一
近江の国、草津の宿の矢倉の辻の前に、一ツの「
そこに一個の
この者、農奴の分際を以て恣にてうさんを企てたる段不埒 につき三日の間晒し置く者也。
この捨札を前にして、高手小手にいましめられて、晒されている当の主は、知る人は知る、宇治山田の米友でありました。彼が、この数日前、長浜の夜を歩いた時に、思いもかけぬ捕手と、だんまりの一場を演じたことは、前冊(恐山の巻)の終りのところに見えている。その米友が、今は
彼は今や、彼相当の観念と度胸とを以て、一語をも語らないで、我をなぶり見る人の
そもそも、「この者、農奴の分際」とある農奴の二字が、わかったようで、よくわからないのであります。事実、日本には農民はあるが、農奴というものはない。内容に於て、史実なり現実なりをただしてみれば、それは有り過ぎるほどあるかも知れないが、族籍の上に農奴として計上されたものは、西洋にはいざ知らず、日本には無いはずであります。だが、往来の人は、別段この農奴の文字には
「ははあ、ちょうさん者だな」
「なるほど、ちょうさんでげすな」
「ちょうさんおますさかい」
「ふ、ふ、ふ、ちょうさん者めが……」
などと言い捨てて通るものが多い。それによって見ても、農奴の文字よりは、ちょうさんの文字が四民の認識になじみが深いらしい。
ちょうさんといえば、すでに、ははあ、と何人も即座に納得が行くようになっている。その一面には、農奴は農奴でそれでもよろしい、ちょうさんに至っては、
二
ちょうさんは即ち「逃散」であります。現代的に読めば「とうさん」と読むことが普通である。「逃」をちょうと読むことと、とう」と読むことだけの相違なのです。これを訓読すれば、「逃げ散る」というのほかはない。
そこで、農奴なる分際のこの
米友が、賤民階級に生れ出でたということは、本人自身も隠すことはしない。しかしながら農奴という身分を自称したこともなければ、未だ
それからまた、「逃散」の罪は、盗みの罪ではない。殺しの罪でもない。大抵の場合に於ては、逃げるとか、走るとかいうことは、本罪ではなくて、いわば副罪ということになっている。すなわち、殺しをし、盗みをしたことなどのために、現地に安住が
もし罰するとすれば、やはり殺しに於ける、盗みに於けると同じように、私通であり、姦通であり、そのことに罰せらるべくして、逃散そのことに罪があるべきはずがないのです。
にも拘らず、通るほどの人は、いずれもそれに黙会を与えて過ぎ去る。
「ちょうさんか――」
「ちょうさんではやむを得ない」
「ちょうさんでは、どないにもならんさかい」
然らば、農奴なる者に限っては、殺しもせず、盗みもせず、私通も姦通も行わずして、いわば、なんらの罪というべきものがなくして、ただ単に「逃げ走る」ということだけが罪になるのか。
事実は、まさにその通りなのである。罪があってもなくても、逃げるということがいけない、逃げるということが罪になる。
三
「ありゃ、身内のものなのです、土地っ子ではありません、ですからこの土地へ来て農奴呼ばわりをされる籍もなければ、ちょうさんの罪を着せられる因縁が全くないのです」
と言っているのは、ほかならぬ元の
「そうでしょう、数日前、拙者の寓居を訪れてから間もない出来事なのです、あの者がこの土地の者でないことは、拙者もよく存じておりました、
と言ったのは、過ぐる日、琵琶の湖畔で、釣を試みていた
「ちょっと想像がつきません、洗ってみれば直ちにわかる身の上を、ことさらに
と不破の関守氏が、青嵐居士への受け答えと共に新たなる疑問の主題を提供する。
「それは、ある程度まで想像すればできる、またそれを真正面から見ないで、反間苦肉として見れば、政策的に、時にとっての魂胆がわからない限りでもございませんがね……」
と青嵐居士、
「左様でござるかな」
「左様――あの男とは、先日偶然の縁で、長浜の湖畔で対面しましてな、それから拙者の寓居まで立寄らしめたという因縁がござるが、その節、彼は夜分にもかかわらず、振切って町へ出て、それからついにあの始末です、その間の事情を、
「なるほど」
青嵐居士が粘液的に話しぶりを引出すと、不破の関守氏は、他意なく傾聴ぶりを示すのであります。
「後で土地の人に聞きますと、あの晩、思いもかけぬ物凄い一場の場面が、深夜の長浜の街上で行われたそうです。伝うるところによりますと、あの小男はあれで、勇敢無比なる手利きであるそうですな、捕方に向った一方も、その方では名うての腕利きであったが、すでに危なかったそうです。すなわち、さしも腕利きの捕方も、すでにあの小男の一撃の
四
「ははあ、わかりました」
不破の関守氏は、青嵐居士からの一くさりを聞いて、相当の頓悟があったらしく、二度ばかり
「罪のないものに刑は行えない、刑を行わんとすれば、相当な罪をきせてかからなければならん、そこであの先生、その政策にひっかかったのだな」
「そうです、時節がら、農民おどしの
「ありそうなことです」
二人はここで、合点して多少の思案にうつりました。
二人の結論では、宇治山田の米友が、草津の辻で、ああいった運命に落されているのは、要するに時節柄、農民おどしのための案山子として使用せられているのだということの推想と断案とに、あえて異議がないもののようです。
かりにそうだとしてみても、こういうことをして、あの一人の若者を案山子に使用せねばならない時節柄の、農民の問題の急務ということについては、相当の予備知識がなければならない。
すなわち、こういうような時節柄であって、もしあやまって土地っ子の一人二人をでも捕えて刑に当て行う段になると、反動を増すばかりである。それをきっかけに暴動を誘発するようなものである。そういう場合に於ては、
青嵐居士は、かねて長浜にいてお銀様一党の行動を
あの男を救済せんとするには、代官を相手にしてかからなければならぬことが、当然わかり過ぎるほどわからなければならぬ。そのお代官も、公儀お代官なのである。徳川幕府直轄の天領お代官ということになる。
してみれば、二人が打揃って、おとなしく「貰い下げ」運動でも試みようとするようなそんな甘い手では行くまい――だが、多数を率いて示威運動などはこの際、なお悪い――と観念してみたり、或いはまた他に別の手段方法を試むることにでもなるか、いずれにしても、この二人の知恵者が底を割った以上は、あの
五
徳川時代の法によると、「晒し」というものは、おおよそ三日間を定例とする。三日間を生きたままで晒して置いて、それから
してみると、あだしごとはさて置き、宇治山田の米友も、出家でない限り、俗人である限り、三日間こうして晒された上で、生命を取られることに運命がきまっている。とすればかわいそうではないか。当人は、この運命を自覚しているや否や、ものすごく沈黙したなりで、決して口をきかない。役人番卒が何と言っても口を
こうして、いよいよ二日間完全に晒されてしまった。明日は三日目の「晒し」である。明日が終れば、「晒し」の方はこれでおゆるしになるが、その代り生命の方を召されてしまう。
さて、こうして二日間、誰ひとり助けに来ようという者はない。貰い下げを歎願に来ようという者もない。また、多数の威力でデモを以て奪還を試みようとする勇気もない。
それもまたそのはずです。この晒し者に限って、所番地というものが更にわからない。単に「農奴」としてあるだけで、何の郡の、何村の農奴に属するのだか、その人別が書いてない。書いてないだけではない、事実、いずれの村の農奴だか、この騒ぎの中で誰ひとり見知ったものがないのだから、
そこがまた、役向の見つけどころかも知れません。
さて、その日の夕方になると、縛られている米友の前へ、二人のひにんがやって来て、無遠慮に穴を掘り出しました。三尺立方の真四角な穴を掘りにかかりました。
「おい、兄い、よく見て置きな、明日になると、お前のその笠の台と、胴体とが、上と下への生き別れだよ――首が落っこっても痛くねえように、土をやわらかに掘りふくらめといてやるぜ」
と、ひにんが小声で戯れに晒し者に言いかけました。
それを聞いていい心持がするはずはない。新聞紙上には、議会が自らの墓穴を掘る、というようなことがよく出ているけれど、文字として
米友は、それを黙って聞き流しました。あえて一言のタンカを切るでもなく、むじつを訴えるでもない。明日は、この穴の中へ、自分の
非人が二人で、三尺立方の穴を、ほとんど掘り上げてしまった時分に、通りに林立している見物の群集の中に、
「あっ!」
と思わず口へ手を当てて、
六
この男はキリリとした旅慣れたいでたちで、三度笠をいただいていたが、人混みにまぎれて物好き半分、この「晒し者」を一見すると卒倒するばかりに気色ばんだが、やや落着いて、
「どうしたというんです、ありゃあ」
そっと、ささやくように、傍らの人に問いかけたものです。
「ちょうさん者ですよ」
「ちょうさんてのは……」
「つまり、百姓
「あれがですか、あの男が百姓一揆なんですかね」
「へえ、あれ一人が百姓一揆というわけじゃあございませんな――やっぱり一味ととうの一人なんでしてな」
「あれが……」
「左様でござんす、一味ととうのうちでも、ちょうさんを企てた最も罪の重い奴ですから、それであの通り、『晒し』にかかりました、明日あたりは打首という段取りでござんしょう」
「冗談じゃあない――あれが、あの男が、この土地の百姓なんですか」
「そうですなア、さればこそ、ああして『晒し』にかけられるんでげさあ」
「嘘をお言いなさんな」
あわただしい旅の男が、問答者を相手に
「嘘をおっしゃるな、ありゃあ、この土地の者じゃありませんぜ、あの男は、この国の百姓じゃござんせんぜ」
「でも
「何を書いてあるか知らねえが、あの男はこの土地の百姓じゃあねえ、
「お前さんの御親類かね」
「ばかにしちゃあいけねえ、お前さんこそ、あの男が百姓だと頑張りなさるんなら、
「そりゃ知りませんなア、わしゃ、やっぱり通りがかりの者でござんして、人別改め役じゃござんせんから」
「じゃ、何と書いてあるか、読んでごらんなさい、所番地が何と書いてあるか、読んで聞かせておくんなさい」
「それが、ただ農奴だけで、所も、番地も、名前も、記しちゃあござんせん」
「そうらごらんなせえ、あんな百姓があるものか」
「あれが百姓でないとおっしゃるお前さん、ではありゃ何者なんです、御承知なら聞かして下さい」
今度は、たずねられた方から逆に反問と出かけられると、たずねた方が、やっぱり相当に昂奮して、
「あの男は、ありゃあ、やっぱり旅の者なんだ、ついこの間まで江戸にいた男なんだ、それがお前さん、どうしてこの土地へ来て百姓一揆に加わる
「へえ――」
「人違いで『
「江戸の方なんですか」
「そうだとも、生れはどこか、よく知らねえが、ついこのじゅうまで永らく江戸に住んでいて、こちとらとも附合いがあるんだ、あいつが、どう間違って、
ここまで来ると、右の江戸者らしい旅の男はいよいよ昂奮して、舌なめずりをしてみたが、急に、自分の昂奮ぶりと、物の言いぶりが、つい知らず
七
なるほど、そう気がついたのも道理で、この旅の者の物言いぶりがあまり際立ったので、誰も彼もが、晒しを見る眼をうつして、この、ひとり昂奮した旅の者の方へ集中させられるのですから、はっと気がついたのですが、それにしてもこの旅の者が、
あんまり自分の物言いぶりが過ぎたと感じ、彼はテレて、こっそりと口を押えたまま人混みに紛れようと試むるらしい時に、その後ろにいた
「モシ」
と問いただしたものです。
「エ」
呼びかけられてみると、挨拶をしないわけにはゆかなかったが――挨拶というより
「あんたはん、あの晒しの男は、この土地の百姓じゃあないとおっしゃいましたか」
「え、その、何ですよ――そうです、そうです、たしかに人違いなんですよ」
と言って、やっぱり振り切るように急ぎ足になるのを千草股引は、透かさず追いかけるようなこなしで、
「お手間は取らせませんが、そこでひとつ、お聞き申したいんですが、あんた様ぁ、あの者の
「そりゃ、知ってるといえば知ってるがね、そう言ってわっしにおたずねなさる、お前様はどなただね」
「わしは――あの男の身性を知りたいんでして」
「あの男の身性を知りたければ、係り役人にお聞きなせえな、そうでなければ、直接、御当人に聞いてみなせえ」
「お役人は
全く、その千草股引は、この旅の男を逃がすまいと畳みかけて問いかけるのを、こちらは非常に迷惑がり、
「お上役人も当人も知らねえものを、こっちが知るかなあ。ただ、ちょっと、見たようなことがあるような気がしただけなんだ、何も知りゃあしねえよ、先を急ぐから、まあ、このくらいで御免なせえ」
旅の男は、もう全く逃げ足で走り出そうとする。つまり、一時の昂奮から、心にもないことを口走ったことを悔い、こんなことから、変なかかわり合いになってはつまらない――と、素早くこの場を外してしまおうとするものごしでした。それと見て取った千草股引が、急に権高くなって、やにわに飛びかかって参りました。
「待ちろ――逃げちゃあいけねえぞ」
「何を……」
むんずと飛びついて来た千草の股引は、これは
それに飛びかかられた旅の男――もう四の五もない、ぱっちにかかった雀のように、おっかぶされたかと思うと、
「何を、田舎岡っ引め、しゃらくせえ真似をしやがんな」
武者ぶりつかれてかえって、度胸が据ったらしい旅の男――
「まだこんなところで手前たちに年貢を納めるにゃ早えやい」
そこで、またしても大格闘がはじまったかと思う間もなく、旅の男の風合羽がスルリと解けて千草股引の頭の上からかぶさり、その間に股の間をスリ抜けて、一散に逃げました。
「
さすがの名捕方に空を
八
とりにがした、名捕方の轟の源松は歯噛みをしました。事実、こんなはずではなかった。
それは、あえて懐ろ手をしていたわけでもなければ、その激しい掴みかかりを引っぱずしたという次第でもない、本来、この旅の男には右の腕がなかったのです。いかな名探偵といえどもないものは掴めない。
有るべく予期して無かったというのは見込違いではない。誰でも、普通の人間である限り、この合羽の下に二本の腕がある、一方が右腕であれば、一方は当然左腕であることは常識になっている――ところが、この旅の男には、取らるべき利腕の右が存在していなかった。そこでまず殺してかかるべき利腕を殺すことができないのみならず、その掴みそこねたこっちの
ここまで言ってしまえば、当然このすばしっこい摺抜け者が、がんりきの百蔵という
果して、がんりきの百の野郎は、かくの如くしてこの場を走り出しました。
一方、名探偵の轟は、ひとまずは不意を食って泳がせられたものの、これをこのまま口をあいて見送っている男ではない。
かくて、白昼、意外な捕物沙汰が街道を驚かして、この事のセンセーションのために、「晒し」そのものの場は閑却されたのみならず、「晒し」見張りの役人非人までが、轟親分の捕方の方へ気を取られて、バラバラと走り出したという乱脈になりました。
九
悠々と八景めぐりをして、大津の
伊太夫はすなわちお銀様の父である。自分はこの人からお銀様の附添ならび監督を仰せつかって来たものである。
その大旦那様が、どうしてまた急に、こっちへお出むきになったのか知ら、なんにしてもこれは、取るものも取り
そもそもお角が、かくもゆるゆると八景めぐりをして道草を食っているのは、一つには胆吹へ道を
「お角さん、お前という人も、存外頼み甲斐のないお人だね、お前さんに限って、娘を引廻せると信じてお任せしたのに、娘を胆吹山なんぞへおっぽり出して置いて、自分ひとり八景めぐりなんぞは、あんまり
まさか伊太夫が、こんなに急に
しかしまあ、悪いことをしたわけじゃなし、やむにやまれぬ事情はお話し申せばわかって下さること――観念もして、そこはかと身なりをキリリとしたが、さて出かける前に、お
お角さんがお手水場を志して、なにげなく縁側をめぐって、秋蘭の植えてあるお手水場のところへやって来て、開き戸を手軽くあけて、
「おや――」
お角さんほどの女が、ここでまた一種異様な叫びを立てて立ちすくんだのが、不思議千万でした。
十
便所の内扉を開いたままで、お角さんが、「おや」と言って、異様な叫びを立てて立ちすくんだも道理、その便所の中には、先客があって、悠々としゃがみ込んで用を足している最中であったからです。
「無作法千万な!」
誰でもこう思わなければなりません。このお手水場は、お角さんの座敷に専用のお手水場になっている。そこへ、余人が入っていようとは思いもしなかった。且つまた、誰か臨時に借用したにしたところが、用を足しているならばいるように、内鍵というものもあるし、それが
「こんちは」
と言いました。
「畜生!」
とお角さんは、思わずこういって
「ナンダ、ナンダ、
お角さんの悪態は悪態にならず、全く面負けの、
こうして、お手水場の中にわだかまっていた奴は、昔は腐れ合いのがんりきの百蔵というやくざ野郎そのものに紛れもないのですから、
「馬鹿野郎、なんだい、そのザマは」
お角さんは、続けざまに怒鳴りつけてみたまでですが、中の野郎はいよいよイケ図々しく、お尻を持上げない。
「たまに来たものを、そんなにガミガミ言わずとものこっちゃあねえか――」
「相変らず図々しい野郎だねえ。だが表玄関からは敷居が高くて来られもすまいねえ、臭い奴は臭いところが相応だよ」
「おっしゃる通り表向きには、やって来られねえ身分だからかんべんしておくんなさい」
「どうして、わたしがこの宿にいることがわかったんだい」
「どうしてったって、そこは
がんりきのやくざ野郎からこう言われたお角が、また
「何だって、あの友が、米友の野郎がなにかい、草津の辻で晒しにかけられてるって、そうして今日明日のうちに首がコロリだって、そりゃ本当かい」
「嘘を言ってお前をたぶらかすために、こんな臭い思いはしねえよ」
「ばかにしてやがら」
お角さんが、ここで
そこで、お角が
十一
がんりきの百の野郎といえども、一から十までロクでなし野郎だという限りでもない。それから後暫くあって、臭いところから
「ふ、ふ、ふ、そうら見ろ、あの女め、火のように怒り出しやがった。だから、言わねえこっちゃねえ、あいつを、ああ
と言うのは、つまり、自分の寸法がすっかり図に当ったことを
がんりきの野郎は、その寸法を己惚れきっている。その一方にはこうして、お角を火の玉のようにして転がし出して置きながら、そのあとを然るべき要領で、お角親方の
「有難え、お茶を一ぺえ――甘えお茶菓子も有らあ」
そこで、お茶を飲み、菓子を食い、さて、ゆっくり掻巻へもぐり込んで一休みと、足腰をのばしにかかってみると、指が痛む。
「ちぇっ、右の腕はブチ落される、今度は残った左の方を小指からなしくずしなんぞは醜いこった――
と言いながら、
十二
果して、がんりきの予想通り、お角さんは火の玉のようになって、この宿を転がり出たのです。
その勢いで、本陣へ上って伊太夫に面会したが、もうその時は、さきほど心配した自分の責任感のことなどは、いつしかケシ飛んでしまって、晒しの鬱憤で張りきっていました。それでも、つとめて抑制して、伊太夫へは丁寧な挨拶を試みたつもりですけれども、挨拶が済むと早くも
「ほんとに、大旦那様、万事ゆっくりとお話し申し上げ、お
お角さんの余憤満々たるのを、伊太夫は只事でないと見て取ったものですから、
「まあ、落着きなさい、何かお前さん、よっぽど張り切っておいでなさるが、何事が起ったのです」
「いえ、なあに、つまらないことなのですが、うちの若い者が……いいえ、以前うちに使っていた若い奴が、気が早いものですから、旅に出て、
「どうしたのですかな。旅に出ては間違いが起り
「いえ、もう
「まあ、待って下さい、その晒し者のことなら、わしも見ましたよ」
「まあ、大旦那様、あなたもごらんになりましたか、あの米友の奴が」
「名前は何というか知りません、また、あの男がお前さんのかかわり合いの男だということも、はじめて聞くのですが、どうも通りかかって、あれを見て、わしも変だと思いましたわい」
「全く変な奴なんでございます、あの友という野郎は、変った野郎には相違ございませんが、ちょうはんをしたり、晒しにかかったりするような、気の利いたことのできる野郎じゃないのです、あいつは、天性曲ったことのできない野郎なんですが、それが間違って、晒しにかかった上に、今日明日のうちに首がコロリでは、どうあっても、このままでは済まされません、こうしている間も気が
お角さんの言葉によるとちょうさんがちょうはんになっている。ちょうさんの説明は前に言った通りですが、ちょうはんとなると僅か一字の相違で、内容も形式も全く別なものになる。すなわちちょうはんというのは「ばくち」の一種で、丁よ、半よと、
ちょうはん、ちょぼいちの罪の罪たるべきことはお角さんの頭にもある。ただ、そのちょうはん、ちょぼいちを
十三
お角の激昂するのを聞いていた伊太夫は、
「なるほど、そういう場合では、お前さんの気象として、じっとしていられないのも無理はない。だが、相手は何といってもお上役人だから、たとえ理があっても正面からポンポン行くと、かえって事こわしになる
そう言われると、お角さんも馬鹿でないから、昂奮のうちにも、敵を知り
「そうじて、お上役人というのにぶっつかるには、更に、も一段上から出るか、側面から当るのが最も
伊太夫からそう言われて、お角としても、いよいよなるほどと思わせられないわけにはゆかないで、
「
と言ってみたが、そのほかには急になんらの思案も浮ばないから、二の句もつげない。なるほど、この大旦那が、甲州一円の土地であるならば、ずいぶん面も利き、
お角さんが、やきもきしながら返答ができないでいる、その心持を伊太夫は充分察することができるから、お角さんから
「いったい、この土地は、どこの藩に属しているのかな、
伊太夫は、自問自答式にこうつぶやいて、ようやく思案が深入りして行く途端に、お角さんが、急に声を上げて言いました、
「ああ、いいことがございました、ほんとに、どうしてこれに気がつかなかったんでしょう、わたしという女も、実に頭の悪い女でござんしたよ」
「何か、いい分別がつきましたか」
「大旦那様、誰彼とおっしゃるよりは、新撰組がようござんしょう、新撰組をお頼り申すのが、手っとり早くて、いちばん
「なに、新撰組――」
「左様でございます、とっくにそこへ気がつかなければならないわたしという女の頭が、こんなにまで悪い頭とは思いませんでした、旅の風に吹かれ通したために、脳味噌が少し参ったんでしょうと思います」
十四
お角はひとり呑込んで、しきりに意気込んでいる。
それから、お角が伊太夫に向って、いま京都からこの地方にまで及ぼすところの、新撰組、すなわち
新撰組の行動に就いては、御領主様といえども、お奉行様といえども、これに加うることはできない。当時、名立たる大藩といえども、会津といえども、彦根といえども、これには一目も二目も置く。新撰組に
しかして、その新撰組を意のままに駆使するところの大将が近藤勇で、副将が
というのは、当時、新撰組の及ぼす威力は京洛の天地だけではない。その時代の動静が、かなり敏感に伝えられるところの、甲州第一の富豪の手許まで情報が届いていないということはない。どこまで彼等に全幅の信用を置いていいか悪いかわからないが、この際は、事の思案よりは、急速の実行を可なりとする。時にとっての強力が必要である。そこで、伊太夫も一応お角の提議を承認するまでもなく、お角さんは早くも庄公を次の間まで呼ばせて、
「庄公――お前これから大急ぎ、馬でも
こう言いつけて置いて、お角自身も急に伊太夫に向い、
「大旦那様、では、わたしの方もこれから現場へ駈けつけてみますから――時が遅れてはいけません、救いの手が来るまで、どっちみち、現場へ因縁をつけて置いてみることに致します」
かくてお角さんは、ゆらりと立ち上りました。
一つは新撰組へ救いの手を求むべく、一つは自身、グロテスクの晒しの現場へ出頭して、水の手の来るまで因縁をつけて置こうとの策戦らしい。
十五
お角が立ったあとで、伊太夫は考えている。お角を助けるために来たのではないが、こうなってみると、彼女のために相当の力添えをしてやらなければならぬ事態になっている。
但し、自分の力の及ぶ範囲ならば知らず、旅へ出ての身である、まして今度の旅は、人も、我も、思いがけない旅である、人に知られたくない旅の身である、彦根の家中の重役には相当
だが、何とかして、側面から、お角が急を訴えている
「どうもあの女親方が、ああ張り切るのはよくよくのことだろう――何とかしてやらずばなるまい、お前、とりあえず支配地の籍を調べて、役人の筋を
家来の藤左に向って、伊太夫がこのことを申しつけると、藤左は心得て、宿元からして急速に調べ上げた情報が次の如くです。
この地に
草津の辻の
してみると、長谷久兵衛なるものは、
押えてかかると言ったところで、力を以て押えてかかるわけにはゆかない。手段方法を以て、この代官から理解してかからぬことには、事は運ぶまい。その代り、この代官の理解さえ届けば、必ずや相当の緩和方法があるに相違ないということに伊太夫が合点して、とりあえず、家来にその運動方法を命じたのです。
運動方法といったところで、今の場合、さし当り特別の手段方法があるべきはずはない。伊太夫の持てるものとしての力は、その財力です。
しかし、いきなり小判で鼻っぱしを引っこするような
伊太夫は、それを藤左に向って考えさせている。
十六
草津の辻のグロテスクな晒し者は、多くの方面にいろいろの衝動を捲き起したが、意外千万なことには、その翌朝になると、「ちょうさん」の罪人として晒された宇治山田の米友の姿は、晒し場から跡を消して、そのあとへ別に一つの「
さては――と人だかりの中に、血相を変えたものもありました。と、そのうちには、あの無言のグロテスクも、とうとう首になったか、ともかくも生きて晒されている間はまあいいとして、首を斬られて「梟首」に行われるようでは、もういけない。
あれほど、いきり立ったお角さんはどうした。
そのところに、まさに右の如く人間の「梟首」が行われていることは事実に相違ないが、よくよく見直した時、いずれも失笑しないものはありません。
「あっ! なあーんだ」
人間の首がさらされているには相違ないけれども、その首というものが
木像なのです。木像の首なのです。しかもその木像の首たるや、ほぼ普通人間の三倍ほどある分量を持っていて、木質だけはまだ生々しいのに、昨今急仕立ての仕上げと見えて、その彫刻ぶりが、荒削りで、
しかしながら、とにかく、人間の形をした首は首です。その首が、昨日までは米友が全身を以て生きながら晒されておったところに、置き換えられている。しかも、その首を、なおよくよく見るとまた見覚えがある――誰でも相当見覚えがある。
「やあ、太閤様が晒し首になっている」
人も騒げば、我も騒ぐ。
「太閤様の晒し首」
子供たちは嬉しがって騒ぐが、苦笑せぬ大人とてはない。
何者がした悪戯か、いたずらが過ぎる。まさに知善院蔵するところの天下一品と称せらるる豊臣太閤の木像の首を模して、
何の理由があって、何者がこういう
しかして、この場合に行われたのは、足利家とはなんらゆかりのない豊臣太閤が、同様の私刑に行われたという現象であって、一見して誰もが、相当に度胆を抜かれたが、その傍の捨札までが、いつしか書き替えられてあるということは、文字ある人だけが気のついたことであった。新たなる捨札の
「コノ者、農奴ヨリ出世ノ身ニカカハラズ、農民搾取ノ本尊元凶タル段、不埒 ニツキ、梟首申シツクルモノ也 」
この意味がわかるものもあるし、わからないものもある。いずれも度胆を抜かれた体に於ては同じものです。十七
琵琶湖畔に農民暴動の空気が充ち満ちている――
ということは、前冊書にしばしば記したところであるが、その要領としては、「新月の巻」第四十九回のところに、不破の関守氏が、お雪ちゃんに向って語ったところに、「まあお聞きなさい、お雪ちゃん、こういうわけなんです、事の起りと、それから、騒動の及ぼす影響は……」と前置をして、
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものなんです。京都の町奉行からお達しがあって、すべての村に於て、この際、
つまるところわいろなんですね。当節は到るところ、それなんだからいけませんなあ、わいろでもって、すっかり手心が変るんですからいけません。いったい、役人がわいろを取って、公平を失するということほど政治上いけないことはありませんね……今度の騒ぎも、そもそもそのお江戸の御老中派遣の勘定方が、わいろによって検地に
江戸老中派遣の、わいろを取る役人が出張して、思う存分に竿を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと、見くびって烈しい竿入れをしたものだから、領民が恨むこと、恨むこと。そこで、これはたまらぬと、庄屋たちが寄り集まって、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願
たとえば
幕府の勘定方の役人は、その時、三上藩にいたが、藩の役人が怖れて急ぎ避難をなさるようにと勧めたが、剛情我慢な幕府勘定役人はそれを聞き入れない。ついに群集は陣屋へ殺到して、勘定方役向を取囲んで口々に歎願を叫んでいる。幕府勘定方役人の生命も刻々危急に
十八
なお、そのことのあった前後、
「そもそも徳川氏ばかりが、農民の敵だと言いふらすやからは、二を知って一を知らないものですよ――例の豊臣氏なんぞが、むしろ農民を
日本に於て、農民が最も幸福であった時代は鎌倉時代、とりわけ北条時代であったのですが……さて、応仁の乱以後、天下を平定した豊臣秀吉というものが、御承知の通り、彼は全く名もなき農民の出でありましてな、そんなら、その純粋の農民の出であるところの豊臣太閤というものが、どういう扱いをその親元の農民に向って試みたかと申しますと、まずあの時のあの人が行った『検地』というものでよくわかりますな。秀吉の時までは一段歩は三百六十坪であり、一坪は六尺五寸平方であったのですが、それから一段三百坪に改め、一坪を六尺三寸平方とし、これによって約二割以上の増収を農民の上に加えたのであります……
秀吉も、その武力統一を完全にすると共に、大陸政策を実行する上に、どうしても農民を
それを徳川氏に至って、更に徹底的に強行政策を用いて圧迫しきったというのですな。だから、徳川氏の政策は農民を人間扱いにはしておりません、濡手拭と百姓は、絞れば絞るほど水が出る――最後の一滴まで絞るように慣らしてしまったのですな。徳川氏の対農民政策はその通りですが、その
青嵐居士は、自分がこういう意見の所有者ではない、広く歴史を読んでいる間に、こういう史上の事実を
「秀吉は農奴から起って関白に至ったということは、争うべからざる
「ははあ、それは新説です、徳川家康の幼名竹千代、岡崎の城主松平広忠の
「当人の研究によると、なかなか根拠があります、つまり、その説は……」
十九
不破の関守氏は、村岡融軒著「史疑」と称する一書を取って、青嵐居士の前に置いて言いつづけました、
「この書物は、相当丹念に研究して成ったもので、面白い説ですから、拙者は要領をうつし留めて置きました、お暇の時に御一覧下さい。
「ははあ、そういう新説は今まで聞きませんでした、それだけの説を立てるからには、必ずしも
「どうぞ、ごゆっくりごらん下さい――ところで、秀吉も、家康も、右の通り、その出生が農奴であり、非人同然であるに拘らず、成功した暁には、その発祥民族を酷使虐待する、なるほど、その
「左様、徳川氏の農民政策に就いては、拙者も心がけて少々研究を試みていないでもありませんが……」
と言って、そこで、今度は、またも徳川氏の農民政策問題に復帰して、おのおのその懐抱を傾けて語り合いましたが、落つるところは、神尾主膳が百姓を憎むところの根拠の裏を行っているようなもので、徳川家直参の旗本であることを誇りとする神尾主膳が、極力農民を侮辱している。それは、やはりこの大菩薩峠の「恐山の巻」の百四回のところから見るとよくわかる。
神尾は生れながら、百姓というものは人間ではない――ものの如く感じている。
それは当然、階級制度の教えるところの優越性も原因であることには相違ないが、それほど神尾というものが百姓を、
それは、神尾の先祖が、百姓を
体面の上からは勝ったが、事実に於ては負けた。領主としての面目はかろうじて立ったが、内実は百姓の言い分が通ってしまったのだ。
だから、心ある人は、それから神尾の家風を卑しむようになっている。
その歴史が、今も神尾を憤らせている。百姓というやつは厳しくすれば反抗する、甘くすればつけ上る――表面は土下座しながら、内心ではこっちを侮っている。最も卑しむべき動物は百姓だ――これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓を
この点に於て、神尾主膳は徳川家康の農民政策を支持している。
「権現様の収納の致し様」といって、百姓は、生かしもせず、殺しもせざるようにして搾れ――ということが、すなわち徳川家康の農民政策であったと今日まで伝えられているのだ。
毎年の秋、幕府直轄の「天領」を支配する代官が、その任地に帰ろうとする時、家康はこれらを面前へ呼びつけて、郷村の百姓共をば、「死なぬように、生きぬようにと
その伝統を承って、これは家康の
その当時の一村の名主の家には、必ず水牢、木馬の類が備えてあったのだ。百姓共が年貢を滞納する時は、水牢へ入れ、木馬に乗せてこれを苦しめたものだ。
それだけを聞いていると、いかにも農民に対して血も涙もないやり方のように聞える。徳川家は農民を見ること牛馬以下であって、農民にとって、徳川家は
いったい、発祥時代の徳川家の地位を考えてみるがいい。天下は麻の如く乱れて、四隣みな強敵だ。その間から千辛万苦して天下を平らかにする――勢い兵馬を強からしめねばならない。兵馬を強からしめるには、後顧の憂いを断たなければならない。兵馬を強からしめるには、兵馬を練ればよろしいが、後顧の憂いなからしむるためには、百姓を柔順にして置かなければならぬ。百姓は、矢玉の間に命がけで立働くには及ばない代り、柔順に物を生産して、軍隊の
だによって、家康が百姓を抑えたのは、武力を伸ばさんため。武力を伸ばすのは、天下を平定せんがためなのだ。そうして、家康はそれに成功したのだ。天下の平和のために、百姓を犠牲にしたのだ。百姓をいじめたいから、自分が栄華を極めたいから、そこで百姓を虐待したわけではないのだ――現に、百姓共が、安穏に百姓をしておられるのも、この徳川の武力があればこそではないか。強い武力がなければ、国は取られ、田は荒され、百姓は
だから、百姓は百姓として、分を知って服従していさえすればいいのに、ややもすれば反抗したがる。表面服従して、少し目をはなせば一揆を起したがるのが百姓だ――ことに近来は、一揆の無頼漢の音頭を取るものを称して「義民」だのなんのと祭り上げる
二十
「どこの国の百姓も、百姓としては皆うだつの上らないのは同じだが、ことにこの近江の国の百姓はみじめなものです」
と、青嵐居士が不破の関守氏に向って言うと、
「どうしてですか」
「それは、京都をつい背後に控えているだけに、戦争というと、この国が唯一の要路となるのです。東国の兵がこの国を通過せずして京都に入ることはできません、西国の兵もここを通過せずして東征はできません、そこで、乱世に於ては国土が絶えず兵馬に
「なるほど」
「しかし、人間というものは運命に妨げられると共に、運命に逆らって新境地を打開する力を与えられているようでありまして、かく不幸なる境地に置かれて、堵に安んぜざる変通力が、一転して商業の方へ注がれたというわけです。故にこの国の勤勉にして機を見るに敏なる土民共は、農業を捨てて商業の方に着目し、転向することになりましたのです」
「なるほど」
「土着の土地を相手にしないで、他領他国を目的とする、自分の生れた土地で生産して、それから恵まれることを断念して、他国へ進出して富を吸収して来るという新方向を案出したのも、自然の径路とはいえ、この国の住民が馬鹿でない証拠です」
「なるほど」
「そこで、近江商人の名が天下に聞えるに至りました。勤勉実直にして、知らぬ他国から金を
「なるほど、そうおっしゃられると、それがいわゆる近江商人の勢力の一大原因であるかのように感ぜられます。国土が争乱の
「そうです。しかし、そんならば、すべて自分の国が乱れているところの人民は、外に向って大いに発展をするかと申すと、それは一概には言われません、全く疲弊しきって、奴隷以下に没落してしまう国民もあるのですから、要するに気質の問題ですな」
「なるほど」
「江州人は、素質的に、逆境を打開する勤勉の気風を備えていると見なければならない理由もあるのです。たとえばです、これから越前の方へ向けて出る途中に、難渋な峠が三ツもある、たいていの人だと、それを聞いてうんざりし、せめて三ツの峠が二つにでもなればいいと、こういって歎息するところを、江州人は、峠が更に二つばかり余分にあればよい、そうすれば、人がいよいよ難渋がって出かけない、そこを自分は出かけて行って、商売をひとり占めにしてしまう――大体こういった気風なのですから、そこに近江商人の勝利があろうというものです」
「なるほど――おおよその人は地の利を
「もちろん、天の時、地の利と言いますが、江州人には、天の不祥時と地の不利益の場合に、恵まれるのです。彼等は
「なるほど」
「江州人だとて、皆が皆、そう他国へ進出して成功する者ばかりではありません、この国に残って兵馬の奴隷となり、或いは
二十一
「かく、一方には他領他国へ進出して富を成す成功者があると共に、一方にはちょうさんすることさえ許されざる農民が存することは、おたがいよく考えてみなければならないことです」
「なるほど」
「外へ発展するの機運に恵まれず、内にとどまっていては、
「なるほど、そうなりますと、いよいよ
「なんにしても、ちょうさん律はよくありませんな、行動の自由、移住の自由を奪うということはよくありませんな。民に移住されると、領土を耕す人がなくなる、自然、領主がやりきれなくなる、という結果が怖い、移住されることがそれほど苦しければ、民を優遇するに越したことはないではないか、優遇というのが為し難ければ、人間が住めるだけのようにしてやる責任が領主にはあるでしょう、罪人ならざるものを、一定の土地に監禁して、動く
「あらゆる農民いじめのうちに、このちょうさん律が最も不合理だと思います。最近です、湖岸の町々村々にも、このちょうさん律の制札が出ましたのをごらんになりましたか」
「私も、ちょっと見かけました」
「あの文言をお読みになりましたか」
「一読いたしました」
ここで、二人の問答にかかって、見たか、読んだかの問題に上っているちょうさん律の制札なるものは、多分、先日の日、長浜の町の会所の附近に於て、宇治山田の米友の目に触れたあれであります。
それならば、「胆吹の巻」の十八回のところにある――
長浜の会所へ、両替の使に用心棒としてついて来た宇治山田の米友は、会所の前に
「定
何事によらず、よろしからざることに、百姓大勢申合せ候を、とたうととなへ、とたうして、しひて願事企てるをがうそと言ひ、あるひは申合せ村方立退候をてうさんと申し、他村にかぎらず、早々其筋の役所に申出づべし、御褒美として、
とたうの訴人 銀百枚
がうその訴人 同断
てうさんの訴人 同断
右之通下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも発言いたし候ものの名前申出づるにおいては、その科 をゆるされ、御褒美下さるべし。
一、右類訴いたすものなく、村々騒立ち候節、村内のものを差押へ、とたうにくははらせず一人もさしいださざる村方これあらば、村役人にても、百姓にても、重にとりしづめ候ものは、御はうび下され、帯刀苗字御免、さしつづきしづめ候ものどもこれあらば、それぞれ御褒美下しおかるべきもの也。
年 月 日
何事によらず、よろしからざることに、百姓大勢申合せ候を、とたうととなへ、とたうして、しひて願事企てるをがうそと言ひ、あるひは申合せ村方立退候をてうさんと申し、他村にかぎらず、早々其筋の役所に申出づべし、御褒美として、
とたうの訴人 銀百枚
がうその訴人 同断
てうさんの訴人 同断
右之通下され、その品により帯刀苗字も御免あるべき間、たとひ一旦同類になるとも発言いたし候ものの名前申出づるにおいては、その
一、右類訴いたすものなく、村々騒立ち候節、村内のものを差押へ、とたうにくははらせず一人もさしいださざる村方これあらば、村役人にても、百姓にても、重にとりしづめ候ものは、御はうび下され、帯刀苗字御免、さしつづきしづめ候ものどもこれあらば、それぞれ御褒美下しおかるべきもの也。
年 月 日
奉行」