下谷の長者町の道庵先生がこの頃、何か気に入らないことがあってプンプン怒っています。
その気に入らないことを、よく尋ねてみるとなるほどと思われることもあります。それは道庵先生のすぐ隣の屋敷地面を買いつぶして、
鰡八大尽というのは、その頃の成金の筆頭でありました。みすぼらしい
「おれの隣へ来たのは鰡八の野郎か、それとは知らなかった、
道庵先生は、それと知った時に
その妾宅が出来上ると盛んなる披露の式がありました。集まる者、朝野の名流というほどでもなかったけれど、多種多様の人が集まって、万歳の声が湧くようでありました。それを聞いて道庵先生は、火のように怒ってしまいました。その後とても、毎日毎日、鰡八大尽の妾宅へ詰めかける朝野の名流(?)は少ない数ではありませんでした。その門前の賑やかなことは長者町はじまって以来の景気であります。ところが道庵先生の方は、相変らずの十八文でありました。その門を叩く人も十八文に準じた人で、朝野の名流などはあまり集まらないのであります。
今まで十八文で売っていた道庵先生、長者町といえば酔っぱらいの道庵先生と受取られるほどの名物であった先生が、
「いまに見ていやがれ、鰡八の野郎、ヒデエ目に逢わしてやるから」
道庵先生は、こんなわけで、このごろはプンプン怒っているのでありました。
鰡八大尽の方では、こんなわけで、道庵先生を敵に持ったことはいっこう知りませんでした。大尽がその高楼の上から、先生の屋敷と庭とを一眼に見下ろして、
「汚い家だな、何とかして早く買いつぶしてしまえ」
と言って不快な
それは鰡八大尽が、ある夜、この妾宅の楼上へ泊り込んだ時に、不意に食あたりに苦しめられて、上を下へと騒がせたことがありました。大尽は非常に苦しみました。いかに大尽の力を以てしても、雇人たちの
この時に、道庵先生の門を叩いた家の子郎党たちが心得のある人であったならば、相手がなにしろ道庵先生だということを腹に置いてかかるのだけれど、不幸にしてその連中は、それだけの心得も腹もない連中が、
「今晩は、今晩は」
大尽の家の子郎党は、傾きかかった道庵先生の家の門を、荒々しく叩きました。
「国公、起きて見ろ、いやに荒っぽく門を叩く奴がある、こちとらの門なんぞは、
道庵先生はその音を聞きつけて、寝床の中から薬箱持ちの国公に差図しました。
国公は、慣れたものだから、直ぐに起きて案内に出ました。
「どーれ」
国公が応対に出たけれども、道庵先生の寝ているところと玄関とは、いくらも隔たっていないのだから、先生はその応対の模様を、いつも寝ながらにして聞いていて、それによって病気の模様を察し、急いで駈けつけるべき必要があると認めた時は急いで駈けつけ、
「今、
国公が玄関の戸をあけるを待ち兼ねて、外からこういう挨拶でありました。寝ながら聞いていた道庵先生は、どうも
道庵先生にも解せなかったように、取次の国公にも解せなかったから、眼をパチパチして、
「いったい、どちらからおいでなすったんでございます」
「どちらから? そうそう、それそれ、このお隣の大尽から参りました、大尽がただいま御急病でいらっしゃるから、それでお使に」
使の者がこう言った時に、
「馬鹿野郎!」
道庵先生がバネのように起き上りました。
「何でえ、何でえ」
道庵先生がムックリと
もし先生が心得のある武士であったなら、薬研を持ち出すようなことはなかったでありましょうけれど、先生の枕許には、別段に武器の
「さあ承知ができねエ、もう一ぺん言ってみろ、
先生は薬研を眼よりも高く差し上げて、鰡八大尽の使者を
「私共は、お隣の鰡八大尽の邸から上りました……」
「鰡八がどうした、その鰡八がどうしたと言うんだ」
「鰡八の御前が急に御大病におなりなさいましたから、先生に
「それからどうした」
「もともと鰡八の御前は、
「そうか、よんどころなく俺のところへ頼みに来たのか、よく来てくれた」
「何が御縁になるか知れたものではございません、これからこちらの先生も、大尽へお出入りが
「この馬鹿野郎!」
道庵先生はこの時に、眼より高く差し上げていた薬研を、力を極めて玄関先へ投げつけました、薬研は
「ざまあ見やがれ!」
使者の連中は、この人並ならぬ道庵先生の挙動と、足許で破裂した薬研の響きで、腰を抜かすほどに驚きました。
物を知らないというのは
「こりゃ
長居をしてはどういう目に逢うか知れないと思って、あわてふためいて
こうして彼等を追い返したけれども、道庵先生の余憤はまだ冷めないのであります。寝巻のままで庭へ飛び下りました。庭へ飛び下りて
それよりもいま、道庵先生が投げた薬研を、玄関の
この夜中に屋根の上へ登った道庵先生は、それでも
ここから見上げると、鰡八大尽の
「鰡八、鰡八」
と
ちょうどその高楼の二階の一間で、急病に苦しんでいた鰡八大尽は、いま少しばかりその苦しみが
「鰡八、鰡八」
と呼びかけたのが耳に入りました。
「あれは誰だ」
と、それが大尽の耳ざわりになったのは、道庵先生にとっては
「鰡八、鰡八」
と
「あれは誰だ」
急病は一時は落着いたけれど、この声で大尽の落着きが乱れて来るようであります。鰡八、鰡八と、事もなげに自分を呼び捨てる怪物が外にあると思えば、よい心持はしないらしくあります。それが怪物であるならば、まだよいけれど、人間であるとしてみれば、打捨ててはおかれないのであります。大尽はその声のする方を睨めていると、
「
さきに道庵先生のところへ使者に行って逃げ帰ったのが、恐る恐る大尽に向ってこう言いました。
「隣の屋根の上あたりでする声のようだ、隣はいったい何者が住んでいるのだ」
大尽は耳をすまして、なおその声を聞こうとしながら附添の者にたずねると、
「貧乏医者でございます、貧乏な上に気違い同様な奴でございます」
「
「それがどうも……」
大尽の御機嫌が斜めになるのを、附添の者はハラハラしていると、
「鰡八、病気はどんな
屋根の上でこういう大きな声がしました。
「怪しからん」
「鰡公」
「憎い奴だ」
「鰡公よく聞け、手前は貧乏人からそれまでの人間になった男だから、ともかくも物の道理はわかるだろう、手前の廻りにいて
この道庵先生の露骨にして無遠慮なる暴言は、あたり近所に鳴りはためくほどの大きな声で怒鳴り散らされました。
先生は、それで漸く、いくらかの
よし、そんならば、いくら金がかかってもよろしい、あの屋敷を買いつぶせ、あの屋敷も売らないと言えば、その周囲の地面家作を買いつぶして、道庵を自滅させるように仕向けろと、執事や出入りの者にその場で固く言いつけました。
その後、鰡八大尽の御殿と、道庵先生の古屋敷との間を見ていると、ずいぶんおかしなものでありました。
大尽の方では、絶世の美人だの、それに随う小間使だのというものを、高楼に
大尽の方では、その櫓を見ては笑い物にしていました。それは大尽の家の高楼と、道庵先生が大工を入れて急ごしらえにかかる櫓とは比較になりません。そんなことをして張り合おうとする道庵の愚劣を笑っています。
或る日のこと、大尽の家の高楼では、大広間を開放して、例の美人連に合奏をさせ、出入りの客を盛んに集めて、大陽気で浮れはじめたのを道庵が見て、外へ飛び出しました。
まもなく道庵が帰って来た時分には、その背後に二十人ばかりの見慣れない男をつれて来ました。それは年をとったのもあれば、若いのもあり、背の高いのもあれば、低いのもありました。道庵はこの二十人ばかりの見慣れない男を、櫓の上へ迎え上げました。そうして彼等に何事をさせるかと思えば、つづいてそこへ太鼓を幾つも幾つも担ぎあげさせました。
この連中は、
大尽の家では、琴や三味線や胡弓で、ゆるやかな合奏の興が
道庵先生の潮吹の踊りは、たしかに専門家以上であります。これまでに踊りこなすには、道庵も多年苦心したもので、芸も熟練している上に、自分が本心から興味を以て踊るのだから、
合奏の興を破られて、敵意を持っていた大尽の高楼の美人連や来客も、道庵先生の踊りぶりを見ると、敵ながら感服しないわけにはゆかないのであります。
道庵の屋根の上では、その
一方、道庵の方では、
鰡八大尽の妾宅の
そのあいだ道庵は、いよいよ図に乗って、これ見よがしに踊り狂い、踊りながら、
「スッテケテンツク、ボラ八さん」
なんぞと妙な節をつけて、
「スッテケテンツク、ボラ八さん」
何も知らない子供たちは、道庵の真似をして、大きな声で町の中を唄って歩くようになりました。
大尽の一味の者は、いよいよ安からぬことに思い、ついに大きな園遊会を開いて、道庵を圧倒するの計画が出来上りました。
その計画は、さすがに大きなものでありました。天下の富豪たる鰡八大尽が、費用を惜しまずにやることですから、トテモ十八文の道庵などが比較になるものではありません。
その園遊会の余興としては、決して馬鹿囃子のようなものを選びませんでした。その頃の名流を
これらの計画や選定が、すっかり定まってしまうと、それをなるたけ
「さすがに大尽の威勢は大したものだ、すばらしい御馳走をした上に、日本の土地では見ることのできない朝鮮芝居を見せてくれるそうだ、鰡八大尽でなければできない芸当だ、さすがにすることが大きい」
江戸市中はこの評判で持ち切ってしまいました。道庵の馬鹿囃子などはこの人気に比べると、お月様に蛍のようなものであります。道庵も少しばかり
江戸市中の見物は、我も我もと押しかけて来ましたけれど、大尽の妾宅の門まで来て見ると、急に二の足を踏んでしまいました。
それは園遊会も、朝鮮芝居も、
あれほど吹聴したり、評判を立てさせたりしたものだから、
「ばかにしてやがら、大尽がどうしたと言うんだい、鰡八がどうしたんだい」
と言って
しかし、江戸っ児にも、そうさもしいものばかりはありませんでした。場代が高いと言ってしりごみをして、この珍しいものを見ないで帰るのは、たしかに江戸っ児の
さすがに鰡八大尽のすることは、こんな些細なことまでも違ったものであります。道庵などは、貧乏人のくせに
この園遊会も、余興も、朝鮮芝居も、ことごとく大成功でありました。その日一日でおしまいというわけではなく、当分の間、毎日つづくのであります。市中一般においては、これを見なければ話にならないから、毎日毎日、続々と詰めかけて来ました。日のべを打てば打つほど
ここに哀れをとどめたのは道庵先生で、せっかく図に当った馬鹿囃子は、この園遊会と朝鮮芝居のために、すっかり
道庵はそれがために苦心惨憺しました。自分の知恵に余って、子分の者を呼び集めて
いよいよ大尽にぶっつかる
ここにまた、前に見えた「貧窮組」のことについて一言しなければならなくなりました。貧窮組というのは、一種の不得要領な暴動でありました。明治六年の出版にかかる「近世紀聞」という本に、その時代のことをこんなふうに書いてあります。
「是より先、米価次第に沸騰して、既に大阪市中にては小売の白米一升に付 銭七百文に至れば、其日稼 ぎの貧民等は又如何 とも詮術 なく殆ど飢餓に及ばんとするにぞ、九条村且つ難波村など所々に多人数寄り集まり不穏の事を談合して、初めは市中の搗米屋 に至り低価 に米を売るべしとて、僅の銭を投げ出し店に積みたる白米を理不尽に持行くもあり、或は代価も置かずして俵を奪ひ去るもあれど多人数なる故米商客 も之を支 ゆる事を得ず、斯 の如くに横行して大阪中の搗米屋へ至らぬ隈 もなかりしが、果 はますます暴動募 りて術 よく米を渡さぬ家は打毀 しなどする程に、市街の騒擾 大かたならず、這 は只浪花 のみならず諸国に斯る挙動ありしが、就中 江戸に於ては米穀其他総ての物価又一層の高料 に至れば、貧人飢餓に耐へざるより、或は五町七町ほどの賤民おのおの党を組みて、身元かなりの商家に至り押して救助を乞はんとて其町々に触示 し、
其の党に加はらざれば金米その他何品にても救助の為に出すべき旨強談に及ぶにぞ、勢ひ已 を得ざるより身分に応じ夫々 に物を出して施すもあり、力及ばぬ輩 は余儀なく党に加はるをもて、忽 ち其の党多人数に至り、軈 て何町貧窮人と紙に書いたる幟 をおし立て、或は車なんどを曳いて普 く府下を横行なし、所々にて救助を得たる所の米麦又は甘藷 の類 を件 の車に積み、もて帰りて便宜の明地 に大釜を据ゑ白粥を焚きなどするを、貧民妻子を引連れ来りて之を争ひ食へる状 は、宛然 蟻 の集まる如く、蠅の群がるに異ならで哀れにも浅間 しかり、されば一町斯 の如き挙動に及ぶを伝へ聞けば隣町忽ちこれにならひ、遂に江戸中貧民の起り立たざる場所は尠 く……云々」
これによって見ると「近世紀聞」の記者は、貧窮組を蟻の集まる如く、蠅の群がるに異ならずと見たのであります。貧民といえども人間であろうのに、それを蟻や蠅と同じに見られたということは不幸であります。
けれども蟻や蠅に見立てられる貧民自身にとっては、必ずしも物好きでやったことではないらしいのであります。彼等にあっては、天下が徳川のものであろうと、薩長の手に渡ろうと、そんなことは大した心配ではありませんでした。ただ心配なことは、物が高くなって食えなくなるということでありました。
天下国家の大きなことを
それがためであったかどうか知れないが、あの不得要領な貧窮組が勃発して江戸市中を騒がすと共に、
けれどもその時分の政治は、打てば響くような政治ではありませんでした。徳川幕府が亡びかかった時代の政治でありました。米が高くなろうとも、物価が上ろうとも、幕府の方では、あんまり干渉をしませんでした。いよいよの時までは成行きに任せておいて、何か出たら出た時の勝負というような政治でありました。
金持の連中もまた、
さすがに緩慢主義の幕府も、こう騒ぎ出されてみると、手を
「其頃既に庄内藩には府下非常を誡 めのため常に市中を巡邏 あり、且つ南北の町奉行にも這回 の暴挙を鎮撫なさんと自ら夥兵 を従へつつ普 く市街を立廻りて適宜の処置に及ばんとするに、貧民は早や食ふと食はぬの界に臨みたるなれば、各 死憤の勢ありて小吏等万般説諭なせどもなかなかに鎮まらず、或は浅草今戸町その外処々の辻々へ貧窮人等が張札をして区々の苦情を演 べたるうへ、先づ差当り白米の代価百文に付 五合ならねば窮民口を糊 し難しと記し、また或は米穀は固 より諸色 の代価速かに引下ぐるにあらずんば忽ち市中を焼払はんなどと書裁 なしたる所もあり、斯 なして尚 貧民等は市街を横行なせる事は日を追つて熾 なりしが、其頃品川宿に於て施行 を出すを左右 と拒みたる者ありとて忽ち其家を打毀 せしより人気いよいよ荒立 て、渋りて物を出さぬ家は会釈もなく踏込で或は鋪 をうち毀し家内を乱暴に及ぶにぞ、蓄財家 は皆戦慄 て家業を休み店を閉めて只乱暴の防ぎをなせば、貧窮人のみ勢ひを得て道路に立ちて威を震 ひしは実に未曾有の珍事なりけり……さる程に貧民の暴動かくの如くなれば、庄内侯の巡邏方 且つ町奉行の手を以て其の発頭人なる者を追々捕縛なしたりしかど、もとこれ、米価の沸騰より飢餓に逼 るに耐へかねて、かかる挙動に及べるなれば、兎 に角 是等を救助せずして静まるべきの筋にあらずとて、先づ救民小屋造立 の間、本所回向院 、谷中 天王寺、音羽 護国寺、三田 功運寺、渋谷渋谷寺の五ヶ寺に於て炊出 しを命ぜられ普く貧民に之を与へ、其うち神田佐久間町の広場に小屋を設けられて至極の貧人を救助せしかば、是にて府下の騒擾も稍 鎮静に及びたり」
幸いにしてこの貧窮組は、それだけの騒ぎで鎮まりました。大塩平八郎も出ないし、レニン、トロツキーも出ないで納まりました。たまたま道庵先生あたりが飛び出して、お茶番を差加えたようなことで、ともかくも納まったのは国家のために大慶至極と申すべきです。表面、この騒ぎは納まったけれども、それの根本が絶たれたというわけではありません。一時は震え上った富豪たちが、あわてふためいて貧民の御機嫌を取ってみたけれど、表面の暴動が過ぎ去ってしまえば、あとはケロリとして忘れたもののように、書画骨董にばかげた金を出したり、ふざけきった集まりをして見せたり、無用の建築をして見せたり、そんなことで以前よりは一層の
それと共に、一時の雷同に出でないで、心ひそかにこの世の有様を観察し、或いは憤慨している者がようやく多くなってゆきました。
本町一丁目の自身番へ、眼の色を変えて飛び込んだのは、いつもそそっかしい下駄屋の
「大変だ!」
と言ってその親爺は息を切りました。この男のそそっかしいのは今に始まったことではないけれど、今日は眼の色が変ってるだけに、それから貧窮組の騒ぎが納まって間もない時であるだけに、そこに集まる親爺連の胸を騒がせて、
「どうなすった」
一体、ここへ集まる親爺連は、かなりいい気なものでありました。外は往来の
「外へ出てごらんなさい、大変な物だ、そこの
「エ!」
「嘘だ、嘘だ」
「
「生首は嘘だが、まあ外へ出てごらんなさい、大変な張紙だ」
「エ、張紙?」
張紙と聞いてやや安心をしました。やや安心したけれど、それは生首と聞いた時よりも安心したので、この時分の張紙は、生首と聞くのと、ほぼ同じように気味の悪いものでありました。親爺連はせっかくの興を
「また、こんな
と自身番の親爺は、ブツブツ言いながらその張紙を引っぺがしにかかりました。自分も読まないうち、人にも読ませないうちになるべく早く引っぺがして、町奉行にお届けをする方がよいと思って、
自身番の内部へその張紙を持ち込んだ親爺連、額を集めて眼の
「糸会所取立所
三井八郎右衛門
其他組合の者共
此者共、めいめい世界中名高き巨万の分限にありながら、足ることを知らず、強慾非道限り無き者共、身分の程を顧みず報国は成らずとも、皇国 の疲労に相成らざるやう心掛くべき所、開港以来諸品高価のうちには、糸類は未曾有の沸騰に乗じ、諸国糸商人共へ相場状 にて相進め、頻りに横浜表へ積出させ候につき、糸類悉く払底、高直 に成り行き万民の難渋少からず、畢竟此者共荷高に応じ、広大の口銭を貪り取り候慾情より事起り、皇国の疲労を引出し、一己 の利に迷ひ、他の難渋を顧みず、不直 の所業は権家へ立入り賄賂 を以て奸吏を暗まし、公辺を取拵 へ、口銭と名付け大利を貪り、奸吏へ金銭を差送り、糸荷を我が得手勝手に取扱ひ、神奈川関門番人並に積問屋共へ申合せ、所謂 世話料受取り、荷物運送まで荷主に拘はらず自儘取扱ひ、不正の口銭貪り取候事、右糸会所取立三井八郎右衛門始め組合の者、他の難儀を顧みず、非道にて所持の金銭並に開港以来貪り取る口銭広大の金高につき、今般残らず下賤困窮人共に合力 の為配当つかはし申すべし、若し慾情に迷ひ其儘捨て置かば、組合の者共一々烈風の折柄 天火を以て降らし、風上より焼立て申すべく、其節に至り隣町の者共、火災差起り難渋に之れ有るべく候間、前記会所組合の者共名前取調べ置き、類焼の者は普請金並に諸入用共、存分に右の者より請取り申すべく、且つ火災差起り候はば、困窮の者共早速駈付け、彼等貯へ置き候非道の財宝勝手次第持ち去り申すべく、右の趣、前以て示し置き候間、一同疑念致すまじき事」
これだけのことを、自身番の親爺のうちでも読むことの達者な下駄屋の親爺は、面白そうに聞いていました。質屋の隠居は、不安らしい
「なにしろ、事が穏かでごわせんな」
と質屋の隠居は、いとど不安心の色を深くしました。
「はははは、三井さんも、いよいよやられますかな」
下駄屋の親爺は、やはり面白半分に深くは問題にしていないらしくあります。
「ナニ、やる奴に限って
寝ころんで種彦を読んでいる親爺が、やや遠くから言い出しました。
「そうも言えませんぜ、人気のものですからワーッと騒ぐと、何をやり出すか知れたものではござんせん、本所の
眼鏡屋の隠居はそれに答えました。
「ああ、鶴亀、鶴亀、そんな話は御免だ」
と質屋の隠居は気を悪くしたと見えて、煙草入を腰に
質屋の隠居が逃げ出したあとで人々の
表へ出たところへ、折よく町奉行の手に属する見廻りの役人が、この自身番へやって来ました。それを幸いに総代は、
「実は斯様な次第でございまして、斯様な張札が……」
役人はそれを聞いてみて一通り読んで後、
「この筆蹟は……」
と首を
その張札を町奉行へ持って来て、その筆蹟をあれこれと評議をしてみたところが、それが道庵の文字に似ているということが、至極迷惑なことであります。
長者町の名物としての道庵は、貧窮組と聞いて喜んで演説までしたけれども、それは至極穏健な演説で、貧窮組にも同情を寄せるし、物持連中にも、なるべく怪我をさせないようにとの苦心をしたものでありました。
道庵はこんな張札をする人物でないということは、お上の役人にもよくわかっているけれど、それにしてもこの筆蹟が道庵ソックリの筆蹟でありました。これはイタズラ者が、わざと道庵の筆蹟を真似て書いて、あとを
二人はどこへ行ったか、その入って来た時と同じように、この家を去ったのも、誰も知るものはありませんでした。これを想像するに、或いはいったん甲府へ帰って、また神尾主膳の下屋敷にでも隠れるようになったものかも知れません。或いはまたお銀様の望み通りに、江戸へ向けて姿を
或る人はまた、
駒井能登守去って以来の甲府は、神尾主膳の得意の時となりました。けれどもその得意は、あまり寝ざめのよい得意ではありませんでした。心ある人は主膳の得意を
主膳は執念深くも、能登守がお君という女をどのように処分するかを注目し、手討にしたという評判を聞いた後も、その注目をゆるめることなく、そののち向岳寺に、見慣れぬ尼が送り届けられているということを聞いて、途中でその女を奪い取らせようとしました。
お松が神尾の屋敷を脱け出したのは、その間のことでありました。向岳寺から出た乗物を奪わせようと計ったことが、さんざんの失敗に終ったという報告も同時に
甲府城内の暗闘とか勢力争いとかいうことは、それで一段落になりました。
別家にいるお絹という女にとっても、このごろは同様に
それらの不快や不安を紛らわすためかどうか知らないが、神尾を中心として酒宴を催されることが多くなり、お絹もまた、その別家へ人を招いては騒々しい興に、夜の更くることを忘れるようなことが多くありました。それから勝負事は一層烈しくなり、お絹までが勝負事に
このごろのお絹は、自宅へ男女の客を招いては勝負事に
或る時は、思いがけない大金を
興が尽きて客が去ったあとでは、なんだか
お松がいればこれほどにはならなかったものであります。お絹はともかくもお松を保護していました。お松もまた何かと言っても、恩人としてその人に忠実でありました。だからお松があることによって、なんとなしに前途に希望を持っていましたけれど、そのお松が逃げてしまってみると、頼む木蔭の神尾の当主というのはこの通りの人物であるし、自分は年ようやくたけて容色は日に日に
「金が欲しい、お金が欲しい」
お絹は痛切にそのことを考えました。それがお絹をして一層、勝負事に焼けつくようにさせてしまいました。
ところが、そんな場合における勝負運は皮肉なもので、勝ちたいと思えば思うほど負け、
今夜も、お絹は堪らなくなって、隠しておいた冷酒を茶碗に注いで飲もうとする時に、本邸の方で大きな声で
それは紛れもなき主人の神尾主膳が、酒乱のために人を罵っているのであります。
それを聞きながらお絹は、また一杯の冷酒を茶碗に注いで、口のところへ持って行ったけれど、それは苦いもののようであります。
「お絹殿、お絹殿」
このごろでは神尾が酒乱になった時には、誰もみな逃げてしまいます。誰も相手にしないで罵るだけ罵らせ、
相手のない酒乱に、拍子抜けのしたらしい神尾主膳は、何を思いついたか、お絹の住む別宅の方へ押しかけて来るらしいのであります。その声を聞くと、お絹は浅ましさに身を震わせました。
幸いにして神尾主膳は境の木戸を開こうとして、その
お絹はホッと息をつきましたけれど、苦悶の色が
気の毒なのは駒井能登守であります。江戸の本邸に着いたまでは、ともかくもその格式で帰りました。
江戸へ着いてからいくばくもなくして、その姿をさえ認めたものはありません。番町の本邸は
これより先、病気であった夫人は、親戚の手に奪うが如く引取られてしまったということです。家来の者は四分五裂です。
主人の能登守は自殺したという
あまりといえばこれは
けれども能登守のこのたびの失敗ばかりは、とうてい取り返すことのできない失敗であります。能登守というものは、これで全然社会から葬られてしまった結果になりました。能登守自身が葬られてしまったのみならず、遠くはその祖先の名も、近くはその親類の名も、これによって
一死よりも名誉を重んじ、一命よりも門地を
それでありながら立派に腹も切れないとは、よくよく腰が抜けたものだと憤慨する人や、ここで腹を切ったら、それこそ恥の上の恥の上塗りだと冷笑する者や、それらの空気の間で、駒井家は見事に没落して、その
その時分に、王子の滝の川の甚兵衛という水車小舎の附近へ、公儀から役人が出向いて、縄張りがはじまりました。何か目的あってこの土地へ
土地の人も、最初は何の目的の縄張りであるかを知りませんでした。ほどなく同地の扇屋を旅館として、身分ある公儀の役人が詰めた時に、その縄張りの計画がかなり重大なものであることを悟りました。そこへ来た役人の
この火薬の製造所は、従来の火薬の製造とは違って、日本において初めての西洋式の火薬の製造所を建てるということなのであります。その計画は、
こうなって来ると思い出されるのは、それにもう一枚、駒井能登守ということでありますが、惜しい
この日本で初めての西洋式の火薬の製造所の工事は、着々と進んで行きました。
最初に縄張りをした甚兵衛水車の附近が、水量が不足だからという理由で、三ツ又の方へ持って行かれました。
工事の頭取には武田斐三郎、それを助けるのは
注文の火薬製造機械は、
頭取をはじめ役人たちは扇屋を宿と定めていたけれど、工事の場所には作事小屋があって、そこに絶えず宿直している役人らしい者があります。
その小屋の一室へは、武田斐三郎や貝塚道次郎らが出入りするのみで、他に
この秘密室は、夜になると厳重に錠が下ろされてしまいます。工事の見守りをする夜番の小屋はそこよりズッと隔たったところにあるから、ただ時々にその辺を廻って火の用心をするくらいに過ぎませんでした。この火薬の製造所を計画した小栗上野介は一流の人傑で、幕府においての主戦論者の第一人でありました。勘定奉行にして陸海軍奉行を兼ね、勝も大久保も皆その配下に働いたものであります。この火薬の製造所とても、西の方に起る大きな新勢力に対する用意の一つであることは申すまでもありません。王政維新を叫ぶ西の方の諸藩の人にとって、この火薬製造所の計画が、尋常のものとして見過ごされないのは当然であります。
この工事に入っている土方や人足にも、相当の
それは、甲府の破獄以来のことを知ったものには、指して言いさえすればすぐわかることなので、あの時、牢屋を破った主謀者、後には偶然、駒井能登守邸にかくまわれた奇異なる武士、また甲州街道では馬を曳いてがんりきを追い飛ばした馬子、ここでは土を担いだり石を運んだりさまざまに変幻出没するけれど、要するに同一の人で、あのとき南条といわれて通った浪士らしい男であります。
縄張外に立てられた土方部屋を、夜中に
工事の頭取と公儀の重役とが秘密に会議をする作事小屋の一室――そこをめざしてこの仮装の労働者は忍んで行くもののようであります。この男が秘密室を探ろうとするのは、今夜に始まったことではないのであります。
毎夜のようにその辺を探ろうとして忍ぶものらしいが、いつもその目的を達せずして帰るもののようであります。今宵もまたその通りで、
そうしているうちに、この火薬製造所の工事は進んで行くのであります。右の南条と覚しき奇異なる労働者は、相変らず毎日石を運んだり土を
その
夜になって人の寝静まった時分には、それらの見取図を頭の中から吐き出して紙に写していることも、誰にも知られないで進んで行きました。紙に写した見取図は、工夫部屋の縁の下を掘って埋めておくことも、誰にも見つけられないで納まって行きました。埋めておいてから例の通り疑問の秘密室の方へ出かけるけれども、そこばかりはどうしても近寄ることができないらしくあります。近寄ることができても、内部の模様はどうしても知ることができないらしくあります。この奇異なる労働者が知ろうとして知ることのできないのは、ただ右の秘密室の内部ばかりであるようです。
しかしながら長い間、間断なく心がけていれば、ついには何物かを得られる機会があるものです。今宵も例の通り秘密室の柵の外まで忍んで、水辺の立木の下に、そっと忍んで考えていると、その柵の一部分の戸が開きました。
打見たところは高い柵であったけれど、その下の一部が開き戸になっていて、内から押せば開くものだということは、今まで気がつきませんでした。
南条といわれた奇異なる労働者は、さてこそと闇の中に眼をみはりました。この人は永らく獄中の経験があったために、暗いところで物を視るの力が人並以上なのであります。
そこに南条が隠れて様子を見張っているということを知らないらしい中なる人は、戸をあけると、スックと外へ身を現わしました。
それを一目見た時に南条は、直ちに見覚えのある人だということがわかりました。まだ年若き
この人が外へ出ると、開き戸が内から閉されてしまったことを見ると、内にも確かに人がいることに違いないのであります。
内から出た人は、小橋を渡って木立の深みへ身を隠しました。この人をやり過ごして、中なる秘密室の構造に当ってみようか、それともこの人のあとをつけて、その行先を突留めようかと、奇異なる労働者は思案をするもののようでありましたが、その思案は後の方のものにとまったらしく、出て行く人のあとをつけて、木立の深みへ入りました。人影は
「そこへ行くのは宇津木ではないか」
火薬の製造所をやや離れてから後ろに呼ぶ声を聞いて、前に進んで行った若い侍風の人は、ハタと歩みを止めました。
「誰だ」
闇の中から
「おれだ、南条だ」
と言ってなれなれしく近寄って来たので、
「おお」
と言って前なる人は、驚きと安心とで立って待っていました。呼ばれた通りこれは宇津木兵馬であります。
「久しぶりだった、久しぶりにまた妙なところで会ったものだ」
目の前に立ったのは、甲府の牢内にいる時と、その牢を破ってから後も、苦楽を共にした奇異なる武士の南条でありましたから、
「これは南条殿、全く珍らしいところで……どうしてまたこの夜中に、その身なりで」
「それよりも宇津木、君こそこの夜中にどこへ行ったのじゃ」
「ツイそこまで」
「ツイそことは?」
「近いところに
「近いところとは?」
「それは、あの……」
「いや、隠すには及ばない、君が今あの火薬の製造所から出て来たところを見かけて、拙者は後をつけて来たのだ」
「エエ! それでは見つかったか。しかし、余人ならぬ貴殿に見つけられたのは心配にならぬ」
「いったい、あの火薬の製造所の秘密室らしい研究所に隠れているのは、あれは誰じゃ」
「南条殿、貴殿はあの人が誰であるかをまだ御存じないのか」
「知らん」
「それほど鋭いお目を持ちながら……とは言え、誰にも知れぬが道理、実は外から出入りする者は、拙者のほかにないのでござる」
「うむ、そうであろう、おれも長らくあの辺にうろついているが、ついぞその人を見たことがない」
「わかってみれば何でもないこと、あれはな、甲府におられた駒井能登守殿じゃ」
「エエ! 駒井甚三郎か、それとは知らなんだ、なるほど、駒井か、駒井ならばあすこに隠れていそうな人だわい、これで万事がよくのみこめる、そうか、そうか」
南条は幾度も
「今も能登守殿の話に貴殿の噂が出たところ。貴殿ならば、隠れておられる能登守殿も喜んで会われることと思う」
「会ってみたい、そう聞いては今夜にも会ってみたい」
権現社頭から帰って来たのは駒井能登守であります。今は能登守でもなければ勤番の支配でもありません。一個の士人としては到底、世の中に立てなくなった日蔭者の甚三郎であります。
例の滝の川の火薬製造所の秘密室までは無事に帰って来て、真暗な室内の
この人としてはこういう形をすることもありそうなことだけれど、その当時にあっては、
能登守――と言わず、これからは駒井甚三郎と呼ぶ――はいま椅子へ腰を卸すと共に、額に
この室内の模様は、前に甲府の邸内にあった時と、ほぼ同じような書物と、武器と、それから別に、洋式の機械類と薬品などで充満していました。
駒井甚三郎は、その蒸気船の模型からしばしも眼は放さずに、手はペンを取って、しきりに角度のようなものを幾つも書いているのであります。この人は、いま出向いて行ったことのために、何か気に
この時分、夜はようやく
風が出たなと思った時分に、駒井甚三郎は、ふと戸の外を叩く物の音のあることに気がつきました。宇津木兵馬がまた訪ねて来たなと思って、甚三郎は立って戸をあけにかかりました。けれどもそれは宇津木兵馬ではなくて、見馴れぬ労働者風の男でありましたから、
「誰じゃ」
甚三郎は拳銃をさぐって用心しました。
「拙者だ、南条だ」
駒井甚三郎は、その一言で了解することができました。
ほどなく駒井甚三郎と南条なにがしという奇異なる労働者と二人は、前の室内で椅子によって対坐することとなりました。
その以前、やはり不意にこの男が、甲府の駒井能登守の邸を夜中に驚かしたことがあったように。
その時はそれと知らずして驚かしたものでしたが、今はそれと知って訪ねて来たものらしい。
能登守の
「何をしていた」
と駒井甚三郎が尋ねました。
「ここの工事の人足を働いている」
南条が答えます。
「それは知らなかった」
「こっちも知らなかった」
「どうして拙者がここにいることがわかったか」
「宇津木兵馬から聞いた」
「なるほど――」
南条は室内を一通り見渡したが、例の小型の蒸気船の模型を認めて、
「これは――」
と言って、特に熱心にその船の形を見つめていました。
「これは拙者が工夫中のカノネール、ボートじゃ、ずいぶん苦心している」
「なるほど」
南条は
「よく見てくれ、そして批評をしてくれ、長さは二十間で幅は四間になる、船の構造はまず自分ながら申し分はないつもりだ、機関の装置も多少は研究し、速力も巡陽、回天あたりよりも一段とすぐれたものになるつもりじゃ。しかし、いま問題にしているのはそれに載せる大砲よ、なるべく大口径にして、遠距離に達するように苦心している。それと大砲を
駒井甚三郎は、こんなふうに説明しながら、いま
「なるほど」
南条はその船体を見ることが、いよいよ熱心であります。
「どうも、こうして調べて実地に当って見れば見るほど、我ながら知識の足らないことと経験の浅いことが残念でたまらぬ。だから拙者は思い切って洋行してみようと思っているのじゃ」
駒井甚三郎がこう言うと、小型の蒸気船の模型を見ていた南条が、急に駒井の
「ナニ、洋行?」
と言いました。
「その決心をしてしもうた」
「それは悪いことではない、君の学問と才力を以て洋行して来れば、それこそ鬼に金棒じゃ」
「書物と
「大いに行くがよい」
「
「君は拙者と違って
「来月の半ばに下田を出る
「一人で行くのか」
「従者を一人つれて行く、そのほかには今のところ
「おれも一緒に行きたいな、
と南条は笑いました。
「君が一緒に行ってくれれば拙者も甚だ心強いけれど、それが知れたら、それこそ第二の吉田松陰じゃ」
「それでは
「そんなことはあるまい」
駒井甚三郎は微笑していました。
この二人は前に言ったように、高島四郎太夫の門下に学んだ頃からのじっこんでありました。その故に地位だの勢力だのというものは頓着なしに、いつも会えばこうして、友達と同じような話をするのであります。
「思い切りのよいのに感心する、我々は西洋の学問と技術はエライと思うけれど、頭までそうする気にはなれぬ」
と言って南条は、この時はじめてらしく駒井甚三郎の刈り分けた
「ひと思いにこうしてしまった、洋式の
甚三郎は静かに、
「でも
「なんの……」
「そうだ、駒井君」
南条はこの時になって、一つの要件を思い当ったらしく、
「君は一人で洋行するそうだけれど、君の周囲に当然起るべきさまざまの故障について、善後の処置が講じてあるのか。一身を避ければ、万事が納まるものと考えているわけでもなかろう」
南条と別れた宇津木兵馬は、王子の扇屋へ帰って来ました。扇屋の一間には、さきほどから兵馬の帰りを待ち兼ねている人があります。
いったん尼の姿をしていたお君は、ここへ来ては、やはり
「まだお
「お前様のお帰りを待っておりました」
「それほどに
兵馬の言葉が濁って、その様子が
「残念ながら、もはや、この御縁はお
と言いながら兵馬は、懐中から袋入りの物と
「これが、能登守殿より御身へお言葉の代り」
その品をお君の眼の前へ置きました。その袋入りの物は短刀であり、帛紗包みは
「わたくしは、そのようなものをいただきに上ったのではござりませぬ」
お君が恨めしそうにその二品をながめていましたが、その眼には涙がいっぱいであります。
「ともかくも」
と言って兵馬は、その二品を前へ出したきりで腕を組んでいました。兵馬の胸にも実は、思い余ることがあるのであります。
「宇津木様、どうぞ殿様のお言葉をお聞かせ下さりませ、縁を
「能登守殿は、そうはおっしゃらぬ。そうはおっしゃらぬけれど」
「わたくしが殿様から前のようなお情けをいただきたいために、こうして恥を忍んで上りましたものか、どうか、それを御存じないあなた様が
「それは拙者にもわかっているし、能登守殿も御諒解であるが……」
「それならば、お言葉をお聞かせ下さりませ。わたくしは
「またしても短気なことを……」
「いいえ、短気なことではありませぬ、わたくしの小さい胸で、考えて考え抜いた覚悟の上でござりまする。殿様のお言葉次第によって、わたくしもこの世にはおられませぬ、恐れ多い殿様のお血筋を、わたくしと一緒にあの世へおつれ申すのが
お君は
「能登守殿は近いうち、洋行なさるというておられた」
兵馬は要領をそらして、何とつかずにこう言いました。
「洋行なさるとは?」
「この日本の土地を離れて、遠い外国へおいであそばすそうじゃ」
「エエ、遠い外国へ?」
お君は涙を払って兵馬の
「能登守殿がおっしゃるには、自分はもう今の世では望みのない身体じゃ、この
「よくわかりました」
兵馬の説明をお君はキッパリと返事をしました。兵馬の重ねて説明することを必要とせぬほどに、キッパリと言い切ってしまいました。
「もうお聞き申すこともござりませぬ、殿様は前から西洋がお好きでございました、わたくしのことなんぞを今ここで申し上げたとて、お取り上げになろうはずがござりませぬ、もうあのお方のお心のうちは、西洋の学問やなにかのことでいっぱいなのでございます、わたくし
お君としては冷やかな言い分でありました。その冷やかな言い分のうちには、多くの
「悪く取ってはなりませぬ、能登守殿のお身の上を推量すると、拙者にはお気の毒でお気の毒で、どうも立入って強いことが言えない」
兵馬はお君を慰めようとして、能登守の身の上に同情を向けさせようとしました。しかしお君は、やはり冷やかな態度を変えるのではありません。
「どう致しまして、わたくしが殿様のお心持を、よからぬように御推量申し上げるなぞと、そのようなことがありますものか、どうか御無事で洋行をしておいであそばすように、蔭ながら祈るばかりでございまする、この下され物もその心で有難く頂戴致しまする」
今まで手にも触れなかった袋入りの物と、
兵馬はなお何か言いたいと思ったけれども、何も言うことがないのに苦しみました。それは余りにお君の態度が神妙であったからであります。余りによく解り過ぎてしまったために、兵馬は何を言ってよいかわからなくなりました。
「宇津木様、もう夜も更けました、どうぞお休み下さいませ。わたくしも疲れました、御免を蒙りとうございまする」
お君は二品を膝に置いて、言葉丁寧に言いましたけれど、兵馬にはそれが、いつものようでなく、冷たい針が含まれているように思われてなりません。さりとて、なんともその上に加えねばならぬ言葉はないので、
「しからば余談は明日のこと、御免を蒙りましょう」
なんとなく物のはさまったような心持で、兵馬は
次の間の物音によく心を澄ましているらしかったが、何に驚いたか兵馬は、ガバと
お君は端坐して、その手には、さきほど能登守から贈られたという袋入りの短刀の
お君は能登守からの短刀の鞘を払って、あわやと見えるところでした。兵馬はその手を押えました。
「ここで御身を殺しては、能登守殿にも申しわけがない、甲州から頼まれた人たちへも申しわけがない、これまでの苦心が
兵馬に抑えられたお君は、それを争うことができません。お君としては、兵馬の
「ああ、わたくしの身はどうしたらよいのでございましょう、あの立派な殿様を、世間にお
短刀を取られてしまったお君は、そこへ泣き伏しています。
「お君殿、そなたの身の上を頼まれたは拙者、殺してよい時はこの兵馬が殺して上げる、それまでは不足ながら万事を拙者にお任せ下さい、必ず悪いようには致さぬ、もしそれを聞かずに再びこのような短慮な事をなさる気ならば、拙者にも
兵馬は言葉を強くしてこう言いました。けれどもお君は、それに対して何の返事もできないのであります。
「さあ、御返事をなさい、この上とも万事を兵馬にお任せ下さるか、それがいやならば、この短刀をお返し申す故、この場で改めて自害をなさい、兵馬が
兵馬はなお手強く言って、お君の口から誓いの言葉を聞こうとするらしくあります。
「そのお返事のないうちは、この場を去りませぬ」
兵馬はお君に向って、あくまでその返答を迫るのであります。
「宇津木様、わたくしには何もかもわからなくなりました、お前様のよろしきように」
ともかくもその場はお君を取鎮め、万事を我に任せろと頼もしいことを言って力をつけたものの、兵馬自身によくよく
能登守の立場を見れば、それにお君を会わせて自分が帰ってしまうことはどうしてもできないことであります。そうかと言ってまた甲州へ連れて戻るわけにはゆかず……結局、どうすればよいのだか兵馬は、迷いに迷ってしまいました。
迷いに迷った
その翌日、兵馬が道庵を訪れようと用意しているところへ案内があって、一人の立派な武士が兵馬を訪ねて来たということであります。
「はて、誰だろう」
兵馬はここへ自分を訪ねて来る立派な武士があろうとは、予期していないことでありましたが、迎えて見ると、それは南条であります。
なるほど、今日ここへ訪ねて来るように言っていたが、前夜の労働者風の姿のみ頭に残っていたから、今こうして立派な武装をしてやって来られると、
南条は頓着なく兵馬のいる一間へ打通って、
「いや、おかげさまで駒井とゆっくり話をすることができて面白かった。駒井は近いうち洋行をするそうじゃ。それは結構なことだ、あの男の学問と器量とを以て洋行して来れば、鬼に金棒というものだと
かく言って遠慮なく、駒井能登守のことを話されるのは兵馬にとっては苦痛であります。兵馬にとっては苦痛でないけれど、一間を隔ててお君の耳へそれを入れることが心配になるのです。
南条もそれを呑込んだか知らん、
「君、ちょっと外へ出ないか、滝の川へ
南条それがしと宇津木兵馬とは、相携えて扇屋を出ました。
兵馬は、南条が自分をどこへ導いて行くのだか知りません。紅葉というのは
この途中、二人は、いろいろのことを話し合いました。人物の評をしてみたり、甲府以来の世間話をしたりしました。兵馬はこの人のいつも元気であって、好んで虎の尾を踏むようなことをして、
そこで、思いきって
それを聞いていた南条は、事もなげにカラカラと笑って、
「君がその婦人を引受けたらよいだろう、駒井から貰い受けたらよいだろう」
「エエ!」
兵馬は眼を円くしました。南条は眼を円くしている兵馬の
「理窟を考えちゃいかん、君がその女の身を心配するならば、いっそ引受けて夫婦になってしまうがよかろう」
兵馬は、返事ができないほどに
「はははは」
南条は本気で言ったのか
「そんなことが……」
兵馬は
「それがいけなければ斬ってしまえ、その女を斬ってしまうがよい、こう言えば無慈悲のようだけれども、それは男子らしい処分と言えないこともない、紀州の殿様で、
これはあまりに乱暴な議論であります。さきに慢心和尚は、女を沈めにかけると言って兵馬を驚かせました。それは慢心和尚一流のズボラであったけれど、この男の言う議論は、実行と交渉のある議論であるから
兵馬と南条なにがしとがこうして王子を立って、江戸の市中へ向けて出かけて行ったと同時に、これはまた板橋街道の方から連立って、王子の方面へ入って来る二人の旅人があります。
かなり長い旅をして来たものらしく、直接に江戸へ入らないところを見ると、或いは王子を通り越して
「兄貴」
人通りの絶えたところで後のが声をかけました。その声を聞くとなんのことはない、これは執念深い片腕の男、がんりきの百でありました。
「何だ」
振返ったのは、取りも直さず七兵衛であります。
「今夜はどこへ泊るんだ」
百蔵は今ごろこんなことを言って、七兵衛に尋ねてみるのもワザとらしくあります。
「どこにしようかなあ」
歩いて来るには歩いて来たものの、二人はまだどこといってきめた宿がないもののようであります。
「今っからこの
とがんりきが言う。
「そうよ」
「王子の扇屋へ泊ろうじゃねえか」
「いけねえ」
七兵衛が首を左右に振りました。
「どうして」
がんりきは笠越しに七兵衛の
「あすこはこのごろ、役人が出入りをしている、滝の川の方に
「そうか」
がんりきも暫らく口を
「それじゃあどうするんだ」
がんりきが、また駄目を出しはじめます。
「どうしようか、お前よく考えてみな」
七兵衛は煮えきらないのであります。がんりきはそれをもどかしがって、
「考えてみなと言ったって、兄貴がその気にならなけりゃ仕方がねえ。実のところは
「今夜はなんとか仕事をしなくちゃならねえな」
「知れたことよ、そのことを言ってるんだ。いま聞けば、扇屋は何か役人の普請事の会所になっているというじゃねえか、そこへひとつ今晩は御厄介になろうじゃねえか」
「俺もそう思ってるんだ。普請事というのは何か鉄砲の
「そいつは耳寄りだ、兄貴、お前はいいところへ気がついていた」
「だから、そうきまったらどこかで一休みして、ゆっくり出かけるとしよう」
「
こう言って二人は、板橋街道の夕暮を見渡しました。
その晩になって、王子権現の境内へ二つの黒い影が、
「兄貴」
「百か」
前の通り二人は百蔵と七兵衛とです。板橋街道の夕暮で見た二人の姿は、純然たる旅の人でありました。ここでは忍びの者のような姿であります。けれども二人とも脇差は差していて、足もまた厳重に固めていました。
「どうした」
「冗談じゃねえ」
頭と頭とを、こっきらことするほどに
「役人の会所になっているというから、様子を見ていりゃあ、役人らしいのは一人も泊っていねえじゃねえか、それに
少しばかり、せせら笑ってかかると、七兵衛はそれを気にかけないで、
「それに違えねえ。おれも様子を見てから、こりゃ抜かったと直ぐに気がついたから、引上げようと思ってると、
「なるほど」
「さあ出かけよう」
この二人は、板橋街道で打合せた通り、王子の扇屋を
「普請場とやらへは、兄貴一人で行っちゃあもれえめえか」
「ナニ、おれに一人でやれというのか」
「俺らは、どうもそっちの方は気が進まねえことがあるんだ」
「ハテな」
「実は、扇屋でいま見つけ物をして来たから、その方が心がかりになって、金なんぞはあんまり欲しくもなくなったのさ」
「おやおや」
「そういうわけだから、兄貴一人で普請場へ行って当座の稼ぎをして来てくんねえ、俺らは俺らで自前の仕事をしてみてえんだ」
「この野郎、扇屋の女中部屋の
「まあ、いいから任しておいてくれ、兄貴は兄貴で兵糧方を持ってもらいてえ、
「また、笹子峠のように
「ナニ、あの時だって、まんざら遣り損なったというものでもねえのさ、それにあの時は相手が相手だけれど、今夜のは、たった一人ほうりっぱなしにしてあるのだから、袋の中の物を持って来るようなものだ」
「まあ、よせと言ってもよすのじゃあるめえから、手前の勝手にしてみるがいい、
「有難え」
二人で一緒に仕事をするはずであったのが、ここで二つに分れて仕事をすることになります。
ここで二人のよからぬ者が
がんりきの方は、心得て直ぐさまその場から姿を隠したが、七兵衛は少しばかり行って踏みとどまり、
「野郎、いったい何をやり出すんだか」
と言って、七兵衛は普請場の方へ行こうとした爪先を変えて、がんりきが出て行った方へ素早く歩き出したところを見ると、そのあとをつけて、あの小ざかしい片腕が、何を見つけて何をやり出すのだか、それを突留めようとするものらしくあります。
ややあって七兵衛は、音無川の岸の木蔭の暗いところから、扇屋の裏口を
果して縁側の戸が一枚あけてあったところから、人の頭がうごめき出でました。
「出たな」
と言って七兵衛は
なるほど、それは人影である。闇の中でも慣れた目でよく見れば、中から這い出すようにして庭へ下りる人は、小脇に白い物を抱えていることがわかります。その物は何物であるかわからないけれども、それを片腕に抱えて、極めて巧妙に家の中から脱け出して来たものであることが一見してわかります。
七兵衛は、じっとその様子を見ていました。果してその黒い人影は庭へ下り立ったが、そこで前後を見廻して暫らく
待っていたこの裏木戸へ来たら、
「おや?」
七兵衛は少しばかり
「出し抜かれたかな」
木の繁みから音無川の谷の中へ下りて見たところが、そこに忍び返しをつけた塀があります。
「こいつはいけねえ」
七兵衛はその下を潜ろうか、上を乗り越えようかと思案したけれど、それは
「ちょッ」
仕方がないからわざわざ岸へ上って、家のまわりを、遠くから一廻りして表へ出て見ました。
こうして前後を見廻したけれど、いま庭で立消えになったがんりきの姿は、いずれにも認めることができません。
「野郎、まだ中に隠れているな、おれがあとをつけたことを感づいたもんだから、この屋敷の中で立往生をしていやがる、それともほかに抜け道をこしらえておいたものか、それにしては手廻しがよすぎるが、どうしてもあの裏手よりほかに逃げ道はねえはずなんだが……ハテ」
七兵衛は、また裏の方へ廻って見ました。そこでもまた再びその影も形も認めることができないから、ともかくも中へ入ってみようとする気になったらしく、そっとその木戸を押してみると、
「泥棒、泥棒、泥棒」
泥棒、泥棒と騒ぎ立てられた時分には、七兵衛もがんりきも、さいぜんの権現の稲荷の社前へ来ていました。
「兄貴、細工は
がんりきは社前のところへ腰をかけて自慢そうに鼻うごめかすと、七兵衛も同じように腰をかけて苦笑い。
「いったい、そりゃ何の真似だ」
「何の真似だと言ったって兄貴、お前と
「何を言ってやがるんだ」
「まあまあ、
「エエ!」
「どんなもんだ」
がんりきは、いよいよ得意になって社殿の中を尻目にかける。この社殿の中へ、その手柄にかける当の者を運び来って隠して置くものらしくあります。それでがんりきはなお得意になって、七兵衛をも尻目にかけながら、
「俺らは、ただこうして溜飲を下げさえすりゃそれでいいのだ、なにもこのお部屋様を、煮て喰おうとも焼いて喰おうとも言いはしねえのだ、これから先の料理方は兄貴次第だ、よろしくお頼み申してえものだな」
がんりきはこんなことを言って、さて
「それこの通りだ」
と言ってがんりきが、苦い顔をしている七兵衛の眼の前へ突きつけたのは、やや身分の高かるべき女の人の着る一領の
「これがどうしたんだ」
七兵衛はその裲襠と、がんりきの
「これがその、講釈で聞いた
がんりきはひきつづいて手柄話と盗んで来た品物とを、鼻高々と七兵衛の前へ並べて
「なるほど、そいつはかなり気の利いた仕事をしたものだ、けれども、その
七兵衛はこう言って、がんりきをばかにしたような面をすると、
「ナーニ、あの女がここにいるからには、大将だってまんざら遠いところにいるでもあるめえ」
「手前は、まだその見当がつかねえのか」
「兄貴、お前はまたそれを知ってるのか」
こんなことを話し合っているうちに、二人の話がハタと止んで、やがて滝の川の方面へ忍んで行くらしくあります。
その翌朝、駒井甚三郎は、例の研究室の前の塀に、ふと妙なものがかかっているのを認めました。皮を剥いだもののように、一枚の
駒井甚三郎がそれを見た時は、まだ夜があけはなれないうちで、誰もその以前に気がついたものはありませんでした。それを一目見ると駒井甚三郎の
けれども、また直ぐに窓掛を下ろして、姿を研究室の奥深く隠してしまいました。駒井甚三郎は再びこの不快な一種の
それから程経て、馬を
その人は馬を駆ってやや暫らく行った時に、途中で行会った百姓男を呼び留めて、
「これこれ」
「はい」
「お前は王子の方へ行くと見えるな、気の毒ながらこれを扇屋まで届けてもらいたいものじゃ」
「へえへえ、よろしうございますとも」
頼む人が身分ありげな人であって、頼む言葉も丁寧であったから、頼まれた百姓は恐れ入って承知をしました。幸い、この百姓は扇屋の方へ行くべきついでの百姓でありました。馬上の人が取り出したのは一封の手紙らしくあります。
「ただこの手紙を持って扇屋へ立寄り、名宛の人に渡してもらえばよろしい、名宛の人がおらぬ時は、預けておいてよろしい、返事は要らぬ、これは
「どう致しまして、ほんのついででございますから、こんな物をいただいては済みましねえでございます」
馬上の人はお礼の寸志として、いくらかの金を与えようとしたのを、
「しからば、
とばかり馬に鞭をくれてサッサと歩ませて行きました。百姓はその後ろ姿を見送って、
「お代官様みたようなエライお方だ、どこのお邸のお方か知らねえけれど」
と言って、その百姓はいま受取った手紙の表を見ると、見事な筆蹟で、
「扇屋にて、宇津木兵馬殿」
と記してありました。扇屋の一間に、お君は兵馬を待っていました。遅くも帰るであろうと待っていた兵馬は、ついに帰りません。
兵馬の身の上にも何か変事はなかったろうかと、それが心配になって、心細いよりは怖ろしさに堪えられないようであります。
昨夜、床に就いて、うとうととしかけたのはかなり夜が
兵馬を待ち兼ねている心持だけで、それに気がついたのではありません、お君は物を用心する女でありました。こうなってみると、自分の身が何物より大切に思われるし、また頼りなくも思われてならないのに、この女は、
「誰じゃ」
誰じゃと
「どなたかお出合い下さい、悪者が……」
こう言って叫びを立てると、
「エエ、いめえましい」
と言って、枕を拾ってお君に打ちつけたのは、怪しい
「あれ――」
お君はこの場合にも身を避けることを知って、その投げつけた枕を外すと、それが
「どなたぞ、おいで下さい、悪者が……」
この声で扇屋の上下はことごとく眼をさましました。その騒ぎと暗とに紛れて、悪者は
さりとてここでその品物の名を挙げて、宿の者にまで駒井能登守の名を出したくはありません。兵馬さえいたならば何とでも相談相手になろうものを、昨夜に限って戻って来ないことを、残念にも怨みにも、お君は一人でハラハラする胸を押えていました時に、帳場から一封の手紙を届けてきました。その手紙が宇津木兵馬宛になっていることを知って、ともかくも自分が預かることにする。まもなく宇津木兵馬は、一人で立帰って来ました。
昨夜の出来事を聞いて驚いた上に、さきほど預けられた手紙を渡されてそれを読むと、急いでいずれへか出かけました。
兵馬の出かけた先は、かの火薬製造所に駒井甚三郎を訪ねんためでありました。いつものところに来ておとのうてみたけれども、もうその人はそこにおりません。誰に尋ねてみることもできず、尋ねてみても知っている人はありません。
兵馬は空しく先刻の手紙を
「感ずるところあって、当所を立ち退く、行先は当分誰にも語らず、後事よろしく頼む」
というだけの意味であります。駒井甚三郎はついにどこへ向けて立去ったか知ることができません。なにゆえに左様に事を急に立去らねばならなくなったのか、推察するに苦しみました。或いはその企てている洋行の機が迫ったために、こうして急に立去ったものかとも思われるが、どうも文面によるとそればかりではないらしく思われる。
その日のうちに、宇津木兵馬もお君を連れて、扇屋を引払ってしまいました。
甲府の
これは
ムク犬を捕えて離さないのは、この馬場の松の老木と、それに
松の樹の下に繋がれているムク犬には、誰も食物を与えるものがないらしくあります。
それ故に、さしもの猛犬が、いたく衰えて見えます。真黒い毛が縮れて、骨が立っています。前足を組んで、首を
もうかなり長いこと、ここに繋がれているはずなのに、絶えて吠えることをしないから、誰もここにこの犬が繋がれていることをさえ、外では知っている者はないようです。
たまたま附近の野良犬がこの屋敷へ入り込んで、なにげなくこの近いところへ来て、松の樹の下にムク犬の姿を認めると、急にたじろいで、尾を股の間に入れて
ムクが吠えないのは、吠えても無益と思うからでありましょう。吠えてみたところで、今やこの甲府の
こうしてムク犬が沈黙していると、或る日この屋敷の裏口から、怖る怖る入って来た二人の男がありました。
「へえ、御免下さいまし、御本宅の方から頼まれてお犬を拝見に上りました、どなたもおいではございませんか。おいでがございませんければ、お許しが出ているんでございますから、御免を蒙ってお庭先へお通しを願いまして、お犬を拝見が致したいのでございますが、どなたもおいではございませんでございますか」
二人の男は、極めて
この二人の男の
「へえ、御免下さいまし、お犬を拝見に出ましてございます」
誰も挨拶をするものがないのに、卑下した言葉をかけながら、泉水、池、庭を怖る怖る通って、例の馬場の松の大木の下までやって来ました。
「長太、これだこれだ、ここにいたよ、ここにいたよ」
二人はたちどまって、やや遠くからムク犬の姿をながめて指さしました。
「なるほど、こいつは
二人は、ソロソロと寝ているムク犬の傍へ近寄って来ました。
二人の犬殺しが、ソロソロと近寄った時に、ムク犬はようやく頭を
頭を上げたけれども、いつものように勇猛の威勢あるムク犬ではありません。二人を見据える眼の力さえ、ややもすれば眠りに落つるような元気のないものであります。
「畜生、弱ってやがる、これなら大丈夫だろう」
二人の犬殺しは、頭を上げたムク犬の
「やい、畜生、どうした」
と言って、その棒をムク犬の

「畜生、どうした」
顋の下へ突っ込んだ棒を、犬殺しは
その時に、眠っていたようなムク犬の眼が、俄然として蛍の光のように輝きました。それと共に、いま自分の顋の下へ自棄に突っ込んでコジ上げた棒の一端を、ガブリとその口で噛みつきました。
「こいつはいけねえ」
電気に打たれたように、犬殺しはその棒を手放して一間ばかり飛び退きました。犬殺しの手から噛み取った棒は、ムクの口から放れません。牙がキリキリと鳴りました。さしもに堅い
「こん畜生、
犬殺しは胸を撫でながら、再びムク犬の傍へ寄って来ました。俄然として
「いけねえ、いくら弱りきった畜生だからと言って、
犬殺しどもは、何か不得要領なことをブツブツ言って立戻って来て、さきに卸して置いた籠を提げて、またムク犬の傍へ近寄り、
「どうだろう、まあ、この堅い棒を
籠の中から取り出したのは竹の皮包の
「さあさあ、
こう言って投げてやった握飯が、鼻の先まで転がって来たけれども、ムク犬はそれを一目見たきりで、口をつけようともしませんでした。
「おやおや、こん畜生、行儀がよくていやがらあ、こんなに
二人の犬殺しは、拍子抜けのしたように立っています。
神尾主膳はこの頃、躑躅ヶ崎の下屋敷へ知人を集めて、一つの変った催しをすることにきめました。それは或る時、神尾が二三の人と話のついでに、こんなことが問題になりました、
「精力の強い動物は、極めて巧妙にやりさえすれば、皮を剥がれても生きている、生きていて、皮を剥がれたなりの姿で歩くこともできるものだ」
と主張する者がありました。
「そんなばかなことがあるものか、いくら強い動物だからと言って、全身の
と
「それがあるから不思議だ、まず古いところでは、古事記にある
と言って主張するものは、
「それは
というような実例をまことしやかに弁じ立てました。反駁する者は、決してそんなことはあるべきはずのものではないと言い、主張するものはいよいよそれが事実あり得ることで、たとえば
しかし、これは両方とも、根拠があるようでない議論でありました。なぜといえば主張する者も、書物や
それを聞いていた神尾主膳は、興味あることに思いました。なるほど常識を以て考うれば、虎や狼にしたところで、皮を剥がれて生きて歩けようとは思い設けられぬこと、しかし主張するものの論から考えると、常識以上の不思議が必ずしもないこととは思われないのであります。そこで神尾主膳は、
「それは近ごろ面白いお話だ、拙者も承っていると、ドチラのお申し分にも、道理がありそうでもあり、ないようでもある、それというのはいずれも、その御実験をごらんなさらぬからのことじゃ、それではいつまで経っても議論の尽きよう道理はござらぬ、なんとそれをひとつ、実地に
こう言い出すと、一座はなるほどと思いました。なるほどとは思ったけれど、
「実地に験してみると言ったところで……」
それはなかなか容易な実験ではありません。やはり空想にひとしいものだとあきらめているらしいが、神尾だけは何かの当りがあると覚しく、
「幸い、拙者がその実験に
「それは近頃の慰み……」
と言うものもありました。よけいなことと眉を
「そうじゃ、近いうちおのおの方はじめ有志のお方に、躑躅ヶ崎の拙者屋敷へお集まりを願おう、その
神尾が進んでその実験を主唱して、それがために日を期して躑躅ヶ崎の神尾の屋敷へ、多くの人が招かれることになりました。その集まりの目的は、前に言う通りの残忍なる遊戯のためであります。その残忍なる遊戯に使用さるべき動物は、すなわちムク犬であって、それの遊戯を実行するのは、
二人の犬殺しは、その前日来、しきりに犬を手慣らすことに骨を折りました。最初の時にガリガリと棒を噛み砕いただけで、その後は、やはり眠そうにしているばかりで、別に二人の犬殺しに反抗する模様も見えませんでした。それで犬殺しは安心したけれども、なお気に入らないことは、いくら食物を与えてもこの犬が、それを欲しがらないことであります。
いろいろにして食物を欲しがるように仕向けたけれど、これだけはついに成功しないで、その試験の当日になりました。
犬殺しどもにもまた大きな責任があります。その皮を
むつかしいのは皮を剥くそのことでなく、皮を剥くまでの間、生きた犬をどうしてじっとさせて置くかでありました。二人の犬殺しの苦心もまたそこにあって、いろいろに犬を
神尾の招いた多くの人は、その当日の定刻に続々と詰めかけて来ました。広間の中や縁のあたりに
「ありゃ、元の支配の邸にいた犬ではござらぬか」
「うむ」
こう言ってムク犬を評していたものもありましたけれど、元の支配ということだけすらが、この席では禁句でもあるかのように、
「うむ」
と言って噛み殺すように
ここで
こうして遊戯の選手に当るべき犬殺しの来るのを待っている間に、例の長吉、長太の犬殺しが、
生きながら皮を剥かれてその動物が、なお生きて動けるかどうかというような議論の、非常識であることは申すまでもありません。それを実行せしめようとする神尾主膳らの心持もまた、人間並みの
それだから彼等には、皮を剥いて、それが生きていようとも死んでしまおうとも、それには責任がなくて、ただ剥ぎぶりの手際の鮮やかなところを御覧に入れさえすれば、義務が済むものと心得ているらしい。
犬殺しが入って来たのを見ると、主人役の神尾主膳を初めとして、見物の人は緊張しました。犬殺しは遠くの方から、怖る怖る地上へ
さきほどからの物々しい光景を見ていたムク犬は、今日は、いつものように眠そうな眼が、ようやく
その有様は、何か事あるのを悟って、いささか用意するところあるもののようにも見えます。
さて、犬殺しが犬潜りから入って来た時分に、ムク犬の眼が
やや離れたところへ着いた犬殺しは、二人ともに
「長太、どうもあの鉄の鎖が邪魔になって仕方がねえな」
長吉は犬を見ながらこう言って長太を顧みると、長太はもっともという
「そうだ、あの鎖を
二人は今に至っても、まだムク犬の首に捲きつけられた二重三重の鉄の鎖を問題にしているのであります。実際、あの鎖があっては、皮を剥きにかかる時に、どのくらい邪魔になるかということは、
「だからおれは、あいつを外してしまって、その代りにこの
「けれども、あのくらいの犬だから、細引じゃあむずかしかろうと思われるぜ」
「ナーニ、大丈夫だ、こいつを二重にして
「じゃあ、そういうことにしよう、いちばん先に
用意して来た革製の口環を取って二人が、やがてムク犬の方へ近寄りますと、今まで伏していたムク犬がこの時に立ち上りました。
「やい畜生、
二人の犬殺しは尋常の犬殺しにかかるつもりで、左右から歩み寄って、一人は例の
「それ、こん畜生、口をこっちへ出せ」
呼吸を計って両方から、ムク犬を
「危ねえ、こん畜生」
二人の犬殺しはその勢いに狼狽したが、
「こいつはいけねえ、どうしても首を松の木へ吊り下げておいてからでねえと」
二人の犬殺しは、手際よく口環をはめてしまうつもりであったところが意外の
麻縄の細引へ輪をこしらえ、それをムク犬の首へ投げかけること、それは近寄って口環をはめることよりも遥かに
難なくムク犬の首を麻縄で
彼等の目的は、こうして首をしめてしまわない程度において、後足で直立するほどに犬の首を引き上げて、前へ廻って腹を見られるくらいにして置いて、仕事にかかろうというのであります。
すでに首へ縄を捲きつけて、その縄を松の枝から通してしまった以上は、さながらムク犬の身体は起重機にかけられたと同じことであります。若干の力で縄の一端を引張りさえすれば、ムク犬は腹を前にして、前足を宙に上げるような仕掛けにされてしまいました。
ただ例の鎖が捲きつけてあるがために、ある程度より上へは浮かないから、折角捲きつけた首の縄も、ムク犬には更に苦痛を覚えないのであります。だから、次の仕事はどうしても、その鉄の鎖を取外すことでなければなりません。
「なかなか大した鎖だ、合鍵がお借り申してあるから、これで錠前を外すがいい、それ、細引はよく松の樹へ捲きつけておかねえと、鎖を外す拍子に、縄がゆるむと間違えが出来るだ」
周到な用心と警戒の下に、鎖を外しにかかりました。
この前後の間におけるムク犬の身体には、更に
広間と縁側とで見物していた武士の連中は、
もし、犬の代りに生きた人間を使用することができたならば、ここに集まる武士たちのうちの幾人かは、もっと痛快味を刺戟されたかも知れません。さすがにそれはできないから、猛犬を以て甘んずるというような
犬の首から松の枝へかけた細引を、しかと松の大木の幹へグルグルと
「それ!」
長太が外した鎖をガチャリと投げ出した途端に、ムク犬が山の崩れるように吠え出しました。
「
細引を手に持っている長吉が、絶望に近い叫びを立てました。
「失敗った!」
長吉が絶望的の叫びを為した時に、ズルズルとその手に持っていた細引に引摺られて行きます。
「こいつは
長太は狼狽して、長吉の引摺られて行く細引にとりつきました。
これは本当に思い設けぬ大変でありました。鎖を外した瞬間に、聡明なるムク犬は全身の力を集めて前へ飛び出しました。縄は松ヶ枝から幹をズルズルと
前へ飛び出したムク犬の首には、二人のとりすがっている麻縄と、前から繋いであったそれと、たったいま解かれた鉄の鎖とがくっついています。
麻の縄にとりすがる長吉、長太の二人と鉄の鎖とを引摺って、ムク犬は、口の裂けるような叫びと唸りとを立てました。
「スワ!」
と、広間と縁側とに集まってこの場の
いったん、麻縄にとりついて横倒しになった長太は直ぐに起き上りました。長吉はなお必死とその縄にすがりついて引摺られて行きました。起き上った長太は、そこへ並べてあった
「こん畜生!」
長太はその棍棒を振りかざして、無二無三にムク犬に打ってかかる。長吉は、なお一生懸命に縄にとりついている。縄にとりついている長吉を引摺りながら、前から棒で打ってかかった長太に向って、烈しき怒りと共に、ムク犬は
「畜生、畜生、畜生」
たしかにやり損った長太は、夢中になって棍棒を振り上げて、ムク犬を
「
長太は棒を投げ出して仰向けに倒れる時に、ムク犬は、倒れた長太の身体を乗り越えて前へ出ました。縄にすがっていた長吉は、
「長太、どうした」
「長吉、放すな」
長太はいよいよ血迷って、噛まれて倒れながらムク犬の身体を抱きました。長吉が引摺られながらも縄を放さないで苦しがっているのも、長太が半死半生になりつつも、このさい猛犬の身体に
自分たちの手抜かりから猛獣の
だから彼等としても、周章狼狽の極にありながら、身が
事態穏かならずと見て取った見物の武士たちは総立ちです。
さすがに女子供ではなかったから、犬が狂い出したというて、逃げ迷うものはありませんでしたけれど、事の
二人の犬殺しを振り飛ばしたムク犬は、一散に走ろうとして――その逃げ場を見廻したもののようでしたけれど、いずれの口も固められて、逃れ出でんとするところのないのを見て、烈しい唸り声と共に両足を揃えて、暫らく立っていました。
「こん畜生!」
二人の犬殺しは、いよいよ血迷うて、手に手に腰に差していた大きな犬鎌を抜いて打振り廻して、噛まれた
この時、神尾主膳は――よせばよかったのですけれども、来客の手前と、例の通り酒気を帯びていたのだから
「神尾殿、お危のうござる」
皆が留めたけれども、主膳は留まりませんでした。りゅうりゅうとその槍をしごいて、いま身震いして立ち迷うているムク犬の前に、風を切ってその槍を突き出しました。
神尾主膳といえども武術には、また一通りの手腕のあるものであります。怒りに乗じて突き出す槍が、かなり鋭いものであることは申すまでもありません。
ムク犬は後ろへ
酒の勢いを
ムクが主膳の槍先を避けたのは、或いはこの家の主人に遠慮をして避けたのかも知れません。好んで人に喰いつくものでないことを示すために、最初しかるべき逃げ場を求めていたのかも知れません。しかし、こうなってみてはムクとして、自分の生存のためにも立って戦わなければなりません。その相手の武士であると犬殺しであるとに論なく、
いま猛然と突き出した神尾主膳の槍を、ムク犬はスウッと
「
主膳は槍を手許につめて、身を沈ませて上から飛びかかるムク犬を、下から突き立てようとしました。その
「
神尾は槍を持ったまま後ろへ倒れるのを、それッと言って応援の者が、ムク犬に槍を突っかけました。ムクは転じてその槍をまた乗り越えました。ムク犬は単に勇猛なる犬であったのみならず、女軽業の一座に仕込まれたために、比類なき身の軽さを持っていました。そうしてヒラリ、ヒラリと人の頭の上を飛ぶことは、多くの敵手を悩ますことにおいて有利な戦法であります。
それより以後におけるムク犬の
武士と言わず犬殺しと言わず、その人の頭を飛び越して、ついに座敷の中へ乱入してしまいました。乱入したのではなく、ムクとしては、やはりその逃げ場を求むるために、心ならずも人間の住む畳の上まで上ってしまったものであります。
家の中へ犬を追い入れた時は、たしかに犬にとってはいよいよ有利で、人間にとってはなかなか不利益でありました。単身にして身の軽い犬は、間毎間毎を飛び廻るのに自由であります。
槍を持ったり、刀を持ったり、棒を持ったりして追い廻す人間は、家の中に於ての働きが不自由です。あっちへ行った、こっちへ来た、それ裏へ出た、表へ廻った、縁の下へ
山へ逃げた、林へ隠れた、畑にいたと、家の中の騒ぎが外へ出た時分には、ムク犬はそのいずれの場所にもいませんでした。この催しのためにはさんざんの失敗であったけれども、ムク犬のためには意外の救いが偶然のように起り、少なくともこの場所で、残忍な試験に供せらるるだけの
左の肩先を犬に噛まれた神尾主膳は――一時それがために倒れて気絶したように見えました。駈け寄って介抱したもののために、直ぐに正気はつきましたけれど、それがために主膳の怒りは頂上に達し、
「憎い非人ども!」
「へいへい」
そこへへたへたと
「貴様たちは
「誠に申しわけがござりませぬ、
「黙れ! 馬鹿者」
主膳は肩先に療治を受けて布を捲いてもらいながら、そのにえたつような
「もとはと言えば貴様たちの未熟だ、犬にも劣った畜生め、どうしてくりょう」
神尾主膳の眼にキラキラと黄色い色が見えたかと思うと、
「馬鹿め!」
恐れ入っていた長太を
「あっ! 殿様!」
長太は、のたうち廻って苦しみました。その手には胸許を突き
「殿様、あんまり……そりゃ」
と言って、あとは言えないで七転八倒の苦しみであります。
「殿様、そりゃ、あんまりお情けのうございます」
長太の言えないところを長吉が引取って、眼の色を変え犬鎌を持って立ち上るところを、
「
と言って、長太の胸から抜いた槍で、また長吉の胸をグサと一突き。
神尾の下屋敷から脱することを得たムク犬は、山へも逃げず、里へも逃げず、首に鎖と縄を引張ったまま
街道でも門外でも騒いだように、恵林寺の門内へこの珍客が案内もなく飛び込んだ時には、一山の大衆を騒がせました。
「ソレ
庭を掃いていた坊主は、箒を振り上げました。味噌をすっていた
一山の大衆は、面白半分にこの犬を追廻すのであります。追われるムク犬は、
例の慢心和尚はこの時、
「そーれ、そっちへ行った」
「やーれ、こっちへ行った」
箒坊主や、
「何だ何だ、やかましい」
慢心和尚は、大きな声で右の坊主どもをたしなめます。
「和尚様、
「よけいなことをするな、そんなことをする暇に、味噌でもすれ」
慢心和尚は、群がっている大坊主や小坊主を叱り飛ばして、
「クロか、クロか、さあ来い、来い」
と言って手招ぎました。
人に
「狂犬であるか、狂犬でないか、眼つきを見ればすぐわかるじゃ、この犬を狂犬と見る貴様たちの方に、よっぽどヤマしいところがある」
慢心和尚は、こんな苦しい
「もう一杯」
と言ってお盆の上へそのお椀を載せました。小坊主が心得て、いま食べたと同じような、お粥のような糊のようなものをそのお椀に一杯よそって来ると、
「南無黒犬大明神」
と言って
そのお椀を目八分に捧げて、推しいただいて持って来る有様というものが馬鹿丁寧で、見ていられるものではありません。
「南無黒犬大明神様、何もございませんが、これを召上って暫時のお
縁のところへさしおいて、犬に向って三拝する有様というものは、正気の沙汰ではありません。
しかしながら、なお不思議なことは、神尾の下屋敷で、何を与えられても口を触れることだにしなかったムク犬が、この一椀のお粥とも糊ともつかぬものを、初対面の慢心和尚から捧げられると、さも嬉しげに舌を鳴らして食べはじめたことであります。
これより先、浪人たちに
この家は、主人の箱惣が殺されて以来、一家は四散し、親戚の者も
この家は何者によって買取られたか知れないが、持主がかわり修理が加えられると共に、そこに出入りするのは異種異様の人であることが、多少、近所のものの眼を引きました。身分あるらしい武士であり、或いは大名の奥に仕えるらしい女中であり、或いはまた諸国の商人のようなものまで集まりました。女房子供の
この老女は、気軽におりおりは一人で外出することもあり、また若い女中をつれて外出することもあり、物々しく乗物で乗り出すこともありました。たしかに武家出の人であって、一見して女丈夫とも思われるくらいの
この老女の家には、前に言う通り絶えず食客がありました。その食客はまた武士であり、商人風の者であり、或いは労働者らしい身なりの者などもありました。けれど老女は来る者を
食客連は、また
老女にとっては、それが大機嫌であるらしく、食客連の間で議論が決しない時は、老女のところへ持って出て、裁判を請うようなこともありました。
こんなに多くの食客を絶えず世話している老女の手許には、別に幾人かの女中や下働きが置いてありました。しかし、その男女間の別はかなり厳しいもので、食客連の放言高談には寛大である老女も、それと女中部屋との交渉は
この老女が何者であろうということが、ようやく近所から町内の評判になる前に、その筋の注意を
けれども、その筋においても、一応
ここにおいて、老女の身辺には幾多の臆測が加わりました。誰いうとなく、こんなことを言うものがあります。
十三代の将軍
その説によると、この老女の背後には、将軍の御台所の権威と、大大名の薩摩の勢力とが加えられてあるわけであります。だからそこへ出入りする浪士体の者の中には薩摩弁の者が多く、そうでないにしても、九州言葉の者が多いのが何よりの証拠だということであります。それでこの老女は、薩摩の家老の母親で、天璋院殿のためには
もう一つの説は、こうであります。
十三代の将軍が、わずかに三十五歳で亡くなった後に、幕府では例の
それが京都と関東との御仲の御合体のためにとて御降嫁になったことは、その時代において、この上もなき大慶のこととされておりました。
疑問の老女は、和宮様のために
こんなふうに後光の射すほど、老女の隠れた勢力を信用しているものもあれば、また一説には、ナニあれはそんな
いずれにしてもこの老女がただものでないということと、ただものでないながら、こうして通して行ける徳望は認めなければならないのであります。
別に、この老女が愛して、手許から離さぬ一人の若い娘がありました。これは疑問の余地がなく、甲州から男装して逃げて来た松女であります。老女が外出する時も、そのお
甲州街道でお松の危難を助けて、江戸へ下った南条なにがしもまた、この老女の
南条なにがしは、お松を助けて江戸へ出て、それからこの老女にお松の身を托したということは、おのずから明らかになってくる筋道であります。
或る日、南条なにがしは、不意に一人の人をつれてこの家を訪れ、老女の傍にいたお松を顧みて、
「お松どの、珍らしい人にお引合せ申そう、
と
「宇津木」
と呼びました。次の間にいた兵馬が、なにげなくこの座敷へ通ってまず驚いたのは、そこにお松のいることでありました。お松もまた一見してその驚きと喜びとは、想像に余りあることでありました。
「まあ、兵馬さん」
甲府以来、その消息を知ることのできなかった二人が、ここで思いがけなく
「いや、これには一場の物語がある、君に事実を知らせずに連れて来たのは罪のようだけれど、底を割らぬうちが一興じゃと思うて、こうして連れて来た。お松どのを、御老女の手許までお世話を頼んだのは拙者の計らい、その
そこでお松は兵馬を別間へ案内して、それから一別以来のことを
こうして二人は無事を喜び合った後に、さしあたって、兵馬の思案に余るお君の身の上のことに話が廻って行くのは自然の筋道です。
甲府における駒井能登守の失脚をよく知っているお松には、一層、お君の身が心配でたまりませんでした。なんにしてもそれが無事で、この近いところへ来て、兵馬に保護されているということは、死んだ姉妹が
そうして二人が思案を
兵馬は、ようやくに重荷を
その夜は南条と共にこの家に枕を並べて
しかし、幸いにお君の身の上は無事で、兵馬と共に扇屋を引払って落着いたところが、この家であることは申すまでもありません。
ここに例の長者町の道庵先生の近況について、悲しむべき報道を
それはほかならぬ道庵先生が
道庵ともあるべきものが、なぜこんな目に逢わされたかというに、その
道庵の罪は、単に
道庵先生の隣に鰡八大尽の妾宅があることは、廻り合せとは言いながら、どうしても一種の皮肉な社会現象であると見なければなりません。それで道庵が
しかしながら道庵の方は、何を言うにも十八文の貧乏医者であります。鰡八の方は、ほとんど無限の金力を持っているのだから、ややもすれば圧倒され気味であることは、道庵にとって非常に同情をせねばならぬことであります。
また一方では、大尽のお附の者共が、盛んに手を廻して、道庵のあたり近所の家屋敷を買いつぶすのであります。そうしてそれをドシドシ庭にしたり、御殿にしたりして、今は道庵の屋敷は三方からその土木の建築に取囲まれて、昼なお暗き有様となってしまいました。
このごろでは、道庵は毎日毎日屋根の
勝ち誇った鰡八側では、これであの貧乏医者を
夜な夜な例の
それとは知らず
そこへ集まった者はみな名うての大尽連で、今日は主人が新たに手に入れた書画と茶器との拝見を兼ねての集まりでありました。やはり例の通り高楼をあけ放していたから、道庵の庭からは来客のすべての
「占めた!」
薬草を
「国公、ならず者をみんな呼び集めて来い」
と命令しました。
ほどなく道庵の許へ集まったのは、ならず者ではなく、この近所に住んでいる道庵の子分連中で、それぞれ相当の職にありついている人々であります。
主人側では新たに手に入れた名物の自慢をし、来客側ではそれに批評を試みたりなどして鰡八御殿の上では、興がようやく
主客一同が何事かと思って屋根の上を見た時分に、いつのまに用意しておいたものか、例の馬鹿囃子以来の櫓の上に、
「これは」
と鰡八大尽の主客の面々が驚き
「ソーレ、うて、たちうちの構え!」
と号令を下しました。
その号令の下に、道庵の子分たちは、勢い込んで一斉射撃をはじめました。これは
これは実に意外の
こうして命
この
「者共でかした、この図を抜かさずうてや、うて、うて」
盛んにハタキを振り廻して号令を下すものだから、道庵の子分の者共はいよいよ面白がって、水鉄砲を
この時の道庵の勢いというものは、傍へも寄りつけないほどの勢いでありました。すっかり凱旋将軍の気取りになってしまって、
「
と言って自分が先に立って軍を引上げて、
子分たちもまた、親分の計略が奇功を奏したのは自分たちの手柄も同じであるといって、盛んに飲みはじめました。道庵は、かねての鬱憤を晴らしたものだから、嬉しくて嬉しくてたまらないで、一緒になって飲み且つ踊っていると、そこへその筋の役人が出張し、グデングデンになっている道庵を引張って役所へ連れて行ってしまいます。
さすがに大尽家でも、このたびの無茶な
それがために道庵は、役所へ引張られて一応吟味の上が、手錠三十日間というお灸になったのは、
手錠三十日は、大した重い刑罰ではありませんでした。道庵はこのごろ鰡八を相手に騒いでいるけれども、大した悪人でないことはその筋でもよくわかっているのであります。悪人でないのみならず、道庵式の一種の人物であることもよくわかっているから、お役人も、またかという心持でいました。しかし訴えられてみるとそのままにもなりませんから、道庵をつかまえて来て、ウンと叱り飛ばし、手錠三十日の言渡しをして町内預けです。
それで道庵は、手錠をはめられて自分の屋敷へ帰っては来たけれど、その時は祝い酒が
「誰がこんな
と
「こいつは
と叫びました。しかし、それでもまだ何だかよく呑込めていないらしく、役所へ引張られたことは
ここにまた、道庵先生の手錠について不利益なことが一つありました。手錠といったところで、大抵の場合においては、ソッと附届けをしてユルイ手錠をはめてもらって、家へ帰れば、自由に抜き差しのできるようになっているのが通例でありました。遊びに出たい時は、手錠を抜いておいて自由に遊びに出ることができ、お呼出しとか、お手先が尋ねて来たとかいう時に、手錠をはめて見せればよかったものを、先生は酔っていたために、ついその手続をすることがなく、役所でもまた何のいたずらか先生の手に、あたりまえの固い手錠をはめて帰したから、極めて融通の利かないものになっていました。
そこへ五人組の者が訪ねて来て驚きました。例によってお役人にソッと頼んで、
「俺ゃ、そんなことは大嫌いだ、そんなおべっかは、おれの
と主張します。そんなことを言って正直に三十日間手錠を守っているということは、ばかばかしいにも程のあったことだけれど、酔っている上に、頑固を言い出すと際限のない先生のことだから、それではと言ってひとまずそのままにしておくことにしました。
道庵はこうして、ツマらない意地を張って手錠をはめられたままでいるが、その不自由なことは譬うるに物がないのであります。
こんなことなら、五人組の言うことを素直に聞いておけばよかったと、内心には悔みながら、それでも人から慰められると、大不平で意地を張って、ナニこのくらいのことが何であるものかと気焔を吐いてごまかしています。
そうして意地を張りながら、酒を飲むことから飯を食うことに至るまで、いちいち国公の世話になる
二日たち三日たつ間に道庵も少しは慣れてきて、相変らず手錠のままで酒を飲ませてもらい、その勢いでしきりに鰡八の悪口を並べていました。
この最中に、道庵の
この場合に米友が、道庵先生のところへ姿を現わしたのは、その時を得たものかどうかわかりません。
しかし、訪ねて来たものはどうも仕方がないのであります。本来ならば、与八と一緒に訪ねて来る約束になっていたのが、一人でさきがけをして来たものらしくあります。
「こんにちは」
米友は、きまりが悪そうに先生の前へ坐りました。この男は片足が悪いから、
「やあ、妙な奴が来やがった」
道庵先生もまた、手錠のまま甚だ窮屈な形で、米友を頭ごなしに
「先生、どうも御無沙汰をしちゃった」
感心なことに米友は、木綿でこそあれ仕立下ろしの
ここで道庵と米友との一別来の問答がありました。道庵は道庵らしく問い、米友は米友らしく答え、かなり珍妙な問答がとりかわされたけれど、わりあいに無事でありました。
「友公、実はおれもひどい目に逢ってしまったよ」
道庵が最後に、道庵らしくもない弱音を吐くので、米友はそれを不思議に思いました。米友の不思議に思ったのはそれだけではなく、この話の最中に、いつも道庵が両手を上げないでいる恰好が変であることから、よくよくその手許を見ると、錠前がかかって金の輪がはめてあるらしいから、ますますそれを
「先生、その手はそりゃいったい、どうしたわけなんだ」
と尋ねました。
「これか」
道庵は、手錠のはめられた手を高く差し上げて米友に示し、待っていましたとばかりに、舌なめずりをして、
「まあ米友、聴いてくれ」
と前置をして、それから馬鹿囃子と水鉄砲のことまで
これは道庵としては確かに失策でありました。こういうことを
「ばかにしてやがら」
米友がこういって憤慨した
「全くばかにしてる、おれは貧乏人の味方で、早く言えば今の世の佐倉宗五郎だ、その佐倉宗五郎がこの通り手錠をはめられて、
道庵先生の宗五郎気取りもかなりいい気なものであったけれども、とにかく、一応の理窟を聞いてみたり、また米友は
その翌日、米友は道庵先生の家の屋根の上の
鰡八というのはいったい何者であろうと米友は、その御殿の方を睨みつけましたけれど、その時は雨戸を締めきってありました。これはあの時の騒ぎから、ともかく道庵を手錠町内預けまでにしてしまったのだから、鰡八の方でも
米友には、
道庵が鰡八に楯をつくのは、それはほんとうに
そうして鰡八という奴の
米友は、ハッと思ってその戸のあいたところを見ました。米友が心で願っている鰡八が、或いは幸いにそこへ
「おや」
その女の子は、戸をあける途端に道庵の家の屋根を見て、その櫓の上に立っている米友に眼がつきました。米友が例の眼を丸くしてそこに立ち尽しているのを見た女の子は、
それから、少しばかり引き開けた戸の蔭に隠れるようにして、再び
「オホホホホ」
と
「ちょいと、お徳さん、来てごらんなさい、早く来てごらんなさいよ」
「どうしたの、お鶴さん」
「あれ、あそこをごらんなさい」
「まあ」
「ありゃ人間でしょうか、猿でしょうか」
「そりゃ人間さ」
「あの
「おお
「でも、どこかに可愛いところもあるじゃありませんか」
「子供でしょうかね」
「なんだかお爺さんみたようなところもあるのね」
「あれはお前さん、こっちをじっと見ているよ、睨めてるんじゃないか」
「怖いね」
「怖かないよ、子供だよ」
小間使が二人寄り三人寄り、ほかの女中雇人まで追々集まって、米友の面を指していろいろの
「やい、そこで何か言っているのは、
米友はキビキビした声で叫びました。
「それごらん、おお怖い」
米友に
やや暫らくして櫓の上から下りて来た米友を、道庵は声高く呼びましたから、米友が行って見ると、道庵は例の通り手錠のままでつく
仕入れて来るべき薬種の品々を道庵は、米友に口うつしにして書かせました。それに要する金銭の上に道庵は、若干の
米友はその使命を承って、風呂敷包を首根っ子へ結びつけて、仕立下ろしの袂のある棒縞の着物を着て、長者町の屋敷をはなれました。本来、使そのものは附けたりで、
どこへ行こうかしら、暇はもらったけれども米友には、まだどこへ行こうという
何心なく歩いて来ると、佐久間町あたりへ出ました。ここで米友は去年のこと、こましゃくれた若い主人の忠作のために使い廻されて、飛び出したことを思い出しました。あの時の女主人は甲府へ行っているはずだけれど、あの若いこましゃくれた旦那はどうしているか、
やがて昌平橋のあたりへ来ると、例の貧窮組の騒ぎに自分も
「そうだ、あの女はお蝶と言ったっけ、あれでなかなか正直な女だ、あの女の親方という奴もなかなか親切な奴で、
ここで米友の心持がようやく定まりました。本所の鐘撞堂の相模屋という
手ぶらでも行けないから、何か手土産を持って行きたいと、米友も相当に義理を考えて、何にしようかとあっちこっちを見廻しながら歩いているうちに、柳原を通り越して両国に近い所までやって来てしまいました。
「両国!」
と気がついた米友は、全身から冷汗の湧くように思って身を
両国に近いところへ来て米友が、むらむらと不快な感に打たれて
ここへ来るとお君のことが思い出され、甲州へ置いて来たお君の面影が、強い力で米友の心を押えてきたから、
「うーむ」
と言って米友は、突立ったなりで歯を食いしばりました。
「うーむ」
今はここへ来て、それがいつもするよりは一層烈しい心持になって、歯を食いしばって
「能登守という奴が悪いんだ、あいつがお君を
米友は、
大名とか殿様という奴等は、自分の権力や
こうして米友はお君のことを思い出すと、矢も楯も堪らぬほどに腹立たしくなるが、その腹立ちは、直ぐに能登守の方へ持って行ってぶっかけてしまいます。能登守を憎む心は、すべての大名や殿様という種族の乱行を憎む心に、
米友の頭では、今でもお君はさんざんに能登守の
短気ではあったけれども、
米友はそこに突立って唸り、歯がみをして
「覚えてやがれ」
歯を食いしばったままで、サッサと人混みを通り抜けて、
「何だあいつは」
通りすがる人が、みな振返って米友の後ろを見送るほどに、穏かならぬ歩きぶりであります。
両国橋を渡りきった米友は、
あの時は
「あ、おじさんが来たよ、槍の上手なおじさんが来たよ」
バラバラと米友の
「おじさん、槍の上手なおじさん、どこへ行ったの」
「うむ、
「ずいぶん長かったね、ナゼもっと早く帰らなかったの」
「向うで忙がしかったんだ」
「もう御用が済んだのかい、またおじさん遊ぼうよ」
「うむ」
「おじさんがいる時分にはね、みんなしてこの家の中へ入って遊んだんだけれど、今は誰も入れなくなってしまったよ」
「そうかい」
「おじさんが帰って来たから、おいらたちもこの家の中へ入って遊んでいいんだろう」
「そうはいかねえ」
「どうして」
「もうここは俺らの家じゃねえんだ」
「おじさんの家はどこなの」
「俺らの家か、俺らの家は下谷の方だ」
「遠いんだね、もっと近いところへ越しておいでよ」
「うむ」
「おじさん、槍を持って来なかったのかい」
「うむ」
「持って来ればいいに。みんな、このおじさん知ってるかい、背が低いけれど槍が上手なんだよ」
「知ってまさあ。家のチャンなんぞも、そいってらあ、槍でもってここの家へ入った浪人者を追い飛ばしたんだね、おじさん」
「うむ」
「えらいね、おじさんは見たところ、子供のように見えるけれど、あれで子供じゃねえんだって、家のお母アもそいってたよ」
「そうだよ、おじさんは背が低くって可愛いところがあるけれど、あれで
「うむ」
「またおじさんが槍を持って、ここの番人に来てくれるといいなア、そうすると毎日遊びに来られるんだけれど」
「あたいは、おじさんが来たら槍を教えてもらおうや、そうして槍の名人になりたいなあ」
米友はこれらの子供連に取巻かれてワイワイ言われていました。子供連はよく米友を覚えているし、その親たちまでがいまだに米友のことを評判しているのも、その言葉によってうかがわれるのであります。それだから米友は、これらの子供連を路傍の人とも思えないでいると不意に、近いところでけたたましい物音がすると共に、わーっと子供の泣く声です。
「そーれ、金ちゃんちの三ちゃんが井戸へ落っこった!」
「ああ、金ちゃんちの三ちゃんが井戸へ落っこってしまったア」
今まで米友を取巻いていた子供連が、
今の物音でも知れるし、子供の泣き声でもわかる。確かに、たった今この井戸の中へ
それを見るや米友は、首根っ子に
こうして分けて書くと、その間に多少の時間があるようだけれど、その瞬間の米友の挙動は驚くべき敏捷なものでありました。首根ッ子へ結いつけていた風呂敷をかなぐり捨てた時は、井戸端を
近所の親たちが青くなって井戸側へ駆けつけ、それ
「大丈夫だ、子供は生きてる、生きてる、心配しずにその縄を
この声で初めて、誰とも知らず助けに下りている者があるということがわかりました。これで近所の親方もおかみさんも総出で、エンヤラヤと井戸縄を
「三公、まあお前、よく助かってくれたねえ、よく助かってくれたねえ」
ほんとに仕合せなことには、頬のところへ少しばかりきずが出来たばかりで、上手に落ちていましたから、多少、水は呑んでいたようだけれど、見るからに生命の無事は保証されるのであります。
「この井戸へ落ちて、よくまあ助かったねえ、ほんとに水天宮様の
附近の親たちはその無事であったことを賀するやら、自分の子供たちが危ないところで遊ぶのを叱るやら、井戸側はまるで
「ほんとにこれこそ水天宮様の御利益だ」
いい
母親は米友の手から子供を奪って自分の家へ持って帰りました。弥次馬はそのあとをついて
「あっ!」
と言って、さすがに米友があいた口が
風呂敷包が紛失しているのみならず、財布に入れておいた小銭までが見えなくなっていました。
その風呂敷包みには、道庵から頼まれた薬を仕入れるための金銭が入れてありました。
あまりのことに米友は腹も立てないで、着物を引っかけて苦笑いのしつづけです。
この場合に米友の物を盗み去るのは、火事場泥棒よりももっとひどいやり方でありました。しかし、盗んで行った奴とても、ただ路傍に
また、水天宮様ばかりを
あれもこれもばかばかしくって、さすがの米友も腹を立つにも立てられず、喧嘩をしようにも相手がなく、着物を引っかけて帯を結ぶと、杖を拾ってこの井戸側をさっさと立去ってしまいました。
米友が立去った時分になって、井戸に落っこちた子供の親たちやその近所の者が、またゾロゾロと井戸側へ取って返しました。
それはようやくのことに米友の恩を思い出して、それにお礼を言わなければならないことを、見ていた多くの子供たちから教えられたから、取って返したのです。しかし、それらの人たちが引返して来た時分には、肝腎の米友はもう井戸の側にはおりませんでした。その附近にもそれらしい人の影は見えませんでした。
そこで今度はそれらの人が、あいた口が塞がらないのであります。実に申しわけがないと言って、盛んに愚痴を言ったり、子供らを叱ったりしていましたが、結局、もとこの箱惣の家に留守番をしていて、槍を
「おじさんは、少しの間、旅をしていたんだとさ、そうして今はなんでも下谷の方にいると言ったね、政ちゃん」
子供らの米友についての知識は、これより以上に出でることはできませんでした。
これより先、この騒ぎを聞きつけて、箱惣の家の物見の格子の
この娘は、その時はじめて奥の方から出て来て、騒ぎのことはまるきり知りません。どうやら井戸へ人でも落ちたものらしいけれど、その時は井戸側の騒ぎは長屋裏の方へうつって、井戸側には、米友一人が向うを向いて帯を締めているだけのことでありましたから、最初はかくべつ気にも留めないでいました。そのうちに長屋の方からまたゾロゾロと人が引返して来ると、井戸側にたった一人で向うを向いて、着物を着て、帯を締めていた小男は、さっさと歩き出してしまいました。その小男が歩き出した途端に、簾の中から見ていた娘は、
「おや?」
と言って驚きました。再び
「お松様、お松様」
奥の方で呼ぶ声がします。
「はい」
表へ駈け出そうとした娘は奥を振返りました。この娘はすなわちお松であります。
「お君さん」
と言って、お君がじっと物を考えているところへお松が入って来ました。お君がこうして
「わたしは今、珍らしい人に逢いました、たしかにそうだろうと思いますわ」
「それはどなた」
お君もまたお松の晴れやかな調子につりこまれて、美しい笑顔を見せました。
「当ててごらんなさい」
「誰でしょう」
「お前様の、いちばん仲のよいお友達」
「わたしのいちばん仲のよいお友達?」
と言ってお君は美しい眉をひそめました。仲の善いにも悪いにも、このお松をほかにしては、友達らしい友達を持たぬ自分の身を顧みて、お松の言うことを
「言ってしまいましょう、わたしは、たった今、米友さんに逢いましたよ」
「あの友さんに?」
「はい」
「どこで」
「ついそこで。この家のすぐ前の井戸のところに立っていました」
「あの人が、ここを訪ねて来ましたか。どうして、わたしのいることがわかったのでしょう。それでもよかった」
お君はホッと安心したように息をつきました。それでもよかったというのは、米友が自分を訪ねてここへ来てくれたものと信じているらしいのを、お松は寧ろ気の毒がるように、
「でも、ほんとうに、米友さんだか、どうだか知れませんけれど、わたしが見た目では全く、あの人に違いがありませんでした」
「では、あなたがお取次をして下すったのではないのでございますか、わたしを訪ねてあの人が来てくれたというわけではないのですか」
「どういうつもりですか、さっぱりわかりません、わたしがそれと気がついた時には、もうあの人は井戸側から見えなくなってしまったのでございますもの」
「それで、お前様に、なんとも言わずに行ってしまったのでございますか」
「わたしの方では、たしかに米友さんに違いないと思いましたけれど、向うでは、わたしの姿さえ見ないであちらを向いていました、はっと思う間にどこへ行ってしまったか、言葉をかける
「まあ、どうしたのでしょう」
「ほんとに、わたしも
「あの人は、少し気象が変っているから、何か気に入らないことがあって行ってしまったのか知ら、もしや、他人の
お君は打消してみたけれど、どうも打消し難い疑いが深くなります。
お君がこの家に預けられているということは、初めのうちは、出入りの人々は誰も知りませんでした。しかし、ここに永く食客のようになっている人々の間には、自然にそれが知れないでいるはずはありません。それらの人々の間にお君のことが問題となって、それとなく用事をかこつけてはお君を
食客とは言いながら、これらの連中は皆よき意味での一癖ある連中でしたから、そんなに無作法な振舞はしません。けれども二人三人
老女の娘であろうというもの、それはまるきり型が違う、老女の娘でもなければ身寄りの者でもない、しかるべき身分の者の持物であったのを、仔細あって預かっているのだろうということは、誰も一致する見当でありました。
或る日、ここへ二三人づれの浪士体の者がやって来ました。そのなかには、
「ああ、南条が知っている、あの男を責めてみるとわかるだろう」
それで集まった人々が、
「南条君、君に聞いたらわかるだろうと衆議一決じゃ、あの女は、ありゃいったい何者だ」
座中の一人が問いかけました。南条はワザと怖い目をして、
「知らん、拙者は女のことなぞは一向に知っておらん」
と首を振りました。
「そりゃ嘘じゃ、君はたしかに知っている、君が連れて来て老女殿に預けたものと、一同が認定している」
「詰らん認定をしたものじゃ」
「そう言わずに白状したがよろしい、情状はかなりに酌量してやる」
「白状するもせんもない、どこにどんな女がどうしてござるか、拙者共は一向に不案内、おのおのから承りたいくらいじゃ」
「こいつ、一筋縄ではいかぬ、
「たとえ拷問にかけられても知らぬ、存ぜぬ」
こんなことを言って彼等は大きな声で笑いました。大きな声で笑ったけれど、更に要領を得ることではありませんでした。しかし、一座の者は、これは確かに、南条が知っていながらしらを切るのだろうと認定をしていることは動かせないのであり、ほかのことと違って、こういうことを知っていながら知らない風をするのは罪が深いと、一座の者が南条を憎みました。よし、それならば我々の手で直接に突留めて、南条の鼻を明かしてやろうと意気込むものもありました。
「なにも、そうムキになって拙者を責めるには及ぶまい、お望みがあるならば、本人に向って
南条は多数に憎まれながら、こう言って
「ともかくも、ああして置くのは惜しいものじゃ」
こうして、お君のことがこの家に集まる若い浪士たちの噂に上ってゆきました。
しかし、それだけでは納まることができなくなった時分に、これらの連中のなかでも
「時に、つかぬことをお聞き申すようだが、あの奥にござるあの若い婦人は、あれはいったい主のある婦人でござるか、但しは主のない婦人でござるか……」
額の汗を拭きながらこういうと、老女は果して、
せっかく切り出したけれども、こう老女に黙って面を見られると、二の句が継ぎ難く、しどろもどろであります。
「それがどうしたというのでございます」
老女は意地悪く突っ込みました。
「それがその、僕が一同を代表して……」
一同を代表してはよけいなことであります。せっかく自分が犠牲者として一同から推薦され、自分もまた甘んじて犠牲になる覚悟で切り出しておきながら、老女に
「一同とはどなたでございます」
「一同とは拙者一同」
「何でございます、それは」
苦しがってその男は、
「その一同によくそうおっしゃい、女房が御所望ならば、三千石の身分になってからのこと」
「なるほど」
なるほどといったのは何の意味であったか自分もわからずに、恐れ入ってその男は退却して、一同のところへ逃げ込みました。
いわゆる、一同の連中は、逃げ返ったその男を捉まえてさんざんに小突き廻しました。
一同を代表してというのは武士としていかにも腑甲斐ない言い分であるというので、
しかし一方にはまた、老女の言い分に対して、不満を
「ナニ、そういうつもりで老女殿が三千石と言ったのではあるまい、何か他に意味があることであろう」
と言いなだめる者もありました。
三千石の意味の不徹底であったところから議論が沸騰して、それからお君のことを呼ぶのに三千石の美人と呼ぶように、この一座で誰が呼びはじめたともなく、そういうことになりました。
三千石の美人。こうして半ば無邪気な閑話の材料となっている間はよいけれど、もし、これらの血の気の多い者共のうちに、真剣に思いをかける者が出来たら危険でないこともあるまい。老女の
それから二三日して、お松は暇をもらって、相当の土産物などを
その時分には、先日の手錠も満期になって、手ばなしで酒を飲んでいましたが、話が米友のことになると、道庵が言うには、あの野郎は変な野郎で、ついこのごろ、薬を買いにやったところが、その代金を途中で落したとか取られたとか言って、ひどく
米友の
「おや、お松じゃないか」
「伯母さん」
悪い人に会ってしまいました。これはお松のためには唯一の伯母のお滝でありました。ただ一人の現在の伯母であったけれども、決してお松のためになる伯母ではありません。前にもためにならなかったように、これからとてもためになりそうな伯母でないことは、その身なりを見ても、
「どうしたの、まあお前、珍らしい、こんなところで」
「どうも御無沙汰をしてしまいました」
「御無沙汰もなにもありゃしない、お前、こっちにいたんならいたように、わたしのところへ何とか言ってくれたらよかりそうなものじゃないか、そんなにお前、親類を粗末にしなくったっていいじゃないか、いくらわたしが
「そういうわけではありませんけれど」
「まあ、こんなところで何を言ったって仕方がないから、わたしのところへおいで、前と同じことに佐久間町にいるよ、ここからは一足だよ、わたしも
伯母のお滝は、もう自分が先に引返して、お松を自分の家へ連れて行こうというのであります。その言葉つきから言っても、
「せっかくでございますけれど伯母様、今日は急ぎの用事がございますから、明日にも、きっと改めてお邪魔に上りますから」
「そんなことを言ったって駄目ですよ、お前はもうこの伯母を出し抜くようになってしまったのだから油断がなりませんよ、お前に逃げられたために、わたしがどれほど災難になったか知れやしない、今日は逃げようと言ったって逃がすことじゃありませんよ」
「伯母さん、逃げるなんて、そんなことはありません」
「ないことがあるものか、京都を逃げたのもお前だろう、それからお前、国々を渡り歩いていたというではないか、それで一度も、わたしのところへ便りを聞かせてくれず、こっちへ来ても、他人のところへはこうして出入りをしていながら、目と鼻の先にいるわたしのところなんぞは見向きもしないじゃないか、ほんとにお前くらい薄情者はありゃしない」
「けれども伯母さん、今日はどうしても上れません」
お松の言葉が意外に強かったものだから、お滝も少し
「どうして来られないの」
「今日は、御主人にお暇をいただいて出て参りましたのですから、その時刻までに帰らなければ済みませんもの」
「御主人? お前はどこに御奉公しているの、御主人というのはどういうお方」
「はい。それは……」
お松はこの伯母に、今の自分の居所を言っていいか悪いかと