概念構成とが内容形式として、又より一般的に云うならは客観主観として、対立する処の、カント的立場に対する批難でそれはあった。このカント的・認識論的(又それは論理的と呼ばれる)立場が一応は必然であることを吾々は前に見ておいたが、今やこの立場が要するに一応のものに過ぎず終局的なものではないことが、この批難によって指摘されたわけである。故に第一の批難を吟味した結果は、認識論的立場――形式と内容・主観と客観の対立――を棄てることを吾々に要求する。科学的概念構成と事実・実在との対立は、もはや相互に独立と考えられる形式と内容・主観と客観とのそれであることを許されず、何か他の意味での対立でなければならぬことが要求される。そして実際、両者の対立は方法対象との対立であったのである。処が方法と対象との対立は認識論的な主客の対立ではなくして存在論的――そして弁証法的――対立でなければならないことが、吾々の抑々の出発点であったから、それであるから認識論的立場を棄てねばならない今の吾々は、認識論的立場を去って恰も存在論的立場に移ることを要求されているのである。科学的概念構成と実在との関係は、もし両者が夫々方法と対象として理解されるならば、始めから存在論的立場――リッケルト自身の認識論的・論理的立場ではなく――に立って取り扱われるべきであったのである。
 さて併しこの新しい――実は最初から決めておいた――存在論的立場に立つと、対象と方法とは相互の運動を有たねばならぬ筈であった。方法は対象への、対象は方法への、運動に於てのみ、夫々方法であり対象であったのである。恰もリッケルト自身が対象と呼ぶものは方法によって規定された限りのこのような対象であったであろう。夫はそうとして今吾々にとって重大なのは、存在論的関係に於ては、方法と対象とがもはやこのような対立にも安住していられないという事である。というのは、方法と対象との対立――それは常にリッケルトの科学論に於ける方法概念の特色をなす――は、方法概念の運動の必然性によって、やがてはもはや両者の対立ではなくして両者の合一にまで至らねばならない理由があった筈である。方法は単に対象に対立するものから、対象と合一したものとしての夫へ、運動しなければならなかった――前を見よ。対象と対立するものとしての方法こそリッケルトの科学論の方法概念であった。之に反して、対象と一つとなったものとしての方法は必ずしも夫ではない。故に方法概念が概念的運動に於て対象と対立するものとしての兵站を進出する時、即ち対象と合一する時、即ち又対象そのものに食い込みこの対象に於てのみ見出される如きものとなる時、その方法概念はリッケルトの科学論――それは元来主客の認識論的対立から出発した――にとって必ずしも適切ではなくなるわけである。第一の批難が指摘した欠点は、吾々にとって以上の意味をもつ。さて第二第三第四の批難は恰も、今のこの不適切さの云い表わされたものであるであろう。何となれば此等の批難によって見出された欠点は一般に、方法論が――それに於ける方法概念が――まだ充分に現実的・実践的でないという処に見出されたのであったが、充分に現実的・実践的でないということはとりも直さず、方法が科学の現実的内容に、即ち又科学が取り扱おうとする生きた対象の内に、まだ充分に食い入っていないことを意味するに他ならないから。
 故に云うことが出来る。科学論の困難は、方法概念が、対象と一つになった方法・対象としての夫にまだなり切らない処に発生する、と。さて方法と対象との一致、それを吾々は科学的世界の基礎に於て見出した。――前を見よ。
* リッケルトは形式的に自然科学と歴史科学とを区別し、内容的に自然科学と文化科学とを区別する。歴史文化との区別は対象世界との区別に相当するであろう――前を見よ。
 方法概念の運動――対象との対立から対象との一致への運動――によって、科学論(科学方法論)の概念も亦運動しないわけには行かない。科学論はこの運動に於て、その過去からの影響を全くすてて新しい形態をとらねばならないであろう。というのは、学問の分類という概念からの運動であった過去の因縁をすて(科学論は科学の限界を決定することに没頭していた)、夫々の方法それ自身の内容を(諸方法の区別にばかり没頭せずに)分析しなければならないであろう。
 かくて最後に、科学論の形態は、科学的世界の方法論的分析として現われて来なければならない。科学的世界の基礎、それの基礎的構造、之の分析こそ科学論――方法論――の真に実りある内容となるであろう。そして吾々は自然科学と歴史科学とに於て、夫々之に相当する科学論――方法論――を事実見出すことが出来る。歴史的世界の構造を分析したものは例えばディルタイであったし物理的世界の基礎の研究を与えたものは理論物理学の原論に相当する相対性理論であった。
* ディルタイは歴史的世界に就いて云っている。「世界の概念に於ては次の要求が云い表わされる、体験し得べき一切のもの直観し得べき一切のものを、之に含まれている事実的なるものの諸関係の連関によって云い表わすという要求がそれである」と(Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in der Geisteswissenschaften, Gesammelte Schriften, Bd. 7, S. 129)。
(科学的世界によって科学が分類されるであろうことを私は前に触れた。自然科学が歴史科学――精神科学――に対してもつ限界 Abgrenzung を与えたものは再びディルタイである。)

 リッケルトの科学論が夫々の科学的世界の現実的内容にまで食い込むことが出来ず、従ってそれだけ現実的・実践的・実際的でないということ、之を吾々は見たし、又之を人々はよく説くであろう。それが科学論にとって、結局は一つの致命的な欠陥となることを否定出来ないであろう。併しこの欠陥は、他の点に於て、非常に尤もな理由を有っている。今この理由を理解するのでなければ、リッケルトの科学論を根本的な動機から把握したことにはならないであろう。リッケルトの科学論の動機の一つ――それは今まで学問の分類それに従って又方法論の動機となって現われた――は、根本に於て、学問性の特色を明らかにするという動機によって動機されていることが見出されるであろう。何となれば事実彼は、単に学問の分類を――他の多くの人々が百科辞典的興味からしたように――学問の分類として企てたのでもなく、又単に方法論を各個科学夫々の方法の理論として試みたのでもなくして、全く、自然科学に於ける学問性が歴史学に於ける学問性をまでも圧倒しようとした諸科学の一時的歴史状態に基いて、特に自然科学的学問性――それを彼は一般化的概念構成に求めた――から、歴史学的学問性――価値関係づけ――を防護しようとする関心から出発したのであったからである。それ故にこそ、彼の科学論は学問分類一般ではなく、特に自然科学と歴史科学との限界を与えるべき「区別の徴表」の発見をその課題としたのであったし、又この二つの科学に就いても夫々の方法の現実的内容にまで立ち入って規定することを当面の課題とはしなかったのであった。自然科学と歴史科学との限界、而も夫々のもつ学問性の区別、之を見出すことがリッケルトの科学論の根本的な動機をなす。
 学問性の区別を見出すこと、これは方法論の名に値いする。何となれば、学問性こそ学問に於ける方法概念の最も根柢的な形態であったことを吾々は最初に決めておいたのであるから。
 処がリッケルトの科学論・方法論は夫々の科学の学問性そのものの考察ではなくして正に二つの学問性の区別を求める処にその特色を有っている。学問性の追求が根柢的な動機ではありながら、この動機は、そのまま現われずに、彼の所謂方法論としての、そして最も直接には分類論としての、動機となって現われていたのである。さてこのような分類の動機は向に述べた処によって、リッケルトの科学論が発生した歴史的条件に由来するに他ならなかった。之はリッケルトの科学論の歴史的なそして全く暫定的な制限であるであろう。この制限を除いて、なお夫々の科学の学問性の分析が、方法論・科学論の最後の形態として残される筈である
* 吾々は始めに学問性一般の分析を行なってある。今度は夫々の科学の学問性を分析する場合に来る。

 科学論・方法論の二つの形態――リッケルトの科学論では尽されなかった二つの形態――が残された。夫々の科学の科学的世界の分析と夫々の科学の学問性の分析。――私は相対性理論の場合を採って前者を代表せしめ、次に之を手懸りとして後者を試みるであろう。
[#改丁]

科学的世界、科学の学問性


第一部


 方法概念はその第三の形態として、科学的世界の基礎を意味した。ここに於ては方法と対象との合致が、即ち対象としての方法概念が、最も徹底的に現われる。それを吾々は初めに述べておいた。さてこの科学的世界の基礎を考察することが、之から吾々がとり扱おうとする方法論の任務となる。処で科学的世界とは何か。併し世界とは何か。
 或る意味に於て吾々は世界に於て生活している、吾々は世界に於ける存在であった――前を見よ。まず世界という存在が初めからあって、その上でその存在の内部に吾々が初めて位置を占めていると云うのではない。却って吾々の存在そのものが初めてその周囲に世界を有つのであった。このような世界は特に人間的存在に固有な規定でなければならない。――併し今私が世界と呼ぼうとするものはこのような意味での世界ではない。之とは反対に又之とは異って、事物がその内部に於て位置を占めるに先立ってまず予め存在すると考えるのを許すことの出来る処の、或る特殊の幾つかの存在が吾々の云う世界である。初めに必要なことは、世界が、諸々の事物がその内に存在しそれにぞくすることの出来るような、事物の存在の仕方を云い表わす一つの存在概念であることである。同一の事物が様々の世界にぞくするものとして自らを見出し得るので、様々の世界は事物を媒介として互いに交錯することが出来る、それは単に相互の限界を有つのではない。自然・歴史・社会等がこのような世界であるが、実際同一の事物も自然にぞくするものとして、又同時に歴史に、社会に、ぞくするものとして、現われることが出来るであろう。凡ての個々の事物は或る意味に於て、此等世界の任意の一つにぞくすことが出来る、各々の世界は凡ての個々の事物を包括し支配することが出来る。故に世界はこの意味に於ける普遍性を有つことをその特色とするのである。
 世界の概念は決して専門的研究を俟って発生した概念ではなくして、人々が日常所有している一つの基礎概念であるであろう。何人も学問的研究に先立って、日常的概念として世界という概念を理解し得ているに相異ない。今この日常的概念である世界をば、世界そのものとして――世界にぞくする事物としてではなく――、科学的に取り扱う時、世界は科学的世界である。

 日常的概念・世界――それは普遍的なる存在の仕方であった――は個々の事物を包括して支配すると云った。世界それ自身を取り扱う使命を有つ科学と、世界にぞくする個々の事物を取り扱う科学とを、今区別する必要がある。世界は普遍的存在であったから、之を取り扱う科学はその限り普遍性を有ち、之に反して個々の事物を取り扱う科学はこの普遍性を有つことが出来ない筈である。自然という世界を取り扱う科学――物理学がその代表者である――の得た成果は、自然全体に対して、即ち自然にぞくする一切の事物に就いて、妥当しなければならない義務と権利とを有っている。之に反して例えば湖沼というような一個の事物を取り扱う科学――湖沼学――の成果は、ただこの特殊の事物にしか妥当する権利を有たない。第一に、前者は普遍性を持ち、然るに後者は夫を持たない。次に個々の事物は、各々の世界にぞくすことが出来る筈であったから、各々の世界を取り扱う夫々の科学――自然科学・歴史科学・社会科学等――に特有な夫々の方法に従って、凡ての事物が取り扱われ得る。故に個々の事物を取り扱う科学の所謂方法は多くの方法の混合であることが出来るであろう。この場合の方法はそれ故一義的ではない。之に反して一つの世界それ自身が他の世界にぞくする理由はないから、之を対象とする科学の方法は一義的に決定されていなければならない。湖沼学は物理学的にも神話学的にも経済学的にも取り扱われることが出来るであろう。物理学は然るにただ物理学的にしか取り扱われてはならないと考えられる。後の場合の方法は世界それ自身に又その科学に、固有である、之に反して前の場合の対象には固有の方法を指定する理由があるとは限らない、従ってその科学にとっても亦固有の方法があるとは限らない。一つに於ける方法は一義的・固有でなければならない、一つに於てはそうではない。
 世界を取り扱う科学、従って又科学的世界をその対象とする科学は、かくして普遍性を有ち、又世界並びに科学自身に固有な一義的な方法を有つからして、この種類の科学は、単に個々の事物を取り扱う種類の科学――それは世界を対象とすることは出来ない――に較べて、何か優れた資格を有つものと考えられることが必然である。科学的世界を対象とする科学は、そうではない科学に較べて、何か本格的と考えられる理由が之である。
 私は問題を簡単にするために、世界を自然にのみ限ろう。そうすれば以下、科学的世界は自然科学的世界に限られる。

 自然は一つの世界であると云った。但し自然が、個々の又特殊の物体を、生物を、現象を、意味する時、それは世界にぞくする単なる事物を意味するに他ならない。人々が自然をこのような個々の事物として理解している場合のあるのは事実である。処がこのような一切の自然的事物を包括し支配する処の世界をも亦事実人々は自然と呼んでいる。自然は個々の事物としても、又普遍的世界としても理解出来る。今はただ後者の意味をのみ取る。世界としての自然、この日常的概念は更に、科学的世界としての自然――自然科学的世界――となることが出来る。
 世界としての自然――自然的世界――を取り扱う科学が必ずしも自然科学の凡てではないことを注意しなければならない。この自然は単なる個々の事物を指すのではなかったから、この個々の事物を取り扱う限りの自然科学は、自然的世界を取り扱う処の科学ではない筈である。自然的世界を取り扱う科学、即ち又自然科学的世界を対象とする科学、それは物理学の他ではない。実際、それであるから、物理学のもつ科学的世界――物理学的世界――は一切の自然的事物を支配し包括する普遍性を有つ。植物学そのものとしては動物学の対象を取り扱うことは出来ない、之に反して物理学そのものとしては両者の対象を取り扱い得るのでなければならない。それから又事実、物理学の方法は多くの方法の混合ではなくして、一義的に決定されたそれであり、而もその方法は物理学にのみ固有なそれでなければならない。それ故に又実際、物理学は本格的な科学と考えられることが出来るのである。物理学は他の自然科学を代表する処の典型として、事実考えられていることが之を証拠立てているであろう。
 物理学――この特に本格的な自然科学――の方法を、単に法則を求め一般化を行なうという言葉によって云い表わすのは、不充分に過ぎるという意味に於て不適当であるであろう。況してそれが物理学的世界――自然――に対する理解を少しも助けることが出来ないのは当然である。自然は任意の自然科学が有つことの出来る単なる領域ではない、そうではなくしてそれは一つの世界である。この世界に一定固有な科学が正に物理学なのである。
 自然にとって一定固有であり、従って本格的である処の、物理学のこの特有の資格は、併しながらまだ物理学の権威の半ばを保証するだけである。というのは、物理学の権威として寧ろまず第一に指摘されるものは、それが数学を含みその限り精密であるという点にあるのであるから。そこで吾々はこの点を追求して見なければならない義務を負うているわけである。そしてこの点の追求はやがて遂には、物理学の向の本格性へ、即ちそれが有つ物理学的世界へ、それによって又この世界の基礎に於ける方法と対象との合致へ、具体的な姿を以て、帰着して行くであろう、それを今之から吾々は見よう。
* 物理学が数学的である点に於て科学としてのその権威を示していることを哲学的に特に指摘したのは、カントの功績の重大なものの一つである。併しこの点を最も高調したのは――コーエンを通って――ナトルプであると思われる(P. Natorp, Die logischen Grundlagen der exakten Wissenschaften は之を代表する)。

 科学はその内に数学を含む限り精密であると呼ばれる。併し数学には云うまでもなく様々の種類と段階とがあるのであるから、それを決めない限り、精密という言葉は全く曖昧であることを免れない。如何なる数学が如何に含まれる時、科学は最も精密となることが出来るのか。
 科学に対する数学の応用は様々である。統計的研究の根柢に於ては一般に公算論が用いられる。社会現象に之を応用することは何人も知っている処であるが、自然に対するその応用も重大な意味を有つであろう。例えば物理的法則を力学的法則と統計的法則とに区別することが出来るならば、従来行なわれて来た純力学的研究に於て、支配的であったものが前者であったに対して、例えば熱力学的研究によって新しく要求されたものが後者である**。前者は云わば大宇宙的自然の孤立的現象――天体のような――に固有であり、後者は云わば小宇宙的自然の集団的現象――分子のような――に固有であると云うことが出来るであろう。処が人々は公算論が科学へ応用されるという点だけを取って、科学の精密さを代表させようとは思わないであろう。なる程この応用が科学を或る意味に於て精密にすることを否定するのではないが、或る科学が精密であると呼ばれるのは、就中公算論が応用されたからである、とは云えないであろう。精密という概念を用いる動機は他にある筈である。或る範囲の代数が用いられるからであるか――メンデリズムの場合に於ける組み合せの如く。生物学に代数を用いることが出来たからと云って――それに応用の範囲は極めて小部分に過ぎない――、生物学が精密となったと思うならば、違算である。例えば群論が礦物学へ応用される場合に就いても亦そうあるであろう。何人も又代数式が――方程式が――用いられたからと云って精密科学を獲得したとは考えない(例えば経済学的公式***)。精密という概念が用いられる動機は依然として他にあるのであろう。
* von Kries, Die Prinzipien der Wahrscheinlichkeitsrechnung, S. 192 ff 参照。
** この区別を吾々はプランクから学ぶ。自然科学に於ける統計的法則はボルツマンによって促された(Planck, Physikalische Rundblicke)。
*** これはすでに、単に所謂法則を有つことだけでは科学の精密性はまだ与えられるものではない、ことを示しているであろう。
 数学の応用が科学を勝義に於て精密ならしめるのは、この数学が、空間との対応を含む場合であるのである。人々は直ぐ様幾何学に思い及ぶであろうが、幾何学であっても、例えば位置解析学や、純粋射影幾何学は数とは無関係である。このような幾何学の応用は科学を精密にはしない。計量的な幾何学のみが、数と空間とを対応させる幾何学だけが、――そして逆に幾何学を外にして之をなし得るものはない――それを応用した科学を精密にすることが出来る。何故幾何学を他にして之をなし得ないかと云えば、例えば算術や代数の数値を延長として解釈することは、要するに一つの解釈であって、必ずしも数と空間(延長)との対応ではないからである。もし延長が延長と解釈されたものではなくして実際の延長であるならば、それはとりも直さず、幾何学的座標に依っていることに他ならない。数と空間との対応は幾何学だけに固有なのである。尤も計量的な幾何学であっても、射影幾何学的計量に基くものに於ては、数と空間とが対応するのではなくして、矢張り空間が数として解釈されるに過ぎない。そこでただ純粋の計量幾何学のみが数と空間との対応を与えることが出来る。之を云い換えればこうなる。ただ座標幾何学のみが科学を精密にすることが出来る、と。精密という概念の動機を追求すると吾々はこの結果へ行き着く。
 科学の精密性の有無はその最勝義に於て、単に数学を含むか否かにあるのではなくして、座標――一切の純粋計量幾何学は座標幾何学となることが出来る――に依るか否かで、あるのである。処で座標は空間を代表することが出来る。というのは、もし人々が空間概念によって、質ではなくして何かの量を理解するならば――そしてそれは人々が事実欲している処である――、このような量概念の最も精密な表現が座標であるからである。そうすると吾々は今やこう云うことが出来る、科学の精密性は、その最勝義に於て、空間に依って与えられる、と**。吾々は第一に、この言葉を今までの考察の一段階として、記憶しておく必要がある。
* カントの有名な言葉によれば、「科学はその内に数学が見出されるその程度に従って、真の科学となることが出来る」。真の―― eigentlich ――とは今の場合の精密を意味する。処がカントは数学によって実は、幾何学を意味するのである。
** この思想はデカルトに於て最も明らかに提唱された。

 座標――空間――がどのようにして科学に、無論特に経験科学に、用いられるかを見よう。計量幾何学に於ける座標は云うまでもなく計量の座標であった。処が之が経験科学に用いられる時、座標はもはや計量の座標としては理解し尽されないであろう、それは次のような理由からである。経験科学に於て最も精密なる――それはカントの言葉によれば eigentlich である――ものは力学である。ヘルツの真の力学(eigentliche Mechanik)を、経験科学に於ける最も精密なる部分の古典的表現として択んで見よう。ヘルツによれば真の力学は、時間と質量とが空間に結合した場合の力学を意味する、それはカントの意味に於て、先天的ではなくして経験的でなければならないという。処が、空間と時間との結合として定義された運動学、又空間と質量との結合として定義された静力学、この両者はヘルツによれば、カントの意味に於て、先天的であるというのであるから、空間・時間・質量は何れも先天的でなければならない筈である。そうすると、この先天的な三つの概念の結合であった真の力学が先天的ではなくして経験的であるためには、何か三者の結合の際に経験的なものが外から這入って来なければならない筈である。それは何か。三者の結合の仕方が夫であったのであるが、この結合の仕方とは力学的法則の外ではない。この法則が経験的であるのに相違ない。そうすればヘルツの真の力学に於ける座標――事実彼は形態座標なるものと絶対位置の座標なるものとを区別している――は、経験的法則によって制約されている。このような制約は単なる計量の座標に於てはあり得ない。故にこの場合の座標は単なる計量の座標ではなくしてそれ以上の何物かでなければならない。
 すでにヘルツの真の力学――この人為的とも思われる程幾何学的な力学――に於て、座標はもはや単に計量の座標ではない。人々が普通理解している力学――そこにはヘルツの場合とは異って物質とか力とかという経験的要素が含まれる――に於ては、況して益々そうなければならないであろう。けれども、座標が経験的法則によって制約される、と云っただけでは、その実際的な内容は少しも説明されていない。吾々はそれが実際的にどういう風になって現われているかを見なければならない。之を見ることによって、計量の座標以上であると云われた向の座標が、何と呼ばれて理解され得るかが初めて判って来るであろう。
 一般に物理学の対象は――中にも力学に就いては――ただ測定されることによってのみ存在する。物理学に測定し得るもののみ存在し、測定し得ないものは物理学的に存在しないことを意味する。処が法則は物理的に測定されたる量の一定不変の関係――精密なる場合はそれが方程式として現われる――に他ならない。そこで経験的法則とはこの場合、物理的測定に基いて見出されるものを意味する。法則が経験的であるとは実際、法則が物理的測定によって経験的に見出された場合を指しているのである。故に、座標が経験的法則によって制約されるというのは、実際の場合を云うならば、座標が物理的測定の座標であることを意味するに他ならない。物理学者が経験的に実際に観測しそこに立って機械を用いて測定するか、又はそうすると表象される処の、或る一点、又はこの一点と一定の関係のある他の点のみが、この場合の座標の原点となることが出来る。力学に於ける座標とは単なる計量の座標ではなくして、正に測定の座標であると云わなければならない。座標――空間――が経験科学に用いられるのは、ただ測定の座標としてである。故に今や、科学――経験科学――の精密性を与えるものは測定の座標であることが明らかとなった。
 処が、測定の座標としての空間、それは今述べたことから、測定の手段を、実際的な原理を、意味する。人々はただこの座標によってのみ事物を測定することが出来るのである。之は測定の物理的方法を意味する。併し又座標は座標の性質それ自身に基いて、この場合、測定されたる量そのものをも意味しなければならない。測定されたる事物の数値がその事物の座標であるであろう。そうすると、測定の座標とは測定されたる物理的対象をも意味しなければならない。故に、測定の座標としての空間は、一つの物理的方法であると共に、又一つの物理的対象でもあるのである。空間はこの場合――物理的空間として――物理学的な方法と対象とを意味する。吾々は第二にこのことを記憶しておく必要を有つ。
 測定の座標は物理的空間の一つの場合である(之に対して先の計量の座標は幾何学的空間の一つの場合であった)。この物理的空間がもつ今のこの特色、物理学的方法並びに対象であるものとしての特色が、理論物理学に於てどのようにして発揮されて行くかを、私は分析する。吾々の問題は物理学に於ける空間概念の検討に集中する。相対性理論の存在は、恰もこの問題への解明を用意しているのである
* 相対性理論は理論物理学の内に於ても一つの特殊問題に過ぎない。併しそれは物理学の、又一般に自然科学の根柢に係わる問題であり、空間乃至時間・物質等の問題の形態をとって、最も普遍的な意味を自然科学に対して有つ。従ってその限り之は吾々の――科学方法論の――問題となることが出来、またならねばならない。この問題の哲学的解釈を吾々は数限りなく有つのであるが、その内最も吾々にとって意味あるものは、カッシーラーのそれであると思われる(Cassirer, Zur Einsteinschen Relativit※(ダイエレシス付きA小文字)tstheorie)。何となれば、この論文は彼の方法論の順当な延長に外ならないからである。この形態に於ける問題の数学的な研究的叙述としては Weyl, Raum-Zeit-Materie を、多少哲学的な纏った解説としては例えば Reichenbach, Philosophie der Raum-Zeit-Lehre などを、挙げてよいであろう。

 幾何学に於ては凡ての座標はただ一つの座標に帰着する。というのは、どのような任意の座標も之に対して一定の関係にある任意の他の座標へ変換されることが出来るのである。もしそうでなければ幾何学に於ける対象――幾何学的空間――はその理論的統一を失って成り立たなくなって了うであろう。幾何学の座標は単に計量の座標でしかあり得なかったから、そして計量とは経験的――物理的――測定ではなくして数と空間との先天的な対応に基くのであるから、是非こうなければならないわけである。処が物理学に於ける座標は正に測定の座標でなければならなかった。この場合座標の原点は、もはや計量の原点ではなくして、観察者が実際そこに立ち又は立つと考えられるその点に他ならない。そうすれば、例えば二人の観測者は全く他とは無関係に、その位置をかえる――運動する――ことが出来る筈であるから、一方の座標を他方の座標に変換することは、計量の座標に於ける場合と同じ意味では不可能である。前の場合に於ては座標の運動――原点の連続的推移――は顧る必要がなかった、之に反して今の場合は原点が運動し得なければならない。それ故一方の座標は他方の座標へ帰着しない、茲には少くとも二つの事実上独立な座標を認めることが絶対に必要である。甲観測者は自分自身の位置――その位置は連続的に推移しているかも知れない――に立って、乙観測者の原点を測定する。逆に乙は甲に就いて同様のことを行う。今人々が甲であるか乙であるかによって測定の結果が物理的に異って来るかも知れない。この時、甲乙何れの原点が他の者の規準となる資格があるのか。併し二人が代表するただ二つの原点だけで出来ている体系に於て、この原点の運動は全く相互の関係に於てしか認めることは出来ない筈である。そうすれば運動は常に相対的でなくてはならない。運動が相対的であるからには二つの原点の資格は同一でなければならない。どの原点が特に他に優った資格を有つということは之までの所ない筈である、絶対的原点、絶対空間が認められる理由は之までの所ない筈である。空間――原点はそれを代理する――は相対的である。空間の――測定の座標の――相対性は、恐らく人々が経験を俟たずに先天的理論によって、承認するものであるであろう。併しこの性質と必ずしも一致しそうには見えない経験的事実を人々は知っている。そこで物理学者はこの経験的事実によって空間の相対性の一般的妥当を制限する代りに、却って空間の相対性に特別の条件を付けることによって、相対性を原理としながら今のこの事実を解釈しようと欲する。空間の、又運動の、相対性は一つの公準として要求される。事実アインシュタインは空間のこの相対性をば、相対性理論――特殊相対性理論――の第一の公準として、次のように表現した。如何なる物理的法則も、あらゆる座標系に対して、全く同様に妥当する、と。というのは、甲乙両座標に於て測定された夫々の諸量は相異るが、それ等の量の一定不変の関係――それが法則である――は、甲乙両座標に共通であるならば、甲乙何れかが特別の資格を有つ座標であることは結局に於て見出すことが出来ないからである。空間は相対的である。
* 回転運動に於ける遠心力とか、マクスウェルの指摘した電磁気現象に於ける相対性の不整合とか、がそれである。前者の困難は相対性理論の拡張によって解かれたと考えられ、後者の困難は時間の相対性によって解かれる。

 時間も亦相対的であることを特に指摘しなければならない。ガリレイ・ニュートンの相対性理論に於ては、一つの空間座標が一定の速度を以て之と相対的に運動しつつある他の空間座標に変換される時、時間座標までが変換されるとは考えられていない。時間はどのような空間座標に干与しても同一であるということ――絶対的時間――を之は暗黙の間に仮定していることである。併し如何なる先天的理由も経験も之を保証してはいない。そして経験に基けば、却って時間の相対性が要求されるであろう。その次第はこうである。時間が物理学的概念として物理学に於て活きて働くためには、時間はまず初めに物理的に定義されねばならない。この定義は時間を測定することによって実験的に決定する方法を具体的に云い表わさなければならない。アインシュタインは第一に等時性(Synchronismus)の概念を定義する。二つの座標系をA・Bとすれば、光がAからBに達するに必要な時間と、BからAに達するに要する時間とが等しいとする時、時間はA・Bに共通であり等時(synchron)である。第二に、Aを発した光とBを発した光とが直線線分ABの数式の中点に於て相会う時、光はA・Bを同時に(gleichzeitig)発したものと定義される。さて物理学に於てこのように定義された時間――物理的時間――はという全く経験的な現象の性質によって制約されているわけである。光をどう理解するかによって時間の理解が変って来るであろう。ガリレイ・ニュートンの相対性理論の立場にあっては、光は一つの電磁気現象――それは他の諸現象と特に異った資格を持った現象であるとは想像されていない――と考えられるから、光の速度は一定でなくてはならない。それ故光線と共に進む媒質と之に逆う媒質とによって、又観測者の運動の速度の多少・正負によって、光はその速度を変える筈であろう。処が或る実験が示す処によると、水の流れに従う光線も之に逆う光線も、その速度は単に之に水の速度を加減したものと等しくはない。そして画期的なマイケルソン・モーリの実験によれば光速度は観測者の運動の速度とは無関係に恒常である。そうすれば光は単に一つの現象であるばかりではなく、光速度の恒常は一つの法則とも呼ばれるべきものでなければならない**。光速度恒常の法則はアインシュタインの相対性理論の第二の公準となって現われる。さてこの第二の公準と向の第一の公準――物理的法則の絶対性――とによって初めて、所謂ローレンツ変換が理論的に計算的に導かれる。ローレンツ変換に於ては独り空間の相対性ばかりではなく、之と不離に結び付いて、時間の相対性が云い表わされているのは人々の知る処である。今や等時も同時も、如何なる座標系に於て事物を測定するかによって、決定され変化される。物理的時間――それは測定し又測定された時間である――は相対的でなければならない。
* Einstein, ※(ダイエレシス付きU)ber die spezielle und die allgemeine Relativit※(ダイエレシス付きA小文字)tstheorie ; 及び zur Elektrodynamik bewegter K※(ダイエレシス付きO小文字)rper 参照。
** E. Cohn, Physikalisches ※(ダイエレシス付きU小文字)ber Raum und Zeit 参照。


 時間の相対性は――ローレンツ変換を媒介として――空間の相対性を必ず伴う。時間と空間との関係を見ることが、それ故必要となって来る。ローレンツ変換を施した任意の座標系に於ける時空の座標の、或る一定の形態に於ける結合は、今択ばれた座標系の任意からは独立であり、恒常な数値に等しいことが発見される。この一定の形態に於ける結合とは、四次元空間に於ける球面又は二面双曲面体の方程式を指す。このローレンツ変換から独立な不変な方程式が現わす時空関係の四次元空間的図形は、ミンコーフスキーによって世界――吾々はこの言葉に注目すべきである――と名づけられた。ローレンツ変換はこの世界の座標軸の変換、特に軸回転による変換群、に相当することが指摘される。彼の図形によれば、一定の範囲に横たわる世界点の凡ては、今云った変換を適当に択ぶ時、世界の原点と同時の状態に引き直されることが出来る。即ち時間は、空間軸の択び方によって、少くとも一定の範囲の内では、同時とも前後ともなることが出来るのである。かくて時間も空間もそれ自身では独立し得るものではなく、両者の結合である世界のみが初めて独立性を有ち得ることが結果した。――次に世界に於て引かれた線――世界線――の交互関係は、物理的法則の最も完全な表現に相当する。何となれば物理的法則は、第一の公準に従って、座標の変換から独立であり不変である筈であったが、世界に於ける変換から独立で不変な関係を求めるならば、それは正に、世界線の交互関係に外ならないであろう。世界線の方程式が物理的法則でなければならない。このようなものがミンコーフスキーの世界である
* H. Minkowski, Raum und Zeit を見よ。
 物理的空間は、測定の座標軸を意味した。それはその限り物理学的方法を提供する。処が又之は夫々測定されたる空間座標を意味した。従ってそれはその限り又物理学的対象となる。そして之はそのまま物理的時間に就いても繰り返えされるわけである。物理的空間も物理的時間も方法であると同時に対象である。この事情はミンコーフスキーの世界に於て愈々明白になって来るであろう。世界の変換軸――時間と空間――が測定の方法を意味することは誰にも承認されるであろう。この変換軸によって構成されるべき世界の内容が物理学的対象であることは、世界線の関係が物理的法則を意味することを見れば、明白となるであろう。何となれば世界線は、速度・加速度・力など――それは物理学の対象である――を意味し、その結合が法則――それも亦物理学の対象である――を意味するから。世界は方法であり又対象である。――さてこのような世界の概念は無論科学的手続きによって初めて成立する。従ってそれは必ずしも日常的な直接性をもたず、それであるから往々一つの擬制としてしか受け取られないということも生じて来るであろう。併し乍ら、之を吾々が理解しそれに意味を見出し、そしてそれに吾々の直観性を入れ込むことが出来るからには、ミンコーフスキーの世界が、何か吾々の日常的に通達出来る概念を解説しているからに他ならない。ミンコーフスキーの世界は自然的世界として日常的に理解されているものの科学的解明でなければならないであろう。それは自然科学的世界の、特には物理学的世界の、最も精密な表現でなければならないであろう。この言葉を証拠立てるために、ミンコーフスキーの世界が理論的に発展される時、益々物理的対象としての意味を持って来ることを明白にし、従って益々物理的世界を具体的に表現して行く処の、一例を私は今指摘出来るであろう。

 運動の相対性――それは相対性理論の根本的な公準である――が公準として根本的な意義を得るためには、それは凡ての運動に就いて妥当すべきである。一定速度の運動に就いてばかりではなく――特殊相対性理論は問題を之に限っている――一切の加速度運動に就いても、その相対性が要求される。特殊相対性理論は一般相対性理論へ拡張されねばならない。処がこの拡張は必然的に一つの新しい問題を含んで来る。と云うのは、経験の教える処に従えば、凡ての物体に等加速度を与えるという特質を持つ一つの力の場――重力の場――が存在するから、一般相対性理論の徹底は同時に一種の重力説に帰着しなければならないのである。さて物体の重力に基くと考えられる質量――重力質量――は経験に於て常に、物体の惰性に基くと考えられる質量――惰性質量――に対して、同一の比を有つから、もし適当な単位を択ぶならば、二つの質量は同値※(ダイエレシス付きA小文字)quivalent)となる。処が惰性の法則は、質点の運動が最短線に沿うのを本来の状態とする、ということを意味することが出来るから、この関係は、重力空間(又世界)との或る種の同値を云い表わすことになり得るわけである。静止せる座標系に干与して測定する時加速度運動をなすと見做される他の座標系は、後者の座標系に干与しては静止していると見做される。従って座標の選択によって、即ち座標軸の変換によって、体系の加速度を消滅、生起させることが出来る。加速度は世界の座標軸の変換に相対的である。世界の座標軸の変換によって生起する(従って又消滅し得る)加速度が見出される体系、即ち一つの力の場――遠心力・求心力等――は、アインシュタインによって重力に相当する――同値である――ものと仮定された。この同値の原理はそれ故、重力と、世界の座標軸の変換との、同値をこの場合云い表わす。
 併し本来の重力の場は、例えば静止せる物質の周囲に生じる恒常なる重力の場は、向の場合のように変換によって消滅することが出来ない。この場合の重力の場は向の場合のそれと一つではない。後者は前者の特殊な場合であるであろう。ミンコーフスキーの世界に於て、法則は世界線――ヴェクトル(特殊のテンソル)――の不変な関係として与えられた。之をより精密に云うならば、法則は一般にテンソルからなる共変的微分方程式として与えられる。さてそうすれば重力の法則も亦そのような方程式として与えられなければならない。アインシュタインの計算によって、重力の法則は一種のテンソル――基本テンソル――からなる共変的関係として示された。そしてこの共変的関係はリーマン・クリストッフェル・テンソルが零となる方程式としてまず第一に与えられる。之が座標軸の変換によって生起消滅すると考えられた重力の場に就いて行なわれる重力の法則に他ならない。この重力の場は恒常なる重力を含まない世界を云い表わす。恒常なる重力の場に於て行なわれる重力の一般的法則は、特殊なリーマン・クリストッフェル・テンソルが零となる方程式として与えられる。前者は後者の特殊な場合――恒常なる重力=0の場合――に他ならないことが知られる。――さて処が、今基本テンソルと呼ばれたものは実は、世界に於ける微線分の関数に外ならないのである。即ちそれは幾何学に於て――ガウスがそれを研究した――空間各点の曲率であったのである。故に今や次のことが帰結しなければならない、重力の存在世界各点の曲率と同値であると
* Eddington, Report on the Relativity Theory of Gravitation 参照。人々はこの断章に就いては、Einstein, Grundlage der allgemeinen Relativit※(ダイエレシス付きA小文字)tstheorie に依るべきであろう。

 先に、重力の特殊の場合が世界の座標軸の変換と同値であることを述べた。今又重力が世界各点の曲率と同値であることを吾々は見た。故に重力の場はとりも直さず世界自身の内に含まれることが明らかとなった。
 本来の重力は物質の周囲に起こる。この重力が世界各点の曲率であった。之に反して物質は世界のより高次の曲歪として理解される。かくてニュートンの力学的法則によって与えられる力学的内容は、凡て全くこの世界の内に含まれたものとして解釈されることが出来る。
* Eddington, Space, Time and Gravitation, p. 19 参照。
 併し[#「併し」は底本では「供し」]そればかりではない。物質の存在や重力ばかりではなく、電磁気も亦世界の性質から導き出される。ヴァイルによれば、世界――それは一つの幾何学的図形として表現される――の各点は、必ずしも同じ計量の尺度を有つとは考えられない。即ち世界線――ヴェクトル――の計量されたる長さはその移動の道の如何に拘らず不変であるとは限らない。一般に、世界各点は夫々固有の計量の尺度を有ち、世界は計量上の連続をなしている。世界の計量関係は、その時、ガウスの与えた曲率関係だけによるのであってはまだ不定であり、終局的には決定されないであろう。之を終局的に決定すべきである処の他の一つの計量関係、それに於て、恰も電磁気のポテンシャルに相当する諸因子が見出される、というのである。かくして世界は電磁気の場に同値なる計量関係を有つということが主張される。故に今や、世界はそれ自身の内に、一切の――ニュートンの力学によって与えられたものに限らず――力学的内容を含むことが出来たわけである。
* Weyl, Gravitation und Elektrizit※(ダイエレシス付きA小文字)t はこのことを説いている。

 ミンコーフスキーの世界それ自身が今や、重力の場であり、物質を含み、電磁気の場である。さてこのような内容を有つ世界は、正に物理学的対象でなければならないであろう。始め物理学的方法であった測定の座標は、かくてそれ自身世界にまで組み立てられた結果、対象となったことを吾々は注意して見なければならない。ミンコーフスキーの世界が物理的方法であると同時に又物理的対象であることは、茲に見紛う余地もなく現われているであろう
* 世界は対象としての性格を有つから、世界の理論が宇宙――それは物理学的対象の特殊なものに他ならない――の理論となる理由が生じて来る。事実、新しい宇宙論は相対性理論の発展によって与えられつつあるのであろう。

 さてミンコーフスキーの世界は方法=対象を意味する。処がすでに物理的空間が又方法=対象を意味していた。両者の関係はどうあるか。
 ミンコーフスキーの世界に於て、無論時間軸と空間軸とは区別されなければならない。この世界を云い表わす方程式に於て、三つの空間軸を現わす三つの変数は全く同じい性質を有つに反して、第四次元としての時間軸を現わす変数だけは特別の性質を与えられているであろう。併し第一に注意しなければならないのは世界それ自身が一つの幾何学的表現に於て成り立っているということである。というのは世界に於ては時間は幾何学的に――その限り空間化されて――表現される他はない。それであるから世界はまず第一に幾何学的空間を意味していなければならない。処がこの幾何学的空間は単なるそれではなくして、向に述べた通り、物理的内容をそれ自身の内に含んでいなくてはならなかった。そうすると世界は幾何学的空間でありながらそのまま又物理的でなければならない。故に世界は物理的空間に他ならない。茲に於ては空間が時間に含まれるのではなくして時間が空間に含まれている。物理的時間を含んだ物理的空間を最も精密に表現しようとすれば、この物理的時間を一旦空間軸とは区別しながら、而も空間に於ける四次元として之を空間化す他はないであろう。世界は恰もこのような意味に於て時間を含んだ物理的空間であるのである。之を世界空間と呼ぶことが許されて好いであろう。
 さてこの世界空間が最も実証的に物理的方法=対象を云い表わすものであることを吾々は今見たのであるが、世界空間が恰も物理的空間の一つの形態である筈であったから、茲に、世界空間こそ物理的空間の今のこの特色――方法=対象――を最も具体的に云い表わすものであることが結果する。私はこの結果を前に約束しておいた。

 吾々は初めに科学の精密の概念を追求していた。それは、数学によって、更に精しくは幾何学によって、更に精しくは幾何学の応用・物理的空間によって、最後には世界空間によって、保証されねばならない。事実、世界空間の形式は精密科学の理想と考えられているであろう。処がこの世界空間は又同時に、方法と対象との一致を、理想的に云い表わす。方法と対象との一致とは、併しながら、恰も科学的世界の基礎を決定するものに他ならなかった――最初を見よ。故に最後の問題は世界空間自然科学的世界の関係に横たわる。
 世界空間は自然科学的世界――世界としての自然――を最も精密代表する表現であるであろう。何故か。自然の根本的なる規定が空間であるからである。時間も亦自然の規定であると云うか。併し自然に於ける時間は空間化されたものに過ぎない、それは云わば空間的時間であるであろう、その精密なる表現が世界空間に於ける時間軸であったのである。又自然の根本的規定は物質であると云うか。併し物質はただ空間的であることによってのみ物質であることが出来る。自然の性格空間にある。世界空間は自然のこの空間としての性格を云い現わしている。それであるから世界空間は自然科学的世界を最も精密代表する表現でなければならない。世界空間は自然科学的世界形象を表わす。――かくして吾々は精密の概念を追求することによって自然科学的世界の概念へ抜けて出ることが出来た。世界を取り扱うということと、精密であるということが、一つとなって初めて、物理学が自然科学の内に於て占めている王位を保証することが出来るのであった。そして物理学のこの王位が世界空間によって――相対性理論に於て――その王冠を祝われたことを、人々は知っている。
 世界空間は自然を代表する。自然という世界を取り扱う自然科学――物理学――の基礎は、それ故、この世界空間――それは方法=対象であった――によって与えられると考えられるのである。そうであるから今や云うことが出来るであろう、世界空間は自然科学に対して方法的意義を有つ、と。自然科学に固有な方法概念の最も実証的な形態――それは如何なる科学に於ても対象との一致であるべきであった――は世界空間として検証されるのである。一般に科学的世界は対象としての方法概念であった。故に科学方法論は科学的世界の基礎の解明に於て、最も内容的・現実的・実証的となることが出来るのである。――科学論が茲まで到達しない内は、科学論に於て何か空疎なものを人々が感じるであろうことは、方法概念の運動から云って至極ありそうなことでなければならない。学問の分類も亦科学的世界の区別に基いて最も内容的となり得るであろう――前を見よ。吾々は知ることが出来た、相対性理論によって、自然科学に就いて、科学方法論の最も実証的な形態が与えられることを。
(私は終りに断わっておかなければならない。相対性理論の或る発展段階に就いて今与えた簡単な叙述によって、私は相対性理論を支持し得ようとも思わないし、又之を疑い得ようとも思わない。吾々にとって――概念分析を目的とする吾々にとって――、相対性理論の存在は歴史的に現実に与えられた一つの事実でしかない。吾々は之を正に一つの事実として解釈する。即ち概念運動に於ける必然性の現実的表現として之を指摘するまでである。)
 自然科学的世界に就いて与えられたこのような種類の叙述は、相応する変容を之に加えることによって、恐らく歴史学的世界に就いても亦検証され得るであろう。私は之を省く。

第二部


 方法概念が、最後の根本的な形態として、科学のもつ学問性となって現われることを、吾々は初めに見て置いた。最後に吾々は今この問題を取り上げる機会へ来た。併しこの新しい問題への推移は、科学論の動機からして、偶然ではないであろう。向に科学論の課題が、その内に含まれた困難故に、科学的世界の考察にまで到達しなければならなかった。その時科学論は、科学の現実的内容そのものに立ち入らねばならぬから、実証的となり特殊的となることによって、云うならばそれは前進の道をとった。之に反して今の場合、科学論はそれ自身の動機へ溯ることによって、云うならば背進の道をとらねばならない。科学の学問性は科学のもつ最も観念的な普遍的な性格であるであろう。科学論はその左右両端へ延長される。科学的世界の考察はその一端であり科学の学問性の考察はその他端である。
 併し相反する二つの極端であるにも拘らず、科学の学問性の問題は、必然的に、科学的世界の問題の内から、その緒を惹き出すことが出来る。その理由はこうである。自然科学の典型は物理学に於て与えられると考えられたが、典型としてのこの資格は物理学に於ける科学的世界精密性とが相俟って与えたものであることを吾々は向に見た。茲に科学的世界と科学の精密性とは離れることの出来ないように結び付いている。それであるから科学的世界の考察は必然に科学の精密性の考察を伴わなければならない筈である。処が科学の精密性、それは科学の学問性がもつ一つの場合の名に外ならない。事実、物理学の学問性はその精密性に於て存在すると考えられているであろう。向に科学的世界を取り扱って来た吾々は今、科学の学問性の考察に入らねばならない順序に来る。そしてその緒となるものは、吾々にとって物理学に於て最も著しく現われると考えられた学問性――精密性――に他ならないのである。

 精密性の最も代表的なもの――それは物理学の内に於て見出される――を分析して見ると、精密とは幾何学的方法に基くことを意味することが指摘された。その内に単に数学が見出されるということではなくして、特に空間に就いての数学――幾何学――が見出されることが、最も正確な意味に於ける精密性であった。併し、この概念がこれ程正確な意味に於てではなく用いられ得ることも亦事実であるであろう。その意味に於て、一般に記述的ではない処の――理論的なる――自然科学は精密科学と呼ばれていることには、理由がある。このような広い適用の範囲を有つ精密の概念は恐らく一般に数学的方法に基く処に、その特色を有つであろう。計算し得る量(乃至数)を取り扱う科学は凡て精密であると考えられているであろう。処が精密の概念はより以上に拡張されることが出来る。一般に理論の論理的必然性に基く場合がそれである。というのは、論証し得るようなそのような正確さをもった科学が精密と考えられるに至るであろう。このような精密は併し特に厳正―― streng ――と名づけられる。かくて普通可なり正確と考えられるような科学の学問性を、精密乃至厳正と人々は呼ぶことが出来る。
* 何かの意味に於て厳正でない学問はあり得ないであろう。今は特殊の意味に於ける――論証し得るという意味に於ける――厳正である。

 精密なる乃至は厳正なる学問性は無論、凡ての科学に於て見出されることが出来るのではない。多くの科学はその学問性がまだ充分に発達していないために、今云った学問性を獲得出来ずにいるであろう。併し又そうではなくして、充分に発達した学問性を具えていると考えられるような或る種類の科学にあっても、その学問性は結局に於て精密でも厳正でもあり得ない場合が事実見出されるのを注意しなければならない。前の場合は精密厳正がその学問性の到達し得べき理想である。後の場合には之に反してそうではない。後の場合に於ても精密であり厳正であることは望ましいであろう、許される限り人々はそれを試みなければならないとは考えられるであろう。併し結局に於て、人々はその要求を徹底的に貫くことが原理的に不可能であることを覚るであろう。最後に至る一歩前までは精密厳正であることが出来ても――そして人々はそうあることを要求する権利と義務とがある――、最後の一歩に於て精密厳正とは異る何かの要素に基かなくては、その学問がそれに固有な学問らしい学問性を却って発揮出来ない、と考えられるであろう。茲に精密厳正なる学問性の適用にとって、事実上の限界が横たわっている。精密厳正なる学問性は論証し得る――それは論理的必然性にあることを意味する――特色を有った。精密厳正を求めて最後の一歩に於てそれを徹底し得ない時は、そこにもはや論証し尽すことの出来ない要素が見出された時である。論証的学問性の限界を透察的(divinatorisch)と名づけよう。そうすれば学問性は今や、論証的透察的とに区別されるであろう。
* Dilthey, Entw※(ダイエレシス付きU小文字)rfe zur Kritik der historischen Vernunft(Gesammelte Schriften, Bd. 7)S. 226 参照。なおこの論文が「歴史的世界の構造」の研究の引き続きであることを注意しておく必要がある。――なお論証の概念は他に、より広い意味を有つことが出来るかも知れないが、今は専ら論理的必然性による論証のみを論証として理解すべきである。

 二つの学問性の区別は、真理性の二つの典型を区別することによって、明らかにされるであろう。初め学問性概念を分析した時、学問性が真理性の獲得を意味した筈であったからである。吾々は真理性をどう区別しようとするか。
 永遠なる又その意味に於て絶対的なる真理があるかないかをよく人々は問題とする。或る人々はそれなくしては真理が一般に成立し得ないことを主張し、又他の人々は事実上そのようなものが存在し得ないことを指摘する。今吾々はこれの是非を論じようとするのではない。ただ次のことを見るべきである。絶対真理の主張者は真理の代表的典型として恐らく数学に於て見受けられるような真理を心に描いているであろう。之に反して絶対真理の否定者は道徳的真理を常に眼前に彷彿していると思われる。実際、数学は普通、経験からの訂正を必要としないという意味に於て永遠絶対の真理を有ち、之に反して諸信条・人格的な諸信念は、確かに時代と世界と個人とによって相対的に相異っている**。かくて吾々は真理概念が決して一定の典型をもつものではないことに注目することが出来る。一般にどのような真理性の典型が見出されるか。
* 数学的な真理を真理一般の典型とする考え方は非常に多い。エウクレイデス〔ユークリッド〕はスピノザの手本となり(Ethica)、ニュートンがカントの叙述の模範となる場合が茲から生じて来る(Metaphysische Anfangsgr※(ダイエレシス付きU小文字)nde der Naturwissenschaft)。近くは形相的なるものが現象学を支配する。
** 真理が形式的ではなくして云うならば内容的である時、真理は常に相対的と考えられる動機を有つ。この動機に従う相対主義をば、もし故意にピュロン的懐疑に帰せしめるならば、そのような批評それ自身が判断の回避の外ではない。

 真理の典型の区別はライプニツによって与えられた。事実真理と永久真理。後者は可能的世界に就いての、前者は現実的世界に就いての、真理であった。数学は後者を、特に歴史は前者をその真理概念とする。永久概念は省こう、事実真理とは何であったか。神の意志――神の理性ではない――に基いて選ばれた現実的世界に就いての真理がそれであった。私は今之を吾々に役立てるために、之から神の意志という規定を引き去る。従って又それと離すことの出来ない歴史という規定をもさし当り取り除こう(歴史概念は多くの場合そうあったようにライプニツに於ては一つの神学的概念に他ならなかった)。そうすると一般に事実に就いての真理、それを吾々の意味に於て事実真理と呼ぶことが出来るようになる。さて事実に就いての真理を吾々は二つに区別する。その第一を仮に事実決定の真理と呼ぼう。事実に於ける諸関係を決定するものは無論吾々――人々――の他にはないが、決定された関係それ自身はあくまで事実に於ける関係であって、それはその事実が吾々に対して有つ関係を脱却している。このような吾々への関係を脱却した関係を決定し得ると考えられる時、そこに事実決定の真理が求められるのである。――之から区別される第二の事実真理を、事実解釈の真理と呼ぶことが出来るであろう。それはこうである。事実は無論吾々に対して事実という意味を有っている、吾々は現に事実と事実でないものとを区別した上で初めて事実という概念を承認するのであろう。併し事実はそれが事実であるという意味を外にしてなお一つの意味を帯びている場合がなければならない。尤も或る現象が、或る実験の結果が、一つの理論を組み立てようとしている吾々にとって、どのような意味を有つかは、学問に於て常に問題とならずにはいないであろう。がそのような意味は今の場合の意味ではない。何となれば、その理論は事実の関係――それは吾々への関係を脱却していなければならなかった――の理論であるから、この場合吾々に対する意味と考えられたものは実は終局に於ては事実の関係に帰着すべき意味であり、事実の関係が吾々への関係を脱却した暁にはもはや意味ではなくして事実になって了う処の、一時的な意味でなければならない。処が今の意味は之に反して、事実が吾々に対して常に持たねばならない意味なのである。意味は一般に――それが事実という意味であっても――どのような時にも吾々に対して、初めて成り立つ。今の場合はこの意味が一時的に、事実決定の手段として、成り立つのではなくして、常に、それ自身の目的として、成り立つと云うのである。事実がこのような状態に於て、吾々に対して或る意味を有ち得る場合がなければならぬと云うのである。意味は常に吾々への関係を含まねばならないが、吾々へのこの関係が、今の場合、手段として、即ち目的を達すれば脱却されるべきものとして、あるのではなくして、それの決定自身を目的としてあるのである。それ故、吾々はこの時、事実を決定するのを目的とする代りに、事実が有つ意味を理解することを目的としているのである。事実解釈が之である。尤も、事実という概念の下に事実が吾々に対して有つ意味をも含めて理解するならば――そしてそれは普通行なわれる事実概念である――、この事実解釈も亦一つの事実決定と呼ばれてよいであろう。但し前者の場合の事実は一旦吾々への関係を通過しそして之を保留する処のそれであり、後者の場合のそれは吾々への関係を一旦通過しても結局之を脱却する処の事実であるから、事実解釈はただ後者の事実決定とは異った概念に於てのみ、一つの事実決定と呼ばれることが出来る。事実がもつ吾々への関係を理解せねばならぬと考えられる時、即ち事実の解釈を与えねばならぬと考えられる時、そこに求められる事実真理を事実解釈の真理と呼んでよいであろう。第一の事実決定の真理は事実が吾々に対して持つ関係――一つの意味――を脱却する処に、之に反して第二の事実解釈の真理は事実が吾々に対して持つ関係――それが意味である――を保留する処に、夫々成り立つと考えられる。例えば水素原子の構造がどうなければならないか――それは決定されるべき未見の事実である――という問に対する答えは、事実決定の真理にぞくする真理性を有つことを要求されるであろう。之に反して例えば或る芸術作品が如何なる芸術的価値をもつか――それは作品が吾々に対して有つ意味である――という問いに対して、答えは事実解釈の真理を帯びることを要求されるであろう。
 さて(未見)の事実を決定することは論証によって成り立つことが出来る。論証するには、予め論証に先立って、又論証の過程の全行程に於て、直観又は直覚と名づけてよいものが働くことは認めるとしても、それにも拘らず、事実は論証という形式的過程によって、決定されるものである。論証し得ない事実は決定されたことにはならない。もし論証し得ないにも拘らず或る事実を決定し得たと思うならば、それは決定ではなくして盲断に外ならないであろう。事実の決定はただ論証によってのみ与えられる。故に事実決定の真理を獲得することを目的とする学問性は論証的学問性と呼ばれる理由がある。厳正――それは精密をも含む――はかかる学問性にぞくした。――処が、事実が吾々に対して有つ意味を理解すること、事実の解釈は、論証のみによっては成り立たない。無論事実の解釈に於ても――それは必ずしも事実の決定ではないかも知れないが意味の決定とは呼ぶことが出来る――論証を容れる余地はあるし、又余地のある処には論証を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)まなければならないではあろう。併し吾々は事実解釈の当否を論証し尽すことは出来まい。論証し尽すことが出来ない最後の要素は、解釈の当否が混沌として収拾し難いから論証され得ないのではなく、却って論証を容れる余地がないという意味に於てそれ程明白であると考えられるから論証され得ないのである(但しこの明白さは事実がもつ明白さではなくして事実が吾々に対する意味のもつ明白さである)。論証し尽されない点を却って吾々は論証し得ないという意味に於ける直接性に於て理解している(事実の明白さならば吾々は之を直観的に明白であるという意味に於ける直接性に於て決定しているであろう)。直接性に於て理解すると云っても、何の手続き――方法――をも加えずして、居ながらに把握出来るというのではない。明白なるものの直接の理解は、論証によって初めて明白になるのではないという点に於てのみ、直接であるのであって、所謂直観――それは論証の基礎にもあると考えられる――のもつ直接性では夫はない。論証的ならぬ理解は常にただ分析によってのみ齎されるのである。但しこの分析事実が吾々に対してもつ意味を分析し得るような分析でなければならない筈である。それは例えば数学的分析や、吾々への意味を媒介としない事実の諸関係に固有な分析であってはならない。分析はこの場合、論証的ではなくして透察によって行なわれる他の道を有たないのである。吾々は透察している。――かくて論証の限界は透察であり、論証的学問性の限界は従って、透察的学問性でなければならない。透察的学問性、それは事実解釈の真理の獲得を目的とする場合の学問性の外ではない。
 私は今までに次のことを明らかにした。真理性の二つの典型の相違する点、及びこの相違に基く学問性の二つの種類。併しこの二つの種類の学問性に就いて人々はなお疑問を有つに違いない。論証的学問性は事実人々がよく親み又人々によってそれとして意識されて来た学問性であるであろう。疑問は主として所謂透察的学問性に関わる。

 透察的学問性は、論証的学問性とは異って、性格的、乃至個性的であることをその特色としなければならないであろう。この学問性は事実解釈の真理に基くものとして説明されたのであったが、この真理は又、事実が吾々人々)に対して有つ関係(意味)を保留するのをその特色とした。処が吾々――人々――とは無論、形而上学的自我や人格の概念ではなくして日常理解されている人間としての吾々なのであるから、少くともまず第一に個人を意味せねばならず、従ってその限り個性的であり又性格的でなければならない。故に透察的学問性は性格的乃至個性的であるのが当然である。例えば或る一つの社会的現象がその時代又は後世に対してどのような意味を有つか――之は到底事実の決定ではない――を理解する仕方は、個人(又個人のぞくする時代)の個性乃至性格によって異ることが出来、又異ることが必ずしも誤謬の存在を指し示すものとは考えられないであろう。もし事実がもつ意味の解釈が、個人(又時代)の性格から独立であるべき論証――その形式は所謂客観的なる論理的推論である――に基く真理性を有たねばならなかったとすれば、この相違が出て来る筈はない。透察的学問性は性格的である。事実夫は個人の感情・意志を比較的そのままの形に於て含むことが出来る。併しそうすると、この学問性が何か個人を超越するという意味に於ける普遍性を有たないかのように想像されそうである。もし有たなければ之は初めから学問性ではあり得ない筈であった。
* 個性の概念は個別化の原理によって成立の動機を与えられた概念である。之に反して性格の概念はそうではない。一般に云えば両者は決して同じくはない理論的使命を持っているであろう。併し今は便宜のため両者を略々同じに使用する。

 どのような個人も、誤謬さえ含まなければ必ず同一の論証の結果に到着しなければならない、という意味に於ける普遍性は、なる程透察にはない。併し、二人の個人が、別に誤謬と考えられるような欠点を有たないに拘らず、二人は異った二つの透察に到着することが出来るであろう。相互に相手の透察の誤謬を指摘し得たと考えている時でも、第三者の立場に立って公平に判断するならば、二人が同じ程度に正確な分析によって透察しており、従って夫々誤謬を含むとは考えられない尤もな主張を有つ、場合は事実あるであろう。主義のもつ学問性――真理性――は多くそのような性質をもつ。凡そ理論がもしその個性を意識されるのでなければ主義と名づけられる理由はあり得ないであろう。凡ての人々によって承認され従ってその限り実際個性を意識されないような事柄――例えば地球の回転――に就いて、主義を云々することには意味がない。ただローマ法皇の思想に対してのみ之はガリレイの主義であったであろう。主義――それは透察の一つの性格である――は常に個性的性格的でなければならない。二つの主義はそれ故、それが夫々真理であると考えられるにも拘らず、必ずしも同一であるとは限らない。透察は超個人的普遍性を有たないのか。
 透察は性格的であった、少くともそれは個人の性格乃至個性によって与えられる。併しどのような場合に於ても、個人は独存の個人であることは出来ないし、又そうあってはならないであろう。少くとも個人が透察的である時、個人はまず第一に歴史社会に於ける存在でなければならない。この時個人は独よがりであることを許されない。そればかりではなく個人は常に時代的錯誤と地方的錯誤―― Provincialism ――とからさえ警戒される必要を有つであろう。茲に透察は或る普遍性を要求されている。尤も透察であっても無論正確な分析によらねばならないのであるから、この正確性に於ける限りの普遍性を有たねばならないことは当然であるが、併しそのような正確性は分析の結果による超個人的な同一を必ずしも約束するものではなかった。であるから今は、之を他にしてなお、之より一層重大にして必要な或る超個人的な普遍性を透察は要求されているのである
* 厳正なる――論証的なる――学問にぞくすることをその特色とする現象学が、本質直観に於てその学問性を保証することが出来ると主張する時、却ってその普遍性が疑われるならば、それは理由のないことではない。

 透察の求められた普遍性は第一にそれがもつ包括的な性質に於て見出される。というのは総ての透察は常に何かの制限を持っているが、この制限が最も少ないものほど普遍性をもつことが出来るというのである。制限はその制限をもつ透察自身によっては自覚されないのが普通であるであろう、何となれば制限を意識することは制限を踏み越えたことに他ならないから。それ故この制限をもつ透察はこの制限を脱した他の透察によってその制限を指摘されても、必ずしも之を受け容れることが出来ず、ただ単に後者を反発するに過ぎない場合があり得る。処がその場合、実は後者がすでに前者を包括しているから、後者は前者を反発する理由を見ない、ただその制限を指摘するだけである。後者の透察はこの場合、より普遍的と考えられるのである。或る制限内に於ける諸問題を解き得ることは、一応、透察の資格を与えるであろう、併しそのような透察はその制限外に横たわる問題を解くことは出来ない。その透察は偏狭と考えられる。偏狭な性格をしかもたない透察であっても、その内に――その体系に於て――矛盾を含むとは考えられない時、一応の真理性はもつであろう。併しこの透察はまだ高い展望と広い領野とを支配しない。より包括的な透察がより普遍性をもたなければならない。包括的な透察は従って又多面的であるであろう。何となれば、より包括的ではない透察に較べて、それはより少ない制限――偏狭さを有つのであったが、そうすれば偏狭なる多くの透察を自分の一面とするような多面性を、それは有たなければならないわけであるから。かくて透察――それは性格的であった――の普遍性は第一にそれの包括性・多面性に存在する(論証であるならば、特殊の場合――それは制限されたる論証である――は、一般の場合――それは制限を脱却して拡張されたる論証である――に対して、反発するどころではなく、却って之に包摂されることを喜んで意識する筈である。論証に於ける偏狭は力を罩めて非難されるには値しないものとして現われるであろう。論証の真理性を保証する第一の標準は、理論の多面性――包括性――ではなくしてその厳正さであるであろう。然るに透察にとっては多面性こそ最も重大である)。
 透察の普遍性の第二の条件、それは透察が正面的であることを求める。もし事物を任意の側面から透察してよいならば、そのような透察を他の夫に較べて、より包括的・多面的に見せ掛けることは、恐らく容易であるであろう。折衷妥協は恰もこのような普遍性をもつ処のものである。処がこのような普遍性は透察という多面性を保証するどころではなく、却って正にそれの喪失でなければならない。何となれば、事物の本来の性格がそれによって失われればこそ折衷や妥協が批難されるのであるが、事物のこの性格を把握しないような透察は少くとも学問的であることが出来ないから。之に反して徹底の概念は事物の性格を明白にし強度にすることを意味する。それが折衷と妥協とを斥ける点に於て、到底折衷と妥協とがもつかの普遍性をもつことは出来ない、その限りそれは偏狭とも見える理由をもつ。併しこの場合の普遍性が学問性――それが今は透察である――と無関係であった限り、それに反対する意味に於ける今の場合の偏狭も亦、学問性とは関係がない。徹底は透察の学問性に対して、包括性とは系統を異にした寄与をなす。それは事物の性格を把握し出す。事物の側面――それは性格ではなくして偶然な性質に外ならない――をではなくして事物の正面――性格はそこに姿を見せている――を照らす。透察はより正面的であるに従ってこの普遍性を得ることが出来る。徹底の概念がその一例を示している(論証に於ては折衷や妥協は非難される理由がなく、又徹底という概念は無意味でさえあるであろう。論証が厳正であるか否かが論証の価値を決めるのであって、之を他処にして論証が徹底的であるということが何を意味するかを吾々は理解出来ない。事物の性格――正面性――は論証され得ない、透察し得るだけである)。
 透察の正面性と多面性、之が透察に固有な普遍性――客観性――を保証する。このような普遍性は論証に於いて見出される夫――厳正――と一つではない。ただ性格的・個性的なるもの一般に就いてのみ求められる普遍性で之はなければならない。――さてもし透察に今述べられたような普遍性が無かったとしたならば、透察は少くともそれに固有な学問性を充分にもつことは出来なかったであろう。透察的学問性という概念は従って成り立つ理由がなかったであろう。透察に固有な――論証に於ては求められない――普遍性が指摘されたから、今や、透察的学問性は正当な権利を以て存在する。

 論証的学問性と透察的学問性、之を区別する権利を吾々は得た、そして前者は事実決定の真理に後者は事実解釈の真理に基く。この区別を混同する時、人々は多くの誤った困難を見出すであろう。例えば論証的学問性をもつべき科学に対して透察的学問性――それは性格的であった――を要求する時、その科学の無味乾燥が、非人間性が、何かの意味に於て批難されても好いかのように見えるであろう。併しこのような批難はその科学の正常な感覚を欠いているということを他にして何の意味も無論有たない。又逆に透察的学問性を有つべき科学に対して論証的学問性を求める時、その科学の散漫が、不正確が、批難されるべきものとして現われるであろう。例えば歴史学――それの学問性に就いては今述べる――は科学なりや否や、というような、或時代の題目は、恐らくこのような批難によって促されたものであろう。このような批難は批難するものの誤解を云い表わすものでしかない。その誤解が、今云った二つの学問性の混同であった。
 さて論証的学問性を追求する諸科学の内、その代表的なるものは自然科学――特には物理学――である。何となれば自然科学が決定する諸事実の関係は、性格的なる吾々――人々――への意味関係から脱却する処にそれの所謂客観性を有ち、この客観性の把握が先の第一の事実決定の真理に他ならないからである。之に反して透察的学問性を追求する科学の代表的なるものが歴史科学であるであろう。歴史科学が決定しようとする諸事実の関係は、常に性格的なる吾々――人々――への意味関係を保留している処にその特色があるのでなければならない。歴史的世界が人間的と考えられるのは他ではないこの意味に於てである。歴史的世界に在るものは単なる自然ではなくして常に人間の生活であるであろうから。それ故かくて自然科学と歴史科学とはその学問性を異にする。夫々の求める真理は典型を異にするのであり、それであればこそ、自然科学は歴史的世界の生きた内容を理解することが出来ないと考えられ、又歴史科学は自然科学の有つ種類の厳正さ――というのは如何なる科学も或る意味に於て常に厳正でなければならないから――をもつことが出来ないと考えられる。之は夫々の欠点ではなくして、その学問性の――その真理性の――夫々の性格から必然であるのである。二つの学問性の区別を見ることによって、歴史科学と自然科学との性質の相違は根本的に明らかとなることが出来るであろう。今それを見よう。
 歴史学が決定しようとする事実は、それが吾々――人々――に対して持つ意味関係によって制限された限りの事実であることを知ったが、今もし歴史的事実の選択を行なおうとするならば、選択の原理も亦今のこの意味関係を他にして見出されることは出来ない。意味関係とは併しこの場合、事物を吾々が自己への関係に従って規定するその規定の他ではない。というのは吾々が事物に関係する限りのこの関心を事物に帰着せしめた結果を夫は意味する、それは価値である。蓋し価値は事物が吾々の関心に対して有つ意味の最も優れた一つの名称であるであろう。そうすれば歴史事実の選択の原理は価値を他にして求められることが出来ないこととなる。選択の原理は価値関係づけ――但しそれは主観的な評価ではなくして客観的な理論的価値関係づけである――に他ならないことが帰結しなければならない。リッケルトが価値関係づけを以て歴史学的概念構成の特色と見たのは茲に必然である。――今もし普遍的なる事実を選択するのであったならば、選択の原理はその課せられた普遍者そのものの内にある筈である。というのは吾々はその普遍者の事例として役立つような事実を選択するまでである。この場合なる程普遍者に対して価値をもつ事実はその限り又この普遍者を認識しようとする吾々に対して価値を有つわけであるが、この間接なる価値関係づけは、今の価値関係づけではない。何となれば後者は一般に吾々への価値関係づけであったが、吾々は例えば歴史に於てただ普遍者なるものにのみ価値を見出すのではないからである。故に普遍的なる事実の選択の原理は事実が普遍者に対して有つ価値にあるのであって、事実が――直接に――吾々に対してもつ価値にあるのではない。この場合選択の原理は所謂価値関係づけではない。それ故価値関係づけという選択の原理はただ個別的――普遍的ではない――なる事実に就いてのみ、特有の意味に於て語られることが出来る。価値関係づけはただ個別化の方法としてのみ特有の意味をもつ。従って歴史的事実は、その吾々への意味関係に於て、その価値関係づけに於て、個別的なるものとしてのみ意味をもつ。歴史科学的概念構成が個別化にあると考えられる所以が之である。――歴史的事実はこのようにして個別的でなければならないが、そればかりではなく、吾々への意味関係は吾々――人々――が個人を意味する以上個性的性格的でなければならないから、歴史的事実は又その限り個性的な規定を受けていなければならない。歴史的事実に於ける因果関係はそれ故、それ自身個別的である点に於て且つ又個性的なるものとして吾々へ意味関係をもつ点に於て、個別的でなければならない。かかる因果は単に個々のものに就いての因果であるばかりではなく――それならばフリッシュアイゼン・ケーラーの云うように自然科学も夫を取り扱うことが出来る――、吾々がその因果の連鎖を吾々への意味関係に於て性格的――個性的――に追求しなければならないような、因果である。因果のこのような個性的・性格的な追求は自然科学に於ては許されないであろう。ヴェスヴィオの噴火の原因は、その無限の原因にも拘らず、常に一義的に決定し得られるべき性質を持っている。然るにフランス革命の原因は何であるか。ブルボン王朝の失政であるか、それとも市民階級の台頭であるか、それともモンテスキューやルソーの思想の影響であったか。かかる原因の解釈は、性格的に――時代の・階級の・又個人の性格に応じて――変り得る性質を持っている。それは或意味に於て一義的に決定されるべきでありながら、ヴェスヴィオ噴火の原因と同じ意味に於ては、一義的に決定され得ない**。この因果は自然科学に於ける因果――自然的因果――ではなくして恰も個別的因果と呼ばれるべきであろう(性格的因果と呼ぶのも好いであろう)。尤もこの個別的因果がそのままリッケルトの与えた意味での個別的因果となるのではない。すでに、この概念がリッケルト自身によって用いられた立場――認識論的立場――そのものの困難を吾々が見た時、個別的因果が彼自身の考えるように歴史学的概念構成から独立な事実(実在)に始めから具わったものではあり得ないことをも見ておいた筈であるから。併しそれにも拘らず吾々がリッケルトのこの概念を尊重しなければならなかったその理由が、今与えられた。歴史科学の方法論に於て個別的因果の概念が引き合いに出されなければならない必然性は茲に横たわる。
* 茲に於て「歴史的感覚」やその感覚の「鋭さ」の概念が必要となる。歴史的因果関係の指摘は「歴史家の判断」に俟たなければならない(E. Meyer, 前掲書 S. 47―50 参照)。マックス・ヴェーバーは事実の選択――価値関係づけ――と歴史的連関の因果づけを完全に引き離すことによって、前者は解釈に依存し、後者は之に反して充足的――必然的とは区別される――に決定し得られる、と説く。例えば歴史的事件に就いて所謂「客観的可能性」を有つ仮空的な因果関係による結果を描き、之と実際の因果関係の結果とを比較することによって、「充足的に原因を見出す」ことが出来るという立場をとっている。吾々は歴史記述に於て、事実の選択とその因果づけとの完全なる分離をば、恰も今述べる個別的因果の概念の名によって疑うのであるが、併しそれはとにかくとして、彼に於ても、歴史科学の充足的因果は自然科学の必然的因果から区別されているのである(M. Weber, Objektive M※(ダイエレシス付きO小文字)glichkeit und ad※(ダイエレシス付きA小文字)quate Verursachung in der historischen Kausalbetrachtung 参照)。なおこの点に就いては von Kries や法学者 M. R※(ダイエレシス付きU小文字)melin 等の労作を参照すべきであろう。
** 従って歴史的記述は変化し得る――歴史的に――性質を有つ(次を見よ)。
 歴史的事実の選択の原理は価値であったが、価値の評価は経験と共に変化しなければならない。哲学――或いは寧ろ一種の形而上学――にとってでない限り、価値は常に現実的に評価された価値をしか意味しない、そして価値の評価は個人と共に或いは又その他のものと共に、そして終局に於ては時代と共に、変化するのが事実であるから。歴史的事実の選択はそれ故終局に於て時代と共に変化しなければならない。処が事実の選択は同時に事実の因果づけを制約しなければならない筈である。実際、因果づけは価値関係づけの如何によって夫々異るであろう。そうすれば歴史的事実の因果づけも亦時代と共に変化しなければならない。かくて初めて歴史記述は時代と共に変化すると云う言葉が許される。何となれば事実の選択は云わば歴史記述の準備であるのであって、因果づけこそ歴史記述の目的に他ならないからである。歴史はこの意味に於て――増補や訂正を外にして――常に書き替えられるべき運命を有っている。歴史のこの性質は併しながら、歴史が常に現代に関係づけられてのみ理解されるべきであるということを云い表わしているに外ならない。そして又之は如何に歴史が社会から離れることを許されないかをも物語る――前を参照。蓋し社会から離れて理解された歴史概念に於て、現代とは、容積なき一つの時間点に外ならないであろうから。さて常に書き替えられるという歴史のこの運命を、もし自然科学までもが分つならば、それは自然科学の学問性を破壊することを除いて何物をも意味しない。というのはもし或る自然科学の業績が書き替えられねばならぬものとして見出されたならば、その業績は自然科学の真理としては――歴史的財としては別である――否定されたことを意味するのであるから。処が之に反して歴史学が向に述べた意味に於て書き替えられねばならぬ時、書き替えられるべきものは歴史学としての真理を否定されるのではなくして、単に過去の歴史記述として待遇されるというに過ぎないのである。茲に自然科学と歴史科学との根本的な相違が、学問性に於て見出されるであろう**。そして之は論証的学問性と透察的学問性との区別の他ではない。
* 歴史記述が現代への関係によって制約されることは多くの歴史家の主張する処である。吾々は例えばクローチェを取ろう。彼によれば歴史は夫々の時代の思想・哲学に基いて記述されるべきである。
** 「この主観的な価値によって制約されるということは、力学を典型とする自然科学にとっては、常に完全に無縁である。之が恰も歴史的なるものと自然科学との種的対立を与えるのである。」(M. Weber, Gesammelte Aufs※(ダイエレシス付きA小文字)tze zur Wissenschaftslehre, S. 262)。

 論証的学問性と透察的学問性とは、夫々、自然科学と歴史科学との学問の性格を解明する。そしてこの学問性の相異に基いて、吾々はリッケルトの科学論に於ける根本的な動機を解釈することが出来る、それを今示した。二つの科学の分類も亦この二つの学問性の区別によって初めて根本的に示され得たであろう。
 科学の学問性の考察はそれ故、科学論の・又科学方法論の、最後の形態であるのである。
[#改ページ]

      ――――――――――――――――


結論



 学問に於ける方法概念を分析する時、方法概念は之まで述べた通りの形態をとって運動する。この運動に対応して夫々の科学方法論の形態が又決定される。吾々は此等の関係をその必然性に於て――概念分析によって――理解することが出来ると思う。
 科学方法論という名によって呼ばれる顕著な課題の意識を促した功績は、主としてリッケルトの科学論に帰せられなければならないが、この科学論それ自らは、科学方法論一般の一つの特殊の場合に過ぎないであろう。それは方法概念の運動に於て、その上限と下限として、科学の学問性の考察と科学的世界の基礎の省察とに接しており、その発生の動機に於ては科学の分類から糸を引いている。そして之が提出する問題は、現在重大な一つの問題として、社会科学の問題と相隣りしているのである。科学論はこのようにして科学方法論一般の云うならば網の上に懸っている処の一理論である。処が更に、科学方法論それみずからが又一つの網の上に懸っているものに他ならないであろう。というのは科学方法論は科学に就いての特に方法を中心とした中枢的な理解であったから、それは一般に学問論――これを向の科学論から区別しよう――の一つの特殊の場合に過ぎなかった。科学方法論は科学論の内に於て一定の限られた限界を与えられている。そしてこの限界に隣るものは、例えば真理の理論、認識又は知識の理論、又学問の社会的機能の考察、等々であるであろう。科学方法論は特殊の学問論に過ぎない。
 故に科学方法論の概念は、終局に於てそれみずからの位置に安住することは出来ず、様々の学問論の形態へ向って運動しなければならない運命を持っているのである。科学方法論は従って暫定的課題である。従って吾々は科学方法論に付随して課せられた多くの学問論的問題を残していることを忘れてはならない。そればかりではなく、科学方法論の内に於てすらそれに含まれる問題の総てを今までに取り上げ得たと私は思わない。殊に人々が今日最も関心を有つであろう社会科学に就いての問題は、之を他の機会に譲ることを余儀なくされているのである。
――終――





底本:「戸坂潤全集 第一巻」勁草書房
   1966(昭和41)年5月25日第1刷発行
   1967(昭和42)年5月15日第3刷発行
底本の親本:「科学方法論」岩波書店
   1929(昭和4)年6月25日
初出:「科学方法論」岩波書店
   1929(昭和4)年6月25日
入力:矢野正人
校正:Juki
2011年6月11日作成
2013年10月28日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

鋭アクセント付きυ、U+1F7B    19-下-2
下側の右ダブル引用符、U+201E    33-上-10
ローマ数字22    56-下-22
ローマ数字15    71-上-2


●図書カード