友情に関係あるエッセイ

戸坂潤




 二年間あまり、世間から隔離されている間に、世間は全く変って了った。久し振りに会う友人達は、どうだ世の中は変ったろう、と得意そうに私をながめる。私は、いや思ったほど変ってはいない、と答えることにしているが、私の狼狽と敗北の色はさすがに隠す由もないと見えて、友人達はあまり私の言葉を信用しない様子だ。
 尤も友人達の云うのは、私の思惑にも拘らず、案外無邪気な内容のものかも知れない。例えば菓子屋の前を通ってもガラス棚がまる空きであったり、米屋が米を家まで配達して呉れなくなったり、丸善が古本屋のようになっていたり、それからバットが大阪の粟オコシ然となったり、商人や交通機関の労務者が著しく権威ある者の如く語ったり、お客は一列に行儀よく並んで車を待っていたり、タクシーに乗りたくても都合がつかなかったり、その他その他数限りない新現象を、どうだ驚いたろう、と私に見せびらかす程度に過ぎないのかも知れない。私は田舎者が都会の親戚を訪ねた時のように待遇される、という程度かも知れない。
 併しその程度の変化のことなら、私は別に驚きはしないのだ。私の知っていた旧社会から見れば変ったことは大いに変ったのではあるが、元来物を変らないように決めてかかっているのが認識の欠乏で、ものは変るのが当然であり、ことに社会というものが渓谷から平野へ出る川の水のように瀬になったり潭になったりして流れて行く生き物だというのは、現代人の常識であった筈だから、この頃急に変ったからと云って驚ろく方が間が抜けているのである。私が思ったほど変ってはいないというのも、その位いの変化には驚かないという意味で、あながち私の敗け惜しみでないと云って云えなくはない。
 それに、変ったろう、と得意そうに云う友人達も、その裏では案外得意でないように見受けられる場合が少くないのだ。こんなに都合悪い方へ変ったんだからね、と云うような心持ちで、丁度病人が健康な見舞客に対して自分の病気を誇示する場合のような得意にしか過ぎない場合も多いのだ。そういう不健康な得意さはつまりは少しも得意でないことに外ならないが、そうなると主客に顛倒して、私の方が勝利者の側に立つことになる。私はこんな種類の変化をそんなに困った変化などとは考えていない。
 菓子屋に菓子がなければそれだけ私の経済の節約になるし、米が買いにくくなったので、「日本人は何と云っても三度三度米を喰わなければ」と云っていた封建時代育ちの老人達もその頑冥不霊を取り下げなくてはならなくなるし、特に乗車や出札口での一列制度は交通道徳上大変喜ばしい向上だし、其他其他なのである。こんな変化は、あたり前であるばかりか、そんなに困った変化でも何でもないので、驚かないと称する私の方が正しいようである。――処でこの間も知人の或る小商人が訪ねて来て、世の中は大分、かわって来ましたが、我々は今後どんなになるのか見通しを付けて下さい、と云われたので、事の意外に私は全く当惑して了った。私は紳士に盛り場の案内をたのまれた田舎漢のように呆然として了った。
 こういう皮相な行きあたりばったりの表面現象ではなく、もっと社会の芯の処に大きな変化があるが、それに驚ろいたかどうかと尋ねる友人も、勿論のことなくはないが、併し人間はものごとの本質については、そんなにビックリはしない性質を持っているようだ。人々がビックリしたり動揺したりするのは主として事物の表面についてであって、事物の本質の内面に動くものについては、大哲人ででもなければ中々驚嘆しない。私は幸か不幸か大哲人ではないようである。普通の人間は、表面現象でありながら現在の瞬間見えないものに就いては、恐怖などを感じるが、元来直接には現われない深部の変化については、仮りにそれを心得ていても、殆んど全く鈍感である。私も元来、そういう鈍感な人間の一人であるらしい。物は変るのが当り前だ、という気持ちが先に立って仕方がない。
 そうは云うものの、私は身辺の百般の変化が、何と云っても気になってならないことを、自白せぬわけには行かぬ。そして、気になるとなると、普通の人が気にならない処まで気になって来るのである。古代哲人のような驚歎の能力はないに拘らず、神と動物との中間的存在とか云われる後世風の人間の、あの配慮や心配は私のものであり、配慮や心配は大きなものに就いてよりも寧ろ小さなものに向っての方が豊富である処から、私は今の処、ごくつまらない変化やごく曖昧な推移に、却って一層大きな関心を持たされるのだ。そして私は、この頃特に友人達のことが気になるのである。友人達について色々のささやかな微細なことが気にかかるのである。
 予め断っておかなくてはならないが、私は何も友情というものを人生至上の価値に数えているわけではない。友愛の対象は唯の一人でなければならぬというような、モンテーニュ風の気持ちは全く持たない。友人は多ければ多いほど楽しいものである。併し一人の友人もなくても、それは又それだけに独特な楽しみがあり得ようとも考えている。私は友人の去就に依存して一喜一憂する方ではない。或る瞬間に友人の性格がガラリと変ったなどと信じ込む一種の精神病は私とは縁遠い。だがそれにも拘らず、友人というものには私は絶大の興味を持っている。友情を頼みとはしないが、友人がどうしているかということは、一等面白い思索だ。之が一等私にとって気になることだ。
 まず友人に遭えば、私は、君はこの頃何をしているか、と尋ねる。何を職業としているか、どういう仕事に従事しているか、と訊ねるのである。他処他処しい友達甲斐のない質問であるが、遺憾ながらこういう儀礼を欠くとこの頃は現実の不便を生じるのだ。それ程この頃は友人達の生活に変化が多いのである。尋ねて見て感心することには――但し決して驚かないのだが――どの友人もどの友人も、相当の就職口があって毎日忙しくて暇がないという返答である。一躍一流会社の支店長級になり済したもの、庶民から一遍に新設官庁の役人に立身したもの、浪人から一足飛びに重役室の主人公となった者、新聞社や雑誌社の尤もな処へ目出たくおさまった者が〔多く?〕、今では曽つての文化的貧民などは地を払って無いのである。
 勿論こういうことは何の不思議でもない。一般にそういう世の中だから、私の友人達もそうなったに過ぎない。それにしても私の旧友達、財産よりも頭脳の方が比較にならぬ程富んでいた私の旧友達が、財産に類似したものを頭脳の少し下位いにまで一斉に近づけたという事実は、友人である私にとっては、無関心ではいられないことである。之は菓子屋のガラス棚が空になったよりも遙に多く又深く、私の気になる変化ではないだろうか。
 社会には現下、中小商工業者の転失業問題が喧ましいが、私の友人中には中小商工業者が尠いので問題にしないでおこう。それよりも、私の友情という世界の社会編制が、旧友達のこの一斉就職によって、どんな変化を蒙るか、ということの方が今の私に興味があるのである。私が世の中が変ったということを身近かに感じているのはさし当りこの辺からである。
 私でない世間の人から見た場合、やはり似た現象は夫々身辺にあるに相違ないが、併しそれはただの就職現象の外へは出まい。処が私の身辺では、それがただの就職現象ではなくて、一つの文化現象を意味するのである。この一見さり気ない現象の内に、私は、大きく云って、文化の新しい一つの動向を感じ取る。彼等友人達は、偶然にも(併し総括して云えば必然と云うべきだろうが)、手頃の仕事が見つかったから奉職したに過ぎないのだが、元来が文化人である彼等のことだからその結果はこの後の文化の動きに何か或る変動を与えるに相違ないし、又逆に文化の或る変化が、おのずから彼等への需用と彼等の供給とを可能にしたとも見るべきだろう。この因果関係か相互関係かは、或いは友人達自身には大して気にならぬかも知れないが、私には気になる個処なのである。
 友人達の就職というような咄しなので、私の気になる点が、あまりハッキリしないかも知れない。之の例として、旧友達が最近急に本を沢山書くようになり出したことを挙げれば、私の着目している個処が少し明らかになるだろう。
 全く、私がしばらく留守をしている間に、何と私の旧友達(主に哲学者達)は、沢山本を書く習慣を得たことだろう。もし私が誇大妄想狂ならば、私のいないのを見すまして、この時とばかり著述をやり出した、と考えるに相違ない。アカデミーにいる沢山の旧友達、先輩、知人で、これと思われるような人は、大抵幾冊かの本を出し始めたが、どれも之まではあまり筆を執らなかった人達だ。以前私の考え方はこういう人達と全く一致しなかったが、その頃沈黙を守っていた人達が一斉に著作し始めた。して見ると私には、「自然は真空を忌む」というトリチェリーの命題が、舌の下まで昇って来て、之を抑えるのに骨が折れる。そういうことを口にすれば、私は立派な妄想症の精神病者に数えられるのだろうから。だが少くとも、そこには文化という空気の、交換に似たものがあるらしいと云うても、必ずしも不遜ではないだろう。この旧い空気が曽つて、今の新しい空気を排除していたのだろうか。今の新しい空気は、旧い空気によって排除されていなければならなかったような稀薄な空気だったのだろうか。アカデミーの友人達は曽つて何に遠慮して沈黙していたのだろうか。そして現在何にインスパイヤされて精力的に書いたりしゃべったりするようになったのだろうか。
 この旧友達の労作は、相当に内容の立派なものだと推定する理由がある。私は彼等の昔からの力量を知っているから、読まない内からその価値のあることが判るような気がする。これは以前から明らかな素質だった。併しそれが何故最近になって急に揃いも揃って発動することになったのか。この文化的祝砲の一斉射撃はどういう号令によって行われたのだろうか。――こう云って来ると、私がなぜ友人の就職なども、お節介にも気にかけるかが少しは判ろうと思う。
 私はこの場合、アカデミーの勢というものを一寸考えさせられる。この一二年の間にアカデミーというものが大変力を増して来た。一つの可能性のような形で冬眠していたアカデミーの諸才能が、時を得て開花して未知の新しい実を結ぼうとしているらしいのが見られる。割合皮相な観察をする人達は、それは社会の新しい文化政策の必然的な影響によるのだ、と説明し去ることだろう。その説明は嘘ではない。併し抑々、この文化政策を可能にしたものは、他ならぬアカデミーの開花を促す当の因子だったのだろう。確かにここに文化の交替に似た或る模糊としたものがあって横たわっている。而もこの或る何物かが、私にとっては、友人達の変化として、私の友情の社会に於ける新編制の形をとって、ハッキリと身近かに現われて見えるのだ。
 アカデミーの旧友知人達が、急に著述をやり始めたのは、それは世間一般に出版が急に盛大になったからに外ならぬ、と人々は云うに違いない。つまり沢山売れるから本屋が沢山出したがるのであり、従って著者としては、冬眠していたアカデミーの才能を揺り動かして執筆の動員に参加したに過ぎない、と云うことも出来よう。そして本が売れるのには又夫々必至の原因があって、一つには大陸へ売れて行くこと、二つには比較的経済に余裕を得た軍需工業労働者が新しい読者になったこと、三つには一般の消費が規正されたから図書への消費が殖えたこと、四つには新体制の魅力やその性格の鮮明を中央から期待する意味に於て特に地方読者が増したこと、等々を挙げることが出来るだろう。又活字によって現地へ行ったような興奮を得るというのもあるだろう。だがそれにしても、アカデミーの著者達に、例えば私の友人達に、何かの新しい勇気か気魄が生じたのでなければ、新しく自信が出たのでなければ、どんなに本屋が要求した処で、出版にまで運ぶことはあるまいと私は考える。本が売れるから著述しようという心理は、少くとも私の知っている立派なアカデミシャンに、相応わしくないように考えられるが、どうだろうか。
 どうも、友人達を主体にして考える限り、問題は、彼等の新しい文化的勇気とでも云うべきものに帰するのではないだろうか。文化も戦闘と同じに、武器ばかりでは片づかずに、士気というものが大切だということを知ることが出来る。――もう一つ実例を挙げると、私の興味を持って気にしている個所が、もっと明瞭になるかも知れない。之も矢張り広い意味でアカデミーに学籍を置いている私の友人達又は知人達のことなのだが。
 先日街頭で偶然一人の友人に会った。その内に訪ねようと思っていた友達なので、丁度よいと思って休憩を取りながら話しをして見たが、彼はしばらく会わない内に、可なり額がふけ、身なりも老成して来た。少くとも私にはそう見えたのである。話し振りにも落ち付きが出て、青年らしい稚気を脱却したことが眼についた。なぜと云うに、要するに彼はしばらく前、学位を取ったからなのだ。さて家に帰ってから数えてみると、私のごく親しい友人や比較的近しい友人達の内で、この一二年の内に学位を取ったものが、(医学博士は除いても)少くとも六、七人はいるのである。処が一二年前迄は、私の友人の内で学位を取ったものを殆んど知っていないのである。之は何としたことだろうか。
 私は言葉通り無為と徒然との境遇の内に、いつか不惑の年の瀬を越えて了った。常識の一種からすれば四〇歳はたしかに生涯の一つの自然な転期である。研究室や実験室に立て籠った私位の年輩の学究達は、文科系統であろうと理科系統であろうと、やがて学位を得ていいような自然の季節であるかも知れない。がそれにしても、こんなに一遍に出揃うというのは何故だろう。いや今まで何故私の友人達は一向に博士にならなかったのだろうか。社会に於けるそうした自然現象の一種として説明するには、之は少し現金すぎるような気がするのだ。
 最近日本の学界の水準がそれだけに高まったとも考えられる。いや少くとも、最近急にそういう高まりを自覚し自己認識するようになった一つの現われと云えるかも知れない。日本の科学的乃至学究的な文化の独立化や向上の最近の遽かな結果である、と見るべきかも知れない。併し疑問は依然として残る。何故、最近に、であり、又遽かに、であるのか。私はここでも、どうしても新らしい文化的勇気とでも、いうべきものを取り出さずには、話しがつかないと考えるのだ。
 学位は著述と違って、本が売れるから本屋が出したがるというようなものではない。学位論文に取りかかって之を思い切って提出するまでには、多分相当の発心と決意とが要ることだろう。チャンスか潮時か、何かそうした稀な張り切りの頂点がなければなるまい。それは慥かに著述する場合の覚悟の比ではないだろう。と同時に学位を授与する側を見ても、個人的慫慂や一定の積極方針の強調や、又時には大盤振舞のような太っ肘や、学術政策的な決意やがなくてはならぬことと私は考える。いずれの側から云っても、学位を沢山授受されるには、とに角文化的勇気というものが、心理的に必要なのだ。お互いに気をよくしなければ実現しない現象だ。この一二年の間にアカデミーの周りには、急にこの文化的勇気や自信というものが横溢して来た、と見る他ない。私を最も捉えるのはこの間の消息である。私が、変ったと云って気にかけるのはこういう点にあるのである。
 だが問題は残る。この文化的勇気のような心理が抑々なぜ遽かに醸成されたのだろうか。――そうなると、私は、どうも、やはり一種の妄想を禁じ得ないのである。アカデミーの世界から、最近の二年又はもう少し前から、累進的に何ものかの威圧が取り除かれつつ今日に到った、と考える外ないのである。この威圧する幽霊が引き込んだので、アカデミックな学究文化が、急に自由を感じ始め、元気を出し始め、気をよくし始めたに相違ないという妄想である。そういうトリチェリーの真空の説である。この妄想は多分に神秘的だ。なぜと云うに之を充分合理的に論証したり実地に実証したりすることは出来ないらしいからだ。併し文化の空気が交替し、文化の重力の場が交替したらしいと云う限りでは、健全な常識だろう。ただそのために、私の友人達に博士が沢山一遍に出来たなどと云うから、神秘的幻想になるのだが。
 併し地獄に降ったダンテが、地心に刺きささったルシフェルの側腹を潜り抜ける時、急に眩暈がして戸迷いをしたというが、之は尤もではないだろうか。地心では恐らく重力の方向は急激に逆転するわけだ。彼が身辺に感受した戸迷いが重力の場の交換に原因することは、相当理性的なことであると云わざるを得まい。して見れば、少くとも、私のこの妄想そのものが、文化的重力の場の交替による合理的に不可避の結果であろう。
 だが事実、私の例の気がかりは、妄想の性質を次第に重加して行くらしい。この病は次第に膏肓に入りつつあるようだ。何となれば遂に私は一人の親友が気がかりになり出したからである。私の関心の対象が何物であるかを示す第四の例として、不本意ながら、一つの他愛のない零細な煙のような幻想を叙べねばならぬ。――チャールス・ラムは『エリヤのエッセイズ』で、「既婚者の言動についての或る独身者の嘆き」というものを説いている。彼はそこで既婚者が独身者に向って加える凡ゆる非礼を分析し、最後の最も不埓なものとして、女房達が亭主をその親友と絶交させる方針を一貫して採用する、という原則を結論しているのである。狂った不幸な姉を護って独身に終った彼は併し、ここで自分を嘆いているのではなくて既婚者を嘆いているのだということを、読者は忘れてはならぬ。そして嘆く者は嘆かれる者に対して、常に優越した立場に立つことを自覚しているという法則をも忘れてはならぬ。つまり彼は親が放蕩息子を嘆き、教師が劣等生を嘆くように、既婚者を嘆くのである。彼の享受しているものは独身者の不幸ではなくて独身者の特権なのだ。
 さて私の一人の親友は、私によって百年後に生きているラムでもあろうと、ひそかに想定されている処の、人に知られた人物である。彼はその独身者としての特権を充分長期に亘って有効に行使して私達既婚者を苦しめて来た。処がどうだろう。そのラム氏が最近の一二年の内に、急に結婚して了ったのである。それによって彼もまた私達同様のただの人になり終ったことは、惜んでもあまりあることだ。
 特権喪失の残念さは併し兎に角として、私の幻想はここでも亦神秘的な活動を開始するので、自分自身で持てあまさねばならぬような次第なのである。わがラム氏も亦、かの文化的重力の場の交替によって、急に意欲のある自由を獲るに至り、新しい愛情の勇気を取得し、新しいモラルを見出したのではないだろうか。彼を独身にまで威圧していたある物が、急に取り除けられたのではないだろうか。私の妄想はそういう不謹慎なささやきを止めない。勿論彼は、産めよ殖せよ、という人口国策の線などに沿って、公益優先の見地から、独身者の優位な特権を犠牲にしたのではない。之は理性的に明らかなことだ。彼の成婚は私事であって、外部からの容嘴はあり能わぬ。にも拘らず、私の病いは、そこに何かの神秘的な因果関係があるように幻想して見たくて仕方がないのである。
 だが何はともあれ、彼が道徳上の新しい勇気を示したことは、他の友人達の一連の就職よりも、一斉の著述活動よりも、又続々たる学位獲得よりも、人間的には重大事であるから、一等私の関心を惹くものである。菓子屋のガラス棚などと比較にならぬ緊要な問題であることは論を俟たない。
 世の中は変ったかと友人に問われたら、私は、思った程には変っていない、但しラム氏の結婚の如きを除いては、と答えることにしたいと思う。――大分ラム氏に迷惑をかけたわけだが、実は親友ラム氏に心からの祝辞を呈したいのである。それから他の友人達の学位に対して、彼等の優れた著述活動に対して、そして又その就職に対して、同じく祝辞を述べたかったのである。
(一九四一・一)





底本:「戸坂潤全集 別巻」勁草書房
   1979(昭和54)年11月20日第1刷発行
初出:「改造」
   1941(昭和16)年2月号
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年7月13日作成
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