科学的精神とは何か

――日本文化論に及ぶ――

戸坂潤




 初めに引用というものに就いて述べる必要があると思う。引用の天才はかつての福本和夫氏であった。彼の論争文はその文章の殆んど五割に及ぶ内容が、論敵からの引用と、マルクス・エンゲルス・レーニン其の他及びこの人達によって批判された人間達からの引用、によって占められている。彼の手によって、論敵の思想は凡て、マルクス・エンゲルス・其の他によって批判攻撃された人間の文章に引き直されるか、そうでなければマルクス・エンゲルス・其の他の人の文章を借りて、福本その人から批判攻撃を受けるのだ。
 この場合、注意すべきは、この引用が古典的な乃至典型的な公式として役立っているということだ。彼は先行者の文章を公式として引用する。之は引用の第一の用途だろう。問題はただ、特殊の具体性をもったその時々の思想内容をば古典的な公式に還元することによって、折角の特殊性や具体性が失われはしないかという点にある。特殊性や具体性と思われたものが、実は単に末梢的な偏異にしか過ぎない場合は、之を公式に還元することは却って批判対象たる思想の固有な特色を浮き彫りにすることだが、もしそうでなくて、事実上問題の核心が規定の公式よりも一歩進んでいる場合、つまり公理や定理ではなくそれから導かれた一層細かい規定を有つ系のようなものが必要な場合この系を定理や公理という公式に還元してしまうことは、結局公理がその公理自身を証明するようなもので、認識の空まわりにしか過ぎぬだろう。公式が用いられたのではなくて、公式が単に反覆自らを証明したに過ぎぬ。これは科学的には、誤ってはいないにしても少なくとも無用な操作なのだ。
 勿論福本氏が論敵を攻撃する場合、論敵の論旨は古典的な公式より一歩も進んでいないばかりでなく、それよりも理論水準が逆行しているものと見做しているのだ。だから彼の場合あれでもよかっただろう。――だが万一公式自身が、科学的に正当であるかないかが問題にされる場合だとすると、勿論之だけでは科学的な操作ということが出来ない。公式が信頼されるのは、一つにはそれがその場の必要に応じていつでも実証的に検証・証明・され得るという場合であり、二つには公式が成立するまでに蓄積された認識の体系が歴史的陶冶に耐えて来たという自他の承認がある場合であり、三つには夫が世間の信用を博して世俗的な権威を生じている場合である。処がこの三つ目の権威なるものは、世間的に意味はあっても、科学的にはあまり意味がないばかりでなく、往々有害でさえあるのだ。神様の出現は、文化のどこの領域に於ても、科学的には有害な性質を持っている。で公式としての引用が、神様の引用であり、世間的俗習を手頼りにする引用なら、この引用は科学的ではないことになる。前例や範例が世間的には認識の決定者の一つの要素ではあり得ても、合理的にはいくらでも疑われ得るのには、理由があるので、ここにすでに伝統というものに就いての伝統主義的態度と批判的態度との区別も顔を出すのだが、その問題は別にして、とに角この「大審院的判例」は、それ自身は科学的な引用には値いしない。抑々科学的な合理性を守るためにしか、之に対する反対を封じる意味でしか、大審院的判例は科学的引用を許されない。判例は単なる権威ある前例としてではなくて、必要に応じていつまでも実証的に検証され得る可能性をもち、即ちまた合理的な根拠が用意されている、という条件を必要とする。
 福本氏の場合の、権威(?)の引用が何を意味したかを、今ここで議論する心算はない。問題は引用にあったのであり、それが氏の場合には公式としての引用であった。公式としての引用は勿論科学的に有益なもので又不可欠のものだが、夫が非科学的引用に終る二つの危険がある、というのだ。というのは所与を引用された公式へ還元して了うこと、即ち又公式の無用な反覆ということと、神様としての公式のかつぎ出しということとにあるのである。
 コケおどしのために世俗的な「権威」者の言葉を持ち出すことは、すでに論外で、公式としての引用のうちには数えられない。自分の言葉の不足を権威者のあれこれの都合のよい片言を以て補い、それによって権威者の言葉そのものでなく却って自分自身の言葉に権威をのり移らせるのは、作文上の「神仏の勧請」であって、科学的には全く馬鹿げたことだ。無用な装飾として引用をつけるのは、そうしないと論文にならないと思ったり何かすることは、もはや話しにならぬ。「如何にマルクスを引用すべからざるか」という論文もあるが、独りマルクス主義文献の引用に限ったことではない。寧ろ今日ではそうした引用はマルクス主義的論争に於ては過去のものとなった。引用の非科学性が色々の複雑な形で現われるのは今日では他の世界に於てである。私は実は夫を検討したいのだ。

 科学的に意義を有つ引用はまず右に述べた公式としての引用であったが、之をもっと一般化して考えると、之は実は典型的、代表的、な所論の文章を引用することに他ならない。それが今或る事物について考察を企てようとしている私なら私にとって、賛成すべきものであろうと、又反対なものであろうと、とに角沢山あるものから代表者として択ばれたものが、引用に値いするのである。そう考えると、この型式の引用なるものは、極めて広範な領域を占めるもので、元来賛同意見と反対意見との夫々の代表的なものを引例することによって、自分の論旨を裏表から直接間接に証明するディアレクティックな方法は、理論の欠くことの出来ない実質をなす。引用はまず第一に、このような証明の方法という意義を持っている。
 だが第二に、引用文が資料の意義をも持っている場合の多いことは云うまでもない。考察の対象となる現象をば云い表わしている言論を引用することによって、検討すべき対象に関する原資料が提供されるわけだ。論旨の証明に当ってその方法として役立つよりも、寧ろその方法の対象となる資料・与件・として択ばれるのが、この引用の意義である。この場合でも、なるべく典型的で代表的なものを選ぶのが当然であるが、併し資料は復原資料としての性質上、分量の上の問題も常に必要なので(単に統計を惹き出そうとする時には限らぬ)、代表的なものだけに限定出来ない場合が多いのだ。
 併しそれだけではない。引用の第三の形式は多分に対社会的な意義のあるものだ。と云うのは、例えば金融資本というテーマを検討するとすれば、金融資本についての従来の諸研究に一通り眼を通し、それに対する態度の決定とそれの消化とを用意するのが当り前だが、さて之を論文に書くなり何なりする段になると、筆者は自分がこの用意を怠ってはいなかったということを、一人の「学者」として、即ちそういう一人の世間人として、読者に示す必要のある場合もあるのである。このような意味の引用は尤も、絶対に必要なのでも何でもない。引用なしに話を進めることは常に可能だ。また相当優れた理論家にはそういうタイプも珍しくはない。だが或る程度まで一々の引用を実際に示すことは、論旨の進度を妨げたり自分自身の考察をスレッカラシにしたりしない限り、一種の親切と一種の具体味とを読者に感じさせる。そして之は科学的に云っても意味の大きいことだ。問題は示唆と啓蒙と教育とに関するからである。
 でつまり第四には、単に出来る限り自由な観念連合を与えるような示唆のために、又夫々の問題について常識として又学界常識として心得ておくべき文献にリファーするために、示唆的な、啓蒙的な、引用があるのである。之亦科学的に意義の深い引用のタイプであることは、勿論だ。
 大体科学的引用のタイプはこの四種類位いで尽きはしないかと思うが、この内にどうしても含まれないような引用は、恐らく科学的な引用でないか、科学的に無意味な引用であるか、それとも科学的に有害な引用だろうと考える。修辞の上で云えば随想的ともいうべき引用法がある。語を或る意味で「具体的」にして面白くする方法の一つだ。理論的分析も一つの文章となる限りは修辞の性質も持つのだから、この点関心に値いしないのではないが、併しそれは少なくとも、科学的に必要な引用ではない。必要なのは寧ろ、科学的な引用と随想的引用とを、厳重に区別して使い分けることにあるだろう。

 さて私は引用について少し長く述べすぎたようだ、元来、目的は引用にあったのではない。或いは寧ろ、目的は所謂引用というものだけにあったのではない。引用の精神が、従って又引用の正しい精神ばかりでなく引用の誤った精神が、思想、科学、其の他の文化技術の至る処に、意外な支配力を有っていることを指摘したかったからのことだ。
 引用とは取りも直さず文献の引用――形式的な又は内容的な――である。だから引用を科学的に意義あらしめるのも文献の役割ならば、引用を科学的に無意味・有害・ならしめるものも文献というものの魅惑なのだ。引用とは単に文章の書き方の上にばかりある問題ではない。元来物の考え方、検討の仕方、そのものに於ける引用精神の問題にぞくする。かくて引用の精神は文献的認識の精神だ。――そこで文献的認識は現代科学に於てどのような役割を果しているか。
 自然科学の研究に於ける文献の役割の大きいことを知らぬ人はない。「学術雑誌論文」こそは自然科学研究者から所謂「文献」と呼ばれている処のものだ。
 だがここでは普通の学界常識からすると、古典という意味に於ける文献の意義は、あまり重んじられていないのではないかと思われる。ニュートンのプリンキピアは一つの古典であるが、現代の物理学や力学にとって文献的な価値があるとは、普通考えられていない。更にルクレティウスの詩「自然物論」やギリシア自然学者の「物理学」の類は、もはや科学の古典でさえもなくて、単に一般思想上の遺産に過ぎないと考えられている。ここから現代自然科学にとっての何等かの意義を見出すものは、例えば故寺田寅彦博士のような多少ともディレッタント風な研究家の思い付きに過ぎぬ、というような感を、普通の自然科学アカデミッシャンは有つらしい。
 併し少し考えて見ると、自然科学上の古典的文献に対するこうした態度は、自然科学的認識についての皮相な理解に基くものでしかないことが判る。自然科学と雖も夫々の部門について又夫々のテーマについて纏められた結論が、科学的認識の発達に貢献する所以を明らかにするためには、その認識の歴史的由来を、正確に検討してかからねばならぬことはあきらかだ。自然科学各部門各テーマの系統的研究は、この意味で科学史的研究を俟たずには真に科学的ではあり得ない。科学の実証的、実験的、研究にとっても科学史的研究は不可欠であり、これに基いた科学の真に歴史的研究であって初めて、唯一の本格的な科学的研究になると云わねばならぬ。自然科学にとって、云わば科学的な認識論的省察が必要だとか、世界観の検討が要求されるとかいうことも、皆この点に帰着することを見透さねばならぬ。自然科学研究にとって、文献乃至引用の精神が持つ役割は、このように意外な重大性をもっている。
 文献の自然科学研究に於ける役割は併し、元来極めて健全なものだということが出来る。と云うのは、この場合の文献的精神、引用の精神は、実証的な、実験的な、技術的な、そして実践的な、規格を遵奉せざるを得ないものであって、事物の一片と雖も単なる文献と引用だけでは片づかないことが初めから明らかだからである。実験的研究から切り離された文献的研究が、正当な意味に於て今日の自然科学的研究でないことは、云うまでもない。――処が、それにも拘らず、この自然科学の背後にも、何等実証的なカテゴリーと関係を持たないような自然哲学的・観念的・精神主義的・其の他其の他の形而上学的世界観が現われることは、往々見られる現象だ。こうしたフラーゼオロギーは全く、文献的精神・引用の精神・の戯画であるが、それというのも、自然科学は自然科学、その背後の認識論の類は認識論、という風に、二つのものを切り離して考える俗物自然科学者の習慣に傚うからのことで、自然科学の研究そのものが、正に先に云ったように歴史的な認識に基く所以を、理解しないからのことに他ならぬ。

 社会科学・文化理論・哲学・などになると、文献と引用との科学的・又非科学的・役割は、遙かに大きくなり又露骨になる。社会学の書物の或る種の一群を見ると、凡ての書物の内容の大半が相互の引用によって占められている場合さえあるのだ。支那訳を媒介とする仏教教典を古典的文献とし、それからの文句及びカテゴリーの引用によって今日の現実の社会現象・文化現象・を分析しようというのは、日本の僧侶学者や夫につらなる一群の精神運動家達のやり方である。国学の古典から社会理論体系や政治学組織や経済理論までを導き出そうというのは、日本の復古主義的・伝統主義的・国粋論的・封建主義的・な反動日本主義者の政治イデオロギーであることを、読者は知っているだろう。
 そこにあるものが事実、如何にフラーゼと引用とによって、論旨の要点を支えられているかは、一見して明らかだ。その極端なものは、古代神話の叙述からの文献的引用を以て、現実の社会の理解の鍵としようとするのである。周代の社会機構に基く処の、或いは寧ろ漢代に這入って、社会のイデオロギーとして定着したところの儒教の古典から、直接の引用・間接の解釈・を以て徳川期の社会機構に君臨しようとしたものが、所謂腐儒であったとすれば、日本古代社会の機構を離れて、国学的な引用を以て二十世紀の日本的現実を理解しようという者は、何と呼ばれるべきであろうか。――だが之は単に極端な戯画にすぎない。ここまで露骨にならない普通の相貌を呈した同じ本質の科学上のナンセンスが、今日至る処にあるのだ。
 本来の意味での引用は勿論、一つの実証的な行為だ。文献学上の実証が引用なのだ。併し今問題になるのは、引用そのものよりも寧ろ引用の精神にある。引用そのものではなくて引用の精神の漲溢、これこそこの復古主義的・伝統主義的・国粋主義的・其の他其の他の文化反動の魂をなすものだ。――日本的現実をこの引用精神によって理解しようという動向は併し、必ずしも所謂反動的な文化理論家の専有物ではないのである。大いに革新的(?)で従って又進歩的(?)な評論家の類にさえ、最近この精神は旺盛なのである。日本「古典」の再認識という名の下に、単に日本のこの極度に対立拮抗した現実から、古典成立の時代の文物の内に逃れて、思いをロマン的回顧に沈めるばかりでなく、更に逆にそこから出発して、この日本的現実――世界の現実につらなるこの日本的一環――をこの古典文献の引用によって、或いは引用の精神によって、処理しようと云うものは、今日決して少なくないのだ。而も事実、こうした種類の表現法を見ると、大方フラーゼと引用とによる美文(ベルレートル)にしか過ぎない。それは先から云っている経緯上、避け難い結果で、必ずしもこの種の評論家の趣味の不健全や能力の制限からばかり来るのではない。今日新しい評論が現実的ではなくて回顧的・復古的・だと云われる現象は、決して偶然ではないので、夫には認識論上の深い根柢があるのである。曲者は古典その他の文献引用の精神の内にあったのである。
 処が引用の精神は単に回顧的・古典的・文献についてだけ発動するとは限らない。之は一般に認識上のエキゾティシズムとも云うべき、一種の距離感に発するとさえ云っていいようだ。回顧は時間的距離感に基くが、空間的距離感に基くものが外国文化摂取の際往々にして現われる。日本のインテリで邦語の出版物は日常の消耗品のように読む人でも、外国語の書物を何等か古典のように「文献」として読む人は多くはないのか。そこにおのずから、無用な引用の興味も起りかねないのだが、併しそれはまだいいので、ただの引用ではなくて外国文化を引用するという引用の精神そのものがインテリの精神の糧となるに及んでは、外国文化と日本的現実とのつき合せに、著しく混雑を来すことになる。で、或いは外国文化は西欧精神というようなエキゾティックなもので、従って日本精神とは凡そ別なものだとか、科学はヨーロッパのもので日本には不向きであるとか、云うかと思うと、今度はドイツ=ロマンティクがいつの間にかそのまま日本ロマン主義になっていたりするのである。
 ジードを「古典」のように「文献」のように読んだ人達は、やがて同じ調子で古典や文献のようなものを、日本の伝統というようなものに見出したくなるのは自然だ。そして伝統の内に――万葉や源氏をひもとく場合だ――却ってエキゾティックなものを見ようとさえするのが、今日の文化的伝統主義の特色の一つに数えられるだろう。この不思議は全く、引用の精神、文献の物神崇拝、の無躾けなのさばり方から来る必然的な結果に他ならぬ。
 引用精神・文献精神・が、足下の現実について、本来の意味での実証的精神の規格を守らない場合、どういう誤りに陥らざるを得ないかが、これで判るだろう。元来文献精神・引用精神・は、文献学上の実証精神に基く筈であった。処がこの文献精神・引用精神が、独り勝手にとぐろを巻き始めると、すでにその元来の実証的精神などは吹き飛ばされて了う。民族の歴史的伝統を口ぐせにすることは、やがて民族の歴史的な事実を美事に抹殺して了うことだ。国史の認識が喧しくなればなる程、一定の国史史料は封鎖されねばならず、古典的文献そのものが改竄かいざんされたり否定されたりしなければならなくなって来ているのだ。
 ここに、歴史認識に於ける科学的態度と非科学的・反科学的・態度との、鮮かな対立が現われるのを見ることが出来るだろう。思い上った文献精神・引用精神は、文献そのものをさえ破壊し、引用そのものをさえ無用にし又不可能にする。実証的精神の退潮後退が、文献精神・引用精神・をば非科学的・反科学的・にするのだ。引用精神の独裁が科学的精神の反対物を齎すのである。
 私はすでに、この消息を、文献学主義(フィロロギー主義)と名づけて、現代観念論の方法全般に於けるその系統的な活動振りを批判した。哲学の方法としては之が解釈学となるものであり、現実の実践的変革の代りに世界をあれこれと解釈する自由な解釈の哲学=体系的なフラーゼオロギーとなるもののことである。之は今日の日本の自由主義・文化的自由主義・の哲学的支柱の一つともなるものであり、そして夫故に又更に、日本型文化ファシズムの支柱ともなるものだ(その点日本にだけ特有な現象ではないのだが)。
 文献学という科学は、云うまでもなく立派な科学である。それは歴史科学の絶体不可欠の認識手段である。もう少し広く理解すれば、夫はアカデミー的学殖をさえ意味する。そういう点から私は文化の思想水準と文献学的水準とを区別出来るとも思う。文献学的レベルは専門技術的な水準を意味する、特に広義の文学的学科に於てはそうだ。だがそれにも拘らず、文献学の哲学的世界観的拡大としての文献学主義に現われる処の、云わば文献学精神=フィロロギー精神は、もはや科学的精神ではない。もし評論などに於ける文学的精神がこの文献学精神を出ないなら(文学=リテラチュア=文献)そういう文学的精神は正に科学的精神の正反対物だということを、記憶せねばならぬ。

 日本の文化常識では、科学というと自然科学のことだと思われている。必ずしも日本だけではなくて、科学的な社会科学を信用しないブルジョア社会に於ては、どこの国でも多かれ少なかれ見受けられる処の現象だ。だが科学を自然科学に限定する合理的な理由は無論全く見出され得ない。科学的精神とは、自然科学一点張りのことや所謂「科学万能主義」や又「科学主義」とは、云うまでもなく別だ。科学主義の名に値いするのは例えばフランスのル・ダンテクのものなどであろうが、之は実証主義認識論の現代的形態の一つと云っていいだろう。そして実証主義なるものと実証的精神との相違は、常識にぞくする。現代唯物論は実証的精神によって貫かれているが、実証主義は一種の現代観念論に数えられるのである。
 科学的精神は真の意味に於ける実証的精神である。というのは、単に感性に訴え感性の保証を要求するだけではなく、その感性が主体的な能動性の発露面・出入口・の役割を担うのだ。つまりこの感性は実践と実験の窓なのである。之がなければ事物の時間的歴史的推移の必然性の内面に食い入って之に対処することが出来ない。科学的精神とはその限り歴史的認識の精神である。事物をその実際の運動に従って把握する精神なのだ。
 だが科学的精神の意味する実証的精神は、同時に技術的精神をも意味する。その意味はこうだ。実践や実験は要するに社会に於ける生産の技術から離れては、社会的に存立するものではない。社会の生産技術に触れない如何なる行動も、単に肉体の運動ではあっても少しも実践的ではない。世界を根柢から動かすことが実践の最後の意味だろうが、生産技術に関わりない行動は世界を根柢から動かすことは出来ぬ。実験のプロパーな意味は、こうした技術的機動力を有つ実践が、自然に対して働きかける場合を指す。そして実験が生産技術の水準によって直接支配されることも、判り切ったことだ。実験は産業と一つづきのものだ(実験室と工場との結合を見よ)。かくて科学的精神は又技術的精神である。
 事実、技術的精神によるのでなければ事物の歴史的認識を齎すことは出来ないのだ。科学的精神とは、歴史的・技術的・精神である。実践的精神と論理的精神とが夫だ。――で、フィロロギー精神が如何に非技術的で非論理的であるか、又如何に非歴史的で非実践的なものであるかを、考えて見るがよい。処が夫がなおかつ、一見歴史的でそして技術的なものでさえあるように見える点こそが、フィロロギー精神の魔術なのであり、フィロロギー精神・引用精神・文献精神・の思い上り得る所以でもあるのだ。論理とはただの思考のからくりのことではない、現実そのものの組立てのことだ。だから実践は論理に立って初めて成り立つ。実践と論理との統一、というよりも論理に拠らねば実践が成り立たないという、このただの一つの世界的宇宙的事実そのものが、つまり科学的精神ということの説明に他ならない。

 科学的精神はあれ之の精神の一つなのではない。普遍的な精神なのだ。ヨーロッパ精神でもなければギリシア精神でもない、日本的精神でもなければ東洋精神でもない。そういうものと並ぶものではないのだ。夫々の異った時代・社会の・現実のある処に常に、要求されねばならぬ精神のことだ。云わば之は現実そのものの精神だと云ってもよい。――処でここからこういう一つの結論が出て来る。科学的精神の働きかける処は常に現実であり、常に目のあたりある処の現実だ。科学的精神はまず足下の現実を掴むべき機能を持っている。もし日本というものが問題なら、日本的現実を把握するものは科学的精神以外にない筈で、科学的精神でない処の日本精神か何かがあるなら、必ず夫は食わせものであるのだ。科学的精神は日本に於てはまず第一に、日本的現実を掴まねばならぬ筈のものなのだ。
 掴まねばならぬのではない、現に現代日本の科学的精神は最もよく「日本的現実」をつかんでいる、という一つの事実を、吾々は忘れてはならぬ。それを知らないか、又は忘れているか、見ぬ振りをするものは、各種の日本主義者だけだ。日本の現実は、諸外国に通用するカテゴリーの組み合わせによってしか分析出来ないこと、そうした日本独特の現実を科学的に解明しつつあるものは、一体どういう種類の人達であったか。で誰が本当に「公式主義者」であったか、公式主義呼ばわりをどっかから覚えて来た連中にそう質問したいのだ。科学的精神は尤も日本的現実を、いきなり日本文化日本人精神として掴みはしない。日本の現実は根本的にはそういうもので動いているのではないからだ。日本的現実は正に、日本の社会機構・生産機構を通して政治的に動いているのだ。分析をここから始めない限り、日本的現実の把握は歴史的でもなく又技術的でもない、つまり科学的でないのだ、ということを銘記すべきである。というのは、そうしないと、一切の日本論議が、恰も今日見るように、論理的にもならぬし、実践的にもならぬ、というのであり、筋も通らなければ物の役にも立たぬ、というのだ。
 さて之が科学的精神の要求する処である。之によって日本的現実のもつ日本固有の独特な特色も初めて正確に検出出来る。最近までのわが国の科学的な日本研究は、正にこの線に沿うて、部分的にしろ可なり着々と歩武を進めて来ていることを知らねばならぬ。この労作の蓄積とその方向とを無視して、徒らに、思い思いの落想のように、日本文化のあれこれの探究(?)を揚言することは、刺戟としての意味はあっても、何等日本の認識を日本人の自己認識を、富ます所以ではあるまい。――まして思い上った単なる文献学精神・引用精神・を以て、現代に至る「日本文化」を理解しようとするが如きに至っては、何の意たるかを知るに苦しむのである。
(一九三七・三)





底本:「戸坂潤全集 第一巻」勁草書房
   1966(昭和41)年5月25日第1刷発行
   1967(昭和42)年5月15日第3刷発行
初出:「唯物論研究 第五四号」
入力:矢野正人
校正:松永正敏
2003年9月11日作成
2013年10月28日修正
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