一
宇治山田の米友は、
今、米友が凭れている風車、それを米友は風車とは気がつかないで、単に凭れ頃な石塔のたぐいだと心得ている。米友でなくても、誰もこの平たい石の塔に似たものが、風車だと気のつくものはあるまい。子供たちは、紙と豆とでこしらえた風車を喜ぶ。ネザランドの農家ではウィンドミルを実用に供し、同時にその国の風景に情趣を添えている。が、世界のどこへ行っても、石の風車というのは、人間の常識に
碓氷峠のあの風車
誰を待つやらクルクルと
あの風車を知らない者には、この俗謡の情趣がわからない。誰を待つやらクルクルと
誰が、いつの頃、この石に風車の名を与えたのか、また最初にこの石を、神前に
明治維新の時に、神仏の
しかし、昔も今もこの風車は、風の力では廻らないが、人間が廻せばクルクルと廻る。物思うことの多い若き男女は、熊野の神前に祈って、そうしてこの車をクルクルと廻せば、待つ人の
宇治山田の米友は、そんなことは一切知らない。米友は風習を知らない。伝説を知らないのみならず、歴史を知らない。
歴史のうちの最も劃時代的なことをも知らない。この男は、死んだお君からいわせれば、素敵な学者ではあったけれども、まだ古事記を読んではいないし、日本書紀を
ですから風車のことは暫く
上代の神人は申すも
それ以来、米友には死というものが、どうしてもわからない。死というものを現に、まざまざと実見はしているけれども、その実在が信ぜられない。
このたびの道中に於ても、米友が――若い娘を見るごとに、それと行き違うごとに、物に驚かされたように足を止めて、その娘の
さればこうして高きところ、人無きところに立って、感慨無量に「あがつまの国」を眺めるのも無理はありますまい。
さて、米友をひとりここへ残しておいて、連れの道庵先生はどこへ行っている。
道庵は峠の町で少し買物があるからといって、米友を先に、この熊野の権現の石段を上らせておいたのですが――それにしても、あんまりきようが遅い。
道庵の
「あッ」
暫くあって気がつきました。
そこで、米友は玉垣へ立てかけて置いた杖槍を取るが早いか、転ぶが如くに権現前の石段を、一息に
「こんにちは」
権現の前の石段を一息に走せ下ったところは、
「先生はどうしたい、先生は――」
そのまるい眼をクルクルとして、力餅屋へ乱入しましたけれど、餅屋では相手にしません。
「先生……おいらの先生……」
次に米友は、その隣りの茶店へ乱入しましたけれど、茶店でも取合いませんでした。
「ちぇッ」
米友は舌打鳴らして
茶店の隣りが荒物屋――その隣りが酒屋だ。この辺で、
「ちぇッ、世話の焼けた先生だなあ」
米友が再び地団駄を踏みました。人家すべて二十を数える碓氷峠の
一旦、
「ちぇッ、ほんとうに世話の焼けた先生だなあ」
米友は宮の前の石段の下に立って、三たび地団駄を踏みました。
ほんとうに世話の焼けた先生である――
こうして
「お兄さん、エ、コリャどうなさりました。
訊ねてみると、どちらが迷い子だかわかりません。迷い子は年の頃五十を越したお医者さん。それを尋ね廻っている御当人は、子供だか、大人だか、ちょっとは見当がつかない。
峠の町の人は暫く
その言うところによると、たしかに米友のいう通りの
そこへ、ひょっこりと現われた一人の雲助が、
「ナンダ、その先生か。そんならうん州が
この言葉に、米友が力を得ました。
二
そこで宇治山田の米友は、峠の町から、軽井沢をめがけて一散に
これより先、道庵は、ちょっと買物をするつもりが、雲助を相手に、酒屋へ入るといい気持になり、うっかりその駕籠に乗せられて、
峠の町から軽井沢までは僅か十八町、且つ下り一方の帰り駕籠ですから、かつぐ方もいい心持、乗る方は一層いい心持になって、大鼾で寝込んでいるものですから、またたくまに軽井沢の
ここで、雲助はこの拾い物のお客をおろすと、宿の客引と、
「しまった!」
「お泊りなさんし、
「江戸屋でございます」
「手前は佐忠で……」
「三度屋はこちらでございます」
「温かい御飯の冷えたのもございます、名物の二八
道庵、いかに、ジタバタしても、もう動きが取れません。
よし、こうなる以上は、この茶屋へも話しておき、どこぞしかるべき宿へみこしを据えてから、人を走らせて米友を招くに
「ねえ、旅のお先生、わたしどもへお泊りなさんし、玉屋でございます」
あだっぽい飯盛女が、早くも道庵の荷物に手をかけたものですから、道庵も
「ははあ」
道庵は物珍しげに軽井沢の町を見廻して、頭上にけぶる、信濃なる浅間ヶ岳に立つ煙をながめ、
「ははあ、いよいよ信濃路かな。一茶の句に
時は、無論、山が荷になるほどの暑い時候ではなかったけれど、さりとてまだ、ゆきたけつもりて裾の寒さよ、とふるえ出すほどの時候でもありません。
幸いにして
ここに、便宜上、武州熊谷以来の旅程を示すと――
熊谷から深谷まで二里二十七丁。深谷から本庄まで二里二十五丁。本庄から新町へ二里。この間に武州と上州との境があって、新町から倉ヶ野へ一里半。倉ヶ野から高崎へ一里十九丁。
高崎は松平
松井田から坂本へ二里十五丁。こうして今や上州の坂本から二里三十四丁二十七間の丁場を越えて、信濃の国、軽井沢の宿に着いたというわけであります。
軽井沢へ来て、酔眼をみはって見ると、その風物のいとど
空を見れば浅間ヶ岳が燃ゆる思いの煙をなびかせ、地を見れば三宿の情調が、いとど旅感をそそるに堪えている。七十八軒の本宿に、二十四軒の
道庵先生は玉屋の店の縁先へ腰をかけて足を取り、
「ははあ、
事実、江戸を出て以来の情景に、道庵がすっかり感嘆しました。
ところが、そこへ、おあつらえ向きに遠く追分節が聞え出したものだから、道庵がまた嬉しくなりました。
「すべて歌というやつは、本場で聞かなくちゃいけねえ」
両側に
「あの、お連れさんをお迎えに出しましょうか」
女からこう言われて、ハッと気がついて、
「そのこと、そのこと、急いで人を出しておくんなさい。大将、まごまごしているだろう、間違って坂本の方へでも落っこってしまわねえけりゃいいが……」
道庵がはじめて、米友のことを思い出しました。
「ね、いいかい、人相はこれこれだよ、間違えちゃいけねえ。なあに、間違えようたって、間違えられる
そこで、米友の人品を一通り説明して聞かせましたから、宿の者は心得て、米友を迎えに出かけました。
道庵が、そこで足を洗いにかかると、この宿の楼上で三味線の
「古風な三味線の音がするが、ありゃ何だい」
「
「説教浄瑠璃と来たね、今時はあんまり江戸では聞かれねえが……なるほど、
見るもの、聞くものに、一通りへらず口をたたかなければ納まらぬ道庵、まだ
「はてな……時分が時分だから、大抵はこの
と
お大名の道中のお
今し、泊るべき時分にも泊らず、行手を急ぐ三人連れの侍は、多分、そのお差控え連に相違あるまいと、それを見かけて道庵が嘲笑いました。
人のことを、嘲笑う暇に、自分の足でも洗ったらよかろうに、宿でも
「ザマあ見やがれ、お差控えの御連中様……あは、は、は、は……」
と高笑いをし、ようやく身をかがめて、今度は本式に足を洗いにかかる途端に、風を切って飛んで来て、うつむいて足を洗っている道庵の頭に、イヤというほどぶつかり、そのハズミで、
「あ痛え……」
見れば一つの
三
頭の上へ降って来た提灯に、道庵は
道庵は、片手で頭をおさえ、片手でその提灯を拾い上げて、盥の中に突立っていると、
「ど、ど、ど、どうしやがるでえ、待ちねえ、待ちねえ、待ちやがれやい、三ぴん」
その
見れば、荷駄馬の
「待ちやがれ――この三ぴん」
追いかけて、つかまえたのは、さいぜん道庵先生が
「すわ」
と、北国街道がドヨめきました。
「何、何事だ」
刀の鐺をつかまえられた侍はもちろん、三人ともに眼に角を立てて立ちどまりますと、くだんの
「見ねえ、あ、あれを、どうしてくれるんだい、やい、あの提灯をよう」
「ははあ、あれは貴様のか、急いだ故につい
年かさな侍が陳謝して過ぎ去ろうとしたのは、たしかに自分が、右の馬子とすれちがいざまに、あの提灯に触って振り落したという覚えがあるから、聞捨てならぬ悪口ではあるが、軽く
「何、何をいってやがるんだ、あれは貴様のか、急いだためついしたそそうだと……よく目をあいて拝みやがれ、あれは加賀様の御用の提灯だわやい」
かさにかかった
道庵先生は、これは自分の頭へ提灯が降って来た以上の出来事だと思いました。自分の頭も多少痛かったが、いわばそれは飛ばっちりで、本元は今そこで火の手が揚っているのだ……こういう場合に、よせばいいのに、道庵がのこのこと現場へ出かけたのは、まことによけいなことです。
道庵は問題の
「お客様、およしなさいまし、ほってお置きなさいまし、あれは裸の松さんといって、加賀様の御用を肩に着て、力が五人力あるといって、街道きっての
そっと、ささやいて道庵を引留めましたけれど――およそ道庵の気性を知っている限りの人においては、左様な
「ナアーニ、五人力あろうが、十人力あろうが、おれの
道庵は、その加賀様御用の提灯をたずさえて、
「御免よ……これ馬子様、お腹も立とうが、どうか、この道庵にめでて、十八文に免じて、今日のところは一つ……」
問題の提灯を、いきり立った馬子の
「幸い、持合せがございますゆえ……新しいのを一本差加えまして……」
と言って、さいぜん峠で買ったばかりの
「ふ、ふ、ふざけやがるない、この
提灯を引ったくって、道庵の
それで道庵がひとたまりもなく、二間ばかりケシ飛んでひっくり返ったが、そんなことに腰を抜かす道庵とは、道庵がちがいます。
「この野郎様、おれをぶちやがったな、さあ勘弁ができねえ、おれを誰だと思う、江戸の下谷の長者町で……」
といったが、江戸の下谷の長者町あたりでこそ、道庵といえば、泣く児も泣いたり、だまったりするが、中仙道の軽井沢あたりへ来たんでは、あまり
「おれの
といって、起き上ると、ひょろひょろと駈け寄って、裸松の前袋に食い下りました。
知らないほど
必死となって裸松の前袋に食いついた道庵は、そこで、やみくもに身ぶりをして、ちょうど器械体操みたようなことをはじめたから、一旦は戸惑いした裸松が、ええ、うるせえ、一振り振って振り飛ばそうとしたが、先生は、しっかりと前袋にくいついて、離れようとはしません。
その間に――
「御用提灯を粗末にされちゃ、おれは承知しても、加賀様が承知しねえ、待ちやアがれ!」
道庵を前にブラ下げたり、引きずったりしたなりで、逃げ行く侍たちのあとを追いかけました。そこで軽井沢の宿は家毎に戸をとざすの有様です。
しかし、この道庵の食い下り方が、非常にしんねり強かったために、裸松は思うように駆けることができず、とうとう三人の侍の姿を見失ってしまいましたから、裸松の怒りは一つになって、道庵の上に集まったのはぜひがありません。
「この
哀れや道庵は、ここで五人力の犠牲にならなければならない。両刀を帯した三人づれの侍すらが避けて逃ぐるほどの相手を、いかに道庵でも、
そこで、ようやく道庵を振り飛ばした裸松は、二度ひょろひょろとして、三間ばかりケシ飛んで尻餅をついた
「ザマあ見やがれ」
ところが、
かかる時節に、宇治山田の米友が来ないというのが間違っている。本来、こういう場合の万一に備えるために天から授けられた米友ではないか。それをさしおいて、道庵自身がまかり出て、米友の株を
道庵先生ともあろうものが、ここで裸松のため、ほとんど、なぶり殺しの目に逢い出したのも、もとはといえば、
裸松は、道庵を突き飛ばしたり、引きずり廻したり、それをまた道庵は、すっかり負けない気になって、起き直っては、ひょろひょろしながら武者振りつくものですから、その
江戸では飛ぶ鳥を飛ばした道庵ともあるべき身が、みすみす北国街道のはずれで、馬子風情の手にかかって一命を落すとは、なんぼう哀れなことではないか。
いいかげん
ここで
「ザマあ見やがれ。おかげで暇つぶしをさせられた、さあ、今の三ぴん共、遠くは行くめえ……」
そうしておいて帯をしめ直し、鉢巻を巻き直して、逃げた侍のあとを追いかけようとする。
軽井沢の町では、鳴りをしずめて事のなりゆきを
時に重しをかけられた道庵が、有らん限りの声を出して叫びました、
「べらぼう様……おれを亀の子にしやがったな、よくも道庵に重しをかけて亀の子にしやがったな、手も出さず、頭も出さず、尾も出さず、身を縮めたる亀は万年……と歌にあるのを、それではいけねえから手も出しつ、頭も出しつ、尾も出しつ、身を伸ばしたる亀は万年……とよみ直した奴がある、おれをどうしようというんだ、伸ばしたらいいのか、縮んだらいいのか……ア痛、ア痛……」
道庵は有らん限りの声でこういいながら、有らん限りの力ではねおきようとしたが、この時の力では、十四五貫の重しをはね返す力がありません。
「ア、痛ッ」
「ア、痛ッ、骨が砕ける……重てえ、
と苦しがって叫びました。
「ザマあ見やがれ」
裸松は鉢巻をしめ直しながら、道庵の上へ載せた重しの石へ片足を載せました。この足に力を入れれば道庵がギュウとつぶれる。
「米友……友様あ……」
ここで初めて道庵が、助けの声をあげました。
四
時なるかな、宇治山田の米友は、峠の町から軽井沢の
「先生はどうした、おいらの道庵先生がこっちへ見えなかったかい……」
ここに桝形の茶屋というのは、軽井沢の駅の上下の
送りましょかい
送られましょか
せめて桝形の茶屋までも
とあるのがそれです。送られましょか
せめて桝形の茶屋までも
「え、先生、あのお医者さんの、あなたがそのお連れさんでしたか。これはどうも、今お迎えに出かけましたところで……それでお気の毒ですが、時の災難と
木戸番と、宿から迎えに出た男衆とが、米友を見かけて、まずお見舞と、申しわけをするような口ぶりが、どうも
「時の災難だって……?」
「まことにどうも……」
「おいらの先生は来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ」
「それが、どうも大変な事になっちまいましてね」
「何、何が大変だい――」
米友が思わず意気込みました。
「だからお留め申したんですけれども、お聞入れがないもんだから、仕方がございません」
宿の男衆が申しわけばかり先にして、事実をいわないものだから、米友がいよいよ
「おいらは申しわけを聞いてるんじゃねえぜ、先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ、来なけりゃ来ねえように、こっちにも
「それがまことにどうもはや……」
「来たのか、来ねえのか。おいらの先生は下谷の長者町の道庵といって、酔っぱらいで有名なお医者さんだ、その先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞かしてもらいてえんだぜ」
「へえ、おいでになりました、たしかにおいでになりました」
「そうか、それでおいらも安心した、そうして先生は、お前の家へ泊っているのかい?」
「へえ、手前共へお着きになりました、それからが大変なんでございます、まことに申しわけがございませんが……」
「お前のところへ泊って、それからどうしたんだい……何が大変なんだ」
米友は事態の穏かでないことを察して、
「早く言ってくんねえな、おいらの大切な先生だ、何か間違いがあった日にゃ、おいらが済まねえ」
米友はまるい目を烈しく廻転させますと、木戸番も、宿の男も、いよいよ恐縮して、
「まことにはや、飛んだ御災難で……先生が、お留め申すのもお聞入れないもんだから、つい悪い奴につかまってしまいなすって……」
「ナニ、おいらの先生が悪い奴につかまったって……?
「ただいま、ひどい目にあっておいでなさいます……」
「何……? ただいまひどい目にあっておいでなさいますだって? ばかにしてやがら、ひどい目にあっておいでなさいますなら、ナゼ助けておやり申さねえのだ」
「それがどうも……」
米友は、木戸番と、男衆を突き倒して、疾風の如く軽井沢の町へ駈け込みました。
「やい、やい、軽井沢にゃあ、宿役も、問屋も
米友がこう叫んで歯がみをしながら、軽井沢の町の真中を
またいけない! とその声を聞いた町の者が、再び
入って来た以上は、仕方がない――
その時です。歯がみをして、軽井沢の町へ怒鳴り込んだ宇治山田の米友は、ふと足もとにころがる一つの
その提灯は梅鉢の紋、それがいわゆる菅公以来の加賀様の紋であって、その下に「御用」の二字。
ああ、なるほど、わが道庵先生は、この加賀様なるものの手先にとっつかまって、難題を起しているのだなと、早くも感づきました。相手が百万石の加賀守では、駅の者も手出しができないで、その
こういう場合の米友には、義憤と、反抗とがわいて、相手が強ければ強いほど、ふるい立つのを例とする。
てっきり、これは百万石の加賀守のお供先が、何かの行違いで、わが道庵先生をつかまえて、暴圧を加えているのだな、とこう感づきました。それで彼は、この提灯の梅鉢の紋に向って、反抗の心が
しかし、これは少なくともこの際、米友の推察は立入り過ぎていました。邪推とはいわないけれども、筋道の考え方が
いわゆる百万石、加賀様の御威勢は、この街道に於て、そんな圧制なものではない。むしろ、その寛大と、
人の悪いのは鍋島薩摩、暮六ツ泊りの七ツ立ち
というのがその一つ。
お国は大和の郡山 、お高は十と五万石、茶代がたった二百文
というのもその一つ。
銭は内藤豊後守 、袖からぼろが下り藤
というのもその一つ。その他、
だから、宇治山田の米友が、
けれども、唇がワナワナと
「友様……米友様……」
と助けを呼ぶの声。意外にも程遠からぬ路傍で起りました。
見れば雲つくばかりの無頼漢。遠目で見てさえも、加賀様の御同勢とは見えません。
五
「お、おいらの先生を、ど、どうしようというんだ?」
米友はまず
荷物を地上へ置くのと、その手にした杖槍を取り直したのと、どちらが早かったかわかりません。
その独流の杖槍――穂のすげてない――は電光の如く、裸松のいずれの部分を突いたかわからないが、大の男の裸松が、
「先生、怪我はなかったか?」
米友は早くも、道庵の背中の上の切石をはね飛ばして、それを介抱をしようとすると、道庵が
「
飛び上って二三度体操をしましたから、それで米友も安心しました。
それはそれで安心したが、安心のならないのは、ちょうどその時分、いったん後ろへひっくり返った裸松が、怖るべき勢いで起き直って来たからであります。
「野郎!」
米友を
それは今、米友の一撃を、眉と眉の間に受けて、そこから血が流れ出したからです。
「何だ!」
そこで、米友が一足さがって杖槍を再び取り直しました。
「野郎!」
裸松は野獣の
「ちぇッ」
と言って、その肩を右から打つと、裸松が再びひっくり返ろうとして、危なく踏みとどまりましたが、よほど痛かったと見えて、目をつぶって暫く
これは米友の
この時、両側の店々では、戸を細目にあけたり、二階の上に立ったりして、
裸松が、その松丸太をブン廻してもり返した時に、米友は、また少しばかり後ろへさがって、その杖槍を正式に構えて、円い眼をクルクルと廻して、裸松を
「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と
この場合、米友にとっての幸いは、弥次と見物とに論なく、すべてが米友の同情者であって、裸松が不人気をひとりで背負いきっていることでありました。
同業者の馬方や
と嘲笑ったものでしょう。
米友の眼から見れば、法も、格も心得ていない奴が、力任せに、血迷って、無茶苦茶に丸太ん棒を振り廻して来るだけのものだから、打ち落そうとも、突き飛ばそうとも、どうとも思うままに料理ができるはず。それを知らないから、見物は気を揉み出したものと見える。
しかし、見物に気を揉ませたのも、そう長い間のことではない。暫くすると、丸太は地上へ飛んで走り、大の男は三たび、地響きを打って地上へ倒れたまま、
「先生!」
そこで米友が道庵を呼びかけますと、道庵は泰然自若として、前に自分が重しにかけられた切石の上に腰をかけ、片手には、最初に問題を引起した提灯をひろい上げて、
「友様、御苦労……」
と叫びました。
問題も、事件も、それで、すっかり解決がついたのです。道庵は凱旋将軍の態度で、意気揚々として宿屋の方へ引上げると、みんなが迎えに出て、早くも二人を取囲みました。
その有様は、土地の
事件はこれで、一通り
この小勇者、米友の勇気に驚嘆する声が街道に満つると共に、最初逃げ隠れたお差控え候補の侍の弱さかげんを嘲るものもあれば、また、身分があれば相手を嫌うから、あれもまた無理のない態度だと弁護を試むるものもある。また今日、この軽井沢へ泊り合わせた客人のうちに、相当腕に覚えの人もあろうのに、検視に立会うことすらしなかったのは情けない――と嘆くもある。
「なあに……わしが手を下すまでのこともねえのさ……弟子に任せておいて、ちょっとあのくらいのものさ。そりゃあそうと、怪我をさせっぱなしもかわいそうだから、ひとつその裸松様というのを見舞って上げずばなるまい」
と言って道庵は、群がる人をかきわけて、倒れている裸松の傍へよって診察をはじめましたから、皆々、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
道庵の介抱によって、裸松も正気がつきました。けれど身体が
こうして裸松は問屋場へ
道庵主従を送り込んだ後も、軽井沢の民衆は、容易に玉屋の家の前から立去りません。
玉屋の前は真黒に人がたかって、そうして口々に、さいぜんの
いずれも自分だけが、委細を見届けているような口ぶりで、身ぶり、
だから、あれだけの短い棒で、さほど数も打たず、強くも打たないで、裸松ほどのものを倒してしまった、おそるべき手練の棒使いだということが、誰いうとなく一般の定評となってしまいました。
次に、道庵先生の評判になると、やっぱりあの先生は、気の知れない先生だという説が多く、また一方には、いかさま、その従者であり弟子である小童でさえ、あのくらい強いのだから、主人であり、先生であるあの飲んだくれの強さは、測ることができないのだと、真顔にいうものもありました。それが、どういう拍子で間違ったか、あの先生は、あれはつまりお
「なるほど……」
すべてが、なるほどと
いつもこういう際における道庵は、転んでもただは起きない結果をつかむ。
道庵は、苦もなく水戸の黄門格にまで祭り上げられたが、その従者たる米友は、隠れたるお附添の武術の達人……特に子供のうちの鍛練者を
そのうち、誰が発見したか、裏手の方から流言があって、
「お坊っちゃんが、今、お湯に入っているところだ」
という報告がありました。
「それ行って見ろ!」
「お坊っちゃんが、お湯にはいっている」
お坊っちゃんとは
そうして、同勢が、目白押しに湯殿の方へ押しかけて、窓や羽目の隙間にたかって、先を争って、この小勇者の姿を見直しにかかりました。
「違わあ、子供じゃねえ……」
まず
子供でもなければ、お坊っちゃんでもない、まさに老人である。いや老人かと思えば子供である。何とも名状すべからざる奇怪なる顔貌。まるい目をクルクルとさせて、
「覗いちゃいけねえよ」
その声を聞いて、
「あ……」
窓へのし上っていた二三人が崩れ落ちて、
「お化けだ……」
といいました。
その時、風呂桶から全身を現わして流しに立った米友。身の丈は四尺、風呂桶の高さといくらも違わない。
「やっぱり子供だよ」
「いい
とドヨみ渡って感心したものがありました。その鉄片をたたきつけたような
米友が風呂桶から流しへ出て、板へ腰をかけて洗いはじめた時に、さいぜん道庵先生を、
「お客様、お流し申しましょう」
と言って、かいがいしく
「済まねえな」
米友はぜひなく、その女に背中を流してもらっていると、外の
「お玉さん、しっかりみがいて上げてくんな」
と弥次りました。
「お黙りなさい」
その女が叱ると、
「いよう――」
と妙な声を出し、
「可愛い坊っちゃんを、大事にして上げてくんな」
「うるさい、あっちへ行っておいで……」
「お玉さん、思い入れて磨いておあげ……そうして坊っちゃん、今晩はお玉さんの懐ろに入ってゆっくりお休み」
「あっちへ行っておいでってば――」
「やけます……」
「いよう! 御両人……」
外が、無暗に騒々しいから、米友がムッとしました。
「お客様、お気にかけなさいますな、みんないい人なんですけれど、口だけが悪いんですから」
「ばかな奴等だなあ……何が面白くって、外で騒いでやがるんだ」
米友が
「兄さん――お前は子供なのかい、それともお
その鈴なりの顔の一つが叫ぶと、続いて他の一つが、
「裏から見れば子供で、表から見ればお
「ばかにしてやがらあ……」
といって米友が横を向くと、
「だけれど、強いなあ、お前さんは強い人だなあ――なりは小さいけれど、
と讃美の声を上げるものもありました。米友は、もう横を向いたきりで取合わないでいると、女がいきなり立って行って、
「ただでは見せて上げないよ」
といって、高いところの窓を、ハタと締め切ってしまいました。
「そりゃ、あんまり
「お玉さん、お湯の中で水入らずに、しっかりみがいてお上げよ」
窓を締められた弥次は、暗いところでなお騒々しい。
その時、米友は立ち上って、
「もういいよ、おいらは湯から上っちまわあ」
弥次のうるさいのに堪えられなくなったのでしょう。ぷりぷりしながら立って風呂へ入り、首だけを出し、思わず女の姿を眺めていたが、急に、
「あ……お玉!」
と言って舌をまきました。
米友が
「あら、もう、わたしの名を覚えて下すったの、嬉しいわ」
「お前の名は、お玉さんていうんだね」
「ええ……玉屋のお玉ですから覚えいいでしょう、忘れないで須戴な」
「あ……」
米友は吾を忘れて感動しました。その時、外で弥次馬が、
「お安くねえぞ、御両人……」
その声を聞くと米友が真赤になって、地団駄を踏みました。
それ以来、あらゆる年頃の女がお君に見えてたまらない。幼ければ幼い時の面影に、年ばえは年ばえのように、婆は婆のように、宇治山田の米友には、
米友は口が
可憐なる米友は、その晩一晩中、このお玉の姿に
「お玉さん……お前はな……」
と言ったきり、米友には口が利けませんでした。
「ホ、ホ、ホ、御用があったら、いつでもお呼び下さいな、この向うの突当りの部屋に休んでいますから。夜中でもかまいませんよ」
と女はあいそうよくいいましたが、不幸にして米友には、それ以上に挨拶をすることができませんでした。
そこで、その夜もすがら、米友が
道中の
「駅路の遊君は斑女 、照手 の末流にして今も夕陽 ななめなる頃、泊り作らんとて両肌 ぬいで大化粧。美艶香 には小町紅 、松金油 の匂ひ濃 やかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜 の皮のあらあらしく、旅客をとめては……」
この道中で、ある時、道庵がこういって米友を慰めたことがあります、
「友様……人間には魂と肉体というものがあって、肉体は魂について廻るものだ、肉体は死んでも魂というものは残る。早い話が、家でいえば肉体は、この材木と壁のようなものだ、たとえばこの家は焼けてしまっても、崩れてしまっても、家を建てたいという心さえあれば、材木や壁はいつでも集まって来るぞ。で、前と同じ形の、同じ住み心地の家を、幾度でも建てることができるぞ……いいか、その心が魂なんだ。だから人間に魂が残れば、死んでもいつかまた元通りの人間が出来上って来る、だから何も悲しむがものはねえ……お前の尋ねる人も魂が残っているから、いつかまたこの世へ生れて来るんだ、しっかりしろ」
道庵先生は事実そう信じているのだか、米友があまりの生一本の
米友は、今もそれを、まともに思い出しているのです。こういう男の常として、一を信ずれば、十まで信ぜずにはおられません。
それとは知らず道庵先生は、
ところが、朝飯が済むと、もうノコノコと問屋場へ出かけて来て、
それにも拘らず、先生は、裸松の病床でしきりに診察を試みながら、居合わす宿役人らをつかまえて気焔を上げているのは、宿酔い未だ醒めざるの証拠であります。
一方、宿に残された宇治山田の米友は、一旦は起きたけれども、やがて荷物を枕に、身をかがめて横になってしまいました。多分、昨夜の夜もすがらの
今もまた、こうして畳の上へゴロリと横になっていると、夜来の疲れが多少廻って来たものと見えて、いつかうとうとと夢路に迷い入りました。
その時の夢に、米友は故郷の
久しぶりで、もう帰れないはずと思っていた故郷の土を踏んでみても、その土が温かではありません。相も変らず間の山は
故郷の地ではあるのに――こうも冷たい空気が流れて、通るほどの人が、みんなつれない色を見せる。さすがの米友も、誰を呼びかけて、何をいおうとの心も失せ、参宮道の真中の
「君ちゃんがいねえ……ムク、ムクの野郎もいねえ……ムクやい、ムクはいねえのかよう」
と米友は、声立てて呼んだけれども、手拭を後ろに流し、黄八丈の着物に、三味線を抱えたお君の姿も出て来ない。そのあとに、影身のように附添うたムクも現われては来ない。間の山の盛り場では、
「ムク……おいらは今、間の山に来ているんだぜ、誰も迎えに出て来ねえのかい?」
米友は天を仰いで号泣しようとする、その大榎の樹の枝に、一団の青い火が、上ろうとして上らず、下ろうとして下らないのを認めました。
「あれが魂というものだな」
米友は身を
「
障子のところに立っている女の姿を見ると、米友はムックリと起き直って、
「お玉さん!」
「ホ、ホ、ホ、どうもお気の毒さま、つい、お邪魔をして済みませんでした」
「玉ちゃん、いいからお入り」
「はい」
「ここへお入り、話があるから」
米友は、ほとんど猛然として起き上って来て、お玉の袖を取りました。
「こわい人――この人は――」
お玉は笑いながら、米友に引かるるままに、袖を引かれて来ました。
六
女軽業の親方のお角さんは、お気に入りのお梅ちゃんを連れて、浅草の観音様へ参詣の戻り道です。
「梅ちゃん、何ぞお望み、今日はなんでも好きなものを買って上げるから……」
「お母さん、
「千代紙――? ほんとにお前も子供だねえ」
お梅の子供らしい望みを笑いながら、お角は雷門跡から広小路へ出ました。
お角もこのごろは、
ともかく、切支丹奇術大一座の興行を、一世一代として見れば、この辺で水商売の足を洗いたくもあったのでしょうが、どうも世間というものは、そう
どのみち、
湯治に行く前に、お礼参りを兼ねて、今日は観音様へ参詣して、
お角の頭は、まだその趣向で、あれかこれかと悩まされ、往来の事なんぞは頓着なしに歩いて行くと、ある店の前でお梅がぴたりとたちどまって、
「まあ、いいわね」
詠嘆の声を
見れば、お梅は羽子板屋の前に立っている。
まだ歳の市という時節でもないのに、この店では、もう盛んに羽子板を陳列している。江戸ッ子のうちでも途方もなく気の早いせいでしょう。それで、この十月までの各座の狂言のおもな似顔が、みんなここへ寄せ集められている。さてこそ、お梅は立去れないので、
「まあ、いいわね」
を
「梅ちゃん、どれがいいの?」
お角から尋ねられたのを
「どれもこれもみんないいわ」
「いちばんいいのをお取り」
「いいえ、わたし、千代紙でたくさんなのよ」
「この
「まあ……」
お梅は仰天してしまいました。その
お角は相変らず奉納の趣向を考え、お梅は
お角が駒形堂の前へ来ると、ちょうどその船つきへ小舟が着いたところで、幾多の人がゾロゾロと
そのなかに、お角の眼をひいたのは、図抜けて大きな人が、西洋の
この大男は誰あろう、
とにかく、こうして
しかし、当人はいっこう気取った様子もなく、のこのこと歩いて、やがてお角とすれすれの所まで来まして、さて、これから、江戸のいずれの方面に向って歩みを移そうかと、ちょっと思案の
「モシ、あの、ちょっと失礼でございますが……」
と、その異様な人物に、まず物をいいかけたのはお角でありました。
「あ、何ですか?」
と蝙蝠傘の
「つかぬことを承るようでございますが、あなた様は房州の方からおいでになりましたのですか?」
「あ、房州から来ましたよ」
白雲は、この女の姿を見下ろして、それがよくわかったなと言わぬばかりの顔色です。
「房州は洲崎からおいでになりましたのでしょう」
「ええ、洲崎から来ましたが、それが、どうしてわかります」
白雲は、自分の蝙蝠傘にそれが記してあるのではないかとさえ疑いましたが、黒張りの傘に、無論そんな文字はありません。
「あの洲崎は駒井能登守様のお仕事場からおいでになりましたね」
「ど、どうして、そのことまで、お前さんにわかりますな」
「ホ、ホ、ホ……」
とお角が笑いました。田山白雲は、いささかどぎまぎして、
「お前さんは千里眼かい?」
「いいえ、あなた様の差しておいでになるお脇差が、ついこの間、駒井の殿様のお差料と同じ品でございますものですから」
「なるほど、これが……」
と言って田山白雲は、左の片手で差している脇差を撫で廻し、
「細かいところへ眼が着いたものだなあ、こりゃ駒井氏から貰った品に相違ござらぬ、絵を描いてやったそのお礼に、駒井がこの脇差を拙者にくれました……拙者ですか、拙者は足利の絵師、田山白雲というものです」
まもなくお角は、田山白雲を柳橋北の
お梅はそこで別れて、いいかげんの時分に迎えに来るといって宅へ帰りました。
白雲は少しも辞退せずに、お角の
房州で駒井甚三郎の厄介になっていたことを
「ねえ、先生、今日は観音様のお引合せで、大変よい方にお目にかかれて、こんな嬉しいことはございませんよ」
「拙者も御同様、御同様……」
「先生、これを御縁に、わたくしは一つお願いがございますのよ……」
「なんです、そのお願いというのは?」
「先生、わたしに一つ絵を描いていただきたいのですよ」
「絵描きに絵を描けというのは、
「ねえ、先生、額を一つ描いて頂けますまいか?」
「額? よろしい。神社仏閣へ奉納する額面ですか、それとも家の
「先生、ひとつ念入りにお願いしたいんですが。一世一代のつもりで――」
「一世一代――? なるほど」
「実は、先生、わたしは今日もそれを検分かたがた御参詣に参ったのですが、あの浅草の観音様へ納め物をしたいと、
「なるほど」
「観音様のお引合せのようなものですから、ぜひ先生にお願いして、器量一杯の額を描いていただいて、それを観音様へ納めようと、こう心をきめてしまいました。先生、もうお
「なるほど、なるほど。そういうわけなら、拙者も一番、器量一杯というのをやってみましょう……そこで註文はつまり、その額面には何を描いて上げたらいいのかね?」
「先生、納める以上は、今迄のものに負けないのを納めたいと思います」
「左様――あすこにはあれで、
「だって、先生、できないということはありますまい」
「拙者には少々荷が勝ち過ぎているかも知れないが、拙者も同じ人間で、絵筆を握っている以上は、できないとはいわない」
「ああ嬉しい、その意気なら先生、大丈夫よ」
「ところで、画題は……何を描いて納めたいのだね、その図柄によって工夫もあるというものだ」
「先生、わたしの望みは少し変っていますのよ」
「うむ」
「わたしは、ひとつ、ぜひ、
「え、切支丹だって?」
「わたしの一世一代が、切支丹奇術の大一座というので当ったんですから、それを縁として……」
「いけない」
と白雲が
白雲から
「なぜいけないんでしょう」
「切支丹の額を、観音様へ上げるという法があるか」
「切支丹の額を、観音様へ上げてはいけないのですか」
「それはいけない」
「どうしていけないのです」
白雲が太い線でグングンなすってしまうものだから、負けない気のお角が黙ってはいられないのです。
「どうしていけないたって、第一、観音様と切支丹は
「いいえ、先生、そりゃ違いますよ。観音様は、どの宗旨でもみんな信仰をなさる仏様だっていうじゃありませんか」
「ところが、切支丹ばかりはいけない」
「観音様は、切支丹がお嫌いなんですか」
「嫌いだか、好きだか、そりゃ吾々にはわからないが、第一坊主が承知しない」
「和尚さんが?」
「左様――切支丹の額なんぞを持ち込もうものなら、観音の坊主が、頭から湯気を立てて怒るに相違ない」
「わかりませんね、そんな乱暴なことがあるもんですか。ごらんなさい、あそこの額のなかには、
「まあ、そういう理窟は抜きにして、拙者の言うことをお聞きなさい、神社仏閣へ奉納する額面には、額面らしい題目があるものだ、あながち、切支丹でなければならんという法もあるまいではないか」
「ですけれども、わたしには、切支丹の女の神様が、子供を抱いているところの絵が気に入りました、わたしのところへ来たあちらの芸人が持っていたあれが――油絵具で、こてこてと描いてあるんですけれど、ほんとうに
「ふーむ」
そこで田山白雲が、もう争っても駄目と思ったのか、沈黙して考え込んでしまいました。
つまり頭の置きどころが違うのだ。この女の額面を上げようという意志は、なるべく趣向の変った、人目を奪うような意味で、旧来の額面を圧倒しようという負けず根性から出ているので、画面の題目や、絵の内容などには一切おかまいなしである。ここは争っても駄目だ。白雲は沈黙してしまいましたが、しかし物はわからないながら、この女の
「よろしい、その切支丹をひとつ描きましょう」
と言いました。これが負けず嫌いのお角を喜ばせたこと
「描いて下さる、まあ有難い、それで本望がかないました」
それから一層心をこめて白雲を
「ねえ先生、お差支えがなければ、わたしどもへおいで下さいませんか、二階が明いておりますから、いつまでおいで下さっても、文句をいうものはございません、そこで、どうか精一杯のお仕事をなすっていただきとうございます」
お角は背中の
七
田山白雲がお角の宅へ案内されて、二階のお銀様の居間であったところに納まると、お角はとりあえず、かなり大きな二つの額面を戸棚から出して、白雲の前に立てかけました。
この二つの額面は、この間中、ジプシー・ダンスをやっていた一座が持って来たのを、記念の意味で
白雲が泰然自若として坐り込んで、
「うーむ」
といって白雲が長く
唸りながら、白雲は両の拳を両股の上へ
「うーむ」
と首を傾けた。その絵は、白雲の眼光を以てしても、急には届きかねるものでありました。
「これは
画様を説明すれば、まずそういったようなものでしょう。さいぜんからお角が、再々キリシタン、キリシタンを口にしたればこそ、これがいわゆるキリシタンの油絵というものかと思われる。
けれども白雲の見るところは、それが観音であろうとも、キリシタンであろうとも、信仰の上から見比べて、かれこれと考えているのではなく、この男はこの時、初めて本物の油絵というものを見ました。
実は今までも、再々油絵というものを見ているのです。西洋の絵の
「そうだ、西洋の絵の長所は
そこで白雲の
それが、今、こうして本物の油絵を見ているうちにわからなくなる。
わからないのは、これによってあえて自信が崩れたわけではないが、これは今まで見た油絵とは少しく勝手が違う……なるほど、
そうして、次にその一枚を取除くと、従って現われた第二枚。
「うーむ」
それを白雲は、またも長く
「どうも、わからない、珍しい
と繰返して
いよいよわからなくなりました。これは以前の油絵とは違っているが、たしかに一種の絵具で描いてあります。そうして画風も全く変っており、時代も、それよりはずっと古いのみならず、絵の輪廓[#「輪廓」はママ]の要部が線で描いてあることが、白雲を驚かせました。
西洋画の驚異は色と形である、東洋画の偉大は線と点とである、というように信じきっていた白雲の眼には、この線と色とを調合した異風の絵に会して、わからなくなったのも無理はありません。時代でいえば十四世紀から十五世紀頃の物でしょうが、それすら白雲にはわからない。
その翌日から田山白雲は、右の一間に納まって、二つの洋画の額面をかたみがわりに
お角が、お梅と、男衆とを連れて、熱海へ旅立ったのは間もないことです。
留守中の万事は抜かりなく整えておいて、別に若干の金を白雲のために
油でない方の一方の額が、どう睨めてもわからない。時代がわからない。描き手がわからない。描かれている人物がわからない。ただわかるのは、線と色との調和と、それから描かれた人物の陰深にして
知られる限りの道釈のうちにも、英雄の間にも、この像に
わからないのは知識だけである。知識の鍵を握りさえすれば、芸術に国境はないのだから、いいものはいい、悪いものは悪いとして、当然自分の鑑賞裡にくだって来るに相違ないが、知識そのものがないから何とも判断のくだしようがない。
芸術に国境は無いというありきたりの言葉を念頭に置きながら、田山白雲は東洋の芸術がわかって、西洋の芸術の知識の暗いことに、自分ながら不満と焦燥とを感じ、さて、芸術という流行語を繰返して、なんとなく
「芸術」という流行語の起りは今に始まったことではない。享保十四年の版本、
「うぬ、三ぴん、待ちやあがれ」
と言って、その侍を十余人というもの、
「よく斬りは斬ったが、芸術になっていない」
というと弟子共が、
「なるほど、芸術にはなっておりませんな」
と
「芸術とは何だね」
トルストイでもいいそうなことをいい出して、彼等を
夜になると田山白雲は、お銀様の寝た
女興行師のお角の残して行ったものは、田山白雲にとっては
これがために、田山白雲がさんざんに苦しめられているところは、笑止の至りであります。

そこで、一旦、白雲は戸外へ出てみました。古本屋
よし、まぐれ当りに、
知識は必ずしも芸術を生ませないが、知識なくしては芸術の理解が妨げられ、或いは全く不可能になるということを、白雲はここで、つくづくと思い知らされたようです。
「おれは、これから外国語をやらなくちゃならない、オランダでも、イギリスでもかまわない、どこか一カ国の西洋の文字を覚え込んでおかないことには……」
白雲は暫く考えていたが、二度目に街頭へ出かけて行った時には、一抱えの書物を買い込んで来ました。見れば、それがみんな幼稚な語学の
実際、白雲が知識の足らないために、芸術を理解することの妨げを痛感して、泥棒を捉まえて縄を
偶然は時として大きな
十三世紀から十四世紀の西欧の宗教画といえば、美術史の一ページを
今日も、明日も、白雲は額面の前で、エイ、ビー、シーを習い出し、頼まれた仕事を始める
八
田山白雲の身の廻りのことは、三度の食事から、
それは主として、両国橋の女軽業の一座の手のすいた者が、入代り立代りして、親方からいいつけられた通りにするものですから、不足ということはありません。
もっとも、今では両国橋の一座は手代の方に任せて、お角は直接に立入らないことにしているが、後見としてのお角の眼が光らない限り、立ちゆかないことになっているのですから、お角のいいつけによって働く人は、白雲を尊敬して、それに
ところが、この絵描きは、豪傑の資質を備えていて、女軽業の美人連もうかとは
ある時、当番の美人連の一人が、怖る怖る傍へ寄って来て、
「何をお書きになっていらっしゃいますの?」
「ドロナワだよ」
この返事で二の句がつげないでいると、白雲先生は、
「ドロナワといって、つまり、泥棒を捉まえて縄を
「へえ……」
女は思わず白雲の手許を
「縄をお綯いなさるなら、麻を持って参りましょうか?」
と続いて、怖る怖る伺いを立てると、白雲が釣鐘のような大きな声で、
「あ、は、は、は……」
と笑い出したので、
吹き飛ばされた美人連の一人は、両国橋の楽屋へ来て吐息をついて、
「いけないのよ、嘘よ、あんな
「どうして?」
「泥棒を捉まえるんですって」
「そうなの、わたしも
「絵描きじゃないのよ、親方も変り者だから、あんなことをいって、仮りに絵描きとして世話をして置くんでしょう、ほんとうは豪傑なのよ」
「わたしも、豪傑だろうと思ったのさ」
「だからね、わたしたちじゃお歯にあわないから、力持のお勢さんを、あのお客様の接待係専門にしてしまおうじゃないか」
こんなことをいって、力持のお勢さんがちょうど、当番の日。
この日、白雲は、どこかでローマ字綴りの
力持のお勢さんも、この人にはなんだか
夕方、二階へ明りをつけに行って、
「今晩は……」
と訪れの声がして、格子戸がガラリとあきましたが、お勢さんは立たないで、
「どなた?」
と言いました。多分
「御免なさいよ」
それは聞いたような声でしたけれど、女ではありません。
「お入りなさいな」
お勢さんはまだ立たないで、返事だけをしました。
そこで、障子をあけて、
「御免よ」
といって顔を出した男を見て、力持のお勢さんがハッと驚きました。
「まあ、がんりきの
「お勢ちゃんかい」
「なんて、お珍しいんでしょう」
お勢さんは、大きな体を
「すっかり
がんりきの百蔵は、
「時に、これはどうしたい」
といって親指を出して見せると、
「親方はお留守なんですが、まあお上りくださいましよ」
「留守かい」
「ええ、お留守でございますが、まあお上りなさいまし」
「すぐ、帰るかね」
「いいえ……ちょっと旅へお出かけなすったんですから」
「旅に出たって? おやおや」
がんりきは、やや失望の
「兄さん、どうなすったのだろうと、みんなで心配していましたわ」
「なにかえ、親方は旅に出たって、どっちの方へ行ったんだろう」
「箱根から熱海の方へ……」
「
がんりきは
「まあ、仕方がねえや、それじゃお留守にひとつお邪魔をすることにして……」
といいながら、ちょっと後ろを顧みて、
「
自分が手を引いて連れ込んだのは、今まで障子の蔭にいて、お勢には見えなかった一人の子供。
それを見ると、お勢さんが重ねて驚いてしまいました。
「おや、お前は茂ちゃんじゃないの?」
「ああ」
「茂ちゃん、お前という子は、ほんとにどこへ行ってたんですよ」
お勢は、まじまじと茂太郎の顔を眺めて、
「こういうお
とがんりきは、早くも長火鉢の前に坐り込んでしまいました。
茂太郎は、やはりその蔭に小さく坐って、もじもじしている。
「ほんとに、茂ちゃん、お前という子もずいぶん人騒がせね。お母さんはじめ、どのくらい、心配して探したか知れやしません。いい気になってどこを歩いていたの……?」
お勢のいうことが、出戻りを叱るような
「まあ、そう、ガミガミいうなよ、なにもこの子が悪いというわけじゃねえや、連れて逃げたあの小坊主が、知恵をつけたんだから、何もいわず、元々通り、可愛がってやってくんな」
「なにも、わたしが
「ところで……」
がんりきは長火鉢の前に
「湯治と来ちゃあ二日や三日じゃあ帰れめえが、お勢ちゃんが留守番かい?」
「いいえ、わたしが留守番ときまったわけじゃありませんの、二階にお客様がおいでなさるもんですから……」
「お客様……」
といって、がんりきの百が変な顔をして、二階を見上げました。
「そのお客様てえのは……?」
がんりきの言葉尻が上って来るのを、
「絵の先生ですよ」
お勢は何気なく答えたが、がんりきの胸がどうも穏かでないらしい。
「絵の先生が、お留守番なのかい?」
「お留守番というわけではありませんが、親方がお泊め申して置くもんですから、わたしたちが毎日隙を見ちゃあ、こうして入代り立代り、お世話に上るんですよ」
「へえ、なるほど……」
がんりきの胸の雲行きが、いよいよ穏かでないらしい。
というのは、このがんりきという男と、お角とは、一時盛んに熱くなり合ったことがある。しかし、それはこういう
第一、その絵の先生というのが
それから、お角という
がんりきは、こんなふうに気を廻して、すっかり御機嫌を悪くしてしまい、
「そういうわけなら、ひとつその絵の先生というのに、お目にかかって行きてえものだ」
と、
「およしなさいまし、なんだか気の置ける先生ですから……」
「何だって……?」
がんりきは
「ずいぶん、きむずかしやのような先生ですから、おあいにならない方がようござんしょう」
留めて、かえって油を注ぐようなことになってしまいました。
「おい、お勢ちゃん、あっしはね、虫のせいでその気の置ける先生というのに会ってみてえんだよ」
「え?」
「そりゃ、いい株の先生だね、人の家に寝泊りをしてさ、そうして
がんりきの百は、いきなりそこにあった提げ煙草盆をひっさげて、立ち上った権幕が穏かでないから、この時、お勢も初めて驚いてしまいました。
「まあ、お待ちなさいまし、兄さん」
お勢は
この男は、喧嘩にかけては素早い腕を片一方持っている上に、懐中にはいつも刃物を呑んでいる。見込まれた二階の色男も堪るまい。
それにしてもこの二階は、よく勘違いや、間違いの起りっぽい二階ではある。
その時、二階では田山白雲が泰然自若として、燈下に、エー、ビー、シーを学んでおりましたところです。
「まっぴら、御免下さいまし……」
がんりきの百蔵は、充分に
「やあ」
一心不乱に書物に見入っていた目を移して、百蔵の方へ向けて田山白雲の淡泊極まる返答で、がんりきの百蔵がほとんど立場を失ってしまいました。
「こりゃ色男じゃ
がんりきの百蔵のあいた口が、いつまでも塞がらないのは、この淡泊極まる
これは色男ではない――少なくとも、がんりきが梯子段を上って来る時まで想像に描いていた色男の相場が狂いました。
それも狂い方が、あんまり烈しいので、がんりきほどのものが、すっかり
「御勉強のところを相済みません……」
テレ隠しに、こんなことをいい、煙草盆をお先に立てて、程よいところへちょこなんと坐り込むと、白雲が、
「君は誰だい」
「え……わっしどもは、親類の者で、つまり、この家の主人の兄貴といったようなものなんでございます、どうぞ、お見知り置かれ下さいまして」
これだけでも、ききようによれば、かなり凄味が
「ははあ、君が、ここの女主人の兄さんかね。妹さんには拙者も計らずお世話になっちまいましてね」
「どう致しまして、あの通りの
がんりきの野郎が
「これは恐縮」
といって、白雲は辞退もせずに、その朱羅宇の長煙管でスパスパとやり出したものですから、がんりきの百蔵も、いよいよこの男は色男ではないと断定をしてしまいました。そうしてみると、今まで、張り詰めていた百蔵の邪推とか、嫉妬とかいうものが、今は滑稽極まることのようになって、吸附け煙草をパクパクやっている白雲の姿に、吹き出したくなるのを
「どう見てもこの男は色男じゃ
全くその通り、どう見直しても、眼前にいるこの男は、自分が
すべて、がんりきの目安では、あらゆる男性を区別して、色男と、
ぜひなく、がんりきの百蔵は、田山白雲に向って、自分が今日この家をたずねて来たのはいつぞや、両国の楽屋を逃げ出した人気者の
「せっかく、御勉強のところを、お邪魔を致しまして、まことに相済みません」
がんりきとしては神妙なお
最初の権幕に似合わず、がんりきの百蔵がおとなしく下りて来たものですから、梯子段の下に待ち構えて、いざといわば取押えに出ようとした力持のお勢さんも、ホッと息をついて喜んでしまいました。
九
その翌日から、田山白雲の
「おじさん」
「何だい」
白雲が机の上に
「ねえ、おじさん」
「何だい」
「
「うむ」
「後生だから、あたいを逃がして頂戴な」
「いけないよ」
「そんなことをいわないで」
「どうして、お前はここにいるのをいやがるのだ、ここの家の人がお前を
「いいえ、ここの家の人は、親方も、姉さんたちも、みんなあたいを
「そんなら逃げるがものはないじゃないか」
「でもね、おじさん、弁信さんが心配しているから」
「弁信さんというのは何だい」
「弁信さんは、わたしのお友達よ」
「あ、そうか、お前をそそのかして連れて逃げ出したというその小法師のことだろう、いけません、お前はそんな小法師にだまされて出歩くもんじゃありません、おとなしく親方や
「いいえ、弁信さんにだまされたんじゃありません、弁信さんは人をだますような人じゃありませんのよ、それはそれはあたいを
「そりゃお前、
「…………」
茂太郎はここに至って、失望の色を満面に現わしました。最初から画面に心を打込んでいる白雲には、その色を見て取ることができなかったが、会話がふっと
「だが、時が来れば逢えるようにしてやるから、逃げ出したりなんぞしないで、おとなしく待っていなければならない」
「時って、いつのこと」
「それは、いつともいわれないが、ここの主人が旅から帰って来たら、よく話をして、その弁信さんというのに逢えるようにしてあげよう」
「そうなると、いいですが、みんなが弁信さんをよく思っていないから――」
茂太郎が容易に浮いた色を見せないのは、ここの家では誰もが弁信をよく思っていないのみならず、
「わしも長く附合っているわけではないから、よく知らんが、しかし、ここの女主人という人も、そうわからない人ではないらしいから、帰るまで待っておいで、逃げてはいけないよ。まあ、絵の本でも御覧……わしの描いた絵の本を見せてあげよう」
白雲は、この少年を慰めるつもりで、座右に置いた自分の写生帳――房総歴覧の収穫――それを取って、
悲しげに沈黙した茂太郎は、与えられた絵の本を
この写生帳は、房州の
何も知らぬ茂太郎も、一枚一枚とその肉筆の墨の色に魅せられてゆくうちに、
「あ」
といいました。しょげ返っていた少年の頬に、サッと驚異の血がのぼりました。
「おじさん」
「何だい」
「あなたはお嬢さんの似顔を描きましたね」
「お嬢さんの?」
「ええ」
「どこのお嬢さん……」
といって、十四世紀の絵画を眺めていた田山白雲が、自分の画帳の上に眼を落すと、そこには、房州の保田の岡本兵部の家の娘の姿が現われておりました。
「これはおじさん、保田の岡本のお嬢さんの似顔でしょう、それに違いない」
「うむ、どうしてお前、それを知っている」
「あたいのお嬢さんですよ」
「お前も、保田の生れかね」
「そうじゃありませんけれど、これは、あたしのお世話になったお屋敷のお嬢さんです」
「ははあ」
田山白雲は、何かしら感歎しました。
「お嬢さんは、あたしに逢いたがっているでしょうね、あたしが弁信さんに逢いたがっているように。そうして、おじさん、お嬢さんは、あたしのことを何とか言わなかった?」
「左様……」
白雲は、別段この少年へといって、あの娘から
「お嬢さんが、あたしに初めて歌を教えてくれたのよ、それからあたしは歌が好きになってしまったのよ」
「なるほど」
そこで、田山白雲が、その時の記憶を呼び起して、あの晩、岡本兵部の娘が
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
南条長田 へ魚 買いに……
清澄の茂太郎は、その時、何に興を催したか、ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
そうだ、あの時、岡本兵部の娘は、石の羅漢の首を
「ねえ、あなた、この子の
その首を自分の机にさしおいたことを覚えている。
してみれば、あの狂女と、この少年の間に、何か
「
と
十
鏡ヶ浦に雲が低く垂れて
「フランソア・ザビエル師ノ曰 ク、予ノ見ル所ヲ以テスレバ、善良ナル性質ヲ有スルコト日本人ノ如キハ、世界ノ国民ノウチ甚ダ稀ナリ。彼等ガ虚言ヲ吐キ、詐偽 ヲ働クガ如キハ嘗 テ聞カザル所ニシテ、人ニ向ツテハ極メテ親切ナリ。且ツ、名誉ヲ重ンズルノ念強クシテ、時トシテハ殆ド名誉ノ奴隷タルガ如キ観アリ」
こう書いてみて駒井は、果してこれが
「日本人ハ武術ヲ修練スルノ国民ナリ。男子十二歳ニ至レバ総 テ剣法ヲ学ビ、夜間就眠スル時ノ外ハ剣ヲ脱スルトイフコトナシ。而シテ眠ル時ハコレヲ枕頭ニ安置ス。ソノ刀剣ノ利鋭ナルコト、コレヲ以テ欧羅巴 ノ刀剣ヲ両断スルトモ疵痕 ヲ止 ムルナシ。サレバ刀剣ノ装飾ニモ最モ入念ニシテ、刀架 ニ置キテ室内第一ノ装飾トナス」
これは実際だ――と駒井甚三郎が書き終って、うなずきました。
「勇気ノ盛ンナルコト、忍耐力ノ強キコト、感情ヲ抑制スルノ力ハ驚クベキモノアリ」
これは考えものだ……ことに今日のような
「日本人ハ最モ復讐 ヲ好ミ、彼等ハ街上ヲ歩ミナガラモ、敵 ト目ザス者ニ逢フ時ハ、何気 ナクコレニ近寄リ、矢庭ニ刀ヲ抜イテ之 ヲ斬リ、而シテ徐 ロニ刀ヲ鞘 ニ納メテ、何事モ起ラザリシガ如ク平然トシテ歩ミ去ル……単ニ刀ノ切味ヲ試サンガ為ニ、試シ斬リヲ行フコト珍シカラズ」
これもまた、たしかに日本人のうちの性癖の一つで、駒井自身も幾度かそれを実地に見聞いている。これは美徳とも、長所ともいえまいが、外国人が見たら、たしかに、日本国民性の一つの特色として驚異はするだろう、と駒井はようやく筆を進ませて、
「日本ノ貴族ニハ不法ニシテ傲慢 ナル習慣アリ。足ヲ以テ平民ヲ蹴リテ怪シマズ。平民自身モマタ奴隷タルベクコノ世ニ生レ出デタルモノニシテ、人格ト権利ヲ没却セラレテモ、之ヲ甘ンジテ屈従スルモノノ如シ。惟 フニ日本貴族ノコノ傲慢ナル風習ヲ改メシムルノ道ハ、耶蘇教 ノ恩沢ヲコレニ蒙ラシムルノ外アルベカラズ」
そこで、なるほど、外国人の眼から見た時は、階級制度の烈しい日本の国では、貴族と、平民との関係が、こうも見えるのかしら、これでは野蛮人扱いだ、と思いました。しかしこれは、西洋で十六世紀から十七世紀の間、日本では戦国時代から徳川の初期へかけて日本に渡来した、主として耶蘇教の宣教師の目に映った日本人の観察である、日本人自身では気のつかない適切な見方もあろうが、また思いきった我田引水もあるようだ――現に日本貴族の傲慢なる風習を改めしむるの道は、耶蘇の教えを以てするよりほかはない、と断言したところなど、日本に宗教なしとだが、耶蘇の教えが、偽善と驕慢を憎んで、愛と謙遜を教えるところに趣意の存することは、
駒井甚三郎が今日読んでいるのは、その専門とするところの兵器、航海等の科学ではなく、宗教に関するところの書物であります。宗教というたとても、それはキリスト教に関するもののみで、いつぞやわざわざ番町の旧邸を訪ねて、一学を
給仕の支那少年との偶然の会話が縁となって、これを知らなければならぬとの知識慾に
何となれば、西洋の軍事科学の新知識に於ては、当代に人も許し、吾も信ずるところの身でありながら、その西洋の歴史を劃する宗教の出現について、ほとんど無知識であるのみならず、不具なる支那少年から、逆に知識を受けねばならぬことは、これ重大なる恥辱であると、駒井の知識慾が、そういうふうに刺戟を与えたから、彼は暫く、軍事科学の書物を
要するに信仰のためではなく、知識のために読み出しているのです。
で、読み行くうちに、どの読書家もするように、要所要所へ線を引いておいて、それを座右に積み重ね、今やその要所を改めて
さてまた、一冊をとりひろげて、その引線の部分を摘訳する。
「福音書ノ何 レノ部分ニモ耶蘇 ノ面貌ヲ記載シタルコトナシ。サレバ、後人、耶蘇ノ像ヲ描カントスルモノ、ソノ想像ノ自由ナルト共ニ、表現ノ苦心尋常ニアラズ。
或者ハ、耶蘇ノ面貌ヲ以テ、醜悪ニシテ、怖ルベキ勁烈 ノモノトナシ、或者ハ、温厳兼ネ備ヘタル秀麗ノ君子人トナス。
アンジェリコ、ミケランゼロ、レオナルドダビンチ、ラファエル及チシアン等ノ描ケル耶蘇ノ面貌ハ皆、荘厳 ト優美トヲ兼ネタル秀麗ナル男性ノ典型トシテ描キタレドモ、独 リ十四世紀ノジョットーニサカノボレバ然 ラズ。
人一度 、アレナノ会堂ニ赴 キテ、ジョットーノ描キタル、ユダノ口吻 スル耶蘇ノ面貌ヲ見タランモノハ、粛然トシテ恐レ、茲 ニ神人ナザレ村ノ青年ヲ見ルト共ニ、ジョットーノ偉才ニ襟ヲ正サザル無カルベシ。
ミケランゼロモ、ダビンチモ、耶蘇ノ有スル無限ノ悲愁ト、沈鬱トヲ写スコト、到底ジョットーノ比ニアラズ。
イハンヤ、ラファエルニオイテヲヤ……未ダカツテ……ジョットーヨリ純正偉大ナル宗教画家ハナシ。茲ニソノ伝記ノ概要ト、作品ノ面影 トヲ伝ヘン哉 ……」
ここまで訳し来った駒井甚三郎は、ページを一つめくりました。全く世の中は或者ハ、耶蘇ノ面貌ヲ以テ、醜悪ニシテ、怖ルベキ
アンジェリコ、ミケランゼロ、レオナルドダビンチ、ラファエル及チシアン等ノ描ケル耶蘇ノ面貌ハ皆、
人
ミケランゼロモ、ダビンチモ、耶蘇ノ有スル無限ノ悲愁ト、沈鬱トヲ写スコト、到底ジョットーノ比ニアラズ。
イハンヤ、ラファエルニオイテヲヤ……未ダカツテ……ジョットーヨリ純正偉大ナル宗教画家ハナシ。茲ニソノ伝記ノ概要ト、作品ノ
田山の帰ることが二三日おそければ、駒井はこの西洋宗教美術史の一端を、田山に話して聞かせたかも知れない。といって、そうなればまた、当然白雲はあの額面を見る機会を失ったのだから、駒井の説明も風馬牛に聞き流してしまったことだろう。「知る者は言わず、言う者は知らず」という皮肉をおたがいに別なところで無関心に経験し合っているの奇観を、おたがいに知らない。
その時分、海の方に向ったこの研究室の窓を、外から押しあけようとするものがあるので、さすがの駒井も、その無作法に
髪を高島田に
「お前は誰だ」
駒井が
「御存じのくせに。ほら、あの、鋸山の道でお目にかかったじゃありませんか」
「うむ」
「わかったでしょう。あなたは、あの時の
「うむ」
「中へ入れて頂戴」
駒井は、あの時の狂女だなと思いました。高島田に結って、明石の着物を着た凄いほどの美人。羅漢様の首を一つ後生大事に胸に抱いて、「お帰りには、わたしのところへ泊っていらっしゃいな」といった。
それが、どうしてここへやって来たのだ。保田から
「ここはいけない、あっちへお廻りなさい」
「いいえ、あたしここから入りたいの」
「いけません、入るべきところから、入らなければなりません」
「いいえ、表には人がたくさんいるでしょう、犬もいるでしょう、ですからあたし、ここから入りたいの」
「表には誰もいやしませんから、あちらへお廻りなさい」
「いや、あたしここから入るの……あなたに抱いていただいて、ここから入るの」
「ききわけがない、ここからは入れません」
「お怒りなすったの、あなた、悪かったら御免下さいね。ですけれども、あたし、そっとここから入れていただきたいの、そうして誰も気のつかないうち、あなたとだけ、お話ししていたいの」
「言うことが聞かれないなら勝手になさい、中からこの戸を締めてしまいますよ」
「その戸をお締めになれば、あたしのこの指が切れちゃうでしょう。それでもいいの?」
狂女はわざと自分の手を伸して、ガラス戸の合間に差し込んでしまいました。
「あたし、あなたに正直なことを申し上げてしまうわ、それで嫌われたらそれまでよ」
「手をお放しなさい」
「あたし、今までに七人の男を知っていますのよ」
「何をいうのです」
「あたし、これでも、もう七人の男を知っているのよ。それを言ってみましょうか。一人はあるお寺の坊さんなの、一人は家へ置いた男、それから……」
「お黙りなさい」
駒井は情けない色を現わして、上から抑えるように女の言葉を
「けれど、それはみんな、あたしの方から
「ああ……」
外から押えても、中なるねじの
「その七人の名を、みんなあなたに打明けたら、あなたも
女は敷居に武者振りついて、あられもない高島田の美人は、どうしてもここから乱入するつもりらしい。
折よくそこへ
「夜どおし歩いて来たものですから、疲れてしまいましたわ、それに眠くてたまりませんから、少し休ませて頂戴な、あとで、ゆっくりお話を致しましょう」
といって、早くも、ベッドの上に横になってしまいました。
言葉の聞えない金椎は、この女の無作法に
金椎が出て行くと共に、駒井もこの室を退却してしまったので、あとは狂女がこの室を、わがものがおに心ゆくばかりの眠りについてしまいました。
この一室を暫く狂女に与えておいて、駒井は研究所を出て、造船所の方へと歩き出しました。前にいった通り、この日は陰鬱な天気の日で、
程遠からぬ造船所へ来て見ると、十余人の大工と、職工が、相変らず
駒井が、そっと裏の方から入り込んだ時分に、大工と、職工とは、お茶受けの休みで、こんなことを話している。
「殿様は、この船へ自分の好きな人だけをのせて、異国へおいでなさるそうだが、もし、大海の中で無人島へでも吹きつけられたら、そこで国を開くとおっしゃっていたが、新しい国を開いてそこに住んだら、圧制というものがなくて、住み心地がいいだろうなあ」
一人が言うと、
「そりゃ面白かろう。だが、新しい国を開いたところで、女というものがなければ種が絶えてしまう、いったい殿様は、この船に女をのせるつもりだろうか、どうだろう」
というような話をしているところへ、駒井がひょっこりと姿を現わしたものだから、みんな居ずまいを直して、
「殿様がおいでになった」
船大工の和吉が立って駒井の傍へ来て、小腰をかがめながら、
「殿様、ビームの付け方をもう一度、検分していただきとうございます」
この男は豆州戸田の上田寅吉の高弟で、ここの造船係の主任です。師匠うつしで、今でも駒井に向って、殿様呼ばわりをやめない。和吉が殿様呼ばわりをするものだから、総ての大工、職工が、殿様呼ばわりをする。
そこで、駒井は和吉の先導で、船の
駒井は仔細にそれを検分して、なお外板の張り方、コールターの塗り方等に二三の注意を与え、次に蒸気の製造と、大砲の据えつけについて、その位置、運搬の方法等に、委細の指図と相談とを試み、
「蒸気の製造法が難物だ――今、苦心している。うまくゆくか、どうか、試運転の上でなければ何ともいえない。測量器械のいいのを欲しい、遠眼鏡も欲しい。誰かお前の知っている人で、適当の機械師はないか、材料はこちらで何とかする、腕だけ貸してくれればいい……」
フレームを叩いて、船と、人とを吟味している駒井は、さいぜん、愛の、信仰のと、写していた人とは別人の観がある。
全くこの造船所へ来ると、駒井甚三郎は別人の観があります。
第一、その眼つきからして違ってきます。熱心そのもののような輝きを集めて、船そのものを一つの有機体として、広い意味の有機体には違いがないが、精到なる彫刻家が、自分の一点一画を
「殿様は大工になっても、立派に御飯が食べられます」
といって工人たちが感心する。事実、その通りで、学理の説明と、工事の指導だけでは我慢がしきれなくなって、駒井は自身ハムマーを取り、斧を
そこで、ここに働く人々とても、本職の船大工と、機械師は、二三人しかない。あとはみんなこの辺の
のみならず、船の外形の工事と共に、その心臓をなす動力の問題、蒸気の製造という難物を、彼は退いて研究し、今やそれをなしとげようとしている。こればかりは親しく外遊して学ぶにあらざれば不可能、といわれている蒸気の製造を、駒井は自分の学問と、従来の経験とで、必ず成し遂げて見せるとの自負を持っている――それに比ぶれば大砲の据付けの如きは、
その難事業がともかくも着々と進んで行くのを眺めることは、この上もない興味であり、勇気であり、神聖であるように思わるる。
だから駒井は、ここへ来て、事に当ると、その事業の神聖と、感激に没入して、吾を忘れるの人となることができる。
それと、もう一つ――駒井をして、この自家創造の船というものに、限りなき希望と、精神とを、打込ませるように仕向けているのは、見えない時勢と、人情との力が、背後から、強く彼を圧しているのです。
駒井は、今の日本の時世が、行詰まって息苦しい時世であり、狭いところに大多数の人間が
国民に雄大な気象が欠けており、閑雅なる風趣を滅尽しようとしている。他の大を成し、長をあげるというような、大人らしい意気は地を払って、盗み、排し、陥れようとの小策が、幕府の上より、
創造の精神が滅びた時に、
その洋々たる新世界とは何――それは海です。海は地球表面の七割以上を
その鍵とは何――それはすなわち船です。
この日本は美国ではあるが、この美国を六十にも七十にもわけて、三百人もの大名小名どもが食い合っていて何になる。
駒井は今、その海と船との信仰に、全身燃ゆるが如き思いを抱いて、万里の海風に吹かれながら、
駒井甚三郎は燃ゆるが如き熱心を抱いて、わが住居へ帰って来ましたが、
忘れていたのです。自分の寝台は、それよりズット以前から人に占領されていました。その人は今もいい心持で、寝台の上に熟睡の夢を結んでいるところであります。
真に忘れていた。忘れていたのがあたりまえで、これまでかつて他人のために占領された歴史のないこの寝台です。不意に自分を驚かすところのいかなる客でも、ここを占領しようとはいわない。それをこの客に限って、無作法の限りにも、許しのないうちに、早くもここをわが物にして、主人の帰ったことをさえ知らずにいる。しかもそれが妙齢の女であります。
駒井は
少なくとも眠っている間は無心でしょう。無心の時には、人間の天真が現われる。ともかくもこれは卑しい娘ではありません。金椎がかけてくれた通りに、毛布を首まで
駒井はそれを、眼をはなさず見ていましたが、この時はまた別の人です。今までの野心も、熱心も、希望も、一時に冷却して、美しい娘の寝顔に注いでいる。
そうしているうちに、つくづくと浅ましさと、いじらしさの思いが、こみ上げて来るのであります。もとより狂人のいうことは取留めがない。自分の頭に巻き起るさまざまの幻想を、いちいち事実と混合してしまうこともあれば、不断の脅迫感に襲われて、あらぬ敵を有るように妄信していることも限りはないのだから、狂人のいうことを、そのままに取り上げるわけにはゆかないが、さきほど言ったことの浅ましさが、こうして見ると、いよいよ身にこたえる。罪だ! と駒井甚三郎は戦慄して、怖れを感じました。
この時です、女が眼を
それと気がつくと女は、
「いつお帰りになったの……」
「いま」
「そうですか。わたし、あれからズット寝通してしまいました、ちっとも眼が
「もう、日が暮れてしまったよ」
「誰も尋ねて来やしなくって? 誰もわたしを追いかけては来ませんでしたか」
「誰も来た様子はありません」
「誰が来ても、いわないようにして下さいね、どんな人が尋ねて来ても、わたしを渡さないで下さいね、いつまでもここへ隠して置いて頂戴」
「…………」
「もし、あなたが、誰かにわたしを渡してしまえば、わたしはまたその人の
いくらか精神の昂奮もおちついたと見えて、さいぜんのような聞苦しいことも言わず、しおらしく訴える言葉にも、情理があって痛わしい。そこで、駒井はやさしく、
「ともかく、お起きなさい――もう夕飯の時刻です、あちらで一緒に食べましょう」
「どうも済みません」
そこで女は
やがて、食堂としてある一間で、駒井と、金椎と、新来のお客と三人が、食卓にさし向っての会食が始まりました。女はしきりに金椎に話しかけてみましたけれども、
「かわいそうに、耳が聞えないんですか」
狂女はわが身の不幸を忘れて、この少年の不具に同情しました。少なくとも、その同情の余裕の存することを駒井は感心し、
「この子は支那の生れで、名をキンツイといいます」
「キンツイさんですか、妙な名ですね」
「非常にまじめな少年ですから、あなた、よくお附合いなさい」
「本当ですか……まじめな人って、なかなか当てにはなりませんけれど、まだ若いから大丈夫でしょう」
「大丈夫です。それに神様を信心していますから」
「まあ、神様を信心しておいでなんですか、支那にも神様がありますのですか」
「ありますとも、人間は有っても無くっても、神様の無いというところはないと、私もこの少年から教えられました」
「まあ感心ですわね、子供のうちから神様を信心するなんて。わたしも神信心をしたいにはしたいんですけれど、どこに神様がおいでなさるか、わからないんですもの」
といって、自分も一時、神信心をしてみたけれども、天神様を拝めば天神様があちらを向き、不動様を信じようとすれば不動様があちらを向くので、とうとう信心をやめてしまったというようなことをいい出すのは困るが、このほかのことは、問いに応じてほぼ的を誤まらないように答えるものですから、駒井は、この女の病気は
名前を問えば、もゆると答えました。駒井が念を押すと、
「もゆるとは、草木のもゆるという意味でつけたんでしょう、わたしにはよくわかりませんけれど」
と答える。姓は岡本といわずに、里見と呼んでもらいたいということ。
保田から昨晩、夜通しここまで歩いて来たが、一人で夜道をしても少しも怖いとは思わないということ。山でも、坂でも、さして疲れを覚えないで歩き通すということ。途中、人にであっても、こちらより先方が怖がってよけて通すということ。
それでもよわみを見られてしまってはもう駄目だということ。
打明けた話を聞かされていると、駒井は
しかし、差当っての問題は、今夜の問題で、この娘をどの室へ泊めるかということです。金椎と同室に置いて、もし夜中に脱走でもされた日には困る。一人ではいよいよ寝かされない。そうかといって自分の部屋へ寝かすことは、自分が困る……駒井は、ひそかにこの問題に苦心しているのを、娘は自分でズンズンと解決してしまいました。なぜならば、食事が終ると、やはり我物顔で、以前の室の寝台の上に身をのせてしまったからです。
ぜひなく駒井はその室へ錠を卸し、自分は金椎と共に、別の室で寝ることにしました。
十一
宇津木兵馬と、仏頂寺弥助と、丸山勇仙の三人は、八ヶ岳と甲斐駒の間を、西に向って急いでいる。
途中、武術の話。
仏頂寺は、世間を渡り歩いて、兵馬の知らない話をよく知っている。
この人は前にいう通り、斎藤弥九郎の門下で有数の使い手。今こそ亡者の数には入っているが、その武芸談には、なかなかに聞くべきものがある。
しかし、ややもすれば芸に慢じて、
丸山勇仙は九段の斎藤の道場、練兵館の話をする。斎藤と、長州系との関係を語る。そのうち、長州の壮士が相率いて練兵館を襲い、弥九郎の二男、当時
はじめ――嘉永の二年ごろ、斎藤弥九郎の長男新太郎が、武者修行の途次、長州萩の城下に着いた。宿の主人が挨拶に来た時に、新太郎問うて
「拙者は武者修行の者であるが、当地にも剣術者はあるか」
主人の答えて曰く、
「ある段ではございませぬ、当地は名だたる武芸の盛んな地でございまして、近頃はまた明倫館という大層な道場まで出来まして、優れた使い手のお方が、雲の如く群がっておりまする。あれお聞きあそばせ、あの
新太郎、それを聞いて喜び、
「それは何より楽しみじゃ、明日はひとつ推参して、試合を願うことに致そう」
そこで、その夜は眠りについて、翌日、明倫館に出頭して、藩の多くの剣士たちと試合を試みて、また宿へ戻って、風呂を浴びて、一酌を試みているところへ、宿の主人がやって来る。
「いかがでございました、今日のお試合は」
新太郎、
「なるほど、明倫館は立派な建物じゃ、他藩にもちょっと類のないほど宏壮な建物で、
これは、新太郎として、実際、そうも見えたのだろうし、また必ずしも軽蔑の意味ではなく、調子に乗って言ったのだろう。だが、この一言が、
「憎い修行者の広言、このまま捨て置いては、長藩の名折れになる」
かれらは大激昂で新太郎の旅宿を襲撃しようとする。老臣たちが、それを
「よし、その儀ならば、九州まで彼等の跡を追っかけろ」
「彼等の跡を追いかけるよりも、むしろ江戸へ押し上って、その本拠をつけ。九段の道場には、彼の
長州の青年剣士ら十余人、猛然として一団を成して、そのまま江戸へ向けて
そこで、彼等は一気に江戸まで押し通すや否や、竹刀と道具を釣台に
誰も知っている通り、当時、江戸の町には三大剣客の道場があった。神田お玉ヶ池の北辰一刀流千葉周作、高橋
殺気満々たる長州の壮士連十余人の一団は、斎藤の道場を
ところで、これを引受けた斎藤の道場には、長男の新太郎がいない。やむなく、次男の歓之助が出でて
歓之助、時に十七歳――彼等壮士の結構を知るや知らずや、
もとより、修行のつもりではなく、
哀れむべし、長州遠征の壮士。復讐の目的全く破れて、十余人の壮士、一人の少年のために枕を並べて討死。宿へ引取ってから
長人の意気愛すべしといえども、術は格別である。中央にあって覇を成すものと、地方にあって勇気に
しかし、貴島又兵衛あたりは、このことを右の話通りには、本藩へ報告していないようだ。
貴島は、長藩のために、のよき剣術の師範物色のため、江戸へ下り、つらつら当時の三大剣客の門風を見るところ、斎藤は技術に於ては千葉、桃井には及ばないが、門弟を養成する気風がよろしい――というような理由から、国元へ斎藤を推薦したということになっている。
ところで、これはまた問題だ。右の三大剣客の技術に、甲乙を付することは、なかなか大胆な仕事である。貴島又兵衛が、斎藤弥九郎の剣術を以て、桃井、千葉に劣ると断定したのは、何の根拠に出でたのか。この三巨頭は、
千葉周作の次男栄次郎を小天狗と称して、
丸山勇仙は当時、長州壮士が練兵館襲撃の現場に居合せて、実地目撃したと見えて、歓之助の強味を賞揚すると、仏頂寺のつむじが少々曲りかけて、
「それは歓之助が強かったのではない、また長州の壮士たちが弱かったというのでもない、術と、力との相違だ、手練と、血気との相違だ、いわば
という。人が
「歓之助殿が九州で、何をやり損ないましたか」
「さればだよ、九州第一といわれている久留米の松浦波四郎のために、
「え」
兵馬はそのことを奇なりとしました。練兵館の鬼歓ともいわれる者が、九州地方で脆くも
斎藤歓之助は、江戸においての第一流の名ある剣客であった。それが九州まで行って、脆くも後れを取ったということは、剣道に志のあるものにとっては、聞捨てのならぬ出来事である。
兵馬に問われて仏頂寺が、その勝負の
久留米、柳川は九州においても特に武芸に名誉の藩である。そのうち、久留米藩の松浦波四郎は、九州第一との評がある。九州に乗込んだ斎藤の鬼歓は、江戸第一の評判に迎えられて、この松浦に試合を申し込む。そこで江戸第一と、九州第一との勝負がはじまる。
これは末代までの
歓之助は
ここに、満堂の勇士が声を呑んで、手に汗を握る。と見るや、歓之助の竹刀は電光の如く、松浦の頭上をめがけて打ち下ろされる。波四郎、体を
「命はこっちに!」
と勝名乗りをあげた見事な働き。これは敵も、味方も、文句のつけようがないほど鮮かなものであった。
江戸第一が、明らかに九州第一に敗れた。無念残念も後の祭り。
無論、この勝負、術の相違よりは、最初から歓之助は敵を呑んでかかった罪があり、松浦は、謹慎にそれを受けた功があるかも知れないが、勝負においては、それが申しわけにはならない。
仏頂寺は兵馬に向って、この勝負を見ても、歓之助の術に、まだ若いところがあるという暗示を与え、丸山が激賞した
「惜しいことをしましたね」
と兵馬は歓之助のために、その勝負を惜しがると、仏頂寺は、
「全く歓殿のために惜しいのみならず、そのままでは、斎藤の練兵館の名にもかかわる。そこで雪辱のために、吉本が出かけて行って、見事に仇を取るには取ったからいいようなものの」
と言いました。
「ははあ、どなたが、雪辱においでになったのですか、そうしてその勝負はどうでした、お聞かせ下さい」
「吉本が行って、松浦を打ち込んで来たから、まあ怪我も大きくならずに済んだ」
といって仏頂寺は、斎藤歓之助のために、九州へ雪辱戦に赴いた同門の吉本豊次と、松浦との試合について、次の如く語りました。
無論、吉本は歓之助の後進であり、術においても比較にはならない。しかし、この男はなかなか駈引がうまい。胆があって、機略を
「お
と叫んで竹刀を引く。
「お籠手ではない、拳だ」
松浦は笑いながら、その名乗りを取合わない。無論、取合わないのが本当で、
ところが、吉本豊次はまた何と思ってか、取合わないのを知らぬ
「何をしている」
と
「ただいま打ち落した貴殿の拳を尋ねている」
この一言に、松浦の怒りが心頭より発した。
松浦の怒ったのは、吉本の思う壺であった。手もなくその策略にひっかかった松浦の気は
「これでも九州第一か」
そこで斎藤歓之助の復讐を、吉本豊次が遂げた。その吉本の如きも、自分の眼中にないようなことを仏頂寺がいう。以上の者の仇を、以下の者がうったのだから、それだから勝負というものはわからない。非常な天才でない限り、そう格段の相違というものがあるべきはずはない。ある程度までは誰でも行けるが、ある程度以上になると、容易に進むものではない。
現代の人がよく、桃井、千葉、斎藤の三道場の
自然、話が幕府の直轄の講武所方面の武術家に及ぶ。以上の三道場は盛んなりといえども私学である。講武所はなんといっても官学である。そこの師範はまた気位の違ったところがある。
人物は感心し難いが、そういう批評を聞いていると、実際家だけに、耳を傾くべきところが少なくはない。兵馬は少なくともそれに教えられるところがある。
かくて、三日目に例の信濃の下諏訪に到着。
以前、問題を引起した孫次郎の宿へは泊らず、亀屋というのへ三人が
その晩、仏頂寺と丸山は兵馬を残して、どこかへ行ってしまいました。多分、過日の塩尻峠で負傷した
宿にひとり残された兵馬は昂奮する。
明日はいよいよ塩尻峠にかかるのだ。仏頂寺らのいうところをどこまで信じてよいかわからないが、果してその人が机竜之助であるかどうか、確証を得たわけではないが、しかし疑うべからざるものはたしかに有って存するようだ。
塩尻へかかって、その証跡をつきとめた上に、行先を尋ぬれば当らずといえども遠からず。どうも大事が眼の前に迫ったように思う。
ところが、いくら待っても、仏頂寺と丸山とが帰って来ない。
待ちあぐんだ兵馬は、お先へ御免を
心には昂奮を抱いても旅の疲れで、グッスリと眠る――明け方、眼を
いったん戻って、また出直したとも思われない。兵馬は気が気でない。
肝腎の案内者、次第によっては助太刀をも兼ねてやろうという剛の者が、戦いを前にして逃げ出したわけでもあるまいに、
兵馬は起きて、
宿のものにいいつけて捜させると、その二人は
二人の
兵馬はその茶屋というのへ行ってみたが、たしかにお二人はおいでになっているが、未だお
それでは、自分が
あまりの醜態に呆れ返った兵馬は、
「おのおの方は、まだお休みか、拙者は一足お先に御免蒙る」
といい放って、さっさと出てしまいました。
そうして兵馬は二人を置去りにして、一人で下諏訪を発足するとまもなく例の塩尻峠。峠を上りきって五条源治の茶屋で一休みしました。
「この間、この辺の原で斬合いがあったという話だが、本当か」
と訊ねてみますと番頭が、
「ええ、ありました、えらい騒ぎで……」
そこで、
いずれも、自分が立会って
聞くところによると、一方の侍は女を連れて従者一人。また一方のはくっきょうの武者四人ということ。つまり、四人と一人の争いで斬合いが始まって、その結果は四人のうちの二人まで斬られて、他の二人がそれをここへ
聞いてみると、仏頂寺と、丸山が、物語ったところとは少しく違う。それほど重傷を負うた二人の者はどこにいる。それも疑問にはなるが、兵馬の尋ねたいのは別の人。
「それでなにかね、その相手の一人というのは、
「それは嘘でございましょう、ねえ、あなた様、なんぼなんでも盲の方が、四人の敵を相手にして勝てる道理はございませんからね」
「いかさま、左様に思われるが。して、その者の年の頃、人相は……」
「それがあなた、よくわかりませんのでございますよ、諏訪の方からおいでになった大抵のお客様はひとまず、これへお休み下さるのが
「なるほど……それで供の者は?」
「御本人はお馬に召しておいでになりましたが、若いお娘さんが一人、お
「なるほど」
輪廓[#「輪廓」はママ]だけで内容の要領は得ないが、
さもあろう。だが、最初は、自分たちが立会って、その果し合いを
ともかく、想像すれば、ここを行くこと僅かにしていのじヶ原がある。そこの真中で四人の剛の者が、一人の弱々しい者を取囲んで、血の雨を降らしたという光景は、眼前に浮んで来る。そうして、四人のうち、二人は瀕死の重傷を負うてここへ担ぎ込まれたことは疑うべくもない。
してみれば、これからその途中、誰か一人ぐらいはその斬合いを見届けた者があるだろう。尋ねてみよう。
そこで、兵馬が、茶代をおいて立ち上る途端に、アッと
五条源治の番頭が青くなったのも無理はありません。こういうお客は、二度と店へ来ない方がよいのです。あの時は、亡者が立去ったほどに喜び、塩を
「おい番頭、この間はいかいお世話になってしまったな」
「どう
幸いに、今日は何も担ぎ込んでは来なかったが、これからどうなるかわからない、これから先が危ないのだ――番頭はこの客が早く出て行ってくれればいいと思いました。出て行ってしまったら、そのあとで戸を閉めてしまおうかと思いました。
「宇津木君、先刻は、君に飛んだところを見せてしまって面目がない」
抜からぬ
「一足お先へ出かけました」
「さあ、いのじヶ原へ行こう」
番頭を安心させたのは、仏頂寺、丸山が店へ腰を下ろさないで、先来の客を促して、前途へ向けて出発を急ぐからであります。全く、こういうお客は、一刻も早く立去ってもらいさえすればよい。
三人が打連れて、いのじヶ原方面へ立去ったので、番頭の面に初めて生ける色が現われました。
兵馬を中に
兵馬は、ここで奇態な人間だと、少々
さいぜんの醜態は感心しないが、あの醜態を少なくとも
「は、は、は、は」
仏頂寺は声高く笑い、こんなことは朝飯前だといわぬばかりに、
「修行盛りの若い時分には……」
吉原に
その時、いのじヶ原の方を見廻すと、縦隊を作った真黒な一団の人が、こっちへ向いて上って来る。それを見下ろし加減に眺めつつ下る三人の者。
「おや、あれは何だろう」
馬もなければ、駕籠もない。槍も、先箱もない。ただ真黒な縦隊に、笠だけが
「なるほど」
三人が何とも判定し兼ねて行くと、先方も近づいて来る。道もほとんど平らになる。そこで見当がついてみると、何の事だ、これは旅の行商の一隊であった。笠に
やがて、こちらの三人と、その女行商人とは細い道でこんがらかる。
これは、白根山の
今しも松本平方面へ行商に出かけて、故郷へ帰るのか、そうでなければ伊奈方面へ足を入れる途中と見える。
その以前、机竜之助は駿河から甲州路への
「どうかすると、あんなのの中に
といいますと、丸山勇仙が、
「
「おや、宇津木がいない」
と見れば、宇津木兵馬がいない。山の娘の縦列に呑まれてしまったのか、三人打連れて来たうちの一人がいない。忘れ物でもしたように振返ると、宇津木兵馬は、ずっと
「おや」
仏頂寺と、丸山が、狐にでも
「何を話しているのだろう」
暫く待っていたが、その話が存外手間が取れるので、
「すっかり話が持ててるぜ」
「様子が
と言いました。少し
「おやおや、女共がみんな野原へ荷物を
「何か宇津木の奴、
「
実際、離れて見ると、意外な光景には違いありません。
行商の一隊が、まるくなって取巻いて休んでいる中に、宇津木と、その山の娘のうちの一人とが、しきりに懐かしそうな立ち話をつづけている。
仏頂寺と、丸山とは、それをぼんやりと、いつまでも見ていなければならない有様となっている。調子が少し変ってきました。
山の娘たちは密集を得意とする。里に出る時は散逸しても、険山難路を過ぐる時は必ず集合する。事急なる時は必ず密集する。密集すれば、獅子も針鼠を食うことができない。ナポレオンも、アレキサンダーも、密集の利益を認めていた。二十余人の女が密集すれぼ、いかなる兇漢も、ちょっと手がくだせまい。
そこで密集は力である。どうかすると山の娘たちは、この密集の中に窮鳥を包容することがある。いかにもこの密集の中へ包んで、白根の山ふところへもちこんでしまえば、捜索の人を、永久に
女は弱いことになっているが、それでも団結はやはり力である。山の娘たちは団結的に訓練されている。
仏頂寺と丸山は兵馬を後にして、
「ここだ!」
二人、足を
あの時の不思議な立合。二人の眼の前に、過ぎにし剣刃上の戯れがまき起る。
この時分、宇津木兵馬はようやく、女との立ち話が済んで、二人の跡を追うて来るのを認めます。仏頂寺弥助は、その当時、机竜之助が立ったところに立って、兵馬の来るのを待っている。
山の娘たちは草原の上に休んだままで、申し合わせたように、こちらを眺めている。
兵馬が急いで、二人の跡を追いかけて、ここへやって来た時、以前、竜之助が立っていたところに立っていた仏頂寺が、
「宇津木、問題の場所はここだ、ここにそれ、こうして……」
兵馬を、
どうもこれは穏かでない。
なにもわざわざ、またそう軽々しく刀の
仕方話をするのに、真剣を抜いて見せる必要もないではないか。
兵馬は、仏頂寺の刀を抜いたのを
「こうだ、ここへさがってこの通りに構えたものと思わっしゃい。いいかい、目は見えないのだよ」
といって仏頂寺は、自分の眼をつぶりました。彼は、先日の竜之助の取った通りの型をして見せるのです。
そこで兵馬は、一足さがって、その型を
仏頂寺は、冷然として、どこまでも本人の型通りに、青眼、こころもち刀を右へ斜につけた姿勢で、動こうとはしない。
「いよう! そっくり!」
と丸山勇仙が頓狂な声を揚げました。仏頂寺の型が、竜之助の
「宇津木、どうだ、わかるか、わかったら打込んで見給え」
と、やはり目をつぶったままで言いました。
「うむ」
兵馬は、仏頂寺の型を、身を入れて眺めているばかりです。
「わかるまいな」
仏頂寺は、いつまでも冷然と構えている。丸山勇仙が、妙な
「宇津木君、かまわないから仏頂寺を斬ってしまい給え、ああしているところを」
傍からけしかけてみる。
兵馬は無言で、仏頂寺の型を
仏頂寺の態度は冷やかなものだが、それを見つめている兵馬の額に、汗のにじんでくるのを認める。その眼が輝いてくるのを認める。息づかいの荒くなるのを認める。
丸山勇仙が、そこでようやく一種の恐怖に襲われてきました。
この男は、学問の心得は相当にあるが、剣術は出来ない――これは前にいった通り。そこで最初は仏頂寺の型を、芝居もどきに冷かしてみたが、戯中おのずから真あり、とでもいうのか、ただしは、
よくあることで、酒の上の冗談から、果し合いになったり、申合いの勝負が、
「兵馬、これは斬れまい」
仏頂寺が、またも冷然として言い放つと、
「何を!」
笠を投げ捨てた兵馬は、勢い込んで刀を抜き合せてしまいました。
それ見たことか――勝負心の魔力というものは、得てこうなるものだ。
兵馬は、ついに離れて、仏頂寺の青眼に対する相青眼の形を取って、ジリジリと、その足の裏の大地に食い込むのがわかる。
それを見た丸山勇仙が堪り兼ねて、
「おい、仏頂寺、
最初は
丸山勇仙が騒ぎ出したのみならず、
「おい、仏頂寺、冗談は止せよ、宇津木、刀を引けよ」
丸山勇仙は、うろうろとして両者の間を飛びまわる。
しかも、仏頂寺は冷然として動かず、宇津木は全力を尽して向っている。
「止せったら、止し給え、つまらん芝居をするなよ」
さすがの勇仙が弱りきって、泣かぬばかりに飛び廻っているのを気の毒に思ったか、仏頂寺が、今までつぶっていた両眼を見開いて、
「これなら打ち込めるだろう」
「ちぇッ」
と兵馬は打ち込まないで、刀を引きました。
「おどかすなよ、ほんとうに」
丸山勇仙は、ホッと安心して胸を撫で下ろす。刀を
「眼のあるのと、無いのとは、これだけ違う」
同じく刀を納めて、額の汗を拭いて兵馬は、
「その通り……」
と言いました。
いったん、総立ちになって、遠くこの光景を眺めた山の娘たちも、そこで静まりました。
やがて三人は、また打連れて歩き出す。これより先、まもないところに、屋根に
そこで、宇津木兵馬が聞き合せたところによると、どうも竜之助らしい一行が、これから木曾路へは向わないで、五千石の通りを松本方面へ赴いた形跡だけは確かであることを知りました。
ともかくも松本平。そこが捜索の一つの根原地とならなければならぬ。
三人は、いざとばかり、塩尻の茶屋を立って、五千石の通りを松本へ向わんとする。
この
「ほほう、松本の町へ、
丸山勇仙が早くもその大きな辻ビラの前に立ちました。見れば真中に大きく、
「江戸大歌舞伎 市川海土蔵 」
と宇津木兵馬も無論、土と老とを見分けるほどに興味を持ってはおりません。
海老蔵の名は、市川の家にとっては、団十郎よりも重いはずの名であります。
仏頂寺と、丸山が、従来全く芝居を見ない人間であるか、或いは最もよく芝居を見る人間であるか、どちらかならばよかったが、両人ともに話の種になる程度で海老蔵を見るには見ている。しかし無論、道庵流に皮肉に見ることなどは知らないし、武芸者の
「松本へ海老蔵が来たな、こいつは一番見ずばなるまい」
という気になりました。
兵馬の、芝居を知らないことは、これらの人々より一層上で、さりとて、宇治山田の米友ほどに、絶対にそんなものが頭に無いというほどではないが、今は、芝居どころの
ところが、仏頂寺と、丸山は、松本へ着いたら市中へ宿を取らずに、まず浅間の温泉へ行こうという話をしている。それを聞いていると、どこまでも
いったい、この連中、亡者みたように道中を上下しながら、こうも
そうして松本をめざしてゆくと、松本方面から、
「やあ、仏頂寺……」
と、いきなり先方から言葉をかけると、
「おや、川上」
と仏頂寺が合わせました。
「何をうろうろしているのだ」
先方がいう。
「吾々は亡者だから、気の向いたところを行きつ戻りつしている。君は、そうして、ちょこちょこと、どこから来てどこへ急ぐのだ」
「
「吾々はまた、この同勢で浅間の温泉へ行こうというのだ、君も附合わないか」
「そうしてはおられぬ」
といって、この男はさっさと行き過ぎてしまいました。
「川上の奴、松代へ何しに行ったのだ」
「
こういって、仏頂寺と、丸山とは話しながら、川上と呼ばれた浪士と
兵馬は知らない人だが、その川上と呼ばれた男、見たところ柔和なうちに精悍な
「あれは肥後の川上
と仏頂寺が簡単に説明してくれたので、兵馬が初めてその名を知ることができました。
仏頂寺の註釈通り、肥後の川上彦斎は甚だ穏かでない男であります。佐久間象山を殺したのも、実はこの男でありました。象山を殺しておいて、なにくわぬ
或る時、或る席で数名の者が、ところの代官の悪評をしているところへ、川上が来合わせて、暫くその話に耳を傾けて、やがて外へ出てしまった。多分小便にでも出かけるのだろうと思っていると、やがて、平気な
当時、人を斬るといえば必ず斬った者が三人はある。武州の近藤勇、薩摩の中村半次郎(桐野利秋)――それと肥後の川上彦斎。
十二
根岸の
がんりきと違って七兵衛は、あんまり気障な真似をしたがらない男でありますが、どうしたものかこのごろは、しきりに気障な真似をしたがる。
というのは、毎晩、いいかげんの時刻になると、百目蝋燭を二挺までともし連ねて、その下で、これ見よがしに銭勘定を始めることであります。
金銭や学問は、有っても無いふりをしているところに、幾分おくゆかしいところもあろうというものを、こう洗いざらいブチまけて、これ見よがしの銭勘定を始めたんでは、全くお座が
近在へ、盗み蓄えて置いたのを、残らずといわないまでも、手に届く限り持ち込んで、ここへこうして積み上げて、銭勘定を始めたものとしか見えません。第一、分量において、お座の冷めるほど、根太の落ちるほど、積み上げられたのみでなく、種類においても、大判小判を初め、
それを、また、いい気になってその隣りの一間で、
これ見よがしに、金銀をブチまけるのも気障だが、人の金銀を
これは猫に小判ではない、たしかに猫に鰹節ですが、この猫は牙を鳴らして、飛びかかりはしないが、猫撫で声をして、
「七兵衛さん、
「へ、へ、へ、いや、これで結構でございますよ」
見向きもしないで、また新たに小判の包みを一つ、ザクリと切ってブチまけたのは、いよいよ
「小判のようですね」
「へ、へ、小判でございます」
「
「どう致しまして……小判も、小判、正真正銘の慶長小判でございますよ」
「本当かい」
「論より証拠じゃございませんか、一枚
と言って七兵衛が、その小判のうちの一枚を取って、敷居ごしの隣座敷のお絹の膝元まで、高いところから
「お見せな」
お絹はその一枚を手に取り上げて、妙な
「色合からして違いましょう」
「そうですね」
「それから品格が違います」
「そうかしら」
「これと比べてごらんあそばせ――こちらのは、常慶院様の時代にお吹替えになりました元禄小判でございますよ」
といって、七兵衛はまた一枚の小判を取って高いところから土器を
「お見せな」
それを、また拾い上げたお絹は、花札をめくるような手つきで、以前のと
「色合から品格――第一、厚味が違いましょう」
「なるほど」
「時代がさがると、金銀の
七兵衛は抜からぬ面で、
「御通用の金銀を見ますと、その時代の御政治向きと、人気が、手に取るようにわかるから不思議じゃございませんか」
と、「
「まあ、
自分も慶長小判の一枚を取り上げて、さも有難そうに見入ります。
「そういわれれば、そうです」
とお絹も感心したように、慶長小判の色合にみとれている。
「この小判一枚を見ても、
「なるほどね」
「天下をお取りになるには、智仁勇ばかりではいけませんよ、やっぱりお金が無けりゃあね。またよくしたもので、天下をお取りになるような方には自然、お金の運も向いて来るものですからね。権現様はお金持でした……その権現様をお金持にして上げたのは、甲州武田のお能役者で
「わたしは、そんな山は、いらないから、お金の
「へ、へ、一本とは、あんまりお慾が小さ過ぎます、せめて十本も植木屋にいいつけて、おとりよせになってはいかがです……冗談はさて
七兵衛は慶長小判を、そっとかたわらへ置いて、改めて元禄小判といった一枚を手にしましたから、お絹もそれを上置きに直して比べて見ている。七兵衛は得意らしく、
「元禄になって、これをお吹替えになったのは、つまり、お上がお金の
といって七兵衛は、また別の一枚の小判を取って、前と同じように、高いところから
「だんだん札が落ちてくるのね」
「お金というやつは、悪いやつが出て来ると、いいのが追ッ払われてしまうんですから、無理が通らば道理引っ込むといったようなわけです、時代が悪くなると、いい人間と、いい金銀が隠れて、
七兵衛は得意になって、
「なんと、お絹様――金というものは腐るほどあっても、使わなけりゃなんにもなりません」
「それはそうですとも」
「そこでひとつお絹様、あなたのために、家を建てて差上げようと思います」
「結構ですね」
「家を建てるには、まず地所から求めてかからなければなりません。いかがです、
七兵衛は、百両包と
「そこで
七兵衛は、また百両包と覚しいのを、前に並べた六百両の上に積み上げました。
「それから庭……これはさしあたって、三百両もかけておいて……」
女も少なくとも二人は置かなければならない。それから男の雇人と、庭師といったようなもの、それに準じての家財雑具――それをいいかげんに七兵衛が
「いかがです、この辺のところでお気には召しませんか――何しろ、大名や
「その辺で結構ですよ、どうも御親切に済みません。御親切ついでにどうでしょう、そのお金をそっくり、わたしに貸して下さるわけにはゆきますまいか」
「お貸し申すつもりで出したお金ではございません、家を建てて、あなた様を住まわせてお上げ申したいためのお金でございます」
「同じことじゃありませんか、どのみち、わたしのために都合して下さる御親切なお金なら、そっくり貸して下すっても同じことでしょう」
「なるほど、御融通する以上は同じようなものですけれど、家屋敷としてお貸し申せば目に見えますけれど、ただお貸し申したんでは目に見えませんからな、そこにはそれ、抵当というものがありませんと」
「
「これは恐れ入りましたね、わっしどものお金に限って抵当はいらない、ただ貸せとこうおっしゃるんでございますか」
「お気の毒さま、今の身分では、逆さに振っても抵当の品なんぞはありませんからね」
「無いとおっしゃるのは嘘です、嘘でなければお気がつかれないのです。お絹様、あなたは、ちゃんと、その抵当を持っておいでになりますよ」
「え……わたしの今の身で、大金を借り出す抵当がどこにあると思うの」
「ありますともさ、つまり、あなた様の
「おや、お前は変なことをお言いだね」
「ずいぶん、世間にないことじゃなかろうと心得ます」
「ばかにおしでない、身体を抵当にお金を借りるのは、世間でいう身売りの
「そう悪く取ってしまっちゃ困るじゃありませんか、いつお前様に身売りをお
お絹は
「冗談も休み休み言わないと、
「どうも相済みません」
「お前たち、百姓の分際で……」
「まことに相済みません、あなた様は御先代の神尾主膳様
七兵衛はそういいながら、後ろの壁に押付けてあった
お絹は、その手つきを冷笑気分で見ていましたが、そう思って見るせいか、七兵衛の金を蔵う手つきまでが堪らなく
「恐れ入りますが、そいつをひとつ……その見本をこっちへお返しなすっていただきましょう」
ふいと気がついたように七兵衛は、お絹に向って最初に提示した慶長小判をはじめ、見本の金銀を、お絹の手元まで受取りに出ました。
「持っておいで」
お絹は
それをいちいち御丁寧に拾い上げた七兵衛、
「あああ、私という人間が、こんなに金を蓄えて何にするつもりなんでしょう、気の知れない話さ、女房子供があるわけじゃなし、
「知らないよ」
お絹が横を向きました。
「だが、金というやつは、有って邪魔になる奴じゃなし、そばへ置いとくと、いよいよ可愛くなる奴だが、足が早いんで困ります、金銭のことをお足とは、よくいったものさ、捉まえたと思うと、逃げ出したがる奴で、よく世間で、可愛いい子には旅をさせろというが、この息子ばかりは、野放しにしておいた日には締りがつかねえ」
といいながら、七兵衛は、一つ一つ金包を
「文句をいわないで蔵ったらいいでしょう」
「はいはい」
「どんなに困ったって、わたしは自分の
「左様でございましょうとも」
「けがらわしい、早くお蔵いよ」
「これだけの数でございますから、そうは手ッ取り早くは参りません、小さくとも六百坪の地面に、三十坪の一戸だて、火事で焼いたって一晩はかかりますよ」
「いやになっちまうね」
お絹はじれ出しました。それほどいやならば、この場を立って奥へでも行ってしまえばよいのに、いやになりながら、流し目で、七兵衛の運ぶ金包を眺めている。七兵衛はすました
七兵衛も気が知れない男だが、口では早く蔵えの、いやになるのといいながら、それを横目で見て見ない
「七兵衛さん」
「え」
「覚えておいで」
と言って、不意にお絹が立ち上って奥の方へ行ってしまいますと、そのあとで七兵衛は、鎧櫃のそばへゴロリと横になりました。
十三
神尾主膳はこのごろ「書」を稽古しています。これ閑居して善をなすの一つ。
そこへお絹がやって来て、
「ねえ、あなた」
殿様とも、若様ともいわず、あなたといって甘ったるい口。
「何だ」
主膳は法帖とお絹の
「七兵衛のやつ、いやな奴じゃありませんか」
「ふーむ」
主膳は、サラサラと文字を書きながら聞き流している。
「もう今日で七日というもの、ああやって
「ふーむ」
主膳は同じく聞き流して、サラサラと
「それで、夜になると、何ともいえないいやな手つきをして銭勘定を始めるのです、昨晩なんぞはごらんなさい……」
お絹が躍起になる。主膳は入木道の筆を休めて面を上げると、朝日が障子に墨絵の竹を写している。
「他ノ珍宝ヲ数エテ何ノ益カアルト、従来ソウトウトシテ、ミダリニ
と神尾主膳が
「昨晩あたりの気障さ加減といったら、お話になったものじゃありません、慶長小判から
「ふふん」
と神尾主膳が
「それほど、いやな手つきを、眺めているがものはないじゃないか」
「だって、あなた、手出しはできませんもの」
「手出しができなければ、引込んでいるよりほかはない」
「なんとでもおっしゃい、引込んでいられるくらいなら、こんな苦労はしやしませんよ」
「ふーむ」
「あなたは、お坊っちゃんね、そうして、のほほんで字なんか書いていらっしゃるけれど、わたしの身にもなってごらんなさい、火の車の廻しつづけよ」
「ふーむ」
「今、外へ出ようったって、
「ふーむ」
「わたしも、この通り着たっきりなのよ、芝居どころじゃない、明るい日では、外へ用足しに出る着替もなくなってしまってるじゃありませんか。これから先、どうしましょう」
「なるほど」
「なるほどじゃありません、何とか心配をして下さいましな、わたしの酔興ばかしじゃありませんよ、一つは、あなたを世に出して上げたいから」
「それはわかっている。そこでひとつ、俺も足立とも相談をして、何とか動きをつけようとたくらんでいるところだ」
「そんな緩慢なことをおっしゃっている時節ではござんすまい、現在、眼の前にあの通り、金銀の山が転がり込んでいるじゃありませんか、あれをどうにもできないで、指を
「いけない、ああいうのはいけない、度胸を
「ホントに
酔わない時は、神尾にもどこか
「ねえ、あなた、今日は七兵衛の奴が珍しくどこかへ出かけてしまいました、その後に
「鎧櫃がどうしたの」
「その鎧櫃の中に、見せびらかしの金銀がいっぱい詰め込んでありますのを、置きっ放して七兵衛の奴が、珍しく早朝からどこかへ行きましたから、見るだけ見ておやり下さいと申し上げているのです」
「見たって仕方がないじゃないか、金銀は見るものではなくて使うものだ、使えない金銀は、見たって仕方がない」
「あれだ、あれだから、お殿様は仕方がない――」
とお絹は神尾主膳の膝をつっつきました。酒乱の
「仕方がないったって仕方がない――無い袖は振れないから」
「有り過ぎるのです、鎧櫃の中には、金銀のお
「ははあ、天の与うるもの……」
主膳は、うんざりして、もう入木道をサラサラとやる元気もないらしい。
「つまり、わたしたちに使わせたいと思って、七兵衛の奴が、ああしてもち運んで来たものでしょう、それを使ってやらなければ、あなた、
「だから、お前の知恵で、いくらでも引出して、お使いなさい」
「けれども、相手が悪いから、わたしの知恵ばかりでは、どうにもなりません」
「お前の知恵でやれないことは、拙者にもやれようはずがない」
「三人寄れば
「いけない、隠すやつなら何とか方法もあろうが、持ち出して見せるやつが取れるものか」
「いいえ、取れます、その道を以てすれば……」
「その道とは?」
「その道が御相談じゃありませんか。まあ、ともかくも、見るだけごらん下さいまし、現在、眼の前にある宝の山をごらんになれば、また別な知恵が出ない限りもありますまい」
「では、まあ、ともかく見に行こう」
神尾主膳は、とうとうお絹に引きたてられて、七兵衛の
それは申すまでもなく、昨晩、百目蝋燭を二つまでともして、七兵衛が金銀の山を築いていた座敷。日中になると、かえって
この七日間というもの、仕出し弁当を取って頑張っていた七兵衛が、どうしたものか今日は朝から不在。
この座敷の当座の主人が不在にかかわらず、鎧櫃だけは八畳敷の真中に、端然として置き据えられてある。
主膳はズッとこの座敷の中へ入り込んで、鎧櫃の傍へ近寄りましたが、お絹はわざと座敷へは入らず、廊下の外に立って、少々気を配っているのは、もしや七兵衛が帰って来たら、と見張りの
鎧櫃の上に手をかけてみた神尾主膳。あの百姓め、どこからこんな
果して、お絹のいう通り、これへいっぱいの金銀が詰めてあるとすれば、その量は莫大なものといわなければならぬ。
女の眼には、
やがて張番していたお絹もやって来て、言い合わしたように、二人が鎧櫃の前後に手をかけて動かしてみたけれど、ビクとも応えません。
事実、この中へ、いっぱいの金銀が入っているなら――金銀でなく、
この暗澹たる座敷の中で、鎧櫃を前に、二人は顔見合わせて笑いました。
笑ったのがきっかけで、主膳は手持無沙汰の
お絹も、そわそわとして落着かない。
気の知れないのは七兵衛で、この七日の間、夜も、昼も、仕出し弁当で
それを気にしているのは、むしろ神尾主膳とお絹とで、お絹の如きは幾度、その廊下を行きつ、戻りつして、この座敷を
それを見るとホッと息をつきながら、また新たに心配のようなものが加わる。
ついにその夜が明けるまで、七兵衛は帰って来ませんでした。七兵衛が帰って来ないでも、鎧櫃の厳然たる形は少しも崩れてはいない。こうなると厳然たる鎧櫃そのものが判じ物のようになって、財宝を残して行った当人よりも、残されて行った他人の方が、心配の負担を背負わされる。
知らず識らず、神尾と、お絹とは、この鎧櫃の番人にされてしまいました。代る代る二人が見廻りに来る。来ない時は、二人の心が鎧櫃をグルグル廻っている。
どこへ行ったろう――その翌日も、とうとう七兵衛は帰って来ない。夕方も、夜も。
主膳とお絹は、またもいい合わしたように、二人が前後から鎧櫃を囲んで、ついにその錠前へ手をかけてみました。手をかけてみたところで、それを壊そうとか、こじようとかするほどの決心ではなく、ただ錠前の締り工合をちょっと触ってみたくらいのところでありますが、その締り工合はまた厳として、許さぬ
ばかにしている――三日目の夕方まで七兵衛が帰らないので、神尾の
この堪忍袋。誰も堪忍袋を要求した者はないはずだが、それでも神尾自身になってみると、相当に気をつかっていたらしい。三日まで七兵衛の音も沙汰もなかったその夕べ、神尾がいらいらしているところへ、お絹が酒を
酒を薦めて悪いことは知って知り抜いて、それを取り上げているお絹が、たまには、といって一杯の酒を薦めたのが、神尾のこの
一杯――二杯。
そこでお絹が、七兵衛の奴の、
久しぶりの酒が
「よし、目に物を見せてくれる」
主膳が九尺柄の槍を取って、かの暗澹たる鎧櫃の間へ走り込んだのを、お絹は引留めようともせずに、手早く
槍を取って、
お絹が差出した手燭の光が、神尾の心を野性的に勢いづけたようです。
「憎い奴、目に物見せてくれる」
この見せつけがましい鎧櫃一個がこの際、骨を
「エイ!」
といって、鎧櫃の前の塗板の柔らかそうなところへ勢い込んで槍を立てると、難なくブツリと入りました。
それを引抜いて、また一槍、また一槍。ブツリブツリと槍を突き込み、突き滑らして後、神尾はホッと息をついて、槍の石突を取り直して、その穴をあけたところをコジて、次に、手をもってメリメリと引裂くと、穴は
神尾は槍を投げ捨てて、バラリバラリとその金銀を引出してはバラ
神尾は、燃え立つような眼付をして、手に任せては、金銀を掴み出して、
こうなると神尾主膳の野性が、酒ならぬものの勢いに
お絹もまた、拾えば拾うほどに、集めれば集めるほどに、そのこと自身に興味を煽られてしまっている。ここには、紀文の時のように、吾勝ちに争う
もうこれ以上は――神尾も手が届かなくなった。鎧櫃の底はまだ深い。向うも遠いけれども、コジあけた穴の大きさに限りがあるものだから、そこで手の届く限りは掴み出してしまって、再び穴をくりひろげるか、そうでなければ、櫃を打壊すか、ひっくり返すかしないことには、取り出せなくなったので、神尾が手を休めて見返ると、お絹が拾い集めてはいるが、お絹一人の手では間に合い兼ねて、
その時に廊下で、
その咳払いと、足の音を聞くと、吾を忘れていたお絹が、はっと胆を冷しました。
「あ」
一方を見返ると、自分たちが開け放しておいたところに、七兵衛がヌッと立ってこっちの
「七兵衛か」
と神尾主膳も槍を手にして、帰って来た七兵衛を見返りながら、てれ隠しの苦笑いです。ただ隠しきれないのは、室内に燦爛たる黄金白銀の落葉の光。
「殿様、ごじょうだんをあそばしちゃいけません、御入用ならば、そのままそっくりお持ち下さればいいに……」
七兵衛は、いつまでも障子の外から、こっちを
「七兵衛、天下の財宝を粗末にするな」
と主膳がいう。
主膳も、多少の酒と、黄金の光に、
お絹もまた、室内に燦爛たる黄金の光をいまさら、袖で隠すわけにもゆかず、拾い集めて当人に還付するのも変なもの、ほとんど立場を失った形で、てれきっている。
第一、所有主そのものが、怒りもしなければ、怒鳴りもせず、外でニタニタ笑っているばかりですから、空気の緊張を欠くこと夥しい。妙な
「七兵衛さん、悪い気でしたのじゃないから堪忍しておくれ、殿様の御気性で、ホンの一時の座興なんだから。元はといえば、お前があんまり、ひけらかすから悪いのさ」
暗くなって、初めてお絹が白々しい申しわけをする。
「なあにようござんすとも、こうしてお世話になっている以上は、何事も共有といったようなものでござんすからね、御入用だけお使い下さいまし、御自由に」
先夜とは打って変った白々しい気前ぶりを見せた言い方。
暗い間のバツを利用して、お絹は神尾主膳の手を取って、この座敷を連れ出してしまいました。あとに残された七兵衛、ドッカと
先方は見えないつもり、こちらは暗いところでよく物が見える。神尾の手を引いて、ソッと抜け出したお絹という女の物ごし、散乱した金銀に心を残して出て行く足どり――あの足どりでは、足の裏へ小判の二三枚はくっつけて出たかも知れない。悪い時に帰ったものだ。
しかし、これが縁になって、その翌日、七兵衛は表向いて神尾主膳に紹介されました。
うちあけた話になってみると、おたがいに、相当に
ところで一つ、七兵衛の方からも、交換条件が神尾に向って提出される。これはお絹の身体を抵当に、なんぞという嫌味なものではなく、七兵衛は七兵衛としての一つの
その翌日、七兵衛は神尾主膳に向って、自分は
主膳も、それを聞いて存外驚かず、大方そんなことだろうという
盗人ではあるが、自分は
ありますとも……盗人の社会へ入って見れば、
そこで、七兵衛がいうには、自分の盗人ぶりの
たとえば、ここにこうして古金銀から、今時の
しかし、また七兵衛は真顔になって、自分とても、ほかに何か相当の天分と、仕事をもって生れて来たのだろう、幼少の教育がよくて、
「そりゃそうだ、盗人をするだけの才能と、苦心を、他に利用すれば立派なものになる」
と神尾もまじめに同情しました。
しかし、今となっては仕方がない。自分はこうして盗むことに唯一の趣味を感じていると、盗み難いものほど、盗んでみたいという気になる。
そこで、一つの大望がある。なんとこの大望を聞いては下さるまいか。
何だい、その大望というのは。石川五右衛門がしたように、太閤の寝首でもかこうというのかい。
いいえ、そういうわけではございません、実は――
七兵衛の大望というのはこうです。
徳川初期の歴史を知っているものは、家康が金銀に豊富であったことと、その金銀を掘り出すのに苦心したことを知っている。
そのうち、豊臣家から分捕った「竹流し
この「竹流し分銅」は一枚の長さ一尺一寸、幅九寸八分、目方四十一貫、その価、昔の小判にして一万五千両に当るということを聞いている。それを徳川が、豊臣から分捕った時には、たしか五十八枚。大坂の乱後、家康が、井伊
その後、改鋳のことがあって、四代以来、この分銅へ手をつけ出し、今は残り少なになってはいるが、まだ有るには有ると聞いている。それはどこにあるのか、やはり四代以前の時のように大坂城内に秘蔵されているのか、或いは江戸城の内にもちこされて来ているのか――
十四
その日の夕方、七兵衛の姿は、芝の三田四国町の薩摩屋敷の附近に現われました。
薩摩屋敷の中では、一群の豪傑連が、その時分、
かほどの問題も、ここでは声をひそめて語るの必要がなく、子供が野火をつけに行くほどの、いたずら心で取扱われる。
彼等は関八州を蜂の巣のようにつき乱すと共に、江戸城の西丸へ火の手を上げる、これが天下をひっくり返す口火だと考えているものが多い。
それに比ぶれば、七兵衛の野心などは罪のないもので、「行軍守城用、莫作尋常費」とある黄金の分銅一枚を見さえすれば満足するのですが、しかし、その苦心の程度に至っては、これらの豪傑に譲らないのみならず、それよりも一層むずかしい仕事になるのは、彼等のは、火をつけて騒がせさえすればよいのだが、七兵衛のは、手に入れて拝まなければならない。
さて、こうして七兵衛が、三田の四国町の薩摩屋敷の、芝浜へ向いた方の通用門の附近を通りかかった時分、中ではこんな
今しも、通用門から
よって七兵衛も、その中に立って、これを眺める。
何のために、誰がしたいたずらか、今しも薩摩屋敷の中から繰出して来る一大行列は、
「右や左のお旦那様……たよりない、哀れな者をお恵み下さいまし」
門内から吐き出されるこの乞食の行列は、いつまで経っても、尽くるということを知らないらしい。或いは、いったん外へ出て、また一方の門から繰込んでは出直すのかとさえ疑われるが、事実は、やはり出るだけの正味が、門内に貯えられてあることに相違なく、人をして、よくまあ江戸中にこれだけの乞食があるものだと思わせました。
なお且つ、これら、多数の乞食連のうちには、単に盛装を凝らして、商売ものの哀れっぽい声で、「右や左のお旦那様……たよりない者をお助け下さいまし」を繰返すだけの無芸大食ばかりではなく、なかには凝った意匠で、
雨の夜に、日本近く、とぼけて流れ込む浦川へ、黒船に、乗りこむ八百人、大づつ小づつをうちならべ、羅紗 しょうじょう緋 のつっぽ襦袢 ……
大津絵もどきをそもそもこの度 、京都の騒動、聞いてもくんねえ、長州事件の咽喉元 過ぐれば、熱さを忘れる譬 えに違 わぬ、天下の旗本、今の時節を何と思うぞ、一同こぞって愁訴 をやらかせ、二百年来寝ながら食ったる御恩を報ずる時節はここだぞ、万石以上の四十八館 、槍先揃えて中国征伐一手に引受け、奮発しなさい、チャカポコ、チャカポコ
それに負けず、一方にはまた、
菊は咲く咲く、葵 は枯れる
西じゃ轡 の音がする
と唄い、西じゃ
十五
「弁信さん――」
信州白骨の温泉で、お雪は机に向って、弁信へ宛てての手紙を書いている。
「弁信さん――
お変りはありませんか。わたし、このごろ絶えずあなたのことを思い出していますのよ。誰よりも、あなたのことを。
どうかすると、不意に、枕元で、あなたの声がするものですから、眼を醒 まして見ますと、それは、わたしの空耳 でした。
どうして、わたし、こんなに、あなたのことばかり気になるのかわかりませんわ。
ほかに思い出さねばならぬ人もたくさんありましょうに、弁信さんの面影 ばかりがわたしの眼の前にちらついて、弁信さんの声ばかりが、わたしの耳に残っているのは、不思議に思われてなりません。
それはね、わたしこう思いますのよ、弁信さんはほんとうに、わたしのことを思っていて下さる、その真心 が深く、わたしの心に通じているから、それで、わたしが弁信さんを忘れられないものにしているのじゃないでしょうか。こうして、遠く離れていましても、弁信さんは、絶えず、わたしの身の上を心配していて下さる。そのお心が夢にも現 にも、わたしの上を離れないから、それで、わたしは、不意にあなたの面影を見たり、声を聞いたりするのじゃないかと思ってよ。
ほんとうに、弁信さん、あなたほど深く人のことを思って下さるお方はありません。それは、わたしにして下さるばかりでなく、どなたに対しても、あなたという方は、しんの底から親切気を持っておいでになる。わたしは、それを、しみじみと感心しないことはありません。
けれども、親切も度に過ぎるとおかしいことがあるのじゃない……思いやりも、あまり真剣になるとかえって、人の心を痛めるような結果になりはしないかと、わたし、よけいな心配をすることもありますのよ。
弁信さん。
わたしがこちらへ来る前に、あなたは、わたしのことを言いました。
『お雪ちゃん、あなたは、もう年頃の娘さんだとばかり思っておりますのに、そういうことをおっしゃるのだから驚いてしまいます。信濃の国の白骨のお湯とやらが、良いお湯と聞いたばかりで、その間の道中がどのくらい難渋だか、そのことを、あなたは考えておいでになりません。また、その難渋の道中を連れ立って行く人たちが、善い人か、悪い人か、それも考えてはおいでになりません。私がここでうちあけて申し上げますと、あなたは、その白骨のお湯へおいでになった後か、その途中で、きっと殺されてしまいます。いきて帰ることはできません』
この言葉が、今でもどうかすると、わたしの胸を刺してなりません。何かの機会 に、はっとこの言葉を思い出すと、胸を刺されるような痛みを覚えますが、それでも暫くするとおかしくなって、弁信さんらしい取越し苦労を笑います。
わたしに笑われて、あなたは口惜 しいとお思いにはなりますまい。あなたのおっしゃったのが本当なら笑いごとではありません。
わたしがこうして弁信さんらしい取越し苦労に、思出し笑いを止めることができないのは、わたしにとっては勿論のこと、あなたにも喜んでいただかねばなりません。
弁信さん。
わたしは無事で道中を済まし、無事でこの温泉へ着いて、今も無事に暮していますから御安心下さいませ。
ただし、無事といいますうちにも――道中では怖い思いもしました。またここへ来てからも、いろいろの人と逢い、珍しいものも見たり、聞いたり致しました。
弁信さん。
あなたの安心のために、わたしはこのごろの生活ぶりを、逐一 記してお知らせ致したいと存じます……」
ここまで筆を運んで、お雪はほつれかかる髪の毛を撫でました。お雪はこのごろ、髪を洗い髪にして後ろへ下げて軽く結んでいる。自分もこの洗い髪がさっぱりしていると思うし、人もまた、お雪ちゃんには似合っているとお変りはありませんか。わたし、このごろ絶えずあなたのことを思い出していますのよ。誰よりも、あなたのことを。
どうかすると、不意に、枕元で、あなたの声がするものですから、眼を
どうして、わたし、こんなに、あなたのことばかり気になるのかわかりませんわ。
ほかに思い出さねばならぬ人もたくさんありましょうに、弁信さんの
それはね、わたしこう思いますのよ、弁信さんはほんとうに、わたしのことを思っていて下さる、その
ほんとうに、弁信さん、あなたほど深く人のことを思って下さるお方はありません。それは、わたしにして下さるばかりでなく、どなたに対しても、あなたという方は、しんの底から親切気を持っておいでになる。わたしは、それを、しみじみと感心しないことはありません。
けれども、親切も度に過ぎるとおかしいことがあるのじゃない……思いやりも、あまり真剣になるとかえって、人の心を痛めるような結果になりはしないかと、わたし、よけいな心配をすることもありますのよ。
弁信さん。
わたしがこちらへ来る前に、あなたは、わたしのことを言いました。
『お雪ちゃん、あなたは、もう年頃の娘さんだとばかり思っておりますのに、そういうことをおっしゃるのだから驚いてしまいます。信濃の国の白骨のお湯とやらが、良いお湯と聞いたばかりで、その間の道中がどのくらい難渋だか、そのことを、あなたは考えておいでになりません。また、その難渋の道中を連れ立って行く人たちが、善い人か、悪い人か、それも考えてはおいでになりません。私がここでうちあけて申し上げますと、あなたは、その白骨のお湯へおいでになった後か、その途中で、きっと殺されてしまいます。いきて帰ることはできません』
この言葉が、今でもどうかすると、わたしの胸を刺してなりません。何かの
わたしに笑われて、あなたは
わたしがこうして弁信さんらしい取越し苦労に、思出し笑いを止めることができないのは、わたしにとっては勿論のこと、あなたにも喜んでいただかねばなりません。
弁信さん。
わたしは無事で道中を済まし、無事でこの温泉へ着いて、今も無事に暮していますから御安心下さいませ。
ただし、無事といいますうちにも――道中では怖い思いもしました。またここへ来てからも、いろいろの人と逢い、珍しいものも見たり、聞いたり致しました。
弁信さん。
あなたの安心のために、わたしはこのごろの生活ぶりを、
「外へ出て見ますと、周囲の高い山から、雪が毎日、下界へ一尺ずつ下って参ります。やがてこの雪が、山も、谷も、家も、すっかり埋 めてしまうことでしょうが、まだ、谷々は、紅葉の秋といっていいところもありますから、お天気の良い日は、わたしは無名沼 のあたりまで、毎日のように散歩に出かけます。
温泉の温かさは、夏も、冬も、変りはありません。このごろ、わたしは一人でお湯に入るのが好きになりました。一人でお湯に入りながら、いろいろのことを考えるのが好きになりました。
大きな湯槽 が八つもありまして、それぞれ湯加減してありますから、どれでも自分の肌に合ったのへ入ることが自由です。真白な湯槽、透きとおるお湯の中に心ゆくまま浸 っていると、この山奥の、別な世界にいるとは思われません。
昨日も、そうして、恍惚 とお湯に浸 っていると、不意に戸があいて、浅吉さんが入って来ましたが、私のいるのを見つけて、きまり悪そうに引返そうとしますから、
『浅吉さん、御遠慮なく』
と言いますと、
『ええ、どうぞ』
と、取ってもつかぬようなことをいって、逃げるように出て行ってしまいました。
なんて、あの人は気の弱い人でしょう。このごろになって、一層いじいじした様子が目立ってお気の毒でなりません。
全く、あの人を見るとお気の毒になってしまいます。死神にでも憑 かれたというのは、ああいうのかも知れません。このごろでは、力をつけて上げても、慰めて上げても駄目です。人に逢うのを厭 がること、土の中の獣が、日の光を厭がるように恐れて、こそこそと逃げるように引込んでしまいます。
それにひきかえて、あのお内儀 さんの元気なことは――お湯に入っているところを見ますと、肉づきはお相撲さんのようで、色艶 は年増盛 りのようで、それで、もう五十の坂を越しているのですから驚きます。
『あの野郎、もう長いことはないよ』
というのは多分浅吉さんのことでしょう。お内儀 さんは、浅吉さんを連れて来て、さんざん玩具 にして、それがようやく痩せ衰えて行くのを喜んで眺めているようです。
浅吉さんていう人も、なんて意気地がないのでしょう。
全く意気地無し――といっては済みませんけれど、ほんとうに歯痒 いほど気の弱い人です。お内儀さんは、浅吉さんを、こんな山の中へ連れて来て嬲殺 しにしているのです。そうしてその苦しがって死ぬのを、面白がって眺めているのだとしか思われないことがあって、私は悚然 とします。それでも、付合ってみると、お内儀 さんという人も、べつだん悪い人だとは思われず――浅吉さんもかわいそうにはかわいそうだが、お内儀さんも憎いという気にはなれず、わたしは、知らず識らずそのどちらへも同情を持ってしまうのです。一方がかわいそうなら、一方を憎まねばならないはずなのに――それとも、二人とも、別に悪いというほどの人ではないのでしょうか。また、わたしの頭が、こんがらかって、善悪の差別がつかないのでしょうか。
わからないのは、そればかりじゃありません。浅吉さんは、あれほど、お内儀さんから虐待を受けながら、お内儀さんを思い切れないんですね。無茶苦茶に苛 められて、生命 を
り取られることが、かえってあの人には本望なのか知らと思われることもありますのです。ですから、わたしには、うっかり口は出せません。夫婦喧嘩の仲裁は後で恨まれると聞きましたが、あの人たちは夫婦ではありませんけれども、悪い時は死ぬの、生きるのと、よい時はばかによくなってしまうのですから、わたしは、障 らないでいるのが無事だと思っています。
ですけれども、そうしているのは、わたしが、あのお内儀さんに加勢して、浅吉さんを見殺しにしているかのように思われてならないこともあります。
弁信さん。
こんなことを、あなたに書いて上げるんじゃありませんけれど、あなたが、わたしのために言って下すったことが、わたしの身の上でなくて、あの浅吉さんという人の身の上にかかっているような気持がしてならないものですから、つい、こんなことを書く気になってしまいました。
前に申し上げる通り、わたしは道中も無事、ここへ来てもほんとに幸福の感じこそ致せ、殺すとか、死ぬとか、そんないやなことは、わたしの身の廻りには寄りつきそうもありませんのに、あの浅吉さんという人には、最初から、それがついて廻っているようです。かわいそうでなりませんけれど、いま申し上げたようなわけで、力になって上げる術 がありませんのよ。
今日も、朝からお天気がいいものですから、わたしは一人で、小梨平を通り、低い笹原を分けて無名沼 へ遊びに参りました。
その途中、硫黄ヶ岳の煙と、乗鞍ヶ岳の雪とが、わたしの足を留めました。
火を噴 く山から天に舞い上る大蛇 のような煙。高い山の雪の日に輝く銀の塔を磨いたような色。浅緑の深い色の空気。それから密林の間を下って無名沼のほとりに来て見ますと、いつも見る水の色が、今日はまたなんという鮮 かでしたろう。
どうして、こんなに無名の沼が、わたしを引きつけるのでしょう。わたしは天気さえよければ、毎日この沼を訪れないという日はありません。それは、やがて雪が谷を埋め尽す時分になっては、一寸 も戸の外へ出ることができないから、今のうちに外の空気を吸えるだけ吸い、歩けるだけの距離を歩いておくという自然の勢いが、わたしをこうして軽快に外へ出して遊ばせるのかも知れません。
それにしても、無名沼 は、わたしを引きつける力があり過ぎます。
わたしは踊るような足取りで、沼のほとりを廻って、離れ岩のところまで参りました。
前にも申し上げた通り、今日の沼の色の鮮かさは格別に見えました。
ごらんなさい、水底には一面に絹糸を靡 かしたような藻草 が生えているではありませんか。その細い柔らかな藻草の上に、星のような形をした真白な小さい花が咲いて、その花だけが、しおらしい色をして、水の上に浮び出しているではありませんか。
どこからともなく動いて来る水。多分、この、わたしが立っている離れ岩の下から、湧いて流れ出して来るのかも知れません。それが、じっと見ていなければわからないほどの動きで、その白い米粒のような藻の花を動かしているのです。見ていると、どうしても、その花が可愛い唇を動かして、わたしに話しかけているとしか思われないので、わたしも、つい、
『お前は何ていう花』
と訊 ねてみましたが、その時、わたしは、ほとんど人心地を失うほどに驚いてしまいました。その白い藻の花の中に絡 まって、人間の屍骸 が一つ、仰向けに沈んでいるのです。なんという怖ろしいこと。
『ああ、人が殺されて、この水の底に沈んでいる、誰か来て下さい』
と声を限りに叫ぼうとしましたが、その瞬間に気がついて見ますと、何のことでしょう、それは屍骸でも、人の面 でもありません、わたしというものの姿が、藻の花の間の水に映っていたのです。
あまりのことに拍子抜けがして、自分ながら呆 れ返ってしまいましたけれど、それでもわたしの頭に残った今の怖ろしさが、全く消えたのではありません。
それから、何ともいえないいやな気持になって、あれほど好きな無名沼 を逃げるように帰って来ました。
明日 からは、たとえ、どのような、よい天気でも、あの沼へ行くことをやめようと思いながら。
弁信さん――
わたしは、その無名沼から逃げ帰る途中、あの低い笹原のところまで来ますと、ばったりと浅吉さんに行き逢ってしまいました。
『浅吉さん、鐙小屋 ですか』
と、わたしが訊ねますと、浅吉さんは何とも返事をしないで、すうっと通り過ぎてしまいました。
多分、沼の近所にある鐙小屋の神主さんのところへ、あの人たちはよく出かけるそうですから、わたしが、そういって訊ねてみたのに、浅吉さんは一言の返事もせずに通り過ぎてしまったものですから、わたしも気になりました。気のせいか知ら、今日のあの人の顔の真蒼 なこと。いつも元気のない人ではありながら、今日はまた何という蒼 い色でしょう。まるで螢の光るように、顔が透き徹っていました。だもんですから、わたしは、あんまり気になって振返って見ますと、おや、もうあの人はいないのです。そこは笹原がかなり広く続いたところであるのに、いま通り過ぎたと思った浅吉さんの姿が、もう見えないものですから、わたしの身の毛がよだちました。
でも、急いで、あの林の中へ入ってしまったのだろうと、わたしも暫く立ちどまって、林の方を見ておりましたが、不安心は、いよいよ込み上げて来るばかりです。
あの人は、いつぞや林の中で縊 れて死のうとしたのを、わたしが見つけて、助けて上げたことがあるくらいですから、もしやと、わたしは、堪らないほどの不安に襲われましたけれども、その時は、どうしたものか、あとを追いかけて安否を突き留めようとするほどの勇気が、どうしても出ませんでした。
無名沼 の水の面影 といい、今の浅吉さんの蒼い色といい、すっかり、わたしを脅 して、たとえ一足でも後ろへ戻ろうとする力を与えませんのみならず、先へ先へと押し倒されるような力で、宿まで走って参りましたのです。
宿へ帰って見ると、ここはまたなんという静けさでしょう。渓谷の間を曲って来る日の光というものは、こうも明るく、澄み渡るものかと思われるばかり。障子も部屋の隅々も、わたしのこの手紙を書いている机の上の、紙も、筆も、透き徹るほど明るく澄み渡っています。
弁信さん――
今日の手紙はこのくらいにしておきましょう。けれども、これがあなたのお手元まで着くのはいつのことだか知れないわね。それでも、勘のいいあなたは、わたしがここで筆を運んでいることを、もう、頭の中へちゃんと感じておいでなさるかも知れないわ。
茂ちゃんを大事にして上げてください。あの子は、よく独 り歩きをして、山の中へでもなんでも平気で行ってしまうから、わたし、それが案じられます。遠く出て遊ばないように、よく弁信さんの吩咐 を聞いて、来年の春、わたしたちが帰るまで、おとなしくお留守居をしていて下さいって――よくいって聞かせてあげて下さい。
では、今日は、これで筆を止めて、わたしは、これから下へ参ります。下の大きな炉の傍で、これから学問が開かれるのです。池田先生が歌の講義をして下さるのに、また新しく俳諧師の先生がおいでになって、面白い話をして下さいます。それが済むとみんなして世間話、山の話、猟の話などで、炉辺はいつでも春のような賑 かさです。
弁信さん。
ではお大切 に。
あ、まだ申し残しました。お喜び下さい、あの先生の眼がだんだんよくなりますのよ。
厚い霞 が一枚一枚取れて、頭が軽くなるようだとこの間もおっしゃいました。
弁信さん、あなたはこの世界は暗いものと、最初からきめておいでになりますのに、あの先生は、暗いのがお好きか、明るくしたい御料簡 なのか、わたしにはさっぱりそれがわかりません」
温泉の温かさは、夏も、冬も、変りはありません。このごろ、わたしは一人でお湯に入るのが好きになりました。一人でお湯に入りながら、いろいろのことを考えるのが好きになりました。
大きな
昨日も、そうして、
『浅吉さん、御遠慮なく』
と言いますと、
『ええ、どうぞ』
と、取ってもつかぬようなことをいって、逃げるように出て行ってしまいました。
なんて、あの人は気の弱い人でしょう。このごろになって、一層いじいじした様子が目立ってお気の毒でなりません。
全く、あの人を見るとお気の毒になってしまいます。死神にでも
それにひきかえて、あのお
『あの野郎、もう長いことはないよ』
というのは多分浅吉さんのことでしょう。お
浅吉さんていう人も、なんて意気地がないのでしょう。
全く意気地無し――といっては済みませんけれど、ほんとうに
わからないのは、そればかりじゃありません。浅吉さんは、あれほど、お内儀さんから虐待を受けながら、お内儀さんを思い切れないんですね。無茶苦茶に

ですけれども、そうしているのは、わたしが、あのお内儀さんに加勢して、浅吉さんを見殺しにしているかのように思われてならないこともあります。
弁信さん。
こんなことを、あなたに書いて上げるんじゃありませんけれど、あなたが、わたしのために言って下すったことが、わたしの身の上でなくて、あの浅吉さんという人の身の上にかかっているような気持がしてならないものですから、つい、こんなことを書く気になってしまいました。
前に申し上げる通り、わたしは道中も無事、ここへ来てもほんとに幸福の感じこそ致せ、殺すとか、死ぬとか、そんないやなことは、わたしの身の廻りには寄りつきそうもありませんのに、あの浅吉さんという人には、最初から、それがついて廻っているようです。かわいそうでなりませんけれど、いま申し上げたようなわけで、力になって上げる
今日も、朝からお天気がいいものですから、わたしは一人で、小梨平を通り、低い笹原を分けて
その途中、硫黄ヶ岳の煙と、乗鞍ヶ岳の雪とが、わたしの足を留めました。
火を
どうして、こんなに無名の沼が、わたしを引きつけるのでしょう。わたしは天気さえよければ、毎日この沼を訪れないという日はありません。それは、やがて雪が谷を埋め尽す時分になっては、
それにしても、
わたしは踊るような足取りで、沼のほとりを廻って、離れ岩のところまで参りました。
前にも申し上げた通り、今日の沼の色の鮮かさは格別に見えました。
ごらんなさい、水底には一面に絹糸を
どこからともなく動いて来る水。多分、この、わたしが立っている離れ岩の下から、湧いて流れ出して来るのかも知れません。それが、じっと見ていなければわからないほどの動きで、その白い米粒のような藻の花を動かしているのです。見ていると、どうしても、その花が可愛い唇を動かして、わたしに話しかけているとしか思われないので、わたしも、つい、
『お前は何ていう花』
と
『ああ、人が殺されて、この水の底に沈んでいる、誰か来て下さい』
と声を限りに叫ぼうとしましたが、その瞬間に気がついて見ますと、何のことでしょう、それは屍骸でも、人の
あまりのことに拍子抜けがして、自分ながら
それから、何ともいえないいやな気持になって、あれほど好きな
弁信さん――
わたしは、その無名沼から逃げ帰る途中、あの低い笹原のところまで来ますと、ばったりと浅吉さんに行き逢ってしまいました。
『浅吉さん、
と、わたしが訊ねますと、浅吉さんは何とも返事をしないで、すうっと通り過ぎてしまいました。
多分、沼の近所にある鐙小屋の神主さんのところへ、あの人たちはよく出かけるそうですから、わたしが、そういって訊ねてみたのに、浅吉さんは一言の返事もせずに通り過ぎてしまったものですから、わたしも気になりました。気のせいか知ら、今日のあの人の顔の
でも、急いで、あの林の中へ入ってしまったのだろうと、わたしも暫く立ちどまって、林の方を見ておりましたが、不安心は、いよいよ込み上げて来るばかりです。
あの人は、いつぞや林の中で
宿へ帰って見ると、ここはまたなんという静けさでしょう。渓谷の間を曲って来る日の光というものは、こうも明るく、澄み渡るものかと思われるばかり。障子も部屋の隅々も、わたしのこの手紙を書いている机の上の、紙も、筆も、透き徹るほど明るく澄み渡っています。
弁信さん――
今日の手紙はこのくらいにしておきましょう。けれども、これがあなたのお手元まで着くのはいつのことだか知れないわね。それでも、勘のいいあなたは、わたしがここで筆を運んでいることを、もう、頭の中へちゃんと感じておいでなさるかも知れないわ。
茂ちゃんを大事にして上げてください。あの子は、よく
では、今日は、これで筆を止めて、わたしは、これから下へ参ります。下の大きな炉の傍で、これから学問が開かれるのです。池田先生が歌の講義をして下さるのに、また新しく俳諧師の先生がおいでになって、面白い話をして下さいます。それが済むとみんなして世間話、山の話、猟の話などで、炉辺はいつでも春のような
弁信さん。
ではお
あ、まだ申し残しました。お喜び下さい、あの先生の眼がだんだんよくなりますのよ。
厚い
弁信さん、あなたはこの世界は暗いものと、最初からきめておいでになりますのに、あの先生は、暗いのがお好きか、明るくしたい
十六
その翌々日、お雪はまたあわただしい思いで筆を
「弁信さん――
前の手紙をまだ、あなたのところに差上げる手段もつかないうちに、わたしはまた大急ぎで、継足 しをしなければならない必要に迫られました。
先日の手紙にありましたでしょう――わたしが、無名沼 から帰る時に、低い笹原の中で浅吉さんにゆきあったことを。そうして、わたしが言葉をかけたのにあの人は何の返事もなく、螢のような真蒼 な面 をしてゆきすぎてしまったことを。
あれから今日で三日目です。浅吉さんが帰りません――いいえ、帰りました。帰りましたけれど驚いてはいけません、あの人は、とうとう死んでしまいましたのよ。
それが、どうでしょう、ところもあろうに、あの無名沼の中で……捜して引き上げて来た人たちの話によると、まあ、わたし、どうしていいかわからなくなります。丁度、わたしが立っていた離れ岩の下の、絹糸のような藻の中に、浅吉さんの死体が、絡 まれて、水の中へ幽霊のように、浮いたり、沈んだりしていたということです。
ああ、それでは、わたしが人の死骸と思ったのは、あの人が沈んでいたのではないか、わたしの見たのは、自分の影が映ったと見たのが誤りで、最初、驚かされた幻 のような姿が、かえって本当ではなかったでしょうか。わたしは今、自分で自分の頭がわからなくなりました。もし、最初に見た水の中の幻が、ほんとうに浅吉さんの死骸だったとすれば、後の笹原で行きあったあの人は誰でしょう――わたし、これを書きながら怖くなってたまりません。
確かなのですよ、わたしがあの笹原でパッタリと蒼い面をした浅吉さんに行きあったことは。決して嘘ではありませんのよ。
『浅吉さん、鐙小屋 へですか』
ですから、わたしは、そういって言葉をかけたのですが、それに返事のなかったことも確かです。そうして振返って見た時分には、かなり広い笹原のどこにも、あの人の姿が見えなかったことも本当なのです。
わたし、なんだか、自分までが、この世の人でないような気持がしてなりません。
三日の間、水につかっていた浅吉さんの姿は、蝋 のように真白なそうです。
連れて来て宿の一間に眠るように休んでおいでなさるそうですけれども、わたしには、どうしても今見舞に行く勇気がありません。なんでも人の話には、水には落ちたけれども、あの人は一口も水をのんではいなかったそうです。で、岩の上で転んでどこかを強く打って、気絶してから水に落ちたんだろうなんて、皆さんが噂 をしています。けれども、わたしには、どうしても怪我とは思われません。覚悟の上の死に方です。あの人が死のうと覚悟をしたのは今に始まったことじゃありませんもの……それは、わたしだけが、よく知っています。ですから、あの人が怪我で水に落ちたとは、どうしても思われません。それにしても水を一滴も飲んでいなかったというのが変じゃありませんか。
弁信さん。こういいますと、あなたはきっと、それではなぜ、あの時に引留めなかったとおっしゃるでしょう。
わたしも今になっては、重々それを済まないことと思いますが、あの時の、わたしには、とてもそれをするだけの勇気がなかったことは、前に申し上げた通りなのです。なんにしても、浅吉さんはかわいそうなことをしました。
憎らしいのはあのお内儀 さんよ。
大勢して、浅吉さんの行方 を心配して、捜し廻っている間に、平気でわたしのところへ遊びに来たりなんぞして、いよいよ浅吉さんが水に落ちていたという知らせがあった時、わたしの面 を見て嘲笑 うような、安心したような、あの気味の悪い面つき。
その時こそ、わたしはあのお内儀さんを憎いと思わずにはいられませんでした」
前の手紙をまだ、あなたのところに差上げる手段もつかないうちに、わたしはまた大急ぎで、
先日の手紙にありましたでしょう――わたしが、
あれから今日で三日目です。浅吉さんが帰りません――いいえ、帰りました。帰りましたけれど驚いてはいけません、あの人は、とうとう死んでしまいましたのよ。
それが、どうでしょう、ところもあろうに、あの無名沼の中で……捜して引き上げて来た人たちの話によると、まあ、わたし、どうしていいかわからなくなります。丁度、わたしが立っていた離れ岩の下の、絹糸のような藻の中に、浅吉さんの死体が、
ああ、それでは、わたしが人の死骸と思ったのは、あの人が沈んでいたのではないか、わたしの見たのは、自分の影が映ったと見たのが誤りで、最初、驚かされた
確かなのですよ、わたしがあの笹原でパッタリと蒼い面をした浅吉さんに行きあったことは。決して嘘ではありませんのよ。
『浅吉さん、
ですから、わたしは、そういって言葉をかけたのですが、それに返事のなかったことも確かです。そうして振返って見た時分には、かなり広い笹原のどこにも、あの人の姿が見えなかったことも本当なのです。
わたし、なんだか、自分までが、この世の人でないような気持がしてなりません。
三日の間、水につかっていた浅吉さんの姿は、
連れて来て宿の一間に眠るように休んでおいでなさるそうですけれども、わたしには、どうしても今見舞に行く勇気がありません。なんでも人の話には、水には落ちたけれども、あの人は一口も水をのんではいなかったそうです。で、岩の上で転んでどこかを強く打って、気絶してから水に落ちたんだろうなんて、皆さんが
弁信さん。こういいますと、あなたはきっと、それではなぜ、あの時に引留めなかったとおっしゃるでしょう。
わたしも今になっては、重々それを済まないことと思いますが、あの時の、わたしには、とてもそれをするだけの勇気がなかったことは、前に申し上げた通りなのです。なんにしても、浅吉さんはかわいそうなことをしました。
憎らしいのはあのお
大勢して、浅吉さんの
その時こそ、わたしはあのお内儀さんを憎いと思わずにはいられませんでした」
それから二三日経って、お雪はまた弁信への手紙を書き続ける。
「弁信さん――
この二三日、わたしは夢のような恐怖のうちに、暮してしまいました。
それでも毎日、近所の山へ葬られた浅吉さんのお墓参りを欠かしたことはございません。
それだのに、あのお内儀 さんという人はどうでしょう。使い古しの草履 を捨てるのだって、あれより思いきりよくはなれますまい。
わたしが、あのお内儀さんを憎いと思ったのは、そればかりじゃありません。昨日 のことですね、二人でお湯に入っていると、わたしの身体 を、あの叔母さんがつくづくと見て、
『お雪さん、あなたのお乳が黒くなっているのね』
というじゃありませんか。
その時、わたしは、乳の下へ針を刺されたように感じました。
弁信さん。
あなただから、わたしはこんなことまで書いてしまうのよ。お乳が黒くなったというのは、娘にとっては堪忍 のならない針を含んでいるということを、あなたも御存じでしょうと思います。
わたし、ちっとも、そんな覚えがありません。あろうはずもないじゃありませんか。それだのに、こういう意地の悪いことをいう、叔母さんの舌には毒のあることをしみじみと感じました。何の身に暗いこともないわたしも、その時は真赤になって、返事ができませんでした。もうこの叔母さんという人とは、一緒にお湯にも入るまい、口も利 くまい、とさえ思い込んでしまいました。
ですけれども、叔母さんという人はいっこう平気で、わたしに話しかけるものですから、つい、わたしもそれに一言二言挨拶をしてる間に、つい話が進んでしまいます。憎いとも、口惜 しいとも思いながら、ついあの人の口前に乗せられて、先方が言えば言われる通り返事をするようになるのは、自分ながら歯痒いように思われてなりません。いったい、この叔母さんという人は、そう悪い人じゃないのか知らん、悪いとか、憎いとか思うのは、わたしの僻目 というものか知らとまで、自分を疑ってくるようにまでなるのは、ほんとうに自分ながら不思議でなりませんのよ。
弁信さん――
あなたほど、ほんとうによく人を信ずる方はございませんのね。あなたは、いかなる人をでも疑うということができないのね。わたしもできるならば、あなたのように無条件に、すべての人を信じて、疑うということをしたくありませんけれど、あの叔母さんばかりは、信じようとしても、信じきれないで困っています。いっそ、信ぜられないならば、どこまでも信ぜられないままに、思うさまあの叔母さんという人を憎んでやりたいとも思いますが、それもできないわたしは、やっぱり浅吉さんと同じような気の弱い人なのでしょう。わたし、ほんとうに人を憎むか、愛するか、どちらかにきめてしまいたいと、このごろ頻 りにそれを思わせられています。本当に憎むことのできない人は、本当に愛することもできませんのね。
弁信さん。
あなたは違います。あなたは本当に愛することを知っていらっしゃるから、また本当に憎むことを御存じです。ですから、あなたはこうと信じたことを、どなたの前に向っても、たとえその人の一時の感情を害しようとも、自分の将来の身の上に不利益が来 りましょうとも、少しの恐れ気もなく、善いことは善い、悪いものは悪い、と断言をなさることができるのであります。わたしにはそれができませんのよ。
どうかすると、この叔母さんが、あの浅吉さんを殺したのだ――眼前そう疑いながら、あの叔母さんの調子よい口前に乗せられると、本当の心から、あの叔母さんを憎めなくなってしまいますのよ。
今日も学問が済んでから、わたしは浅吉さんのお墓参りにまいります。
弁信さん。
人間には本当のところは、悪人というものは無いものでしょうか――そうでなければこの世に、善人というものは一人も無いのでしょうか。
今まで、人を疑うということを、あんまり知らなかったわたしは、あの叔母さんを見てから、わからなくなりました。
あの時、こんなことをいいましたよ、あの叔母さんは。よく世間で、女でも男でも、捨てられたとか捨てたとかいって、後で泣いたり騒いだりするが、あんなばかげた話はないよ。
もともと、それは関係の出来る時から知れた話じゃないか。誰がお前、いつまでも惚 れたり腫 れたりした時のような心持でいられるものですか。熱くなることもあれば、冷 めることもあってこそ、色恋じゃないか。
冷めたら、さっぱりと切れてしまうことさ。みっともないじゃないか、あとを追い廻して、死ぬの生きるの、手切れをよこせの、やらないのと騒ぐなんぞは。お前さん、色恋をするなら真剣に、まかり間違ったら殺されても恨みのない心持でかからなけりゃ嘘ですよ。
殺したっていいさ。殺されたって恨みっこなし。男なんぞは幾人でも手玉に取っておやりなさいよ。お雪さん、捨てられたの何のって泣 っ面 をしながら、敵 を討って下さいなんて、飛んでもないところへ泣きつくなんぞは、女の面汚 し。自分から触れば落ちそうなよわみを見せて男を誘いながら、後になって、やれ貞操を蹂躙 されましたの、弄 ばれましたのと、人の同情に縋 ろうとする女は、女の風上 にもおけない――
ずいぶん、乱暴ないい分じゃありませんか。ところが、その乱暴ないい分が、あの叔母さんの平気な口から出ると、耳障 りに聞えないのが不思議のように思われてなりません。
弁信さん。
こうして、わたしが、調子のいい口前に乗せられて、乱暴極まるいい分を、次第次第に本当の事のように信じてしまったらどうでしょう。それを考えると、怖ろしいことではありませんか。わたしがこの叔母さんと同じ心持になって、同じ行いが平気でやってゆかれるようになったら、大変ではありませんか。
お友達の感化というものは怖ろしいものだと、かねて聞かされていました。お友達によって人間は、青くもなれば、赤くもなるのだから、お友達は選ばなければならないということは、子供のうちから充分に教えられていましたが、今のわたしには、選ぶにも、選ばないにも、あの叔母さんのほかに無いじゃありませんか。
弁信さん。
これで今日も学問の時間になりました。炉辺へ行かねばなりません……
ちょっとお待ち下さい。ここで筆を休ませようとしていると、下でなんだか騒々しい人の声が起りましたよ。
おや! あの声は、嘉七さんの声ではないか。
『今、離れ岩んとこで、こねえな女頭巾 を拾って来たよ、見ておくんなさい、こりゃあ、あの高山の穀屋 のお内儀 さんの頭巾じゃあんめえか。縮緬 だよ、安くねえ頭巾だよ……あんなところへ落しておいちゃあ、風で水の中へ吹ッ飛んでしまわあな。穀屋のお内儀さんはおいでなさらねえか、頭巾を拾って参りましたよ』
嘉七さんという人が離れ岩の傍で、女頭巾を拾って来たという。
頭巾はかまいませんが、わたしは、あの離れ岩がいやです。なんだって、お内儀 さんは、あんなところへ行ったのでしょう。
『高山のお内儀さんは今朝出たまんま、まだ帰らねえよ』
これは、留さんという男の返事。
あのお内儀さんが今朝出たまま帰らない。そうして離れ岩の女頭巾。
弁信さん。
わたしの胸がまた早鐘のように鳴ります。行って確めて来ます。あの叔母さんまでが離れ岩の下の水藻に沈んでしまったのではないか。何だかそう思われてならない」
この二三日、わたしは夢のような恐怖のうちに、暮してしまいました。
それでも毎日、近所の山へ葬られた浅吉さんのお墓参りを欠かしたことはございません。
それだのに、あのお
わたしが、あのお内儀さんを憎いと思ったのは、そればかりじゃありません。
『お雪さん、あなたのお乳が黒くなっているのね』
というじゃありませんか。
その時、わたしは、乳の下へ針を刺されたように感じました。
弁信さん。
あなただから、わたしはこんなことまで書いてしまうのよ。お乳が黒くなったというのは、娘にとっては
わたし、ちっとも、そんな覚えがありません。あろうはずもないじゃありませんか。それだのに、こういう意地の悪いことをいう、叔母さんの舌には毒のあることをしみじみと感じました。何の身に暗いこともないわたしも、その時は真赤になって、返事ができませんでした。もうこの叔母さんという人とは、一緒にお湯にも入るまい、口も
ですけれども、叔母さんという人はいっこう平気で、わたしに話しかけるものですから、つい、わたしもそれに一言二言挨拶をしてる間に、つい話が進んでしまいます。憎いとも、
弁信さん――
あなたほど、ほんとうによく人を信ずる方はございませんのね。あなたは、いかなる人をでも疑うということができないのね。わたしもできるならば、あなたのように無条件に、すべての人を信じて、疑うということをしたくありませんけれど、あの叔母さんばかりは、信じようとしても、信じきれないで困っています。いっそ、信ぜられないならば、どこまでも信ぜられないままに、思うさまあの叔母さんという人を憎んでやりたいとも思いますが、それもできないわたしは、やっぱり浅吉さんと同じような気の弱い人なのでしょう。わたし、ほんとうに人を憎むか、愛するか、どちらかにきめてしまいたいと、このごろ
弁信さん。
あなたは違います。あなたは本当に愛することを知っていらっしゃるから、また本当に憎むことを御存じです。ですから、あなたはこうと信じたことを、どなたの前に向っても、たとえその人の一時の感情を害しようとも、自分の将来の身の上に不利益が
どうかすると、この叔母さんが、あの浅吉さんを殺したのだ――眼前そう疑いながら、あの叔母さんの調子よい口前に乗せられると、本当の心から、あの叔母さんを憎めなくなってしまいますのよ。
今日も学問が済んでから、わたしは浅吉さんのお墓参りにまいります。
弁信さん。
人間には本当のところは、悪人というものは無いものでしょうか――そうでなければこの世に、善人というものは一人も無いのでしょうか。
今まで、人を疑うということを、あんまり知らなかったわたしは、あの叔母さんを見てから、わからなくなりました。
あの時、こんなことをいいましたよ、あの叔母さんは。よく世間で、女でも男でも、捨てられたとか捨てたとかいって、後で泣いたり騒いだりするが、あんなばかげた話はないよ。
もともと、それは関係の出来る時から知れた話じゃないか。誰がお前、いつまでも
冷めたら、さっぱりと切れてしまうことさ。みっともないじゃないか、あとを追い廻して、死ぬの生きるの、手切れをよこせの、やらないのと騒ぐなんぞは。お前さん、色恋をするなら真剣に、まかり間違ったら殺されても恨みのない心持でかからなけりゃ嘘ですよ。
殺したっていいさ。殺されたって恨みっこなし。男なんぞは幾人でも手玉に取っておやりなさいよ。お雪さん、捨てられたの何のって
ずいぶん、乱暴ないい分じゃありませんか。ところが、その乱暴ないい分が、あの叔母さんの平気な口から出ると、
弁信さん。
こうして、わたしが、調子のいい口前に乗せられて、乱暴極まるいい分を、次第次第に本当の事のように信じてしまったらどうでしょう。それを考えると、怖ろしいことではありませんか。わたしがこの叔母さんと同じ心持になって、同じ行いが平気でやってゆかれるようになったら、大変ではありませんか。
お友達の感化というものは怖ろしいものだと、かねて聞かされていました。お友達によって人間は、青くもなれば、赤くもなるのだから、お友達は選ばなければならないということは、子供のうちから充分に教えられていましたが、今のわたしには、選ぶにも、選ばないにも、あの叔母さんのほかに無いじゃありませんか。
弁信さん。
これで今日も学問の時間になりました。炉辺へ行かねばなりません……
ちょっとお待ち下さい。ここで筆を休ませようとしていると、下でなんだか騒々しい人の声が起りましたよ。
おや! あの声は、嘉七さんの声ではないか。
『今、離れ岩んとこで、こねえな
嘉七さんという人が離れ岩の傍で、女頭巾を拾って来たという。
頭巾はかまいませんが、わたしは、あの離れ岩がいやです。なんだって、お
『高山のお内儀さんは今朝出たまんま、まだ帰らねえよ』
これは、留さんという男の返事。
あのお内儀さんが今朝出たまま帰らない。そうして離れ岩の女頭巾。
弁信さん。
わたしの胸がまた早鐘のように鳴ります。行って確めて来ます。あの叔母さんまでが離れ岩の下の水藻に沈んでしまったのではないか。何だかそう思われてならない」
その翌日のお雪の手紙。
「弁信さん――
わたしの胸にハッと来たのは無理ではありませんでした。その晩になるまで、あの叔母さんが、とうとう宿へ戻って参りませんでした。その翌朝も。
そこで、また大騒ぎをして探しに出かけたのですが、その心当りの第一は、どこというまでもありますまい、あの離れ岩です。現にそこには、あの叔母さんの物だろうという女頭巾が落ちていたのみならず、この間の、あの藻の花が、物をいわずにはいません。
因縁事 のように怖ろしいではありませんか。あの叔母さんが、やはり浅吉さんと同じところの水の中に落ちて、絹糸のような水藻に絡 まれて死んでいたのです。それも死に方が同じように、一滴の水も飲まずに、死んでいたということです。
わたしは、何か眼に見えない縄が、わたしたちの周囲に犇々 と取巻いて、その縄に触れようものなら、誰でも容赦のない力のあることを感じて、身も世もあらぬ思いをせずにはおられません。
この続けざまな不祥の出来事に、宿にいる人たちの評判は区々 です。
浅吉さんと、あの叔母さんとの間を、最初から知っているものは、浅吉さんの死を悲しんで、あの叔母さんがその後を追ったのだということを、言っています。つまり、あれは別々の心中だといってしまう人もあって、後から来た人たちは大抵その意見に従って、あれを離れ離れの心中だと見てしまう者が多いのですが、わたしには決してそうは思われません。あの叔母さんという人が、浅吉さんの後を追って死なねばならぬほど、人情のある人であったかどうか、この手紙をごらんになればおわかりになるはずです。
といって、二人まで続いて同じところで怪我をして、水に溺れて死ぬというようなこともありようはずはありますまい。
どう思い詰めたって、あの叔母さんが、自分で死ぬ気になんぞなるもんですか。
そんならば――わたしは、あれこそ浅吉さんの魂が、あの叔母さんを、同じところへ引き込んで殺したものだとしか思われません。そうでなければ、ほかに解釈のしようがないじゃありませんか――
それからまた、ある人は、その前の日、あの叔母さんが、吉田先生と一緒に、沼の辺 を歩いていたのを見たというものがありますが――吉田先生とは机竜之助様のこと――それはなんでもありません。何かであったところで、その日は、叔母さんはちゃんと宿へ帰っていますし、姿の見えなくなったのはその翌日からのことで、その翌日から今日まで、先生はちゃんと三階の柳の間に休んでおられます。尤 も時折、先生は眼を冷しに外へおいでにはなりますが、いつか知れないように戻っては休んでしまわれたり、また静かに坐って考えておいでになるばかりですから、誰も先生を疑う意味で、そんな噂を始めたのではありません。ただ、その先の日に、あの先生と叔母さんとが、沼の辺 を一緒に歩いていたのを見たということだけが、ちょっと人の口の端に上っただけなのです。あの先生はまだ、こんな出来事を御存じはありますまい。わたしもなるべくお知らせをしたくないと思っています。鐙小屋 の神主さんは、また室堂 へ上って行 をしておいでなさるのだから、誰もそのほかに、あの沼の傍へ立入る者は無いはずです。嘉七さんは白樺 の皮を取りにあの辺へ通りかかって、そうして頭巾を見つけ出して来たまでです。ああ、また今夜はみんなしてお通夜 をしなければなりません。
弁信さん。
わたしは浅吉さんの死顔を見なかったように、あの叔母さんの死顔も見ないでしまおうと思います。私にはそれを見るの勇気がありませんもの。皆さんもまた、出世前の者はそういうものを見ない方がよいと申します……」
わたしの胸にハッと来たのは無理ではありませんでした。その晩になるまで、あの叔母さんが、とうとう宿へ戻って参りませんでした。その翌朝も。
そこで、また大騒ぎをして探しに出かけたのですが、その心当りの第一は、どこというまでもありますまい、あの離れ岩です。現にそこには、あの叔母さんの物だろうという女頭巾が落ちていたのみならず、この間の、あの藻の花が、物をいわずにはいません。
わたしは、何か眼に見えない縄が、わたしたちの周囲に
この続けざまな不祥の出来事に、宿にいる人たちの評判は
浅吉さんと、あの叔母さんとの間を、最初から知っているものは、浅吉さんの死を悲しんで、あの叔母さんがその後を追ったのだということを、言っています。つまり、あれは別々の心中だといってしまう人もあって、後から来た人たちは大抵その意見に従って、あれを離れ離れの心中だと見てしまう者が多いのですが、わたしには決してそうは思われません。あの叔母さんという人が、浅吉さんの後を追って死なねばならぬほど、人情のある人であったかどうか、この手紙をごらんになればおわかりになるはずです。
といって、二人まで続いて同じところで怪我をして、水に溺れて死ぬというようなこともありようはずはありますまい。
どう思い詰めたって、あの叔母さんが、自分で死ぬ気になんぞなるもんですか。
そんならば――わたしは、あれこそ浅吉さんの魂が、あの叔母さんを、同じところへ引き込んで殺したものだとしか思われません。そうでなければ、ほかに解釈のしようがないじゃありませんか――
それからまた、ある人は、その前の日、あの叔母さんが、吉田先生と一緒に、沼の
弁信さん。
わたしは浅吉さんの死顔を見なかったように、あの叔母さんの死顔も見ないでしまおうと思います。私にはそれを見るの勇気がありませんもの。皆さんもまた、出世前の者はそういうものを見ない方がよいと申します……」
十七
追分から、木曾街道の本道を取らずに、北国街道を行く道庵と米友。
どうしたものか、米友の足が思うように
軽井沢から
そこで善光寺道を
「友様、どうした」
「うーん」
と米友が杖槍から荷物まで、そっくりそこへ
米友のグロテスクな面に、浅間の雲と同じような
道庵はそこで杖を立てて、信濃の山川を顧みていると、
「先生」
暫くあって、米友が重苦しく道庵を呼ぶ。
「何だい」
「人が死んでも、ほんとうに魂というものが残るのか」
「そりゃ、そうだとも」
「で、その魂はどこへ行ってるんだ」
「うむ、そりゃあ……」
道庵はグッと
「そりゃあお前、地獄へも行けば、極楽へも行かあな」
「地獄と極楽のほかに、この世へ戻って来ることはねえのか」
「そりゃ、この世へ戻って来ることもある、
道庵は
「その魂がこの世へ戻って来ると、どこにいる」
「うむ、そりゃあ……そりゃこの
「うん、それで、その魂は、どんな色をしている」
「色――魂の色かい」
「この世にあるものなら、色があるだろう」
「うむ――色もあるにはある、
と、道庵が
「それで、どんな形をしているんだね、先生、その魂は……」
米友はすかさず突っかける。
「なに、その魂の形かい……およそ形のあるものは
とかなんとかいってみましたけれど、さすがの道庵シドロモドロで、その足もとの危ないこと、酒のせいばかりではありますまい。
事実、この一本槍は、米友が手練の杖槍よりもその穂先が深い――また、この負担は、米友の肩にかけた
さきには、出任せに、一種の霊魂不滅を説いて米友に聞かせたが、それこそ本当の道庵流の出任せで、かりに一時の気休めに過ぎない。道庵自身が果して、霊魂の不滅を信じているかどうかは
道庵は苦しまぎれに、
幸か不幸か、道庵先生がソクラテスほどの哲人でなかった代りに、相手がギリシャの
「先生、おいらは、もう一ぺん軽井沢へ
米友が
米友のは、難問を吹きかけて道庵を苦しめるが目的ではなく、軽井沢のお玉のことが気になってならない。
ここまで足の運びの重いのも、その一種異様なるきぬぎぬの思いに堪うることができないで、それが魂の問題となって穂に現われたというだけのもの。
この男は、もう一度、軽井沢へ帰って、しみじみとお玉という女と話がしてみたいのだ。お玉の
魂というものがあって、人に乗りうつるものならば、たしかにお君の魂は、あの女に乗りうつっている。名さえ前名のお玉とあるではないか。
米友は、この二里八町の道を、絶えずそのことばかり思うて、後ろ髪を引かれ引かれてこれまで来ました。途中、幾度も、この杖も、荷物も投げ出して、軽井沢へ駈け戻ろうかと思いつめては、思い返し、思い返し、ここまで来たのだが、ついに堪えられなくなって、ここで投げ出したものらしい。
それを、また道庵は、いつもの短気にも似合わず、長いことかかって、懇々と説諭して、再び米友をして荷を取って肩にかけ、槍をついて出で立たしむる。
追分から小諸までは三里半。
まだ少々早いが、小諸の城下で泊るつもりで町へ入り込むと、早くも二人の姿を見つけた
「あれだぜ、あれが
という評判で、小諸の町へ姿を見せるが早いか、
一昨日の出来事、米友の武勇が、僅か六里を隔てた街道筋の要所に宣伝されているのは、早過ぎる時間ではない。裸松そのものがあぶれ者で
その評判がなくてさえ、ひょろ高い道庵と、ちんちくりんの米友が、相伴うて歩く形はかなり道中の人目を引くのだから、まして、その人気が加わってみると、誰でもただは置こうはずがない。その勇者
本来、正直な米友は、小さくなって道庵のあとにくっついて行くが、道庵は大気取りで、突袖に
あの小さいのが、素敵な
この得意が道庵先生をして、一つの
その事、その事と、道庵が額を
道庵に左様な謀叛が
しかしながら、その翌日は相変らずの道庵は道庵、米友は米友。
二人ともに別段、武芸者としての改まった
道庵は「
小諸から田中へ二里半。田中より
丹波島から善光寺までは、もう一里十二町というホンの一息のところまで来て、
この河原へ来た時に月があがったので道庵先生が、すっかりいい心持になって、渡しを渡らずに河原へ出てしまい、明日はいやでも善光寺。今晩はここで、思う存分月見をしようといい出しました。
信州名代の川中島。月はよし、風はなし、前途の心配はなし。米友を促して、渡し場から
米友も、信玄と謙信とには、相当の予備知識を持っている。ことに道庵が甲陽軍鑑を
夜もすがら川中島の月を見て、明日は善光寺という約束だから、米友もぜひなく、旅の
犀川の岸を、そぞろ心に米友が歩むと、行手に
四郡を包む川中島。百里を流るる信濃川の
月を砕いて流るる川の
興に
それに驚いて、楊柳の蔭から
犬だろう、と米友が思いました。
一匹が走ると、続いて思いもかけぬところからまた一匹、また一匹。
その物が
と米友は
狼だ――犬の形をして犬でない。犬の
この辺には狼がいる。
ああ、上杉謙信ではないが、自分はあまり深入りをした。道庵先生の身の上が気にかかる。
道庵の身の上こころもとなしと戻って見れば、道庵は狼にも食われず、無事に
酔うて沙上に
そこで米友はそのところを去って、再び川中島の川原を
時は深夜、月は冲天にある。興に乗じて米友は、手にせる杖槍を取って高く空中に投げ上げ、それを腕で受留める。
「抑々 当流ノ元祖戸田清玄ハ宿願コレ有ルニヨツテ、加賀国白山権現ニ一七日ノ間、毎夜参籠 致ス所、何処 トモナク一人ノ老人来リ御伝授有ルハ夫 レコノ流ナリ」
米友は高らかに戸田流の目録を、そら読みに読み上げました。米友のは、戸田流と限ったわけではない。
それで、この男は、別段に師匠の手から切紙、目録、免許といったような
「先ヅ槍ヲ以テ敵ニ向ヒ、切折ラレテ後、棒トナル、又棒切折ラレテ半棒トナル……」
そこで彼は独流の型を使いはじめました。槍から棒に変化し、棒がまた半棒に変ずるまでの型を、鮮かにやってのけました。自由と、乱雑とは、意味を異にする。修練を経て天分が整理されると、初めて自由の妙境が現われる。自由が発して節に当ると、それが型となって現われる。
小人は、乱暴と、反抗とを以て、自由なりと誤想する。
自由は型であり、礼儀であることを知らない。型は人を縛るものに
型と、礼儀を、重んぜざる者に、
だがしかし、型と、礼儀に捉われた人間ほど、憐れむべきものはない。それは人間に非ずして、器械である。
単に器械だけならばいいが、その器械が、圧搾器械でもあった日には、人間の進歩を害することこれより大なるはない。
ある者は型から入って自由の妙境に遊び、ある者は野性を縦横に発揮して、初めて型の神妙を
無論、宇治山田の米友のは、その後者に属するものであります。
今や、米友は
こんなことは滅多にないのです。かつて、甲府城下の闇の破牢の晩に、この盛んなる型を見せたことがありましたが、あの時は
その型の美しさ――すべての芸道において、型の神妙に入ったものは、
惜しいことにこの美しさを見るものが、月と、水とのほかにはありません。
米友が陶然として型に遊んでいる時、その型を破るものは道庵先生の声であります。
「こいつは
道庵が突如として、うろたえ声で騒ぎ出しましたから、米友が、一議に及ばず
見れば莚の上に眼を
聞いてみると、今まで自分がいい心持で眠っているところへ、不意に何物か現われて、鼻っぱしをガリガリと
鼻っぱしをガリガリと噛られては堪らない。しかし、よく見れば道庵の鼻は完全に付いているし、
「
といって道庵は、しきりにおびえながら、その荷物を
ははあ、それでは、さいぜんのあの犬に似て犬でないのがやって来て、道庵の寝込みを襲ったのか。
出立の用意といったところで今は真夜中過ぎ、一里の道を善光寺に着いたところで、まだ戸をあけている家はあるまい。第一、つい眼のさきの
さて渡し舟はつなぎ捨てられてあるが、眠っている船頭を起すも気の毒。
道庵が心得顔に小声で米友をそそのかし、そっとその舟を引き出して乗る。
犀川の渡し、ここを俗に丹波川という。水勢甚だ急にして、出水のたびに渡し場が変る。水の瀬が早くて
背の低い米友、やっとそのたぐり縄に
飛び上った道庵は、月の光で
ほどなく
後町から
「江戸へ五十七里四町
日光へ六十里半
越後新潟へ四十八里二十七町」
と大きな日光へ六十里半
越後新潟へ四十八里二十七町」
本来、
十八
それでも、どうかこうか、二人は善光寺本堂の外陣のお通夜の間に入り込んで、
ほどなく朝参りの団体も押しかけて来る。善光寺の内外は人で満たされる。
道庵は、お通夜と朝参りの群衆の中へ坐り込んで、人の
これによって見ると、道庵は善光寺へ参拝に来たのだか、居眠りに来たのだかわからない。米友はまた群衆の中に坐り込んでは、しきりに
なんてまあ、人の混むお寺だろう。今日は特別に御縁日ででもあるのか知ら。いったい善光寺様、善光寺様と
そこで米友が、隣席の有難そうなお婆さんに訊ねてみると、お婆さんのいうことには――
この善光寺様には、日本最初の
人生れてこの寺に
そこで、このお寺は一宗一派のものではなく、このお寺の御本尊様は、日本の仏像の総元締、神様でいえば伊勢の大神宮様と同じこと。
大神宮様所在の御地を神都と呼ぶからには、ここは仏様の仏都ともいうべきところだと説明する。
米友は、ははあ、そういったものかと思う。自分はその伊勢の大神宮様のお膝元で生れたのだが、してみればここに参詣するのも、神仏おのおの異った因縁があるのかも知れないと思う。
しかし、伊勢の大神宮様の内苑は、
暁の光、いまだに堂内に入らざるに、香の煙は中に充ちわたり、
「お階段めぐり」
という声で、その周囲の連中がゾロゾロと立ち上る。立ち上っていいのか、悪いのか、わからないのは米友。相変らず熟睡の居眠りから醒めない道庵。
「先生!」
米友はそこで、道庵を呼び起しました。
道庵を促してお階段めぐりも終り、やがて廊下へ出て
米友、ひょいと振仰いで見ると、ただいま自分の頭を撫でて通ったのは、気品の高い一人の若い尼さんで、その周囲には数人の従者、相当年配の尼さんがついている。
人を撫でた
若い尼さんは、その
米友は、けげんな顔をしてそれを見送っているのに、善男善女は、仰ぎ見ることさえしないで、その尼さんに通りながら撫でられる時、一心に念仏の声を揚げるものもある。この尼さんの一行の過ぐるところ、荒野の中を鎌が行くように、人がはたはたと折れて跪く。跪いて、その珠数を頭に受けることを無上の光栄とし、その法衣の袖に触るることさえが、
何のことだか米友にはよくわからない。ただその通り過ぐるあとで、
「尼宮様」
「尼宮様」
という
そこで、道庵と、米友とは、善光寺本堂を立ち出でる。
通例の客は、まず宿を取ってから後に本堂に参詣するのが順序なのに、道庵と米友は、
朝まだき、それでも外へ出て見ると、善光寺平野が一時に開けて、天地が明るく、朝風が身にしみて、急に風物が展開したように思われる。
明るいところへ出ると、暗いところが疑問になる。あのお階段めぐりなるもの、何の必要があってかわざわざ暗いところへ下りて、人と人とが探り合いながら暗いところを歩くのだ。
道庵が米友の不審に答えて、あれは有名な善光寺のお階段めぐりといって、ああして暗いところを歩いているうちに、心の正しからぬものは犬になるという言い伝えがあるのだが、われわれもまんざら心が曲ってばかりはいないと見えて、犬にもならずに出て来たという。
しかし、お前は途中、あの鍵へはさわることを忘れたろう、おれもつい失念してしまったが、探り探り廻る間に一つの鍵がある、あの鍵にさわることができたものは、極楽世界に往生すると言われている。鍵には、道庵も、米友も、さわることを忘れたから、こいつは極楽往生は
それにつけても、おいとしいのはあの尼宮様。やんごとなき御出身でありながら、八歳のお年より髪を卸して
思い返せば、あの尼宮様の
道庵と、米友が、善光寺の仁王門を出でて札場のところまで来ると、そこで
背の高い道庵は、人の後ろからこれを眺めるに骨は折れないが、背の短い米友には、何が始まっているのだかわからない。
道庵、その祭文語りを聞くとまたいい心持になってしまいました。
祭文語りは
道庵が感心した顔をしてしきりに耳を傾けているものだから、米友も聞きたくなり、人の間をうろうろしてみたが、押しあけて中へ進むわけにもゆきません。
それを一段聞くと道庵がしきりに昂奮して、軽井沢で
祭文語りの悲壮な語りぶりが、はしなくも、道庵の武士道心を刺戟したものかも知れません。
さあこの善光寺を振出しに、明日からは、いよいよ武者修行の姿となって、木曾街道を
この祭文語りが、もう少し近代風に、曾我をやるとか、義士伝を講ずるとかいうならば、道庵の昂奮もその
実をいうと、道庵の武者修行熱は必ずしも軽井沢に始まったというわけではなく、そのずっと以前から
それが軽井沢の出来事によって誘発せられ、小諸、上田を通って行くうちに、ここで始めようかここで……と幾度も思い込んではみたが、衣裳やらなにかの都合でそうもゆかず、とうとう善光寺までそのままで来てしまったが、ここへ来て祭文を聞いたので、またも激しくそれが誘発され、もう矢も楯も堪らず、明日からは是が非でも武者修行だと、非常な昂奮を始め、地響きを立てて善光寺の門前を驚かしたものです。
そんなら、道庵先生自身は、それほど腕に覚えがあるのか――こういう先生のことだから、どこにどういう隠し芸を持っていないとも限らないが、軽井沢の宿でたいてい手並はわかっているではないか。しかし、昔をいえば道庵も、江戸市中の持余し者であった茶袋の歩兵を見事に取って押えて、群集をアッといわしたことがある。あれは天神真揚流の
「先生は、まあ、昔でいえば
なんぞと持ち上げようものなら、先生納まり返って、
「それほどでもねえのさ」
と
その先生が、今や進んで武者修行を試みようというのは、要するに米友というくっきょう無類の用心棒があればこそだろうが――単にそれだけではない、先生には先生としての奇警にして、正当なる自信を別に持っているもののようです。
だが、道庵先生がドンキホーテを読んで、その興味に
他の道楽は大抵、間違っても多少の恥を
宿へ納まってから、改めて米友を呼んで、申し渡すことには、
「あの
道庵先生としては詰らないことをいったものです。道場荒しの意気組みはまあいいとしても、宿賃が浮くなんぞは甚だ
この自信が、匙一本で、幾千の人を、生かしたり、殺したりする自信だからたまらない。
米友も実は心配している。道庵先生、しきりに強がりをこそ言うが、武術なんぞの素養は薬にしたくも持合わせていないことは、米友がよく知っている。万一、若い時、多少やったにしたところが、この年で、今まで休んでいれば、とうてい他流試合なぞに堪えられるものではあるまい。
どういうつもりだか
そこで、武者修行を主張する道庵にも相当の自信があるので、吾々がそう危ながるほどの危険はないのかも知れない。また万一の危険の際には、及ばずながら自分が飛び出そうとの決心もあるから、賛成はしないが、
米友を
総髪を左右に押分けた
悪い
道庵が、どうしてこうも武者修行をやってみたいのだか――その最初の動機は、いま米友が心配しているところの如く、祭文語りから来たのも因縁でありますが、これには
十九
天保の初め頃、神戸に一人の祭文語りがあった。この男、身の丈五尺九寸、体量二十七貫、見かけは堂々たるものだが、正味は祭文語り以上の何者でもなく、祭文語り以下の何者でもない。芸名を称して山本南竜軒と呼び、毎日デロレンで暮している。
男子生れて二十七貫あって、デロレンでは始まらない、と先生、ある日のことに、商売物の
ところへ友達が一人遊びにやって来て、大将何を考え込んでいるのだと言う。
身の丈が六尺、図体が二十七貫もあって、デロレンでは情けないと、今もこうして、法螺の貝を前に置いて、涙をこぼしているところだ。そうかといって立身するほどの頭はなし、商売替えをするほどの腕もなし……何かいい仕事はないかい。
あるある、そのことなら大ありだ。実はおれもつくづく日頃からそれを考えていたのだ。全くお前ほどのものを祭文語りにして置くのは惜しい、お前、やるつもりなら打ってつけの仕事がある――と友達がいう。
何だい、おれにやれる仕事は?――なお念のためにいっておくが、図体は大きくても、法螺の貝を持つだけの力しかないのだぜ、
そんなのではない、別段骨を折らず、大威張りで、日本六十余州をめぐって歩ける法がある。他人ではできないが、お前なら確かに勤まる。
はて、そんな商売があるものか知ら。骨が折れずに、大威張りで、日本六十余州をめぐって歩ける法があるならば、早速伝授してもらいたい。
ほかではない、それは武者修行をして歩くのだ、と友達がいう。
南竜軒先生、それを聞いて
たしかに、お前は武者修行をすれば大威張りで、日本六十余州をめぐって歩ける。剣客におなりなさい。剣術の修行者だといって、到るところの道場をめぐってお歩きなさい。到るところの道場では、お前を丁寧にもてなして泊めてくれた上に、
なるほど、それはいい仕事に相違ないが、おれには剣術が出来ない、
そこだ、
まず第一、お前の体格なら、誰が見ても
南竜軒、首を振って、詰らない、最初に脅しておいて、あとで足腰の立たないほどブン
友達の
とはいえ、武芸者として推参する以上は、立合わぬわけにはいくまい、立合えばブン擲られるにきまっている。
けれでも、そこを擲られないで、かえって尊敬を受ける秘伝があるのだが――
それは聞きたいものだね、そういう秘伝があるならば、それこそ一夜にして名人となったも同然。
南竜軒もばかばかしいながら、多少乗り気になったが、友達の先生はいよいよ真顔で――
しかし、一つは
頼む――多分、牛若丸が鞍馬山で天狗から授かったのが、そんな流儀だろう。それが実行できさえすれば、明日といわず武者修行をやってみたいものだ。
よろしい、まずお前がその二十七貫を武芸者らしい身なりに
取次が出て来たところで、武者修行を名乗って、どうか
道場の規則として、大先生の出る前に、必ずお弟子の誰かれと立合を要求するにきまっている。その時、お前はそれを
先方は多少、迷惑の色を現わすだろうが、立合わないとはいうまい。立合わないといえば
南竜軒、ここまで聞いて青くなり、堪らないね、お弟子のホヤホヤにだって歯は立たないのに、大先生に出られては、堪らない。
そこに秘伝がある――大先生であれ、小先生であれ、本来剣術を知らないお前が、誰に遠慮をする必要があるまいもの、いつも祭文でする手つきで、こう
それから先だ、そこまでは人形でも勤まるが、それから先が堪るまいではないか、と南竜軒が苦笑する。
友達殿はあくまで真面目くさって、それからが
南竜軒の
友達殿曰く、そうさ、打たれたのが最後だ、どこでもいいから打たれたと思ったら、お前は竹刀を前に置いて、
なるほど――
そうすれば、先方の大先生、いや勝負は時の運、とかなんとかいって、こちらを
「なるほど」
南竜軒は首をひねって、暫くその大名案を考え込んでいたが、ハタと膝を打って――
面白い、これはひとつやってみよう、できそうだ。できないはずはない理窟だ。
そこでこの男はデロレンをやめて、速成の武者修行となる。形の如く堂々たる武者修行のいでたち成って、神戸から江戸へ向けて
名乗りも、芸名そのままの山本南竜軒で、
そこにはまた、道場の先生の妙な心理作用があって、この見識の高い
かくて東海道を経て、各道場という道場を経めぐって江戸に着いたのは、国を出てから二年目。さしも部厚の芳名録も、ほとんど有名なる剣客の名を以て埋められた。
天下のお膝元へ来ても、先生その手で行こうとする。その手で行くより
そうして、江戸、麹町番町の三宅三郎の道場へ来た。
この三宅という人は
そこへ
そこで三宅氏が道場へ立ち出でて、南竜軒に挨拶があって後、これも例によって、まず門弟のうち二三とお立合い下さるようにと申し入れると、南竜軒は頭を振って、仰せではござるが、拙者こと、武者修行のために国を出でてより今日まで二年有余、未だ
そういわれてみると、三宅先生もそれを断わるわけにはゆかない。ぜひなく、それでは拙者がお相手を致すでござろろう。
そこで、三宅先生が支度をして、南竜軒に立向う。
南竜軒は
竹刀をつけてみて三宅三郎が舌を巻いて感心したのは、あえて
最初の手合せで、しかも江戸に一流の名ある道場の主人公その人を敵に取りながら、その敵を眼中におかず、
事実、三宅三郎も、今日までにこれほどの名人を見たことがない。心中、甚だ
勝とうと思えばこそ、負けまいと思えばこそ、そこに
この意味に於て南竜軒は、たしかに無双の名人である。
至極の充実は、至極の空虚と一致する。
これを笑う者は、やはり剣道の極意を語るに足りない。道というものの極意もわかるまい。
さて、三宅三郎は、どうにもこうにも、南竜軒の手の内がわからないが、そうかといって、剣術というものは、竹刀を持って突立っているだけのものではない。ものの
「参った!」
その瞬間、南竜軒はもう竹刀を下に置いて、自分は遥かに下にさがって平伏している。三宅氏は
事実、今のは面でもなんでもありはしない。
「山本先生、ただいまのは、ほんの
しかるに、相手の大名人は謙遜を極めたもので、
「いやいや恐れ入った先生のお腕前、我々
と言って、どうしても立合わない。
「では、門弟共へぜひ一手の御教授を……」
と願ってみたが、先生に及ばざる以上、御門弟衆とお手合せには及ばずと、これも固く辞退する。止むを得ず、三宅氏は数名の門弟と共に、大名人を招待して宴を張る。
その席上、改めて三宅氏は南竜軒に向い、
これを聞いた三宅氏は胸をうって三嘆し、今にして無心の
道庵先生、この型を行ってみたいのだろうが、そうそう柳の下に
二十
田山白雲は、伝馬町の
「何か面白い本はないかね」
「左様、面白い本は……」
「面白い本があったらひとつ見せてもらいたい」
「ああ、左様左様、面白いものを少しばかり
「面白いものを纏めて手に入れたのは結構、見せてもらいたい」
白雲が腰をかけると、亭主は書物を山のように持ち出し、
「なかには相当に面白いものがございます」
「どれ……」
「古いのには、年一年面白いものが減って参りますのに、新しい方は、なかなか面白いものが出ませんので困ります」
客が面白い本はないかと言ったので、亭主は面白い本があるという。おたがいに面白ずくで商売をしているようです。
この時分には現代のように、雑誌学問の青二才までが、興味中心だの、芸術本位だのと、歯の浮くようなことを言わなかった時代ですから、面白いという言語の中には、すべて注目に値するほどのものを包含していたのでしょう。ですから翻訳すると、「何か注目に値する書物はないかね?」「ございます、なかなか掘出し物がございます」という程度の意味のものでしょう。
されば佐藤一斎の講義が面白かったという場合もあれば、曲亭主人の小説が面白かったという場合もあります。
白雲がいま求める面白い本というのは、さしあたり着手した洋学の初歩に関する、東洋の美術よりは西洋の美術に関して、何か特殊の知識を与えられるような書物はないかと尋ねた意味でありましょう。
しかし、亭主の取り出して示した山のような書物は、そういった意味の面白い書物ではありませんでした。
「
「こりゃ大変だ」
山の如く持ち出された書物を、白雲は横目に見て、驚いた顔をしたが、手には取ろうとしません。その書物というのは、白雲の求むるところのものとは違って、旧来ありきたりの赤本、黒本、
「こりゃ大変だ」
といって手に触れず、
「洋学の本はないかね、横文字の……」
「へえ、洋学の方でございますか、左様でございます、華英通語はこのあいだ差上げましたかしら……」
「うむ、あれは貰ったよ」
「では、築城と石炭のことを書いた翻訳書が二三冊ございますが……」
「築城と石炭――それは少し困る、何かほかに向うの歴史、風俗、絵のことなどがわかるといったような書物はないかい」
「左様――」
亭主はあれかこれかと店と書棚を見廻し、
「ここに一冊、唐人往来というのがございます……」
「何だい、それは――」
「この通り写本でございますが、これになかなか、あちらのことが詳しく書いてあって面白いと皆様がおっしゃいます」
「どれ――」
田山白雲は二十枚綴ばかりの写本を、亭主の手から受取りました。
「唐人往来――誰が書いたんだ」
「どなたがお書きになりましたか、なかなかあちらのことに詳しいお方がお書きになって、出版はなさらずに、こうして写本で、諸方へ分けてお上げになったのでございます」
「江戸、
白雲はそれを買い求める気になりました。
白雲はその書物を買って来て両国橋の
彼は面白い本を求めて、求め得たのです――といっても、それは自分の求める西洋の美術知識のことなんぞは一言も書いてはありませんが、僅かの小冊子の間に、西洋というものの輪廓[#「輪廓」はママ]を描いて人に知らしめる上には、こんな、
なぜ、もっと早く、こんな面白い本を読まなかったのだろう。
第一、その文章からして、従来の
それにしても著者は何者。署名はなくて、ただ、「江戸、鉄砲洲某稿」としてある。当代に名だたる洋学者の筆のすさびだろうとは思われますが、誰とは当りがつきません。例えばその文章は、
「先年、亜米利加 合衆国よりペルリといへる船大将を江戸へ差遣 はし、日本は昔より外国と付合なき国なれども……」
という書出しで、諸外国と
「日本国中の学者達は勿論 、余り物知りでなき人までも、何か外国人は日本国を取りにでも来たやうに、鎖国の、攘夷 の、異国船は日本海へ寄せ付けぬ、唐人へは日本の地を踏ませぬなど、仰山に唱へ触らし、間には外国人を暗打 にするものなど出来 て、今のやうに人気の騒ぎ立つは、ただ内の騒動ばかりでない、斯 く人心の片意地なるは世間へ対しても不外聞至極ならずや。元来何の悪意もなく、一筋に異人を嫌ひ、異人が来ては日本の為にならぬと思ひ込みたる輩 は、自分には知らぬ事ながら我が生国 の恥辱を世間一般に吹聴 するも同様にて、気の毒千万なれば、この人々の為め聊 か弁解すべし……」
という見識はたしかにその時代の一般はもちろん、学者の頭を抜いている。それから、世界の広さを一里坪にして八百四十万坪あり、これを五に分ち五大洲という。その五大洲中ヨーロッパの文明が世界に冠たることを説き、その文明国を
次に右五大洲中八百四十万坪の中に住む人口をほぼ十億と数え、そのうち、日本人は数およそ三千万あるゆえに、世界中の人数と比例すれば、九十七人と三人の割合に過ぎないという数字も、大ざっぱながら親切で、当時の粗雑にして空疎なる人の頭に、印象を強くしてなるほどと思わせ、
「さて今何 れの国にもせよ、百人の人あり、その中九十七人は睦 じく付合往来するところへ、三人は天から降りたるもののやう気高 く構へ、別に仲間を結んで三人の外は一切交りを絶ち、分らぬ理窟を言ひながら自分達の風に合はぬと畜生同様に取扱はんとせば、それにて済むべきや、先づ世の中の笑はれものなるべし」
も確かにそれより外国と貿易をすれば、無用の物が
「されば地図でこそ日本は、世界の三百分の一つばかりに見る影もなき小国のやう思はるれども、その実は全世界を三十にわりてその一分を押領 するほどの人数を持てる国なり、まして産物は沢山、食物は勿論……」
と土地は小なれども人口の大なることに自信を持たせて、盛んにヨーロッパ文明を取入れることを主張している論旨は田山白雲がその頃では最新版に属する「西洋事情」を読み出したのは、それからまもない時であります。
前の
当時のすべての階級がこれらの著作によって教えられた通り、田山白雲もほとんど革命的の知識を与えられました。
白雲思うよう、今まで、多少西洋の翻訳書も見たが、それは兵術家は兵術のために、医者は医者のために、語学者は語学のために
田山白雲も、この書物を通して、そぞろに巨人の
事実、幕末明治はあれだけの劃時代の時でありながら、その全体を代表する人物を求める日になると、茫然自失する。
西郷の功大なりといえども、かれ一人でこの時代を代表すること秀吉の如く、家康の如く、
田山白雲も、そこまでは考えなかったろうが、この巨人が時代の渇望に向ってしかけてくれた鉄管の水の豊富なるに驚喜もし、詠嘆もせずにはおられなかったろうと思われる。
だがしかし、驚喜も、詠嘆も、するはしたけれど、まだ物足らないところはいくらもある。第一、自分が現在尋ねているこの不可解の西洋画の内容においても、外形についても、「西洋事情」は少しも、説明も、暗示も、与えてくれないではないか。それのみか、このあいだ房州へ行った時、支那の少年
西洋というものの建物の目下の全体を見せてくれるためには、さほど驚喜すべく、詠嘆もすべき書物でありながら、内容に立入ると物足らないこと
ともかくも、あちらの書物を読まねばならぬ、直接にあちらの書物が読めるようにならなければならぬ――との慾求は、これらの著述を読むことによって、ようやく強くされてゆくことは疑うべくもありません。
よって、白雲はまた一層の熱心を以て、例の初歩の語学書と首っ引――「華英通語」によって紙をパーペルと知り、絵をピキチュールと知り、
しかるべき塾へ入門し、しかるべき師につくということは、この種類の人間にはなかなかおっくうなもの――
ところで白雲が、再び駒井甚三郎のもとへ行こうという気になりました。切支丹を描いて観音に納めるというような註文は本気では聞けないが、とにかく、相当なものを描いて置いて、房州へ押渡ろうという気を起しました。
二十一
田山白雲はお角のために、何を描いて与えようかと思案しました。
頼まれた題目の非常識は、もとより問題ではないが、それでも自分の良心が満足するほどのものを描いて与えなければならぬという義務を感じました。この場合、その題目と出来ばえが、頼んだ人の気に入ろうと入るまいと、自分の力で相応と認めるものをさえ描いて残して置けば、主人の帰りを待つまでもなく、例によって白雲悠々の旅へ飛立つには何のさわりもないことだ。
さて、何を描こう、選択を自由にすれば、かえって題目の取捨に迷う。
ともかくも、目標は
容斎の向うを張って弁慶でも描こうかしら。それも気が進まない。
そこで、白雲は再三、浅草観音の額面を実地見学に行きましたが、どうもしかるべき題目を発見することができません。
ある日の夕方、あれかこれかと考えながら立戻って格子戸をあけると、そこに不意に眼を
座敷では今、清澄の茂太郎が踊っているところであります。元禄模様の派手な
それが白雲の帰ったのに気がつくと、
「お帰りなさい」
長い裲襠の
「茂坊」
「はい」
「もう一度、今の姿で踊ってごらん」
「御免なさい、おじさん、一人であんまり詰らなかったもんだから……」
「いいから、お前、もう一遍、今の姿で……その面を
「御免なさい、もうしませんから」
「そうじゃない、お前のいま踊った姿を、ぜひもう一度見たいんだ、それを絵に取って置きたいと思うんだよ、叱るんじゃない、頼むんだよ」
「じゃ、やってみましょうか」
「やってごらん」
そこで茂太郎は、再び面を冠って、両手に鈴と御幣とを持ち、
この踊りは、一種不思議な踊りであります。仕舞のようなところもあり、かんなぎのような
無論、この不思議な児童の、即興の、
そうしているうちに、白雲が膝を打って、
「これだ」
と言いました――白雲もまた、最初からこの
これこそ与えられた絶好な画題だ。その不思議な踊り全体のリズムが、人を妙に陶酔の境へ持って行くのみならず、仔細に見ると無心な子供が、大人の長い着物を引きずっているところにまた無限の趣味がある。そうして、鈴と、
もしそれ、その
体のすべてが無我無心に出来ているのに、面そのものだけが、
これこそ求めても得られない絶好な画題だ、と白雲が意気込みました。
この白熱の興味が、ついに白雲をして五日の間に「
「茂坊、さあ、今日は房州へ立つんだぞ」
「え、房州へですか、おじさん、今日?」
「そうだよ」
「房州というのは、あのおじさん、
「そうだとも」
「あたいを、その房州へ連れて行ってくれるの、今日!」
「うむ」
「じゃ、あたい、久しぶりで、あのお嬢さんに会えるんだ」
「会わしてやるとも」
「ほんとに夢のようね、おじさん、もしかして清澄のお寺へ入れちまうんじゃない?」
「そんなことがあるものか、さあ行こう」
「ああ、うれしい」
少年は
この出立はむしろ
最初は茂太郎の手を引いて外へ出たが、少し歩くともどかしそうに茂太郎を取って、自分の背中に
江戸橋の岸、
澄み渡った秋の空に、白い雲が
ほんとうに自分こそ白雲そのもののような生涯。
それでも旅から旅へうつる瞬間には、どうしてもこの哀愁を
妻子を顧みないのは、妻子に対して自分の愛惜があり過ぎるからだと白雲は、その時にいつもそう思います。
愛惜があってはいけない。
「妖童般若」の図を描き上げて、こうして追い立てられるように出立したのは、
白雲は愛惜が自由放浪を妨げるということをよく知っている。それは自分たちの生涯は自由放浪のほかには立場がないと信じているためらしい。
昔の出家は一所不住といって、同じところへは二度と休むことさえもしなかったそうだが、自分のはそれとは違いこそすれ、愛惜があっては心を自由の境に遊ばせることができない。だから、つとめて愛惜から逃れんがために旅から旅を歩いているところは、一所不住の姿に似ている。
それほどならば、最初から妻子を持たなければいいではないか。扶養の義務がある妻子を持った以上は、浮世の義理に繋がれて行くの義務があるべきはず。妻子を持って同時に自由放浪に
幸いにして、このたびの船路には、お角の時のような災難もなく、駒井と乗合わせた時のような無頼漢もなく、海も空の如く澄み、且つ穏かな船路でありました。
久しぶりで海に出た清澄の茂太郎、
これは多分、木更津方面の若い衆が、江戸近在へ囃子を習いに来ての帰りか、そうでなければ江戸近在の囃子連が房総方面へ頼まれて行く途中でしょう。
太鼓は抜きですが、笛とすりがねの音は海風に響いて、いとど陽気な気分を浮き立たせ、船に乗る者、さながら
「おや、ごらんなさい、あの子は踊っているよ」
見れば
吾等笛吹けども踊らず……と誰がいう。
船の人は総出で、茂太郎の踊りを見に集まりました。
踊る人が出て来たので、囃し手の
今や、艫の方から踊りながら歩いて来た茂太郎は、甲板の真中まで踊り進んで来ました。船の中の人という人は、みんな集まってこの踊りを見ていますが、茂太郎は恥かしいという色も見せず、さりとて手柄顔もしないで、しきりに踊っています。
囃子連の喜びは、
興に乗じた船の人は、知るも知らざるも興を催して、手拍子を打ち、あわや自分たちも一緒になって踊り出しそうな陽気になる。
初めは人が興味を求め、後には興味が人を左右する。
清澄の茂太郎こそは小金ヶ原での群衆心理を忘れはしまい。
興味が人を左右して、自分たちはそれを逃るるに、命がけを以てしなければならなかった
それを忘れない限り、この踊りもいいかげんで切上げることを忘れはしまい。
古人は、
果然! がらりと拍子をかえた茂太郎は、身を翻すと脱兎の如く船底をめがけて駆け込んでしまいました。
興
二十二
仏頂寺弥助と、丸山勇仙と、宇津木兵馬とが、相携えて松本の城下へ乗込んだ時、松本の城下は素敵な景気でありました。
尋ねてみると今日から三日間の「
信濃の人、その時の謙信の徳を記念せんがために、この「塩市」があるのだという。
事実は果してどうか知らん。例年は正月の十一日は
そこで、いつものように花やかには執り行われないが、人気というものはかえって、こんな際に
その盛んな市中を通り抜けて、浅間の温泉へ行き、兵馬を鷹の湯へ預けておいて、仏頂寺と丸山は城下へ引返し、二人は市中の景気を見ながら、各道場へ当りをつけ、兵馬は温泉場に止まって、その内部を探ろうという
宿に残された兵馬は、その晩、按摩を呼ぶことを頼みました。
按摩を取るほどに疲れてもいないけれど、土地の内状を知るには、按摩を呼ぶが近道と思ったのでしょう。
ほどなく、按摩が来るには来たが、それは眼の見えない男按摩ではなく、目の見える、しかも十四五になる少女でしたから、兵馬も意外の思いをしたが、それに肩を打たせて、さて
特に「塩市」の
一段と念を入れていうことには、
「今年はちょうど、お江戸で名高い市川海老蔵さんという千両役者が参りました。昨日から宮村座で
と勧める。そのことならば、仏頂寺、丸山の
ところで、兵馬は、千両役者にも、芝居にも、いっこう興味を催さないで、近頃のお客に、これこれの客を見なかったかと
おかしいのは千両役者を見たことがないという口の下から、海老蔵を
まあそれ、小娘ばかりを笑ったものではないぞ。
今の政治家がみんな人気商売の役者と違ったところはない――と京都にいる時、ある志士の
上は
このくらいなら
それは天下国家のこと。兵馬の現在は、当分、この地を拠点にとって敵の
その辺を思案しながら兵馬は、床の間から刀と脇差を取寄せて拭いをかけて眺め入る。兵馬の刀は国助、脇差には
ここは松本平で名だたる歓楽の地。今日は城下の本町が大賑わいだから、その反動で、幾分しめやかではあるが、かえって底に物有りそうな宵の色。
笛や太鼓の響きも聞えれば、
時々起るその合唱をほかにしては、
越後国春日山の城主
上杉入道謙信は
八千余騎を引率して
川中島に出陣あり
そのとき謙信申さるるやう
加賀越前は父の
これをほふりてその後に
旗を都に押立てて
かねての覚悟なりしかど
かの村上が余儀なき
武士の面目もだし兼ね……
あれは何だ。詩ではない。
その歌の一節が
拭い終った刀を
「何だ、何だ、どうしたんだエ、火事でも起ったのかエ」
「火事じゃない、
「迷子か」
今までのは
「迷子かい」
「迷子ですとさ」
「ちぇッ、おいらの先生が、またいなくなったんだ」
二十三
その騒ぎがけたたましいのに、その声になんとなく覚えがあるから、兵馬は今しも鞘に納めた脇差を片手に持って、鷹の湯の二階の障子を押し開くと、下の通りは、いまいった通りの戸毎に人が出て、迷子だ、火事だ、と騒いでいる中を走る一人の
「おいらの先生がまたいなくなっちゃった――先生、そこいらに泊っていたら言葉をかけておくんなさいな」
笠を
つまり、
ところが、驚かされて出て見た人も、ただそれだけのもので、存外小さな事件と見たから、張合い抜けがしたような思いで、そのあとを見送ってポカンとしているくらいだから、兵馬もそのまま障子を締め、刀と脇差とを以前のところへおいて、さて、これから寝てしまおうと思いました。仏頂寺、丸山は待って待ち甲斐のある
この場はこれで納まったが、納まらないのは、それから行く先々の温泉場の町並。
例の笠を
それは、子供だろうと思われるほど背が低く、頭には竹の笠を冠って、首には荷物をかけ、手には
「おい、兄さん、どうしたんだい。何だい、その騒ぎは」
「おいらの先生が、またいなくなっちゃったんだよ」
「なに、お前さんの先生がいなくなっちゃったんだって?」
「そうだよ……ちぇッ」
と舌を打って
「つまり、お前さんが連れにはぐれたというわけなんだね」
「そうだよ、それも一度や二度じゃねえんだからな、ちぇッ」
米友が二度舌打ちをして地団駄を踏みました。
これは、米友が二度舌打ちをして地団駄を踏むのも無理のないことで、またしても、道庵先生が米友を出し抜いて、どこかへ沈没してしまったものと見えます――全く、一度や二度のことではないから、米友としては世話が焼ける。察するところ、善光寺からあんなわけで、松本へ入り込んだ道庵は、今晩は浅間の温泉泊りということを米友にも申し含めておきながら、こんな始末になってしまったものと見える。もとより、こうして家並を怒鳴って歩けば、道庵がこの温泉場に泊っている限り、聞きつけて飛び出すには飛び出すだろうが、道庵ひとりを探すために、温泉場の全体を騒がすのは考えものです。
「兄さん、人を探すんなら探すように、帳場へでも頼んで……いったい、お前のお連れというのは何という宿屋に泊っているんだか、それをいってみな」
世話好きに訊ねられて、米友が、
「何という宿屋に泊っているんだか、それがわかるくらいなら、こうして怒鳴って歩きゃしねえよ」
「なるほど……それじゃ、お前さんのお連れは何商売で、年は幾つぐらいで、人品は……?」
「商売はお医者さんで、年はもうかなりのお爺さんで、人品は武者修行だ」
と米友がたてつづけに答えました。
いったい、これはどうしたのだ。尋ねている方が迷子だか、尋ねられているのが迷子だか、わからなくなりました。
そこへ、またも全浅間の湯を沸かすような
そこで、米友をとりまいていた連中も、米友を振捨てて走り出したから、全然
果して、今しも城下から練込んだ養老のダンジリ。
それを若い衆がエンヤラヤと引いて、手古舞、金棒曳きが先を払う。見物が潮のように
そこで、誰も米友を相手にする者のなくなったのもぜひないこと。
ダンジリは上方式、手古舞と金棒曳きは江戸前、若い衆は揃い、見物と弥次とは思い思い。
屋台の上の囃子は
この練込みの世話焼に、一種異様な人物が飛び廻っている――
「さあ、しっかりやってくんな、何でもお祭りというやつは江戸前で行かなくちゃあいけねえ、女房でも、子供でも、叩き売ってやる意気組みでなけりゃ、江戸前のお祭りは見せられねえ、ケチケチするない
といって屋台の下から、手古舞のところまで一足飛びにかけて来て、
「そこの芸者、いけねえよ、その
といって、また
「しっかりやってくんな……
御当人も片肌をぬいでしまって、有合わせた提灯を高く高く振り廻して、屋台の上の踊り方にまで指図する。
変な
「さあ、若い衆、拙者が
「ヤーイ」
若い衆はわけもなくこの音頭に合わせてひっぱると、親爺、御機嫌斜めならず、
「ホラ、もう一つ、エーヤラエ、ヨイサヨイヤナ、アレハエンエン、アレハエンエン」
「ヨーイ、ヨーイヨーイ」
この
またしても、あまりの
その中を、右に左に泳ぎ渡って指図をして歩く変な親爺がある――兵馬は本来、道庵先生とは熟知の間柄で、ずいぶん今まで先生の世話にもなったことがあるのだから、そう見違えるはずはないのだが、いかに道庵先生だからとて、信州の松本までお祭の世話焼に来ていようとは思わず、第一、その頭が違っている。クワイ頭の専売物でなく、
一方、宇治山田の米友は、浅間の町の迷児の道しるべの辻に立って、しきりに
ああしたような事情で善光寺を立ち出で、善光寺から
止むことを得ず、米友は約束の浅間の地に着いて、町並に怒鳴り歩いてみたが手答えがなく、そこで、今は株を守って兎を待つよりほかの手段はなくなりました。
町の辻の迷児の道しるべのあるところに、
人の気も知らないで、賑やかしい
米友にとってはこれが迷惑です。早くこの人波が流れ去ってしまうことを希望していたのに、流れ来った水がここで湖となってしまい、自分と、道しるべとは島にされたならまだいいが、湖底に埋没されたような形になって、群衆は米友の頭の上でしきりに踊り騒いでいる。
ぜひなく米友は、道しるべの蔭にいよいよ
こうして人波に埋没されている米友にとっては、何の面白くもないお祭り騒ぎ――だが人の面白がるものにケチをつけるにも及ばねえが、いいかげんにしてもれえてえものだな――と思って辛抱している。ところが、誰あって、米友が道しるべの下で、こんな犠牲的な辛抱をしていると気のつく者はなく、ただもう器量いっぱいに踊り騒いでいる。
そのうち、むっくりと宇治山田の米友が跳ね起きたのは、その
「さあ
若い者のすることが見ていられなくなったと見えて、道庵先生はダンジリに飛びあがって、自ら
道しるべの上から飛び立って、人の頭の上を走り通り、今しもダンジリに
「先生、いいかげんなことにしな」
と言って米友が、その手首をグングン引出した時に道庵が、
「友様か……済まねえ」
と叫びました。
済むも済まないもありはしない。一刻も捨てておいた日には危なくてたまらないから、米友は
それは米友流の極めて速かな
「あっ!」
と言ったきり、手出しのできないほどの早業でありました。不思議な音頭取りを不意にさらわれても、それを追いかける手段を忘れしめたほどの早業でありました。
道庵においても、遮二無二その腕を引張られても、人の頭の上を引きずり廻されても、痛いとも、
その早業が完全に行われて、人の頭の上から――露地の人通りの少ない所から、ついに
「ひとさらい……」
だが、もう遅い。
ついにその近きあたりのどこを探しても、それらしい人の影を見出すことができませんものでしたから、一時、お祭りは中止の姿で、その奇怪のひとさらいの
たしかに小さいながら人間の形をしたものがこの
しかし、幸いなことは、どちらがさらったにしても、さらわれたにしても、それは少しも土地ッ子の
つまり、
天狗も
二十四
しかし、天狗の評判があまり高くなったものだから、道庵主従も浅間の湯に泊ることには気がさして、松本の城下を指して宿を替えることにしました。
城下は相変らずの景気でありますが、そのうちにも道庵をして絶えず大笑いに笑い続けさせたのは、例の「市川海土蔵」の辻ビラと、
「まあ、いいや、今夜は夜っぴて景気を見て歩こうじゃねえか、川中島の月見と違って、お祭りを見るのは寒くねえ」
と、道庵が言いました。
そのうちに「夕日屋」という大きな店の前へ来ると、道庵がまた大きな声をしてカラカラと笑い、米友を驚かせました。
「この店もしかるべき大家のようだが、こう
と言いました。
その夕日屋の大きな店は酒屋でしたが、この家で造り出す酒の名前を見ると、その頃の銘酒の名前を幾つも取って、それを自家醸造の如く
人の評判を聞いてみると、この店では、いい酒を盗んで来ては、恥知らずの雇人共に金をあてがって、それに水を交ぜて売り出しているのだという。
ともかくも夕日屋といえば、町内でも一流の
良酒を取って来て、それに水を交ぜてごまかして売り出そうなぞは、三流四流の商店でも
ともかく、道庵先生は有名な飲み手だから、まあ人間の口で飲める酒はたいてい飲んでいるし、その味もよく知っているのだから、ここへ並べた
「
と言いました。
事実、道庵は好んで人の悪口をいい、また好んで
「いい酒であろうと、悪い酒であろうと、大きにお世話だ、空気中へ
といいました。
その理窟は、ラジオでもなんでも、盗み聞いて
本来、道庵先生も決して競争を非とはしない。むしろ大いに好んで競争をやりたがる。さればこそ
それから暫く行って道庵は、また
見れば火を入れた
「市川海土蔵」
と掲げ、その下に見えるか見えないかの小さな文字で、
「一番目 岩見重太郎の仇討
中幕 勧進帳
三番目 水戸黄門
大切 所作事」
と書いてあり、なおその下に小さく月形半十郎だとか、牧野昌三郎、坂東妻公だとか、お茶っ葉の名前を申しわけのように並べ、その大行燈を横町の入口高く掲げてあるのを見たから、道庵がヒドク喜んでしまったのです。中幕 勧進帳
三番目 水戸黄門
大切 所作事」
「
と道庵が熱心に
「友様、明日を楽しみに待ってくんな、明日こそお前にも芝居らしい芝居というものを見せてやる」
今や、この芝居もハネた時間と覚しく、見たところ小屋の前の混雑は名状すべくもありません。
この景気を以て見れば確かに芝居は大当り、そうして出て来る人の口々の
「
とみいちゃんがいう。
「立廻りのキビキビした男前のいいこと、千両役者だけあるわね」
とはあちゃんがいう。
「海老蔵もいいが、月形は熱心で、牧野の頭のいいところが感心だ」
などと、お茶っ葉の
しかし、いくら祭礼の夜とはいえ、松本の城下に、こんなお笑い草ばかり転がっているわけではありません。
行くこと暫くにして、とある門構えの黒板塀の
「
と叫びました。
例によって米友には、何を占めたのかわからない。
「友様」
道庵はその門構えの前に立って米友を顧み、
「友様」
「何だ」
「占めたぞ、今晩の宿が見つかった」
米友にはいよいよわからない。ことによったら武者修行の手を行くのではなかろうかと気がついたが、どうもその家の構えは武芸者の構えらしくない。邸内は相当に広いようだが、道場らしい建物があるようにも思われません。
ところが、道庵はまず以て穏かに事情を告げてしまいました。
「友様、犬も歩けば棒に当るといって、何が仕合せになるか知れねえ、これはそれ、わしが友達の家だよ、ホラ門札に
こういって道庵は、ズンズンと門内へ入り込んで行きます。
松原葆斎は松本藩の医にして、儒を兼ねている。道庵と知り合いになったのは多分江戸遊学中。後、京都に遊学し、また長崎に行って蘭人について医を学び、今は江戸の聖堂に出て、その助教授をしている。
浅田宗伯は同じく信濃の人――一代の名医にして、また豪傑の資を兼ねている。
果して、松原の家では道庵の来訪を非常に喜んで、もてなすこと斜めならず。
その翌日は、同業の人々が案内に立って、まず藩学
そこには松本を中心にして、概して信濃一国に関する古記古文書がある。諸名士の遺物がある。藩の殖産興業の模範といったようなものもある。
道庵はそれをいちいち熱心に眼を通して歩き、「
「有難い」
と合掌し、道益の自筆本「
「これだ――これでなくちゃならねえ」
道庵は三村道益の遺物の前で眼をしばたたいて、親の遺物に逢うように懐しみ、そうして言うことには、
「わしは別段、この道益先生を師として学んだわけでもなんでもねえが……その恵みというものは忘れるわけにはいかねえ。なぜといってごろうじろ、この木曾の薬草が今のように世に盛んに出て、貧民病者を助けるようになったのは、いったい誰のおかげだと思う。道益先生が考えるには、わしは代々この木曾で医者を商売にする家に生れたが、この木曾に産する薬草というものの良質にして、多量なることは、他国の及ぶところではねえ、もしこれをとって、年々に三都へ出して売り
道庵がポロリポロリと涙をこぼして泣き出しましたけれど、この時は誰も笑うものはありませんでした。
それから道庵は長沼流の「兵要録」の原本を見たり、義民多田嘉助の筆跡を見たり、
これは初対面の人よりは、かえって附添の米友を驚かしたことで、事毎に何か脱線あるべきはずの先生が、ここでは一切脱線なしに、かえってその言う事が人々を感心させ、その見るところが
やがて松本の城の天守閣の上まで見せてもらうことができました。
壮大なる松本城天守閣上のパノラマ。あいにく、この日は曇天で、後ろのいわゆる日本アルプスの連峰は見えず、ただ有明山のみが背のびをしているように見えます。
道庵は
道庵は、そこで、どうした風の吹廻しか
それは、いよいよ米友を驚嘆させて、おいらの先生は、あんな四角な文字まで並べられると、非常に肩身の広い思いをさせ、また同行の有志家たちも、即席に漢詩を作る道庵の技倆に感心をしたらしいが、詩そのものは道庵の名誉のためにここに掲げない方がよろしいと思う。道庵自身も、その辺は御承知のことと見えて申しわけたらたら、
「曲亭馬琴様は、あれほどの作者だが、悪い病には漢文を作りたがってな。漢文さえ作らなきゃあ馬琴様もいい男だが……人は得て不得意なものほど自慢をしたがるやつで……」
といって紙に書いて見せました。
道庵の詩作に感心した有志家たちは、
「先生は武芸の方もおやりになるそうで……当地にはこれこれの道場もございますが、御案内を致しましょうか」
と来た時に、さすがの道庵がオイソレとは言わないで、
見も知らないところで、玄関から物々しく、武者修行の案内を求めてこそ、芝居もほんものになるが、
こうして急に息を吹き返したところを見ると、道庵も有志家連との交際を、かなり窮屈に感じてはいたらしい。
そこで、歓迎から解放されて、自由な気持になり、今晩は浅間の湯へ泊って、ゆっくり休息をして、明朝は早立ちということになれば何のことはないのだが――町を通りながら、例の「市川海土蔵」を見つけると、道庵の
「さあ、どうでもこの芝居は見なくちゃならねえ……お前に対しての約束もあるからな――」
とうとう道を
二十五
ちょうど、時刻が少し早かったせいか、さしも連日満員のこの大一座も、道庵主従をして、よい
道庵主従が東の桟敷に、むんずと座を構えると、まもなく、土間が黒くなり出して、見るまに場内が人を以て
一通り場内を見廻して、道庵も人気の盛んなことに驚嘆しながら、酒を取寄せ、弁当を
しかし、番付いっぱいに「市川海土蔵」が書いてあるものですから、どこに
米友は、自分は興行に使われたことがある。両国の大きな小屋で
こうしているうちにも、周囲は海老蔵の
それにしても、先生がいやにおとなしいと米友が見返りました。本来こういう盛り場へ来ると、いよいよ
なるほど、昨晩からのあの噪ぎ方では疲れるのも
そこで米友は、居眠りをさせるにしても、なるべく醜態を人様のお目にかけないようにして居眠りをさせるがよいと思い、番付も取って畳み、道庵の姿勢も少し直してやり、そうして自分は一心に幕の表を眺めて、拍子木の音を待っておりました。
幕あきを今や遅しと待ちかねているものは、米友一人ではありません。
その時分、第一の拍子木が一つ鳴ると、満場が急に緊張して、人気がまたざわざわと立ってきました。
ちょうど、その時です。かねて取らせておいたと見えて、土間を隔てて、米友とは向う前の桟敷に、四人連れの武家が案内されて来て、むんずと座を占めたのは――
だが、それは格別、誰の眼を
しかし、この四人連れの侍のうちの二人は、たしかに、仏頂寺弥助と丸山勇仙であります。あとの二人は確かに仏頂寺、丸山の友人で、
さて、いよいよ幕があきました。
これは一番目狂言の「岩見重太郎の仇討」の第一幕。
八月十五日の夜。筑前国
なるほど重太郎が来たと、一同が色めき立つ。その話によると、家中岩見重左衛門の次男重太郎が、山の中へ入って三年間、木の実を食って、このほど馬鹿になって出て来たという。なるほどボンヤリして歩いて来た。ひとつ
そこで、八人の侍が
いかにも重太郎、武士の風こそしているが、ボンヤリして馬鹿みたような顔をしながら歩いて来る。舞台の程よいところへ来ると、以前の若侍が出て
同じ幕の二場。
桝屋久兵衛という立派な料理屋の二階。八人の若侍が薄馬鹿の重太郎を囲んでしきりに
そうして松原へかかると、人の
重太郎、心得てヒラリと
そこで大乱闘が始まる。
重太郎、前後左右にかわして、体を飛び違えては四角八面に斬り散らす。いずれもただの一刀で息の根を止めてしまうが、敵は多勢――
見物の
またやられた。あれで十八人目だと丹念に数えている者もある。
幕があいたので、いったん居眠りから呼び
重太郎が十八人目を斬った時に、道庵が二度目の居眠りから眼を醒まして、一時は寝耳に火事のように驚きましたが、やがて度胸を据えて見物していると、最初から数えていた見物のいうところによれば、都合二十八人を斬って捨てた時に幕が下りました。
見物はホッとして息をつく。
道庵はしきりに嬉しがっている。
宇治山田の米友は、なんだか要領を得たような、得ないような顔をして、しきりに首を
幕がおりると共に見物はホッと息をついて、その息の下から海老蔵は偉い、海老蔵ほどの役者はないと、感嘆の声が盛んにわきおこります。
次の幕は、野州宇都宮の一刀流剣客高野弥兵衛の町道場。
花道から岩見重太郎が、武者修行の
自分は家中の者を二十八人も斬り捨てたために、浪人の身となって武者修行をして歩いている。自分としてはこうして武を磨くことが本望だが、国に残る父上や、兄上、また妹の身の上はどうだろう。近ごろ夢見が悪い、というようなことを言う。
いや、そう
舞台廻ると、宇都宮の遊女屋三浦屋清兵衛の二階。
そこへ、弥兵衛が重太郎を連れ込んで盛んに
あまりの意外な
聞いてみれば、父の重左衛門は同じ家中の師範役、成瀬権蔵、大川八右衛門、広瀬軍蔵というものの
重太郎、それを聞いて悲憤のあまり、今夜のうちに、お前を連れてここを逃げ、父兄の仇討に上ろうと約束をする。
舞台廻って三浦屋の裏手。松の木から塀越しに二人が忍び出す。それを待構えていた高野弥兵衛一派の者が斬ってかかる。
重太郎は刀、お辻は懐剣を抜いて
この幕もまた、見物の残らずをして息をもつかせない緊張を与えたものですから、幕が下りると一同はホッと息をついて、それからまた反動的に、海老蔵は偉い、お辻はかわいそうだわね、ということになる。
一幕毎に、こうして海土蔵の人気が沸騰してゆくものだから、道庵までがついその気になり、
「なるほど、海土蔵様もエラい、海土蔵様もエラいには違いないが、この芝居が海土蔵様をエラがらせるように出来ている」
と言いました。つまり、どの幕もどの幕も、海土蔵が一人
米友に至っては、相変らず要領を得たような、得ないような、
対岸の四人連れの一席を見ると、今しも仏頂寺弥助が、あわただしく番付を取り上げて、そうして眉の間に穏かならぬ色を漂わせながら、幾度もその番付を見直しているところです。
二十六
仏頂寺弥助は番付を取り上げて、
「どうも、おれは感心しない」
と丸山勇仙の顔を見ました。
「うーむ」
と勇仙も含み声。
同行の二人の剣客は、至極満足の
仏頂寺は何か納まらないものがあるように、
「丸山」
と再びその名を呼びかけて、
「今の海老蔵は、ありゃ何代目だ」
「左様」
丸山勇仙もそれに確答は与えられないらしい。
「海老蔵が団十郎を
「そうさな」
丸山勇仙は、それにも明答は与えられないらしい。
「第一、あの岩見の剣法なるものが、テンで物になっちゃいないじゃないか」
「そこは芝居だよ」
「芝居とはいいながら、海老蔵ほどの役者になれば、もう少し気がつきそうなものじゃ。箱崎の松原でバタバタと二十何人も斬って、いい心持で
「そこが芝居だよ」
「芝居とはいいながら、岩見重太郎をやる以上は、岩見重太郎らしいものを出さなけりゃなるまい、あれでは、海老蔵はこのくらいエラいぞということを丸出しで、岩見という豪傑は、テンデ出ていない」
「そう理窟をいうな、そこが芝居だよ」
「芝居とはいいながら、名優というものは、すべての役の中に自分というものを打込んで、それに同化してしまわなければ、至芸というものが出来るものではない、たとえば団十郎の
仏頂寺弥助がこういうと、
「いったい、今時の見物は何を見ているのだ。第一この番付からして笑わせる、海老蔵ほどの役者なら、下の方へ尋常に名前を並べて書いておいても、誰も見損じをするはずはない、またその方が
丸山勇仙も最初から、様子が少し変だとは思いましたが、
「まあ、そこが芝居だよ」
どこまでも仏頂寺をなだめてかかると、その傍らから、
「タイセツ、ショサクジとは何だろう」
と尋ねたのは、同行の壮士の一人であります。
「なに?」
「タイセツ、ショサクジ」
連れの壮士は、丸山勇仙の眼の前へ番付を突き出して、一行の文字を指す。
それを勇仙が見て笑い出し、
「それはタイセツ、ショサクジと読むのではない、オオギリ、ショサゴトと読むのだ」
と教えました。
漢字にしてみれば「大切 所作事」――それが連れの壮士にはわからなかったらしい。そこで勇仙が
道庵先生は相変らず御機嫌よく、チビリチビリとやっている。
さて第三幕目。
いよいよ岩見重太郎の仇討。天の橋立千人斬り。
敵の広瀬、大川、成瀬の三人を助くる中村
敵は二千五百人――こちらは重太郎を主として後藤、塙の
猛虎の群羊を
天地
岩は
飾りつけの松の木はヘシ折れる。
岩見重太郎は当るを幸いに撫斬りをする。
最初の幕から、重太郎の太刀風に倒れた人の数を丹念に数えていた見物の一人が、あるところに至って
それは最初の幕。箱崎八幡の松原の場では確かに二十八人を斬ったに相違ない。二幕目の宇都宮三浦屋裏手の斬合いは、暗くてよくわからなかったが、二十人は確かに斬っている。そのうち、お辻が懐剣で三人ばかりを仕留めているらしい。
だから、今までの幕で、重太郎の手に掛った者が、都合五十人ばかりになっている勘定だが、この場に至るともう算勘の及ぶところではない。
なにしろ、一方は二千五百人。それをこちらは三人で相手になるのだから、一人前平均八百人ずつはこなせるわけになる。しかし、たとえ二千五百人にしろ、三千人にしろ、芝居そのものの筋書には限定した数字が書いてあるのだから、まだ始末がいいが、舞台そのものの上に於ける人の数は無限であるから、算勘に乗らない。なぜならば、いったん、斬られて倒れた人間が、暗に紛れて
死んだ人が、幾度でも生き返って立向って来るのだから、その数は無限である。
これでは、さしもの重太郎でも斬り尽せるはずがない。いかなる算盤でも
なんぼなんでも、これは
やや
そうして遂に重太郎首尾よく敵の首を取って、太閤殿下のお
幕は下りたが、人気の沸騰はなかなか下りない。
「エラいもんですな、昔の豪傑を眼の前へ持って来たようなもんです、役者もあれまでにやるには、剣道の極意に
といってもて
仏頂寺弥助は、いよいよお
「ばかばかしくって、見ちゃあいられない」
連れがなければ立って帰るのだが、そうもゆかないらしい。丸山勇仙がまたそれをなだめて、
「まあ、芝居だから我慢するさ、その代り、今度はいよいよ市川宗家の勧進帳だ……これから渋いところを見せるのだから、ぜひ、まあ、もう一幕
といって引留める。自分たちが主人側で誘って見に来た芝居だから、仏頂寺も
ともかく、右の三幕で岩見重太郎劇が終えて、これから宗家十八番の勧進帳が現われようとするところ。
仏頂寺弥助は不承不承に、また番付を取り上げて、役割のところなどを眺めていたが突然、
「丸山」
と呼びました。
「何だ」
「この番付を見ろ、ここに市川海老蔵と書いてあるこの文字の、
ああ、ようやくそこに気がつき出した。
「どれどれ」
丸山勇仙が、その番付を取って、
「なるほど……」
「どうだ、これは
「そうさなあ……」
「土という字だろう、土という字へ点をつけたり、ひっかけをつけたりして、ごまかしているのではないか」
「なるほど、そう言えば、そうも取れる。一見すれば
「芝居の法則では、老という字を土と書くのか?」
「そんなはずはあるまい、一点一画は時の
「してみれば、これはエビ蔵ではない、エド蔵だ」
「はてな……」
丸山勇仙が、そこで気を入れて、首をかしげました。
「丸山、こりゃ
「左様……」
「偽物に違いない」
「そう言われてみるとなあ」
「言われなくても、最初から、わかっていそうなものじゃないか、市川宗家の海老蔵ともあるべき身が、あんな無茶な芝居を打つと思うか」
「でも、地方に出ては、見物を見い見い、調子を下げるのかも知れない」
「以ての外……そうだとすれば、いよいよ以ての外だ、たとえ見物に目があろうが、なかろうが、芸を二三にするような奴は俳優の
仏頂寺弥助は
「待て待て、もう一幕見極めようではないか、今度の宗家十八番の勧進帳、これを見ていれば、それが格に合うか、合わないか、大概の
ところで、一方の道庵先生は
「さて、今度はいよいよ市川宗家十八番の勧進帳とおいでなすったね。そもそもこの勧進帳というは……御承知の通り、これはお能から来たものですよ。芝居の方では、天保十一年に河原崎座でやったのが初演でげす。その時は海老蔵の弁慶――この海老蔵様は、ここに来ている
番付を取って隣席の者に講釈をすると、隣席の客がなるほどと感心するので、
「これを
道庵としてはまことに
そのうちに幕があきました。
富樫の出も尋常であるし……旅の衣から、月の都を立ち出でて……の長唄も存在して、義経主従の衣裳も、山伏の姿になっている。いわゆる海老蔵の弁慶なるものも押し出している。
仏頂寺も、これは多少見直したという形になって舞台を見る様子。丸山勇仙は、それ見たかといったような気分もある。
そこで富樫との問答になって、
「
あたりから調子が少し変になりました。唄が少々疲れてきたのと、四天王の祈りがばかに景気よくなって、無暗に
けれども、今日はどうしたものか、道庵がヒドクおとなしく、万事胸の中に心得て、表へは少しも現わさず、
「ナニ、勧進帳を読めと仰せ候か」
まで漕ぎつけたから、役者よりも、長唄よりも、道庵がまずやれやれ安心と息をつき、この分なら
「それつらつら、おもんみれば、大恩教主の秋の月は
勧進帳の読上げも
「一紙半銭の奉財のともがらは、この世にては無比の
「天も響けと読み上げたり……」
満場は深い感動の色を現わしたようです。
しかし、仏頂寺弥助はようやくうけがいません。すべてが感心の色を現わした時、仏頂寺は首を左右に振って、
「いかん」
と言いました。
観客が険しい眼をして見るのを、丸山勇仙が気兼ねをして、押えようとするが、仏頂寺はうけがわず、
「いかん。何とならば、この時の弁慶は、あくまで本物の山伏のつもりで勧進帳を読まなけりゃならん、それだのに、この弁慶は、弁慶ムキ出しで勧進帳を読んでいる、これじゃ
「まあ、芝居だから……」
「芝居とはいえ海老蔵ともあるべき者が、弁慶をやるに全くその心がけを忘れている、自分一人だけを見せる芝居をやるというのは、あるべからざることだ、弁慶だけが浮いて、ほかの人物はちっとも浮いて来ないじゃないか……その弁慶も、本当の弁慶じゃない、作り物の弁慶だ」
仏頂寺がこういって
「
という声が聞えると、
「なにッ」
と仏頂寺がムキになりました。それを丸山が袖をひかえて、
「まあ、芝居狂言だから……」
仏頂寺弥助も、やむなく沈黙しました。
その時分、舞台では海土蔵の弁慶がますます発揮し、富樫の
「いかにそれなる
義経に似たという強力が呼びとめられたのを、弁慶が怒って、金剛杖を取って
そこで、富樫が引込むと、「ついに泣かぬ弁慶も
ところが、たったいま引込んだ関守の組子が、
道庵の魂消たのに頓着なしに、そこで関守の組子が弁慶の行手を
「弁慶、待て!」
道庵が、いよいよ驚いているうちに、
「何がなんと」
またしても大乱闘が始まってしまいました。
組子は
岩見重太郎で、あのくらい斬っているのだから、弁慶となって、こんなにまで斬らなくともよかろうに……関守の歩卒を斬って斬りまくり、あわや富樫に迫ろうとして、踏段へ足をかけて
あまりのことに道庵が、初めて救いを求めるような声で、
「弁慶様、大きいぞ、刀だけじゃ物たりねえ、七つ道具を
と叫びました。
その声の終るか終らないのに、ズカズカと舞台をめがけて飛び出した者があります。
これぞ別人ならぬ仏頂寺弥助。
二十七
仏頂寺弥助は、ズカズカと桟敷から舞台の上へ出かけて行って、
舞台の上では敵味方にわかれていた富樫の部下を初め、拍子木叩きや、楽屋番の連中まで、一時は
「言って聞かせるから、静まれ!」
と
その勢いの猛烈なところへ、同行の壮士二人と、丸山勇仙とが、続いて舞台の上へ飛び上り、
「静かにしろ、仏頂寺に言うだけのことを言わせろ」
と怒鳴りました。
その勢い、いかにも殺気満々たるものですから、誰もうかとは手出しができないでいるうちに、
弁慶を取って押えた仏頂寺は、看客の方に向い
「諸君騒ぐな、拙者は気違いでもない、頼まれて芝居を妨害に来たものでもない、
といいました。
「贋物……それはきまってらあな」
と大勢の中から叫び返した
「弁慶をやっているこの役者が贋物なのだ、市川海老蔵とあるのは偽りだ、海老蔵どころではない、
持って来た番付を押開いて、高く掲げて
「おのおの方……芝居を見るにも、裏と表を
この意外なる劇外劇で、場の内外は総立ちとなり、
そこで、後ろの方は何が何だかわからない。
無頼漢が
あまり人気があるから、他座の者がそねんで、壮士を向けたのだという者もあります。
なかには、あんないい役者をなんだって、あんなに
ちょうど土間の中ほどに陣どって見物をしていた信州川中島の
「立たないで見ていろ、あの侍の言うことは聞ける、無理ばかりは言っていないのだから」
川中島の上月というのは、代々百姓をしているが、先祖は、
「あの侍のいうことが必ずしも乱暴ではないよ……わしも、江戸へ出て、時々芝居を
「へえ、贋物に違いありませんか、
「あんなにするまでもなかろうが、癖になると悪いから、ちっとは
上月は落着いて、立とうともしないから、連れの百姓たちもその気になり、
「皆さん、前が高いよ、お坐りなさい」
この一団だけは坐ったままで、前の群集を払って、ゆっくりとこの劇外劇の余興を大詰まで見ていようとする。
その時、舞台の上なる仏頂寺弥助は、組敷かれた弁慶の
「団十郎とか、海老蔵とかいう名前は、芝居の方では
と言いながら仏頂寺は、弁慶の兜巾を


他の二人の壮士は、それを擁護して、もしや仏頂寺のなすことに手出しをする者があらば、いちいち取りひしいでくれようと肩を怒らしている権幕の
何といって、
道庵先生が立ち上ったのはこの時であります。
今まで鳴りを鎮めて事の
「友様……事を好むわけではねえが、見たところみんな口の
道庵は一杯グッと飲んでからに、
「御免よ」
といって人立ちを分けて舞台の方へ進み出しましたから、米友もじっとしてはおられず、それにつづいて舞台へと進みました。
舞台の上は前の如く、仏頂寺がしきりに弁慶の身の皮を剥いでいる。仏頂寺の心では、この奴等を痛めて片輪にしてやるまでのこともなかろう、ただ後来の見せしめに、裸にしてやろうという
しかし、芝居の方面ではそうは考えず、この上どんな
「くどい!」
仏頂寺が眼を怒らして怒鳴りつけたので、二人の壮士も、
「くどい!」
あまり近く仏頂寺の傍へ寄った二三人を取ってひっくり返しました。その時です、
「御免よ……」
御苦労さまにも道庵先生が、ノコノコと出て参りましたのは――
そこへ出て参りました道庵は、何をするかと見れば、いきなり仏頂寺がくみしいた弁慶の傍へ寄って、持っていた
「さあ、この
仏頂寺へ
「御老人……何をなさる?」
弁慶になり代ってこの無茶な老人の挙動を、仏頂寺が
「何をなさるとは知れたこと……実際、こういう贋者は俳優の風上にはおけぬ
と言って道庵は、痛くもない扇子で、
仏頂寺が押えているところを叩くのだから、叩く方も骨が折れない代り、叩かれる方もあんまり痛くない。
しかし、この続けざまが幾つ続くのだかわからない。無性に叩き出し、しまいには一貫三百の調子で叩き出したから、仏頂寺も見ていられないで、
「御老人、いいかげんになさい」
と
「
と
そこで、見物も存外おだやかな解決を喜ぶ者もあれば、不足に感ずるものもあり、舞台の方では、それぞれ持場について、こうなっては明日からの興行はできない、今晩のうちにも、無事にこの土地を立退くのがりこうだという考えになり……今日の入れかけは別に半札を出せという見物もなく、ともかく、これで幕を引こうというところへ、よせばいいのに楽屋の奥から、
「百姓!」
と大きな声で怒鳴りましたから、見物はまた何事が起ったのかと足を停めました。
この周章者は、多分、よそから戻って楽屋へやって来たばかりのところでしょう。そうでなければ、今までの
「百姓!」
といって、大きな石を投げ込みました。
いったん戻りに向った群集がその声で驚かされて、立ち止って、舞台の方を見ると、一人の
「百姓! 貴様たちに、勧進帳の有難味がわかってたまるか!」
と叫びました。その有様は、見物に向って喧嘩を売るような調子でしたから、一時は見物もみんな
「百姓!
これはあまりに聞き苦しい言葉ですから、誰もこれを聞いて胸を悪くしないものはありません。芝居の方でも、これは悪いところへ、よけいな口を
「百姓! 江戸の芝居が見たけりゃ、出直して来い!」
そこで立ったのが、例の川中島の上月一家の百姓たちでありました。
「ナニ、百姓がどうした?」
今まで坐っていたこの一座が、初めて総立ちになりますと、統領の上月が、必ずしもそれを留めませんでした。
「百姓!」
楽屋の
「百姓がどうしたというのだ」
福島正則以来の気概といったようなものを持つ川中島の百姓たちは、早くもその
さてまた、劇外劇の引返しがある。
結局、その十余人の川中島の百姓たちが、
昔は天子自ら鍬を取って、農業の儀式をなされたものだと叫ぶ者もあります。
農は国の本だ、宝は「田から」である、土から出づる物のほかに、人間の
われわれは百姓に違いない、お前のような遊民とは違うぞ! と
舞台の方に味方がないのに、見物の方に共鳴が多いのですから、周章者が、いよいよ
この周章者も、最初からの様子をよく知っていたならこういうこともあるまいに、外出していたところへ、芝居に騒動が持上って、見物が役者をとっちめたと聞いた早耳で、血相をかえて舞台へ飛んで来て、いきなり百姓呼ばわりをしたのが悪かったのです。
仏頂寺、丸山、壮士らは取合わず、元の座へ戻って、次の百姓問題を笑いながら見ていました。
道庵先生も、一時は、その不意に驚かされましたが、やがて事のなりゆきを見て、これはあの連中の処分に
そこで十余人の川中島の百姓たちは、周章者を小突き廻して、こもごも百姓のいわれを
普通の百姓ではこうはゆきますまいが、信州川中島の百姓は、ことに福島正則以来を誇りとするこの部分の川中島の百姓には、強いのがおりました。この上月は帯刀の身分であった上に、連れて来た十余人の百姓たちも
この十余人の百姓たちは、周章者を
それはあまりに
そこで、この周章者は四斗俵を背負わせられて、猿廻しをするように、前後をたたき立てられながら、舞台から花道を廻らせられることになる。
一俵、少なくも十五貫はあるだろう。普通の百姓ならば、苦にならない荷物だが、この男にとっては堪え難い負担で、一足行ってはよろめき、二足行っては倒れるのを、起してやって、またたたき立てて歩かせる。
舞台から花道を一廻りする間に、ヘトヘトになってしまいました。
それで、七廻り目に、息も絶え絶えになって倒れたのを楽屋へ担ぎ込んで、水を吹っかけたりして力をつけました。そんなことで、芝居はさんざんな
道庵主従は、その足で浅間の温泉へ行き、鷹の湯へ泊りましたが、そこは宇津木兵馬も宿を取っているところ、まもなく仏頂寺、丸山、その他二人の壮士も押しかけて来ました。
その翌日、松本の市中から浅間の温泉までが、にせものの海老蔵の噂、
「いったい、狂言をやるにも、役者の名をつけるにも、いちいちお役所へ届けることになっているだろうが、あんなにせものはお役所で、ズンズンひっぱたいてしまえばよかりそうなもんだ……」
と言う者がある。
「蠅のようなやつらだから、お
と言う者もある。
とにかく、仏頂寺弥助のしたことを悪くいう者はない。
今後、ああいうにせものが来たら、お侍の手を待たず、われわれでブッちめてしまう方がいい、と町内の青年団が
川中島の百姓たちの
いったい、芝居だとか、写し絵だとかいうものを見せるのは、
それは極端だ――よい演劇や、よい写し絵は、われわれの労を慰めた上に、意気を鼓舞し、人間に
本当の芝居好きは芝居好きで、また仏頂寺らのしたことに感謝する。ああいうにせものの
すべてが、仏頂寺や、川中島の百姓たちの取った手段を、悪いという者のない中に、市中の一角に巣を食っていたガラクタ文士の一連だけが、文句をいいはじめました。
横暴である、暴力団の行為である、暴力を以て芸術を
それらがまた不相当の理窟を付けて、なにも弁慶というものは市川家の弁慶ではない――海老蔵とそのまま出せば
この連中は常に、クッついたり、ヒッついたりする物語を書いて、おたがいに刷物を配っては得意がっている。親たちがそれを意見でもしようものなら躍起となって、芸術は修身書ではありませんよと叫び出す。
そうクッついたり、ヒッついたりすることばかり書くことは
翌朝、道庵先生がお湯に入っていると、それとは知らず、こんな不平を道庵の前へ持ち出して、仏頂寺の乱暴を鳴らす若いのがありましたから、道庵は、お湯の中でそれを聞き流していると、いよいよいい気になって、クッついたり、ヒッついたり、吸いついたりするところをやって何が悪いでしょう、外国では……と、際限がないものですから、道庵先生が居眠りをするふりをして、その頭をコクリコクリと若いのの頭へブッつけました。
年こそとったれ、道庵の頭はなかなかかたいのですから、それをコツリコツリ、ブッつけられてはたまらない。クッついたり、ヒッついたりの青年は、
幕末維新の時代は、政治的にこそ
これを前にしては、西鶴の
有るものはガラクタ文士の小さな親分。有っても無くてもいいよまいごとを書いて、これを文芸呼ばわりをし、前人の
時に、政治的には勤王党だの、佐幕党だのという呼び声が高かったものだから、この文士連もそれを
「お前方、それは
道庵先生なども、それを戒めてはおりましたが、どうにもならないで、いよいよ堕落するばかりでありました。
だからこの連中は、ガラクタ文士を集めては相当範囲の勢力圏を作り、自党に不利なるものの出現に当っては、伏兵を設けて、白いものを黒く、黒いものを白くする宣伝術策ぶりだけは、腐敗した時代の政党に異ることなく、文学というものを、極めて低劣な
ロシヤのトルストイが「戦争と平和」を脱稿したのは、この前年であります。フランスのユーゴーが「
しかるに、日本の文学界は前申す通りの、お山の大将とそれを取巻く寄生文士、その争うところは、
仏頂寺弥助は、その翌日、
「なあに、吾々が手を下すまでもなく、見る人の眼が肥えていさえすれば、にせものが百人出ようとも、あえて問題にするまでもなく自滅あるのみだが、
二十八
宇津木兵馬に愛想づかしを言って分れたお銀様は、その晩、ふらふらと甲府の宿を立ち出でました。どこへ、どう行こうという当てがあって出かけたとも思われません。ただ、どうも、じっとしてはいられないので、そぞろ歩きをしてみる気になったのでしょう。
甲府の町の天地は、今やその昔のように殺気のあるものではありません。
「あのお嬢様はどこへ行くつもりだろう――いくらなんでもこの淋しい竜王道を……
後ろ影を見送って心配する者もありましたが、それも目には入らないで、お銀様は、ただもうふらふらと歩いているだけのようです。それでもややあって、
「おや?」
とわれに返った時は、月があるのか無いのか知らないが、天地がぼかしたように薄明るく、行く手の山を見ると、それは見覚えのある地蔵、
ああ、いつか知ら、甲府の町は離れてしまった。それでも、われを忘れて歩いていた道は、忘れもしない竜王道。
知らず識らず、自分は故郷の方へ近く歩いていたのだと知りました。
このあたりは、もう、人家とては一つもなく、往来もまた人通りがありません。
故郷の有野村。
そんなつもりではなかったのに、どうしてこちらへばかり足が向いたのか。
ああ、あれは有野村のわが屋敷の中の森ではないか、あの黒いのは。
有野村一帯は父の家のようなものだが、わけてあの黒い森の下に自分のと定められた家がある。
故郷、自分は故郷へ帰るつもりではなかったのだ、故郷を避けて通るつもりであったのに、故郷が自分を引きつける。あの暗い森の下に、やはり温かい何物かがあって、この
お銀様は
人は故郷へ帰るが、魂はどこへ帰る。
故郷はこの醜骸を迎うるに、温かき心を以てするとも、この傷ついた魂をいたわるものは、いずれにある。
お銀様は、そこに立って、ひた泣きに泣きました。涙の限り泣きました。
慈愛あって、その慈愛を信ずることのできない父の名を呼んで泣きました。
自分の形骸を壊して、こんな生れもつかぬ醜いものとして陥れたと信じている継母の名を呼んで、お銀様は泣きました。
ほとんど白痴に近い弟の三郎――やがて有野の家の当主となって、無意味なる財産のためにさいなまるべき弟の名を呼んで泣きました。
最初の愛人幸内の名を呼んで泣きました。が、今はその愛人も無く、それを虐殺した人もありません。
われは惨虐と、
欲しいものはなんにもない。ただ純な心一つが欲しい。その心一つを抱いて故郷の土が踏めるなら――と、お銀様の魂がしきりに叫びました。
傷ついた魂から血が流れます。お銀様はその血を押えながら街道を歩みはじめました。道が竜王の松原へかかって、有野へはこれから曲ろうとするところ。
ふと、赤児の泣き声がする。遠いところで
その声を聞くと、お銀様は地上を
血は流れていないが、物がある。
お銀様はギョッとしてたちどまりました。
だが、それはその昔、
柱が二つに折れ、半月から腹まで無惨に踏み裂かれた一面の琵琶が、街道の地上に露を帯びて打捨てられてある。
お銀様は一見して、これは追剥に逢ったのだと思いました。人間が追剥に逢ったのではない。琵琶が――琵琶そのものが悪漢に捉まって、首を切られ、腹を裂かれたのだ。琵琶そのものがここで無惨にもあえなき
こういう場合、人間の死骸よりも、有るべからざるところにある物の死骸が物凄い。見給え、琵琶の腹から
人間の手に作られて、人間の用をなすもので、人格の備わらぬというは一つもない。
琵琶が殺されている。
しかし、琵琶の殺されたことは、わが身に何のかかわりあることではない……とお銀様は冷然としてそこを歩み去って、左に折れました。
釜無川につづく竜王松原の中、一歩、足を踏み入れたと思うと、人の
そこで、お銀様は再びギョッとして振返ったのはさいぜんの琵琶で、呻きの声はただいまのその琵琶から起ったのではないか?
それならば脈がある……あれほど無惨に殺された琵琶に、まだ
お銀様は怖ろしいと思いました。
しかし、琵琶がよし助けを求めたとてそれが何だ。自分にかかわったことではない――とお銀様は再び冷然として、また竜王松原の中へ足を踏み入れること一歩。
そこに、また人間の呻く声を聞く。
お銀様は、やはりそれを、殺された琵琶の息を吹き返して、本能的にこの世に向って助けを求める声だと聞きました。
だが、琵琶の死んだのと、生きたのが、何の自分にかかわりがある――
今度は思い切って、後をも見ずに松原へ走り入ると、またしても人の呻く声が頭上に聞えました。
お銀様は何ともいえないいやな気持になりました。それは助けを求めて聞き入れられない琵琶が、必死の恨みを
お銀様はまさしく琵琶の幽霊に追われたと思いました。
そこでお銀様は三たび冷然として立って、静かに顧みたが、松の木の間を通して見る街道の琵琶の死骸は、以前の通り身動きもしたとは思われない。
お銀様は、その
そこでお銀様は、静かに二三歩立ちのいて、その頭上を仰いで見ました。
前いう通り、明るい晩のことですから、瞳を定めてよく見ればその輪郭はほぼわかる。成人にしては小さく、子供にしてはやや大きいのが、
「かわいそうに……」
そこでお銀様も、それを助ける気になりました。お銀様なればこそ、これを助ける気にもなったので、世の常の女性にして、この時、この際、人を助けんとする余裕や、冷静などがあるものか……だが、その助ける手段方法については、多少の考慮を費さねばなりません。
幸いに、縄の一端が
そうしておいて、
お銀様は
「おーい」
と呼んでみました。
その手答えは極めて遅く、程あって、軽い
「おーい」
お銀様はなんとかこの被害者の名を呼んでみなければ、呼び
「あ、これは――これは弁信さんじゃないかしら?」
「弁信さあん、しっかりなさいよ」
お銀様は、砕けるほどかたく弁信を抱きしめて、あらん限りの声で叫びましたが、その声は今までと違って、天来の力が
「弁信さん、しっかりなさい」
お銀様は弁信をしっかりと抱きしめて、
しかし、少しも失望することはない。この松原の中を一散に走れば釜無川の岸である。そこには落ちて富士川となる水が
お銀様は、弁信を抱いたなりで、松原の中をひた走りに走りました。
やがて釜無川の岸。
お銀様は、その水を含んで飽くまで弁信の
この声に、眠りの醒めないということはありません。
息を吹き返した弁信に、お銀様は自分の羽織を脱いで着せ、
「弁信さん、どうしたのです」
「ああ――」
弁信は長く息を引いて、深く空気を吸い込み、
「ああ、わたしは助かりましたか?」
「助かりましたよ。どうしてこんな目に逢いましたの?」
「あなたはお銀様ですね」
「そうですよ」
「お話し申せば長うございますが……」
鹿の子は生れて
「ちょうど、この松原で……多分ここは松原の中だと思いますが、私の前へ一人の人が現われて申しました、お前はどこへ行く……私は旅をして歩きますと申しますと、一人で旅をして歩くには路用というものを持合わせているだろう、それをここへ出せ、とのことでございます……いいえ、左様なものは持合わせてはおりませぬ、と答えましたが、その人が聞き入れません。嘘をつけ……持っているだけ出さないと為めにならぬぞ、と、
その方が、いきなり私を足蹴に致しまして、よく、ペラペラ
弁信が例によって一気にここまで
「弁信さん、私のうちへおいでなさい、あなたに着物を着せて上げますから……」
お銀様は弁信法師を伴って、故郷の有野村へ帰りました。
お銀様自身は故郷にそむいていたつもりだが、故郷はお銀様の
今まで、ことごとくわれにつらしと思っていた家中のすべてが、みな温かい心を雨のように降らして、そむいて来たものを、なついて来たもののように迎えるのは、多少お銀様のかたくなな心を解いたかも知れません。
しかし、その日は暗いうちにわが一間に入り、翌日は一切、日の目に自分の顔を見せず、無論、家中の誰にも面会ということをしないで、お銀様は、おのが部屋に
それと反対なのは弁信法師で、もう、たどりついたその晩から、有らん限りのお喋りを発揮して、当るを幸いに相手として喋り続け、今朝も起きて、倉に所蔵の
それを聞きつけたお銀様が、窓の向うから
「弁信さん――これから、あなたの仕事として、東の土蔵に昔から蓄えている楽器の