社会時評

戸坂潤




目次

思想問題恐怖症
自由主義の悲劇面
転向万歳
倫理化時代
減刑運動の効果
世人の顰蹙
林檎が起した波紋
小学校校長のために
博士ダンピングへ
荒木陸相の流感以後
スポーツマンシップとマネージャーシップ
失望したハチ公
武部学長・投書・メリケン
農村問題・寄付行為其他
三位一体の改組その他
罷業不安時代
パンフレット事件及び風害対策
高等警察及び冷害対策
試験地獄礼讃
免職教授列伝
ギャング狩り
膨脹するわが日本
大学・官吏・警察
八大政綱の弁護
[#改丁]


 思想問題恐怖症

   一、満州サービスガール

 満州国が独立したのを一等喜んだものの内には、今年の大学専門学校卒業生達を数えなければならぬ。何しろ大口二百名の満州国官吏を採用するというので、文部省へだったか又は直接に各大学専門学校へだったか、(そこの区別は一寸ゴタゴタがあったようだが)、人物・身体・学業三拍子揃った粒よりの「有為な」青年の推薦方を依頼して来たのである。官公立と私立とから平等に採用して欲しいというような、先の先まで考えた就職者側の注文もあった。私は当時、帝大卒業生などは人物・身体・の二条件に於ては遠く拓植大学卒業生などに及ばないから、まず官立一私立二ぐらいの割合が公平だろうと思っていたのだが。
 さて有為な青年は仲々多いものと見えて、学校当局の折紙づきの卒業生が二千名も受験したそうである。受験場は東京・京都・仙台・福岡・京城の五カ処だから、まずオール日本青年代表の選定という慨がないでもない。――処が有為な青年は実の処、又案外少ないものらしく、わずかに十七名(いずれも帝大出身)だけが選定されたに過ぎなかったのである。あまり出鱈目だというのでわざわざ満州国にまで押し渡って先方の当局にねじ込んだり、内地の当局に抗議を申し込んだりした青年もいたそうである。併し何と云っても、有為な青年がとにかく十七人しかいなかったのだとすれば、怒っても仕ようがないのではないかと私は思っている。
 満州国官吏は無論男の場合であるが、それが女の場合になると、満州サービスガールがある。今年の一月に親切で有名な東京飯田橋職業紹介所の鳴物入りの宣伝で、之は千人程の中から選ばれた三十二人の代表的インテリガールが、「帝国ホテルよりも大きな」ハルピンのアジア・ホテルのサービスガールとなって送られて行った。この有為な女子青年達からなる「挺身隊」は無論、東洋の到る処に進出して国威を発揚している例の種の娘子軍などではない筈であった。当人達や父兄達は云うまでもなく、直接関係のない吾々世間人もそう信じていたのである。何しろ紹介者が歴とした例の有名な飯田橋の職業紹介所であるし、先方は外でもない満州国の旅館だというのだから。それに満州国当局の後援のあるホテルであったとしたなら、誠に肩身の広い申し分のない就職口と云わざるを得ない。
 処が三十二人の内十四人を除いて十八人が、ションボリと最近帰って来たのである。ホテルの主人と争議をかまえて、解職になり、職をさがしても思わしくないので、飯田橋の職業紹介所の手を通じて、並に就職口を内地に見付けるために帰って来たというのである。
 十八人の内の一人が云っている、「ホテルの仕事が全然私達の個性(筆者註・「人格」の間違いだろう)を傷けて仕舞ったんです、まあいって見れば宿屋のお女中さんと同じなんです、私達が向うへ着いたのが一月の十八日、ホテルは二十五日に開店となって或る日、向うの偉い人達を呼んで盛大なお祝いがホテルにあったんですが、その夜始めておそくまで全部お酒のお相手をさせられたのです、サービスといっても、お客の御相談、御接待役位にしか考えていない私達がビックリしたのも当然ですわ……」(東朝五月四日夕刊)。
 ホテルのサービスガール、之を訳せば「宿屋のお女中」に外ならない筈ではないか。だが一寸待って欲しい、他の一人が云っている「経営者水谷さんと職業紹介所と私達と三方に認識不足があったわけです、でも私達が夢を抱いていたと責められても、紹介所を通じていわれたのが、帝国ホテルより大きなホテルで、そこで事務員店員、私達がそれだけの想像をしても仕方が無いでしょう、紹介所では今になって水谷さんが余りに大きくいいすぎたといっていますが、満州ではああいうインチキは普通だそうです、それを十分に調べて下さるのがお役所でしょう」(東朝五月五日朝刊)。
 五円の金が十円で売れるとなると、金は例の有名な物神崇拝性という魔術を振い始める。有形無形の金鉱が試掘され又は試掘権が売れ始める。或る者はショーヰンドーで街頭の金鉱を試掘する。金はたしかに幻影を産んでいる。だがこの幻影にはチャンとした客観的な金相場という物質的根柢がある。相場は人気で決まるように聞いているが、その人気が売買関係という客観的で物質的な地盤の上で正確に決まって来ている。処で満州という観念も亦今は甚だ人気がある。満州という観念は物神崇拝性と同じような魔術を持っている、満州という観念は一つの幻影を産んでいる。処がこの幻影は、「永遠の楽土」、「搾取なき天地」等々という精神的な地盤にその根を持っているのである。
 リットン卿は甚だ認識不足であったと云うべきだろう。だがリットン卿の認識不足ばかりを余り非難しすぎる、と薬が利きすぎて、今度はこっち側で認識不足をやり始めるのである。そうして当局が憤慨されたり、職業紹介所が恨まれたりする破目に陥ることになるのである。ここの処、当局の手加減に一段の苦心の要る処かも知れない。あまり正直な満州ファンを沢山造り過ぎるのは、どうも少し策の得たものではないではないかと考える。――拓務省では、満蒙自衛移民のために花嫁の周旋を始めたそうであるが、満蒙自衛移民のために周旋するのならば問題もあるまいけれども、逆に、花嫁のために満蒙自衛移民を御亭主として周旋するというような顔をするのだと、あまり罪造りな結果にならないように希望したいものである。何しろ相手は純真で××られやすい娘達なのだから。

   二、思想対策協議会

 地方長官会議、司法官会議、諸種の学校長会議、そうした会合で問題になるのは最近では殆んど所謂「思想対策」だけである。内務省も司法省も、文部省もこうした会合を専ら思想対策会議の積りで召集するかのように思われる。第六十四議会では思想対策決議案が可決された、だから政府は思想犯罪防止の機関を設置しなくてはならない義理がある。各省事務次官会議はその相談に熱心であったが、一策として、内務省・司法省・文部省が協同して、相当権威ある機関を設置しようという案も出ているが、結局政府の手によって「思想対策協議会」なるものが出来上った。
 この協議会の第一回会合は四月の十六日に持たれたそうであるが、そこで指導的な役割を演じたものは恐らく警保局だったろう。それに先立って警保局は協議会に提出する原案を決定したが、それは次のように広汎な分野に亘るものである(東朝四月十二日付)――
 一、建国精神・日本精神の確立・精神運動の作興、日本古典の研究。
 二、近代思想の諸相の究明。
 三、教育制度の改革。国史教育の奨励。社会教育の普及徹底。
 四、社会政策の実施。
 五、人口問題対策による生活不安の除去。
 六、政治に対する国民の信頼を深めること。
 七、新聞出版関係者、著作家との連絡を密にしその協力を求めること。
 私は原案七項全部賛成である。まず第一項(建国精神の確立・古典の研究)其他及び第二項(近代思想の諸相の究明)は、国民精神文化研究所に大いにやらせれば宜しい。一体あの研究所の所員は暇で困っているのだから。但し古典の研究では「南淵書」の研究も忘れてはいけないだろう。第二項(教育制度改革・国史教育奨励・社会教育普及徹底)ではまず帝大、官立大学の法文経を民間に払い下げて官製インテリ失業者を少なくする、インテリ失業者が教育上最も面白くないので、それだけの数が普通の失業者ならばあまり問題は起きないわけである。国史は史学的に研究する代りに国学的にやるべきであり、社会教育は普及しただけでは危険だから「徹底」させなければならぬ。それから第四項の社会政策のためにはすでに協調会というものが出来ているし、第五項の人口問題解決=生活安定は、ルンペンを第一陣第二陣と満州に移民させればよいし、国民は無論政治に信頼を置いているから之を「深め」さえすればよい(第六項)。検閲を円満にするには出版関係者乃至著作家自身と連絡し協力する以上に理想的な方法は又とあるまいではないか(第七項)。
 以上の諸項目の一つ一つに就いて吾々は完全に賛成であると共に、之が実現可能であるということを信じて疑わないものである。だからこそそれに賛成しているのである。――只、一つ心配なのは、日本精神の確立とか日本古典の研究とか近代思想の究明とか、国史教育社会教育の奨励とか、教育制度の改革とか、いうものに就いてまで、警保局で原案を造って呉れて了っては、文部省のすることがなくなりはしないかという、素人臭い心配の一点だけである。警保省文部局ということになりはしないかという点だけが只一つ心配なのである。それも、文部大臣がスポーツの世話を焼くだけの役目では、あまりに気の毒だと思う同情の心からなのである。
 私は子供の頃、政教分離ということを聞いてなる程と思ったものであるが、更に宗教関係や教育取締は文部省で、神社関係や犯罪取締は内務省の所管だということを知って、その組織的な分類法に敬服したものだった。処がこの頃では、どうもこの点に就いて段々懐疑的になって来たようである。
 何にせよ、教育の警察化ということはあまり柄の良いものではない。例えば中学校以上の入学者全部を、片端から指紋を取ってやろうというようなある筋の最近の提案は、職業的サディストにとっては中々面白い痛快なイデーであるが、「社会風教」の上からは、あまり愉快なイデーではないようである。

   三、墳墓発掘

 四月二十六日の新聞を見ると、某医専教授が、人夫を使って鎌倉の百八矢倉という史跡を暴き、五輪の塔を窃取して、荷車にのせて持って帰って、自分の邸宅の置石にしていた、ということが出ている。之は中々風変りな面白い犯罪だなと思って見ていると、確かに大分風変りな犯罪であることが段々明らかになって来るようである。
 第一専門学校の教授ともあろうものが、泥棒するということからが変っているのに、教授自身は一向それを大それた犯罪だとは思っていないらしい。その証拠には息子も一緒に連れて行ってやっているのである。之をハッキリと犯罪だとは思わないのに一応の原因がないでもない。之は元々骨董収集癖が病的に嵩じた結果らしいので、別に盗んだ五輪の塔を売って金に代えようという意志はないのだから。なる程他人の私有財産を勝手に商品交換過程に投げ込むという典型的な犯罪と一つではないし、又自分にとって衣食住に直接関係のある物資を盗んだという原始的な「泥棒」とも別である。それに盗んだ物品そのものが史蹟にぞくするもので、一般社会にとっても直接な不可欠なものではない。
 社会は変なもので、ルンペンが林檎を一つ盗んだということは、ただ一つの林檎もルンペンにとって重大な意義があるという処からいつの間にか、その犯罪自身が重大なものに見做されるということになるのであるが、之に反してブルジョアのヒステリーマダムがお召を一反万引しても、一反位いのお召はマダム自身にとっては実はどうでも好かったという処から、その万引自身も亦精々笑い咄しになって了う、ということも出来るようだ。五輪の塔は教授の病的昂奮を外にしては、冷静に見れば彼の社会生活にとって真剣な意義のあるものでないので、教授自身之を大して悪いことだとは思わなかったのかも知れない。
 処が翌日の新聞を見ると、教授のやったことは単に窃盗だけではなく、古墳の発掘という犯罪にも該当するらしい。墳墓発掘罪とかいうものが適用されそうなのである。それは墓石を発掘している時に計らずも白骨が出て来たということからだそうである。こうなるとこの犯罪に対する興味は、もはや教授窃盗事件の興味ではなくて、墓墳発掘、古墳発掘、従って又史跡蹂躙、という事件の興味に変って来る。
 単に教授が泥棒したというだけでは、珍らしくてセンセーショナルだというだけで、社会の何か一定の集団にとって特別の利害があるわけではないから、別に輿論もやかましくならないが、史跡蹂躙というレッテルが貼られると、色々な「史跡」関係者が出て来て、輿論[#「輿論を」は底本では「輿輪を」]造り上げ始める。鎌倉の社寺の神官僧侶達が、史跡擁護の旗の下に、よりより協議中だということになって来た。
 処で五月三日の新聞になる。東京朝日新聞は輿論が増々高まって来たことを報じている。日本地歴学会の大森金五郎氏等は「墳墓発掘は日本国民思想に影響を及ぼすことが大きい」というところから、全国の史跡保護の運動を起し、学会の名を以て内務省や文部省に取締の請願を始めたし、神奈川県の史跡調査会は対策協議会を開いたし、例の日本地歴学会の某氏は「史跡荒しの墳墓発掘は社会風教上遺憾なり」として、検事局に向け教授を墳墓発掘罪として告発することになったそうである。
 発掘事件は遂々、社会風教問題に、思想問題にまでなって了った。初め僧侶達は、墓石窃盗の被害を、史跡の蹂躙という名によって権威づけたが、今度は歴史家達は、史跡蹂躙を、更に思想問題という名の下に権威づけて了った。私はオヤオヤと思ったのである。
 それから三四日経って、東朝の「鉄箒」欄に、村岡米男という人の投書がある。それは頂門の一針として一寸痛快なものである。この人の云う処によると、百八矢倉に行って見ると、これが大切な墓かと思うような保存は以前から一つもされていなくて、墓は倒れ埋もれて全く見る影もないように前からなっていたのだそうだ。住職の今更ながらの史跡擁護づらが滑稽だというのである。私も大方そんなことではないかと思っていたのである。もしこれが本当だとすると、「日本国民思想に影響を及ぼすことの大きい」点も「社会風教上遺憾」な点も、一部分はこの住職の責任にもなろうというものである。住職は人ごとのように史跡蹂躙呼ばわりをするのをチト気を付けなければなるまい。
 だがそれで何も、教授の罪が軽くなるわけでも何でもない。一体何だって、こうした発掘事件をまで、思想問題という形で騒ぎ立てる必要があるのか、という点が問題なのだ。
 歴史家が史跡擁護を唱えるのは多分、歴史研究の資料を保存するためだろうと思う。処で古墳などを発掘するということが、とりも直さず歴史研究の資料を見出す絶好の機会ではないかと、そう素人の私は想像している。そうすると墳墓発掘ということは場合によっては歴史研究なのだから、歴史家はあながち墳墓発掘を一概に非難出来ない義理合いにあるわけだ。この墳墓発掘が古跡荒しになるからというだけの理由ならば、別に之を思想問題呼ばわりする[#「呼ばわりする」は底本では「呼ばりわする」]必要はないのだし、単に窃盗ならば問題は警官が宗教罪に一任すれば解決する。
 思想問題にうなされている或る種の人物には、何でもかでもが思想問題になって見える。単なる墳墓発掘が思想問題ならば、死体の解剖をすることだって思想問題になるだろう。尤もこの頃では、死体の解剖をしないことの方が実は思想問題なのであるが。
 今年の国展は仲々いい展覧会だった。
 今迄のゴミゴミした絵や、情実関係としか見えない拙い小品が、すっかりなくなったのは、今年の審査の出来栄えだった。展覧会も甘くして入選者の御機嫌ばかりとっていないで厳選にして呉れた方が観る方は助かる。
    ×
 しかし西洋人のクレヨン画みたいなものが沢山並んでいたのは、どう云うことか、素人には解らない。あれは子供の自由画みたいなものだが、展覧会にあんなに沢山ならべるもんですかねエ。
    ×
 梅原龍三郎氏の小品三点は、小さい乍ら立派なものであったのは、流石名匠の腕であるが、自分が大将である展覧会だから、もう少し大きいものを沢山みせて貰いたかった。見物はそれを楽しみに行くんですからね。
 川島理一郎氏の台湾土産も粋な画だ。
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 工芸室は国展の名物で、いつも楽しみにして出掛けるが、良くて安いものは、招待日の朝出掛けて行って、既に赤札とはどう云うわけだ。
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 今年の工芸は種類が多くて賑かだ。安い絨氈が傑作である。芹沢と云う人は立派な図案を創る人だ。
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 春陽会は国展から見ると、ひどくダラシがない。もう少し近頃流行の厳選に願いたいね。
 洋行帰りの下手糞ばかり沢山あっても景気は出ない。
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 別付貫一郎と云う人の伊太利風景数点が一ばんよろしい。会友中の洋行帰りではこの人が良い。鳥海青児はいかにも汚い。加山四郎はいかにも拙い。
    ×
 出品者の洋行帰りじゃ、画因が古臭くて、乾燥しているが、大森啓助と云うのが、腕は相当たしかだ。他の連中は申合せた様に、南仏の巴里郊外を描いて、まごまごした筆の下手さ加減は、どうだ。外国風景の色の奇麗さだけでは、もう観る方も惑わされはしませんよ。
 下手糞が面白がられる情なさ。
 と云うのはどうじゃね。近来画壇の一傾向を云い得て妙だろう。
    ×
 春陽会と云うところは、恐ろしく会員の不熱心なところだ。長谷川昇先生一人気を吐いて、これに続くものは倉田白洋先生位じゃ。
    ×
 元老株は、日本画、※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画と遊び、壮年会員は一向にいい作を並べて呉れない。小山敬三氏一人が勉強している様だ。
    ×
 妙だと思っていたら、新聞報ずるところは硲、小山の両中堅の春陽会脱退だ。この二人が脱けたら、春陽会にとって相当の痛事だ。展覧会も古くなればいろいろと事件がおきる。画壇のためには、起きた方がいいかも知れぬ。
(一九三三・六)
[#改段]


 自由主義の悲劇面

   一、五・一五事件「発表」

 現内閣を非常時内閣とかいうそうであるが、ある人の説によると、それは、五・一五事件の処置をつけることを目的とする内閣という意味だそうである。この非常時現内閣にとって何より宿命的な五・一五事件が、丸一年間もの「慎重」な審議の揚句、やっと公表されることになり、同時に一般記事の掲載解禁となった。まことに御同慶の至りと云わねばならぬ。
 処でこの事件の発表の一日前、即ち五月十七日には、之も四年程前に起こった私鉄事件・売勲事件・其他の被告達に対する判決云い渡しがあった。特に私鉄事件に関しては、小川平吉其他の巨頭が無罪を云い渡されたのに対して、検事局は職業柄、控訴すると云って力こぶを入れている。だが世間ではそんなことはどうでも好いのである。この不名誉な英雄達を世間は頭から問題にしていない。彼等は全く人気のない惨めなうらぶれた主人公達である。わずかに、みずから青天白日の身をいとおしむのが精々だ。悪事を働いたり働こうとしたらしかったりする者が不幸になるのは、素より××の××たる所以である。
 所が之に反して、五・一五事件の巨頭達は、今度の発表に際して、単にジャーナリスティックに中々華かで人気があるばかりではなく、特に×××の被告達の如きに到っては、軍部大臣等自身の口から、正義の憤激に燃えたその心事を、痛く××され又××されてさえいるのである。前の収賄事件の英雄達に較べて、この×××は何と幸福なことだろうか。彼等は尽く「人格者」だそうであるが、人格者が多少でも幸福になるということは、之又××の××たる所以でなければなるまい。
 収賄などという犯罪と、政治上の確信犯とでは、少くともこの位の社会的待遇の相違があるのは、当然だと一応私はそう思うのであるが、併し、それは例の滝川教授の説の一部を支持することになるわけだから、恐らく間違っているのだろう。
 よく考えて見ると、実際に、この考えは間違っているらしい。その証拠には同じく政治上の確信犯だと云っても、例えば之が左翼の諸事件の主人公達だったとすると、「社会の通念」から云って、収賄罪の主人公達よりも、もっともっと社会的に虐待されることは当然なことなのである。「人格の陶冶」の足りない人間が、一等みじめな眼に合わされねばならぬということは、之又××の××たる所以と云わねばならぬ。
 今度の五・一五事件の発表を見ていると、とにかくファッショの「××」×はうらやましい程幸福である。少くとも彼等は、こんなに同情に富んだ根本的には出来栄えの至極良好な社会の手によって、「処罰」されるのに、決して悪い気持はしないだろうと思う。
 だがこう云って、何か判ったように説き出したのではあるが、実はどうも判らないことばかりなのである。五・一五事件の大体の道筋は、世間の誰もが既に知っていることで、今回はそれが多少具体的に整理されて紙上で発表された迄なのであるが、それで判るようになったかと思うと、そうではなくて、事柄は却って益々判らなくなって来たのである。
 陸海軍の青年将校や士官候補生が、犬養首相を××××、警視庁や立憲政友会本部や日本銀行を襲撃したとか、又常人側の行動隊が変電所を襲ったとかいうような報道は、その当時、人々が既に知っていたことで、誰と誰とが何をしたとか、手榴弾や拳銃をどうやって手に入れたとか、云ったような「具体的な事実」を今更報道して見た処で、五・一五事件なるものの真相が具体化されて報道されたことにはならぬ。世間が知りたいのは、そんな末梢的な「事実」ではないので、この事件の本当の背景と、その背景と本件との具体的な関係なのだ。
 所謂「五・一五事件」なるものが、決して昨年の五月十五日に起きた事件だけを指すのではなくて、例の日召等の「血盟団」と密接な連絡があったことは、相当明白に公表された。所謂「五・一五事件」は、決して単なる五・一五事件でなかったことが判る。だが、五・一五事件+血盟団事件が五・一五事件の「全貌」かと思うと、どうもそうではないらしい。
 五月十八日付東京朝日新聞の社説は云っている。「事は昨年五月十五日に突発したのではなくて、早く井上・団・両氏の暗殺にもつながり、更により以前にさかのぼれば、流言蜚語として一部に伝えられたる事すら、全く根もないことではなかったのではないかと思い当らしむるものがあるのである。」井上・団・暗殺事件というのは今云った血盟団の仕事のことであるが、それ以前に、流言蜚語として一部に伝えられたものが何だかに就いては、吾々良民は一向見当が付き兼ねる。
 所謂五・一五事件なるものは、単なる五・一五事件でないばかりではなく、五・一五事件+血盟団事件だけでもないらしい。処で之を「五・一五事件」[#「五・一五事件」は底本では「五一・五事件」]として、或いは已むを得なければ「五・一五+血盟団事件」として、孤立させて発表するのには、当局に何かの都合があることだろう。この当局の都合も顧ずに、五・一五事件の全貌が発表されたとか何とか云って騒ぎ立てるのは、甚だ思いやりのなさすぎることではないか。
 もし思いやりがなさすぎるのでなければ思いやりがありすぎることなのだ。
 この事件が「発表」されたという事件に就いて、判らない点はまだまだある。新聞紙が伝える処によると、この「発表」の仕方に就いて、司法省と陸海軍両省との間に、初め、不思議にも、見解の対立があったそうである。司法省の意向としては、従来の「お役所型を破って」、相当具体的に諸データを指摘するというやり方で公表しようとしたのであるが、××××からは、之に対し或る修正案が提出されたそうである。
 司法省のような公表の仕方をすると、予審が決定しただけでまだ本式には確定していない犯行事実をば、確実の事実であるかのような印象を与える仕方で発表する結果になりはしないか、それでは、外のことはとにかく、××××の威信を傷ける惧れがある。そう陸海軍省側は故障を持ち込んだそうである。もっと抽象的な発表形式を採用しろというのが司法省案に対する修正案であったらしい。
 こうやって「三省合議」の上で修正されたのが、今度公表された内容だとすると、多分それは、採り得べきであった具体性に較べて、まだまだ抽象的な形態に止まっているものに相違ない。なる程諸事実・人名・場処・時日・行動・其他のデータは立派に公表されているのだから、相当具体的だと云えば具体的だが、どうも吾々国民は、この頃馬鹿に疑い深くなっているので。
 なる程、誤謬の可能性が、現実に期待され得るような場合には、あまり立ち入り過ぎた「具体的」事実を云々すると、認識を誤らせるかも知れない。だが予審調書の場合の如きは、権威ある根拠によって立っているのだから、誤謬の可能性が現実とは期待され得ない筈ではないか。もし少しでも誤謬であるかも知れないような予感があるなら、予審は決定される筈がない。処がこうした予審で決定された「事実」を抽象的に発表しなければいけないというのはどういうわけなのであるか、それは吾々人民には判らないことだ。
 抽象的知識は必ず認識不足を産むものである。この唯物論のテーゼはこの頃日本帝国が国際的に専ら宣伝に力めている真理だ。認識過剰も困るが認識不足はなお更困る。処が今の場合は、認識不足よりも認識過剰の方が困るのだそうである。国際的には認識不足、国内的には認識過剰。難きものは認識なる哉。
 処がまだ一つ判らないことがある。常人側の被告を受け持たされた司法省側は、被告に内乱罪を適用する必要を認めず、単に殺人・殺人未遂・爆発物取締罰則違反・という罪名を付けようとするのであるが、陸海軍側は軍人被告に対して反乱罪を以て臨もうとする。之を聴いて世間では一時、何故だか、司法省と××との対立云々と噂した。そこで法相はこう云って断わっているのである、「……に就いては種々な議論もあって中には陸海軍と司法省の意見が対立正面衝突でもした様に伝えるものもあるが、さようなことは全然ない」云々(東京朝日五月十一日付)。
 無論そういうことはあり得ない筈である。あったとしたら頗る変なことだろう。処がそんな変なことがまことしやかに噂されるということは、だから、二重に変なことでなければならないわけだ。どうも薄気味悪いことである。
 五・一五事件の「発表」のおかげで、吾々は五・一五事件が益々判らなくなって来た。懐疑論や不可知論が昂進して来ると、一種の妖怪談になってくる。お互い様に薄気味悪くなるのである。

   二、文部大臣の権威

 国際競争に限らず、勝負は機会均等でなければならぬ。二回戦で二対〇の勝利率のものでも三回戦では三対〇とも二対一ともなることが出来るのだから、三対〇をも二対一をも二対〇だと云って片づけて了うのは不合理である。六大学リーグ戦も今年から一様に三回戦までやることになったそうであるが、それは数学的に非常に慶賀すべきことである。新進の秀才文部大臣の何よりもの歴史的大功績があるとすれば恐らく之だろう。多分この点は又、日本中の有識者が斉しく認める処だろう。
 だが文部大臣たる以上、たかがスポーツの問題などに跼蹐きょくせきしてはいられない。私は先月の本欄で、文部省が内務省などに引き廻され気味で、わずかにスポーツ干渉を以て憂さを晴らしているのを、文部大臣のためにお気の毒だと云ったのだが、今は文部大臣の名誉のために、之は失言として撤回する。文部大臣は内務省などから引き廻されるどころではない、わが文部大臣は、内務省に命じて、滝川教授の著書『刑法読本』を発禁にさせたのだそうである。(東京朝日五月二十一日付)。
 之はJOBKで放送したものを出版したもので、去年の六月ほんの僅かな削除の後に発売を許された本だが、内容は素人の吾々にとっては非常に自然に変な無理がなく能く呑み込めるし、口絵には一枚の美人の写真さえ付いていると云った風で、まことになごやかな著書だという印象を消すことは出来ない。処がわが秀才文部大臣の卓越した頭脳は、BKのコセコセしたスイッチや逓信省の老婆心や内務省の無表情な警察眼をも洩れたこの本に、ニコニコしながら、而も悠々と一年間の間をさえおいて、発禁を命じた(?)のである。凡そ一国の大臣たるものは、須らく之だけの落ち付きと見識とを持っているべきだろう。
 文部大臣のこの見上げた態度に較べて、文官高等分限委員会の態度は、何と不見識で軽はずみなことであるか。滝川教授の罷免という、社会的には輿論の対象となり法制的には疑問の焦点である処の、この困難な問題を、文部省がディクテートするままに、禄々調査もしないで即日安々と鵜呑みにして了ったのでは、どこに委員会の権威があるだろうか。況して文部大臣は、委員会が開かれる前から、委員会を××するに決っているような変な口吻を洩らしていたが、あれは何として呉れるのか。
 文部大臣の権勢正に恐るべきものがあるのである。――処が、世間の噂によると、上には上があるもので、当の××××が中国地方の某代議士によって動かされているというのである。××××の折角の名誉のために、そういう事実はないのだと信じるが、併し噂のあること自身は事実だ。その噂によると、その某代議士が滝川教授の著書か講演かに、どうしたハズミからか、興味を持って、之こそ赤化思想であると云って、パンフレットまで造って、六十四議会で策動したということである。文部大臣はその見識と落ち付きにも拘らず、何故だか[#「何故だか」は底本では「何故だが」]、そういう教授は必ず処分すると即答して了ったので、決して約束を破らないわが卓越したこの政党人大臣は、その約束を只今道徳的に履行しているのである、と。なる程そうして見ると、文相のこの道徳美談の犠牲者が、他の何人でもあり得ずに、特に滝川教授でなければならないわけが、少しは理性的に理解出来る。だがそうすれば、理解出来なくなるのは、文相のかの見識と落ち付きがどこへ行ったかという点だ。
 某代議士がなぜ滝川教授を選択したかは、本当の処は判らないにしても、一つの仮定を置けば想像上はよく判る。教授は法律学者であり法律の中でも特に切実な刑法の学者だ。処で滝川教授に取って不幸なことは、大抵の代議士という種類の人間が法律書生上りだという事実である。彼等代議士は法律の常識はやや自分の専門だと思っている。彼等は何が赤いことで何が赤いことでないかは科学的に認識出来ないが、彼等の法律常識によってうまく消化出来ないものと出来るものとの区別は認識できる。そこで自分の法律書生式常識で判らないものが、即ち赤いことだと推論することは自然だろう。赤いということは多分こういうことなのだろうと、事法律の世界に関する限り、一寸連想を逞しくするのは無理ではない。で、こういう仮定さえおけば(尤も之は事実に当っていないかも知れないが)、この点は一応理解出来る、だが依然判らないのは文部大臣の権威の行方である。――文相の権威が一寸でも弱みを見せると、世間の噂好きな連中はすぐ、背後にファッショの手があるとか××の後ろ立てがあるとか、不謹慎なことを云い始める。この頃の世の中は全く困ったものだ。
 威厳も自分の身から出たものでないと、一向身に付かないもので、付け焼き刃の威厳の持主は、その目つきが不安そうにキョロキョロするものである。処で実際、文部省が滝川教授罷免の理由として挙げる処は、いつもキョロキョロと一定しなくて落ち付かない。時には漫然と赤いからだと云って見たり、時には内乱罪や姦通罪が普通の犯罪でないと云うから悪いと云って見たり、著書が悪いからと云うかと思えばどこかでやった講演が悪いからとか、大学での講義が悪いからとか、云って見たりする。併し、漫然と赤いから悪いというのでは、田舎の父親や下宿のおかみにとっての説明になっても、まさか文部大臣の口から天下に向って声明する説明の理由にはなるまい。内乱罪が普通の犯罪と同一には待遇出来ないというのが悪いというと、新聞の社説(東京朝日五月二十一日付)や京大法学部の少壮職員団から(その声明書)、海相や陸相でも×・××××に就いてそう云っているではないかと云われるし、姦通罪に就いては東大教授男爵穂積博士の最近の著書『親族法』にそのままあるではないかと云われる。著書が悪るければ内務省が発禁にすれば好いので、文部省がその著者を首にする理由にはならぬと云われるし、講演が悪るかったと云えば、それはすでに前から出版されて広く読まれている著書と同一内容だったに過ぎぬと云われる。
 それから大学での講義が講義として好いか悪いかが、一体国務大臣に判定出来るかと質問される。而も、「頭の悪い人には罷めてもらわねばならぬのと同じことだ」などと下手なことを云うから、引き込みが益々付かなくなるわけで、教授としての頭の善い悪いは一体教授会が判定しなければならないことだ。処が現に、法学部教授会は全員一致で、滝川教授が赤くもなければまして頭が悪いなどということは到底あり得ないことを、主張している。
 こういう時のためにと思って、大学官制の内に、わざわざ「人格の陶冶」という項目を後から※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入しておいたのに、折悪しく滝川教授は放蕩もして呉れなければ喧嘩もしない。而もよく冷静に考えて見ると、大学教授の場合に於ける人格は、何よりも真理探究に対する誠実の内にこそあったわけで、それが学生の教育に対しての何よりの人格的影響を意味するわけだが、京大学生は滝川教授の非人格さを非難し始めるかと思うと、それとは全然反対に、教授に対して無やみに師弟の情の切なるものを感じているらしい。こういう真情には、文部大臣たるもの、素より「動かされ」る義理があるわけだから、嫌でも学生代表に面会しなければならない破目にまで陥って了う。
 そればかりではない、京大法学部教授団は文部省に対する批判を意味する処の声明書を発表している。それによると、第一に総長の具状を待たずに大学教授を罷免すべく分限委員会を開いたことが、帝国大学官制に対する純然たる違法であり、而も沢柳事件で京都帝大の不文律として天下に認められた処の、総長の具状は教授会の協賛を必要とするという習慣法を無視することも、不法だというのである。一体今日では伝統を無視するということそれ自身がすでに危険思想ということになっているが、時の文部大臣奥田義人が認めた京大の模範的伝統を蹂躙することは、文教の府として、それ自身引け目を感じることである。まして勅令違反の嫌疑まで受けては、文部省もジッとしてはいられないだろう。法制局に相談して見ると勅令違反にはならないそうだが、京大の法学部全体が一人残らず違法だと云っているから、世間の無知な蒙昧な人民達はどっちの言い分を信じるかあてになったものではない。
 人から借りて来た権威というものはツクヅクあてにならないものである。ドンなに身辺を見廻しても、思わしい合理的な論拠は見当らない。だから京大法学部に対する反対声明書などは、なまなか出さない方が好いだろう、ということになるのである。
 理由を挙げたり声明書を発表したりするのは、理論だが、文部省はどこにも合理的な理論を見つけ出すことが出来ない。――だが政治には、別に理論などはいらない。理論は抜きにしても有力な説得力のあるものがある。×××はそういうことをチャンと知っているのである。理論抜きの有力な説得力は外でもない、何等かの意味の××である。それが最後の何よりもの頼りである。之が文部大臣の本当の「権威」なのだ。……
 だこう推論して行くと、どうやら×××の背後にある背景というような神秘的な問題に這入って行きそうだから、そういう妖怪談めいたことは止めにしよう。
 滝川教授問題は、単に滝川教授一個の、又単に京大法学部乃至京大の、問題ではないし、又単に鳩山文相一個の、又単に現内閣の、問題でもない。今更そんなことを云うのは、野暮の至りだろう。つまりそれはファッショ化したブルジョアジーが広汎な自由主義に対する挑戦なのだ。自由主義と一口に云っても様々な段階の区別を分析する必要があるが、この頃ではその段階が一つ一つ順々に侵害されて行くのである。この侵害運動はやがて東大の法学部や、又遂には京大の経済学部にさえ及んで行かないとも限らない。そうした教授たちは、この際よほど気を付けて自分の態度を声明しておかないと、その場になってからでは相手にされないかも知れないのである。
 この間出来上ることになった「思想家・芸術家・自由同盟」はこの問題に就いて文部大臣あてに抗議書を送ったそうである。これは元来ナチスの文化蹂躙に対する抗議を提出するために代表的な知識階級人が集会したものだが、併し、そういう抗議文をヒトラーに送ると、恐らくヒトラーは、それよりも先に、日本のファッシストに抗議したらどうか、と云って来るに違いないというので、鋒先は遂々文部省に転じられたわけである。文士やジャーナリストまでが集って抗議しているのに、「敬虔」なる態度を以て静観しようと申し合わせたという京大文学部の教授達や、滝川教授罷免の策動をしたことを学生団から暴露されてあわてていると伝えられる京大経済学部の教授会などは、一体何をマゴマゴしているのであるか。東大の法学部にだって、××ねらわれている教授は二三名はいるそうだが、それはどうなるのか。リベラリストも単なるリベラリストとしては済まなくなって来たのではないか。
 個々のリベラリストも一旦結束すればもはや単なるリベラリストの集団ではない。滝川教授が赤いならば、かれを擁護して立った教授会及び法学部全体は少くとも同等以上に赤い筈だ。だから文部大臣は文部大臣の権威を以て遂に四十名の赤化教授乃至教授候補を××したわけである。天下のリベラリスト達はこの点に就いて、わが文部大臣に深く感謝の意を表しているのである。ただこの感謝の意志が、声明書や抗議書や文相辞任勧告というような不遜な形態を取って現われているに外ならない。文相はこれ等の意志表示が、感謝以外の他意のあるものでないことを深く諒とすべきである。
(一九三三・七)
[#改段]


 転向万歳

   一、転向万歳!

 六月十日の新聞では、一斉に、佐野、鍋山の「両巨頭」の転向が報じられた。佐野巨頭の動揺は去年の十月頃からだそうだし、鍋山巨頭の動揺参加は今年の一月頃だと、宮城検事正は語っているから、多分当局は永らく希望にワクワクしながら、固唾かたずを飲んでこの日を待っていたことだろうと思う。花々しく蓋が開けられた時、左翼の陣営にはどんなに痛快な大地震が揺れることだろうかと。
 実際、左翼の陣営などにはいない処の私の如きは、この記事を見て全く驚いて了ったのである。驚いて了ったのは無論私だけではあるまい、大抵の人間は少くともすっかり驚いたことだろうと思う。――何しろ、新聞が要点をかい摘んで教えて呉れる処を見ると、彼等両巨頭が、突然、日本民族の優秀性やアジア民族と世界資本主義との対立、対支那及び対アメリカ戦争の積極的肯定や天皇制の強制、其他其他を主張し始めたというのである。ロシアにもどこにも行ったことのない吾々は、コミンテルンというものがどういうものかは良く知らないけれども、少くとも共産主義というものは、凡そこうしたファッショ的テーゼの正反対をこそ主張するものだと思っていた処だから、全く途方もない「転向」もあったものだと思ったのである。世間の人達が、これをファッシストによってディクテートせしめられたものに違いないと信じたのに無理はない。
 処がその日の夕刊を見ると、無産弁護士団が、この両巨頭を市ガ谷刑務所に訪問して、二人が「顔色一つ変えず」に、夫が本当だと断言するのを聴いて来たと報じてある。そして刑務所帰りの弁護士達の写真までがその証拠として掲げられている、ということは即ち新聞に出たことが決して「デマ」ではないということである。と同時に、この転向がファッショなどにディクテートされたのではなくて、完全に自発的に「心境の変化」を来したことに由来するものだということになる。で転向が「本当」だということはもはや疑う余地もなく保証されているのである。
 併し新聞が伝える限りでは、この新しい主張がなぜ正しいかという点に就いては云うまでもなく、こういう転向の過程がどう理由づけられているかも一向説明されていない。そして唯々「共産主義を蹴飛ばし」「ファッショに転向」したという、一種の託宣めいた結果だけを、繰り返し繰り返し報道しているにすぎない。こうなると新聞は妙に不親切なものである。
 尤も新聞は同時に吾々に一つの希望を与えることを怠ってはいなかった。例の七項からなる上申書「思想転向の要項」の全文と「緊迫せる海外情勢と日本民族及びその労働者階級」(副題、「戦争及び内部改革の接近を前にしてのコミンターン及び日本共産党を自己批判する」)という八項からなる声明書とが検事局から出版されることに決ったということを新聞は報じているのである。この出版物が読んでも判らない程度に伏字になったり、発禁になったり、しないことを吾々は衷心から希望せざるを得ないのであるが、とにかくこの出版物が吾々第三者の立場にあるものの疑問を解いて呉れる唯一の希望だと考えられた。こうして新聞は鮮かに「本当」の報道の責を検事局に転嫁して了ったようである。
 処で、検事局の責任編集になる両巨頭の例の文書が早く出ればいいがと思っている矢先、吾々は思いがけぬ福音にありつくことが出来た。というのは、本誌と『改造』とが逸早く、佐野学、鍋山貞親の原稿全文「共同被告同志に告ぐる書」を掲げているのである。この福音は、新聞記者からでもなく検事局からでもなくて、雑誌編集者の驚嘆すべき手腕から来たことは明らかである。吾々は編集者が、私信のやり取りさえ困難な刑務所内からこの貴重な政治的論文を獲得して来た精励の程に、又この論文を殆んど一字の伏字もなしに印刷した英断の程に、敬服せざるを得ないと共に、一体之は原稿料を払っているかしらという、一寸世帯じみた連想も起こすのである。というのは、同じ原稿がこの二つの雑誌に印刷になっているらしいからである。之は普通の原稿ではあまり見受けない現象だ。
 この文章又は例の「要項」の摘要に対する批評は山川均氏(『中央公論』)や青野季吉氏(『読売』)等の「左翼民主主義者」達から、相当コッピドク敢行されているから、両巨頭の思想がどこで間違っているかということは、否どこで正しいということは、読者がすでに充分知っている処だろう。知識と経験との乏しい私などが、とやかく云うべき筋合ではない。私は、札つきの「左翼」の人達が之に対してどういう批判を下すかを、普通の印刷物の上で見ることの出来ないことを遺憾に思っているだけだ。
 併しこの「同志に告ぐる書」を読んだありのままの感想を云うならば、どこにも別に「ファッショになれ」という言葉は書いてないことが、やや意外だったと云わねばならぬ。新聞の紹介を読んで、両「巨頭」がスッカリ、ファッショになって了ったものと思い込んでいた私は、だからナーンダこんなことかと思ったのである。尤も例のファッショと間違いられそうな諸根本テーゼと共産主義との関係は殆んど説明されていないから、一見共産主義とは関係のないことを論じているように見えるが、併し元来之は「同志に告げる書」なのだから、同志に向って今更共産主義を説明する必要はなかろうではないか。
 問題はだがそこにあるのである。例えば私は、云うまでもなく如何なる意味に於ても彼等の「同志」などではない。それだのに私は「同志に告ぐる書」を読まざるを得ない。それが唯一の福音だったからである。だから私は、言わば雑誌編集者の紹介によって、両巨頭から同志としての待遇を受けるの光栄を有たされたわけなのである。而も大事なことに之は何も私だけの特権ではない、幾万という雑誌読者が皆そうした光栄に浴するのである、否幾百万という新聞読者までが、この光栄の結論的な「摘要」の託宣にあずかるのである。――だが一体、ファッシズムの怒濤のおかげで、今日ロクロク物も云えず息もつけずにいるような吾々娑婆の俗物達と、獄内の被告同志とを、一列に取り扱おうとするのが元来少し無理ではないだろうか。
「同志に告ぐる書」は、同志によって批難されるだろう場合ばかりに気を配っているようだが、同志の待遇を受ける光栄を有つだろう「世間」から喝采を博するだろうことに就いては、一向自信を持っていないらしく見える――併し世間の心ある識者達は、いずれも之に熱烈な喝采を送るのを惜んでいない、という吉報を、修道院のように静寂な獄内に坐している巨頭達の耳へ、早く入れてやりたいものである。――満州問題の成功や近くは円価の反騰、農村の「好況」などでこの頃益々気を好くしている日本の世間であるから、(ロンドンの「ブルジョア」経済会議のダラしなさを見ろ!「ブルジョア」軍縮会議が何だ!)この「転向」によってすっかり悦に入っているものは、決して裁判長や教悔師ばかりではない。
 土堤評によると、党員の相当上の方へ行くと、この転向に追従する人間も案外少くないかも知れないということである。だが又、当局が皮算用している程に痛快な大動揺も、なさそうだという噂さである。前に云った山川均氏や青野季吉氏などは、それ見たことかと云った調子で、軽くひねって片づけているような始末である。
 大衆は案外、英雄崇拝をしないもののように見える。そうだとすると、「巨頭巨頭」という招牌もそれ程効き目がないかも知れない。この間ある有名な左翼出版屋が、ファッショに転向したそうである。ナチスの焚書に倣って、日比谷公園で過去の出版物を焚刑に処するそうだという噂まで製造された位いである。だが之は「巨頭」の転向より無論前だから、原因は無論「巨頭」の転向などにあり得ないことは云うまでもない。原因は外にあるのだ。「巨頭」だってこの原因には意識的無意識的に動かされないとも限らない。

   二、没落

 転向問題で以て花見のように陽気になっている世間に、更に景気をそえるために、又吉報が現れた。河上肇博士が「没落」したというのである。河上博士自身にとっては没落するかしないかは大問題だが、社会的結果に就いて云えばあまり大して問題ではない筈だと思うのだが、世間が之を以て左翼の崩壊の吉兆だと見たがる処に、博士の没落の社会的な意味があるのだ。もしそうならば之は単に一個の河上博士の個人的な大問題ばかりではないことになりそうである。抜かりのない世間は事実、之を例の転向問題と結び付けてはやし立てている。――だが世間は何と浅墓なオッチョコチョイに充ちていることだろう。
 あくまで率直な博士は、自分が今日、到底共産主義者としての、即ちマルクシストとしての、実践活動に耐え得ないことを有態に告白し、マルクス主義を奉じながらなお且つマルクス主義者ではあり得ないことを、独語している。共産主義者としての自らを葬り、共産主義的学徒として資本論の飜訳を完成しようと告げているのである。その声や誠に悲しく、その心情のまことに切なるものがあると云わねばならぬ。
 だが博士は、年を取ったことや身体が弱ったことや、又恐らく自分自身の個人的性能やなどを理由として、そう云っているのであって、即ち自分自身の個人的な条件に就いてそう云っているのであって、マルクス主義者の客観的な信念や行動に関する見解が動揺したからそう云っているのではないのである。之は各種の所謂「転向」物とは一寸違った物語りなのだ。
 聞く処によると、博士の資性は決して実践家、政治家に適したものではないそうである。京大時代の博士は、学者としての科学的信念から云っても、教授としての行政的手腕から云っても、卓越したものがあったそうだが、丁度この二つの点が禍いして、例の河上事件となり、経済学部教授会は「自発的」に博士の辞職を決議した。滝川事件とは異って大学の「自由」も文部省の「顔」もつぶれずに済んだのは同慶の至りであったが、その代りに博士は政治家として新労農党の樹立、やがてその解消、地下潜入、という「山川」を越えては「越えて」辿り行かねばならなかった。之は博士自身にとっては外部から来る圧力に押された迄だったのである。(之に反して京大系統の博士の旧弟子達は、逸早くも反河上派に、反マルクス主義の信奉者に「転向」して了ったのである。)――博士は一体書斎の人だと云われている。
 だが同じく書斎人と云っても色々ある。博士は独自性に富んだ学者というよりも、寧ろ最も優れた大衆啓蒙家であるようだ。無論ブルジョア社会に於ては、最も代表的な学者達に対してもまず第一に必要なのは彼等に対する啓蒙だということを勘定に入れてそういうのである。大衆啓蒙家としての博士の情熱はその人道主義的な経歴に負う処が少くはあるまい。――吾々が老後の博士に深く期待するのは、この啓蒙家としての博士の活動なのである。博士の個人的没落は、客観的に見れば決してただの没落ではないし、又元来博士は没落する程に本当に高揚していたのではなかったとすれば、個人的にさえ没落でないとも強弁出来る。まして之は「転向」などではないのだ。
 例の博学な宮城検事正は処で、こう感想を洩している(東京日日七月七日付)、「そこでいつでもいうことだが共産党に対しては司直はあくまで峻厳な態度で臨むことが必要だ、これによってかれ等は転向の機会を掴み同志に対する口実が出来るのだ、尤もこの場合家族達からは出来るだけ本当の愛を注いでもらう必要がある、司直の弾圧と骨肉愛と、これを以てすれば共産運動の絶滅も敢て期し得ないことではない」。――これによると、河上博士という一人の左翼学生が弾圧と骨肉愛とで遂々「改悛」でもしたように見える。博士はおとなしく勉強して、大学でも卒業したら親爺の銀行か何かに勤めるもののようである。博士の存在をこんなに大急ぎで小さく見せるというこの確実な手腕は、一寸小憎くらしくはないだろうか。浅墓な世間はこれで博士をスッカリ軽蔑し、そうしてスッカリ安心するだろう。

   三、交叉点

 東京で、現職の巡査が、巡査という地位を利用して、管内の人妻と通じているのを、その夫に見つけられて、他の交番でつかまったという出来ごとがある。それから暫く立って岡山県に之も現職巡査の銀行ギャング事件が発生した。制服を着用して支店長に金庫へ案内させておいてその支店長を絞殺して三万円あまりの金を取ったという事件である。三月以降警視庁管下だけでも、現職巡査が拐帯、泥酔暴行、賭博現行、収賄、等々で挙げられたのは七八件に止まらないのである。之では全く警察の威信が疑問にならざるを得ないだろう。世間では之を警官の「素質低下」によって説明出来ると思っているらしいが、それにどれだけの実証的な根拠があるか知らない。警官の素質が低下するのは、一体好景気の結果だと考えられるが、この頃のような不況時代には、却って警官の素質は良くなっている筈ではないかと思う。素質は良くなっているのだが、素質をよくした不況というこの同じ原因が、良い素質にも拘らず警官の各種の犯行を産んでいるのではないかと思う。泥棒やスリが増えるのと××して、××の犯罪者だって増すだろう。巡査と犯人とは決して××な存在ではないのだ。
 巡査だって普通の人間だから、どんな間違いや犯罪を犯さないとも限らない。警察当局の威信というような問題を別にすれば、ここには何の不思議もないのだ。まして巡査はあまり××××××××いる方ではないだろうから、「犯人」候補者(!)たる××××××××××××ものではない。尤も彼等が階級的に行動する時は決して自分の側の階級にはぞくさないが、そして為政者達はそういう矛盾に気付いたためか、この頃盛んに警官の身分保証や、警察官後援会の設立を計画しているのだが、続々犯行者を出している処だけから見ても、立派な「×××」の味方に外ならぬ。
 ただ世間で警官の犯行を特に不埒として感じるのは、巡査が巡査たる地位を逆用して犯行に利しているという点なのである。こうした巡査の特権に就いての矛盾の感じが夫なのである。そして人民(?)に於てはこの矛盾感は中々深酷なのだ。
 巡査は人民(?)に対して特権の所有者だ、人民がただの人民である限り、到底巡査の特権の×××××に向って、太刀打ちすることは出来ない。そういう意識は人民の本能の内で中々深酷なのだ。一つ何とかして××の鼻をあかしてやりたいのである。処で之が大阪某連隊某一等兵の入営前からの願望だったと仮定しよう。
 入営して見ると、とかくガミガミ云われながらも、「地方人」に対しては特権意識を有つことが出来る彼自身を発見する。俺は××の軍人だ。刀に手袋なんかを下げている巡査なんかが何だ。それに交通巡査などは、兵隊にして見れば××みたいなものではないか。それから、以前大阪で兵隊が続々と警察へ引っぱられたという警察の不埒な仕打ちもあると聞いている矢先だ。こんなことを考えながらこの一等兵は天神橋六丁目の交叉点をつっ切ったのである。とそう仮定しよう。
 ××××××××のような彼等が何だ。
 ××の時だって吾々が出なければ収りがつかなかったではないか。吾々は憲兵も持っていれば独自の裁判所も監獄もある。戒厳令も布ければ外交政策も植民政策も有っている。経済的、技術的にも自給自足だ。併しこの頃では何よりも遠大な社会理論を有っているのだ。×××の前には何物もないのだと第四師団司令部は考える。――大阪の警察部は併し「警官も帝国の警官だ」と云って譲らない。
 陸軍省と内務省とが、今度は、××しようかしまいかを考慮している。××とブルジョアジーとが次に××しようかしまいかを考慮し始めなければならなくなるだろう。
 一等兵は自分の日頃の願望が意外にも、満足され過ぎるのを見て、大変なことになったと後悔し始める。併し銃口を出た弾はもう自分の自由にはならない。自分は軍服を脱げば一人の××××に過ぎない、あの交通巡査だって××をとれば矢張俺と同じい××××かも知れない。処が俺達の初めのほんの一寸した×××、俺達自身をおいてけぼりにして、独りでドシドシ進んで行く。これは一体どうなることだろう。元々が小心な彼は、この頃自分に対する×××の弁護的な態度にまで気が遠くなるものを感じるのである。

   四、修身と企業

 巡査の特権が矛盾を感じさせたのと同じことが、教育家(「先生」)の特権に就いても起こるのである。
 成城学園は小原国芳の名と自由教育の名とによって知られているが、その当の校長小原氏が学園を追い出されて、代りに三沢氏が校長に直るということで、成城問題が始まったことは読者の知る通りである。
 小原氏という人は全く東洋のペスタロッチ(教育家は偉い人をみんなペスタロッチと呼ぶことにしている)その人で、学校経営には年少から一貫した趣味を示している人だそうであって、財団法人成城学園の外に、自分だけの玉川学園という労働学校(?)も経営している。――氏によれば、教育の理想は、先生が講義をする代りに生徒に勝手な仕事をさせて之を指導することにあるそうだ。教育評論家達は之をブルジョア自由教育と批評しているが、多分当っているだろう。問題の京大前総長小西重直博士(教育学専攻)に、恩師で且つ有力者だという理由で、この間まで学園の総長に据わって貰っていたことは時節柄面白いが、本間俊平というような「聖者」を引っぱって来たり何かするのは、どういう意味だか好く判らない。だがとに角、肝心のこのペスタロッチが学園を追い出されるのでは、千円から三千円迄もの入学献金を奉納した小原宗の「父兄」達は、黙っている筈はないのである。
 三沢氏も亦特色ある人物で、台湾高等学校の校長から、京都帝大の学生課長として乗り込んだ人である。多分赤色教授への重しの意味で勅任の学生課長を必要とする処から、選ばれたという噂であったが、学生課には過ぎ者の物判りの良さ(即ち自由主義)の所有者だったので、成城落ちをしたのだそうである、個人に就いての噂さはどうでもいいが、府の学務課から三沢氏排斥教員の解職を命じて来た点はここからも理解されよう。
 小原氏が態よく逃げ出して了えば氏の身柄にも傷がつかずに済んだものを「師弟の情」か何か教育家の特権にぞくするものを利用しようとしたために、三沢派の教員から背任横領で告発され、藪蛇の結果を見たのである。
 四カ月に亙る学園の紛争自身は、児玉秀雄伯の総長就任と共に解決したが、解決しないのは学園の会計に関わる小原氏の一身上の問題である。結局氏の背任の事実が司直の手で明らかになったので、紛争が解決した今日、告訴を取り下げるにも時期は遅すぎるという破目になって了っているのである。
 小原氏は成城の公金五万八千円をまんざら私用にばかり費したのではない。その大部分は例の玉川学園の「学校事業」に使っているのだから、学校事業家としての氏としては堂々たるものではないかと思う。
 新聞で見ると(読売六月二十五日付)、成城へ子弟を入学させている武者小路や加藤武雄、北原白秋の諸文士(いずれもあまり進歩的な顔振れではないことを注意すべきだが)が、小原擁護のための声明書を出し、「ペスタロッチの信条を信条として一生を新教育のために捧げた氏を、その恩顧を受けた教育者である人間が、金銭上の問題で当局に訴える」という「非人間的行動」を非難したそうであるが、この弁護の仕方よりも、私の弁護の仕方の方が、よほど筋が通っているだろう。
 世間では小原氏を「教育家」だと思っているから、教育家の特権を濫用する者として、小原氏を非難したくなるのである。併し今日教育家というのは「先生」ということで、学校使用人のことなのだ。こういう「先生」が教育事業のために公金を私消することは、巡査が収賄するのと同様に、特権の矛盾を暴露するもので、大いに非難されるべきことだろう。世間は小原氏を失礼にも例の巡査並みに取り扱おうとする。だが小原氏は決して巡査並みの「教育家」などではない。氏は教育事業家なのである。昔、社会事業とか慈善事業とかいう、修身と企業との中間形態が存在したが、それが今日教育界にだけ残っている。それが教育事業なのだ。で小原氏は今、身を以てかかる中間的残滓の清算に当ろうと決心しているわけになるのである。
(一九三三・八)
[#改段]


 倫理化時代

   一、法律の倫理化

 一国の首相が、首相官邸で暗殺される。国務大臣や有力な政治家・有名な資本家の首が覘われる。警視庁自身が襲撃される。其他其他。そんな単純な直接行動をやって何の役に立つかと詰ると、之によって戒厳令とクーデターとへの口火を切ることになるのだと、甚だ尤もなことを云う。
 私は何も、五・一五事件や更に溯っては血盟団事件に対する公判に就いて批評を下そうとしているのではない。五・一五事件の如きは、全国の新聞紙が、朝から晩まで、喋り立てている事件で、例えばどういう不快な節まわしの流行小唄でも、朝から晩まで聞かされると、いつかは耳について、何となく忘れ難くなるものだが、それと同じに、こう朝から晩まで、即ち朝刊といい夕刊といい、囃し立てられると、初め鼻であしらっていた相当批判的な読者でも、段々この事件に好意的関心を有つようになり、何か自分と一脈共通したものをそこに感じるようにさえなる。でウッカリしていると、この重大な×××××××したりなんかしたくならないとも限らない。だからこの上、新聞の一種の煽動的報道の尻馬に乗って、ウッカリ犯人××というような犯罪を犯さないために、五・一五事件というテーマ自身を積極的に黙殺するのが、私の方針である。で決して私は今、五・一五事件の公判などを問題にしているのではない。
 さて、戒厳令のためとかクーデターのためとか甚だ尤もなことを云うのである。だがこれが少くとも治安維持することにならないことは明らかだ。仮に一市民である私の首が、何かの非合法的な組織によって覘われているとするなら、私の住むこの社会は決して治安の維持されている社会ではあるまい。治安維持とは、正にこうした事態を未然に防ぐことでなくてはならぬ。単に人間が大勢集まって大きな声を出したり、腕を組み合って元気好く歩いたり、自分の自由な考えを印刷にして配ったりすることは、何も治安を乱るものではない。社会に於ける或る一定の人間の生命が覘われるということが、何より直接な重大な治安の紊乱なのだ。
 日本には治安維持法という立派な法律がある。だがそう云っても今、この法律を五・一五事件や血盟団事件に適用しなかったとか、したとかというようなことを問題にしようとするのではない。又「治安維持法」という名を有ったこの法律が、一体本当に治安そのものを維持するための法律であるかないかは、一般にレッテルと中身が一致するかしないかが哲学的に決まってはいないように、決っていないのだし、それに治安維持という法律上の概念が何を指すかは、法律学解釈専門家の合理化的解釈を俟つほかない。日本の政府はそうした合理化的解釈をさせるために、法科大学を、即ち今の帝大法学部を、造ったのである。仮に京大の法学部などが横車を押したにしても、教壇や試験場での机上の解釈は尻目にかけて、大審院の実践的解釈が物をいう。法律の世界でも――他の科学的世界に於てさえ何とも知れないのだが――、大学教授よりも判検事の方が、科学的権威があるのだ。
 とにかく治安維持法という名称を有った法律が行われているのは、立派な事実である。行われない法律もあるかも知れないが、治安維持法に限って、そんな遊んでいる法律ではない。私は法律というものを、一種の道具と思っているが、道具というものは、使われれば使われる程、進歩するものである。この法律は制定されてからそんなに年数の立つものではないに拘らず、実に急速な進歩をするので有名であるが、それがどんなに多く使われる法律であるかということ、即ちそれがどんなに重宝な法律であるかということは、この進歩のテンポの旺盛な点から測定出来る。
 最近一遍「改正」された治安維持法が、この頃再び、司法省の原案に基いて「改正」されそうである。最初の該法文は、「国体の変革又は私有財産の否認」を企てるものといった具合に、国体と私有財産制とを同一視させないとも限らないような、それ自身危険な、自分自身がこの法文に引っ懸かることを告白しそうな、性質のものだったのが、第一次の改正によって、二つの文章に分離された。国体の変革は私有財産の否認よりも重大だったからである。これによって吾々は、国体が私有財産制とは無関係であるということを、即ち又、国体の変革をもちいずして私有財産の一種の否認も存在し得なくはないということを、教えられたわけである。これは全く驚くべき「日本民族の天才的資質」に相応わしい予言だったのである。なぜなら後に、×××××××××××は恰も、国体を顕揚するために財産私有者の巨頭達を××××を考え付いたからだ。
 今度の改正案は、第一次の改正案のこの調子をもっと徹底したものに外ならない。例の二つの文章は、今度は独立した二つの別個の条文に分けられるのだそうである。この法律の精神が、この二つのものを如何に分離するかという処に力点を置いているということは、大体この第一次、第二次の改正の方向から、見当がつくだろう。
 でこの法律は例の二つの条項の間に、飴のような延展力を与えることに苦心している。飴というものは引っ張れば引っぱる程、延展性を増すものだ。で、まず犯人は不定期刑を課せられる。この不定期刑にくぎりを付けるものは、「改悛の状」なのである。改悛の状を示したものは、起訴留保にもなろうし、隨時仮釈放も許可される。それで不安な場合には、「司法保護司」というのがいて、起訴猶予、起訴留保、執行猶予、仮釈放などの犯人を、保護し監察する。併しもし万一、こうした保姆のような道義的で涙のこもった待遇にも拘らず、改悛の状を示さない[#「示さない」は底本では「示さい」]ものは、たとい所定の刑期を終えても、引き続き豫防拘禁されるかも知れない。死ぬまで改悛しない者は死ぬまで豫防拘禁されるかも知れない、判ったかというのである。
 転べ! 転べ! 昔キリシタン転びというのがあったそうだが、今日では「転向」という名が付いている。「改悛の状」を示すとは転向するということであるらしい。だが、何から何に転向するのか。云うまでもない、少くとも、サッキ云った、重大な方の条項から軽微な方の条項にまで、転向する必要があるのである。「革命的エネルギー」という言葉があるが、それは一種のポテンシャル・エナジーで、転向・転下によって、このエネルギーがディスチャージ(?)されるわけだ。云わばこの落差の大きい程、改悛の状が顕著なわけである。――で、今度の改正案は、この落差を出来るだけ大きくしようという改正案だ。例の二つの条項の間の位置のエネルギーの差をなるべく大きくして、改悛という道徳的エネルギーに転化しようというのである。治安維持法という警察的法律を、改悛転向法という修身教育教程にまで、改正しようというのである。
 問題は修身にあるのだから、該法文で規定された目的を有つ秘密結社やその外廓団体に這入っていなくても、即ち組織に這入っていなくても、個人の日常の行儀に不埓なことがあれば、この修身教育教程に触れるわけである。国体変革及び私有財産制度否認の「宣伝」をするものは処罰されねばならぬ。気狂いでもない限り人間は滅多に独言などは云わないもので、口を開けば、それは自分の信念を他人に向って力説するためである。論理学では、命題というものをそういう意味に取っているのだ。処が社会学的には、これが即ち「宣伝」に外ならない。そうすると、この法律は、余計なことは云わずに、大人しく黙っていなければいけないぞ、という有難い家庭的な教訓でなければならない。
 法律が道徳に基くという法理学者の説は本当である、それから、道徳は修身だという倫理学者や教育学者の説も本当である。道徳家や人格者は決して、こういう治安維持法などには引っかからない。五・一五事件などがこの法律と無関係なのは、被告が一人残らず人格者だからだろうと思う。
 法律が階級的用具として偏向して行かずに、倫理化されて行くということは、慶賀の至りと云わねばならぬ。

   二、教育の倫理化

 法律さえ倫理化される世の中である。況んや教育をやである。一体日本では、教育と云えば、要するに修身を教えることだったのであるが、それが更に倫理化されるというのだから面白い。
 七月十四日の「思想対策閣議」では、この教育倫理化のプログラム原案が提案され、文相を初めとして法相、逓相に至るまで、色々と希望を述べながら、之を承認したそうである(以下東京朝日新聞七月十五日付)。
 それによると、第一に、教育の重点を人格教育に置き、教育の功利化(?)を防ぐことにするらしい。何より徳育が大事であり、学校外に於ても学生生徒の徳性涵養に留意するそうである。こう抽象的に云っては、一人前の読者には何のことかサッパリ判らないだろうと思うが、人格教育というのは、例えば教員の任用に際して、その「学力のみに著眼せずして人格を重視」することをいうのである。これによって見ると、今まで教師をしている人間の中には、人格のない動物のような人間が多数いたらしいということになるが、之は全く驚くべき事実である。この事実に較べたら、今後どんなに無学で白痴のような人格者が、大学教授になろうと、数等増しなわけである。併し之がうまく行って教育の倫理化が阻止されるとなると、役に立たない人格者ばかりが卒業して、当局が気にしている「高等遊民」の数ばかりが殖えることは必然だが、それはどうなるというのだろうか。――それから徳育というのはどうも国史教育のことであるらしい。而も国史の「単なる史実」を教授するに止まらず、「日本精神闡明のため」の教授をすることをいうのである。「単なる史実」以外のもの、即ち史実でないものを教えることが、徳育と名づけられる処の国史教育だそうである。処で「修身の教授を改善しかつ各学科目の教授に当りて一層徳育に留意する」とも云っているから、各科目を通じて忠実でないことを、一般に事実でないことを、教えることにするらしい。
 教育を倫理化することは当局の勝手かも知れない。併し科学がそういう具合に安々と教育化されるかどうかは、当分当局の勝手では決るまい。真理はもっと皮肉に出来ているのだ。――科学を倫理化するのに恐らく最も手頼りになるものは宗教である。そこでこの「思想対策閣議」でも「宗教を振作し宗教家の覚醒を促しかつその活動を積極的ならしむ」るというようなプログラムをつけ足してある。この言葉は一寸利口そうであるが、併し当局が宗教というものの現実をどの程度に理解しているかになると、全く心細いのである。例の「敬神思想」と云った程度のことなどを考えているのだと、多分バチが当るだろう。文部省など、もう少し勉強しなければ、科学を倫理化することに成功しないだろう。それが成功しない以上、教育の倫理化だって成功しはしない。

   三、度量衡の道徳

 昭和九年、即ち一九三四年(国際的にはこう云わないと決して通用しない)、六月一杯で、尺とか升とか貫とかいう日本古来の旧度量衡が廃止されることになっている。一九三四年七月一日から所謂メートル法(C・G・S・システムはその一種の部分)が専ら実用になる筈になっているのである。尤も時間は、度量衡の外で、不思議にも、大体国際的であるようで、国際労働会議に出て日本の政府、資本家、代表が労働時間の日本に於ける特別延長を主張しても容易に相手に呑み込めないのは、決して時間の尺度が国際的でないからではない。夫々の国民の歴史が、全く別々で相互の間には絶対的認識不足しかあり得ないと云われているのに、これ等の諸歴史を貫く時間の尺度が国際的であるのは、不思議である。西歴で勘定するか「皇紀」で勘定するか、それとも年号で勘定するかは、物指しの起点を零におくか六六〇に置くかとか、長い物指しを使うかわざわざ短い不便な物指しを使うかとか、いうだけの区別で、物指しの刻み方の問題とは関係がない。
 で時間に就いては、物指しの物理的性質に於ては国際的であるか国粋的であるかという問題はあろうとも、物指しの数字的性質に就いては、遺憾ながら全く国際的なので、問題にならない。
 問題になるのは長さ(及び容積)と重さに就いてである。でこの二つのものを来年の七月からは原器に基くメートルとグラム(之もメートルに基く)とで計らなければいけないという「メートル専用強制」の法律案が出ているのである。すでに軍隊では昔からメートル法で教育をしているし、小学校その他でも十年以来その積りで教育している。エスペラントと同様に、単に国際的に通用し得るだけではなく、最も合理的な度量衡だから国際的にも通用するのだという点が、メートル法の強みであることは云うまでもない。
 処が、このメートル法強制施行に対して、貴族院・衆議院・政党・実業界から一斉に、極めて強烈な反対の気勢が上がり始めた。岡部長景・馬場※(「金+英」、第3水準1-93-25)一・伊東忠太の三氏は七月二十九日首相を訪問して、百名の賛成署名による反対決議文を手交した。この冬の議会には、この強制法に対する修正案が政党各派の間から提出されそうである。
 之に対して商工省当局は云っている。メートル法の施行は既に大正九年の法律改正に当って、特別調査委員会を設置して慎重研究した揚句、議会の協賛を経たものであるから、責任は当時に遡って追求されねばならぬ筈のものであり、今更非愛国的だなどと非難するのは不穏当だろう。だがメートル法がまだ社会一般に消化されていないから、メートル法強制の猶予期間を延長し、当分旧度量衡と平行して行われることを許せというなら、考慮の余地はある。併し度量衡法を再改正することは同意出来ない、とそう云うのである(八月二日付東京朝日)。
 メートル法施行の主管大臣たる中島商相自身が来年の強制施行には反対だそうで、その理由は知らないが、斎藤首相は、土地台帳の作り替えなどに膨大な経費が要るという理由で、矢張反対だそうである。――だが、第一土地台帳云々という理由にはどれだけの信用が置けるかが判らないばかりでなく、そういう財政上の理由は大したものでもないだろうし、又基本的な理屈でもないだろう。膨大なと云ってもタカが知れている財政上の理由で、今日の政治家が、あれ程足並みを揃えて、力み返えるとは想像出来まい。対英貿易に都合が悪いとかいう理由も同様で本気で信じることは出来ない。一等尤もな理由は恐らく、不慣れのために実生活で間々不都合なことが生じるという点にあるのだろうと思うが、それにした処が、何か国家の一大事であるかのように、支配階級一同が騒ぎ立てるに足るだけの理由とは受け取り難い。
 して見ると、どうも商工省事務当局が、一生懸命で弁解している通り、愛国心思想善導の問題が根本的な動機になっていると考えないわけに行かなくなる。国民同盟の如きは、この強制法を修正することによって、「国民思想善導に貢献せん」ことを期している。メートルは非愛国的で、思想を悪導するものというのである。――倫理化欲の旺盛なさすがのわが国の為政者も、メートルだけは倫理化出来ないらしい。一メートルを107倍すると地球の象限弧になり、又一メートルを1553164.1で割ると、定温定圧のカドミウム赤色光線の波長となるのだが、カドミウムや地球ほど度し難い不道徳な存在はないのだ。
 合理的であることでは、善良なことはないだろう。不合理であるが故に善であるということはないだろう。メートルが不道徳なのは、だから、それが合理的であるからではなくて、多分、それが国際的(インターナショナル)だからに違いない。
 だが、わが国の文化ファッシスト諸君はあわててはいけないのである。インターナショナルというのは、コミンテルンのことではないのだ。インターナショナルとコム・インターナショナルとを一緒にしているから、インターナショナルなメートルを不道徳だと思い込むのである。インターナショナルであること自身は少しも不道徳ではない。吾々はその証拠を挙げることが出来る。七月十四日、定例閣議の席上で、小山法相は次のような秘密を洩している。ジュネーヴに本部を持つヨーロッパの反共産党民間団体(之はあの不道徳な国際連盟とは無関係だ)から、わが国の某方面に向って、加盟を勧誘して来て、国際的共同戦線を敷いて、共産党撲滅の方策を樹立しようではないかと云って来たそうで、わが国もこれに加盟したいという某方面の希望があるが、どうだろうかと。この「反第三インターナショナル」なる団体は、インターナショナルで而も秘密結社であるにも拘らず、閣僚誰一人として、その道徳性に疑いを※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んだ者はいなかった(七月十五日付東京朝日)。
 で悪者はインターナショナルではなくてコム・インターナショナルであることは明らかだ。両者を混同することが、メートル法排撃、度量衡倫理化運動の秘密である。
 一体一尺というのはどれだけの長さのことを云うのか。メートル原器で決める外はないではないか。「転向」物語以来、評判の悪いコミンテルンは、ウカウカしていると、メートル法の責任まで負わされて了うかも知れない。併しメートル原器の又原器は、モスコーではなしにパリーに在るのである。

   四、滝川問題と京大問題

 今日「京大問題」と呼ばれているものは、初め「滝川問題」と呼ばれたものだ。善意に解釈すれば、一滝川教授の問題ではなしに京大全体の問題だという意味で、又事実京大全体の問題となったという意味で、滝川問題が京大問題にまで拡大されたわけである。だがこのことは、あくまで、滝川問題が京大問題にまで展開したのであって、決して滝川問題の代りに、京大問題が置き換えられたということではない。
 滝川教授の強制休職を怒って法学部全教授が起ったのであった。滝川教授が仮に復職すれば無論問題はすぐ様片づく筈だった。処が松井総長の妥協案なるものは、「滝川教授の処分は特別な場合なるを以て前例とせず、今後教授の進退は教授会の決議によって総長の具申を以て行う」というのである。滝川教授の場合を前例にされては耐らないが、之を特別な場合だと云って合理化している以上、いつでもその特別な場合が出て来るものと覚悟しなければならぬ。総長の具申云々は初めから当然で、之は「特別な場合」でない場合のことだから、特別な場合には総長の具申を俟たずにやるかも知れぬ、而も前例などに依らずにやるかも知れぬ、という文部省側の宣言がこの妥協案の意味ではないか。(特別な場合とは無論前例のない場合のことだ。)留任教授達がこの妥協案を見て留任する理由又は口実が見つかったと思ったのならば、余程のウスノロだと失礼ながら断言しなければならぬ。
 一体、この妥協案で留任教授達は、どういう得をするか計算して見たのか。滝川教授が前例にならないことや総長の具申を必要とすることは、初めから当然なことで、何等事前よりも有利な条件ではないではないか。その代りに彼等は何を失ったか。滝川教授の他に、更に少くとも七教授、講師以下八名の多少とも滝川教授と同じに進歩的な分子を、損失に追加しただけではないか。
 これで京大問題が解決すると思うのは、もし京大問題が滝川問題に代置されたものでないなら、よほどどうかしているだろう。これは滝川問題の解決ではなくて、正に滝川問題の論点自身を十数倍したもの以外の何物でもないではないか。
「滝川問題」から「京大問題」への論点の推移に従って、彼等の算盤のおき方が、多分段々変って来たようだ。否段々本当のおき方を露出して来たのかも知れない、滝川教授復職問題(又は少くとも同教授復職に代るだけの代償要求問題)は、いつの間にか、京大法学部存続問題になって了ったのではないか。「京大問題」はそうやって「滝川問題」とは別に、滝川問題をおし除けて登場したのではないか。滝川問題なら責任は文部省にあったのだが、今云った京大問題――京大存続問題――なら、責任は、あくまで辞職を主張する教授達にあることになる。文部省に対立する教授団の結束ではなくて、反対に、文部省に従う教授団切り崩しが、従って問題の解決となるわけだ。一人でも残留することが、京大問題の解決だということになる。それが彼等の一身上の問題解決にもなるし、又それが恰も文部省の思う壺でもあったことは云うまでもない。「京大」問題が解決されてその代りに、「滝川」問題は解決されないままで吹き飛んで了う。文部省は滝川教授だけでもと思ったのに、佐々木、末川、恒藤、宮本(英雄)などの目障りな教授達を、思いがけることもなく一ペンで清算して了うことが出来たわけだ。禍を転じて福となすという、弁証法的故知は、正に今日の文部省のために用意されたもののようである。
 新総長理学博士松井元興氏の抱負振りは、初めからどうも臭いと思っていた。正に氏の手腕によって、滝川問題は、立派に「京大問題」にすりかえられたのである。文部省の禍は文部省の福に転じたのである。小西前総長はこれをすりかえることが出来なかったばかりに、(氏の良心からか手腕の欠乏からか知らないが、)行き詰って了ったのであった。哲学者よりも科学者の方が、多くは政治的にうわ手ではないかとこの頃考える。とに角今後と雖も、「公平な」自然科学者には相当用心することが必要だ。
[#改段]


 減刑運動の効果

   一、反乱罪の効果

 例の五・一五事件の軍部被告と民間被告とで、罪名を別にするしないという件で、軍部乃至軍検察当局と司法当局との対立が問題になったことを、私はかつて述べた。民間では人を殺した者は殺人罪にするに反して、軍部では殺人罪ではなくて反乱罪で処断するのは変ではないかというのであった。
 併し之が別に何等対立を意味するものではないということは当時司法当局の声明によって一遍で明白になって了ったことで、男の児に太郎という名をつけることと、女の児にお花という名をつけることとは、無論対立でも何でもないということが、その後段々判って来たのである。
 法律家でない一般人、少くとも私などは、法律のこの種の使いわけは甚だ尤もで、多分之を強力に主張したのは軍部側だろうが、流石は軍部だけあって、峻厳な英断を敢行するものだな、と感心したものである。
 〔66字削除〕 果せる哉、軍検察当局は重刑を以て臨むというような意向を洩していたのである。
 こうして軍部の論告求刑の日は近づいて来た。凡ての疑問は解決されて了ったから、あとはただその日を待つばかりになったわけである。
 処が問題は或る意味で蒸し返されざるを得ないことになった。陸海軍法務局当局は、どう思ったか陸軍側の論告求刑の日である八月十四日に先立ち、大審院に林検事総長を訪い、軍部民間の五・一五被告全部に対する論告求刑に就いて協議を遂げ、その結果陸軍側の論告に加筆するために十四日の開廷を十九日に延期する旨を発表したのである。
 男の児と女の児とに同じ名前をつけられやしないかと、曽つてヤッキになって心配した向が、今度は、男の児の命名と女の児の命名とが協議されることを、甚だ頭痛に病み始めたのは無理ではない。陸軍側弁護人達は海軍側弁護士団と呼応して、軍法会議の本質を指摘し、法務局主脳部の軽卒・軍検察権独立の危機・検事総長の××干犯を強調し始めたのである。
 之に対して大審院側は、三省会議で量刑上の打ち合わせなどしたというのは×××××で、単に事務上の協議をしたものに過ぎないといって軽くあしらったし、陸海軍両大臣は「軍検察権は断じて他の干犯を受くることなく独自の権威を以って事件に処するものである」という意味の言明をあっさりと与えたので、一同はそのまま引き下って了った。結果はややアッケないが、とに角司法当局も軍検察当局(之も反作用的に同罪たるべきものだが)も、××干犯をわずかに免れ得たのは大慶の至りである。
 第一師団軍法会議はかくて目出度論告求刑のために開廷の運びになった。二十五歳を頭に二十三歳迄の十一名の元士官候補生が、例の恐るべき反乱罪の名の下に求刑される十九日が来た。一定の便宜のためにデッち上げられた非科学的なイデオロギーのため×××たこの十一名の無心な霊魂のために、私の心は痛んだ。こういう理由で彼等の不幸を嘆いたものは、恐らく私だけではなかっただろう。――然るに心ない新聞記者や雑誌編集者が、彼等をマルで見世物みたいに囃し立てたのは心外である。一体彼等被告は「転向」したのでも何でもないのだ。不幸にして彼等には転向美談はないのだ。だのにジャーナリスト諸君はどういう積りであんなに騒ぎ立てたのか?
 併し、案ずるよりは産むが易いとやらで、蓋を開けて見ると、十一名が十一名とも、禁錮八カ年の求刑に過ぎない。反乱罪の条項でも、「首魁」でないことは云うまでもなく、「謀議に参与したる者」でもなければ「群集を指揮したる者」でもない彼等は、単に「その他諸般の職務に従事したる者」に外ならないというのである。求刑がこうならば、判決は多分もっと軽くなるのだろう。それに××当時「諸般の職務に従事した」(?)者の先例もあるから、仮出獄も容易かも知れない、反乱罪というものの規定をよくも知らずにスッカリ心配していた吾々は、全く無駄な心配をしたものである。
 求刑に対する諸家の感想が新聞に出ている処を見ると、甚だ重すぎるという意見と甚だ軽すぎるという意見とが対立しているようである。一体神聖なる日本の裁判事項に対してみだりに私議すべきでは[#「私議すべきでは」は底本では「私議すべでは」]ないだろうが、多少の重軽が問題になるならとに角、甚だ重いと甚だ軽いという両極端が対立するのはどうした現象だろう。こういう事件になると社会の通念もあまり当てにはならぬものらしい。併しとに角、思ったよりも軽かったということは一安心だが。処で前々からの心配が無駄になったのはどうして呉れるかと問う向きもあるかも知れない。
 之に対しては匂坂検察官の、痒い処へ手が届いたような論告が、弁明している。曰く「被告人等の行為が前述反乱罪の外更に殺人・殺人未遂・及爆発物取締罰則違反等の罪名に触るるや否やにつき案ずるに、反乱罪は党を結び兵器を取り、反乱をなすにより成立するものにして、即ち兵器をとり反乱をなすことを以て犯罪構成条件の一となすものなるが故に、その反乱行為により人又は物に対し殺傷又は損壊を加うることあるべきは勿論、兵器にぞくする爆発物を使用するが如きは当然予想せざるべからざることにぞくし、又反乱罪は治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的に出でたるものをも包含すること論を俟たざるが故に、反乱行為自体が殺人・殺人未遂又は爆発物取締罰則違反等の態様を有する場合と雖も、これ等は反乱罪の罪体に包括せらるるものにして別に他の罪名に触るるものとなすべきに非ず。」
 殺人でも傷害でも何でもかでも、反乱罪にさえぞくしていれば殺人事件、傷害事件等そのものとしては罰せられないわけである。之によると事実上反乱罪は殺人罪ほど恐ろしい罪ではないようである。――で私は今まで全く飛んでもない思い違いをしていたことが初めて判ったのである。民間で殺人罪を適用するよりも軍人に反乱罪を適用する方が、刑が重いのかと思っていたが、実は正にその反対だったのである。
 こう思って顧みて見ると、罪名問題による司法軍部の例の対立・司法当局と軍検察当局との協議に対する軍被告側の憤慨・等々という一連の動向に対する疑問が、一遍に心持よく氷解するのを覚える。私はここで初めてホットしたのである。一切の疑問は綺麗に解けた。後は最後の審判の日を待つだけのようである。

   二、××救援会

 処が又も一つ問題が始まる。云い忘れたが、例の十一人の青年のために心配したのは私だけではなくて、実は日本国中で、公判開始以来ずっと「減刑運動」が行われていたのである。世間では、法廷に於ける被告の態度や答弁や見解が、細々しく新聞紙によって報道された結果だとも云っているが、もしそれが本当ならば、「減刑運動」を宣伝し煽動した功績は殆んど専ら新聞紙に帰するわけだ。何かの意味に於て同情するもののために(或る弁護人は「大乗的に肯定する」と云っているが東洋には中々ウマい言葉がある)刑を軽くして欲しいという意志を正直に発表することは、ウッカリ物など云わない方がいいと云ったような知恵が専ら行われている現在の日本では、それ自身推賞すべき道徳で、立派なことであるのは云うまでもないが、併し裁判は大権にぞくすることで、量刑の問題に就いて人民は容喙してはならないのが立前だ。軍部と司法当局とが公判事務上の打ち合わせをしても、大権干犯の疑いを生じる世の中だから「減刑運動」は一般的に云えば、同じ疑いを招かずには措くまい。けれども「大衆」(?)はなぜか調子に乗ってこの×××減刑運動の計画を進めることを止めない。
 朝日新聞「鉄箒」欄(八月十七日付)で河野通保弁護士が法律家の立場から、所謂減刑運動に対して警告を発しているのは時節柄注目に値する。減刑の主張を理由づけるためには当然、被告を賞恤・救護したり、犯罪を曲庇したりしたくなるわけだが、第一にそうした目的を持つ集会・出版・報道は法律上禁じられていること、それから第二に、裁判に関する事項に付いては請願をなすことを得ないということが、指摘された。残された方法は歎願の形式だけだというのである。
 請願はいけないが歎願はいいということになるらしいが、請願と歎願と法律上どう違うかは問題外としても、二つのものが実際上どれだけ区別されるものであるかを吾々は知らない。歎願でも例えば判事の論告の内に取り上げられれば実際上は極めて大きな効果があるので請願でなかったことを悲しむ理由はどこにもないだろう。最近そうした処置を合法化した判例もあるとかという話しだ。
 そこで歎願の形式を持った減刑要請は、二十四日の陸軍側公判廷に提出されたものを見るとすでに七万人の署名の下に行われている。その後更に東京付近だけで一万六千人の署名がある。減刑歎願書一万人署名が完了した際などには、明治神宮や靖国神社へ行って祝詞を奏したり被告の武運長久の祈願をこめたりしている。但し対手は神様なのだから之は被告賞恤や減刑請願になる心配はないので疑いもなく歎願だから心配しなくてもいい。
 関西の軍需品製造の某資本家は、陸軍被告家族一同に対する慰問金として、陸相あて金壱百円也を寄贈した処、当局から早速家族にその旨通知すると、家族達は事件当日首相官邸で殺された某警官の遺族に之を譲ったそうである。時ならぬ減刑美談ではあるが、救援活動も×××ものになると、情を知っていようがいまいが、××で済むものもあるらしい。
 減刑運動はこう云う次第でかく取り扱いにくい。之には警察当局も痛し痒しで、その取り締りの程度に迷って了う。何しろ相手は×××背景にもっているのだからウッカリしたことは出来ないのだ。そこで警保局は緊急対策を慎重協議の揚句、あたらずさわらずの方針をヤット確立することにしたのである。それによると歎願書署名運動のような「純真」なものは徒らに抑圧してはいけない、単に不純な意図や不純な方法によって行われるものだけを、取り締りさえすればよい。凡そ苟くも本運動を抑圧するかのような誤解を民衆に起こさせてはならぬ。そういう通牒を地方長官へ向け内務省は発している。
 弾圧されはしないかと思って尻ごみしている人間は、よろしくそんな誤解はすてて、ドシドシ減刑運動をなさい、決して弾圧などはしませんから、ということに、これはよく考えて見るとなるのである。
 減刑運動は遂に内務省の知らず知らず××する処となった。今や減刑運動は完全に合法性を獲得した。でこれから先どうなるのだろうか。時に「非常時」党の諸君! 一つ××救援会でも組織して見たらばどうか?
 この問題が解決しないと、五・一五の裁判も何か奥歯に物が挟ったようで、まだまだホットするのに早過ぎる。

   三、監置主義と治療主義

 東京府立松沢病院は日本に於ける最も代表的な精神病院である。処がここで、昨年看護人が患者を殴り殺したという事件が起きて世人を憤慨させたのは有名であるが、今度は一狂人が他の狂人を殴り殺したという事件が起きた。次は多分、狂人が看護人を殴り殺す番だろう。
 病院側の不埒な点を挙げると、狂暴性の患者を二名同室せしめたこと、致命的な傷を受けるまで放置しておいたこと、更に事件以後三日目に死亡するまで患者の家庭はいうまでもなく院内の駐在所へさえ知らせなかったこと、等々のようである。
 これで見ると一体精神病院というものは病院なのか懲治監なのか判らなくなるだろう。何しろ相手が狂人だから何をしたって解らないし、各家庭の者が検べに行っても適当に会わせたり会わせなかったりすれば好いわけで、その上私立病院などならば食費その他だけでも相当患者を絞れる可能性さえあるだろう。事件は一松沢病院だけの問題でもなく、又殺人患者池田某だけの問題でもない。精神病者の社会的取り扱いの上の根本問題でなければならない。
 この問題に関係があるのか無いのかハッキリしないが、それから時日がしばらく経って、内務省は精神病院主・院長・会議に於て、精神病院法並びに精神病者看護法改正に関する希望を諮問している。というのは従来の監置主義治療主義に改める必要を感じたからだそうである。
 なる程この改正方針から見ると、従来の精神病院は治療所であるよりも寧ろ監置場であるのを面目としていたらしいから、一種の×××か×××のようなもので元来病院ではなかったわけだから、患者の一人や二人××××れるということも大して異とするに足りないわけだ。今度から監置主義の代りに治療主義になったとしたら、従来の精神「病院」という名前の代りに、何という名を付けたら好いかが恐らく大問題になるだろう。
 精神病院は監置主義を捨てて治療主義になるそうだ。処が癩病院も亦、この頃監置主義・隔離主義を捨てる方針らしい。大阪にある外島保養院(之は二府十県の連合経営のものだから之亦最も代表的な癩病院だ)で、院長と患者とそれに関係の警部某とが共謀して、二十名程の患者を院外へ追放した、という奇怪な事件が発生した。検べて見るとこの二十名程のものは赤いレプラ患者だったというので、当局は色々な意味で狼狽しているのだが、なぜ又責任ある院長が衛生上こんなに無茶な処置を大胆にも取る気になったかは、一寸奇怪に思われてなるまい。
 併し事「赤」に関する限り、衛生学も医学も科学も消し飛んで了うのが現代の風俗なのだから、大して驚くには当らないのである。院長は多分、一パシ世間並の立派な処置を取った積りだったのだろう。傷ましいのはいずれにしても患者達である。
 精神病では治療主義の採用へ、癩病でさえ監置主義の抛擲へ、向って来るようだが、マルクス主義もどうやら一種の病気として取り扱われ始めたらしい。なぜなら、ここでもこの頃矢張治療主義(?)が、改悛主義が、流行するらしいからである。ただこの際、場合によって治療主義即監置主義になるという特色を注目しなければならないのである。
 最近の新聞によると、七月末までの「転向」者は五百五十名、未決囚で三〇・三パーセント、既決囚で三五・七五パーセントに当るそうである。それはどうでもいいとして、転向の動機の分類が中々振っている。「民族的自覚によるもの」とか、「時局の重大性に反省せるもの」とか云ったような××××な動機や(流石に之はあまり多くない)、「家庭愛によるもの」とか「教誨指導によるもの」とかいう×××××なのを初めとして、色々尤もらしく挙げられているが、今問題になるのは、「××による反省者」未決一〇四名、既決二七名という項目である。
 ××と云っても併し何も×××生活だけを考えてはならない。それに先立つ非合法的で非衛生的な往々数カ月に及ぶ×××生活を、まず考えて貰わなければならないのだ。結局何でもないことで一月位は××される。
 処分なら裁判を仰ぐことも出来なくないが(それも大抵間に合わないが)、××の連日蒸し返しでは、手も足も出ない。三畳程の部屋に十数人も押し込められて眠ることも出来ないでいる内に、いつか勤め先は首になっているという始末で、こういう××は、なる程「反省」させるのに充分効果的かも知れない。そこで××によって反省させるという、人を×××世間を××××た手段が考察される。転向すれば出してやる、転向しないなら××までも出して××××という×が之である。
 精神病院や癩病院に、こうした治療法のないのは誠に遺憾である。これがないばかりに、狂人殺人事件やレプラ患者追放事件なども起きねばならなかったわけである。

   四、教育幼年学校

 私が某連隊へ入営して半年も経たない内に、連隊の将校の内で、どれが中学校出身で、どれが幼年学校出かということを、他人から聞かない中から見分けがつくようになった。(下士上りはもっと判然と判るが)。馬鹿に糞真面目でユーモアが足りなくて、世間的に非常識で、思い込みが多くて、僧侶や牧師のように大人びていて、生れつき一種の特権貴族であったような気持ちで部下に臨む癖があるのは大抵幼年学校出である。之に反してヅボラで感情が多少とも複雑で、少しは世間と軍隊とを比較することを知っており、物判りが割合早く、茶目気があるのは、大方中学校出身者である。全く之は早期の職業教育の相違から来るのである。
 早期の職業教育は、固定した職業意識によってイデオロギーの自由な発展を束縛する。――師範学校も亦一種の幼年学校に外ならない。一体将来に対する未知の可能性を多分に蔵している溌剌とした少年に、一人に号令することを教えることが、人間を馬鹿にする結果になるのと同様に、そういう少年に人を教えることを教えるのは、人間をヒネコビたケチなものにして了う。(幼年学校の生徒が大体中産階級以上の出で、師範学校の生徒が大体無産階級の出だということは今の場合問題にならないことは明らかだろう。)師範教育はそれ自身非教育的なやり方なのである。
 処が教育と云えば学校教育のことで、学校教育と云えば師範教育を代表とする処の、日本の教育界では、この胴長な小人を養成する師範教育が教育の精華となっているのである。で、教育を何か改革するには、師範教育を改革する外はなく、そして師範教育を改革するには、その早期に於ける職業教育を、もっと時期を遅らせて行う外はないわけである。
 鳩山文相は、師範学校の修業年限を三カ年とし、中学校及びこれと同等以上の学力を有する者を入学せしめよう、という案を立てさせているそうだが、之によると師範学校も大体今日の専門学校乃至高等学校程度になるので、それだけ早期の職業教育は延期されるわけだから、文部省としては珍しく実のある学制改革案だと批評してもいいだろう。
 処が多少誠実のありそうな改革案には必ず愚劣な故障が伴うもので、現在の師範学校長の処置に困るとか、僅か一年修業年限が多いだけで中学教員の資格を得られる高等師範学校との関係をどうするかとか、そうすれば文理科大学を師範大学として高等師範を止めにしなければならないではないかとか、師範教育令なる勅令を改正せねばならぬとか、却って地方財政の負担が多くなりはせぬかとか、色々の難関が待ち受けている。一寸は実行出来ないプランであるらしい。
 実業補習学校と青年訓練所とを一緒にしようという「青年学校」案を、××××に一蹴された腹癒せとしては、出来すぎた案だと思ったのに、之は又老教育専門家達によって、一蹴されそうである。まことに同情に耐えない次第である。
 だが、文部大臣がこの改革案を工夫した目的を聞くと、折角の同情も、あまり急いではならないことが判る。文相は近時「小学校教員の思想事件」が頻発するに鑑み、小学校教員の素質を向上させるために、この案を立てたというのである。処が、小学校の××教員達というのは、その潜在的な勢力の圧力によって、例の幼年学校式師範教育の束縛を断ち切った連中ではなかったか。早期教員職業教育から来る、人格主義や先生意識を突き破って、もっと真理のある世界に頭を出したのが彼等だったのだ。
 師範学校を専門学校程度にすることによって得るものは、なる程、本当に云って現在よりも数等優秀な小学校教員だろう。(併し実を云えば大学を出たものの方がもっと好いのだが。)併し彼等は恐らく、文相が考えているような「素質の向上」した先生にはなりたがるまい。師範学校を専門学校程度にすることによって、教育幼年学校としての素質に下落するだろうことは、今から保証してもいい。
 師範学校を教育幼年学校として向上させる唯一の途は、之を小学校程度に引き下げる外にないのである。
 中学ではこの四月から作業科と実業科とが加えられ、之を主とする第一種の生徒は、学校を出たらすぐ実社会で働けるようになるということであるが、今日のブルジョア社会ではこうした職業教育[#「職業教育は」は底本では「職業数育は」]普通教育(即ち人間教育)とは分裂しているから、この現象は職業教育の早期化に外ならない。中学さえ早期職業教育化されるのである。師範教育を専門学校程度などにして晩期化すことが、如何に間違っているか判るではないか。
 単に中学校だけではない、高等学校は今後出来る限り収容人員を減少させることになっている。それだけ社会に於ける早期職業教育の量的比重を増すことになるわけだが、之も亦師範学校を小学程度にする方向と一致しているだろう。では大学はどうなるか。教育が一般に早期職業教育化されるから、大学は教育の外にはみ出すことになる。或いは教育の外に残される。京大学生代表達に云わせると文相は大学を「浪花節大学」にする企てを持っているそうだが、果せる哉、鳩山一郎氏は最近「酒井雲後援会」の会長となったのである。
(一九三二・九・八)
[#改段]


 世人の顰蹙

   一、神兵隊とオーソドックス

 血盟団事件や五・一五事件は実に花々しく新聞紙上に登場したが、之に反して「神兵隊」事件は少くともその発生当時は、気の毒な程、社会の注目を惹かなかったものである。皇国農民同盟の前田某や大日本生産党の鈴木某が四十一ふりの日本刀を用いて、銃砲火薬店を襲撃し、拳銃や[#「拳銃や」は底本では「挙銃や」]実弾を手に入れた上で、いつもねらわれる牧野内府邸や首相官邸、政党本部、警視庁、財閥巨頭邸等々を襲撃して、恐怖時代を出現させるという計画の下に、大日本神兵隊という××不可思議な軍隊を組織して、国防大祈願という運動をやろうとした、という事件であるが、之だけだと、如何にも重大な驚異すべき大事件であるように聞える。処がどういうものかこの事件には、どことなく隙があり、シックリしない処があって、この事件が社会からあまり注目されない原因もそこにあったらしく見えるのである。
 第一、日本刀で銃砲火薬店をおどかしてからでなければ、本当の武器らしい武器が提供出来ないというような段取りは、血盟団事件や五・一五事件の夫に較べて、何かに類するものをこの事件に感じさせるのであまり権威ある事件だとは受け取れなかったのである。だから之は警視庁などが腕を振うには持って来いの手頃の材料で、数日にして忽ち神兵隊の「全貌」が暴露されたらしく思われた。
 血盟団事件や五・一五事件が、右翼の正統派による運動だったとすれば、神兵隊事件はこのオーソドックスから離れた運動で、そこから武器の供給方法が稚拙であったり、運動全体に権威がなかったりする弱点が生じているわけで、そういう意味から云って決して××するに足る事件ではない、ということがこの時まですでに明らかになったのである。
 問題は之で消えて行くのかと思っていると併し、意外の方面からこの問題が新しく展開し始めたというのは、松屋の重役、内藤某に関わる有価証券偽造、詐欺の嫌疑から、同重役と神兵隊との間に意外な関係が伏在していることが発見されることとなった為である。尤も問題は幸いにして、この某重役の私的犯罪へ関係して行くだけなのであって、別に、軍部とか其他色々の方面へ関係して行くのではなかったから、意外は意外であっても、決して心配すべき筋合いのものではない。だから警視庁は大手を振ってこの問題の「核心」に肉迫出来るというものである。その結果今日迄に明らかになった処によると、予備役歩兵中佐安田某という問題の人物が登場して来て、その人物の自白によって、例の重役内藤某から神兵隊に運動資金として四万円の金が融通されていることが判り、而もそれが神兵隊事件の計画を株の思惑材料として重役に提供した報酬に外ならないということが判って来た。安田中佐自身が去る七月四日迄に数回に亘って事件を例の重役に売り込んでいるのであり(尤もその仲介者がその金額の一部分を着服したかしないかという問題があるらしいが)、一方に於て重役側では神兵隊事件をたのみにして借金の言い訳けをしたり、株を大量的に売りたたいたりするかと思うと、他方に於て神兵隊側では、重役からの資金をあてにして挙兵の日を延期したり、再延期に就いて幹部同志の間に対立を産んだりしている。事件は未然に防止されたから、重役は折角あてにした暴利を棒に振って了ったわけだが、ファッショ運動と株の思惑とが結合している点には誠に興味津々たるものがある。
 世間ではこの事件を××××だと云っている。併しこの事件だけが大して特に××××なのではない。何によらず事件を起こすには資金が要ることは判り切ったことで、一見柄の良くない株の思惑売買を利用したからと云って、それだけでこの計画が、金銭上の利欲や売名のためだったとは断定出来まい。この事件が××××であった点は、別に、某重役のブルジョア的利害と醜関係があったからではなく、実は、この計画が例のオーソドックス・ファッショのもので××××という、一般的な××にあったに外ならないのである。オーソドックスにぞくしていないから、松屋の重役の懐具合を×××にしなければならなかったまでで、丁度、オーソドックスでなかったればこそ、武器をわざわざ民間の銃砲店から××して来なければならなかったのと、全く同じ現象だったのである。
 神兵隊事件の「××××性」が暴露されたのは、何も今になって改めて暴露されたのではない。それが初めから××××であったればこそ、その××××が暴露される運命に立ち到ったのである。という意味は、初めからオーソドックスのファッショ事件ではないらしいと、当局からにらまれたのが×××××きなので、そこから「黒幕」の追究が始まり、資金関係が手繰られ遂々重役との醜関係が明るみに出たというわけで、苟もオーソドックスのものであったなら、「黒幕」の追究など行われる心配はないから、従って何等か××××××××が暴露されるという心配も無用だった筈である。尤も、「満州事変の際には目黒区に居住の有力な某政治浪人(特に名を秘す)の早耳により約十万円を儲けて同人に献金した事実があり」と読売新聞(九月二十八日付)が書いているのは多分無根の事実だろうが。
 一味が「某々方面」や五・一五事件に関係ある海軍士官に、参加を勧誘して断わられたという証拠が、某弁護士の手許から出たそうだが、こういう風にオーソドックスから×××されたことが、取りも直さず運命の神から見放されたことを意味するので、夫があたら神聖な「神兵隊」の名を×××根本原因になっている。取り調べ中の或る人物は、検事に向って「五・一五事件で神武会長大川周明が検挙された時には大川の資金関係を大して追究せず、何故今回ばかり資金関係を追究するのか」と云って「追究」しているが(東朝十月一日)、この××は、この事件のオーソドックス的権威の××××××思い上りからだと云わねばならぬ。

   二、国際文化局

 外務省は「国際文化局」を新設する案を立て之を来年度の予算に計上するそうである。経費は初年度一七〇万円で、局長一名、課長三名、事務官七名、理事官二名、嘱託十二名、属其他十八名という、堂々たる構えであり、その外に、海外の主な国々に文化使節を駐※(「答+りっとう」、第4水準2-3-29)せしめ、更に外務省監督の下に、朝野の財力と知力とを総動員して有力な国際文化事業を目的とする財団法人「日本文化中央協会」と云ったようなものを、民間に造るそうである。云うまでもなく「対外文化宣揚」がその目的なのである。
 そこで、さし当り着手する事業は、一、日本文化講座を主要諸外国の大学その他に新設すること、二、海外各地に日本語の学部又は語学校を建てること、三、学者、芸術家の海外派遣、四、教授及び学生の交換、五、国内国外の国際文化団体の補助、六、本邦芸術(歌舞伎・能・国産映画等)及び本邦国技の紹介、等々だということである。
 誠に結構なことで、今までこうした施設に気づかなかったことが寧ろ変だったと云いたい位いである。自分の国の文化を世界に示すことは、当り前な国際関係で、その結果はまたおのずから外国の文化の輸入という現象ともなって現われるから、ここに本当の「国家」(?)の使命たる世界の文化的共同体への道が開けるわけで、もし、之を放っておいて「外交」とかいうものをやっていたのだとすると、今まで国家は対外的に変なことばかりをやって来たことになる。で何しろ早くこの点に気づいて良かったと思う。一七〇万円や二〇〇万円の金は少しも惜む処ではない、フランスは七六〇万円、ドイツは八六〇万円、イタリアは八三〇万円、スペインは二〇〇万円、夫々この種類の対外文化事業に投じている。観光局のような変態的な紹介機関しか持たなかったわが国が一体いけなかったのである。
 だが疑問はいくつも出て来てつきないのだ。対外文化宣揚が目的だそうだと云ったが一体なぜ急に、わが国ではそれ程文化の対外的宣揚が必要になったのか。日本の文化は決してこの数年来、その水準が高まって来てはいない。高まった部分があるとすれば、夫はソヴィエト・ロシアやドイツを通じての社会科学的研究や常識の場面其他一般の自然科学的研究の世界に於てであって、日本固有な文化(もしそういう言葉が必要ならば)の場面に於てではない。まさか「日本社会主義」とか国体科学とか其他其他のものの建設が日本文化の昂揚でもあるまい。歌舞伎や能はキネマや世界音楽に較べれば、相対的に急速に衰退しつつあるし、相撲が再び盛んになって来たと云っても、拳闘や野球に比較したら物の数ではない。そういうわけで、特に急いで対外的に宣揚しなければならない程の内容ある日本文化は出来ていないのが遺憾ながら今日の事実だろう。
 寧ろ、盛んになっているのは、愛国家が敢えて宣揚することを好まぬような、アッパッパ映画や東京音頭まがいの街頭小唄位いのものではないか。――日本の文化水準は一般的に、最近とみに停頓して来たし、特に又日本固有文化は決定的な衰退の途を、もはや引きかえすだけの勢をもっていない。宣揚する必要があるのは、日本固有の文化があまりに昂揚しているからではなくて恐らく、あまりに没落して行き過ぎるからかも知れない。
 だが国際文化局という名が付いているからと云って、正直に、問題が文化にあるのだなどと思うと大間違いをする。問題は文化などという甘ったるいものにはないのだ。文化などは実はどうでもいいのであって、抑々日本は満州問題を惹き起し、国際連盟を脱退して非常時に這入ったのだ。そこでこの国際連盟を出た代りに国際文化局を当方で造ろうというのである。国際連盟はその文化委員会でさえが日本側が受動的だったのだが、まず第一にこの点を逆転して文化的に攻勢に出て、それをやがて「外交」の強硬化に合致させようというのが、この外務省国際文化局の使命なのである。だから文化のことなど実はどうでも良かったわけである。
 併し何と云っても国際文化局という名が付いている以上、日本の文化の宣揚をしないというわけには行かず、従ってその結果は、おのずから、広汎な国際的文化交換、文化連絡をしないというわけには行かなくなる。どの国とどの国とに対しては文化交換をやるが、他の国とは文化交換をしないというような態度は、対手が大使や公使を交換している国である以上、一寸おかしいだろう。
 現在「日ソ文化協会」という社交クラブがあるが、警視庁外事課はあまり之を愛惜していないようである。だから多分、之などは国際文化局に編入されて了うことになるだろう。――対ソヴィエト関係は之でいいとして対ドイツの関係はどうしたものだろうか。嘗つてプロイセンの憲法を輸入したわが国は、最近ナチスの社会政策を輸入しようと企てているらしい。けれどもヒトラーはその代償として、「日本固有の文化」などという凡そ非ドイツ的なものを受け容れる様子は見えない。そうするとこの場合国際文化局の仕事もあまり、文化宣揚にも文化交換にもなりそうもないではないか。一体、一定の対手だけを選んで文化宣揚をやろうというのが無理な注文であると同じに、一方的にだけ文化の宣揚をしようということが、虫のいい勘定なのである。
 処で文部省は大学、専門学校の教授の海外留学を停止する方針だそうである。之も今云った外務省の虫のいい方針と何かの関係があるかも知れない。強硬外交ということであるが、之は教育・文化政策上の強硬外交であるかも知れない。海外留学の代りに、この頃は専門学校以下の教師になると、内地留学というのが相当盛んに行われている。なる程、本当に自由な条件の良い時間を得たいと思っている研究家にとっては、内地留学は海外留学よりもズット有難いことに違いない。もし「国民精神文化研究所」などへ留学を命じられるのでさえなかったならば。
 とにかく外務省と文部省とが之程仕事の上で接近したことは慶賀すべき現象で、何も文部省は、内務省や陸軍省ばかりの同伴者である義務はない筈である。

   三、児童虐待防止法

 この十月一日から児童虐待防止法が実施され、十四歳未満の児童を、家庭内に於ける虐待・種々なる職業に於ける虐使其他から護ることになった。之を喜ばない人間は本当は一人もいない筈である。今年の六月初めには、公娼の自由外出が許可されたが、薄倖児の救済はそれにも増して吾々自身に希望を与えるものがある。尤もその反作用として、わが国は、まるで原始社会のように、女や子供を虐待する国柄であったような気もしないではないのだが。
 前日の九月三十日には、東京府社会事業協会は市内五十の各社会事業団体を総動員し、全市を十五地区に分けて、早朝から係官を出張せしめ、主旨の宣伝に力めたものである。「可愛そうな虐待児童がいたらすぐに警察に知らせて下さい」とか「十四歳以下の子供に物売りをさせてはいけません」などというビラを配りながら、薄倖な児童の家庭を訪問させたのである。
 処で新聞の社会面が報じる※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)話によると、社会事業協会の幹部の一行が吾妻橋傍に佇んでいる親子ずれの門付けをつかまえて、明日から止めないと懲役になるよと注意すると、母親は急にメソメソと泣き出して了ったそうである。「この子に稼いでもらわなければ御飯が食べて行けないのです、亭主には棄てられ家には病人があり……」と云って泣き出して了ったというのである。念のために云っておくが、泣き出したのは子供の方ではなく母親の方なのである。新聞の話しでは、之を聞いた一行は、さすがにホロリとさせられたというだけで終っているのだが、それから先が問題ではないかと思う。
 実の子ならばまず大抵の親は虐待などはしたくない筈だ。それを「虐待」しなければならなくするのは、云うまでもなく親子の生活のためだ。それから本当に子供を虐待するのは、所謂「親方」や雛妓すうぎの抱主だろうが子供を親方や抱主に渡す親達は云うまでもなく生活の必要に迫られるからだ。親爺がのんだくれだとか何んとか云っても、相当の収入でもあればやたらにのんだくれになるものではないので、之も結局生活の不如意からだ。虐待を除いても虐待の原因を除かなければ、何等の根本政策でもあり得ない。
 なる程九月三十日には、街頭で発見された虐待児童は乞食二十一名、辻占売十五名、新聞売十一名、遊芸十名、絵本売六名、コリント台売四名、花売二名、合計六十九名だったのが、この法律実施の初日である十月一日には僅かに辻占売一人と乞食三人としか広い東京市の街頭で発見されなかったと新聞が報じているから、該法律の効目には目ざましいものがあるようだが、所が、一方九月三十日迄に来たお酌の就業届出数は、例年よりも三〇〇件を増しているという、裏の事実もあるのである。
 既に就業している雛妓には、何故かこの法律は適用されず、今後就業しようとするものだけに適用されるというのだから、九月三十日を名残とばかり雛妓就業届出が殺到するのは当然である。それでこれら既成雛妓の抱主達は、例の吾妻橋のルンペンお袋のように、メソメソ泣き出さなくて済んだわけである。――何しろ、高が流しの門付け修業には殆んど資本はかかっていないが、雛妓にまで就業させるには原料の費用も加工費もかかっている。之を賠償しない限り、児童虐待防止法と雖も承知は出来ない。
 大人でもあり余っていて子供なんかはどうでもよくなった工場や海運業に於ては、児童労働禁止は可なり前から実施されている。道徳的な法律は凡て抵抗の弱い処から適用を着手するらしい。児童虐待防止法が芸者屋よりも先にルンペン親子の方へ、適用されるのは必然である。
 児童虐待をしてはいけないという名目上の禁止は之で出来上ったが、前借住込みという形式の極東アジア的人身売買をしてはいけないという禁止令はまだ出ていないようである。併しそんなことまで構っていると問題は限りがなくなるのである。今に男の大人の虐待までも問題にしなければならなくなるだろう。労働者や農民の失業者の日常的な社会的虐待、又之に学生やインテリを加えての警察的虐待など、こうしたものに対して一々禁止命令を制定していては切りがなくなるわけである。禁止令はなるべく狭い範囲にだけ実行されて纒りがつくような種類のものから、先に選ぶべきだろう。そうしないと労多くして効少ないからである。児童虐待防止法などは、それには持って来いの、小ジンマリした理想的な法律ではないか。
(一九三三・一〇)
[#改段]


 林檎が起した波紋

   一、林檎の場合

 多分読者は東京に六大学リーグ戦というものがあるのを知っているだろう。五つの私立大学に東京帝大が加わって出来ているが、帝大には応援団もなければ大したファンもいないそうで、そのせいかどうかこの頃帝大の成績は問題にならない程悪いそうである。で帝大は云わばおつき合いに出ているようなものだから、本当をいうと五大学リーグ戦と云ってもいい位いだそうである。日大・専修大其他から出来ている所謂五大学リーグ戦と違う点は、日大などを決して入れてやろうとしないという処にあるので、即ち決して七大学リーグ戦などにならないということがその本質の一つだ。処が実はそれが六大学リーグ戦ではなくて五大学リーグ戦に外ならないのである。
 併し、この頃時々優勝するという立教や法政が、仮にリーグを脱退してもリーグにとっては大して問題ではないだろうが、之に反して、もし仮に早稲田か慶応かが脱退するとなったら、リーグ戦の価値はまず殆んど零になるだろう。云わば六大学リーグ戦は、早慶戦を合理化するために出来上ったようなもので、又早慶戦を中心に行われているようなものだ。こうなると六大学リーグ戦、実は早慶二大学リーグ戦だということになる。
 早慶を除いた外のリーグ加盟大学は早慶のおつき合いに引き出される刺身のツマのようなものだが、それで早慶外のリーグ加盟大学が損をしているかというに決してそうではないらしい。帝大は学問の上では兎に角(無論学生の学問のことで教授の学問になると仲々問題が多いが)、カレッヂボーイシップ(?)の上では問題にならないが、それでも野球部はたしかにリーグ戦のおかげで経済的に恵まれている。他の法・明・立になると、問題は単に野球部の利益などではない。これ等の大学はリーグ戦に加わっているおかげで、大学自身として計り知ることの出来ない程の利益を得ている。ラヂオや新聞や雑誌は毎月毎月、わが大学の存在を宣伝して呉れる。わが大学のマネキン選手諸君を見物するために、数万の華客が、金を払って来て呉れる。デパートと同じで、物を買いに来るお客ばかりで儲かると思うと大きな間違いなので、人気というものの営業的価値をこの際理解しておかなければならぬのである。
 もし優勝でもしようものなら入学者の数は眼に見えて増すかも知れない。たとい負けても、名も知れないような大学の学生よりも、肩身の広いカレッヂボーイになった方が、世間でモテルから、自然入学もして見たくなる。リーグ戦のおかげで、こうした大学は世間的に非常に尤もらしくなることが出来る。そうなって営業が楽になれば、やがて多少は金の高い教授も雇うことが出来るわけで、大学の一切の価値はリーグ戦から決まってくるようなものだ。
 わが「制服のマネキン」諸君を獲得するのには、だからどの大学も有形無形な大変な骨折りをしているのは当然で、文部省のお役人と甲子園の英雄諸君とは、この五大学リーグ戦加盟の大学が、最も恐懼している存在なのである。
 併し法・明・立の諸大学は何と云っても、精々おこぼれを頂戴しているに過ぎない。本体は早稲田と慶応とにあったので、この二つの大学に取ってはリーグ戦は全く死活問題なのだ。有力な多数の先輩を有っているこの二大学、即ち財閥を直接背後に持っているこの二大学は、財閥の手前から云ってもリーグ戦はおろそかに出来ない義理がある。それが学生の意識に反映すると例の勇敢な大応援団が出来上る。それから学外のファン組織も出来上る。応援団が単に選手を応援しているなどと思っては大間違いで、応援団学生は自分の大学の財閥を応援しているのである。彼等の先輩が開拓した地盤を大学の名誉ある伝統の名のために応援しているのである。彼等はグランドで正々堂々と就職運動をやっているのだ。早慶の応援団が卓越して勇壮なのはこういう就職運動にうっかり身が這入り過ぎるからでこういう「スポーツマンシップ」はたしかにラヂオ体操などでは発揮出来ない。
 それだけに問題はいつも早慶を中心にして持ち上がる。まず早稲田側では三原選手が今云ったスポーツマンシップの「真剣性」を理解しないで、恋愛などに走って了ったという事件が起きたが、之は婦人雑誌に一任するとして、他方早稲田の応援団が再び更生するという吉報が齎らされた。今春来幹部と反幹部との対立で潰れそうになっていた応援団がどうやら復活してこの秋の早慶戦に臨めそうだということになったのである。軽薄な存在には幹部と反幹部との対立などはあり得ようがなく、政党や組合というような真剣な存在であればこそ特にこうした対立がつきものなのだが、この点から見てもリーグ戦応援団の真剣性・深刻性は判るだろう。で早稲田には真剣な応援団が更生した。その活躍振りは刮目して見るべきだということになった。
 慶応は慶応で十月二十二日の早慶三回戦に先立って、リーグ当局を恫喝し始めたのである。銭村・小林の審判は御免を蒙るという申し出である。併し芸人の芸が如何に優れていても、興行主は興行主なのだから、リーグ理事会は審判の権威の名の下に、慶応の申し出を斥けて、リーグ当局自身の権威を擁護することに決心したのである。そうでもしないと、うかうかしていると、小屋が潰れて了うので、早慶自身はとに角、興行主たるリーグ当局の役員生活問題にも関わるからである。だがそれにしてもリーグ当局はそれだけ「権威」を問題にされたわけであって、この時以来慶応野球部の「権威」には恐るべきものがあることが発見された。
 早稲田の真剣な応援団と、慶応の権威ある野球部とが、顔を合せる日が来た。その日軽薄で見識のない早慶ファンが前の晩から山のようにつめかけたことは断るまでもない。処で試合中、権威ある野球部の意を体した慶応の選手は、審判官の審判の権威を盛んに覆しては、自分の権威をひけらかしたが、その結果かどうか知らないが、われ等の世界史的な審判のサイレンは遂に慶応方のために鳴り響こうとしたのである。その瞬間、神様は偶然にも楽園のアダムとイヴを思い出して了ったのである。――そこで早稲田の真剣な応援団は、猛然として贖罪と救済とのために起ち上り、同時に慶応側の権威ある指揮棒が行方不明になった。ということに、少くとも早稲田側ではなっている。この際、切符の不正改札をしたり、「顔」に向っては言葉通り顔負けをしたりしつづけている場内整理員などは、早稲田の応援団によって一たまりもなく押し除けられたのは云うまでもないし、大喜びで写真を撮り始めた新聞記者が思い切って処罰されたのも当然である。
 さて早大側は林檎をぶつけた慶応野球部選手某に謝罪しろと主張するし、慶応側は早大野球部にリーグを脱退しろと要求するので、問題はリーグの委員会にうつされることになった。早大側の要求は当然であるとして、慶応側の主張には一寸腑に落ちない点がないでもあるまい。あばれたのは早稲田野球部ではなくて応援団だったのだから、野球部にリーグ脱退を迫るということは少し変のようだが、併し、応援団が、決して野球と離れたものではなくて、大学自身にとって野球部が持っている重大な意義をば別の形で云い表わしている真剣な存在だったということを思い出せば、慶応側の要求も亦無理ではない。それは兎に角、最近妥協案が作成され、夫が両大学に対して勧告の形で示されたが、その結果はまだ判らない。悪くするとリーグ自身が、逆に早稲田辺から責任を問われる破目に陥るかも知れない。実際、大事なのは早稲田と慶応とであって、リーグ当局などは両大学の寄生虫のようなものかも知れない。この寄生虫が権威を有っていられる間が「スポーツマンシップ」の存在する期間で、この権威が両大学に移り始める時は、スポーツマンシップという得体の知れない幻影が正体に返る時である。その時こそは問題が高田閥とか三田閥とかいうものにまで純化される時なのである。
 警視庁などでは、応援団を金網に入れることを研究しているそうだから、スポーツマンシップを出来るだけ早く、こういう具合に純化して了わないと、応援団は気の毒にも金網に入れられて了う運命に見舞われるだろう。

   二、野犬狩りの真理

 応援団より気の毒なのは併し、野犬諸君である。ある二人の外国人の女が、帝都の野犬(?)を満載した三河島行きのトラックの前に立ち塞って、その犬を皆んな買います、と怒鳴り立てていたという事件がある。自分の飼い犬が見えなくなって百方手を尽してさがしていた処、幸いにもその犬が帰って来たのはいいが、首輪の代りに犬殺しの針金が首にまきついていたのだそうである。二人の婦人は之を見て犬一般に対する義憤と憐憫の情とから、この嬌態を演じたというのである。併し犬殺しは巡査立ち合いの上で犬を捕獲して歩くのだから、その行為はあくまで合法的なもので仮にその合法性の根拠が、本当に狂犬病予防のためなのかそれとも犬殺し稼業の保護のためなのかハッキリしないにしても、とに角合法的である以上、子供などにどんなに残忍な印象を与えようとも構わない筈だと私は信じている。
 高田義一郎博士は東京朝日の鉄箒欄で、この問題を取り上げ、野犬狩りの目的が狂犬病の予防にあるという仮定から、野犬狩を批判している。之に対して警視庁獣医課の係員は、如何にも警察医と犬の医者との結合物であるような口吻で、之に反駁を加えているが、博士は更にこの反駁を批判している。今はその一々の内容はどうでもいい。博士はあくまで医者の立場から野犬狩りを狂犬病の問題として取り上げているが、そうすれば当然、野犬はなるべく少ない方が望ましいわけである。そのための一つの対策として、畜犬税を半分にすれば野犬はそれだけ飼犬になって、数が減るだろうと博士は云っている。
 だが、実は野犬はなるべく沢山いないと困るのである。野犬が足りない時には飼犬の首輪を外して野犬に仕立てたり、人の家の縁の下にいる犬までも引っぱり出したりする必要が、犬殺しにはあるのである。こういう種類の窃盗や家宅侵入は、巡査が立ち合っていることになっているのだから、事実上は合法的になるのだ。で例の外国婦人が悲憤を感じたのは案外この点だったのかも知れない。
 残忍な行為はただでは決して合法的にはならない。狂犬病の予防のためなどだけなら、野犬狩りの行為は、残忍だという印象をさえ多分与えないだろう。経済上の必要が直接その後ろにかくされている時初めて或る行為が残忍という性質を受け取るので、そしてその時は同時にその残忍な行為が社会的に合法化されている時なのである。
 犬は野犬に限らない。野犬に落ちるのは大抵駄犬であって、名のある犬は大抵飼い犬になる。首輪も嵌めず定住処もなく、定職もなしにフラフラしていると、浮浪罪に問われて、タライ廻しに合った揚句、三河島で秘密裡に処置されて了うが、その代り飼い犬となって雇われたとなると、仲々尊敬されるものである。愛玩用としては、有閑マダム・スポーツマン・芸妓などと並ぶことが出来るし、警戒用としては門番や守衛や巡査などと肩を並べられるし、狩猟用としては忠勇な軍隊とさえ一緒になることが出来る。この間関東軍では、東京から京都、大阪、神戸に亘って、シェパードを軍用犬の種犬として買い上げるために徴兵検査を行ったが(甲種合格十四頭)、シッポの振り方をよく教育されていないために内地の街頭でウロウロしている野犬達に較べると、この満州行きの連中は全くの英雄ではないかと思う。
 駄犬と名犬とはこれ程待遇が違うのだが、どこで駄犬と名犬との区別がつくか。それが素質と教育とによることは云うまでもない。教育の方はこの頃世間で非常に喧ましく云われている。まるで「教育」だけで、教育が出来るかのように、教育万能を人々は信じているようだ。それだもんで食事を与える任務を帯びた女中達までが、飯をやる代りにお説教を聞かせてやったり、散歩につれて行くように云いつかっている書生君が、棍棒で説教することに方針を変えて了ったりするのである。けれども一体犬を教育するには何よりも食餌を与えるということが一等大事な手段だということを、人々は忘れてはならない。
 教育の方はまだしもとして、素質の改善の方は今まで全く等閑に付されていた。ということをこの頃人々はやっと気づいたようである。之に一等初めに本当に気づいたのは、ドイツのヒトラーという人物で、彼の優生学は何故だか雑種の発生するのを大変恐れる処の科学である。わが国の「民族衛生学界」は併しもう少し衛生学的で、「医学や懲罰等によって到底矯正されぬ病気をこの世から駆逐しよう」との目的の下に、断種法の強制を来議会に建議しようとしているそうである(十月十三日付東京朝日新聞)。
 素質の悪い処に如何に教育を施しても無駄なことは判り切っているから、素質の悪いのは絶滅させるに限るというのであって、駄犬はドシドシ淘汰されねばならぬということである。それは要するに、野犬はドシドシ退治しろということに帰着する。ここに野犬狩りの新しい真理があるのだ。

   三、内政国策会議まで

 先月十二日若槻民政党総裁は名古屋に開かれた民政党有志の歓迎会席上で、時節柄至極注目に値いする演説をやって除けた。之より先、政友会大会で鈴木政友会総裁が、民政党総裁を攻撃する積りで、うっかり若槻ロンドン軍縮会議全権の批評をして了ったのだが、そこで若槻氏は往年の軍縮全権としてロンドン条約の説明を党員に与えておかねば困ると云って、責任者として次の諸点に就いて述べる処があった。
 第一にロンドン条約は製艦費の節約によって国民の負担を六年間に亘って軽減し、又国際平和をそれだけ確保し得たというその貴重な結果を尊重されねばならぬ。第二には補助艦総トン数対米七割・大型巡洋艦対米七割・潜水艦七七八〇〇トンの確保を三大原則としたが、第三の潜水艦トン数が米国と同じく五二七〇〇トンに切り下げられたとしても、総結果から云えば、まず三原則の主旨は貫徹したと見てよく、大体に於てロンドン条約は成功であったと見るべきだということ。第三には、その際全権が政府に発した請訓は、海軍次官・軍令部長・軍事参議官列席の上で賛同を得たものであって(海軍大臣渡英中)その間何等統帥権干犯というようなことは絶対にないということ。第四には、海軍第二次補充計画は、一部に伝えられるようにロンドン条約の失敗・欠陥を埋め合わせるための計画ではなくて、正にロンドン条約自身の範囲内で行われることになっているのだから、その実現が急に必要になったのはロンドン条約が原因ではあり得ないので、何か他の国際関係から由来する外ないこと。第五には該条約は一九三六年に効力を失うものでその前年に当る一九三五年の第三次軍縮会議に於ては、日本はロンドン条約と無関係に新条約を締結し得る筈になっていること、等々である。
 海軍当局は之に対して、潜水艦の二五〇〇〇トン減少の如きは重大な欠陥を意味するもので、之を以てしても条約の成功だと考えるのは了解に苦しむ処だと云い、特に青年士官達は、統帥権干犯の事実は歴然として明らかではないかと騒ぎ出した。「かかる主張の存在に対しては従来の如く輿論を黙過することなく」、上局を促して適当な処置を取らせねばならぬということになって来たのである(十月十四日付朝日)。
 何だか軍部はこれまでいつも輿論を無視して来たかのように、この言葉は受け取られるかも知れないが、無論そういう意味ではない。処で当時、五・一五事件の花形の一人、海軍側被告の特別弁護人たる、海軍大尉朝田某は、多数少壮士官を代表して、若槻総裁に会見を申し込み、一時間程若槻邸で談判したが、「朝田大尉は容易に諒解せず、統帥権干犯については反駁して譲らず、結局物別れになったそうである」(十三日東朝夕刊)。朝田大尉は諒解する目的で出かけたのではなかったろうから容易に諒解する筈はないのである。
 併し明敏なる若槻総裁は、政党・政府、引いては国民に迷惑を及ぼすことを恐れて、以後この統帥権干犯問題には触れないという声明を与えたから、軍部も政友会もあまり深く追及することはさし控えた。十月十六日の東京に於ける民政党懇談会席上では、ロンドン条約にあまり触れないと云って、海軍第二補充計画についてだけ語っている。海軍当局は最後に、この第二回目の演説に対して非公式な声明を発して、若槻総裁を反駁した。曰くロンドン条約は欠陥だらけであり、且つ「条約締結の手続きに於て憲法上の不備の点が多々あったことは既に明なる事実であり」、海軍第二次補充計画はロンドン条約の欠陥を補うべき第一次計画と同時に、ロンドン条約の直後に立案されたもので、ロンドン条約の不備欠陥を補うのがその目的であったことは言を俟たないというのである。
 条約に欠陥があり又その埋め合わせとして第二次補充計画を立てたのだという主張は、見解意図の問題に帰着するわけで、本当の当事者であり専門家である軍部の云うことの方が、信頼出来るような感じがするだろう。だが「憲法上の不備」云々ということになると、不幸にして世間はそう安々と同じ調子で「諒解」はしないだろう。憲法の権威ある専門家から、合理的な説明を聴くまではどんな説も徹底しない。
 処で東大教授美濃部達吉博士は、東京帝大新聞で、統帥権干犯に関する或る一つの説明を与えている。それによると、全権が軍令部の云うことを聴かないからと云って、少しも統帥権干犯などにはならぬ。軍令部と、統帥権の主体とを混同する如き態度こそ大権干犯ではないか、という要旨であった。なる程そういうものかなとは思うのであるが、之を合理的に反駁した憲法権威者の説をまだ聴いていないから、吾々素人は今の処判断しかねる。軍令部の機能が最近変更されたというような噂を耳にするから、多分海軍側にはこの点に就いて輿論が納得出来るような解明が用意されていることと信じる外に道はない。
 若槻総裁の演説は、初めは脱兎の如く終りは処女のようであったが、所謂五相会議は之に反して初めから黙々とした会合であった。五相の間に対立があったとか、その対立が止揚されたとか云った、禅機に充ち充ちた弁証法的過程の揚句に、公表された処は、「五相会議に於いては外交、国防、財政の調整の根本に関して隔意なき意見の交換を遂げたる結果相互の諒解を深めその大綱に関し意見の一致を見たり」という六十五字である。主として対ソヴィエト・対アメリカの外交政策が問題になったらしく、新聞には色々と書いてあるが、結局の処吾々に判る処は、何か無理に抽象的な報道だけだから、今の六十五字の方が却って五相会議の発表された限りの真髄に当るわけである。
 民政党はこの時に当って、一寸異様な要求を政府に提出している。それは、政治経済の革正・教育制度の改善・思想善導・その他も大事だろうが、それより今大事なのは人心の安定で、それには言論自由が何より大切だから、之を保証しろ、というのである。言論の自由が封鎖されているもんだから色々な流言飛語が乱れ飛ぶので、夫が社会不安の本質だというのである。この「社会学」はとに角として、民政党には(そして多分政友会だってそうだろう)大変言論の自由が必要であるように見える。――処で五相会議は内政国策会議へ続くのであるが、この会議に這入るに際して、陸軍は自分の「対内国策」に対する浮説を否定して非公式に声明している。「最近世上に陸軍の対内国策案に関し、各種の浮説が喧伝せられ、世人に衝動を与うることも尠くないようであるが、陸軍としては対内国策については国防の見地から慎重なる研究を為してはいるが、なおこれを発表するの機に到達しておらないのみならず、従来世上に陸軍案として発表せられたものは、全然陸軍に関係のないものであることを言明する」と(読売新聞十月二十六日夕刊)。
 なる程こんなに浮説が色々浮んでいては、人心全く不安なわけで、或いは言論の自由も少しばかり必要になるかも知れない。併し実際には、現に言論は全く自由なのである。例えば陸相は、日本が皇道精神を世界に宣揚することによって、世界平和の方策を自主的に提唱すべきだと論じたと報じられているが、之は全く自由に充ち充ちた溌剌とした言論ではないだろうか。之に対して外務省当局や消息通が、極東モンロー主義(国際連盟の脱退をそう呼ぶのだそうである)を自ら放棄するものだとか、徒らに国際政局を刺※[#「卓+戈」、124-上-10]するものだとか、批評することは、又彼等の自由である。この世界平和論と五相会議の内容とがどういう関係にあるのか併し吾々には判らない。
 とに角五相会議は終結して、世の中は内政国策会議の時代に這入った。先ず何から議論しようかということ自身がここでは議論の第一歩であったようだが、この頃流行る対立もどうやら止揚されて、後藤農相は農村問題を提げて立ち上った。併し農村というのは、米穀の[#「米穀の」は底本では「米殻の」]生産や何かはとに角として、何よりも兵隊を産出する土地のことを云うのだから、農相の説明だけでは心細い。農産物販売統制や農村工業化問題(実は工業農村化の問題)に、少くとも農村の教化問題が結び付かなければならなくなる。すると之はもう農林大臣の権限外になりはしないかと心配になるのである。
[#改段]


 小学校校長のために

   一、小学校校長のために

 東京に於ける現職の小学校長四名に元小学校長二名、府立師範同窓会理事、それに出版屋二名が、収賄贈賄の容疑で検挙された。それに続いて某視学と某学務課長も取り調べを受けた。警視庁当局の云う処によると、容疑者凡てを正直に検挙すれば、留置場に這入り切らない程出て来るから手控えているというのだが、噂によれば×××自身にも手を延ばそうとすれば延びそうだということである。
 仮に教育界関係の容疑者をつれて来なくても各署の留置場は超満員で、それは左翼の連中を非常に沢山検挙し、而もどういう理由からか知らないが、非常に永く入れておくからで、警察ばかりではなく、刑務所も超満員で建て増しが緊急に必要だそうだが、左翼分子の検挙が盛大だということが、偶然にも、他の小学校の校長さん達に安心を齎しているわけである。
 それはとにかく、各小学校で準教科書として使っている学習書とか学習帳とかいうものが、各専門の教員間の研究会で行った諸成果の内から、事実上校長が採用方を決定して、之を出版屋に出版させることになっているものだそうで、そこから校長と出版屋と乃至は其の間に介在する小利権屋との間に金銭上の又饗応上の醜関係が生じたということが、この問題の糸口である。
 研究会の成果が学習書という商品の生産に直接関係して来るとすれば、出版屋は当然、その研究会の成員なり又特にはその成果の編集責任者なりと、人間的好みを通じるのは、商業上又社交上の道徳で、大抵の出版屋は著者に御馳走位いはすることになっている。だから、研究会の後で教員達が遊興に誘われたり、校長が御馳走になったりすることは、別に変った風習でもないようだ。校長が収賄したと云っても、例の学習書を出版させるのに、どの出版屋を選ぶべきかという問題の決定ならば、同じことなら、金離れの良い出版屋を選ぶに越したことはあるまい。これはどの村に鉄道を通すかということを決定する場合とは全く違った場合で、鉄道のように変に曲りくねった内容の学習書にならない限り、なぜこの「収賄」が悪いのか、よく考えて見ると判らなくなる。
 収賄によって内容が歪曲されたとするならば、それは由々しい大問題であるが、併しそれは同時に極めてデリケートな問題で、それに、そういう問題を問題にするなら、何もわざわざ小学校の参考書などに眼をつけなくても、大学や高等文官試験の参考書に眼をつけた方が、着眼点が堂々としているだろう。
 検挙された或る校長は、皆が今迄習慣的にやって来たことで、大して悪いこととも思わなかったと述懐しているそうだが、案外これは、世間の偽善家達に対する頂門の一針になるかも知れない。小学校の校長さんだから先生だからと云って、何も超人間的な特別な人格者である理由はあるまい。そういう怪物に私の子供などの教育を任せるのだと、私は一寸考えざるを得ない。清廉とか金銭に恬淡だとかいう徳性は良いかも知れないが、師範学校の卒業生が皆清廉で恬淡な人格者でありそうだと仮定しているのは最も不真面目な迷信だろう。道徳はもう少し真面目に、上っ調子でなく、考えられなければならない。
 本当に問題になるのは、校長が収賄したとかしないとかいう道徳問題ではなくて、学習書という一種の物質の存在の問題なのである。一体何のために、絶大な権威のある「国定」教科書の外に、そうした準教科書が必要なのかというと、どうも問題は、中等学校入学の問題にからんでいるらしい。男の場合で云えば、官立の高等学校や専門学校へ卒業生が沢山入学するのが良い中学校で、そういう中学校に余計入学させることの出来るのが、良い小学校となっているが、そういう良い小学校を造り出すために、わが学習書の存在理由があるわけで、人類の教育の一手引き受け人である小学校校長が、この学習書のために身を誤ったということは、或いは本望であるかも知れぬ。こういう「職責」のためならば、小学校の先生は学習書事件ばかりではなく、まだまだ色々の「不正」をやっているので、例えば秘密な補習教育とか準備教育とかによって、思いがけない莫大な収入を月々勘定に入れている先生は到る処にあるだろう。
 労働者は仕事がないから怠けざるを得ないが、小学校の先生は中等学校の入学試験があるから「勤勉」であらざるを得ない。そして勤勉にすれば金が儲かるということは、立派な道徳なのである。
 併し小学校校長問題は学習書問題を糸口としながら、次第に人事移動問題に移動して行くようである。校長は最も多く贈賄した部下の訓導を首席につけ、視学や市区町村会議員や府県会議員に贈賄する。(代議士は偉ら過ぎて効き目はないそうであるが。)或いは最も多く贈賄した者が校長になる。視学や議員それ自身が贈賄の所産で又収賄一般の主体だから、この贈賄は仲々有効だと云わねばならぬ。こうやって一旦校長になったが最後、例の学習書が待ち受けているという段取りである。
 もし之が本当ならば、これこそ本当の賄賂問題になるわけだが、併し同時に之は決して校長先生だけの賄賂問題ではなくなる。最近東京市会疑獄事件の「醜市議」達に対する論告が行われているが、単にこうした疑獄が小学校の校長先生にまで及んで来た迄で、別に取り立てて騒ぐ程の珍らしい事件ではない。それは単に、小学校の校長の社会的地位が「向上」して、「有力者」の仲間入りをしたことに過ぎないのである。一頃のサラリーマンが支店長や課長の椅子を極めてやがて重役になったように、又官吏が地方長官から代議士になるように、又軍人は将官になると政治家になれるように、小学校の先生も校長となることによって、地方、地区の有力者に伍するのである。市区町村会や府県会の議員と同じに、地方的情実に基いた「有力者」で、中央の所謂名士ではないが、この地方的、地区的、有力者であることが、この種の議員と同格に、小学校校長の「腐敗」を招くのである。だが、小学校の先生だと云って、有力者に伍して悪いということはどこにもないだろう。
 東京府学務課は、この間の消息に就いて、仲々よく観察が行き届いている。罪の根柢は[#「根柢は」は底本では「根抵は」]教員や官吏自身よりも、府市会議員の一部又は校長の背後にある大物に潜むものだと見て、俸給の安い弱い教員をいじめながら、こうして巨魁を見遁す処の、警視庁のやり口に不満の意を表している。何も之は、府庁自身の内部に問題が波及しそうだからそう云うのではないだろう。そして教育界全体の意向は、警察当局の教育上無責任な検挙方針が、無邪気な児童の気持を傷けることに、斉しく不満の意を表している。それから又、某校長の懐中から部下の女教員から来た恋文が出たという話を披露した警視庁は、府会で、将来はこうした私行の暴露を慎む旨の、言質を取られている。
 こうなって来ると、問題は、警察当局の検挙行為に対する批判に変って来るのである。思うに教育界が、飲食店やダンスホールと同じに、警察に取っては最も手頃の手答えのある活動場面であることが判ったためだろう。社会は先生に対して、特別な道徳上の迷信を有っている。この迷信がこの際、警察権を道徳的に色揚げするには百パーセントの効果を有っているのである。

   二、風紀取締

 学校の先生は尊敬されているが、ダンスホールの先生は軽蔑されている。世間の道徳意識によると、学校教育は神聖だが、ダンスホールは怪しげな卑しいものだ。そこで、ダンスホールに手を入れることも亦、こうした道徳意識を刺※[#「卓+戈」、127-上-3]して、警察権を道徳的に色揚げするには持って来いでないだろうか。蓋し軽蔑されているものの弱点を摘発することは、尊敬されているものの欠点を指摘すると同じ程度の、喝采を博するもので、どれも相手を低めて相対的に自分を高める意識を伴うから、良心の慰安になるわけである。警察権はこれによって、民衆の良心を自分の身方につけることが出来る。
 そこで、不良ダンス教師を洗って見ると、良家の不良マダム達が、面白い程続々として登場して来る。どうせ下等なものだと思って洗って行くと、意外にも「上流社会」の弱点がそれに連っていることが判って来たから、世間の道徳家は一石二鳥の思いで、喜び始める。この頃「上流社会」はどうしたことかあまり評判がよくなく、何とかしないと均衡上から云ってもまずいのだが、併し上流社会の男のやっている仕事を問題にし始めると、色々のさし障りも出て来るし、又好色な世間の道徳家達を刺※[#「卓+戈」、127-上-18]するのに適当でないのだが、幸いにして、良家の不良マダム達が登場して来て呉れたものである。
 不良ダンス教師の対手というのは、別に無邪気な少女や世間を知らない処女などではなく、人情に精通した有閑マダム達なのだから、彼女達の行為に就いては充分彼女達自身に責任を帰せさせることが出来るわけで、従って不良ダンス教師は「色魔」でも何でもない筈であるが、如何に不良だとは云え、美しい上流の婦人達なのだから、当局のギャラントリーから云っても、之を保護しなければならないので、従って不良ダンス教師はどしどし検挙されなければならない。それに、ダンス教師を挙げれば挙げる程、美しい不良マダムが露出して来る。裏長屋のお神さんなどとは違って、上流の一見近づき難い貴婦人達なのだ。
 馬鹿を見たのは不良ダンス教師や、又はそれらしく見做されたダンス教師で、一遍に多数のモダーンボーイ失業者が出来上った。併しそれだけダンスホールが浄化されたことは勿論で、風紀警察は、女学校の舎監のように安心したのである。
 併しダンス教師という職業人は、その職業の鑑札の手前、警察によって風紀取締りを受けねばならぬのは当然だとして、元来が無職で、ダンス教師とは反対に無職であり過ぎるために風紀を乱した有閑マダム達を、風紀警察が摘発したのは、警察権が私事に立ち入ったという観を呈するのを免れないだろう。尤も仮に裏長屋のお神さん達ならば、色々の有利な便宜を所有するだけの金がないから、風紀を紊すにしても私事として紊すことは出来ないかも知れないので、そういう社会条件を変えて見れば、上流夫人達の私事も実は下層の女房達では公共な行為になるだろうから、この有閑マダムの私事を摘発するのは実質から云って悪くはないだろうが、形式から云うと、どうも物好きなおセッカイだと云われそうである。
 処が丁度、某華族の夫人などが中堅で、この良家の不良マダム達の賭博という犯罪が挙がることになって来た。これで物好きなおセッカイも決して、ただの物好きなおセッカイではなかったことになったので、風紀警察の面目も立ったというわけである。
 風紀警察の面目が立ったばかりではない。兼ねがね世間から別世界視されていた名流文人達が、有閑マダム一味と賭博をしていたことが判った。之を抉剔することは必ず世間の喝采を博するだろう。警察権の道徳的面目を飾るには、これに増して手頃な材料はあるまい。処が、元来これ等の文人達は、手口は本職的でも、実は遊戯でやっているので、職業的な博徒のような意気の真剣さがあってやっているのではなかったから、この「犯罪」をもっと呑気に考えているので、中には賭博は罪悪とは考えないと云ったようなことを公言しているから、あまり道徳的な御利益は、この検挙によって得られなかったらしい。
 この検挙はこういう意味であまり成功ではなかったようだが、それに加えて、都下の有力新聞の或るものは、文人賭博の検挙をする位いなら、社会的にもっと大物の、而も世間で相当知れ渡っている事実である、政界や財界の名士の賭博を、なぜ検挙しないのかと、警視庁にねじ込んだ事実さえある。又しても警察当局の検挙行為自身が批判の対象にされたわけで、これによって警察の道徳的な色揚げは、又少し剥げかけたように見える。
 風紀警察から出発した警察権の道徳的な色揚げは、以上のように、只ではどうも理想的に甘く行かなかったが、之を思想警察と結び付ければ、もっと尤もらしくなるだろう。文壇の堂々たる大家も単なる風紀警察の下に、不良少年係りの手で挙げられたのは少々気の毒だったが、今度はそうは行かない。保安部の手によって風紀警察が発動し始めたのである。
 新劇場の面々が、「戯曲源氏物語」を上演することに決定して、入場券も売り、舞台稽古も怠りない頃、当局は突然上演禁止の旨を通達した。その理由は、事宮廷のことに関するのと、それが又おのずから上流社会の風紀壊乱を示すことになるのが重ねて悪いのとの、大体二つであるらしい。良家の有閑不良マダムの摘発は、ここで再び生きて来たわけで、併し今度迷惑したのは、ダンス教師ではなくて、不良ダンス教師に見立てられた光源氏の君である。
 わが国の最も代表的な国粋文学が、元来ならば申し分ない精神作興の効果を挙げる筈の処を、有閑不良マダム達のおかげで、全く逆の効果を生むようにされて了ったことは、独り紫式部学会の人々や劇場関係の人々、そればかりではない天下の全輿論が、深く遺憾とするばかりではなく、恐らく当局自身残念がっていることだろうと思う。何等かの道徳的効果を挙げようという思想的動機から発動した風紀警察自身も、ここまで来ると、却って思想警察と抵触することとなる。困難なのは風紀警察であり、之を更に困難にするものは思想警察なる哉である。
(一九三四・一)
[#改段]


 博士ダンピングへ

   一、医学博士の家元制度

 下関の或る開業医が、長崎医科大学学長を相手取って、自分が同大学へ提出しておいた学位請求論文を審査すべからずという仮処分方を、裁判所に申請した事件があった。結果に於て同医師の申請は却下されたが、この風変りの訴訟に対して世間の注意深い人達は一寸奇異の感を懐かざるを得なかっただろう。「博士濫造」という廉でかねがね世間から胡散臭いものと見られている医学博士に関することだから、どうせ何か裏に変なことが潜んでいるのだろうと思っていると、果してこの事件をキッカケに、長崎医大の「学位売買事件」なるものが展開して来たのである。何と云っても「医学博士」には散々苦しめられて来ている世間の大衆は、それこそ江戸の仇を長崎で討ったように、私かに、やや見当違いな溜飲を下げているものもいるようである。
 事件の真相は無論まだ判らないが、長大の勝矢教授が弟子を博士にしてやる毎に数百円ずつの金を取っており、又その他様々な収賄をやっていたということが判ったらしく、これに就いて贈賄者として四五名程の同博士門下生の博士達がいるのだそうで、この六名は遂に強制収容の上起訴されて了った。収賄の嫌疑濃厚なものは少くとも他に二名の教授を数えることが出来、また贈賄の容疑者は全国に及ぶかも知れないということである。それからこの問題は単に独り長崎医大だけの問題ではなく、全国医科大学乃至は医学部にも拡大するかも知れないと云われている。そうなると又、単に医科や医学部ばかりではなく他学部にも飛火するのではないかと心配する向きさえあるようである。
 長崎医大では、当の勝矢博士の弟で矢張医学部教授をしている人が、大学の不潔を潔しとしないで辞職するし、学生は勝矢博士以下三教授の試験を受けないと主張するし、学生、卒業生、助手、助教授達は大学浄化の運動を巻き起こそうとしている。確かにこれは祓い潔めの儀式としては甚だ当を得た行動だと思うが、儀式は要するに儀式に過ぎない、「医学博士」の本質はそうむやみに祓い潔めることの出来るものではないのだ。
 世間では医学博士の濫造を盛んに気にしている。あまり多数に製造すると博士の価値を落しはしないかという心配であるらしい。だがどんなに沢山医学博士を造っても、それによって博士の価値が下るとは受け取れない。生産過剰で博士がアブレたり、ダンピングで博士が安くなったりするのは明らかだが、それは博士の価格が下落することで誠にあり難いことだが、それは必ずしも博士の価値を下げることにはならぬ。価値と価格とどう違うのかというなら、まずマルクスの資本論の初めの部分でも読んで貰うことにしておく。
 なる程医学「博士」は濫造されている。今日全国の博士約九千人の内、医学博士は約六千八百人。一日平均三人三分の割で製造されているということだ。某帝大医学部では、或る年の博士製造高が同年の同学部の卒業生(即ち医学士)の数を遙かに超過したという珍現象をさえ惹き起した。だが医学博士の数が多いということは、日本の医学の発達の証拠にこそなれ少しも恥しいことではない。第一官立の医学部乃至医科大学だけでも、他の学部乃至単科大学に較べて、その数が非常に多いということを忘れてはならぬ。その多い各大学から卒業する医学士の数は又、決して文学部や農学部の比ではないのだ。而もこの卒業生の大多数が、副手や助手として、又大学院学生として、研究室に残る。研究室に這入ったが最後、特に先生と喧嘩でもしない限り、多分大して贈賄しなくたって研究室に掛っている札の順序に、右から自然に博士になって行く。
 大学を出なくたって、どこかの医専でも出てすぐ大学の研究室の研究生になって、ドイツ語の勉強傍々やって行けば、非常に早く医学博士になれる。之なら二十六七歳で大丈夫博士になれる。但しあまり良い処へ就職の世話はして貰えないという覚悟が必要だが開業にはさし閊えない。
 だから医学博士が多いということは、日本の医学がこれ程までに組織的に発達していることの証拠であって、大いに慶賀すべきことでなくてはならぬ。大学を出てから三年間も夜間診療程度の内職は別にして何の職業にもつかずに、朝から晩まで研究室で研究すれば大抵の馬鹿な人間でも一人前の研究結果は纒まるもので、それだけ学資も掛る代りには、専門家としての勉強も自然とせざるを得ないわけだし、又一般的な常識も多少は進歩するだろうから、立派に学位に値するだけのものはあるのである。卒業生にアルバイトの意識が低く、教授に年の功を以て学問を計ろうとする癖があるような、他の専門に較べれば、日本の医学はたしかに進歩しているし又進歩するように出来ている。
 だが何だってこんなに日本の医学は「進歩」して了ったのかということになると、夫は又別問題だ。即ち、何だってこんなに沢山の人間が医学博士になりたがるのかは別問題だ、それは云うまでもなく医学博士というのが博士の内で最も高価な価格を約束するレッテルだからである。散々使った上で医学博士の学位を返上しようとした人もいたが、夫は又逆手であって、普通には医学博士のレッテルを手に入れるためにはみんな一族の資産を傾けて命がけの努力をするのだ。だから医学博士は凡て立志伝中の人物と思えば間違いはない。医学博士にボラれたとか医学博士には近よることさえ出来ないとか、不平を云っている意気地のない中間層や労農大衆の方が間違っているので医学博士にどんなに大資本が掛っているかを知らないから愚痴が出るのだ。医学は労農大衆や勤労大衆とは無関係に「発達」して行くのである。
 医学博士製造は、こうした仲々年数もかかり価格も大きい投資の結果であるのだが、それも養狐場や養魚場のように、一目瞭然とした装置の下に行われると、誰も誤解をしないのだが研究室や教授会やと云った荘厳な[#「荘厳な」は底本では「壮厳な」]カムフラージの下で行われるから、世間はこの神聖な取り引きの目的をウッカリ見落して了うのである。そうかと云ってお花やお茶のように、内容のない無意味なキマリや型を伝授するごとに金を請求するのだとまだ判りがいいが、不幸にして医学はお茶や花より少しは科学的であるために、医学の家元は、そうした秘伝を授けることが出来ないので、その代りに研究のテーマを分譲したり、研究論文を審査したりするのである。だが、それにした処が、医学博士の家元である教授達が、お礼やつけとどけを受け取るのに何の不都合もないわけで、例えばお花の奥の許しを五十円で売買したと云って今更騒ぎ立てるのが変なら医学博士を五百円で売買した処で大して驚くこともあるまい。なぜなら、お花の師匠の招牌に較べたら、医学博士の招牌の方はたしかに十倍の価格には相当するだろうからだ。医学博士はインチキだというが、決してインチキ処ではない、実はこんなに実質があるのだ。
 苟くも年俸や講座料や審査料を貰っている官立大学の教授たる以上、お花やお茶の師匠と同じである筈はないじゃないか、と世間の人は云うかも知れない、併し不幸にして医学部の研究室(独り医学部には限らないのだが)は人の想像するような合理的な処ではないのである。現に研究室は厳密な一種の封建制度の下に置かれている。研究室と研究室とは、二つの領主の領地と領地とのように対立し、外、学閥や時には閨閥のために尚武的攻主同盟を形成し内師弟関係の利害感情によって家庭的淳風を馴致している。「わが君様」の身辺にはお家の一大事に馳せ参ずる多数の内臣外臣が控えており、わが君様の教授会に於ける器量の如何によって、又その時々の御機嫌の如何によって「医学博士」はこの家臣達の頭上に落ちて来たり、はずれたりしようというものである。だからバカ殿様の道楽が釣りであれば釣り、刀剣であれば刀剣がその研究室を風靡するのだ。
「医学博士」の売買は全く、資本主義医学に於ける投資現象の一つに外ならないのだが、夫がこうした尚武的で淳朴な封建的デリカシーを以て蔽われているから、益々甘い商売なのだ。ただ長崎医大のように、封建領主間に学閥の対立があまりに尚武的であり過ぎると「医学博士売買」が切角被っていた淳朴な人情味タップリのデリカシーの皮がむけて、思わず勝矢博士如きのお家の一大事に及ぶわけで、これは決して他人事ではなく、他の医大や医学部もこんな思わぬヘマをしないように今後も益々用心しなければいけないのである。

   二、華族の平民化

 宮内省は六年目に宗秩寮審議会を開かなければならなくなった。竹内良一が岡田嘉子と出奔して華族の礼遇を停止されて以来六年目なのだが、今度の審議の内容はその量から云っても質から云っても、ずっと進歩している吉井勇伯夫人徳子(『中央公論』一月号に於ける直木三十五の紹介によると通称「おどん」)吉井勇伯自身、引いて柳原義光伯、近藤滋弥男令弟夫妻、久我通保男嗣子等々、舞台に登る役者の数も大分多いが「華族の体面」のけがし方も亦「おどん」氏の如き仲々尖端的で平民大衆共には一寸真似の出来ないものさえあるようだ。
 だがよく考えて見ると、之等下情に通じた貴族達も別に大したことをしたのではなくて精々が、ブルジョア有閑分子や又は没落ブルジョアの定石を踏んだまでで、ただ華族の位置に止まりながら敢えてそれをやったということが変っているだけなのだから、宗秩寮の審議の結果、華族の礼遇を停止されたり、又は隠居させたりすれば話しは片づくのであまりに平民の(?)下情に通じ過ぎた者は、平民に払い下げるのが、何より適宜な処置だということは云うまでもない。
 ただ心外なのは、こうやってどしどし「不良華族」の捨て場にされる平民が、宗秩寮によって箸にも棒にもかからないロクでなしと見做されたということだが、尤も同じく平民と云ってもブルジョアもあれば、プロレタリアもあるので、一概には云えないのだから、その点は安心だとして、併し何より心配なのは、こうやってどしどし「不良」でない華族が減って行きはしないかという点だ。
 それでなくても華族一代制と云ったような消極的な思想が横行している世の中であり、最近武藤元帥の遺族の如きは男の相続人がないのを理由として、この思想を実行した程だから「不良」でない華族は段々減って行く危険に曝されている。一体これは華族社会から見て、まことに悲しむべき現象ではないか。
 華族は普通の人間とは違った点があればこそ特別な礼遇を、即ち平たく云えば特権を持っているのであって、それも無線電信を発明したとか何とかいう普通人間の持ちそうな特異性によって普通の人間から区別されているのではないのだから、一体普通の人間がやるようなことをやったのでは、その特権の手前色々困る関係が出て来るのは当然だ。だのに心ない華族の或る者は彼等が元来藩屏であって普通の人間ではないことを忘れて、普通の人間であるかのような錯覚を起こす。誠に憂慮に耐えない傾向と云わねばならぬ。
 今日普通の人間世界ではエロティシズムの全盛である。夫が嘘なら最近着々として発禁になりながら而も着々として殖えて行く各種の「実話」雑誌の大勢を見るが好い。処がこういう「唯物思想」(?)の他方の片割れである「赤」はどうか。赤の陣営が全滅したということを耳にするが、そういう声は昔から何遍でも聞いたものである。之も嘘だと思うなら和仁大審院長以下七名が部下から赤い司法官を輩出した廉で最近懲戒訓告の処分を喰っているのを思い出して欲しい。
 処で不良華族のエロティシズムと平行して赤い華族が出始めた。即ちこの点でも亦、華族は普通の人間世界の真似を始めたのである。そこで治安維持法で起訴されるだろう華族の三子弟に対しては、例の宗秩寮審議会は除族乃至位記返上の処分を発表するだろうし、転向を誓って釈放された六名の者に対しては訓戒を加えるだろうと報じられている。読売新聞(十二月二十二日付)によると「これは今回の『華族の体面を汚辱する失行ありたる者』という単なる華族の素行上の問題とは異り、いやしくも皇室の藩屏として御信任厚き身でありながら、国体を否定する如き思想、行動に入ったという処にその問題の重大性が」あるのだというのである。華族が突飛な真似をすることが如何にいけないことかということが、この問題になると愈々明らかになって来ただろう。
 一体世間ではどうもまだ治安維持法に触れるということが本当に道徳的に悪いことだということを得心していないようで、全く困ったものである。どこここの官立大学の学生が治安維持法違反の嫌疑で検挙されたとか、召喚されたとか、甚しいのになると御丁寧にも検挙される予定だとかいう、事実記事や予報記事までがあまりデカデカと新聞に載り過ぎるので、世間ではそんなものは日常茶飯事だというように思い込んで了う。
 併し本当を云うと、治安維持法に触れるということは、道徳上最も悪いことなのだ、その理由は云わなくても判っているだろう、普通の人間世界ですでにそうなのである、平民にしてからがそうである。それに華族ともあろう者が何か普通の人間の真似をするにも程というものがあるのだ。「不良華族」の除名によって華族らしい華族の数が減って行くばかりではなく「赤色華族」によって華族の質が変って行くようになりはしないかを、私は心細く思わざるを得ない。
 だが最後に、この憂鬱な傾向に、一条の光明を齎らした処の、一つの美談をつけ加えておかなければならぬ。例の起訴された三人の華族の子弟の一人公爵岩倉具栄氏の令妹靖子嬢は保釈中自宅の寝室でいたましくも剃刀自殺を遂げたのである。新聞が報道する処によると、名門の名をけがした自責の念の余り「反逆の血」を死を以て清算したのであって、華族界に対する一服の清涼剤として当局も意義深く感じつつ死そのものに対してはむしろ同情しているそうである(読売新聞十二月二十三日付から引用)。之によると案外にも、まだまだ安心の出来るようなしっかりした人物がいるらしく、そう心配することはあるまい。

   三、武士道と百姓道

 荒木大将(当時は中将)が陸軍大臣になった時、最も興味のあるエピソードの一つだったのは閣下がいつもサーベル(指揮刀)ではなしに軍刀を腰にしているという話しだった。之は武士道を片時も忘れないという意味だそうで、即ち治に居て乱を忘れない精神の現われだそうである。もっと正確に云うと、一九三二、三年頃から一九三五、六年のことを考えているという精神であって、即ち非常時精神の表現なのである。
 尤も非常時と云っても、初めは右翼思想団の直接テロ行動が頻発して困るという時代相を指すのかと思っていると、実はそれよりも待ちに待たれる一九三五、六年が近いということを意味するらしいので、こうなると一体非常時というものは善いものなのか悪いものなのかは判らなくなるのだが、その善し悪しには関係なく兎に角非常時は非常時なので、それが荒木陸相の真剣なる軍刀となって現われたのである。
 その後東洋哲学が誠に急速な進歩を遂げると共に、陸相の軍刀が象徴するものは、もはや単なる武士道ではなくて、実はもっとブロック性を持った王道であることが明らかになって来た、併し何にせよ王道は武士道の進化したものであることに間違いはないようである。
 武士道=王道の権化である荒木陸相は云うまでもなく現内閣第一の花形である。予算会議に於て、又所謂「内政会議」に於て陸相はいつも中心人物になっている、処が先年の終頃から内政会議にはもう一人の花形が現われ始めた。後藤農林大臣が夫である。
 元来内政会議は農村対策問題が中心になって来ているもので、後藤農相の中心人物振りは寧ろ当然であるのだが、現内閣の持論である農村の自力更生主義の上に立って、後藤農相の内政会議は農村精神作興案なるものを採用したのである。之ならばあまり予算も掛らないし、それに凡ては精神が基礎で外の物質的な事情などはどれも精神の発動した結果に外ならないので、精神作興がいつも最も根本的な政策であるから、之程正しくて安上りな農村対策の出発点はない筈だ。而も恰も「愛国愛土の精神」こそ後藤農相の持論なのである。
 そこで農相は「百姓道場案」なるものを提示した。それによると、全国の各府県のうち適当な地方に中心人物養成所とも称すべき百姓道場を設ける(例えば茨城県などが最も適当)。政府及び地方庁は之に若干の建設補助を与えるが、経費は自給自足でやらせる。入所すべき人物は地方で折紙づきの篤農家候補を厳選する(貧農は御免蒙ることにする)。約二カ年間窮乏に耐えたスパルタ式訓練をなす、即ちなるべく未墾の荒蕪地を選んで開拓させる。こうやっていつしか愛国愛土の百姓が完成し、それが銘々の村に帰って夫々の中心人物となって百姓道を作興しようというのである。
 之が後藤農相の農村対策第一歩としての、「具体案」だそうだが、農相はマサカ例の愛郷塾のようなものを考えているわけではあるまい、もしそうだとこの際一寸問題だ。そうかと云って武者小路の「新しい村」のようなものでもないようだ。何しろ百姓道を体得した恐るべき百姓を造り出そうというのだから前代未聞の痛快事だと云わねばならぬ。「造士館」とか「健児の社」というのは昔聞いたことがあるが「百姓道場」は全く独創的だ。
 私は之が空想だとか何とかとは考えない。皆が真面目にやる気にさえなったら、いつでも出来る至極手軽なプランだからだ。だが第一に肝心の内政会議に出席した閣僚自身が気乗り薄だというから如何にお手軽でも実行されないかも知れない。ただ、如何に之が実行出来てもおあつらえ向きの百姓が出来るかどうかは問題だし、ましてそうした百姓が農村問題を解決する鍵になるかどうかも、今ここで保証の限りではない。
 だが問題はこれが目的を果せるかどうかにあるのではない。問題は、荒木陸相の武士道が後藤農相の手によって「百姓道」にまで下落して来て了ったという痛恨事にあるのだ。軍事予算だろうが、軍縮会議だろうが、愛軍思想(?)だろうが、反軍思想取り締りだろうが、もはや×××では云うことを聞かなくなって了ったらしいのである。何しろ戦争に出るものは主として貧窮した地方農民自身なのだから、百姓は如何に軍服を被せても百姓なので、武士道は被服に達しても容易に骨肉には達しないのは尤もだろう。だから武士道の代りに百姓道が今日絶対に必要になったのだ。
 後藤農相は他方に於て農村の工業化の方針を持っている。その意味は実は、工業の農村化なのだそうである。工業を都会に集中しないで農村に移植しようというらしい、少くともそういう結果になりそうなのである。こういう工業の農村化と例の百姓道とどういう必然的な連絡があるか、一寸吾々には判らないが、夫はとに角として、どうしても農村化し得ない工業があるということは農相と雖も否定出来まい。そういう工業があるどころではない、元来が工業というものがそういうものなのだ。処で問題がここまで来ると、今度は多分、中島商工大臣あたりが登場して来なければならなくなる番だろう。併し耕地の換算や国粋建築にとって仇敵のようなメートル法を振り翳す商相のことだから、問題の調子は大分変って来るに違いない。商工大臣が何かの間違いで有力になどなると、百姓道の代りにプロレタリア道などがのさばり出すかも知れない、そうなっては日本もお終いだ、ブルジョア道はこの頃すっかり評判を悪くしているから安心だが心配なのは百姓道が今度は労働者道などにまで下落して来わしないかということである。(一九三四・一・七)
(一九三四・二)
[#改段]


 荒木陸相の流感以後

   一、エチオピアのプリンセス

 皇統連綿三千年の歴史を誇るアフリカの盟主、エチオピア帝国のリヂ・アラヤ殿下が、妃の君の候補者をわが大日本帝国に求められ、子爵黒田広志氏の次女雅子嬢(二十三歳)を第一候補として御選定になったということは、すでに旧聞にぞくする。三月号の婦人雑誌はどれも之も、この記事で大さわぎである。日本の婦人雑誌は殆んど凡て婦人の性愛欲と名声欲と所有欲とを中心にした一種の専門雑誌で今日では女にとって結婚が丁度そうしたものの総合になっている処から、婦人雑誌は取りも直さず結婚雑誌なのである。処で今度のこの結婚問題は、相手の殿下が黒人でいらせられ、且つ殿下が皇甥殿下であらせられるという点で、婦人雑誌に最も特異な専門的な刺※[#「卓+戈」、135-下-11]を与える処のものであるらしい。この話しを載せないものは婦人雑誌の資格はないようだ。
 結婚専門雑誌である日本の婦人雑誌は殆ど凡て大出版事業にぞくすると見ていい。即ち婦人雑誌はそれ程売れるのである。この現象は一応は尤もで、男は政治家とか技術家とかという細かく分れた専門家であるために、それに必要な専門雑誌の売れ方は、たかが知れているが、女の方は大部分の者の専門が結婚なのだから、婦人雑誌の売れるのは当然かも知れぬ。だが、大事な点は、婦人雑誌は決して実際的に結婚の媒介をしようとする意志があるのではないことだ。
 名流家庭の夫人や令嬢や映画俳優は、結婚の紹介をするためにではなくて、単に結婚観念を刺※[#「卓+戈」、136-上-7]するためにその写真を並べているのだ。で婦人雑誌の結婚専門雑誌たる所以は、今日わが国などで一等欠けている合理的な結婚施設や、又世界各国で見失われた結婚の物質的地盤などを、提供する点にあるのではなくて、ただでさえ過剰を来している結婚観念を意地悪くいやが上にも緊張させる役目にあるのである。婦人雑誌は、結婚よりも寧ろ結婚観念を享受したがっているわが国の既婚未婚の婦人達を、その読者としているから売れるのであるらしい。
 婦人雑誌のことはどうでもいいが、とに角婦人達のこの緊張した結婚観念に思い切ったショックを与えたのが、黒田嬢の独自な勇敢な決意だったわけである。日本の婦人達は之を聞いて、さぞかし安心もしただろうし、又悲観もしたかも知れない。内心では軽蔑しながらも表面では讃美するものもあるし、内心は少し羨しくても[#「羨しくても」は底本では「※[#「義」の「我」に代えて「次」、136-上-20]しくても」]表面ではケチをつけたがる者もいるだろう。いずれにしてもやや不思議な意外な決意だということが世間の婦人達や男達の常識観のようである。
 だが併し実は少しも不思議がることはないのである。フィリッピンのオリンピック選手と誼みを通じたり、フィリッピン人の低能留学生をさえチヤホヤしたりする位の近代日本女性であって見れば、由緒の正しい黒人王族に感能を動かすことは、あまり不自然なことではあるまい。殊にエチオピア帝国は皇統連綿恰も実に三千年に及んでいる。この頃流行る日本主義者達の説明によると、日本精神なるものは何よりも先に、わが国の皇統連綿たる点に立脚しているので、この点こそわが国体の本質に外ならぬそうである。そうすると、恰もエチオピア帝国は、その国体の本質をわが国の夫と極めて相斉しくするものということが出来る。わが国の国体を愛するものはだから、誰しもエチオピアの国体をも尊敬しないものはない筈だ。そして国体に対する尊敬さえ持てたら、後の色々な点は実は云わばどうでもいいので、その国の文化水準がどの位進んでいるかとか又はどの位進歩し得るかと云うような点は、国体に較べれば大した問題ではないのである。そう考えて見れば、黒田嬢の例の決意には、何人も肯かずにはいられない国民道徳的必然性があるではないか。
 ヒトラーは神聖な純正ドイツ人が外国種の人間と結婚することを禁じているが、同じファッショと云っても、ドイツのは敗戦の結果凡てを失った揚句のものだが、わが国のは之とは正反対に、満州帝国を建設し××××処のファッシズムである。だから日本では外国種の人間と結婚するということは何より尊重すべき事柄なのだ。日鮮融和の実もそうやって挙ったものだし、日満融和も皆この手を併用すべきだろう。植民政策にも色々あるが外国の土地で外国人との間の雑種を創り出す程完全な言葉通りの植民はない筈である。この大きな理想の下では人種的偏見位い邪魔なものはないのだが、黒田嬢の例の決意はこの点で極めて植民政策的コスモポリタニズムの意義のあるものなのだ。
 無論黒田嬢は、植民政策の御手本や何かではなくて、レッキとした独立国エチオピア帝国に嫁して行くのであるが、その海外発展的な進取の気象は、日本人の御手本として何より教訓に富んでおり、失礼ながら天草や何かの女達とは違って、立派に日本女の模範とするに足るものだろう。満州帝国の建設に際しては、××××××××××××××××××××××にしなければならなかったが、黒田嬢の御輿入れの場合には、幸にしてそうした×××××××××、ただただ歓声と和楽の裡に、海外発展の事が幾久しくめでたく取り行われるのである。
 吾々は口うるさい婦人雑誌などの云うことには眼もくれず、日本国民の一人として、黒田嬢のこの国体観念的、国家発展的、決意を讃え、その結婚生活の幸多からんことをひたすら衷心祈るものである。聞く処によると、黒田嬢は天資明朗、美貌と健康との持主だということである。エチオピアの国民達よ、願わくば新しく日本から来た魅力に富んだこのプリンセスの優れたジェスチュアやポーズに親しく接して、このプリンセスの故国日本でどしどし過剰生産されつつある商品も亦、如何に優れたものであるかに思いを致し、陸続として日本品の注文を発せられんことを。イタリアからもイギリスからも日本製のこのプリンセスのようなサンプルは、決して送って来ることが出来ないということを、幾久しく認識されんことを。

   二、治安維持法から国体維持法へ

 現内閣の思想対策委員会で原案を作った治安維持法改正案が、衆議院に提出されてから相当時間が立っている。初めの世間の想像では、どうも資本家に多少でも不利になるような改正案ではないのだから、委員達は例の調子で一瀉千里スラスラと片づけてくれるだろうと思っていたが、この委員達に限って仲々シッカリしていると見えて、政府が心配してイライラする程審議は停頓している。
 委員会の開催はすでに九回以上にも及んでいるが、まだ政府に対する質疑を打ち切るに到っておらず、法律ばかり厳重にしても無効だとか、軍部大臣の出席を求めるの、軍人の政治干与に就いて海軍側の意向をただせのとダダを捏ねている(陸軍は、林陸相の言明を信じるなら、今では海軍よりももっと左だから問題はないが)。
 こんな立派な而も時節柄「重大性」を有った改正案になぜそう文句をつけるのかというと、彼等委員達、即ち代議士達が「右翼」に就いてはツクヅク懲り懲りしたからで、右翼取締りの条項をこの際何とかして治安維持法に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入させようというのである。
 処が政府側の見解では、一体右翼団体は共産党のような国体否定の思想体系を有っているのではなく、又その組織も大衆的全国的国際的ではないのだから、団体そのものとしては取り締る必要はないし、又法文起草の技術から云っても右翼団体取締りの項目を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入することは困難だというのである。ファッショ的活動に対しては、五・一五事件の場合のように、殺人、放火、爆発物取締規定違反、暴力行為取締法違反、出版法違反、等の罪名でよく、もしそれでも間に合わない場合には内乱罪で取り締れば良いではないか。戦争を挑発したりして安寧秩序を害する不穏文書の取り締りのためには、出版法を改正しようではないか、というのである。
 吾々は併しどうも政府側のこの議論の方が筋が通っているのではないかと思う。一体委員達は、治安維持法というものの精神を根本的に誤解しているようだ。治安維持法という名が付いているからと云って、この法律が、治安を維持するために必要で充分な法律だなどと思うのが非常識で、治安維持法というのは、単に共産党弾圧法以外のものではないのだ。共産党が治安を乱そうが乱すまいが、又治安維持しようがしまいが、とに角共産党の存在がいけないぞという法律が之なのだ。だから仮に右翼団体が治安を乱るとしても、治安維持法で之を取締れなどと云われるのは甚だ迷惑なことだろう。治安維持法と治安維持とは必ずしも対応するとは限らないのである。
 委員達は無論共産党は大嫌いだし、又右翼団体も今云ったように、あまり好きではないのだから、治安維持法へ無理にファッショ取締りの役目を課すことによって共産党弾圧の力を鈍らせるより、治安維持法は純粋な治安維持法としておいて、寧ろ別に右翼取締りの統一的な法律でも出した方が賢明ではないかと思う。併しそれはまあ別の話として、治安維持法即ち共産党弾圧法そのものを、もっと有効に改正する必要があるということを、委員達はこの際ハッキリ認識しなければいけないのである。というのは、今度の改正法律案でも、依然として、尊厳なる国体と、かの外来の私有財産制度との、くされ縁が切れずにいるからである。
 最初の治安維持法では「国体の変革又は私有財産制度の否定」と云ったような呑気な法文だったのが、第一回の改正では、同一条項の下に、国体の変革と私有財産制度の否定とを別行に直したが今度の改正で、それが第三条以下と第八条以下とに別条にすることになっている。
 だがこうしても矢張、共産党員も共産党員でないものも、わが国体と私有財産制度との間に、何かの関係があるのではないかというような変な考えを起こさないとも限らないので、悪くするとこの法律は藪蛇になると不可ない。だから、私有財産制度の方を思い切って除いて了った方が、この際万全の策ではないかと思うのである。代議士諸君が資本家の代弁者であれば別だが、そうでない限り之に苦情はない筈だ。いや苦情は尤もだが、併し同じ物を売り出すならば評判のいいレッテルを貼った方が得策だろうではないか。
 この点はすでに東京朝日新聞の論説にも説かれていたが、とに角今度の改正案によると私有財産制度の否定の方は非常に影が薄くて国体変革の方が著しく光って眼につく。同紙によると(一月三十一日付)これは、最初の治安維持法制定の時期に於て、之によってブルジョアジーの利益を擁護しようとする目的を持っていたことの名残だそうで、それならば益々治安維持法の名誉のために、又ブルジョアジー自身の名誉のためにも、私有財産への遠慮は捨て去って了うべきだろう。改正法律によると「予防拘禁」(第五章)ということが発明されているが、それは国体変革の罪人だけに通用するので、私有財産否定の罪人には適用されないことになっているのは、或いはその準備であるかも知れぬ。この次の「改正」にはキット私有財産は国体と無関係だということが法文の上で明らかにされることになるだろう。その時初めて、治安維持法は「国体維持法」としての権威を持って来ることが出来るだろう。
 治安維持法に「国体維持法」としての権威が具わった暁には、今度の改正案中の、先に云った「予防拘禁」の発明や、刑事手続(第三章)上の新案や、又「保護観察」(第四章)の工夫などが、至極尤もな常識に適した内容を有っていることを、人々は発見するようになるだろうと思う。
 予防拘禁というのはどういうことかと云えば、国体変革のための結社をなした犯人が刑の執行を終って釈放される場合(死刑と無期の場合は論外)更に同じ罪を犯す恐れあること顕著なる時に裁判所が刑務所内で二年ずつ句切って永久に拘禁を蒸し返えすことが出来るということである。之によって、この犯人達は転向しない限り無期徒刑に処せられるわけで、国体の尊厳を体得せしめる法律としては最も合理的な内容のものだということが判るだろう[#「判るだろう」は底本では「判るだらう」]
 刑事手続上の新案というのは、国体変革のための結社をなした疑ある者が、住処不定であったり変名や偽名を用いる場合は、六十日乃至百二十日の拘留を申し渡たされるというのである。罪証湮滅や逃亡の恐れある被疑者も亦無論そうである。之によると住処を調べたりペンネームを調べたりするには少くとも六十日はかかる見込みらしい。だが問題の犯罪が犯罪であるだけに、取り調べに慎重な落ち付きが必要だろうから、二月や三月の拘留は、国民として、国体の尊厳のために我慢して然るべきものではないか。
「保護観察」というのは、之も亦刑法上の問題であって、幼稚園の園児や小学校の児童に就いての規定だと思ってはならない。執行猶予や起訴保留(?)になった治維法の犯人は、必要に応じて、保護者に引き渡されることになるということなのである。保護者に引き渡されない場合は、寺や教会や保護団体や病院におあずけになるのである。お寺や教会に渡すということはどういう意味なのか判らないが、病院に引き渡すという処を見ると、あまり縁起のいい規定ではないようだ。併し万事は国体の尊厳を維持するためだ、国民に文句はない筈である。

   三、荒木陸相の流感以後

 今年の流行性感冒は非常に悪質で、私なども一カ月も寝ていたために、前号の「社会時評」の原稿を書きそびれて了ったが、そんな小さなことはどうでもいいが、荒木陸相がこの同じ風邪で大臣を止めなければならぬというような大事件を惹き起したということの方が、この感冒の歴史的意義をなしている。
 尤も一方に於て当時の新聞紙の報じる処によると、荒木陸相は昨年末、例の内政会議終了の前後から辞意を決していたのだそうで、当時の林教育総監や真崎軍事参議官やがその前後策を凝議していたということだ。これで見るとこの歴史はただの流行性感冒だけでは説明されないのかも知れないけれども。
 とにかく今まで猫のように大人しかった政党、例のロンドン条約問題で青年将校達を怒らせた若槻総裁の言論などを除けば、軍部の云うことに対しては今までグーの音も出なかった政友会や民政党が、今度の議会で、どう潮時を見計らったのか、猛然として軍部に喰ってかかり始めた。第一に、曽つて極めて唐突に発表された軍民離間に関する声明書に就いて、衆議院ではその動機を説明しろと当局を追求し始めた。荒木陸相に代った林新陸相と大角海相とはそこで、軍民離間を強調した内容の印刷物を配布した者があったから、容易ならぬ事態と考えて声明書を出すことにした、というように説明して除けたが、斎藤首相はどう思ったか「軍部の声明書発表について私は何等相談にもならねば発表後報告にも接して居らぬ」と答弁したものである(読売一月二十五日付)。そこで追求は愈々急となったので問題は秘密会に移されることになり、結局政府が泣きを入れてこの追求は打ち切って貰うことにしたのである。例の「少壮将校」連がこの生意気な追求に憤激したことは云うまでもないが、海相などは、亀井貫一郎代議士にキメつけられて、将来かかる事を材料として声明書は出さないという弁疏をさえさせられることになったのである。
 次に問題にされたのは軍人の政治干与の件である。軍人が政治に干与することは、云うまでもなく明治大帝の賜わった軍人勅諭の精神に反するもので、取りも直さず軍紀の甚だしい弛緩を意味することは、昔から明白なことなのだが、小川郷太郎代議士は今更らしくこの点に就いて、勇敢にもダメを押している。問題は貴族院の方にも廻って行って、大河内子爵は同じく軍紀問題を追求し、兼ねて軍部の言論圧迫を攻撃するということになって来た。荒木陸軍大臣が風邪に罹ったばっかりに実に大変なことになったものである。
 林陸相はそこで陸軍の統制に対して次のような方針を有つものだと報道されている。一、陸軍部内において軍人で軍務以外の内政外交に関して調査研究するのは支閊えないが、部分的に対外意見を発表することは絶対にいけないこと。二、調査研究の結果必要と認められるものは大臣及び次官まで意見を具申すること。三、大臣及び次官は必要によっては之を政府部内に持ち込み、或いは適当な方法を採って善処するが、大臣又は次官と雖も猥りに対外、対社会的な発言はすべきでないこと(読売新聞二月二十八日付)。それだけではなく林陸相はこの旨を師団長会議で詳細に訓示しようということを、衆議院の治安維持法改正法案委員会の席上で口約しているのである。尤も大角海相の方は、今更判り切ったことを訓示でもあるまいということで、こうした訓示は思い止まったようであるが。
 軍部はこうやって、軍人の政治的言動に対して、この議会で、可なりに気がひけているらしいが、同時に軍人の政治的言動が、逆に世間人の軍事的言論を呼び起こしているという事実にも、気がひけ始めたらしい。で、陸軍省は海軍省と共同して、内務省と外務省とを加えた四省会議を開き、戦争挑発出版物を積極的に取締ることになった。但し全面的な取締りは言論出版の圧迫となり、却って国民の理解力を稀薄にする恐れがあるという理由で、特殊のソヴィエトとかアメリカとかの国家を目標とする戦争挑発物の出版及び記事と当局の意図のように推定されそうなものや国民や列国を惑わせるような戦略戦術の出版及び記事とだけを、部分的に厳重に取締ることにしたそうである。軍人の政治理論や社会理論が世間人に取って迷惑至極であるように、世間の素人戦争、ジャーナリスト達の戦争論や戦略戦術論は、軍部に取ってさぞ有難迷惑だろう。だからお互いにバカな真似は止めようではないか。というのが、林陸相達の方針であるらしい。(折も折、文壇の荒木陸相を以て目されていた直木三十五氏が死んだ。おかげで帝国文芸院の成立やその大衆文芸班に相当する「日本国民協会」の発展などは、さし当り一寸心細くなって来たようである。但しそのお膳立てをする任務を某方面から委任されていると云われる松本警保局長は益々健在で、荒木や直木の損失を補って余りあるかも知れないのであるが。)
 政治家や評論家に云わせると、こういうような具合だから、日本の社会情勢は可なり自由主義の方向へ傾いて来たのだというのである。なる程例の一九三五、六年の危機とか、又非常時とか云う掛け声も、質問が出たり半畳が這入ったりしては気抜けがせざるを得ない。吾々は初め軍人達の号令に従って、わが国の対外政策、外交を景気づけるために非常時非常時という掛け声を掛けていた処、広田外相が出て来て云う処によると、こういう掛け声は実は広田外交にケチをつけることにしかならないらしい。荒木外交を実行するために登場して来たのが広田外相かと思ったら、荒木陸相は風邪を引いて了って、広田外相だけが健全なようである。そう考えて見るとどうも軍人の勢は衰えて、リベラリズムの世界が近づいて来たのかも知れないという気もするのだ。
 処が軍人の勢力をそんなに見縊ってはならないのである。軍人にも色々あって、現役は云うまでもなく問題ないとして、在郷軍人や青年団や青訓生其他の「壮丁」と呼ばれるものが都市や農村を通じて充満している事実を見逃してはなるまい。例えば、東京朝日新聞社の主催で陸軍省の後援による全国優良壮丁市町村の調査が最近発表されたが、調査の項目は徴兵成績、身長、体重、其他であって、要するに一種の身体検査に過ぎないようであるが、併し青年の九〇パーセントが青年訓練所に這入っているとか、兵隊に出れば大部分が伍長勤務上等兵になって帰って来るとかいうことが優良村の優良村たる所以になっている。だから結局、優良市町村というのは優良な兵隊を出すような市町村のことで、一種の軍人村や軍人町のことにすぎない。東京日日新聞でも全国から優良青年を集めて会合をやるそうであるが、多分之は農村の「軍人」達の集会になることだろう。軍部だけが軍人ではないということが軍人乃至軍部の強みなので、なる程国民皆兵である以上、そうある方が尤もかも知れない。
 で、軍部のファッシズムが引き潮になったと云ってファッシズムそのものが引き潮になったと思うなら夫は非常な速断だろう。ましてそれで以てリベラリズムが台頭したなどと云うなら夫は気が早やすぎる。
 一体なぜ例の治安維持法などが「改正」されようとしているのか。治安維持法を名刀のように愛撫しているわが国の識者は、外でもない専ら、共産主義者がわが国の国体を変革しやしないかと云って心配しているのである。リベラリズムが台頭して来たと云って喜んでいる、わが国の「リベラリスト」達も、この点では全く同じことを心配しているに外ならないだろう。で、荒木陸相が流感に罹ったことによって、わが国のファッシズムは愈々円滑な軌道の上に乗り始めた。世間では、円滑なものだからウッカリ之をリベラリズムと呼んでいるのである。
(一九三四・四)
[#改段]


 スポーツマンシップとマネージャーシップ

   一、スポーツマンシップとマネージャーシップ

 デビスカップ戦に出場のため欧州遠征の途上にあった世界的庭球選手、早稲田大学商科学生、佐藤次郎氏がマラッカ海峡を航行中の箱根丸から突然行方不明となったが、自室から遺書が発見されたので覚悟の投身自殺を遂げたものだということが判った。
 遺書には理由らしいものは全く認めてなく単に僚友選手あての謝意と激励とが書き残されただけで、まだしかとした原因は判らないらしいが、何でも前日シンガポールに滞泊中一旦下船、帰国の決心をしたそうで、船長は極力それを勧めたのだが、シンガポール在住の邦人有力者達は是非行けというし、庭球協会からもどうしても行けという命令が来たので、遂々意を飜して再び船の上の人となったのだそうだ。月明りのマラッカ海峡が自分の最後を待っていることを、彼自身その時知っていたかいなかったか、それは想像の限りではない。
 彼は今度ですでに四度目のデビスカップ戦に行く処だった、現に昨年の秋デビスカップ戦を済まして帰って来たばかりだ。だから文部省の留学生のように郷愁に襲われるような柄ではない。けれども同行の西村選手からの電報によると、彼の脳中には何かある邪念が巣くっていてそれが彼をたまらなく不安にしていたらしい。タオルを鷲づかみにして額から両眼を何遍も何遍も拭きながら、そうした苦衷を同僚にもらしたというから、その懊悩の姿は眼に見えるようだ。何かの固定した恐迫観念が脳神経にコビリ付いていたのだろう。すでに昨秋帰朝した時以来、友人の語る処によると、数多の奇行が目立つので、友人は無論のこと、庭球協会の幹部中にも派遣反対の意見は強かったという。それがどういうわけか、恐らく当人自身も気分を転換するに好いと考えたかも知れぬ、箱根丸に乗って了ったのである。だが恐らく乗ってすぐに後悔し始めたことだろうと思うのだが。
 船の中での彼の懊悩を見て一等事物を公平に親切に考えたのは船長であったらしい。船長は先にも云ったように、帰国することを勧めた。処がシンガポールの邦人達はもっと虚栄心が強くて、日本人が勝つということが何につけ嬉しい植民地根性から、乗船を勧めたものだろう。そこへ庭球協会から、デ杯戦の基金募集がうまく行かぬと困るから是非行って呉れといって来た。庭球協会のこの勧め方は最も合理的であったようだ。併し庭球協会は一つの知識を欠いていた、もし佐藤選手が目的地に行くまでに自殺しないと、彼は必ずデ杯戦で惨敗するだろうという一つの正確な事実の知識を。そうした心理学だか生理学だかを最も好く知っていたのは不幸にして恐らく佐藤君その人に他ならなかったのだ。
 協会のこの無知に対して世間は可なりに不満の意を表している。血族や友愛関係にある人達は憤激さえしているらしい。協会葬にもして要らないという気持にさえなっているらしい。それに恐れてかどうか知らないが、或いは寧ろ之を利用してであろうが、関西支部出の協会幹部は総辞職して協会の心胆を寒からしめているようだ。関西支部が取った「責任」にはどれだけの純な所があるか一寸外から見ると疑わしいので、之で以てかねての協会改造の機会を造れると思ったのなら、単に佐藤君の死を上手に尤もらしく利用したわけになる。そうなら本部が庭球のために(?)佐藤選手を犠牲にして※(「りっしんべん+単」、第4水準2-12-55)らなかったものと五十歩百歩で、いずれもスポーツマンシップに相応した立派なマネージャーシップ(?)だとは云い兼ねる。
 だが、今日の所謂スポーツマンシップというものが、実は一向判っていない代物のようだ。ギリシアではスポーツは多分神々に見せて娯しませる儀式としての演技から始まったのだろうが、ローマ時代には支配階級の娯楽のためにスポーツ専門の奴隷が出来ていた。多少軍事的な意味や社会衛生的な目的もあったかも知れないが、どの場合にも主に、神様か人間かの区別があるだけで、とに角偉い存在の審美的な又は嗜虐的な娯楽のために、スポーツが存在したのだ。今日では神様はスポーツを好くか好かないかは知らないが、とに角明治神宮外苑などでスポーツを見る者は、時代の支配者どころではなく、中間的な存在だというサラリーマンが大部分である。だから支配関係は一見寧ろ逆で、英雄はスポーツマンの方であって、この英雄を崇拝するものの方がサラリーマンのファン達だというわけになっている。(相撲は国技だから、多分厳密なスポーツには這入らないだろうと思うが、その証拠には相撲ではひいきの旦那の方が関取に対していつも支配者だ。)そして日本ではスポーツマンの殆んど凡てが学生又は学生上りで、その点から云えば全くサラリーマンと共通の社会の出なのだが、この点は相当大切だ。現代のわが国のスポーツマンはサラリーマンにとって憧憬の的で、云わばスポーツマンになり損った卒業生がサラリーマンになっているようなものだ。
 だがこう云っても、所詮役者は役者に過ぎない。英雄と云っても人気商売の英雄はナポレオンでない限り本当の支配者ではあり得ない。それは英雄という役目を仰せつかった舞台の花形に過ぎない。丁度廓の太夫さんやサーカスの女王と同じにスポーツマンは一方に於て英雄でありながら、所詮サラリーマン達が手頼って生きている或る世界の弄びものに過ぎないのである。各種の体育協会は、この場合丁度楼主や座長のようなもので、そこから現代のマネージャーシップなるものが発生するのである。世間から一応大事にはされるが併しどこまでも娯楽用に利用されるだけだというのが、彼等選手達の宿命で、そこからあまり我儘も云えなければ自重もしなければならないというスポーツマンシップの約束が発生するわけで、この道徳を大切にする必要が選手自身の生活から云ってあるとすれば、時には選手は自身とこのスポーツマンシップとの間に板挾みにもなるだろう。その結果自殺する場合だっていくらでも想像出来るわけだ。
 独り運動選手には限らない。一切の人気稼業の者共は、文士であろうと女優であろうと今日ではこうしたスポーツマンシップを大切にしているし、又大切にしなくてはならぬ。そればかりではない、このスポーツマンシップのためならば、いつかは身を滅ぼすだろうだけの覚悟がなくてはなるまい。現代のマネージャーシップがそれを欲するのだ。

   二、賄賂から国民精神まで

 例の教育疑獄も一段落告げることになったそうである。もういい加減に一段落つげないと、四月の新学期初めの小学校人事異動には間に合うまい。で、既にこの間小学校長の大異動を見たからもう大丈夫そんなにあの疑獄は発展しないだろう。四月には第二次の大規模な人事移動が発表された。今度は収賄や贈賄の容疑者ではなくて(その方は今も云った通り一段落つげることにしたのだから)、ひそかに入学試験準備などをやっていた校長や訓導に手が廻るらしい。無論之は司法上の問題にはならないから、単に更迭されるという迄だ。
 とに角今度はよほど気をつけて、「正しい教員」だけにするか、それとももし正しくない教員が残っているならそれを「正しい教員」にたたき直さなければならぬ。で訓導教育は甚だ重大性を今の処帯びて来た。
 東京府では青山・豊島・女子・師範学校の卒業生が二日から就職することになったが、この就職ということが今の場合大問題である。別に就職難だからというのではない、ここでは士官学校と同じに就職難はまず存在しない、問題なのは就職の心掛けなのである。その心掛けは併し就職して了ってからでは多分間に合わないだろう。なぜというに、誰も初めから、就職したら収賄してやろうなどと思う者はあるまい。まして贈賄してやろうなどとは誰も思う筈はない。なる程金を溜めようと考えているものはいるかも知れないが、なるべくならば無理をしないで金にありつきたいという「純真」な気持を持たない者はあるまい。処が一旦就職すると仲々そうは云っていられないということが判って来る。だから就職して了ってからは、もうお説教しても間に合わない。就職の間際に良い心掛けを説教[#「説教」は底本では「説数」]しておくのが一等効き目があるわけだ。
 香坂府知事はそこで、三つの師範学校の卒業生四百六十八名を商工奨励館に集めて、集団的に辞令を交付する式を挙げることにした。之は辞令をなるべく出来るだけ厳粛に交付することによって、銘々の任務が並々ならず重大であるという気持を起こさせ、滅多には[#「滅多には」は底本では「減多には」]収賄も贈賄も出来ないぞという気にならせるためであるらしい。尤も香坂府知事自身が一時間も遅刻したことは、この厳粛な式の出鼻を挫いてケチをつけたわけだが、別にそう縁起を気にする必要もあるまい。
 この試みは非常に時宜に適したものであることは間違いないが、併しこれで見ると一体小学校の先生達は、その筋から大いに期待をされているのか、それとも甚だ不安がられているのか、一向判らないという人がいるかも知れない。それは全くそうで、賄賂を授受しそうであればこそああ云った式も必要だったのだから、従っていくらああいう式を挙げて見た処で、先生達は矢張、いつか賄賂を授受しなければ立ち行かない客観的情勢に立ち到るだろう。小学校教育行政組織やそれと裏表にあざなわれている師範教育の根本特色を訂正しない限り、先生方の「人格」も訂正出来ない。仮に師範学校を専門学校程度に直しても、それが「師範学校」教育である限り、他の点はとに角として、この賄賂の人格性に就いては、恐らく何の変化も齎らされないだろう。
 だが賄賂の問題は実は、小学校の先生の社会的使命から云えば、大した問題ではないのだ。それは高々府か県で心配すればいい問題で、国家乃至政府にとっては、もっともっと大きな問題があるのだ。先生の「人格」だって、教員の「正しさ」だって、そこまで行かなければ着眼点は低いというものである。でこの高い「国家」的な着眼点からいうと、小学校の先生達は、国家から何にも増して大きな最後の期待をかけられているのである。もし今日のわが国家が、この点に於て小学校の先生を疑い始めたら、それはもうわが国の厭世自殺を意味するのだ。
 そこで、堅実なる第二国民の養成を天職とする全国二十五万の小学校教員は、三万六千余名の代表者を送って、昭和聖代の御慶事 皇太子殿下の御降誕を奉祝し併せて忠君愛国の日本精神を昂揚して教育報国の誠を示す処の小学教員精神作興大会をば、神武天皇祭(四月三日午後二時)を期して宮城二重橋前広場で持つことになった。
 畏くも 天皇陛下は該式場に親臨あらせられ、御親閲を賜り、優渥な勅語を賜うた。之に対して文相斎藤総理大臣は奉答文を奏し、大会は決議に入って、一、「吾等は協心戮力国民道徳の為めに邁進し愈々国民精神を発揚して肇国の宏謨を国民教育の上に光輝あらしめむことを期す」、それから、二、「吾等は至誠一貫職分を楽み身を以て範を示し師表たるの本分を完うせむことを期す」ということに一決したのである。文相斎藤総理大臣は更に、「国体の本義に基き益々我が国民精神を作興し国本を培養して皇運を扶翼し奉るの特に急なるを」訓辞した。その次には一同は新宿御苑拝観の栄を賜り、四日には記念講演会が日比谷の公会堂や大隈講堂や日本青年館や青山会館で盛大に行われたのである。――位階勲等もない而も田舎の小学校の先生が、こういう常人には思いも及ばないような光栄と、大東京の真中のセンセーションとに値いするということは、小学校の先生達が、今のわが国家、社会からどれ程期待され信任されているかを物語るものではないか。
 こうした期待や信任に就いて不安があるからと云って、こういう式が行われたのでは断じてない。こうした期待や信任を宣布するためにこそこの式は行われたのだ。
 併し念には念を入れなければならない。小学校の先生達に対する国民精神教育の戦士としての絶対的な期待や信任はさることながら何しろ二十五万に余る先生達のことだから、賄賂の方はまあいいとして(之は「職分を楽しむ」ことに決議したから大抵大丈夫である)悪くすると一人や二人赤化教員などを出さないとも限らない。そこで東京府学務課では率先して、主として小学校の先生達を中心とする「思想問題研究会」を組織することにした。研究委員は府市学務当局を始め警視庁・裁判所・刑務所などから思想上の権威五十名を選んだもので、その哲学上の権威に於ては並ぶべきものはない。――ついでに云っておくが司法省の皆川次官の肝煎りで出来る研究会は主に経済学の権威ある研究をするらしく、転向した有名な某氏が研究主任で積極的に研究員を勧誘していると聞いている。
 文部省になると併しもっと用意周到である。文部省には学生部という特殊な存在があったが(国民精神文化研究所は確かこの管下だったと思う)それが今度思想局に昇格した。なぜ学生部が思想局に昇格したかというと、今後は学生並みに先生も取り締ろうとするからである。先生というのは無論小学校訓導から大学教授に到る迄を意味するので、だから文部省によると、小学校の先生も案外信用がないらしいということになる。之は先に云った国家による信任と期待とに一寸そぐわないようでもある。併し大学教授に較べたら、小学校の先生に対する文部省の信任と期待とは較べものにならない程大きいのだから、之は決して矛盾にはならない。
 で今に小学校の先生は、その信任と期待との徴しとして、他の学校や大学の先生より優先的に植民地のように、制服を着て剣をつるようになるかも知れぬ。大学教授にも剣をつらせていいのだが、それは、大学教授は「国民精神文化研究所」卒業の検定をとること、と云ったような規定を実施してからでもおそくない。一体大学教授に小学校の先生のように資格検定の制度がないということが、間違いの素だ。

   三、二つの問題

 わが日本帝国の製艦技術は世界の驚異だと聞いている。どうせ製艦技術と云えば軍の機密にぞくする部分が主要な点に相当するだろうから、同様に機密にぞくするだろう。外国の技術と明らさまに対比して示される筈はないから、結局噂の限度を出ない筈であるが、従って吾々は全く素人なりに、想像する他はないのだが、その吾々素人の想像によっても、わが国の製艦技術が、少くとも非常に優秀なものだろうという見当はつく理由があるのである。
 それはこういう理由からだ。わが国の科学や技術は、官公私の研究機関を通じて、恐らく世界的水準からそんなに降っているのではないようである。而もそれは極めて切りつめられた殆んど致命的な少額の研究費で維持されている研究なのである。処が陸海軍になると研究費は桁はずれて豊富であるらしい。無論決して夫で充分だとは云えないにしても大学や他の研究所に較べたら研究は極めて自由だと見ていい。これ程自由な物質的条件にあると同時に、多分特に海軍では人的に優秀な技能を選択し蓄積していると見ていい。聞く処によると明治初年の技術家や数学者の主な者はどれも海軍軍人だったそうだ。で吾々は日本海軍の製艦技術の優秀性を仮定してもいいように思えるのである。之は日本民族の優秀性というような神話的な問題ではないのだから。
 処が水雷艇「友鶴」が顛覆したのは、査問会の議論によると、操縦及び艇内の水防等に原因があるのではなくて、波浪による傾斜に対抗するだけの復原力が不足だったのに基くということが明らかになった。要するにこの新型水雷艇は、設計上根本的な弱点を持っていたというのである。
 友鶴はロンドン条約の欠陥を補うための補充計画により、制限外の補助艦の一種として造られたもので、従ってそれに対する作戦上の要求に多少の無理があったろうというような想像も出来るわけだが、とに角すでに服役中の同型艇三隻は早速改造されねばならず、第二次補充計画にぞくする未建造十六隻の水雷艇の設計も根本的に立て直さねばならぬということになり、海軍では新たに調査会を組織して対策を練ることに決定したということである。
 一方に於て設計上の責任問題も当然起きるわけで、特に顛覆当時艇長以下二百名の将兵を失っている処から、問題は極めて重大であるが、それはいずれ軍法に照して処置するものは処置するだろう。何にせよ優秀な製艦技術を誇るわが軍部としては、之は国民に顔向けならない事件だということを、深く記憶しなければなるまい。
 鳩山文相を明鏡止水の心境から辞職の決意にまで追いこんだ岡本一巳代議士は、勢いに任せて今度は小山法相の収賄問題というのを持ち出した。併し之は明らかに図に乗り過ぎて早まったという形であるように見える。というのは、本当を云うと鳩山文相が辞職したのは、決して岡本一巳氏による「暴露」などと関係があったのではない。その証拠には岡本代議士は懲罰委員会から、衆議院の登院を禁止されたのを見ても判る。その理由は、岡本氏が軽卒にもありもしない鳩山文相の不正を「暴露」したからに他ならない。だのに岡本氏は自分の云ったことが本当だったもので、鳩山は文相を罷めなければならなくなったのだと思い込んで了ったのである。で今度は、その調子で、小山松吉氏をも罷めさせてやろうと考えて憲兵隊へ訴えて出た。処が都合の悪いことには小山氏は司法大臣の職にあるので、事件は交渉の上憲兵隊から検事局に廻されて、岡本氏はどうやら逆にひねり上げられそうになって来たのである。
 小山法相(当時の検事総長)を饗応したという待合「鯉住」は、小山起三氏という弁護士の行きつけている処で、木内検事の取り調べの漸定的な結果によれば、饗応されたのは法相ではなくてこの弁護士だそうである。即ち岡本代議士は途方もなくあわてたもので、スッカリ人違いをして了ったわけだ。――だがいくら何でも時の検事総長と一弁護士とを単に名前が同じで而もあり振れた小山という名だというだけで、人違いをするのは、あまりと云えばあまりだと思っていると、岡本氏が証人として挙げている「鯉住」の女将お鯉さんが、憲兵隊へわざわざ自分から出頭して確かに検事総長の小山さんに違いないと申し出たのである。
 そこで検事局ではお鯉さんと弁護士の[#「弁護士の」は底本では「辞護士の」]方の小山氏とを対質させて見ると、弁護士は「私が鯉住へ云った」と云い、之に対してお鯉さんは「あなたは来なかった」というので、一向埒があかない。そこで、どうもお鯉さんが嘘をついているらしいと云うので、宣誓させてもう一遍テストすると、矢張小山検事総長に違いないというので、遂々検事局は、お鯉さんを偽証罪で告発し、市カ谷刑務所に収容して了ったわけである。
 お鯉さんと岡本代議士との背後には黒幕があって、それが二人を操っているという、検事局の見込みらしい。それに関係して某代議士も召喚されるかも知れないという。なる程そういうことも大いにありそうなことだ。だがお鯉さんはかつては数多の高位顕官を手玉に取った桂公の愛妾だ。老いたりと雖もメッタな嘘はつくものではないだろう。嘘をついたとすれば多分相当大きな意味を持つ嘘だろう。ただお鯉さんは何と云っても高が待合の一女将に過ぎないのだから、この大きな意味のある嘘を、「本当」にまで組織するだけの条件が欠けていたばかりに、有態に嘘つきの罪名を被せられる浮目を見なければならなかった迄だろう。
 検事局の取調べ中の事件に就いて、とや角云うことは無意味なことだし、又恐らく邪魔にもなるだろうから、深く立ち入って想像を廻らすことなどは慎まなければならないが、併し新聞を読み合わせて見てどうも判らない一点は、小山弁護士とお鯉さんとの対質で、なぜお鯉さんの方が嘘つきで小山弁護士の方が本音を吐いていると判ったかである。無論検事局ではその点ぬかりはない筈だが、新聞の上ではどうもその点がはっきりしない。で世間ではこんなようにこの関係を解釈出来やしないかと云っている者さえもいるのである。それは、小山弁護士もお鯉さんも別に嘘をついているのではなく、両方とも少しずつ思い誤りから出発しているので、特にお鯉さんは誰か小山検事総長の兄弟か何かで法相に非常に能く似た人が検事総長の名を騙ったのを、ウッカリ本物と思い込んで了ったのではないか、と。それならお鯉さんは少くとも嘘つきの悪名だけは雪げるわけである。(一九三四・四)
(一九三四・五)
[#改段]


 失望したハチ公

   一、失望したハチ公

 雨の日も風の日も、死んだ主人にお伴をした習慣のままに、渋谷の駅頭に現われるハチ公である。彼は今では全くの宿なしで、大分老耗したルンペンだったが、外に行く処は別にないし、それに習慣というものは恐ろしいもので、周囲の事情がどう変ろうとも、渋谷駅の方に足が向く古い癖は決して直ろうとはしない。だが彼はこの牢として抜くべからざる奴隷的な陋習のおかげで、渋谷の駅頭ではすっかり縄張りが出来上り、顔なじみも段々殖えて、自分のルンペン振りもどうやら職業化して来たことを感じるようになったのである。
 初めは嫌な顔をして見せた駅夫達も、彼の「顔」が相当売れ始めたのを知ると、時々お世辞などを云って接近しようと企てる者さえ出て来る。特に彼が駅長の注目を惹くようになってからは、彼は云わば駅に於ける公民権を得たようなもので、前よりも一層有利な条件で以て自由に自己宣伝も出来るようになった。力めて栄養も取るように心掛け始めたので、見目形も少しは好くなって、それだけ益々有利に事情は展開するようになって来たのである。
 で遂に彼は忠義者のハチ公として、名高いハチ公として、売り出すことになって了った。実は自分でも初めはこう人気が出るとは思わなかったのに、世間は案外なもので、彼は今では押しも押されもしない街の名士になり上って了った。それで彼の処にはこの間から、新聞に書いてやろうの、写真を呉れのと、ジャーナリストが盛んに訪問して来る。俺も偉くなったものだな、と彼は何かくすぐったいような嬉しさを感じるのである。もしも主人が死ななかったら、俺もあんなに落ぶれずに済んだわけだが、併しその代りにこんなに偉くなる機会も掴めなかっただろうから、何が幸になるか判らないものだ、とつくづく考えられる日が幾日も続いた。
 処が四月の二十一日である。彼は自分が何とも知れぬ気味の悪い紅白の布を首から背中にかけられているのを発見して、スッカリ不愉快になって了った。自分の好まない衣類を着せられる程、自分を惨めに感じることはないので、彼はひどく不安そうにウロウロしないではいられなくなった。ひょっとすると自分は英雄になったのかも知れない、或いは神様に之から祭られるのかも知れない、それでこんな特別な着物を着なければならぬのかも知れないとも考えられたが、併し反対に、自分が今決死隊か何かで、又死刑囚か何かで、それとも又祭壇に捧げられる犠牲か何かで、皆んが[#「皆んが」はママ]責任を自分になすりつけるために、自分を飾り立てているのではないかしら、という心配もしないではいられなくなって来た。
 大人や小供が身動きの出来ないように列車のホームに押しかけて来た。顔馴染の人もいたが、全く見知り合いのない弥次馬風の人間も多い。愈々自分がどうにかされるのだなと覚悟を決めざるを得なくなった。処が突然ある紳士が皆の前に押し分けて出て来て、何か挨拶を始めた。それから神主が何のためか知らないが祝詞を上げた。それが終ると渋谷の駅長さんが又何か喋った。けれどもこの時からハチ公に不思議に思えてならないのは、皆んなの注目の的が、自分よりも他の何かのものに移って了っているらしいということだった。とそう思っていると十歳ばかりになった女の児が出て来て、眼の前につるしてあった、彼が着せられたと同じ紅白の幕を引き降ろすのであったが、増々皆んなはその方にばかり瞳を集めていて、ハチ公のことはもうスッカリ忘れて了っているように見えるのであった。
 彼が驚いたことには、幕が降りて現われたものは彼自身の銅像だったのである。皆んなは一緒にこの銅像に向って歓呼した。それがすむと本人のハチ公が銅像の側に引っぱり出された。そしてもう一遍皆んなが歓呼した。併し皆んなの瞳が集められているのは彼の銅像に対してであって、決してハチ公に向ってではない。
 ハチ公はつき落されたような失望と屈辱とを一遍に感じた。観衆の対手にしているのは彼ではなくて、彼よりもずっと大きくて立派な彼の銅像だったのだ。この銅像が出来ればもう自分はいらないものだとすると、ひょっとして自分は殺されるのではないかという不安さえが、急に彼を襲い始めた。彼は急いで駅の外へ飛び出した。するとそこで自分のブロマイドやハチ公煎餅やハチ公チョコレートというものを売っているのに出会した。処が今日は子供達までがハチ公などに見向きもしないで、このハチ公煎餅やハチ公チョコレートに気を取られている。
 ハチ公は自分が何か魂を搾取される手術でも受けたように、自分と自分の持っている意味とが、メリメリと引き離されるような身慄いを全身に感じた。すると夫と一緒に、例の主人のお伴をした時以来の、渋谷駅に足が向くという、どうしても癒らなかった奴隷的な陋習が、一遍に身体から抜き取られたような気がし出した。彼は渋谷駅など、満腹の時に御馳走の相談を受けた時のように、バカバカしい存在であることを発見したのである。
 後で判ったことによると、ハチ公が弥次馬だと思った大人達は、文部省や外務省や、又鉄道省やのお役人達だったということだ。鉄道省のお役人は駅のホームでハチ公の銅像の除幕式を挙げるのだからやって来たのだし、外務省のお役人は除幕式の光景をトーキーにして外国人に拝ませてやるために来たのだそうだ。文部省のお役人は恐らく、ハチ公の銅像がどの位い忠義な形をしているかを調査に来たのだろう。
 話は別であるが、司法省の皆川次官が「大孝塾」という「忠孝」の研究所を作った経緯は面白い。ある共産党の被告の一人が取調の係官に忠孝の道の尊いことを説かれて、「お話はよく判りました、併し何故忠孝の道が尊いか、その根拠を教えて下さい、なる程と得心が行けば今日ただ今からでも忠孝のために生死致します、と詰められて答えるところを知らなかった」ので、そこで忠孝研究所が出来たのだそうである。研究主任格の某君と某君との今後の努力に俟たなければならないけれども、併し両君もただ研究しているだけで、之を実践躬行するのでなければ、銅像などは立てて呉れないものと覚悟しなければならないだろう。一体この頃は銅像が仲々流行って、犬養木堂翁のも出来上ったし、鈴木喜三郎氏の銅像も除幕式が行われた。それからチャップリンの「街の灯」も銅像の除幕式から始まっている。尤もこの映画の除幕式では、貴顕紳士淑女の演説が、甚だ不敬にも、ピーピーパーパーという発音をするのであるが。

   二、体育派とスポーツ派

 問題は四月九日から上海で開かれた日支比三国の第十回極東選手権大会円卓会議に始まる。その前に予めマニラへ派遣されていた山本忠興博士等は、フィリッピン体育協会代表から、日本が上海円卓会議で満州国代表選手を出場せしめる動議を提出する際、之に協力するという言質を、予め開かれたマニラ会議の席上で得たものだと思い込んで、之を大日本体育協会に報告しておいた。処がいざ上海円卓会議になって見ると、フィリッピンは突然、非公式にではあるが、日本の該提案に対して反対を唱えて、要するに支那側に寝がえりを打って了ったのである。問題はここから起きる。
 フィリッピン代表タン教授に由ると、かつてインド選手が参加出場したのは、体育協会会議に於て会員の賛同を得た結果であったのだから、満州国選手の参加出場にも亦支那の賛同が必要だということになって来たのである。大会の所謂憲法はそういう風に解釈されねばならぬというのである。
 之を聞いた大日本体育協会はフィリッピンがマニラに於ける約束を無視した背信の非を鳴して、フィリッピン遠征を中止すべしとなし、その準備を止めて了い、大会不参加の旨をフィリッピン体育協会に打電して了った。処が上海にいた山本博士(代表)は、日本側のこの憤慨が、マニラの約束に就いての誤解から来るもので、この約束は決して公式なものではなかったことをよく理解していない処から来るのだとして、山本代表自身がフィリッピンに対して、日本体協の該電報の留保方を打電したのである。そうなると当然体協と山本代表との対立になるわけで、体協は山本代表に対して、問題の電報の留保の又留保方を、即ち前通り不参加だという打電を、命じた。山本博士はこの命令に従って、比島側に対して体協の抗議文に対する返事を促して、帰国の途に就いた。
 処が日本の体協は突然今度は「大国の襟度」を示して、第十回極東大会参加に決し、その旨フィリッピンに通告し、満州国体協には慰撫の文書を手交して、声明書を発することにした。そこで憤激したのは満州側であって、約束によれば最悪の場合には又相談しようという筈だったのに、相談もしないで勝手に一方的に参加を声明するのは怪しからんと云い出す。日本側は、あの約束は非公式だったのだから背信ではないとつっぱる。満州国体協東京委員会の藤森代表(この日本人は満州国側の代表者だと見える)は、現幹部の下に立つ限りの大日本体育協会とは、一切の関係を断つ旨を声明し、大いに山本博士に[#「山本博士に」は底本では「山本博土に」]同情を表してさえいる。どうやら山本博士は[#「山本博士は」は底本では「山本博土は」]満州側らしい。之に対して今度は体協側から満州側の誤解を指摘する番になって来て、例によって、私的意見を公的意見と思い誤ったのが満州側の誤解なのだと体協側は主張している。
 で結局日本体協は大会参加に決定して了ったわけで、もう問題は片づいたかと思うと、実は之から本当の「問題」が始まるのである。まず真先に出て来るのは、相不変現役少壮将校団だ。陸軍戸山学校の将校達が中心で、大きな背景を持つ某会が、参加絶対反対の決議をしたという噂が発生した。戸山学校長は、例の林陸相の立前を顧慮してであろうか、軍人はスポーツに断じて干渉するものではないのだから、そういう噂は至極迷惑だと発表した。
 だが、××が一旦云い出したことは仲々よく世間で受け容れるものと見えて、早大の競争部の主将西田選手が、急に参加辞退を声明したのである。甚だそうありそうなことで大して独創的な着眼ではないが、皮切りは皮切りに違いない。山本博士は早稲田の教授だから、一体に早稲田は満州側である。でこの選手によると体協側の態度には非スポーツ的なものがあり、上海円卓会議も政治問題として逆用されているから、「純スポーツ的」な立場から云って、参加する気がしない、というのである。
 そこで明大体育部も早稲田の真似をして不参加を決議する。文理大でも選手に「熟慮」を促す(尤も文理大当局によると之はデマだそうだが併し至極尤もらしいデマだと云わねばなるまい)。慶応競争部も亦不参加を決議する。どれも多分「純スポーツ的」立場からに違いないだろう。
 処が中央大学の先輩団はどう思ってか、自分の大学の選手に対して、敢然参加せよと打電したものである、あくまで「運動家としての責任」を尽せ、と云うのである。それに実は明大選手達などはなぜかひそかに出場を希望している。――で、どうもこの方がスポーツマンとして純真であるような気がしてならないと思っている矢先、突然、甲子園にいる参加傾向のある五人の陸上選手が、十数名の暴漢に襲われて、棍棒で殴打されて血を流したという不祥事件が発生したのである。無論右翼の×××の仕業で、「×××」の仕事なのだが事件が展開して行くに従って役者は銘々その正体を暴露して来るものであって、どっちが本当に「純スポーツ的」な立場かということが之で判りかけたかと思っていると、先に軍人とスポーツは無関係だと云って噂を迷惑がっていた戸山学校は今度は、例の将校団の決意を裏書きしながら、「国家を離れてスポーツなし」という新らしい発見を発表した。でこれから先は「純スポーツ的」なものには少くとも二種類あるということを忘れてはならぬ。
「我国の体育は皇国の大国是に基き、皇道精神の涵養を第一義として実施さるべきなり、陸軍戸山学校はこの大方針に基き国民体育を一層健実ならしむるため寄与する処あるを期す。」之が戸山学校の主張である。なる程戸山学校式な体操や銃剣術はそうだろう。けれどもわが国にはレッキとした体育の権威があることを忘れてはならぬ。高等師範を有っている文部省というものがあるのだ。そこで文部省は満州派の戸山学校に対して、反満州派を代表して、体協支持の声明を出すことにしようとしたが、併し流石にそれはこの際穏当でないというので、次官談の形式で遠慮がちに小さい声で声明することに決した。こうして陸上選手は一致出場に一応決意したのである。無論他の選手達は、盛んに不参加を声明して満州派振りを見せている。
 処が又々××××棍棒を持った壮漢が甲子園のスポーツマン・ホテルに殴り込みをやり、某選手などおかげで足首を挫いて了うという事件が発生した。××××を第一とする「純な」スポーツが何であるかは再び之でも判るようなものだが、今度は別に戸山学校も声明書を発表してはいない。とに角こうした弾圧の下に、反満州派の選手一行は平洋丸に乗り込み、今頃はどうやら危険区域は脱出したように見えた。尤も途中下関で上陸して練習をする筈であったが、警察当局の忠告に従って、それも止めにしたそうである。とに角日本を離れない限り、スポーツマンは命が危い。
 明大の木下総長は強硬な強硬派なので、説得使を門司にまでも走らせて、選手に不参加を説得した上、それで聴かなければ、学校の意思に従わぬものとして選手を停学処分にする積りだそうである。尤も之は棍棒で殴られたり何かするのに較べれば、ズッと割がいいが、併し日本には随分変な大学もあるものだ。事実すでに明大体育会は、五人の選手を除名処分に付したのである。早稲田・慶応・明治の競争部は、関東学生陸上競技連盟の意向に反して満州派なので、まず早稲田がこの連盟を脱退し、やがて慶応・明治も之に続くという話しだ。この学連の会長が例の山本忠興博士だったのだが、博士は満州派だったから、当然会長を辞任することになった。
 極東選手大会第十回大会満州国代表参加問題の歴史は、大体以上のようなものであるが、ここまで来ると読者は純正なスポーツに別々な二つの種類があるという結論に到達することと思う。だが一体、体育とスポーツとを混同するということが抑々の間違いの元で、実はスポーツの内に二種類あるのではなくて、本当はスポーツと体育との二種類があるに他ならない。大会に不参加を決意した例の選手達はだから、体育家ではあっても、決してスポーツマンではなかったのだ。――体育協会も、戸山学校も、文部省も、この点をもう少しハッキリさせる必要があるだろう。

   三、血液と制度との混線

 東本願寺では去る十四日、第二十五世法嗣光養麿君の得度式を行った、がそれは極めて画期的な意味のある得度式であったらしい。
 光養麿の祖父である大谷句仏氏は今は僧籍を剥脱されて一介の俗人に過ぎないのだが、それがこの得度式に前法主として出席しようと主張するのに対して、院内局側は之を阻止しようとするので、前日の十三日には十二時間にも渉る交渉をやったのだが、遂に妥協点を見出すことが出来ず、物分れとなったので、句仏氏が翌日の式場に乗り込んで来るだろうということは皆が予想していたことである。
 句仏側に云わせると、たとい僧籍はなくても光養麿の本当の祖父で且つ前法主である身である以上、得度式に出席するということは当然のことであり、それに、得度式に必要な立会人である証誠は前法主でなければならないように宗規によって決っているのだから、自分は列席する義務さえあるのだ、というのである。之に反して内局側は、たとえ前法主と雖も僧籍にないものが得度の厳儀に列席することは愛山護法のためから云って絶対に不可能であり、況して証誠のような責任を之に振りあてるなどは以ての外だ、という理窟である。
 仲裁者は、句仏氏に得度式の出席を見合わせて貰い、その代りに句仏氏の僧籍を復活し、そして僧籍復活の責任は現内局が取って、内局が引責辞職するようにしたらばどうか、と持ちかけたが、句仏氏は頑として承知しなかったということだ。
 さて愈々得度式の当日になると、果して句仏氏は前法主の法衣を身に纒うて、推参したという事件である。之を押し止めた僧侶達と押し合いへし合いしている間に、ある役員は句仏氏の中啓で頭を三遍もたたかれたかと見ている内に、句仏氏はコロリと転んで了ったという話しである。元来句仏氏は足が良くなかった。
 やがて東京にいる句仏氏の親戚は[#「親戚は」は底本では「親威は」]「句仏氏重態」の電報を受け取り、句仏氏の方では自分の行動を妨害した三重役を、傷害と礼拝妨害との廉で告訴すると云って怒っているそうである。句仏氏を転がして軽微な狭心症を起こさせた当の責任者になるわけである阿部宗務院総長は、それで辞職を決意したとかいうことだ。
 一体本願寺では法主の子供が法主になることになってるらしいから、法主の息子として産れたというが、それだけですでに非常にすばらしいことでなければならぬ。その息子が法主になっていようがいまいが、彼には自然的な或いは寧ろ偶然的な、絶対価値がある筈だ。生物的な関係がそこに実在してるのだから、之を疑ったり何かすることは出来ない。従って逆に、法主の親は前の法主であったことが当り前で、たとえこの前法主がどんなことをしようとしまいと、法主の正統な親であったという自然的な絶対価値に変りはない筈だ。彼が何をしたかということがここでは問題ではないので、彼が何の生れであるかということが、総てのことを決定するものでなくてはならぬ。
 だから前法主、即ち現法主の正統な父親が、仮にどんな困った男であったにしろ、之から僧籍を剥脱するということは無意味であって、仮に之から僧籍を剥脱して見ても、前法主としての生物的な絶対的関係に何の関わりもあり得ないことだ。僧籍は之を与えたり剥ぎ取ったりすることが出来るとしても、この僧籍が権威を生じる源は何かというと、それは他ならぬ例の生物的な血の続き合いなのだから、そしてその血を他にして法主の絶対性はなかったのだから、この血に立脚して初めて意味のある前法主から、その派生物である僧籍を剥脱するということは、丁度熱を下せば病気が治るというような考え方で、本末を顛倒していはしないかと思う。
 前法主から僧籍を剥脱するということ自身が、法主が血統に立脚しているという証拠に矛盾するのだ。
 大谷句仏氏は恐らく、その血の力によって、本能的にこういう推理を身につけるのであり、従って又本能的に、本願寺内局の自分に対する僧籍剥脱の矛盾を感じているものだから、それで一見理窟の通らない、ああした目茶な行動を取るのだろう。実際、大谷家の血統の神聖さにしか基いていない筈の本願寺の内局が、大谷家の血統にぞくする法主に就いて、その僧俗を是非するなどは、全く滑稽な矛盾だろうか。
 こういう矛盾は今日の社会では容易にゴマ化されるように出来ていて、従って面倒なものだから世間ではあまり本気になって穿鑿しないのだが、世の中が段々末世になって、句仏上人のような俗物的な宗教離れのした宗教家業の子孫が産れて来ると、この変な制度に対する血液の不平が、色々の形で爆発するようになって来る。それで句仏氏は孫の得度式に、その血統の正義から云って、正に「前法主」として、出席を要求したり何かして、法燈に嵐を吹きつけることにもなるのである。
 ――だからどうも、内局で官僚的な手腕を振ってぬけ目のない僧侶達よりも、句仏氏の方に遥かに真理があるのであって、倒錯した環境では、真理のあるものの方が、いつも評判の悪い方に廻されるのが、末世の常であるようだ。
 血液と制度との結合から来る凡ゆる混乱や矛盾は何も東大谷家に限ったことではない。これによって制度は制度としての運用の途を誤り、血液は血液としての自然を傷けられる。一方に於て客観的な事物の関係を不合理にすると共に、他方に於て人間の人間らしさが失われる。こういう関係は今に、例えば親が子を可愛がることが、大変珍らしい不思議な、従って奨励すべき得がたい模範ででもあるような風に考えられるようにさえなるかも知れない。人間もそうなってはお終いだ。(一九三四・五)
(一九三四・六)
[#改段]


 武部学長・投書・メリケン

   一、武部学長

 日本教育新聞社長、西崎某なる人物を相手取って、文部省普通学務局長武部欽一氏が、謝罪要求の訴訟を提起した。『日本教育新聞』で「断乎武部打倒」を論じたからである。西崎某の検事調書によると、彼が一年程前に、社会教育局長関屋竜吉氏の許へ行くと、局長は、「武部が五十や百の金を出すと云っても妥協してはいけない、その位いの金なら私が出してやる」と云って、武部打倒の例の記事を書くように勧めたということである。あとで西崎は関屋局長から、多分謝礼としてだろう、二、三十円の金を貰って口止めをされたというのである。
 事件の真偽の程は判らないが、そして天下の文部省の局長が教育新聞社長などに恐喝されるのも意外だし、二、三十円でこの社長を買収したのも相当滑稽だが、併しとに角一方では武部他方では関屋の、省内に於ける深刻な暗闘がこの事件によって表面に出たわけで、更に関屋局長の背後には粟屋次官が控えているそうだということは、被告側の例の社長が粟屋次官を訟人として申請していることでも判るし、又最近粟屋次官の辞職説さえ出ていることからでも、見当がつくようだ。併し噂によると文部省のあの種類の暗闘は、古くからの伝統であって、何も驚くことはないそうである。
 大蔵省には黒田閥というのがあったそうだがそれが今度の××問題で動揺し始めて、大臣や内閣は青息吐息だが、世間では却って省内の事情に関して思わぬ知識をこの事件から提供されたので面白がっているようだ。大蔵省に較べれば仕事がズッと乏しくて、そしてズッと観念論的でお説教的な内容に富んでいる文部省では、益々閥や私党の対立が暇つぶしとしても必要かも知れない。官吏のウダツが上らず、最近までは、逓信省などに於ける放送協会などのような古手官吏の捨場もない、沈澱官吏の溜りである文部省にして見れば、例えば関屋閥というようなものがあったにしろ、少しも不思議ではないのである。そこへ内務官吏型の武部が登場して来たとすれば、衝突は先天的に必然的だろう。
 暗闘にどっちが善いも悪いもないかも知れない。訴訟事件に現われた限りでは関屋局長の方が不利なようだが、それは偶々そういう暴露が思いがけない天災のように落下して来たからに過ぎないので、之で烏の雌雄は決りはしない。だから当然「喧嘩両成敗」ということになる。まず関屋社会教育局長は、日本精神文化研究所員となり、そこの所長となることになった。
 文部省の古手官吏には捨場はないと云ったが、古手官吏の捨場はなくても、不良官吏の捨場は出来ているわけだ。日本精神文化研究所というのは今度出来た思想局の伊東局長が勢力扶植のための予算取りと、鳩山文相の議会に於ける答弁用とに造ったものだとさえ云われているが、名前は研究所でも之は必ずしも研究をする処ではない。少くとも日本精神文化などを真面目に研究する処ではないようである。その証拠には、今まで多数の有名な学者に所長になることを頼んだが、どれもハネツケられたり注文に合わなくて立ち消えになったりしている。研究機関ではなくて良く云えば教悔機関、悪く云えば思想警察機関なのである。この頃では各府県庁に支所めいたものが置かれているので、どこにどういう怪しげな先生がいるかは、掌を指すように判っているということだが、要するに研究と云えばそうした「研究」をする役所であって、少くとも日本精神文化を研究する処ではない。
 関屋旧局長が教育行政に就いてどんなに博学であろうとも到底日本精神文化の研究者の代表的な学者とは世間で認めないだろうが、別に研究家でなくても研究所員になれる「研究所」なのだから、この点不思議はないのである。だが文部省内に置いておけないような札付きの官吏だからして、ここの所長に最も適任だということは、どうも少し不思議な推論ではないかと思う。他のものはとに角、「思想」に限って不良官吏によって最もよく善導出来るのだとすると、善導の「善」という言葉には余程妙な、世間の道徳意識では一寸理解し兼ねる特別な意味があるのかも知れない。
 だがどの途お役所のお役人のことであるから、世間の普通の文化水準から見るのでは見当違いになるかも知れないと思っていると、今度は文部省は相手方のもう一人の「不良」官吏を田舎の大学の学長にすることに決めたということである。では矢張吾々は世間並みの文化水準から物を見、物を云わざるを得なくなる。例の武部普通学務局長は一躍広島文理科大学学長にまで昇格して左遷されたのである。一体帝大や官立大学の総長や学長は官等は局長などより上かも知れないが、余程の例外でない限り、局長級の呼び出しで文部省へ出頭して、局長級に軽く顎であしらわれるのが習慣になっている。今や武部局長はこうした不名誉極まる栄転を余儀なくされているらしい。
 無論武部局長は容易に広島赴任を肯んじない。そればかりではない、広島文理科大学自身が武部氏は御免蒙るというわけである。従来総長や学長は大学自身が推薦する人物を文部省が任命する習慣なのだから、文部省天下りの学長は困るという建前である。前から辞意を洩していた吉田学長も上京すれば、学生代表も上京して、文部省当局や武部氏自身と折衝を重ねたが、武部局長自身は寧ろ広島大学側の主張に賛成なわけで、両者が一致して文部省に当るという奇観を呈している。処が最近文部大臣と文部次官とは遂々武部局長を広島赴任ということに説得し得たというので、広島大学の反対を断乎として斥けて、武部学長を送ると号しているのである。大学にして見れば、文部省に置いて困るから学長にして送ってやるというのでは、全く腹の立つことだろう。
 処が学生代表の声明書なるものを見ると、「昨春の学生大会は、わが文理科大学の後任学長として西晋一郎博士を最適任と信じ吾等は是が実現の一日も速かならんことを熱望すと決議し、……実に西博士は創立以来わが学園のもつ我等が指標にして畏くも教育者に賜りたる勅語の『健全ナル国民ノ養成ハ一ニ師表タル者ノ徳化ニ俟ツ』と仰せられたる御聖旨に副い奉るもの、……西博士をわが学園の後任学長に任じて真に国民道徳顕現の源宗たらしめんことをねがう」、という如何にも師範学校らしい内容のものである。でここに完全に教育勅語的な文学博士西晋一郎教授という存在が横わたっているということが、新しくつけ加えなければならない条件となるのである。――だがこうなって来ると、話しはおのずから別になる。問題は西氏の「人格」と西人格の一群の崇拝者のミュトス(神話)とに帰着するのであって、文部省のやり口の不合理性とはあまり関係のないことになる。
 問題はただ、文部省内部に於ける対立が、広島文理科大学に於ける、西閥(西教授の意志に反すると否とに関係なく)と反西閥との対立とが、偶々武部学長(?)を機縁として相応したまでであって、おかげで武部氏は如何にも反教育勅語的な人格に見立てられそうな破目に陥ったというだけである。日本精神文化研究所にだって、紀平正美博士が控えている。だがどういうわけか、紀平氏を押し立てて関屋所長赴任反対を唱えた所員の存在を見ない。だから不合理な点は、文部省の方針自身の不合理性にあるのではないらしく却って西博士の存在の不合理性にあるとさえ云えることになるかも知れない。否、文部省も文理科大学も日本精神文化研究所も、実は一つの方針の下に立っている、西晋一郎博士だけがこの方針とは別な存在だと考える処に、師範生の「純真」な錯覚があるのだ。
 例の声明書をもし本当に真面目に取っているのならば、敵は正に本能寺にありと云わねばならぬ。苟くも人類を教育しようと欲する処の大学やそこの学生は、本当に自由であるべきだ。そうでないと今度のように一文部省などから馬鹿にされるのである。

   二、投書

 陸軍当局は云っている、「金持の伜なら柔道何段という体格を持ちながら徴兵検査も受けずにブラブラしているし、小作人の伜だけが兵隊にとられるのは面白くない、という投書が頻々と舞いこんで来る有様である」と(東京日日五月二十三日付)。そこで陸軍では不就学の大学生約三百名を徴兵忌避で[#「徴兵忌避で」は底本では「懲兵忌避で」]告発する方針だと云うことである。
 内訳は日大七四、中大五〇、明大四八、法大二六、早大二六、慶大二四、関大一九、立大一六、東大一三、計二九六名だと伝えられる。単に徴兵を延期することが目的で大学に籍を置いている者は兵役の一部分を免れんとするもので立派に兵役の忌避であり、彼等が教室に顔を出さないのがその徴標と見做されるというわけである。
 だが問題は実際上はそんなに簡単には片づかないらしい。東朝や東日の投書欄によると、高等学校を卒業しても帝大や其他の大学に這入れないものが年々数千名にも上るが、そこで兵隊に採られては今後の学生生活にスッカリ、ブレーキをかけられることになるので、夫を避けるために、入学試験勉強期間中私立大学などに籍を置くのだから、之は相当同情されるべきものだ、というのが第一の種類の抗議である。第二には、出欠を取らない大学でどうやって就学不就学を決定出来るか、教室へ出なくても立派に勉強出来るということも考えて見なければいけない、というのがもう一と種類の抗議である。
 尤も陸軍では学生自身よりも、徴兵延期を看板にして入学者を吸引しようとしている私立営業大学を懲しめようとするものらしいのだが、もしそうならば学生は随分割の悪い道具に使われるわけだ。それに之が農民に対する一種のコンペンセーションとして行われるならば、学生は増々割の悪い道具になるわけである。無論この際損をする学生はどうせロクな学生ではないのだが。
 だが能く考えて見ると、別に学問や勉強だけが特に神聖なものでもなければ、特にそれだけが中断すると困るものでもない筈だ。農民の生活だって一年半なり二年なり中断すればそれだけ後の生活には支障を来たすし、労働者は又就職口の探し直おしをしなければなるまい。それに、研究が神聖で労働が不神聖だということもあるまい。否労働こそ神聖でなければならないのだ。だから卓越した日本の天才的な労働者達は外国の労働者などよりもズット長い最少労働時間を約束しているのだ。日本の製品が海外に勇飛して諸外国の羨望の[#「羨望の」は底本では「※[#「義」の「我」に代えて「次」、159-下-24]望の」]的になっているのも此労働の神聖さをよく吾々日本国民が自覚しているからなのだ。で何も学問や勉強をする学生だけが、徴兵上の特権に与かる理由はない筈である。もしいつまでも親の脛を噛って学問や勉強を続けて行けるということが社会の一種の特権階級の特権であるが故に徴兵上も亦そうした特権が必要だというなら、夫は由々しき社会の欠陥を合理化するものでなくてはなるまい。
 それに、大学に籍を置いて毎日教室へ出席している学生であっても、必ずしも学問や勉強をやっていると思ってはならない。まして彼等がそういう意志を有っているなどと決めてかかることは気が早や過ぎる。実はこんな楽な面白い生活はないのだから、大体之は一種の娯楽である場合が少くないのだ。少くとも学生という資格を有っている間は、大威張りで親から金も貰えるし、世間でも一人前の、いや一人前以上の人間として通用する。もしこうした特権に相応すべく、徴兵延期の特典が与えられる必要があるというのでない限り、逆に学生こそ徴兵のマイナスの特典に価するものでなければならぬと一応そういうことになる。
 だから学生に徴兵上の特典がある限り、農民や労働者にだって、徴兵上の特典が必要である。個人の一身上の生活の必要から云ってある限度まで徴兵を延期して貰ったり何かすることは、農民や労働者にとってこそ必要なことでなければなるまい。
 もし農民や労働者に、そうした特典が与えられれば、それはもはや特典でも何でもなくなって、極めて当然な当り前なことになるだろう。そうすれば又一々コセコセと「部分的な」徴兵忌避を気にする必要もなくなるわけで、それだけ少くとも、外見上の非国民は減って行くわけである。そうしてやっても尚進んで徴兵に応じなかったり徴兵を回避したりする人間があれば、夫こそ初めて本当の非国民なのだ。
 陸軍に例の投書をした連中は、その投書でどういう結論を得ようとしたのか私は知らない。金持の息子が遊んでいて自分達だけが兵隊に採られるのは怪しからんというのならばそれはただの直接感情としての不平の表現に過ぎないのであって、而も最も性の悪いことには、兵隊に取られること自身が何か損ででもあるかのように仮定しているような口吻をもらしているらしいことだ。それから俺達には特典がないのだから地主の息子の特典も取り上げて了えと云う積りならば、夫は嫉妬か意地悪るというものだ。実際、「不就学学生」を徴兵忌避で罰しても、農民は徴兵上何等の特典を受けるものではないだろう。一体農民達はどういう積りでああした投書を書いたのだろうか。その吟味は案外無雑作に片づけられているようだ。
 が云うまでもなくわが国の農民は皇軍の枢軸である。農民の満不満は皇軍自身にとって何よりも重大な利害のあることだ。農民の要求は丁寧に打診されねばならぬ。で再びあの投書だが。
 それはそうとして、最近陸海軍では、普通刑法に治安維持法(尤も之はあまり普通な刑法ではなくて寧ろ異常な刑法なのだが)の改正に平行して、軍刑法の改正(?)を企てている。
 審議委員会で逐条審議した際最も重点を置いて議論されたのは、反軍運動即ち反軍隊的言動、もっと詳しく説明すれば、軍の不利益になり軍の秩序維持を妨げる言動、に対する罰則を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入する件であった。治安維持法は少くとも資本主義の何らかの否定に対する罰則を規定したものであることは云うまでもないが、この治安維持法と、この反軍取締りの軍刑法との間に、平行関係があるということは興味のないことではない。だがそれはとに角、こういう法律が整備されねばならぬからには、反軍的な言動が現に旺盛になりそうな危険がある、ということを想定しなければならないのが遺憾である。
 で三度例の投書だが、あれは陸軍に向って投書したものだから無論軍の利益を慮って行われたものに違いない。だが、文章はどうにでも書き様があるのだし言葉にも色々の使い方があるのだ。同じ内容の事柄が別な言葉で別な個処で述べられないとも限らない。そして夫がもし忠告だとするならば、それが好意に出たものか悪意に出たものかは容易に見分け難いものだ。
 でそう考えて見ると、何が反軍的で何が反軍的でないかは、仲々ムツかしい問題になるだろう。
 軍の専門家の方では判っていても、同時に農民労働者勤労大衆も夫がピタリと判っているのでなければ、反軍取締りの法律も、その道徳的な権威に乏しくなるし、法運用の技術上の信用も薄らぐわけだ。
 如何なるナポレオンの法典も、解釈が問題になるようになっては、もうお終いなのである。夫はナポレオン自身がそう云っていることだから間違いはない。
 例えば、坂野少将という人がいて、海軍は政治に干与しないと声明したが、夫が何よりもの政治干渉と解釈されるというようなわけだ。

   三、メリケン

 東郷元帥の国葬の夜、アメリカのNBC放送局から、スタンドレー大将の弔辞の後で、「かっぽれ」や「六段」や「お江戸日本橋」などが、「日本音楽」の名に於て放送されたということは、何と云っても取りかえしのつかない打ちこわしで、放送内容もロクに打ち合わせず、スイッチを切る気にもならなかったAKの、最大の不祥事件だったと云わなければなるまい。
 一体東郷元帥は決して日本又は東洋の東郷大将ではないのである。世界の東郷提督なのである。
 日本海海戦の場処は日本海だったが、その頃は朝鮮民族はまだ日本民族とは別なものとなっていたから、名こそ日本海でも国際的な公海で戦ったのだし、相手は云うまでもなく帝政ロシアの軍艦であった。それに元帥の率いたわが軍艦はイギリスで出来たりアルゼンチンの手に渡るのを譲り受けたりしたものだった。そして元帥の武功は全く国際的に響き亘ったものだったのだ。
 多分元帥の大和魂を除いては、その語学や戦略戦術に到るまで、国際的なものだったのである。
 そこでアメリカなどもスタンドレー将軍が弔辞を呈するということが甚だ自然だったわけである。
 併しアメリカでは東郷元帥のこの国際性に対する認識が充分ではなかったようである。アメリカは東郷元帥の国際的な葬儀を弔するのに、国際的な哀悼の曲を以てすべきであった。然るに何事ぞ、わずかに「ニッポン」音楽を以て足れりと考えるとは。アメリカは一体日本に対する正当な認識を欠いている。単に日本の「特殊事情」を、理解し得ないばかりでなく、日本の国際性をさえ理解していない。
「メリケン」人は国際的でないということがニッポン的なことであり、ニッポン的でないことが国際的なことかと思っている。元帥の英霊に対しては失礼かも知れないが、フジヤーマやゲイシャやサムライやハラキーリは、他の国にはないからニッポン的だと彼等は思っているのである。
 音楽に就いても彼等はこの調子なので、音楽にも「西洋音楽」と「日本音楽」とがあって、西洋音楽は自分達のもので日本音楽が日本のものだと思っている。無論科学にだって哲学にだって、西洋のものと日本のものとが別々にあると思っている。日本には日本精神があり、西洋には西洋思想があると信じているらしい。
 彼等は日本人だって欧米人と同じ「精神」を有っているなどと云おうものならビックリして了うだろう。
 こうした無知なメリケン人に、今日の日本音楽は即ち取りも直さず西洋音楽なのだということを教えてやりたいものだ。わが親愛なる兼常博士の権威によると「日本音楽」は日本の音楽ではないということだ。日本の尺貫法だってチャンとメートルに基いて法定されているということを、無知なアメリカ人などは知らないだろう。
 尤もアメリカ人は一般に無邪気で、従ってユーモラスでもあり又悪戯好きでもあるようだ。それから彼等は日本人が考えているよりも案外利巧な処もあるようである。だから彼等は実は日本の国際性を、国際的な重大性を、相当よく呑み込んでいながら、わざわざ知らん振りをして、ニッポンにはカッポレが打ってつけだというような態度を見せつけたのかも知れない。

 もしそうなら彼等は無知どころではなく仲々のしたたか者であり、従ってもはや無邪気な人種だなどとは云えなくなる。
 併しそれならば誠に怪しからぬことで、特に東郷元帥の国葬の機会などを利用してそういうユーモアや皮肉な悪戯をするというのは、どこまで不謹慎な態度かと憤慨せざるを得ない。
 だが又考えようによっては必ずしもそんなに悪意に解釈する必要はないかも知れないのであって、現にNBC当局自身は「わざと陽気なものを送ろう等という気持は全くない、それこそ飛んでもない誤解である」と云って弁解している。それに「ニッポン」人にとって陽気なカッポレも国際的には可なり淋しい曲だというAK中山常務理事の説明でもある。
 強いて悪意があってのことでないなら、厳粛であるべき場合に巫山戯ふざけたり何かしたのでないなら、吾々は憤慨するのは止めようと思う。
(一九三四・六)
[#改段]


 農村問題・寄付行為其他

   一、農村問題

 最近の新聞紙では「失業問題」というテーマが一頃のようには頻繁に見当らない。之は無論失業者が非常に減ったとか失業者が無くなったとかいうのではなくて、「失業問題」というものがなくなったことを意味するのである。と云うのは、失業問題の代りに「農村問題」というものが出て来たので、社会の輿論は農村問題で以て失業問題を蔽って了うことと決めたからである。
 失業しても貧乏さえしなければ問題でないのだから、失業問題ということは大衆の一般的な貧乏問題ということだという点を特に断っておかなくてはならないが、同様に農村問題も実は農村貧乏問題の筈である。従って失業問題の代りに農村問題が出て来たことは、一般的な貧乏問題が特殊な農村の貧乏問題にまで具体化されたものだと思われるかも知れないが、そう正直にばかり理解してはいけないのである。
 政府や資本家地主や新聞が云っていた処の失業問題は決してただの失業問題ではなかった。無産者が貧乏するのは同語反覆的に当然なことなのだから夫は問題にする必要はない、問題は資本家地主や所謂中産階級という社会の最も健全な分子が貧乏することである、否、社会の大多数の資本家地主やましてそれに及ばぬものが如何に貧乏しようとも、少数の信頼するに足る分子が夫によって増々繁栄を来しさえするならば、国家はビクともする必要は事実は何処にもないのだから、問題はこうした社会の健全分子の貧乏ではなくて、実は彼等の貧乏意識だけが困りものなのである。だから一等いけないのはこうした健全分子の内でも比較的純粋な自覚能力を持ったインテリの貧乏意識なのだというのである。失業問題なるものは実はインテリの失業問題だったのである。なる程初めから貧乏な人間がどんなに今更貧乏しても、「問題」になる筈はあるまい。
 そこで失業問題の解決は大学や学校を卒業するインテリの就職問題に帰着するわけで、而も夫が更に大学や学校の教育問題に帰することになる。現代の形式主義的、非人格主義的、唯物思想的、非実際的な教育方針が、正に「失業」の原因だということが判ったのである。こうして「失業問題」は凡そ貧乏問題とは関係のない「学制改革」問題に転化する。社会の実情に即した、すぐ様社会に役に立つ教育をやりさえしたら、卒業生の就職難は一遍で解決するというのである。だから「失業問題」というのは貧乏問題でなくて教育精神の問題だったのである。
 教育精神の問題をいくら具体化した処で、農村問題が出て来ないことは明らかだ。従って「失業問題」を具体化したものが農村問題だなどと思うと、途方もない計算違いになる。「農村問題」というのは農民の貧乏問題と云ったような失業問題ではなくて、全く農村救済問題なのだ。と云うのは、関東震災の時に製糸業者を国家が救済したり、神戸の鈴木が潰れた時に台湾銀行を救済したりした、ああいう意味での救済を、農民に対してはとに角、農村に対してやろうというのが「農村問題」だ。だから農村救済は農村の中小地主や中小資本家のために農村金融をしてやることだというようなことになる。無知な農民達は金融と聞くと、金を借りることばかりしか考えないが、そしてこの点に於ては「庶民金融」という掛け声を聞いて好い気持になる都会の庶民(市井人、即ち小市民)も農民と少しも変らないが、併し金融というからには金を貸すことの方が建前だということを考えて見なくてはなるまい。そうすると農村金融というのは農村に金を貸してやることであり、そればかりではなく、農村に金を貸させてやることでもあり、又更に金を貸す能力を農村に授けてやることでもあるのだ。金を借りる方は問題にならぬ、農民は問題ではないからだ。農村の中にあって、或いは農村に対して、金を貸すことの方が農村金融の、従って又「農村問題」の問題なのである。
 失業問題が農村問題に変ったのは、貧乏という生活問題が、金融という金儲け問題に変ったことに他ならない。農村問題が農民の貧乏問題だなどと思うことは、失業問題が一般大衆の貧乏問題だと思うことと同様に、飛んでもない馬鹿正直な善良さだろう。
 では農民の貧乏はどうして呉れるかと云うだろう。併し何遍も云うが、農民が貧乏するのは当り前ではないか。農民が貧乏しなかったら、彼等はもはや農民ではなくて地方地主や農村資本家だ。だから農民に就いてはその貧乏は問題ではない、丁度資本家に取って資本所有は初めから当然で問題にならないと同じである。農民に就いて問題になるのは、その貧乏ではなくて、ここでも亦専らその教育なのである。農村の農村問題は別として、農民の農村問題は「農村教育」問題なのである。問題は又しても教育精神にあるのである。
 こうやって本当の「失業問題」は、インテリ教育や農民教育の、教育精神問題に帰着する。失業問題を貧乏問題だなどと考える徒輩は下根の到りで、「失業」の本質は神聖なる教育精神の欠点にあるのだ。それでこの頃、世間の人間の思想が、考え方が、前よりは余程精神的で高尚になって来たから、貧乏と云ったような唯物思想を連想させる処の失業問題が消滅して、農村精神の作興に興味集注する処の農村問題が、それに代ったわけである。
 併し農村には云うまでもなく学校らしい学校も、大学もない、だから学制改革式の教育観と農村精神作興式の教育観との間にはまだなおギャップが横たわっている。政治家は云わば文部省と農林省との間のこの溝を埋めなくてはならぬ。この際、どっちをどっち側にまで移行させてアダプトさせればいいかは、一寸判らないわけだが、併し日本の兵士の内には農民が圧倒的に多数だという一つの事実が何よりも参考になるだろう。前内閣の枢軸をなしていた例の五相会議に於ける荒木陸相と後藤農相との関係を見れば、なぜ日本の兵隊がこの場合の参考になるかが判ると思うが、この関係から行くと、鳩山文部省と後藤農林省との比重関係は相当ハッキリしている。で鳩山式の学制改革的教育観の方が、後藤式農村精神作興的教育観に、その勢力関係から云ってアダプトしなくてはならない。
 後藤式の農村精神作興的教育は、その村塾主義教育道場主義教育に一等よく現われている。二月程前になるが、農林省では農村の中心人物を養成するために十二県に亘って「農民道場」(「百姓道」の道場)を設置することにし、後に之を十八県に亘ることに改めた。予算は十万円で之が半額補助の形式で各県に割り当てられるというのである。それから後藤農相が最も興味を持って力こぶを入れているらしい農村塾は、例えば埼玉県下の「財団法人金※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)学院、日本農士学校」だろう。之は伯爵酒井忠正氏が院長であり安岡正篤が学監である処の金※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)学院の下に立つもので、後藤農相(今度の少壮内務大臣)自身もぞくしているらしい、官僚ファシズムの団体「国維会」と連絡のあるものらしいが、東京日日新聞の伝える処によると、東洋の農本文明(!)の根抵の上に立つ新しい封建制度(?)の建設を目的とする農業村塾であって、この学校の守護神社(文部省系小学校では御真影奉安殿に相当するのかも知れぬ)たる金※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)神社の大鳥居は、後藤農相自身の寄進になるものだそうである。学生の間に家長制度を設け家族会議で事を決めて行こうという思いつきである。恐らく金※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)学院学監安岡氏の哲学である日本神話に応えんがためであろう。
 農村精神作興派の教育観によるこの村塾主義、道場主義は前内閣の皆川司法次官の転向教育観の内に現われる。氏の「皆川研究所」や千葉の小金町に出来た「大孝塾」も亦この村塾道場主義に立っている。更に内務省系では、東京府が皇太子殿下御誕生の奉祝記念事業として、都下の小学生七十五万人と中等学校生徒十三万人とをば静思修養させるための純日本式設計になる寄宿寮「小国民精神殿堂」の「静思修養道場」がこの例だ。その敷地として畏くも高松宮様から御所有地を賜わるということである。
 で大勢がこうなって来ると、文部省式教育観の側の譲歩は甚だ必然で、文部省の日本精神文化研究所は、学生のストライキが起きたり何かする処から見ても、例の普通の就職難学校や失業大学と同じ種類のものであることを暴露して了ったが、之では遂に例の村塾道場主義に太刀打ちが出来ないとあきらめがついたと見えて、遂々文部省は全国に於ける村塾で農村文化(?)に貢献し人格陶冶の功績を挙げているものを選んで表彰することに決めたのである。こうして日本の教育は日増しに精神手工業的な村塾道場主義に傾いて行くのである。三田の慶応義塾など、蘭学塾か英学塾かに止まっていれば、今頃は大したものになっただろうに、大学令の改正と共に、失業大学の仲間入りをしたのは、先見の明のなかった点で重ね重ね残念だ。
 物質的な貧乏問題を、村塾道場主義と云ったような精神教育で解決しようとするこの観念論は、反技術主義と精神主義とを内容としている。村塾主義の反都会主義、反工業主義、やがて反プロレタリア主義がその反技術主義だと一応見ていいだろうが、精神主義の方になると一寸説明が必要だ。と云うのはこの場合の精神主義は実は云わば一種の肉体主義なのである。だからこそ剣道や柔道や又は坐禅と同じに、教育が道場で行われることになるのである。一体、手工業は肉体主義なのである。
 だが現在の日本ではこうした肉体主義的観念論が一般に非常に流行している。信仰家や民間治療家の多数は現に之で食っている。そればかりではなく元来之は日本国民の何よりもの勝れた特徴であるのかも知れない。上海事件の折の支那兵の死傷者一万人の内、日本兵の白兵戦創や手榴弾による者が六〇パーセントにも上っているが、之に反して日本側の死傷者七千二百人の内、支那兵の肉弾によるものは僅かに一パーセントしかなかったというので、日本人が肉弾という肉体主義的戦闘方法に於て如何に優れているかが、之で判る――失業問題だって「肉体」的精神教育で解決出来る、或いは寧ろ肉弾で解決した方が早いかも知れぬ、というのがわが「農村問題」対策なのである。

   二、寄付行為

 東大法学部教授末延三次氏は厳父の遺言で遺産の内から百万円だけを区別して、「末延財団」という財団法人を設立し、百万円の基金による利子の内年五千円を、学術研究費として帝国学士院へ、残りの利子を有望な学者と貧困な学生とに給費することにしたそうである。それから、これより先三井家は三千万円で財団法人「三井報恩会」を設立し「社会事業その他公益的施設の経営又は助成、及び有益なる学術研究を工業農業其他の産業に応用する実験費援助」の名による第一回支出金額を決定させたということである。どうせブルジョア科学やブルジョア技術学のためにしか費われない金だから質の上ではあまり期待は出来ないだろうが、とに角之だけの金額ならば善いにつけ悪いにつけ、多少の効力は必ず発生するだろう。
 和歌山県下の或る農業学校の校長さんは、三十年間の教員生活で貯金した金一万円を学術振興会に寄付した。これぞと云って功績のない自分が分に過ぎた社会的待遇を受けていることが感激に堪えないので、せめてこの一万円を学問の進歩のために使って貰いたいというのである。一体世人は学術振興会が「学問の進歩」につくすことの出来るものだと固く信じているらしい。併しとに角之も一万円も纒った金を寄付するのだから、寄付行動として極めて自然に納得の行くものだろう。
 処で、昨年十二月以来「東京府立一中内愛国十銭会」という名義で、海軍省恤兵金係りへ国防資金が送られて来るそうだ。初めの月は三円だったのが段々殖えて四月までには総計八十二円何がしになっているという。初め五年生の某君が友人二三人と相談して月々十銭ずつを寄付すべく造った愛国会だったが、今では全校の六割もの会員を擁していて先生の指導監督は一切受けない生徒の自治団体だという話しである。月々百円程度を国防費に加えても、年十幾億に上る「国防費」に較べればその対照は寧ろ滑稽だが、併しこの献金行為の意味は無論その金額の上にあるのではなくてその精神にあるのだ。実は之は国防費の問題ではなくて、国防精神教育の問題なのである。
 併し中学生は何も自分自身で自分を国防精神教育する気持などになる筈はないのであって、彼等自身にとっては問題は国防精神教育にあるのではなく本気に国防乃至国防費にあると想像していいだろうから(尤も彼等の多少×××な英雄主義や小さな仕事欲がそうさせたのなら別だが)この献金行為の教育的意味は中学生自身の側にあるものではなくて別の方面にあるべきものに相違あるまい。之はいわば国防精神教育の実地演習なのであろうが、実地演習というものはそれが単なる演習であって単に教育日程の上で仮構されたものに過ぎぬということを、実習教育される当人達が知っていなくては実習にならぬ。それを本物だと思い込まれたら飛んでもない×を教えたことになるからである。処がこうした国防精神教育の実習になると、運悪くもこれを本物と思わせなければ精神上の効果を産まないのがその特色なのである。之が真似事だなどということを知られては実習にならぬというのがこの精神教育の本質だ。
 寄付と云ったような物質的な行為になると、それが精神的になればなる程、即ち物質量の上の問題でなくて「精神」の問題になればなる程、その「精神」が不純になるというそうした不思議な特色を持っているのである。
 現にこの献金行為は、生徒の寄付行為ばかりとは解釈出来ない、一つの教育行為なのだが、その教育行為が、教育行為それ自身として見て決してアケスケにはなれない理のあるものなので、それを反映する生徒のこの献金行動に、何か中学生の身体のような不均衡なものが見えるのだ。
 この間、御徒町の巡査派出所に突然小さな洋封筒を投げ込んで行った小僧さんがある。開けて見ると五十五銭這入っていて「護国の偉人東郷元帥」にお香典として奉って下さいという手紙がつけてあったということだ。香典は身分と親縁関係によって大体の金額が決まるものなのだからその額の実用価値如何に関係なく、いくらの香典でも、単にその精神上の意味ばかりではなくその物質上の意味が成立することが出来る。
 この小僧さんの「真心」は相当正直に買っていいかも知れない。東郷元帥の国葬にお賽銭を上げた人間が少くなかったということだが、こうした「喜捨」に較べればずっと意味の透明な行為だ。
 尤もお賽銭でも相手が東郷元帥の遺骸だから少し変に思われるまでで、東郷神社も沢山出来るというから、神様や仏様と見做したのだとすれば、之もそんなに不自然な寄付行為ではないかも知れない。――だがこの二つの場合でも香典やお賽銭にあまり物質的意義がないと考えられる範囲に於ては無意味であって、もし強いて之に精神的な意味をつけるならば、それは先に云った府立一中の生徒の寄付行為と同じ精神上の意味のものに帰着する他ないだろう。ただ違う点は、一中の教育家先生達の代りに、社会の非常時道徳の強制力が、国防精神教育を引き受けているという点だけである。
 一中の先生の教育行為や非常時道徳の強制力が行う教育行為には、また学校教育とか社会的強制とかいう建前があって、たとえ嘘にしろ嘘だという確信が伴っているわけではないが、国民一人当り一銭の寄付をさせて軍艦旗を調製して海軍に献納しようという寄付行為などになると、もはや話は別になる。東京日日新聞はこうやって二百五十万人から五万円余りの軍艦旗調製資金を集めた。
 この寄付行為は軍艦旗や五万円という金に意味があるのではなくて、二百五十万人という人数に意味があるのでこれは云うまでもなく東日の読者数と広告欄の単価とに関係があるのである。それは新聞社自身が確信していることだから、今更説明する迄もないだろう。(以下十一行削除)

   三、仏教大会

 七月十七日から六日間に亘って東京築地本願寺で開かれる第二回汎太平洋仏教青年大会に対して、満州国代表が出席するというので支那は代表者を送らないと云っている。全支仏教団体を総括する「中国仏教会は中国と満州国とを同列に招待するのは中国を公然と侮辱するものなれば大会を否定すべし」という決議をし、併せて支那首席代表が主唱する「仏教参観団」までも否認することにしたという情報である。主催者側の日本では、個人の資格でもいいから中国の出席を希望するという大国の襟度を示しているが、支那がどう出るかまだ判らないらしい。
 大会の準備会の好村主事はそこで語っている、「大会の目的は政治的葛藤などは超越して太平洋沿岸諸国が精神的に融合しようという崇高な処にあるのです、この精神を無視して、中華民国が満州国代表の参加を政治問題化して遂に不参加を決議したのは実に遺憾です、」云々。宗教は全く政治問題ではないから、政治問題などと関係なく、崇高に談合しようではないか、という論拠と見える、それも良いかも知れない。
 処が今度出席すべく日本へ来る筈になっているインド代表は、この大会を利用して「仏教徒よ立て! ブダガヤの聖地を奪還せよ!」という甚だ宗教的に穏当ならぬ政治的スローガンをかかげて、大会出席の太平洋沿岸の諸国代表に訴えるという申し入れがある。日本の大会本部ではこれに対して出来るだけ便宜を計ろうということだそうだ。何でも、このブダガヤというのは釈尊が悟りを開いた土地なのに、今ではヒンヅー教徒の占める処となって、一人の仏教徒の影もないのだそうである。仏教徒がインド教徒に対するこの対抗が少くとも宗教的対抗であることは云うまでもないが、併しなぜそれが同時に政治的でないかが私には判らない。
 宗教運動でも運動である以上は政治にぞくするだろうが、そうすれば「政治問題」と宗教問題とを全く別だと考えることは随分怪しげな論拠となるだろう。カイゼルのものはカイゼルに返せというなら(以下十六字削除)汎太平洋仏教青年大会は日本に返せと、支那側は主張出来るわけではないか。又日本にして見れば丁度極東オリンピック大会をつぶしてアジア大会を組織したように、支那の仏教は支那に返して、支那抜きのアジア仏教大会と云ったようなものでも造れば、余計な下手な文句はいらないではないか。
 精神上の宗教が超政治的なのなら、肉体上のスポーツも同様に超政治的な筈ではなかったか。肉体上の問題では是非とも満州を参加させろ、そうでなければ大会を脱退するぞと強引に出た日本が、精神上の問題になると、是非とも満州を除外しろ、そうしないと大会に出ないぞ、という支那側の強引に心外がるのは少し辻褄が合わないだろう。尤も之で見ると、日本の坊さん達の興味を有っているのは、矢張支那の坊さん達と同様に、仏教でも宗教でもなくて、本当は日本とか支那とか満州とかだ、という結論にならざるを得ないと思うが、この点宗教家の特別な論理で行くとどういうことになるのか。
 新聞が伝える処によると、日本が日本独特の精神によって完成された大乗仏教を提げて迷える世界人類の救済に乗り出すべく、国際仏教会というものが今度仏教、国史、などに関係ある日本の名士達によって設けられたそうである。日本的仏教文化を以て、文化的な或いは寧ろ宗教的な世界征服を企てることは、大い道徳的で且つ勇ましいことだが、夫が少しも政治的な世界征服に関係がないのかというと、どうもそうばかりは今日の常識では考えられない。ドイツのナチスはドイツ人が最も純粋なゲルマン文化を世界に弘布すべき文化的使命を持っているという、一つの政治哲学を以て最も政治的と云っていいような政治をやっているし、日本精神の宣揚という文化スローガンも実は同時に日本の政治哲学であって今日の日本の国際的国内的な政治行動の原則になっている。日本がアジアの盟主となり広田外交の理想であるアジア・モンロー主義を唱えるための、精神的乃至文化的根拠としては、仏教精神が初めて日本で完成されたというこの主張位い有効なものはないではないか。仏教が超政治的などというのは全く仏教に対して勿体ない話しであって、日本の僧侶や僧侶主義者は、もっともっと政治的自信を有っていいのではないだろうか。カイゼルのものはカイゼルに返せ、だから仏教もカイゼルに返すべきである。諸君はそうやってカイゼルの文化的代官になれるのだ。

 読者へ。――編集者が伏字にしたり削除したりした部分が明示してある時はいいのであるがそうでなくて全く断りなしに数行削除になっているような個処が之まで時々あった。そのため或る種の誤解を受けた場合があるかとも思われる。よろしく御判読を乞う。――戸坂
(一九三四・七)
[#改段]


 三位一体の改組その他

   一、三位一体の改組

 満州国の傅儀執政が登極し給い、満州国が帝国となった時、駐満大使が設置されて、関東軍司令官が当分兼任することになった。之に関東州長官を加えれば、所謂三位一体制になるのであって、曽つては関東長官と満鉄総裁と総領事とが三位一体(?)だと云われたものだが、その頃から見れば、情勢は随分変ったものだと思う。満州が独立国となり、日満鮮人の合衆国となり、それが更に名誉ある帝国にまで旬日の内に進化して了ったのは全く、大日本帝国軍部の遠大な計画に負うのであって、少くとも吾々大日本民族にとっては之が極めて慶賀すべき現象であることは、私が更めてここに証明するまでもないことだ。
 昔の三位一体とは異って、今度の三位一体はだから、甚だ張り合いのあるものであって、それだけに今日この三位一体が重大な問題となるわけである。と云うのは結局に於て関東軍司令官を中心とするこの三位一体は、元来が非常時的行政形態、戦時軍治主義だったわけであるが、この関東軍司令部を、そのまま「平時化」する必要がどこかにある以上、この戦時三位一体制は当然改廃されねばならなくなる。
 満州に於ける治安維持の確立期はすでに終り、匪賊も六分の一に減少したから(尤も一二日前にも安東付近にまで匪賊が出没したそうだが)、日本帝国の対満州国行政(?)が平時化される必要の生じて来たことは寧ろ当然であって、なぜわざわざ特に、元来が「戦時的」な筈であった満州軍司令部をば「平時化」する必要があるのか、もう少し初めから「平時」に適した機関を選んではなぜ悪いか、というような、質問は全く野暮だ。それにそういう質問は全く忘恩的なのだ。満州帝国が建国されたのは関東軍司令部のおかげだということを吾々は片時も忘れてはならない。この帝国は他の帝国と異って正に関東軍司令部が造ったのだ。
 さてそこで、この在満機関三位一体制の改革案が、この十日間程で頓に出揃うことになった。第一は陸軍省の理想案であるが、それによると関東軍司令官を総督制にし、満州経営上軍事行政司法外交一切の権限を与えようとする案で、無論今まで通りの関東長官も満州国大使も要らなくなるわけだが、併し現在の関東軍司令官は統帥権にぞくするもので、全く軍事的なものの筈だから、少くとも之を平時化するように改正する必要があるわけで、もしそれさえ手続きが済めば、完全な一位一体制の在満機関が出来ようというのである。
 処が之では折角の満州帝国が朝鮮並みに取り扱われることになりそうで、満州国独立の承認を世界に向って強要している手前、一寸具合が悪いではないか、と気のつく者もいたらしく、陸軍省ではこれの代案として、軍司令官と駐満大使との二位制にし、大使を特別に外務大臣から独立させて総理大臣直接の監督下に移し、内閣に対満事務局と云ったものを置き、大使をして外交と行政とを営ませようというのである。無論当分駐満大使は関東軍司令官と同一人物である予定だから、前の理想案代案としてはまず結構かも知れない。云うまでもなく関東長官は無いに等しい。そして駐満大使と云ってもただの外務省の大使などではない。
 処が第一納まらないのは外務省だ。大使はあくまで大使でなくてはならぬ、即ち外務大臣の管轄になくてはならぬ。なる程関東長官は関東州内に権限を制限されるべきで、関東州外の満鉄監督権や付属地行政警察権は当然駐満大使に帰するのは当然だが、その大使自身が外務省にぞくさなくてはならぬ。そうやって、軍司令官と駐満大使とからなる本当の一位一体(たとえ同一人物が兼任しても管轄が二重になる)が出来るが、それが最も妥当な案だ、と外務省は考える。
 旗色の悪いのはそこで拓務省である。一体拓務省は満州を植民地と考えたがる悪い癖があるのだが、外務省案は之とは反対に満州を独立国として、取り扱おうとする。その結果関東長官の権限は、みじめにも縮小され、それに続いて、拓務省廃止案さえ提出される。ただでさえ影が薄くて他の植民地の監督に就いてさえ色々の疑問が起きる拓務省としては、之は我慢が出来ない。外務省案にも陸軍省案にも絶対不賛成だというのである。だがそれに代る代案はまだ具体的にはなっていないらしい。――谷大使館参事官は現地案を携えて上京、外務当局や陸軍省と折衝しているが、大体外務省案付近に落ちつくのではないかと見られているようである。
 こう見て来ると満州帝国位いムツかしい国はない。読者は多分、満州をどうやって統治するかという問題で皆が提案に苦心しているのだとウッカリ考えるかも知れない。だが無論それは途方もない心得違いなのである。外国ではどういうわけかあまり同意を表せず、偶々サルバドールという国のあることが判ってそれが賛成した程度だが、併し満州は現に歴然たる独立国で、而も大事なことには、神聖な帝国だということを、何遍も云うが、忘れてはならぬ。この独立国を如何に統治(?)するかという問題だから、問題は不思議にムツかしくなるのである。ウッカリ羽目をはずすといつの間にか[#「いつの間にか」は底本では「いつ間にか」]植民地のように考えられて総督などを置きたくなるし、思い返して独立国並みに大使を置かなくてはならぬとも考えて見る。××を出さずに満州国を正当に認識するということは決して容易やさしいことではない。
 実は併し、問題を解決する一つの原則が初めからあったのである。大日本帝国が満州帝国に期待するものは、「友邦」としての友誼なのである。と云うのは、満州の軍事上の絶大な価値だったのである。有利な予想戦場として、又戦時資源として、満州は戦略上の宝庫だということは誰知らぬものもない。処で、そこからこの三位一体の三体問題解決の特有な困難が生じて来る。なぜと云うに、まず第一に何よりも軍事上の宝庫だということが先であって、その植民地的な価値や外交対象としての価値は二の次であり、植民地や市場、資本投下地、其他のものとしてよりも、軍事的地盤としての資格が絶大なのだから、外務省や拓務省腹案に較べて、陸軍省の理想案が最も正直な所であって、関東軍司令部を以て最后の在満統一機関とする理想が、他の見地から見て幾多の政治的外交的経済的困難があるにも拘らず、軍事的に云えば最も当然な建前なのである。特にわざわざ戦時的な軍司令部を選んで之を「平時化」し「平常化」す必要のある所以が之だ。外務省案乃至恐らくは現地案は、この軍事上の裸体の要求に、政治的な被服を被せたものに過ぎない。
 だが、戦時的な軍令部をなぜ一般に平時化す必要があるのか。軍事上の必要から云えば戦時的な形態で良さそうなものを、なぜ今更之を平時化さなくてはならないか[#「ならないか」は底本では「らないか」]。併し「軍事上」必要になる独特の「政治」というものもあるのだ、戦時的なものだけで軍事的なものは満足出来ない。丁度軍人が独特な「政治」を欲するように。軍事上の必要というのはただの戦争のための戦争から生じるのではなく(単に好戦的な戦争青年は論外)、チャンと外に一定の目的が、税関戦・対内外思想戦・賃銀戦・対逓減利潤戦・対恐慌戦・等々が伏在するのだが、この必要を充たすにもすでに、出来合いの資本制を採用する他はないのである。資本家には一指も触れさせない筈であった満州にも、この頃盛んに資本投下が奨励される。関東軍司令部の特務部ではもはや満州の「発達」が手におえなくなる、満州が発達するに従って、特務部の厖大な参謀組織は無用有害にさえなる。特務部長は軍人では駄目で文官でなくては困るということにもなる。本年五月に於ける関東軍司令部編制改革がこの現われなのだ。現にその際松本前商相が特務部長に就任を懇請されたとも伝えられている。
 こうして軍事上の必要は資本制上の必要に自然的に又必然的に移行する。こうして初めて満州国は「発展」する。実に関東軍司令官はこの満州国発展のための前衛司令官だったわけで、それが漸次満州国発展本隊に部署を譲って戦機を熟させて行くのである。関東軍司令部が「平時化」し「平常化」さねばならぬということは、この関係を物語っているのである。外務省や拓務省だからホンの相の手で、三位一体制の改組案として、軍部案の権威のある所以だ。――三度云うのだが、満州国の出来上ったのは軍部のおかげであった。満州国の発展もだから軍司令部に俟たねばならぬ。これが他でもない、二十世紀に発見された新しい政治形態の、又新しい政治コースの本筋なのである。

   二、警察後援会

 東京市でやっている労働者職業紹介所(十三カ所)に失業登録されている労働者は二万三千人である。登録労働者は丁度官吏や公吏と同じに公然と登録されているのだからもはや決してルンペンなどではない、実は立派な職業所有者で失業者の内には数えられない。だが今日では、職業があるか無いかも問題だが、食えるか食えないかは職業のこの有無とは無関係な別な問題なのである。例えば代議士の職業別を見ればこのことは明らかで、「無職」代議士は決して少くあるまい。けれどもルンペンで代議士というのを見た人はないだろう。それと同じに、職業があったって食えるとは限らない、登録労働者こそその良い例なのであって、月に五日や六日日庸されたところで食える筈はない。だから、云って見れば、失業労働者の登録は、失業者の文字上の定義に従う限り、単に失業者をそれだけ帳簿の上で削るためであり、又実質上の失業者として見れば、却って、月の二十日か二十五日間を失業するということに就いて、登録承認保証されることに他ならない。食える食えないは結局どうでもいいので、出来る限り多数の人間を社会の職業体系に編入することがこの目的で、即ちそうやって社会秩序を少しでも堅固にしようというのである。
 失業を単に登録されただけで失業を解消させて見せるこの紙上観念論(Paper-idealism?)の奇術の、選ばれた少数のモデルとなることは、登録労働者の甚だ迷惑な名誉であるかも知れないが、併し個々の登録労働者にして見れば、登録されない場合に較べて、無論良いに決っているから、之は極めて大事な一身上の利害だ。
 処が七月二十五日東京は突然、登録労働者の賃金(一円六〇銭乃至一円三十五銭)を八月一日から約六分五厘値下げすることを発表した。理由は内務省から来る補助費が減額されたからというのである。そこで驚いたのは例の二万余の登録労働者の諸君であった、早速代表三十名を先頭に約百名の者が即日市庁に押しかけて牛塚市長に面会し、労銀値下げ反対その他の要求を含む要求書を提出して陳述する処があった。その際定石通り丸之内署からは二十余名の警官を同じく市庁に押しかけさせたが、どう間違えたか代表と市長との面会を斡旋しつつあった黒田市議が、処もあろうに市庁それ自身の事務局控室で、例の警官達から「打つ蹴る殴るの暴行」を働かれたというのである(東朝七月三十一日付)。丸之内の署長は「市会議員ともあろう人を殴るようなことは絶対にないと思います」と推定しているが、(登録労働者なら殴られたかも知れないらしい)、市会議員であろうと無かろうと、人を殴るということは日本では悪いことになっているのだから、この署長の言うことに間違いはない筈だ。
 黒田市議は廊下ででも滑ったらしく足を傷けたそうだが、他の市議等と共に、痛い足を引きずりながら東京地方検事局に平田次席検事を訪ねて、取りあえず口頭を以て、藤沼警視総監・丸之内署警部井上徳三郎・同署特高係高林定太郎氏等を、傷害罪と涜職罪で告訴告発したというのだが、殴られもしないのに傷害罪や涜職罪で告訴するというのは全くおかしい。いずれこの点に就いては丸之内署かどこかから、適当な弁明があることと思う。
 数日後公娼廃止反対の陳情で、女郎屋の亭主達三百名が内務省と警視庁に押しかけたが、これは別に負傷者を出さなかったらしい。併しとに角、事毎に警察官と大衆との間へ疎隔を来し勝ちなのは遺憾至極と云わねばなるまい。何とか両者を、丁度労資協調や労働争議強制調停の精神のように、理想的に協調させる途はないものかとかねがね考えていた処、今では大分前になるが東京警察後援会というものが出来上ったのである。確か原嘉道氏が発企人の筆頭で、私などにも加盟を求められた事があったかと記憶するのであるが、その時私はなぜ賛同の意を表しておかなかったか一寸理由が判らないが、処がこの折角の警察後援会自身がまた、警察を相手にして問題を起して了ったのだから、始末が悪い。
 後援会は警察を後援する心算で、優秀な警官並びに警官類似の行為のあった少数の市民に対して、感謝状と金一封とを贈るの会を、二十五日警視庁内で挙行した。之は前に内務大臣賞を優秀警官に与えたことの真似だそうで、警察を後援しようというのは、それが後援である以上大衆でなければならないが、その大衆が内務大臣の真似をすることは少し出過ぎた行為だったかも知れないが、それはとに角として、その席上、後援会の理事である矢野恒太氏が、ウッカリ一種の感違いをして脱線挨拶をして了ったのである。
 矢野氏は云ったそうだ、「諸君に贈呈する賞与は決して泥棒や殺人犯人の製造を奨励する意味はない、最近若手司法官が遣り過ぎるとの世評があり、警視庁も些細な事件をほじくり過ぎる傾向があるようである、今後は何でも彼でも巡回中に犯人を捕えねばならぬという意識を捨て、剣の音をさせながら歩いて、警官がよく廻ってくるから悪いことをすれば危険だということを感じさせて、漸次自発的に罪を犯さぬようにさせる位にして欲しい」(東朝七月二十八日付)云々。――実際にはどんな風に言ったのだが判らない処もあるが、とに角以上のような言葉が甚だしく警視庁の主脳部を憤慨させたらしい。警視庁の業務執行に立ち入ることが以ての外で、そう云えば賞与贈呈ということが元来不遜だというのが、警視庁の憤慨の根拠である。
 業務執行に立ち入ると云っても、之を褒めたのなら無論問題にはならなかったろうし、又後になってから賞与贈呈が不遜だと云うのも辻褄が合わないが、それはとに角として、警視庁の方針を否定する後援会ならば潰して了えという意見さえ出るようなわけである。処で矢野氏自身は初め、警察当局に忠言を呈したので、それが悪るければ理事は辞める、寄付をしたり叱られたりしては割が合わぬよ、と云っていたが、併し穏便を第一と考えたのだろう、遂に警視庁に出頭して、後援会の理事をやめるから何分穏便に取り計らって戴きたいと陳謝したので、警察当局は矢野氏を許してやったのである。警視庁という処は本当に偉い所なのである。
 思うに矢野氏及び警察後援会の人達の間には、一つの感違いが初めからあったのだ。と云うのは、大衆が警察を後援し得るものだと初めから仮定してかかったことが、こうした脱線の原因なのである。警察の方では自分を大衆と一つになどは考えていない。警察は大衆と一体などではなくて、大衆を警察する処のものでなくてはなるまい。だからもし万一後援会なるものが許されるとすれば、それは完全に警察の云う通り注文通りになるべきであって、いやしくも警察外から忠言を呈したり注文をつけたりするような警察「後援会」はあり得ない筈だ。処が警察の外にありながら警察と一体であるようなものでなければ警察後援会という言葉の意味に合わない筈だから、つまり警察後援会なるものは論理的に不成立だということになる。まして、後援会の中に、矢野氏と同意見の不埓な人間が多数いるようでは、後援会は後援会ではない。後援会無用論は、警察と大衆とが一体でない以上、論理的に首尾一貫している。勝は警視庁の側に上らなければならぬ。
 もし警察後援会の代りに、警察オブザーバー会とでもいうべきものを造ったのだったら、矢野氏もあんな不体裁な目を見ずに済んだろう。警察に対して大衆が之をオブザーブするのである。無論この際は警察が大衆と一体だなどという仮説は成り立たないが。そうすれば矢野氏はもっと首尾一貫した立場から、警察に忠言を与えたり賞与を与えたりすることが出来たろう。そうして警察から縁切りされても心配する理由もないし、又初めから縁切りされるということの成立しない関係なのだから、警視庁へ行って謝らずに済んだだろう。警察が国民に対してなすべき警衛のサービスに就いては、国民自身が之をオブザーブしなければならない筈ではないだろうか。警衛を頼んでおいた門番や守衛にも叱られるような主人は困る。国有鉄道のサービスに注文をつけたお客さんが一々鉄道省のお役人から叱られていては大変だ。――それとももし警察が大衆へサービスすべきものではないというなら、一体警察は何にサービスする気か。私は今にしてどうやら判るのである、なぜ「警察後援会」に無条件に賛同出来なかったかが。大衆が警察を後援しようということが元来無理な企てなのだ。矢野氏の失敗が之を証明している。

   三、家庭考査

 小学校の一年からズーット一番を通して来た女の子がいて、それが教員になることを希望しているが、父親が今現に懲役に行っているので、師範学校へ這入れないと思うが、どうしたものだろう、という婦人相談がある(読売)。河崎ナツ子女史によると、理窟としては前科者の子弟であろうと何であろうと、入学を拒まれる理由はない筈であるが、今日の社会の実情から云えば、入学希望者が過剰なため、庶子や私生児や三業者の子供がいけなかったり、資産や家の大きさまでが入学に関係したりしている、ということだ。まして前科者の子弟をやというわけである。処で普通学務局長の下村寿一氏は、刑余者の子弟だという理由で入学出来なかったというような噂さは聞かぬ、師範学校の校長は併し、なるべく学風に適した生徒を取るように賢明な裁断を下すべきだろう、と云っている。処が更に女子師範学校の校長は、前科者の子弟ということに対しては小学校の児童は非常に敏感なので、自然生徒に軽侮されることになるから、結局教育家として不適任だと、相当ハッキリ告白しているのである。だが問題は単に師範学校に這入れるか這入れないかの問題ではないのであって、一般に今日男女を問わず中等学校(小学校も特別なものの場合には同様だが)以上の学校の入学考査全体に亘る問題なのである。又それに前科者の子弟であるかないかだけの問題でもない、どういう家庭の子弟かということがこの際の一般問題なのだ。
 特殊の小学校や私立女学校の或るものは、学校営業の目的から云って、児童や生徒の家庭の資産状態を重大視するのは当然で、学校への寄付能力の貧弱なものを採用したのでは引き合うまい。この方針を徹底すれば、入学金の納入高の多い者から採るのが合理的で、そして入学金を試験以前に前払いするという形式を取れば、所謂不正入学ということになるのであるが、莫大な入学金を試験前に前払い出来るような家庭の生徒を採用することは、学校自身の営業方針から云って、少しも不正なことでも何でもない。不正なのは生徒の側だけだ。それだけではなく、こうした「良家」の子弟だけを選んで入学させることは、教育の目的に最も適った実を挙げることになるのであって、下等な家庭の子女の下等な精神による影響から学校を清めることになるから、帰せずして文部省の方針に一致することになる。それから文部省から見ただけではなく、家庭の側から見ても、嫁にやるべき大事な娘などなら、あまり変な下等なお友達と一緒に教育される学校を出たのでは条件が悪るくなるし、それは学校から云えば嫁入り率が減って従って段々良家の子女が競争して集まらなくなることを意味する。前科者の子女などは縁起でもない。私生児庶子は之に次ぐもの、というわけである。
 官公立の中等学校だってこの教育の実際上の方針に就いては変りはないのだが、大体中等学校では家庭を中心にして入学考査すると見ていいだろう。処が高等学校専門学校になると、家庭よりも寧ろ本人を中心とする。本人を中心とするのは当然なようだが、本人の人格を中心とするのである。十八や十九の者に人格も何も問題になるものかと云うかも知れないが、人格というのは実は思想傾向のことに他ならない。そんな子に思想も何も問題になるかと云うかも知れないが、日本で思想というのは社会意識のことだ。即ち社会に対して一定の認識を有っていないかいるかということだ。こういう知識の所有者は教育には不適当だというわけなのである。
 処が子供のそうした「思想」は父親の思想と相当関係があるので、その限りでは本人の問題は往々矢張家庭の問題に帰着する。こうなると専門学校以上の学校でも、この意味で矢張家庭が重大な考査資料にならざるを得ない場合が生じる。士官学校などはその典型的なものだろう。これを中等学校に移せば、師範学校の場合になるのである。――家庭の階級的類別と、その家庭に育つ子弟の社会意識乃至思想との間に横たわる、この唯物史観的真理を、最も早くから知っているものは教育者夫子自身なのである。(一九三四・八)
(一九三四・九)
[#改段]


 罷業不安時代

   一、この罷業はなぜ正当か?

 東京市電気局は、市電営業による赤字年額八百万円を克服するために、今回主として市電従業員の整理を中心とする整理案乃至減給案を発表した。市会は無論之に承認を与えているのである。夫によると、第一に、従業員一万二百名全体へ一応解傭を云い渡し、之に退職手当二千万円(一人当り平均二千円)を支給した上で、全員を新規定賃金によって改めて採用するというのである。新規定の賃金というのは四割前後(最高四割五分に及ぶ)の減給に相当するのであって、之が適用される従業員数の内訳は、市電関係約七千人、自動車関係約二千人、電灯関係約六百五十人、工場倉庫関係約五百五十人である。第二は、市下級吏員の減員で、之は内勤外勤を合わせて百八十余名の整理となる。
 第一の従業員大減給の結果、市財政から三百十万円が浮き、第二の吏員の整理で四十六万円を浮かせ、その他市債の整理で三百万円、電力自給によって二百四十五万円(但し之は五六年経たなければ実現しないが)を節約することが出来る筈で、合計九百万円程になるから、例の赤字は完全に克服されることになるというのである。退職手当の二千万円はどうして造るかと云えば、市債を新しく起こすのだそうだ、吏員は従業員とは異って労働者でなくその数も多くはないので(とでも云っておく他ない)整理されない人間は云うまでもなく、整理される当人達自身も集団的には之を問題にしていないから、世間も又吾々も、あまり之を気に病む義務を感じないのであって、問題はいつもこの市電従業員の方にあるのだ。
 山下電気局長はそこで、この整理案によらなければ市電の経営は完全に行きづまり、結局は従業員諸君自身の不為めになるという点を慮って、親心になって整理を断行するのだ、今後は決して整理や減給はしないから、と涙を流して従業員に訴えた。併し東京交通労働を中心とするこの市電従業員達は、この「親心」という奴には余程懲り懲りしていると見えて、言下に之を拒絶して了ったのである。つい一昨年一千三百五十名の整理と一割二分との減給をやったばっかりなのだから、この親心に信用出来ないのは無理からぬことだ。
 局長以下二千名の俸給はそのままで、従業員だけが約半額の減給というのだから、誰だってこんな親を本当の親とは思うまい。二千万円も退職手当を出す(場合によっては一人五千円近くにさえなる)のだから、文句は云わぬ方が良かろうと、それに退職手当を勘定に入れると、実は四割五分どころではなく、僅に四分乃至一割九分の減給でしかなく、場合によっては増給にさえなるから、良いではないか、グズグズ云うと退職手当を踏み倒すだけでなく、共済会で出す筈の金も半分ばかり踏み倒すぞ、と市当局はいうのである。併し冗談もいい加減にして欲しいので、退職手当は減給などとは無関係に傭員規定で決っている従業員自身の積立金で、自分の積立てたものを自分が受け取るのは別に変ったことではないのである。仮にそうでないとした処が、あと十年つとめれば十年だけの退職手当の増加もある筈の処、今の計算で之を貰うのでは何のことはない、年功加俸を踏み倒されるようなものだ。(而も噂によると、今渡すのではなくていつか退職する時渡すことを今から約束しておくに過ぎないということだ。)それから、仮に一時金として二千円貰った処で、之を今後の十年間で割れば年二百円でしかない。それと引きかえに日給が初任給より僅かに高い程度のものに引き下げられるのだ。だから、減給率が四割五分の代りに一割何分だとかいう市当局の弁解(之は新聞でも算出してあるが)は、一体何を根拠にしたものか、数学的に極めて疑問でなくてはなるまい。流石の警視庁も気が引けたと見えて、強制調停を見越して、市へこの点につき質疑を発するそうだ。
 局長の親心には、こういう数学応用の手品があるばかりではなく、他に行政的な手品もあるのだ。一旦馘首して全部を改めて採用するというやり方が、仲々上手な減給法であるばかりではなく、もし万一之に多少とも困難が伴って従業員に不穏(?)な行動でもあった場合、それ等の従業員に限って再採用しないということにすれば、甚だ円滑に不良(?)従業員だけをピックアップして、平和に閉め出すことが出来るというわけである。
 話しは変るが、東京市会が本年度の予算編成に際して、市会議員の歳費千二百円を三千円に増額お手盛りしようとした事実を、読者はここで思い出して欲しい。尤も之はいくら何でも外聞が悪いというので、その代りに市政調査費という名目で市議一人当り年八百円、更に今度は新設貯水池の着工促進に関する事務嘱託という名目で一人当り五百円、を分領することに、市議達自身で決めたという事実である、一事が万事この調子でいながら、傭人税とか倶楽部税とかまでを新設した勝手な市当局者である。或る人は、今に猫にでも税をかけねばなるまいと云っている。だから、市電の赤字は市電の従業員の責任に他ならぬと、この我儘な親達の親心は思っているに相違あるまい。それでなければ市財政全般に亘る緊縮の必要は一向顧ずに、相不変、従来通り市電従業員に全負担を転嫁するというような気にはならない筈だ。
 尤も、市財政全般の窮状は主として市電の赤字に責任があることは事実で、市電は之までに約二億円の負債を稼いで来たのである。だが之は何も市電が悪いのでもなければ、況して市電従業員が悪いのでもない。大東京市の近代資本主義的発達に伴って、交通機関が極度に発達した。その結果、実を云うと路面電車程時代後れな交通機関はなくなったのである。之は処が別に東京だけの特別な現象ではないので、外国の近代都市にはいくらでも前例がある筈だから、こうした愚劣な電車を今時運転しているのは明らかに「市政調査」の好きな市議達の、怠慢だと云わざるを得ない。関東震災を期として、多分市電は一掃されるべきであったろうに、その折の五千万円の損害にも屈せず、ワザワザ市電を復興して了った責任は市当局にあるのだ。この時市電自身を整理しておいたら、今になって市電従業員の整理の必要などは起きなかったのだ。この市電従業員整理案、乃至之に基く従業員のストライキは、云う迄もなく資本主義発達の一矛盾の現われだが、夫が特に資本主義の技術的発達に於ける矛盾を最も直接に表わしている処に、この問題の特異な点があるのである。
 だから、いくら山下局長が今後に於ける整理の打切りを声明しても、それが見す見す嘘になることは判り切っているので、実はそういう人為的な姑息な手段では、市電の運命の大勢はどうにもならないのである。市当局者の親心は無論この消息を知らないのではない。彼等は今度の整理で市の財政が立ち直るなどとは夢にも信じてはいない。だがいくらそうでも、とかく気休めと一時逃れというものは好ましいものだ。処が気休めや一時逃れのための犠牲とするには、自分達親心の所有者達の一身はあまりに貴重だ。そこで従業員の生活がこの気休めと一時逃れのモルヒネの注射としての犠牲に供されねばならぬわけとなったのである。思えば山下局長の心事誠に悲壮なものがあるではないか。
 さて市電市バスの同盟罷業だが、争議団は東交幹部四十五名の解傭や、一般解傭の威嚇や、従業申し出での誘惑にも拘らず、一糸乱れず合理的に且つ合法的に罷業を行っていると伝えられている。尤も内部にも東交と日交との区別はあるらしく、市当局が最後会見を申し込んだ時、日交代表だけはノコノコ出かけて行ったし、又同じくこの日交の幹部三人が、争議の真最中に独立に警視庁官房主事を訪問などしていて、意味の通じない談話を新聞に載せるなどしてはいるが、争議団大衆は極めて組織的であるように見受けられる。だが問題は相不変今度も、各種の外部市民からのスキャッブだ。
 電気局当局は争議団に対抗すべく市営のスキャッブ団を組織して電車やバスを予想外の数を運転しているらしいが、その過半数が市民からの志願者乃至義勇軍だということが問題なのである。之は例の防空演習とも関係があるのだが、東京市内外の都市には防護団というのがある。之は大震災当時は××××××××××××××××的行動を敢てした小市民小商人を主体とする団体の後身で、この前の防空演習には、×××××××××××たものだ。この間の防空演習では大分落ち付いて来て、×××××になったようだったが、之に眼をつけたのが市当局で、予め各区の防護団に、いざという際にはよろしく頼むと渡りをつけた。防護団とまぎらわしいものでは例の青年団というものがあるが、之は田舎だけかと思ったらこの頃は東京にもあるらしく今度は方々の区から制服を著たこれ等青年団員が出て、千数百名もの者が市電の車掌をやっているそうである。変っているのは板橋区議の九名がバスの運転を志願したことで、之等区会議員諸君は、この心掛けなら今に市会議員に出世するだろうという噂さである。
 市電従業員の一部からなる修養団の代表者などは、警視庁の特高部長を訪問して、何とか早く解決して呉れないと困ると述べて来たそうである。市民としての修養にさしつかえるからとでも云うのであろうが、労働課や調停課に行かずに特高部へ行ったのは、多分修養団が特高と仲が好かったからに過ぎないだろう。それから新聞の伝える処によると、藤沼警視総監が、強制調停の見込みが立たない時は個人の資格で乗り出すかも知れないそうである。どういう意味なのか実はあまりハッキリ飲み込めないが、之も多分一市民の資格で乗り出すということだろう。
 処が実はこの「市民」という資格が甚だ困りものなのだ。なぜなら防護団や青年団やの或る者、臨時雇ルンペン、其他其他の争議スキャッブが皆「市民」の立場から発生するのだ。変な税金を取り立てられ、市議の勝手な財政政策(?)によって自由にされていながら、その破綻を瀰縫するための市当局の無茶を見て、却って忽ち市のためとか公益のためとかいう「義勇性」を発揮する。そして市民が足を失うのはとに角不正で困ることだというのだ。こうした、オッチョコチョイな「市民」は一切の市内交通が思い切って杜絶でもして本当に痛い目に合って見ない限り、交通労働争議の本当の意義が判らないだろう。
「市民」がたよりにならないとなると、之に代る資格は「軍人」である。御承知の通り、吾々日本人は、凡て市民であると共に軍人なのである。軍部は今度は絶対静観すると称して、在郷軍人の軽挙妄動を厳に戒めているらしい。之は甚だ結構な当然なことで、折角の「軍人」までが「市民」になって了って貰っては困る。――だが、元来軍人と市民とは案外仲がいいもので、今日最も勇敢な「軍人」は他ならぬ八百屋の小僧や呉服屋の番頭で代表される「市民」なのである。尤も、市電従業員は火薬や大砲を造る労働はしないし、市電は国有鉄道や満鉄や北鉄と連絡はしないのだから、市電従業員の罷業は、仮に「市民」にとっては大問題であっても「軍人」にとっては静観の対象に止まることも出来るのだが、文部省は天下の形勢を観て取って、青年団が争議破りに関係することを戒めようとする意向になったらしい。処が青年団の或る代表者は、個人の資格でスキャッブに参加するのなら好いではないかと云っているが、その個人の資格というのが取りも直さず市民の資格のことで、之が一等困りものなのだ。
 軍部を初め文部省、それから内務省、大蔵省、警視庁に到るまでが、今度の市電争議に就いては争議団の方に従来に較べて多少の同情を示しているように一見見えるということは事実だ。相不変オッチョコチョイに躍り始めた「市民」達はそこで、一寸拍子抜けの態のように見える。市電従業員の日給は元来可なりに高すぎたから減給するのは当り前ではないかとか、苟も公共事業である市電でストライキをやるなぞは非国民この上もないとか、相不変のヨタ捏ねてフラフラと立ち上った「市民」は、思惑が大分はずれたことに段々気づいて来たらしい。
 その最も手近かな原因は、争議が秩序正しく且つ純経済的なので、口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)む余地がないからばかりではなく、実は「市民」達が足の不足を大して感じる筈のない程度に、市電や市バスが動いている、という都合の良い事実にあるらしい。処が一方市民が大いに困らなければストライキの本当の効果はないのだ。この矛盾の兼ね合いに、今度の市電争議の特色の凡てが横たわっている。この一点を少しでも行き過ぎると、争議は「治安」を害したり「不正」なものになったりするのである。その時は軍部や警視庁の「同情」を失う時で、同時に「市民」が時を得顔に、スキャッブとして活躍出来る時だ。
 争議団中の東交の在郷軍人達が集って、在郷軍人徽章をつけたり軍服を着けたりして、主として軍部関係者へ陳情に出かけた。この争議の特色である。世間から見た一種の「正当さ」は、この陳情風俗に最も簡単に現われているのである。この争議は単に、国憲的なものと実は之と一つである資本主義的なものとの間の、外見上の対立を特に象徴させるために、今度のように正当化されているものに他ならない。でそう考えると、この争議の価値は、それが模範であるだけに、争議自身としては大した価値のものではないと云わなければならぬかも知れない。――だが時は凡てのことが異状を呈する非常時だ。この非常時にとに角こうしたストライキが起き得たということは決して意味の少ないことではないのである。そして、市民が従来ストライキというものに就いて持っている各種のヨタ観念を清算すべく、市民に常識上の訓練を与える点では、この争議はまず満点だと云ってもいいだろう。

   二、不安時代

 満州帝国駐在日本大使館領事館の高田代理検事は、瓦房店警察署長以下十三名を、密輸問題にからむ涜職の容疑で召喚しようと思って、召喚状をつきつけると、警察側は之を開封もしないでつき返してよこした。検事は重ねて之を警察に送ってやると再び警察は之を営口領事館へ返送して来た。一体之まで満鉄付属地の警官は、関東庁の警察官であると同時に領事館の警察官であって、二つの資格が一つになって働いていたのであり、従って当然領事館の検事の手足として活動すべき筈の存在であったのだが、関東庁側と領事館乃至駐満日本大使館側とが対立した結果、警察官が検事と対立するという、治安維持の上から見て危険極まる奇現象を呈することになった。
 云うまでもなくこの現象は、例の在満機関の三位一体に関する諸改組案の対立から来る一結果に過ぎないのであって、最近外務省案と陸軍案とは著しく接近して来、やがて陸軍案が中心となって現地案が出来上りそうな動きが判っきりして来たが、拓務省案は之に反して、全く尊重されないようになって了った。単に拓務省案が駄目になりそうなばかりではなく、××××××××××××××××××、すでに、拓務大臣の専任はなくなっている。そこでおのずから外務省に対応する駐満大使領事館の検事と拓務省に対応する関東庁の警察官とが原地に於て対立するわけになったのである。積極的に出て来たのは、無論改組案の優秀な方の検事側(外務省側)で、之に対して拓務省側の警察官がヒステリカルに喰ってかかっているのである、「警察官の召喚は、拓務省側関東庁側の排撃を意味するものに他ならぬ。今彼の涜職事件に関する限り、関東庁警官は絶対に潔白だ」と瓦房店署長は云うのである。
 そこで陸軍省側に対応するものだが、関東軍司令部の憲兵隊司令官岩佐少将が、調停を買って出たらしい。調停の条件は正確には判らないが、今後検事の任命に就いては関東庁の諒解を求めることにし、例の高田検事による取り調べも関東庁と協力してやるということで解決したらしい。そこで検事は三度瓦房店の署長に召喚状を発することになるらしいが、署長がどういう態度に出るかによって、事実上問題はどうなるかは判らない。
 だが実は事の真相はあまりハッキリしていないということを忘れてはならぬのであって、関東州法曹団約七十名は、検事の召喚を拒んだり憲兵が憲兵司令官の命令に従って検事の命には従わなかったなどの、一種の司法上の分解作用を不安がって、司法権擁護のために真相調査に着手したそうである。
 で満州に於て或る意味で司法権と警察権とが喰い違いを来している間に、永遠の楽土満州には依然として匪賊の絶え間がない。王道楽土に匪賊が絶えないのは、つまりこの匪賊達が王道楽土反対主義に立っているからであり、従って必然的にそこから結論されることは、匪賊が「赤い魔手」に操られているに相違ないということである。併し之は満州の王道楽土のことで、資本主義日本が与り知ったことではないのだが、併し、あまり、日本がヤイヤイ横から口を出して、喚いたので、ソヴィエトは遂に感違いをして、日本に向って喰ってかかって来たのである。即ち満州帝国が北鉄従業員を「赤」の嫌疑(!)で検挙し、之が思う壺に[#「思う壺に」は底本では「思う壼に」]嵌って、匪賊をして列車顛覆掠奪等をさせる組織を造っているのが判ったと日本が云ったに対して、否実は誰もそんなことは云った覚えはないと思うが、ソヴィエトは、何と思ったか満州帝国ではなく日本帝国に向って抗議をして来た。日本側のこうしたデマは全く最近の日本の×××意図を物語るものだとユレニエフ大使はいうのである。まるで××××××××××ってでもいると云ったような口吻である。
 広田外相がそこで之を反駁して云うには、第一満州がやったことの尻を日本に持って来るのは見当違いだし、それに匪賊によって顛覆された列車は軍用貨物列車に限られていたり、日満人がやられるのにソヴィエト人は被害を被らないなどの点によって見ると、之は明らかにソヴィエトの或る種の司令に基いているに相違ないではないか、と。――無論こうなれば水掛け論で、満州の背後に、日本がいるのは別として、もし匪賊の背後に(?)ソヴィエトがいるとすると、匪賊の活動と匪賊の討伐なども、もはや決して満州の問題には止まらない意味を持ってくるわけだ。そして×××××××××であることを希っているようだ。(ソヴィエトの方はあまりに×××いないと見えて之を否定しているわけである。)そうすると之は瓦房店の署長討伐どころではない大問題だ。
 とそう思って幾日も経たないのに、又々北鉄本線ハルピン新京間で旅客列車が匪賊の手によって顛覆され、多数の死傷者を出し、邦人数名が人質として拉致されたという事件である。ソヴィエトの魔手もこう帝都のすぐ近くにまで逼って来たのでは、満州楽土の治安も累卵の危きにあると云わざるを得まい。
 だが、よく考えると、顛覆したのは軍用列車でもなければ貨物列車でもなかったから、例の広田外相の論拠によると、恐らく之は例のソヴィエトの魔手という奴ではないかも知れない。でそうなら吾々はこの点却って、この事件のおかげでホットすることが出来るわけだ。まして拉致された日本人が無事に帰って来たと聞いて、満州の多難にあまり神経を嵩ぶらすに及ばないではないかと、考えが多少は楽観的にもなるのである。
 処が列車顛覆事件のあった翌々日が九月一日である。この日は関東震災から丁度十一年目の日で、地震や火災の焼死は云うまでもないが、それ以外の×××××××××××××××××××××××××××××、凡そ忘れることの出来ない記念の日なのである。処で去年以来この多難の日が防空演習日に当てられることになったらしいが、之は非常に気の利いた比喩だと私は思っている。関東震災と帝都空襲とは甚だ直接な連想を有っているので、単に空襲が家屋の倒壊や焼失を惹き起こす点で震災を思い起こさせるばかりではなく、その他の×××××××××××させる点でも震災とそっくりだからだ。
 今年のは念が入っていて、可なり強い風雨にも拘らず、東京川崎横浜の三都市は完全な燈火管制を実施し、高射砲の空砲の音までがラヂオで放送されたのであるが、そしてその合間合間に極めて雄壮な軍人や有志の講演が※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)まれていて私などは戦争というものが実に××××××仕事のように思えて来てならなかったのだが、それはいいとして、防空演習の想定なるものを聞いていると、問題は北鉄に出没する匪賊のことどころではなく、正に自分の頭上にあることが気になり出して来るのであって、又々不安に襲われ始めるのである。赤い魔手は新京の近くどころではない、東京の頭上に臨んでいると、ラヂオは悲壮な声で叫んでいるのである。
 私は併し、防空演習のラヂオ放送を聞きながら、一種特別な心配に支配されざるを得なかった。と云うのは、又例の××××××がこのラヂオ放送などを耳にして、日本の軍部はこんなことを云ったあんなことを云ったと云って、愚にもつかぬことを×××××××しないかということだ。何も云わなくても云ったという男だから、ラヂオで聞いたことなら見逃す筈はあるまい。尤も仮に捻じ込んで来ても北鉄従業員検挙事件のように逆ねじを喰せることが出来れば心配はないが、こっちの方がそう行かないとなると困りはしないだろうか、というのが心配になり始めたのである。――吾々はこうやって、夫から夫へと不安に駆られながら、段々興奮して行くのではないか、という不安がある。
(一九三四・一〇)
[#改段]


 パンフレット事件及び風害対策

   一、パンフレットの恩恵

 有名な一九三五・六年の「危機」に直接関係のあるロンドン海軍軍縮予備会談が開かれようとしている。軍備平等権の確立と差等比率主義の撤廃というスローガンを掲げた山本代表が、国民の景気のいい歓呼の声に送られながら出発した。之より先、陸軍は第二次国防充備の五カ年計画のために、明年度以降五カ年総額六億の要求を大蔵省に提出している。ソヴィエト・ロシアに対抗するためには是非之だけは必要で、今日のロシアは日露戦争時代のロシアとは打って変って強くなっているからというのである。尤もこの要求は、この間の思わぬ関西風水害のおかげで政府の総予算の圧縮が必要となったため、明後年度からに延期されることになったが。
 風水害が軍縮会議にどう影響するかは、今の処一寸材料がなくて判らないが、とに角軍部にとってこの風水害は色々の間接直接の影響を与えている。云うまでもなく夫は当然なことだ。この風水害は単に関西地方の軍需工業生産能力の数パーセントを一時的に失わせたばかりでなく、旱魃、冷害、水害による凶作に、更にもう一つの決定的な拍車をかけた。それが軍部と何の関係があるかと云うかも知れないが、この凶作を見越した米価の極度の騰貴は、持米を売り払ったり食いつくして了ったりしている全国の貧農民(ブルジョアジーは之を農村というロマンティックな名で呼んでいるが)にとっては、さし当りの連帯的な損害にしかならないわけで、それに繭のレコード的な安値までが手伝って、この頃農民をクシャクシャさせているのだが。壮丁や在郷軍人までがクシャクシャし出しては国防上の大問題ではないか。
 それだけではない、この風水害は、容易に神輿を挙げそうになかった岡田内閣に、遂々臨時議会を開くことを余儀なくさせた。政党も之でどうやら活気づくだろうが、それだけ軍部も一働きしなければならぬ秋が意外に早く来たわけだ。
 こういう条件が与えられているのを眼の前にして、陸軍は陸軍新聞班の名を以て、十月一日付のパンフレット『国防の本義と其強化の提唱』を発表した。世間がこの種のことをウスウス予期しないではなかっただけに、却って鋭いショックを受けたのは尤もだろう。このパンフレットは十六万も印刷したというが(こんなに多数印刷されるパンフレットは民間ならば珍らしいことだ)、私はまだ実物を見ていないのが残念だ。だがその要点に就いては新聞が相当詳しく報道しているから、夫を信用していいだろう。
 第一に、国内問題は国防の見地に立つと、農山漁村の更生の問題として現われる。現時の農山漁村の窮迫は、農村物価の不当並びに不安定・生産品配給の不備・農業経営法の欠陥と過剰労力利用の不適切・小作問題・公租公課等農村負担の過重と負債の増加・肥料の不廉・農村金融の不備(資本の都市集中)・繭絹糸価格の暴落・旱水風雪虫害等自然的災害・農村における誤れる卑農思想と中堅人物の欠亡・限度ある耕地と人口過剰等に起因しているというのである。原因も結果も物質的地盤もイデオロギーも、国防の見地に立てば一列横隊に並ぶらしく、例えば農山漁村の窮迫は、農山漁村生活の不振に起因する、と云ったような項目を要因として挙げておけば、もっとこの横隊が完全になるかと思うが、夫はまあどうでもいいとして、かいつまんで云うと、これ等の原因の大半が都市と農村との対立に帰納せられるというのである。つまり農村の窮迫は都市の責任だというのである。読者は陸軍の全知能を傾けて帰納した結論として、この断案を尊重することが国防上必要だということを忘れてはならぬ。
 だが都市と云ったって労働者街もあれば貧民窟もある。大邸宅もあれば大官衙もある。それは同じく農村と云ったって大地主もいれば農奴に等しい小作もいるのと変らない。もし万一労働者やルンペンが大地主の責任だというようなことがあったとしたら、農村は逆に都市に対して責任を取らなければならなくなるだろう。処が実際都市の人口の多数を占める労働者やルンペンやその候補者達は、云わば大地主が手ずから都会へ送ってよこしたような連中に他ならないのである。そうするとどうも、都市と農村との対立ということ程ナンセンスなロマンスはないだろう。農村が都市を相手取って、小作問題を起す心配もないし、農村金融の不備が資本の都市集中だというのも変で、農村金融の不備は寧ろ農村高利貸の善意の不備(?)などにあるのではないか。資本が都市に集中するのを羨しがるのは[#「羨しがるのは」は底本では「※[#「義」の「我」に代えて「次」、185-下-4]しがるのは」]農村に於ける資本家(?)のやることで、軍部ともあろうものが夫に相槌を打つべき筋合いではない筈だ。で、軍部は世間の「誤解」を招かないように農村というような曖昧な言葉を避けなければいけない。
 だが幸いにして、世間では軍部のこの第一の断案に対しては別に「誤解」もしなければ反対でもないらしい。寧ろ大いに賛成なのだ。世間も亦この農村という言葉のマジックが気に入っている、そこへ農村の神様である軍部自身が夫を裏書をして呉れたのだから気丈夫この上もないというわけである。
 国防上の第二の問題は、思想問題である。ここでは悪玉は、「極端なる国際主義」と「利己主義」と「個人主義」とであり、又「泰西文明の無批判的吸収」と「知育偏重」とである。之に対立させられる善玉としては、「国家観念と道義観念」や「質実剛健」「実務的実際的教育」などが挙げられる。併し思想問題は一時的な国防上から考察される場合も、永遠な人間教育の立場に立つ文部省の立場から考察される場合も、少しも内容が変らないものと見える。まことに予定調和と云わねばならぬ[#「云わねばならぬ」は底本では「云わねなばらぬ」]。無論世間がこうした予定調和を見て大満足の意を表せずにはいられないのは無理からぬことだ。
 国防上の第三の問題は、武力である。之は軍部に一任すべき性質のもので批評の限りではないが、世間がこの点で完全に軍部を信用しているという事実は、日本朝野の例の軍縮気※(「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88)からも推察出来る。
 だが実業家や政治家を驚かせ且つ怒らせたものは第四の国防上の問題である経済政策論なのだ。軍部の見解によると、現在の日本の経済組織の欠点は、(一)経済活動が個人の利益と恣意とに放任されて「国家国民全体」の利益と一致しないこと、(二)自由競争激化の結果、排他的思想を醸成し階級対立観念を醸成すること(※(感嘆符二つ、1-8-75))、(三)富の偏在、(四)国家的統制力の弱小、などであるという。
 之に臨む経済対策は、国防上、次のようなものになる。即ち(一)道義的経済観念に立脚して国家国民全体の慶福を増進すること、(二)国民全部に勤労に応ずる所得を得させること、(三)金融と産業の制変運営を改善して資源開発・産業振興・貿易促進、それから国防の充実、(四)国家の要求に反せぬ限り個人の創業と「企業欲」を満足させてそれで勤労心を振興させること、(五)公租公課を公正にすること、などになる――注目すべきは資本家打倒とも政党撲滅とも云っていないことで、実業家や政治家は之を見て何だって怒り出したのか気が知れない。
 或る一群のブルジョア・イデオローグは之を見て国家社会主義の宣言だと極言する。併し他のもっと冷静な経済学者達は、そんな危険なものではなくて単に統制経済を唱導するものに他ならぬと云うのである。国家社会主義が、如何に社会主義という名が付いていた処で、なぜブルジョアジーにとって「危険」なものであるかが私には今日に到ってもまだハッキリと判らないのであるが、それはとに角、資本家打倒でも政党撲滅でも、まして資本主義打倒でもなくて、却って個人の創業と企業欲とを満足させ、一方夫によって勤労者の勤労心を養成しようと云っているのだから、どこに一体実業家や政治家が怒らねばならぬ理由があるのか。金融や産業の制度もウマくして呉れると云うのではないか。それから実業家政治家諸君! 諸君が蛇蝎のように悪む「階級対立観念」は、国防的見地からすると道義的経済観念に立脚すれば消えてなくなるそうである。不道義的な自由競争さえ一寸止めれば、排他的思想はなくなり(尤も国際間の排他思想は別だが)その結果階級対立観念はなくなるというのだから、実業家政治家諸君! 諸君は国防的にさえなれば、万事は諸君の望み通りウマく行くのだ。それに諸君は一体何を怒っているのか。――凡ては国防なのだ、「国防」が万事を解決する、軍部のこのパンフレットはそういう一個の鋭い真理を提唱しているのだ。この真理の判らない実業家や政治家は、子の心親知らずとでも云うべきだろう。
 一体農村問題や思想問題や武力の問題に就いては軍部の提唱に大賛成の意を表しておきながら、経済問題になると突如として不賛成を唱えて怒ったり何かし出すのは、何と云ってもそれは政治家や資本家の得手勝手というものであり、前後矛盾というものである。このパンフレットは一貫した論理を以て貫かれているのだ。一部分だけ賛成して一部分反対するというような卑怯な態度は、国防上許すことが出来ない代物である。
 軍部は実業家・政治家、それから地主の云いたくて仕方のないことを、率直に、統一して纒めて云って呉れているに過ぎない。このパンフレットの発表の動機や時期などを兎や角問題にするのは、云わばこの有難い恩に狎れるというものだろう。さっき挙げた例の提案は、どれも之も御題目のように抽象的だし而も陸相自身がムキになって釈明する処によると別に之を強制する意志を表わしたものでもないそうだし、それに仮に実行するにしても、実業家、政治家、地主諸君に夫々手分けをしてやって貰うというのだから、軍部が政治に干与するとかしないとかいう、そんな形式論に拘泥するものはあるまい。――この軍部の恩恵に向って腹を立てたり騒いだりするのは諸君の勝手で、又その憤慨が取り持つ縁となって、国同と民政とが一緒になるのも或いは又民政と政友とが挙国一致単一政党を組織することになったにしても、それも亦諸君の勝手で、序でに政党政治のために祝辞を述べておいても構わないのだが、併しあくまで忘れて貰っては困ることは、それが諸君にどんなに気に入らなくても、軍部の云っていることは諸君の云いたいことと全く同一のことだという点なのである。
 なる程軍部はブルジョアジーや地主や政党政治家よりも、もう少し上手なものの云い方を心得ているという差異はある。例えば、軍需工業労働者に対しては、軍部は「勤労恩賞法」というスローガンで後援している。(勤労心という語はさっきも出て来た。)それから軍事関係の風水害罹災者には軍部は特別な便宜を計ることにもしたそうだ。特に農村に対しては(農民に対してはとに角)、なるべく面倒を見るような方法を考えようとしているのが、軍部の態度だ。だから例えば、全国の農民団体(?)はこの頃軍部の後援を得て「飯米差押一カ年禁止」をスローガンとする運動を始めたがっているそうでその代償としてかどうか知らないが、国防予算の削減には大不賛成だと云っているそうだ。(東京日日新聞はワザワザ之を報道して呉れている。)正に軍部の注文通りの筋書きに出来ているが、天下の実業家・政治家・又特に大中小地主諸氏も、もう少し軍部の様な考え方を習い覚えることが一身上の利益ではないかと思う。軍部とブルジョアジーとの対立(?)、その小さな一例は在満機構改組をめぐる軍司令部と関東庁との対立などだが、こうした内部的な対立などは、それから後でユックリ考えても充分間に合うのである。

   二、復興と同情

 関西風水害の対策、復興方針は、云うまでもなく各方面で講じられている。何しろ大きな学校が潰れたり、急行列車が吹き飛ばされたり、有名な五重之塔が消えて無くなったり、汽船が街頭へ出て来たり、数知れぬ人命が奪われたりしたのだから、どんなに社会現象に無関心な世間の人でも、多少のショックを受けるのは当然だろう。一切の現下の社会問題は今や、この一個の突発的な自然現象(?)によってスッカリ蔽われて了いそうだ。現に都下の婦人団体の御婦人方は、他のことには一向無関心なのにも拘らず、こういう刺※[#「卓+戈」、187-下-22]的な事件に対しては極度に涙もろくなっている。シニズムとセンチメンタリズムとはお隣り同志だということがこういう場合に最もよく判るが、併しとに角活動しないよりはした方がいいことは事実である。市電の臨時雇車掌として活動して喜んでいる小商人達よりは大いに結構である。
 私は何も折角の婦人団体の活動にケチをつけようというのでは決してない。実は寧ろその反対なのである。だがまず所謂復興なるものがどういうものかに気をつけなければならないようだ。文芸復興とか宗教復興とかいうものが世間では盛んだが、復興というものは往々油断のならない代物だからである。
 一体風水害からの「復興」はどこへ向っているか。総括して了えば夫は金融問題に帰着するのである。と云う意味は、まず第一に大蔵省と日本銀行とが復興のため中小商工業者への低利資金融に就いて、意見の一致を見たと伝えられる。それから近畿商工会議所連合会の席上では、大蔵省当局者に向って、二千万円程政府が責任補償する一万円以上の復興資金の予算を要求している。尤も商工省当局の意見では、予算によるよりも預金部の融資に俟ちたいというので、商工会議所の資本家達も之を諒としたそうだが、同時に特に大阪商工会議所では、大阪府市の中小商工業者への貸付増加に積極的に乗り出すことに決定したし、大阪府当局では中小商工業復興資金という新制度を造って、府が半額補償することにして六百万円を罹災者に貸しつけることにした。この際参考までに挙げておきたいが、金融はその本質から云って担保の要るのが当然で、担保があれば一口五千円以内、もし無担保ならば一口一千円以下というのである。年七分五厘三カ年償還。岡山県会は該地方融資銀行に五割迄の損失補償を奮発することによって貸付けを行わせることにしたという。例はまだまだいくらでも挙げられるだろう。
 農村の復興(尤もそういう言葉はあまり使われないようだ、稲がへし折られるのは、打ち見た処家が潰れる程に壮観ではないから、復興という言葉はあまりピンと来ないかも知れぬ)の方は之に反して一般の農村対策の内に嵌め込まれる。旱・水・冷・繭安・害により農民の窮迫は云うまでもなくこの風水害によって愈々決定的になった。農村の被害は総額八億円の損失と見積られているが、その内二億五千万円はこの風水害によるもので、他の要因に較べれば風水害による打撃は比較にならぬ程大きい。だが農村の被害に対しては「復興」どころの問題ではなく、もっと絶望的な「対策」が必要なので、農村の風水害問題はこの一般的な農村問題に吸収されて了っているのである。――で復興されるべきものとして残るのは矢張中小商工業だけとなる。尤も中小商工業が復興の特典を与えられるという場合には、口を利くものは実は大商工業夫子自らなのだが。
 処でこの農村対策というものも亦、実は矢張金融問題に過ぎないのだ。そして貧農民は他ならぬこの農村低金利資金のおかげで、×××××られたり××××になったりしているのである。だから農村の農民にしろ都会の無産者にしろ、金を借りてウマく行く場合はいいとして、借りても返す見込みのないものは、遂に復興の恩典には浴したくても浴せないわけになるだろう。銀行の手先である農村高利貸から低利資金(?)を借りるにしても、又は例えば産業組合の金庫から借りるにしても、話しはつまり同じなのである。――で金を借りる能力さえないこういう連中は、内務省の御厄介にならなければならないのである。内務省は必ずしも風水害地に限らないが、現在の各種の災害の罹災関係地方に於て、地方地方に適した土木匡救事業のための予算を臨時議会に提出するという。議会はいつ開かれるのかまだ決定していないらしいが、内務省は拙速主義でその成案を得ることにするそうである。つまり風水害地に於ける金融無能者は、復興の特典にあずかる代りに地方的カード階級に登録される特典を授けてやるというのである。
 文部大臣は罹災小学校に国庫補助を約束したらしいが、そういう建物や物件の復興費は今度の臨時議会で大いに予算を取ることが出来ようが、人間自身の生活の復興の方は一体どうなるのだろうか。尤も文部省は被害学童へ七十万円の食事・被服・学用品・の復興費を予備金から支出したが、子供はそれでいいとして大人の方はどうなるのか。
 世間の人達は仲々皮肉に出る。こうした復興の欠陥の非を打ち鳴らす代りに、為政者に対する面あてとして、直接罹災者の人間自身に同情の涙をそそぐのである。上は富豪・新聞社・諸団体から、下は一介の匹夫匹婦に到るまで、金銭や物資による救助を惜まない。して見ると生活自身の復興は、専ら社会の麗わしい隣人愛に放任されている訳だ。無論こう云っても、同情は確かに道徳的だ。
 最後に、同情に就いての一つのエピソードを読者は思い起すだろう。パパママ論で、男を挙げた松田文相は、モダーン生活や小市民生活に対しては極めて同情能力の乏しい人のようであるが、丁度×××や×××型の「豪傑」が常にセンチメンタルであるように、涙脆いという意味では、仲々同情に富んでいる人のようである。京阪地方の風水害罹災学校を視察しながら、手ずから負傷した児童をいたわってやったり何かしていた文相は、児童への同情が昂じた余り、四十一名もの災死児童を出した京都西陣小学校で、児童を横のコンクリートの建物の中に避難させなかったのは明らかに校長の失態だ、と繰り返し断言したというのである。それから災死児童の父兄に就いては、暴風警報が出ている朝に子供を登校させる親は馬鹿者だ、と放言したというのである。
 市教育部ではすでに、不可抗力によるもので、校長及び職員には責任はないと決定していた処なので、市当局も文相の言葉を遺憾とするし、西陣小学校の校長以下全職員は憤慨して、進退伺いをつきつけた。西陣学区会は職員側を支持しているので、結局進退伺いは却下されるだろう。
 だが云うまでもなく責任は校長などにあるのではなくて、学校建築自身の問題の内に横たわるのである。同情などという心丈けの道徳の代りにもっと科学的な道徳を知っている日本建築会は、すでにこれよりずっと前に、役員を召集して小学校建物の倒壊の批判を行ったが、その結論として、責任は監督官庁が負うべきだということになったのである。そして大阪府当局も亦この責任を承認したようである。尤も責任を取って進退をどうこうするというのではなく、そういう進退問題になれば、「弱い商売」の校長さん達が背負わされるのだが。校長さん達こそ同情されて然るべきものかも知れない。
 倒壊した小学校建物には、単に古いとか位置や其他が不適当だったというばかりではなく、可なりの不正請負の結果によるものもあるらしい。こうなると技術の社会的運用の問題になるわけで、特許権数がいくら世界の第三位になっても、技術の社会的水準は一向向上しないということが之でも判るだろう。
(一九三四・一一)
[#改段]


 高等警察及び冷害対策

   一、高等警察性

 東京朝日新聞が報じる処によると(十一月二日付)、内務省の唐沢警保局長は、就任以来、警察行政刷新の理想を持っていた処、最近警保局の局課長会議に於てこの刷新の根本方針に就いて協議を重ねた結果、遂に高等警察の廃止を決定したそうである。高等課の受け持ちである、政治、経済、宗教方面に就いて、今後は単に犯罪を構成するような問題に限って活動を続けることにし、而もその活動を特高課と刑事課とに管掌させようというのである。
 之は一方に於て警察事務を単純化し簡易迅速にする所以であり、他方に於て権力行使の範囲を限定して警察本然の機能を強力化する所以になるということだ。即ち従来に較べて高等警察事務はズット消極的になるわけであるが、そうすることの方が警察事務が簡易迅速になって且つ警察本然の機能に適うというわけである。之で見ると従来の所謂高等課の積極的な活動は大体に於て、警察行政上無用で××であったということが、警保当局自身によって認められたわけだ。今後は犯罪を構成するような問題に限って取り上げようと云うのだから、従来は、政治、経済、宗教方面に就いてはまるで××と関係のないことに高等課の刑事達が忙しげに立ち働いていたということが明らかに告白されているわけだ。
 だが一体、全く××と関係のないことならば何も刑事や制服の警官を使わなくてもいい筈だし、又そんなものを使役しても何の役に立つ筈もない。少くとも普通の「有志」や何かでは不充分で高等課の警官を必要とした以上は(必要でないなら高等課が設置され存続されて評判を悪くする筈もあるまい)、刑事や制服は恐らく、この××と関係のない事柄をも××と関係づけて、或いは関係づけそうな態度で以て、取り扱ったに相違ない。選挙干渉と云ったって、警官の強力的権力を背景にしなければ全く無意味だが、警官のこの強力的権力の火が犯罪の煙のない処には発しないものだということは天下の常識である。すると高等課の警察行政としての欠点は、例えば政党政治や其他色々(夫は後で考えよう)の必要から、××でないものに就いてまで××の成立を示唆することによって、警察権力を活用するという点にあることなる[#「あることなる」はママ]。之が無用で××で××であることは云うまでもない。
 高等警察が政党政治の傀儡だからいけないという理由は、だからごく悪く常識的な理由に過ぎないのであって、実は政党政治其他の必要に応じて警察行政上の××をやる常習機能だからいけない筈だったのだ。実際「高等」警察は何も政党政治や何かに限られているものではなく、又単に政治や経済や宗教の問題に限られているものではなくて、一切の越権は、一切の職権×用は、皆多少とも「高等」政策の意味を有っているし、又高等政策の必要に迫られたものが多いのである。一体高等警察というのは、犯罪の性質が主に高等(?)であるからとか、犯罪者が主に高等(?)な社会階級にぞくしているからとか、いう点も多分にあるが、併しそれは先ず、高等政策警察を意味しているのである。高等政策警察というのは何かと考えて見れば、要するに犯罪に対して、本来の警察(下等警察?)の権限外に立って、取捨選択を行うことだ。ある一定の外部からの必要に応じてある行為を××として取り上げるか上げないか、というようなことがその意味だ。即ちここでは××が××されたり××されたりするわけである。でこの意味で、警官の普通の××××は皆「××」警察の意味を持っているのであり、所謂××××と所謂高等警察との違いは、ただ単に、本来の下等警察(?)に対する警察外的必要が、個人のものであるか組織的なものであるかに過ぎない。
 警視庁の警務課長武内某氏は、××××と通謀したという嫌疑で検事局の召喚を受け、遂に辞表を提出した。頭山満家の名を××して右翼思想団体を自称する××会の幹部某を紹介して、各種の会社を廻らせ、会社の弱点を教示して恐喝の資料を提供したばかりではなく、この恐喝事件の犯罪捜査の情勢をこの犯人に通じたり、検事の令状を三度までも握り潰したりしたことが判明したのである。処で警務課長である武内氏は犯罪捜査の情勢に通じる筈がないのに、之を知っていたとすると、武内氏の身辺に、××で×××がいなければならなくなるわけで、問題は警視庁全般の綱紀問題にまで拡大しそうだと見られている。で之は決して武内某氏だけの問題ではなく、××××××××××に関する職権×用の問題であるが、之なども矢張一種の高等政策警察であって、偶々夫が最も下等な高等警察であったに過ぎない。「高等警察」なるものは、つまりこうした××が合法化されて現われた一警察行政機能だったわけだ。
 だが、そうは云っても、実際問題として、どこまでが本来の警察機能で、どこからが越権的警察機能であるかは、簡単には決められない。高等警察と下等警察との限界をどう決めるかということが、即ち又高等政策警察にぞくすることで、そうすると結局、どんなに所謂「高等警察」が廃止になっても、警察そのものの「高等警察性」は消えて失せるものではない。どんなに下等警察(?)でも、警察である以上高等だということは、非常に尤もなことかも知れぬ。その証拠には特高課というものがあって、高等政策警察の内でも、特別に之だけは廃止どころか発達を嘱望されているのを見ればよい。
 今や高等課の廃止によって、この特高課が「高等警察」の、即ち警察機能の高等警察性の、代表者の名誉を担うことが名実ともに出来るようになった。無論特高警察は越権的な警察機能ではない、それどころではなく、之こそ火事の予防や交通の整理や人命や財産や名誉の保護よりも大事な時にはそのために国民の人命や財産や名誉を×××××××××ない程の、警察の本来的な本質的な機能である。だがそれが××であるかないかが、実はそれの「高等警察」性によって、即ち××的に、決められるのだから、愈々之は警察の花形なのである。
 実際の話しが、或る人物を警察へ引致するかしないかは、すでに特高課の「高等警察」的な判断にかかっている。云わば目に立って有害そうに見える男は、その思想に基く犯罪の確証が××××××、思想政策上引致されるかも知れない。この際すでに或る意味で、この男を××にするかしないかが、高等警察的に決まっているのである、其他其他。之が特高警察の「高等警察性」であり、この高等警察性が警察機能の本質なのである。――ではなぜ高等課が廃止になるのに特高課は盛大になるか。それは二つの場合では、同じ警察機能でも、それは権力を発揮する対象が、殆んど全く相異っているから、当然なのだ。所謂高等警察の取り扱う対象は「高等」な社会人であるが、特高課の対象は之に反して下等な社会人なのだ。ただ夫だけだ。
 高等警察の廃止は政党の凋落を物語る、警察は政党が凋落したものだから、その××であった高等課を振り捨てるのだ、と云われている。それはそうだ。併しそれは同時に警察の特高化を、思想憲兵化を、物語っている。丁度政党や官僚や、軍閥が或る一点に向って集中して行くように警察行政も亦この一点に向って集中して行くのであって、高等警察の廃止も警察のそうした集中過程の一産物に過ぎないのである。

   二、自然現象と社会現象

 現在で最も大きな問題は何と云っても東北地方の「凶作」飢饉である。新聞は毎日写真入りで東北地方農民の耐え難い生活を報道している。新聞は或いは宣伝のためにこの問題に興味を有っているのかも知れないが、とにかく新聞の「東北凶作救済運動」は天下の輿論を動かし、センセーションを捲き起こすのに成功したと云わねばなるまい。特に農村の娘が酌婦・芸妓・娼妓・女工・女給・女中などとして安売りされるということが、少なからず世間の男や女の興味を惹いたらしい。子女の安売は日本では何も今日に始まったことではなく、又必ずしも農村だけに限られている現象でもないのだが、農民のただの凶作やただの貧困ではジャーナリスティクに興味がないので、世間では之を人身売買や芝居の子役の形に直して、問題に色艶をつけようと力めているらしい。
 この笛に合わせて起ち上ったものは、各種の婦人団体であって、愛国婦人会やキリスト教婦人矯風会、仏教女子青年会、などの会員は一堂に会して全国的な一大運動を起こすことになった。一体婦人団体というものが社会問題に対してどんなにシニカルで、従って時として問題が女や子供のことになると如何に突然とセンチメンタルになるものかということは、私が関西風害に就いて前にも云ったことだが、ここでも亦反覆して之を証明することが出来る。だが私は之を決して無意味だとか、まして悪いとか云うのではない。無論非常に立派なことなのだ。
 だがこの婦人達の或る種の錯覚は是非とも訂正しておかなくては都合が悪い。農村の子女が安売されると云っても、無論この婦人達は女子供の売価が安いことに同情しているのではない。女を売買するということが、不道徳で、この不道徳な行為の対象となった女どもが可愛相だというのである。そして特に娼妓や芸妓や酌婦というような、この御婦人達にとっての金科玉条である生理的貞操の心理を攪拌するような連想を有つものを、この子女売買の名に値する代表的なものとして理解しているらしい。つまり、今日の東北の農村は子女の貞操観念を破壊する、だから東北の凶作は不道徳だ、という推理が中心な信条になっていると云っていいようだ。
 だが人身売買は、又特に女子売買は、決して子女の生理的貞操の人身的売買ばかりではない。国際労働局次長のモーレット氏によれば、最近の日本製品の世界的進出は、日本のソーシャル・ダンピングに基くのではなくて、日本に於ける産業合理化と技術の優秀と、それら日本国民従って又日本労働者の特殊な生活の簡易にあるのだという。ここで産業合理化というのは労働力搾取の高度化ということで、又技術の優秀というのは機械設備が優秀であることではなく労働者の技能の搾取が発達していることだ、ということは今更説明するまでもない常識だが、これはつまり、その次の、日本労働者の特殊な生活の簡易、を条件としているものに他ならない。
 その最もいい例は製糸工場紡績工場の女工であって、この日本に特別沢山いて繊維工業の労働力の大半を占めている女工なるものが、正に、他ならぬ農村の、と云って曖昧ならば零細農民の、娘達なのである。女工の募集が人身売買の形を取っていることは周知の通りで、従ってその結果女工の日常生活が買われた身体の生活であることも、寄宿制度その他の形で判る。生理的貞操に直接は関係しないというだけで、酌婦や芸娼妓に較べて根本的な相違のあるものではない。この点女中もそうだし、又独り女に限らず又子供に限らず、一般に今日の労働者乃至失業労働者が皆そうした根本条件の下に立たされている。豈東北の、凶作地方の、農村の、女の子、に限らんやだ。
 例を青森県から取ると、県下を去っている年頃の女達七千人の内、芸妓は四〇五、娼妓は八五〇、女給は九四八、酌婦一〇二四、女工は一四二七、それから女中が断然多くて二四三二名である。之で見ても判る通り、女子売買の内、数から云えば、多いのは女工女中であって、芸娼妓は之に較べれば寧ろ少ないだろう。矯風会や愛国婦人会の婦人道徳では農村の子女の救済に不向きだということが結論出来ないだろうか。
 尤も之は何も婦人達に就いてばかり云っているのではなく、青森県で出来た「農村婦女子離村防止委員会」(市町村長・警察署長・職業紹介所長等からなる)や山形県下の「娘を売るな!座談会」などの、道徳に就いても、云いたいことなのである。元来道徳は、ニーチェではないが、いつでも婦人的なものだから。
 新潟県では愛国婦人会が、身売り志願者に金を貸して、職業紹介をしてやることにし、金は返せなければ返せないでも仕方がないという、ことにしたそうであるが、之は救済手続きとしては何よりも率直で実際的だ。百の委員会よりも、千の座談会よりも、或いは何十万円の「涙金」よりも価値があるだろう。処が貧農の娘達を職業紹介すると云えば、今日は何と云っても一般に最も労働条件の悪い女中奉公になるわけで、愛国婦人会の奥様方は之を利用して、うまく女中探しをやることになるわけだ。当然之は娘達の農村離脱を結果するので、これに照して見ると、先に云った青森の「離村防止委員会」はやや勘違いではなかったのかと気がつくのだが、併し人身売買の防止から出発して、青森県の例でも一等多数を占めていた女中出稼を奨励することは之は婦人会側の多少の勘違いを意味しはしないのか。尤も多少の勘違いはあろうがなかろうが、何も考えず何も実行しないよりは増しなのは云うまでもない。ただ要点は依然として婦人道徳の限界が災の種だということだ。
 東朝系と東日系との義捐金競争は、之又涙ぐましい美談だろう。例の婦人団体を後援したものは東京朝日新聞であるが、東京日日新聞は之に対して「東北振興会」なるものを後援して遂に之を奮い起たせた。この会は東北地方の産業発展を目的とするために設立されたものだそうだが、それが東日に促されて初めて義捐金募集に乗り出したというのである。これ等の義捐金募集運動によって、都下の市民・小市民の醵出した義捐金は無論莫大な額に上る。
 処で内務省の全高等官は今後半カ年間年俸の五分を割いて農村に捧げることを申し合わせ、農民ばかりではなく後藤文夫内務大臣をも喜ばせた。この風俗は官吏の全部に行き亘って、事務次官会議では、各省高等官は俸給月額の少くとも百分の一を醵出して農村に送ることを申し合わせた。大蔵省の計算によると、之は全国で少くとも月額六万円に達する見込みだそうだ。陸軍部内では、単に醵金するばかりでは軍部らしくないとして、陸軍部内の武官文官打ち揃って、組織的な救済運動をやろうということになった。それから東京・長野・新潟・宮城・其他の府県の地方官吏も亦続々として減俸による醵金を決定したと伝えられる。警視庁の高等官も俸給の百分の三を、今後六カ月に亘って割くことになり、判任官も之に呼応するらしいという状勢になって来た。――三菱は前に二百万円を寄付したが、三井が今度三百万円寄付したので、百万円足して三井同様三百万円にすることにした。其他様々。
 今や日本は上下を通じて、日夜東北救済義捐金の醵出に夢中である。曽つての国防基金の醵出の風俗などは今ではどこへ行ったか姿も見せない。今にして判るが、日本人はこんなに人間的同情に富み、義勇の道徳が身につき、こんなにも社会事情に敏感で熱心であるのだ。――処が私は不幸にしてあまりこうした浮気な同情や道徳やセンシビリティーを信用出来ないのである。同情や道徳やセンシビリティーが、婦人団体のように貞淑で浮気だからばかりではない。もう少し他に理由があるのである。
 一体同情というものは、云わば人間界に発生した自然現象について生じるという特性を有っている。商売に失敗して首が廻らなくなったということでは、あまり同情の対象にはならぬ。お説教の対象にはなっても人間の道徳的皮膚感触を触発するものではない。之に反して火事で焼け出されたり不慮の病気で食えなくなったりしたのは、同情の一等優秀な模範的な対象になる。病気など実は大部分一つの社会現象なのだが、之を同情の対象とするためには無理にも之を人間界の一つの自然現象にして了わなければ、どうも都合が悪い。
 つまり同情というのは、社会現象ならばお説教すべき処を、自然現象として見るのでお説教の代りに持ち出されるものなのだ。病気でも多少科学的に取り扱い出すと、病人の日常生活に対する医者先生の養生法の説教一つきりになるのであって、又之を天帝や為政者の怒りや不徳の致す処にして了えば再び天帝や為政者の責任問題になって了うので、いずれももはや同情の対象ではなくなって了う。同情とは「自然現象」に対する社会人の原始的な反作用である。
 処で東北地方の凶作飢饉がなぜ現在このようにセンセーショナルな同情の対象になっているかというと、単に世間の人達の意識が甘くて、婦人団体を道徳上の模範としているばかりではなく、更に進んで、この同情を守り、この道徳を傷つけないために、東北地方問題を専ら一つの自然現象として見ようと努力しているその努力が立派に報いられたからなのである。
 成程凶作だったから農民が食えなくなったに相違はない。併し仮に豊作であっても飢饉にならないとは保証出来ない、という過去の事実を、世間人の浮気な同情は、まさかスッカリ忘れて了っているわけでもあるまい。所が凶作は冷害の可なり不可避な結果だったから、そして飢饉はこの凶作の結果なのだから、東北の飢饉の原因は冷害にあるというのが世間の人達の同情の原因なのである。
 安藤広太郎・寺尾博・岡田武松・藤原咲平等の農学及び気象学の学者達が集って、農相官邸で「冷害対策懇談会」を開いて、色々面白い研究が発表された。水温が低いと凶作となり又不漁になるとか、火山の爆発が冷害凶作の遠い原因にもなっているとか、注目すべき統計上の結果が公にされた。自然科学的な乃至は純技術的な観念からすれば、冷害対策はこの種のものとおのずから限定されるのは云うまでもない。
 だが判らないのは農林省当局の意図であって、なぜ農林省は東北の飢饉凶作に、凶作を冷害に、それから冷害を気象的地質的現象に、すりかえるのかという点だ。まさか火山の爆発を鎮圧したり、日本の水温を温めたりして、今後続くだろう東北農民の貧困を防止しようとは思っていないだろうが。同じく根本的永久的な対策ならば、もう少し現実的に利き目の著しい対策がありそうなものだ。一体凶作の問題は「米」の問題ではないか。農林省が東北問題対策として一等先に之に気づかないというのは、どうした次第なのか、吾々には判らない。
 政府は政府で、「東北振興審議会」なるものの官制制定に多忙を極めている。一、内閣所属とし会長は総理大臣之に当り、内務農林両相を副会長とす、云々というわけだ。政府は天文台か地震研究所でも造るような、床しさを示している。――私は例の婦人方の純真な「同情」が、このような色々な冷静なる研究態度に変形して行くのを見て、お気の毒に思う他はない。併し何しろ、事件が「自然現象」である限り、そして態度が「同情」である限り、そうなるのも已むを得ないことだ。
 内務省は国立栄養研究所の原徹一博士を東北地方に派して、冷害地の栄養調査を行わせた。之は「冷害対策行動」の内で、可なり意味のある行動の一つに数えていいだろうと思う。その調査結果によると、明年の四五月頃が一等農民の弱い目が現われて来る危険期だろうというのだ。処で原博士の所感だが、「貧農の救済は一刻も躊躇はならぬ、しかし、僕の痛感したのは中農の悲惨な実状である。かれ等は平素相当な生活をしていたため、現在ではその所有品を売払ひ、その上、働いても食がない、こうした中農の救済についても当局は大いに考慮してやってもらいたい、」云々(東日十一月七日付)。之で見ると政府は、専ら貧農を救済していることになるが、私は今迄政府が救済するのは、中農小地主以上だとばかり信じていた。だが、博士はここで科学者として語っているのではなくて、一個の例の「同情」者として話しているのだから、あまり信用する義務はあるまい。ここでも結論は「同情」に帰着しているからだ。
 東北の冷害という「自然現象」に対する渦巻く同情の嵐を他処にして、社会現象としては、同地方の小作争議は年末と寒さに向って刻々に深刻化して行っている。今年は一月から九月迄の間に全国に四千の小作争議が発生したが、前年よりも五百件多い割になっている。その内小作人側から小作継続を要求するものが実に六十二パーセントを占めているというのだ。青森県などでは各町村に小作争議防止委員会を組織せしめ、相不変、町村長・警察署長・農会技師を始めとして、地主代表と小作人代表とを夫々一名ずつ会商せしめることにしているそうだ。農村陳情団は到る処、国元の駅頭で阻止されているとも聞いている。窮乏農村には「自治返上」の叫びをさえ挙げている処があるそうである。でこう見ると、東北地方の問題は、どうも矢張自然現象ではなくて、従って「同情」の対象としてはやや不向きで、遺憾ながら一個の社会現象だということになる。
 社会現象とあれば、東北の冷害は、独り米穀問題ばかりでなく、偉大な軍事予算の問題や、対軍縮会議兵力量の問題などと切り離しては意味がない筈で、そこまで行くと、問題は愈々「同情」や何かでは×××せなくなるのである。東北地方の救済と、軍事予算との、数量上の連関を、ハッキリと私に教えて呉れる人はいないか。(一九三四・一一)
(一九三四・一二)
[#改段]


 試験地獄礼讃


 田舎の或る女学校に勤めていた私の友人が、遂々校長と喧嘩をして追い出された。同僚の先頭に立って、校長排斥をやった処、校長はイッカな動こうとしなかったので、社会的な質量の軽い方の彼が、反作用によって追い出されて了ったのである。校長排斥の理由は彼によると数え切れない程あるのであって、どれ一つとして現在の公立中等学校、中でも女学校の校長という地位を特徴的に物語っていないものはないのであり、どれも必ずしもこの校長の人格だけに固有な特徴として非難されるべきものはないのだが、その内に一つ、次のような笑って済ませない理由が含まれていた。
 県当局に対して万事ぬかりのないこの校長は、実は同時に仲々卓越した人間通だという結論になる。彼は部下の若い女教諭に命じて、卒業間近かの小学校の女生徒の家を訪問させて、自分の女学校へ入学することを勧誘させたのである。尤も近所には通えるような学校はあまり無いのだから、他の女学校へ行かずに自分の女学校へ来い、と云って勧誘するのではなく、娘さんをとに角女学校というものにお入れなさい、と云って勧めるのである。別に秀才や天才児の家庭を選んで勧めて歩くのではなく、四年間か五年間通学させるだけの学費の出せる家庭でさえあればいいのだから、その内には低能で始末の悪いのもいるだろう。それを承知で勧誘する以上は、入学させてから矢鱈に落第させたり何かは出来ない。でつまり落第はさせない、四年なら四年で卒業させる、という請負をして歩かせるわけである。それはまあいいとして、友人が一等憤慨したのは、校長がこの女教諭に対して、特にお白粉を塗って行くように注意したという点なのだ。
 敏感な友人のことだから、この注意を何か特別に売笑的なものと感じて憤慨したのだろうが、併しこの程度の売笑性ならば寧ろ社交性や服飾道徳にさえ数えられるべきもので、美人であることは夫だけとして見れば秀才であることと同じ自然的素質なのだから、秀才にあやかるために、又は益々秀才振りを発揮するために勉強するのが良いことであるように、お化粧をすることは良いことなのだ。娘の両親でもお祖父さんでもお祖母さんでも、綺麗な先生に勧誘されれば、あまり綺麗でない先生に勧められるよりも、気が進むのは自然である。校長の奇知はそこを覘ったものと見える。
 併し問題は、そうまでして浮身をやつしてまで入学志望者を募集しなければならない女学校又は他の諸学校の存在である。というのはもし入学志願者がいつも定員へ満たないようだと、学級の整理と教員の整理とは必然の結果なのである。その結果は又、その学校の社会的な資格が段々落ちて行くことだ。校長にして見れば、ジットしたままでいて、自然と左遷されていることになる。こうなるとだから入学志願者が学校を造るのではなく、学校が入学志願者を製造しなければならぬ。東京などの私立営業の学校にはこうした場合が極めて多いので、別に女学校に限らず又中等学校に限らない。客引きがなければ宿屋の主人も番頭も食えなくなる。偶々女学校だから女の先生をマネキンに使った迄であった、そして女のマネキンは綺麗なのが当り前だ。
 思うに入学志願者の少ないこの女学校の校長は、入学志願者の多過ぎる学校の校長よりも、遙かに教育の名に於て苦悩していることだろう。他の校長達は自分の学校の入学志願者が多すぎることを喜び又誇りとしているだろう。之は鉄道省の役人が、いつも満員で乗客がウンウン云いながら詰め込まれている列車を見て満足するようなものだ。私が友人ならば、例の女学校の校長よりも、こうした名誉ある校長を排斥する心算である。
 少くとも中等学校の数は、中等学校入学志願者の数を根拠として、与えられなくてはならない。と云うのは、入学志願者の大抵のものが無条件に入学出来るだけの中等学校数を用意するのが、一応当然なのである。況して今日の中等学校では一般人間として受けるべき程度の教育さえ授けられていないだろうから、殆んど凡ての入学志願者を入学させるということは無条件に必要なことだ。その意味で中等学校の実質は一種の義務教育だと考えていい。――処で義務教育ならば、単に自発的に入学を志願するものだけを受動的に収容するだけではいけないので、進んで入学志願者を開拓しなければならない筈である。(こういう点から云っても女の先生にお化粧させた例の校長の方が結果から云って良心的かも知れぬ。)併しそうすると、資産や学資の如何に関係なく、一切の社会層から入学志願者を開拓するのが理の当然となるだろう。それでは財政上の豫算が許さないし、又学校商売としても成り立たなくなる。そこで一等都合のよい入学志願者制限法即ち又学校制限法は、或る一定社会層以上に志願者を限定するように、万端施設することである。曰く相当高い授業料、就職の禁止、昼間学校の建前等々。
 でこうなると、入学志願者と中等学校数とを均衡にせよと云って見た処で、その入学志願者数そのものに一向社会的な公正さがないのだから、無用な心配と云わざるを得ない。入学志願者が不足だということも、実は予め入学志願者を社会的に制限した上でのことで、入学志願者が多過ぎるということも亦単に、こうした入学志願者の社会的制限にも拘らずなお或る学校の受験者だけを取れば数が多すぎる、というに他ならない。事実上は、入学志願者総数と、入学し得べき中等学校数とは、それほど不つり合いではないらしく、単に受験生が或る特定の学校に偏在するに過ぎないのだから、社会の階級的施設としては、今日中等学校の数は却って理想的だと云ってもいいかも知れない。
 だが丁度普通選挙の理想のような普通入学(一般入学)ではなくて、(階級的な)制限入学なのだから、すでにそれだけ普通教育=義務教育の目標からははずれているわけだ。そうすれば、どうせはずれているならば、普通教育の代りに秀才教育か何かを主義にした方が、教育の理想から云って合理的ではないだろうか。所謂中産階級層以上の子供を一様に教育する代りに、その内での相当の秀才だけを選抜して教育した方が、ブルジョア社会の幹部候補生養成としてもズット合理的な筈である。中産階級層以上の家庭なり子供自身なりが進んで中等教育を受けさせよう受けようというのを拒むことは正しくない、というなら、無産者がその子供にせめて形式的な中等教育(内容には随分歪曲された社会知識を注入するがそれは大人になれば訂正される)を受けさせようという気持になることを拒むことは、正しいことか。ブルジョア的有力者の馬鹿息子が中等以上の教育を受け得ないのは世道人心を害するとでも云うのであろうか。
 さてこうなって来ると私は、一般に云えば寧ろ入学試験の讃美者とならねばならぬ。単に学校の収容人員に対して相対的に入学を制限するばかりではなく、寧ろ子供や生徒の知能の絶対的な一定標準に従って、入学を制限した方がよいとさえ考える。ブルジョア層や小市民層出身の出来ない生徒を相手にしたことのある教師は、これだけの数の生徒を無産者大衆から選抜したらば、どれだけ社会的に経済的だろうと、思わないものはないだろう。――だから悪いのは、入学試験そのものではなくて、一定の階級的入学志望制限統制を社会的に施しておいた上で自由競争的な入学試験をやることから生じる色々の結果にあるのである。と云うのは例えば、社会的に入学志望を制限するから、人類全般の知能素質から見て大した教育上の効果を期待出来ないような入学志願者がそれだけ割合を多くするので、入学志願者の間の知能の開きが大きくなり、之が自由競争をする結果「良い」学校と「悪い」学校とが出来て、入学志願者が多過ぎて困る学校と少な過ぎて困る学校との分裂が始まるのだ。少し考えて見ると、これが今日の入学試験地獄の根本的な遠因であることが判る。
「良い」学校というのは世間で往々考えるように教師と施設とが良い学校を云うのではない。男の子ならば、上の良い学校(又しても良い学校)へ余計入学出来るような学校のことを指すので、それが原因ともなり結果ともなって、沢山の入学志願者と高度の入学試験落第率とを有つ学校が良い学校なのだ。その他に学校の優良さの終局の意義はないのだから、良い学校と悪い学校との対立が一旦始まったが最後、良い学校は或る程度まで益々良くなり、即ち志願者が集中し、悪い学校は或る程度まで益々悪くなる、即ち志願者が減って行く、というのが原則になるのである。之は大きく云えばこのブルジョア社会の自然法則だから、家庭や子供に向って、虚栄心を捨てろ、自分の個性に応じた(?)学校を選べ、皆んなの行く処へ流行を模倣するように集って行ってはいけない、等々と世間の教育僧侶達がどんなにお説教しても、少しも効き目のないのは当り前である。誰が一体、見す見す損をすべく、「悪い」学校を選ぶ者があるだろうか。
 つまり今日の中等学校は、相当優秀な子供を収容するにはあまりに数が多すぎるために、或いは相当優秀な子供の数が中等学校の数の割にあまりに少ないために、良い学校と悪い学校との対立の余地が生じているわけで、もし仮に無産大衆の圧倒的な多数の内から之だけの数の子供を選ぶと空想するならば、悪い学校を実現するだろう素質の劣った今日のブルジョアや小市民の子供などは、初めから問題になれないから、入学志願者の偏在などは、起き得ないだろう。つまり鈍才でも資本主義的市民権を有っている子弟だというので、社会が教育を志すことから入学難が生じるのである。――教育から階級的意味が消え失せる時には、所謂秀才教育からもその弊害が消え失せるだろう。今日の入学志願者の偏在は金や資本の偏在のようなもので、大きく云えば資本制自由社会の必然的な一結果だとも云えるのである。
 尤も特に女の児の場合などになると之にもっと複雑な事情が加わる。と云うのは良い学校という意味にもう少し複雑なものが加わるのである。今日の処、女学校は普通、嫁入り仕度の一つに数えられているのは否定出来ないようだ。中産階級層以上の教育ある男の妻となるには、その知識はとも角として(女学校の授ける知識は大して社会的通用性から云って問題にならぬ)、その趣味やイデオロギーから云うと、どうしても少くとも女学校卒業者でなくてはならぬ。処が、男の方は少くとも先頃までは、主に頭の能力によって出世も出来世渡りも出来就職も出来ると想定されていたが(実は必ずしもそうではなかったのだし又益々そうでなくなりつつあるのだが)、女の方の出世であり世渡りであり又就職である、嫁入りは、今の処何と云っても、当人の知能的能力ばかりでなく容色や品や乃至は実家の資産や地位によって決定される部分が多い。そこで、自然と良家の娘が集まる学校が、結婚率が高くて結婚年度が低い学校となり、女学校を嫁入り仕度に数えている家庭にとっては、そうした学校が良い学校となる。知能上の素質の高い学校に這入れなくても、良家の子女の通う学校ならば、見栄から云っても女らしい野心から云っても満足だということにもなるのである。だがそうは云っても、同じ嫁を貰うならば頭のいい方がいいに決っている。処が女は女学校以上の学校に進む者が男程多くないのであって、仮に素質が善くて学資に不自由しなくても社会的な又家庭的な惰性で、上の学校を望まない者が多いのだから、この社会では女の頭の良し悪しを間接にテストする標準が甚だ不足なのだ。それだけ女学校の成績というものが見合の一部分となるのだが、それは結局女学校出身の出来る出来ないの評判に帰着するのが現状のようだ。そうなるとやはり入学試験落第率の高い出来る女学校が嫁入り仕度としても概して良いわけになる。無論そういう「出来る」女学校も嫁入り資格を閑却する筈はない。出来るだけ良家の子女の内から優良児を選ぼうと考える。
 こうして一般に女学校では、入学志願者の父兄の資産調べには抜け目がないようだ。切角の卒業生も無産者の娘では碌な処へ嫁にも行けまい、卒業生夫人団に仲間入り出来ないような才媛は学校としてあまり利用価値はない。私立の女学校になると、事業家である校長先生は何のかんのと生徒に無心を仰せつける。女の生徒は男の生徒のように悪たれでなく批判的意志がなくて従順だから問題はないが、父兄母姉団に充分な資産がないと問題が起きるし、金が集まらない。之に反して父兄母姉団の大勢が有産者ならば、今度は父兄母姉も生徒も献金して呉れる。入学者の資産状態を厳重に調査する必要が益々あるわけだ。
 男の特殊な学校でも資産状態や家庭の状態までを調査する。之は夫々の社会圏の幹部となるに相応わしい貴族としての資格を調査するわけである。帝政時代のロシアの将校はその殆んど大部分が貴族であって、この貴族という社会的支配権の尤もらしさを、軍隊の指揮権にまで利用したのであるが、それに似た現象はどこの国にも珍しくない。そして、「恒産なきものは恒心なし」という支那の聖人の唯物論を逆用しようとするこの現象は、今日では一般の中学校の入学許可に際してもなくはないようだ。例えば前科者の子弟は何と云っても普通の子供よりも入学に不利だろう。無職の父兄の子弟も亦そうだ。(悪い意味に於ける無職というのは社会的定位を占めないことで、即ち社会では可能的な×××を意味して来つつある。)思想傾向を考査するような場合も結局はこうしたものに帰着するのである。女学校などになれば愈々この点が深刻に又神経質になるので、現に、心中したり婦人関係で問題を起したりした有名な人物の娘は、体よく退学させられている位いだ。旧くは女優になったために同窓会から除名された人もいた。嫁入り仕度の最中に、こういう不吉なことは縁起が良くないに違いないからである。
 さて今述べた事情は、今日の入学試験の一般的事情の上に、主に資本制社会の内部に於ける封建的家庭制度から来る一種込み入った条件が加わった処のものだったのである。そこで再び元の一般的な事情に立ちかえるが、例の入学志願者偏在という現象は、当然子供の非人道的な入学試験準備を呼び起こさざるを得ない。之は前に云った所のブルジョア社会の自然法則のほんの一つの結果に過ぎないのだが、特にそれが世間の親達の道徳的実感に直接に触れるものであるため、今日入学試験に対する問題と云えば、殆んど凡てここを中心にして提出されているわけなのである。この試験準備の浅ましさに面をそむけない者は恐らく一人もいないだろう。だがただ物の結果だけをどんなに矯めようとしても矯められるものではない。暫く前東京府の学務課では、小学校に於ける入学試験準備を厳禁して見たが、必然性あって産まれたこの入学試験準備が、ただ一通りの禁令で止む筈はない。潜行的な形で依然として行われたので、或る程度までの準備は大眼に見ようということになったと覚えている。今のままで入学試験準備を廃止するには、試験準備をしてもしなくても受験に大して影響を及ぼさないような試験の仕方を選ぶことだが、そうかと云って一頃試みられたくじ引きやインチキなメンタルテストは全くの不合理か或いは単に新しい種類の入試準備を強要するものに過ぎない。小学校側からの成績申告が殆んど無意味であることも亦云う迄もない。文部省が最近重ねて、入学考査に難問題を提出するのを禁止したのが、せめても合理的な対策だと思うが、之とても準備の量を制限するだけで却って質を重加する結果を招くに過ぎないかも知れない。
 入学試験準備の軍縮会議が成立しないとなれば、残るのは府立とか市立とかいう「良さそうな」中等学校を新しく沢山造ることだろう。之なら問題は一応綺麗に解決するだろう。だがそれでもやがて又例の入学志願者偏在が始まるに相違ない。全受験者即ち全入学者の内に優良児と中以下の子供との間の大きな開きがある以上、或る学校には比較的優良な子供だけが入学するという可能性が、段々著しくなるというのが、ブルジョア自由社会の例の自然法則だったのである。
 世間の人は入学試験準備の弊を試験施行者である中等学校教育家の罪に帰したり、或いは試験準備施行者である小学校教員の責任に帰したりする。だが色々の部分的現象に就いてはとに角とし原則としては夫は全く当っていないのだ。又之を母親や父親の見栄や流行かぶれに帰するのも何等の解決ではないのである。子供の父兄は一定の已むを得ない理由なしに、単に見栄をしたり流行を追ったりするのではない、それにはすでに述べたようなもっと実質的な根拠があったのだ。
 だが次のような意味では、試験地獄の弊が家庭の親達の「責任」問題になるということを見逃してはならない。一体受験地獄という言葉は、受験者当人である子供達の気持ちから出た言葉だというよりも、寧ろ自分で子供に試験準備をさせている当の親達の意識から出た言葉なのである。年はも行かぬ頭の柔かい子供達を不自然な残酷な準備に駆り立てながら、そうすることが、不可避な必然性と、客観性とを有っているということを知っている親の目には、之は全く地獄の名に値いする。誰も地獄に墮ちたくて墮ちるものはないのだが、墮ちざるを得なくて墮ちるのが地獄の神学的な意味ではないか。で、受験者は当の子供なのだが、受験責任者は、受験の責任を最も直接に感じるものは、却って親達自身なのである。苦しめた者が自分であって見れば、それだけ成功させてやりたいというものではないか。
 子供の方は場合によっては案外試験を気にしていないかも知れない。親達がある学校を受けろというから受けて見るので、受験責任者は親達の方だと思っている子供も少くないかも知れない。とに角一等心配しているのが親達だということは平凡なようだが見逃すことの出来ない一つの事実である。そうしてこの事実は年と共に著しくなって行く。この頃では中等学校の入学試験ばかりではなく、帝大の入学試験にまで、大きな子供(?)につきそってやって来る母親があるそうだが、之は何も帝大の入学試験が困難になって来たからではないので(以前は高等学校の入学試験でさえ、父兄がついて行くなどという珍風景は見られなかった)、それだけ受験責任者が、受験者自身から父兄乃至親達に、即ち又家庭そのものに移行したことを示すものであり、それが中等学校の入学試験から段々と高い処にまで及んで、遂に最後に大学の入学試験にまで現われたに過ぎない。こういう意味に於て、最近、試験地獄は、親達の責任に移行しつつあるのである。
 従来は、男の子など、父親の社会的地位や職掌からは比較的独立に、子供は子供なりに新しい運命を開拓すべく入学を志望する、という意味が相当に活きていたのに、最近の社会ではそういう新しい未知の運命を開拓するなどということは例外な場合か空想としてしか許されなくなった。受験者たる子供の家庭の家庭的及び社会的条件が、自然と圧倒的に入学希望の内容を決めざるを得ないように、世の中がなって来たのである。重役の息子は重役に、平社員の子は平社員になるように稼業の程度がもう一遍世襲的(?)になって来るように見える、入学試験の責任者が親達へ移行したことの原因はここにあるのである。
 社会の表面に現われた秩序が今日のように固定化されて来ると、今までは家庭が社会からの避難所であったと逆に又社会が家庭からの開放だったりしたのが、今度は家庭自身が社会秩序のただの一延長になり、或いは同じことだが、社会全般が云わば家庭主義社会というようなものになって来る。ここで親孝行と云ったような日本の身辺道徳が、社会道徳のイデオロギーにされたりするのだが、こういう社会では、社会へ向って伸びて行こうとする子供も、全く家庭化された善良な家族の一員として終始せざるを得ないように、段々なって来るのである。――そういう事情の一つの現われが家庭の親達を入学試験の受験責任者にするのであって、旦那様は外で働き、奥様は家庭の取り締り役に任じ、坊ちゃんやお嬢さんはママと女中とが育てると云ったような、中産以上の社会層に見られる所謂家庭らしい秩序の外面を保っている家庭では、子供の入学試験、試験地獄は、もはや子供のものではなくて、お産や病気と同じように、全く家庭の日常の主婦的な心配事と相場が決って来ている。
 で、小市民層以上のパパやママが、試験地獄を気に病めば病む程、実は却ってそれだけ試験地獄は深刻化して行くことになるのだ。子供達がこの試験地獄から解放されるためには、彼等は入学試験から解放されるよりも先に、家庭から、家族の一員としての隷属から、解放されなければならぬ。夫はつまり日本の「家庭」というものが従来の魔術を失うことなのだ。(一九三五・二)
(一九三五・三)
[#改段]


 免職教授列伝


 免職大学教授として有名なのは、東大の所謂三太郎と九大の佐々、向坂、石浜の三幅対だろう。この人達は今更私は述べようとは思わぬ。尤も今では前者の中、大森氏だけは後者の三幅対と一つになって四人兄弟となっているが、その代り、山田勝次郎氏が京大の農学部助教授を追われて、平野・山田(盛)の二人に加わったから、所謂左翼に三郎が揃ったわけだ。世間周知の通り、山田(勝)氏は東大の臘山政道教授の弟で、以前の「ソヴェート友の会」やその後の「日ソ文化協会」で主になって働いていた綺麗な山田夫人の夫君であるが、高等学校時代には農学部の予科(当時高等学校は帝大予科であった)にいたので私の方は先方を先輩として顔を知っていた。剣道の副将か何かだったと思うが、小柄で精悍で当るべからざる快漢であった。この間実に久しぶりに顔を合わせることが出来た時、矢張当時の変らない面貌が躍如としているのが愉快だった。
 そういうことはどうでもいいが、山田氏が地代論に就いては推しも推されもしない権威を広く認められているに拘らず、一二の特別な雑誌其他を除いては、あまり普通の評論雑誌ジャーナリズムの上で筆を執らないため、或いはあまり有名でないかも知れぬと思って、特に読者の注意を喚起しておくのである。大学を罷めた理由については、深く知らないし、又やたらに穿鑿するのも考えものだと思うが、何か左翼運動に加わっていた学生に金か有価証券を貸してやったというようなことに由来していたようだ。
 九大の法文学部は最近までいつも教授間の騒動が絶えない処だが、思想問題の名目で九大の所謂左翼的教授(向坂・石浜の諸氏)がやめる前に、木村(亀二)・杉ノ原・風早・滝川・佐々其他の一連の若冠教授達が、喧嘩両成敗の意味もあって馘になっている。まだ大学に赴任しない内、ヨーロッパに留学中のこの教授達が、パリーのレストーランかどこかで教授会議を開いた頃から、風雲が急だったそうで、それが遂に爆発したのだと云われている。併し恐らく之は必ずしも普通の意味での勢力争いや何かではなかったらしく、案外学術の研究態度の内容にまで這入った一種の思想問題が最後の原因ではなかったろうかと思う。現に結局残ったものは藤沢親雄氏というような人物だったので、この人も最近になって九大をやめたが、それは追い出されたのではなくて「日本精神文化研究所」の所員に出世した結果だったのだ。誰に聞いても、思い切って悪口を云われている人だから、今ここに重ねて説明することを差し控えるけれども、少くとも氏がこの頃唱えたり説明したりしている皇道主義というものは、もう一段と技巧の余地があるのではないかと、ひそかに私は考えている。
 木村氏は最近まで牧野英一教授の研究室の人で、現に法政大学の教授であるけれども、実は法政には過ぎ者の教授の内に数えられている。私の知る限りでは、刑法学者らしく又社会学者らしく頭の整理された人であって、曽つて雑誌に発表したサヴィニーの研究や、「多数決の原理」の論文は、仲々示唆に富んだものだった。木村氏と喧嘩をしたのは同じ刑法学者の風早八十二氏であるが、これは九州を追われると上京していて、中央大学につとめていた処、法学全集で治安維持法の批判をやったのが発禁になると共に、総長の原××が検事のような態度で追い出して了ったようだ。当時所謂「インタ」や「産業労働時報」を出していた唯一の大衆的調査機関だった「産業労働調査所」に這入り、貧窮のドン底で仕事を続けていたと聞いている。やがて地下に潜って検挙げられた人だ。死刑廃止論の古典であるベッカリヤを訳して詳しい研究をつけて出版したことは、記憶されねばならぬ。それから杉ノ原氏は上京後日大の講師をしていたが、シンパ網の中心として挙げられたことは有名である。杉ノ原氏との関係から一網打尽にやられた教授は決して少なくないようだ。
 同じく九大を追われた滝川政次郎氏は、東京で三つか四つの大学の教授か講師をしている間に、中央大学でだったと思うが、法学博士になって了った。多少とも左翼的色彩を持ったことのある人で後にこういう社会科学方面の学位をとったことは、異例に数えられる。かつて左翼のシンパとも目された人で医学博士になった人(例えば安田徳太郎氏)はないではないが、それでも京大の太田武夫氏などはそうした種類の単なる懸念が理由で、文部省から医学博士を認可して貰えなかった。滝川(政)氏が博士になれたのは、多分同じ法制史でも日本の法制史の研究だったからではないかと思う。いずれにしてもこの滝川博士がこの間満州の新しい法律専門学校の教授として、赴任したというから、目出度い。
 私の記憶の誤りでなかったとすれば、杉ノ原氏の件に関係して検挙された教授に、商大の大塚金之助氏と日大の羽仁五郎氏とがいる。経済学史家としての大塚氏の能力は世間周知のもので、挙げられる直前まで最近のヨーロッパの詳しい経済学史乃至経済思想史を改造誌上で展開して、読者、特に相当水準の高い学生達に大いに期待を持たれたものだ。(氏は学生読者層に人望のある点で平野義太郎氏と好一対だという話だ。)河上博士がその説得力に富んだ健筆を振えなくなり、資本論の飜訳も中途半端になっている時だったから、河上博士の或る意味での後継者としての氏の位置には特別なものがあったのだ。尤も河上博士の一種悲壮に近い闘志に充ちた筆致に較べると、大塚氏のは一種ホロ甘い蒸気につつまれているので、その印象は説得的であるよりも咏嘆的だと云ってもいいかも知れない。一つにはこの福田門下の偉才は同時に優れた詩人であり(氏のゲーテ研究はよく人から聞く処だ)、少くとも歌よみ人である処から、この弱々しさが出て来るのでもあるが、併し他方大塚氏は、理論家乃至分析家というよりも寧ろ卓越した資料の占有者だということから、その筆致の地味な処が出て来ると見られるだろう。或る人は氏の書く「論文」を退屈だと云っているが、それはこの二つの点から来ることだ。
 資料の占有者だという意味は、決して単に資料を沢山持っているという意味ではない。氏は吾々と大して変らないような生活をしているように見えるから、失礼な想像だが、某々華族や貴顕紳士お近づきの歴史家ほどに沢山資料を有っているとは思えない。資料の占有は資料に就いての知識とその知識の整理とに、つまりそうした資料取り扱いの心がけに、帰着するのである。或る人から噂として聞いたことだが、大塚氏は人と対談しながら、相手の言うことを書き止めておいて、その次会った時に違ったことを云うと、この「資料」を持ち出して来て、君はこの間こう云ったじゃないかと検言し始めるそうだ。無論之は相手によることだ、私でさえ時々そういう対談法の必要を感じることもある程だから、大塚氏にして見れば不思議なこととも思われないが、その真偽はとに角として、(こういうことを云うのはあまり好ましくないが)私がかつて氏を訪問した時まず驚いたのは、その整頓された本の並べ方と、机のわきにある電鈴の押し方の守則であった。モールス信号のようなものが書いてあって、幾つ押せば奥さん、幾つ押せばお茶ということになっており、而も夫が自分では覚えていないと見えて、チャンと表に書いてあるのだ。その次に驚いたのは、何年何月の件と背に書いてある「資料」を書架から取り出したのを見ると、之は氏自身の検事調書其他の記録なのである。
 之は氏の人物と研究法との特色を示すもので、之ほど正確・確実・慎重な人物と学問とはメッタに見られぬ処だ。こうした一種の併し軟かな正直さは場合によっては氏を消極的にしすぎるかも知れない。その結果の一つかどうか知らないが、吉祥寺(氏は吉祥寺に住んでいる)を中心として雑草を蒐集する会が最近あるそうで、そのメンバーの一人が大塚氏だが、或る人が、大塚氏のこの心の動きを「批判」した処、氏は忽ち恐縮して理由を具して退会を申し出たそうだ。そういう氏であるから私がこんなことを知っただけでも、慎重に自己批判でも始めないとも限らないからいい加減で切り上げることにする。
 羽仁五郎氏は日大をやめたのだが、併し氏は別に日大教授が生活資源ではなかったろうから、「免職教授」の資格に於ては勝れていない。氏は高等学校時代に村山知義氏と並んで校友会雑誌に小説を書いていた頃から顔を知っているが、当時から典型的な秀才だった。ドイツへ行ってリッケルトの門下となったように憶えているが(当時は村山も死んだ池谷信三郎も皆ドイツへ行った――マルクが馬鹿に安かったから)、歴史哲学のようなものに興味を持っていたためだろう。その地で三木清氏と会って大いに許し合ったらしい。帰朝直後クローチェの歴史哲学を訳して吾々を啓発したかと思うと、意外にも東大の国史に這入って、そこで忽ち学生から教授達までを魅了して了った。専門の著書も二三はあるし、学術的な評論集も出たし、飜訳校訂も少なくないが、一等永久に残る仕事が平野義太郎氏等と衝に当った『日本資本主義発達史』の講座であることに、世間では異論はあるまい。自由な身体になってからは、あまり身躯の具合がよくないらしいが、併し保養しながら落ちついてユックリと研究の出来る身の上だ。
 旧く森戸事件の森戸氏に就いては知らない人はない。大原社会問題研究所員として、左翼の人達からはとや角云われながらも、昔ながらの自由主義者として(尤も森戸事件はアナーキストたるクロポトキンの紹介が原因だったが)、この特別に緊張した反動時代に、筆を振っている。早稲田を出た大山郁夫氏(尤も氏はそれ以前にも早稲田騒動で学校を止めたことがあったそうだが)は、アメリカで健在だそうである。この「吾等の委員長」が日本に帰れる日はあまり近くはないようである。滝川問題乃至京大問題の滝川幸辰氏のその後の消息に就いては、私は全く知らない。京大事件で退職した法学部の教授達(佐々木惣一博士を筆頭として)は大部分立命館大学に鞍がえしたから、正当な意味での「免職教授」の内には這入らないかも知れない。この教授達は現在、寧ろ前よりも活溌な位いに、立命館大学の機関誌上で活動している。
 処で当時時を同じくして、同志社事件というものが発生した。京大問題で京大の学生其他が上を下への運動や動揺の最中、突然、同志社大学の法学部の住谷悦治氏と長谷部文雄氏、それから予科の松岡義和氏、の諸教授が検挙されたのである。ことに住谷氏や長谷部氏は殆んど何でもなかったのだそうだが、それがどういうわけか、ひどく強硬な態度で臨まれた。後での評判によれば、之は京大問題の牽制策か側面攻撃の意味があったらしく、文部省からその方針が出ているとさえ云う者がいる。××は特にワザワザ警視庁から出向いている処を見ると、単に京都の一地域に限らぬ関係があったらしく、従ってもし夫が大した内容のものではなかったとすれば、何か××での思惑だったということにならざるを得ない。
 住谷氏は経済学説史の研究家で、多分キリスト教的教養を身につけた人のように思われる。平凡に批評すれば温厚な学徒という所であるが、仲々の艶福家だという、否、だったということを聞く。ジャーナリストとしての資格も具わり文章も風格があって、竹風と晩翆(いずれも二高時代の先生)とを論じた最近の文章も面白かった。先頃迄文芸春秋社の特派員の資格でドイツに渡って通信を書いていたが、最近に帰朝した。長谷部文雄氏は[#「長谷部文雄氏は」は底本では「長部部文雄氏は」]最近マルクスの『資本論』其他の飜訳に専心しているそうで、文献的な研究に就いては第一人者だろうから、その点で河上博士の後継者という意味を持っている。器用で達者で裕々せまらぬ論客、即談客と見えた。私はこの間初めて会ったばかりだから、正確には判らないが。それから松岡義和氏は私の親しい友人の一人で、哲学の教授だったが、前から消費組合運動の実際に携っている。田舎の官立高等学校で我慢出来ずに京都へ飛び出して来たが、夫はつまり馘になるために来たのだった。肥満している割合に純粋で頼みになる男である。
 辰巳経世氏は確か関西大学を罷めた人だったと記憶するが(或いは思い違いで失礼かも知れないが)、今は大阪で非常な元気のようで、唯物論研究会でも活動的なメンバーの一人である。その勇敢さは傍の人を却って心配させる程であるが、併しそれは傍の人の方の老婆心というものだろう。最近見た文章では大原社会問題研究所の案内記があり、それを読むと氏の気魄彷彿とするものがある。
 話は全く系統を別にするが、関西のことを書いた序でに触れておきたいのは、社会学の老大家米田庄太郎氏の件である。尤も京大には昔、沢柳総長の教授馘切り事件があったということだが、米田氏が京大をやめたのはそう古いことではない。氏の教授生活に就いては[#「就いては」は底本では「就いは」]色々の噂を聞いているので、例えば氏の、何年かの後にやめる約束でやっと教授となったのだとか、博士になったのは退職を条件としてであるとか、いうのであるが、なぜこういう妙な噂が立つのかが判らないし、又不愉快な噂でもあるが、それと同時に、事実博士が停年未満にも拘らず自発的に勇退した理由も私には今日まで遂に判らないのである。博士は勇退後研究に不便を感じているように聞いているし、それから大学の方でもその後任に困っていたらしい。博士の高弟高田保馬氏は、例の貧乏道徳論的な趣味も手伝ったのだろう、恩師の影を踏むをいさぎよしとせずと云って文学部の教授になろうとしない。博士も米田先生がなるまではならなかった。だから今日でも社会学の博士は少ないのである。そこで京大では東大の戸田教授(当時は助教授だったと思う)や今井(時郎)助教授までを招いて無理な講義をさせた程だった。一体教授が土地の隔った二つ以上の大学に兼任する程人を愚弄したことはないので、学生こそいい迷惑だろう。文部省や大学当局がそういう勝手なことをする以上、当然学生も転学の自由位い与えられるべきだと思うのだが。そういう無理をしてまで米田教授を罷めさせたのはどういうわけか、世間でも殆んど知らぬらしい。こうなると大学も一種の伏魔殿に類して来る。
 一体大学は大学の自治とか学の自由とかという名義の下に、可なり沢山の秘密が蔵されているのが常だ。尤も官庁にはそうした秘密が沢山あるので、所謂機密費(それは軍部のが圧倒的に巨額だ)というものもあれば、閣議を初めとして各首脳部の秘密もある。議会にさえ秘密会があるという次第だ。併し大学は特に公明な学の自由に基いて初めてその自治を誇り得る建前になっているわけなのだから、その自治の手前、もう少し学内行政が少くとも学内に於ては公然としたものでなくてはなるまい。
 現在の免職教授の花形は云うまでもなく美濃部達吉博士である。博士は去年すでに停年に達して退職し、名誉教授となっているから、この方は直接実質的な問題にならずにまず無事であったが、併し聞いて見ると、今までにも随分危なかしいことがあったらしい。この間聞いた噂であるが、そして噂だから私には責任がないが、併し噂があったということ自身は事実だが、前の小野塚東大総長が或る席上で、京大事件当時の※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)話を素っぱ抜いたそうである。時の文部大臣鳩山一郎氏を眼の前において、当時京大教授側を支持した美濃部教授その他を罷免しろと、この鳩山君が迫って来て仕方がなかった、と述べたそうだ。之で見ると美濃部博士はすでにその時免職の可能性があったものと見える。
 小野塚総長は名総長で、他の大学の総長や学長のように次官や局長級にペコペコせず、堂々と文部省に臨んだし、流石の軍部の教官も謝ったという噂であるが(之も噂だ)、今度の長与総長に果してそれだけの腕と腹とがあるだろうか。松田文相に呼びつけられて、管下の美濃部派自由主義教授達に緘口令を敷いたと聞いているのは本当だろうか。
 それはとに角、博士は幸いとして無事教授を卒業して名誉教授となり、学士院の会員ともなり、更にその憲法学説の研究の功績を愛でられて勅選議員に勅選されるの栄誉に浴したのである。もしこの栄誉が誤り与えられたものとすれば、之を勅選し給うべく奏請した者は一人としてその補弼の上の責を免かれるものはあり得ない。少くともこの点は論議の余地のない程明らかと思われる。もし美濃部博士が一切の栄職を辞さねばならぬ大義名分があるとすれば、同様に之を勅選に奏請した臣下は一切の栄職を擲つべきだろう。なぜなら奏請する以上はこの学者の学説とその学術上の影響とを国家の見地から見て尊重すべきものと見倣したわけで、その点から云って夫々一個の美濃部主義者でなければならぬからだ。現在は美濃部主義者ではなくなったと云った処で、そういう転向は場合が場合だから弁解にならぬ。――まあ理窟はこういうわけだが、事実は、今まで責任を感じて一切の栄職を擲った奏請者はただの一人もいない処を見ると、必ずしも博士の例の栄誉に誤りがあったのではないことが立証されているし、博士も亦、その学説は云うまでもなく、一切の栄職を擲つ理由もないと主張している。他の人間共の云うのでは信用出来ないが、合理的に理性的に物を考え物を云う博士の言葉だから世間は広く之を信用するだろう。
 で結局博士の学説に仮に何かの誤りがあったとしても(之は検事という専門家を信じる他ないので民衆の容喙すべき事柄ではない)、夫はその実質に於て名目程重大な意味のものではないのだ、という結論を、世間は這般の事情から惹き出すだろう。だが栄職は擲たない博士は、中央大学の教授とか、早稲田の教授とか、商大の講師とかいう不名誉な(?)職は擲つ決心になったらしい。で、免職教授の花形も、実は大した免職甲斐がないのである。
 事実、検察当局は研究の結果、美濃部学説は出版法違反にはなるが、不敬罪にはならぬ、という結論に達したらしい。出版法違反と云ってもこの場合には国体に関係したことらしいから(之も検事を信じる他ない)、その罪は軽いとは云えないわけだが、併し博士の犯罪はその出版行為に限定されるわけで、多分大学で講義をしたり多数の学者を養成したりしたという功績に於ては、犯罪を構成しないわけになるのだから、まず世間で指摘している例の奏請責任問題に抱ける矛盾は免かれる。併し当局は、之以上判定に油が乗ると、解くべからざる矛盾に陥るのだということを覚えておくべきだ。
 尤も今まで歴代の内閣がこの不当な著書を看過したという責を問われるかも知れないという点に就いては、内閣は、それは時代の風潮が変って来たのだから問題にならぬという解釈を採っているらしい。つまり時代がファッショになったからファッショの標準で法文を解釈すべきだという意味だろうと思う。そうするとこうしたファッショ好みは国家によって公的に社会の新常識=通念として承認されたことになる。博士は犯罪は構成するが之を起訴すべきか否かは当分、と云うのは満州国皇帝陛下御滞在中、輿論の趨勢を見てからのことにすると新聞紙は伝えているが、他方美濃部排撃の一派は、やはり御滞在中運動を見合わせるという同じことを云っている。ここからも亦、天下の輿論が国家によってどういうものとして公認されているかが理性によって推論され得る。尤も之は理性による推論だから日本の新常識には通用しないかも知れぬが。
 滝川事件では文部省の反省を促し、統帥権に就いては軍部の反省を促し、帝人事件に就いては司法部の反省を促した最近の美濃部氏は、文部省関係である教授免職は年の功で免れた代りに、軍部の反対と司法部の判定とによって、居ながらにしていつの間にか犯罪者となったのである。時間の又は時代の推移がこの結果を齎したとは云え、法律の専門家で而も立法機関たる貴族院の議員である博士さえ、ついウッカリしてこういう生存適応のやり損いをやるのを見ると、日本のムツかしい法律に無知であり而も立法の議に直接参画出来ない吾々素人庶民は、一日も安んじて時間を推移させることが出来ない、などと愚痴をこぼす者は逆賊であるかも知れぬ。
 だがそういう不景気な話はやめて、もっと面白い話に移ろう。そう云ったら怒る人もいるかも知れないが、とに角思想関係で馘になったとかならぬとかいうのでない、もっと面白い馘になり方もあるという話だ。教育史上では、この間の法政騒動は、美濃部問題や滝川問題に負けず記録的なものだ。というのはその馘首量に於て優秀なのである。敵味方入れ混っての合戦だということをまず注意しておいて、最初の前哨戦は平貞蔵教授の免職である。一体九大法文学部の初期の教授達が例の(又出て来たが)美濃部博士の系統だったと似て、法政の経済学部の教授達は大体高野岩三郎――大内兵衛系統の新進だ。その内で一等権謀もあり率直さもあるのが平氏だったようだ。表面上はあまり香しからぬ理由で(尤もそういう理由は大学の自治の手前大して重大性を有つとは[#「有つとは」は底本では「有っとは」]思われないのだが)、罷めて確か満州の調査機関に赴任して行った。その後本隊の決戦が行われることになる。
 そこで馘になったのは所謂四十七士で(尤も正確には四十七人はいなかった)、問題の中心人物野上豊一郎氏を始めとして、相手方の森田草平氏が不倶戴天の仇敵のように考えている内田百間氏や、山崎静太郎・佐藤春夫・土屋文明・谷川徹三・豊島与志雄等の人々がその内に這入っていた。尤も学部に関係ある人は学部だけ残ったが。(私も四十七士の仲間に入れて貰った一人だ。)何と云ってもこの内で興味のあるのは野上氏と百間先生だろう。
 反野上派と当時反野上派にすっかり吹き込まれていたお人よしの法政大学の学生生徒諸君とによると、野上氏位い官僚的な横暴な人物はないのだそうである。野上がいるために法政は自由を奪われ、学内自由主義は日に日に消え細りつつある、というのが、法政大学の進歩的な学生生徒の社会科学的分析である。なる程野上氏が人によっては官僚的に見えたり横暴に見えたりすることは事実かも知れない。だが凡そ官僚的でなくて横暴でない私立大学の理事などが論理的に可能だろうか。氏が決して官僚的でも横暴でもないらしいことは、夫人野上弥生子氏の小説「小鬼の歌」に就いて見るべきだ。
 官僚的だとか横暴だとかいうのが、法政の出身者でなくて帝大出だとか、法政の卒業生の云うことを聞かないとかいうことだとすれば、真面目に対手となれぬ。だが私は事実野上氏を官僚的で横暴だと信じている。なぜなら夫によって初めて、氏は法政を出たあまり柄の良くない老先輩の学内行政進出を防ぎ得たからである。今日の私立大学の大先輩達が、大学を自由にするのは、自分達の自由にする意味であって、大学の自由を与える意味ではないという事実を、併し若い卒業生や学生は知らなかったか又は過小に評価していた。野上氏が退いてその結果は、校友理事達の云わば美濃部排撃的な常識が権力を持つことになって、自由主義教授達はことごとく追い出されるか時間を激減されたのであるが、頭の良くない法政の学生や若い先輩は、今更のように驚いて、之を一種の偶然な原因に帰している。この間『社会評論』の四月号に出た法政騒動談を読んで見たが、矢張法政一流の偶然観的社会分析(?)しかない。――野上氏の人格などとは関係なく、法政の条件は分析されねばならなかったのだ。
 野上氏は長く関係していた法政をやめて、九大の英文学の講師をしたり、能の本を出版したりして、愉快そうにしているが、之は一体どうした間違いだろうかと思う。なる程野上氏には之で見ると、あまり「愛校心」はなかったようだ。
 内田百間氏は免職と同時に続々として随筆集を出版して敵味方を驚かした。氏の作品を見ると、私は氏が一種の被害妄想狂であることを信じる。氏の有名な借金上手も、この点から充分に説明出来る。借金という貸主からの被害がなくなると、内田氏は初めて本当に憂鬱になるだろう。愛惜される憂鬱ではなくて、憂鬱な憂鬱が来るだろう。その時が来るまで氏は書きつづける。氏は決して森田氏が云っているような騒動の巨魁などではない。
 百間氏の被害妄想症に対比されるべきものは森田氏の有名な露出症である。森田氏はいつでも忽ち用もないのにはらわたを皆に見せて廻る。尤も見て了ってから徐ろに又元の腹壁に大事そうにしまい込むのであるが。この露出症が学生の気に入って、若い卒業生達に担がれて反野上の巨頭となったのだが、元々大した見透しがあったのではない。常識的な理事が出て来ると、忽ち馘となって了って、担いだ若い校友達の方は教師に返り咲きしたり新らしく学内就職に成功したりしたから、そこで氏は西郷南州となった。すると野上氏はさしずめ山県有朋になるわけだが、なる程之は官僚の元祖であった。
 罷免後の氏の消息をあまり知らないが、何と云っても草平氏は過去の型の人物ではないかと思う。帝大新聞に例の小説『煙烟』を『梅園』と書かれたと云って悲観していたが、今は大衆文学や歴史小説に道を拓こうとしているらしい。
 立正を馘になった三枝博音氏をこの辺で※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入しておかなくてはならぬ。しかし余白がないから別の機会に譲ろう。今は日本思想史の究積中だということだ。
 法政を馘になったので有名なのに、他に三木清氏がいる。氏に就いては世間はよく知っているから言わない。復職する筈であった処、法政騒動の結果、氏自身の見透しを裏切って復職不可能の現状にあるようだ。――私自身も、騒動で半分やめ、後の半分は右翼新聞の注文で大学当局が無理にやめさせたのだが、併し健在なること、如是。(なお高商其他で追放された左翼教授は数知れずあるが、一々知らない。併し大体からいって、思想問題というのは大体口実で、その背後には必ず勢力争いがひそんでいることは記憶されねばならぬ。云うまでもなく学校当局さえしっかりしていたら、左翼教授は決して馘にはならぬものだ。)(一九三五・四)
(一九三五・五)
[#改段]


 ギャング狩り


 五月二日以来、小栗警視総監は、内務省、全国警察部、司法省らと連絡を取って、各種の暴力団乃至暴力団類似の常習者の検挙に着手し、すぐに二千五百名以上の検挙を見せている。一般国民は甚だしく之に感謝の意を表し、銘々夫々の立場から之を援助することを惜んでいない。都下の各新聞は検挙の模様を毎日克明に報道することによって、国民と検察当局とへ刺※[#「卓+戈」、213-上-7]を与えていることに興味を有っているように見える。この企ては必ずしも警視庁としては珍しくないのだが、今回のような大規模で組織的なのは多分今まで見られなかった処だろう。警視庁が自発的にやったことで、之ほど評判のよいものを之まで見たことがない。
 但し世間で一等心配になるのは、検挙されたり起訴されたりするだろうこれ等暴力団が後日釈放された暁に仇をしはしないか、ということだから、この検挙は半永久的に続くのでなければ何にもならぬ。今後の代々の総監の手腕を評価するバロメータが、暴力団検挙の成績如何にあることにでもなるのでなければ、暴力団は決して影をひそめるようにはなるまい。そうしない限りこの企ては決して成功しないだろう。
 だが一体、警視庁のこの企てのどの点がかくも世間を喜ばせているのか。それはこの種の犯罪が、一般の世間人から見て、紛れもなく実証的な現実味を有っていると見えるからなのだ。と云うのは、例えば共産党というようなものが恐るべきだとか何とか云っても、日本ではまだ殆んど一人も、本当に共産党員のために苦しめられた人間はいないらしく、共産党の害悪に就いては、よ程熱心に話をきき不審を克服しない限り飲み込めないものがあるのであり、その意味では之は云わば全く仮空の人気の悪さに帰着するという他ないのであるが、之に反してギャングの害悪になると、社会の少なからぬメンバーが事実上身にしみて直接それを経験しているのである。この他人からワザワザ教えられなくても実証的に現実さを伴って自分に判る処の害悪のこの本拠を警視庁が衝いて呉れたのだから、世間では初めて警察の有難みを身辺に感じ始めたと云ってるようなわけなのである。
 尤も、暴力団から大きくユスられたり何かするのは、例えばデパートや保険会社だそうであり、従って結局資本家のポケットがいためつけられるだけだから、世間一般にとっては大した有難みではないという者もいるかも知れないが、併しギャングの行動乃至その行動の対象には色々あるわけで、大きな会社には外来の暴力団にそなえるための一種の責任ある暴力団が組織されている処もあるから、それだけ却って暴力団の暴力団らしい言動は、孤立した弱い個人や、所謂弱い商売などという対象に向けられることになる。普段は社会的に弱い地位におかれた個人や所謂弱い商売(接客業其他)に強く当っている警察が今度は同じことをやる暴力団と正反対の立場に廻ったのだから、之は何と云っても推賞しなければならぬ企てなのだ。
 都下の或る小新聞の報道する処によると、今度のギャング狩りには初めから大新聞との連絡がついていたのであって、各種の微小新聞をいためつけることによって、大新聞のファッショ化(?)を招来しようという新聞営業戦術と結びついている、というのである。その証拠には大新聞の内からは殆んど一人も怪我人を出していないではないかというのである。こう云っている新聞自身は、その社長が「怪我人」として出ているらしいから、この推察の真偽の程は判らないが、仮に之が本当だとしても、こういう観点から今回の企ての価値を割引きすることは筋が通るまい。大新聞の利益になろうがなるまいが、各種のゴロツキ新聞は総ざらえにすべきものではないのか。
 今回の警察権力の発動に就いて世間が実証的な納得が行くということは、こうした方向にこそ警察本来の本然の有用性が横たわっているということを物語っている。従って又、これ以外の警察権力の発動は、大方世間が必ずしも実証的には納得が行かず、高々イデオロギッシュに「そうかナー※(疑問符感嘆符、1-8-77)」と思われる程度のものにすぎず、従って多くは無用で却って不都合でさえあるように考えられ得るものだ、ということを告げている。政治家などは人気恢復の材料がなくなると国体明徴の演説をやったり何かし始めるが、所謂機関説の是非は専門的に研究して見なければ判らぬが、少くとも機関説が国民の生活を直接に妨害するという実証的経験を有った人間は一人もあるまい。菊池男だって鈴木総裁だってそういう実証的体験は持っているわけではないだろう。一般に思想警察などは民衆自身の身辺からは縁遠いものであって、之は国家や財界の特殊な要路にでも立たない限り実証的な心配の種になるものではない。民衆は思想警察が一体何のためにあのように眼の色をかえてかけずり廻っているかが、簡単には飲み込みがつかないというのが事実だろう。読者はこの点よく反省して見て欲しい。
 風紀警察になればこの点益々難解になるかも知れない。一体この間バーやカフェーから学生を追い払った風紀警察によって、一等直接に実証的な被妨害感をもつものは学生自身だろう。ここでは元来が善良な併し金があって少しばかり利口でない学生の権益が、風紀警察の消長と逆比例するわけだ。そういう学生達にとっては風紀警察位い無用で又有害なものはないという風に考えられる。そして風紀警察のこの社会的の無用長物的特色は、云うまでもなく別に学生カフェー問題にだけ特有なのではない。到る処この風紀警察なるものは×××××と社会的に有害な摘発、挑発とをさえ敢えて行っている。でつまり風紀警察も、思想警察も、警察本然の機能から××た逸脱的な過剰警察だとさえ云っていいのである。之に較べると暴力団検挙は、全く警察らしい本然警察の正道を発見したものだと云わざるを得ない。
 人の云う処によると、今回のギャング狩りは一種の右翼団体弾圧の意味があるというのである。或る評論家が新聞で、左翼を弾圧しつくしたので安心だが、右翼の方が危いと思っていた処、今度の検挙で安心出来たと嬉んでいたが、この人によると左翼に対しての心配も右翼に対しての心配も同じ位いの心配であるらしく、それ程どっちも頭の内の観念的な心配でしかないらしいこの心配には一向実証的な現実味がないことが之で判る。併しそれはそれとして、一体ギャング弾圧が右翼弾圧という意味を持っているというのは本当だろうか。
 なる程今日でも右翼団体のあるものは単なるギャング団にすぎないようだ。そして之がギャング団たる所以は世間で簡単に考えているよりももっと広い意味を持っているのだ。ユスリやタカリや脅喝ばかりでなく、口頭や推参や文筆による各種のドナリ込み迄も本当は暴力行為に這入らねばならぬ。尤もこういう広義の暴力行為になると世間では之を決してギャング視しないようだが。だが仮にギャング団という意味をごく露骨な旧式な意味にだけとっても今日の右翼団体にはギャング団にすぎないようなのがある。それはどうも事実であるらしい。
 併しだからと云って暴力団の検挙がすぐ様右翼弾圧の意味を持っている、ということにはならぬ。無理にそういう意味を見て取ろうとするのも間違っているし、そういう意味の心算でやって見せようというのも誤りだ。単に右翼団体と暴力団とがうまく重り合わない二つのものだからというのではなく、暴力行為の取締りは決して、左翼団体に対する弾圧と同じ意味に於ては、右翼運動団体に対する弾圧とはならないからである。弾圧されるのは高々右翼暴力団で、純真なる(?)右翼思想運動団体は之によって却って世間的信用を高め高級な保護を与えられる結果になるかも知れぬ。だから之は実は右翼に対する弾圧どころではないのである。――尤も之によって右翼愛国団体の顔を使って一働きやるというようなことが段々流行らなくなり、即ちそれだけ右翼というものの幅が利かなくなるので、やがて右翼団体の勢はおかげで或る程度まで下火になるだろう。元来右翼思想運動の一つの大きな要素は取りも直さず、そういう幅の利き目にあったのだから。だが之は思想的運動として右翼活動に対する弾圧とは別ものだという点を見落してはならぬ。左翼弾圧に平行して右翼弾圧の意味で暴力団狩りをやるというような考えがあるなら、粗漏も甚しいと云わざるを得ない。
 つまり今回のギャング狩りは決して、右翼弾圧というような、思想警察の外貌の下に本然的警察機能を退化させた偽似思想警察(本当の思想警察は今日左翼運動に対してしか存在しない)の仕事ではなくて、全く警察本然の警察機能にぞくするものだと私は考える。右翼運動に対する本当の本然的警察機能は別にある筈なのだが、それが今云った思想警察という洞窟に封じこめられて無力化されて了っているので、右翼団体はもはや本然的警察機能の対象以外に横たわるものとなって了っている。わずかに暴力団という、右翼団体の身代りが、この本然的警察権の槍玉にあげられたに過ぎない。之によって右翼そのものは益々警察から安全になるのだ。処で一体、本然的な警察機能が右翼団体に及び得ないものとすれば、果して一切の暴力行為に対する警察の社会的機能に於て完璧を期待し得るかどうか之が何より大切な疑問の要点なのである。
 世間の一部の人は、今度のギャング狩りを目して、何だ今更わざとらしく、と云うかも知れない。それは無意味に皮肉な批評という他はないが、併しいつでも出来る筈のことを偶々最近気が向いたから始めたというような印象は確かに消し難い。今にしておそきを憾むのであって、やったことが悪いというのでは重々ないが、今更らしく鳴物入りであるのがチグハグな気持ちを与えるのは事実だ。それがというのも、大体検挙の対象が常習犯的存在で、或る意味では警察が半ば知っていて時宜的に手心をしていた対象だと考えられるからである。云って見れば社会で培養したバチルスなのだ。こういう人工培養による細菌を処理することは全く容易なことだろう。警視庁はこの容易な点にだけ手を染めるのではないか、というのが世間の感じなのである。
 つかまるものは尤もらしい小物ばかりで大物は結局物にならず又物にしないのだろう、というような懸念も、全くここから来る。尤も之は総監が極力国民に向って誓っている通り、決して当局の肚ではない。吾々はあくまで徹底的に暴力団をやっつけるという当局の声明を信じることが出来る。もしそうでなければ、今にアメリカのようにギャングが発達して組織を有つようにさえなるだろうからだ。処で併し、吾々が信用している範囲は、当局が徹底的に「暴力団」をやっつけるということであって、それ以上に及ぶものではないのであるが、というのは、多少とも暴力を常習又は渡世とする団体乃至個人を弾圧するということであって、或る団体が臨時に連続的に暴力化したり、ある個人が或る団体を背景として暴力を振ったりすることは、この「暴力団検挙」とはあまり関係のない問題なのである。即ちこの暴力団検挙は決して社会に於ける暴力行為の取締りという社会の不可欠有用な警察機能の全部を占めるものではないのである。暴力を商売にする暴力団は之で弾圧されるだろう、だが暴力を職責とする暴力団はその弾圧など思いもよるまい。そして困ったことには暴力を職責とする暴力団は、この社会では一向暴力団というものの内に数えられていないことだ。それ程吾々の社会は幼稚なのだと見える。
 だが暴力を職責とする暴力団が警察権の対象になりにくいことには深い理由がある、ということを無論見遁してはならぬ。この社会で何かの職責を掲げるためには、その職責は結局之を国家権力から導来し、国家権威を勧請したものでなくてはならぬ。だから暴力を職責とする各種の暴力団は、終局に於て国家権力の私的複製であって、そこに事実上社会的な権威があるのである。こうしてその暴力は国家的に従って又社会的に権利を与えられ承認を与えられる。各種の半合法的暴力はここから続々として生まれ出る。これには同じく国家権力の複製たる警察権力も、無下に手はつけられないだろう。それよりも警察権力自身が又、この半合法的暴力を援用した方が途は平坦だというものであろう。裸体にして焼火箸や煙草の火をつけたり、逆さまに天井から吊下げたりすること(五月三日付東京朝日新聞二頁)は、必ずしも所謂暴力団ばかりがやることではないのである。
 でこういう風に考えて行くと、今度の暴力団検挙にも、明らかに一定の社会的な限界があるということが見当づけられると思う。之は別に、検察当局が外部のどこかから牽制されるというような原因に基くのではなくて、検察当局の国家的従って又社会的な権力半径の本性から来る制限なのである。一般に非合法乃至半合法の個人的団体的又公的でさえある暴力(単に物理的暴力に限らず結局に於て物理的暴力を指向する言論上の暴力をも含めて)を取り締ることは、苟くも警察の本然の機能が社会人の日常生活の保護にある以上、最も代表的な警察機能でなくてはならぬ筈なのだが、それがこの社会では一定の行動半径の外へは決して出ないのである。この社会に於て本然的警察機能はこの通り決して無条件に発揚され得ないのだが、一方社会人の日常生活の保護には、殆んど何等の関係もない思想警察の方は、殆んど無限の権力半径を許されているのである。こういう重大な比較を抜きにして、左翼弾圧とギャング狩りとを天秤にかけようとする社会人がないでもないのを見ると、私は非常に腹が立つのだ。
 ギャング狩りは云うまでもなく老若の不良少年の手入れである。この際不良少年の分析をして見たいのだが、時間が切迫しているので止めにする。(一九三五・五)
(一九三五・六)
[#改段]


 膨脹するわが日本


 世間が一時北支問題に絶大な関心を寄せた理由は、よくよく考えて見ると結局、それが日本とどこかの国との戦争へ導きはしないかという惧れからだった。所謂現地にいるのでもなければ出先意識も持っていない処の普通一般の日本人は、北支那に於ける諸勢力の不埓な排日排満の動きを直接目にしているわけではないから、排日排満の方は余りピンと来るとは限らないので、それより直接心配になるのは国家総動員式な戦争なのである。何より貴重な日本人の生命が大量的に失われたりして、而も自分自身もその大量中のあるか無いかの一粒に化しはしないか、という心配なのである。之は云うまでもなく極めて下根な心配であるが、又ごく有態の心配であって、之が直接心配にならぬと云う人間は、余程の嘘つきだろう。そういう人物は万事信用のおけない人間で、公明正大な日本人の風上にも置けない人間だ。
 尤もどうしても必要な場合には、国家のため命を捨てることは必要でもあるし道徳的なことでもあるが、併し国家自身が折角、そういうことにはなるべくならぬように、万事を犠牲にしてまで莫大な国防費を費しているのに、それが戦争になりましたでは、全く国家に対して申し訳のない話しだろう。世間の普通一般人が戦争を惧れるということの内には無意識の中に、そういう忠良な意味が含まれているのである。
 だが幸にして北支問題は戦争へは導かなかった。よく考えて見ると、導く筈もなかったし、導き得るものでもなかったのである。中国中央軍と党部とが河北省を撤退するという中国側の最後の解答によって、日本軍部側の対支要求は都合全部容れられることになって、ここに河北省をめぐる限りの北支問題は一段落となったわけである。中国国民もそうだろうが、吾々日本人も(軍需工業家や戦争に特別な利益を感じる商売人は除いて)之で一まずホッとしたと云っていい。
 アメリカやイギリスの一部の輿論には、この北支問題を目して北支独立に導く心算ではないかと憂えた向きもあったようだ。だがそういうことは云うまでもなく無意味なデマに過ぎない。一体そんなに容易に一つの国が独立出来るものと考えるのが間違いの元で、満州がなぜ独立出来たかと云えば、それは満州人種の「三千万民衆」の切々たる懇望に基いたからこそであった。処が北支那の民衆の切々たる懇望は何かというに、却って不埓にも排日排満の形を取って表面に現われたものだったのである。之では仮に独立国が出来ても、満州国対立のための独立国にはなっても、満州の友邦としての独立国になる筈はない。何のために日本がそんな独立国のために×××××××××。
 日本軍部が目的とする処は、そんな独立運動などではなくて、単に全く日、満、支三国間の和平そのものにしか過ぎず、又その一部分としての北支一帯の和平に他ならぬ。つまり北支一帯に於て、一種の緩衝地区とも云うべき安寧秩序の確保された地域が実現されることだけで満足するものに他ならない。満州国のこの方面の外廓には停戦地域なるものが設けられているが、その外廓に今度緩衝地区を設けようというわけである。そして夫が成功したのだ。この緩衝地区の更にその外廓が今度は何という名前のものになるかは、まだ判っていないが。
 新聞によると、六月十一日、即ち河北省問題が一段落ついて直後、軍部の天津会議なるものが催され、そこで「将来の建設的方策」については何れ後から具体的方策を進めようということに決ったそうだが、この建設的方策ということが併し、どういうことだかまだハッキリとは判らない。最近では×××××と相談して北支進出を計画しているそうだから、案外そういうことが「建設」的方策のことだったかも知れない。
 だがいずれにしても北支問題は一段落ついたので、之で安心だと思っていた処、翌日の六月十二日の北平からの通信によると、今度は問題は一転して察哈爾(チャハル)省に向ったというのである。河北省の悪玉であった于学忠が退いて安堵したばかりの処を、この于学忠よりももっと悪質な悪玉はチャハル省の宋哲元だということが判ったから、正直な国民はガッカリすると同時に、向ッ腹が立って、八ツ当りがしたくなるのであった。が冷静に考えて見るとこう上手に幕合いの長さを計って現われるような舞台は、よほど筋書きの通った劇に違いないということに気が付く。それに気付いた人は、そこで却って段々興味を覚え始めたかも知れない。どうせ戦争になる心配なしに幕は目出たし目出たしで下りるだろうから。
 さてそこで関東軍がこの宋哲元軍を徹底的に糺弾すべく対策を協議している最中、恰も頃を見計らって、宋哲元軍は、関東軍と国民中央政府とからの警告にも拘らず、満州官吏に対して突如発砲を敢えてしたものである。が、併しこの偶然事は、残念ながらこの××××をあまり面白く展開させるには到らなかった。関東軍の土肥原少将と中国側の秦徳純氏との間の誠意ある会見によって、一、宋哲元氏はチャハル省政府主席と第二十九軍長の職を退き、二、今後省内に於ける排日行為を再発させぬ保証を与え、三、熱河省境一帯地区の支那軍隊を他へ移動して同地域内には今後支那軍を駐兵させないこと等々の覚書を交換することになったからである。つまりチャハル省も亦、河北省と同様に緩衝地帯だということになったわけである。して見るとこの幕は第一幕のただの延長か繰り返しでしかなかったわけで、興味を有って期待していた不心得な人間達はやや失望したかも知れないが併しそれだけに、早く幕になったのは助かったというものである。――尤もその後、七月に這入ってからも、宋哲元軍は時々満州国へ不法越境しては中国側を恐縮させているのであるが。
 チャハル問題が一段落ついたのは六月二十五日だった。処が一週間の休憩をおいて、七月二日になると、舞台は今度は上海に移って『新生』という中国の雑誌の不敬事件なるものが発生したのである。この雑誌に不敬な文章が載って発表されたというのであるが、××××××××××××××××××××××××、その文章の内容に就いては知り得ないし、又吾々庶民は知るべきでもないだろう。だがいずれにしても、中国が日本ブルジョアジーの商品である日貨を排撃したり、日本にとっては一種の外国でもなくはない満州の国境を侵したりするのは、日本人としてまだしも我慢するとして、遂には×××××××××不敬事件をまでも惹き起こすに到っては、もはや赦すべからざるものがあるのである。もし日本のブルジョアジーや日本の軍部の対支対策がまだ充分に×××××××××××ために、××××××××奉ったとすれば、恐懼の至りでなくてはならぬ。
 軍部はだから、遠く満州事変や上海事変、又近く例の河北省問題やチャハル問題の、一貫した劇の筋書きの上から云っても、当然この問題の正面に立って働くだろう、と単純な吾々は考えたのである。処が意外にも外見上は必ずしもそうではないのだ。七月二日有吉大使は、外務省の回訓に基いて、唐外交次長と会見し、我が要求を明示して正式の抗議を通告した。その内容は先にも述べたような恐れ多い理由によって、必ずしも明らかではないが、併し問題は、この事件が北支問題とは多少異った特色を有っていることが明らかだという処に存する。
 広田外相は五日の閣議に於て云っている、「今回の事件は先の北支停戦協定違反事件と異り、純然たる外交交渉案件である故、専ら外交当局をして折衝せしめている。従ってこの交渉に軍部が干与しているものの如く視るものがあれば、それは大きな誤解である」云々。林陸相自身も又之に相槌を打って「今度の問題は外相の云わるる通り、純然たる外交問題である故、軍部が直接積極の行動に出ずべきものではない。よって東京並びに出先の軍憲に対しても、この旨を厳に訓達しておいた、従って出先軍憲の意見が新聞等に表われていても、これは聞かれる故個人的意見を陳べたもので、軍部としての意見を代表したものではない」と云って他の閣僚の諒解を求めている。――なる程云われて見れば尤もで、今度の事件に限って珍しく外務省の係りであるらしい。それを他の閣僚までが軍部の仕事と思い違いしていたとすれば、対外折衝は軍部のやることだというような考えが閣僚自身の習慣になっている程に、外務省側の独立行動は珍しかったからに過ぎぬだろう。
 併し之を軍部の仕事と思ったのは日本の迂濶な閣僚達だけではない。肝心な唐次長が、軍部の意向を聴取するために、南京へ帰京する予定を延ばして在上海の日本武官を訪問して歩いている。特に磯谷少将は蒋介石氏直参と称される張、陳、両氏との三時間に亘る会見に於て、支那の不心得を懇々と説いたと新聞は報道している。無論こう云っただけでは軍部がこの交渉に干与しているとも云えるしいないとも云えるわけだが、折衝の名義人は外務省でも、外務省の独立な折衝だと云えないことは明らかだ。軍部の監視の下に外務省が衝に当っていると云った方が正直な云い方なのである。
 無論××××××××××事件であるから中国側に苦情のありようはない。中国側は、党部の名に於て、日本側の要求全部を容認することとなったのだが、之に対して例の磯谷少将は語っている。「今回の事件に関し中央党部はわが方の直接要求条項を逐次履行しつつあり、稍誠意の認むべきものがあると考えるが、軍としては、有吉大使が希望条項として提示した上海市党部の撤収を事件の根本的解決策と思考し、従来の措置では未だ全的に満足することは出来ない。この実状に鑑み、中央党部が一日も早く自発的に上海市党部の撤収を断行することを期待する」と(七月九日東朝紙)。だからここで明らかなように軍部は外務当局の交渉振りの監視に任じているのである。単なる個人の意見として、右のような言明が出来る筈はない。――それに就中注目すべき点は、党部の撤収なるものは日本の軍部否出先軍部が、北支問題でもチャハル問題でも持ち出して中国側に容認させた根本要求の一つだということなのである。だからこの点で、不敬事件に就いては、北支事件――チャハル事件――不敬事件、という具合に話しがうまく続くのである。
 軍部のこの監視振りは併し、上海に於ける日本人居留民にそのまま反映している。民団各路連合会では緊急会議を招集して当局(即ち外務当局)を鞭撻すべし、という意見が一時有力となり、軟弱外交(之が日本の外務省に関する伝説である)を文書で痛罵する者もあるというわけだ。併し海外に居留する日本人の動きなどは、××××××××すべきものではない。現地局地に眼がくれて、それに植民地根性丸出しが多いから、一般社会的な問題にすべき現象ではない。こうした云わば居留民的ファッシズムとは関係なく、日本は東洋の平和のために、忍ぶべからざる行為をも忍んで遂行しているのだ、ということを忘れてはならないのだ。
 一体北支問題は、広田対支外交に基いて日支経済提携が成り立ちそうになった丁度その時に、不幸にして突発したものだった。吾々は折角出来かけた東洋和平の基礎が、際どい処で覆されたと思って失望したのだが、併し雨降って地固るの喩えもある通り、外務省式の二階から目薬的な日支親善の代りに、北支事件の結果成功しそうに見えるものは、もっと手近かの「北支経済援助」だったのである。一般的な日支親善の代りに、北支那に於ける日満支経済ブロックが成り立つことになった。つまり日満ブロックの北支進出ということだ。之が北支の例の緩衝地域の意味でもあったのだ。――だが北支問題の結果は単に北支に於ける日支親善だけではなく、夫が同時に国民党中央部の多少の勢力偏成がえを伴った結果、親日派の権力の増大を来したので、一般的な日支親善の実質も亦段々物になりかけて来たと世間では云っている。
 これほど結構なことは、支那にとっても又とある筈はあるまい。例えば今まで云わば一種未開の地であった北支那に、鉄道網が敷かれたり、製鉄、石炭、電業、電信、電話等の産業交通が愈々盛大になったり、満州国の貨幣が一律に通用したりすることによって、北支は全く文明開化されるわけだ。イギリスはこうして印度に恩沢を施した。日本はそれを更に親切な仕方でやるのだから、支那側に文句のある筈はないのである。――処が頑迷固陋の中国人は、自分の畑を他人が耕して呉れるのを、どういうわけだか余り歓迎しないのではないかと思われる。例えば当然無条件に支那側が恐縮して然るべき例の不敬事件に就いても、中国国民は必ずしも恐縮してはいないらしい。却って、この事件の責任者の公判廷には、排日宣伝ビラが貼られたり、傍聴人が被告と握手して之を激励したり、弁護人と傍聴の党員とが計画的に騒擾を起こしたりしているのである。傍聴者達は騒擾を起こしておきながら一人として逮捕されるものがないどころか、凱歌を奏して法廷外に出て行ったというのだ。
 日本側代表と日本国民自身とが同じ意見か××××××××が、少くとも中国に於ては所謂親日派なる中国側代表者と中国国民とは日支関係に就いてまるで別な意見をもっているらしい。すると日本は否少くとも日本側代表者達は、中国国民そのものとは全く別な何物かと、和平の握手をしたこととなる。すると例の北支の文明開化の聖業なども、果して中国国民(北支那はまだ中国政府の領土なのである!)にとって利益になるのかどうか当てになったものではない。現にこの北支産業開発に際して、一等痛手を蒙るものは従来の蒋介石氏の二重外交を支援する浙江財閥だと見られているが、それでは日満の助力によって北支国民大衆の大衆財閥(?)とでもいうものが支配するのかというと、そうではない。そこに支配するものはより有力なブルジョアジーとより優雅な兵備とである。自分でなくて他人が住んでいる立派な建築や、コンクリートの立派な軍用道路を見て、自分までが幸福になったと思い込む人間は、よほどの田舎者だ。中国国民が悉くこの種の田舎者でない限り、日満的パックス・ローマナ(Pax romana)ローマの平和も心細いものだ。
 処がまだまだ、この日満的パックス・ローマナには他に問題があるのである。満州帝国の辺境を侵すものは純然たる支那兵とは限らない。ソヴィエト治下の外蒙古軍まで、越境の沙汰に屡々及ぶことは周知の通りなのである。ハルハ地方の外蒙兵越境事件に就いて満州帝国が外蒙古と交渉中の処を、又々ハイラステンゴールに於ける同様な事件が惹き起こされた。外蒙代表の散※(「にんべん+布」、第3水準1-14-14)氏はソヴィエト政府としめし合わせて、故意に事件の解決をおくらしている、という満州国側の発表である。満州帝国は日本帝国ではないから、ひとの国のことはどうでもいいようだが、併しこの頃ソヴィエト・ロシアは駐支大使をして北支事情の調査を行わせ、日本の行動を探り始めたということである。チャハルに於ける日本軍の進出を検べるらしいが、特にチャハルは大分外蒙古に近いのだろう。
 併し日本軍部即ち関東軍側に云わせれば、武装した赤軍が、ソ満国境を越えて満州国領土に侵入することは、枚挙に遑のない程頻繁だというのである。第一、林陸相が内閣審議会で報告する処によると、ソ満国境には二十万の赤軍を配備して戦略的展開を行っているというのである。二十万人もいれば十人や二十人時々国境からハミ出すこともありそうなことで、この大軍に対比しては、関東軍はわずかに行軍状態とも云うべき有様だと陸相が説明しているその少数の関東軍さえが、ソヴィエト政府に云わせると矢張時々××から×××すそうだ。
 駐日ソヴィエト・ロシア大使ユレニエフ氏は六月二十六日広田外相を外務省に訪問して去る六月三日ソ満国境楊森子付近に於けるソ兵越境問題は、実は日本兵が××したことに原因するものだと抗議を申し出たのである。外相は、事件が全く満州国領土内で発生したのだからソ兵側の越境によることは明らかだと反駁し、併し今例の日本式の現地解決主義によってハルピンに於て交渉中だから、その話しはまあ後にしましょうと云い、それよりも日ソ満三国国境委員会設置案を具体化する方が外務省として手頃な交渉ではないかと云い、否それよりもソヴィエトの国境軍二十万は多すぎて危険だから、半分か三分の一に減らしてはどうか、という具合にユレニエフ氏へ持ちかけた。現地解決ということを知らないユレニエフ大使は、ウッカリ問題を霞カ関などに持ち込んで来たので、逆にとんだ負担を負わされて引き下らざるを得なくなった。
 そこでソヴィエト政府は七月一日同大使に命じて、今度はソヴィエト側から、日満軍の国境××に対する厳重な抗議を日本政府に対して申し込ませることにした。最近日満軍隊並びに艦船がソヴィエト領土及び領内水路を×すこと八件もの多きに及んでいるが、之は日ソ国交上「重大な結果」を孕むものと信じる。日満軍隊艦船が領土水路を×した場合、ソヴィエト政府は日本政府の責任を問うこと、ソ満国境に於ける日満軍当局の行動は危険且つ許すべからざるもので、日本政府はよろしく該軍の挑戦的行動を阻止すべく断乎たる処置を宣すべきこと、と云った内容である。つまり広田外相はスッカリ美事に復讐されたというわけなのである。
 外務省当局は、云うまでもなくこの「ロシヤ側の宣伝的態度」に不満で、第一に事実を虚構するものであり、第二に広田――ユレニエフ――国境問題委員会案を無視したものだと言っている。ソヴィエト側が日本側の虚をついたように見えるこの抗議は、外国の外交関係者の見る所では、国境撤兵交渉に対するソヴィエト側の牽制策ではないかと観察されている。――果して、モスコーからの情報によれば、国境委員会設定の件に就き、ソヴィエト政府に於て応諾の色があると報じられている。之によって撤兵問題が或る程度まで具体化することになれば、北満鉄道問題解決以来の「日ソ親善」の実が挙がることになるだろう。
 処が之は単に外務省式な見透しであって、関東軍が現地的に幅を利かせている満州国自身にとっては、すぐ様そうは行かぬらしいのだ。同国の外交部は、話を逆に持って行ってソヴィエト軍が撤退しない限り国境委員会設置には同じ難いという意味を言明している。と角広田円滑外交に×××××××るのは、北鉄買収問題と云い、支那公使昇格問題と云い、満州国の興味であるようだが、之は何かに魅入られている結果だと思えば解釈がつく――処が又広田対ソ外交にとって不利なことは、日ソ漁業関係でソヴィエト側がいつも条約無視をやっているということなのである。最近では、カムチャツカ東海岸の某地方にソヴィエト政府国営の漁区が三つ設定されたという報道だが、漁区の設定は日ソ両国の会議によることになっていて、このソヴィエトの三漁区の設定は明らかに条約違反になる、という農林省の解釈なのである。同省は外務省と協議の上、ソヴィエト・ロシアに対して厳重に反省を求める意向だそうだ。だが漁業問題の解釈のためにだってすぐ日本の駆逐艦がやって来るのを見ても、不敬事件と同じで、矢張直接軍部に関係しなければ話しはおさまらないのだ。
 さて以上見て来たようなトラブルスは、是が非でも膨脹しなければならぬ日本としては、或いはその膨脹を是が非でも合理化させねばならぬ日本としては、当然我慢しなければならぬ処のものである。だがただのトラブルスならば我慢するのは大したことではなく、単に心懸けの問題に帰着するかも知れないが、そのトラブルスが同時に非常に金のかかる(十二三億円もかかる)困難だとすると、夫は容易ならぬ困難だと云わねばなるまい。日本はその膨脹のために、或いはその膨脹の合理化のために、今やこの到底普通の民族では忍び得ないような天才的な困難を忍んでいるのである。ソヴィエト・ロシアは割合明朗な気持ちで、洒脱に戦機を逸脱して肩をすかしてやって行けるらしいが、中国の国民になるともはや決してそのような楽な気持ちではない、身をかわすにさえも膏汗がにじみ出るのである。処が日本の国民も亦、同様にこの到底忍ぶべからざる困難を耐え忍んでいるのである。して見ればつまり、日支国民はお互い様ということになるのである。併しそれにも拘らず日本帝国そのものは膨脹して行くのであり、中華民国そのものは萎縮して行くのである。
 尤もあまりの困難に耐えかねて、時々不吉なうめき声を出す不心得な日本人がないではない。併しそんな女々しいうめき声は、甚だ豪勢な怒号で一たまりもなく吹き消されて了う。東京の某大新聞記者町田梓楼氏は、市内の数カ所と信州の教育会とで「非常時日本の姿」について講演したが、在郷軍人会は之を反軍思想で赤化宣伝だと云って大声で怒号し始めた。該新聞社に町田罷免を迫ったり紙上謝罪を要求したり、果ては該新聞紙不買同盟を決議したりしている在郷軍人分会やファッショ政党もあるらしい。町田氏は在郷軍人会側の誤解を解くべく、心境を吐露した文章によって、日本の対外的活動に対して何故諸外国から文句をつけられるのか、ということの冷静な科学的な認識こそは、困難を出来るだけ少なくして国運の発展を円滑ならしめるものだ、と説いている。
 だがそういう弁解はもう役に立たない世の中だ。或いはまだ役に立たない世の中だ。何しろ日本は今、膨脹することだけが商売なのだから。農民問題、失業問題、その他何々、それはまあ後廻わしにしようではないか。諸君××××××よ!(一九三五・七)
(一九三五・八)
[#改段]


 大学・官吏・警察

   一、杉村助教授の場合

 東京商大の哲学者、杉村広蔵助教授は、学位請求論文(商学博士の)「経学哲学の基本問題」を同大学へ提出した。同助教授は助教授とは云っても年配や有名さや何かから云って方々にあるかけ出し助教授(つまり昇格した助手)とは異って、云わば堂々たるものなのだし、それに学内に於ける評判と人気も大いに良い方なので、多分誰でもこの論文は教授会を通過するものと思って怪まなかっただろう。当人だって、そう思えばこそ提出したので、帝展や院展、二科の出品などでも多少はそうかも知れないが、大体を瀬踏みをしてからでないと、学位論文はウッカリ出せないものである。
 尤も杉村氏のような場合、生え抜きの商大人なのだから、特別の瀬踏みの必要もないように思われもするのだが、併し、仲々そうは行かないらしい。元来ブルジョア学者の学問が公平無私で「客観的」であることを以て、即ち不偏不党の中立主義であることを以て、「科学的」だと称されているのは、世間周知の通りであるが、併しその結果、それだけにブルジョア学者そのものの人柄に就いて云えば、主観的で分派主義的で、即ち非科学的な人物が少くない。公平無私で客観的で科学的な「学術論文」を、この私党的で主観的で超科学的な惧れのある学者から出来ている教授会の渦中に引っぱり出すのだから、「学術」なるものも決して安心してはいられないのである。
 論文の審査員は経済畑からの高垣寅次郎教授と哲学畑からの山内得立教授であり、この二人が之を「学術的」に学位に値する(即ち大学院卒業程度乃至夫以上の学力あることの証拠)と認めて、教授会にかけた処、不思議なことに、いや果せる哉、出席教授二十一名の内、賛成十四票、賛成でもなく不賛成でもなくそうかと云って棄権でもない処の白票が七つ、という結果になって了った。規定の四分の三の賛成者を得ることが出来なかったので、結局この論文は教授会を通過しなかったのである。
 そこで驚き且つ怒った杉村助教授は、一方辞表を提出すると共に、論文を岩波書店から出版するに際して、その序文にこの不通過の顛末を書くことにしたそうである。まだその序文を私は見ないから、どういう点に氏の忿懣が集中されているか判らないのだが、助教授団や先輩団が、この問題をキッカケにして教授団攻撃や佐野善作学長の辞職勧告に進んで行く処を見ると、恐らく学閥とか学内セクト対立とかが、氏の私かに触れたい要点ではないかと想像される。
 形式的な問題として見れば、審査員が認めても教授会で認めないということは、当然あり得て然るべきことだ。博士は単に学術優等だけではいけないので、思想的にも道徳的にも社交的にも品行方正でなくてはいけない。処が二人位いの審査員は他人のこの品行が方正かどうかを、審査することは事実上出来ない、之を審査するのがまず第一に、他人の噂を色々と知っている(釣や囲碁や談笑酒席?の間に)教授団に限る。その次は文部省のお役人が之を審査する。尤も文芸懇話会の松本学氏のような人を学長か総長にすれば、この学長か総長がよろしく工作を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)むかも知れないが。
 だから審査員が認めたのを教授会で認めないということは、元来少しも変なことではないのだが、併し他方から考えて見ると、審査員に選ばれた教授は云うまでもなく、教授達の内で一等その論文のことの判る人間なので他の教授は大抵の場合、他人の論文の詳しいことがそう一々判るものではない。そこで本当を云うと、論文提出者とその審査員との人物が気に入る入らないは別にして、論文そのものに就いて云うなら、審査員の学術的資格を信用して了って全員賛成するか、それとも之を信用する気にならなければ、賛成でも不賛成でもない白票を投ずるかの他はないのである。処がよく考えて見ると之も亦変なもので、教授会の権威から云って、あの論文の良し悪しは判りません、というような態度は許せないことだろう。では欠席するかというと教授会を勝手に休むことは官吏の服務上之亦許されないことだ。
 博士というものが学術優等で且つその上に品行まで方正でなければならぬと仮定する以上、右のような八方ふさがりに陥るのである。処がこの二つの資格は云うまでもなく日本では絶対に必要なのである。第一日本に於ては学術そのものが国家に(社会にではない)枢要なものでないといけないらしいが、その国家で建てた、又は之に準じている大学の学問と之を奉じる人物とは、云うまでもなく国家的見地に立って品行方正であることが必要だ。第二に、併し大学の教授団は、共同研究をする機関などではない、大学教授の研究は各自独立に排他的にさえやることになっているから、教授団乃至教授会は研究機関ではあり得ない。そうすると之は一種の同職組合、学術業のギルド組織に似たものだろう。このギルドの気質かたぎと仁義にかなわないような学問や人物は、「学術」でもなければ「学者」でもない。処がこの学術業ギルドは、東大は東大、京大は京大、慶応は慶応と夫々気質と仁義とを異にしている。同じ商大でも東京商科大学と神戸商業大学とは仁義は反対だ。処がこの同じ東京商科大学ギルドの内でも、仁義に流派があって、或る一方の仁義から見て品行方正な学問と人物だけが「学術」的となる資格を有っているというようなわけだ。
 さて事実、東京商大にどのような仁義があるか、私はよくは知らない。なぜ国立というような無人の荒野にわざわざ持って行って、教会かチャペルのような建築の商人の大学を造ったのかさえも、私には判らない。併し凡そ官立大学(帝大を含めて)や之に準じる公私立大学一般の、学術の優等振りと品行の方正振りとを、即ち大学の科学振りを、吾々は大体に於て知らないのではない。それから又杉村氏の科学上の研究を一々専門的に知っているのではないが、氏の大体の科学的な水準に就いては、あまり見当違いでない判断が出来るだけのチャンスを吾々は持っている。そこで大学のこの科学水準と、杉村氏のこの科学水準とをつき合わせて見ると、どう間違っても杉村氏は立派に博士に及第しなければならぬ、というような気がするのである。
 私は日本で出版された所謂経済哲学に就いての研究を、三つ四つは見ている。故左右田博士の論文集や故大西猪之介氏の『囚われたる経済学』、学位論文としては京都帝大の石川興二氏の「精神科学的経済学の基礎問題」と法政大学の高木友三郎氏の「生の経済哲学」など。之に比較して見るならば、まだ見ないのだが多分今度の杉村「博士」の論文は決して遜色あるものではなかろうと僣越ながら推測されるのである。
 杉村氏は人の知るように左右田喜一郎氏の経済哲学を継承発展させた所の学者である。処が左右田氏は銀行家としては失敗したが、ブルジョアジーの代弁的哲学者としては、とに角押しも押されもしない代表者であった。今日のブルジョア社会では、却ってああいう形式主義的な合理主義は流行らないが、それは云わば封建的要素と結合したブルジョア社会のファッショ化の結果であって、形式主義的ナショナリズムはブルジョア科学用のイデオロギーの一要素として、今日でも立派に国家的、「学術的」、大学的な通用性を持っている。この極端な代表物が杉村氏の哲学であり、その粒々たる苦心の結晶が、多分今度の論文だろうと思う。
 経済学と哲学とに両股かけていようと、経済学でもなく哲学でもないにしても、それから又、こうした苦心が結局は玩具製造人の苦心に類するもので仮にあったとしても、今日の大学がこの「学術的」労作を握りつぶし得る義理ではあるまい。――杉村氏や少壮助教授や学生達が「学術刷新」と「学園振粛」とのために起とうとしているのは、正にこの意味なのである。
 ブルジョア大学が、アカデミックに又恐らくギルド的に申し分のないこのブルジョア科学的労作を「学術的」なものと認めないとすると、一体今後大学は、どうする心算なのだろう。之はブルジョア大学がみずから墓穴を掘るものでなければなるまい。問題は所謂、「大学」(独り東京商大に限らぬ)自身の問題であって、杉村助教授の問題ではない。杉村助教授その人の問題としてなら、いくらでも途は開かれているので、氏がブルジョア・アカデミーの「学術」的なエクスタシーから、之を機会にして、正気に帰るということも、一つの手であるかも知れない。

   二、官吏道

 官吏の身分保障令が制定されてから、既成の上層官吏の異動が[#「異動が」は底本では「異動か」]少なくなったのはいいが、それだけ高等官候補者の出世が困難になり、内にはスッカリ腐ったり上官の失脚を喜んだり、政党内閣の再来を希望したりするものさえ少くないという。官吏の総元締である大臣にしてからが、誰かが死んだりすると、その後釜をねらう者が多くて、その結果岡田首相は一時でも逓信大臣を兼摂しなければならなくなる程だ。上官の失脚を喜ぶ下ッ葉の若い官吏があるのも無理はない。
 内務省の観察によると、高級官吏の若い候補者達のこの憂うべき傾向は、結局今の若い者に腹がないからで、腹を造らせるには、禅寺あたりで修養させるに限るというのである。そこで内務省では全国府県に配属してある見習属約百五十名を三班程に分けて、二週間位いずつ鶴見の総持寺にこもらせ、精神修養と時代の「認識」とを与えることにするそうだ。講師には云うまでもなく、僧侶と軍人は欠かすことが出来ない。教育家と財政家即ちブルジョアの技術的番頭も欠かせない。行く行くは官吏道場というものも造り、腹の出来た若僧役人達が、ワッハッハと豪傑笑いをすることになるじゃろう。
 だが、酒一つさえあまり飲むことを知らぬこの頃の若い者に、容易に腹などが出来るかどうか、可なり危っかしいのである。併し実は腹なんか出来なくても構わないので、いや下手に腹などが出来られては危険でしようがない。精々、出世しなくても不平を云わずにおとなしく働けるだけの腹が出来れば、それ以上の必要はないのである。
 之は官吏の話ではなく、従って本当のお役人とは云えないかも知れないが、この頃東京市の少壮中堅吏員が「市政研究会」という団体を造っている。市政浄化を目ざして吏道の確立を計るのだそうだ。市政を害毒するものを吏員自身の手によってさん除しようというのである。既に会員は千名を越えているし、やがて機関紙も発行するし、更に運動を全国の都市の吏員にまで拡げようという。――こうして中堅以下の吏員の横の連絡が出来上れば、心配になるのは〇〇〇〇市区議員や上級吏員や市長や助役ばかりではない。吏道の統制そのものが危殆に瀕するかも知れないのだ。すでに××××に於てこの現象は極めて著しい。文官官吏に於ても、外務省や司法省にこの悩みがなくもないそうだ。だから、内務省だって決して安心してはいられない。知事の卵の腹を造ることは必要だ。併しおとなしく不平を云わずに働く腹を造ることだけが必要なのだ。
 処が民間に能率連合会なるものがある。この能率主義者の一団が、お役人の暑中の半ドンは、晩まで働いている民間の労働者に較べて、甚だ社会的に不当だという考えから、官公庁の夏季執務時間を民間の銀行、会社並みに改めることの可否に就いて、各方面に賛否の問い合わせを発したものである。同会の理事は云っている、「私達のは勿論能率向上という見地からですが……非常時局の折柄指導的立場にあるべき彼等の夏季半休は時代に逆行するものではないでしょうか。」
 問い合わせの先は、特に官公庁を除外したのであるが、約四百通の問い合わせに対して最近までの回答、廃止すべしが二百六十通、従来通りでよしとするもの僅か五十通、という成績である。(尤もこの賛否には夫々の特別な理由が伏在しているのを忘れてはならないが。)そこで愈々官吏側でもこの問題を事務管理研究委員会に付議しようということになって来た。――例の知事の卵とかは、涼しい禅寺でユックリと二週間も修養させられるかと云うと、忽ち半休取り消しという眼に合おうというわけだ。非常時局だから大いに発憤して気勢を揚げようとすると、非常時局だから大人しく朝から晩まで働けと云われる。
 なる程官吏乃至一般にお役人位い社会的に優遇されているものはない。夏季に半休があるなどということは、その優遇の抑々末端である。身分保障、恩給、退職手当、年金、官舎、昇給、其他から云って、決して民間のサラリーマンの比ではない。それに官吏の背景には国家の権威が射している。身は××にぞくしているのだ?――併しそういうなら、民間のサラリーマンを一般の所謂労働者に較べて見たら、サラリーマンは何と社会的に優遇されているではないか。処が又この就職労働者を失業労働者に較べて見たら彼等は何と贅沢な社会条件におかれている事だろう。否、本工と臨時工との差だって実質的には大したものなのだ。失業者だってカード登録者と純然たるルンペンに較べたら、カード氏等は如何に贅沢な社会的厚遇を享受していることだろうか。話は段々細かくなり心細くなるが、社会的優遇の差は、主観の隣接した視界に於ては、その割に小さくはならないのである。
 社会人は誰しも、この社会的優遇(?)の差を不平等で不埒だと考える。この差を除くことが今日の社会人の常識である。処がこの差の除き方には、数学的に云って二つの方法があるので、一つはどれも之も云わば一様に社会的に優遇することによるものであり、他の一つは優遇されたものの「特権」をわざわざすべて廃止して了って、どれも之も最低の社会的優遇(?)に還元しようというのである。処で後の方のやり方を、能率増進とか能率向上とかいうのである。
 能率増進というと如何にも景気が良く、すぐ様輸出の増大とか産業の発達とかを連想するかも知れないが、何でも増進さえすればいいというわけではない。例えば血圧などは増進しては困るものの一つだ。それに能率と云うと如何にも頼もしいのだが、実は能率には二種あって、機械とか工場設備とかいう物質的技術的能率と、労働者の働かせ方とかその労働力の最後的緊張能力とかという人的能率とは別だ。一体エフィシェンシーというのは機械に就いての工学上の概念だったのを、何時の間にか社会の生産機構に持ち込んで来たので、遂に人間の能率(即ち使いべりのしなさ加減)のことにもなって了った。能率という観念の食わせ物である所以は之だ。
 日本の官吏も今や遂にこの工学的な能率増進の対策にされて了った。
 国家の権威を背景としていても、いくら威張っても、官吏は資本制社会機構での一勤労者で、被使用人であることを免れないということになった。こんな判り切ったことを併し、日本の官吏自身も日本の人民も、実は充分突きつめた形では、理解し得ない理由があるのである。名誉ある官吏道なるものがそこにあるからである。

   三、警察明朗化

 八月の上旬に溯るが、小原法相は検事の人権蹂躙問題が議会に於てまで問題にされたのを見て、検事事務調査会なるものに命じて、検察事務改善に関する答申をなさしめた。その答申によると、第一「職務を執るに当りては常に人権の重んずべきことをおもい、その非違を匡正するは安寧秩序を維持するため已むを得ざるに出ずるものなることを忘るべからざること」、「被疑者其他関係人を取調べるに当りては、其言語動作を慎しみ、苟も取調べを受くる者をして、その名誉信用を毀損せられ侮蔑を受くるの感を抱かしむるが如きことなきよう常に慎しむこと」、又「未決拘留期間の短縮に努むること」、其他というのである。
 帝人事件に関する人権蹂躙事件は、主に検事局内で起きたことだったから、之を直接の動機にしているこの調査会の答申は、云うまでもなく直接には検事の取調べ方に就いての注意だろう。之によると、之まですでに人権蹂躙に近い事件が××側になくはなかったということを自白しているようなもので、国民は之を以て、××が人権蹂躙の事実を或る程度まで暗に承認したものと見做していいのかも知れない。
 それはとに角として、この答申は勿論単に検事取調べの場合に就いてだけ云っているのではなく、司法警察官の取調べ態度に就いても云っているのである。未決拘留期間の短縮云々は、だから警察署の場合では、検束・検束の反覆・拘留及びその反覆の警察官による司法乃至行政処分の期間短縮を含むものと見ていいだろう。拘留か検束か知らないが、左翼思想犯の留置場乃至保護室に於ける留置期間は半年位いは普通になっている今は、この点は大切なのだ。検事局がこの新しい方針? を取る以上、だから警察も亦この方針を取るべきであるのは言をまたない。
 東京地方検事局の猪俣検事正は、今度検事と司法警察官との連絡を密接にするために、検事の警察巡回制度を実施することにした。地方検事局の検事三四名が、一カ月に二回程度に、受持ちの警察署を[#「警察署を」は底本では「警察暑を」]巡回し、司法警察官の指導を行うと共に、他方では、司法主任を一年に一回十日間程この受持検事の処へつれて来て、検事局や裁判所の事務を見習わせようというのである。之によって、警察官の取調べに於ける人権蹂躙を防止し、事務をスピード化し、警察を明朗化出来よう、というのである。
 検事正はそこで、地方・区・検事局の検事を呼び集めて、次のような内容の訓示を与えた。検事と司法警察官との関係は、従来は命令服従という冷かな形式のみの結合であったが、併し両者の関係はもっと温情あるものにならねばならぬ。兄弟も只ならぬように情意投合すべきだ。この理解と至誠との上に立った和を以て根本精神とし、弟を指導する意味で警官に接しなければならぬ。濫りに欠点を挙げ論駁攻撃を加え無能を懲罰するような監督者としての態度は、断然改めなければならぬ、というのである。
 ××××にかけては、警察は決して検事局の弟ではないから、元来が兄たりがたく弟たりがたい関係だったのだが、それが愈々温情ある意気投合をすることになる。尤も幸にして検事側の被疑者に対する人権尊重が強調されるのは先に見た通りだから、この意気投合は大いに歓迎すべきものなのだが。
 かくて警察は追々明朗になって行くということだ。警視庁では管下の警察署を明朗化すために、追々「刑事部屋」の改造に着手することになった。「刑事室」の名に相応わしいように、椅子・テーブル・宿直用のベッドなどをそなえ、椅子に腰かけて被疑者の取調べに当ろうというのである。畳敷きが床板張りになった処で、大して警察が明朗になりはしないと云う人があるかも知れないが、併しそれはそうではないのだ。封建制度下よりも資本制度下の方が、何と云っても野蛮でなく残忍でないのだから、刑事の取調室が近代化せば、それだけ封建的な残忍さは消えて行くだろう。少くとも之はそのおまじないになるのだ。尤も一般に野蛮にも残忍にも、それ自身の進歩があるとすれば夫は又別な話だが。
 併し建築上のおまじないで警察が明朗化するというなら、少くとももう少し迷信的でないおまじないがあるのである。夫を警視庁では余り気づいていないらしい。というのは、建築上効果覿面なのは、留置場の改造と増設となのである。尤も増設の方は、大体あまり景気のいいことではなく、出来るだけ増設などの必要のないようにすべきであり又なるべきだが、少し今日までの警察官の警察技術と心掛けとから云って、増設を必要としないような状態は到底望まれないようだ。三畳敷き程度の処へ、多い時には二十人以上が言葉通りに鮨づめか刺身づめにされるのでは、大抵の留置人は身銭を切っても留置場増設を引き受けたくなるだろう。(そういう事実は調査して見たらば存在しなかった、などと云う勿れ。証人は日本の社会至る処からつれて来て見せる。)馬鹿々々しい牢名主制度などこういう物的条件から起きるのだ。之は少くとも近代化されねばなるまい。
 室の数や広さだけではない、昆虫衛生、入浴設備、排泄衛生、採光、其他に関する改造が必要なのである。この改造費は警察医の費用位いでしぼり出せぬとも限らぬ。留置場から出た国民各自の医療費の一部を喜捨してもらっても、予算は立つかも知れない。留置場を近代的に立派にするのでなければ、刑事部屋にどんな快適な設備をしても、日本の警察は決して明朗にはならぬ。私は敢えてこの意味に於ける警察明朗化を提唱するものである。
(一九三五・一〇)
[#改段]


 八大政綱の弁護


 四月十日林内閣は「八大政綱」なるものを発表した。すでに同内閣が組閣当時発表した有名な政綱があって、夫が祭政一致の宣言から始まっていることは、少なからず日本の民衆を刺※[#「卓+戈」、231-下-4]し、そればかりでなく甚だしく世界の人類を感嘆せしめたものである。処が七十議会を解散した政府は、四月末の総選挙に先立って、改めて政綱を発表するという前振れの下に、国民の注目を惹きつけていたが、遂に夫の蓋が開いた。
 その内容は後にするとして、同じ政府が幾月も経たない内に政綱を二度も発表するというのはどういうことだろうか。前の政綱が不充分であったがためなのか、それとも前のは間違っていたから訂正したという意味なのか、それとも今回政府が政策を変えることにしたというのであるか。だがそういう点には殆んど全く、新(?)政綱は触れていない。七大政綱でも九大政綱でもなくて、精密に八つの政綱であり、之が必要にして充分な数であるらしく思うのが正しいのかも知れないが、そうだとすると増々、前の数政綱の改廃の経緯を説明して呉れなくては困る。この調子だと今後又更に、例えば三大政綱や五大政綱が発表されないとも限らない。そうなるとこの八大政綱なるものの八の字にからまる権威はまことに怪しいものとならねばならぬ。内容を別にしても、その形態分枝自身が信用ならぬものとなろう。それとも八つということに何か神話的な意味でもあるのだろうか。大八洲おおやしまとか「八マタノオロチ」とかとでも関係があるのだろうか。
 察する処、七十議会の解散が国民から意外に評判が悪くて、新党運動さえも思わしくないのを見て相当狼狽した林内閣が、総選挙に臨む、ジェスチュアの一つとして、この八大政綱を声明したものと思われる。そう考えて見れば色々理解出来る点も出て来る。初めの第一回の政綱の方は祭政一致などを先頭にした一種爆弾的な声明であって、国民は恐れかしこむ他ないものであった。凡そこれ程国民の世俗的な生活利害を白眼視した政綱の表現はあり得ないと思われる程だった。国民生活の安定という、既成政党さえ少くとも御題目としては唱えることを忘れない民衆へのさし伸べられる手は、どこにも見えなかった。それが今回の方の声明ではどうだろう。社会政策の徹底とか国民生活の安定とか、農山漁村の更生とか、物価対策とかいう、甚だ神祇性に乏しい政策が掲げられている。之は祭政一致というような宗教的儀式とは凡そ縁のないような世界の自由主義国家や唯物論国家やファッショ国家の、常套語でしかない。こうした俗悪な、民衆的な、非神祇的な、内容が盛られているのである。
 慥かに、民衆は祭政一致論議の霊的儀式には感動しなくても、世俗生活の物的利害には動くものだと、政府は初めて見て取ったらしい。之は現内閣の進歩でないとすれば堕落であるという他ないかも知れぬ。ことに政党や議会を懲戒する程のあらたかな資質を持っている政府が、総選挙如きものに牽制されて、民衆の現実利害などにうつつを抜かすとすれば、それはみずからその神祇的な権威を傷けるものと云わざるを得ないだろう。あらたかな政府と現を抜かした政府と、一体どっちが本当なのであるか、それが判れば国民の対政府所信もおのずから決って来よう。つまり前回発表の政綱と今回発表の政綱と、どちらが本当なのか、ということに帰するが、所がその二つのものの関係が、一見、一向に声明されていないというわけだ。
 仮に、神聖なるべき国家の祭祀的な政府が世俗の物的な交錯に、不覚にも現を抜かしたものが、今回の修正された改正政綱(?)だとすると、それに何等の特色がなく新味がないと云われるのも、初めから当然だろう。一体現内閣(寧ろ一般に最近の内閣がそうだが)が、何か新味か特色を存っている点は、社会民衆の物的生活利害に就いてではなくて、正にそうした民衆の社会的物質生活を超絶した高みからすることに就いてであった。それが民衆生活の世俗問題にまで天下って来たとすれば、羽衣を失った天女のように、まことに凡庸で取るに足りないものになることは当然だろう。たしかに新八大政綱は、可もなく不可もない(?)通り一遍のものと云わざるを得ないというのが、外見上の事実だ。
 だが、政府がどういう政綱を発表するかというような外見だけで、この政府の実力を推定してはならぬ。この外見からすれば恐らく気が向けば何べんでも色々な政綱を声明するようなダラシのない政府だろう。処がこういう隙だらけの発表やジェスチュアを通じて現われる政府の本質は、決してそんなダラシのないものではない。仮に林現内閣はダラシがないとしても、之に続いてバトンを受け取って走るだろう今後の諸内閣――国防六カ年計画の実施は今後の内閣の性質を客観的にそう規定するものだ――の本質には、国民の眼から見て何か淋漓たるものがあるだろうと思われる。だから案外、前政綱と新八大政綱との間には、一貫した或るものが客観的に存在するのである。この一貫した或るもの、之は実は正確に云うと例の祭政一致のことでもなければ、まして国民生活の安定其他の類でもない。夫が何であるかは、林首相などに聞くより陸軍大臣に聞くのが何より早途である――
 杉山陸相は八大政綱の発表に際して新聞記者に語っている、「決定した新政策は先に自分が師団長会議、東京在郷将官懇談会で述べた国軍の総合的能力の飛躍的向上発展を期するという趣旨と全く一致せるもので、今日ではこの考えは軍民一致、全国民の考えと一致するものと思う。いい換えれば狭義広義両方面の国防的見地から……」云々(東京日々四月十一日付)。陸相の体系によると、八大政綱の一切が、思想問題であろうと国民保健問題であろうと、産業統制であろうと、その他一切の問題が、この広義国防(とは即ち狭義国防のことであることを注意せよ)の見地から、系統的に演繹出来るというのである。祭政一致論議も国民生活安定も加味するの論も、この体系からの単なる個々の演繹に過ぎなかったわけだ。この体系を、今日世間では準戦時的体制と呼んでいる。林首相的表現に於ける八大政綱を如何につつき廻しても、こんな見事な体系を見つけ出すことは骨であるかも知れないが、陸相的表現を借りれば、一言にして明白になる体系だ。国民は、理論的首尾一貫と理論的指導性に於て、どっちの大臣の頭が優れているのか、眼が高いか、いやどっちの大臣の椅子の方が高いかを知るべきだ。
 展望台がどこにあるかが判った以上、之に登って下々の人民共の世界を観望すればよいわけで、そこに展開する蒼生の風のまにまによろめく姿は、八大政綱を以て表現しようが、九大政綱を以て表現しようが、新政綱であろうが、旧政綱であろうが、変りはない。つまりそんなことはのりとお題目であって、どうでもいいことだ。この政綱の類を神宣やお題目だと云って政府そのものを非難する者は、心ない次第で神宣でお題目である程度のことこそが、偶々正に必要なことだったに過ぎないのである。神話だって題目だって何かの利き目があればこそ世の中に存在するのである。
 さて以上のような点を心得ておいて、八大政綱に一通り当って見ると、之は決してそんなに凡クラな声明ではない、特色があり過ぎる程特色がある。何等の新味がないなどと云うのは政党者流の浅見に過ぎない。抽象的であって何等の具体性もないというのも嘘で、世間がいやという程知っている具体的な内容を、単に抽象的な多少拙劣な文章で表現したに過ぎない。声明そのものというような外面的なものでこの政府の政策政綱をあげつらうことは、出来ない。ただ声明の内に含まれているらしい矛盾だけは少し困るので、声明が矛盾している時は心事にも何か矛盾がある時だが、併し自分の矛盾を気づかない体系も大いに存在し得るものなのだから、例の準戦時的体制という体系の首尾一貫には少しもさしさわりはないわけだ。準戦時的体制という首尾一貫した社会組織そのものの社会的な無理が、偶々まわり廻って、政綱のそこここの矛盾となって現われはしないかどうかは、別としてだ。第一政綱は「文教を刷新すること」である。説明として教学刷新、義務教育延長、学制改革、文教審議機関設置、国体観念の徹底、国民精神の作興、というのがついている。決して抽象的ではなく相当具体的なのだが、国体観念や国民精神というものがなおまだ抽象的だという心配があるなら、それが現政府に於て事実上何を指しているかを挙げて見せよう。文部省は三月末に高等学校并に中等学校の教授要目を改正した。国史や国文の類の時間を殖やし、教学刷新評議会は「国体の本義」の内容を決議し、更に教学局の新設も予定されている。文理大や一二の帝大には「国体学」講座が設けられるらしい。
 都新聞(四月十二日付)によると、政府乃至文部省による「国体の真髓」は凡そ次のようなものに要約される。一、「天皇は現人神であらせられ」「永久に臣民国土の生成発展の本源にまします。」二、「神を祭り給うことと政をみそなわせ給うことはその根本に於て一致する。」三、「天皇と人民は一つの根源より生まれ肇国以来一体となつて[#「なつて」は底本では「なって」]栄えて来たものである。」四、「天皇の御ために身命を捧げることは自己犠牲ではなく、小我を捨てて大いなる御稜威に生き国民としての真生命を発揮する所以である。」五、「我国憲法の根本原則は君民共治でもなく三権分立でも法治主義でもなくして一に天皇の御親政である。」六、議会は「天皇の御親政を、国民をして特殊の方法を以て翼賛せしめ給わんがために設けられたものに外ならない。」七、「西洋経済学説は経済を以て個人の物質的慾望を充足するための活動の連関総和なりとしている、我が国民経済は然らず。物資は啻に国民の生活を保つがために必要なるのみならず、皇威を発揚するがための不可欠なる条件をなす。」八、「人間は現実的存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である、又我であると同時に同胞たる存在である。然るに個人主義的な人間解釈は個人たる一面のみを抽象してその国民性と歴史性とを無視する。従つて[#「従つて」は底本では「従って」]全体性、具体性を失い理論は現実より遊離して誤った傾向にはしる。ここに個人主義自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的過誤がある。」――大体こう云ったものだ。(この引用は全部該新聞紙所載のものに限る。)でここでも判る通り、例の祭政一致声明とこの文教刷新政綱とは全く相一貫したものでただその一貫物が、ここでは準戦時体制からの演繹としてではなく、逆に準戦時体制自身が祭政一致体系からの演繹として現わされている、というに過ぎぬ。これ程よく今日の国民が「知って」いる具体的な内容は又とないではないか。
 第二政綱は「政治の刷新行政の改善を図ること」である。その説明には、議院制度選挙制度の改善、行政機構の整備、中央航空行政機関の新設、官吏制度の改正があり、「また一面、」「民衆の利便を図らんとす」とある。之もまた今日、日本の国民はいやという程知っている具体的なもののことを云っているのである。之をしもなお抽象的であり、要は実行如何にある、などと称する政党人がいるとしたら、彼等は大政綱と小政綱(?)との区別を知らぬものと云う他あるまい。特に、中央航空行政機関の新設という項目が大政綱の一部として挙げられているなど、如何に之が具体的であるかのいい例ではないだろうか。橋本欣五郎という大佐が自分で造った日本青年党とかいう政党があるが、その綱領の一つに突如として飛行機論が出て来るのであるが、私は今夫を思い出す。現内閣による「政治」の刷新の軍隊的な具体的面目が躍如としているではないか。ただ抽象的にひびくのは「民衆の利便」というまたの一面である。抽象的というのは、国民がまだ具体的に夫を知っていないからである。大いに切望はしているがまだ現実には一向打つかったことがないものが、抽象的だ。民衆の利便と云っても、決して民衆の便利を逆に行くという意味ではなく、軍隊用語では民衆の常識的用語を逆にする伝統があるからに過ぎないのだが、利便を便利に直しても国民にとっては依然として具体的にはならぬようだ。之が具体的でないということはつまり夫が例の準戦時的体制から論理的に手際よく演繹出来ないからである。「なお一面」たる所以だ。
 第三の政綱は「挙国一致の外交を具体化すること」であるが、具体化そうというのだから、「挙国一致の外交」そのものは抽象的なものでもいいだろう。実際之は国民がこの間まで充分具体的にはのみ込めなかったものであるが、準戦時体制に不可欠の要素でもあり得ることは、民衆は知らぬでもない。尤も民衆は挙国一致外交が必ずしも準戦時体制の一環に限るものではないことをも知っている。北支行動、其他が挙国不一致外交の結果だったというのが本当なら、北支行動の消極化が即ち現在の挙国一致外交であるかも知れぬ、というロジックも成り立つだろう。だが政府はこの政綱をあまり分り切ったことと思ったか、それとも云わない方が苦しい説明を免れる途だと考えたか、説明文をつけていないのである。恐らく、次の政綱が説明抜きである処を見ると、例の準戦時体制の体系のあまりに直接な結論だからなのだろう。
 次の政綱というのは、第四の「軍備の充実、国家総動員的準備を進むること」であり、之には何等の説明もついていないが、之は最も具体的に国民が知っていることだ。国民は増税や物価騰貴やその他で、色々な意味に於て之を充分「認識」している。説明の要らぬのは当然だ。この一項だけで八大政綱は代表されるのだからである。ただこの最も重大な項目をそ知らぬ顔で何気なくアッサリと中途に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んであるなどと仲々面白いやり方である。だが祭政一致の体系から、準戦時体制を演繹しようという林内閣のイデオロギー的な順序から行けば、之でいいのである。
 第五政綱は「社会政策の徹底を図り国民生活の安定を期すること」とある。期するというのは正直な表現で、二階から目薬という感じを仲々よく文学的に表現する。だがその説明によると、実は、割合具体的だ。国民体位の向上、各種社会保険制度の確立、勤労者福利の助長奨励、労働力の維持増進、によって国民生活の安定を期そうというのだ。真中の二つは具体的に判るが、労働力の維持増進というのは何か一寸は判りかねよう。労働力は今日の社会機構では労働者のものではなくて資本家の所有である。少くとも役に立つ労働力(ゴロゴロ遊んでいる労働力でない限り)はそうだ。その維持増進が国民生活の安定になるというのは、少し変である。尤も労働力の維持というのは何か労働者の健康のことかも知れぬ、なる程健康ならば増進という言葉も常識的に判る。だがそうすると日本の労働者は不健康であるために失業しているということになる。社会の矛盾を生理的に解決する次第だが、この点最初の「国民体位の向上」を考え合わせて見ると、納得が行くものがあるだろう。ここで政府の目指す処は軍人たるべき壮丁の体位の下向を防ぐということだ。つまり体格優秀なる軍人が出来れば国民生活は安定を期し得るというわけになる。労働力というのも資本主義的に見た限りの壮丁(労働者)の体位のことだっただろう。労働者は今や、資本主義的壮丁として生活の安定(?)を期せられる。之は労働の軍事化の観念であり、夫が労働組合脱退の奨励ともなれば、やがて国家的報仕労働というシステにも発展出来るしろ物である。――だが、準戦時的体制下に於ける労働である以上こういうものであらざるを得ないことを観念せねばならぬ。この点を予めはっきりさせないで、之を「社会政策」とか何とか呼んでかかるから、判らないことが出て来る。つまり、社会政策という言葉さえ除けば、この政綱項目は、実に具体的に明白になるだろう。従って国民生活の安定という言葉も、除いた方が安定で、その方が国民の非常時的覚悟を促すにも利便があろう。
 第六「産業の総合的振興を図り国力の伸張に勉むること。」之はごく具体的である。鉄及び燃料という戦時及び準戦時の活動及び経済に必要な重要産業原料の自給、産業の総合的振興(コンツェルン強化?)、生産力の拡充、中小商工業の助長、電力統制、通信施設の整備、と云ったように説明されているが、之は云うまでもなく、第四の国家総動員政綱の経済版に他ならない。中小商工業に到るまで、広義軍需工業と理解すれば間違はない。そして「国力」というものが何であるかも之で明らかだ。と云うのは、前項のどうも判っきりしない「社会政策」とか「国民生活の安定」とかいうものをこの国力の概念に[#「概念に」は底本では「慨念に」]混入すると国力という概念は[#「概念は」は底本では「慨念は」]大変不安定なものとなり、やがて夫は「国力」そのものを衰弱させることになるからだ。やはり前項の「社会政策」とか「国民生活の安定」とかいう不純な要素は、この八大政綱の祭政一致論的乃至準戦時体制的なシステムからは取り除いた方が、物事がハッキリと具体的になったろう。「国力」からもそういうものは取り除かねばならぬ。
 第七「農山漁村の更生を期すること。」しばらく忘れられていた農山漁村が出て来た。之は軍部の有名なパンフレットに出たので一躍有名になったが、それ以来すっかり黙殺されていたもので、大変なつかしいと共に、相も変らぬ語呂の良さを持って行くものである。農地政策([#「(」は底本では「)」]多分農地法案と関係のあるものだろう)、農業保険制度の確立、農村工業の普及、農林水産の生産改善、はまずよいとして、「と共に全村一体の思想を鼓吹し」て、その更生を期すという。農地法式な農地政策の支配者的な特色、農村工業のゴマ化し(かつて現農相は正直に之を告白した)は注意に値するがそれより面白いのは、全村一体の思想を鼓吹するという、その思想自身だ。準戦時体制主義が農山漁村の社会生活に及べば、こういうものになるわけであり、村に求める処を国に求めれば即ち「国家総動員」となる次第だ。それは判るが、それで以て村民の更生を期する一半の依り処とすると、咄しは甚だ抽象的と云わざるを得ない。国家総動員の組織の細胞として、全村一体が必要であるというのは具体的に明らかだ(日本中の村が一体になるのではなく夫々の村の村民が夫々の村で一つ一つにかたまるということならだ)、併し夫が村民の本当の更生になるかどうか、具体的には判らぬではないか。どういう性格の「全村一体」かが問題になって来る。すると、折角具体的であったこの「全村一体」までが抽象的だということとなって来る。やはりここでも村民の「更生」などという表現は使わない方が正確だろう。最後の政綱は「税制の整理、物価対策及び国際収支の改善を期すること」であるが、その説明は八大政綱中、一等長く従って一等詳しい。「国民負担の均衡を図り、国家の存立発展のために必要なる国費の財源を涵養するため、中央地方を通じ、税制改革を行い、物価の投機思惑による国内的騰貴抑制の方途を講じ、根本的に物資の需給関係を調整すると共に、原料資源の確保、貿易の伸展、海運の発展、移民の促進に勉め、以て国際収支の改善を図らんとす」というのだ。大へん善いことばかり並んでいるが、国民は国民負担の均衡のための税制改革では馬場財政の方に賛成し、国家の存立発展のために必要なる国費の財源の「涵養」(?)のための夫では結城財政の方に賛成する。そのどっちかが問題であろう。尤もこの「涵養」ということは、税金を安くする事とも高くする事とも解釈される。政府で涵養になることは国民ではその反対だが、総じてここに限らず、現政府は、国民も政府も、労働者も資本家も、一緒クタにして、物を考えたり云ったりするらしいから、読者は諒とされたい。
 国内的物価騰貴が投機思惑によるものであるかのような云い方は、忽ち揚げ足を取られる点だろう。蔵相は場合によっては暴利取締令を出してもいいとさえ云っているから、物価高の主原因の一つが投機思惑にあると、本当に政府が信じ込んでいるように世間は誤解するかも知れない。又政府は折角増大した予算なのに、物価に騰貴されては、実質予算(という言葉があるなら)が却って減るだろうという心配から、こんな経済学的財政学的な錯覚を産んだのだと、世間は邪推するかも知れない。だが物価騰貴が、急激に増大した国家予算と、それの実施に伴う大局に於て売買者の主観と独立な需給関係の結果、とそれから対外為替相場の下落とに基くという民間の説は、嘘なのだろうか。「根本的に」物価の需給関係を調整するということは、一体何か、思惑抑圧か、それとも軍事予算でも減らすことか。
 よって以て「国際収支の改善を図る」と称する「資源の確保」や「移民の促進」が、「貿易の伸展」や「海運の発展」を妨げることによって、却って国際収支を改悪しはしないかどうか、之は今日の国民が政府へ問い糾したい処だろう。――で要するに、八大政綱の最後の総花的政綱は、説明が他のより少し長いと思ったら、果して具体的に理解するには障碍だらけのもので、八大政綱の間を一貫する体系的で組織的な「矛盾」のはき溜めのような気がしてならない。私はここに来るまでの各政綱項目については、荷厄介になりそうな「民衆の利便」とか「社会政策」とか「国民生活の安定」とか、村民の「更生」とかいう塵芥を芟除して来たが、ここに到って遂に進退がきわまるのである。で準戦時体制という八大政綱、現政府、可能的政府、を貫くシステムが、矛盾のない首尾一貫したユークリッドの幾何学のように、演繹の利く体系であるかのように、私は初めに云ったかも知れぬが、それは最後に訂正しなければならない。
(一九三七・五)





底本:「戸坂潤全集 別巻」勁草書房
   1979(昭和54)年11月20日第1刷発行
初出:「文藝春秋」
   1933(昭和8年)年6月〜1937(昭和12)年5月
※各評論の文末にある日付は、原則として「文藝春秋」の掲載年月号を表している。
ただし、改行した次の行にも日付が書かれている場合、前の日付は執筆時の日付、後の日付が「文藝春秋」の掲載年月号を表している。
※底本では目次の作品名と実際の作品名が違う例がある。その場合、目次の作品名を実際の作品名に合わせた。
入力:矢野正人
校正:Juki
2009年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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